日本の政治情勢(その48)(安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ、何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉、菅氏の勝利は確実なのに 世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」、小田嶋氏:言葉をこん棒として使う人たち) [国内政治]
日本の政治情勢については、7月2日に取上げた。今日は、(その48)(安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ、何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉、菅氏の勝利は確実なのに 世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」、小田嶋氏:言葉をこん棒として使う人たち)である。
先ずは、9月2日付け日刊ゲンダイが掲載したジャーナリストの立岩陽一郎氏による「安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/278111
・『日本は社会の透明性と無縁になってしまった。それが、安倍総理の辞任劇に際して感じた正直な感想だ。少し振り返ってみたい。安倍総理が慶応病院で診察を受けたのが8月17日。そして24日に再診。一気に体調不良の観測が出回る。しかし、すぐにそれを打ち消すような膨大な情報がメディア関係者に流れる。官邸での総理会見で新型コロナ対策が発表されるとの情報が流れるに至って、「本人はやる気だ」との情報が支配的になる。 その最中の8月27日に私は松本市の臥雲義尚市長と会っていた。臥雲氏はNHKで政治記者として名をはせ、この3月の選挙で市長になった。私が、「安倍総理はまだ続けるみたいですね」と水を向けると、「長年の政治取材の経験からすると、こういう時は辞任の可能性はある」と話した。臥雲市長は、さまざまな情報の流れ方に、一種の情報操作が行われているというにおいを感じ取っていたようだ。つまり、私たちは情報操作に翻弄されたというわけだ』、「一気に体調不良の観測が出回る。しかし、すぐにそれを打ち消すような膨大な情報がメディア関係者に流れる」、官邸の「情報操作」は健在なようだ。
・『情報操作で「花道会見」に変質 もちろん、一国の最高責任者の健康状態を透明にするわけにいかないことはわかる。問題はその後だ。8月28日の会見の約3時間前の午後2時7分にNHKが辞任の速報を流す。それに他社が追随する。そしてNHKが安倍総理のレガシーを放送し始める。これによって、この国のリーダーが2カ月ぶりに行う記者会見が「花道会見」に変質する。 一部のコメンテーターが「お疲れさま」と言わない記者を批判したのは、その変質の「効果」を物語っている。当然ながら総理会見は総理大臣と記者との懇談の場ではない。市民の負託を受けた記者がこの国のリーダーと対峙し疑問を問いただす場だ。「お疲れさま」と声をかける場ではない。しかし、そうした雰囲気が醸成されてしまった。 この会見では、検査を1日20万件可能にするといった新型コロナ対策の抜本的な見直しや、敵基地攻撃を可能にする安全保障政策について語られたが、その全てが辞任によってかき消されてしまった。記者の質問がレガシーや後任に集中するからだ。それでも共同通信は拉致問題などへの対応の反省点を問うたが、「最善を尽くした」としか語らなかった。この問題で政権の本気度に疑問を感じる人は多かったが、その疑問に答えることはなかった。他にも、なぜ新型コロナの検査体制の拡充に時間がかかったのか? 敵基地攻撃を可能にする政策はこの地域の安定につながるのか? いずれも総理が答えるべき疑問だが、全て不透明なまま残された。 安倍政権の最大の罪はこの社会から透明性をなくしたことだろう。官邸主導によってあらゆる情報が管理され、官僚は出世のためにそれに盲従。公文書は破棄、改ざんされ、国会でも記者会見でもはぐらかし答弁が横行した。8月28日の会見は、それを象徴する出来事でしかなかった。 報道各社は安倍政権の功罪の検証が不可欠と指摘しているが、罪に関しては、マスメディアの関わりについても検証が必要だ。それがなければ、政権が替わっても、社会の不透明さは変わらない』、「安倍政権の最大の罪はこの社会から透明性をなくしたことだろう。官邸主導によってあらゆる情報が管理され、官僚は出世のためにそれに盲従。公文書は破棄、改ざんされ、国会でも記者会見でもはぐらかし答弁が横行した」、「報道各社は安倍政権の功罪の検証が不可欠と指摘しているが、罪に関しては、マスメディアの関わりについても検証が必要だ」、全く同感である。
次に、9月3日付けAERAdotが掲載した政治学者の御厨貴氏へのインタビュー「何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2020090200011.html?page=1
・『突然の辞任表明をした安倍晋三首相。政治学者・御厨貴氏は安倍政権を恩人政治で助かってきたと評する。 安倍政権は“本当のレガシー”がない。同じ長期政権でも、佐藤栄作は沖縄返還をやった。安倍さんはとにかく「わが内閣はこれをやる」といって、それを達成したということがなかった。大きなことで成功したことはなかった。達成感なく終わってしまいましたね。 憲法改正は、機運をつくったが、できなかった。経済でも社会保障でも大きな課題に挑戦しないが、小さな課題をつくってはそれをこなしていく。これは安倍側近と官邸を担う官僚たちが非常にうまくやった。「やっている感の政治」だった。 だけど、これがコロナでうまくいかなくなる。コロナにどう取り組むかを示しきれなかった。「やっている感」の政治をやっていくことができなかった。大きい目標を出して、みんなでがんばろうということはなかったから。 彼は国民に対する立ち位置がわからなくなったんだと思う。だから、健康上の理由もあったんだろうけど、ある時期から記者会見をやってこなかった。一番やらないといけない時期なのに』、「大きなことで成功したことはなかった。達成感なく終わってしまいました」、「小さな課題をつくってはそれをこなしていく。これは安倍側近と官邸を担う官僚たちが非常にうまくやった。「やっている感の政治」だった」、「これがコロナでうまくいかなくなる。コロナにどう取り組むかを示しきれなかった」、「彼は国民に対する立ち位置がわからなくなったんだ・・・ある時期から記者会見をやってこなかった。一番やらないといけない時期なのに」、さすが「御厨貴氏」だけあって、極めて的確な描写だ。
・『自慢の外交は、いろいろなことに手をつけたけど、どれもこれも息切れしてしまった。日ロでも日韓でも日朝でも、結実したものはないですよね。アメリカとはトランプ大統領と気が合うとはいうけれども、そのわりにアメリカが何かしてくれることはない。 ただ、長いということが必ずしも尊ばれることではないけど、7年8カ月の間、首相が同じだったということは、国際的に日本の信用を高めた。民主党政権だって1年に1人代わったし、小泉首相以降も3年で3人代わったわけだから。それに比べると、「安定感」はあった。 さらに、彼は選挙に強い。民主党から政権奪還し、国政選挙で計6回勝った。だから、安倍さんには自民党の議員は全員恩義がある。安倍さんを批判したり、降ろしたりという動きがほとんど出なかったのは、これです。恩人政治みたいなもんでね。それで助かってきた。 しかし、終わり方を見て、1年で首相を辞任したときの経験を何も学んでいなかったと思ったね。幕引きをしっかりできない人なんだと。首相は任期中だけが重要なのではなく、自分が辞めて、その後どうするのかも大事。だから、これから後継者がどうなるかで、混乱を生むわけです』、「彼は選挙に強い。民主党から政権奪還し、国政選挙で計6回勝った。だから、安倍さんには自民党の議員は全員恩義がある。安倍さんを批判したり、降ろしたりという動きがほとんど出なかったのは、これです。恩人政治みたいなもんでね」、「恩人政治」とは言い得て妙だ。「終わり方を見て、1年で首相を辞任したときの経験を何も学んでいなかったと思ったね。幕引きをしっかりできない人なんだ」、手厳しい批判だ。
