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介護(その5)(河合 薫氏2題:新型コロナがとどめ「人生最後の砦」介護現場は崩壊へ、世界で続出する介護崩壊 問われる大企業の社会的役割) [社会]

介護については、2月13日に取上げた。今日は、(その5)(河合 薫氏2題:新型コロナがとどめ「人生最後の砦」介護現場は崩壊へ、世界で続出する介護崩壊 問われる大企業の社会的役割)である。

先ずは、3月17日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「新型コロナがとどめ「人生最後の砦」介護現場は崩壊へ」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00066/?P=1
・『慢性的なストレスにさいなまれている人は、突発的なストレスに襲われたときにダイレクトにダメージを受ける。これはストレス学の定説だが、今回の新型コロナウイルス騒動でも全く同じ現象が起こっている。 これまで、だましだましやり過ごしてきた問題が一気に吹き出し、断崖に追いつめられていた人たちが今、落ちてしまいそうになっているのだ。 その1つが介護だ。 「今回の新型コロナ騒動で介護業界は完全に崩壊するんじゃないかって、心配しています。介護士にも感染が見つかっていますが、そうなることはもっと前から分かっていた。介護の仕事ってすべてが濃厚接触ですからね。なぜ、もっと早く手を打てなかったのか。悔しくて。ホント、悔しいです。 特に訪問介護の現場は慢性的なヘルパー不足で、倒産と背中合わせです。 急場をしのげる余力は1ミリもありません。自治体は『知恵を出してどうにか乗り切ってほしい』っていうけど、人もカネもない現場に、どうしろというのか? 訪問介護の利用者には一人暮らしで、家族に頼ることができない人も多い。ヘルパーとの信頼関係で、訪問介護は成立しているんです。人が足りないからって、他の人に入ってもらいましょうとは軽々に言えません。それこそ、もし、そんなことして感染が拡大したり、何かトラブルが起きたりしたら取り返しがつかない。介護は……命の現場なんです。 悲しいけれど、どうなってもいいって言われてるようで。なんとかするしかないという気持ちと、どうにもならないというあきらめの中で、運営している施設は多いと思います」』、「介護の仕事ってすべてが濃厚接触」、「介護は……命の現場」、「新型コロナ」報道では、たまにしか触れられない「介護現場」の問題を河合氏の記事でみてみたい。
・『後手に回った介護分野への対応  こう話すのは、30年近く介護現場で働く知人だ。 数日前に介護士の人に感染が確認され、「ついに来てしまったか」と不安になり連絡したところ、忙しい中でインタビューに応じてくれた。 「みんな自分が感染源になるんじゃないかと、恐れて、神経をとがらせてきた。マスクや消毒液の在庫が尽きそうなことも分かっていたが、限られた状況でスタッフはがんばっていたのに……」と、やりきれない心情をうちあけた。 報じられている通り、愛知県では11日までに2カ所のデイサービス事業所で集団感染が確認され、感染者数は45人に上っている。名古屋市では感染者が出た施設を含め、市内の計126施設に7日から2週間の休業を要請した。 しかし、「デイサービスは利用者にとって命綱だ。休業すれば受け皿がない」と、利用者の受け入れを続けている施設は多い。「介護は命の現場」という言葉どおり、感染の不安を抱えながらも“断崖”で耐えているのだ。 中国で感染が拡大した当初から、高齢者ほど重症化リスクが高いことが分かっていたのに、高齢者に対する感染拡大防止策は全くといっていいほど手を付けられていなかった。介護施設への具体的な対応策は示されなかったし、マスクなどの確保も、すべて後手だった。 政府が北海道にマスク約400万枚を配布することを明らかにしたのは、3月3日。