SSブログ

日本の政治情勢(その49)(「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない、菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」、"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」、安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?) [国内政治]

日本の政治情勢については、9月4日に取上げた。今日は、(その49)(「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない、菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」、"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」、安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?)である。

先ずは、9月8日付けYahooニュースが掲載した元東京地検特捜部検事で郷原総合コンプライアンス法律事務所 代表弁護士の郷原信郎氏による「「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/byline/goharanobuo/20200908-00197304/
・『本日(9月8日)付けで、産経新聞が、 前原誠司元外相が、2010年9月7日に尖閣諸島沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかにした。旧民主党政権は処分保留による船長釈放を「検察独自の判断」と強調し、政府の関与を否定してきたが、菅氏の強い意向が釈放に反映されたとみられる。 と報じている。当時の外務省幹部も「菅首相の指示」を認めたが、菅氏は、取材に「記憶にない」と答えたとのことだ・・・この尖閣中国船船長の釈放の問題については、当時、私は、検察の対応と、民主党政権の政府の対応を徹底して批判した。 刑事事件については、警察・海上保安部等の第一次捜査機関が、犯罪の立証のための十分な証拠収集を行い、検察が、犯人の身柄の拘束及びその継続の必要性の判断を含め、事案の重大性・悪質性に応じた刑事処分に向けての対応を総括する。 しかし、外交関係に絡む問題については、そのような刑事司法上の判断とは別に、内閣として適切な外交上の判断を行い、それに基づいて最終的な刑事処分を決定することが必要な場合もある。この種の事案に対しては、国家としての主権を守るとともに、他国との適切な外交関係を維持するための判断が求められるが、これは、刑事司法機関の所管外の事項であるため、内閣が政治責任に基づいて判断をすることになる。その場合、刑事事件としての対応や処分に外交上の判断を反映させるために活用されるべき制度が、内閣の一員である法務大臣の検事総長に対する指揮権(検察庁法14条但書)である。検察は、外交上の判断が必要な事件と判断すれば、法務大臣に「請訓」という形で指示を仰ぐことになる。 尖閣の中国漁船の衝突事件は、外交上の判断が必要な事件だったのであるから、刑事司法機関が勾留・起訴という厳正な刑事処分に向けての対応を行う一方、内閣としては、外交関係を踏まえてその刑事処分に向けての対応を変更する必要性を判断し、必要があれば、それを法務大臣指揮権の発動という形で、内閣の責任を明確にして実行すべきであった。 ところが、この事件では、中国船船長の釈放が決定された際の会見で、那覇地検次席検事が「最高検と協議の上」と述べた上で、「日中関係への配慮が、釈放の理由の一つである」かのように述べた。つまり、この事件での「船長の釈放」という検察の権限行使において、検察が組織として外交上の判断を行ったことを認めたのである。そして、このような、検察が外交問題に配慮したかのような説明に対し、当時の仙谷官房長官は「了とする」と述べた。 この検察の対応が、検察独自の判断だとは考えられなかった。検察としては、厳正な刑事処分に向けての対応を粛々と進めていたはずだ。船長の釈放は当時の内閣の判断によるものであることは、誰の目にも明らかであった。ところが、外交関係への配慮も含めて、すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をした。それによって、検察の刑事事件の判断についての信頼が損なわれる一方、内閣が負うべき外交上の責任は覆い隠されてしまった』、「民主党政権」にとって、「指揮権発動」は避けたいとの配慮で、「すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をした」、可能性がある。「仙谷官房長官」も弁護士出身なので、本来あるべき処理方式は理解していた筈だ。ただ、自民党政権時代には、逮捕などせずにそのまま見逃していたのを、国土交通大臣だった「前原氏」が勇み足で逮捕したため問題を大きくしたとの批判もある。