第三に、9月3日付けPRESIDENT Onlineが掲載した「永田町コンフィデンシャル:菅氏の勝利は確実なのに、世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/38529
・『「政治空白を作るわけにはいかない」というナゾの理由 次の自民党総裁は菅義偉官房長官となりそうだ。総裁選は9月8日に告示されるが、党内主要派閥は軒並み菅氏の支持を決めている。このため、メディアは「誰が選ばれるか」ではなく、党員投票を行わない簡略版で総裁が選ぶことになったことを「密室談合」と批判している。 ただ、あえて党員投票を行わないこの決断は、年内に解散・総選挙を行うための布石だという見方がある。一体どういうことなのか。順を追って説明しよう。 9月1日、自民党総務会が正規の党員投票を省略する簡略版の総裁選を行うと決定すると、新聞、テレビなどのメディア、さらに政治評論家たちは競い合うように選出方法を批判した。 8月28日に辞任表明した安倍氏は、新しい首相が決まるまでは通常通り職務を続けて、政治空白は作らないと明言している。それにもかかわらず自民党執行部は「緊急事態に政治空白を作るわけにはいかない」という理由で簡略版の実施を決めてしまった』、「党員投票」する時間的余裕はあるのに、「簡略版の実施を決めてしまった」、「執行部」の判断は分かり難い。
・『党員投票が行われた場合でも、菅氏の勝利は動かなかったはず 党員投票を行わない本当の理由は「石破茂元党幹事長つぶし」であったというのは衆目の一致するところ。石破氏は、過去3度の総裁選チャレンジで党員・党友に人気がある。党員投票を行う正規の総裁選を行うと石破氏は有利だ。 安倍氏は、「与党内野党」として安倍政権にかみついてきた石破氏が後継指名されるのは避けたい。その安倍氏の考えを忖度して二階俊博幹事長ら執行部は、党員投票を省略した「簡略版」を押し通したのだ。この経緯については1日に配信した「『安倍1強』のあとにやってくる『菅1強』は一体いつまで続くのか」で詳しく紹介した。 結局、総裁選は党所属国会議員による394票、47都道府県に3票ずつ割り振られた141票の計535票で争われることになった。 県連の中には自主的に党員による投票を行って県連票の指標にしようとしているところもあり、石破氏がある程度存在感を示すかもしれないが、細田派(98人)、麻生派(54人)、竹下派(54人)、二階派(47人)、石原派(11人)といった派閥に守られた菅氏の有利は動かない。 しかし、ここで素朴な疑問が生じる。簡略版ではなく党員投票が行われた場合でも、菅氏の勝利は動かなかったはずなのだ』、なるほど。
・『石破氏が党員票で爆発的に得票するのは不可能だったが… 正規の党員投票は国会議員の394票と、同じ394票を党員票に委ね、計788票で定める。菅氏は今、議員票のうち300票あまりの支持をとりつけている。党員投票についても、「石破氏が強い」とは言われているが、安倍氏と一騎打ちとなった前回総裁選での党員票の得票率は約45%だった。岸田文雄氏も含めて3人で争われる今回は前回以上の得票率を得るのは難しい。 例えば菅氏の地元神奈川、麻生太郎副総理兼財務相の福岡、二階氏の和歌山などは菅氏が大量得票するのは確実。広島は岸田氏が意地を見せるだろう。そう考えると石破氏が党員票で爆発的な得票率を稼ぐのは不可能だったことが分かる。であれば、世論の反発の中、強引に「簡略版」とする必要はなかったように思える。 その理由について自民党幹部議員は、こうつぶやく。 「最終的には菅氏の判断になるが、衆院解散の布石を打ったのだろう。二階幹事長らはそのことも頭に入れて『簡略版』で押し切ったのではないか」』、「衆院解散の布石」、とはウルトラC級の離れ業だ。
・『政権発足時の「ご祝儀支持」が解散絶好のタイミング つまりこういうことである。 今、自民党は、党員の声に耳を貸すことなく、事実上の首相である総裁を選ぼうとしている。このことに対して野党は「正統性のない政権」という批判を強めることだろう。それに対し「そういう批判をするのなら、党員だけでなく国民全員の声を聞いてみようではないか」と言って、衆院を解散・国民に信を問う道を選ぶ。野党も反対するわけにいかないだろう。 言い換えれば「民意なき総裁選」を行うことで、早期の衆院解散・総選挙に持ち込む大義名分をつくったということになる。 菅氏が首相となった時、国民にどのように受け止められるかは不透明だ。ただ、8月28日に行った安倍氏の記者会見を多くの国民は好意的に受け止めたようで、現政権の支持率は再浮上している。新しい首相が選ばれた時は「ご祝儀相場」で支持率が上がるのが通例であり、おそらく菅新政権も順風に乗ってスタートするのではないか』、「「民意なき総裁選」を行うことで、早期の衆院解散・総選挙に持ち込む大義名分をつくった」、とは見事な「政治判断」だ。
・『2008年に「解散先送り」を強く進言したのが菅氏だった 一方、野党側は立憲民主党と国民民主党の合流による新党結成で期待値を高め、上昇気流に乗りたい考えだったが、結党のタイミングが「菅新政権」のタイミングと重なってしまった。注目度は極めて低い船出となる。 両者の立場をにらめば、今秋から暮れにかけての衆院選を政権与党側が模索する意味は十二分にあるのだ。それに向けての大義を「菅政権の正統性を問う」と設定するとすれば、8月28日以降の自民党の戦略は極めて高度な政治判断だったといえる。 2008年、麻生氏が首相に就任した時、麻生氏は発足時の高支持率を背景としてすぐに衆院解散をする考えだった。しかし、その頃、リーマンショックが起きたため解散を見合わせたほうがいいとの意見が高まり、麻生氏は解散を先送りした。このとき最も強く解散の先送りを進言したのは、当時、党の選挙責任者だった菅氏だった。 ここで解散の機会を逃した麻生内閣の支持率は、どんどん下がっていき、翌年の衆院選で大敗、民主党政権が誕生し、自民党は下野する。 あれから12年。リーマンショックとコロナ禍という大きな危機の中、新政権が誕生するという意味で、現在と政治状況はとても似ている。12年前の体験を踏まえ、菅氏はどういう決断をするのか。結果が見えてしまった総裁選の行方よりもはるかに興味深いテーマではないだろうか』、コロナ騒動下での総選挙にはハードルは高いとはいえ、「菅氏」としては、自らを押し上げてくれた二階幹事長の言い分を受け入れざるを得ないのではなかろうか。
第四に、9月4日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「言葉をこん棒として使う人たち」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00083/?P=1
