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ASEAN(その1)(闇に消される東南アジアの民主活動家たち、マレーシアの権力闘争の長期化で 高まる民族衝突リスク、ゴールドマン 4100億円支払いで和解 1MDB汚職巡り) [世界情勢]

今日は、ASEAN(その1)(闇に消される東南アジアの民主活動家たち、マレーシアの権力闘争の長期化で 高まる民族衝突リスク、ゴールドマン 4100億円支払いで和解 1MDB汚職巡り)を取上げよう。

先ずは、6月18日付けNewsweek日本版「闇に消される東南アジアの民主活動家たち」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/06/post-93702_1.php
・『<タイで、ラオスで、失踪する反体制派──手を携えて自由を奪う各国政府の弾圧の魔の手からは、亡命しても逃れられない> 突然失踪し、永遠に消息を絶った活動家や反体制派、口にしてはならないことを口にした不運な市民──彼ら「ロス・デサパレシドス」の存在は、中南米の歴史に記された血まみれの汚点の1つだ。時には何年もたってから遺体で発見されることもあるが、その多くはいつまでたっても行方不明のままだ。 愛する者が殺害されたなら、家族は少なくとも嘆くことができる。だが姿を消したままの場合、何も分からないことに家族は最も苦しむ。アルゼンチンでもグアテマラでも、ロス・デサパレシドスの家族の話からは、分からないという痛みが数十年前の失踪時と同じ生々しさで続いていることが感じられた。 ロス・デサパレシドスという呼称は「強制失踪」の被害者、または「失踪者」と訳すことができるが、こうした客観的で法律用語的な表現では、あの恐怖を正確に描写できない。あえて言えば「失踪させられた者」だが、これも多くの場合は単なる婉曲表現だ。 「失踪させられた」という言葉によって言いたい(とはいえ証明できない)こととは、ある人が拉致され、おそらく暗殺されたということ。その犯人は通常、自国政府だ。 中南米政治におけるロス・デサパレシドスの悲劇は今や、東南アジア政治の特徴にもなりつつある。 ラオスの社会活動家、ソムバット・ソムポンが2012年、首都ビエンチャン市内の検問所で停止させられた後に行方が分からなくなった事件は広く知られている。何が起きたのかはいまだに不明だが、ラオス政府との対立が原因だと推測するのが妥当だろう。 今年6月4日には、著名なタイ人民主活動家のワンチャルーム・サッサクシットが、亡命先のカンボジアで失踪した。両国で抗議活動を巻き起こしているこの事件は、著名ジャーナリストのアンドルー・マクレガー・マーシャルらの主張によれば、タイのワチラロンコン国王本人が命じ、治安対策責任者の指揮の下で実行されたという』、「中南米政治におけるロス・デサパレシドスの悲劇は今や、東南アジア政治の特徴にもなりつつある」、有難くない伝播だ。「著名なタイ人民主活動家のワンチャルーム・サッサクシット」「失踪事件」では、「タイのワチラロンコン国王本人が命じ、治安対策責任者の指揮の下で実行された」、事実であれば、王制を揺るがしかねない事件だ。
・『広がる抑圧の相互依存  ワンチャルームだけではない。2014年の軍事クーデター以来、亡命先で「強制失踪の被害者になっている」タイ人反体制派は少なくとも8人に上ると、国際人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは最近の報告書で指摘する。 報道などによれば、ラオスでは2016年以降、タイ人反体制派5人が失踪したとみられる。そのうち2人の遺体は、胃にコンクリートが詰まった状態でメコン川で発見された。 タイ人活動家がラオスで失踪する一方、ラオスの反体制派もタイで姿を消している。昨年8月にバンコクで消息を絶った民主派活動家、オド・サヤボンもその1人だ。 これらの事例から明らかなように、活動家や民主化を求める反体制派は自国内で行方不明になっているだけではない。失踪は外国でも起きており、多くの場合は地元政府が共謀している。 現に、カンボジア政府はワンチャルームの失踪事件の捜査について、はっきりしない態度を見せている。