・『しかし、今回、前原氏が明らかにしたところによると、当時の菅首相が釈放を指示したとのことであり、検察の釈放措置は、菅首相の指示によって行われたものだということになる。船長を逮捕した海上保安部を所管する大臣だった前原氏としては、菅首相の指示によって海上保安部としての摘発を無にされたと言いたいのだろう。 尖閣諸島をめぐっては、その後、2012年8月に、香港の活動家らによる尖閣諸島不法上陸事件が発生した。この時の民主党政権の対応も弱腰そのものであった。その際も、民主党政権下の政府と検察の弱腰の対応を批判した。以下は、産経新聞に「【領土を考える】主権侵害は逮捕・起訴を」と題して掲載された拙稿の一部だ。 香港の活動家らによる尖閣諸島不法上陸事件で、沖縄県警は入管難民法違反(不法入国)容疑で逮捕した中国人を検察庁に送致せず、入管当局に引き渡し、活動家は強制送還された。 今回の措置は同法65条の「他に罪を犯した嫌疑のないときに限り…入国警備官に引き渡すことができる」との規定によるが、その趣旨は不法就労など単純事案は国内法で処罰するより、早急に国外退去させ違法状態を解消するほうが法の趣旨に沿うためだ。今回のように日本の領土や主権を侵害する目的での確信犯的な不法上陸事案は、極めて悪質な刑事事件として当然、逮捕、起訴すべきだった。 問題なのは、今回の措置が同法の規定に基づく「刑事事件としての当然の措置」のように説明されていることだ。この種の事件に厳正な刑事処分を行わない判断が「当然の判断」とされるなら、わが国はもはや国家としての体をなしていないと言わざるを得ない。 このような民主党政権時代の、尖閣列島をめぐる中国人の不法事案に対する日本政府の対応は、全くの弱腰で論外であった。しかも、中国人船長の事案については、菅首相の判断で船長を釈放させたにもかかわらず、それが、あたかも、検察の判断であるかのように検察に説明させて「隠蔽」していたのである。それを行わせた菅首相も論外だが、当時、菅首相の不当な指示に、国交大臣として異を唱えることなく唯々諾々と従っておきながら、今になって、自分は菅首相の不当な命令を受けた被害者であるかのように語る前原氏の態度も信じ難いものだ。 一連の不当な対応について、未だに、総括も反省もせず、安倍政権の批判ばかりを行ってきたために、旧民主党出身者を中心とする野党は国民に支持されず、「安倍一強」の政治状況を8年近くも続けさせることにつながったのである。 現在も、菅氏は立憲民主党に所属し、昨日、公示された合流新党の代表選で、枝野氏の選対本部の顧問に名を連ねている。一方の、前原氏は、国民民主党に所属し、玉木雄一郎氏が中心となる新党に加わるとのことだ。 このような野党のままでは、菅義偉氏が総裁となった後の自民党に対抗できるはずもなく、「菅一強」状態になってしまうことは必至だ。 自民党新総裁には、安倍政権の徹底検証が必要であることは言うまでもないが、野党の側も、政権を担当した時の組織の病根を放置したままでは、政権奪還など「夢のまた夢」である』、「当時、菅首相の不当な指示に、国交大臣として異を唱えることなく唯々諾々と従っておきながら、今になって、自分は菅首相の不当な命令を受けた被害者であるかのように語る前原氏の態度も信じ難いものだ」、も含め郷原氏の指摘は、正論だと思う。

次に、9月7日付け週刊女性PRIMEが掲載したお笑いジャーナリスト/ピン芸人/『株式会社 笑下村塾』取締役のたかまつなな氏による「菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」」を紹介しよう。
https://www.jprime.jp/articles/-/18786
・『安倍晋三首相が体調不良による辞任を表明したことにより、自民党総裁選が9月8日に告示される。“ポスト安倍”の最有力候補となったのは、菅義偉(すが・よしひで)官房長官だ。党内の主要派閥のほとんどは、菅氏の支持を決めているという』、「菅義偉氏の天敵・望月記者」の見解とは興味深い。
