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歴史(1)(塩野七生『新しき力』刊行記念インタビュー前編「私は二千五百年を生きた」、「私は惚れる相手 選ぶ男には自信がある」インタビュー後編、「恐怖の大魔王」チンギス・ハンの戦わない戦略 "プロパガンダ"を徹底して使い倒した) [文化]

今日は、歴史(1)(塩野七生『新しき力』刊行記念インタビュー前編「私は二千五百年を生きた」、「私は惚れる相手 選ぶ男には自信がある」インタビュー後編、「恐怖の大魔王」チンギス・ハンの戦わない戦略 "プロパガンダ"を徹底して使い倒した)を取上げよう。

先ずは、2018年1月27日付けBookBang: 新潮社「塩野七生『新しき力』刊行記念インタビュー前編「私は二千五百年を生きた」」を紹介しよう。
https://www.bookbang.jp/review/article/544523
・『「最後の歴史エッセイ」と決めて書いた作品が刊行されたばかりの塩野七生さん。選ばれた題材は、弱冠二十歳でマケドニアの王となり、三十二歳で夢のように消え去ってしまったアレクサンダー大王。なぜアレクサンダーを選んだのか、歴史を書く喜び、読む愉しみについて聞いた(Qは聞き手、編集者の伊藤幸人氏の質問)』、「塩野七生」の大ファンである私には、早く読みたくて気もそぞろだ。
・『Q:塩野さんが書いた文章がはじめて雑誌「中央公論」に掲載されたのが一九六八年。来年でデビュー五十年ということになります。今日はこの間のことをいろいろとお聞かせいただければと思っています。私がはじめて塩野さんと仕事をしたのは二十八歳のとき、三十五年前ということになります。 塩野 聞き手があなたでなければ言葉を選ぶところですが、今日はちょっとしゃべりすぎちゃうかもね。それにしても三十五年ですか。ずいぶんうまいこと続いたわね。喧嘩もせずに。 Q:どうしてでしょうね。私も至らないことがずいぶんありましたが。 塩野 私が外国にいたからよ。あんまり会わなかったっていうだけ(笑)。喧嘩もせず、非常にいい距離感で仕事をしながら、この三十五年を過ごしてきたわけです。 Q:歴史エッセイ、つまり塩野さんの定義するところの「調べて、考えて、歴史を再構築する作品」としては最後と決めてお書きになりました。 塩野 そう。これでおしまい。作家生命の終わりってわけ(笑)』、「歴史エッセイ」としては「これでおしまい」、冗談だろうが、「来年でデビュー五十年」、とはすごいエネルギーだ。
・『二十二年間、愛撫してきた  Q:最後の歴史エッセイ、編集作業を終えていかがですか。 塩野 これまでも一作ごと、「やった!」という感じで書いてきましたけれど、今度も「終わった!」という、ただそれだけです。あんまり私、過去は振り返らないので。振り返るほどの過去でもないし……。 Q:長大なマラソンを走り続けてきたみたいなものですよ。 塩野 まあ、そうかもしれません。誰も走らない道を。 Q:最後の作品をアレクサンダーでいくということは、ずいぶん前から伺っていました。一番最後に一番若い男を書く、と。有言実行ですね。先に宣言してしまって、それに向けて自分を追い込んできたということですか。 塩野 そんな格好のいいものじゃないんです。そんな真面目に考えていたら五十年も続かない。ただ書きたいなと、ずっとそう思っていたというだけ。イタリア語で「アカレツァーレ」っていうんです。「愛撫する」という意味。「書こうかな、書きたいな」という想いを愛撫し続けてきた。時にはコラムか何かでちょっと書いてみて、自分の気持ちを確かめたりして。そして、これ以上はもう待てないというところまで持っていくわけ。カエサルについて書こうかなと思っていたときなんて、カエサルの名前を耳にするだけで気分が昂ぶりました。そこまで行って、ようやく書ける。ずいぶん時間はかかりましたけれど、それでもきちんと書いたでしょう? 私、自分の人生はね、あんまりオーガナイズできないの。なんだか散らかった人生です。でも仕事はオーガナイズする。もう二十数年前のことだと思いますが、アレクサンダーを「書ける!」と思って、それからアカレツァーレ、愛撫してきた。愛撫はするけれども、ベッドインまではしていないという感じでね(笑)。 Q:ベッドインするまでに二十数年もかけたわけですね。 塩野 こんなこと言っちゃっていいのかしら、私。「波」の生真面目な読者には刺激的過ぎるかな。 Q:塩野さんらしい比喩です(笑)。 塩野 もともとアレクサンダーのことは、それほど好きではなかった。誰かの書いたものを読んで、なんだか優等生みたいなことばかり言うなという印象だった。しかしある時――『ローマ人の物語』の第四巻と第五巻でユリウス・カエサルを書き終えた直後の頃だと思いますが――大英博物館が企画したアレクサンダー展がローマに巡回してきて、それを昼下がりに見たんです。「イッソスの会戦」に代表される有名な戦闘を再現したミニチュアなんかを見ていて、「書ける!」と思った。「書きたい!」と。カエサルは「成熟した天才」でした。そのカエサルを書き終えた時だからこそ、「未完の大器」だった男を書きたい、書けると思ったんです。 Q:カエサルを書き終えた頃となると二十二年前ですね。 塩野 アレクサンダーという男は西洋史最大のスターの一人です。ヨーロッパ人であれば誰でも彼のことを知っている。それは彼が「永遠の青春」、その象徴だから。