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資本主義(その3)(既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言、「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換) [経済]

資本主義については、昨年10月3日に取上げた。今日は、(その3)(既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言、「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換)である。

先ずは、経済学者の安田 洋祐氏が昨年12月20日付け東洋経済オンラインに掲載した「既得権と独占を壊せ!自由な社会の作り方 若き天才経済学者が「ラディカル」に提言」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/319184?page=2
・『21世紀を生きる私たちには3つの課題がある。富裕層による富の独占、膠着した民主主義、巨大企業によるデータ搾取だ。この難問に独自の解決策を見いだそうとする野心的な理論書が刊行された。気鋭の経済学者として名を馳せるグレン・ワイル氏を共著者とする『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』だ。 プリンストン大学留学時にワイル氏とも接点があり、今回、本書の監訳を担当した大阪大学大学院経済学研究科准教授の安田洋祐氏による「日本語版解説」を、一部加筆・編集してお届けする』、興味深そうだ。
・『学部生ながら大学院生に教えた「天才経済学者」  本書の執筆者の一人であるグレン・ワイル氏は、筆者のプリンストン大学留学時代のオフィスメートである。と言っても、当時の私は大学院生で彼はまだ学部生。 ワイル氏は学部生でありながら大学院の難解な講義を楽々と突破し、さらには大学院生たちを(ティーチング・アシスタントとして)教える、スーパーな学部生だった。 すでに大学院生用の研究スペースまでもらい、ハイレベルな学術論文を何本も完成させていた彼は、プリンストン大学を首席で卒業したあと、そのまま同大学の大学院に進学。平均で5、6年はかかる経済学の博士号(Ph.D.)を、驚くべきことにたった1年でゲットしてしまう。 この規格外の短期取得は経済学界でも大きな話題となり、「若き天才経済学者登場」「将来のノーベル賞候補」、といった噂が駆け巡った。 そんな若き俊英が、はじめて世に送り出した著作が本書『ラディカル・マーケット』である。今回、記念すべきこの本を監訳することができて、イチ友人として、またイチ経済学者として、とても光栄に思う』、「若き天才経済学者」が「はじめて世に送り出した著作」、何を主張するのだろう。
・『「ラディカル」(Radical)という単語は、「過激な・急進的な」という意味と「根本的な・徹底的な」という意味の、2通りで用いられる。本書『ラディカル・マーケット 脱・私有財産の世紀』は、まさに両方のラディカルさを体現した「過激かつ根本的な市場改革の書」である。 市場が他の制度――たとえば中央集権的な計画経済――と比べて特に優れているのは、境遇が異なる多様な人々の好みや思惑が交錯するこの複雑な社会において、うまく競争を促すことができる点である。 市場はその存在自体がただちに善というわけではなく、あくまで良質な競争をもたらすという機能を果たしてこそ評価されるべきだ。 もしもその機能が果たされていないのであれば、市場のルールを作り替える必要がある。今までのルールを前提に市場を礼賛する(=市場原理主義)のではなく、損なわれた市場の機能を回復するために、過激で根本的なルール改革を目指さなければならない(=市場急進主義)。本書の立場は、このように整理できるだろう』、「市場原理主義」ではなく、「市場急進主義」とは面白そうだ。
