SSブログ

パンデミック(経済社会的視点)(その6)(「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える、中国モデルは限界露呈 ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ) [国内政治]

昨日に続いて、パンデミック(経済社会的視点)(その6)(「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える、中国モデルは限界露呈 ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ)を取上げよう。

先ずは、8月9日付け現代ビジネスが掲載した東京大学名誉教授の船曳 建夫氏による「「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える」を紹介しよう。
・『「新しい日常」への違和感  202X年のある日、「あの頃大変だったよな、正直ちょっとビビった。でもまぁ、どうにかなるかな、と思っていたら、ま、あの程度で済んだんでよかったなって感じ」とコロナの昔を振り返る。そう終わればいいなと多くの人が不安を抱えながら、いま考えているのではないか。この「いま」とはこれを書いている2020年7月31日。そう終わるだろうか・・・。 この数ヶ月、20世紀の戦争の本をいろいろと読んでいる。戦争という「非常時」が、コロナ下の現在とよく似ているのに気がつく。非常時を、何とか「新しい日常」だ、と政府が人々をなだめようとしている図式に、お定(さだ)まりの「民に不安を与えてはならない」というこの日本列島近代のやり口がよく現れている。 淡々と変化なく、それと感じずに過ぎていくのが「日常」であって、そこに時々、お正月やお祭りなどの「非日常」、ハレの時間が現れる。だから「非日常」はあっても「新しい日常」なんてものはない。それを「作ろう」という国民運動はまやかしだ。 じっさい公文書に載ったりする「新しい日常」の中味はというと「手洗いの徹底、マスクの着用、ソーシャルディスタンス」(!)だったりしてびっくりする。それは感染予防の大事な「技法」ではあっても、決して「日常」ではない。なぜなら現在はかつての日常とは隔たり、大きな危機に晒されているのだから。 空襲警報が鳴ると作らされた防空頭巾(手作りマスク?)をかぶって防空壕に入る。それは戦時中の「技法」であって、そんなことしないで済む平和が来てほしい、と皆は願っていたのだ。繰り返すが、日常でないものを「日常」と名指すのはまやかしである。 行政は言うことを聞いてほしいから「新しい日常」なんて言葉を持ち出してきて、それにすべての新聞が提灯持ちをしているのも、1940年代の戦時中と一緒である。新聞屋さん、戦争終わってから「反省」しても遅いよ』、「「非日常」はあっても「新しい日常」なんてものはない。それを「作ろう」という国民運動はまやかしだ」、「行政は言うことを聞いてほしいから「新しい日常」なんて言葉を持ち出してきて、それにすべての新聞が提灯持ちをしているのも、1940年代の戦時中と一緒である。新聞屋さん、戦争終わってから「反省」しても遅いよ」、政府と大新聞への痛烈な批判だ。
・『「ウィズ結核社会」とは言わない  そのうち「常在戦場」なんて言い出すか、と思っていたら、「ウィズコロナ社会」という珍妙な言葉が世界中の物書きから出てきた。その言葉と考え方がなんとなく「がんと共に生きる」とか、「弱者との共生」とか、だいたいそのあたりの標語と同じような「よいこと」だ、と思ってマスコミなどは使っているらしい。 ある文化人類学者が、元々人間というものは、ウィルスと共に生きて来たのだ、と分かった風のことを書く。地球上のそこら中にウィルスがいるなんてことは中学校の生物の授業で分かっている。 その「ウィズウィルス」についていま書いたら誰だって「ウィズコロナ」と誤読する。しかし、「ウィズ」、「と共に(生きる)」ということばの含意する積極的な意味はどこにあるというのか? 確かに長い間社会は「結核」と共にあった。僕は、小学校でツベルクリンを、そのあと陰性だと痛いBCG注射をされていた世代だ。周りに、結核になって大学を棒に振った人がまだちらほらいた時代だ。でも「ウィズ結核社会」なんてことは言わなかったし、言ったらおかしい。結核は撲滅すべきモノだ、と皆分かっていた。 コロナウィルスも無くすか弱体化させるか(または勝手にそうなる?)、ワクチンなどで免疫力を付けるか、要は人がコロナウィルスによって重症化して死なないようにするしか取るべき方向はない。