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日本の構造問題(その17)(「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が 日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由、「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地、自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点) [社会]

日本の構造問題については、4月30日に取上げた。今日は、(その17)(「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が 日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由、「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地、自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点)である。

先ずは、5月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した経産省出身の評論家の中野剛志氏による「「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が、日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/236535
・『コロナ危機下での「ゾンビ企業」論は、“不当”で“危険”な議論である  「ゾンビ企業」という言葉がある。おおまかに言えば、非効率であるにもかかわらず、存続している企業の蔑称である。 経済学者の中には、日本経済の長期停滞の原因は、このような「ゾンビ企業」を温存させていたことにあると主張する者が少なからずいる。この「ゾンビ企業」論は、政治家や経済界、あるいはビジネス・ジャーナリズムの間でも、支持者が多い。 もし「ゾンビ企業」論が正しい場合、処方箋となる経済政策は、経営が困難になった企業を救済することではない。むしろ、廃業や倒産を放置し、企業の新規参入や起業を促進すべきである。これは、「新陳代謝」とも呼ばれる。 平成の三十年間において進められてきた「構造改革」は、この「ゾンビ企業」の淘汰、あるいは「新陳代謝」を目指してきたと言ってよい。 現下のコロナ危機において、多くの企業、特に中小企業が倒産や廃業の危機にさらされている。しかし、「ゾンビ企業」論者は、政府がこうした企業を救済する必要はないと主張するだろう。むしろ、経営が成り立たなくなった企業の倒産や廃業を促し、「新陳代謝」を図れば、コロナ危機の終息後、日本経済はより効率的な構造になっているに違いないと考えるのである。 だが、この「ゾンビ企業」論は、次のように、多くの問題点をはらむ極めて危険な議論である。 第一に、そもそも現下の経済危機の原因は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大によるものであって、非効率な企業が温存されているせいではない。 第二に、ある企業が非効率であるか否かを判断するのは、そう簡単ではない。なぜなら、企業のパフォーマンスは、マクロ経済環境に大きく依存するからだ。 一般的に、企業の業績は、景気が良ければ改善し、景気が悪ければ悪化する。好況時にもてはやされていた経営者が、景気後退とともに業績を悪化させると、手のひらを返したように、非難されることがある。しかし、業績の悪化は、その経営者の能力が劣化したからではなく、景気が悪化したせいである。 マクロ経済環境が悪いために企業の効率性が落ちるのは、企業組織や経営者の能力の問題ではない。マクロ経済政策をつかさどる政府の問題である。仮に「ゾンビ企業」を廃業・倒産させても、不況である限り、「ゾンビ企業」はなくなりはしない。したがって、「ゾンビ企業」を減らしたければ、政府がマクロ経済政策によって景気を回復させるしかないのだ』、「ゾンビ企業」論は、バブル崩壊後の不況のなかでは、かまびすしく主張されたが、生き残った企業も多い。なお、大恐慌時のフーバー大統領の下でメロン財務長官が「清算主義」を唱え、大恐慌を激化させたようだ。