・『現代世界が直面する問題とその解決策  では、著者たちが提案する過激な改革とは、いったいどのようなものなのか?本論にあたる第1章から第5章までの各章で、私有財産、投票制度、移民管理、企業統治、データ所有について、現状および現行制度の問題点がそれぞれ整理され、著者たちの独創的な代替案が提示されている。 どの章もそれだけで1冊の専門書になってもおかしくないくらい内容が濃く、驚かれた読者も多いに違いない。第3章から第5章では、世界が現在進行形で抱える深刻な社会・経済問題に対する処方箋が示されており、移民、ガバナンス、データ独占などの現代的な問題に関心のある方は必読だ。 本書の中心となる第1章と第2章は、資本主義および民主主義の大前提を揺るがし、思考の大転換を迫るようなラディカルな提案を読者へと突きつける。 たとえば、第2章「ラディカル・デモクラシー」では、民主主義の大原則である1人1票というルールに改革のメスが入る。具体的には、ボイスクレジットという(仮想的な)予算を各有権者に与えたうえで、それを使って票を買うことを許すという提案だ。 ここで登場する「2乗する」というルールは、単なる著者たちの思い付き、というわけではもちろんない。現在までに購入した票数と追加的に1票を買い足すために必要なボイスクレジットが比例的な関係になる、という二次関数の性質がカギを握っているのだ。 そのうえで著者たちは、一定の条件の下で、QVによって公共財の最適供給が実現できることを示している。独創的なアイデアをきちんと先端研究によって補完する、という組み合わせは他の章にも通底する本書の大きな魅力である』、「ボイスクレジット」については、ここでの短い説明だけでは、理解不能だ。
・『さて、ここからは第1章「財産は独占である」の中身と、その評価について述べたい。本書の中でも最もラディカルなこの章で著者たちが改革の矛先を向けるのは、財産の私的所有に関するルールである。 私有財産は本質的に独占的であるため廃止されるべきだ、と彼らは主張する。言うまでもなく、財産権や所有権は資本主義を根本から支える制度のひとつだ。財産を排他的に使用する権利が所有者に認められているからこそ、売買や交換を通じた幅広い取引が可能になる。 所有者が変わることによって、財産はより低い評価額の持ち主からより高い評価額の買い手へと渡っていくだろう(配分効率性)。さらに、財産を使って得られる利益が所有者のものになるからこそ、財産を有効活用するインセンティブも生まれる(投資効率性)』、総論としては理解できる。
・『私有財産制度がもたらす問題  著者たちは、現状の私有財産制度は、投資効率性においては優れているものの配分効率性を大きく損なう仕組みであると警告している。私的所有を認められた所有者は、その財産を「使用する権利」だけでなく、他者による所有を「排除する権利」まで持つため、独占者のように振る舞ってしまうからだ。 この「独占問題」によって、経済的な価値を高めるような所有権の移転が阻まれてしまう危険性があるという。 一部の地主が土地を手放さない、あるいは売却価格をつり上げようとすることによって、区画整理が必要な新たな事業計画が一向に進まない、といった事態を想定するとわかりやすいだろう。 代案として著者たちが提案するのは、「共同所有自己申告税」(COST)という独創的な課税制度だ。COSTは、1.資産評価額の自己申告、2.自己申告額に基づく資産課税、3.財産の共同所有、という3つの要素からなる。具体的には、次のような仕組みとなっている。 1.現在保有している財産の価格を自ら決める。 2.その価格に対して一定の税率分を課税する。 3.より高い価格の買い手が現れた場合には、 3─i.1の金額が現在の所有者に対して支払われ、 3─ⅱ.その買い手へと所有権が自動的に移転する。 仮に税率が10%だった場合に、COSTがどう機能するのかを想像してみよう。あなたが現在所有している土地の価格を1000万円と申告すると、毎年政府に支払う税金はその10%の100万円となる。申告額は自分で決めることができるので、たとえば価格を800万円に引き下げれば、税金は2割も安い80万円で済む。 こう考えて、土地の評価額を過小申告したくなるかもしれない。しかし、もし800万円よりも高い価格を付ける買い手が現れた場合には、土地を手放さなければならない点に注意が必要だ。 しかもその際に受け取ることができるのは、自分自身が設定した金額、つまり800万円にすぎない。あなたの本当の土地評価額が1000万円だったとすると、差し引き200万円も損をしてしまうのである。 このように、COSTにおいて自己申告額を下げると納税額を減らすことができる一方で、望まない売却を強いられるリスクが増える。このトレードオフによって、財産の所有者に正しい評価額を自己申告するようなインセンティブが芽生える、というのがCOSTの肝である』、確かに「COST」は優れた仕組みのようだ。