また別の生物学者が「人類よ、むやみにコロナと争うな」と書いたりしている。どういう意味かわからない。「むやみに」? 適度の嘘はエッセイの味付けになるが、これは無用の誤解を招く危険が大きい。いま僕らは「コロナと争う」しかない。 「争う」中の大局観として、「負ける」も選択肢にあることは、戦争の常である。兵隊は前線で銃弾を撃ち続けるとき、それは自国の家族を守るためだ、と思いながらやっている。しかし、のちになって大局から見れば、実は撃つのを止めて自分だけ白い布を振って降参すればその戦線は崩れ、苦楽を共にした戦友は殺されるかもしれないが、戦局に影響を与え戦争全体の終結は早まったかもしれない。 たとえばこの前の大戦が一日早く終われば、1945年8月15日未明の埼玉県熊谷市の空襲による二百数十人の死者、1万5000の戦災者はなかったことになる。 で、何なんだ、このたとえ話は、と聞かれたら、こう言わなければならない。おそらく国家予算によるコロナ重症患者への治療は、物理的に設備と人員が足りなくなればどこかで早めにあきらめることになるのかも知れない。前線の兵士(医療従事者)による現場の「トリアージ」でなく、戦い全体が「政治的判断」による「ガイドライン」で「転進」を命じられるかも知れない。もう国の方針として、重症者の治療はあきらめます、と(「転進」は日本帝国大本営の「退却」の言い換え)。 現場からも医師たちが、「戦えません」と言い出すことはないのか、と考えたりする。すなわち、現場が持ちこたえれば持ちこたえるほど(撃ち続ければ撃ち続けるほど)政府は耳に心地よい「感染防止と経済再生の両輪」などと言い続け、聞く方もかけ声に踊って、それがかえって感染拡大の大破綻を招くことを私は憂いている。「もうやれないんだ」、と前線が言い出す必要がある』、「「ウィズコロナ社会」という珍妙な言葉・・・いま僕らは「コロナと争う」しかない」、「現場が持ちこたえれば持ちこたえるほど(撃ち続ければ撃ち続けるほど)政府は耳に心地よい「感染防止と経済再生の両輪」などと言い続け、聞く方もかけ声に踊って、それがかえって感染拡大の大破綻を招くことを私は憂いている」、もっともな主張だ。
・『日本の調子がいいと不安になる  僕は『「日本人論」再考』という本を書いたことがあるが、その本の中に今回のコロナウィルスの問題に関わる発見があった。日本人は、西洋との比較で、日本が調子の悪いときに不安になって「日本人がダメなのはなぜだろう」、と「日本人」を論じたくなる。それは分かりやすい。しかし実は、調子がよいときにも不安になって「どうして日本人なのによいのだろう」と原因究明をしたくなるのだ。 今回のコロナの問題でも、感染の初期とそれ以降、日本は他国と比較すればよい状況で、「どうして日本は感染者が少ないの? 欧米と比べて」と「不安がる」人がいた。そこに、ある科学者が論理的なミッシングリンクを「ファクターX」と呼ぶものだから、ますます、「どうして日本だけ調子いいの?」とファクターX探しが行われ、果ては、「こんなによくやっている日本があまり海外で注目さえないのって、嫉妬?」と日本人論が盛り上がった。それはいまでも続いている。 しかし「ファクターX」を一つ特定できるわけはない。回り道をして説明する』、私は「ファクターX」を純粋に何故だろうという視点で捉えていたが、確かに一定の危険性もありそうだ。
・『「日本人だからできた!」の罠  日本海軍の真珠湾奇襲攻撃は戦史上みごとな戦果である。しかし、1941年12月8日にそのニュースをラジオで聞いた人はみな一様に陰鬱であったようだ。中国あたりの戦闘ならまだいいけど、ついにどえらい戦いが始まった、と、勝ったのに暗かった。 しかし、毎日、大戦果が発表され、1942年の2月にシンガポールが陥落すると、日本人論のよくあるメカニズムをなぞるかのように、「どうして日本人なのによいのだろう」の答えが、「それは日本人だから!」と針が一気に逆に振れたような理由に求められる。「本当にジャパンがナンバーワンになるかも」とバブルに湧いた1980年代の後半も同じだった。 つい先月、6月くらいにはややその「やっぱり日本だから欧米なんかとは違うよ」の口ぶりが見られた。そのあたりから「Go To」キャンペーンなどの攻勢が始まったか。 ではいま(2020年7月31日)のコロナは太平洋戦争であればどの時期に当たるか、といえば、ミッドウェー海戦くらいか、と思う。緒戦の勝利のあと、「この堅調は続くのか」「政府の言う医療の現場は持ちこたえているのか」、と不安が兆してきている。 ミッドウェー海戦の時は、実際には負けたのだが、「勝利した」と虚偽の報道がなされた。