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哲学(その2)(飲茶氏のシリーズ:「リベラリズム」と「リバタリアニズム」の違い 説明できますか?、自由主義者は「自由」のために 殺人を肯定する?、「人殺しを悪とする」2つの考え方、正義は「ロジカル」に定義できる? ある哲学者の主張、ソクラテス『善い行いをしろと言ったら 嫌われて死刑になった』) [文化]

哲学については、昨年6月22日に取上げた。今日は、(その2)(飲茶氏のシリーズ:「リベラリズム」と「リバタリアニズム」の違い 説明できますか?、自由主義者は「自由」のために 殺人を肯定する?、「人殺しを悪とする」2つの考え方、正義は「ロジカル」に定義できる? ある哲学者の主張、ソクラテス『善い行いをしろと言ったら 嫌われて死刑になった』)である。

先ずは、昨年7月7日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した会社経営者で哲学サロンを主催している飲茶氏による「「正義の教室」:「リベラリズム」と「リバタリアニズム」の違い、説明できますか?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/207986
・『哲学史2500年の結論! ソクラテス、ベンサム、ニーチェ、ロールズ、フーコーetc。人類誕生から続く「正義」を巡る論争の決着とは? 哲学家、飲茶の最新刊『正義の教室 善く生きるための哲学入門』の第5章のダイジェスト版を公開します。 本書の舞台は、いじめによる生徒の自殺をきっかけに、学校中に監視カメラを設置することになった私立高校。平穏な日々が訪れた一方で、「プライバシーの侵害では」と撤廃を求める声があがり、生徒会長の「正義(まさよし)」は、「正義とは何か?」について考え始めます……。 物語には、「平等」「自由」そして「宗教」という、異なる正義を持つ3人の女子高生(生徒会メンバー)が登場。交錯する「正義」。ゆずれない信念。トラウマとの闘い。個性豊かな彼女たちとのかけ合いをとおして、正義(まさよし)が最後に導き出す答えとは!?』、飲茶氏については、前回のブログでも紹介した。堅い話を平易にする舞台設定はさすがだ。どんな展開になるのだろう。
・『リベラリズム、リバタリアニズムの違いって?  前回記事『自由主義とは「富裕層からたくさん税金をとれ!」という思想でもある。』の続きです。 先生はそう言って、黒板にふたつの言葉を書き出した。 『リベラリズム、リバタリアニズム』 「キミたちはこれらの言葉を知っているだろうか。ちなみに、一方は、リベラルとも言うが、もしかしたらそっちの方が馴染みがあるかもしれない」 あ、たしかに。リベラルはニュースとかで聞いたことがある。……まあ、あまり意味はよくわかってはいないのだけども。 「リベラリズム、リバタリアニズム。両方とも自由主義の特定の立場を表す専門用語であり、両方とも日本語に訳すと『自由主義』という意味になる言葉であるのだが―誤解を恐れずざっくり言うと、さっきの、弱者に優しい福祉社会を作る考え方がリベラリズムであり、弱肉強食の自由競争を推進する考え方がリバタリアニズムである」 「多くの自由主義の入門書が、多種多様で混乱ぎみな自由主義の全体像を読者につかませようと、まずこのリベラリズムとリバタリアニズムの違いについて説明を試みるのだが―これが非常にわかりにくい! とっつきにくいと言ってもいい。実は、自由主義の学びを阻害する最大の障壁がここにある。その障壁、それは―」 先生は話を止めて一旦沈黙する。そして、十分に間を取ったあと、満を持して重々しく言った。 「名前が似ていることだ」 テレビのバラエティならここで椅子から滑り落ちて大ゴケするシーンなのかもしれないが、先生の真剣な顔つきから、どうやらウケ狙いで言ったわけではなく真面目に本当にそう思っているようだった。 「リベ……リバ……リベ……リバ。ほら、言い始めのところが特に似ているだろう。リバ……リベ……リバ……リベ。ほら、もうどっちが、どっちだか、わからない。