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働き方改革(その26)(テレワーク拡大を妨げる同調圧力 2万人緊急調査から見えてきた課題、テレワークできるのにやらない…日本での普及を阻む「3つの壁」 ポスト・コロナの働き方を考える、小田嶋氏:Zoomに心を許さない理由) [企業経営]

働き方改革については、4月13日に取上げた。今日は、(その26)(テレワーク拡大を妨げる同調圧力 2万人緊急調査から見えてきた課題、テレワークできるのにやらない…日本での普及を阻む「3つの壁」 ポスト・コロナの働き方を考える、小田嶋氏:Zoomに心を許さない理由)である。

先ずは、4月28日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した株式会社パーソル総合研究所 主任研究員の小林祐児氏による「テレワーク拡大を妨げる同調圧力、2万人緊急調査から見えてきた課題」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/235942
・『緊急事態宣言の対象地域が全国に広がってから10日が過ぎた。新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、テレワーク実施に踏み切る企業も少なくないが、実際のところ、出社抑制にはまだまだ課題も多い。どうすれば、テレワークを拡大できるのか。パーソル総合研究所の緊急調査データを基に解説する』、「緊急調査」とは興味深そうだ。
・『テレワーク実施率は1カ月で約2倍に 全国2万人超への調査で判明  連日報道されている通り、一斉休校、外出自粛要請、そして緊急事態宣言などを契機として、テレワークが一気に広がりだした。こうした状況を見て、パーソル総合研究所では、テレワークの実態について2万人を超える規模の緊急調査を3月、4月と2回にわたって実施した。 果たして、日本においてテレワークのこれ以上の拡大はあり得るのだろうか。少しでもエビデンスに基づいた議論を行うために、ここでは全国の20~59歳、2万人超を対象にした本調査のデータを用いながら検討したい。 まず、4月調査時の従業員のテレワーク実施率は27.9%と、約1カ月前の3月調査時(13.2%)と比べて、2.1倍に伸びた。急速なテレワーク拡大が進んでいる。簡易的に推計すれば、全国でおよそ761万人がテレワークを実施していることになる。 従業員のテレワーク実施率(グラフはリンク先参照) また、4月の調査(4月10日~12日)直前の4月7日には、7都府県に対して緊急事態宣言が発令された。その後、4月16日には、宣言対象地域が全国へと拡大された。では、この緊急事態宣言により、テレワークは進むだろうか。 そもそも「テレワークを実施していること」と、「完全に出社しないこと」は異なる。接触を防ぐ目的に照らせば、一部の業務がテレワークで行えても、出社してしまえば、必然的に人との接触頻度は増えてしまう。調査データから、先に対象となった東京・大阪など7都府県における「出社」率を見ることで、緊急事態宣言の効果を見てみよう。 緊急事態宣言後の出社率の推移(グラフはリンク先参照) 7日夜に7都府県に対して緊急事態宣言が出された翌日、8日水曜日の出社率がマイナス6.2ポイントと最も大きい減少幅だった。それ以降はマイナス2.8ポイント、マイナス0.5ポイントと、あまり減少していない。つまり、出社率で見れば、それほど大きな変化がない、という実態が明らかになる。要因はいくつも考えられるが、すでに東京などでは緊急事態宣言が予想されており、テレワークを行う気がある企業はすでにテレワークに移行していたということがあるだろう。 次ページでは、テレワーク実施率を都道府県別に見てみよう。このデータを見ると、緊急事態宣言が最初に発出された都府県は、他地域と比較してテレワーク実施率が高い。また、これらの都府県では、3月調査時と比較してもその実施率が増加している。厳密に見るにはサンプル数に限界はあるが、最上位になった東京都と最下位となった山口県は10倍以上の差が開いている』、「テレワーク実施率は1カ月で約2倍に」、とはいえ、「4月調査時の従業員のテレワーク実施率は27.9%」、と水準は依然低い。出社率も58.5%と高水準のようだ。
