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”ひきこもり”問題(その9)(「ひきこもりの長期化」が招くとても悲惨な結末 「自尊心の喪失」が当事者をさらに苦しめる、ひきこもりを「犯罪者予備軍」扱いする人の愚行 加害者がひきこもりの殺人はわずか0.002%、「生きづらさが改善しない」引きこもり実態調査の深刻な中身) [社会]

”ひきこもり”問題については、2月5日に取上げた。今日は、(その9)(「ひきこもりの長期化」が招くとても悲惨な結末 「自尊心の喪失」が当事者をさらに苦しめる、ひきこもりを「犯罪者予備軍」扱いする人の愚行 加害者がひきこもりの殺人はわずか0.002%、「生きづらさが改善しない」引きこもり実態調査の深刻な中身)である。

先ずは、2月25日付け東洋経済オンラインが掲載した臨床心理士の桝田 智彦氏による「「ひきこもりの長期化」が招くとても悲惨な結末 「自尊心の喪失」が当事者をさらに苦しめる」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/327907
・『ひきこもりが長期化するほど、なかなか外に出ることは難しくなります。というのも、外に出られない期間が長ければ長いほど、自分の欠点ばかりに目がいき、自己肯定感を下げてしまうからです。その果てにどんな事態が待っているのか? 新書『中高年がひきこもる理由―臨床から生まれた回復へのプロセス―』などの著作を持つ臨床心理士の桝田智彦氏が解説します。 誰にでも起こりうるひきこもりだからこそ、他人事ではなく、「自分の事」として捉えることが大切です。そして「自分の事」として捉えるのなら、実際にひきこもっている人たちの心の中でどのようなことが起きているのかを、ぜひ知っていただきたいと思います。 そのことは、ひきこもりという現象自体への理解を深めることにつながりますし、さらに彼らの苦悩を知ることで、彼らへのあなたのまなざしも変わることでしょう。 というわけで、ここからは、ひきこもりに悩んでいる方々の心の中へ分け入ってみたいと思います』、「誰にでも起こりうるひきこもりだからこそ、他人事ではなく、「自分の事」として捉えることが大切です」、「他人事」として捉えていたことを反省させられた。
・『ひきこもり当事者が抱える「罪悪感」  ひきこもりの方々のほぼ全員の心にある気持ち、それは孤独感と罪悪感と言えます。とくに、罪悪感については、「ひきこもりになりたくて生まれてきた人など、1人としていない」ということをお伝えしたいのです。それなのに、ひきこもってしまっている自分……。彼らはそのことへの罪悪感を抱えこんで生きています。 定職に就いて、人並みに結婚して、子どもをつくり、家庭を築くべきだし、でも、そのまえに、とにかく外へ出るべきだし、アルバイトでもなんでもいいから、せめてお金を稼ぐべきだし、といったことは、親や世間の人たちに言われなくても、彼らにはすべて痛いほどわかっています。 私の研究で、ひきこもり状態にある人には「〇〇しなければならない、〇〇すべきである」といった、特有の信念体系があることがわかりました。「〇〇すべき」という信念や思考は不適応状態や心の病の誘い水になることがわかっており、心理学ではイラショナル・ビリーフ(非合理思考)と呼ばれています。 ひきこもり状態にある人たち特有の信念体系であることから「ひきこもりビリーフ」と名付けました。ひきこもりビリーフを、次にご紹介しましょう。 ひきこもり状態にある人たちは、これらのことが「わかっているけれど、できない」から苦しくて、つらいのです。そんな自分のことで、親が悲しんでいることを思うと、罪悪感はいっそう強まり、悲しみと孤独は深まります。 彼らの多くは親や世間が望むように外へ出たいし、仕事に就きたいと思っています。けれども、外へ出て、他者の冷たい視線、無能者を見るような蔑みの視線、不審者に対するような奇異な視線にさらされることが怖くて、家の外へ出られないのです。 