・『今回は、本当は「炎上」について書きたいと思っている。 しかしながら、まだ気力が戻っていない。 炎上を語るためには、炎上を覚悟しなければならない。 ところが、いまの自分には、炎上を引き受けながら、炎上の本質をえぐる原稿を書くための精神の準備が整っていない。 こんなふうにして、炎上は、ものを言う人間から気力を奪っていく……と、今回はこの結論だけをお伝えして、別の話題について書くことにする。 ものを書く人間に限らず、スポーツ選手であれミュージシャンであれ、何らかの形で社会に向けて発言する人間は、誰もが炎上のリスクをかかえている。 もっとも、炎上を避けること自体は、そんなにむずかしいタスクではない。 ものの言い方を手加減すればそれで済む。 ただ、私がこの場を借りて強く言っておきたいのは、「この世界の中には、ものの言い方を手加減した瞬間に価値を喪失してしまうタイプの言論があるのだぞ」という事実だ。 誰かが炎上するたびに 「あとで取り消さなければならないようなことは、はじめから言わなければいいのではないでしょうか」てなことを言ってのける学級委員長みたいな人々が登場する。 もちろん言っていることの意味はわかる。私自身、半分以上はあなたのおっしゃる通りだとも思っている。 でも、残りの半分弱のところが、私はどうしても納得できないのだね。 その「納得できない気持ち」を論理的な言葉として表現するのは簡単なことではないのだが、あえて書いてみればこういうことになる。つまり、何かを書いたり表現したり伝えようとしたりすることの中には、「あとで取り消さなければならないこと」が余儀なく含まれているということだ。 ものを書くというのは、そういうことだ。 「三振するくらいなら、はじめから打席に立たなければいいのに」てなことでは打者はつとまらない。 「空振りに終わるスイングもあるし、三振に倒れる打席もある。それでもなお、バットを振り続けなかったらホームランは決して打てない」と、野球をやったことのある人間なら必ず同じことを言うはずだ。 原稿執筆業者も同じだ。 われわれは事後的に了解できることだけを考えているのではないし、結果として無問題なことだけを書いているわけでもない。 手さぐりで書いてみた結果、こっちの執筆時の気持ちとはまったく別の文脈で解釈されるケースもあるし、脊髄反射の発言が思いもよらぬ場所にいる人間の気持ちを傷つける場合もある。そのほかにも、手ぐすね引いてこちらの失言を待ち構えている人々のトラップにひっかかる事例も少なくない。いずれにせよ、何かを表現したり描写したり創造したりする作業にかかわる人間は、自分の言葉が自分自身の予測を超えた場所に届く可能性にいつもおびえている』、「何かを表現したり描写したり創造したりする作業にかかわる人間は、自分の言葉が自分自身の予測を超えた場所に届く可能性にいつもおびえている」、確かにその通りなのだろう。
・『逆に言えば、大きめの安全率を確保した上で、既定のコースから決して逸脱しない発言しかしないようなら、そもそも文章を書く必要などないということだ。というのも、われわれが文章を書く理由のうちの半分は、ほかならぬ自分が何を考えているのかを知るためなのであって、しかも自分が本当に何を考えているのかは、書きかけの文章を全部書き終えてみるまでは、わからないものだからだ。ということはつまり、執筆にたずさわる人間は、少なくとも半分ほどは自分でもよくわかっていないことを書いているのであって、だとすれば、はじめから炎上しないように書くであるとか、あとで取り消すような内容をはじめから書かない形式で書くみたいなことは、原理的に不可能であるのみならず、表現として本質的に不毛な作業なのである。 この話はここでおしまいにする。続ければ続けられるのだが、 「たとえばこのケースの炎上では」と、具体例を引いて紹介するつもりでいた3つほどの事例が、どれもこれもガソリンくさいので、書き起こす気持ちになれないのだね。 つまり、君たちの勝ちだということです。 手に手にトーチをたずさえて、燃え上がる話題に殺到するもぐらたたき趣味の匿名ネット民の炎上圧力が、発言者の意欲を鎮火させたということです。 話題を変える。 私が炎上を恐れるのは、自分自身が炎上後の焼け跡処理の面倒くささに辟易しているからでもあるのだが、それ以上に、同じ枠組みの仕事にたずさわっている仲間に余計な心労と迷惑をかけたくないからだ。 炎上はそういうふうに仕組まれている。つまり、処理する人間の心労を最大化するメソッドとして企画され実行され繰り返されているのである。 そして、炎上を煽る者たちは、燃え上がっている発言を糾弾すること以上に、その発言の周囲にいるすべての人間に「迷惑」をかけることで、炎上を物理的な圧力に変換する方法を日々洗練させている。 彼らは、発言主の所属先の企業や教育機関に通報することで、発言主の経済的な背景を無効化しようとたくらむ。あるいは、番組や記事のスポンサー企業に問い合わせをすることで、炎上の主を「二度と使いたくないタレント」の位置に固定しにかかる。そうやって、面倒なクレーム処理に従事する人間の数を増やすことで、発言者にとっての「迷惑をかけた人数」の最大化をはかることが、焼身者の気持ちをくじくことになる。なんとなれば、多くの日本人は自分自身が火あぶりになることよりも、何の罪もない自分の同僚や関係先のスタッフが迷惑をこうむることの方をより強く恐れるからだ。 手法としては、暴力金融の取り立て人が、本人を脅す一方で、勤務先に押しかけて無関係な同僚にあることないことを吹き込んだり、親戚縁者の家の前で騒ぎ立てたりする作業により強く注力するのと同じことですね。 3行ほどの愚痴で済ませるつもりだったものが、80ラインも書いてしまった。 今回は、英語の話をする。あまり炎上する要素のない、無難な話題だ。 こうして、あらゆる書き手が無難な話題だけを選ぶようになった近未来には、たぶん、他人の文章に課金しようとする人間が一人もいなくなる。別の言い方で言えば言論が死ぬわけです。めでたしめでたし。君らの念願が叶うわけだ。 8月28日の外務省の定例記者会見での茂木敏充外相の発言が話題になっている。詳細は以下の記事にある通りだ』、「われわれが文章を書く理由のうちの半分は、ほかならぬ自分が何を考えているのかを知るためなのであって、しかも自分が本当に何を考えているのかは、書きかけの文章を全部書き終えてみるまでは、わからないものだからだ」、コラムは、私が慣れている経済の論文のように、書く前から結論が決まっているのとは、やはり大きく違うようだ。
・『茂木さんの発言の問題点については、ここでは深く追及しない。 私がわざわざ書くまでもなく主要な論点は以下の記事で言い尽くされている。 ひとつだけ付け加えるなら、茂木外相によるこのたびの不必要にあからさまな記者個人への嘲弄は、彼自身の個性というよりは、むしろ現政権の体質を、より明確に反映した振る舞いだったということだ。 現政権の主要メンバーの間では 「質問にマトモに答えないこと」「質問者を愚弄すること」「会見を設定した言論機関の体面を失わしめること」「質問そのものを揶揄すること」「記者と政治家の間に設定されている会見が対等なコミュニケーションの場ではないことを記者たちに思い知らせること」「質問の意味を意図的にすり替えて回答すること」「回答の言葉を意識的に無意味化すること」といった調子のある種のニヒリズムが強く共有されている。 これは、学級崩壊した教室の中学生たちが、授業の進行を意図的に無効化させようとする態度と相似で、これに(つまり、授業妨害に)参加しない生徒は仲間はずれにされる。 であるから、現政権の中で一定の評価を得るためには(つまり、政権中枢の人々を喜ばせるためには)積極的に会見を愚弄する必要が生じる。 菅義偉官房長官による記者の言葉を聞かない応答や、麻生太郎副総理による若手記者への恫喝も同じ気分の中で起こっている同じタイプの反応だ。 彼らは、誰かをいじめることで連帯している中学生とそんなに変わらない。権力志向の男を選択的に集めたホモソーシャルは、どうかするとその種の中学生くさい悪ガキ集団に着地する。 「言ってやった言ってやった」「ざまあ」「あいつら吠え面かいてやがった」「やったぜ!」 ごらんの通り、この種の腐ったホモソーシャルの中では 「マジメ」が一番嫌われることになっている。 「マジメか!」というツッコミを食らったクラスメートは、仲間に入れてもらえないばかりか、うっかりするといじめのターゲットになる。 彼らの中では、記者なりジャーナリストなり野党議員なりリベラル評論家なりの話に真摯に耳を傾けた時点で 「なんだあいつは?」「なにいい子ぶってやがるんだ?」「マジメか?」「カシコか?」てなことになる』、「現政権の主要メンバーの間では 「質問にマトモに答えないこと」「質問者を愚弄すること」・・・といった調子のある種のニヒリズムが強く共有されている」、「権力志向の男を選択的に集めたホモソーシャルは、どうかするとその種の中学生くさい悪ガキ集団に着地する」、鋭い指摘だ。
