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パンデミック(経済社会的視点)(その4)(感染者数急増は 小池都知事と西村大臣が引き起こした「人災」だ、山中伸弥教授「コロナ死者10万人も」発言に見る政策立案の機能不全、Go Toキャンペーンがそもそも「筋の悪い」支援策である理由、小田嶋氏:私たちはどこへ行くのか) [国内政治]

パンデミック(経済社会的視点)については、7月10日に取上げた。今日は、(その4)(感染者数急増は 小池都知事と西村大臣が引き起こした「人災」だ、山中伸弥教授「コロナ死者10万人も」発言に見る政策立案の機能不全、Go Toキャンペーンがそもそも「筋の悪い」支援策である理由、小田嶋氏:私たちはどこへ行くのか)である。

先ずは、7月17日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経産省出身で慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の岸 博幸氏による「感染者数急増は、小池都知事と西村大臣が引き起こした「人災」だ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/243330
・『7月に入ってから東京都で新型コロナウイルスの感染者数が大きく増え、それが地方にも波及しつつあるように見えます。これをコロナの第2波だと言う人もいますが、それが正しいかはともかく、大事なのはそれが自然発生的に起きたものではなく、むしろ小池百合子東京都知事と西村康稔経済再生担当大臣という、2人のコロナ対策責任者が引き起こした「人災」ではないかということです』、「西村康稔経済再生担当大臣」は。「経産省出身」の「岸氏」の後輩に当たるが、それを正面切って批判するとは思い切ったものだ。
・『小池都知事のひどい無策ぶり  菅義偉官房長官が明言したのに対して小池都知事はムキになって反論していましたが、4日連続で200人を超え、7月16日には286人と過去最多となるなど、東京都での感染者数が圧倒的に多いことを考えると、7月に入ってからの感染者数の増加が「東京問題」であることに疑いの余地はありません。 それではなぜ東京都で感染者数が激増したのかと考えると、結論として、小池都知事が6月以降、大した感染防止策を講じなかった影響が大きいと言わざるを得ないのではないでしょうか。 そもそも、5月25日に国の緊急事態宣言が解除された後は、感染防止のための対策を講ずべき一義的な主体は都道府県知事です。緊急事態宣言のような全国一律の対応が必要な段階が終わった以上、地域ごとに感染状況が異なることを考えれば当然のことです。だからこそ、5月25日に開催された政府対策本部で配布された「基本的対処方針(案)」でも、さらなる対策の主体としては都道府県知事が想定されています。https://corona.go.jp/expert-meeting/pdf/sidai_r020525.pdf(資料3) ところが、東京都は緊急事態宣言が解除されてから最近に至るまで、ほとんど新たな感染対策は講じてきませんでした。「東京アラート」という愚策以外では、6月上旬頃から歌舞伎町のホストクラブやキャバクラなど、いわゆる“夜の街”での感染者数の増加が指摘され出したにもかかわらず、記者会見で「感染要警戒」というパネルを掲げて注意喚起する以外は、“夜の街”で働く人にPCR検査を受けることを推奨したくらいです。 しかし、働く人だけで、客にPCR検査を行わなかったら、感染防止策としてはあまり意味がないのではないでしょうか。“夜の街”の客で感染した人が市中感染を広げる可能性は十分にあるからです。時系列的にも、まず6月上旬から“夜の街”での感染が増え出し、7月になって“夜の街”以外での感染が増えて東京全体の感染者数も激増しているというのは、初動段階で“夜の街”での感染拡大を防げなかったからではないかと思えてしまいます。 そう考えると、“夜の街”で客にまでPCR検査を広げるのが難しかったのなら、クラスターとなったホストクラブやキャバクラを休業させるべきでした。しかし、休業協力金を払う財政的余裕がないからなのか、そうした必要となる対策は何も講じませんでした。 ちなみに、感染対策が手薄になった証左として、東京都の対策本部の開催状況を見ると、緊急事態宣言解除までは週に1度程度のペース開催されていたのが、6月になると2、11、30日と3回しか開催されていません。6月上旬から“夜の街”問題が騒がれ出していたのに、11日から30日まで対策本部は開催されていないのです。 小池都知事は、4月上旬に独自の感染防止策を講じようとしたら政府に介入され、“(知事の)権限は社長かと思ったら、天の声がいろいろ聞こえて中間管理職になった”と発言しています。 その頃はそれくらい感染防止策の策定に前向きだったのが、7月上旬に会見で再度の休業要請について問われると、「国の再度の緊急事態宣言を行われた場合、改めて判断が必要」と、以前と真逆の受け身の姿勢になっていました。こうした状況を見ても、緊急事態宣言の解除後は、最近になって感染者数が激増するまでは新たな感染防止策を主体的に講じる気がなかったことが分かります。 7月上旬に新宿区がPCR検査の受診を促すために「感染者に10万円支給」、豊島区がクラスター対策として「休業要請に応じた店に50万円支給」と、区が独自の感染防止策を打ち出しています。それは逆にいえば、それらの区の“夜の街”で感染者が激増しているのに、東京都が何も感染防止策を講じないので、やむなく区が独自にやらざるを得なかったということだと思います。 小池都知事は今になって、「区の独自の取り組みを都が支援する」といった趣旨の発言をしていますが、本来は東京都が感染防止策を講じる主体なのです。かつ、新型インフルエンザ特措法上は、知事に市町村の対応の総合調整を行う権限があるにもかかわらず、新宿区と豊島区が異なる取り組みをしているのを放置しているというのも、無責任極まります』、「小池都知事」の姿勢は「無責任極まります」、全く同感だ。ただ、最近の「感染者数の増加」は、「東京問題」から大阪府や神奈川県、埼玉県などに広がりを見せているようだ。
・『“規制”より“推進”を優先した西村大臣  ただ、小池都知事だけを責める訳にいかないのも事実です。政府、特にコロナ対策の担当大臣である西村大臣にも大きな責任があるからです。 政府は緊急事態宣言解除以降、「感染拡大の防止と社会経済活動の維持の両立」の実現を目指していますが、5月25日以降の政府の対応や西村大臣の発言などを見聞きすると、感染防止と経済活動のバランスを取るどころか、明らかに感染防止より経済活動の方に力点が置かれていました。6月上旬以降、東京で“夜の街”の問題が顕在化していったにもかかわらずです。それは結果的に、「緊急事態宣言解除後は経済優先」という誤ったメッセージを国民や地方の首長に対して送ってしまったことに他なりません。 実際、例えば政府の対策本部の開催状況を見ると、5月までは頻繁に開催されていたのに、5月25日に緊急事態宣言解除を決める対策本部が開催された後を見ると、6月は表面上3回開催されていますが、そのうち2回は“持ち回り開催”(配布資料をメンバーに配布するだけ)なので、実質的には1回しか開催されていません。 そして最悪なのは、西村大臣が6月下旬に、コロナ対策の専門家会議を廃止して、感染症の専門家のみならず経済学者や自治体首長などを加えるという、ごっちゃの構成の分科会を新たに設置すると表明したことです。 