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人生論(その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回) [人生]

人生論については、4月5日に取上げた。今日は、(その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回)である。

先ずは、プレジデント 2020年7月17日号「茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/36611
・『「悩むだけで前に進めない人」の勘違い  脳科学者という仕事柄、さまざまな相談事や、悩み事を持ちかけられることがある。 コロナ禍で増えた在宅時間。ただボーっと過ごしているだけでは、悩みの解決を助ける行動や学習を蓄積できない。 もちろん真剣にお聞きして、誠実にお答えするけれども、その中でどうしても気づいてしまうことがある。 すなわち、意味もなくあれこれと悩んでいる人が多すぎるのである。すべての悩みに意味がないというのではない。ただ、世の中には、生きるうえで助けになる悩みとあまり助けにならない悩みがある。その違いを知ることは決定的に重要である。 人間は、自分の生き方や進路に迷うことがある。そのようなときには、脳の「ディフォルト・モード・ネットワーク」と呼ばれる回路が活性化して、さまざまな「出口」を探し出そうとする。この回路は、具体的な課題をこなしているときではなく、いわば「白昼夢」のようにあれこれと迷い、想像しているときに働くことが知られている。 しかし、ここで肝心なのは、ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ。 「悩む」ということは、つまりは自分の人生の情報を整理するということである。しかし、具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう』、「脳」の「ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ・・・具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう」、悩みにも有用なものだけでなく、無駄なものもあるとは、初めて知った。
・『悩んでいるだけでは、人生は前に進まない  「私悩んでいるんです」「ぼくの悩みを聞いてください」という方の一部分は、悩みの堂々巡りに陥ってしまっている。時には、悩むことは必要である。悩むことで、人生の新しい道筋が開かれることもある。しかし、悩んでいるだけでは、人生は前に進まない。 質のいい悩みを可能にするためには、悩みとは直接関係のない具体的な行動、経験という準備が必要である。 側頭連合野に蓄えられたさまざまな記憶、情報を整理し、いわば「ドット」と「ドット」を結んで創造的な発想、ひらめきを生み出すのがディフォルト・モード・ネットワークの大切な働きである。しかし、そのためには、素材となる具体的な経験や記憶が蓄積されていなければならない。 脳の働きから見ておススメのライフスタイルは、とにかく具体的な行動を優先することである。昼間起きている時間のほとんどは、実際に何かをするために使うのがいい。勉強でも、仕事でも、次から次へと「プロジェクト」を推し進めていく感覚でいい。 そのようにして目の前の課題に取り組んでいると、脳の中に記憶がバラバラのまま蓄積してくる。だからこそ、何かに集中していて、ふと気を抜いたり、散歩やランニングをしたりといった「すき間」に脳はその整理を始める。そのときこそディフォルト・モード・ネットワークの出番なのである。 仕事がうまくいく人、多くを学ぶ人は、いつも何かに取り組んでいる。人生の選択肢も、何となくではなく、具体的な道筋を検討している。 一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができるのである。 悩むことは、具体的な行動が続く中での1つの「読点」だと思えばいい。よく学び、よく働く人ほど、人生の悩みをテンポよく、意義あるかたちで深めることができるのだ』、「一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができる」、「経験の蓄積」を積み重ねることで、「中身の濃い「生きる道」の模索」をしていきたいものだ。

次に、 8月26日付けNHKクローズアップ現代+「2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~」を紹介しよう。
https://www.nhk.or.jp/gendai/articles/4450/index.html
・『6月30日、ある故人を偲ぶネットイベントが大きな話題になった。47歳で亡くなった投資家で教育者の瀧本哲史さん。その日は、生前の瀧本さんが大学で行った講義で、若者たちと再会を約束した日だった。「自分で考えない人間は買い叩かれる」「替えのきかない人間が社会を動かす」。語られたのは、若者に奮起を迫る言葉と、投資家の経験で培った哲学。2020年には世界の混迷が深まると見た瀧本さんは、先の見えない時代でも成長し続け、また結集して困難に立ち向かおうと呼びかけていた―。メッセージを受け止めた若者たちは今、どんな戦いをしているのか。瀧本さんの「宿題」の行方を通して、厳しい時代を生き抜くヒントを考える。 出演者 宮田裕章さん(慶應義塾大学医学部教授) 城田一平さん (投資家) 武田真一 (キャスター)』、興味深そうだ。