・『菅氏は“根回し”や気配りに長けている  菅氏の“天敵”と謳(うた)われているのが、森友・加計問題をめぐり、記者会見で激しいやりとりをしたことで知られる、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者だ。菅氏からは「主観だ」「質問が長い」と揶揄(やゆ)されながらも、果敢に切り込んでいく。9月2日に行われた菅氏の総裁選出馬会見においても、これまで会見では「質問妨害」があった経緯を説明し「総理になられた際には、会見のあり方を変えるか」という趣旨の質問を投げかけた。 だが、質問の途中で司会者から「簡潔にお願いします」と注意が入り、菅氏からは「早く結論を質問してくれれば、それだけ時間が浮く」などと皮肉ってかわされ、番記者とおぼしき人たちから大きな笑いが起きたのを私は目の前で見た(※フリー記者として参加)。まるで、「私は菅さんが正しいと思います」と媚びを売っているかのような笑いで、なんだか気持ち悪かった。私は望月記者を全面的には肯定はできないが、あの会見での異様な空気は脳裏にこびりついている。実際に何度もあの空気を味わいつつ、菅氏と向き合ってきた望月記者に、菅氏の長所・短所や今後、予想される情勢について語ってもらった。 まず、会見でたびたび菅氏と対峙している望月記者から見て、彼はいったい、どんな人に映っているのだろうか。 「食事をともにするなどの付き合いはなく、会見の場での菅さんしか見ていませんが、麻生派や細田派など強力なメンバーが支持を表明した要因のひとつには、菅氏が日ごろから“根回し”や細やかな気配りをしていたことがあると思います」 望月さんから見ても、菅氏はうまく味方をつけることに長けているという。 「議員の中には女性記者に対してリップサービスをしがちだったり、近くに座らせたりしたがる人もいますが、菅さんは“男女で接し方を変えない”と複数の男性記者たちから評判です。また、側近たちの裏切りによって不祥事が発覚する議員は多いですが、菅さんはこれまで、自身の大きなスキャンダルが出ていないですよね。秘書や周りの人間とどう付き合い、どんなふうに可愛がるかというのは政治家にとって、とても大切です。菅さんはそれが上手で、周りと信頼関係を築き、“菅さんを守ろう”と思ってもらうのが得意なのかな、と感じます」』、「司会者から「簡潔にお願いします」と注意が入り、菅氏からは「早く結論を質問してくれれば、それだけ時間が浮く」などと皮肉ってかわされ、番記者とおぼしき人たちから大きな笑いが起きた」、「番記者」たちの姿勢には腹が立つ。
・『異を唱える者は徹底的に排除する方針  では、菅さんの悪いところはどんなところだろうか。 「会見でなかなか非を認めないところや、好き嫌いが激しいところですかね。例えば、他の記者が長い質問をしても答えるのに、私がその方より短い質問をしても“あなたの質問に答える場ではない”などと言われたこともあります。好まない人物に対しては過剰にムキになり、嫌悪感をあらわにしますよね」 この傾向は望月記者だけではなく、官僚に対してもあるのではないかという。 「菅さんや官邸側の方針に異を唱える官僚さんは、徹底的に排除されると聞きます。“官僚は人事でコントロールできる”という考えを持っており、彼の方向性に沿って動かない人物は、優秀な官僚であっても飛ばされるそう。周囲からの話によれば、IR含めて横浜市役所の課長クラスの人事までも、割と細かく確認するとか。菅さんが総理になった場合には、現場をまとめ上げ、自分の意向に沿って物事を進めてくれる人物として、和泉洋人首相補佐官が重要になるでしょう。ですから今年の春に和泉補佐官の“コネクティングルーム出張”について『週刊文春』が報じたたときも、徹底的に守りました。そうやって自分を裏切らない人間で側近を固め、番記者たちも掌握しつつある、という強さがありますね」』、「和泉洋人首相補佐官」を守ったとは、よほど使い易い人物なのだろう。
・『「政治の私物化」がより強化される恐れ  ほかに、韓国との関係や沖縄についても気がかりだという。 「韓国にはかなり敵対的な対応になることが予測されます。また、沖縄の辺野古新基地問題に関してはより悪化するでしょう。新基地は軟弱地盤の問題で建設ができないのではないか、できたとしても、20センチほど地面が沈むのでは、という推計を民間の先生方が出していると思うのですが、菅さんらはごまかして、アメリカの決めた方向で新基地を作ろうとしています。でも、県民としては7割“ノー”という投票結果が出ており、玉城デニー県知事も反対していますから、沖縄に対する圧力はかなり強化すると思いますね」 長期政権の弊害として、政治の私物化が安倍首相の辞任会見でも問われた。望月記者は「私物化がより強くなるのでは」と危惧する。 「長期政権の中で官僚たちは、たとえダイレクトな指示がなくとも“官邸のために仕事をする”という“忖度”意識が強まってしまった。自分たちの人事を上に握られているからということもありますが、結果として国民のめの公平・公正な行政がうまく進んでいません。森友事件の公文書改ざん問題や、『桜を見る会』の招待者名簿をシュレッダーで廃棄するなど、信じがたいことがたくさん起こりました。 一方で、そういった負の遺産をリセットしたい、という思いが、自民党員や国民の間でも強まっていると感じます。