同日には、介護職員らでつくる労働組合(NCCU)が、事業所の約2割、訪問介護に限ると3割でマスクが既に無い、在庫が2週間分以内の事業者は3分の2という窮状を政府に訴えていたのに、医療機関向けの救援策が発表されたのは、1週間後の3月10日だった。 「医療機関や介護施設に対する(国が購入した)マスク供給を、自治体や関係企業と連携し、円滑に行っていくために“マスクチーム”を立ち上げた」(by 菅官房長官) 1週間もかかった上、マスクチーム……か。マスクチームは厚生労働省、経済産業省、総務省から3省の若手職員ら40人のメンバーで構成され、「(チームのメンバーが)それぞれ電話をして、(マスク問題を)1つひとつ埋めていっている」(菅官房長官)らしい。ふむ。なんじゃこりゃ?? とにかく遅い、遅すぎる。 いずれにせよ、NCCUが最終結果として、6日に発表した報道関係者へのプレスリリースには、次のような「命の現場」の声が記されている。 「小中高一斉臨時休校」で介護現場の人手不足は加速。過重労働や利用者への悪影響の懸念がある。 「『デイサービスなどの利用者に発熱がある場合は、訪問介護の提供を』と厚労省から言われても、深刻な人手不足で急なシフト追加は対応しきれない」「事業所のマスクは在庫ゼロ。訪問介護は『最後のとりで』と言われる割には、ヘルパーに対する扱いが雑すぎる」などなど。 「なんかどうなってもいいって言われてるようでね」(介護業界の知人)という悲鳴が渦巻いていることが分かる』、「名古屋市では感染者が出た施設を含め、市内の計126施設に7日から2週間の休業を要請」、なんとも責任回避的なお役所的対応だ。「休業すれば受け皿がない」と、利用者の受け入れを続けている施設は多い」、当然の対応だ。「当初から、高齢者ほど重症化リスクが高いことが分かっていたのに、高齢者に対する感染拡大防止策は全くといっていいほど手を付けられていなかった」、完全に政府の対応の失敗だ。しかも、「政府が北海道にマスク約400万枚を配布」、するのも「“マスクチーム”を立ち上げ」などで「1週間もかかった」、とは酷い話だ。「「小中高一斉臨時休校」で介護現場の人手不足は加速」、子供たちが家に居るので、「ヘルパー」が「介護現場」に行けないという「臨時休校」の副作用のためなのだろう。
・『ヘルパー高齢化で先が見えない訪問介護  冒頭に書いた通り、今回のコロナ騒動で、これまでだましだましやり過ごしてきた問題が、一気に吹き出した。パンドラの箱。そう、「パンドラの箱」が開き、そこにつまっていた社会のひずみが表面化した。 その1つが介護現場であり、「最後のとりで」とされる訪問介護だったのである。 人手不足が深刻な介護現場の中でも、訪問介護職(ホームヘルパー)の有効求人倍率(18年度)は13.10倍と圧倒的に高い。 訪問介護職員の総数は約43万3000人で7割近くが非常勤で、約4割が60歳以上。65歳以上は約2割だ(厚生労働省「介護サービス施設・事業所調査」17年)。 肉体的にも精神的にもハードな仕事なので、年齢を理由に退職する人も多い。また、4割を占める60歳以上のヘルパーは、今後10年のうちにほとんどが引退する可能性が高いため、人手不足が解消する見込みはほぼ無い。真っ暗闇の回廊を歩かされているようで、そこには一筋の光もない。 おそらくこういった事情も関係しているのだろう。19年(1-12月)の「老人福祉・介護事業」の倒産件数は、集計開始以来、最多だった2017年の111件に並んだ。業種別では「訪問介護事業」が最も多く58件。前年の45件から急増していたのである。 19年11月1日、現役の介護ヘルパーが国を相手どり訴えを起こすという前代未聞の出来事があった。原告の訪問介護ヘルパー3人は、労基法違反の状態=「0時間契約」で働かされ続け、正当な賃金が支払われていないのに、国が規制権限を行使しないのは違法として東京地裁に国家賠償訴訟を起こした。 「0時間契約」とは、就労時間の保証がなく、したがって賃金保障もないまま、その時々に求められた時間だけ働く雇用形態のこと。雇用主に仕事を提供する義務はないため、勤務が「ゼロ時間=無給」になる可能性もある。 訪問介護ヘルパーの場合(正規以外)、待機時間に対する賃金は基本的に支払われない。訪問先間の移動費や、事業所に連絡する電話代もすべて自分持ちだ。予定がキャンセルされれば事業所に支払われる介護報酬はなく、ヘルパーは無給となる』、「ホームヘルパー」の「約4割が60歳以上。65歳以上は約2割」、と既に「老老介護」状態にあるようだ。「現役の介護ヘルパーが国を相手どり訴え」での「0時間契約」とは酷い話だ。労働基準局はチェックしていないのだろうか。
