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日本の構造問題(その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ) [経済]

日本の構造問題については、1月23日に取上げた。今日は、(その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ)である。

先ずは、健康社会学者(Ph.D.の)河合 薫氏が昨年4月23日付け日経ビジネスオンラインに掲載した「平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00021/?P=1
・『今回は平成最後のコラムとなるので「平成の30年間を振り返る」という、コテコテのメディアチックなテーマにしようと思う。 個人的には、私は昭和63年(1988)入社。かくして昭和の高度成長期に「当たり前」だった働き方が瓦解していく様を目の当たりにした世代でもある。“ピチピチ”で“イケイケ”だったあの頃、自分のキャリアを含め「こんな風になる」とは“1ミリ”も想像していなかった。 もちろん元号が変わったからといって、今ある「流れ」が変わるわけではない。 だが、平成を振り返ることは自分のキャリアの足跡をたどることであるとともに、フィールドワークのインタビューに協力してくださった約700名の人たちの「語り」に思いをはせる作業でもあり、これまで講演会やら取材やらでお邪魔した数えきれないほどの企業の人たちから伺った「わが社の問題点」を振り返ることでもある。で、そんないくつもの“データBOX”の蓋を開けてみると、「悪化、劣化、衰退」という、最悪な文字しか浮かばない。ふむ、何回振り返っても暗闇しか見えない。 もちろん色々な制度や法律はできたし、セクハラやパワハラ、長時間労働など、やっと、本当にやっと平成終盤で関心が高まり、部分的にはかすかな“光”が見えてきた問題もある。 しかしながら、どれもこれも抜け穴だらけで、全体を見渡すと“自滅”にむかっているとしか思えないのである。 それは「グループ一九八四年」が昭和50年2月号の『文藝春秋』に投稿した論文、「日本の自殺」の中に予期されていたとおりであり、本論文が2012年に文春新書から出版されたときの巻末で文芸評論家の福田和也氏が記した言葉どおりのことが起こっているな、と。 「日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自滅していく危機のなかに存するというべきなのである」(by グループ一九八四年 『日本の自殺』P.57より) 「今の日本は『自殺』するだけの勢いもなく、衰えた末に『自然死』してしまうのではないか、と思わされる」(by 福田和也氏 同P.189より) なんだかしょっぱなから陰鬱な文章になってしまったのだが、「全体をみることができなくなった」という言葉の重みを裏付ける調査から、まずは紹介しようと思う。 この調査は私の大学院時代の恩師である山崎喜比古先生が中心になり、平成3年(1991年)11月に「中壮年男性」を対象に実施したもので、日本の産業ストレス研究の原点といえる大規模調査のひとつだ』、30年以上も前の「日本の自殺」の「巻末」の「言葉」が、現在にも当てはまるというのは、大いに考えさせられる。
・『1970年代後半から、医学の現場では「過重労働による死」がいくつも報告され、遺族の無念の思いをなんとか研究課題として体系づけたいと考えた旧国立公衆衛生院の上畑鉄之丞名誉教授(うえはた・てつのじょう、2017年没)が、「過労死」という言葉を初めて使い、1978 年の日本産業衛生学会で「過労死に関する研究 第1報 職種の異なる17 ケースでの検討」を発表した。 それをきっかけに翌年から「過労死」の事例報告が相次ぎ、やがて「過労死」という言葉は医師の世界から弁護士の世界に広まり、1988年6月、全国の弁護士・医師など職業病に詳しい専門家が中心となって「過労死110番」を設置。すると夫を突然亡くした妻たちから電話が殺到し、それをメディアが取り上げ「過労死」という言葉が一般社会に広まることになった。 時期を同じくして多くの企業がOA化を進め、働く人たちの精神的ストレスも増加していた。そこで、欧米ではすでに1970年代から進められていた長時間労働の削減やワークライフバランスを「日本でもやらなきゃ!」と労働者を対象にした調査研究がスタートしたのである』、「「過労死」という言葉を初めて使」ったのが「1978 年」だったとは初めて知ったが、40年以上も解決されずに続いていることも衝撃的だ。
・『「長時間」働くことは“美徳”だった平成初期  今回紹介する「中壮年男性の職業生活と疲労とストレス調査」は、民法、労働法を専門とし社会法の分野で多くの立法に参画した東京大学名誉教授(当時)の有泉亨先生はじめ、日本の労働経済学研究の第一人者である法政大学名誉教授(当時)小池和男先生らの助言を得て、山崎先生らが調査を実施し、報告書をまとめたものだ。 当時は「長時間労働やストレスフルな働き方はあくまでも、労働者個人の問題要因」として説明される議論が主流だった。そこで山崎先生は「人の働き方は、企業の働かせ方で変わる!」と、至極まっとうな異議を唱えるべく、労働・職場環境の要因と合わせて分析した。俗っぽくいえば、山崎先生は“ブラック企業研究”のパイオニア的存在であり、この視点こそがこの研究の“ウリ”だった。 調査対象は、東京都内や都心通勤圏に住む35~54歳の男性労働者3000人。基本属性は、+1000人以上規模の会社に勤める人が4割を占め、+業種は「製造業」が30.6%と最も多く、「サービス業」20.5%、「建設業」11%と続き、 +雇用形態は「正社員」が95.6% 月平均の残業時間は、中央値で「30時間以上~40時間未満」。50時間以上が24%、70時間以上が11.5%。 対象が異なるため単純比較はできないが、2013年に「Vorkers」が行った調査では、残業時間は50時間以上が4割。つまり、91年の山崎先生の調査では「今より短い結果」が得られていたのである。 そして研究の“キモ”である長時間労働とその他の要因tとの関係性については、次のようなことがわかった。 +「仕事量が多い」「不規則勤務がある」「厳しいノルマがある」という職場ほど、残業時間が長い +残業時間が多い人ほど「長時間労働を評価する雰囲気がある」とし、具体的には、月平均残業時間「50~70時間未満」は53.3%、「70時間以上」は65.5% +「成績に響くので、少しくらい体調が悪くても出社する」という労働者が36%に上ったのに対し、「仕事を休むと迷惑をかけるので、少しくらい体調が悪くても出社する」と77%が回答  「好きな仕事ができなくとも高い地位に昇進したい」「ある程度昇進し、かつ嫌いな仕事でなければいい」という昇進志向の労働者は全体の51%で、「昇進よりも好きな仕事」との回答(37%)を大きく上回っていた 上記の結果からは、「24時間働けますか?」という企業側の暗黙のオーダーを、働く人たちが「美徳」と捉え、世間もそういう働き方をする人たちを評価する風潮が、「長時間労働」の背後に存在していたと推察できる。 と同時に、1990年代初頭のビジネスマンは、会社というヒエラルキー組織の中で絶対的な居場所を確保することを好む傾向が強かったこともわかる』、確かにあの頃は、まだよき時代だったようだ。