いまの政府の、「死者数は相変わらず少ない、重症者は急増していない」はミッドウェー海戦の虚偽とは違うが、それを額面通りに受け取ってよいのか。) そうした現状の不安を、国民が理解するためのたすけとしてか、「新型コロナウイルス対策分科会」が感染状況の4段階というのを今日(7月31日)出した。笑ってしまった。これはかつての「大本営発表」の「虚偽」ではないが、「大本営流」の「ごまかし」である。僕のような素人でも分かる。 第4段階が「爆発段階(医療が機能不全):この状況にならぬよう上記対策を実施」だという。これは戦争で言えば、「壊滅段階(軍隊が機能不全):この敗北にならぬよう上記対策を実施」ということで、もしその段階になったときは戦争はもう終わっている。戦争(感染拡大)の第4段階ではなく、敗戦処理(医療崩壊)の第1段階だ。 この第4段階が表にあるため、現状が最悪の直前ではなく「二つ前の「漸増」段階」にずれる。ここにごまかしがある。これを作った「専門家」の苦衷を察する。「感染症専門家」でなく「現場の医師」には、自分の身が現場近くにあるので、この「第4段階」を「段階」としておいているごまかしは明白だろう。「おい、おい、医療が機能不全、て、戦車が地響き立てて向かって来ているのに、竹槍もって戦場に立ってろ、ということ?」と』、確かに「感染状況の4段階」には「「大本営流」の「ごまかし」」がある。
・『ファクターXを探す必要はあるのか  紙数が尽きて、文明論的な話が出来なくて残念だが、最後に、コロナ対策において「どうして日本人なのによいのだろう?」の問いに答えたい。簡単である。ある時点の前に感染者が少なければその後も感染者が少ない、という「感染のメカニズムの常識」で理解できる。だからこそ、明日のために今日の感染者を少なくしようと努力している。 ではなぜ「ある時点」、コロナに気がついて対策を始めた最初の頃、感染者が少なかったのか、といえば、第1の答えは、それは日本の国家的医療体制がしっかりしているからである。ファクターXなど探す必要はない。 ややこしい理屈で言えば、フーコーの言う「生政治」(注)(気になったらネットで調べて下さい)が日本では強く機能しているのだ。たとえば「母子健康手帳」が、健康な兵隊の数を増やそうとだが、早くも1937年に発明されたりと、「国民の健康を国が管理すること」(ほぼ「生政治」)の徹底が進んでいる。 だから初動において、結核の撲滅経験もある保健所が使われ、よく機能し、いままでのところ成功した。要するに、保健所と、各医療機関がぎりぎりまでがんばったのが、この段階までのサクセスストーリーの理由である。 初動時になぜ感染者が少なかったか、のもう一つの理由は「島国だから」である。入ってくる人が少ないし、コントロールしやすい。ダイヤモンドプリンセス号での感染は、「島国」性を浮き彫りにし、最初の教訓ともなった。台湾もニュージーランドも、島国はコロナ対策は取りやすい(僕自身が監訳した本で恐縮ですが、島国性のことは、アラン・マクファーレン著『イギリスと日本』(新曜社)を読んでください)。 この第2の理由、島国性は不変だが、第1の理由が今後も続くかどうかは分からない。医師たちががんばればがんばるほど、「まぁ、どうにかなるかな」と思っている一般の人にはかえって響かないという自己矛盾のようなものがある。戦線が保たれていればよいが、兵士が倒れれば、その空いたところから回り込まれて、挟み撃ちにされてもろくも戦線が崩壊するのは大河ドラマの戦闘を見ていたって分かることだ。 感染状況の段階表のしっぽに「爆発段階(医療が機能不全)」を無理に貼り付けたのを深読みすると、時代劇にあるバカ殿と家老(専門家)の図が目に浮かぶ。「目通り許さん」と言われて完全に蟄居させられたら諫言をする人がいなくなる。それを考えて自分を殺し、殿を怒らさないぎりぎりのところでなんとか家老が具申する様子。202X年のある日、これが笑い話になっていてほしい』、「ファクターXなど探す必要はない」が、「「感染状況の4段階」には「「大本営流」の「ごまかし」」がある」のは大いに問題だ。
(注)生政治:政府等の国家が市民を支配する際に、単に法制度等を個人に課すだけではなく、市民一人ひとりが心から服従するようになってきたとして、個人への支配の方法がこれまでの「政治」からひとりひとりの「生政治」にまで及ぶようになったと説明する(Wikipedia)。

次に、8月11日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した立命館大学政策科学部教授の上久保誠人氏による「中国モデルは限界露呈、ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/245348