・『分刻みで働かされる訪問介護の現場  その過酷さは、ヘルパーたちの1日のスケジュールを見れば一目瞭然である。大手新聞が紙面に掲載した原告の典型的な1日のスケジュールによると、ヘルパーの業務は朝8時30分に事務所に出勤し、「訪問スケジュールや申し送り」を確認することからスタートする。5人の利用者の家を訪問し、18時40分に事務所に戻り「申し送りや翌日のスケジュール」を確認し、帰宅は19時。1日の給与は7075円だった。 内訳は、「70代要介護2の独居女性を身体介護=800円」「難病・認知症で80代要介護3の独居男性を身体介護・生活援助=2250円」「90代夫婦(要介護1)の家で生活援助=975円」「80代要介護1の独居女性を入浴介助=1600円」「90代要介護1の男性宅で入浴介助と生活援助=1450円」と、利用者のほとんどは一人暮らしか老老介護だ。 身体介護では、蒸しタオルで洗顔し、着替えを手伝い、失禁のため体を拭き、下着を取り換え、シーツなどを洗濯する。生活援助では、食事の準備、掃除、洗濯、ゴミ捨てをする。入浴介助では、血圧や体温をチェックし、洗髪と洗身をし、合間に食器洗い、夕食の準備、洗濯物の取り込みをする。 どれもこれも覚悟と利用者との信頼関係がなくては、できない仕事ばかりだ。昼食は、自転車で移動中の15分に肉まんをほおばる、残りのおにぎりを15時ごろ公園で食べる。休憩時間はなし、移動、介護、移動、介護、移動、介護の繰り返しなのだ。 原告の女性たちは、1月20日に行われた第一回の口頭弁論で、「時間に追われ、利用者と話す十分な時間もない。やりがいも削られ、ケアの質も担保できず我慢も限界」と、訴えた理由を話したと報じられている。 以前、訪問介護をしている方にインタビューしたとき、「利用者は私たちとしか社会との接点のない人が多い。私たちがいないと生活はできないし、会話もないんです。本当はもっと話を聞いてあげたいけど、利用時間が決まってるし、次が入ってるから、満足に向き合うこともできない。孤独死するんじゃないかって、心配になることもあります」と話してくれたことがある。 「介護保険のホームヘルパーは、もはや絶滅危惧種」とうたうメディアもあるが、絶滅するのはヘルパーだけじゃない。それは高齢者の死につながる極めて緊急性の高い課題なのだ』、「「介護保険のホームヘルパーは、もはや絶滅危惧種」とうたうメディアもある」、この「メディア」が決めつけた意図が単なるウケ狙いとすれば、良識を疑わざるを得ない。
・『40年前の家族スタイルを前提にしたシステム  介護現場ではさまざまな問題が指摘されながら、それが解決しないうちに新たな問題が発生してきた。そのたびに“バンドエイド”を貼るような手立てがなされてきたけど、傷口はどんどんと広がり、決して止血できなかった。 混迷を極める介護問題の根っこにあるのは、高度成長期の「家族のカタチ」をスタンダートとし続けたことだ。 40年前の1979年に発表された自民党の政策研修叢書『日本型福祉社会』を変えることなく、踏襲し続けたことが介護現場で働く人たちとその利用者=高齢者を断崖に追いつめている。 日本型福祉社会の社会福祉の担い手は、企業と家族であり、「結果の平等」を追求するような政策は「堕落の構造」を生むという考えが存在している。 つまり、北欧に代表される「政府型」や、米国に代表される「民間(市場)型」じゃない、「とにもかくにも、“家族”でよろしく!」という独自路線の福祉政策が日本型福祉社会なのだ。 