・『混迷の時代“天才投資家”の生き方論  瀧本さんの出資とサポートにより、今、大きな飛躍を遂げているベンチャー企業があります。本の内容を朗読した音声を聴くことができる、「オーディオブック」。国内最大手として、コロナ禍の中でも会員数を増やし続けています。 創業者の上田渉さん。事業を始めた当初は大手企業と競合しており、銀行、投資家からは全く見向きもされなかったといいます。 なぜ、瀧本さんだけが上田さんの企業の価値に目を向け、無理と言われた挑戦を成功させることができたのか。最も重視したのは、資本力や市場の動向などの数値ではなく、事業に挑む動機でした。 “『アイデア』は盗まれても『人生』は盗まれない” 上田さんが起業を志したのは、大学在学中、24歳のとき。緑内障を患い、視力が失われつつある祖父の姿を見てオーディオブックを作りたいと考えたのがきっかけでした。 オトバンク 創業者 上田渉さん「本を読もうと思って努力した結果、巨大な虫眼鏡があったりとか、拡大鏡といわれるレンズみたいなのがあったりとか。目が見えなくなっていく自分と格闘した姿、そこは私の原点。」 1,000社あっても生き残るのは数社だけという、ベンチャー企業の世界。その厳しい世界を生き抜くには、その人の動機の強さが何よりも武器になるというのが瀧本さんの投資哲学でした。 上田渉さん「キャリアもただの学生ですし、なんの技術力もないですし、祖父が失明してたからオーディオブックを広げたい、バカな学生なわけですよね。その思いの強さを理念に瀧本さんって投資をされる。」 20年以上前から、次世代エネルギー活用やビッグデータ分析など、まだその名も知られなかったベンチャー企業を応援してきた瀧本さん。社会を変革したいという志を持ったリーダーを1人でも多く生み出したいという強い思いがありました。 東京大学法学部を成績最上位で卒業。外資系コンサルタント会社に進むなど、絵に描いたようなエリートコースを歩んできた瀧本さん。しかし、28歳のとき、1,900億円もの負債を抱えていたタクシー会社に転職します。自分の実力を試したいという思いからでした。 日本交通 会長(当時専務) 川鍋一朗さん「滝本さんとしても、何か答え合わせ的な要素もあった。自分が考えてきたことをやると、どういう反応があって(という)。」 再建に意気込んだ瀧本さんですが、自ら企画した新事業が失敗。150人の社員のリストラを断行せざるを得ないところまで追い込まれます。一人一人に解雇を告げた瀧本さん。人目をはばからず泣き崩れ、自分の力不足を嘆いていたといいます。 川鍋一朗さん「怒り、悲しみ、喜びみたいなものがリアルに巻き起こる。おごりとか未経験さとか、理想と現実のギャップというのを、ものすごい痛い思いをしながら学んだ。」 “時代は劇的に変化している。残念ながら僕には世界も未来も圧倒的にわからない。僕の仮説も行動も支援先も、ぜんぶ失敗に終わる可能性だって当然ありえる。どこかに絶対的に正しい答えがあるんじゃないかと考えること自体をやめること。バイブルとカリスマの否定。なすべきことは、このような厳しい世の中でもしたたかに生き残り、自ら新しい『希望』を作り出すことだ。” 新しい希望を生み出したい。瀧本さんが晩年、力を入れたのが、10代や20代の若者への教育でした。教壇に立つようになったのは、リーマンショックや東日本大震災の影響で社会の不透明さが増す時代。未来を担う若者たちに伝えたいことがありました。 投資家 瀧本哲史さん「3.11以降、誰か偉い人が決めると思ったら、意外にちゃんと決めてくれなかったので、自分で決めるしかない。そういう時代感覚もある。キーワード的に言うと『自分の人生は自分で考えて自分で決めていく』。」 投資家として磨いてきた決断術や交渉術を徹底的にたたき込む講義は、「地獄の瀧本ゼミ」と恐れられました。それでも、いつも定員いっぱいの人気だったといいます。 元ゼミ生 城田一平さん「間違った議論に対しては、もう容赦なく突っ込みが飛んでくる。ちゃんと議論立てて説明できる人に対しては、ものすごく納得してくれる。それがどんなに、学生だろうが身分がなかろうが、フェアに評価してくれる。」 病に侵されながらも、亡くなる前の日まで、投資先や教え子の相談に乗っていたという瀧本さん。最後まで口にし続けたことばがありました。 “世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です。 今はまだ小さいけれど、志と静かな熱をもった新しいつながり。新しい組織が若い人を中心に、ゲリラ的に次々と生まれています。『君はどうするの』って話です。主人公は誰か他の人なんかじゃなくて、あなた自身なんだよって話です。”』、「“世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です」、大きな挫折を味わった「瀧本さん」の考え方には重みがある。
・『2020年の世界を生きる若者たちへ  武田:こうした瀧本さんのことば、若者たちにどう響いたんでしょうか。講義を受けたり、著作を読んだ若者たちはこう話しています。 起業した男性(28)「幼少期から不況、親の給料も右肩下がりの世代。文句を言わず自分たちが変えるにはどうしたらいいか、実践論を教えてくれた。」 会社員(28)「日本の未来に期待していいか分からない。これからの生き方にロールモデルがないなかで、行動してみないと意味がないと発破をかけられた。」 医師(28)「今の時代、医師免許をもっているだけでは生き残れない。自分にしかできないことを追求する大切さを教わった。」 武田:宮田さん、瀧本さんのどんな思想が、こうした若者たちの心を捉えているというふうに感じていらっしゃいますか。 ゲスト宮田裕章さん(慶應義塾大学 教授)宮田さん:机上の教育論ではなく、実業家、投資家としてご自身が社会を変えようと苦闘してきた瀧本さんが、その実践の中で磨いてきたからこそ、説得力のあることばなんだと思います。さらに彼は、商品だけでなく、人材が替えがきく歯車としてコモディティ化するという危機感を持っていたんですね。まさにこの数年、AI時代の到来によってそれが現実となって、例えば単に知識を持っているだけだと、高度な専門職だとしても、もうAIに取ってかわられてしまうというそういう時代になっています。