・『淘汰されるべきは「ゾンビ企業」ではなく「ゾンビ企業」論である  第三に、もし、非効率な企業が多数温存されていて、産業構造全体が非効率なのであれば、その国の経済は供給能力が不足するから、本来ならば、インフレになっているはずだ。したがって、仮に「ゾンビ企業」論が正当化できる場合があるとしても、それは悪性インフレの時であって、デフレ時ではない。 しかし、日本は、インフレどころか、二十年以上もデフレである。そして、現下のコロナ危機においても、一部の物資でコスト・プッシュインフレが発生しているものの、全体としては、消費や投資の減少によるデフレ圧力の方が大きい。 デフレ時に、企業の廃業や倒産を促進したら、どうなるか。需要不足であるため、職を失った労働者の再雇用は困難である。したがって、失業者が増大する。失業者が増大すれば、需要はますます減少し、デフレが悪化する。デフレ下では、新陳代謝などは起きない。一方的にやせ細っていくだけなのだ。 第四に、現下のコロナ危機で、政府の支援なしに生き残る可能性がより高い企業は、内部留保がより大きく、資金に余裕がある企業であろう。しかし、内部留保が大きい企業とは、積極的な投資を控え、労働者への分配も抑制して、利益を貯めこんできた企業である。 設備投資や労働分配に積極的な優れた企業の方が、内部留保が少ないため、コロナ危機の下で、資金がショートしやすい。つまり、優れた企業の方が、コロナ危機によって「淘汰」されやすいのだ。 第五に、コロナ危機の中、もし政府の支援がなければ、体力の弱い中小企業が多く廃業・倒産し、体力のある大企業の方が残るだろう。つまり、市場参加者の数が減るのである。その結果、コロナ危機によって、市場の寡占化が進むということになる。 寡占市場では、企業間の競争が起きにくくなるので、経済の効率性は落ちてしまう。また、寡占企業は、企業の市場への新規参入を阻害する。それこそ、本当に「新陳代謝」が起きにくい産業構造になってしまうのだ。 もし、「新陳代謝」が起きやすい経済にしたいのであれば、市場のプレイヤーの数を多く維持し、競争状態を保つことである。そのためには、政府は、むしろ企業の廃業・倒産を防ぐ経済政策を実行しなければならない。そして、需要を拡大し、デフレを脱却して、積極的な新規投資や起業を容易にするマクロ経済環境を回復することだ。 以上、「ゾンビ企業」論の問題点を五つ列記してきたが、最後にもう一つ、最も深刻な問題が残っている。 それは、政府が、経済運営の責任を放棄するという問題である。 もし、「ゾンビ企業」が退出すれば景気が良くなるというのであれば、政府は、不況に対して何もしなくてもよくなる。すなわち、政府に対して、景気回復の責任を問うことはできなくなるのである。その代わり、不況の中で、何とかして存続しようと努力している企業が、景気回復を妨げる「ゾンビ企業」として糾弾されることとなる。 こうして、「ゾンビ企業」論は、不況の責任を問う声を政府から逸らし、あろうことか、弱っている民間企業へと向かわせるのである。政府からすれば、まことに好都合な論理ではあるが、その結果としてもたらされるものは、不況の深刻化、そして、より非効率な経済構造なのだ。 「淘汰」されるべきは、ゾンビ企業ではない。「ゾンビ企業」論である』、説得力溢れた主張で、全く同感である。

次に、8月25日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00088/?P=1
・『今回は「経営者の意地」について、あれこれ考えてみようと思う。 まずは、ある小企業の社長さんのお話からお聞きください。 「今まで経験したことがないくらい、経営は厳しいですよ。しかも、今回は先が見えないから余計にしんどい。でもね、会社をやるってことはそんなこと承知の上でやってるわけです。いいときもあれば悪いときもある。会社を経営する以上、雇用を守ることは経営者の使命です。だから、国の持続化給付金や雇用調整助成金はありがたい制度だし、色々な問題はあったにせよ、中小企業に対して(助成額を)手厚くしてくれたのは、国が中小企業を守ろうとしてくれている姿勢の表れの一つなんじゃないでしょうか。 ただね、解せないのは、そういったやり方を批判する人たちがものすごくいるってことです。 『時代に合わない企業はさっさと潰した方がいい』なんて、あけすけなことを言う学者先生もいるでしょ。あれは……ずいぶんですよね。 だいたい潰れる会社を救ってどうするって言うけど、倒産する会社の中には、潰すにはもったいない会社も少なくない。どんなに健全な経営をしてきても、環境にはあらがうだけの体力がなかったり、社長の気力も持たなかったりする場合がある。銀行の貸し?がしとかも今後は増えていくだろうから、こういうときこそ国に支援してもらわないと。税金ってそのためにあるわけでしょ。なのに、血税の無駄遣いみたいに言われるのは、悔しいですよ』、確かに、頑張っている中小企業に対して、「『時代に合わない企業はさっさと潰した方がいい』なんて、あけすけなことを言う学者先生もいるでしょ」、酷い話だ。
