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パンデミック(経済社会的視点)(その1)(コロナよりも恐ろしく私たちが回避すべきもの 魔女狩りや全体主義を蔓延させてはならない、日本に今度こそ「本当に深刻な危機」が来る理由 コロナ危機で何が「デフォルト化」されたのか、中国の「全人類への犯罪」にイタリアで激怒の声 注目の政治家、サルビーニ氏が中国のコロナ隠しを猛批判) [国内政治]

今日は、パンデミック(経済社会的視点)(その1)(コロナよりも恐ろしく私たちが回避すべきもの 魔女狩りや全体主義を蔓延させてはならない、日本に今度こそ「本当に深刻な危機」が来る理由 コロナ危機で何が「デフォルト化」されたのか、中国の「全人類への犯罪」にイタリアで激怒の声 注目の政治家、サルビーニ氏が中国のコロナ隠しを猛批判)を取上げよう。

先ずは、5月26日付け東洋経済オンラインが掲載した東洋経済 解説部コラムニストの大崎 明子氏による「コロナよりも恐ろしく私たちが回避すべきもの 魔女狩りや全体主義を蔓延させてはならない」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/352607
・『緊急事態宣言がようやく全国的に解除となった。こうした中、気になるのはコロナ禍を恐れるあまり、政府方針に従わない人を誹謗し中傷する「自粛警察」が跋扈するなど、正常な人間同士の社会的関係が失われていることだ。 こうした自粛警察が跋扈する理由は、日本国民の多くが新型コロナウイルスへの恐怖感を募らせているからだろう。 日本は新型コロナにかかわる人口対比の死者数がアメリカや欧州諸国に比べて圧倒的に少ない。ところがこの間、ネット上には「ロックダウンをしていない日本は危ない」「PCR検査が不十分な日本はもう終わった」などという記事があふれた。日本よりもずっと人口対比の死者数を多く出している国の対策と比較して「日本はダメだ」という記事のオンパレードだ。 最近のメディアと読者、国家との関係には危ういものを感じる。国に対してコロナ対策が緩すぎるとして、ロックダウンを求めたり、PCR検査を国民全員に行って陽性者の「隔離」をせよと提案したり、国民を監視する海外の政策を推奨したりすることだ。 権力の乱用を防ぐための政府批判はもちろん活発に行うべきだ。たとえば、税金の無駄遣いと思えるアベノマスク、政権寄りの検察官の定年延長を可能にする検察庁法改正案への批判などだ。しかし、政府に対し極端な私権制限を要請するメディアや一部の学者たちと、それに同調する人々の動きには賛成できず、危険なことだと考えている』、「自粛警察」の跋扈、「政府に対し極端な私権制限を要請するメディアや一部の学者たちと、それに同調する人々の動き」、などは確かに危険な兆候だ。
・『国家総動員法と同じ論理  重要なのは患者の治療であるのに、なぜか検査が国民の一大テーマになってしまったのは、テレビの影響力が大きいようだ。コメンテーターがコロナ危機を戦争に例えて、旧日本軍と同様に負けるなどと叫んでいるが、こうした煽動こそ危険だ。太平洋戦争前夜にマスコミが積極的に国民の不安と不満を醸成していった状況に似ている。 「マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと熱狂そのものが権威を持ちはじめ、不動のもののように人々を引っ張ってゆき、流してきました」(半藤一利著『昭和史』平凡社)。 煽動の甲斐あってか、一部の経済学者たちが国民全員を対象に新型コロナに感染しているかどうかのPCR検査を行って、「陽性であれば隔離・治療へ」「継続的な陰性は社会活動・経済活動へ」との提言を出している。内容を読むと、個人の意思や選択権などないか、あっても簡単に従わせることができるという傲慢な前提が置かれている。国家規模のGDP(国内総生産)の維持が重視され、国家経済のために「国家総動員法」と同じ発想で出している提案なのだ。 「隔離」は私権制限の最たるものだ。日本でも結核患者やハンセン病患者に対する国家の強制隔離が基本的人権を侵害してきたことは恥ずべき歴史の一部だ。そうした歴史への配慮もない提案は驚きである。 