また、ミレニアル世代、その下のZ世代の価値観も今、日本だけではなくて、世界で大きく変わってきているんですよね。彼らにとって働くということは、お金を稼ぐために会社に貢献するということではなくて、重要なのは「自分はどう社会に貢献するか」ということなんです。つまり社会変革と自己実現。その貢献を通した自己実現があって、会社はその目的を達成する手段なんだと。こういった考えを持ってきた世代にとって、やはり今、瀧本さんのことばは、リアリティーを持ったものになっているんだなというふうに感じています。 武田:その瀧本さんは、世の中を変えるために、決断術や交渉術といった武器を配りたいというふうに言っていました。瀧本さんのゼミで学び、同じ投資家の道を歩んだ城田さんと中継がつながっています。城田さんは、瀧本さんからもらった武器の中で、どんなことが一番心に残っていますか? ゲスト城田一平さん(投資家・瀧本ゼミOB)城田さん:私は瀧本さんが主催していたゼミで、正しい意思決定の仕方について実践的に学んでいました。瀧本さんからは、意思決定をするときには自分の手でできるだけのデータを集めて、思い込みをなくして、客観的な根拠を持って意思決定しようと教わっていました。 例えば、飲食店に投資をするときには、業績の数字を見るだけではありませんでした。実際に店舗に足を運んで、料理の味だったり、店員さんの働きぶりを自分の目で見て、集めたデータを客観的に分析した上で投資の意思決定をしていました。 武田:思い込みや何か直感ではなくて、しっかりとした根拠を持って決断するんだよということを学んだんですね。ちょっと当たり前のような気もするんですけど、どうですか? 城田さん:瀧本さんは生前から、「自分だけが楽勝でできることを徹底的にやり切れ」とおっしゃっていました。当たり前のことなんだけれども、それをやりきる過程でそれが強みになっていったりとか、戦略につながっていくということをおっしゃってたんだと思います。 武田:若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた瀧本さん。実は8年前、東日本大震災の翌年に行った講義で、こんな宿題を出していました。 投資家 瀧本哲史さん「8年後に、みんなで『宿題』の答え合わせをしよう。20代半ばの皆さんだったら、すさまじくでかいことできないかもしれないけど、何か自分のテーマを見つけて、世の中をちょっと変えることができるんじゃないかと。」 武田:その宿題の期限というのが、実はことし(2020年)の6月30日でした。それを前に瀧本さんは、惜しくもこの世を去りました。より社会の見通しがきかなくなる中で、あのとき講義を受けた若者たちは、今の時代をどう生きているのか。それぞれが瀧本さんに課せられた宿題と向き合う姿を取材しました』、大学での講義を通じて、「若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた」、のは次世代への大きな蓄積となって残るだろう。
・『天才投資家が残した“宿題”  青津京介さん、31歳。社会人1年目、23歳のときに瀧本さんの講義を受けました。青津京介さん「日記です。“8年後。最強に”って書いてありますね。何で自分はこれを書いたか分からないんですよ。何を最強にっていうのか、自分はよく分からないですね。」 青津さんが挑んでいるのは、福島に点在する限界集落の活性化です。4年前、自分の力で困っているふるさとを変えてみせると、勤めていた東京のIT企業を辞めました。今は役場に勤めるかたわら、地域を活性化するプロジェクトに参加しています。しかしまだ、目立った成果は上げられていません。 青津京介さん「実力不足だって思い知らされて、地元のことも何も知らないし、田舎は遅れてるみたいに思いこんできた。」 でも最近、仲間たちと、あるイベントを企画しました。大人が行う本気の鬼ごっこ。ふだん交わることの少ないお年寄りと若者たちとの交流をはかろうというアイデア。ところが当初住民の反応は微妙でした。 住民「何すんだべみたいな。訳わかんねえ話だなと思って。今もわかんねえ。」 そのとき、青津さんは詳細な説明書を作成。一人一人に参加を呼びかけました。 住民「やってみたら結構楽しかった。なんで楽しいかわかんねえけど。何してもらえっていうことではねえのよ、顔見せてもらえれば。大歓迎だな。」 その後、評判となった鬼ごっこ。ほかの集落でも企画したいという声が上がり始めています。不可能にも思える限界集落の活性化。でも、こうした小さな積み重ねが未来をひらくと信じています。 今も、たびたび瀧本さんの本を手に取ります。 “賛成する人がほとんどいない、大切な真実を探そう。逆風が吹き荒れても、周囲の大人たちがこぞって反対しても、怒られ、笑われ、バカにされても、そこでくじけてはいけません。あなただけの『ミライ』は、逆風の向こうに待っているのです。” 「今どんな感じですか?最強になれた?」 青津京介さん「いや、全然なれてないですね、全く。最弱です。ただ、8年前よりは、ちょっとはマシになったのかな。瀧本さんの言っていたこともわかってきた。」 東京都に暮らす29歳、大久保宅郎さん。去年(2019年)まで防衛省のキャリア官僚として働いていましたが、退職しました。 大久保宅郎さん「退職した日に撮った写真です。」 大久保さんが防衛省を志したきっかけは、18歳のとき経験した東日本大震災。将来にやりたいことが見つからず、フリーターをしていた大久保さんは、ボランティアとして被災地を回り続けました。 大久保宅郎さん「涙が出てきて。誰かの大事な日常が奪われている。個人でやることの限界を感じた。」 1人でも多くの人を救える社会を作りたい。大久保さんは一念発起して猛勉強を重ね、晴れて防衛省に入省します。しかし待っていたのは、会議のコピーを用意したり、はんこをもらいに行く日々でした。 大久保宅郎さん「私じゃなくて、他の人でもできるなと思った仕事がすごく多くて。本当に志すべきは私でないとできないこと。他の人だったら1しかできないんだけど、自分だったら10できるかもしれない。そういう領域を模索したいなと思って。」 自分にしかできないことは何か。可能性をもっと試したい。そのとき背中を押したのが、あえてブレる生き方を勧める瀧本さんのことばでした。 “ルールが変わらない世界では、ブレないことに価値もあるでしょう。でも、私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる。” 大久保さんは防衛省を辞め、民間のコンサルタント会社に転職しました。いずれは多くの人が安心して暮らせる社会の仕組みを提案したいと、今はスキルを磨く毎日です。 投資家 瀧本哲史さん「Do your homeworkですけど…。」 8年前の講義で瀧本さんから投げかけられた宿題。 瀧本哲史さん「8年後にみんなで宿題の答え合わせをしようと。この8年間で、僕はちょっと世の中を変えることができましたとか、あの時、たまたま隣にいたやつとこういうことをやったら、こんなことができましたとか、そういうのができたら面白い。」 大久保宅郎さん「8年間経って、世の中、変えられたかって、私はまだ変えられてなくて。道半ばで、やっとやるべきフィールドを見つけられたかなという段階。自分が決めたフィールドで第一人者になっていって、社会をよくするために貢献できたら。」』、「私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる」、その通りなのだろう。