1986年に『厚生白書 昭和61年版』として発表された、社会保障制度の基本原則では、上記の「日本型福祉社会」の視点をさらに明確化し、「『健全な社会』とは、個人の自立・自助が基本で、それを家庭、地域社会が支え、さらに公的部門が支援する『三重構造』の社会である、という理念にもとづく」と明記。) 2006年に政府がまとめた「今後の社会保障の在り方について」でも、40年前と全く同じことが書かれている(興味のある方はこちらをお読みいただきたい)。 想像以上のピッチで高齢化が進み、家族の稼ぎ手も、家族のカタチも変わったのに40年前と同じ理念を掲げ続けている。その“ひずみ”を埋めているのが、「命の現場」で働く人たちであることはまぎれもない事実だ。 要介護者を「社会全体」で支え合うという理念の下、介護保険制度が創設された2000年以降、ごまかしごまかししてきたことが「命の現場」を弱体化させたのだ。 ついでながら書いておくと、3月2日に開かれた参議院予算委員会での「高齢者は歩かない」とのやじは、現場がいちばん緊迫しているときだったので大いに失望したそうだ。 「子供がいるスタッフが仕事に来られずてんてこまいのときに、ホントに悲しいですよね。高齢者ははなから切り捨てられてるんです」(介護業界の知人) 介護問題はあまりに複雑すぎて、今ここで「こうすべきだ!」と断言できるほどの頭脳を私は、残念ながら持ち合わせていない。だが、地震や台風などの自然災害が起こるたびに、福祉避難所問題が起きていることなども考えると、「誰もが介護できるスキル」を身に付けられる教育をし、緊急時に高齢者を決して孤立化させないしくみを作っておくことも1つの案になるようにも思う。 最後に、ちょっとだけ安心できるメールが老人ホームで暮らす93歳の友人から届いたので紹介しておく』、「40年前の1979年に発表された自民党の政策研修叢書『日本型福祉社会』を変えることなく、踏襲し続けた」、とは初めて知って、驚いた。「要介護者を「社会全体」で支え合うという理念の下、介護保険制度が創設された2000年以降、ごまかしごまかししてきたことが「命の現場」を弱体化させた」、困ったことだ。
・『求められる広範で迅速な情報提供  「私のホームでは、平穏に過ごしています。ここでは、早い段階から家族の訪問は禁止にしています。私の家族も、2月早々から姿を出しません。入居者の中には、容体がよくないので、家族が毎日来ている人もいますが、そのたびに施設長の許可を得ているそうです。 私たち夫婦は週3回マッサージ師に部屋まできて施療してもらっていますが、2月下旬からストップしてもらいました。ホームにはプールや稽古事に通っている人もいますが、それぞれ自発的にストップしています。 こんな状態なので、コロナ騒ぎもなく、いつもと変わりません。今回のことで、私は、自分の身は自分で守らなくては、と痛感しています。 ただ、正確な情報が分からないので、みな不安を募らせています。日本は政府をはじめ、情報が開示されないのですが、これは島国根性というのでしょうか? 今や、情報社会です。一刻も早く、情報を発信してほしいです」 友人は93歳の今も、毎日株をチェックし、毎週私にコラムの感想をくださるほどお元気な人。すべての高齢者は同じではなく、ストレスをため込んでいる人も多いと思う。 でも、先行きが見えない今、一人でも多くの高齢者がこの友人のように、平穏に過ごせればいいと心から願う』、政府の「情報発信」の度合いはまだまだ不十分だ。よもや「知らしむべからず」との考えではないことを祈るばかりだ。

次に、この続き、4月28日付け日経ビジネスオンライン「世界で続出する介護崩壊、問われる大企業の社会的役割」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00072/?P=1