カンボジアの独立系メディア、ボイス・オブ・デモクラシーが6月5日に掲載した記事で、内務省のキュー・ソピーク報道官は政府による捜査は行われないと示唆した。 「タイ(当局)が自国市民の拉致について苦情を申し立てた場合は(捜査を)する」と、ソピークは発言。「タイ大使館から苦情の申し立てがないなら、何をすべきなのか?」 6月9日になってカンボジア政府は態度を翻し、捜査の意向を表明した。ただし、ワンチャルームは2017年から同国に不法滞在していたと、政府側は主張している。 カンボジアやベトナム、ラオス、タイはそれぞれ、抑圧的な政府の支配下にあるだけではない。これらの国は今や、市民の抑圧に当たって相互依存関係にある。 各国は他国から亡命してきた反体制派の所在を特定しており、一説によれば、他国の工作員が入国して亡命者を拘束するのを黙認している。その結果、安全な亡命先を求める反体制派は東南アジアを離れることを迫られている。 抑圧的政府の立場で見れば、これは賢いやり方だ。 大半の民主活動家や反体制派には、故国からそれほど遠くなく、より安全なシンガポールや台湾、韓国に拠点を移すだけの経済的余裕がない。彼らの多くが選ぶのは近接する国へ逃れる道だ。それなら何かあればすぐに帰国できるし、同胞に交じって暮らすこともできる。タイには大規模なカンボジア人コミュニティーが存在し、ラオスには多くのタイ人が、タイには多くのラオス人が住んでいる』、「カンボジアやベトナム、ラオス、タイはそれぞれ、抑圧的な政府の支配下にあるだけではない。これらの国は今や、市民の抑圧に当たって相互依存関係にある。 各国は他国から亡命してきた反体制派の所在を特定しており、一説によれば、他国の工作員が入国して亡命者を拘束するのを黙認している。その結果、安全な亡命先を求める反体制派は東南アジアを離れることを迫られている」、こんな有難くない連携が行われているとは、驚かされた。
・『もう隣国も安全でない  だが反体制派が隣国で安全を確保できない(または安心できない)環境をつくり出すことで、東南アジアの抑圧的政府は彼らをより遠くへ追いやろうとしている。 航空機でしか行けない場所なら、帰国は簡単に阻止できるし、同国人との交流は容易でない。反体制派亡命者なら誰もが知るように、外国にいる年月が長いほど、とりわけ距離が遠いほど、故国の一般市民や現実とのつながりは失われていくのが常だ。 昨年11月、カンボジア救国党(CNRP)の指導者サム・レンシーは、フランスでの4年間の亡命生活の後に帰国を宣言して大きな話題になった。空路を諦め陸伝いにカンボジアへの入国を目指したが、同国のフン・セン首相の要請を受けて、近隣国も入国を拒否。民主化運動を率いようとするサム・レンシーの帰国阻止にフン・センが成功したのは、地域内で民主主義が芽生えることを望まない隣国政府の協力のおかげだ。 要するにインドシナ半島ではもはや、活動家や反体制派は安心して暮らせなくなりつつある。この地域から遠く離れること。それこそが、多くの者にとって唯一の安全な選択肢かもしれない。 タイで、ラオスで、失踪する反体制派──手を携えて自由を奪う各国政府の弾圧の魔の手からは、亡命しても逃れられない> 突然失踪し、永遠に消息を絶った活動家や反体制派、口にしてはならないことを口にした不運な市民──彼ら「ロス・デサパレシドス」の存在は、中南米の歴史に記された血まみれの汚点の1つだ。時には何年もたってから遺体で発見されることもあるが、その多くはいつまでたっても行方不明のままだ。 愛する者が殺害されたなら、家族は少なくとも嘆くことができる。だが姿を消したままの場合、何も分からないことに家族は最も苦しむ。アルゼンチンでもグアテマラでも、ロス・デサパレシドスの家族の話からは、分からないという痛みが数十年前の失踪時と同じ生々しさで続いていることが感じられた。 ロス・デサパレシドスという呼称は「強制失踪」の被害者、または「失踪者」と訳すことができるが、こうした客観的で法律用語的な表現では、あの恐怖を正確に描写できない。あえて言えば「失踪させられた者」だが、これも多くの場合は単なる婉曲表現だ。 「失踪させられた」という言葉によって言いたい(とはいえ証明できない)こととは、ある人が拉致され、おそらく暗殺されたということ。その犯人は通常、自国政府だ。 