さらに、ひきこもる期間が長くなればなるほど、他人の視線がますます気になり、そのため、ますます外へ出られなくなります。なぜなら、自己肯定感が低下するにつれて、セルフイメージ(自分に対する印象)も低下していき、そして、セルフイメージの低い人が最も気にするのが、他人の視線だからです。 セルフイメージが高い人は自信に満ちていますから、他人にどう見られているかをさほど気にかけません。逆に、セルフイメージが低い人は自信が持てなくて、いわば自分の中に自信という「芯」がない状態です。そのため、「ダメなやつだと思われていないだろうか」などと、絶えずビクビクしながら、他人の目を気にするようになってしまうのです。 人一倍、他人の視線が気になるのですから、無職の中高年者が外出することへのハードルは、時を経るにつれて高くなるばかりで、ますます家にひきこもることになると言えるでしょう』、「「〇〇すべき」という信念や思考は不適応状態や心の病の誘い水になることがわかっており、心理学ではイラショナル・ビリーフ(非合理思考)と呼ばれています」、「セルフイメージが低い人は自信が持てなくて・・・「ダメなやつだと思われていないだろうか」などと、絶えずビクビクしながら、他人の目を気にするようになってしまうのです」、なるほど分かるような気がする。
・『人間は「欠点ばかり」注目する生き物  こうして外へ出られないまま、ひきこもっていると、自分の欠点にばかり目が行くようになります。下の図を見てください(リンク先参照)。 ほとんどの方が、一部が欠けている円を選ばれたと思います。人間は他者に対しても、自分自身に対しても、欠けているところ、つまり欠点に注目するようにできているからです。 この特性は進化の過程で人類が獲得したものだといわれています。マンモスがいた先史時代、厳しい自然環境の中で、一歩間違えれば命を落としかねない脅威にさらされながら、人間は狩りをし、生活を続けてきました。 自分や自分の子孫たちの命を守るためには、自分自身や狩猟の仲間に欠けている点、住環境の不備など「あらゆるものの欠点」にいち早く気づいて、素早くそれを補い、修正する必要があったと思われます。 このように、人間はもともと自分や他者の欠点に目が行くようにできているうえに、ひきこもりの方たちは世間から隔絶されて孤立し、自分を肯定する要素は1つとして見いだせないまま、罪悪感にさいなまれながら生きています。すると、自分の欠点以外に目が行かなくなり、「ダメな自分」を責め続けるわけです。 欠点だらけで、いいところが何1つない……。自分のことをそのようにしか思えなくなれば、自分でいいという自己肯定感など持てるはずがありません。あるのは、「誰でもない自分」「何者でもない自分」という感覚です。 誰でもない自分、何者でもない自分とは、他者にとって「透明人間」にすぎません。他者にとっては無視する存在ですらなく、それ以前に、彼らの目には映らない、存在すらしていない透明人間、“インビジブルマン”なのです』、「人間はもともと自分や他者の欠点に目が行くようにできているうえに、ひきこもりの方たちは世間から隔絶されて孤立し、自分を肯定する要素は1つとして見いだせないまま、罪悪感にさいなまれながら生きています。すると、自分の欠点以外に目が行かなくなり、「ダメな自分」を責め続けるわけです」、不幸な悪循環のようだ。
・『「自尊心の喪失」が彼らをさらに苦しめる  このように自分自身を感じるとき、人は生きながら、死んでいるのと同じような心持ちになるのだと思います。 そうなると、服装にも食事にもかまわなくなり、お風呂にも入らなくなり、病気になっても病院にかかる気が起きません。つまり、セルフネグレクトの状態になっていくのです。 ひきこもっている方たちはこうして自尊心を持てなくなり、生きる意欲も欲求も失われていきます。自分が生きていていいとはとても思えなくて、こんな自分は社会にお世話になる価値はないと感じてしまうのです。 ですから、多くのひきこもりの方々は生活が苦しくなっても、社会に助けを求めるという考えすら浮かばない傾向にあります。 社会に助けを求めるという発想すらなく、また、自分には社会のお世話になるだけの価値がないと感じている……。そうなると、最悪、餓死することも考えられるのです』、「セルフネグレクトの状態になっていく」、恐ろしいことだ。