いや、冗談みたいな話に聞こえるかもしれないが、実際に想像してみてほしい。たとえば、こんな文章」 『リベラリズムは、これこれについて賛成だが、リバタリアニズムでは反対である』 『この政策は、むしろリバタリアニズム寄りのリベラリズムと言ってよい』 「どうだろう。自由主義の入門書では、こんなふうに両者を対比、関連させて説明することが多いのだが、所詮、初学者には耳慣れない言葉だ。日常的に使う言葉ではないし、語感も似ているのだから、1ヵ月もしないうちに、どっちが、どっちだか、わからなくなる」』、「リバタリアニズム」は自由至上主義ともいわれるが、確かに分かり難い。
・『「リベラリズム」の意味は、国によって違う  いえ、先生、もうすでにわからなくなってます。今いきなり授業で「さっき説明したように、リベラリズムはリバタリアニズムと違って」と言われても、まったくついていけない自信があります。 「最初の章で用語の定義を説明し、次の章からその用語を駆使して深い説明を始めるというのは、本の書き方として定番であるが、しかし、用語同士が似すぎていると頭に入らず、その状態で先を読み進めるのはただ苦痛なだけである。しかもだ。せめて、その似ている用語がふたつだけであれば、まだ我慢できるが、さっきリベラリズムをリベラルと呼んだように、それぞれにさまざまな言い回しがある」 先生は、黒板に書いたふたつの単語の後ろに、さらにつけ足した。 『リベラリズム、リバタリアニズム、リベラル、リベラリスト、リバタリアン』 うわ、リベとリバがさらに増えたぞ。こんな用語が次々と出てくる入門書なら僕的にはもうお手上げだ。 「しかもだ」 え、まだあるの? 「『リベラリズム』という用語を使ったとき、最低でもそれの意味が、ひとつに固定されていればまだいい。それなら、ある程度時間をかけて用語に慣れていけばなんとかなるだろう」 「しかし、実際には、ヨーロッパとアメリカと日本で、リベラリズムの意味合いはそれぞれで全然違ってしまっており、だから、ある人の本を読んで、『リベラリズムってこういうものなんだ、福祉国家を目指すことなんだ』と理解したつもりになっても、別の人の本を読んだら、その理解とまったく違う、福祉国家の否定が書かれていたりすることがある」 「なぜなら、『リベラリズム』とは、それが『どこの国』の話なのかという文脈によって中身が変わってしまう用語だからだ」 ……難易度高っ! 「そういえば、忘れていたが、リベラリズムとひと口に言っても、ニュー・リベラリズム、ソーシャル・リベラリズム、ネオ・リベラリズム、モダン・リベラリズムと色々あるので、それぞれをごっちゃにしないようにして文章を読まなくてはならない」 ……戦意喪失。というか、ニューとネオをまぜるな……。 「だから、私はキミたちに自由主義を語るにあたって、これらの用語をすべて捨て去ろうと思う。通常、自由主義を初学者に教える場合、今述べたようなさまざまな種類の自由主義について、それぞれの違いや歴史を淡々と語っていくのがセオリーなのであるが、私は学びの最初に、そこに時間をかけることは間違っていると思っている」 「そうした用語の違いを網羅的に把握するよりも、本質……核心……。自由主義とは結局、何を正しいとする主張なのか? その本質をまずキミたちに伝えるべきだと思うのだ」 そう言って、先生は何やら図のようなものを描き始めた。 「さまざまなリベとリバは置いておこう。さっきの用語はもういっさい忘れ去ってよい。私は、自由主義を知りたい人は次のふたつだけを理解すればよいと考えている」』、「「リベラリズム」の意味は、国によって違う」、のも悩ましい。「自由主義を知りたい人は次のふたつだけを理解すればよい」、どんなことなのだろう。

次に、この続き、7月8日付けダイヤモンド・オンライン「「正義の教室」:自由主義者は「自由」のために、殺人を肯定する?」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/207989