・『恐れていたことが、ついに起きてしまった。 18日、大阪市淀川区のマンションで、57歳の男性と母親(91)が遺体で見つかった。残された遺書には、「母に『死にたい』と言われ、糸が切れた」と書かれ、無理心中を図ったとみられている。 報道によると、男性の母親は数年前に市内の特別養護老人ホームに入所。男性はご近所でも孝行息子として知られていて、ホームにも毎日のように訪れ、朝から晩まで付き添っていたそうだ。 ところが、新型コロナウイルスのため事態が一変する。感染拡大防止のため、母親との面会が一切できなくなってしまったのだ。 男性は毎日のように施設に電話し、母親の安否を確認していたが、「母親がかわいそうなので、一時的に家に連れて帰りたい」と申し出たところ施設に断られた。そこで退所させることを決意。自宅近所では男性が介護用のおむつをいくつも買って戻る姿が目撃されていたというが、退所の翌日の晩、悲劇は起きた。 男性は父親が他界した後実家に戻り母親を介護していたが、在宅では限界になり、数年前からホームに入所させていたという』、「介護用のおむつをいくつも買って戻る」のであれば、当初は面倒を見るつもりだったのだろうが、「遺書には、「母に『死にたい』と言われ、糸が切れた」」、「無理心中」とは悲劇だ。
・『高齢者を不安にする新型コロナ  高齢者にとって、大切な家族は心のよりどころであり、人と会ったり人と話したり、体を動かすことは生きる力の火を燃やす大切な行為だ。一方、そういった日常が途絶えるとストレス状態に陥る。精神的に不安定になったり、認知機能が下がったり。環境の変化は精神的にも肉体的にも、高齢者の生きる力を著しく低下させる。 91歳の母親は息子にホームで面会もできず、精神的に疲弊していたのだろうか。会えない母親を心配し続けた男性は、精神的に限界だったのだろうか。コロナ感染拡大で今まで経験したことのないえたいの知れない不安が、「もう十分生きた。もういいよ」という気持ちに、親子をさせてしまったということだろうか。 親子に何があったかは二人にしか分からない。 ただ、私も年取った母親と日々接しているので「少しでも一緒にいてあげたい」と、引き取りたくなる気持ちは痛いほど分かる。 高齢者は私たちが想像する以上にコロナを怖がっているし、そんな親を目の当たりにしたら、かわいそうで。 理屈じゃない。ただただ切ないのだ。人生最後の時間を1日でも多く笑顔で過ごして欲しいと思うと、自分にできることはやっておきたいし、後悔したくない。件の男性もそんな気持ちを抑えきれず、「退所」というリスクの高い選択に至ったのだろう。 この事件も一つの「8050問題」なのかも、と思うとあまりに悲し過ぎる。 介護施設に勤める知人数名に聞いたところ、家族が一時帰宅を申し出るケースは増えていて、入居者から「家に帰りたい」「家族に会いたい」と懇願されることもあるという。 「退所させる家族を止めることもできないし、かといってこの状況下で面会を許可するのは危険すぎる。在宅介護はリスクが高いが、現場も崩壊寸前。何が正解なのか分からない。出口のない迷路に入り込んでいる」(by 介護施設関係者) テレビ電話などを使って面会できる施設がメディアでは紹介されているけど、「それができるのは余裕のある施設だけ」とのことだった』、「在宅介護はリスクが高いが、現場も崩壊寸前。何が正解なのか分からない。出口のない迷路に入り込んでいる」、「介護施設」の悩みも深いようだ。
・『海外でも介護施設が悲惨な状況に  そんな中、海外から痛ましい事態が次々と報じられている。フランスでは全体の死者数の約4割が施設の入居者らに集中し、ある施設ではウイルス感染が施設内に広がり、80人の入居者のうち30人が亡くなり、業者が引き受けるまで3日以上置き去りにされた遺体もあったそうだ。 また、ノルウェーでは亡くなった人のうち64%が、ベルギーでは49%、ドイツでは32%が介護施設の入居者だった。 米国でも、介護施設の入居者、あるいは施設の職員の少なくとも約7000人が新型コロナウイルスで死亡。4月17日現在、米国では新型コロナウイルスで3万6500人以上の死亡が確認されているので、死者の約5人に1人は介護施設内だということになる。 世界中で起きている「介護崩壊」。日本でも確実にそのリスクは高まっている。