・『テレワーク拡大を阻む「心の足かせ」とは?  緊急事態宣言が全国に広がった今、特に平日の感染拡大を防ぐには、より広くテレワークを推進するほかない。では、どうすればテレワーク実施がさらに拡大できるのか。 テレワーク拡大を阻む要因を探るため、まずは「テレワークを実施できていない理由」を見てみよう。調査結果では、「テレワークで行える業務ではない」が47.3%、「テレワーク制度が整備されていない」が38.9%となった。これだけ見れば、テレワーク実施には業務や制度上の現実的なハードルが高いことが要因のように見えるし、現在世間でも多く議論されている。しかし、もう少しデータを読み解けば、違う見方ができる。 テレワークが実施できていない理由(グラフはリンク先参照)  結論を端的に言えば、現段階におけるテレワーク拡大の最も高いハードルは、人々の「危機感の濃淡」にある。 先ほどの都道府県別のテレワーク実施率と、その当時(4月10日)におけるその都道府県の新型コロナウイルス感染者数の相関係数は0.79と、かなり強い相関関係にある。つまり、「テレワークが実施できない」という現実的制約よりも、まだ周囲に感染者が少なく、「大丈夫だろう」と感じている企業・従業員が多くいることのほうが、テレワーク実施率に影響しているということだ。 ほとんどの企業活動、従業員の業務は、「他者」との相互行為を含んでいる。多くの仕事は、同僚、上司などの職場関係や、クライアントや同業他社、取引先などと関係しながら進んでいく。つまり、以下の図の左で示したような単純なモデルのように、「危機感の強い企業・個人から徐々にテレワークしていく」ということは、現実的には難しい。実際には図の右のように、周囲の関係する他者との相互作用によって、危機感が強い人がいるとしても、理想よりもテレワークを実施できない。つまり、「足かせ」をはめられているような状況になる。 完全テレワークは「ひとり」「1社」単位ではできない(グラフはリンク先参照)  調査においても多数を占めた「テレワークではできない業務がある」の「できない」の中には、例えばクライアント先の設定した納期に間に合わないだとか、他社が電子取引に対応していないだとか、会社全体の業務指示だとか、個人や個社にとっては「どうしようもない」ようにみえる制約が多数含まれているだろう。「同僚が出ているから」という同調圧力に打ち勝てない個人などもたくさんいるはずだ』、「調査においても多数を占めた「テレワークではできない業務がある」の「できない」の中には・・・個人や個社にとっては「どうしようもない」ようにみえる制約が多数含まれているだろう。「同僚が出ているから」という同調圧力に打ち勝てない個人などもたくさんいるはずだ」、なるほど。
・『政府やメディアの啓蒙施策だけではテレワークの「足かせ」を断てない  なぜこうした当たり前のことをわざわざ整理したのかというと、それがテレワーク推進の「次の一手」に関わるからだ。政府の呼びかけやメディアを通じた情報拡散など、現在行われている啓蒙施策は、「多数」を相手に「面」で展開するがゆえに、個人や個社に対しての「危機感の底上げ」の効果を持つ。これはもちろん前提として必要なのだが、残念ながら先ほどのような相互作用を断ち切る機能を直接的に有していない。現状、自分はテレワークをしたくても、「足かせ」が付いた状態でできない事情を抱える個人や会社にとっては、「そう簡単に言うな」と反発心を覚えかねない。テレワークを推進するという真の目的を達成するためにも、そうした反発心を蓄積していくのは極めてまずい。 これ以上のテレワーク拡大を狙うフェーズでは、「足かせを断つ」、つまり互いにテレワークできなくさせるような会社間・個人間の相互作用をなくしていく施策を押し進めることが必要だ。 具体的には、「会社間」の問題については、業界団体を通じた納期緩和や電子取引の依頼、呼びかけや、大企業からの同様の通達などが考えられる。中小企業は相対的に弱い立場にある。集団的な交渉を行うことや、強い立場の企業から救済に乗り出すことが有効ではないか。個人の問題については、企業トップからのメッセージングや、「出勤承認制」によって、テレワークをすることを社内のデファクトスタンダード(事実上の標準)にすることも有効だろう。こうした呼びかけによって、自社や自身“だけ”でなく、「みんながテレワークをするはずだ」「テレワークすることが当たり前だとみんなも感じているはずだ」という集団レベルの意識を形成する必要がある』、「これ以上のテレワーク拡大を狙うフェーズでは、「足かせを断つ」、つまり互いにテレワークできなくさせるような会社間・個人間の相互作用をなくしていく施策を押し進めることが必要だ」、実際には時間もかかり、なかなか難しそうだ。