新型コロナは未知のウイルスであり、その性質などは現在解明が進められている。そのため、「専門家」とされる人々の間でもその説明や対策などで意見が一致しない。日本がなぜ感染者を抑え込めているのかもはっきりしないのは確かだ。明らかなデマやフェイクニュースは論外だが、厚生労働省の発表やNHKの報道であっても、事後的に正しかったといえるかどうかはわからない。 こうしたもどかしい状況下では、メディアの報道も勢い大げさなものになりがちだ。そして、メディアが新型コロナの脅威を報道すればするほど人々の恐れも必要以上に拡大していく。そうした中で、人々は政府に対し魔法の杖のようにコロナの感染拡大を止めてくれる手段を望んでしまう。しかし、魔法の杖はなく、極端な解決策ほど大きな副作用や大きな落とし穴が待ち受けているものだ』、「テレビ:が危機感を煽っているのも、確かに戦前を想起させる危険な兆候だ。「一部の経済学者たち」の「提言」は、「国家規模のGDPの維持が重視され、国家経済のために「国家総動員法」と同じ発想で出している」、とは驚くほかない。
・『管理国家への誘惑を断ち切る必要  「9.11」後のアメリカで、人々の監視を強化する米国愛国者法の成立や対イラク戦争に国民を駆り立てていったものとして、マイケル・ムーア氏の映画『華氏911』ではメディアによる「恐怖と消費の大宣伝」の存在が指摘されている。コロナ危機でもそうした動機の存在を注意深く疑ったほうがいい。 韓国や中国など海外で実施されている厳格な新型コロナ感染症対策の裏側では、個人の自由やプライバシーが侵害されていることも冷静に考えるべきだ。私たちは本当にかの国のような管理国家を望むのか。いわゆる「自粛警察」がはびこる今の日本にそうした予兆を感じないだろうか。 すでに、新型コロナで家族を亡くした人がそのことを親しい友人にも言えないという不自由な国になってしまっている。普通の葬儀も出せない状況だ(参考記事『新型コロナでも「普通の葬儀ができるはずだ」』)。また、感染者が家族にいるということも、子どものいじめなどを恐れて友人に相談できないのだという。そうした怖い状況の中から、「陽性者は隔離」という発想は出てきた。 新型コロナを恐れるあまり魔女狩りや全体主義をはびこらせてはならない。日本のように同調圧力の強い社会では、そうしたことが自殺に結び付きやすい。新型コロナによる死者は少ないが、新型コロナにまつわるいじめで自殺者が増えた、というようなことになりかねない』、全く同感である。
・『自由な議論に基づく寛容な社会の維持を  あえていうが、安倍政権に強力なリーダーシップなど求めない。求めるのは情報開示である。新型コロナウイルス感染症専門家会議のどのような議論を経て対策が決められたのか、開示が不十分な点は気になる。一方で、専門家会議が「新しい生活様式」といった大仰な言葉で、日常生活の各場面に及ぶ指導を列挙するのは行きすぎだ。 専門家会議の議事録をどんどん公開し、それを受けて、個々人が必要だと思う感染防止策を実施し、経済活動の再開の仕方を工夫していくというのが民主主義下のコロナ対策の望ましい姿である。 そして、ほかの人の判断の自由も尊重するべきだ。「自粛警察のターゲットにならないように注意しよう」というアドバイスも散見されるが、それは本来順序が逆だ。意見の異なる人への嫌がらせやいじめは、それをする人のほうが戒められるべきだ』、「専門家会議」は議事録が作成されてないとして問題になったが、政府との役割分担が曖昧になったとして、一旦、解散して、政府内の会議になるようだ。いずれにしても、「情報開示」はきっちりやってもらいたいものだ。

次に、5月30日付け東洋経済オンラインが掲載した財務省出身で慶應義塾大学大学院准教授の小幡 績氏による「日本に今度こそ「本当に深刻な危機」が来る理由 コロナ危機で何が「デフォルト化」されたのか」の6頁目までを紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/353639