中南米政治におけるロス・デサパレシドスの悲劇は今や、東南アジア政治の特徴にもなりつつある。 ラオスの社会活動家、ソムバット・ソムポンが2012年、首都ビエンチャン市内の検問所で停止させられた後に行方が分からなくなった事件は広く知られている。何が起きたのかはいまだに不明だが、ラオス政府との対立が原因だと推測するのが妥当だろう。 今年6月4日には、著名なタイ人民主活動家のワンチャルーム・サッサクシットが、亡命先のカンボジアで失踪した。両国で抗議活動を巻き起こしているこの事件は、著名ジャーナリストのアンドルー・マクレガー・マーシャルらの主張によれば、タイのワチラロンコン国王本人が命じ、治安対策責任者の指揮の下で実行されたという』、「タイ」の「王制」は比較的上手くいっているとされてきたが、暗殺事件を関与していたのが、公になれば、「王制」維持も難しくなるリスクを冒したとは、ある意味で追い込まれているのだろう。
・『広がる抑圧の相互依存  ワンチャルームだけではない。2014年の軍事クーデター以来、亡命先で「強制失踪の被害者になっている」タイ人反体制派は少なくとも8人に上ると、国際人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチは最近の報告書で指摘する。 報道などによれば、ラオスでは2016年以降、タイ人反体制派5人が失踪したとみられる。そのうち2人の遺体は、胃にコンクリートが詰まった状態でメコン川で発見された。 タイ人活動家がラオスで失踪する一方、ラオスの反体制派もタイで姿を消している。昨年8月にバンコクで消息を絶った民主派活動家、オド・サヤボンもその1人だ。 これらの事例から明らかなように、活動家や民主化を求める反体制派は自国内で行方不明になっているだけではない。失踪は外国でも起きており、多くの場合は地元政府が共謀している。 現に、カンボジア政府はワンチャルームの失踪事件の捜査について、はっきりしない態度を見せている。カンボジアの独立系メディア、ボイス・オブ・デモクラシーが6月5日に掲載した記事で、内務省のキュー・ソピーク報道官は政府による捜査は行われないと示唆した。 「タイ(当局)が自国市民の拉致について苦情を申し立てた場合は(捜査を)する」と、ソピークは発言。「タイ大使館から苦情の申し立てがないなら、何をすべきなのか?」 6月9日になってカンボジア政府は態度を翻し、捜査の意向を表明した。ただし、ワンチャルームは2017年から同国に不法滞在していたと、政府側は主張している。 カンボジアやベトナム、ラオス、タイはそれぞれ、抑圧的な政府の支配下にあるだけではない。これらの国は今や、市民の抑圧に当たって相互依存関係にある。 各国は他国から亡命してきた反体制派の所在を特定しており、一説によれば、他国の工作員が入国して亡命者を拘束するのを黙認している。その結果、安全な亡命先を求める反体制派は東南アジアを離れることを迫られている。 抑圧的政府の立場で見れば、これは賢いやり方だ。 大半の民主活動家や反体制派には、故国からそれほど遠くなく、より安全なシンガポールや台湾、韓国に拠点を移すだけの経済的余裕がない。彼らの多くが選ぶのは近接する国へ逃れる道だ。それなら何かあればすぐに帰国できるし、同胞に交じって暮らすこともできる。タイには大規模なカンボジア人コミュニティーが存在し、ラオスには多くのタイ人が、タイには多くのラオス人が住んでいる』、「広がる抑圧の相互依存」、「反体制派」にとっては住み難い世界になったようだ。
・『もう隣国も安全でない  だが反体制派が隣国で安全を確保できない(または安心できない)環境をつくり出すことで、東南アジアの抑圧的政府は彼らをより遠くへ追いやろうとしている。 航空機でしか行けない場所なら、帰国は簡単に阻止できるし、同国人との交流は容易でない。反体制派亡命者なら誰もが知るように、外国にいる年月が長いほど、とりわけ距離が遠いほど、故国の一般市民や現実とのつながりは失われていくのが常だ。 昨年11月、カンボジア救国党(CNRP)の指導者サム・レンシーは、フランスでの4年間の亡命生活の後に帰国を宣言して大きな話題になった。空路を諦め陸伝いにカンボジアへの入国を目指したが、同国のフン・セン首相の要請を受けて、近隣国も入国を拒否。民主化運動を率いようとするサム・レンシーの帰国阻止にフン・センが成功したのは、地域内で民主主義が芽生えることを望まない隣国政府の協力のおかげだ。 要するにインドシナ半島ではもはや、活動家や反体制派は安心して暮らせなくなりつつある。この地域から遠く離れること。それこそが、多くの者にとって唯一の安全な選択肢かもしれない』、「安全」を重視して「遠く離れ」れば、「反体制」活動を諦めさせられる。こうした「抑圧的」な連携の体制は、当面、崩れる要素はなさそうだ。