いや、もう既に入り口に立っている状況で、足元は崩れかけている。 コロナ感染拡大が深刻になり始めた3月17日、後手に回った介護現場の感染拡大防止策については、こちらで書いた(新型コロナがとどめ「人生最後の砦」介護現場は崩壊へ)。 そして、1カ月がたった今、介護施設で働く人、入居している高齢者とその家族、さらにはコロナ前は自立で生活できていた高齢者まで、さまざまな問題が複合的に起き、介護問題は「コロナ後」、もっと深刻かつ複雑化することはほぼ確実といえる。  新型コロナウイルスの感染拡大の影響で、デイサービスなどの「通所型」の施設を中心に全国で少なくとも883の介護サービス事業所が休業していることが分かった。このうち、98%に当たる863事業所が自主的な判断で休業していて、自治体からの要請で休業しているのは大阪府と福岡県の合わせて6施設だったそうだ(NHK調べ)。 介護施設でのコロナ感染拡大も連日報じられているので、今後さらに休業する施設が増える可能性は極めて高い。 もともと苦しい経営状態にあった施設だけでなく多くの施設が、休業により運営事態が厳しくなることは容易に想像できる。コロナ前から限界だった訪問介護に加え、通所型の介護施設(デイサービス)などが倒産してしまうと行き場を失った高齢者が量産されることになる。 なので、まずは介護施設が運営を続けられるような支援が必要不可欠だ。 そのために何をするか?』、「フランスでは全体の死者数の約4割が施設の入居者・・・ノルウェーでは亡くなった人のうち64%が、ベルギーでは49%、ドイツでは32%」、「米国では・・・死者の約5人に1人は介護施設内」、など海外でも「介護施設」の感染リスクは高いようだ。「「通所型」の施設を中心に全国で少なくとも883の介護サービス事業所が休業・・・このうち、98%に当たる863事業所が自主的な判断で休業」、「通所型」「介護サービス事業所が休業」すると、体を動かさなくなるので、要介護度が上昇してしまうという深刻なデメリットがある。「休業」すれば「感染リスク」は減らせるが、悩ましいところだ。 
・『介護崩壊を大企業のリソースで止められないか  個人的には、リソースが豊富にある大企業に、支援に乗り出してほしいと思っている。 事業所にIoT などリモート環境を整えたり、社員を送り込んでマネジメントを行ったり。また、企業ボランティアの一環として社員がヘルパーさんたちのお手伝いをする。「高齢者とお話をする」ことだって大切な介護だ。大企業だからこそできることは多いのではないか。 くしくも日経新聞に「新型コロナが証した『日本株式会社の幻』」という英フィナンシャル・タイムズの記事が出ていた。内容は、「日本の有力企業が持っているスキル、秀でた組織力、最高品質の製品の大量生産、すべての懸念を脇に起き、国益のために協調する本能といった=日本株式会社の力が、発揮されていない」というものだった。 「ソニーやトヨタ自動車、パナソニック、シャープなど一握りの企業からマスクなどの生産に、“控えめな約束”が出ただけで、あとは沈黙している。オールジャパンの本能はどこにいった?!」と。 世界各地で介護崩壊が起きている今だからこそ、超高齢化社会先進国として、日本の有力企業が、「介護現場は潰しません! 働く人たちを守ります! 共に闘います! 高齢者が笑顔でいられる介護現場を!」とスローガンをかかげ、取り組んでほしいのだ。 長期的な目線で考えれば、生産性の向上につながるのではないか。「介護現場の技術革新」にも拍車がかかるだろうし、物が売れない今だからこそ人の移動も含めて介護現場を救済する知恵とスキルを生み出してほしい。 かつて日本の大企業が社員の家族を守ったように、命の現場を守る。政治にも影響力を持つ経団連の役割が問われているように思う。 介護現場で働く人たちは、新型コロナのパンデミックで広がった言葉の1つであるエッセンシャルワーカーだ。介護職は「日常に必要不可欠な職業」であり、彼らは「市民の生命と財産を守るために働いている人」たちである。エッセンシャルワーカーの多くが、労働市場での地位が低く、報酬も恵まれていない。介護の現場ではコロナ禍を機にさらなる人手不足が予想される』、「介護崩壊を大企業のリソースで止められないか」、は河合氏らしからぬ無理筋だ。