・『次の覇権国家を狙う中国は、権威主義的な政治体制を民主主義に代わる「世界のモデル」だと考えている。そして、自国で発生した新型コロナウイルスへの対策をも、「中国モデル」の宣伝に利用した。しかし、次第にその裏側にある人権侵害や隠蔽体質が伝わり、世界は批判を強めている。やはりポストコロナ時代に目指すべきは中国モデルではない。今回のコロナ禍で見えてきたのは「コンパクト・デモクラシー」の可能性だ』、「中国モデル」の化けの皮が剥がれ始めたのは当然だ。
・『コロナ後の国際社会で重要な「コンパクト・デモクラシー」  外務省の外交専門誌『外交』のVol.62 Jul./Aug. 2020に寄稿する機会をいただいた。 「コロナで変わる国際秩序」「先鋭化する米中対立」の2つのテーマで、倉田徹・立教大学教授の『香港危機は世界の危機へ-「国家安全維持法」成立過程とそれがもたらすもの』や佐橋亮・東京大学准教授の『不信深めるアメリカの対中姿勢』など、多くの論客がさまざまな角度から寄稿している。ぜひ、ご一読いただきたい。 筆者は、『危機に台頭するコンパクト・デモクラシー』という論文を寄稿した。本稿は、その論文では書き切れなかった部分を加筆し、より多くの方に「コロナ後の国際社会」についての筆者の考えをお伝えしたい』、「交専門誌『外交』」への寄稿がベースになっているようなので、いい加減な論文ではなさそうだ。
・『コロナ後に出現するであろう「スーパー・グローバリゼーション」  新型コロナウイルスの感染拡大で人の移動や接触の自粛を求められたことで、社会にさまざまな変化を起きている。例えば、リモートワークと呼ばれる勤務形態、Web会議、教育現場の遠隔授業などの普及である。 「コロナ後の社会」には、グローバリゼーションを超えた「スーバー・グローバリゼーション」が出現するだろう。グローバリゼーションとは、移動・輸送手段や通信技術の発達によって、ヒト、モノ、カネが国家や地域などの境界を越えて大規模に移動することによる、地球規模での社会、経済の変化である。この文脈では、国家を超えて活動する多国籍企業体や国際機関、欧州連合(EU)のような超国家共同体など巨大組織が勢力を拡大してきた。 それに対して「スーバー・グローバリゼーション」は、ITのさらなる進化により、移動すら必要ない。在宅でパソコンやスマートフォンを操作するだけで、世界中のモノを購入でき、ビジネスが行われ、行政サービスも受けられる。のみならず、政治的な国際交渉までが行われる。個人が国家・企業へのハッキング、サイバー攻撃が可能という世界だ。個人が国家や巨大組織を凌駕することもある、従来の常識を超えた世界の出現である。 新型コロナの感染拡大は、スーバー・グローバリゼーション出現のリスクに対するセーフティーネットという観点から、これからの国家・地域のあり方を考えさせてくれる』、「「スーバー・グローバリゼーション」は、ITのさらなる進化により、移動すら必要ない。在宅でパソコンやスマートフォンを操作するだけで、世界中のモノを購入でき、ビジネスが行われ、行政サービスも受けられる。のみならず、政治的な国際交渉までが行われる。個人が国家・企業へのハッキング、サイバー攻撃が可能という世界だ。個人が国家や巨大組織を凌駕することもある、従来の常識を超えた世界の出現である」、なかなか面白い仮設だ。
・『米国の地政学的優位性が揺らぐ事態が多発  新型コロナは、「覇権国家」である米国の基盤を根底から動揺させている。この連載では、米国の地政学的な圧倒的優位性を指摘してきた。ハルフォード・マッキンダー、ニコラス・スパイクマンを祖とする英米系地政学では、米国は「新世界(New World)」であるとされてきた。 それは、どの国からも直接攻撃できない離れた位置にあるということだ。2度の世界大戦では、欧州諸国が戦場となって疲弊するのを尻目に、戦場とはならない政治的・軍事的な圧倒的優位性を生かして、米国は「覇権国家」として台頭したのだ(本連載第201回)。 しかし近年、米国の「新世界」としての優位性を切り崩すさまざまな事態が起きている。北朝鮮のミサイル開発はその一例だ。米国から遠く離れた場所にある小国の北朝鮮は、同盟国である韓国や日本にとっては脅威であっても、米国が本気で相手にする国ではなかった。しかし、北朝鮮はミサイル実験を繰り返して射程距離を伸ばし、ついに大陸間弾道ミサイルを開発して米国を直接攻撃する可能性が出てきた。米国は北朝鮮を無視できなくなり、史上初の米朝首脳会談が開催されたのだ(第155回)。 