・『現代によみがえるジョージ主義やハーバーガー税  実は、COSTのような仕組みの発想自体は、著者たちのオリジナルというわけではない。シカゴ大学の経済学者アーノルド・ハーバーガーが、固定資産税の新たな徴税法として同様の税制を1960年代に提唱しており、彼の名前をとって「ハーバーガー税」とも呼ばれている。 またその源流は、19世紀のアメリカの政治経済学者ヘンリー・ジョージの土地税にまで遡ることができる。ただし、適切に設計されCOSTを通じて、所有者にきちんと正直申告のインセンティブを与えることができることや、配分効率性の改善がそれによって損なわれる投資効率性と比べて十分に大きいことなどを示している点は、著者たち(特にグレン・ワイル氏と、別論文での彼の共同研究者)の大きな貢献だ。 整理すると、大胆な構想と洗練された最先端の学術研究によって、本書はジョージ主義やハーバーガー税を現代によみがえらせ、土地をはじめとするさまざまな財産に共同所有への道筋を切り拓いた、といえる。 財産の私的所有は、確かに著者たちが主張するように「独占問題」を引き起こし、現在の所有者よりも高い金額でこの財産を評価する潜在的な買い手に所有権が移転しにくくなる、という配分の非効率性を引き起こす。 ただし、この非効率性は悪い面ばかりとは限らないのではないだろうか。非効率性の正の側面として、3つの可能性に思い至ったので書き留めておきたい。 1つ目は、予算制約である。ある所有者にとって非常に価値がある財産であっても、租税に必要な現金が足りず、高い金額を申告することができないような状況が当てはまる。 私有財産が認められていれば、手元に現金がなくても大切な財産を守ることができるが、COSTはこの「守る権利」を所有者から奪ってしまう。経済格差の解消が大幅に進まない限り、この種の「不幸な売却」をなくすことは難しいのではないだろうか。 2つ目は、生産財市場の独占化だ。いま、2つの企業が同じビジネスを行っており、事業継続のためにはお互いが所有している財産――たとえば事業免許――が欠かせないとしよう。 ここで、ライバルの免許を獲得すれば自社による一社独占が実現できるため、高い金額で相手の免許を買い占めるインセンティブが生じる。 免許の所有権がCOSTを通じて円滑に移転することによって財産市場の独占問題は解消されるものの、その財産を必要とする生産財市場において独占化が進んでしまう危険性があるのだ。 3つ目は単純で思考コストが挙げられる。COSTにおいて申告額をいくらに設定すれば最適なのかは、税率だけでなく、自分の財産に対する他人の購買意欲に左右される。 需要が大きければ価格を上げ、小さければ下げるのが所有者にとっては望ましい。つまり、市場の動向をつぶさに観察して、戦略的・合理的な計算をする必要があるのだ。こうした調査や分析は、市井の人々に大きな負担を強いるかもしれない』、「非効率性の正の側面として、3つの可能性」、「安田 洋祐氏」の指摘はその通りなのかも知れない。 
・『「スタグネクオリティ」を解決する卓越したアイデア  最後に、COSTや本書全体に対する監訳者の評価を述べておきたい。現在の資本主義が抱える問題として特に深刻なのは、経済成長の鈍化と格差の拡大が同時並行で起きていることだろう。著者たちが「スタグネクオリティ」と呼ぶ問題である。 こうした中で、一部の富裕層に過剰なまでに富が集中する経済格差の問題を見過ごせない、と考える経済学者も増えてきた。 ただし、著者たちのように、私有財産という資本主義のルールそのものに疑いの目を向ける主流派経済学者はまだほとんどいない。ポピュリズムや反知性主義が世界中で台頭する中で、専門家として経済の仕組みを根本から考え抜き、しかも過激な具体案を提示した著者たちの知性と勇気を何よりも称えたい。 COSTを幅広い財産に適用していくのは、少なくとも短期的には難しいかもしれない。しかし、補完的なルールをうまく組み合わせて、前述したような問題点にうまく対処していけば、実現可能な領域は十分に見つかると期待している。 ポズナー氏とワイル氏の卓越したアイデアをさらに現実的なものとするためにも、本書が多くの読者に恵まれることを願っている。 さぁ、ラディカルにいこう!』、確かに、「経済成長の鈍化と格差の拡大」という「スタグネクオリティ」に対する革命的な処方箋のようだ。今後の議論の発展を待ちたい。

次に、作家、研究者の佐々木 一寿氏が1月8日付け東洋経済オンラインに掲載した「「現代最強の経済学者」スティグリッツの挑戦状 ピケティと挑む「資本主義100年史」の大転換」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/321057
・『稀代の「武闘派」エコノミストが怒っている。長年、格差問題に取り組んできた、ノーベル経済学賞受賞者のジョセフ・E・スティグリッツがその人だ。 このたび上梓された『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』をもとに、スティグリッツとはどのような経済学者なのか、同書で示唆されているある主流派大物経済学者への野心的「挑戦状」とは何かを探る』、主流派経済学者が触れたがらない「格差問題」に、どのような処方箋を示すのだろう。