・『とまあ、こういう事情が背景にあって茂木大臣は、クソガキみたいな異分子排除のいじめを大々的に展開したのだと、私はそう考えている。 ただ、茂木さんの失礼な態度を録画した会見の動画が思いのほか大きな反発を招いたのには、別の理由もある。 それは、 「人前で流暢な英語をしゃべる日本人は多数派の日本人によって嫌われる」ということだ。 これは実のところなんとも不思議な現象なのだが、毎日のように起こっている極めて日常的なできごとでもある。誰であれ、人前でネイティブ顔負けの発音で立派な英語をしゃべってみせると、必ずや一定の反感を買うのである。 「なにを気取ってやがるんだ?」「はいはい英語通英語通」「オーケイ帰国子女ね。よくわかったおぼえておく」 てな調子で、英語をしゃべる人間は、「得意満面」で「英語をひけらかしている」とみなされる。 これは、われら旧世代の英語コンプレックス人種にとって、英語がいつまでたっても「教室のいいこちゃん」の属性であり、「上からやってくる評価」といういまいましい仇敵であり続けていることの副作用でもある。 ついでに申せば、人前で外国人っぽい英語を使うことをうとましがったりはずかしがったりけむたがったりするという、英語への意識過剰が、われわれを英語から遠ざけている大きな理由のひとつでもあることはともかくとして、無視できないのは、現実問題として、英語は、多くの日本人にとってその人間の「生まれ育ち」をまるごと表象してしまう「烙印」でもあるということだ。 私自身は、ゴミみたいな英語しか使えない人間ではあるのだが、その一方で、誰かが英語をしゃべっているのを聞けば、その人間がどういう地域のどんな階層の家で育ち、どんな教育を受けて、どれほどの成績を収め、どういう種類の職歴を積み重ねてきたのかを、おおよそのところで鑑定する能力を持っているつもりでいる。 いや、この感覚が、勘違いであることは、私自身、半ば以上自覚している。本当のところ、私が誰かが話している英語を材料に、その人間の文化的背景やら生まれ育ちやらを判定する時の精度は、デタラメどころか、モロな「偏見」と言い切っても良い。にもかかわらず、自分がときどきやらかす英語経由の人物鑑定趣味をどうしても捨てきれずにいる。 困ったことだ。 とはいえ、現実問題として、英語は、世界中の植民地の人間にとって「階級」そのものであったりする。 その事情は、わが国においてもそんなには変わらない。うちの国の人間であっても流暢な英語を駆使するということは、それなりの階級に属していて、それなりの文化資本の中で育ったことを意味している。 なぜかって? それはわれわれの国が半分以上植民地だからです』、「英語は、世界中の植民地の人間にとって「階級」そのものであったりする」、日本も含めその通りだ。
・『たとえば、東南アジアや南アジアのいくつかの国を訪れると、それなりの階層の人間の誰もが立派な英語を話すことに気付かされる。 かつて植民地であった国々では、いまだに、英語との距離がその国の上流階級との距離になっている。だから、年収の高い人々や、社会的に高い地位にある人間や、高い教育を受けた子女は、誰もが流暢な英語を話す。一方、生活のために余儀なく英語を身に付けた庶民層は、ブロークンでプアーで直截で聞き取りやすい英語を話すことになっている。 であるから、それらの国では、英語を聞いただけで、その人間のおおよその背景が一発でわかってしまう。 ちなみに申せば、私がいまここに書いたこの見解は、多分に偏見を含んでいる。われわれは、第三世界といわれる旧植民地国を訪れる時、あらかじめ用意された偏見に沿ったものの見方でその国の風土や国民を評価してしまう。これは非常に困った傾向なのだが、同時に、とても克服しにくい手癖でもある。 当然の展開ではあるのだが、われわれは、自分たち自身にも英語にまつわる上流幻想を適用しにかかる。 「ああ、あの人の英語は本場仕込みだね」「ああいう英語がさらっと出てくるところから見てあのヒトは本物のエスタブリッシュメントなのだろうね」「彼女には、3年前にシンガポールでばったり出くわしたことがあるんだけど、その時になんというのか、圧倒的な育ちの違いを見せつけられて、以来、気後れが消えないわけでさ」「育ちの違いってなんだよ」「まあ、平たくいえば英語力だけど」「たかが英語力じゃないか」「でも、英語力って、能力をどうこう言う以前に、生まれ育ちの違いそのものだろ?」とまあ、われわれは、英語に対して困った思い込みを山ほど抱いている。 だから、大臣みたいな立場の人間がいきなり英語をペラペラ振り回すのを聞かされると、カラオケ店で賛美歌を歌う人間を見た時みたいな目つきになってしまうわけなのである。 茂木さんの問題は、日本人を相手に英語でマウントをとったこと以上に、外国人記者に対して日本語の理解度を持ち出すというどうにも差別的ないやがらせを敢行したところにある。それはわかっている。上で紹介した記事に書いてある通りだ。 ただ、パワハラ体質の人間は、相手次第でこん棒として使えるものならどんなツールでも振り回す。英語はそのひとつになる。日本語も、だ。そして、茂木さんの問題はパワハラの問題であり、それはとりもなおさず現政権のメンバーに通底するコミュニケーションの問題でもある。 結局、現政権は、言葉をこん棒として使う人たちの集まりだったわけだ。 次期政権では、どんな言葉が使われるのだろうか。 読むことや聞くことが可能な言葉であってくれれば良いのだが。 まあ、そうでなくても、いずれこん棒の打撃音を素敵に解釈できる有能な人材が登場して、メディアを通じて活発に発言することになるのだろう』、「茂木さんの問題は、日本人を相手に英語でマウントをとったこと以上に、外国人記者に対して日本語の理解度を持ち出すというどうにも差別的ないやがらせを敢行したところにある」、「茂木さんの問題はパワハラの問題であり、それはとりもなおさず現政権のメンバーに通底するコミュニケーションの問題でもある。 結局、現政権は、言葉をこん棒として使う人たちの集まりだったわけだ」、いつもながら、鋭く深い指摘には、感心するほかない。「次期政権」も安部政権の後継を目指す以上、変わりばえしないのだろう。
先ずは、9月2日付け日刊ゲンダイが掲載したジャーナリストの立岩陽一郎氏による「安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/278111
・『日本は社会の透明性と無縁になってしまった。それが、安倍総理の辞任劇に際して感じた正直な感想だ。少し振り返ってみたい。安倍総理が慶応病院で診察を受けたのが8月17日。そして24日に再診。一気に体調不良の観測が出回る。しかし、すぐにそれを打ち消すような膨大な情報がメディア関係者に流れる。官邸での総理会見で新型コロナ対策が発表されるとの情報が流れるに至って、「本人はやる気だ」との情報が支配的になる。 その最中の8月27日に私は松本市の臥雲義尚市長と会っていた。臥雲氏はNHKで政治記者として名をはせ、この3月の選挙で市長になった。私が、「安倍総理はまだ続けるみたいですね」と水を向けると、「長年の政治取材の経験からすると、こういう時は辞任の可能性はある」と話した。臥雲市長は、さまざまな情報の流れ方に、一種の情報操作が行われているというにおいを感じ取っていたようだ。つまり、私たちは情報操作に翻弄されたというわけだ』、「一気に体調不良の観測が出回る。しかし、すぐにそれを打ち消すような膨大な情報がメディア関係者に流れる」、官邸の「情報操作」は健在なようだ。