ですが、菅さんがポスト安倍として就任した場合、“モリ・カケ・桜問題”(※森友・加計学園をめぐるさまざまな疑惑や、首相主催『桜を見る会』のあり方における対応のずさんさを指す)には、いちばん踏み込まれたくないはずです。実際、安倍政権と結びつきが強かった黒川弘務前東京高検検事長を検事総長にするため、検察官の定年を引き上げようとした“検察官定年延長問題”でも、菅さんは安倍さん以上にこだわったと聞きます。“守護神”である黒川氏をトップに置き続け、数々の“疑惑”をうやむやにしたまま政治を進めていきたかったのでしょう」 望月記者は、以上のことを加味すると「個人的には、菅氏が次期首相になった場合“これまでの安倍政権における悪かった部分が改善されていく”という期待感をどうしても抱けない」という。自民党の総裁を、国民は直接選ぶことができない。だからこそ、ポスト安倍政権に対して、私たちがしっかりと評価し、次の国政選挙で判断を下さなければならない。我々は総裁選の討論会などで語られる公約を忘れず、実行できているかどうかなどを見守っていかないといけないだろう。 菅氏が総理大臣になったら、日本はどのような方向を向くのだろうか。 「約3年間見てきた限りでは、思想傾向が左か右のどちらかに偏っているわけではない。憲法改正に関しては恐らく、さほど関心がなさそうです。安倍政権の中で、経済政策が支持率に直結することを肌で感じていると思うので、経済まわりに力を入れると思います。実際、コロナ禍でもっとも菅さんを象徴するのがGoToトラベル事業ですよね。 新型コロナがぜんぜん収束しない中で、この事業に約1.7兆円の予算をつけ、当初の予定より前倒しで展開しました。医師会からは“とんでもない”という声があがっています。ですが菅さんは“経済を回さないと、自分たちの支持基盤を含めた財界が黙っていない”という考えが念頭にあるため事業展開に踏み切ったのでしょう」』、「政治の私物化」がより強化される恐れ」、やれやれだ。

第三に、9月8日付けPRESIDENT Onlineが掲載した元週刊現代編集長でジャーナリストの元木 昌彦氏による「"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/38611
・『「安倍の政策を引き継ぐ」と主張するが…  昔、長嶋茂雄が巨人軍の監督に就任したとき、「長嶋のいない巨人を指揮する長嶋は大変だ」と思ったことがあった。 王貞治は現役だったが全盛期をとうに過ぎていた。案の定、長嶋監督は結果を残せず、読売新聞首脳部に無慈悲に首を斬られてしまった。 菅義偉(71)も同じ道をたどるのではないかと、私は考えている。安倍首相は、自民党の歴史の中でも、「最軽量の神輿」であった。それが長続きしたのは、女房役である菅官房長官の手腕であったことは、衆目の一致するところである。 だが、黒子役である人間が表に出てしまったら、誰が菅を支えるのか。菅政権最大の弱点である。今下馬評に上がっている人間たちが、菅を支えられるとは到底思えない。 菅は以前から、「総理になる気はない」といい続けてきた。本心であろうと私は思う。なぜなら、菅の人生は常に「ナンバー2」「影の存在」だったからだ。 法政大学時代は「空手部副主将」、横浜市議時代は「影の市長」、安倍政権では「影の総理」。表舞台でスポットライトを浴びるより、黒子に徹して、裏で政治を動かすことに喜びを見出していた男が、安倍の突然の辞任で、いきなり公衆の面前に立たされてしまったのである。 菅は出馬表明会見で、「安倍の政策を引き継ぐ」としかいえなかった。前代未聞である。千歩譲って、安倍政権がそれほど悪い政権でなかったとしても、自分だったらこうするというビジョンを一つ二つ提示するのが、総裁選に臨む人間のたしなみではないか』、「出馬表明会見で、「安倍の政策を引き継ぐ」としかいえなかった」、確かに「菅」の限界を示しているのかも知れない。
・『菅義偉という人間を多くの国民は知らない  故中曽根康弘元首相は、平議員の時から、首相になったらこういうことやると、ノートに記していたそうだ。 菅は、東京に来て働いているうちに、26歳にして、「世の中を動かしているのは政治ではないか」と気づき、政治家を志したといっている。幼すぎる。ましてや、菅が過ごした大学時代は、70年安保闘争や学生紛争が燃え盛っていた時代である。そうした中に身を投じていなくても、政治が一番身近に感じられた時代であった。 思想信条ではなく、否応なく政治について考えざるを得なかったはずなのに、菅は大学を卒業するまで考えていなかった。だとすれば、政治は就職先の一つ程度の認識だったのではないか。 失礼ついでにいえば、菅義偉という人間について多くの国民はほとんど知らない。あるのは、「令和おじさん」としての知名度しかないといってもいいだろう。 秋田県の貧しい農家の出で、集団就職で東京に来て、法政大学の夜間を出た苦労人政治家というイメージが独り歩きしているが、それは全く違うようだ。 ノンフィクション・ライターの松田賢弥『影の権力者 内閣官房長官菅義偉』(講談社+α文庫、以下、『影の権力者』)と、森功『総理の影 菅義偉の正体』(小学館ebooks、以下、『総理の影』)を基に、菅という男の人生を見てみたい』、興味深そうだ。