だけどおかしな話でね。『ローマ人の物語』だってはじめからローマの通史を書こうと思ってたんじゃないんです。ただカエサルが書きたかった。これは歴史家ブルクハルトの言葉ですけれど、歴史上にはなぜか過去がすべてその一人の人物の中に注ぎ込み、そのあとにやってくる時代のすべてがその一人の人間から流れ出すような、そういう人間がいるんです。 Q:カエサルがそうだったわけですね。 塩野 ソクラテスもそうかもしれない。イエス・キリストもそうです。卑近な例を挙げればエルヴィス・プレスリーもそう。黒人音楽やカントリー・ミュージック、ヒスパニックの音楽まで、何から何までもが彼に流れ込み、その後はすべて彼から始まる。ビートルズやローリング・ストーンズ――。だからカエサルを書こうと思ったら、彼の前の時代のローマを書かなければ話にならないと思ったし、彼のあとのローマも書かなきゃってことで、それであんな十五巻もの長い作品になったんですね。アレクサンダーも同じことです。うちの息子には「ママ、アレクサンダーだけを書くって話だったんじゃないの?」って言われましたけれど。いろいろとお勉強をしてみると、この人はマケドニア王ではあるけれど、やっぱり「ギリシア人」だと。となれば、ギリシア人の歴史すべてを書かないといけない。 Q:それで全三巻になったわけですね。 塩野 一巻のはずが三巻に増えちゃった(笑)』、「カエサルは「成熟した天才」でした。そのカエサルを書き終えた時だからこそ、「未完の大器」だった男を書きたい、書けると思ったんです」、「カエサルは「成熟した天才」でした。そのカエサルを書き終えた時だからこそ、「未完の大器」だった男を書きたい、書けると思ったんです」、長い年月、温めてきた上で、いよいよ著作になったのであれば、ますます読んでみたくなる。
・『ボーダーレスな生き方  Q:塩野さんは、単に「若い男」というよりは「精神が若い人」が好きですよね。つまり、若々しい精神。 塩野 粕谷一希(中央公論社の編集者。塩野さんのデビューのきっかけを作った)が言ったことだったかな。私の好きな男にはタイプがあるんですって。まずもってエリートであること。それでいて偏見から自由な男。つまり「ボーダーレス」な男が好きなんです。 Q:境界を越える男。アレクサンダーもその一人ですね。 塩野 通史を書く以上は、ボーダーを越えられなくてウジウジする男たちのことも書かなきゃならない場合もありますが、中心的な人物は必ずそういうタイプだった。神聖ローマ皇帝だったフリードリッヒ二世だってその典型ですよ。彼はドイツとイタリアのハーフですしね。 Q:逆に「純血主義」とか「頑迷固陋」とか、柔軟性の欠如した人々は許し難いともお考えですよね。 塩野 私が一番嫌いなのは、「狂信的」な人。なにしろ私自身がボーダーレスなんです。普通ならばお見合いして結婚するのが私の卒業した学習院大学の女の子の伝統なのに、ヨーロッパに行って、イタリア男と結婚し、子どもまで作っちゃった。これだけでも相当に型破りだったんです。今でも覚えています。最初にヨーロッパに向けて発ったとき、飛行機の座席に座って、「もう後戻りはできない。お見合いして、妥当に結婚するという道は、もはやない」と思った。当時はね、イタリア男は「ラテン・ラバー」とかって言われて、いたく悪名高くてね。そういう国に娘を送ることになったんだから、うちの両親もちょっとばかりは心配したかもしれない。 Q:それはご心配だったでしょう。 塩野 帰国して、お見合いしたとしても、「イタリアに一年いました」っていうだけで、なんというか、「傷がついてる」とまでは言わないけどね(笑)。そう思われたでしょう。しかし普通の道から外れることを、私は選んだ。だから境界を悠然と越える男たちが好きなんですよ。それにもう一つ、私はリスクを負う男が好きなんです。「一人で全責任を負う」という男が好き。 Q:アレクサンダーはまさにその典型ですね。今度の作品の中で僕らがもっとも魅了されるのは、常に戦闘の最前線に立つという点ですね。「ダイヤの切っ先」という比喩をお使いになっていましたけれど。 塩野 彼は部下たち、つまり兵士たちに愛されたんです。だって、いつだって誰よりも先にリスクを負って飛び出すのだから。人間ってみんな、そうじゃないかと思うんですね。リスクを負う人間を愛するんです。 Q:リーダーにとって絶対に必要な条件ですよね。リスクを取らないリーダー、常に自分の身の安全を図ろうとするリーダーには誰もついていかない。 塩野 アレクサンダーを書くということは、私自身がリスクを負うということでもあったんです。何しろこちらは八十歳で、二十代の男を書こうというのだから。最後まで安全な人生は選ばなかったつもりです。だから書き終えた今は少しくらい休んでもいいんじゃないのかなという気分です(笑)。うちの息子は信じませんけれど。「ママは書いているから生きてんだ」って言ってます。それで、あなたはこの作品はどうでした? 面白かった? Q:面白かった。胸がすく思いがしましたね。若さゆえに成し得た大偉業、若さゆえに駆け抜けた。まさに「永遠の青春」ですね。 塩野 私はもう老いぼれだけど、老いぼれた作家が老いぼれた主人公を書くというのはリスクを負っていないということになると思うんです。だってそれはごくごく自然なことじゃないですか。書評家たちは褒めてくれるかもしれないけれど。「ついに塩野七生も老境を書いた、枯淡の域に達した」とかいってね。でも私が最後の作品で背負うことができるリスクというのは何かといったらね、三十二歳で燃え尽きるように死んでしまったこの若い男を、八十歳になったこの私が書くということですよ』、「普通の道から外れることを、私は選んだ。だから境界を悠然と越える男たちが好きなんですよ。それにもう一つ、私はリスクを負う男が好きなんです」、なるほど。「私が最後の作品で背負うことができるリスクというのは何かといったらね、三十二歳で燃え尽きるように死んでしまったこの若い男を、八十歳になったこの私が書くということですよ」、ますます読みたくなった。