・『忙しかったけど納得のいく報酬と思いやりある職場があった  次に、「職場の人間関係」に関する項目では、 +「仕事を任せられる部下や、サポートしてくれる人がいない」53.9% +「上司の指導や助言が得られない」51.2% で、これらを残業時間との関係でみると、 +月平均残業時間が50時間以上になると、それぞれ68.8%、68%にもおよび、50時間未満との格差が生じていることがわかった。 その一方で、+「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と、全体の8割の人が答えている。 また「報酬」に関しては、 +「現在、思い通りの地位についている」と60.3%、「仕事におもしろさや、やりがいを感じている」と69.6%が回答。 しかしながら、残業時間との関係は認められず、一部でいわれるように、仕事が面白くてやりがいがあるからといって、残業が多くなることはないことがわかった。 賃金については、仕事に見合った報酬を「十分に得ている」は42.7%、「十分ではない」が55.9%と上回った。報酬への満足感と残業の多さとの関係性はなかった。「自分の過労死を心配することがある」とした人は、月平均残業時間70時間以上では65%だった。 ……さて、いかがだろうか。 繰り返すが、調査が行われたのは平成3年(1991年)10月だ。 この頃は「余裕があった時代」とイメージされがちだが、実際には「仕事量の多さ」や、「厳しいノルマ」に悲鳴をあげ、「賃金に不満」を感じている人も多く、既に過労死や過労自殺と背中合わせの時代に突入していたのだ。 その半面、給料は上昇傾向に(ピークは1997年の467万3000円 by国税庁「民間給与実態統計調査」)にあったことに加え、「会社員=正規雇用」で、「将来への不安」に押しつぶされそうになることはなかった。 「サポートを得られない」「上司の助言が得られない」状況になりつつも、「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と8割の人が答えられるだけの心理的余裕もあった。 つまるところ「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか。「正規雇用・長期雇用」という制度を企業が維持していたことで、労働者と企業の間でギブアンドテイクの関係がギリギリ保持できていたのである』、「「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか」、解説は説得的だ。
・『成果主義の名を借りたコスト削減が職場を荒廃させた  ところが、“パチッ”“パチッ”とバブルがはじける音を聞きつけていた会社組織の“上階のお偉い人たち”は、その「全体」をみることなく「部分」、すなわち「年功制」のネガティブな側面だけを注視。 「アメリカの成果主義ってやつを輸入したらどうかな?」「いいね。年功賃金に不満もってる新人類の若いやつらも喜ぶだろう」 「うん!能力主義だよ!」 「そうだ!自己実現だよ!」といった具合に、“コスト削減”という下心ありありの制度を、文化も労働体系も異なる米国から輸入。それにまんまとひっかかったのが、「自分は“できる”」と妄信したエリートと「偉そうなオジさん」に不満を抱えていた若者だった。「年功序列崩壊だ! 成果を出せばいいんだ! 目指せ、1億円プレイヤーだ!」と大喜びしたのである。 「エゴと放縦と全体主義」に陥ってる“お偉い人たち”は、さらなる深みにハマり、「米国=世界→素晴らしい!」とばかりに「正規雇用」と「長期雇用」をなくすことを選択。 1995年、日経連(現経団連)は、「新時代の『日本的経営』」なるものを打ち出し(下記の表)、山一証券の倒産以降は「ダムサイジング(愚かなサイズ合わせ)」に突っ走り、平成後期には政治の力を借り「生きる力の基盤」を確保できない労働者を量産した。 (「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分けた表はリンク先参照) ちなみに「ダムサイジング」とは、1996年の経営管理学界で、当時リンカーン・エレクトリックの最高経営者だったドナルド・ヘイスティングスが使ったお言葉である。人件費を削るなどの経費削減が、長期的には企業の競争力を低下させるとする研究者たちの研究結果を、自らの経験を交えて「ダムサイジング」と呼んだのだ。 全体が見えない人たちの思考は常に短絡的。自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていたのだ。しかしながら、もはや働く人たちを「人」として見られない経営者たちは「エゴに満ちた経営」をどこまでも追い求めた。 すべては「投資家」を喜ばすための政策であり、そこに「働く人の健康」や「働く人の感情」はみじんも存在しない。 やがて、現場の人たちは生々しい感情を抑え、利己的に生きないと自分が生き残れないことを経験的に学び、「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した』、「自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていたのだ」、何とも皮肉なことだ。「「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した」、大きな弊害が残されたようだ。