これがいかに最悪な対応であったかは、原発問題を考えていただければ分かるのではないかと思います。 福島第一原発の事故が起きた後、経産省という一つの組織が原発の規制と推進の両方を行っていたことが厳しく批判されました。同じ一つの組織で規制と推進をやっていては、特に電力業界を所管する組織でそれをやると、当然ながら推進の方に力点が置かれ、規制が緩くなるからです。 そこで、今は原発の規制は環境省(原子力規制委員会)、原発の推進は経産省という形で、規制と推進の権限が別の組織に分けられ、両者をバランスよく進められる体制になったのです。 この原発問題との対比でいえば、西村大臣が行なった専門家会議の分科会への衣替えというのは、感染拡大の防止という“規制”の専門家の組織に、経済活動の再開・拡大という“推進”の専門家である経済学者を入れたに等しいといえます。 もし感染防止と経済活動をバランスよく両立させたいなら、本来は、感染症専門家だけで組織された“規制”を検討する専門家会議は維持し、それに加えて、経済学者などが経済活動の“推進”を検討する会議を別に新設し、官邸なり西村大臣が両方の独立した意見を踏まえて、感染防止と経済活動をバランスよく進められる体制にすべきでした。 そうした当たり前のことを無視し、明らかに間違った組織替えをやってしまっては、感染防止という“規制”と経済活動の“推進”をバランスよく進められるはずがありませんし、何より、政府は感染防止よりも経済活動の方に舵を切ったと受け取られて当然です。 なお、この観点からは、経済政策を担当する西村大臣にコロナ対策の担当を兼任させた官邸の判断自体も、1人の大臣、特に本務が経済で経歴も元経産官僚と明らかに“推進”の側に偏った大臣に、“規制”も担当させたという点で間違っていたといえます。 いずれにしても、政府がこのように感染防止よりも経済活動の再開・拡大に偏ってしまっては、世論や政府の風を読むことに長けた小池都知事が、緊急事態宣言解除以降は感染防止に関して無策であったのも止むを得ないのです』、「本来は、感染症専門家だけで組織された“規制”を検討する専門家会議は維持し、それに加えて、経済学者などが経済活動の“推進”を検討する会議を別に新設し、官邸なり西村大臣が両方の独立した意見を踏まえて、感染防止と経済活動をバランスよく進められる体制にすべきでした」、その通りだ。原発規制の反省は全く忘れ去られているようだ。「経済政策を担当する西村大臣にコロナ対策の担当を兼任させた官邸の判断自体も・・・間違っていた」、安部首相の責任だ。
・『いかにこの人災を乗り越えるべきか  以上から明らかなように、7月に入ってからの感染者数の激増は、基本的には小池都知事の無策と西村大臣のバランスを失した対応による人災と言わざるを得ません。 7月16日になって、赤羽国交大臣がGo Toキャペーンから東京発着の旅行を対象外にする考えを表明しました。これはある意味で、特に小池都知事の無策のツケを、東京都民と東京の観光に関連する事業者がもろに負うことになったといえます。もし今後さらに全国レベルで感染者数が増加して、万が一にもまた緊急事態宣言となったら、全ての国民や企業が、この2人の人災のツケを負うことになるのです。 だからこそ、東京の市区町村の首長には、都知事は頼りにならないと思って感染防止のための独自策をどんどん講じてほしいです。また、東京以外の他府県の知事は、東京を反面教師に、これまで以上に知事が率先して感染防止策を講じないといけないと意識するべきでしょう。そして最後に、官邸は今の政府の体制で本当に感染防止と経済活動拡大をバランスよく実現できるのか、よく考えてほしいと思います』、説得力に溢れた主張で、同感である。

次に、7月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「山中伸弥教授「コロナ死者10万人も」発言に見る政策立案の機能不全」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/242966
・『山中伸弥・京都大学教授のある発言が物議を醸している。「8割おじさん」こと西浦博・北海道大学教授との新型コロナウイルスに関する対談の中で「対策をしなければ今からでも10万人以上の死者が出る可能性がある」と指摘したのだ。この発言は、日本の政策立案における機能不全を物語っている。その理由を説明したい』、「機能不全」とはどういうことなのだろう。
・『「8割おじさん」西浦博・北大教授と山中伸弥・京大教授が対談  山中伸弥・京都大学教授と西浦博・北海道大学教授の対談がユーチューブで公開された(公開期間は2020年10月31日まで)。その中で山中教授は、日本の新型コロナウイルスの流行状況について「対策をしなければ今からでも10万人以上の死者が出る可能性がある」と指摘した。 山中教授は、日本やアジア諸国で新型コロナウイルスによる感染者や死者が少ない要因を「ファクターX」と呼んできた(本連載第243回)。しかし、西浦教授は対談の中で「日本人の死亡リスクが海外よりも低いということはなさそうだ」「ファクターXがあるかどうかは検証の途中。それまでは万人単位の被害が日本でも十分に想定される」と説明した。 西浦教授は4月15日に、まったく対策をとらない場合、コロナによる国内の重篤患者が約85万人に達し、その49%(単純計算で41万人超)が死亡するという試算を発表していた(第242回・P7)。だが、そのような事態は起こらなかった。西浦教授の試算の根拠はいまだに示されないままだ。 山中教授の「10万人以上の死者」の指摘も、根拠は何も提示されていない。「41万人」でも「10万人」でも、それが科学的根拠を持つなら、われわれは深刻に受け止めて対策を取るべきだ。だが、科学者と称する人物の発言に根拠がないというのでは国民が困惑する。 しかも、政府の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議(以下、専門家会議)の委員ではなかった西浦教授個人の試算ならともかく、山中教授は、ノーベル医学・生理学賞受賞者だ。その上、政府のコロナ対策の効果を検証する有識者会議の委員を務めている。圧倒的な「権威」があり、社会的な影響力が絶大である上に、政府の意思決定にも直接かかわっているのだ。 だが、山中教授は「感染症」の専門家ではなく、自分で新型コロナウイルスの研究をしているわけではない。コロナ対策を判断するのに必要な情報は、すべて他の「専門家」の研究に頼るしかないのだ』、「山中教授は「感染症」の専門家ではなく」、のは事実だが、「専門家」も意見を聞いて、独自もモデル計算の結果を発表することには問題はない筈だ。