・『歴史を書く喜び、読む愉しみ  塩野 私は独自性とかオリジナリティなんて考えたこともないんです。かのアインシュタインが「われわれの仕事の成果は九十五パーセント以上、先人の業績に負っている」と言うんだから、私のような凡人は百パーセント近く先人の業績に負っているわけです。私はアレクサンダーを書きたいんであって、塩野七生を書きたいということではない。塩野七生の独自性がどこにあるかといえば、このアレクサンダーという人間を選んだという、それだけのことです。 Q:しかしこれで、古代・中世・ルネサンスと、地中海が西洋史の中心だった時代をすべて一人で書きましたね。 塩野 神話のような時代を含めれば二千五百年くらいですか。この仕事を始めた頃から数えれば五十年くらい生きてきたわけですが、しかし歴史を書くということは、その二千五百年を生きたということなんです。そしてそれは読者も同じことです。二千五百年を読むことで、二千五百年を生きることができる。これが歴史を書き、読む愉しみなの。私は読者にもそれを体験してもらいたいんです。 Q:塩野さんの後を追いかけて、歴史を追体験するようなものですからね。 塩野 私は「現代ビジネスマンのための世界史」というような本は死んでも書きたくありません。なぜなら、ビジネスマンのためになる史実、歴史だけをピックアップすることになってしまう。 Q:あとは捨象しちゃうことになります。 塩野 そう。それでは歴史を書いたことにはならない。それにもう一つ。作家としてはちょっとばかり打算的な計算もあるわけだ。 Q:打算的? 塩野 だって現代人のためだけに書いていたら、時代が変わってしまったときに困るじゃない。売れなくなっちゃうもの(笑)。そういうものって、必ずしも経済的に見ても利口なやり方ではないのではないですか? 時代に合ったものって、非常に早く時代遅れになりますから。 Q:しかし現代人のために加工した歴史は書かないとなると、読者に求める水準が高いとも言えませんか。 塩野 その通り。筋肉だってちょっと無理しないと強くならないじゃないですか。いつもできることばかりやっていたら筋肉は鍛えられない。頭脳もまったく同じなんです。 Q:でも塩野さんご自身は非常にビジネスマン的でもありますよね。 塩野 だってあなた、全力投球して書いた作品ですよ。いかに長い命を持たせるか考えるなんて、当たり前のことじゃないですか』、「二千五百年を読むことで、二千五百年を生きることができる。これが歴史を書き、読む愉しみなの。私は読者にもそれを体験してもらいたいんです」、「歴史エッセイ」を通して読む必要もありそうだ。
・『オープンな精神を持った人々に支えられてきた  塩野 といって私だって商売のことばかり考えているわけでもないんです。『アマデウス』という映画をご覧になりましたか。主人公のモーツァルトがお姑さんに何だか文句を言われているシーン。彼はそれをてきとうに聞き流しているわけですが、そんな時にあの『魔笛』の「夜の女王のアリア」のメロディが生まれる。ふっと……テイクオフするみたいに。「善悪の彼岸を超える瞬間」といってもいい。 Q:離陸する感じですか。ふっと。 塩野 いつまでも飛行場に留まっていては、私にとっては書く意味がない。テイクオフする瞬間がなければ、作家とは言えない。私の読者はみんなその瞬間を待ってくれているのですから。私の読者ってね、この五十年の経験から言えば、まずもって男女の別がない。年齢の別もない。地位の別もありません。大会社の社長がいるかと思うと看護婦さんがいたり、小さい町の町長さんもいるし、公務員もいれば、学者、学生もいる。もちろん主婦もいる。でも彼ら彼女らに共通するのは、自分の世界に安住しない人だということなんです。自分の知らない世界へとテイクオフする勇気を持っている人々。オープンな精神を持った人。そういう読者に私は支えられてきましたね。 Q:狂信的とは真逆の人々ですね。 塩野 私はこの五十年間、ボーダーを越える勇気を持った人々に支えられて書いてきたのです。(次号に続く/2018年1月27日頃配信)』、幅広い「読者」に「支えられて書いてきた」とは、小説家冥利に尽きるようだ。

次に、この続き、2018年2月5日付けBookBang: 新潮社「塩野七生「私は惚れる相手、選ぶ男には自信がある」――『新しき力』刊行記念インタビュー後編」を紹介しよう。
https://www.bookbang.jp/review/article/546156?all=1