・『生き残るために戦い続ける中小企業  中小の社長やってみりゃ分かると思うけど、大企業と違って社員との距離が近いんです。 まともな経営者なら、普段から社員たちのパフォーマンスをどうやって引き出すかってことも考えるし、大企業さんみたいに優秀な社員ばかりじゃないから、経営者も必死です。指くわえて、国が支援してくれるの待ってるわけじゃない。今も、必死で生き残りを懸けて戦ってる。それが経営者の意地ってもんでしょ。 もちろん中にはね、ひどいことやってるなと、あきれる会社もあります。ニュースなんかでも、経営者の意地なんてみじんもない会社の社長がのうのうと出てきて、自分たちは何もやらないで、政府の支援策に文句つけたりしてることがあるでしょ。あまり言いたくないけど……、ああいう会社と十把一絡げにしてもらいたくないという思いは強いです」 ……実はこれ、「雇用維持の政策がゾンビ企業を延命させている」という意見が、最近目立つようになったことに対し、話してくれた内容である。はい、そうです。私が数名の経営者の方たちに意見を求めた。「ゾンビ企業延命」という物言いに、違和感ありありだったので、ただただ「現場の声」が聞きたかったのである。 そもそも「ゾンビ企業」とは何か? 言葉自体は1990年代後半から世界的に広まったもので、「借金を抱え、再生の見込みがないのに銀行や政府の支援で生きな永らえている企業」を指すものだが、明確な定義があるものではない。 加えて、かつて「ゾンビ企業」と呼ばれた企業でも、破綻や上場廃止に追い込まれた企業はごくわずかで、存続した「ゾンビ企業」の多くは業績を大きく改善させているとの報告もある。 そもそも「ゾンビ企業」を識別するためのデータ入手の困難さから、「ゾンビ企業」と誤って識別されてしまったり、本来であれば「潰してはならない企業」まで、十分な支援が受けられず潰れてしまったりしている可能性があるとされている。 ところが、「ゾンビ企業」という言葉の面白さからなのか、言葉だけが独り歩きした。「雇用調整助成金などの金融支援策が中小企業のゾンビ比率を高めている」といった具合に、雇用調整助成金の制度批判に使われている』、「存続した「ゾンビ企業」の多くは業績を大きく改善させている」、にも拘らず、「ゾンビ企業」論がいまだに根強いのは不思議だ。
・『中小企業の保護を巡る“短絡的な”議論  特に、今回のコロナ禍では、かなり飛躍した“ゾンビ企業論”が蔓延(はびこ)っている。「中小企業は非正規率が高いから雇用は守られない」「生産性の低い中小を救うことはイノベーションの妨げになる」「ポストコロナを見据えれば、雇用維持より雇用の流動化」という意見が声高に叫ばれ、揚げ句の果てに「中小企業を保護することはゾンビ企業の延命につながる」という、“暴論”に発展しているのだ。 もちろん「働く人を守る=雇用調整助成金」ではない。働く人たちを直接支援する「特別定額給付金」や、失業手当では生活できない退職した人たちを支えるなど、「働く人」のセーフティーネットを充実させ、今までのやり方を見直す必要はある。 だが、「企業を守ること」で雇用が守られることはあるし、「雇用調整助成金の制度=ゾンビ企業の延命に手を貸している」だの、「産業構造の転換を遅らせている」というのは少々短絡的だ。 かつてはゾンビ企業は暗黙裏に「大企業」に対して使われていたのに、いつのまにか「ゾンビ企業=中小企業」「中小企業=生産性が低い」という文脈で語る人が増えてしまったことへの違和感も、めちゃくちゃある。 私はこれまで全国津々浦々1000社以上の企業を訪問し、たくさんの中小企業の社長さんにお会いしたけど、どの社長さんにも「経営者の意地」があった。 ある社長さんは「うちはパートさんが支えてくれている会社です。昇級も昇進もあります」と豪語し、「外国人労働者には日本人以上の賃金を払って当たり前。異国での生活には不自由があるだろうから、その分多めに払わないとダメですよ」と断言する社長さんもいた。最近は、「残業時間の削減や休暇の取得もきちんとできるホワイト企業じゃないと、学生さんに来てもらえない」と、悪しき伝統を変えようと努力する社長さ(注:「ん」が抜けている)も増えた』、確かに「かつてはゾンビ企業は暗黙裏に「大企業」に対して使われていたのに、いつのまにか「ゾンビ企業=中小企業」「中小企業=生産性が低い」という文脈で語る人が増えてしまったことへの違和感も」、同感だ。