・『この「持ち回り連載」を受け持っているわれわれ3人(山崎元氏、吉崎達彦氏、筆者)は「仲が良い」と思われているようだが、実はそうでもない。何より、経済、市場、社会に対する見方が大きく異なっている。 5月23日配信の記事「日本が『コロナ第2波』で最も脆弱になる懸念」で吉崎氏は、「日本で新型コロナの死亡者が極めて少ないのは奇跡ではなく、ただの謎として日本在住の欧米人に捉えられている」、というエピソードを紹介していた。 日本の対策は行き当たりばったりで、先進技術も使っていない。人々は自粛だけで、散歩も外出も自由といえば自由であり、杜撰である。それにもかかわらず、新型コロナウイルスの感染はさほど拡大せずに、世界最小レベルの被害で乗り切りつつある。それが謎なのだ、と。そして、逆に第2波のリスクはむしろ日本では高いかもしれないのに、人々は誤った自信を持ち対策を怠って、喉元過ぎて熱さを忘れた頃にひどいことになるかもしれない、と』、「吉崎氏」の見解は代表的意見の1つだ。
・『なぜ日本の被害は「少なかった」のか  しかし、私に言わせれば、今回のものは謎でもなんでもない。真実は単純で「日本にはコロナ危機はもともとなかった」のだ。 「なかった」はさすがに言い過ぎかもしれないが、もともと相対的には深刻ではなかったのだ。アジアはおおむねすべての国で欧米よりも被害が少ない。確かに欧州経由の、変異して強力になったウイルスは猛威を振るったかもしれない。だが、アジアの中国発のウイルスはそれに比べれば、被害は総じてそれほどでもなかった。 日本で3月中旬以降、感染が急に広がったのは、3月21日の連休で気が緩んだからではない。欧州から帰ってきた旅行者などが欧州型のウイルスを広めたからだろう。そして、欧米では死者の数が恐ろしいほど増えたが、それらの多くは、高齢者施設の院内感染だった。 例えば、フランスでは約40%が施設のもので、それは施設には、マスクも消毒薬の備えも薄かった。アジアに比べればそういう習慣があるとは言いがたく、面会などをし続けたことによって被害が広がった。高齢者に死亡者が多い一つの理由は、施設の院内感染の死者数が多いからだ。 また、よく報道されているように、ニューヨークでは、どちらかと言えば、貧しい人々の地域で感染が深刻である。また、シンガポールで第2波があったのも、外国人労働者の衛生環境が悪すぎたからだ。 アメリカでは、貧困層を中心に医療アクセスが限定的であったことも重症化を促進した。重症患者があふれたことで、それで医療崩壊が加速した側面がある。欧米も、富裕層や著名人の死亡者は、高齢者などを除けばおおむね限定的だ。ボリス・ジョンソン首相などは重症化したが、彼は十分な医療アクセスがあったので、助かっている。 結局、日本では相対的に深刻度が低く、言ってみれば「ほとんどの人が好きなときに好きな病院に行ける」ことがむしろ問題であり、制限をかけることに必死だったわけだ。 また、貧困層の衛生状態の差は、天と地に近いほど差があり、基本的な生活条件が「相対的にまし」であることが大きく寄与した。さらに、高齢者が多い諸施設での対策も、欧米よりは徹底していた。たとえば、私の母が入居している施設は、数年前からインフルエンザ対策で、冬の時期は面会が全面禁止だった。またできる期間もマスク、手指消毒は徹底させられていた。 このように専門家でもない私が、新型コロナの総括をするのは問題である。だが、欧米人が欧米で失敗して、日本が成功すると「それはただの謎だ」、と言い放つよりはましであろう』、「ましであ」ることは確かだ。
・『「真の危機」はこれからやって来る  さて、問題は経済である。 「大きな危機」とまでは言えなかったはずの感染症の危機に対して、経済対策は大盤振る舞いだ。「前代未聞」「リーマンショック越え」の大規模財政出動をしたことにより、財政危機になる。それが真の危機で、これからそれがやってくる。だから「危機に備えろ」、ということになる。 前述の、コロナの深刻度合いに関しては意見が分かれるだろう。だが、明瞭なのは、経済危機としては、瞬間風速だけは前代未聞だったが、トータルの規模では「普通の不況レベルの危機」だ。それに対して、経済対策は前代未聞の規模となる。だから、バランスが悪い、ということは間違いがない。これで財政破綻するかどうかも意見が分かれるだろうが、私は確実に財政破綻すると思う。理由は、前代未聞の感染症はまた必ず、しかも繰り返しやってくるからである。 「100年に1度の危機は10年に1度来る」、とリーマンショックのときにラリー・サマーズ元財務長官は言ったが、人類最大の危機は、21世紀に何度もやってくると私は言いたい。 