・『テレワーク拡大には「みんなやってる」状態を広げること  テレワークの現状を、ノーベル経済学賞を受賞したトーマス・シェリングの「臨界質量critical mass」の考え方を借りて整理してみよう。 (臨界質量のグラフはリンク先参照) 図のように、「自分自身がテレワークをするかどうか」を縦軸に、「他者がどのくらいテレワークをしているか」を横軸にしたとき、それぞれの数値の比例関係は一定ではない。企業活動には先ほどのような相互作用が常にあるので、他社や他人が「まだテレワークをしていない」ということを認識し続け、それに影響をうける。実施率が伸びていき、図の中の臨界値を超えたあたりで、「みんなやっているから自分もやらないとまずい」という右上の赤いゾーンに入り、一気に伸びていく。 全国規模のテレワークという初めての事態で、この臨界値に参照できる基準などないが、実施率の差を見ると、おそらく東京の企業や、大企業では、この右上のゾーンにすでに入っているが、地方の中小企業では、左下のゾーンにとどまっている。まさに今求められているのは、この臨界値をできるだけ左下に寄せていくこと、つまり「みんなやっている」ゾーンを広げていくことに他ならない。そのためには政府・行政による戦略的なコミュニケーションや、個社を超えたレベルの企業の動きが必要になる。 そうした集団的な判断や呼びかけに参照してもらえるよう、パーソル総合研究所では、テレワーク実施率のデータを職種別・業界別に細かい粒度で公開している。一研究者としても、人々が少しでも接触頻度を減らし、ウイルス感染の抑制につながることを願ってやまない。 【訂正】記事初出時より以下のように修正しました。3ページ目図版:都道府県別テレワーク実施率ランキング 37位富山県、38位岡山県、39位広島県→すべて37位、44位岩手県、45位秋田県、46位長崎県→すべて44位(2020年5月8日18:00 ダイヤモンド編集部)』、「トーマス・シェリングの「臨界質量critical mass」の考え方」を使って、「「テレワーク拡大には「みんなやってる」状態を広げる」べく、「政府・行政による戦略的なコミュニケーションや、個社を超えたレベルの企業の動きが必要」、と結論付けたのはさすがだ。

次に、5月6日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの治部 れんげ氏による「テレワークできるのにやらない…日本での普及を阻む「3つの壁」 ポスト・コロナの働き方を考える」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/72315
・『緊急事態宣言が当初の期限である5月6日から31日まで延長になった。政府は「人と人との接触を8割減らす」ことを目標にしてきたが、感染者の減少がまだ十分ではなく、医療崩壊の可能性が懸念されるためだ。 「8割減」に向け、テレトワークの導入や不要不急の外出自粛が要請されてきたが、日本におけるテレワークの利用率の低さが問題視されている。 いったい何が「テレワークの壁」になっているのか。原因を3つに分類し、それぞれの実状や問題点、個人にできることを考えてみたい』、「「テレワークの」「3つの壁」、とは面白そうだ。
・『テレワークの壁1:できるのにやらない  最初の壁は、テレワークが可能な職種なのに、やらないという問題だ。総務省の調べによると、テレワークの進み具合を3段階(低・中・高)で分けた場合、日本は低と中の間に位置する。IPSOS社の2011年調査をもとに、最も進んだ地域は中近東・アフリカやラテンアメリカ(共に普及率27%)だとしている。欧米は日本より進んでいる。 やらない/やれない理由のひとつは、端末や通信環境が未整備ということだ。中には資金に余裕がない、という声も聞く。また、環境以上に問題なのは意識だ。特に管理職で、部下が目の前にいないと仕事をしているか分からない、評価できないという人が少なくない。 私は自営業で取引先は官公庁から民間企業まで多様である。公的機関より民間企業の方が、古くて大きな組織より、新しくて小さな組織の方が、そして日本の組織より欧米本社の組織にテレワークが根づいている。 緊急事態宣言に先立ち、2月中旬頃から外資系コンサルティング会社や、技術力の高い日本のベンチャー企業はテレワークに切り替えていた。通勤や密集したオフィスでの感染を心配せず、自宅で仕事に集中できてよかった、という話を直に聞いた。 これから就職・転職する人には「コロナ対応」を軸に勤務先を選ぶことをお勧めしたい。「書類にハンコが必要」といった商慣習を今なお変えようとしない組織は、できれば避けた方がいい。古いルールに縛られて、従業員の健康を後回しにしているからだ。 私自身は、社員数300名ほどのベンチャー企業で働いた経験がある。創業経営者は日本の巨大企業出身だった。大企業の問題点を反面教師としてハンコを使わずに、上司の決裁を得て仕事を進め経費精算ができる仕組みがあり、働きやすかった』、「テレワークが可能な職種なのに、やらないという問題」で、「環境以上に問題なのは意識だ。特に管理職で、部下が目の前にいないと仕事をしているか分からない、評価できないという人が少なくない」、「管理職」がいまだにそんなことをうそぶいていられるのも、トップがそれを放置しているからなのだろう。