・・・「強い自由主義」と「弱い自由主義」とは?  前回記事『「リベラリズム」と「リバタリアニズム」の違い、説明できますか?』の続きです。 先生が描いた図には、「強い自由主義」と「弱い自由主義」というふたつの文字が書かれていた。 ん? 強い、弱い? 今までと比べて急にわかりやすそうになったぞ。ただ、さすがに子どもっぽくなった感は否めないが。 「『強い自由主義』と『弱い自由主義』……。これは私オリジナルの言い回しであるが、とにかく、単純に、自由主義には強い方と弱い方の2種類があると思ってもらえばいい。私がこの授業で語りたいのは『強い自由主義』の方であり、こちらだけが真の自由主義であると最終的には主張したいのだが、それは後にして、まずは弱い自由主義とは何かというところから片づけていこう」』、「強い、弱い」での説明は初めて聞いた。
・『弱い自由主義とは?  「仮に地球上にいる人間全員に『キミは自由主義者か?』と問いかけて、『そうだ』と答えた者を1か所に集めたとしよう。その自由主義者の集まりは―あくまでも私の考えではだが―『弱い自由主義者』と『強い自由主義者』のふたつのグループに分けることができる」 「このうち『弱い自由主義者』というグループに分けられた者たち。彼らは、自由主義者全体の中でも大半を占めるほどの人数であり、しかも一見すると意見がバラバラ、何の類似性もない集まりのように見えるが、実は全員がある共通の、同じ思想を持っている」 「それは、『自由に生きることが人間の幸福であり、社会は個人の自由を尊重しなくてはならない』という思想だ」 「もっともらしく聞こえるかもしれない。しかし、自由主義としては、この思想はいまいち『弱い』と言わざるを得ない。なぜなら、自由よりも幸福を上位に置いているからだ。すなわち、『幸福 > 自由』。それは彼らの思想を分解すればよくわかる」 (1)幸福になるには自由が必要だ (2)よし、自由を尊重しよう 「これが彼らの思想のロジックであり、このような論理展開から自由を尊重している以上、彼らの最優先は『自由』ではなく、『幸福』であることは明らかだ」 「さて、我々は、これに似た主義をどこかで聞いたことがあるはずだが……正義くん」 「功利主義ですよね!」多少食い気味に僕は答えた。 「そう、その通りだ。弱い自由主義者たちが掲げる思想は、自由という単語を使ってはいるものの、その内実は功利主義そのものである。なぜなら、彼らの目的はハッピーポイントの増大、とどのつまり『人々の幸福度の増大』にあるからだ。したがって彼らにとって、自由はあくまでも、幸福度を増大させるための道具、手段のひとつにすぎない」 「だから、ある特定の自由が『人々の幸福度の減少につながる』としたら、彼らは平気でその自由を制限しようとするだろう。彼らにとって、あくまでも大切なのは人々の幸福の方であって、自由は、結局のところは二の次であるからだ」 「つまり、『弱い自由主義者』たちは、自由主義とは名ばかりで、その実、『自由主義の皮をかぶった功利主義者』にすぎないのである」 今までさんざん、微妙な自由主義の話を聞かされるたびに、「いや、それ功利主義だろ」と内心で突っ込んでいたので、そのカテゴリ分けは、かなりすっきりする』、「『弱い自由主義者』たちは、自由主義とは名ばかりで、その実、『自由主義の皮をかぶった功利主義者』にすぎない」、なるほどと納得した。
・『強い自由主義とは?  「さて、次は強い自由主義の話だ。さっき私は『幸福 > 自由』である者たちを『弱い自由主義者』と分類した。なぜ彼らが『弱い』かというと、幸福の方が大事である以上、状況次第でいつ手のひらを返して自由を制限してくるかわからないからだ。ゆえに、私はそれを自由主義として『弱い』思想だと定義する」 「では、その逆、『強い』とは、『強い自由主義』とは何だろうか? それは弱い自由主義のちょうど正反対、『自由 > 幸福』を旨とする者たちのことを言う。彼らにとって幸福はあまり関係ない、いやまったく関係ないと言っていい。強い自由主義者にとって重要なのは、人間に与えられたもっとも基本的な権利である『自由』を守ることであり、そこから生じる結果についてはいっさい問わない。その意味で強い自由主義者は、とてもシンプルだと言える」 『自由を守ることは、結果にかかわらず、正義であり、 自由を奪うことは、結果にかかわらず、悪である』 「そこに結果も事情も幸福も関係ない。