・『潰してはならない中小企業は山ほど  中には「地方で会社やってると、社員なんか切ろうもんなら、『あそこの会社はうちの息子クビにしたひどい会社だ!』とか言われちゃって大変ですよ。株主なんかより住民のほうが怖い。……そもそも上場もしてないけどね(笑)」なんて話をする社長さんもいた。 とにかく、熱い。そして、温かい。小さな会社だからこそ社員一人ひとりが生き生きと働ける職場を意識した経営をし、絶対に潰してはならないと踏ん張る素晴らしい中小企業が山ほど存在するのだ。 であるからして、体力の弱い中小企業の廃業や倒産を防ぐために、手厚い支援をすることに、個人的には大いに賛成。企業を守ることに批判的な人たちに問いたい。「で?何が問題なのか?」と。 それに、雇用調整助成金を利用した企業の「その後」を調査した報告書をレビューすると、「企業を守ることが雇用を守ることにつながっていること」が分かる。 労働政策研究・研修機構が、2017年に「雇用調整助成金の政策効果に関する研究」(労働政策研究報告書No.187)で、厚生労働省から提供された様々な業務データに基づき分析をしているのだが、その中の「時系列データ」に基づく分析結果が実に興味深い。その一部を紹介する。 と、その前に。報告書の分析は、2008年4月?2013年3月の5年分のデータを使用しているので、リーマン・ショックと東日本大震災とで、雇用調整助成金の支給要件等か?大幅に緩和などされた時期なので、今回のコロナ禍の参考になると思われる。 時系列分析の結果は以下の通りだ。 雇用調整助成金を受給した事業所では、事業面で厳しい状況にあることが一般的で、非受給事業所に比べて、雇用が低調ないし減少で推移していた。 受給事業所は、非受給事業所に比べて、受給期間中を中心として、入職率を相対的に低く抑えていた。 受給事業所では、受給期間中を中心に、総じて離職率も相対的に低く抑えられていた。 受給事業所の雇用変動は、受給終了直後に大きな離職を生じて雇用調整が進んでいた。 受給事業所の廃業が雇調金受給終了後に集中していた。 製造業について、景気回復期以降は、リーマン・ショックの期間のみ受給した事業所の雇用の低下が最も小さかった。 上記の結果を踏まえ、この報告書は、次のように指摘している。 ――4の「受給終了後に大きな離職が生じている」、5の「受給事業所の廃業が受給終了後に集中する」という結果は、「雇調金はいたずらに無駄な雇用を温存する」、さらには「いわゆるゾンビ企業の延命に手を貸している」、「産業構造の転換を遅らせている」などの批判に通じる面もあると考えられる。 しかしながら、支給対象の労働者は当該事業所の中核的に必要な部分である場合が多く、事業主は出来得る限り雇用を維持しようと努めているものの、好転が望めないとの見切りができた事業所においては、受給期間中であっても解雇を含めた厳しい雇用調整に踏み切るところも少なくない。ただし、たとえ離職を余儀なくされる場合であっても、需給状況がある程度改善するのを待って離職することができれば失業期間も短くて済むことを意味している。) 従って、「雇調金はいたずらに無駄な雇用を温存する」「いわゆるゾンビ企業の延命に手を貸している」などと批判するよりも、むしろ雇調金によって雇用失業情勢の最も厳しい時期を後ろに分散化させるとともに、雇用失業情勢が少し落ち着いた状態で、円滑な再就職を促進する効果を持つという前向きの効果として捉えることが適当である。この点は、雇調金の効果として、これまであまり強調されてこなかったが、重要な役割として強調されてもよいと考える――』、その通りだ。
・『雇用調整助成金、失業率上昇抑制に効果  さらに、この指摘を裏付けるのが、次の試算結果だ。 雇調金のマクロ的効果試算については、リーマン・ショック時に雇調金がなければ最多離職想定て? 50万人程度、 緩やか離職でも40万人程度、それぞれ完全失業者数が増加した可能性が示されている。 完全失業率に換算すると、リーマン・ショックにおいて最大5.4%(平成 21年7~9月期)にとどまった失業率が、助成金の活用がなければ6%台にまで上昇した可能性も示されている。 つまり、雇用調整助成金は失業率の上昇をかなり抑える効果を持っていると指摘しているのだ。 