次に、7月2日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した在バンコクジャーナリストの小堀晋一氏による「マレーシアの権力闘争の長期化で、高まる民族衝突リスク」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/241955
・『香港がイギリスから中国に返還された日の翌日1997年7月2日は、タイの通貨バーツが、米ドルに連動するドルペッグ制から変動相場制に移行し、アジア通貨危機が始まった日である。それは間もなくアジア各国に波及し、一斉にアジア売りが始まる。バブル後遺症からの回復を目指していた日本経済にも影響し、「失われた20年」とされる長期経済低迷に突き進むきっかけともなった。震源地の一つマレーシアでは、当時のマハティール首相が独裁色を強め、側近だった副首相の首を取る政変まで起こっている。あれから23年。同国では今も変わらぬ政治家たちが終わらない権力闘争を続け、混迷の度合いを強めている』、「マレーシア」は、先の記事にあった「抑圧的」な国々とは異なり、立憲君主制を採っている。
・『同性愛の罪で禁錮9年の判決  アジア通貨危機時、マレーシアの第4代首相にあったマハティール氏は当時71歳。81年に首相に就任して以来すでに16年が経過していた。 歯に衣着せぬ弁舌は欧米の首脳をも時にたじろがせ、日本の高度経済成長に学ぶ「ルックイースト」政策や21世紀初頭での先進国入りを目指す「ビジョン2020」を推し進める姿は、20世紀最後の東アジアの奇跡とさえ称賛された。 ヘッジファンドによる空売りに対しても公然と立ち向かい、国際的な投資家として知られるジョージ・ソロス氏を名指しで非難。「通貨の巨額売買は不道徳」として、アメリカ的価値に対する「アジア的価値」を唱えて喝采を浴びた。 同氏が唱えたアセアン諸国に日中韓などを加えた東アジア経済協議体構想は、その後のアジアを含む各種経済共同体構想にも強い影響を与えた。 だが、足元の政権内では政策の根幹をめぐって後継者との激しい権力争いが常態化。当時のナンバー2だったアンワル副首相兼財務相の首をすげ替える強権が発動されていた。 アンワル氏は国際通貨市場からの信頼回復が先決、より一層の市場開放と協力関係が必要だと主張。これに対しマハティール氏は、通貨政策も含め自らの統制下に収めて危機を乗り越える自国第一主義を唱えていた。 他方、アンワル氏による政権批判も次第にエスカレート。98年5月のジャカルタ暴動を契機に後にインドネシアのスハルト政権が崩壊すると、矛先は政権の権威主義体制やマレー人に対する就労就学などをめぐる優遇政策にも向けられていった。 運動は「レフォルマシ(改革)」と呼ばれ全国に拡大すると、マハティール首相は一気に反攻に出る。国内治安維持法違反でアンワル氏を逮捕し、決別は決定的となった。 それだけでは済まされなかった。マハティール氏は、アンワル氏にイスラム教で禁じられている同性愛の罪に問わせ、禁錮9年の実刑を負わす。 このような政治生命を根こそぎ絶つ手法に、国際社会はクアラルンプールで開催予定だったアジア太平洋経済協力会議(APEC)への出席中止をちらつかして抗議をしたが、取り付く島も見せなかった』、「マハティール氏」が「ジョージ・ソロス氏を名指しで非難」、「アメリカ的価値に対する「アジア的価値」を唱えて喝采を浴びた」、私の記憶にも鮮明に残っている。だが、いまだに実権を振るっているとは、驚きだ。