その他にも、米国を揺るがす事件が多発している。 2016年の大統領選挙でドナルド・トランプ候補(当時)を勝利させようと、ロシアがサイバー攻撃やSNSでの世論工作、選挙干渉を行ったとされること(第201回・P.4)、中国のサイバー攻撃による知的財産侵害などだ。また、米国の通信ネットワークへの関与に懸念を示し、華為技術(ファーウェイ)などの中国ハイテク企業への対抗措置を米国が取り、「米中ハイテク戦争」の様相を呈していることなどもある(第211回・P.4)。つまり、テクノロジーを駆使して、「覇権国家」米国に対するさまざまな形での直接攻撃が可能となっているのだ。 そして、いま米国を最大規模に揺るがしているものが、新型コロナである。米国の死者は8月5日現在、15万6830人で世界最多だ(『新型コロナウイルス、現在の感染者・死者数(5日午後8時時点) 死者70万人に』)。 第1次世界大戦の戦死者数を上回っており、米国内でこれほど多数の死者が出た「有事」は、歴史上初めてだ。これは、米国が完全に「新世界」ではなくなったことを示しているのではないだろうか』、「テクノロジーを駆使して、「覇権国家」米国に対するさまざまな形での直接攻撃が可能となっている」、「新型コロナウイルス・・・ 死者70万人・・・第1次世界大戦の戦死者数を上回っており、米国内でこれほど多数の死者が出た「有事」は、歴史上初めて」、確かに「米国が完全に「新世界」ではなくなったことを示している」、なるほど。
・『新型コロナ対策をも宣伝に使い覇権国家の座を狙う中国  次の「覇権国家」の座を狙っているのが中国だ。急激な経済発展・軍事力拡大に自信を持ち、権威主義的な政治体制を、民主主義に代わる「世界の政治体制のモデル」だと考えている。そして、新型コロナ対策をも「中国モデル」の宣伝に利用しようとしている。 中国は、新型コロナの感染拡大が最初に起こった国だった。一方で、徹底した都市封鎖によって、3月19日には、武漢市と同市がある湖北省を含めて18日に中国国内で発生した新規感染例が「ゼロ」だったと発表した。国内での新型コロナの拡散は終息したと、事実上宣言した最初の国でもある(第236回)。 そして、中国は「感染が広がる他の国を支援する用意がある」とアピールし、都市封鎖の成功を世界に普及させようとした。イタリアがこれに呼応し、全国的な都市封鎖に踏み切った。 また、中国は欧米への批判を強めた。中国共産党系のメディア「環球時報」は、欧米の新型コロナへの対応の甘さを「個人主義的で生ぬるい」と批判。欧米は日常生活を維持したいという国民の希望を退けることができず、国家総動員の体制を築くことができなかった、甘い対応によって、手遅れになってしまったことを「反省すべきだ」と、中国は訴えたのだ。 しかし、中国の思惑はうまくいっているとはいえない。まず、イタリアなど中国式の都市封鎖を採用した国の死者数が爆発的に増加したために、その有効性に疑念が持たれてしまった。 同時に、武漢市の都市封鎖の実態が明らかになった。交通機関が閉鎖され、住民の移動の自由はなくなり、自宅に押し込められ、ドアの外から施錠された。マスクをせずに外出したという理由で市民を当局が拘束。情報統制が強化されて、市民の怒りはネット上から削除された。これら、基本的人権を全く顧みない中国のやり方が世界に知られ、批判されるようになったのだ。 さらに、中国共産党の隠蔽体質にも疑念が広がった。中国が新型コロナを公表する前に、その危険性を訴えた武漢市の李文亮医師を「デマを流した」として公安当局は処分していた。医師の声を封殺して初動が遅れ、世界的な感染拡大を招いたとの怒りが中国国内で広がった(第232回)。 そして、その怒りは世界中に拡散している。新型コロナの感染拡大を招き、自国に大損害をもたらしたとして、中国に賠償を求める訴訟が起き始めている。最初に、米国内の企業や個人からの訴訟が相次いだ。それは、英国、イタリア、ドイツ、エジプト、インド、ナイジェリア、オーストラリアなどに広がっている。遠藤誉氏の『感染者急増するロシアはコロナ対中包囲網にどう対応するか――モスクワ便り』によれば、4月29日時点で賠償請求の総額は100兆ドルで、中国のGDPの7年分に相当する額に達していると、フランス国際ラジオ(RFI)が「香港経済日報」の記事に基づいて報じたという。 結局、都市封鎖は人権侵害とセットだから機能したとみなされ、隠蔽体質が初動を誤らせ、世界に甚大な損害を与えたという非難が広がっている。「中国モデル」は散々な評価だといえるだろう。次の「覇権国家」を狙った中国の行動に、世界が強い警戒心を抱いてしまっている』、「「中国モデル」は散々な評価だといえるだろう。次の「覇権国家」を狙った中国の行動に、世界が強い警戒心を抱いてしまっている」、習近平が強がって威張っているのは、滑稽ですらある。