・『専門家会議の「廃止」を巡り安倍政権の「唐突な決定」に反発  安倍晋三政権は、コロナ対策における意思決定の体制を転換した。まず、前述の「有識者会議(新型コロナウイルス感染症対策・AIシミュレーション検討会議)」を設置し、東京電力福島第1原子力発電所事故の国会事故調査委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大学名誉教授が委員長に就任。山中教授、永井良三・自治医科大学学長、安西祐一郎・日本学術振興会顧問(元慶應義塾大学塾長)らが委員に就任した。 3密回避や外出自粛、休業要請など、これまでのコロナ対策の効果を、人工知能(AI)やスーパーコンピューター「富岳」など、日本が誇る最高クラスの技術や最新の知見を結集し、感染第2波への対策に役立てるという。 また6月24日、西村康稔経済再生相は記者会見で、専門家会議を「廃止」する旨を発表。その代わりに新たな有識者会議「新型コロナウイルス感染症対策分科会」(以下、分科会)を設置すると明らかにした。 ところが、西村経済再生相の記者会見と同じ時間に、専門家会議が別の場所で会見を開いていた。座長の脇田隆字・国立感染症研究所所長らが、専門家会議のあり方について提言を発表している最中に「廃止」の情報が入ったのだ。会見に出席していた委員の尾身茂・地域医療機能推進機構理事長は、「今、大臣がそういう発表をされたんですか?」と驚きを隠さなかった。 その上、専門家会議の「廃止」については自民党・公明党の連立与党に対しても事前説明がなかったため、安倍政権の「唐突な決定」に対する反発が広がった。そのため、6月28日に西村経済再生相は再度会見を開き、「『廃止』という言葉が強すぎた。発展的に移行していく」「専門家会議の皆さんを排除するようにとられたことも反省している」と釈明した。 そして、西村経済再生相は、専門家会議のメンバーの一部が「分科会」に参加するとも説明した。事実上、「廃止」の方針は修正された。実際、専門家会議のメンバー12人中8人が分科会に加わった。しかし、ある政府関係者から筆者が聞いた話では、安倍政権は専門家会議を本当に「廃止」し、新しい分科会には、専門家会議のメンバーを参加させない方針だったのだという。 専門家会議のメンバーは、国立感染症研究所を中心とする「学閥」の推薦で選ばれていた(第242回・P4)。それに対して安倍政権は、分科会の委員に現在の世界最先端の研究に携わっている若手を起用しようとしたという情報を得ている。だが、それは成功しなかったようだ。感染症研究の場合は、国立感染症研究所が絶対的な権力を持つという。その牙城を崩すことはできなかったということか(「日本のサンクチュアリ546 国立感染症研究所」『選択』〈2020年3月号〉)。 少なくとも言えることは、首相官邸・内閣府内部において、コロナ対策を巡り「防疫」か「経済」かの綱引きがあった(第243回・P7)。そして、安倍政権は経済を動かす方にかじを切り、専門家会議との関係が悪化していたということだ』、「専門家会議」の「廃止」を巡る騒動には呆れ果てた。「若手を起用しようとした・・・それは成功しなかった」、「若手」といえども重鎮たちから睨まれるようなことは避けたいのだろう。政府側の一方的な思い込みは失敗に終わったようだ。
・『分科会を新たに設立しても専門家会議の本質的問題は未解決  結局、分科会の会長・副会長には、専門家会議のメンバーだった尾身氏、脇田氏がそれぞれ就任した。一方で、経済界から大竹文雄・大阪大学大学院教授)、小林慶一郎・東京財団政策研究所研究主幹、労働界から石田昭浩・連合副事務局長、メディアから南砂・読売新聞東京本社常務取締役、そして地方自治体から平井伸治鳥取県知事が加わった。「世論を敏感に察知し」「地域の現場のニーズに応え」「経済を動かして」「雇用を守る」という安倍政権の新しい方針がはっきりと分かるメンバー構成となった。 だが、この連載が指摘した専門家会議の本質的な問題は何も解決していない。それは、集団を対象として病気の発生原因や流行状態、予防などを理論的に研究する「理論疫学」の世界最先端の研究動向を追うことができる専門家がいないことだ(第242回・P6)。 いくら経済中心の対策にかじを切ったとしても、それはあくまで社会全体のバランスを考慮するという意味であるべきで、感染症対策の核はあくまで「理論疫学」だ。だが、分科会のメンバーで「理論疫学者」は、押谷仁・東北大学大学院医学系研究科微生物学分野教授しかいない。 その押谷教授は、日本のコロナ対策の根幹を担った西浦教授の「クラスター対策」の論文における共同執筆者だった(Nishiura, H. et Al. “Closed environments facilitate secondary transmission of coronavirus disease 2019 (COVID-19)” )。クラスター対策は、果たして本当に効果があったのか、いまだに検証されていない。 クラスター対策は、世界の他の国々が採用していない日本独特のものだ。英医学誌「ランセット」や英科学誌「ネイチャー」などの学術誌がリードする、世界最先端の研究成果で明らかになっていく新型コロナウイルスの特性をフォローしたものとなっていたのかどうかについては疑問がある』、「クラスター対策は、世界の他の国々が採用していない日本独特のものだ」、そうであれば「学術誌がリードする、世界最先端の研究成果で明らかになっていく新型コロナウイルスの特性をフォローしたものとなっていたのかどうかについては疑問がある」、との主張には違和感がある。有効性があるのであれば、世界に積極的に発信してゆくべき、とすべきだろう。
・『首相官邸が非常に悩まされた専門家会議から上がる情報とは  さらに問題なのは、分科会に上がる議題をつくるる事務局を務めることができるのは結局、厚労省・健康局結核感染症課の「医系技官」しかいないということだ(「日本のサンクチュアリ548 厚労省・結核感染症課」『選択』〈2020年5月号〉)。年功序列・終身雇用の日本の官僚組織では、政策課題に合わせて専門家をその都度集めることはできない。結局、既存の組織に頼るしかないのだ。 これがなぜ問題なのかといえば、日本の政策立案過程では、「議題設定」の権限を持つ者が極めて大きな権力を行使できるからだ。自己に有利な争点だけを選別して政策決定プロセスに持ち込むことができるそして、内閣府や各省庁の審議会で議題設定をするのは、事務局を務める官僚なのだ。 これも、ある政府関係者に聞いたことだが、首相官邸がコロナ対策で、非常に悩まされたことの1つが、「厚労省の技官→専門家会議」というルートから官邸に上がってくる情報が、経済無視・疫学重視ともいえるものばかりだったことだという。「国内の重篤患者が約85万人に達し、その49%(単純計算で41万人超)が死亡する」に代表される、「経済の崩壊」「大量の失業者の発生」のリスクを無視してでも「オーバーシュート(感染爆発)を止めなければならない」ということを訴える数字・データばかりだったようだ。 官邸はそれをなすすべがなく受け入れざるを得なかった。その怒りが、専門家会議の「廃止」につながったとみられる。だが、新たに組織した分科会でも「議題設定」は今までと同じ医療技官が務めることになる。 これに対して首相官邸は、分科会に経済界、労働界、メディアなどの代表を加えることで、医療技官・御用学者らを抑える「歯止め」にしようとしたように見受けられる。だが、問題なのは「専門家とみなされている人の科学的な提案を、政治家・経済人が無視して、権力で抑え込んでいる」という構図になっており、それを国民が目撃してしまっていることだ。 専門家とされる人たちが主張することを「おそらく正しいのだろう」と思って、その中身の詳細が分からなくても国民は黙って従ってきた。そのことは、日本のコロナ対策における「核」といっても過言ではなかった。 そんな日本の国民が、専門家を否定し、非科学的な決定をする政治家や経済人に疑問を持たずに従えるだろうか。混乱し、パニックを起こさないとは限らない。 そして、冒頭に取り上げた山中教授と西浦教授の発言は、政治家や経済人が権力で押さえつけようとすることに対する、専門家の反発のようにも思える。とはいえ、科学的根拠のない政治的発言を専門家がし始めたら、今後に大きな禍根を残すように思う』、「官邸に上がってくる情報が、経済無視・疫学重視ともいえるものばかりだった・・・「経済の崩壊」「大量の失業者の発生」のリスクを無視してでも「オーバーシュート(感染爆発)を止めなければならない」ということを訴える数字・データばかりだった」、これは「専門家会議へのないものねだりに過ぎない。経済的リスクを考えた上で、総合判断するのが「政治」(官邸)の役割の筈だ。「上久保氏」までが混同するとは、残念だ。