コロナショックに対して、「人類最大の危機」といった人がいたが、それは明らかな間違いである。人類にとっては、感染症の危機はもっとも恒常的な危機で、最大の、最頻の危機である。 それはともかく、「21世紀は感染症の世紀だ」と、多くの人が以前から指摘していた(マイクロソフトの共同創業者であるビル・ゲイツ氏が言っていたということは、感染症の専門家の間ではコンセンサスだったということだ)。これは驚きでもなんでもない。感染症は繰り返しやってくる。実際、サーズ、マーズ、新型インフルエンザ、エボラと私が覚えているメジャーなものだけでも21世紀にすでに4つある』、「100年に1度の危機は10年に1度来る」、「21世紀は感染症の世紀だ」などは、言い得て妙だ。。
・『また「前代未聞の経済対策」が繰り返されるのか  少なくとも、同じ程度の感染症の危機はすぐに必ずやってくる。そうするとどうなるか。 感染症対策は進んでいるから、少しはましな医療が提供されるだろう。だが、経済対策は同じことを繰り返すだろう。つまり、前代未聞の経済対策は、毎回発動されるということである。 アメリカは今回追加を含めれば総額600兆円を超えるといわれる対策を打った。日本も、5月27日に第2次補正予算が閣議決定され、「真水」の議論はあるものの、第1次補正とあわせれば総額は234兆円だ。歳出ベースでもリーマンショック時を上回る60兆円を超える財政支出がなされ、それのすべてが国債でまかなわれる。安倍晋三首相が言うように、日本においては、空前絶後であることは間違いがない(絶後かどうかはわからないが)。日本に「実は危機はなかった」にもかかわらず、である。 何度も言うが、感染症の危機としては今回よりも大きな危機は必ずやってくるだろう。そして、人々は補償を求める。言い方は悪いが、有り体に言えば、人々のため、社会のために自粛、休業を要請しても「金をくれなきゃ休業、自粛してやんない」、というのがデフォルト(標準的な設定)として今回確立してしまった。 次の感染症のとき、首相、官邸はどうするか。支持率の低下を防止するために、先回りして、その危機の大きさを確かめる前に、感染症が広まった瞬間に金をばら撒くことになるだろう。間違いなく、そうしているうちに財政は破綻する。だから、今回の危機はコロナ危機ではなく、経済危機でもなく、財政危機が最も深刻な日本社会へのリスクなのである。 では、本来はどのような経済対策を打つべきか。ここでは、あまり長くなってもいけないので、詳細は改めて議論することにして、要点だけ述べよう。 前提として、コロナ危機はとりあえず去った。残っているのは、不安だけである。安全ではなく安心のために大規模なばら撒きが行われた。需要が萎縮するとすれば、不安によるもの、および、観光や夜の飲食などを中心に、冷静に考えると不急であるだけでなく不要であると人々が気づいたものは、不安が解消されても(必ず人々は忘れる)、需要は回復しない。しかし、真に必要な、人々が熱望する、観光や夜の飲食は続くであろう。 アメリカでは中小企業だけでなく、大企業の倒産が相次いだ。高級百貨店のニーマン・マーカス、中堅商業施設のJ.C.ペニー、アパレル中堅のJ.クルー。そして、レンタカーのハーツ。シェールオイル、ガス関連企業の破綻も相次いだ。日本ではアパレルのレナウンがいまのところ大型倒産の代表格であろうか』、「財政危機が最も深刻な日本社会へのリスク」というのは、日銀の異次元緩和により覆い隠されている。しかし、長期金利が上昇し始めると、「財政危機」が一気に顕在化すると思う。
・『「家賃補償政策の本質」とは何か?  これらの倒産企業の共通点は何か。いずれも、コロナ危機の前から、経営が行き詰まっていたところである。構造変化や経営の失敗で回復の見込みがかなり薄かったところへ、コロナがとどめを刺した。もともと価値を失っていた企業、ビジネスモデルなので、破たん前の救済や買収は起きにくかったのである。中小企業を含むすべての企業も同じことが言える。もともと、あまり調子が良くなかったところから倒産に追い込まれていくのが大半である。 コロナ危機の最中は、資金繰り倒産を防ぐことが最大の課題であった。 いまや危機は去った。