いかなるケースにおいても、単純に、愚直に、たとえ誰が不幸になろうとも、自由を守ることが正義だと考える、それが強い自由主義だ」 想像以上に自由な自由主義だった。でも、それって大丈夫なのだろうか? ふと先生と目が合った。疑問があればどうぞと質問を促す目をしていたので、それにつられるように僕は手をあげた。 「そうすると、殺人とか、泥棒とか、明らかに不幸を生み出すことでも、強い自由主義は肯定するということでしょうか?」 「良い質問だ、正義くん。当然の疑問だろうね」 スキンヘッドを撫で回しながら、先生は言った。促されたとはいえ、生徒の自主的な質問にとても嬉しそうだ。 「正義くんのその質問への答えは、否だ。強い自由主義では、その手の不当行為については、やってはいけないこと、悪いことだと否定する。その理由は、先に述べたようにシンプル―『自由を奪うことは、結果にかかわらず、悪である』からだ」 「功利主義であれば、人を不幸にするから、もしくは苦痛を生み出すから、という理由で殺人を否定するだろう。だが、強い自由主義にとって、殺人は人を不幸にするから悪なのではなく、他人の自由を奪うから、望まない痛みを強制するから、悪なのである」 「だから、強い自由主義については、次の標語、合い言葉で理解するといい」と言って、先生は黒板に短い文を書いた」 『自由にやれ。ただし、他人の自由を侵害しないかぎりにおいて』、アメリカの「リバタリアニズム」には国家の役割を警察・国防に限定(夜警国家論)するような極端な一派もあるようだ。

第三に、この続き、7月27日付けダイヤモンド・オンライン「「人殺しを悪とする」2つの考え方」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210022
・・・「宗教の正義」とは何か?  「宗教の正義。もしかしたら、この正義を主張する者は、自分が『宗教的である』という自覚を持っていないかもしれない。そもそも多くの場合、我々は宗教というと何か特定の神さまを信じることだと思っている。だから、神さまを信じてさえいなければ、自分が宗教とは何の関わりもない人間だと思ってしまっている人が多い」 「が、実際にはそうではない。『宗教的である』ということは、神さまを信じること、宗教団体に入ることとはまったく関係のない、別のことなのだ」 「では、『宗教的である』とは、もともとどういうことで、どう区別すべきものであるのか? 私は、『物質または理性を越えたところにある何かを信じていること』、それが宗教的であることの唯一の条件であり、その一点によって、宗教的かどうかの是非を見分けるべきであると考えている」 そう言って、先生は黒板に大きな丸い枠を描いた。 「今、黒板に書いた枠―これを、何でも包み込める巨大な袋だと思ってほしい。さて、何でも包み込めるのだから、せっかくだし、我々が住むこの宇宙全体をこの枠の中に入れてしまおう」 先生は、黒板に描いた枠の内側に「宇宙(物質の世界)」という文字を追加した。 「というわけで、宇宙のすべてがこの枠の内側に入ったわけだが……そうすると、今、我々の宇宙で何が起ころうと、今後どのような事象が発生しようと、それはすべてこの枠の『内側』での出来事ということになる」 そりゃまあ、そういうことになるだろうな。枠の中に宇宙があるわけだから。 「では次に、人間の思考について考えてみてほしい。仮に、ランダムに文章を作り出すコンピューターがあったとしよう。人間が使う言葉、単語をすべてインプットしておいて、適当にその組み合わせを作って出力する機械だ。その機械を動かすと、大半は無意味な文章が出力されるわけだが、繰り返せばいつかは意味のある文章が出てくる。いや、それどころか何度も繰り返すうちに、偶然シェイクスピアが書いた小説が出力されることだってあるだろう」』、単なる比喩だが、「コンピューター」が「偶然シェイクスピアが書いた小説が出力される」可能性はなくはないが、確率的には天文学的な確率でほぼゼロに近いといえる。