・『非マレー人の支持で下院第2党に  その後、マハティール氏は2003年まで首相を務め、いったんは退任するが、後任の選考に強い影響力を残すなど実質的には院政を続けた。 次代の第5代首相アブドラ氏は自らの内閣で副首相だった人物。マハティール氏が推し進めたシンガポールとの連絡橋「コーズウェイ」架橋計画を凍結しようとすると、あっさりと首にするなど強権ぶりは健在だった。 一方、アンワル氏は獄中にあって、妻ワン・アジザ氏が新党となる多民族政党を結成。これが現在の国会で野党陣営の中核政党「人民公正党(PKR)」の前身党となっている。 PKRは、マレーシア社会を構成するマレー人、華人、インド人が等しく価値を共有していく社会のあり方が党是。非マレー人を中心に強い支持を得て、現在は下院第2党の地位にある。 ペナン州出身のアンワル・イブラヒム氏は現在72歳。マラヤ大学在学中の70年代に「マレーシア・イスラム青年運動」を立ち上げ、4万人を超える反汚職闘争運動を指揮した人物で知られる。 この頃すでに政府のマレー人優遇政策を批判。汚職の撲滅と民主化を訴えている。日本で言えば、その姿はちょうど同じ時期に活動し、東大安田講堂を占拠した全国全共闘連合の山本義隆議長に重なる。 そのアンワル氏を82年に政界に一本釣りしたのがマハティール氏だった。独立後から政権与党にあったマレー人の民族政党「統一マレー人国民組織(UMNO)」に迎え入れ重用した。 知名度もあったアンワル氏は瞬く間に出世の階段を駆け上がり、やがて第1期マハティール政権(81年~03年)でナンバー2の副首相に。通貨危機の直前には休暇中の首相に代わって臨時代理を務めるなど、一時は後継確実と見られていた』、なるほど。
・『マハティール氏と倒閣運動で共闘  そのアンワル氏が獄中での服役後に、再び政治の表舞台に登場できたのは、皮肉にも18年5月の総選挙で政権交代を実現、首相に返り咲きを果たしたマハティール氏によってだった。 国王の恩赦により出獄した同氏は第2期マハティール政権の支持を表明。このとき、ワン・アジザ氏が新政権の花形として副首相で迎えられた。 マハティール氏が20年の時を越えてアンワル氏に歩み寄ったのは、かつて自らが率いた政権政党UMNOの総裁ナジブ首相(いずれも当時)を権力の座から引きずり下ろす必要があったからだ。 第2代首相を父に持つナジブ氏は、マハティール氏から支持を取り付け09年に第6代首相に就任。ところが、その後は同党の看板政策だったマレー人優遇政策「ブミプトラ(土地の子)政策」を見直すなど、次第に反マハティール色を強めていった。 この後に、ナジブ政権時の政府系ファンド「1MDB」をめぐる巨額資金流用疑惑が表面化。これをきっかけにマハティール氏は倒閣運動に一気に傾斜していく。 現職を倒すためには、依然として国民人気の高いアンワル氏の力が必要だった。世論に対しても、2年後をめどにアンワル氏へ政権禅譲するとの公約を表明していた。 ところが、間もなくその2年がたとうというのに一向に態度を表明しなかったのがマハティール氏だった。下院補選を経て議員復帰(18年10月)していたアンワル氏も業を煮やし、今年2月、11月までには退任するよう異例の声明を出す事態となった。 マレーシア初の政権交代が達成されたばかりだというのに、政権与党は一人の老政治家のきまぐれによって早くも瓦解の危機にひんしていた。 これを好機として一気に動いたのが、現首相を務めるムヒディン氏らかつてのマハティール氏の部下たちだった。連立を組み替え、対立するマハティール、アンワルの両氏をともに政権から遠ざけた』、「マハティール氏」のみならず、「マレーシア」の有力政治家は皆、相当の策士のようだ。「1MDB」については、次の記事で詳しくみたい。
・『右傾化で高まる民族衝突リスク  こうして、アジア通貨危機以来23年にも及んだマハティール氏を一つの軸とする権力争いは、プレーヤーを新たに加え次局面へと移っていった。節目であることに間違いはない。 しかし、これで“マハティールなるもの”が終わったわけではない。7月10日に95歳となる同氏が3度目の復活を狙っているとの見方もある。 そして、それ以上にマレーシア政治に深刻に顕在化してしまった民族問題を我々は知っておく必要がある。 マレー人、華人、インド人などから成るマレーシアは、総人口に占める人口比がそれぞれ55%、26%、8%と主要3民族で9割を占める多民族国家。イギリスからの独立以来、3つの民族を代表する政党が国会にバランス良く議席を確保して連立政権を組んできた。 