・『平成に失われた共感や居場所を「令和」に取り戻すために  つまるところ、平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか。カネに換算できないこの無形の価値あるものをおろそかにし、目の前の「見えるもの」に心奪われたものは、自滅の道をたどるしかない。 もし、1990年代初期に「過労死」というものを企業が真剣に受け止め、「大切な社員を死なせてはならない」と考えてくれれば「自滅の危機」は、免れたかもしれない。 経営者が、高度成長期の立役者だった下村治氏の「オイルショックをもって高度成長は完全に終わった。これからはゼロ成長または低成長だ」という予言を真剣に受け入れていれば、「成長し続けるためのコスト削減」ではなく、「今いる人を大切にするための経営」に舵(かじ)をきることができたかもしれない。 もし、バブル期の私たち世代が「自分たちは恵まれた時代に生まれただけ。運が良かっただけ」と全体を見ることができたら、もう少しだけ「共感」という感情を社会に残せたかもしれない。 そして、平成が終わろうとしている「今」。日本中のアチコチに「居場所」を見いだせない人たちがいる。全体を見ず部分だけを見て批判することでしか、居場所を得られない人たちがいる。 なんか書いていて悲しくなってしまったのだが、小さくてもいいから自分にできることをコツコツと考え実行し、「オカシイことはオカシイ」と言える自分の価値判断軸を失うことなく、残りの時間を過ごすしかないのだな、きっと。 というわけで、元号変われど今までどおり精進いたしますゆえ、「令和」の時代にまたお会いしましょう』、「平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか」、鋭い指摘だ。何とかして社会に「共感」を取り戻したいものだが、「覆水盆に返らず」なのかも知れない。短期的視点で、日本的経営の良さを破壊した経営者たちの罪は深い。

次に、経済ジャーナリストの岩崎 博充氏が本年1月26日付け東洋経済オンラインに掲載した「日本人は「失われた30年」の本質をわかってない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/325346
・『今から30年前、1990年の東京証券取引所は1月4日の「大発会」からいきなり200円を超える下げを記録した。1989年12月29日の「大納会」でつけた史上最高値の3万8915円87銭から、一転して下げ始めた株式市場は、その後30年が経過した今も史上最高値を約4割ほど下回ったまま。長期的な視点に立てば、日本の株式市場は低迷を続けている。 その間、アメリカの代表的な株価指数である「S&P 500」は、過去30年で約800%上昇。353.40(1989年末)から3230.78(2019年末)へと、この30年間でざっと9.14倍に上昇した。かたや日本は1989年の最高値を30年間も超えることができずに推移している。 この違いはいったいどこにあるのか……。そしてその責任はどこにあるのか……。アメリカの経済紙であるウォールストリートジャーナルは、1月3日付の電子版で「日本の『失われた数十年』から学ぶ教訓」と題して、日本が構造改革を行わなかった結果だと指摘した』、興味深そうだ。
・『日本は失われた40年を歩むことになるのか  この30年、確かに株価は上がらなかったが、極端に貧しくなったという実感も少ない。政治は一時的に政権を明け渡したものの、バブル崩壊の原因を作った自民党がいまだに日本の政治を牛耳っており、日本のあらゆる価値観やシステムの中に深く入り込んでいる。 バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎてきた。自民党政権がやってきたことを簡単に総括すると、景気が落ち込んだときには財政出動によって意図的に景気を引き上げてリスクを回避し、その反面で膨らむ一方の財政赤字を埋めるために消費税率を引き上げ、再び景気を悪化させる……。そんな政治の繰り返しだったと言っていい。 2012年からスタートしたアベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じような政策を展開してきた。政府に逆らえない中央銀行総裁が登場したのも、日本経済の「失われた20年、30年」と無縁ではないだろう。 実際に、近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある。 生産能力は低下する一方であり、加えて少子高齢化が顕著になってきている。新しい価値観をなかなか受け入れない国民や企業が蔓延し、失われた30年が過ぎたいま、日本はこれから失われた40年、あるいは失われた50年を歩き始めているのかもしれない。 このままでは2030年代には、日本は恒常的なマイナス成長国家となり、経常赤字が続き、やがては先進国から陥落する日が来るのかもしれない……。そんな予測をする専門家も多い。日本の失われた30年を、もう1度検証し振り返ってみたい』、確かに「バブルが崩壊した原因やその責任を問われぬまま、失われた30年が過ぎてきた」、「もう1度検証」する意味は大きい。
・『この30年、何が変化したのか?  この30年で日本はどんな変化を遂げたのだろうか。まずは、主要な統計上の数字の面でチェックしてみたい。 ●平均株価(日経平均株価)……3万8915円87銭(1989年12月29日終値)⇒2万3656円62銭(2019年12月30日終値) ●株式時価総額……590兆円(1989年年末、東証1部)⇒648兆円(2019年年末、同) ●ドル円相場……1ドル=143.4円(1989年12月末、東京インターバンク相場)⇒109.15円(2019年12月末) ●名目GDP……421兆円(1989年)⇒557兆円(2019年) ●1人当たりの名目GDP……342万円(1989年)⇒441万円(2019年) ●人口……1億2325万人(1989年、10月現在)⇒1億2618万人(2019年、11月現在) ●政府債務……254兆円(1989年度、国と地方の長期債務)⇒1122兆円(2019年度末予算、同) ●政府債務の対GDP比……61.1%(1989年)⇒198%(2019年) ●企業の内部留保……163兆円(1989年、全企業現金・預金資産)→463兆円(2018年度) これらの数字でわかることは、第1に株価の低迷がずっと続いていることだ。 