・『善や正義は言葉で説明できない?  どこかで聞いた話だな。キーボードの上で猫を歩かせたら、偶然シェイクスピアの作品が出来上がることもあるみたいな話だっけ? まあ、シェイクスピアの作品がどれだけ長いか知らないが、一応、言葉の組み合わせでできている以上、組み合わせを延々とやっていけば、いつかは同じものが出力されるのは当然のことではある。 「さて、もっとスケールを大きくしよう。このコンピューター、文章をランダムに作り出す機械を『無限』に動かしたと考えてみてほしい。すると、あらゆる言葉の組み合わせを網羅した文章……とんでもない量の文章が出力されるわけであるが……、この膨大な文章をすべて同じように枠の中に入れてしまおう」 先生は、再び枠の中に文字―今度は、「理性(言葉の世界)」という文字を書き入れた。「というわけで、人間がその思考活動によって生じうる、すべての文章が、今この枠の内側に入ったわけだが……そうすると、今後どんな知識人がどんな本を書こうが、どんな説明を、どんな論文を、どんな学説を作り出そうが、その文章はこの枠の内側にすでにあるということになる」 ランダムな文章を無限に生成したわけだから……、いま書店にある本もそうだし、将来、書店に並ぶであろう本もすべて、この枠の内側にすでに存在している……これもまあ、その通りだろうな。 「それだけじゃない。キミたちがまさに今考えていること、そして、今後、考えるであろうことも、無限の文章の組み合わせの中に含まれるのだから、枠の内側にすでにあると言える」 本当にスケールの大きな話だった。何が起ころうと、何を考えようと、とにかくそれらはすべて、枠の内側に必ずあるということか。 「では、ここで問おう。善とは、正義とは、どこにあるだろうか? 正義くん」 意図がよくわからなかった。でも、起こりうる、考えうる、すべての出来事が枠の中にあるのだから、当然、「枠の内側でしょうか?」と僕は答えた。左隣から視線を感じたので、ちらりと見ると、倫理が僕のことをにらんでいた。どうやら間違ったようだ。 「正義くんの左隣、副会長だったか、キミはどう思うかな?」 先生は倫理に問いかけた。ちなみに右隣は千幸。ミユウさんは、いつものように遠く後ろの席に座っている。 「はい。善や正義は、言葉や理屈で説明できるものではありません。だから、枠の内側にはなく、もしあるとしたら―それは枠の外側だと思います」』、確かに、「善や正義」は、「理性(言葉の世界)」に属さない。
・『人殺しに対する「2つの考え方」  「ふむ、そうだな。まさに『宗教の正義』では、そのように正義を捉えている」 そう言って、先生は枠の外側に小さな点線の丸を描き、その中に「善」「正義」という文字を書き入れた。 「いや、正義くんの答えも間違いではない。それは主義の違いの問題だ」 たとえば、功利主義―『全体の快楽の増加が正義である』という考え方において、快楽とは『脳の状態』という物理現象なのだから、当然、この巨大な枠の内側での出来事だと言える。 そして、功利主義の『快楽の増加が正義』という論も、文章すなわち思考活動であるわけだから、これも枠の内側に属するものであると言える。 このように功利主義は、すべて枠の内側で成立する主義主張であると言えるわけで、功利主義を採用する人にとって『正義』は、枠の内側の存在であると言える」 なるほど。で、一方、宗教の正義では「枠の外側」―つまり「物質の世界」や「言葉の世界」を超えたところに正義があると考えているわけか。 「さて、ちょっとここで、『なぜ人を殺してはいけないか?』という問題について考えてみてほしい。キミたちならこの質問に何と答えるだろうか?」 「たとえば、一例として、『他人から殺されるかもしれない社会では不安でオチオチ眠れない。そこで、みんなで殺人はダメという暗黙のルールを作った。だから、人を殺してはいけないのだ』という回答の仕方があるだろう」 「これは功利主義的な回答であるが、合理的な思考活動の結果であり、まさに枠の内側での回答と言える。もちろん、それ以外にも、さまざまな回答の仕方があるだろうが、いずれにせよ、この問いに何か合理的な答えを与えようと『考えた』時点で、それは共通して『枠の内側での回答』ということになる」 「では、『宗教の正義』の立場の人ならどう答えるだろうか? 簡単だ。彼にとっては議論も思考も必要ない。なぜなら、それらを行ったところで、それはただ、枠の中をグルグル回るだけにすぎないからだ。そして、枠の中には正義は存在しない。だとしたら、そんな行為は無意味である。だから、彼は、ただ黙って枠の外にある正義を直接『指差す』。そして、こう叫ぶだろう」 「『人殺しは悪いことだ! 正義に反する! そんなことは考えなくてもわかるはずだ!』と」 次回に続く』、「功利主義」の考え方と、『宗教の正義』の考え方には大きな違いがあることは理解できた。