また、報告書では、「パート・アルバイトも雇用調整助成金対象とした事業所」と「正社員のみ対象とした事業所」との比較をしたところ、 +パートトタイム労働者を給付対象としている事業所は、そうでない事業所と比較して、全員を対象にしている事業所が多く、助成金の実施によってパートタイム労働者の中の選別は行われていなかった。 +パート・アルバイトも雇調金の対象とした事業所においては、ベテラン社員が助成の対象となっている傾向がみられ、特に基幹的な業務を担う正社員以外の労働者が助成金の対象として優先されていた。 +助成金をきっかけにキャリアアップのための教育訓練がなされている。 +助成の対象となった正社員以外の労働者は、新しく雇用される正社員以外の労働者では置き換えることができない高度な人材だった。 など、人材開発にもつながっていたことが確かめられていたのである。 さて、これらの結果を、どうみるか? 私はこの結果こそが、「経営者の意地」だと理解している。 つまり、雇用調整助成金を単なる延命に使う企業が存在する可能性は否定できない。だが、そういったネガティブな結果を基に、「ゾンビ企業の延命の手助けをするな!」といった、いわばイメージで、救える企業を救わないのは、結果的に日本の土台を壊してしまうのではないか。) 雇用調整助成金は「非正規社員の保護にはつながらない」という意見もあるが、非正規雇用を増やしているのはむしろ大企業だ。例えば、2002年から2015年の間に増えた非正規雇用者の割合は、10?99人の企業では21%増にとどまるのに対し、500人以上の企業は約2倍も増えた。 しかも、中小企業ではパート比率は高いが、契約や派遣の比率は極めて低い。一方、大企業ではその割合が高いので、いわゆる「派遣切り」が行われているのは、体力ある大企業の可能性が高い。 いわずもがな日本の企業全体のうち中小企業数は99.7%で、従業員数は7割弱。付加価値額は52.9%。 また、「2020年版 中小企業白書・小規模企業白書」によれば、経営者の高齢化や後継者不足などで自主的に休廃業・解散している企業のうち、約6割は黒字企業だ。 となれば、中小企業=ブラックだの、中小企業=生産性が低いだの、揚げ句の果てに、中小企業=ゾンビ企業、などとイメージで批判するのではなく、中小企業が培ってきた技術やスキルの高い従業員などの貴重な経営資源を残すための支援を充実させることが、重要ではないか。 15年ほど前に、世界に認められた“ワザ”を生んだ企業を取材して回ったときも、そのほとんどが中小企業だった。従業員数十人の町工場だったり、創業100年の歴史のある小さな会社だったり。「現場の力」を信じ、社員教育に投資し、社長さんが現場を歩き回り、そこで働く人たちはみな「誇り」を持って働いていた。 「ゾンビ企業」というネガティブなパワーワードで、健全な企業まで潰してしまっては元も子もない。 小さくて、古いけど、しぶとい。そんな会社は決して潰してはいけないのだと思う』、第一の記事が「ゾンビ企業」論の総論とすれば、これは実際のケースの各論で、いずれも説得的だ。

第三に、6月12日付け東洋経済オンラインが掲載したFrontline Pressによる「自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/356399
・『新型コロナウイルス感染症拡大に伴って、日本で「自粛警察」が広がった。市民の相互監視とも言えるこの状況に警鐘を鳴らす声も多いが、戦前との比較で危惧を表明する専門家がいる。近代日本の軍事史に詳しい埼玉大学の一ノ瀬俊也教授がその人だ。 「かつて太平洋戦争を遂行させるために作られた『隣組』と共通するところがある」。戦後75年を迎えようとしてもなお、人々の意識が変わっていないという。その核心は何か。一ノ瀬教授に聞いた』、「自粛警察」が「『隣組』と共通するところがある」、とは興味深い。
・『「人の役に立ちたい」欲求  そもそも「隣組」は自然発生的に発足し、機能していた地域住民組織だった。ところが、太平洋戦争が開戦する1年前の1940年、政府の訓令によって正式に組織化される。10戸前後で組織するよう指導され、全戸の加入が義務付けられた。「回報」の回覧による情報の一元化、配給の手続きのための重要な基礎組織として位置付けられた。 隣組の役割について、一ノ瀬教授はこう解説する。 「大きく2つの役割が期待されていました。1つは地方自治の末端組織として、配給などを住民自らに担わせること。もう1つは、政府の方針を国民1人ひとりに行き渡らせること。つまり、国民の自治精神を利用して、戦争遂行を図るために作られたわけです。 戦争になれば、国家の国民生活を隅々まで統制しないといけない。食料などの配給制度は最たるものです。