1989年の大納会でつけた3万8915円という高すぎる株価は、解禁されたばかりの株式先物指数が一部の外国人投資家に使われた意図的な上昇相場であったという背景もあるが、30年間回復できない現実は日本経済に問題があるとしか言いようがない。 アメリカの株価がこの30年で9倍になったことを考えると、日本の株価は異常な状態と言っていいだろう。ちなみに、この30年間でドイツの株価指数も1790.37(1989年末)から1万3249.01(2019年末)に上昇。ざっと7.4倍になっている。 なお、株式市場の規模を示すときに使われる「時価総額」も、この30年で日本はわずかしか上昇していない。 株式の上昇による資産効果の恩恵を日本の個人はほとんど受けていないことになる。個人が株式に投資して金融資産を大きく伸ばしたアメリカに比べると、日本は一向に個人の株式投資が進んでいない。日本人の多くが豊かさを実感できない理由の1つと言っていいだろう。 実際に、この30年で海外投資家の日本株保有率は1990年度には5%弱だったのが、2018年度には30%に達している。日本株の3割は外国人投資家が保有しているわけだ。 かつて日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によって保有されていた。バブル崩壊によって個人投資家が株式投資から離れ、その後の個人の資産形成に大きな影を落としたと言っていい。現在では、過去最低レベルの17%程度にとどまっている。 ちなみに、アベノミクスが始まって以来、政府は「GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)」などの「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って、意図的に株価を下支えしていると言っていい。日銀も「ETF(上場投資信託)」を買い続けている。 これでは株価は適正な価格形成を行えず、個人投資家の多くは割高な価格で株をつかまされている状態だろう。株価が暴落したときに、個人が株式市場に参入する機会を失ってしまっているわけだ。 株式市場というのは、あくまでも市場の価格形成に任せるのが望ましく、株価が大きく下がれば個人投資家が株式投資を始める可能性が高い。せっかくの投資機会を、政府が意図的に邪魔している状態が続いてきたとも言えるのだ。 マクロ経済的に見ると、日本の名目GDPは1989年度には421兆円だったのが、30年を経た現在では557兆円になっている(米ドル建てで計算。1989年はIMF、2018年は内閣府推計)。一見すると国内総生産は順調に伸びてきたかのように見えるが、世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れる。 ●1989年……15.3% ●2018年……5.9% アメリカのウェートが1989年の28.3%(IMF調べ)から2018年の23.3%(同)へとやや低下したのに比べると、日本の落ち込みは大きい。その代わり中国のウェートは2.3%(同)から16.1%(同)へと急上昇している。新興国や途上国全体のウェートも18.3%から40.1%へと拡大している。 日本の国力の低下は、明らかだ』、確かに「五頭のクジラ」が日本の株式市場を大きく歪めた状態は、いまだに続いているのは異常だ。「世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶり」は、目を覆いたくなるほどだ。これには、「アベノミクス」による円安政策も大きく影響している。
・『グローバル企業が示す日本の衰退  日本の「失われた30年」を的確に示している指標には、日本全体の「国際競争力」や日本企業の「収益力ランキング」がある。 例えば、スイスのビジネススール「IMD」が毎年発表している「国際競争力ランキング」では、1989年から4年間、アメリカを抜いて日本が第1位となっていた。それが2002年には30位に後退し、2019年版でも30位と変わっていない。 一方、アメリカのビジネス誌『フォーチュン』が毎年発表している「フォーチュン・グローバル500」は、グローバル企業の収益ランキング・ベスト500を示したものだ。1989年、日本企業は111社もランキング入りしていたが2019年版では52社に減少している。 日本の科学技術力も、この30年で大きく衰退してしまった。 日本の研究者が発表した論文がどれだけほかの論文に引用されているのかを示す「TOP10%補正論文数」というデータでも、1989年前後には世界第3位だったのだが、2015年にはすでに第9位へと落ちてしまっている。 このほかにも、ここ30年で順位を落としてしまった国際ランキングは数知れない。ほとんどの部分で日本以外の先進国や中国に代表される新興国に抜かれてしまっている。日本は今や先進国とは名ばかりの状態なのかもしれない。) 残念なことに、日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている。 1989年には、日本にやってくる外国人観光客は非常に少なかった。訪日外国人客は283万人(1989年)、それがいまや3119万人(2018年)に膨れ上がった。当時、外国人にとって日本の物価は非常に高く、一部のお金持ちを除くとなかなか日本に来ることができなかった。 現在は中国に限らず、世界の数多くの観光客が日本は格安だとして訪れている。実際に、日本はこの30年間ほどんど物価が上がらず、アベノミクスで掲げた年2%のインフレ率さえ達成できない。 国民生活にとっては、それが悪いわけではないが、日本の国力は明らかに低下していると考える必要があるだろう』、「日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている」、のは残念なことだ。