・『ソ連軍による惨劇から命からがら逃れた  菅が生まれたのは秋田県雄勝郡秋ノ宮村という雪深いところである。県南部に位置し山形県寄り、横堀が最寄り駅だが、かなり離れている。 戦前、父親の和三郎は一旗揚げようと、1941年に中国・満州へと渡っている。いわゆる「満蒙開拓団」である。彼は「満鉄」に勤めている。その後妻を満州に呼び寄せ、娘も生まれた だが、終戦の年の8月、不可侵条約を破って攻め込んできたソ連軍による侵攻によって、和三郎のいた開拓団376人のうち273人が亡くなっている。しかも8月19日の集団自決だけで、死者は253人にのぼったと、森は、『総理の影』に記している。当時の満蒙開拓団の全在籍者は27万人だが、死者は7万8500人にもなった。 妻と幼い2人の娘と共に命からがら逃げてきた和三郎は、故郷へ舞い戻る。だが、今でもこの地方では、その悲劇を語ることはタブーになっているという。 義偉が生まれるのは引き揚げ後2年たってである。松田は『影の権力者』の中で、「雄勝郡開拓団の不幸な歴史については、菅はくわしくは知らなかった」と書いている。 知らないわけはない。満蒙開拓団の悲劇は、日本が中国を侵略したために起きたのである。二度とこうした悲劇を繰り返してはいけないといえば、憲法を踏みにじり、集団的自衛権を容認し、戦争のできる「普通の国」を目指す安倍政権とは真反対を向くことになる。 菅はそんなことを考えもしなかったのではないか。その一つを取り上げただけでも政治家失格である』、「満蒙開拓団の悲劇」を両親からは聞かなかったかも知れないが、何があったかは調べればすぐ分かる筈だ。
・『学生運動の最中、アルバイトをしながら法政大学へ  父・和三郎には商才があったようだ。稲作農業だけでは生活が豊かにならないと、改良を重ねて「ニューワサ」というブランドいちごづくりを始めたという。 他の地域でも同じようにいちごを作り出すと、流通量の少ない時期を狙って出荷して、値段を確保したそうだ。その後、和三郎は、町会議員にもなっている。 菅は長男だが、農業を継ぐことは嫌だったようだ。父親への反発もあったという。菅は松田に「鉛色の空に覆われた村が嫌だった」と語っている。高校を出て夜行列車で東京へ行き、就職したのである。 東京・板橋の町工場で働くが、つらかったのだろう、そこを辞めてアルバイトをする傍ら、大学受験の勉強を始めた。彼が入学した1969年当時、法政大学は東大や早稲田と並んで、学生運動の拠点だった。 菅はそうした喧騒とは離れ、空手に打ち込んだそうだ。アルバイトで学費を稼ぎ、学生課に学費の安い夜間部への転部を申し出たこともあったという。このあたりから、集団就職、夜間大学というイメージが作られてきたようだ。 一方では、家からの仕送りで、金銭的には恵まれていたという説もあるようだが、真偽のほどはわからない。 2年後輩に、後に沖縄県知事になり、米軍基地の辺野古移設問題で対峙することになる、翁長雄志がいた』、「翁長」氏が「2年後輩」だったとは初めて知ったが、「沖縄」に対する姿勢は冷淡そのものだ。
・『世間の声を把握するのは新聞の「くらし」欄  卒業して、企業に勤めた後、大学のOB会に政治家を紹介してくれと頼みに行ったそうだ。 最初は、法政OBで衆院議長などを歴任した中村梅吉の秘書になるが、中村が政界を引退したため、神奈川県横浜市出身の小此木彦三郎衆院議員のところへ行く。 以来11年間秘書を務めた後、38歳で横浜の市会議員になり、市議を二期やって、「影の市長」とまでいわれるようになる。 47歳で今度は衆院選に出馬して当選する。二世でもなく、地盤も看板も鞄(カバン=カネ)もない男としては、異例の出世であろう。 よく、「男の顔は履歴書」といわれる。衆議院議員になった頃は、身体全体がふっくらとして、雰囲気も明るいのに、永田町の泥水を飲み、今のようなとっつきにくい酷薄な容貌に変わってきたのは、よほどの苦労があったのではないかと想像させる。 菅には面白い世論吸収法があるそうだ。彼は昔から、読売新聞の「くらし・家庭」欄にある「人生案内」を毎日読んでいるという。 そこで、庶民にはどういう悩みがあり、それに対して識者がどう答えているかを“勉強”していたというのである。 街に出て、庶民と対話しようなどという発想は、この男にはないようだ。選挙応援や会見では仕方なくしゃべるが、基本的にひきこもり的な性格なのであろうが、それを周囲の者や記者たちは「強面」と誤解しているのではないか』、「基本的にひきこもり的な性格なのであろうが、それを周囲の者や記者たちは「強面」と誤解しているのではないか」、そうなのかも知れない。