・『欧州で吹き荒れたポピュリズム旋風が失速した理由  次に、米国の同盟国である自由民主主義国に目を転じてみたい。これらの国ではポピュリズムが台頭し、英国の保守党と労働党、ドイツのキリスト教民主同盟(CDU)と社会民主党など既存政党が苦境に追い込まれていた。自由民主主義への信頼は揺らぎ「時代遅れ」だとして、権威主義体制の優位性を中国が主張した。 しかし、新型コロナ感染拡大は、ポピュリズムを退潮させて、既存政党を救った。なぜか。 ポピュリズム現象は、保守とリベラル双方の既存政党が都市部中道層の有権者の支持を得るため、緊縮財政や規制緩和、移民受け入れなどを実行し、それに各政党のコアな支持層が不満を募らせたことで起こった。ポピュリスト政治家たちは、財政バラマキや排外主義を煽情的に訴え、既存政党のコアな支持層を奪ったのだ(第218回)。 その結果、ポピュリズムは欧州を席巻したが、新型コロナ感染拡大後、各国の指導者の支持率が劇的に回復。ドイツではアンゲラ・メルケル首相の支持率が3月末に79%まで急回復。英国のボリス・ジョンソン首相の支持率は、19年12月時点で34%だったが、3月末に支持率52%に上昇した。 その理由は、新型コロナ対策として実施した都市封鎖の打撃を緩和するために、大規模な経済支援策を打ち出したからだ。既存政党が空前の規模で「バラマキ」を断行し、ポピュリズム政党を支持していた人たちが、既存政党に戻っていったのだ。 一方、日本では、欧州のような現象は起きなかった。それは、自由民主党が保守層からリベラル層まで幅広く支持を獲得しているために、そもそもポピュリズムの台頭がなかったからである』、私は自民党政権がポピュリズム政策も取り込んでいると考えている。
・『中央集権体制よりも勢い増す「コンパクト・デモクラシー」とは?  だが、既存政党も安泰ではない。全国一律の新型コロナ対策を実施しようとする中央集権体制よりも、地方自治体や、中小規模国家・地域の「コンパクト・デモクラシー」が台頭しているからだ。 中央集権体制のフランスでは、エマニュエル・マクロン大統領率いる与党「共和党前進」が統一地方選で惨敗した。一方、欧州主要国の中で新型コロナによる死者数が圧倒的に少なく、経済再開も早いドイツは、州政府が警察や教育など内政面で幅広い権限を持つ連邦制である。 ドイツでは、州政府が現場の状況を掌握して連邦政府よりも先行して動くという政策決定のパターンが効果的に機能している。例えば、マルクス・ゼーダー・バイエルン州首相は、イタリアから国境を越えて新型コロナの感染が広がっている状況を連邦政府に報告し、国境閉鎖に踏み切った。そして、国境を接するオーストリア、スイスとの連携を構築した。 またバイエルン州は、中央政府に先んじて100億ユーロの中小企業向け支援プログラムを発表。さらに、近隣の州と共同で、全国に先駆けてドライブスルー方式でのPCR検査の導入を決定した。ゼーダー州首相は、国民から高い支持を得て、メルケル首相以上に注目を集める存在になっている。 日本においても、全国一律の政策実行を意識して意思決定が慎重になりがちな安倍政権よりも、地方自治体に注目が集まっている。 例えば、4月に安倍晋三首相が「緊急事態宣言」の発令に慎重だったとき、小池百合子・東京都知事は首相に決断を促す強いメッセージを発した。また、緊急事態宣言が発令された場合の都の対応措置に関する概要案を先行して公表するなど、スピーディーな対応を取った(第240回・P.2)。 大阪府の吉村洋文知事の奮闘も、「#吉村寝ろ」という府知事を励ます言葉がツイッターのトレンド入りするほど注目を集めた。吉村府知事は、緊急事態宣言の発動前から週末の外出自粛を府民に求め、厚生労働省による感染者数の非公式の試算をあえて公開して、独自の判断で兵庫県と大阪府間の週末の往来自粛を呼び掛けた(第240回・P.3)。 他にも、さまざまな地方自治体が独自の新型コロナウイルス対策を打ち出す事例が増えている。その代表例が、米紙「ワシントン・ポスト」から「和歌山モデル」と称賛された和歌山県の仁坂吉伸知事だ。感染ルートの追跡を徹底することによって、新型コロナウイルスの封じ込めに成功している』、「小池百合子・東京都知事」がコロナ対策に舵を切ったのは、東京オリンピック1年延期が決まってからで、遅すぎたとの批判もある。「吉村府知事」は最近、うがい薬がコロナ予防に役立つと軽率な発言したことで批判されている。