・『テレワークの壁2:コミュニケーションが難しい  実際にテレワークをしている人には、この2つ目の壁が最も気になるのではないだろうか。特に「対面でコミュニケーションする」ことが重要な職種では困難を感じるだろう。 私は今、ZoomやTeams、Facebookメッセンジャーの電話機能や通常の音声通話を使って多くの人とやり取りしている。もともとメールのやり取りが多く、対面せずに物事を進めることに慣れていたため、ポスト・コロナの働き方は、これまでの延長線上にある。 その大きな要因として、取引先のほぼ全員と「コロナ前」に会っている、というのがある。これまで対面で話を重ね、信頼関係ができているから「話をする場」をリアルからオンラインに移行できたわけだ。逆にいえば、全く顔を合わせたことがない人とオンラインでやり取りを始めて仕事を進めることは、それほど簡単ではない。 4月27日、一般社団法人営業部女子課の会が公表した「コロナ時代のモノの売り方~営業職のテレワーク」調査には、非対面の課題がよく表れている。315名の回答者中、62%が女性であり、全体の71%が法人営業に携わっている。そしておよそ6割の人が「リモート営業で困っている」と回答している。 困っている理由としては、「顧客との信頼関係の強化について」「顧客側の環境が進んでいない」「顧客とのアポイントが取りにくい(オンライン商談等)」が挙がった。 具体的には次の通りだ。 「訪問すれば、いろんな情報を収集できる。リモートでは余計な話をして長引かせてはいけないと思い、関係が希薄になるのではないかという懸念がある」 「微妙な顔色や反応を感じとることが難しい。また名刺交換ができないため、その後のフォローがしにくい(メルアドや電話が不明)。会社の電話番号を前から知っていたとしても、先方もリモートのため電話がつながらない」「商品に触れてもらえないので素材の良さを伝えるのが難しい。興味が薄くても触ってもらうことで興味を引き出していたので。印象に残るようなコンタクトが難しい」 実際に相手のオフィスを訪問すれば、話の内容だけでなく、従業員の様子や会議室のインテリア等からも先方の価値観や好みを感じ取ることができる。リモートでは、話をする相手の上半身しか見えない上、背景すら分からないことがある。 また、「テレワークの壁1」で指摘した課題を相手が抱えている場合は、より困難になる。 「相手側の環境、リテラシーがないと、こちら側はいくら環境が整っていても無理。そもそも営業先(飲食店や百貨店など)が休業しているので営業どころではない」「ITリテラシーが低い世代(特に部課長クラス)は、リモート営業に懐疑的」 こうした現場の声を裏付けるのが政府の統計だ。2018年版の情報通信白書によれば、日本企業におけるテレワークの普及率は14%程度であり、若い世代ほど利用希望者が多いが、中高年以上は敬遠していて世代間ギャップが見て取れる。 営業部女子課は、もともとリクルートの営業を経験した太田彩子さんが、女性の営業職を増やすことを目指して作った全国の女性営業職をつなぐネットワークだ。太田さんは、営業職が女性の経済的自立につながる職種という実体験に基づく信念がある。リモート営業の難しさだけでなく、克服方法や工夫についても情報収集している。今回の調査に加えて、営業部女子課で開催したZoom会議では、こんな意見も出たそうだ。 「声のトーンや画像の遅れなどを考慮しゆっくり話す、ポイントをかいつまんで話す」「新規顧客との商談前には『自分の自己紹介(プライベート含め)』ページを表示して、相手との距離を縮めている」「商談の冒頭は自ら自己開示し、積極的に話した。顔を画面にかなり近づけて(笑)、オーバーリアクションが大事」 ここで共有されている工夫は、営業職以外の人がウェブ会議などをする時も参考になりそうだ。ゆっくり、ポイントをまとめて話すこと、相手との距離を縮めるための自己開示の工夫、そして分かりやすい反応を示すこと――今日の仕事から使ってみたい』、「「コロナ時代のモノの売り方~営業職のテレワーク」調査」、で「「訪問すれば、いろんな情報を収集できる。リモートでは余計な話をして長引かせてはいけないと思い、関係が希薄になるのではないかという懸念がある」 「微妙な顔色や反応を感じとることが難しい。また名刺交換ができないため、その後のフォローがしにくい」、などさすがよくポイントを突いているようだ。