・『スティグリッツが最強経済学者である理由  一流学者たちから尊敬を集めるほどの学術的な練度、行動力、そして目的の倫理性において、ジョセフ・スティグリッツは他の経済学者を圧倒するほど抜きん出た存在である。 世界中を飛び回る彼にとって象牙の塔ほど似合わないところはない、そんな印象があるが、若い頃には研究室に寝泊りしすぎたために大学側からアパートの契約書の提出を求められたという伝説的な研究の虫であり、MITが誇る当時の二枚看板、ポール・サミュエルソンとロバート・ソロー(ともにノーベル経済学賞受賞学者)に認められた、見紛うかたなき理論家でもある。 そして彼の理論は実践されるためにある。どこにでも出かけて行き、経済学者にも専門外の者にも丁寧に熱心に(時に憤慨しながら)考えを伝える。 学者以上に学者らしく、それでいて“学者風情”とはまったくかけ離れている。実際、行動だけを追うAIが分析をすれば、活動家と見紛うのではないだろうか』、「サミュエルソンとソローに認められた」、確かに「見紛うかたなき理論家でもある」ようだ。
・『彼の経済理論を、惜しみなく隈なく実践に投入する彼の目的はなんなのか。それは、ほかでもない経済学(あるいは今ならcapitalism、資本主義)の副作用を緩和し、万人の生活を向上させることにあるように思える。 また、自身の経済学者としての名声のためではなさそうということは、時にはそれを危うくするような行動もいとわないからだ。 例えば、結果的に彼の名声を不動のものにし2001年のノーベル賞授与の理由となった「非対称情報下の市場経済」は、経済学が依拠する前提を根底から問うもので、当時の主流派を心底から寒からしめる反逆的な色彩のものであったし、四半世紀前から取り組んでいる「グローバリズム施策批判」は時の政府や巨大機関の権力に文字どおりけんかを売るものであった。 また、経済政策の歪みから暴動に発展しそうになればデモの先頭に駆けつけて同情を示しつつ説得を試みるなど、リスクをいとわない行動は枚挙にいとまがない。 彼は徹底して「経済学で万人の生活を向上させる」という目的のために身体を張っているように見える。並の経済学者とは一味も二味も違う存在といえるだろう。 傑出した理論家であり、稀代の武闘派でもあり、人々の生活の向上を願ってやまないこの最強経済学者はといえば、現在もご立腹のようなのである』、功なり名をとげても「稀代の武闘派」とは珍しい存在だ。
・『一貫して「格差拡大」に警鐘を鳴らす  スティグリッツは一貫して経済格差拡大に関して神経をとがらせている。それは、国内であっても国際間であってもそうで、悪意がある欺瞞(わざとそうしている)はもちろんのこと、悪意なき欺瞞(わざとではないがメカニズム的に不可避である)であっても見過ごすことをよしとしない。 そして、後者こそが経済学者スティグリッツの慧眼が冴え渡るところであり、理論と実践に通暁する彼の仕事の真骨頂でもある。 例えば1990年代後半に起きたアジア通貨危機の遠因は、プロの経済学者でも容易には気づけないものも多分にあった。そういう場合には(とくに先進国の専門家は)、つい発展途上国の未熟さのせいにしてしまいがちではある。 しかし、スティグリッツは、先進国の専門家のアドバイス(彼らはえてして先進国政府や巨大国際機関に所属している)こそが不幸な帰結をもたらしたのだと、メカニズム分析を通じて主張する。 専門家たちもよくよく言われてみればそのとおりかもしれないとは思うものの、ただすぐにはピンとこない(悪意のない)彼らにとってはなぜスティグリッツがそこまで憤慨しているのか理解しにくいケースもあるのだろう。 スティグリッツへの批判的な意見も勘案してみると、おそらくスティグリッツはメカニズムの構造がすぐにわかるがゆえに、不幸が引き起こされる帰結が目の前にありありと浮かんでしまい、瞬間的に憤慨してしまうといったこともよくあるのではないか。見えすぎることの副作用として、誤解されることも多いのかもしれない。) ただこのような行動は、時の権力者からは疎まれやすく、煮え湯を飲まされたり冷や飯を食わされたりは日常茶飯事ではあるだろう。 だが、スティグリッツはそれであっても分析や助言をやめない。そして、彼の助けを求める国々は彼を大いに歓迎したし、また不都合な真実を明るみにしたいメディアも彼に好意を示すようになる。スティグリッツが経済学者として異例の人気を誇るのは、このような人柄によるものだろう。 そして、スティグリッツの立腹は、いまは主にアメリカに向かっているようだ。 