・『師匠・梶山静六は「憲法改正」反対だったが…  国会議員になってからは、竹下(登)派の七奉行の一人で“武闘派”といわれた梶山静六を師と仰ぐ。 梶山も茨城県の農家の出身である。県会議長の時、田中角栄から国政への出馬を要請された。情に厚く、角栄がロッキード事件で逮捕され、保釈されたときは、「やくざだって親分が出所するときは迎えに行く」と、真っ先に出迎えに行っている。 梶山は、橋本龍太郎内閣で官房長官に就くが、1998年7月、参院選の敗北の責任をとり橋本が退陣を表明すると、総裁選に名乗りを上げた小渕恵三と対抗して、無派閥で出馬を表明した。 菅と佐藤信二が派閥を離脱して、梶山を応援するが、わずかな差で敗れてしまう。 梶山は見かけとは違って、「再び戦争を繰り返してはいけない」と平和主義を信念としていた。戦争中に長兄を亡くしている梶山の体験から生まれたものだった。 だが、菅は松田に、「梶山さんと俺のちがいはひとつあった。梶山さんは平和主義で『憲法改正』に反対だった。そこが、俺とちがう」といったそうだ』、なるほど。
・『両親は戦争の被害者であるのに、なぜ?  野中広務という政治家がいた。小沢一郎と死闘を繰り返した自民党の大物であった。 野中は若い頃の菅に目をつけていた。松田によれば、菅はかつて新聞記者に、「第二の野中広務さんのような政治家になりたい」と語っていたという。 野中も筋金入りの反戦・平和主義者であり、梶山と同じように、沖縄のことを真剣に考えた政治家だった。 「九七年には、沖縄米軍の基地用地使用を継続するための駐留軍用地特別措置法(特措法)改正案を可決する際、衆院本会議で声を震わせた。 『この法律が軍靴で沖縄を踏みにじる結果にならないように、私たち古い苦しい時代を生きてきた人間は、国会の審議が再び大政翼賛会にならないように、若い皆さんにお願いしたい』議場は騒然となる」(『影の権力者』) 田中角栄は常々、「あの戦争を知っている人間たちが政治家である限り、日本は戦争をしない」といっていた。 だが菅という男、恩師の梶山や野中の反戦・平和主義から学んでいないのはどうしてなのだろう。 たしかに、梶山も野中も軍隊経験をしている。菅とは20年以上の歳の差がある。だが、両親は満蒙開拓団の一員として辛酸をなめた、戦争の被害者である。菅はもうすぐ72歳になる。 後期高齢者間近い政治家が、わずか75年前の誤った戦争を二度と起こさない、仁王立ちしても止めてみせるという覚悟がなくて、何のために総理になるのか』、「野中」の『この法律が軍靴で沖縄を踏みにじる結果にならないように、私たち古い苦しい時代を生きてきた人間は、国会の審議が再び大政翼賛会にならないように、若い皆さんにお願いしたい』、との演説で「議場は騒然となる」、初めて知ったが、昔は骨がある自民党有力者がいたものだ。
・『「菅のいない菅政権」は成り立つのか  総裁選に出馬して以来、自分の言葉を持たない、独自の政策がないと批判されている。 「安倍政治をそのまま受け継ぐ」というだけではまずいと思ったのだろう、自分のブログに「『自助・共助・公助』で信頼される国づくり」という公約らしきものを掲げた。まるで、高校の社会科に出て来るお決まりの表現のようである。長年政治家をやってきた人間とは思えない幼さだ。 外交に未経験なことを問われ、安倍とトランプとの電話会談にはすべて同席していると答えた。オブザーバーでは、外交を実体験したことにはならないことを、菅は分からないらしい。 冒頭で触れたように、菅のいない菅政権は、羅針盤のない船で荒海に出ていくようなものである。安倍よりさらに軽い神輿になりそうな菅は、派閥のいいなりになるのではないか。 ここでは詳しく書かないが、安倍はそれを意図して、突然、辞任したのではないかと思っている。裏で菅を操り、任期明けの来年9月には「安倍再登板」の声が高まり、3度目の政権復帰を目論んでいる。これが私だけの悪夢であればいいのだが』、「安倍よりさらに軽い神輿になりそうな菅は、派閥のいいなりになるのではないか」、「安倍はそれを意図して、突然、辞任したのではないかと思っている。裏で菅を操り、任期明けの来年9月には「安倍再登板」の声が高まり、3度目の政権復帰を目論んでいる」、確かに「悪夢」だ。