次に、この続き、3月8日付け東洋経済オンライン「ひきこもりを「犯罪者予備軍」扱いする人の愚行 加害者がひきこもりの殺人はわずか0.002%」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/327908
・『なぜ「ひきこもり=犯罪者予備軍」という間違ったイメージが世の中で拡散されてしまったのか?その理由と実際の状況について、新書『中高年がひきこもる理由―臨床から生まれた回復へのプロセス―』などの著作を持つ臨床心理士の桝田智彦氏が解説します。 【2020年3月8日11時15分追記】初出時、サブタイトルと本文でひきこもっている人が起こした殺人の割合の数字について誤りがありましたので修正しました。 自己肯定感があまり持てなかったり、就活でつまずいたり、解雇されたり、いじめや、親の介護などで退職したり、あるいは、再就職した先で屈辱的な思いをさせられたり……。生きていれば、誰にでも起こりうるこのようなことがきっかけとなって、今、多くの人たちがひきこもっています。 つまり、ひきこもっている人たちの大半は少し運が悪かっただけであり、善良で、心やさしく、人づきあいも人並みにできる、ごく普通の人たちなのです』、「ひきこもっている人たちの大半は少し運が悪かっただけであり、善良で、心やさしく、人づきあいも人並みにできる、ごく普通の人たちなのです」、特殊な人々と捉えるべきではないようだ。
・『なぜ「偏見」が生まれたのか?  ところが、2019年5月28日早朝、川崎市の登戸駅近くでスクールバスを待っていた小学生の児童や保護者が、刃物を持った男に次々に襲われるという痛ましい事件が起きました。負傷者18人、死亡者3人(犯人も含む)。幼い子どもたちを無差別に切りつけるという残忍きわまる手口に、犯人に対する激しい怒りの声が上がったのも当然であり、決して許されるものではないと考えます。 犯行自体の残忍さとともに衝撃的だったのは、51歳の犯人の男が伯父夫婦と同居していて、長年、ひきこもり状態だったという事実でした。人々は50歳を過ぎてもひきこもっている人間がいることに驚いたと推察します。そして、ひきこもりと犯罪を関連づけるような形で報道がなされたことで、ひきこもり、すなわち「犯罪者予備軍」というようなイメージが世の中に流布され、拡散されていったのです。 また、この登戸通り魔事件のわずか4日後に、元農林水産省事務次官という東大卒の超エリート官僚だった76歳の父親が、44歳の息子の上半身を包丁で数十カ所も刺して殺害するというショッキングな事件が起きました。殺された息子もやはり、ひきこもりで、家庭内暴力もありました。殺害の前日には隣接する小学校の運動会があって、「うるせーな、子どもをぶっ殺す!」とわめき散らしたともいわれています。 この事件もまた、ひきこもりは人を殺しかねない犯罪者予備軍との印象を人々に植え付けたように思います。 しかし、ここで声を大にして伝えたいことがあります。それは、「ひきこもり=犯罪者予備軍」では決してないということです。私どもは21年以上、カウンセリングを通して数多くのひきこもりの方々と関わってきましたが、他人を傷つける重大な他害案件に遭遇したことはただの1回としてありません。 実際、ひきこもりの方たちは、その場の空気を読みすぎる傾向さえあるほど繊細で、やさしくてまじめな人たちが大半です。私の体感としても、彼らが無差別殺人などを起こすなどとはとても思えません。登戸の事件はごくごくまれなケースと言って間違いないと思っています』、「登戸駅」事件は例外中の例外なのだろうか。