スティグリッツの最新刊『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』では、これまでのようにグローバリズムの不幸や金融への危惧にももちろん言及されているが、いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっているように感じる。それはとくに序文にはっきり現れている。 とくにトランプ大統領には物言いが辛辣だし、ウォール街へも相変わらずの苦言を呈するが、なかには同僚の主流派経済学者たちがドキリとする宣言もある。 いま、スティグリッツは経済学者として大きな挑戦をしようとしているように見える。それは、経済政策の転換を主張・説得するものとして書かれているが、それ以上のもの、つまり経済学の根幹を問い直すスケールの大きなもくろみを感じさせる』、アジア通貨危機時のIMFの処方箋に対する「スティグリッツ」の手厳しい批判はまだ覚えている。「いま彼の多くの関心はアメリカの格差問題に向かっている」、のは当然だろう。
・『経済学のここ50年の歴史を清算する意思  序文でスティグリッツは、トランプ大統領への苦言を一通りは呈するものの、その(悪意ある)欺瞞はいかにも小物的、表面的だと言わんばかりの書き方をしている。トランプ大統領はいさかいをあおって問題を表面化させたが、実は本来的な経済構造のほうに根本的な問題があるのだという。 その根本的な問題とは何か。それを示唆するために、スティグリッツは突然、ルーズベルトの時代のアメリカ経済に言及する。 「本書では、トランプやその支持者が主張する政策とは真っ向から対立する進歩的な政策を紹介する。それはいわば、セオドア・ルーズベルトとフランクリン・D・ルーズベルトの政策を21世紀風に混ぜ合わせたものだ。」(『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM』「はじめに」より) このスティグリッツの宣言には、主流派(この50年で最大勢力となった新古典派経済学)の学者たちはきっとドキリとしたに違いない。50年前の経済学(ニューディーラー、つまり政府の財政支出による計画経済を重視する立場で『アメリカ・ケインジアン』とも呼ばれていた)に戻らなければいけないね、と“あの”最強経済学者がほのめかしているからだ。 経済学会ではここ長らく、主流派でなければ学者として名を成すことが事実上難しい状況が続いている。いまの主流派は歴史的に、不況対策で功績を上げたニューディーラー(1930〜1970年代)を学術的・政治的に葬り去って「新しい古典派」として数理的な市場均衡モデルを武器にその座に着く(1980年代以降)。 そして、主流派であるかどうかは、一般的なイメージよりもずっと経済学者にとって切実なものである。) スティグリッツ自身ももちろん、名うての新古典派の「巣窟」から頭角を現してきた理論家である。その彼自身が、いまの主流派に苦言を呈しているのだ。 格差問題をきちんと考えるように主流派経済学者たちに見直しを迫っているということであれば、主流派であっても柔軟な学者であれば、少し謙虚に見直しもしてみようと思う者もいるだろうし、スティグリッツもそれを期待しているに違いない。 実際、著名な理論家であるノーベル経済学賞受賞者のポール・クルーグマンなど、かなり柔軟に対応する主流派学者も存在する。 そのような見直しプロセスによって主流派経済学がより汎用性を獲得し、より強靭になれるのであれば、主流派経済学にとっても耳が痛いとはいえ最終的に悪い話ではないだろう。 私は、今でもそのように楽観している。 ただ、スティグリッツは広がるばかりの格差拡大の深刻さに、かなりいら立っている様子ではある。 そして、もしかしたら主流派経済学の基本的な処方箋自体にとうとう“No”を突き付けつつあるのではないか。 本書を謝辞まで読み終えたとき、何か言いようのない違和感を覚えたのである』、「スティグリッツ」といえども、「主流派経済学」と正面から戦うまでには至らないようだ。