・『新型コロナの後、問題はさらに深刻に  だからこそ、社会に影響力を持つ経団連をはじめ大企業のチャレンジが必要なのだ。 さまざまな人事制度を手がけ、人材育成をしてきた経験と知恵を持つ「経団連」が加わり、エッセンシャルワーカーの賃金体系の見直しに力を貸し、介護職の人たちのキャリアパスも考える。 そうすれば、暗闇をさまよい続けている介護現場に少しだけ光が差すし、企業価値もあがるはずだ。 とはいえ脆弱な介護現場を救うことは、介護問題の一部でしかない。コロナ後は、自立で一人暮らしをしている高齢者の「人生の最終章」に、どう寄り添うかも大きな課題になる。 65歳以上の一人暮らし高齢者は、男女ともに増加傾向にあり、1980(昭和55)年には、男性が約19万人、女性が約69万人で、高齢者人口に占める割合は男性4.3%、女性11.2%だった。これが2010(平成22)年には、男性が約139万人、女性が約341万人に、高齢者人口に占める割合は男性11.1%、女性20.3%へと増えている(内閣府 「平成28年 高齢者の経済・生活環境に関する調査結果」)。 さらに、国民の3人に1人が65歳以上になる2025年には、男性が約230万人、女性が約470万人、高齢者人口に占める割合は男性14.6%、女性22.6%にまで増加する見込みだ。 一方、65歳以上の認知症高齢者数と有病率の将来推計についてみると、平成24(2012)年は認知症高齢者数が462万人と、65歳以上の高齢者の約7人に1人(有病率15.0%)であったが、2025年には約5人に1人になるとの推計もある(「平成29年版高齢社会白書」)。 アルツハイマーなどの病気に起因する認知症だけではなく、「年を取る」だけで認知機能は落ちる。昨日までできていたことが一つ、また一つとできなくなり、一人で生活するのは厳しくなる。 認知機能の低下を防ぐには、おしゃべりをする、みんなで楽しく運動する、ご飯を規則正しく食べることなどが極めて重要だが、人との接触が閉ざされた今、それができない。今後「他者の助けがないと生活できない」高齢者が増えるリスクは高まっている』、「社会に影響力を持つ経団連をはじめ大企業のチャレンジが必要」、もどう考えても無理筋だ。「人との接触が閉ざされた今、それができない。今後「他者の助けがないと生活できない」高齢者が増えるリスクは高まっている」、「通所型」「介護サービス事業所が休業」で前述した通り、確かに悩ましい問題だ。
・『認知症が多くなる社会は「人との関わり」が不可欠   65歳以上の歩行・入浴・排せつが自立している愛知県の高齢者1万2085人を対象に、同居以外の他者との交流の頻度別に、10年間の要介護状態への移行と認知症の発症、死亡状況を追跡した調査でも「他者との接触」の重要性は確かめられている。 毎日頻繁に交流がある人を「1」とした場合の、交流頻度別の要介護2以上の認定、認知症の発症、死亡のリスクを見ると、月1~週1回未満の頻度では、要介護2以上の認定となるリスクが「1.4倍」となり、認知症を発症するリスクが「1.39倍」になることが分かった。 さらに、月1回未満の頻度では、早期死亡が「1.34倍」高くなることが報告されている(「Japan Gerontological Evaluation Study」)。 コロナの感染を拡大させないためには、接触は制限せざるを得ない。だが、感染リスクを最大限の抑えた接触を実行しないことには、介護が必要になった時に介護サービスを受けられない高齢者が量産されるかもしれないのだ。 厚生労働省は、自宅から高齢者が通うデイサービスなどの介護施設が、新型コロナ感染の拡大防止のため休業した場合、介護福祉士ら職員が健康状態を電話で確認することを認める特例措置を始めた。 だが、それだけじゃダメだ。