・『コロナ対策で高評価を得る韓国 対策は「検査・治療・追跡」  欧州や日本の地方自治体同様に、現場に即した迅速で的確な新型コロナ対策を高く評価されている国・地域がある。 韓国の新型コロナ対策は「検査・治療・追跡」である。まず、「ドライブスルー方式」と呼ばれるPCR検査の大規模実施だ。病院内に設置した患者と医師の相互感染を防ぐ検査用ブースを用いている。 PCR検査の大量実施は医療崩壊の恐れがあると広く認識されている(第234回・P.5)。しかし、韓国では症状に応じた患者の振り分けを行い、重篤、重症、中程度の患者は感染症指定病院や政府が指定する「専用の入院治療施設」で対応する。そして軽症者は原則、政府の研修施設などに設置され、医療スタッフが経過を観察する「生活治療センター」に隔離する方法で、医療崩壊を防ぐ態勢を確立した。 さらに、ITを駆使した感染経路の追跡を行う。海外から韓国に入国する際、入国管理事務所で「自己診断アプリ」をインストールする。そして、パスポート番号や滞在していた国などを登録し、入国から14日間、1日1回、体温のほか、咳やのどの痛み、呼吸困難の有無を入力。データは疾病対策予防センターなどに送られる。 また、クレジットカードの利用履歴や防犯カメラの記録、スマートフォンのGPS機能などを使って、感染者の行動履歴をさかのぼって追跡し、匿名でホームページ上に公開している。 この「韓国方式」は、前出のワシントン・ポストでも「1つの手本になった」と評価され、欧州などでも参考にされ ている』、「韓国」でも最近、感染者数が再び増勢に転じたようだ。
・『台湾のコロナ対策は「スピード」が最大の武器  一方、台湾は常に先手を打つ圧倒的な「スピード」のある新型コロナ対策が特徴だ。昨年12月31日、武漢市における新型コロナ感染拡大にいち早く気付き、世界保健機関(WHO)に情報を伝えて警戒を呼び掛け、武漢からの入境者への検疫を開始した。 1月5日には新型コロナの専門家会議を開催。20日にはこの問題で指揮センターを設置し、21日に初の感染者が台湾で確認されると、22日に蔡英文総統が全力での防疫を国家安全会議で指示するなど、素早い対応で新型コロナを封じ込めた。 また、デジタル担当の政務委員(大臣)の天才ホワイトハッカー、オードリー・タン氏は、民間人が開発した「マスクの在庫データを管理するアプリ」を活用した。買い占めなどの混乱がなくなり、政府がマスク全量を買い上げて流通を管理する制度が、円滑に運営されるようになった。 マスクの計画的な在庫管理に成功した台湾は、感染拡大が深刻な欧米や外交関係がある国にマスク計1000万枚を寄贈した。中国からの圧力でWHOから排除され、外交的に孤立を深めていた台湾が外交攻勢をかけているのだ。 最後に、新型コロナの死者数わずか1人のベトナムである。注目すべきは、ウェブサイトとアプリを活用した情報開示だ。感染者数がまだ10人程度だった2月8日、ベトナム保健省は新型コロナウイルスの情報をまとめた公式アプリ「Suc khoe Viet Nam(ベトナムの健康)」をリリースした。 そして、これに合わせて、新型コロナ情報の特設ウェブサイトも開設している。そこには、感染者第1号(BN1)以降、すべての感染者がリスト化され、感染者の年齢、性別、住所、病状、国籍が記載されている。また、感染場所を示す地図も掲載されている。 米政治誌『ポリティコ』の「新型コロナウイルス対策を最も効果的に行なっている国ランキング」によれば、ベトナムは調査対象の30カ国・地域中で最高評価を受けている。 韓国、台湾、ベトナムの新型コロナ対策に問題があるとすれば、テクノロジーを駆使することで人権侵害に至る懸念があることだ。しかし、「コンパクト・デモクラシー」は、政治・行政と市民の間の距離が近く、民主主義が機能しやすいのが特徴だ。議員との直接対話や陳情・請願、情報開示請求、市民参加、住民投票など、さまざまな民主的手法を市民が駆使。それによって、政治・行政による人権侵害を防ぐチェック機能を確立することができると考える』、「コンパクト・デモクラシー」は・・・政治・行政による人権侵害を防ぐチェック機能を確立することができると考える」、「コンパクト・デモクラシー」の欠陥を楽観的見方で埋めているようだ。