・『50年もの長きにわたって作家生活を送ってきた塩野七生さん。歴史を書く上でもっとも大切なこととは何だったのか――。また、仕事をともにしてきた、忘れられぬ人々の横顔を語ってもらった。 Q:今作のあとがきにも書いておられますが、塩野さんは「中央公論」の編集長・粕谷一希さんと花形編集者だった塙嘉彦さんに見出される形でデビューを果たしたわけですが、お二人だけではなく、文藝春秋であれば社長にもなった田中健五さん、そして新潮社でいえば常務・新田敞(ひろし)という、私にとっては仰ぎ見るような大先輩と、塩野さんは仕事をしてきました。 塩野 彼らに加えて新潮社の先代の社長(佐藤亮一)ね。彼らはみんな私の年上なんです。だからちょっと甘ったれて付き合えるような感じがあった。新田さんに「売れない」ってボヤいたら、「だいたい君は売れるように書いているのか」なんて言い返されました。「いや、そういうわけでもないです」としか答えられなかった(笑)。「そのうち売れますよ」なんていなされましたね。粕谷さんにもよくお説教されました。デビュー作である『ルネサンスの女たち』には四人の女が登場するわけですが、その三人目「カテリーナ・スフォルツァ」の原稿を編集部に渡したところ、長いというので粕谷さんが二回に分けて掲載した。それで私が「あれは分断されたら困る」と抗議したら、「『中央公論』は原稿用紙にすれば全部で一千五百枚ぐらいだが、君の一篇は百五十枚もある。君に雑誌の十分の一をやるわけにはいかない。自分を中心にして世界が回っていると思ってはいけないよ」なんて叱られました。はじめはそういう編集者たちと仕事をしていた。そしたら、その人たちが全員なぜか同じ時期に社長になったり、偉くなったりしたものだから、各社とも若いのが担当になったというわけ。その中の一人があなたなんだけれど、困っちゃったわよね。 Q:そうでしょうね。まだ右も左もわからない若僧でしたから。前回も少し触れましたが、塩野さんとのお付き合いももう三十五年。私が二十八歳の時以来です。少し思い出話をさせて下さい』、ずいぶん優秀な編集者に囲まれていたのには驚いた。
・『編集者との悪戯  塩野 担当になった時、あなたはずいぶん年下でね。そのときに思ったのは、若い叔母さんと甥は何でも話せる仲だというけれど、その線でいくしかないと思いました。いまだにあなたのことを、クン付けで呼んでしまうのはそのせいね。あなたはいまや重役でもあるわけだけれど、まあ一人くらいはクン付けで呼ぶ人がいたっていいじゃないですか。 Q:親子というほどには離れていないし、弟にしては離れている年齢という間柄です。編集者とはいかにあるべきかをずいぶん教えられたと思います。当時は「新潮45+」という雑誌の編集部にいたのですが、初めて受け持ったのが塩野さんの「サイレント・マイノリティ」という連載コラム(現在は新潮文庫刊)。この連載で私は大ミステイクをしているんです。一九八三年三月のことですが。覚えていらっしゃいますか。 塩野 そんなこともあったわね。 Q:受け取った原稿に「凡なる一将は、非凡なる二将に優る」という言葉があったんです。ナポレオンの言葉ですが、指揮系統の一本化はそのくらい大事なことなんだと、ナポレオンは言いたかったわけです。ところが私は何を勘違いしたのか、変だなと思ってしまった。 塩野 それで、あなた、直したのよね。私に断らずに。「非凡なる一将は、凡なる二将に優る」と。 Q:その直後に「非凡なる一将は、凡なる二将に優る」とも書いておられるし、つい何かの書き損じかなと思ってしまったんですね。常識的に考えれば、この方が正しいに違いないと思いこんでしまったのです。国際電話をかければいいんだけれど、通信事情が今ほどよくない時代のことです。塩野さんも国際郵便で原稿を送ってくれていた。ファックスさえもまだない。 塩野 「凡なる頭脳で非凡なる文章を直すな」って怒ったわね(笑)。でも喧嘩は一度もしなかった。 Q:そうなんです。塩野さんはあまり怒りが長続きしない方なので(笑)、その大失敗をした後にも、いろいろと面白い仕事をしていただきました。まずは中曽根内閣の官房長官だった後藤田正晴氏に二人で会いに行って単独インタビューをしているんですね。後藤田さんは新聞の記者会見には応じるけれど、個別の対談やインタビューには一切応じない人で、ベールに包まれていた。 塩野 たしかイタリアから一時帰国している最中で、連載を休ませてほしいって言ったのよね。そしたらあなたが「それは困る」というから、「じゃあ対談ぐらいならばする」と。で、「じゃ、誰とやりましょう」とあなたが言うから、「うーん、そうね、後藤田さんあたりはどう?」って。 Q:ますます困ったのを覚えています。なにしろ個別取材には応じない恐い官房長官だというので有名でしたから。「そんな非現実的なこと言わないでください」って。 塩野 そうそう。でも会ってみるとけっこういろいろ話してくれたじゃない。 Q:後藤田さんがこんなに自分自身のことをあけすけに語ったのは珍しいと思います。 塩野 「新潮45+」ではほかにも対談をしたと思うんですが。 Q:そうです。当時の市民運動のプリンスだった江田五月氏と共産党の法律顧問だった弁護士の石島泰(ゆたか)氏。 塩野 石島氏の時はね、われわれはちょっとばかり策を練ったわけ。相手は共産党だと。よし、ならば舞台装置はブルジョアでいこうと。 Q:対談場所としてホテルオークラの部屋を用意しました。 塩野 シャンパンも用意しなさいって言ったんだったわね。 Q:なぜこの弁護士が注目を浴びたかというと、左派の弁護士にもかかわらず、田中角栄のロッキード裁判を批判したんです。ゴリゴリの共産党シンパが「田中角栄裁判というのは問題だ」と。実際あの裁判は確かに検察が無理をしているところがあった。で、その人に好きなように語らせたんですね。そしたら、しゃべり過ぎちゃったんです。共産党関係者としてはまずいことも、いろいろと。 塩野 そうだったわね。 Q:もう塩野さんに乗せられて、どんどんしゃべる。で、原稿ができて見せにいったら、ほとんどどこも使うな、ボツだって言い始めた。だけど、それはダメですと。実際にしゃべっているんだから。そんなのダメだと言って、載せました。 塩野 あのときは新田さんが英断を下したんですよね。「いや、このまま載せましょう」って。あれで当時の共産主義者の化けの皮を剥いだわよね(笑)』、「後藤田正晴」「官房長官」が初めて「単独インタビュー」に応じたり、「共産党の法律顧問だった弁護士の石島泰氏」が「しゃべり過ぎちゃった」、のも塩野氏の魅力のなせる技だろう。