・『責任はどこにあるのか?  日本が失われた30年を始めたきっかけは、言うまでもなく株価の大暴落だが、追い打ちをかけるように当時の大蔵省(現財務省)が、高騰を続ける不動産価格を抑制しようと「総量規制」を実施したことにある。株価にブレーキがかかっているのに、土地価格にまでブレーキをかけたことが原因であり、そういう意味ではバブル崩壊は政府の責任だ。 アメリカがリーマンショックを経験したような出来事を、日本はその20年も前に味わっていたわけだが、そこでの対応の違いがアメリカと日本の差を決定的にしたと言っていい。 日本は、株価暴落や土地価格の暴落などによって実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまったからだ。 リスクを先送りにすることで、自民党を軸とした政治体制を守り、政権と一蓮托生になっていた官僚機構も、意図的に破綻処理や構造改革のスピードを遅らせた。その間、政府は一貫して公的資金の出動による景気対策や公共事業の増加などで対応してきた』、「バブル崩壊は政府の責任」、その通りだが、「実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまった」、には違和感がある。「先延ばし」は、本格的回復を遅らせるが、ショックを和らげる効果もあるからだ。
・『財政赤字がまだ400兆円のレベルだった頃に、当時の大蔵省主計局に取材したことがある。担当者は「赤字国債の発行を辞めることは、官僚機構がみずから国を荒廃に追いやることになる」と発言したのをいまでも思い出す。赤字国債なしでは、日本は立ち行かなくなっていることを認めているわけだ。 この30年、日本は企業救済のための資金は惜しまずに支出してきた。アメリカのように、税金を民間企業に支出することに強硬に反対する共和党のような勢力が、日本にはないからだ。公的資金の支出が景気の回復に効果がないとわかると、今度は郵政民営化といった規制緩和を始める。 しかし、これもさまざまな勢力に忖度するあまり、中途半端な形で進行し、結果的に景気回復の切り札にはならなかった。最終的に、現在進行形のアベノミクスにたどり着くわけだが、スタートして今年で8年になろうとしているにもかかわらず、その効果は見当たらない。 ひょっとしたら、一時的に消費者物価が2%を突破するかもしれないが、一時的なものに終わる可能性が高い。その間、政府の債務はどんどん膨らんで、政府は何度も消費税率アップに動く以外に方法はなくなっていく。 1989年4月に消費税を導入して以降、この30年で政府は3回の「消費税率引上げ」を実施しているが、いずれも2%、3%という具合に、ほんの少しずつ引き上げることで決定的なパニックに陥るリスクを避けてきた。 一方のアメリカは、リーマンショック時にバーナンキFRB議長は大胆に、そしてスピード感を持って解決策を打ち出した。責任を回避せずに、リスクに立ち向かう姿勢がアメリカにはあったと言っていい。 日本はつねにリスクを回避し、事なかれ主義に徹し、改革のスピードや規模が小さくなってしまう。その結果、決断したわりに小さな成果しか上げられない。簡単に言えば、この30年の失われた期間は現在の政府に責任があることは間違いない。 それでも国民は、バブル崩壊の原因を作った政権にいまも肩入れしてきた。その背景には補助金行政など、政府に頼りすぎる企業や国民の姿がある。実際に、この30年間の統計の中でもあったように政府債務は250兆円から約4倍以上の1100兆円に増えている。 自民党政権がいまも続いているのは、ただ単に「低い投票率」に支えられているだけ、という見方もあるが、30年の間に、国民の間に「諦め」の境地が育ってしまったのも事実だろう。 長期にわたってデフレが続いたため、政府は経済成長できない=税収が増えない分を長期債務という形で補い続けてきたわけだ。収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿と言っていい』、リーマン・ブラザーズの破綻を放置し、「リーマンショック」を引き起こしたこと自体が、「アメリカ」の政策ミスだった。「この30年の失われた期間は現在の政府に責任があることは間違いない」、「収入が減ったのに生活水準を変えずに、借金で賄ってきたのが現在の政府の姿」、などはその通りだろう。
・『日本はなぜ構造改革できないのか?  全国平均の公示地価を見ると、1976年を「0」とした場合、1992年まではプラス圏だったが、その後バブルが崩壊して住宅地、商業地ともに公示価格はひたすらマイナスを続けて、2015年にやっと「前年比プラス」に転じる状況にある。30年前の土地価格に戻るには、悪性インフレぐらいしか考えられない状況だ。要するに、30年近い歳月、日本国民は土地価格の下落を余儀なくされたわけだ。 株価や土地価格が上昇できなかった背景をどう捉えればいいのか。 簡単に言えば、少なくとも日本政府は構造改革につながるような大胆な改革を行ってこなかった。都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り、消費税の導入や、税率アップのような構造改革ではない政策でさえも、選挙に負けるというトラウマがあり、一線を超えずにやってきた、という一面がある。 もっとも、構造改革をスローガンに何度か大きな改革を実施したことはある。例えば、企業の決算に「時価会計」を導入したときは、本来だったら構造改革につながるはずだった。これは、日本政府が導入したというよりも、国際的に時価会計導入のスケジュールが決まり、それに合わせただけのことだが、本来であれば株式の持ち合いが解消され、ゾンビ企業は一掃されるはずだった。 ところが政府は、景気が悪化するとすぐに補助金や助成金といった救済策を導入して、本来なら市場から退散しなければならない企業を数多く生き残らせてしまった。潰すべき企業を早期に潰してしまえば、その資本や労働力はまた別のところに向かって、新しい産業を構築することができる。負の結果を恐れるあまり、政府はつねにリスクを先送りしてきた。 バブル崩壊後も、株式市場は長い間、「PKO(Price Keeping Oparation)相場」と言われて、政府によって株価が維持されてきた。世界の平均株価と大きく乖離した時期があった』、「都市部の容積率を抜本的に見直すといった構造改革を怠り」、これは不動産業者の主張で、私は安易な「容積率見直し」には反対だ。地価低迷は、高くなり過ぎた地価の修正過程だったと捉えるべきだ。