・『情報操作で「花道会見」に変質 もちろん、一国の最高責任者の健康状態を透明にするわけにいかないことはわかる。問題はその後だ。8月28日の会見の約3時間前の午後2時7分にNHKが辞任の速報を流す。それに他社が追随する。そしてNHKが安倍総理のレガシーを放送し始める。これによって、この国のリーダーが2カ月ぶりに行う記者会見が「花道会見」に変質する。 一部のコメンテーターが「お疲れさま」と言わない記者を批判したのは、その変質の「効果」を物語っている。当然ながら総理会見は総理大臣と記者との懇談の場ではない。市民の負託を受けた記者がこの国のリーダーと対峙し疑問を問いただす場だ。「お疲れさま」と声をかける場ではない。しかし、そうした雰囲気が醸成されてしまった。 この会見では、検査を1日20万件可能にするといった新型コロナ対策の抜本的な見直しや、敵基地攻撃を可能にする安全保障政策について語られたが、その全てが辞任によってかき消されてしまった。記者の質問がレガシーや後任に集中するからだ。それでも共同通信は拉致問題などへの対応の反省点を問うたが、「最善を尽くした」としか語らなかった。この問題で政権の本気度に疑問を感じる人は多かったが、その疑問に答えることはなかった。他にも、なぜ新型コロナの検査体制の拡充に時間がかかったのか? 敵基地攻撃を可能にする政策はこの地域の安定につながるのか? いずれも総理が答えるべき疑問だが、全て不透明なまま残された。 安倍政権の最大の罪はこの社会から透明性をなくしたことだろう。官邸主導によってあらゆる情報が管理され、官僚は出世のためにそれに盲従。公文書は破棄、改ざんされ、国会でも記者会見でもはぐらかし答弁が横行した。8月28日の会見は、それを象徴する出来事でしかなかった。 報道各社は安倍政権の功罪の検証が不可欠と指摘しているが、罪に関しては、マスメディアの関わりについても検証が必要だ。それがなければ、政権が替わっても、社会の不透明さは変わらない』、「安倍政権の最大の罪はこの社会から透明性をなくしたことだろう。官邸主導によってあらゆる情報が管理され、官僚は出世のためにそれに盲従。公文書は破棄、改ざんされ、国会でも記者会見でもはぐらかし答弁が横行した」、「報道各社は安倍政権の功罪の検証が不可欠と指摘しているが、罪に関しては、マスメディアの関わりについても検証が必要だ」、全く同感である。
次に、9月3日付けAERAdotが掲載した政治学者の御厨貴氏へのインタビュー「何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2020090200011.html?page=1
・『突然の辞任表明をした安倍晋三首相。政治学者・御厨貴氏は安倍政権を恩人政治で助かってきたと評する。 安倍政権は“本当のレガシー”がない。同じ長期政権でも、佐藤栄作は沖縄返還をやった。安倍さんはとにかく「わが内閣はこれをやる」といって、それを達成したということがなかった。大きなことで成功したことはなかった。達成感なく終わってしまいましたね。 憲法改正は、機運をつくったが、できなかった。経済でも社会保障でも大きな課題に挑戦しないが、小さな課題をつくってはそれをこなしていく。これは安倍側近と官邸を担う官僚たちが非常にうまくやった。「やっている感の政治」だった。 だけど、これがコロナでうまくいかなくなる。コロナにどう取り組むかを示しきれなかった。「やっている感」の政治をやっていくことができなかった。大きい目標を出して、みんなでがんばろうということはなかったから。 彼は国民に対する立ち位置がわからなくなったんだと思う。だから、健康上の理由もあったんだろうけど、ある時期から記者会見をやってこなかった。一番やらないといけない時期なのに』、「大きなことで成功したことはなかった。達成感なく終わってしまいました」、「小さな課題をつくってはそれをこなしていく。これは安倍側近と官邸を担う官僚たちが非常にうまくやった。「やっている感の政治」だった」、「これがコロナでうまくいかなくなる。コロナにどう取り組むかを示しきれなかった」、「彼は国民に対する立ち位置がわからなくなったんだ・・・ある時期から記者会見をやってこなかった。一番やらないといけない時期なのに」、さすが「御厨貴氏」だけあって、極めて的確な描写だ。
・『自慢の外交は、いろいろなことに手をつけたけど、どれもこれも息切れしてしまった。日ロでも日韓でも日朝でも、結実したものはないですよね。アメリカとはトランプ大統領と気が合うとはいうけれども、そのわりにアメリカが何かしてくれることはない。 ただ、長いということが必ずしも尊ばれることではないけど、7年8カ月の間、首相が同じだったということは、国際的に日本の信用を高めた。民主党政権だって1年に1人代わったし、小泉首相以降も3年で3人代わったわけだから。それに比べると、「安定感」はあった。 さらに、彼は選挙に強い。民主党から政権奪還し、国政選挙で計6回勝った。だから、安倍さんには自民党の議員は全員恩義がある。安倍さんを批判したり、降ろしたりという動きがほとんど出なかったのは、これです。恩人政治みたいなもんでね。それで助かってきた。 しかし、終わり方を見て、1年で首相を辞任したときの経験を何も学んでいなかったと思ったね。幕引きをしっかりできない人なんだと。首相は任期中だけが重要なのではなく、自分が辞めて、その後どうするのかも大事。だから、これから後継者がどうなるかで、混乱を生むわけです』、「彼は選挙に強い。民主党から政権奪還し、国政選挙で計6回勝った。だから、安倍さんには自民党の議員は全員恩義がある。安倍さんを批判したり、降ろしたりという動きがほとんど出なかったのは、これです。恩人政治みたいなもんでね」、「恩人政治」とは言い得て妙だ。「終わり方を見て、1年で首相を辞任したときの経験を何も学んでいなかったと思ったね。幕引きをしっかりできない人なんだ」、手厳しい批判だ。
第三に、9月3日付けPRESIDENT Onlineが掲載した「永田町コンフィデンシャル:菅氏の勝利は確実なのに、世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/38529
・『「政治空白を作るわけにはいかない」というナゾの理由 次の自民党総裁は菅義偉官房長官となりそうだ。総裁選は9月8日に告示されるが、党内主要派閥は軒並み菅氏の支持を決めている。このため、メディアは「誰が選ばれるか」ではなく、党員投票を行わない簡略版で総裁が選ぶことになったことを「密室談合」と批判している。 ただ、あえて党員投票を行わないこの決断は、年内に解散・総選挙を行うための布石だという見方がある。一体どういうことなのか。順を追って説明しよう。 9月1日、自民党総務会が正規の党員投票を省略する簡略版の総裁選を行うと決定すると、新聞、テレビなどのメディア、さらに政治評論家たちは競い合うように選出方法を批判した。 8月28日に辞任表明した安倍氏は、新しい首相が決まるまでは通常通り職務を続けて、政治空白は作らないと明言している。それにもかかわらず自民党執行部は「緊急事態に政治空白を作るわけにはいかない」という理由で簡略版の実施を決めてしまった』、「党員投票」する時間的余裕はあるのに、「簡略版の実施を決めてしまった」、「執行部」の判断は分かり難い。
・『党員投票が行われた場合でも、菅氏の勝利は動かなかったはず 党員投票を行わない本当の理由は「石破茂元党幹事長つぶし」であったというのは衆目の一致するところ。石破氏は、過去3度の総裁選チャレンジで党員・党友に人気がある。党員投票を行う正規の総裁選を行うと石破氏は有利だ。 安倍氏は、「与党内野党」として安倍政権にかみついてきた石破氏が後継指名されるのは避けたい。その安倍氏の考えを忖度して二階俊博幹事長ら執行部は、党員投票を省略した「簡略版」を押し通したのだ。この経緯については1日に配信した「『安倍1強』のあとにやってくる『菅1強』は一体いつまで続くのか」で詳しく紹介した。 結局、総裁選は党所属国会議員による394票、47都道府県に3票ずつ割り振られた141票の計535票で争われることになった。 県連の中には自主的に党員による投票を行って県連票の指標にしようとしているところもあり、石破氏がある程度存在感を示すかもしれないが、細田派(98人)、麻生派(54人)、竹下派(54人)、二階派(47人)、石原派(11人)といった派閥に守られた菅氏の有利は動かない。 しかし、ここで素朴な疑問が生じる。簡略版ではなく党員投票が行われた場合でも、菅氏の勝利は動かなかったはずなのだ』、なるほど。