・『資本主義100年の歴史を問い直す  最後の謝辞の結文では、ケンブリッジ大学留学時代に触れている。 スティグリッツはMITでの研究の総仕上げとして、ジョーン・ロビンソンのいたケンブリッジ大学に留学しているが、期間は1年ほどである。 「私は1965年、フルブライト奨学生としてイギリスのケンブリッジ大学に入学し、ジェームズ・ミード、ジョーン・ロビンソン、ニコラス・カルダー、フランク・ハーン、デビッド・チャンパーノウンといった偉大な学者のもとで研鑽を積んだ。いずれも、格差の問題や資本主義制度の性質について並々ならぬ関心を抱いていた方々である。」(前掲書より) ロビンソンはケインズの直弟子で、ケインズの直弟子たちのグループは「ケインズ・サーカス」と呼ばれていた。 ロビンソンはそのなかでも武闘派で鳴らしていたが、「数式で簡単に扱えるほど経済の不確実性は甘いもんじゃない」というケインズ・サーカスの経済観は、のちにポスト・ケインジアンと呼ばれる流派に受け継がれる。 そして、ポスト・ケインジアンは傍流の経済学派として今でも主流派から距離を置かれている。 スティグリッツは、ケインズ・サーカスに言及し、資本主義制度を丸ごと疑うことで、主流派を相対化しようとしているのではないか。 並の経済学者であればともかく、スティグリッツであれば、あながちありえない話でもないだろう』、「「数式で簡単に扱えるほど経済の不確実性は甘いもんじゃない」というケインズ・サーカスの経済観」、に私は魅力を感じる。
・『「資本主義は格差を広げる」か  そのようにも思いながら、再び序文を見返してみると、また何か引っかかるところが出てくる。 「私たちはこれまで、国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する、アメリカはその理論を実証していると教えられてきた(注9)。<中略>だが、2016年の大統領選挙が行われるころには、19世紀末の「金ぴか時代」以来なかったほどのレベルにまで格差が拡大していた。」(前掲書より) 非常に注意深い言い回しで、具体的な人物名は注で後述に逃がしているが、資本主義経済が格差を広げるか縮めるかに関して、意味深長な記述である。格差を縮めるという意見に反対をしたいようである。 その「資本主義経済が格差を縮める」という意見を確立したのは、アメリカの黎明期の経済学で多大な功績を残した当時の最強の経済学者、サイモン・クズネッツである。 クズネッツは自由主義陣営(いわゆる西側諸国)の理論的支柱であり、対東側諸国(社会主義、共産主義陣営)としての、また第三諸国を自由主義陣営に誘ううえでの最重要の経済学者だった。 そのクズネッツのテーゼが「国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する」、つまり資本主義経済による経済発展は分厚い中産階級を作ることにつながり、皆が裕福になり格差が縮まる、というものだ。 これはいまでも(例えば開発経済学等での)コンセンサスとして資本主義経済、市場経済推進の根幹をなす考えである。 クズネッツは最初期のノーベル賞経済学賞受賞者であり、西側諸国のコンセンサスを作ってきた、つまり現在の世界の大部分を形作ってきた大物中の大物だが、スティグリッツはいま、そのクズネッツに挑戦をしようとしているのではないか。 「クズネッツは本当に正しかったのか」 つまり、彼が必ずしも正しくなかったとしたら、主流派経済学はいま一度、相対化されたほうがいいのではないか。) 本書の内容はこれまでのスティグリッツの延長にあるが、彼はこれまでよりもより踏み込んだ領域に経済学の可能性を探しに行き始めたのかもしれない』、「クズネッツのテーゼが「国がある発展段階に到達すれば格差は縮小する」、これが「コンセンサスとして資本主義経済、市場経済推進の根幹をなす考えである」、スティグリッツでなくても、どう考えても崩れつつあるとしか思えない。
・『大きな転換を訴えるマクロ経済学の潮流  実はスティグリッツのほかにももう1人、すでにクズネッツに挑戦しようとしている経済学者がいる。 トマ・ピケティだが、『21世紀の資本』で有名な彼も格差拡大を問題視する名うての理論家だ。「金ぴか時代」(ベル・エポック)はピケティがよく使う言葉でもある。スティグリッツの新著とピケティの著書を併せて読み比べてみても面白いかもしれない。 学者たちから尊敬を集める2人の天才モデラー(理論構築を得意とする学者)は、軌を一にして、経済学100年の資本主義上のコンセンサスの転換に挑んでいる。 また最近、主流派重鎮のオリビエ・ブランシャールも、クルーグマン同様、主流派としてはかなり踏み込んだマクロ経済学観(財政政策のこれまで以上の重要性の強調)を表明して話題になっている。 スティグリッツやピケティに比べれば慎重ではあるものの、主流派の大御所たちの転換表明自体が経済学の新しい時代の幕開けを感じさせる。 経済学はいま、大きな地殻変動の中にあるのかもしれない。そしてその中心にいる人物は、間違いなくスティグリッツだろうと私は思う』、スティグリッツですら「主流派」といまだに正面から対峙できないとは、主流派のレガシーはやはり強力なようだ。
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