一人で暮らしているおじいちゃん、おばあちゃんが、自宅で孤立しないように、地域の人が声をかけたり、一緒に散歩したり、「隣人」である「私」たちの協力も必要となる。難しい問題ではあるけど、町内会やマンションの理事会の積極的な関わりが求められている。 そして、もしみなさんのご両親がご健在なら、まめに電話などをしてあげてください。 安倍首相が呼びかけた「オンライン帰省」をしたり、スマホが使えないときには頻繁に電話をする、電話してテレビ体操を一緒にやるとか、いつも以上に寄り添ってください。 高齢者はマジで、新型コロナ……怖がっていますから。歩かなくなると、たちまち足腰弱まりますから、とにもかくにも元気な大人は「高齢者と子供ファースト」でお願いします』、「一人で暮らしているおじいちゃん、おばあちゃんが、自宅で孤立しないように、地域の人が声をかけたり、一緒に散歩したり、「隣人」である「私」たちの協力も必要となる。難しい問題ではあるけど、町内会やマンションの理事会の積極的な関わりが求められている」、その通りだ。
・『高齢化社会の現実に沿った価値観をつくり直す時期  日本の介護の仕組みが、高度成長期の「家族のカタチ」をスタンダードにしたもので、1979年に発表された自民党の政策研修叢書『日本型福祉社会』を変えることなく、踏襲し続けたことが、さまざまなひずみを生じさせ、ごまかしごまかししてきたことが「命の現場」を弱体化させたということは何度も書いた(直近ではピント外れ支援策の根底に「昭和の遺物」的思考)。 そして、今、こうした価値観を大きく変えなければならない段階に来てしまった。いったん開いてしまった「パンドラの箱」は、どうやっても閉じることはできない。今まで気が付いているのに、その場しのぎにしてきた問題に向き合わざるを得なくなった。 人生の最終章をどう生きる? そのために何をすべきか? いくら負担するか? パンドラの箱の片隅の希望の石を見つけるにはどうしたらいいのか? 一人ひとりが考えることから、始めるしかないと思う』、確かに正論だが、いきなり突き放されても戸惑ってしまうので、考える上でのヒントのようなものが欲しいところだ。
タグ:介護崩壊を大企業のリソースで止められないか 「新型コロナがとどめ「人生最後の砦」介護現場は崩壊へ」 海外でも介護施設が悲惨な状況に 在宅介護はリスクが高いが、現場も崩壊寸前。何が正解なのか分からない。出口のない迷路に入り込んでいる 新型コロナの後、問題はさらに深刻に 高齢化社会の現実に沿った価値観をつくり直す時期 高齢者を不安にする新型コロナ 認知症が多くなる社会は「人との関わり」が不可欠 後手に回った介護分野への対応 「世界で続出する介護崩壊、問われる大企業の社会的役割」 河合 薫 日経ビジネスオンライン (その5)(河合 薫氏2題:新型コロナがとどめ「人生最後の砦」介護現場は崩壊へ、世界で続出する介護崩壊 問われる大企業の社会的役割) 介護 分刻みで働かされる訪問介護の現場 介護は……命の現場 0時間契約 介護の仕事ってすべてが濃厚接触 ヘルパー高齢化で先が見えない訪問介護 求められる広範で迅速な情報提供 「小中高一斉臨時休校」で介護現場の人手不足は加速 「休業すれば受け皿がない」と、利用者の受け入れを続けている施設は多い 要介護者を「社会全体」で支え合うという理念の下、介護保険制度が創設された2000年以降、ごまかしごまかししてきたことが「命の現場」を弱体化させた 名古屋市では感染者が出た施設を含め、市内の計126施設に7日から2週間の休業を要請 1979年に発表された自民党の政策研修叢書『日本型福祉社会』を変えることなく、踏襲し続けたことが介護現場で働く人たちとその利用者=高齢者を断崖に追いつめている 40年前の家族スタイルを前提にしたシステム 「介護保険のホームヘルパーは、もはや絶滅危惧種」とうたうメディアもある 現役の介護ヘルパーが国を相手どり訴え 老老介護 約4割が60歳以上。65歳以上は約2割 ホームヘルパー
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