・『若者へ託したこと  武田:他人や世間からの評価ではなく、自分なりの価値観で生き方を選び、自分なりに社会を変えていこうという2人。もちろんまだ大きな成果を手にしたわけではありませんけれども、こういう若者が増えることで、社会はどういうふうに変わっていくんだとお考えですか? 宮田さん:先ほどの繰り返しになりますが、新しい世代にとって働くという意味が変わってきています。もうひとつ瀧本さんのことばで言えば、今まさにルールが変わる時代なんですよね。経済合理性を最優先とする社会というものには、コロナが来る前から、環境問題から疑問が呈されてきたんですが、コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね。 武田:城田さん、とはいえ若い皆さんにとって、一人一人でできることって、やっぱり限界があるんじゃないかとか、本当に社会を変えていけるんだろうかとか、そんなことって思いませんか? 城田さん:むしろ不確実性が増している今の時代だからこそ、人脈も資金力も無い若者が活躍できたりとか、社会を変えやすくなっている時代だと思っています。私自身も20代でファンドマネージャーをしているんですが、20年前であったら、20代でファンドを運用するのは非常に珍しいことでした。大企業に入れば安泰、資格を取れば安定という時代が崩れているいまだからこそ、若者が挑戦すべき時代なのかなと思っています。 武田:「挑戦」と今おっしゃいましたけれども、私たちも取材してすごく印象に残っていることばがあるんですね。それは「3勝97敗のゲーム」という瀧本さんのことばです。人生や投資においてもそうなんですけれども、失敗というのは織り込み済みなんだと。それでも悲観することなく挑戦できるかが問われているんだということなんですけど、97回も失敗したらさすがに潰れちゃうんじゃないかなと思うんですが、どういうふうにこのことばを受けとめますか? 城田さん:これは、「3回の成功のためには97回失敗してもいいんだよ」という、失敗を許容する瀧本さんの励ましなんだと思っています。小さい挑戦をたくさんしていって、どんどん失敗して、その中から生まれた成功の種を大きく育てていくような考え方が、社会全体にも個人の生き方にも求められる時代なのかなと思っています。 武田:世界では、若い世代が上の世代を動かしていくような動きというのが各地で起きていますよね。日本の若者に今期待することはどんなことですか? 宮田さん:アメリカのブラック・ライブズ・マターとか、あるいはドイツは巨大な財源を保障に積みあげて、退路のない変化に入ってきていると。そんな中であっても、例えば日本で私が受けることばとしては、君たちは生まれながらにして負け組だと。未来も日本も変えられないよという人たちが結構多いんですね。 武田:就職氷河期世代ですね。 宮田さん:そうです。そうした中で変わる、変わらないのかという予測をするのではなくて、私自身は、やはり社会の1人のメンバーとしてどう変えるのかということを考えて行動したいと考えています。特に若い世代は、苦しい思い、失敗したときに諦めや挫折をささやく声というのは聞こえてくると思うんですが、そうした中で自分が何を大切にしているかを考えて、一緒に前を向きたいなと思いますし、あるいは若い世代に限らず、挑戦をする、何かを変えようとする人たちは同志だと思っています。変わる、変わらないではなくて、変えるんだということで一緒に挑戦していきたいなというふうに考えています。 武田:50代の私も、40代の宮田さんも、そしてまだ若い城田さんも一緒に。 宮田さん:変えましょう。 武田:最後に、瀧本さんが若者に託したこんなことばをご紹介します。 “必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ。”(『君に友だちはいらない』より)』、「コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね」、その通りなのかも知れない。「必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ」との「瀧本さん」の言葉は味わい深い。

第三に、8月7日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏  他 2名による「「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00077/080500010/?P=1
・『日経ビジネスオンライン時代からの長寿コラム「人生の諸問題」の語り手のお一人、岡 康道さんが2020年7月31日に63歳でお亡くなりになりました。 岡 康道さんは東京都立小石川高校から早稲田大学へ進学、電通に営業として入社後、クリエーティブ局へ転籍。CMプランナー、クリエーティブディレクターとして、JR東日本の「その先の日本へ。」「東北大陸から。」、サントリーでは「モルツ球団」など、数々の傑作CMを世に送り出します。その後電通から独立し、川口清勝、多田琢、麻生哲朗各氏とともに、広告制作のクリエーティブエージェンシー「TUGBOAT(タグボート)」を設立。広告提供枠の料金ではなく、広告制作物自体で対価を得るビジネスを日本で初めて立ち上げました。 日経ビジネスオンラインでは2007年から、高校時代の同級生である小田嶋 隆さんと「人生の諸問題」を語っていただきました。 編集部一同、心よりご冥福をお祈りいたします。また、すでに掲載終了となっていた「人生の諸問題」を順次再公開し、本記事の最後のページからお読みいただけるようにしていきます。  今回は岡さんへの追悼稿を掲載し、これをもって「人生の諸問題 令和リターンズ」の最終回とさせていただきます。 最初は清野由美さん。日経ビジネス編集部に岡さん、小田嶋隆さんをご紹介いただいたジャーナリストです。この「人生の諸問題」の連載の企画・司会・原稿執筆は、すべて清野さんがやってくださっていました』、「人生の諸問題」が「2007年から」続いていたとは初めて知った。「岡」氏と「小田嶋」氏の掛け合いの対談は面白かっただけに、「岡」氏の突然のご逝去は残念だ。