・『専門性の高い感染症対策のような政策を適切に立案するには  最後に議題としたいのが、日本の政策立案過程において、感染症対策のような専門性の高い政策を取り扱う際、どのような制度の改革が必要だろうかという点だ。「ポストコロナ」の時代を考慮し、現時点の筆者の考えをまとめておきたい。 この連載で既に論じてきたことだが、官僚組織の年功序列・終身雇用制を緩和して、研究者が官僚組織のさまざまなレベルでポストを得られるようにすることが、改革案の一つとして挙げられる(第242回・P4)。 現行の制度において官僚は、多くが東京大学などの学部卒であり、基本的にジェネラリストの行政官だ。修士号や博士号を持つ人は限られ、政策の専門性は行政の経験に基づくもの。従って、官僚が作成する政策案は、理論的というより現行制度をベースにした現実的なものになってしまう傾向にある。 これに対して米国や英国などの官僚組織は、終身雇用・年功序列ではない。研究者が、若手の頃からさまざまなレベルでのポストに応募する機会がある。省庁では、政策の原案を練るところから多数の専門家が入り、先端の研究の知見が反映されることになる。 そして、研究者は大学・研究所・シンクタンク等と省庁の間を何度も行き来しながらキャリアを形成していく。これを「回転ドア(Revolving Door)」と呼び、省庁を退官後に官僚が民間に籍を移す、日本の「天下り」と対比されることがある。 欧米のこの「回転ドア」は、大学と役所の専門家間で多くの「政策ネットワーク」が形成されることにつながる。また、省庁のポストには学会の推薦ではなく個人で応募する。特筆すべきは、外国人研究者がポストに就くことがある。例えば、かつて英国の中央銀行であるイングランド銀行には、日本人も研究員として在籍していた(第20回・P4)。 外国人を雇用すると情報漏洩の問題が生じるという向きがあるかもしれないが、日本国籍保有者しかいない日本の役所でもさまざまな事件が起こってきた。政策立案に重要なのは、国籍にこだわらず、真に優秀な人材を集めることだという考え方だろう。 結果として、多様な学説を持つ専門家がしがらみなく政策立案に参画することになる。学説の間での「競争」が起こって政策案が磨かれ、政府の選択肢も増えることになる。 次の改革案として、学会の重鎮を集める審議会の廃止を挙げたい。専門家を集めて首相官邸に助言する会議体を設置するならば、世界最先端の研究に参画している若手を集めるべきだ。リモートで世界中をつないで会議ができる時代だ。海外の大学で研究に携わっている研究者でも日本の会議に参加できる。むしろ、最先端の情報がリアルに入りやすくなる。また、外国人研究者でもまったく問題はない。 学説の異なる研究者が対立し、提言が1つにまとまらなくてもいい。むしろ、両論併記で提言を政府に提出すれば、政府は政策決定に多様な選択肢を持てる。そして、提言は首相を座長とし、閣僚と経済ブレーンで構成される「経済財政諮問会議」で審議して、最終的に政府の政策となる形とする』、「官僚組織の年功序列・終身雇用制を緩和して、研究者が官僚組織のさまざまなレベルでポストを得られるようにする・・・回転ドア」には賛成だ。国籍の問題では、「英国の中央銀行であるイングランド銀行」のマーク・カーニー総裁はカナダの中央銀行の総裁から転身したカナダ人である。
・『首相の「権限強化」を今あえて提言する理由  さらに、首相の「権限」をあえて強化することを提言したい(第183回)。1990年代以降の政治行政改革で首相の「権力」は圧倒的に強くなった。一方、首相の「権限」はいまだ十分に整備されていない。そのために首相官邸・内閣府に何もかもが集中するし、混乱状態に陥ることが少なくない。コロナ対策の迷走も、この首相官邸の混乱状態で起こっている。 この混乱状態を解決するには、英国の首相が持つような、政策目的の達成のために柔軟に官僚機構を変更することができる「省庁の設置、分割、統廃合の権限」を日本の首相にも付与することだ(第25回)。 例えば、英国では2016年のEU(欧州連合)離脱の国民投票後、テリーザ・メイ氏が首相に就任した直後に、「EU離脱省」という新しい役所を国会審議なく即座に設置した(第135回)。これが可能なのは、英国の首相に前述の「省庁の設置、分割、統廃合の権限」があるからだ。加えて、英国の中央省庁には「年功序列」「終身雇用」がなく、政策課題ごとにそれぞれの政策のスペシャリストを集めることができるのである。 一方、日本の国家行政組織は、「国家行政組織法」と各省庁の「設置法」で規定されている。国家行政組織法は、「行政機関は設置法によって定められる」としており、設置法は「各省庁の任務・所管業務」を細かく決めている。各省庁は、設置法に基づいて業務を行い、それを超えることはできない。 その結果、日本では「政策課題の解決」よりも「行政組織の防衛」が重要視されがちになる。各省庁では、決められた業務の範囲内で政策を考える。それを超える解決策が出てきても、さまざまな論理をひねり出して、それを排除しようとする。 ましてや、他省庁に権限を譲らなければならないような事態は、絶対に避けようとする。政策課題を解決するには何がベストかという発想はそこにはない。ご存じ、「縦割り行政」の弊害である(第128回)。 この問題の解決策が、首相に「省庁の設置、分割、統廃合の権限」を与え、政策課題に的確に対応する役所をつくることなのだ。例えば、感染症対策に関して、厚労省の「組織防衛」の行動が問題となるならば、「感染症対策庁」のような役所を即座につくってしまうのだ。職員も文部科学省や厚労省からの出向でなく、専門家や優秀な人材を外部から中途採用で集める。厚労省を変えようとするよりも、このほうが早く、効果的な体制を作ることができるのだ. もちろん、これはコロナ対策には間に合わない。だが今後を考えれば、より強毒性で致死率が高い感染症に日本が襲われるかもしれない。また、感染症に限らず、「ポストコロナ」の時代には、ITの劇的な進化などによって、より専門性の高い政策課題が増えると予想される。政策立案過程の抜本的な見直しは、極めて重要度が高い課題であると考える。<参考文献>は省略』、「首相の「権限強化」」には賛成できない。「首相官邸・内閣府に何もかもが集中するし、混乱状態に陥ることが少なくない。コロナ対策の迷走も、この首相官邸の混乱状態で起こっている」、というのは「官邸」の前さばきが悪いためで、「首相の「権限強化」」とは無関係の筈だ。厚労省の一技官すらコントロール出来ない現状の指導力欠如、こそが問題なのではなかろうか。

第三に、7月18日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した室伏政策研究室代表・政策コンサルタントの室伏謙一氏による「Go Toキャンペーンがそもそも「筋の悪い」支援策である理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/243562
