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資本主義(その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの) [経済]

資本主義については、1月22日に取上げた。今日は、(その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの)である。

先ずは、2月25日付け東洋経済オンラインが掲載したNHKエンタープライズ制作本部番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山 俊一氏による「貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/331030
・『「欲望が欲望を生みだす資本主義の先に何があるのか」 暗号資産(仮想通貨)が生まれ、キャッシュレス化が進む現象を捉え、資本主義の基本を成す貨幣に着目した異色のNHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義特別編欲望の貨幣論2019」が、『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』として書籍化された。 『欲望の資本主義3:偽りの個人主義を越えて』では、ハイエクに焦点を当てたが、今回の『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』では、『貨幣論』や『会社はこれからどうなるのか』など、正統的な近代経済学の枠組みにとどまらず、さまざまな問いかけ、考察をしてきた日本を代表する経済学者である岩井克人氏が登場し、貨幣の本質に迫っている。 「欲望」をキーワードとして、資本主義のみならず、「民主主義」「哲学」などさまざまなアプローチで番組を企画してきたNHKエンタープライズ番組開発エグゼクティブ・プロデューサーの丸山俊一氏にその意図を聞いた(Qは聞き手の質問)』、「NHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義」」はなかなか考えさせられる番組だった。企画した「エグゼクティブ・プロデューサー」へのインタビューとは興味深そうだ。
・『「欲望の時代の哲学2020」で問われるもの  Q:哲学者マルクス・ガブリエルさんの新シリーズが始まりますね。 丸山:そうですね、前回は「欲望の資本主義2019」での鋭いGAFA批判などが印象に残っていますが、この制作チームでの映像取材はおよそ1年ぶりです。 Q:今回も、哲学の枠組みからはみ出したお話がたくさん出てくるのでしょうか? 丸山:彼とこの制作チームとの縁は、純粋に「哲学」をテーマとする番組企画ではなく、現実の「民主主義」「資本主義」のあり方について見解を求めることから始まりました。 2017年4月のNHKBS1スペシャル「欲望の民主主義~世界の景色が変わる時~」、そして「欲望の資本主義2018~闇の力が目覚める時~」は、それぞれ実際に社会で進行する分断、拡大する格差についてインタビューし、意見を求めたのが始まりです。その明快にしてフラットな言葉が、多くの視聴者、読者の方々に届き、大きな反響をいただき、こうしたシリーズとして今につながっています。 2018年初夏には、編集者の小林えみさんのご尽力で来日したタイミングで、「欲望の時代の哲学」「欲望の哲学史」と2つの企画をお送りしました。ともすればイデオロギー闘争ともなりかねないようなテーマでも、そうした情念から距離を取った論理的な言葉で、社会制度の中で過ごすうちにこびりつく疲労、葛藤、ルサンチマンなど、まとわりついたさまざまな感情から自由になるための思考のヒントを与えてくれました。 いま世の中には、さまざまな「世界」があふれています。それぞれのルールで自己完結した論理が交錯し、ネット上でも繰り広げられるバトル、誹謗中傷。みなそれぞれが信じる正義、正解を握りしめ、先鋭化していく言葉の数々……。そこには残念ながら開かれた対話はなく、勝手に信じる「世界」が乱立し、分断は広がっているように見えます。 「世界は存在しない」。 そんな社会状況の中にあっては、こんな逆説的な言葉が注目を集めないわけがありません。「島宇宙」ならぬ「島世界」に閉じこもろうとする人々に待ったをかける「世界は存在しない」というテーゼ。その発言の主、ガブリエルにも関心が集まっています。「欲望の資本主義」シリーズからのスピンオフ企画、今度の舞台はニューヨークです。 Q:今回の番組の見どころは? A:「人はみな、本来、自由の感覚、意志を持っています。ところが、現代の哲学、科学、テクノロジー、そして経済が人々の自由に影響を与え、自ら欲望の奴隷と化したという議論があります。私たち人間は自由です。自らがもたらした不自由の呪縛から、脱出せねばならない」 マンハッタンのビル街を遠く望み、心地よい風の吹くニューヨークの桟橋に1人たたずむガブリエルのこんな「闘争宣言」から番組は幕が開けます。「資本主義と民主主義の実験場」での思索の過程、そこから生まれる言葉は、戦後アメリカとの深い関係性とともに今ある日本のこれからを考えるときにも大いに響くことでしょう。 ガブリエルは、神でもヒーローでもありません。そもそもの言葉の定義に立ち返り、私たちの社会を、人間を、現実を見る眼、その認識の仕方の可能性を提示してくれる哲学者です。 パンクでポップな、スケボーで登場する、茶目っ気たっぷりな……考える人です。彼の言葉をきっかけにご一緒に考えてくださればうれしく思います』、「いま世の中には、さまざまな「世界」があふれています・・・そこには残念ながら開かれた対話はなく、勝手に信じる「世界」が乱立し、分断は広がっているように見えます。「世界は存在しない」」、どういうことだろう。