・『「ひきこもりの犯罪率」は高くない  ひきこもりに関して著名な筑波大学医学医療系社会精神保健学教授の斎藤環先生も、2019年7月9日号の『婦人公論』で、登戸の事件と元農林水産省事務次官の事件を念頭に、ひきこもりと犯罪の関係について次のように語っていらっしゃいます──。 「私が今回のことで強調したいのは、家庭内暴力の延長線上に、通り魔的な暴力があるわけではない、ということです。この2つは方向性がまったく違う。現在のひきこもり人口は、100万人規模に達しているという内閣府の統計があります。しかし、それだけ当事者がいながら、明らかにひきこもりの人が関わったという犯罪は数件しかない。とくに無差別殺人のような重大犯罪は今まで見たことがありません」 斎藤先生は最後に、「ひきこもりは決して犯罪率の高い集団ではない」と言い切っているのです。 しかし、斎藤先生のお話以上に説得力のあったのが、東京新聞の2019年6月6日の「こちら特報部」の記事です。「こちら特報部」では共同通信の記事データベースに当たり、殺人・殺人未遂の容疑者・被告で、ひきこもりと報じられたケースが何件あるかを調べました。その結果、1999年から2019年までの20年間で43件あり、これを年平均にすると約2件だったのです。 さらに、記者たちが警察庁のまとめた各年の犯罪情勢を調べたところ、殺人の件数は1999年に1265件、2003年頃に1400件を超えましたが、それ以降は減少傾向にあります。過去5年間では年間900件前後です。 ひきこもっている人間が起こした殺人の年平均2件という数字は、過去5年間の900件前後という全体件数のわずか0.2%でしかないことを東京新聞は証明してみせたのです。ひきこもりの人間が起こした殺人事件は全体のわずか0.2%──。ひきこもりが犯罪者予備軍ではないことを示す決定的な数字です。) とはいえ、元農林水産省事務次官に殺害された息子さんは母親や父親に暴力を振るっていたと言われています。実際、ひきこもりの人の3、4割に家庭内暴力があるように、私自身も感じています。そのような暴力的な人間なら、殺人事件を起こしても不思議はないと思われるかもしれません。 しかし、たとえ家庭内暴力があったとしても、外でそれが起きることはほぼ皆無です。ひきこもりでも、また不登校でも、家で怒りにまかせて暴力を振るっていても、外では決してやりません。なぜでしょうか。 怒りは、相手との距離が近くなるほど強く感じるものです。人は赤の他人にはめったに怒ったりしません。友だちや恋人、配偶者、親、兄弟姉妹、子どもなど、近しい関係になればなるほど怒りを感じるのです。 さらに、心理学では「怒りは第1感情ではない」と言われています。怒りの前には必ず「別の感情」が生まれていて、この「別の感情」が第1感情であり、怒りは第2感情です。つまり、怒りの前に生まれる第1感情が怒りの正体なのです』、「ひきこもりの人間が起こした殺人事件は全体のわずか0.2%」、確かに説得的な数字だ。
・『家庭内暴力は彼らの「悲鳴」だ  では、怒りの正体とはなんでしょうか。それは悲しみです。こうあってほしいのにそうじゃない、こうなるはずだったのに、そうならないという悲しみが怒りの正体であり、第1感情なのです。それでは、なぜ相手が距離の近い人間であるほど怒りが湧き、悲しみを感じるのでしょうか。 それは「愛情」があるからです。愛情があるから悲しくて、愛情があるから怒るのです。家庭内暴力の正体は、彼らの愛情が愛する人に伝わっていないことへの悲鳴なのです。ですから、ひきこもりの人は、母親や父親など家族には怒って暴力を振るうことはあっても、愛情のない外の人間に対して決して暴力行為を行うことはないのです。 かく言う私も、口論などで母に怒ったりすると、罪悪感を覚えたものでした。しかし、心理学を学んでからは、母に怒って大声をあげても、そのあと落ち込むこともなくなりました。「ああ、母に対して愛があるからなのだなあ」と思えるからです。 家庭内暴力があっても外へ向かって暴力を振るうことはほとんどないということや、ひきこもりの人が殺人事件を起こす割合が全体の0.2%でしかないという事実を考えても、ひきこもりが犯罪者予備軍というのはまったくの的外れな考え方であり、このことはいくら強調しても強調しすぎることはないと考えています』、「怒りの正体とはなんでしょうか。