・『テレワークの壁3:エッセンシャル・ワーク  最後に、仕事の性質からテレワークができない職種について考える。医療、介護、保育など人の直接的なケアをする職業や、郵便、宅配便など物理的にものを運ぶ職業、食料品販売業や清掃業、運輸業などが該当する。特徴は、サービス提供と消費が同じ場所であることだ。 海外で都市封鎖を実施している国でも、こうした職種「Essential work(エッセンシャル・ワーク/必要不可欠な仕事)」に従事する人は出勤を認められている。これは労働者にとっては良い面と悪い面がある。良い面はコロナ対応で需要が減らず(むしろ増えることもある)、雇用と収入が維持できること。悪い面は通勤しなくてはいけないことと、対人接触を減らせず感染リスクがあることだ。 私たちは皆、エッセンシャル・ワークに依存して生活している。それに従事する人たちがいなくては生活が成り立たないから、まさにエッセンシャルな仕事だ。「重要な仕事を担う人たちが公衆衛生上のリスクを負うのは不公平なことだ」ともし思うなら、この分野において行動を変えるべきは労働者ではなく消費者だろう。エッセンシャル・ワークの中には、重要度やリスクに見合わない、低賃金の仕事もある。この問題は私たち消費者の意識を変えないと解決できないものだ。 最後に2つ提案したい。第一に、消費者はエッセンシャルワーカー達に過剰なサービスを要求しないこと。第二に料金の値上げがあった場合、それが働き手の賃金に回るなら、受け入れることだ。ポスト・コロナの働き方を考える時は、同時に消費者の期待のありようも変える必要がある』、「提案」の「第一」はいいとしても、「第二に料金の値上げがあった場合、それが働き手の賃金に回るなら、受け入れること」は、「働き手の賃金に回る」か否かは、消費者には判断しようがなく違和感がある。

第三に、5月1日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「Zoomに心を許さない理由」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00068/?P=1
・『緊急事態宣言が出てからこっち、世の中の設定が、すっかり変わってしまったように見える。 にもかかわらず、先週も書いたことだが、私の生活はたいして変わっていない。 あるいは、私はずっと以前から緊急事態を生きていたのかもしれない……というのは、はいそうです、格好をつけただけです。本当のところを申し上げるに、私の生活は、緊急性とはほぼ無縁だ。それゆえ、このたびの事態にも影響を受けていない。それだけの話だ。 ブルース・スプリングスティーンの歌(1973年に発売されたアルバム「アズベリー・パークからの挨拶“Greetings from Asbury Park, N.J.”」に収録されている“For You”という歌です)の中に 「おい、人生ってのはひとつの長い非常事態だぞ」(Your life was one long emergency)という素敵滅法な一節がある。 私は、残念なことに、そういうロケンロールな生き方をしていない。 いたって暢気に暮らしている。 とはいえ、こんなにも蟄居して暮らすのは、たぶん大学に入学した最初の年の夏に軽い虚脱状態に陥って以来のことだ。 そこで、今回は、人間が部屋に引きこもることの意味について考えてみたい。 このことは、同時に、われわれが他人と会うことの意味を考える機会にもなるはずだ。 このたびの蟄居生活の中で、いくつかのテレワークでの会議仕事を経験した。 アプリの名前を挙げるなら、Zoom、Skype、Lineのグループ通話(アプリによっては「会議」と呼び習わしたりする。実態は同じ。つまり、「離れた場所にいる複数の人間が、ひとつの画面上で同時通話をする」ことだ)を使って会議をしたことになる。この原稿を書いている3日後には、マイクロソフトのTeamsという会議ソフトを使ったインタビュー取材を受けることが決まっている』、小田嶋氏はIT機器には詳しいので、既に多くの「テレワーク」「アプリ」を使いこなしているようだ。
・『これまで、Skypeなどを使ったテレビ電話の経験をまるで持っていなかったわけではないのだが、ありていに言えば、私は、一度か二度ためしてみた上で、それ(テレビ電話)を見限っていた。理由は、 「相手の顔が見える必要は感じないし、自分の顔を相手に見せる理由なんかもっとないぞ」と思ったからだ。実際、通話の間、自分がどんな顔をしていれば良いのやら、見当がつかない。なのでとても疲れる。 3人以上でのグループ通話も、2年ほど前にやってみたことはあるのだが、なんだか学生演劇の稽古風景みたいで、ひたすらに照れくさく思えた。なので、以来、封印していた。 それが、今回、インタビュー取材(被取材)、編集会議、配信コンテンツ収録、ネット麻雀(ウェブアプリ+Lineグループ通話)という、いくつかの違った枠組みで、次々と新しい遠隔ミーティングを経験する運びになった。 世の中の進歩は、われわれを放っておいてくれない。