・『菅氏が力を入れる「NHKの国有化」  菅政権の最大の不安は、言論表現の自由が安倍時代よりもさらに狭まると危惧されることである。 安倍政権時代を通じて、日本の報道の自由度は実に22位から66位にまで下がり続けた。その下落に大いに貢献したのが安倍と菅だが、菅の役割のほうが大きかったと思う。官房長官会見で、東京新聞の望月衣塑子記者への質問妨害、NHK「クローズアップ現代」のキャスターだった国谷裕子への嫌がらせで、降板に追い込んだことなど枚挙に暇がない。 第二次安倍政権から取り組んできたのがNHK問題である。 『総理の影』で森は、「菅の悲願は、受信料の義務化を通じた事実上の国営放送化である」と指摘している。 第一次安倍政権時代、菅は、受信料を2割下げろ、できなければ受信料を義務化する、国営放送にするとNHKに迫ったそうだ。 森によると、経営委員会というのは12人の委員で構成され、NHK会長を人選して任命し、理事の人事にも拒否権を持つ、大きな権限を持ったもので、その経営委員を任命するのが総理大臣だそうだ。 この時は安倍の辞任で果たせなかったが、第二次安倍政権で、菅は再び、NHK支配を強引に実行していく。 第二次政権がスタートして、経営委員に政権寄りの人間を多数押し込み、会長に抜擢されたのが三井物産出身の籾井勝人であった。 「軽量級のトップの後ろでNHKを動かそうとしてきたのが、官邸の菅や財界応援団たちである」(『総理の影』)』、「菅の悲願は、受信料の義務化を通じた事実上の国営放送化である」、恐ろしいが、ありそうな話だ
・『担ぐのがうまい人間が頂点に立つとどうなるか  コロナ報道を持ち出すまでもなく、NHKの国営化はほとんど出来上がったと思っている。だが、菅のメディアコントロールは、それだけではないと森はいう。 「新聞やテレビの政治記者はもとより、週刊誌や月刊誌の幹部やフリージャーナリストにいたるまで、菅の信奉者は少なくない」(同)という。 極秘情報というアメをしゃぶらせて、批判させず子飼いにしてしまうのだ。自分たちが菅の掌で踊らされていると気づく者もいないのが、メディアの置かれた深刻さを表している。 NHKを支配し、メディアを黙らせ、派閥の上に乗っていれば安泰かといえば、そうではない。安倍以上に問答無用、説明責任を果たさない政権が長続きするはずはない。 それに、ここまでのし上がって来るには、どれほどの「無理」を重ねてきたのだろうと考えると、就任早々、醜聞が噴き出す可能性は大だと思っている。 「第二次安倍政権をつくったのは俺だ」。菅の口癖だそうだ。菅という男、駕籠を担ぐのはうまいかもしれないが、駕籠に乗って様になるかは疑問である。 菅の恩師、梶山は総裁選に出た時、勝てないと思う3つの理由を、秘書にいったと松田が書いている。 1つは小泉純一郎が出馬して票が割れるというものだが、後の2つは、「総理総裁をめざして政治家をやってきたわけではないので敵が多い。梶山静六に梶山静六はいない」。菅にも同じことがいえるはずである。 最後に角栄の大好きだった母親が、息子に向けた言葉を菅に贈ろう。 「総理大臣がなんぼ偉かろうが、あれは出かせぎでござんしてね」』、「ここまでのし上がって来るには、どれほどの「無理」を重ねてきたのだろうと考えると、就任早々、醜聞が噴き出す可能性は大」、何が出てくるか、今後が楽しみだ。

第四に、9月10日付けYahooニュースがABEMA TIMESを転載した「安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?」を紹介しよう。
https://news.yahoo.co.jp/articles/cbaf855c8fbc5fc0f2fa2c537c39885b7f909e2e
・『「官邸主導」が強く印象付けられた安倍政権。今井尚哉総理補佐官、新原浩朗経済産業政策局長、佐伯耕三総理秘書官など、経済産業省出身の官僚たちが総理の側近に起用され、“アベノマスク”など、様々な政策が立案されてきたことから、“経産省内閣”と呼ぶ人もいるという。 元財務官僚の小黒一正・法政大学教授は「私は“経産省内閣”という言い方は間違っていると思う。この数年、財務省もそうだが、経済産業省の若手もかなり辞めている。なぜかといえば、官邸にいる官僚のパワーが強く、インナーで決定するような形になっている。あえて言えば“官邸官僚内閣”だ」と話す。 「また、経産省と財務省の微妙な関係という意味で言えば、例えばキャッシュレスのポイント還元事業があった。あれも官邸というか、総理直結のような感じで決まったが、財務省主計局長だった太田事務次官が官邸と握って持ってきた案件だ。しかし、実際にポイント還元の予算を財務省で執行してくれというのは難しいので、そこをうまくやって、補助金適正化法を使って経産省に投げた。実務的に処理しないといけない経産省としてはかなり大変だったはずで、経産省の中からボトムアップで上がってきたら、上がやりたくないと言うはずの案件だった」。 元経産官僚の宇佐美典也氏は「財務省の人と話をしていてよく聞く話だが、なぜ経産省出身者がこんなに活躍したのかといえば、それは経産省の人が一番経産省の将来を見限ったからだという。つまり、経産省として霞が関でプレゼンスを上げることは諦めて、どれだけ官邸に人を送り込むかということに専念した結果だということだ。それでマクロ経済政策はよく見えないけれど、ミクロで岩盤規制など、打てる手は全部打つみたいな官邸になった。しかし、これが永続するわけではない。人事を通じて官邸の権力が拡大し、これが完全にシステム化したので、次の政権では誰が官邸に入り込むのかということが問題だ」との見方を示した。(ABEMA/『ABEMA Prime』より)』、「“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”」とは言い得て妙だ。経産省や財務省で優秀な官僚の退職が相次いでいるのも、「“官邸官僚内閣”」の影なのだろうか。