しかし、政府や地方自治体だけで統制をやるのは非常にきつい。そこで隣組を使い、国民の協力を得て統制をやろうとしたわけです。上意下達と下意上達を組み合わせ、ある程度、国民の意見も取り入れて、ガス抜きするような形で戦争の遂行を図っていったところがあります」 戦中の隣組と現在の「自粛警察」。どこに共通点があるのだろうか。 「隣組では、戦争を批判するような発言を住民が聞きつけて、憲兵や特高警察に密告する行為はよく見られました。今と共通しているのは、通報する人たちが『お国のため、全体のために』と考え、よかれと思ってやっている点です。いわゆる自粛警察をやっている人たちはそれが行きすぎて、個人の自由や人権を損なう事態を引き起こしている。そのへんがかつての隣組と共通している。『お国のため』という大義名分を得て、人権弾圧などがエスカレートしていくわけですね」 今年8月、日本は戦後75年の節目を迎える。社会の中核を担う世代は着実に交代していっているのに、住民が相互監視するような社会は繰り返されているように映る。その原因は「人間の本質にある」と言う。 「人間の中に『人の役に立ちたい』『みんなに貢献したい』という欲求はいつの時代にも存在します。それがちょっとしたきっかけで、変な方向に暴走する。人間の本質や性格は何年経っても変わりません。コミュニティーの役に立ちたいという思い、それ自体は今も昔も悪いことではないんですが……」 新型コロナウイルスに関する国や都道府県の対応は、主に「改正新型インフルエンザ等対策特別措置法」に依拠している。都道府県知事は同法24条9項に基づき、休業の協力を要請してきたが、協力に応じなかった事業者に対しては、施設使用の制限などの措置を要請できるとの規定がある。続く第4項は「特定都道府県知事は、第2項の規定による要請(中略)をしたときは、遅滞なく、その旨を公表しなければならない」としている。 この規定に基づき、東京都や大阪府などは休業要請に応じなかった施設の名称を公表した。施設名が公表されたパチンコ店の前には人々が集まっては「営業やめろ」「帰れ」などと叫び、店側やほかの客らと怒鳴り合う事態も発生した。こうした様子はテレビやYouTubeでも盛んに流されたので、目にした人も多いだろう』、「通報する人たちが『お国のため、全体のために』と考え、よかれと思ってやっている点です。いわゆる自粛警察をやっている人たちはそれが行きすぎて、個人の自由や人権を損なう事態を引き起こしている。そのへんがかつての隣組と共通している」、「「人間の中に『人の役に立ちたい』『みんなに貢献したい』という欲求はいつの時代にも存在します。それがちょっとしたきっかけで、変な方向に暴走する」、「自粛警察」は飛んでもない存在と思っていたが、無理からぬところもあると理解できた。
・『施設名公表は「私刑」招きかねない  「要請」に従わない店名を行政が「公表」するという条項には、「自主」と「強制」が同居しているように映る。日本社会に根付く「同調圧力の強さ」を背景に、相互監視を推し進めた素地があるようにも見える。 「自粛は要請だったはずなのに、それに応じない店名を公表する行為には、間違いなく、同調圧力に期待しての部分があったと思います。『要請に従わない店は周辺から白い目で見られる』という雰囲気ができるのを行政はわかっていてやっている。それは、私刑(リンチ)の誘発に繋がりかねないんじゃないか。店名の公表はやはり望ましくなかったと思います。日本は近代法治国家ですから、私刑はあってはならない。私刑を誘発しかねない方法を選ぶ行政、私刑で誰かを処罰するような社会は望ましくないと思います」 住民による扶助組織の起源をさかのぼれば、江戸時代の「五人組」「十人組」に行き着く。その慣習が「隣組」へと引き継がれ、戦後は「町内会」「自治会」という形で残った。 「現在の自治会が担っている防犯活動にもいい面と悪い面、両方あります。自治会が防犯活動することによって地域の治安が保たれる。ただ、地域の安全を守る活動を自治会に頼りすぎると、地域から浮いている人が排除されるという懸念も出てくる。コロナ対応時に浮き彫りになったように、どこまで曖昧さを認め、どこからルールで線を引くのか。難しい問題だとは思います」 地域の安全を住民の手で守ろうとする動きがエスカレートしたらどうなるか。一ノ瀬教授の念頭にあるのは、関東大震災(1923年)時の混乱と虐殺だ。大地震の混乱に乗じて朝鮮人が日本人を殺そうとしているとのデマが拡散。民間の自警団や憲兵によって、朝鮮人や朝鮮人と誤認された日本人が多数殺害された。 