・『そんなのは、まっぴらよ!  それは砂袋で頭をなぐられたような、重く鈍い衝撃だった。袋は直後に破れて、足元にどさどさと砂が落ちていったものだから、うまく歩けない。ただ、知らせを受けた時、街の雑踏の中にいたことは、せめてもの救いだったかもしれない。岡康道急逝の報を、静かな室内で受け取っていたら、身体を保つことはできなかっただろう。目の前には、陽光降り注ぐ夏の光景が広がっていた。 20世紀の最後、バブル景気が終わり、日本が「失われた10年」に突入した時代に、広告業界を代表するCMプランナーとして脚光を浴びた。手がけた作品は、サントリー、JR東日本、フジテレビなど、錚々たるクライアントのもので、1996年にはJAAA(日本広告業協会)クリエイター・オブ・ザ・イヤー特別賞、TCC(東京コピーライターズクラブ)最高賞3部門同時受賞、ADC(東京アートディレクターズクラブ)賞と主要な賞を総なめにした。 日本の広告が最も元気だったのは70年代、そして、最も華やかだったのは80年代だ。岡が頭角を現した90年代は、糸井重里、仲畑貴志らに代表されたコピーライターブームやバブル経済という追い風が急速に冷めていた時期だが、それでもテレビ広告は大きな影響力を持っていた。その黄金期に遅れず、天性の才を開花させた岡は、だから強運の持ち主だったといえる。 電通の中で出世街道を進みながら、「クリエーティブに対するフィーの確立」をうたって、突然、独立を宣言したのは99年だった。そこには、「制作、表現こそが価値を持つ」という、21世紀のイノベーションにつながる重要なビジョンが込められていた。 当時、日本の広告会社を支えた利益構造の柱は、媒体の仲介手数料だった。マスメディア、中でもとりわけTVの広告枠を押さえ、それをクライアントに売ることで稼ぐ方法である。 そのモデルがあまりに巨大で、盤石だったので、広告を実際に制作するクリエーティブ部門は、長く「付帯サービス」の扱いに甘んじていた。業界の雄に属し、制作環境に恵まれていた時から、この構造に対する疑問は、自身に張り付いて離れなかったと、岡はいう。 クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった。 ただし、岡の「作風」は、本人が発する強く華やいだイメージとは逆に、暗く、湿度のあるものだった。 飲み屋でエリート風の男たちがぶいぶいとオレさま語りをしている隅で、塩をふいたような物悲しい靴で、彼らに反感を募らせているサラリーマン。 友人の結婚式で「おめでとう」と拍手を送りながら、「ヘンなドレス、ヘンな男、ヘンな親」と、胸の中で悪態をつく女性。(いずれも「フジテレビが、いるよ。」) あるいは、サントリー「南アルプスの天然水」では、清冽な景色の中で少女が交わす会話から、ドキリとする生々しさを切り取る。 岡がCMに載せた毒と抒情は、業界の類型とは一線を引く表現であり、同時にCMの本質をもはずれたものであった。つまり、CMの私小説化だ。それをメジャーなクライアントによるマスCMとして成立させたところに、岡の才と、メディア・広告が輝いていた時代を感じずにいられない。 成功の結節点を、「個人のエゴと理想がまじわるところ」と、岡は表していた。背景には青年時代に背負った「父と息子」の物語があった。 自伝的小説『夏の果て』にも記されているように、経営コンサルのような、山師のような父は、岡の幼年時代から、つねに一家を翻弄し続けた。男子たるもの、という父の想念を受けて育った長男の岡にとって、その存在は大きく、ゆえに生涯消えることのない鬱屈の大もとでもあった。 2007年から本年まで13年にわたって「日経ビジネスオンライン」「日経ビジネス電子版」で続いた連載対談「人生の諸問題」では、盟友、小田嶋隆とともに、東京都立小石川高校、浪人、早稲田大学、その後、と各時代のエピソードを繰り返し語って、尽きることがなかったが、それは双方に盤石の持ちネタがあったからだ。岡は大学時代に経験した実家の破産と父の失踪、小田嶋は30代をまるまるアルコール中毒で棒に振ったこと――と、あらためて記すと、ひどい話ではあるが、ふたりにかかると、それが、ゆるく自由だった昭和ならではの、この上ない冒険譚に聞こえてしまうのだ。 会話の根底には昭和の感性というべき「韜晦」のレトリックが、いつも流れていた。 たとえば「一浪して京都大学に進学して、大原三千院のあたりで美しい女性と出会うはずだったのに、早稲田大学に決まって、都の西北で青春が暗いまま終わってしまった」など、聞きようによっては嫌味になりかねない言い分が、かけあいの中で、ものすごく面白いおバカな話になる。その韜晦を真に受けて、「本当ですね」なんて、あいづちを打ちようものなら、それこそ「シャレをわからないバカ」と、憤激が返ってくる。ひらたくいうと、面倒くさいダンディズムである。 ただし、そのダンディズムが似合うこと、超一流の人が岡康道だった。自身が持つ世俗的な価値と複雑な内面を、天才的な勘でバランスさせて、したたかに、魅力的に人生を生き抜いていた。 同時に「?」と首をひねるような、抜けたところも多々ある人格で、だからこそ、多くの人に愛された。 たとえば、「(待ち合わせ場所の喫茶店が)わからないんだよ」と電話をかけてきた岡その人の姿が、まさしく、その店のドアの真ん前にあったり(岡さん、すでに到着してますよ、そこに)。 頼んだスープを(コロナの今では信じられないことだが)みんなに分けようと、必死になって平皿に注いでいたり(何やってんですか、岡さん?)……。 そんなこんなで、あきれたり、笑ったり、怒ったりしながら、いつの間にか干支がひと回り以上。昨年7月に刊行された対談集第4弾『人生の諸問題 五十路越え』の「おわりに」に、岡はこう書いた。「対談集を10冊まで続けたいと私は夢を見ている。小田嶋はすぐさま賛成するだろうが、清野さんは『まっぴらよ!』と言うであろう」 岡さん、まちがっています。私だって、すぐさまはちょっとわからないけど、賛成しますよ。いや、その前に、「まっぴらよ!」なんて言葉は使わないし……。 だから、いま、使うよ。こんな突然にお別れがくるなんて。本当に、本当に、そんなのは、まっぴらよ!(文:清野 由美)) お二人目は、福岡を基点に長くCMを制作し、現在は映画監督として活躍している江口カンさんです。 映画通としても知られた岡さん。日経ビジネス電子版の「戦力外通告を突きつけられた人はどうするべきか」では、岡さんが江口さんが初めて撮った映画「ガチ星」への感想を語っています。合わせてお読みいただければ幸いです』、「クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった」、「面倒くさいダンディズム・・・が似合うこと、超一流の人が岡康道」、凄いスーパースターだったようだ。