これで需要が出ない、売り上げが立たないとすると、それは構造的な問題であり、現金を給付して支えることは逆効果である。廃業または倒産する企業を支えることになる。 そのような企業、ビジネスモデルは存在価値がないのであるから、構造転換支援、あるいは転業支援をするべきである。そして、守るべきは、人間である。したがって、失業保険は充実させるが、休業補償に類することは、いまや打ち切るべきである。もっとも無駄なのは、いまさらの家賃補填である。しかも600万円までと多額である。この家賃補償の政策は行うべきではない。 理由は簡単だ。これは中小企業支援、テナント支援、お店の支援ではなく、ビルオーナー支援、地主支援に他ならないからである。まともな地主、オーナーはこの休業期間、家賃を免除している。例えば最大手の一角である三井不動産は、「ららぽーと」などの家賃は減免するなどしている。利益は減り、それが一つの理由で株価が下がった。しかし、大手としては妥当な行動である。テナントあっての不動産ビジネスであるから、長年の重要な顧客は守る必要がある。 新しい平常になっても、オーナーとしては価値のあるテナントは大切にするはずである。資金繰り支援を金融機関にしてもらうのは必要だが、家賃については、オーナーが交渉に応じるはずだ。応じないのであれば、そのオーナーはだめなオーナーか、テナントがもともとうまくいっていないから価値のあるテナントではないということだ。あるいは家賃の値上げを長期間拒んで破格の家賃で居座っていたか。そうしたケースもあるだろう。 いずれにしても新陳代謝を進める意味でも、家賃補助はするべきでない。守るべきは、それで仕事を失った働き手の支援であり、彼らには失業保険などを手厚く給付すればよい』、「廃業または倒産する企業」には「構造転換支援、あるいは転業支援をするべき」、「守るべきは、人間である」、同感だ。
・『「不安」をどうすればいいのか?  一方、マクロ的な需要刺激策も不必要だ。需要は、我慢していたのだから、これが噴出してくる。「ペントアップデマンド」と呼ばれているが、名前はともかく、自粛で我慢していた需要が出てくるので、需要はむしろ短期的にはあまるほど出てくる。 結局のところ、日本を振り回したのは、不安である。 不安が、存在しない危機を人類最大の危機に発展させ、必要のない、バラ撒きを実現させたのである。そして、この不安には根拠がない。だから、バラ撒きで一時的にほっとするが、すぐにまた不安になる。「1回きりの10万円では足りるはずがない!この先どうなるかわからない。毎月10万円は必要だ!」などと言われる始末である。10万円配って、支持率が下がってしまうのだから「ばら撒き政策」もまったく無意味になってしまった。 さらに、この不安は実体経済にも直接影響を与えている。不安が残り、不必要に移動や支出を怖がる場合、需要が戻らない。では、どうしたらよいか。 これに対しては、根拠がない不安であるから、理屈で対策を取っても意味がない。それにもかかわらず、コロナ前には、世の中でもっとも合理的だと思われていたエコノミストたち(合理的過ぎて現実の人々の気持ちがわかっていないと非難されていた)が、得体の知れない不安を真正面から受け止めようとして、「日本自爆政策」とも呼べるような提案をしている。 彼らは、コロナ前には「財政緊縮論者」として批判を浴びていたはずだ。だが、人々の不安を払拭するために、全国民あるいはそれに近い大量のPCR検査を繰り返し行い、人々を安心させて、経済活動に復帰させようと提案している。アメリカのハーバード大学などがそのようなことを提言したから、この受け売りというだけなのかもしれないが、彼らは真剣だ。毎年数兆円の支出と、実施に際して非常な困難を伴ってでもやるべきだ、と主張している。 私は「コロナでおかしくなってしまったのか」と言いたい。PCR検査の結果が今日陰性でも、明日に陽性になるかもしれないのだ。だから、闇雲な検査はまさに百害あって一利なしに等しいのである。「では抗体検査を」、というが、これも賛否両論で、今回のコロナは抗体があっても大丈夫とは言い切れない。大量の国民全員の検査を行って、得られるものは、誤った安心である。目先の不安は解消されるかもしれない。ただ、それだけのために、毎年数兆円支出するという提案をするのである』、「エコノミストたち」の「提案」に対しては、「「コロナでおかしくなってしまったのか」と言いたい」、その通りだ。