・『官民そろってガラパゴスに陥った30年  そして今大きな問題になっているのが、デジタル革命、 IT革命といった「イノベーション」の世界の趨勢に日本企業がどんどん遅れ始めていることだ。 この背景には、企業さえも構造改革に対して消極的であり、積極的な研究開発に打って出ることができなかったという現実がある。欧米のような「リスクマネー」の概念が決定的に不足している。リスクを取って、新しい分野の技術革新に資金を提供する企業や投資家が圧倒的に少ない。 日本はある分野では、極めて高度な技術を持っているのだが、マーケティング力が弱く、それを市場で活かしきれない。過去、日本企業はVHSやDVD、スマホの開発といった技術革新では世界のトップを走ってきた。 しかし、実際のビジネスとなると負けてしまう。技術で優っても、ビジネス化できなければただの下請け産業になってしまう。もっとわかりやすく言えば、日本特有の世界を作り上げて、そこから脱却できない「ガラパゴス化」という欠点に悩まされてきた。 日本特有の技術に固執するあまり、使う側のポジションに立てないと言ってもいい。日本が製造業に固執しながら、最先端の技術開発に終始している間に、世界は「GAFA」(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン)に支配されていた。あまりにも残念な結果といえる。 この30年、日本企業はさまざまなガラパゴスを作ってきた。 そして、そのガラパゴスの背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在している。業種にもよるが、日本企業の多くは消費者ではなく、規制当局や研究開発費を補助してくれるお上(政府)の方向を向いてビジネスしている姿勢をよく見かける。政府が出してくれるお金を手放せないからだ。 とはいえ、失われた40年を歩き始めたかもしれない日本にとって、今後は失われただけでは済まないだろう。日銀には一刻も早く、金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も適正な株価形成のシステムに戻すことが求められている。自民党が避けてきた「最低賃金の大幅上昇」や「積極的な円高政策」といった、これまでとは真逆の政策に踏み切るときが来ているのかもしれない。 そして、政府は財政赤字解消に国会議員の数を減らすなど、目に見える形で身を切る改革をしなければ、今度は「崩壊する10年」になる可能性が高い』、「ガラパゴス化」には、政府だけでなく、経営者の責任も大きい筈だ。「金融行政を適正な姿に戻し、株式市場も・・・」、大賛成だ。

第三に、哲学者のマルクス・ガブリエル氏が2月12日付けダイヤモンド・オンラインに掲載した「「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/228172
・『「世界で最も注目を浴びる天才哲学者」と呼ばれるマルクス・ガブリエル氏。すべてがフラットになり、あらゆる情報が氾濫し、何が真実なのか、真実など存在するのかわからなくなった現代を、彼はどう見ているのか。日本の読者に向けて行われた独占インタビューを基にしたマルクス・ガブリエル氏の最新作『世界史の針が巻き戻るとき~「新しい実在論」は世界をどう見ているか』から一部を抜粋して、世界が直面している危機に対する彼の舌鋒鋭い意見を紹介する』、マルクス・ガブリエル氏はNHKの資本主義特集でも登場する人物で、「日本はソフトな独裁国家」とは何を言いたいのだろう。
・『我々はGAFAに「タダ働き」させられている 彼らを規制すべき理由  GAFA(Google・Amazon・Facebook・Apple)は、今や世界を統治しているとも言える状況にあります。GAFAの統治を止めるべく、何か規則や法律を設けるべきだと私は思います。身動きできないくらい徹底的に規制すべきです。 どのような理由、方法、法制度で、など議論の余地はありますが、私の提案はこうです。GAFAはデータで利益を得ていますね。データム(データの単数形)とは、アルゴリズムと私が行うインプットの間にある差異です。 まず、インプットとは何かについてお話ししましょう。私がバーベキューパーティを主催したとする。写真を撮ってアップする。フェイスブックやグーグルは、そのアップされた写真から利益を得ます。バーベキューパーティ自体からでは当然ありません。でも、バーベキューパーティを主催して写真を撮るのは私です。これは労働と言っていい。私が手を動かしているのです。歯牙にもかけないような会社のために価値を生み出しています。 フェイスブックが存在する前は、写真のアップなんてしようとも思わなかった。フェイスブックがなかったからです。恐らく写真を撮ることすらなかったでしょう。家族のアルバム用には撮ったかもしれません。それが、今や人々はフェイスブックのために写真を撮っている。これはつまり、人々がフェイスブックに雇われているということです。フェイスブックのために、文字通り働いているんです。 フェイスブックは彼らにいくら払っているか?ゼロです。ですから、我々はフェイスブックに税金を課すべきです。それが解決策の一つですが、法的な問題などがいろいろありますから、難しいでしょうね。もっといいのは、税金の代わりにベーシックインカムを払わせることです。 想像してみてください。GAFA企業が、彼らのサービスを使っている人々に分単位でベーシックインカムを払わなければならなくなったとしたら。ドイツでの最低賃金は一時間約10ユーロです。ですから、私がGAFAのいずれかのサービスをネット上で一時間使ったとする。彼らはユーザーが何時間消費するか簡単にわかります。GAFAのユーザーなら当然アカウントがありますから、彼らが提供する価値からマイナスして、私が生み出した価値を私のアカウントに紐づけることができる。 彼らは私にデータを提供してくれます。レストランに行きたいと思ったら、レストランに関するデータをくれます。その彼らがくれる価値を10ユーロからマイナスして払ってもらえばいい。きっと金額に換算できます。そんなに難しいことではない。私の推定では、1時間につき7ユーロか8ユーロくらいになるでしょう。これが、よりよい解決策です。 各国政府は、我々国民がGAFAに雇われているという事実を認識したほうがいい。近いうちに、GAFAはすべてを変えるか我々にお金を支払うかのどちらかを行うと思います。それで経済的な問題の多くは解決されるでしょう。ネット検索をするだけでお金持ちになれるのですから(笑)。富豪は言い過ぎかもしれませんが、十分食べていくことはできるでしょう』、「フェイスブックのために写真を撮っている。これはつまり、人々がフェイスブックに雇われているということです。フェイスブックのために、文字通り働いているんです」、「フェイスブック」にしてみれば、「人々が」勝手に「フェイスブック」を使っているだけで、「ベーシックインカム」を払わされるいわれはないと主張するだろう。