・『一生褒めてもらえることなんてないと思っていた  実は岡さんと実際にお会いしたのは3度しかありません。 おこがましいのは重々承知の上で、この場をお借りしてお礼を言わせていただくことをお許し下さい。 岡さんには、2008年のJ R九州のCMでお世話になりました。 当時の僕は、作ったものが少しだけ話題になり始めた頃でした。 岡さんはすでに超有名人、スターでした。 生み出すものはすべて知性的かつぶっ飛んでいて、正直言って広告業界で一番の憧れでした。 そんな人からディレクターとしてのご指名を受けて興奮していたし、とても緊張もしていました。 「岡さんに一発で認められたい」 そう張り切って作ったCMは、岡さんからあっさりダメ出しされました。 僕はすっかり落ち込んでしまいました。 その後、喫茶店で(岡さんは酒が飲めないし、すぐに帰京するということで)お茶しながら話しました。憧れの岡さんはとても気さくで、映画の話も家族の話も下ネタも全て面白くて楽しい時間だったのですが、僕は勝手にショックを引きずっていて、なんだか上手く話せませんでした。 それから数年後、たまたま東京でバッタリお会いしました。 最初の出会いがそんな感じだったので一瞬躊躇しましたが、思い切って声をかけると、 「売れてきてるみたいだけど、あんまりこっちにいないほうがいいよ。他の人と同じように東京に出るのではなく、地に足をつけておけよ」というふうなことを言われました(後にご本人は「適当に言った」とおっしゃってますが)。 それはまさに僕がその当時迷っていたことへの明快な答えでした。 それからずっとお会いすることはありませんでした。 僕は、岡さんのアドバイスもあり、あえて福岡に住み続けながら東京の仕事をやるスタイルがむしろ面白がられ、仕事のペースを上げていきました。 そして2年前のある日、突然岡さんからのメールが届きました。 「ガチ星観ました。よかった、面白かった。いい映画、ありがとうございました」という短い文章。 飛び上がるほど嬉しかった。 それは、僕の初めての映画「ガチ星」への感想でした。 映画処女作で評価も分かれ、かなり自信が揺らいでいたところに岡さんからのこのメール。 しかもよく考えたら岡さんから直接メールを頂いたのは初めてだったのです。 あの岡さんが、わざわざ僕の映画を観てくれた。 面白かったって伝えるためにわざわざメールしてくれた。 一生褒めてもらえることなんてないと思っていた岡さんから面白いって言ってもらえた。 僕とこの映画にとって、これだけで十分満足でした。 そして先日、岡さんの突然の訃報を聞きました。 奇しくもそれは、かつてドラマ(※)で岡さんの役を演じた堤真一さんと映画の撮影をしている最中でした。 なんだかそばに岡さんがいて、やっぱり見られているんじゃないかという気分になります。 いや、むしろそうであって欲しい。 今の自分は岡さんに褒められるようなものを作っているだろうか。 今も心のどこかで岡さんに褒められたい、認められたいと思っているし、これから先もずっとそうだと思います。 岡さん、ありがとうございました。 少しゆっくりして下さい。 そしてこれからもよろしくお願いします。(文:江口カン) (※2002年フジテレビ「恋のチカラ」。また、NHK BSプレミアム「私は父が嫌いです」は岡さんの小説『夏の果て』が原作でした) 次は岡さんの弟、岡 敦さんです。敦さんには日経ビジネスオンラインで「生きるための古典 〜No classics, No life!」を連載していただき、集英社新書から『強く生きるために読む古典 』として刊行されました(2020年8月5日現在「もう一度読みたい」で、連載の一部がお読みいただけます)。敦さんがイラストを描いた兄弟合作の『広告と超私的スポーツ噺』(玄光社刊、2020年4月)が、岡さんの最後の本となりました』、若手が作製した映画を観て、感想をメールするとは、気配りもなかなかのものだ。
・『最後の会話  兄と最後に話をしたのは、いつだったろう。 7月の中頃、兄が再入院(最後の入院)する前だったろうか。 たしか、ぼくは自分の部屋のなか、机の前に立ち、茶色いドアにぼんやりと視線を向けながら、30分ぐらい電話を耳にあてていたのだった。 内容は、まさかそれが最後になるとは考えていなかったから、マルクスの土台上部構造論だの、マンハイムのイデオロギー概念だのと、今こうなってから振り返ると、まったくどうでもいい、つまらないことを、しかしそのときは互いに少し興奮しながら話していたように思う。 しかし話題は少しずつ移り、やがて、どういう流れだったのか覚えていないけれど(そうだ、その頃は母が高齢者施設に入居する、その準備をしていたはずだから、そんな話題の直後だったかもしれない)、兄が突然大きな声ではっきりと言った。 「あぁ、歳をとるってやなもんだな」。 ぼくは、ひどく驚いてしまった。 ぼくたちの育った家は、巨額の負債を背負ったり離散したりした。その前にも後にもいろいろな経験をしたけれど、兄もぼくも、それらのことを怒ったり嘆いたり恨んだりしたことは、ただの一度だってなかった。 誰に教わったわけでもないけれど、子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ。 とりわけ兄は、そうだった。来るものが来る、それは兄にとっては、新しいゲームの始まりのようなもの。さあどんなふうに乗り切ってやろうか、どう対応すれば面白いだろう、そうだ、こうやってやっつけてやれば、きっとみんな驚くぞ。 