タグ:ここまでのし上がって来るには、どれほどの「無理」を重ねてきたのだろうと考えると、就任早々、醜聞が噴き出す可能性は大 官邸にいる官僚のパワーが強く、インナーで決定するような形になっている。あえて言えば“官邸官僚内閣”だ この数年、財務省もそうだが、経済産業省の若手もかなり辞めている 「安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?」 Abema TIMES 担ぐのがうまい人間が頂点に立つとどうなるか 「菅の悲願は、受信料の義務化を通じた事実上の国営放送化である」 菅氏が力を入れる「NHKの国有化」 安倍はそれを意図して、突然、辞任したのではないかと思っている。裏で菅を操り、任期明けの来年9月には「安倍再登板」の声が高まり、3度目の政権復帰を目論んでいる 安倍よりさらに軽い神輿になりそうな菅は、派閥のいいなりになるのではないか 「菅のいない菅政権」は成り立つのか 『この法律が軍靴で沖縄を踏みにじる結果にならないように、私たち古い苦しい時代を生きてきた人間は、国会の審議が再び大政翼賛会にならないように、若い皆さんにお願いしたい』議場は騒然となる 野中 両親は戦争の被害者であるのに、なぜ? 師匠・梶山静六は「憲法改正」反対だったが… 基本的にひきこもり的な性格なのであろうが、それを周囲の者や記者たちは「強面」と誤解しているのではないか 世間の声を把握するのは新聞の「くらし」欄 「翁長」氏が「2年後輩」だった 学生運動の最中、アルバイトをしながら法政大学へ 和三郎のいた開拓団376人のうち273人が亡くなっている 「満蒙開拓団」 父親 ソ連軍による惨劇から命からがら逃れた 菅義偉という人間を多くの国民は知らない 「安倍の政策を引き継ぐ」と主張するが… 「"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」」 元木 昌彦 PRESIDENT ONLINE 「政治の私物化」がより強化される恐れ 「和泉洋人首相補佐官」を守ったとは、よほど使い易い人物なのだろう 異を唱える者は徹底的に排除する方針 司会者から「簡潔にお願いします」と注意が入り、菅氏からは「早く結論を質問してくれれば、それだけ時間が浮く」などと皮肉ってかわされ、番記者とおぼしき人たちから大きな笑いが起きた 菅氏は“根回し”や気配りに長けている 「菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」」 たかまつなな 週刊女性PRIME 野党の側も、政権を担当した時の組織の病根を放置したままでは、政権奪還など「夢のまた夢」である 当時、菅首相の不当な指示に、国交大臣として異を唱えることなく唯々諾々と従っておきながら、今になって、自分は菅首相の不当な命令を受けた被害者であるかのように語る前原氏の態度も信じ難いものだ 「民主党政権」にとって、「指揮権発動」は避けたいとの配慮で、「すべて検察の責任において行ったように検察側が説明し、内閣官房長官がそれを容認する発言をした」、可能性 010年9月7日に尖閣諸島沖の領海内で発生した海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で、当時の菅直人首相が、逮捕した中国人船長の釈放を求めたと明らかに 前原誠司元外相 「「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない」 郷原信郎 yahooニュース (その49)(「尖閣船長釈放問題」での菅政権の対応の総括なくして、野党復活はない、菅義偉氏の天敵・望月記者が語った彼の長所・短所と「もし菅氏が総理になったら」、"苦労人"菅氏の生い立ちから見える「菅義偉政権」の危険な兆候 恩師の平和主義に「そこは俺と違う」、安倍政権は“経産省内閣”ではなく“官邸官僚内閣”だ 経産省出身者が集まったのはナゼ?) 日本の政治情勢
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。