・『真の感染症危機が到来し、日本が財政破綻する懸念  この提案の最大の欠点は何か。検査をするのは、陰性なら安心ということで、不安を解消することのはずだ。だが、陰性で安心して活動していたら、発症して陽性になった、という例が出ている。「それは確率論だから、それが出てもかまわない。出たら隔離すればよい」、と全数検査提案側は言う。だが、国民の側はそうではない。陰性なら安心ということに金と時間と手間を払っているのに、これで発症して、他人にも感染したらまさにそれこそパニックである。かえってパニックは大きくなる。これこそが、原発事故でも日本を襲った、ゼロリスク神話、ゼロリスク追求癖の罠である。 したがって、日本には間違いなく今後、再び、いや真の感染症危機がやってくる(それが吉崎氏のいう「第2波」であろうが、別の新型ウイルスであろうが)。そのとき日本がパニックになり、感染症危機がどこまで深まるかは、そのときの対応、あるいは準備次第である。だが、少なくとも財政は確実に破綻するのである。 よって、吉崎氏に言わせれば、「なんだ、論理は違うが、結論はほぼ一緒だね」、と言うことになるのかもしれない・・・』、「ゼロリスク神話、ゼロリスク追求癖の罠」、とは確かに日本人が陥り易い悪弊だ。「財政は確実に破綻する」、前述のように私には異論がある。

第三に、6月3日付けJBPressが掲載した産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授の古森 義久氏による「中国の「全人類への犯罪」にイタリアで激怒の声 注目の政治家、サルビーニ氏が中国のコロナ隠しを猛批判」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/60765
・『「中国政府の新型コロナウイルスの隠蔽工作は全人類に対する犯罪だ」イタリアの有力政治家によるこんな激しい糾弾の言葉が、欧米メディアで繰り返し報じられるようになった。 中国の習近平政権が当初、新型コロナウイルスの感染拡大を隠し、感染の状況などについて虚偽の情報を流していたことに対しては米国でも多方面から非難が浴びせられている。だが、「全人類への犯罪」という激しい表現はなかなか見当たらない。なぜこれほど厳しく中国を糾弾しているのか』、興味深そうだ。
・『中国は「全人類に対する罪を犯した」  この言葉を発したのは、イタリアの前副首相で右派有力政党「同盟」の党首(書記長)、マッテオ・サルビーニ氏である。サルビーニ氏はイタリア議会などで次のように発言した。 「もし中国政府がコロナウイルスの感染について早くから知っていて、あえてそのことを公に知らせなかったとすれば、全人類に対する罪を犯したことになる」 「もし」という条件をつけてはいるが、中国政府がコロナウイルスの武漢での拡散を隠したことは周知の事実である。つまりサルビーニ氏は「全人類に対する罪を犯した」として明確に中国を攻撃しているのだ。 4月から5月にかけ、サルビーニ氏は数回、同じ趣旨の中国非難を繰り返した。議会で次のように述べたことも報道されている。 「中国は新型コロナウイルスのパンデミックを隠蔽することによって全人類への罪を犯した」』、「サルビーニ氏」の「中国」批判は確かに激烈だ。
・『中国への接近策をとってきたイタリア  サルビーニ氏は47歳のイタリア議会上院議員で、現在イタリア政界で最も注目を集める政治家の1人である。欧州議会議員を3期務めたあと、右派政党「同盟」を率いて2018年の総選挙で第三党となり、連立政権の副首相兼内相に就任した。2019年9月には内閣を離れたが、その後も活発な政治活動を展開してきた。 ジュセッペ・コンテ首相が率いる連立政権は中国への接近策をとってきたが、サルビーニ氏は中国への接近を一貫して批判してきた。イタリアが中国の「一帯一路」構想に参加して、中国から技術者や学生、移民などを多数受け入れてきたことに対しても、サルビーニ氏の「同盟」は批判的だった。 新型コロナウイルスがイタリアで爆発的に感染拡大する直前の1月下旬、中国に帰って「春節」を過ごしたイタリア在住の中国人がイタリアに戻ってきた。