第四に、1つ飛ばして、8月3日付けダイヤモンド・オンライン「ソクラテス『善い行いをしろと言ったら、嫌われて死刑になった』」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/210780
・・・相対主義VS絶対主義  前回記事『正義は「ロジカル」に定義できる? ある哲学者の主張』の続きです。 「今から哲学史の授業を始めたいと思う」 「本来、哲学史の授業は、古代ギリシアの時代から順番に、一人ひとりの哲学者の主張を細かく説明していくのが定番であるのだが……、それをやっていては間違いなく途中で飽きてしまう」 「歴史を学ぶときに重要なのは、まずざっくりと大まかな流れを把握すること。だから、今日は詳細を省き、概要だけ駆け足で一気に説明していきたいと思う」 「それから―これは歴史を学ぶ意義そのものでもあるのだが―これから私が説明する歴史の流れの中には、『時代が移り変わっても、変化しない人類の営み』、もう少し言えば『人類の普遍的な悩み事』『恒久的課題』が隠されている。それについても、ぜひ見つけ出してみてほしい」 いつの時代になっても、人類がずっと悩み続けていることか……。 時は移り、所は変われど、人類の営みに何ら変わることはない―そんな格言から始まるアニメが昔あったと思うけど、きっと歴史ってそういうものを学びとるためのものなんだろうな……、というか、そうであってほしい。意味なく出来事と年号を覚えさせられるのは、もううんざりだ。 「さて、いま私が黒板に書いたふたつの主義、相対主義と絶対主義……これは古代という遠い昔、およそ2500年ほど前に興った哲学思想であるが、線を挟んで左右に書いたことからわかるように、これらふたつの主義は対立関係にある。つまり、両者はまったく真逆の内容になっているということだ」 「では、まず右側、相対主義。これは、『物事の価値は、他との関係性によって決まるのだから、絶対的なものはない』という考え方のことである。たとえば、私が今持っているチョーク、これは『大きい』だろうか? それとも『小さい』だろうか? こうして指でつまめるのだから、私にとっては『小さい』と言えるかもしれない。だが、アリからすればとても『大きい』塊に見えることだろう」 「他には、私が今立っているこの地球、これは確実に『大きい』と言えるだろうか? いや、それもあくまでも、私にとって『大きい』のであって、たとえば太陽ですら、それこそ銀河系全体で比較したら砂粒のように、ものすごく『小さい』と言えるだろう」 「結局、大きい、小さい、熱い、冷たい、善い、悪い、何でもいいが、そういった価値判断は絶対的なものではなく、それを判断する相手との相対的な関係性によって決まるのであって、ようするに、人それぞれのものにすぎないのである」 なるほど。すごくよくわかる話だけど、でもこれって2500年前の話なんだよな?』、「歴史の流れの中には、『時代が移り変わっても、変化しない人類の営み』、もう少し言えば『人類の普遍的な悩み事』『恒久的課題』が隠されている」、その通りなのだろう。