・『石破氏が党員票で爆発的に得票するのは不可能だったが… 正規の党員投票は国会議員の394票と、同じ394票を党員票に委ね、計788票で定める。菅氏は今、議員票のうち300票あまりの支持をとりつけている。党員投票についても、「石破氏が強い」とは言われているが、安倍氏と一騎打ちとなった前回総裁選での党員票の得票率は約45%だった。岸田文雄氏も含めて3人で争われる今回は前回以上の得票率を得るのは難しい。 例えば菅氏の地元神奈川、麻生太郎副総理兼財務相の福岡、二階氏の和歌山などは菅氏が大量得票するのは確実。広島は岸田氏が意地を見せるだろう。そう考えると石破氏が党員票で爆発的な得票率を稼ぐのは不可能だったことが分かる。であれば、世論の反発の中、強引に「簡略版」とする必要はなかったように思える。 その理由について自民党幹部議員は、こうつぶやく。 「最終的には菅氏の判断になるが、衆院解散の布石を打ったのだろう。二階幹事長らはそのことも頭に入れて『簡略版』で押し切ったのではないか」』、「衆院解散の布石」、とはウルトラC級の離れ業だ。
・『政権発足時の「ご祝儀支持」が解散絶好のタイミング つまりこういうことである。 今、自民党は、党員の声に耳を貸すことなく、事実上の首相である総裁を選ぼうとしている。このことに対して野党は「正統性のない政権」という批判を強めることだろう。それに対し「そういう批判をするのなら、党員だけでなく国民全員の声を聞いてみようではないか」と言って、衆院を解散・国民に信を問う道を選ぶ。野党も反対するわけにいかないだろう。 言い換えれば「民意なき総裁選」を行うことで、早期の衆院解散・総選挙に持ち込む大義名分をつくったということになる。 菅氏が首相となった時、国民にどのように受け止められるかは不透明だ。ただ、8月28日に行った安倍氏の記者会見を多くの国民は好意的に受け止めたようで、現政権の支持率は再浮上している。新しい首相が選ばれた時は「ご祝儀相場」で支持率が上がるのが通例であり、おそらく菅新政権も順風に乗ってスタートするのではないか』、「「民意なき総裁選」を行うことで、早期の衆院解散・総選挙に持ち込む大義名分をつくった」、とは見事な「政治判断」だ。
・『2008年に「解散先送り」を強く進言したのが菅氏だった 一方、野党側は立憲民主党と国民民主党の合流による新党結成で期待値を高め、上昇気流に乗りたい考えだったが、結党のタイミングが「菅新政権」のタイミングと重なってしまった。注目度は極めて低い船出となる。 両者の立場をにらめば、今秋から暮れにかけての衆院選を政権与党側が模索する意味は十二分にあるのだ。それに向けての大義を「菅政権の正統性を問う」と設定するとすれば、8月28日以降の自民党の戦略は極めて高度な政治判断だったといえる。 2008年、麻生氏が首相に就任した時、麻生氏は発足時の高支持率を背景としてすぐに衆院解散をする考えだった。しかし、その頃、リーマンショックが起きたため解散を見合わせたほうがいいとの意見が高まり、麻生氏は解散を先送りした。このとき最も強く解散の先送りを進言したのは、当時、党の選挙責任者だった菅氏だった。 ここで解散の機会を逃した麻生内閣の支持率は、どんどん下がっていき、翌年の衆院選で大敗、民主党政権が誕生し、自民党は下野する。 あれから12年。リーマンショックとコロナ禍という大きな危機の中、新政権が誕生するという意味で、現在と政治状況はとても似ている。12年前の体験を踏まえ、菅氏はどういう決断をするのか。結果が見えてしまった総裁選の行方よりもはるかに興味深いテーマではないだろうか』、コロナ騒動下での総選挙にはハードルは高いとはいえ、「菅氏」としては、自らを押し上げてくれた二階幹事長の言い分を受け入れざるを得ないのではなかろうか。
第四に、9月4日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「言葉をこん棒として使う人たち」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00083/?P=1
・『今回は、本当は「炎上」について書きたいと思っている。 しかしながら、まだ気力が戻っていない。 炎上を語るためには、炎上を覚悟しなければならない。 ところが、いまの自分には、炎上を引き受けながら、炎上の本質をえぐる原稿を書くための精神の準備が整っていない。 こんなふうにして、炎上は、ものを言う人間から気力を奪っていく……と、今回はこの結論だけをお伝えして、別の話題について書くことにする。 ものを書く人間に限らず、スポーツ選手であれミュージシャンであれ、何らかの形で社会に向けて発言する人間は、誰もが炎上のリスクをかかえている。 もっとも、炎上を避けること自体は、そんなにむずかしいタスクではない。 ものの言い方を手加減すればそれで済む。 ただ、私がこの場を借りて強く言っておきたいのは、「この世界の中には、ものの言い方を手加減した瞬間に価値を喪失してしまうタイプの言論があるのだぞ」という事実だ。 誰かが炎上するたびに 「あとで取り消さなければならないようなことは、はじめから言わなければいいのではないでしょうか」てなことを言ってのける学級委員長みたいな人々が登場する。 もちろん言っていることの意味はわかる。私自身、半分以上はあなたのおっしゃる通りだとも思っている。 でも、残りの半分弱のところが、私はどうしても納得できないのだね。 その「納得できない気持ち」を論理的な言葉として表現するのは簡単なことではないのだが、あえて書いてみればこういうことになる。つまり、何かを書いたり表現したり伝えようとしたりすることの中には、「あとで取り消さなければならないこと」が余儀なく含まれているということだ。 ものを書くというのは、そういうことだ。 「三振するくらいなら、はじめから打席に立たなければいいのに」てなことでは打者はつとまらない。 「空振りに終わるスイングもあるし、三振に倒れる打席もある。それでもなお、バットを振り続けなかったらホームランは決して打てない」と、野球をやったことのある人間なら必ず同じことを言うはずだ。 原稿執筆業者も同じだ。 われわれは事後的に了解できることだけを考えているのではないし、結果として無問題なことだけを書いているわけでもない。 手さぐりで書いてみた結果、こっちの執筆時の気持ちとはまったく別の文脈で解釈されるケースもあるし、脊髄反射の発言が思いもよらぬ場所にいる人間の気持ちを傷つける場合もある。そのほかにも、手ぐすね引いてこちらの失言を待ち構えている人々のトラップにひっかかる事例も少なくない。いずれにせよ、何かを表現したり描写したり創造したりする作業にかかわる人間は、自分の言葉が自分自身の予測を超えた場所に届く可能性にいつもおびえている』、「何かを表現したり描写したり創造したりする作業にかかわる人間は、自分の言葉が自分自身の予測を超えた場所に届く可能性にいつもおびえている」、確かにその通りなのだろう。