・『仕事仲間に求めること  Q:私がまだ三十五歳で、編集長として「フォーサイト」という雑誌を創刊することになったときのことです。不安でいっぱいだったんですが、相談すると塩野さんは「あなた、部下を選んではいけない」とおっしゃった。で、その先がすごい。カエサルはまさにルビコンを越えんとするとき、彼がもっとも信頼する子飼いであるはずの第十軍団が来ていなかった。彼らを引き連れてルビコンを渡り、ローマに侵攻しようと考えていたんだけれど、現実には子飼いではない第十三軍団しかいない。しかし、もう時、満ちたりと。それで例の「賽は投げられた」となるわけです。ポンペイウスを中心にした反カエサル包囲網が作られていて、一刻もはやくローマに行かなければならないという状況ですから、カエサルは迷わず第十三軍団とともにルビコンを渡ったというんです。だからあなたも、部下を選んではいけない、と。この壮大な比喩には痺れましたね。塩野さんは若い人間へのアドバイスが本当にお上手です。 塩野 そんなことないですよ。私も楽しく仕事をしているわけだから、私の仕事に協力してくれる人たちにも楽しんでほしいと願っているだけのことです。楽しく、面白がって仕事をしていると、意外に成功しちゃうものですから。私もこうして五十年もこの仕事を続けられたのは、真面目なことばかりやってきたわけではないからかもね。 Q:相当な悪戯もしてきました。 塩野 編集者たちには悪いなとも思うのよ。なにしろこちらの頭がまだ整理されていないときに、長電話に付き合わせるでしょう? しかも長電話で話していたことが原稿になったときは、まったく違った形になっていることさえある。 Q:原稿にならないことだってありますしね。 塩野 でもね、対話っていうのはすごいものなんですよ。私があなたに話すわね。そして意が相手に通じる、それだけじゃないんです。自分の中で整理していくわけ、話しながら。司馬遼太郎先生はすごくおしゃべりだったと聞きますけれど、きっとご自分の中で考えを固めていったんじゃないかしら。黒澤明もおしゃべりだった。話しながら整理しているんだと思うんです。 Q:われわれは時には二時間、三時間と長電話することもありますね。 塩野 編集者はやっぱり原稿を書く上ではもっとも重要な協力者ですから。まだまだ粗の多い草稿を送った時なんかは、あなた方も文句があるでしょうけれど。でもいちいち粗探しをされるとゲンナリしちゃうわけ。だけど、パッと一つだけ何かいいことを言ってくれるだけでね、頑張ろうという気持ちになる。今でも覚えています。中央公論の塙さんの言葉ですが、「われわれは君が書いてる史実の結末を知っている。しかし、それでも読んでるうちに、サスペンスを感じる」と。そういうようなことを言われるとね、なんだか水をつけられたって感じで、お餅をつく手が元気づくのです。私にとっての一番いい編集者はそれです。餅つきの合いの手を入れてくれる人』、「カエサル・・・ルビコンを渡った」のにそんなエピソードがあったとは初めて知った。「われわれは時には二時間、三時間と長電話することもありますね・・・編集者はやっぱり原稿を書く上ではもっとも重要な協力者ですから・・・パッと一つだけ何かいいことを言ってくれるだけでね、頑張ろうという気持ちになる」、「編集者」の仕事は大変だが、重要なようだ。
・『完璧な白紙になる  Q:『ギリシア人の物語』に話を戻しましょうか。 塩野 最近思うことですが、理論的に言えばウィキペディアとAI(人工知能)を組み合わせればローマ史もギリシア史も書けるかもしれません。しかし、実際は書けないでしょう。というのは、ある資料をどう読み込み、解釈するかというのは、やっぱり書く人間次第なんです。なにしろ古代に関していえば資料というのはだいたいもう出揃っていて、上限は決まっている。つまり、決めるのはデータの量ではない。学者が書く歴史よりも作家が書く歴史が面白い理由はね、両者とも勉強することでは同じなんですが、学者たちはその過去のデータに囚われるからです。それに対して作家というのは過去のデータ、つまり資料の一行をどう読み込むかに自分の全精神、生命をかけるわけです。 A:学者でも作家でも人工知能でも、取り扱う資料データは一緒ですよね。公開されている情報です。 塩野 ええ。でも集めただけではダメ。読み込む必要がある。そして作家にとって一番面白い対象は人間です。でも学者はそうではない。人間に対して感情移入してはいけないことになっている。歴史の教科書から坂本龍馬だとかハンニバルが消されそうだと聞きますけれど、どうかしていると思います。歴史はやはり人です。 A:ハンニバルでいえば、彼は戦地で野営するときに、ほかの兵士たちとともに地べたで眠り、兵士たちがそっと彼に毛布をかけたという話が『ローマ人の物語』に登場します。