・『特に東京都の感染者数が連日3桁を記録し、16日には280人を超えたことから、懸念は批判に変わり、推進側のはずである与党内にも22日からの実施を疑問視する声が上がった。結局、赤羽一嘉国土交通相は東京都発着の旅行は対象外にすると表明した。この急な措置のため、新たな混乱を生んでいる状況だ(新型コロナ感染症に対する態度は、地方に行けば過剰なほどに恐怖心に染まってしまっているようで、そうした有権者に本事業を説明しようとしても強い反発を受けるだけのようであり、与党内からも上がる疑問の声はそうした地元選挙区の事情も反映してのことだろう)。 確かにPCR検査の結果、感染者が多く出ている地域に居住する人が、国内各地に、旅行で一時的とはいえ散らばることで、感染する機会が増えることになる可能性は否定できない。 ただし、このキャンペーンは、もともとは新型コロナ感染症の感染の収束後の一定期間において実施するとされていたものである。つまり、実施の条件は「コロナ禍の収束」であり、現段階で「収束した」と言えるのかどうかが問題となるのだが、少なくとも数字上の感染者数は、無症状なのか軽症なのか、重篤化率はどうなのかなどは別にして、増加しているのであるから、「収束した」と言える状況ではないことは確かである』、前述のように新規感染者数の増勢が、東京都だけでなく、大阪府、神奈川県、埼玉県などでも抑えられなくなり、第二波到来の可能性も否定できないのであれば、「キャンペーン」対象から「東京都」を外すといった小手先の対策ではなく、「キャンペーン」全体を本来の「収束後」まで延期し、宿泊施設などに対しては、売上減少に対して、別途、助成金を出すといったオーソドックスな対応が望ましい。
・『Go Toキャンペーンが事業者支援になっていない理由  そもそも実施する条件が成立していないわけであり、その点から現段階で実施すべきではないというのが妥当な反対論のはずである(よって、旅行に行けば感染機会が増えてうんぬんというのは本事業というものを理解していないことになる。「反対のための反対」と言われても仕方あるまい)。 しかし、本事業の「真の問題」は、そこではないと筆者は考える。はっきり言えば、それ以前の問題があるのである。 それ以前の問題とは何か?結論から言えば、本事業は「真に事業者の支援にはなっていない」ということである。 では、なぜ支援につながらないのか?) 考えてみてほしい。事業者にとって必要なのは、新型コロナ感染症の感染拡大によって休業を余儀なくされたり、来客が大幅に、否、激減したことにより、失われた売り上げのうち、「粗利に当たる部分の100%の補償」である。 本来、これは可及的速やかに行われなければならないところだ。ところが、本事業は新型コロナ感染症の「感染が収束した」ことを条件とした「アフターコロナの景気対策」であるので、実施されるまではいつまでたっても売り上げは大幅減かゼロのままである。かつ本事業が実施されたとしてもすべての事業者が同様に同等の売り上げが得られるわけではない。当然、新型コロナ感染症の感染が拡大する以前と同様の数の来客が得られる保証もない。 要は、この非常時における事業者支援策には適さず、そもそも「筋が悪い」ということだ。 理由はそれだけにとどまらない。実際に旅行に出かけることになる一般市民、消費者についても、休業や失業、廃業などで収入が激減するかなくなってしまい、旅行に出かける余裕など全くないというのが実情だという人も少なくない。実際に本事業を使うことができる人は相当限られることが容易に推測され、消費喚起策にす」らならないであろうということだ。 事業者を真に支援する施策にもならず、消費喚起策にもならないのであれば、早々にやめるべきであるという話になるはずだ。しかし、現状では、本事業の賛否を巡る議論・論争は、こうした「基本的な点」に触れたものは、筆者の知る限り見たことがない。 むろん、いつになるかわからない「収束」を前提にした支援策ではなく、失われた粗利の100%補償の早期実現を3月段階から強く求め、精力的に提言・情報発信活動を行ってきた、自民党の安藤裕衆院議員を会長とする議連「日本の未来を考える勉強会」の会員議員たちは、当然理解しているだろう』、「筋が悪い」のを最悪のタイミングで実施しようとするのは、「日本旅行業協会や大手旅行会社」と自民党の金を通じたつながりの深さがありそうだ。前者の会長は何と二階幹事長のようだ(日刊ゲンダイ「安倍自民「GoTo」強行の裏に…受託団体と献金通じた“蜜月”」)。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/276137
・『「コロナ倒産」が急増の懸念 今やるべきことはなにか  もっとも、新型コロナ感染症への過剰ともいえる恐怖心に駆られた一般市民からすれば、「旅行者=感染を運んでくる人」となって、感染を拡大させることにつながる本事業は「やめてくれ」という考えになっても仕方がないところだ。このため、本事業を巡る議論がそれに引っ張られてしまうのも同様に仕方がないことであろう。 しかし、政治家や言論人のレべルとなれば、「ものの本質を見据えた議論」を行ってしかるべきであり、「Go Toキャンペーンではなく、失われた粗利の100%補償の実現を」と問題点を指摘して訴えるべきだ。本事業の賛成派にしても、(実際にはそうはならないのだが)これが少しは事業者支援につながることを具体的に説明するなどして議論すべきであろう。 いわゆる新型コロナウイルス関連倒産は、帝国データバンクの調査によると、7月16日16時現在で346件、法的整理は271件、事業停止は75件となっており、倒産業種のうち観光関連では「ホテル・旅館」が46件となっている。 一部の有識者からは「今後、この新型コロナウイルス関連倒産は急増する」との指摘もあり、予断を許さない状況であるといえる。 そうした中、国は違うが、フランスでは観光業を具体的な支援の対象の一つとした、日本円で5兆円強の第3次補正予算案の審議が国会で行われており、早期の成立が見込まれている。 そもそも本年度第1次補正予算で措置したということが間違いなのであるが、それはそれとして、今実施すべきでないことは明らかなのであるから、「失われた粗利の100%補償」につながる本年度第3次補正予算の早期編成こそ、与党良識派、そして野党も求めるべきなのではないか』、何らかの「補償」は必要であるとしても、「失われた粗利の100%補償」は行き過ぎのような気がする。自粛措置の影響を受けたのは、旅行業界に止まらず、飲食、小売、など幅広い。どこまで「補償」するのかは、財政負担も含め慎重に検討するべきだろう。

第四に、7月17日付け日経ビジネスオンラインが掲載した:コラムニストの小田嶋 隆氏による「私たちはどこへ行くのか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00079/
・『Go Toについて書いておきたい。 7月16日午後6時の執筆時点では、東京を対象外とする方針が固められたようだ。 とすれば、Go Toトラベルキャンペーンが、国の施策として動きはじめようとしているいまのうちに、その決定の経緯と現時点での反響を記録しておく必要がある。このタイミングを逃すと 「お国が引っ込めた施策について、いつまでもグダグダと言いがかりをつけるのは、あまりにも党派的な思惑にとらわれたやりざまなのではないか」「世論の動向にいち早く反応して、一旦は動き出した政策を素早く見直す決断を下した安倍政権の機敏さを評価しようともせずに、死んだ犬の疱瘡の痕を数えるみたいな調子で撤回済みのプランを蒸し返してあげつらっているパヨク人士の叫び声が必死すぎて草」てな調子で、検証作業そのものが、要らぬ非難を招くことになる。 でなくても、いったいに、現政権は、検証ということをしない。 彼らは、森友案件を踏み消して以来、自分たちの失策や見込み違いを 「過ぎたこと」「終わった話」として下水に流し去る自分たちの処理手法に自信を抱いている。 どんなにひどい不祥事や不品行があっても、とにかく知らん顔をして時間が経過するのを待っていれば、じきに国民は忘れてしまう、と、そうタカをくくっているのだろう。