などと想像して目を輝かせ、ワクワクする気持ちを抑えられずにいる。いつも兄は、そんなふうに見えたのだった。 その兄が、避けることのできない「老化」について、嫌だ、と強い調子で拒んでいる。大袈裟に言えば、その言葉は、ぼくの耳に非現実的な響きを残した。 戸惑った。兄が今、何を想い何を考えているのか、このときは想像もできずにいた。 返す言葉も思い浮かばなくて、ただ小さな声で、「だね」と曖昧な相槌を打った。 兄は、なおも、たかぶる想いが収まらないらしく、追撃するような勢いで「歳はとりたくねえなあ」と続けた。 応えられずに、ぼくは黙った。 兄も口をつぐんだ。 そして、少し間をおくと、兄は普段の自分を取り戻して、自嘲気味に笑いながら、まあ、オレのこの病気も老化かもしれないけど、と付け加えたのだった。(文:岡 敦) 最後は、岡さんの同級生にして「人生の諸問題」の相方、小田嶋隆さんです』、「子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ」、兄弟が家の不幸をプラスに転じたのはさすがだ。
・『「なあ、どう思う?」  「なあ、どう思う?」 岡康道は、いつも意外な質問を投げかけてくる男だった。 「満員電車って狂ってないか?」と、高校に入学して間もない頃、そんなことを言っていた。 「狂ってるけど、乗らないと学校に来れないしな」「でも、乗ってる全員が我慢してるっておかしくないか?」 たしかにおかしい。そして、その四十数年前の岡の問いに、私はいまだに適切な答えを見つけられずにいる。そういう質問が山ほどある。 「8月ってこんなに暑い必要あると思うか?」「別に必要で暑いわけじゃないしな」「そりゃそうだけど、全世界が全部暑いわけじゃないぞ」「どういう意味だ?」「だからさ。探せば涼しい場所もあるっていうことだよ」「まあな」「だろ? 涼しい場所に行かないのってただの間抜けだと思わないか?」 この質問は、実はフェイクで、本当のところは北海道大学を一緒に受験するプランに私を誘い込むためのプレゼンの導入部だった。 「おまえはこんな暑い土地でキャンパスライフを送るつもりなのか?」と、そんな調子の説得が二学期の間じゅう続いた。私はまんまとひっかかって、翌年の2月には羽田発千歳空港行きの飛行機に搭乗していた。 こんなこともあった。 「オレが何を考えてるかわかるか?」「……んー、どうせおまえにはわからないって考えてるだろ?」「違うな。どうせおまえにはわからないと考えているとおまえが答えるだろうなと思ってた。とりあえずそれがひとつ」「……ほかに何かあるのか?」「おまえはすでに遅刻してるけど、それでいいのかなって思ってる」「……あっ」 忘れもしない。私がある大切な会合(内容は言いたくない)に2時間遅れて、誰も待っていない場所にたどり着く直前にかわした会話だ。こういう時でも、岡は演出を怠らない男だった。 もっとも、岡の質問の大半は 「そんなことも知らないのか?」「どうしてこんな当たり前のことにいちいち疑問を持つんだ?」という感じの、常識以前の疑問だった。そういう意味では、おそろしく無知な部分とみごとにナイーブな感受性を最後まで失わない男でもあった。 私は、いつもその質問に答える役割を与えられていた。 「与えられていた」という書き方をしたのは、私にとって、岡から発せられる質問が、アイディアの出発点でもあることにいつしか気付かされたからだ。 新卒で就職して大阪で半年ほど暮らした頃、私を最も苦しめたのは、自分自身がまるで面白くない男になっていることだった。 その理由の半分ほどは、私が、素っ頓狂な質問を投げかけてくる相棒を失っていたからだった。どういうことなのかというと、私は、「なあ、どう思う?」と、奇妙な問いを発してくるコール&レスポンスの相手を抜きにして、自分のオリジナルのジョークを発信する技術を身に着けていなかったのだ。 私は、愚図だった。その点はいまでも基本的には変わっていない。私は、自分で企画して何かをはじめたり、自分でルートを発見して歩き出したり、自力で発案したジョークを世に問うたりすることが苦手な性質で、誰か、背中を押してくれたり、行き先を示唆してくれる人間の助力なしには、ほとんど何ひとつ始めることができない。そういう宿命にうまれついている。これは変えることができない。 岡康道がいなくなった世界で3日ほど暮らしてみて、いまつくづくと思っているのは、大切なのは、投げかけられた質問にうまい答えを返すことではないということだ。本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった。その意味で、岡康道は卓抜な企画者であり、大胆な改革者であり、危険きわまりないアジテーターだった。 若い頃、岡に誘われたり、挑発されたり、そそのかされたりして始めたことがいくつかある。そのほとんどすべては、言うまでもないことだが、北大受験をはじめとして、手ひどい失敗に終わっている。いま60歳を過ぎてみて思うのは、それらの、はじめから挑戦する価値さえなかったように見える失敗から学んだことが、結局のところ、自分の財産になっているということだ。つまり、ひと回りした時点から振り返ってみて、彼は、まぎれもない恩人だったわけだ。 行く手に落とし穴を掘ってくれるパートナーを失って途方に暮れている。 実は、型通りに冥福を祈って良いものなのかどうか気持ちが定まっていない。 「冥福には早すぎる」てな調子のセリフを言いながら 「こういうのってちょっとカッコイイだろ?」と、あの笑顔で笑ってくれたらうれしい。 とりあえず、さようならと言っておく。また会おう。(文:小田嶋 隆)』、「本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった」、今後の「小田嶋」氏のコラムニスト活動に悪影響が及ばないよう願うばかりだ。