こっちが二の足を踏んでいても、先端技術のほうが末端の人間を取り込みにくる。 他方、週に一度のペースで出演しているラジオ番組では、コロナ感染の危機を回避すべく、この4回ほど、電話(に加えてSkypeを使うこともあります)による出演が続いていたりする。 冒頭で自分の暮らしぶりが変わっていない旨をお伝えしたばかりなのだが、あらためて振り返るに、私の情報環境は、どうやら、かなり劇的に変貌しつつある。ただ、私自身がテレワークの環境にうまく適応できていないというだけのことなのだろう。 総体として言えるのは、電話出演やグループ通話やテレビ会議でのオダジマは、空回りをしているということだ。 なんというのか、画面上の人間を相手にしゃべっている時の自分は、口数が多い一方で、くだらないことばかり言っている気がするのだ。 理由はある程度わかっている。 画面(あるいはインターネット回線)を間にはさんだ対話に参加している人間たちは、リアルで対面している時に比べて、「空白」「沈黙」「間」を恐れる傾向がより顕著になる。このことが、会話を散漫な方向に導くのだ。 実際、テレビやラジオの出演に慣れていない出演者は、「空白」を過剰にこわがると言われている』、「(テレビ電話)を見限っていた。理由は、「相手の顔が見える必要は感じないし、自分の顔を相手に見せる理由なんかもっとないぞ」と思ったからだ」、確かにその通りだ。「テレビやラジオの出演に慣れていない出演者は、「空白」を過剰にこわがると言われている」、あり得る話だ。
・『こっちが視聴者なりリスナーなりの立場で放送コンテンツを鑑賞している時には、多少の間があっても不自然には感じない。むしろ、昼間のラジオ番組などでは、対話のアタマと尻尾に適当に沈黙がはさまっているほうが、落ち着きがあって聴きやすかったりする。 ところが、出演する立場になると、0.5秒の返事の遅れや、「えーと」と言ってからの1秒の間が、放送事故に思えてしまう。それで、あわててしまってつまらないことを口走ったり、さらに致命的な沈黙に沈み込んでしまったりするわけなのだが、パソコンを介した多人数同時対話のメンバーが味わうことになる焦りも、これに似ている。 であるから、テレビ会議参加者は、無意識のうちに沈黙を消しにかかる。 と、言わずもがなの凡庸な感想や、生煮えの見解をあえて口に出して墓穴を掘ることになる。 私自身、この10日ほどの間に経験したいくつかのテレビ会議で、毎回バカな空回りをした自覚を抱いている。 野球で言えば、ボール球に手を出してボテボテの内野ゴロを打った感じだ。 どうしてそんなことが起こるのか。 たぶん、平常心を失っているからだ。 では、どうして平常心を失うに至るのか。 それは、テレビ会議に集うメンバーがその枠組みに慣れていないからでもあるのだが、それ以上に、社会的動物たる人間が、「孤独な環境の中で親和的に振る舞う」ことにうまく対処できないからなのではあるまいか。 やや難しい話をしている。 冒頭のところで、大学一年生の時に虚脱状態に陥ってしばらく引きこもりの暮らしをした話をした。 この話題(つまり「孤独」と「親和性」の話)は、その時点にさかのぼって書き起こしにかからないといけない。でないと、真意が伝わらない。 大学に入学した最初の年の夏まで、私は、本格的な孤独を経験したことがなかった。 「孤独」という大げさな言葉を使っていることに失笑している読者もいらっしゃると思うのだが、大学に進んだ最初の年の大学生にとって、孤独は、いまも昔も、致死的に重大なテーマなのである。 最近の学生は、あらかじめスマホを握って生まれてきているので、真正の孤独に陥ることは少ない(←いつだったか、ある若い人から「スマホを持っていながら対話する相手を持っていない孤独こそが本当のガチな孤独ですよ」という見解を伝えられたことがある。たしかに、多くの人々の孤独を癒やすツールは、本当に孤独な人間の孤独を増幅するツールでもあるのかもしれない)と思うのだが、私の世代の学生は、大学に進学した時点ではじめて、 「クラスルームが存在しない学校」に直面したものだった。 クラスルームが無いということは、クラスメート(級友)がいないということでもある。それまでの学校生活を通じて、私は、常に大勢の友人たちの中心にいた。教室には常に級友たちがいて、放課後といわず昼休みといわず、われわれは、いつもじゃれあったりふざけあったりして過ごしていた。 それが、突然、何万人もの見知らぬ薄汚い学生が行ったり来たりしているキャンパスに放り込まれたのだから、調子を狂わせないほうがおかしい。 私は、これまで、19歳の時に、自分が軽い引きこもりになった事態について、 「受験勉強の圧力から解放されたことによる虚脱」であるとか 「すべての時間を自分で管理できる生活への不適応」みたいな言葉で説明していたのだが、実際には、19歳時点のオダジマは、誰も知り合いのいないキャンパスで授業を受けることの寂しさや、一人で昼飯を食うことのキツさに単に参ってしまっていたのだ。