で、実際、われら善良なる国民は、次から次へとやってくる新しい話題に、順次目を奪われ、毎度気をとられながら、順調に古い話を忘れては、今朝もまたまっさらになった新鮮なアタマで、ワイドショーの画面に出てくる眠そうな落語家の顔を眺めている。 いまとなっては、「桜を見る会」の話題すら持ち出しにくい。 「ああ、桜ね。もう古いんだよなあ」と、政治部の記者さんたちにしてからが、ファッション誌のフロントページ企画担当みたいな口調で、古い記事をネグレクトしにかかっている。 「だって、数字獲れないでしょ? 桜じゃ」と。 了解。きみたちの魂胆はよくわかった。せめてページビューを稼げるうちに話題にしておこう、と、そんなわけなので、今回は全力をあげてGo Toをほじくり返しに行く所存だ。 不思議なのは、国交省が素案を持ち出すや、各方面から異論が噴出して止まなかった、このどうにもスジの悪い田舎クーポン作戦を、政権中枢の人々が、これまでどうして延期することができなかったのかだ。 全国の新型コロナウイルス感染者数が再び増加に転じたかに見えるこの二週間ほどの世間の空気を感じていれば、少なくとも実施時期をひと月かそこいら後ろにズラすのは、そんなに素っ頓狂な決断ではない。 というよりも、すんなり延期なり中止なりを発表していれば、ほとんどすべての国民は、政府の英断を歓迎していたはずだ。こんなことは、私のようなド素人が言うまでもなく、さまざまな分野の専門家や有識者の皆さんが、ずっと以前から、口を酸っぱくして繰り返していたお話だ』、「現政権は、検証ということをしない。 彼らは、森友案件を踏み消して以来、自分たちの失策や見込み違いを 「過ぎたこと」「終わった話」として下水に流し去る自分たちの処理手法に自信を抱いている」、これは「政治部の記者さんたちにしてからが、ファッション誌のフロントページ企画担当みたいな口調で、古い記事をネグレクトしにかかっている」、マスコミにも責任の一端がありそうだ。
・『「キャンペーンそのものの当否はともかく、いまやることじゃありませんね」「百歩譲って、旅行業者の窮状を救う必要があるのだとしても、こんなまわりくどい方法を採用する意味がわからない」「ただでさえ給付金業務の事務委託費を電通に丸投げにしている件が炎上しているさなかで、同じように痛くない腹をさぐられかねない膨大な事務費のかかるキャンペーンを強行する意図は那辺にあるのか」「ものには優先順位がある。医療崩壊の危機に瀕している医療・保健行政の現場や、先日来の水害で今日住む場所にさえ困窮している被災地を差し置いて、旅行業者の救済を優先する政府の姿勢には、強い利権の影響を感じる」「そもそも、第二波の到来が強く疑われる状況下で、国民に旅行を促す姿勢自体が不見識だし、感染予防の観点からも到底承服しかねる」「全国旅行業協会(ANTA)の会長の座にある人間が、自民党幹事長の二階俊博氏であることは、誰もが知っている事実だ。とすれば、このGo Toトラベルなる観光支援施策自体が、ためにする利益誘導と思われても仕方がないわけで、李下に冠を正さずという観点からも、いまこの時にこんなスジの悪い政策を強行する必然性は皆無ではないのか」 と、代表的な反対意見を並べてみただけでも、このキャンペーンの悪評ふんぷんぶりは明らかだ。事実、私自身、Go Toトラベルのキャンペーンに積極的に賛成している人間を一人も見たことがない。 賛成意見も 「いまさら中止できない」「どっちみち感染拡大が止められないのなら、せめて経済を回しながら感染拡大と対峙する方が現実的なのではないか」「コロナで亡くなるのはご老人だけで、してみると、若干のタイムラグが出るだけで、この数年をトータルした死亡者数ということなら結局は同じことなのだから、どんどん経済を回す方が良い」といった感じのヤケッパチなご意見に限られている。 なお、最後にご紹介した意見は、「癌患者専門の在宅緩和ケア医」を名乗るアカウントがツイッター上に発信していたものだ。 念のためにより詳しく書かれたバージョンをご紹介すると 《スウェーデン方式だと亡くなりそうな高齢者が予定より数年早く亡くなる。自粛方式だと、亡くなりそうな高齢者を自粛期間の分だけ、延命出来る。キャリーオーバー作戦。数年たてば、総死亡者数はどちらも変わらない。経済損失は雲泥の差になる。高齢者の皆さん、死にそうな人が亡くなるだけですよ。》という文言になる。 特定個人の発言をあげつらうことは、当稿の趣旨にそぐわない。なので投稿主を特定できる形でツイートをまるごと引用することはせずにおく。 とはいえ、医師を名乗るアカウント(←真偽はともかくとして)が、この時期に、こういう見解を拡散していることを、軽視して良いとは思っていない。 「数年たてば、総死亡者数は変わらない」というこの論法は、「医療」という営為を、かなり根本的な次元で否定し去っていると申し上げなければならない。 「数年」を「数十年」に変えれば、「数十年たてば、医者にかかろうがかかるまいが、総死亡者数は変わらない」という話になる。 とすると、医療は、延命のためにかかるコストと、コストに見合う延命効果を両睨みにした、コスト&ベネフィットを勘案すべき事案に還元される。 注目せねばならないのは、このアカウントが「亡くなりそうな高齢者を自粛期間の分だけ延命する」ことの価値を、自粛によって生じる「経済的損失」よりも低く見ている点だ。 つまり、この人物にとって、「価値の低い生命の延命」は、「経済的な利益の最大化」よりも、優先順位として低いわけだ。 でなくても、このお話は、個々の生命に価値の優劣を設定して、その優劣に値札を付けないと、医療現場における「有意義な延命」と「無価値な延命」を区別できない、というお話に発展せざるを得ない。 さらにおそろしいのは、最後に添えられた 「死にそうな人が亡くなるだけですよ」という一見クールに(あるいは専門家っぽく)聞こえる断言が、命の選別を前提としている点だ。 この人は、人間を「死にそうな人」と「死にそうでない人」に分類したうえで、前者の命は救うに値しないということを暗に述べている。 しかも、そういう冷徹な判断ができるオレって素敵(たぶん)と考えている。医者の中二病(注)は、まことに度し難い。 この思想は、優生思想のど真ん中ともいうべき考え方で、この考えの持ち主は、結局のところ人間の生命を「生産に寄与する生命」と「生産に寄与しない生命」に分類して、前者の延命に医療資源の投入を集中することによって、より効率的な社会が実現すると信じていたりする。 私自身、高齢でもあれば基礎疾患を複数かかえている患者でもある。 仮に、私が、自分の生命の価値をこの医師の判定に委ねたのであれば 「10年に満たない余命を、高額な医療費の継続的な投入を前提に延命させるべきであるのかを問われるのであれば、ここは、不要と判断せざるを得ない」てな調子のお墨付きを頂戴することになるはずだ。その自信はある』、「癌患者専門の在宅緩和ケア医」が事実であれば、その道のプロだ。それなのに、「優生思想のど真ん中」の考え方を抱いているとは驚かされた。ただ、「患者」は自分のところに来る前に、主治医から「緩和ケア」しかないと突き放された「患者」ばかりを診ていると、そんな割り切りでもしないと、やっていけないのかお知れない。
(注)中二病:中学2年生(14歳前後)で発症することが多い思春期特有の思想・行動・価値観が過剰に発現した病態(ニコニコ大百科)