・『デジタル・プロレタリアートが生まれている  2019年5月1日の「エル・パイス」(スペインの新聞)のインタビューでも述べたことですが、我々は自分たちがデジタル・プロレタリアート(無産階級)であることに気づいたほうがいい。一つ、あるいは複数の企業のためにタダ働きしているのですから。人類史上、こんな状況は一度も起こったことがありません。GAFAは「我々はビッグデータを吸い上げる代わりにたいへん便利なサービスを無料で提供している」などと言います。でも、実質無料ではありません。我々は気づかないうちに彼らのために働いているのですから。 たとえば、あなたが今フライドポテトを食べたいと思ったとしましょう。そこでボンの町にあるフライドポテトの屋台に行くと、「この店のポテトは無料です」と言われた。それはいい、いただこう。でも店員はこう続けます。「ポテトを受け取る前にあの畑からじゃが芋を採ってきなさい、そうしたら揚げてフライドポテトにしてあげましょう」と。「じゃが芋を採るのも無料です。ただ行って採ればいい、無料開放されています。採って持ってきなさい」と、こうです。 その実態は、フライドポテト会社のために働くということです。フライドポテトを無料提供ですって?それは無料ではありません。これがGAFAの行っていることです。彼らは何も無料で与えてくれてやしません。トリックです。いくばくかの広告収入はあるかもしれないが、本当の収益は我々のタダ働きから来ているのです。 我々はそのことに気づいていません。それがトリックです。なぜなら我々の労働に対する概念がひどいものだからです。我々は皆、マルクス主義的な労働概念を持っています。実はマルクス主義の労働観はそこまで間違っているわけではないかもしれませんね。マルクス主義における労働とは、肉体的・活動的な現実を別の形に変換することを指します。木を削ってテーブルを作る、これが労働です。 インターネットではこれがどう起きるかというと、バーベキューパーティ、つまり肉体的・活動的な現実を開催し、写真を撮る。これが変換です。その変換した写真をアップする。アップも変換に当たります。 それでも我々はインターネットに関して、「それが物質的なものではない」という素朴な労働観を持っている。これが間違いです。(情報空間でのやりとりは)精神的なものだと思うかもしれませんが、インターネットは完全に物質的なものです。サービスも半導体チップも物質的なものでしょう。それがインターネットです。一定の方法で組み立てられた配線、チップ、電磁放射線の集合体です。我々は、その事実にまったく気付いていません。 最近の調査では、我々は1年間のうち約4カ月もネットをして過ごしているといいます。1年のうち4カ月も、びた一文くれない人間のために働いて過ごしているのです。彼らは何かしらのサービスをくれているかもしれません。でも実際は、そのサービスで得られるものより多くの代償を我々は支払っているんです』、「デジタル・プロレタリアート」、とは言い得て妙だ。しかし、「フライドポテト」の寓話は全く理解できなかった。「我々は1年間のうち約4カ月もネットをして過ごしているといいます。1年のうち4カ月も、びた一文くれない人間のために働いて過ごしているのです」、「働いて過ごしている」というのも、理解できなかった。
・『日本はテックイデオロギーを生み出す巧者  グーグルがベルリンのクロイツベルク地区に新たな拠点を設立しようとしたとき、ベルリンでは反対運動が起きました。このような巨大テック企業への反対運動は、日本では見られませんね。人々の認識には、日独でかなりのギャップがあると感じます。 それは、日本がテクノロジーに関するイデオロギーを生み出すのが抜群にうまいからだと私は思います。このようなストーリーの紡ぎ手としては、日本は第一級の国の1つで、90年代はカリフォルニア以上、少なくとも同等に重要な存在だったと思います。今はそこまでの存在感はありませんが。とはいえ、モダニティに対する日本の貢献がなければテレビゲームは今日の姿にはなっていなかったでしょうし、それゆえインターネットで我々が得る経験も今の状態にはかすりもしないものになっていたでしょう。 ですから日本は、地球上でテクノロジーがもっとも進んでいる地域の一つであり続けているのです。昔はやった「たまごっち」は、機械に愛情を投影することで、人間としての欲望が置き換えられるものでした。日本は一社会として、こうしたモデルを受け入れる傾向が他の地域よりもあると思うのです。 ドイツで起きた反GAFA運動に関して一つ私が強く思っているのは、ドイツは実に長い期間、テクノロジーと独裁主義、イデオロギーとの関わりを味わってきたということです。ドイツは自動車を発明しましたね。忘れてはならない、ドイツが行った人類滅亡への多大な「貢献」です。ドイツのイデオロギーというのは――私は今これをかつての姿に修復しようと使命感を持ってやっているんですが――ともかく、ドイツの発明というのは人類史上最悪に近い。 もちろん他にも人類滅亡に「貢献」している国はありますし、ドイツにも、カントやヘーゲルらがモダニティに素晴らしい貢献をした面もあります。それでも、ドイツの発明は最悪です。 それからドイツは、二度の世界大戦で非常に重大な役割を果たしました。実際はもっとさまざまな要因が絡み合って引き起こされたのですが、端的にいうとそうなります。あれは人間を破壊するためにテクノロジーが使われた戦争でした。ドイツのテクノロジーに対する見識は、そういうものです。テクノロジーとは、壊滅という悪の力だと思っています。ですから、テクノロジーで利益を得ている一部の人々を除き、ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します。直感的に、独裁に対して反発を起こすのです』、「ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します」、なるほど、日本人には想像できない抵抗感があるようだ。