それは悲しみです。こうあってほしいのにそうじゃない、こうなるはずだったのに、そうならないという悲しみが怒りの正体であり、第1感情なのです・・・愛情があるから悲しくて、愛情があるから怒るのです。家庭内暴力の正体は、彼らの愛情が愛する人に伝わっていないことへの悲鳴なのです。ですから、ひきこもりの人は、母親や父親など家族には怒って暴力を振るうことはあっても、愛情のない外の人間に対して決して暴力行為を行うことはないのです」、「ひきこもり」への理解が深まった気がする。ためになる記事だった。

第三に、4月2日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの池上正樹氏による「「生きづらさが改善しない」引きこもり実態調査の深刻な中身」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/233520
・『「生きづらさが改善しない」引きこもり当事者たちの本音  引きこもり経験者らでつくる当事者団体が、現在「ひきこもり」状態にあると自認する900人以上を対象に実態調査を行った結果、6割が働きたいと思っているのに、その大半は「就職しても生きづらさが改善しない」と考えていることがわかった。 調査を行ったのは、引きこもり経験者や、発達障害、セクシャル・マイノリティといった当事者でつくる一般社団法人「ひきこもりUX会議」。この『ひきこもり・生きづらさについての実態調査2019』は、2019年10月から11月にかけて、SNSなどのオンラインやイベントで調査用紙を配布し、1686人から回答を得た。この調査結果は、社会学者の新雅史氏が分析し、3月26日に公表された。 調査によると、「現在『ひきこもり』「ですか」の問いに「はい」と答えた人は、全体の65%の940人。その中には、今は就職や就労、就学していても「生きづらさがある」などの理由で「ひきこもりだと思っている」人も13%いた。 また、これまで「ひきこもりだったことがある」経験者も含めると、回答者は86%の1448人に上った。 2019年3月に公表された内閣府の40歳以上の実態調査は、調査対象者5000人のうち、「ひきこもり」群の定義に該当した47事例という少ないサンプルから試算せざるを得なかった。周囲には知られたくない、生きている価値がないと思わされている「引きこもり」という特徴は、行政でも調査方法が難しいと言われている。それだけに、これだけ数多くの当事者の状況や背景が初めてデータで示されたことは注目される。 現在「ひきこもり」と自認する940人の性別(性自認)は、女性の割合が61%と多かった。これまでの行政の調査では、男性のほうが7割~8割と多く、男性特有のイメージがあったことについて、同団体の林恭子代表理事は「もともと私たちが活動している現場では、半々くらいの割合という実感があり、社会からのプレッシャーは同じなのではないか」と説明する。 また、内閣府の調査では確認できなかった性別の「その他」が6%いたことから、これまでセクシャルマイノリティに対する性的差別や理解不足などの原因で引きこもらざるを得なかった人たちが一定数存在していることも、データとして拾うことができたのは画期的だ。 そしてこの940人のうち、半数近い48%が「生活費に困っている」という生活困窮の実態も浮き彫りになった』、『ひきこもり・生きづらさについての実態調査2019』が「現在「ひきこもり」状態にあると自認する900人以上を対象に実態調査」、実態を明らかにするいい試みだ。「女性の割合が61%と多かった」、意外な気もするが、これが実態なのかも知れない。