これは公開資料に書かれていることですよね。学者は注目しないけれども、作家はそこからするどく何かを持ってくる。 塩野 佐藤優さんが言っていたことだと思うんだけれど、インテリジェンスも結局は公開資料がもっとも大事な情報源だって。歴史も同じです。 Q:大事なのは公開資料をどう読み込むかですね。 塩野 将棋の羽生善治さんがどこかで言っていましたが、われわれの頭脳と人工知能のどこが違うかというと、「汎用性」という言葉を彼は使っていました。つまりデータや資料が、誰にでもアクセスできる状態で、ある。しかし、そこに変なものをつなげたり、思いもよらないものと組み合わせることができるのが、われわれの頭脳だということなんです。歴史を書くときも同じです。大事なのは書く人間がどう公開資料を解釈し、組み合わせるかということです。 Q:なるほど。 塩野 とはいえ解釈ありきで資料そのものはないがしろにしていいということではありません。解釈を過信してはいけません。歴史や史実に対しては常に謙虚でなくてはいけない。「蟹は自分の甲羅に似せて穴を掘る」という言葉があります。つまり、塩野七生なんてつまらない女なのだから、私に合った穴を掘っていたら、小型の蟹しか入ってこないことになっちゃうでしょう。だから私は、この男を書くということだけ決めたら、あとは白紙なんです。書きたい対象を前にして、私は完璧な白紙になるの。だから、塩野七生のオリジナリティだとか、塩野七生の文体とか、そんなことは知ったことではない。自分の独自性を発揮しなきゃと思うと、本当に苦労すると思います。 Q:若い作家が陥りがちなところかもしれません。 塩野 現代の美術はパワーがないと私は思っていますが、それは独自性を求め過ぎだからだと思います。私はすべてのものは独自性を求めたときに、純なるパワーが失われると思ってます。少しばかり刺激的な比喩を持ち出しますが、男と恋愛するのが嫌、ベッドインするのが嫌だっていう女性がいますよね。彼女たちの言い分は、そういう関係になると主導権を失って、自分の個性が損なわれるからということなんだと思うんですが、私から言わせたら、そんなことで損なわれるような個性は個性ではない。愛した男の前で白紙になることを畏(おそ)れてはいけません。それにね、「死んで生きる」という考え方があると思うんです。 Q:死んでこそ、生きるということですか。 塩野 ええ。死んでこそ生きる。私は自分、塩野七生を捨てるわけですよ、書くたびごとに。 Q:そうすることで対象が生きる。生かす。 塩野 そう。そしてその対象を生かすことによって、私がまた生き返るわけ。塩野七生なんてたいした女ではないけれども、惚れる相手、選ぶ男には少しばかり自信があります。だから、今度の男アレクサンダーも魅力的なはずですよ』、「塩野七生なんてつまらない女なのだから、私に合った穴を掘っていたら、小型の蟹しか入ってこないことになっちゃうでしょう。だから私は、この男を書くということだけ決めたら、あとは白紙なんです。書きたい対象を前にして、私は完璧な白紙になるの。だから、塩野七生のオリジナリティだとか、塩野七生の文体とか、そんなことは知ったことではない」、凄い覚悟で創作に臨んでいることを知って、改めて「塩野」氏の偉大さを再認識した。さあ、読んでみよう。

第三に、歴史キュレーターの尾登 雄平氏が本年1月4日付け東洋経済オンラインに掲載した「「恐怖の大魔王」チンギス・ハンの戦わない戦略 "プロパガンダ"を徹底して使い倒した」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/321139
・『「勝つためには手段を選ばない」「敵対する者は全員容赦なく抹殺する」と噂され、11世紀に「最強で最も血に飢えた征服者」として名を馳せたチンギス・ハン。しかし実は、彼は「戦わずして勝つ」という戦略を積極的に用いて、大モンゴル帝国を築き上げていました。 戦いの天才とも言われたチンギス・ハンの「戦う前に勝利する」方法。ビジネスマンの教養として知っておいて損はありません。『あなたの教養レベルを劇的に上げる 驚きの世界史』より抜粋してご紹介します』、「戦わずして勝つ」とは実に巧妙な戦略だ。
・『軍事力で支配を拡大する遊牧民族  東はモンゴル高原から西は西北ユーラシア草原(キプチャク草原)にいたるまで、ユーラシア大陸には広大な乾燥地帯が広がっています。うっすらと草が生えているものの全体的には乾燥し、樹木があまり生えない地帯です。この広大な草原地帯で活躍したのは、匈奴(きょうど)や突厥(とっけつ)、ウイグル、タタール、モンゴルといった遊牧民族でした。 遊牧という生き方は半砂漠地帯で必要最小限の生産力で人間生活を営むもので、馬や羊といった家畜が生み出す富に頼った経済的には非常に不安定な社会です。そのため、ひとたび野火や旱害によって草原が消滅したり、大雪や寒波が到来したりして食料が得られなくなると、一族を食わせるために農耕民が定住する村を襲って食料を調達してくる必要が生じます。 遊牧民は狩りや牧畜、そして掠奪が生活の一部だったので、そのまま個々が優秀な戦士でした。子どもの頃から馬を乗りこなし正確に矢を射る戦士と、しょうがなく鍬から槍や矛に持ち替えた農民兵の対決だと初めから勝負になりません。遊牧民は軍事的には農耕民族に対して圧倒的に優位な立場に立っていました。 