そう考えるほうがスジが通っている。実際、どうにも意気地のない話ではあるし、自分ながらなさけないなりゆきだとも思うのだが、そっちの解釈のほうがずっと本当らしいのだから仕方がない。要するに、オダジマは孤独に負けたのである。 で、苦しんだ結果、私は、なぜなのか、不思議な考え方を身につけるに至る』、「テレビ会議参加者は、無意識のうちに沈黙を消しにかかる。 と、言わずもがなの凡庸な感想や、生煮えの見解をあえて口に出して墓穴を掘ることになる」、「社会的動物たる人間が、「孤独な環境の中で親和的に振る舞う」ことにうまく対処できないからなのではあるまいか」、確かに「無意識のうちに沈黙を消しにかかる」、のは思い当たる節がある。
・『具体的に申し上げるなら、オダジマは、その時以降、 「大人になるということは、一人で過ごす時間に適応することだ」「孤独を愛せない人間は自分自身を愛することができない」「ツルんでる連中は要するにアタマが悪いのだ」「ちいちいぱっぱは20歳前に卒業しないといけない」 てな調子で、孤独を武器に生きていく決意を固めたわけなのだ。 まあ、若い人間にはありがちなことだ。 しかも、私は、その時に強く心に刻み込んだその決意からいまだに自由になっていない。 いまでも時々顔を出すチームスピリットや集団性への敵意は、たぶん、この時に身につけたものだと思っている。 自分ながら、半分ほどは、やっかいな病気だと思っているのだが、残りの半分では、この孤独を失ったら自分が自分でなくなると感じていたりもする。 この感覚は、恐怖心に近いものだ。 なので、私は、一人で自分の部屋にいる時の自分と、公共の場所で他人とともに過ごしている時の自分が、ひとつながりの同じ人間であるという実感を、明確に抱くことができない。だからこそ、自室からテレビ電話経由で他人と対話をしていることに、なかなかうまく適応できないのだと思っている。 これ(様々な場面で、自分自身の身の置きどころを見つけられないこと)は、しかし、私に限ったことではない。 誰であれ、一人で過ごしている時と、他人と共存している時では、多かれ少なかれ人格を変容させている。とすれば、テレワークの会議で自分自身を見失ってしまうことは、むしろ自然な反応であるはずだ。 ずっと昔に読んだ心理学だったか社会学だったか社会心理学だったかの本に、こんなことが書いてあった。きちんと出典を探し出して、原著を手に入れて正確に引用した上で話ができればそれはそれでこのテキストも、もう少し学問的に信頼の置ける文章になるかもしれないのだが、当稿はそういう原稿ではない。 私が読んだのは、ドイツ軍のある将校が、ナチスの制服を着ることで自身の人格を「区画化」しているというお話だった。つまり、制服を脱いで自宅でくつろぐA氏は良き夫であり優しい父であり、温厚なご近所さんでもある。ところが、ひとたび制服を着用するや、A将校は、冷酷無比な死刑執行人として、顔色ひとつ変えずに職務に従事したのである。 ナチスの将校でなくても、われわれは、公的な人間として振る舞う時、社会に対峙するための服装と肩書と場と決意の助けを借りている。もっと言えば、当たり前の人間に見えるビジネスパーソンとて、その一人ひとりは、背広という社会的外骨格を装着し、通勤という社畜生成過程の通過儀礼をくぐりぬけることではじめてそれらしい機能を果たし得ているのである。 とすれば、猫の毛がふわふわしている自室で、息子が食べ残したクッキーなんかを食べつつ、GU謹製のルームウェア上下1980円也を身にまとった状態でテレワークの会議に出ている営業部長53歳が、チームを率いるリーダーとして十全な役割を果たせる道理は皆無なわけで、実に、裸に剥いた孤独な人間は、社会的には役立たずなのである』、「誰であれ、一人で過ごしている時と、他人と共存している時では、多かれ少なかれ人格を変容させている。とすれば、テレワークの会議で自分自身を見失ってしまうことは、むしろ自然な反応であるはずだ」、「裸に剥いた孤独な人間は、社会的には役立たずなのである」、さすが鋭い指摘だ。