・『生きづらさが改善するのは「安心できる居場所」が見つかったとき  興味深いのは、現在「ひきこもり」と自認する940人に、どのような変化によって生きづらい状況が軽減、改善したかを尋ねたところ、人によって生きづらさの変化がそれぞれ違うという前提があるとはいえ、「安心できる居場所が見つかったとき」と回答した人が42%超と最も多かったことだ。 一方で、生きづらい状況が軽減、改善したとは思えない人は、「就職したとき」が87%、「家族関係が修復したとき」が86%、「新しい人間関係ができたとき」も75%に上り、従来の「ひきこもり支援」の価値観を覆す結果がエビデンスとして初めて裏付けられた格好だ。 調査では、大学や短大、大学院に在籍したことがある人は半数近く。また、就労していない人の6割弱が働きたいと思っていた。それなのに、就職しても生きづらさが改善しないのはなぜなのか。 引きこもり支援は、「就職」や「家族関係の修復」を目指すよりもまず、親子それぞれの状況や人生をサポートして、個々の「安心できる居場所」を一緒に時間をかけて探していく関係性が求められているといえる。 そんな「居場所/場づくり」についての設問もある。 「当事者会や居場所、フリースペースに参加したい」人は57%、参加したい理由として半数を超える51%が「同じような経験をした人と出会える・話せる」を挙げた。 たとえ就職、就労できたとしても、職場で傷つけられたときなどに、自宅以外でも安心して戻って来られるような、あるいは、行ったり来たりできるような受け皿づくりが大事なことも改めて示されたといえる。 一方で、当事者会や居場所、フリースペースに「参加したいと思わない」人も28%と4分の1を超えた。その理由は「人と話すのが苦手」(24%)、「行っても意味がない」(23%)が目立った。 また、引きこもり当事者や経験者がつくり出す取り組みについては、「当事者や経験者が働ける場をつくる活動」が最も多い66%を占めた』、「引きこもり支援は、「就職」や「家族関係の修復」を目指すよりもまず、親子それぞれの状況や人生をサポートして、個々の「安心できる居場所」を一緒に時間をかけて探していく関係性が求められている」、こうしてみると、やはり解決は簡単なことではなさそうだ。
・『「親が亡くなったら困窮」 将来を不安視する深刻な声も  さらに、行政からの支援を受けたものの、その内容に課題を感じた人の割合は9割に上った。 自分がこれまでに利用した「ひきこもり支援・サービスの課題」や、「将来について感じている不安」などの自由記述欄にも、数多くの声が寄せられたという。 中でも、「経済的に困窮していて国民年金を支払っておらず、独身で職歴もなく、親が亡くなった後は困窮する未来しか見えない」「お金や介護のことなど不安なことだらけです。現在無職で、貯金が底をつきそう……」といった深刻な声が数多く紹介されている。 同団体によると、自由記述欄には「安楽死を望む」と十数人が書き込むなど、特に地方では困難な状況に置かれているため、今すぐにでも何らかの手立てが必要だと感じたという』、「「安楽死を望む」と十数人が書き込む」とは確かに深刻だ。
・『安心して言える場がいない だから言葉が紡げない  「支援者の方や親御さんは、“話を聞いても何も言ってくれない。何も考えていないのではないか”などとよく言いますが、決してそんなことはない。皆、思いがあって、伝えたいことをたくさん持っている。でも、安心して言える場がない。心から聞いてくれると思えないから、言葉を紡ぐことができないことを感じました」(前出・林代表理事) 同団体では今後、こうした実態調査の結果を基に、引きこもり状態をどう考えていくのか、行政の担当者や支援者に伝えるためのイベントを実施するとともに、当事者団体の目線から「ひきこもり白書」の制作も企画している。 ※この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方、また、「こういうきっかけが欲しい」「こういう情報を知りたい」「こんなことを取材してほしい」といったリクエストがあれば、下記までお寄せください。 Otonahiki@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください) なお、毎日、当事者の方を中心に数多くのメールを頂いています。本業の合間に返信させて頂くことが難しい状況になっておりますが、メールにはすべて目を通させて頂いています。また、いきなり記事の感想を書かれる方もいらっしゃるのですが、どの記事を読んでの感想なのか、タイトルも明記してくださると助かります』、「ひきこもりUX会議」の今後の活動に期待したい。