・『なぜソクラテスは死刑になったか?  その頃って科学も発展してない時代だから、象が世界を支えてるとか、変な先入観で迷信や宗教を頑固に妄信してる人たちばかりだと思っていたけど、「価値観なんて人それぞれだよ」という現代的な視点が、そんな時代からもうあったのか。 「一方、それに対立するのが、絶対主義だ。これは、相対主義の逆で『絶対的に正しい、絶対的に善い、といったものが、ちゃんとこの世には存在するんだよ』という考え方のことである。この主義を唱えたのが、かの有名なソクラテスだ」 ソクラテス。 哲学の知識はゼロの僕でも、名前くらいは知っている。哲学者といえば、という連想で、一番最初に名前が出てくる人だよな。 「そのソクラテスが生きていた当時、世の中は相対主義が優勢だった。つまり『正義なんて国や人によって変わるのだから絶対的に正しいものなんてない』という考え方が流行っていた時代だったというわけだ」 「そこへソクラテスがやってきて、『いやいや、絶対的な正しさ、正義は存在するのだ』と強く訴えかけ、人々に『善く生きる』ことを勧める。これは端的に言えば『正義を志して生きろ』ということであるが、当時の風潮からすれば、少々暑苦しい説教話であり、結局、権力者たちから疎まれたソクラテスは無実の罪で投獄され、最終的には死刑となってしまう」 死刑……。善い行いをしろと言ったら、人から嫌われて死刑か。なんだか身につまされる話だな……。次回に続く』、「相対主義が優勢だった」なかで、「『善く生きる』ことを勧める」ソクラテスが、権力者たちから疎まれ・・・最終的には死刑となってしまう」、有名な話で漸く思い出した。ソクラテスを生み出したギリシャ文明は、西欧哲学の原点になった点でも、確かに素晴らしいものだ。飲茶氏のシリーズはこれ以降も続くが、紹介はここまでにしたい。著者略歴とシリーズ一覧は、下記。
https://diamond.jp/ud/authors/5d02f88177656117f6000000
タグ:哲学 飲茶 相対主義 ダイヤモンド・オンライン (その2)(飲茶氏のシリーズ:「リベラリズム」と「リバタリアニズム」の違い 説明できますか?、自由主義者は「自由」のために 殺人を肯定する?、「人殺しを悪とする」2つの考え方、正義は「ロジカル」に定義できる? ある哲学者の主張、ソクラテス『善い行いをしろと言ったら 嫌われて死刑になった』) 「「正義の教室」:「リベラリズム」と「リバタリアニズム」の違い、説明できますか?」 『正義の教室 善く生きるための哲学入門』 リベラリズム、リバタリアニズムの違いって? 弱者に優しい福祉社会を作る考え方がリベラリズム 弱肉強食の自由競争を推進する考え方がリバタリアニズムである 「リベラリズム」の意味は、国によって違う 「「正義の教室」:自由主義者は「自由」のために、殺人を肯定する?」 「強い自由主義」と「弱い自由主義」とは? 弱い自由主義とは? 『自由に生きることが人間の幸福であり、社会は個人の自由を尊重しなくてはならない』という思想だ 自由よりも幸福を上位に置いている 彼らの最優先は『自由』ではなく、『幸福』であることは明らかだ 弱い自由主義者たちが掲げる思想は、自由という単語を使ってはいるものの、その内実は功利主義そのもの 『弱い自由主義者』たちは、自由主義とは名ばかりで、その実、『自由主義の皮をかぶった功利主義者』にすぎない 強い自由主義とは? 人間に与えられたもっとも基本的な権利である『自由』を守ることであり、そこから生じる結果についてはいっさい問わない 夜警国家論 「「人殺しを悪とする」2つの考え方」 「宗教の正義」とは何か? 善や正義は言葉で説明できない? 人殺しに対する「2つの考え方」 宗教の正義では「枠の外側」―つまり「物質の世界」や「言葉の世界」を超えたところに正義があると考えている 「ソクラテス『善い行いをしろと言ったら、嫌われて死刑になった』」 相対主義VS絶対主義 物事の価値は、他との関係性によって決まるのだから、絶対的なものはない 「歴史の流れの中には、『時代が移り変わっても、変化しない人類の営み』、もう少し言えば『人類の普遍的な悩み事』『恒久的課題』が隠されている なぜソクラテスは死刑になったか? ソクラテスが生きていた当時、世の中は相対主義が優勢だった ソクラテスがやってきて、『いやいや、絶対的な正しさ、正義は存在するのだ』と強く訴えかけ、人々に『善く生きる』ことを勧める 権力者たちから疎まれたソクラテスは無実の罪で投獄され、最終的には死刑となってしまう
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