・『逆に言えば、大きめの安全率を確保した上で、既定のコースから決して逸脱しない発言しかしないようなら、そもそも文章を書く必要などないということだ。というのも、われわれが文章を書く理由のうちの半分は、ほかならぬ自分が何を考えているのかを知るためなのであって、しかも自分が本当に何を考えているのかは、書きかけの文章を全部書き終えてみるまでは、わからないものだからだ。ということはつまり、執筆にたずさわる人間は、少なくとも半分ほどは自分でもよくわかっていないことを書いているのであって、だとすれば、はじめから炎上しないように書くであるとか、あとで取り消すような内容をはじめから書かない形式で書くみたいなことは、原理的に不可能であるのみならず、表現として本質的に不毛な作業なのである。 この話はここでおしまいにする。続ければ続けられるのだが、 「たとえばこのケースの炎上では」と、具体例を引いて紹介するつもりでいた3つほどの事例が、どれもこれもガソリンくさいので、書き起こす気持ちになれないのだね。 つまり、君たちの勝ちだということです。 手に手にトーチをたずさえて、燃え上がる話題に殺到するもぐらたたき趣味の匿名ネット民の炎上圧力が、発言者の意欲を鎮火させたということです。 話題を変える。 私が炎上を恐れるのは、自分自身が炎上後の焼け跡処理の面倒くささに辟易しているからでもあるのだが、それ以上に、同じ枠組みの仕事にたずさわっている仲間に余計な心労と迷惑をかけたくないからだ。 炎上はそういうふうに仕組まれている。つまり、処理する人間の心労を最大化するメソッドとして企画され実行され繰り返されているのである。 そして、炎上を煽る者たちは、燃え上がっている発言を糾弾すること以上に、その発言の周囲にいるすべての人間に「迷惑」をかけることで、炎上を物理的な圧力に変換する方法を日々洗練させている。 彼らは、発言主の所属先の企業や教育機関に通報することで、発言主の経済的な背景を無効化しようとたくらむ。あるいは、番組や記事のスポンサー企業に問い合わせをすることで、炎上の主を「二度と使いたくないタレント」の位置に固定しにかかる。そうやって、面倒なクレーム処理に従事する人間の数を増やすことで、発言者にとっての「迷惑をかけた人数」の最大化をはかることが、焼身者の気持ちをくじくことになる。なんとなれば、多くの日本人は自分自身が火あぶりになることよりも、何の罪もない自分の同僚や関係先のスタッフが迷惑をこうむることの方をより強く恐れるからだ。 手法としては、暴力金融の取り立て人が、本人を脅す一方で、勤務先に押しかけて無関係な同僚にあることないことを吹き込んだり、親戚縁者の家の前で騒ぎ立てたりする作業により強く注力するのと同じことですね。 3行ほどの愚痴で済ませるつもりだったものが、80ラインも書いてしまった。 今回は、英語の話をする。あまり炎上する要素のない、無難な話題だ。 こうして、あらゆる書き手が無難な話題だけを選ぶようになった近未来には、たぶん、他人の文章に課金しようとする人間が一人もいなくなる。別の言い方で言えば言論が死ぬわけです。めでたしめでたし。君らの念願が叶うわけだ。 8月28日の外務省の定例記者会見での茂木敏充外相の発言が話題になっている。詳細は以下の記事にある通りだ』、「われわれが文章を書く理由のうちの半分は、ほかならぬ自分が何を考えているのかを知るためなのであって、しかも自分が本当に何を考えているのかは、書きかけの文章を全部書き終えてみるまでは、わからないものだからだ」、コラムは、私が慣れている経済の論文のように、書く前から結論が決まっているのとは、やはり大きく違うようだ。
・『茂木さんの発言の問題点については、ここでは深く追及しない。 私がわざわざ書くまでもなく主要な論点は以下の記事で言い尽くされている。 ひとつだけ付け加えるなら、茂木外相によるこのたびの不必要にあからさまな記者個人への嘲弄は、彼自身の個性というよりは、むしろ現政権の体質を、より明確に反映した振る舞いだったということだ。 現政権の主要メンバーの間では 「質問にマトモに答えないこと」「質問者を愚弄すること」「会見を設定した言論機関の体面を失わしめること」「質問そのものを揶揄すること」「記者と政治家の間に設定されている会見が対等なコミュニケーションの場ではないことを記者たちに思い知らせること」「質問の意味を意図的にすり替えて回答すること」「回答の言葉を意識的に無意味化すること」といった調子のある種のニヒリズムが強く共有されている。 これは、学級崩壊した教室の中学生たちが、授業の進行を意図的に無効化させようとする態度と相似で、これに(つまり、授業妨害に)参加しない生徒は仲間はずれにされる。 であるから、現政権の中で一定の評価を得るためには(つまり、政権中枢の人々を喜ばせるためには)積極的に会見を愚弄する必要が生じる。 菅義偉官房長官による記者の言葉を聞かない応答や、麻生太郎副総理による若手記者への恫喝も同じ気分の中で起こっている同じタイプの反応だ。 彼らは、誰かをいじめることで連帯している中学生とそんなに変わらない。権力志向の男を選択的に集めたホモソーシャルは、どうかするとその種の中学生くさい悪ガキ集団に着地する。 「言ってやった言ってやった」「ざまあ」「あいつら吠え面かいてやがった」「やったぜ!」 ごらんの通り、この種の腐ったホモソーシャルの中では 「マジメ」が一番嫌われることになっている。 「マジメか!」というツッコミを食らったクラスメートは、仲間に入れてもらえないばかりか、うっかりするといじめのターゲットになる。 彼らの中では、記者なりジャーナリストなり野党議員なりリベラル評論家なりの話に真摯に耳を傾けた時点で 「なんだあいつは?」「なにいい子ぶってやがるんだ?」「マジメか?」「カシコか?」てなことになる』、「現政権の主要メンバーの間では 「質問にマトモに答えないこと」「質問者を愚弄すること」・・・といった調子のある種のニヒリズムが強く共有されている」、「権力志向の男を選択的に集めたホモソーシャルは、どうかするとその種の中学生くさい悪ガキ集団に着地する」、鋭い指摘だ。
・『とまあ、こういう事情が背景にあって茂木大臣は、クソガキみたいな異分子排除のいじめを大々的に展開したのだと、私はそう考えている。 ただ、茂木さんの失礼な態度を録画した会見の動画が思いのほか大きな反発を招いたのには、別の理由もある。 それは、 「人前で流暢な英語をしゃべる日本人は多数派の日本人によって嫌われる」ということだ。 これは実のところなんとも不思議な現象なのだが、毎日のように起こっている極めて日常的なできごとでもある。誰であれ、人前でネイティブ顔負けの発音で立派な英語をしゃべってみせると、必ずや一定の反感を買うのである。 「なにを気取ってやがるんだ?」「はいはい英語通英語通」「オーケイ帰国子女ね。よくわかったおぼえておく」 てな調子で、英語をしゃべる人間は、「得意満面」で「英語をひけらかしている」とみなされる。 これは、われら旧世代の英語コンプレックス人種にとって、英語がいつまでたっても「教室のいいこちゃん」の属性であり、「上からやってくる評価」といういまいましい仇敵であり続けていることの副作用でもある。 ついでに申せば、人前で外国人っぽい英語を使うことをうとましがったりはずかしがったりけむたがったりするという、英語への意識過剰が、われわれを英語から遠ざけている大きな理由のひとつでもあることはともかくとして、無視できないのは、現実問題として、英語は、多くの日本人にとってその人間の「生まれ育ち」をまるごと表象してしまう「烙印」でもあるということだ。 私自身は、ゴミみたいな英語しか使えない人間ではあるのだが、その一方で、誰かが英語をしゃべっているのを聞けば、その人間がどういう地域のどんな階層の家で育ち、どんな教育を受けて、どれほどの成績を収め、どういう種類の職歴を積み重ねてきたのかを、おおよそのところで鑑定する能力を持っているつもりでいる。 いや、この感覚が、勘違いであることは、私自身、半ば以上自覚している。本当のところ、私が誰かが話している英語を材料に、その人間の文化的背景やら生まれ育ちやらを判定する時の精度は、デタラメどころか、モロな「偏見」と言い切っても良い。にもかかわらず、自分がときどきやらかす英語経由の人物鑑定趣味をどうしても捨てきれずにいる。 困ったことだ。 とはいえ、現実問題として、英語は、世界中の植民地の人間にとって「階級」そのものであったりする。 その事情は、わが国においてもそんなには変わらない。うちの国の人間であっても流暢な英語を駆使するということは、それなりの階級に属していて、それなりの文化資本の中で育ったことを意味している。 なぜかって? それはわれわれの国が半分以上植民地だからです』、「英語は、世界中の植民地の人間にとって「階級」そのものであったりする」、日本も含めその通りだ。