・『せっかくなので、5月に発信したツイートを紹介しておく。 《医師を名乗るアカウントの中に、わりと無視できない確率で、明らかなレイシストや、優生思想を留保なく肯定する人間が含まれているのは、しみじみと恐ろしいことだと思っています。2020年5月29日午後11時45分》 「医」という文字でアカウント検索をして、ひととおり見回してもらえば、ご理解いただけると思う。どっちにしても、医師を名乗るアカウントの言葉をうっかり鵜呑みにするのは得策でないケースが多い。私はそう思っている。 安倍首相は、14日、官邸に集まった記者団に向けて 《−略− 現下の感染状況を高い緊張感を持って注視している》点を強調したうえで、あわせて 《単なる観光需要回復対策ではなく、『ウィズコロナ』における安全で安心な新しい旅のスタイルを普及定着させることも重要な目的だ》という旨の言葉を述べている。 私は、この首相の言葉の空疎さ(←「くうそ」は、「くそ」と「うそ」から出来ているのだそうですね)にちょっと驚いた。 なんというのか、成績の良くない学生が持ち出してくる卒論の仮テーマのようでもあれば、広告代理店の新米が市の観光課に持ち込んだ町おこしキャンペーンのラフ案みたいでもある。 現政権発足以来の変わらぬ特徴は、持ち出してくる施策やスローガンのいちいちが、どうにも広告屋のプレゼンくさい点にある。それも、有能な広告マンによる秀逸な広告文案ではなくて、代理店ワナビー(注)の大学生が仲間うちの宴会で得意になって振り回している感じの、恥ずかしくも不思議大好きなバブル臭横溢の安ピカ自足コピー塾だったりする。 「人生再設計」「一億総活躍」「人づくり革命」「働き方改革」「みんなにチャンス!構想」「3年間抱っこし放題」と来て、その先に 「Go Toトラベルキャンペーン」がある。 そう思ってみると、Go Toの行き先はまるで見えない。 誰かが、「広告代理店内閣」ということを言っていた。 私は、その見解に賛同する。 ほかの誰かは「ヤンキー内閣」、「ヤンキー政権」と言っている。そのご意見にも全面的に同意する。 彼らは、仲間うちで威勢の良いことを言い合ってはデカい声で笑ってばかりいるバーベキューのメンバーみたいな人たちに見える。 隊員は焼きはじめた食材を焦げるまで裏返せない。 アベノマスクにしても、引き返すタイミングは、少なくとも3回はあったはずなのに、結局強行してしまった。 で、ごらんの通りの赤っ恥を晒している。 今回のGo Toも同様だ。 たしかに、最初からバカなプランではあった。 でも、途中で見直すなり延期するなり修正してれば、これほどまでにバカなインパール事案にはなっていない。 進軍前に撤退したのであれば、大手柄だったと言ってさしあげても良い。 政府でも企業でも広告代理店でも、ラフ案の段階でダメなプランが出てくることはよくある話だ。私のような原稿書きにしたところで、いきなりの第一稿は読めたものじゃなかったりする』、「持ち出してくる施策やスローガンのいちいちが、どうにも広告屋のプレゼンくさい点にある。それも、有能な広告マンによる秀逸な広告文案ではなくて、代理店ワナビーの大学生が仲間うちの宴会で得意になって振り回している感じの、恥ずかしくも不思議大好きなバブル臭横溢の安ピカ自足コピー塾だったりする」、「途中で見直すなり延期するなり修正してれば、これほどまでにバカなインパール事案にはなっていない。 進軍前に撤退したのであれば、大手柄だったと言ってさしあげても良い」、なんとも手厳しい批判だ。
(注)ワナビー:want to be(…になりたい)を短縮した英語の俗語で、何かに憧れ、それになりたがっている者のこと(Wikipedia)。
・『ただ、仕事は、少しずつ改善しながら進められるものだ。別の言い方をするなら、改善の過程こそが仕事というものの本体なのである。 ラフ案を叩いてマトモなキャッチコピーに仕上げて行く過程は、官僚の仕事でも政治家の仕事でもそんなに変わらない。 間違っていたら直せば良いのだし、的外れだったら撤回すれば良い。  それだけの話だ。 しかし、現政権のメンバーは、なぜなのか、それができない。 走り出したがさいご、止まることができない。なぜか。 以下、私の個人的な見解に過ぎないことをお断りしたうえで、その原因として思い当たるところを申し上げる。 安倍内閣の人たちが、バカな第一案を改めることができず、愚かな施策を途中で撤回できず、みっともない発言を修正できないのは、つまるところ、彼らがマッチョだからだ。さよう。謝ったり引き返したり軌道修正したり白紙撤回したりテヘペロしたりすることは、男としてできないのだね。なぜかって? 男として半端だからだよ。 ちょっと前に、ツイッターのタイムライン上で、 「新自由主義とネポティズム(縁故主義)は、本来は正反対の理念であるはずなのだが、その実、なぜなのかわりと相性が良い。その証拠に維新と現政権は微妙にツルんでいるではないか」 という感じの話の流れで、「ガキ」「任侠」「マッチョ」「ホモソーシャル」「サル山独裁」「反知性主義」あたりの単語が話題にのぼったことがある。 この時、《ガキは基本的に任侠が大好きです。ジャン・ジュネは「泥棒日記」の中で「やくざは要するに子供なのだ」と言っています。飯干晃一も「やくざは男の理念形だ」と喝破しています。つまりヤー公というのは小学4年生段階の仲間とツルんでる時代から成長しない男たちの由なのですね。 2020年7月11日午後5時32分》 《小学生男子の集団は、非力な子供だから無害なだけで集団力学的にはモロなやくざ組織です。もっとも、ほどんどのガキは地域から離れて、いずれ孤独な男として成熟します。例外はジモティー(注)の人間関係から外に出られないヤンキー連中で、彼らは成熟しません。で、やくざか、でなければJCになります。2020年7月11日午後5時42分》 という2つのツイートを発信したところ、早速 「幼少期に壮絶なイジメ体験でもあるの?」「小田嶋っていじめられっこだったんだろうなぁw」というリプライが寄せられた。 ごらんの通り、ネット社会では、伝統的に「いじめ被害体験」が「恥辱」「黒歴史」として、「人に言えない恥ずかしい過去」に分類されている一方で、「いじめ加害体験」は「スクールカースト上位者であったことの証」「仲間の多い魅力的な子供であったことの証明」として、もっぱら「武勇伝」「自慢話」の文脈で語られることになっている。 唐突に聞こえるかもしれないが、私は、現政権のメンバーが、いずれも、謝罪・軌道修正・戦術的撤退のできない、極めて硬直的な人物に限られていることの理由は、現政権が、つまるところ、スクールカーストの延長上に形成されたヤンキー集団だからなのだと考えている。 ホモソーシャルのサル山で暮らすマッチョが、なにより避けたいと願っているのは、自分の体面が失われる場面だ。 彼らは、誰かにアタマを下げたり、自分の非を認めたり、前言を撤回したり、方針を変更したりすることを、自分の男としての体面を台無しにする、最悪の事態と考えている。 であるから、間違っていても、足元に穴が開いていても、不利益をこうむることになっても、簡単には非を認めないし、謝ろうともしない。 これも唐突な話に聞こえるかもしれないが、私は、たとえば、閣議のメンバーに女性が半数いれば、おそらくこういうことにはならないと思っている。 たとえ、閣議に招集される女性閣僚のメンバーが自民党の「オンナのオッサン」みたいな女性議員ばかりであっても、女性が半分混じっている会議は、男ばかりの会議とはまるで違う展開をする。そういうことになっている。だから 「そうですね。たしかにGo Toをいま強行するのは無茶かもしれない」「じゃあ、とりあえず一カ月延期することにして、その間に細部をもう少し考え直して再出発しましょう」と、なんということもなく延期の決断ができたと思う』、「現政権のメンバーが、いずれも、謝罪・軌道修正・戦術的撤退のできない、極めて硬直的な人物に限られていることの理由は、現政権が、つまるところ、スクールカーストの延長上に形成されたヤンキー集団だからなのだと考えている」、傑作な比喩だ。「閣議のメンバーに女性が半数いれば、おそらくこういうことにはならないと思っている」、その通りなのかも知れない。