・『「コンパクト・デモクラシー」こそポストコロナ時代の社会モデル  「コンパクト・デモクラシー」は、コロナ後の社会に出現するスーバー・グローバリゼーションではどんな役割を果たすのだろうか。 スーバー・グローバリゼーションでは、世界の地域と地域が、国家という枠を超えて直接結び付く(第229回)。そして、個人の活動が劇的に広がる。若者がSNSを通じて世界中から資金調達して起業する。表現活動を行い世界的スターになる。在宅のまま世界中の大学の授業が受けられ、権威ある学術誌の枠を超えて、ネット上で最先端の研究が日々アップデートされることも珍しくなくなるだろう。 このような時代に、従来の国家という枠組みはもはやセーフティーネットとならない。個人の権利を民主主義的に最大限に尊重しながら、テクノロジーを駆使して現場の状況を的確に把握して、スピード対応でリスクを封じ込め、必要な措置を柔軟かつ機動的に行う必要がある。「コンパクト・デモクラシー」こそ、ポストコロナ時代の適切な社会モデルであると考える』、考え方としては面白いが、上手く行った国や地域の例をいきなり「コンパクト・デモクラシー」としてまとめているところには、かなり無理もありそうだ。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 欧州で吹き荒れたポピュリズム旋風が失速した理由 コロナ対策で高評価を得る韓国 対策は「検査・治療・追跡」 台湾のコロナ対策は「スピード」が最大の武器 中央集権体制よりも勢い増す「コンパクト・デモクラシー」とは? 「中国モデル」は散々な評価だといえるだろう。次の「覇権国家」を狙った中国の行動に、世界が強い警戒心を抱いてしまっている 中国に賠償を求める訴訟が起き始めている。最初に、米国内の企業や個人からの訴訟が相次いだ。それは、英国、イタリア、ドイツ、エジプト、インド、ナイジェリア、オーストラリアなどに広がっている 中国が新型コロナを公表する前に、その危険性を訴えた武漢市の李文亮医師を「デマを流した」として公安当局は処分していた。医師の声を封殺して初動が遅れ、世界的な感染拡大を招いたとの怒りが中国国内で広がった 基本的人権を全く顧みない中国のやり方が世界に知られ、批判 イタリアなど中国式の都市封鎖を採用した国の死者数が爆発的に増加したために、その有効性に疑念が持たれてしまった 新型コロナ対策をも宣伝に使い覇権国家の座を狙う中国 米国が完全に「新世界」ではなくなったことを示している 第1次世界大戦の戦死者数を上回っており、米国内でこれほど多数の死者が出た「有事」は、歴史上初めて 死者70万人 米国の地政学的優位性が揺らぐ事態が多発 「スーバー・グローバリゼーション」は、ITのさらなる進化により、移動すら必要ない。在宅でパソコンやスマートフォンを操作するだけで、世界中のモノを購入でき、ビジネスが行われ、行政サービスも受けられる。のみならず、政治的な国際交渉までが行われる。個人が国家・企業へのハッキング、サイバー攻撃が可能という世界だ。個人が国家や巨大組織を凌駕することもある、従来の常識を超えた世界の出現である コロナ後に出現するであろう「スーパー・グローバリゼーション」 外務省の外交専門誌『外交』 コロナ後の国際社会で重要な「コンパクト・デモクラシー」 「中国モデル」 「中国モデルは限界露呈、ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ」 上久保誠人 フーコーの言う「生政治」 ファクターXを探す必要はあるのか 「感染状況の4段階」には「「大本営流」の「ごまかし」」がある 「日本人だからできた!」の罠 「ファクターX」 日本の調子がいいと不安になる 現場が持ちこたえれば持ちこたえるほど(撃ち続ければ撃ち続けるほど)政府は耳に心地よい「感染防止と経済再生の両輪」などと言い続け、聞く方もかけ声に踊って、それがかえって感染拡大の大破綻を招くことを私は憂いている いま僕らは「コロナと争う」しかない 「ウィズコロナ社会」という珍妙な言葉 「ウィズ結核社会」とは言わない 行政は言うことを聞いてほしいから「新しい日常」なんて言葉を持ち出してきて、それにすべての新聞が提灯持ちをしているのも、1940年代の戦時中と一緒である。新聞屋さん、戦争終わってから「反省」しても遅いよ 「非日常」はあっても「新しい日常」なんてものはない。それを「作ろう」という国民運動はまやかしだ 「新しい日常」への違和感 「「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える」 船曳 建夫 現代ビジネス (その6)(「ウィズコロナ」「新しい日常」の大いなる欺瞞…戦争のときにそっくりだ 「日本人論的不安」を考える、中国モデルは限界露呈 ポストコロナは「コンパクト民主主義」を目指せ) (経済社会的視点) パンデミック
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。