有権者はそれぞれの政党に原則として投票するものの、支持政党が行き過ぎた場面では投票先を都度変えるなど臨機応変的な投票行動が作用し、政治の安定をもたらしてきた。 例えば99年総選挙では、獄中にあったアンワル氏に同情するマレー人票が野党に流れたが、政治の不安定化を嫌う華人票が政権党に投票しUMNOが薄氷の勝利。最終的にマレー人優遇政策の緩和にもつながっている。 08年や13年の総選挙でも、右傾化してきたマレー人優遇政策に嫌気がさした非マレー票が野党に流れるなど大躍進につながったが、いずれも僅差で与野党伯仲を実現している。安全弁の発動こそが、マレーシア政治の安定の証しだった。 こうした中で近年、勢力を伸ばしてきたのが、アンワル氏が総裁を務めるPKRなどの多民族政党だ。若年層を中心に党員を拡大しており、現在の下院では3分の1強がこうした政党の議員たちだ。 一方、人口最多ながら賃金が安いままのマレー人の民族主義化も勢力を強めている。2月から3月にかけての政変で成立したムヒディン政権も、大半がイスラム教を信仰するマレー人政党の議員で構成されている。57年にマラヤ連邦として独立して以降、政権内に非マレー人政党がほぼ存在しない初めてのケースとなる。 学生運動出身のアンワル氏は、自身はイスラム教徒でありながらも、穏健な世俗派で知られる。獄中で著した著書の中で同氏は「寛容の文化は、東南アジアのイスラムの特質である」と述べ、イスラムのマレー人に対し強く自制を求める。 著書は「アジア的価値」についても言及している。氏はそれをアジア社会の「専制的な慣行」の方便としたり、人間の「基本的権利」や「市民の自由」を否定する口実にしてはならないとも説いている  マレーシアでも例外なく、閉塞感漂う現代社会においては右傾化一辺倒の危険な主張が礼賛されやすい傾向にある。自国第一主義、マレー人優遇政策の台頭はその典型だ。 かつてマハティール氏が政権にありそれを口にしたとき、アンワル氏のような穏健派の存在や有権者の投票行動が抑制する機能がこの国には残っていた。 だが、政権与党がイスラム一色で占められた今、代替となるものが容易には見つからないのは極めて憂慮すべき事態だ。 69年にマレー人と華人が衝突した「5月13日事件」では200人近い死者が出る惨事となった。この頃すでに政治家に転じていたマハティール氏も、間もなく学生運動に進むことになるアンワル氏も、それを目の当たりにして同じ景色を見ていたはずだ。現在の政治的危機を生んだ当事者として傍観は許されないだろう』、「閉塞感漂う現代社会においては右傾化一辺倒の危険な主張が礼賛されやすい傾向にある。自国第一主義、マレー人優遇政策の台頭はその典型だ。 かつてマハティール氏が政権にありそれを口にしたとき、アンワル氏のような穏健派の存在や有権者の投票行動が抑制する機能がこの国には残っていた。 だが、政権与党がイスラム一色で占められた今、代替となるものが容易には見つからないのは極めて憂慮すべき事態」、他民族国家の微妙なバランスを如何に維持していくか、注目したい。

第三に、7月24日付け日経新聞「ゴールドマン、4100億円支払いで和解 1MDB汚職巡り」を紹介しよう。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61910410U0A720C2EA4000/
・『マレーシア政府は24日、政府系ファンド「1MDB」の汚職事件に関連し、米金融大手ゴールドマン・サックスから39億ドル(約4100億円)の支払いを受けることで同社と合意したと発表した。 マレーシア検察は1MDBの債券発行の際に当局に提出した書類が投資家を欺く内容だったとして、ゴールドマンの子会社などを起訴していた。今回の和解で検察は起訴を取り下げる見通しで、ゴールドマンとの争いは決着する。 マレーシア政府の発表によると、ゴールドマンは25億ドルの現金のほか、資産回収を通じて14億ドルを支払う。ゴールドマン以外から回収した分も含め、マレーシア政府が1MDB関連で回収した資産は45億ドル超に達する。1MDB事件では45億ドル超の資産が不正に流出したとされており、政府は大半の資産の回収にメドをつけたことになる。 