・『「人生の諸問題」バックナンバー  「人生の諸問題」の過去記事はこちらからお読みいただけます。システム上の理由で、本コラムのバックナンバーとして収録することができず、「もう一度読みたい」という欄での掲載となりますが、どうかご容赦ください。古い順に転載を進め、最終的にはすべての回を再録する予定でおります。このページに各回のタイトルとリンクを追加していきますので、岡さんを思い出したいときに、お訪ねいただければと思います。 ネット上には岡さんを悼む声、そして、過去の優れたインタビューが多々ございます。もし、岡さんを愛した方と共有したい記事がございましたら、コメント欄にお寄せください。 ●01 2007年9月14日 「文体模写」「他人日記」「柿」 ●02 2007年9月28日 「猿」と「太宰治」と「プレゼン」と ●03 2007年10月5日 「チャンドラー」と「JASRAC」と「新聞紙」と ●04 2007年10月12日 「受験」と「恋愛」と「デニーズ」と ●05 2007年10月19日 「体育祭」と「自己破産」と「男の子」と~第2走者の憂鬱 ●06 2007年10月26日 「ルール」と「法哲学」と「アメリカ」と ●07 2007年11月2日 「息子」と「宴会芸」と「君が代」と ~お父さんは、数学で1点を取りました ●08 2007年11月9日 「パパ社長」と「自分探し」と「プロジェクトX」と ●09 2007年12月14日 「ワイドショー」と「資格」と「十二人の怒れる男」と ●10 2007年12月21日 「夢」と「離婚」と「セカンドライフ」と ●11 2007年12月21日 「セカンドライフ」と「藤沢周平」と『こころ』と ●12 2008年2月1日 「クオーターバック」と「天秤打法」と「スイング」と ●13 2008年2月15日 「幻聴」と「アル中」と「禁煙」と ●14 2008年2月22日 「仕事」と「家庭」と「広告」と ●15 2008年2月29日 「テレビ」と「ウェブ」と「著作権」と ●16 2008年3月7日 「地デジ」と「カンヌ」と「ギャンブル」と ●17 2008年12月12日 「テレビCM」と「家族」と「フッキング」と おまたせしました、シーズン2開幕! ●18 2008年12月26日 「創作」と「違和感」と「思春期」と「『ハケン切り』の品格」大反響、オダジマコラムの“書き方”に迫る ※以降も順次再掲載を進めてまいります。なお、2016~18年分はこちらからお読みいただけます(https://business.nikkei.com/article/life/20070906/134215/)。 岡さん、どうぞ安らかにお過ごしください。 メンツがあちらに揃ったら、ぜひ、「天国の諸問題」で連載を再開しましょう』、「天国の諸問題」も是非読んでみたいものだ。
タグ:プレジデント 人生論 日経ビジネスオンライン NHKクローズアップ現代+ (その5)(茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく、2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~、小田嶋氏他:「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回) 「茂木健一郎「悩むだけの人」は自分の人生を無駄にしている 割り切って行動すればうまくいく」 「悩むだけで前に進めない人」の勘違い 「ディフォルト・モード・ネットワークがきちんと働くためには、具体的な行動や学習の積み重ねがないといけないということである。肝心のリアルな体験がないと、悩みの素材もないのだ 具体的な学び、仕事をせず、その記憶もなければ、そもそも整理すべき素材もない。何もしないで悩んでいるだけでは、ぐるぐると同じところを回ることになってしまう 悩んでいるだけでは、人生は前に進まない 一見の割り切って行動している人ほうが、悩むべきときにはきちんと悩むことができる。色とりどりの経験の蓄積がある分、中身の濃い「生きる道」の模索ができる 「2020年の世界を生きる君たちへ~投資家 瀧本哲史さんが残した“宿題”~」 混迷の時代“天才投資家”の生き方論 “世の中を大きく変えたいと思うならば、きちんと『ソロバン』の計算をしながら大きな『ロマン』を持ち続ける。その両方が必要です 2020年の世界を生きる若者たちへ 大学での講義を通じて、「若者に「自分の手で社会を変えるんだ」と訴えていた」、のは次世代への大きな蓄積となって残るだろう 天才投資家が残した“宿題” 私たちが生きている社会はすぐにルールが変わっていきます。ブレない生き方は、下手をすると思考停止になる。最前線で戦うのであれば、『修正主義』は大きな武器になる 若者へ託したこと コロナショックが来て、一度世界が止まった中で、経済だけではなくて命や人権、環境、教育、さまざまな重要な軸があることが認識されました。こうした中で、経済合理性の中で社会を回すための歯車として人が生きるのではなくて、自分は何を大切にしたいんだと。あるいは、自分にしかないものは何か。こうした個性ある「生きる」ということを響き合わせて社会を作り、そして、その中で一人一人が輝く、そういったことが重要な時代になってきているのかなというふうに思いますね 必要なのは、他人から与えられたフィクションを楽しむだけの人生を歩むのではなく、自分自身が主人公となって世の中を動かしていく『脚本を描くこと』なのだ 小田嶋 隆氏  他 2名 「「旅立つには早すぎる」~追悼 岡 康道さん 人生の諸問題 最終回」 そんなのは、まっぴらよ! クリエーティブに対する価値と報酬を確立するには、コミッションビジネスの構造から独立することだ。それは「日本」という、どうしようもなく旧弊で、がんじがらめのシステムへの反逆でもあった。その危険な賭けを颯爽とやってのけたことが、岡康道のスターたるゆえんだった 面倒くさいダンディズム が似合うこと、超一流の人が岡康道 一生褒めてもらえることなんてないと思っていた 最後の会話 子供の頃からずっと、ぼくらは「必然的にやってくるものを拒む」ようなことはしなかったのだ。たとえそれが、どれほどネガティブなものであったとしても。 来るものは来るのだから、嫌がってもしょうがないだろ。嫌がるだけ損だ。それは来るものだと認めたうえで、さあどう受けて立とうかと考えようぜ 「なあ、どう思う?」 本当に重要なのは、問いを発する仕事なのだ。新しい問いを立てることのできる人間は限られている。岡は、質問に回答する役割としても優秀なクリエーターだったが、それ以上に、問いを立てる人間として替えのきかない、ほとんど唯一の存在だった 「人生の諸問題」バックナンバー
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