一方で富は農耕民族が住む地帯から乾燥地帯にもたらされます。この二者は歴史的に、対決しつつも相互に依存する関係を成り立たせました。 初めて遊牧民を国家として統合したのは、紀元前8世紀頃に黒海北岸の南ロシア草原一帯を本拠地にしたスキタイです。スキタイは遊牧民族スキタイ人を支配者にして、農村や都市を含んだ地域連合国家でした。遊牧民だけで構成されるのではなく、遊牧民が国家に必要な農業生産機能や交易機能、物産生産機能を支配することで成り立つ遊牧国家の基本形をスキタイは作ったのでした。 ところ変わって、草原地帯の東方であるモンゴル高原で初めて成立した遊牧国家は匈奴です。匈奴が出現したのは、中国で秦の始皇帝が6国を制圧して初めて統一国家を作った時代。急速に軍事化する遊牧民族の脅威に対抗し、始皇帝は将軍の蒙恬(もうてん)を主将とする軍を草原地帯に派遣し匈奴を追いました。蒙恬は陰山山脈沿いに遊牧民族の中原への侵入を防ぐ長城を築いて帰還します。これがいわゆる「万里の長城」です。 その後、秦が滅びて漢の時代になり、冒頓単于(ぼくとつ・ぜんう)の下で匈奴は統一して強大化。漢と匈奴の戦争の結果、漢は匈奴に貢物を毎年納めることで和平を得ることになります。漢は匈奴の属国となったわけです。漢は匈奴の軍事力に頼り、匈奴は漢の経済力に頼るという体制が確立し、これは漢が滅び匈奴が分裂するまで続きます。 これはまさに、スキタイが作った「遊牧民の軍事力と農耕民の経済力が相互に依存する」という体制にほかなりません。 匈奴が分裂した後、モンゴル高原は鮮卑(せんぴ) 、柔然(じゅうぜん)、突厥といた遊牧民族が支配します。 その中で台頭していったのがテュルク系遊牧民族で、10世紀にアフガニスタンから北インドを押さえるガズナ朝を成立させ、カラ・ハン朝は西トルキスタンを支配下に収め、11世紀以降にはさらに西進して西アジアの中心都市バクダードを制圧。セルジューク朝を成立させました。遊牧民族の世界は中央アジアから西アジア世界まで広がっていったのです。 そんな中でユーラシア乾燥地帯の大統合を果たしたのがモンゴルでした』、「漢は匈奴の属国となった」、とは初めて知った。「スキタイが作った「遊牧民の軍事力と農耕民の経済力が相互に依存する」という体制にほかなりません」、なるほど。
・『遊牧世界を統合した「恐怖の大魔王」チンギス・ハン  13世紀の初めに東方草原に突如出現したモンゴルは、わずかな時間で東はサハリンから西はドナウ河口までを支配下に収め、ユーラシア大陸の政治・経済の大部分を手に入れました。これまで遊牧民族が駆け抜けた地帯をたどる形で、モンゴルは各地の既存の支配者・既得権益者を容赦なく滅ぼし、その上にユーラシア大陸全体がつながる巨大な経済圏を築き上げたのです。「パクス・モンゴリカ(モンゴルによる平和)」の時代の到来です。 モンゴル軍が破竹の勢いでユーラシア大陸を席巻できた理由は、もちろんモンゴル軍が強かったためです。騎馬を用いた機動力の高さ、最新テクノロジー兵器の導入、個々の兵の質の高さ、そして勝ち負けにこだわる遊牧民の気質にあります。 遊牧民は戦い方に恥という概念を持ちませんでした。前進して勝とうが退却して勝とうが不意打ちをして勝とうが勝ちは勝ち。逆に敗北することは恥となります。負けたが立派に戦った、という考えはありません。勝たねば意味がないわけです。 さらにもう1つモンゴル軍の強さの秘密が、徹底した情報戦にありました。モンゴル軍は次に攻略する都市に侵攻する前に、事前に使者を派遣し、いかにチンギス・ハンとその配下の兵たちが人間離れした連中かを宣伝させました。 「1人のモンゴル兵が大勢の住民がいる街に入り、街の住民を殺していくが誰も手出しができなかった!」 このような荒唐無稽な話を語らせることで降伏を求めるのです。そして素直に降伏した者は公正に扱うが、それでもなお抵抗した者は徹底的に殺戮します。大部分の者は殺し、すべての富を奪った後、一部の者は次の都市に送り出し、いかにモンゴル兵が恐ろしいか語らせるのです。) チンギス・ハンは「ペンは剣よりも強し」を経験から学んでおり、自分が恐怖の大王であることを宣伝し広めることで敵に恐慌を起こし、攻める前から士気を下げることに努めました。 例えばイスラムの年代記編者は、チンギス・ハンはこのように語ったと伝えています。 「男が味わえる最大の喜びは、敵を征服して自分の前に引きずりだすことである。敵の馬に乗り、敵の所有物を奪うこと。敵が愛する者たちの目を涙でぬらすこと。そして敵の妻や娘を、自分の腕にかたく抱きしめることだ」 チンギス・ハンはこの種の言説を、自分の品位を傷つけるとは考えずにむしろ奨励し、言葉や文字によって伝聞させる戦略を採りました。 このようなプロパガンダは後の世にも語り継がれ、「モンゴル兵=暴力・破壊・残虐・無知・野蛮」というイメージが、現在に至るまで染み付くことになってしまうのです。このような恐怖のイメージがつきまとう一方、モンゴル帝国はかつてない巨大な経済圏をユーラシア大陸全体に作り上げ、経済でもって世界を支配しようとしました』、「自分が恐怖の大王であることを宣伝し広めることで敵に恐慌を起こし、攻める前から士気を下げることに努めました」、確かに世界帝国を築く上で、誠に巧みな戦略だ。