ただし、一連の出来事は住民の活動のみで動いていたわけではない。大震災に際して政府が発した1本の通達。その影響も大きかったという。宛先は各地の警察。治安維持に努めるよう指示する中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が記載されていたのだ。 「関東大震災のときの自警団は、最初のころ、行政が治安維持に利用しようとしていたわけです。ところが、自警団に加わった住民の行為をだんだん行政は止めることができなくなった。そして虐殺に至るわけです。戦時中の隣組にしても、戦時体制にからめ取られていく中、“非国民になりたくない”という力学が発生し、威力を持つようになった。配給などで『食料をあげない、もらえない』みたいな事態になれば、個人の生活が損なわれるからです。だから、誰も後ろ指を刺されたくない」』、「日本は近代法治国家ですから、私刑はあってはならない。私刑を誘発しかねない方法を選ぶ行政、私刑で誰かを処罰するような社会は望ましくないと思います」、その通りだ。「大震災に際して政府が発した1本の通達・・・宛先は各地の警察。治安維持に努めるよう指示する中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が記載されていた」、とは初めて知った。
・『「過去に学ぶことは本当に重要」  こうした「社会の暴走」はもちろん、日本だけのものではない。 「第2次大戦中のドイツにおけるユダヤ人に対する密告は日本の比ではありませんでした。アメリカでも黒人へのリンチが歴史上何度もあったし、今も起こっています。いつの時代も、どの国でも、ちょっと方向を誤ったり、変なふうに火がついてしまったりするだけで、たやすく社会は暴走します」 「コロナ関係で自粛警察なる動きをする人々についても、その心情は『よかれと思って』でしょう。国が呼び掛けている方針に『みんなで従いましょうよ』というのが出発点にある。でも、かつての隣組が『配給食料をやるか、やらないか』という些細なことで人権弾圧みたいなのものを発生させたように、あるいは関東大震災後の自警団が虐殺に手を染めていったように、簡単にエスカレートしていく危険性がある。歴史を研究している立場からすると、過去に学ぶことは本当に重要なんです」 結局、今は何をすればいいのか。 「政府や地方自治体の自粛要請をめぐる対応がどう行われ、その結果、どういう効果や弊害が生じたのか。きちんと記録に残すことが第一歩です。その記録を基に、議論することが必要です。政府の専門家会議などが議事録を作っていないことは、その意味でも非常に問題があると思います」』、「いつの時代も、どの国でも、ちょっと方向を誤ったり、変なふうに火がついてしまったりするだけで、たやすく社会は暴走します」、「過去に学ぶことは本当に重要」、その通りなのだろう。
・『“自粛警察”に関すると見られる動き
○警察などへの通報(+大阪府のコールセンターに「休業要請対象の店が営業している」という趣旨の通報が、4月下旬までに500件以上あった +「自粛中なのに外でカップルがいちゃついている」などというコロナ関連の通報が愛知県県に多数届く。5月中旬までに400件超 +警視庁によると、新型コロナウイルス関連の110番が急増。東京都などに緊急事態宣言が発令された4月7日?5月6日の1カ月間で計1621件に。休業要請対象のパチンコ店やスナックなどが「営業している」といった内容のほか、「公園で子どもがマスクをせずに遊んでいる」「橋の下でバーベキューをしている」といった内容)
○店舗などに対する“監視の目”(+千葉県の休業していた駄菓子屋に「コドモアツメルナオミセシメロマスクノムダ」という貼り紙 +東京都のライブバーに「安全のために、緊急事態宣言が終わるまでにライブハウスを自粛してください。次発見すれば、警察を呼びます。近所の人」という貼り紙 +大阪府の要請に従って時間短縮で営業していたラーメン店に匿名の手紙。「あなたの店の客が大声で会話している。『繁盛』イコール『公害』であることを忘れるな」 +営業中の店舗に嫌がらせが続出。長野県では「コロナ」の名を付した飲食店に3月から無言電話やネットでの中傷的な書き込みが相次ぐ。横浜市の飲食店では扉に「バカ、死ね、潰れろ!」の落書き +東京都の商店街の組合に「商店街すべてをなんで閉めさせないんだ、すぐに閉めさせろ。何考えてんだ、馬鹿野郎」「利益を上げていて最低」「恥」など多数の電話 +名古屋市の商店街で休業要請対象外の店などが営業していることに「コロナを発信するつもりか」「二度と買い物には行かない」などのメールや電話が多数届く +千葉県で県の休業指示に応じないパチンコ店の前で、男性がマイクを手に「営業やめろ」「帰れ」などと叫ぶ +緊急事態宣言解除の翌日から営業を再開した岐阜県の温泉施設に対し「緊急事態宣言中だ休業要請対象だろ営業再開辞めろ」などのメールが届く