・『私の場合は、テレワーク不適応の意味合いが少し違う。 というのも、私自身、コラムニストとしての独自の視点を防衛するためには、孤独であることから逃避してはいけない、と、強くそう思い込んでいたりするからだ。 してみると、テレワークは、その私自身のかけがえのない孤独を決壊させる何かであるかもしれないわけで、それをオダジマは警戒してやまないわけだ。 いずれにせよ、テレワークの会議は、一個の人間が自分の中に持っている孤独と社会性のいずれか(あるいは両方)をゆさぶりにかかる。そういう意味で、なかなか油断のできない相手なのである。 コロナ蟄居下での経験を生かして、テレワークや大学のオンライン授業を日常化しようと画策している人々がいる。 私は彼らの考えを支持しない。 学生であれ会社員であれ、自室にこもっている時の自分と、他人とツルんでいる時の自分はきちんと区画化しないといけない。 テレワークを介して、自室に会社員の自分を召喚したり、逆にオフィスにプライベートの自分を派遣したりしたら、あるタイプの人間は破滅する。 私は間違いなく破滅するタイプだ。 なのでZoomには心を許さない。絶対にだ』、「テレワークの会議は、一個の人間が自分の中に持っている孤独と社会性のいずれか(あるいは両方)をゆさぶりにかかる。そういう意味で、なかなか油断のできない相手なのである」、「テレワークを介して、自室に会社員の自分を召喚したり、逆にオフィスにプライベートの自分を派遣したりしたら、あるタイプの人間は破滅する」、「テレワーク」に対する小田嶋氏んお違和感を、ここまでかみ砕いて、一般化するとは、完全に脱帽だ。
タグ:働き方改革 (その26)(テレワーク拡大を妨げる同調圧力 2万人緊急調査から見えてきた課題、テレワークできるのにやらない…日本での普及を阻む「3つの壁」 ポスト・コロナの働き方を考える、小田嶋氏:Zoomに心を許さない理由) 小林祐児 テレワークを介して、自室に会社員の自分を召喚したり、逆にオフィスにプライベートの自分を派遣したりしたら、あるタイプの人間は破滅する テレワークの会議は、一個の人間が自分の中に持っている孤独と社会性のいずれか(あるいは両方)をゆさぶりにかかる。そういう意味で、なかなか油断のできない相手なのである 裸に剥いた孤独な人間は、社会的には役立たずなのである 誰であれ、一人で過ごしている時と、他人と共存している時では、多かれ少なかれ人格を変容させている。とすれば、テレワークの会議で自分自身を見失ってしまうことは、むしろ自然な反応であるはずだ 社会的動物たる人間が、「孤独な環境の中で親和的に振る舞う」ことにうまく対処できないからなのではあるまいか テレビ会議参加者は、無意識のうちに沈黙を消しにかかる。 と、言わずもがなの凡庸な感想や、生煮えの見解をあえて口に出して墓穴を掘ることになる テレビやラジオの出演に慣れていない出演者は、「空白」を過剰にこわがると言われている (テレビ電話)を見限っていた。理由は、 「相手の顔が見える必要は感じないし、自分の顔を相手に見せる理由なんかもっとないぞ」と思ったからだ アプリの名前を挙げるなら、Zoom、Skype、Lineのグループ通話 蟄居生活の中で、いくつかのテレワークでの会議仕事を経験 「Zoomに心を許さない理由」 小田嶋 隆 日経ビジネスオンライン テレワークの壁3:エッセンシャル・ワーク テレワークの壁2:コミュニケーションが難しい テレワークの壁1:できるのにやらない 3つの壁 テレワークの 「テレワークできるのにやらない…日本での普及を阻む「3つの壁」 ポスト・コロナの働き方を考える」 治部 れんげ 現代ビジネス 他社や他人が「まだテレワークをしていない」ということを認識し続け、それに影響をうける。実施率が伸びていき、図の中の臨界値を超えたあたりで、「みんなやっているから自分もやらないとまずい」という右上の赤いゾーンに入り、一気に伸びていく 「臨界質量critical mass」の考え方 テレワーク拡大には「みんなやってる」状態を広げること これ以上のテレワーク拡大を狙うフェーズでは、「足かせを断つ」、つまり互いにテレワークできなくさせるような会社間・個人間の相互作用をなくしていく施策を押し進めることが必要だ 政府やメディアの啓蒙施策だけではテレワークの「足かせ」を断てない 個人や個社にとっては「どうしようもない」ようにみえる制約が多数含まれているだろう。「同僚が出ているから」という同調圧力に打ち勝てない個人などもたくさんいるはずだ 「テレワークが実施できない」という現実的制約よりも、まだ周囲に感染者が少なく、「大丈夫だろう」と感じている企業・従業員が多くいることのほうが、テレワーク実施率に影響 現段階におけるテレワーク拡大の最も高いハードルは、人々の「危機感の濃淡」にある。 テレワーク拡大を阻む「心の足かせ」とは? 出社率 4月調査時の従業員のテレワーク実施率は27.9%と、約1カ月前の3月調査時(13.2%)と比べて、2.1倍に テレワーク実施率は1カ月で約2倍に 全国2万人超への調査で判明 緊急調査データ ダイヤモンド・オンライン 「テレワーク拡大を妨げる同調圧力、2万人緊急調査から見えてきた課題」
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