「同盟」は、イタリアでの感染拡大を防ぐ水際対策として彼らの検査を行い、隔離することを提案した。だがイタリア政府はその種の規制を一切行わなかった。 その後、イタリアで悲劇的な感染爆発が起こり、全国民の封鎖状態が長く続いた。6月頭時点で、感染者は累計23万3000人を超えて世界第9位、死者は3万3000人を超え、世界第3位を記録している。 だからこそ、元々、中国への接近に批判的だったサルビーニ氏が激しい言葉で中国政府を糾弾するのはもっともだと言える。しかしそれでも中国政府に浴びせる「全人類への犯罪」という表現は過激である。 米国や欧州の主要メディアは サルビーニ氏の発言を「中国への激しい怒り」の実例として報道するようになった。米国の有力新聞ワシントン・ポストは、4月中旬の「中国に対して怒っているのはトランプ大統領だけではない」という見出しの記事で、サルビーニ発言を詳しく紹介していた。ヨーロッパでも、イタリアのメディアに加えてイギリスやフランスの新聞、テレビなどがその発言を伝えている。 ヨーロッパ諸国のなかでこれまで中国に対して最も友好的な政策をとってきたイタリアでこうした激しい中国糾弾の言葉が発せられ、広く報じられるという現実は、今後の国際社会で中国が置かれる厳しい状況を予測させるともいえそうだ』、「1月下旬、中国に帰って「春節」を過ごしたイタリア在住の中国人がイタリアに戻ってきた。「同盟」は、イタリアでの感染拡大を防ぐ水際対策として彼らの検査を行い、隔離することを提案した。だがイタリア政府はその種の規制を一切行わなかった」、「サルビーニ氏」の「提案」を無視した「イタリア政府」の責任も大きそうだ。
明日は、持続化給付金などの政策対応を取上げる予定である。
タグ:「同盟」は、イタリアでの感染拡大を防ぐ水際対策として彼らの検査を行い、隔離することを提案した。だがイタリア政府はその種の規制を一切行わなかった 1月下旬、中国に帰って「春節」を過ごしたイタリア在住の中国人がイタリアに戻ってきた コンテ首相が率いる連立政権は中国への接近策をとってきたが、サルビーニ氏は中国への接近を一貫して批判 中国への接近策をとってきたイタリア 全人類に対する罪を犯したことになる 右派有力政党「同盟」の党首(書記長)、マッテオ・サルビーニ氏 「中国の「全人類への犯罪」にイタリアで激怒の声 注目の政治家、サルビーニ氏が中国のコロナ隠しを猛批判」 古森 義久 JBPRESS ゼロリスク神話、ゼロリスク追求癖の罠」 真の感染症危機が到来し、日本が財政破綻する懸念 「不安」をどうすればいいのか? 守るべきは、人間である」 「家賃補償政策の本質」とは何か? 日銀の異次元緩和により覆い隠されている。しかし、長期金利が上昇し始めると、「財政危機」が一気に顕在化する 「財政危機が最も深刻な日本社会へのリスク」 また「前代未聞の経済対策」が繰り返されるのか 「21世紀は感染症の世紀だ」 「100年に1度の危機は10年に1度来る」 「大きな危機」とまでは言えなかったはずの感染症の危機に対して、経済対策は大盤振る舞い 「真の危機」はこれからやって来る なぜ日本の被害は「少なかった」のか 「日本に今度こそ「本当に深刻な危機」が来る理由 コロナ危機で何が「デフォルト化」されたのか」 小幡 績 自由な議論に基づく寛容な社会の維持を 管理国家への誘惑を断ち切る必要 国家規模のGDPの維持が重視され、国家経済のために「国家総動員法」と同じ発想で出している」 一部の経済学者たち」の「提言」 国家総動員法と同じ論理 政府に対し極端な私権制限を要請するメディアや一部の学者たちと、それに同調する人々の動き 「自粛警察」が跋扈 「コロナよりも恐ろしく私たちが回避すべきもの 魔女狩りや全体主義を蔓延させてはならない」 大崎 明子 東洋経済オンライン (その1)(コロナよりも恐ろしく私たちが回避すべきもの 魔女狩りや全体主義を蔓延させてはならない、日本に今度こそ「本当に深刻な危機」が来る理由 コロナ危機で何が「デフォルト化」されたのか、中国の「全人類への犯罪」にイタリアで激怒の声 注目の政治家、サルビーニ氏が中国のコロナ隠しを猛批判) (経済社会的視点) パンデミック
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