・『次の大国の礎となって消えたモンゴル帝国  モンゴル帝国は大都(現北京)を都とする大元(だいげん)ウルスを中心に、中央アジアを支配するチャガタイ・ウルス(通称チャガタイ・ハン国)、イラン高原を支配するフレグ・ウルス(通称イル・ハン国)、ユーラシア西北草原を支配するジョチ・ウルス(通称キプチャク・ハン国)により構成された緩やかな形の連邦国家を構成し、陸上と海上の流通を掌握して世界交易圏を確立しました。 モンゴル帝国はユーラシア各地に都市・港湾・運河・道路を建設して流通網の整備を図り、銀を基本とする通貨体制を確立させて自由経済と通商振興策を採り、税率はほぼ一律に3.3%に抑えられました。 統治の面では宗教や社会など在地の勢力を単位にしてそれぞれ自治にゆだねモンゴルの慣習を強制することはありませんでした。宗教面でもモンゴル帝国は大変寛容で、キリスト教、仏教、イスラム教、その他諸々の宗教を人々は自由に信仰できました。モンゴル帝国は民衆の生活を保障するような統治はしませんでしたが、一方で生活にも干渉をせず、多文化・多人種・多宗教・多言語がそのまま帝国内にあることを認める社会体制でした。 初めて1つの経済圏として結び付けられたユーラシア大陸は、1310年から1380年まで続く長期の異常気象に襲われます。地震や洪水、疫病などの厄災が帝国各地を襲い、土台である経済が破綻し、次第に帝国は解体していくことになります。 大元ウルスは1368年に中原からモンゴル高原に戻って「北元(ほくげん)」として、明清帝国と並立することになります。フレグ・ウルスからはアク・コユンル(白羊朝)、カラ・コユンル(黒羊朝)、サファヴィー朝、そしてオスマン帝国が生まれていきます。 ジョチ・ウルスからはウズベク国家やカザフ遊牧国家、カザン・ハン国やクリム・ハン国、そして彼らと戦う中で力をつけてやがてシベリア一帯をのみ込んでいくロシア帝国が生まれていくことになるのです』、「生活にも干渉をせず、多文化・多人種・多宗教・多言語がそのまま帝国内にあることを認める社会体制」、世界帝国にふさわしい柔軟な体制だったようだ。「オスマン帝国」や「ロシア帝国」など「次の大国の礎となって消えたモンゴル帝国」だが、ロシアではいまだに「タタールのくびき」として、屈辱の歴史となっているようだ(Wikipedia)。
タグ:タタールのくびき 普通の道から外れることを、私は選んだ。だから境界を悠然と越える男たちが好きなんですよ。それにもう一つ、私はリスクを負う男が好きなんです 「塩野七生『新しき力』刊行記念インタビュー前編「私は二千五百年を生きた」」 「最強で最も血に飢えた征服者」として名を馳せたチンギス・ハン われわれは時には二時間、三時間と長電話することもありますね・・・編集者はやっぱり原稿を書く上ではもっとも重要な協力者ですから しゃべり過ぎちゃった 「「恐怖の大魔王」チンギス・ハンの戦わない戦略 "プロパガンダ"を徹底して使い倒した」 東洋経済オンライン 尾登 雄平 共産党の法律顧問だった弁護士の石島泰 スキタイが作った「遊牧民の軍事力と農耕民の経済力が相互に依存する」という体制にほかなりません オープンな精神を持った人々に支えられてきた ボーダーレスな生き方 カエサルは「成熟した天才」でした。そのカエサルを書き終えた時だからこそ、「未完の大器」だった男を書きたい、書けると思ったんです 二千五百年を読むことで、二千五百年を生きることができる。これが歴史を書き、読む愉しみなの。私は読者にもそれを体験してもらいたいんです 来年でデビュー五十年 遊牧世界を統合した「恐怖の大魔王」チンギス・ハン ロシア帝国 オスマン帝国 私が最後の作品で背負うことができるリスクというのは何かといったらね、三十二歳で燃え尽きるように死んでしまったこの若い男を、八十歳になったこの私が書くということですよ 次の大国の礎となって消えたモンゴル帝国 後藤田正晴氏に二人で会いに行って単独インタビュー 歴史を書く喜び、読む愉しみ 「最後の歴史エッセイ」 『あなたの教養レベルを劇的に上げる 驚きの世界史』 編集者との悪戯 カエサルは迷わず第十三軍団とともにルビコンを渡った ユーラシア大陸全体がつながる巨大な経済圏 自分が恐怖の大王であることを宣伝し広めることで敵に恐慌を起こし、攻める前から士気を下げることに努めました 漢は匈奴の属国となった 徹底した情報戦 歴史 軍事力で支配を拡大する遊牧民族 完璧な白紙になる 「戦わずして勝つ」 「賽は投げられた」 カエサルはまさにルビコンを越えんとするとき、彼がもっとも信頼する子飼いであるはずの第十軍団が来ていなかった パッと一つだけ何かいいことを言ってくれるだけでね、頑張ろうという気持ちになる 塩野七生なんてつまらない女なのだから、私に合った穴を掘っていたら、小型の蟹しか入ってこないことになっちゃうでしょう。だから私は、この男を書くということだけ決めたら、あとは白紙なんです。書きたい対象を前にして、私は完璧な白紙になるの。だから、塩野七生のオリジナリティだとか、塩野七生の文体とか、そんなことは知ったことではない パクス・モンゴリカ BookBang 仕事仲間に求めること 「塩野七生「私は惚れる相手、選ぶ男には自信がある」――『新しき力』刊行記念インタビュー後編」 (1)(塩野七生『新しき力』刊行記念インタビュー前編「私は二千五百年を生きた」、「私は惚れる相手 選ぶ男には自信がある」インタビュー後編、「恐怖の大魔王」チンギス・ハンの戦わない戦略 "プロパガンダ"を徹底して使い倒した)
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