・『優しい独裁国家・日本  私は日本が好きですが、日本へ行くと独裁国家にいるような感覚を覚えます。とても民主主義的だし、人々も優しい。中国にいるときのような感覚はない。でも、非常に柔和で優しい独裁国家です。誰もがそれを受け入れている、ソフトな独裁国家のような感覚です。 日本の電車のシステムは完璧ですね。でもホームで列に並び、来たのがピンク色の女性専用車両だったら、私は別の車両へ移動しなければならない。もしそのシステムを理解せず、従わなかったら、いわゆる白手袋の駅員がやってきて追い出されることもあります。 実際、そうだったんです。東京を訪れた際、ピンク色のシステムを知らないまま女性専用車両に立っていて、なぜピンク色なんだろうと考えていたら、もう白手袋がやってきていました。これが、ソフトな独裁国家ということです。 このように完璧になめらかな機能性には、ダークサイド(暗黒面)があります。精神性や美が高まるというよい面もありますが。日本文化は非常に発達していて、誰もが美の共通認識を持っており、食べ物も、庭園も、すべて完璧に秩序が保たれている。それが日本文化のすばらしい面であり、よい面です。 でも、暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です。先ほどの白手袋のように、テクノロジーへ服従させられます。私は、これは日本を規定する対立関係(antagonism)だと思います。どんな先進社会にも構造的な対立関係が組み込まれていますが、対立関係、つまりは弁証法です。 ※本文は書籍『世界史の針が巻き戻るとき~「新しい実在論」は世界をどう見ているか』を一部抜粋して掲載しています』、「日本文化は非常に発達していて・・・それが日本文化のすばらしい面であり、よい面です。 でも、暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です」、「暗黒の力」にもう1つ付け加えるとすれば、集団への同調圧力の高さがあると思う。「どんな先進社会にも構造的な対立関係が組み込まれていますが、対立関係、つまりは弁証法です」、「ソフトな独裁国家」にはなるほどと納得した。
タグ:東洋経済オンライン 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 河合 薫 「過労死」 岩崎 博充 マルクス・ガブリエル 日本の構造問題 (その15)(平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」、日本人は「失われた30年」の本質をわかってない、「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ) 「平成初期の中年男の悲鳴が予言していた「日本の自殺」」 「平成の30年間を振り返る」 悪化、劣化、衰退」という、最悪な文字しか浮かばない グループ一九八四年 「日本の自殺」 「日本人が部分を見て全体をみることができなくなり、エゴと放縦と全体主義の蔓延のなかに自滅していく危機のなかに存するというべきなのである」 「今の日本は『自殺』するだけの勢いもなく、衰えた末に『自然死』してしまうのではないか、と思わされる」 「過重労働による死」 1978 年 「過労死110番」 「長時間」働くことは“美徳”だった平成初期 「24時間働けますか?」という企業側の暗黙のオーダーを、働く人たちが「美徳」と捉え、世間もそういう働き方をする人たちを評価する風潮が、「長時間労働」の背後に存在していた 忙しかったけど納得のいく報酬と思いやりある職場があった 「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」と8割の人が答えられるだけの心理的余裕もあった 「ストレスの雨」は職場に降り始めていたものの、それをしのぐだけの“傘”を企業が提供していたことで、ビジネスマンは「やりがい」と「他者への共感」というポジティブな感情を確保できていたのではないか 「正規雇用・長期雇用」という制度を企業が維持 成果主義の名を借りたコスト削減が職場を荒廃させた アメリカの成果主義 文化も労働体系も異なる米国から輸入 自分たちが“新しい”と信じている経営手法は、海の向こうで既に否定されていた もはや働く人たちを「人」として見られない経営者たちは「エゴに満ちた経営」をどこまでも追い求めた 「同僚や部下が忙しいと、すすんで手伝ったりカバーする」という共感は消滅し、「自己責任」という言葉を多用する人たちを量産した 平成に失われた共感や居場所を「令和」に取り戻すために 「平成の時代とは「人間の勝手さと愚かさ」を知らしめた30年だったのではないか」 「日本人は「失われた30年」の本質をわかってない」 日本は失われた40年を歩むことになるのか アベノミクスでは、財政出動の代わりに中央銀行である日本銀行を使って、異次元の量的緩和という名目で、実際は「財政ファイナンス(中央銀行が政府発行の国債を直接買い上げる政策)」と同じような政策を展開 近年の日本の国際競争力の低下は目に余るものがある この30年、何が変化したのか? 株式の上昇による資産効果の恩恵を日本の個人はほとんど受けていない かつて日本の株式市場は3割以上が国内の個人投資家によって保有 現在では、過去最低レベルの17%程度 「五頭のクジラ」と呼ばれる公的資金を使って、意図的に株価を下支え 株価が暴落したときに、個人が株式市場に参入する機会を失ってしまっている 世界経済に占める日本経済のウェートを見ると、その凋落ぶりがよく見て取れる グローバル企業が示す日本の衰退 「国際競争力ランキング」 フォーチュン・グローバル500 科学技術力も、この30年で大きく衰退 日本のメディアは日本の技術がすばらしいとか治安が優れているなど、数少ない日本の長所をことさらにクローズアップして、日本が世界をリードしているような錯覚を毎日のように国民に与え続けている 責任はどこにあるのか? バブル崩壊は政府の責任だ 実質的に経営破綻に追い込まれた金融機関や企業の破綻を先延ばしし、最終的に7年以上もの時間をかけてしまった 日本はなぜ構造改革できないのか? 官民そろってガラパゴスに陥った30年 ガラパゴスの背景には、必ずと言っていいほど政府の歪んだ補助行政や通達、 規制といったものが存在 「「日本はソフトな独裁国家」天才哲学者マルクス・ガブリエルが評するワケ」 我々はGAFAに「タダ働き」させられている 彼らを規制すべき理由 デジタル・プロレタリアートが生まれている 日本はテックイデオロギーを生み出す巧者 ドイツにおける批判的思考の持ち主は誰でも、デジタルテクノロジーに強い抵抗を示すでしょう。これは独裁だ、と本能的に反応します 優しい独裁国家・日本 暗黒の力もあるのです。抑圧されたもののすべてが、その力です。時間に遅れてはいけない、問題を起こしてはいけないと、まるで精神性まで抑えるかのような力です
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