タグ:家庭内暴力は彼らの「悲鳴」だ 「親が亡くなったら困窮」 将来を不安視する深刻な声も ひきこもりの人は、母親や父親など家族には怒って暴力を振るうことはあっても、愛情のない外の人間に対して決して暴力行為を行うことはないのです ひきこもっている人たちの大半は少し運が悪かっただけであり、善良で、心やさしく、人づきあいも人並みにできる、ごく普通の人たちなのです 女性の割合が61%と多かった 「「生きづらさが改善しない」引きこもり実態調査の深刻な中身」 それは「愛情」があるからです。愛情があるから悲しくて、愛情があるから怒るのです。家庭内暴力の正体は、彼らの愛情が愛する人に伝わっていないことへの悲鳴なのです ひきこもり・生きづらさについての実態調査2019 池上正樹 「ひきこもりを「犯罪者予備軍」扱いする人の愚行 加害者がひきこもりの殺人はわずか0.002%」 セルフネグレクトの状態になっていく 引きこもり支援は、「就職」や「家族関係の修復」を目指すよりもまず、親子それぞれの状況や人生をサポートして、個々の「安心できる居場所」を一緒に時間をかけて探していく関係性が求められている 「「ひきこもりの長期化」が招くとても悲惨な結末 「自尊心の喪失」が当事者をさらに苦しめる」 ひきこもりUX会議 「自尊心の喪失」が彼らをさらに苦しめる 人間はもともと自分や他者の欠点に目が行くようにできているうえに、ひきこもりの方たちは世間から隔絶されて孤立し、自分を肯定する要素は1つとして見いだせないまま、罪悪感にさいなまれながら生きています。すると、自分の欠点以外に目が行かなくなり、「ダメな自分」を責め続けるわけです ひきこもりの人間が起こした殺人事件は全体のわずか0.2% 生きづらさが改善するのは「安心できる居場所」が見つかったとき 人間は「欠点ばかり」注目する生き物 なぜ「偏見」が生まれたのか? 安心して言える場がいない だから言葉が紡げない 自己肯定感が低下するにつれて、セルフイメージ(自分に対する印象)も低下していき、そして、セルフイメージの低い人が最も気にするのが、他人の視線だからです 「〇〇すべき」という信念や思考は不適応状態や心の病の誘い水になることがわかっており、心理学ではイラショナル・ビリーフ(非合理思考)と呼ばれています ひきこもり当事者が抱える「罪悪感」 桝田 智彦 ”ひきこもり”問題 現在「ひきこもり」状態にあると自認する900人以上を対象に実態調査 「生きづらさが改善しない」引きこもり当事者たちの本音 ひきこもり、すなわち「犯罪者予備軍」というようなイメージが世の中に流布 「安楽死を望む」と十数人が書き込む 登戸駅 誰にでも起こりうるひきこもりだからこそ、他人事ではなく、「自分の事」として捉えることが大切です (その9)(「ひきこもりの長期化」が招くとても悲惨な結末 「自尊心の喪失」が当事者をさらに苦しめる、ひきこもりを「犯罪者予備軍」扱いする人の愚行 加害者がひきこもりの殺人はわずか0.002%、「生きづらさが改善しない」引きこもり実態調査の深刻な中身) ダイヤモンド・オンライン 『中高年がひきこもる理由―臨床から生まれた回復へのプロセス―』 東洋経済オンライン 「ひきこもりの犯罪率」は高くない 怒りの正体とはなんでしょうか。それは悲しみです。こうあってほしいのにそうじゃない、こうなるはずだったのに、そうならないという悲しみが怒りの正体であり、第1感情なのです
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