ゴールドマンは2012年から13年にかけて、1MDBが発行した合計65億ドルの債券を引き受け、約6億ドルの手数料収入を得ていた。マレーシア政府は調達した資金が不正に使われた点を重くみて、手数料収入以上の金額をゴールドマンから回収することを目指し、水面下で交渉を続けてきた。 政府は24日の声明で「マハティール前政権時にゴールドマンが提示していた17億5千万ドルを大幅に上回る金額で合意できた」と成果を強調した。ムヒディン首相も「政府は今後も1MDB関連の資産回収を続ける」と述べた。 ゴールドマンは早期決着をはかるため、巨額の支払いによる和解に応じたとみられる。 マレーシア政府との和解でゴールドマンは懸案の解決に一歩前進した。同日公表した声明で「今回の問題で重要な教訓を学んだ。経験を糧に改善していく」と述べた。マレーシア政府に支払う金額については引当金を積んでおり、今後の決算への影響は軽微としている。 今後の焦点は米司法省との和解協議だ。18年11月、司法省は資金流出に関与したゴールドマン元幹部らを起訴した。起訴された元バンカーのうち、ティム・ライスナー氏は有罪を認め、金融界から追放された。ゴールドマンは法人として有罪を認めるかどうかで司法省と交渉を続けている』、「米金融大手ゴールドマン・サックスから39億ドル(約4100億円)の支払いを受ける」、との「合意」は、信じられないほど巨額の和解金だ。「ゴールドマン」にはまだ「米司法省との和解協議」が残っているようだ。ただ、「調達した資金が不正に使われた」点については、この記事だけでは不明だ。
タグ:「闇に消される東南アジアの民主活動家たち」 広がる抑圧の相互依存 タイのワチラロンコン国王本人が命じ、治安対策責任者の指揮の下で実行された 米司法省との和解協議」 マレーシア政府が1MDB関連で回収した資産は45億ドル超 米金融大手ゴールドマン・サックスから39億ドル(約4100億円)の支払いを受けることで同社と合意 「ゴールドマン、4100億円支払いで和解 1MDB汚職巡り」 日経新聞 閉塞感漂う現代社会においては右傾化一辺倒の危険な主張が礼賛されやすい傾向にある。自国第一主義、マレー人優遇政策の台頭はその典型だ。 かつてマハティール氏が政権にありそれを口にしたとき、アンワル氏のような穏健派の存在や有権者の投票行動が抑制する機能がこの国には残っていた。 だが、政権与党がイスラム一色で占められた今、代替となるものが容易には見つからないのは極めて憂慮すべき事態 3つの民族を代表する政党が国会にバランス良く議席を確保して連立政権を組んできた マレー人、華人、インド人などから成るマレーシアは、総人口に占める人口比がそれぞれ55%、26%、8%と主要3民族で9割を占める多民族国家 右傾化で高まる民族衝突リスク マハティール氏と倒閣運動で共闘 非マレー人の支持で下院第2党に ジョージ・ソロス氏を名指しで非難。「通貨の巨額売買は不道徳」として、アメリカ的価値に対する「アジア的価値」を唱えて喝采を浴びた 「ルックイースト」 マレーシアの第4代首相にあったマハティール氏は当時71歳。81年に首相に就任して以来すでに16年が経過 アジア通貨危機時 同性愛の罪で禁錮9年の判決 「マレーシアの権力闘争の長期化で、高まる民族衝突リスク」 小堀晋一 ダイヤモンド・オンライン もう隣国も安全でない カンボジアやベトナム、ラオス、タイはそれぞれ、抑圧的な政府の支配下にあるだけではない。これらの国は今や、市民の抑圧に当たって相互依存関係にある。 各国は他国から亡命してきた反体制派の所在を特定しており、一説によれば、他国の工作員が入国して亡命者を拘束するのを黙認している。その結果、安全な亡命先を求める反体制派は東南アジアを離れることを迫られている ASEAN Newsweek日本版 著名なタイ人民主活動家のワンチャルーム・サッサクシット」「失踪事件」 中南米政治におけるロス・デサパレシドスの悲劇は今や、東南アジア政治の特徴にもなりつつある (その1)(闇に消される東南アジアの民主活動家たち、マレーシアの権力闘争の長期化で 高まる民族衝突リスク、ゴールドマン 4100億円支払いで和解 1MDB汚職巡り)
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