○“他県ナンバー狩り”も続く(+県外ナンバーの車に乗る県内在住者向けに、山形県は「山形県内在住者です」と太書きした“確認書”の交付を開始。県外ナンバーの車への嫌がらせが相次いだためという。“他県ナンバー狩り”に対し、和歌山県なども同様の「県内在住確認書」を交付 +徳島県で県外ナンバーの車に乗る人があおり運転されたり、暴言を吐かれたり、車に傷をつけられたりする事例が相次ぐ。同県三好市は5月、「徳島県内在住者です」という車用の表示デザインを制作 (※上記の動きは朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、中日新聞、共同通信、時事通信、NHK、名古屋テレビ、徳島新聞などの報道(WEB版を含む)をもとに、フロントラインプレスが作成)』、こうして「“自粛警察”」の動きを見ると、やはり異常だ。少なくとも政府や自治体、マスコミなどがこれを煽るようなことは、厳に慎むべきだろう。
タグ:中小企業の保護を巡る“短絡的な”議論 かつてはゾンビ企業は暗黙裏に「大企業」に対して使われていたのに、いつのまにか「ゾンビ企業=中小企業」「中小企業=生産性が低い」という文脈で語る人が増えてしまったことへの違和感も 潰してはならない中小企業は山ほど 雇用調整助成金、失業率上昇抑制に効果 生き残るために戦い続ける中小企業 存続した「ゾンビ企業」の多くは業績を大きく改善させている」、にも拘らず、「ゾンビ企業」論がいまだに根強いのは不思議だ 『時代に合わない企業はさっさと潰した方がいい』なんて、あけすけなことを言う学者先生もいるでしょ 淘汰されるべきは「ゾンビ企業」ではなく「ゾンビ企業」論である 「「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地」 河合 薫 日経ビジネスオンライン 「「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が、日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由」 コロナ危機下での「ゾンビ企業」論は、“不当”で“危険”な議論である 中野剛志 ダイヤモンド・オンライン 「自粛警察」 埼玉大学の一ノ瀬俊也教授 Frontline Press 「自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点」 東洋経済オンライン 施設名公表は「私刑」招きかねない 「過去に学ぶことは本当に重要」 警察などへの通報 通報する人たちが『お国のため、全体のために』と考え、よかれと思ってやっている点です。いわゆる自粛警察をやっている人たちはそれが行きすぎて、個人の自由や人権を損なう事態を引き起こしている。そのへんがかつての隣組と共通している 日本は近代法治国家ですから、私刑はあってはならない。私刑を誘発しかねない方法を選ぶ行政、私刑で誰かを処罰するような社会は望ましくないと思います 大震災に際して政府が発した1本の通達 少なくとも政府や自治体、マスコミなどがこれを煽るようなことは、厳に慎むべきだろう 宛先は各地の警察。治安維持に努めるよう指示する中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容が記載されていた 「人の役に立ちたい」欲求 “他県ナンバー狩り”も続く 「人間の中に『人の役に立ちたい』『みんなに貢献したい』という欲求はいつの時代にも存在します。それがちょっとしたきっかけで、変な方向に暴走する 店舗などに対する“監視の目” いつの時代も、どの国でも、ちょっと方向を誤ったり、変なふうに火がついてしまったりするだけで、たやすく社会は暴走します “自粛警察”に関すると見られる動き 「『隣組』と共通するところがある」 日本の構造問題 (その17)(「コロナ不況を機にゾンビ企業を淘汰」という説が 日本経済を壊滅させる「危険な暴論」である理由、「ゾンビ企業は淘汰せよ!」の虚構と経営者の意地、自粛警察「執拗すぎる相互監視」を生む根本要因 戦中の隣組、戦前の自警団との意外な共通点)
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