(注)ジモティー:無料の広告掲示板(同社HP)
・『男だけの集団では、その簡単な決断ができない。 「オレの顔をツブすのか?」「いや、そんなことでは……」「でも、延期なんてことになったら、各方面に謝罪行脚をすることになるのはオレだぞ。それをおまえたちはオレにやれというのか?」てな調子の、メンツの問題が持ち上がるからだ。 私にもおぼえがある。 とにかく、男が10人以上集まって何かを決める話になると、話は、プランの妥当性より会議参加者のメンツの問題、ないしはサル山メンバー相互のマウントの取り合いの話になる。必ずそうなる。 現政権は、特にその傾向が強い。 もうひとつ指摘しておきたいのは、男の子(いっそ「クソガキ」という言葉を使っても良い)の集団が何かを決める段になると、いつしか、焦点は「度胸比べ」に落着するということだ。 ホモソの会議では、「妥当な案」や、「穏当なプラン」よりも、「冒険的な結論」や、「男らしいチャレンジ」に人気が集まる。 「なにビビってんだよw」とつっこまれそうな意見は、そもそも持ち出すことさえはばかられる。 むしろ「そんな思い切ったこと言って大丈夫ですか」みたいなあおり意見が無言の尊敬を集めるわけです。 そういう意味で、「どっちにしたってある程度の感染は防げないわけだから、そこんとこは目ぇつぶって、ひとつ経済をバンバン回す方向で行こうじゃないか」「そうだとも、長い目で見れば、そっちの方が人の命を救うことになる」「勇気だよ勇気」「そうだよな。ほっといても死ぬような年寄りが一年か二年早くくたばることを恐れて、経済をシュリンクさせたら、それこそ将来を担う若者や子供たちが中長期的に死ぬことになる」「おっしゃる通りですね先生。政治家は時には臆病な国民が目を向けないところに向けて断を下さないといけない」「オレはこの政策にクビをかけるつもりでいるよ」「オレもコワいものはない」って、これ、出入り前の反社会勢力の決起集会みたいだけど、昨今の閣議って、たぶんこんな空気なんだと思う。 一億総玉砕みたいなことを、たったの十数人で決められるのはいやだなあ。 だから、私は思いっきりビビった意見を繰り返しておくことにします。 ぼくは死にたくないです。 望むことはそれだけです』、「男が10人以上集まって何かを決める話になると、話は、プランの妥当性より会議参加者のメンツの問題、ないしはサル山メンバー相互のマウントの取り合いの話になる。必ずそうなる。 現政権は、特にその傾向が強い」、「ホモソの会議では、「妥当な案」や、「穏当なプラン」よりも、「冒険的な結論」や、「男らしいチャレンジ」に人気が集まる」、鋭い指摘だ。「一億総玉砕みたいなことを、たったの十数人で決められるのはいやだなあ。 だから、私は思いっきりビビった意見を繰り返しておくことにします。 ぼくは死にたくないです。 望むことはそれだけです」、出色の締めだ。
タグ:パンデミック 日経ビジネスオンライン ダイヤモンド・オンライン 岸 博幸 上久保誠人 小田嶋 隆 室伏謙一 (経済社会的視点) (その4)(感染者数急増は 小池都知事と西村大臣が引き起こした「人災」だ、山中伸弥教授「コロナ死者10万人も」発言に見る政策立案の機能不全、Go Toキャンペーンがそもそも「筋の悪い」支援策である理由、小田嶋氏:私たちはどこへ行くのか) 「感染者数急増は、小池都知事と西村大臣が引き起こした「人災」だ」 小池都知事のひどい無策ぶり 7月に入ってからの感染者数の増加が「東京問題」であることに疑いの余地はありません 最近の「感染者数の増加」は、「東京問題」から大阪府や神奈川県、埼玉県などに広がりを見せている “規制”より“推進”を優先した西村大臣 いかにこの人災を乗り越えるべきか 「山中伸弥教授「コロナ死者10万人も」発言に見る政策立案の機能不全」 「8割おじさん」西浦博・北大教授と山中伸弥・京大教授が対談 専門家会議の「廃止」を巡り安倍政権の「唐突な決定」に反発 分科会を新たに設立しても専門家会議の本質的問題は未解決 首相官邸が非常に悩まされた専門家会議から上がる情報とは 「専門家会議へのないものねだりに過ぎない。経済的リスクを考えた上で、総合判断するのが「政治」(官邸)の役割の筈 専門性の高い感染症対策のような政策を適切に立案するには 首相の「権限強化」を今あえて提言する理由 首相の「権限強化」」には賛成できない。「首相官邸・内閣府に何もかもが集中するし、混乱状態に陥ることが少なくない。コロナ対策の迷走も、この首相官邸の混乱状態で起こっている」、というのは「官邸」の前さばきが悪いためで、「首相の「権限強化」」とは無関係 厚労省の一技官すらコントロール出来ない現状の指導力欠如、こそが問題 「Go Toキャンペーンがそもそも「筋の悪い」支援策である理由」 「キャンペーン」対象から「東京都」を外すといった小手先の対策ではなく、「キャンペーン」全体を本来の「収束後」まで延期し、宿泊施設などに対しては、売上減少に対して、別途、助成金を出すといったオーソドックスな対応が望ましい Go Toキャンペーンが事業者支援になっていない理由 日刊ゲンダイ「安倍自民「GoTo」強行の裏に…受託団体と献金通じた“蜜月”」 「コロナ倒産」が急増の懸念 今やるべきことはなにか 「失われた粗利の100%補償」は行き過ぎ どこまで「補償」するのかは、財政負担も含め慎重に検討するべき 「私たちはどこへ行くのか」 現政権は、検証ということをしない。 彼らは、森友案件を踏み消して以来、自分たちの失策や見込み違いを 「過ぎたこと」「終わった話」として下水に流し去る自分たちの処理手法に自信を抱いている 「政治部の記者さんたちにしてからが、ファッション誌のフロントページ企画担当みたいな口調で、古い記事をネグレクトしにかかっている 癌患者専門の在宅緩和ケア医」 「数年たてば、総死亡者数は変わらない」というこの論法は、「医療」という営為を、かなり根本的な次元で否定し去っている 優生思想のど真ん中 持ち出してくる施策やスローガンのいちいちが、どうにも広告屋のプレゼンくさい点にある。それも、有能な広告マンによる秀逸な広告文案ではなくて、代理店ワナビーの大学生が仲間うちの宴会で得意になって振り回している感じの、恥ずかしくも不思議大好きなバブル臭横溢の安ピカ自足コピー塾だったりする 途中で見直すなり延期するなり修正してれば、これほどまでにバカなインパール事案にはなっていない。 進軍前に撤退したのであれば、大手柄だったと言ってさしあげても良い 現政権のメンバーが、いずれも、謝罪・軌道修正・戦術的撤退のできない、極めて硬直的な人物に限られていることの理由は、現政権が、つまるところ、スクールカーストの延長上に形成されたヤンキー集団だからなのだと考えている 閣議のメンバーに女性が半数いれば、おそらくこういうことにはならないと思っている 男が10人以上集まって何かを決める話になると、話は、プランの妥当性より会議参加者のメンツの問題、ないしはサル山メンバー相互のマウントの取り合いの話になる。必ずそうなる。 現政権は、特にその傾向が強い モソの会議では、「妥当な案」や、「穏当なプラン」よりも、「冒険的な結論」や、「男らしいチャレンジ」に人気が集まる 一億総玉砕みたいなことを、たったの十数人で決められるのはいやだなあ。 だから、私は思いっきりビビった意見を繰り返しておくことにします。 ぼくは死にたくないです。 望むことはそれだけです
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