・『たとえば、東南アジアや南アジアのいくつかの国を訪れると、それなりの階層の人間の誰もが立派な英語を話すことに気付かされる。 かつて植民地であった国々では、いまだに、英語との距離がその国の上流階級との距離になっている。だから、年収の高い人々や、社会的に高い地位にある人間や、高い教育を受けた子女は、誰もが流暢な英語を話す。一方、生活のために余儀なく英語を身に付けた庶民層は、ブロークンでプアーで直截で聞き取りやすい英語を話すことになっている。 であるから、それらの国では、英語を聞いただけで、その人間のおおよその背景が一発でわかってしまう。 ちなみに申せば、私がいまここに書いたこの見解は、多分に偏見を含んでいる。われわれは、第三世界といわれる旧植民地国を訪れる時、あらかじめ用意された偏見に沿ったものの見方でその国の風土や国民を評価してしまう。これは非常に困った傾向なのだが、同時に、とても克服しにくい手癖でもある。 当然の展開ではあるのだが、われわれは、自分たち自身にも英語にまつわる上流幻想を適用しにかかる。 「ああ、あの人の英語は本場仕込みだね」「ああいう英語がさらっと出てくるところから見てあのヒトは本物のエスタブリッシュメントなのだろうね」「彼女には、3年前にシンガポールでばったり出くわしたことがあるんだけど、その時になんというのか、圧倒的な育ちの違いを見せつけられて、以来、気後れが消えないわけでさ」「育ちの違いってなんだよ」「まあ、平たくいえば英語力だけど」「たかが英語力じゃないか」「でも、英語力って、能力をどうこう言う以前に、生まれ育ちの違いそのものだろ?」とまあ、われわれは、英語に対して困った思い込みを山ほど抱いている。 だから、大臣みたいな立場の人間がいきなり英語をペラペラ振り回すのを聞かされると、カラオケ店で賛美歌を歌う人間を見た時みたいな目つきになってしまうわけなのである。 茂木さんの問題は、日本人を相手に英語でマウントをとったこと以上に、外国人記者に対して日本語の理解度を持ち出すというどうにも差別的ないやがらせを敢行したところにある。それはわかっている。上で紹介した記事に書いてある通りだ。 ただ、パワハラ体質の人間は、相手次第でこん棒として使えるものならどんなツールでも振り回す。英語はそのひとつになる。日本語も、だ。そして、茂木さんの問題はパワハラの問題であり、それはとりもなおさず現政権のメンバーに通底するコミュニケーションの問題でもある。 結局、現政権は、言葉をこん棒として使う人たちの集まりだったわけだ。 次期政権では、どんな言葉が使われるのだろうか。 読むことや聞くことが可能な言葉であってくれれば良いのだが。 まあ、そうでなくても、いずれこん棒の打撃音を素敵に解釈できる有能な人材が登場して、メディアを通じて活発に発言することになるのだろう』、「茂木さんの問題は、日本人を相手に英語でマウントをとったこと以上に、外国人記者に対して日本語の理解度を持ち出すというどうにも差別的ないやがらせを敢行したところにある」、「茂木さんの問題はパワハラの問題であり、それはとりもなおさず現政権のメンバーに通底するコミュニケーションの問題でもある。 結局、現政権は、言葉をこん棒として使う人たちの集まりだったわけだ」、いつもながら、鋭く深い指摘には、感心するほかない。「次期政権」も安部政権の後継を目指す以上、変わりばえしないのだろう。
タグ:「政治空白を作るわけにはいかない」というナゾの理由 党員投票が行われた場合でも、菅氏の勝利は動かなかったはず PRESIDENT ONLINE 永田町コンフィデンシャル:菅氏の勝利は確実なのに、世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」 日刊ゲンダイ 立岩陽一郎 「安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ」 日経ビジネスオンライン コロナ騒動下での総選挙 政権発足時の「ご祝儀支持」が解散絶好のタイミング 石破氏が党員票で爆発的に得票するのは不可能だったが… 衆院解散の布石 2008年に「解散先送り」を強く進言したのが菅氏だった 「民意なき総裁選」を行うことで、早期の衆院解散・総選挙に持ち込む大義名分をつくった 情報操作で「花道会見」に変質 安倍政権の最大の罪はこの社会から透明性をなくしたことだろう。官邸主導によってあらゆる情報が管理され、官僚は出世のためにそれに盲従。公文書は破棄、改ざんされ、国会でも記者会見でもはぐらかし答弁が横行した 報道各社は安倍政権の功罪の検証が不可欠と指摘しているが、罪に関しては、マスメディアの関わりについても検証が必要だ 小田嶋 隆 小さな課題をつくってはそれをこなしていく。これは安倍側近と官邸を担う官僚たちが非常にうまくやった。「やっている感の政治」だった 彼は国民に対する立ち位置がわからなくなったんだ 日本の政治情勢 (その48)(安倍政権最大の罪は社会から「透明性」をなくしたことだ、何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉、菅氏の勝利は確実なのに 世論に不評の「党員投票の省略」を決めた本当の理由 「それなら解散総選挙で信を問う」、小田嶋氏:言葉をこん棒として使う人たち) 終わり方を見て、1年で首相を辞任したときの経験を何も学んでいなかったと思ったね。幕引きをしっかりできない人なんだ ある時期から記者会見をやってこなかった。一番やらないといけない時期なのに 自慢の外交は、いろいろなことに手をつけたけど、どれもこれも息切れ 彼は選挙に強い。民主党から政権奪還し、国政選挙で計6回勝った。だから、安倍さんには自民党の議員は全員恩義がある。安倍さんを批判したり、降ろしたりという動きがほとんど出なかったのは、これです。恩人政治みたいなもんでね これがコロナでうまくいかなくなる。コロナにどう取り組むかを示しきれなかった 御厨貴 大きなことで成功したことはなかった。達成感なく終わってしまいました 「何も学んでいなかった安倍政権 「やっている感」が通用しなくなった理由〈週刊朝日〉」 AERAdot われわれが文章を書く理由のうちの半分は、ほかならぬ自分が何を考えているのかを知るためなのであって、しかも自分が本当に何を考えているのかは、書きかけの文章を全部書き終えてみるまでは、わからないものだからだ 何かを表現したり描写したり創造したりする作業にかかわる人間は、自分の言葉が自分自身の予測を超えた場所に届く可能性にいつもおびえている 「言葉をこん棒として使う人たち」 英語は、世界中の植民地の人間にとって「階級」そのものであったりする といった調子のある種のニヒリズムが強く共有されている 現政権の主要メンバーの間では 「質問にマトモに答えないこと」「質問者を愚弄すること」 権力志向の男を選択的に集めたホモソーシャルは、どうかするとその種の中学生くさい悪ガキ集団に着地する 茂木さんの問題は、日本人を相手に英語でマウントをとったこと以上に、外国人記者に対して日本語の理解度を持ち出すというどうにも差別的ないやがらせを敢行したところにある 茂木さんの問題はパワハラの問題であり、それはとりもなおさず現政権のメンバーに通底するコミュニケーションの問題でもある。 結局、現政権は、言葉をこん棒として使う人たちの集まりだったわけだ
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