・『社会と個人、意識と無意識、時代の生む物語  Q:それにしても「欲望」というキーワードで、「資本主義」から「民主主義」「経済史」そして「哲学」と、さまざまな方向に企画が広がりましたね。 丸山:視聴者のみなさんの反響から素直に発想、発展していった結果ですが、もともと「資本主義」を考えようというときも、単に「強欲」批判という意味で「欲望」という言葉を持ってきたわけではありません。 もちろん、アメリカを象徴として世界に広がる極端な格差拡大、中間層の崩壊、そしてほんの一握りの大富豪を生む現在の資本主義のありようへの問題意識がベースにあることは間違いありませんが、「欲望」自体には両義性があると思います。だからこそ、真正面から取り組むにふさわしい、ややこしくて、面白い対象だとも思うのです。 欲望があるからこそ、ダイナミックな変化が生まれ、社会は活性化しますし、そもそも、それがなければ私たちも生きていけないでしょう。 しかし、同時にその方向性が何かの間違いでひとつねじ曲がれば、自らを苦しめるものにもなるわけです。変化を生む、イノベーションを生む、ということが強迫観念となって、自らを苦しめる皮肉な状況も起こります。自分で自分がわからなくなり、やめられない、止まらない……という、欲望の負の側面が浮上します』、「欲望」自体には両義性がある・・・欲望があるからこそ、ダイナミックな変化が生まれ、社会は活性化しますし、そもそも、それがなければ私たちも生きていけない・・・強迫観念となって、自らを苦しめる皮肉な状況も起こります」、的確な捉え方だ。
・『「欲望」は時代によって形を変えてきた  このお話は以前もしましたが、もともと10年前の映画、クリストファー・ノーラン監督の『インセプション』を観たときにインスピレーションを得て生まれた企画です。無意識の中に植え付けられた思考、情動、それが欲望の形を規定しているとしたら。 社会の基底に、時代時代の駆動力となる「欲望」の形があり、例えば数百年単位で歴史の流れを振り返ってみたときにも、利子という「時が富を生む」という着想が社会に広まり覆うことで世の中が動き始める時代があり、そのうちに重商主義という空間の差異で富を生む時代があって……と、巨視的に時の流れを俯瞰して見れば、今という時代をどう捉えればよいのか? 「ポスト産業資本主義」と呼ばれる現代は、「モノからコト(事)、トキ(時)、イミ(意味)」などと消費の形が変化したとも言われるように、その重心が無形の体験などへと移り、さらに感情、ある意味精神の商品化という状況を生んでいます。工業主体の時代の物の機能などに付加価値がつくわかりやすい経済の構造ではなく、アイデア、想像力/創造力に経済の推進力がかかっているのです。 と同時にそれは、無形の、際限のない差異化の競争も意味するわけで、その構造をメタレベルで認識していないと、ゴールの見えないレースに疲れ、燃え尽きてしまう人も生んでしまいやすい側面を持っているのだと思います。 「欲望の資本主義」の中でも、かつてフランスの知性ダニエル・コーエンによる「現代の社会は、すべての人に創造的であれ!さもなくば死だ!と迫るようなもの、すべての人が芸術家となることを強制する社会は幸せとは言えない」という名文句がありました。 Q:そうした時代に求められる「企画」ということですね。 丸山:欲望のお話をしていると、いつも思い出すのは、モーリス・メーテルリンクの幸せの「青い鳥」です。ある意味、「ないものでねだり」、実は、探さなければいつも近くにいるのかもしれません。 限りない創造のエネルギーを与えてくれるのも、「やめられない、止まらない」と自縄自縛にさせるのも、どちらも欲望の仕業と考えると、実に裏腹な人間の性、業というモノと付き合っていくことの面白さと難しさを感じるわけですが、天使と悪魔に引き裂かれるなか、その綱渡りをどうすべきか、どう考えることで成立させるのか……、「欲望」シリーズの探究が終わらないゆえんです』、「幸せの「青い鳥」です。ある意味、「ないものでねだり」、実は、探さなければいつも近くにいるのかもしれません」、「限りない創造のエネルギーを与えてくれるのも、「やめられない、止まらない」と自縄自縛にさせるのも、どちらも欲望の仕業と考えると、実に裏腹な人間の性、業というモノと付き合っていくことの面白さと難しさを感じるわけですが・・・「欲望」シリーズの探究が終わらないゆえんです」、上手い言い方だ。
・『岩井克人氏による「欲望の貨幣論」  Q:そうした問題意識を反映して、このたび「欲望の貨幣論」も書籍化となりますね。 丸山:「欲望の資本主義」の特別編として2019年7月にお送りした「欲望の貨幣論」の中で、岩井克人さんへの取材、さらに書籍化のために改めてお願いしたインタビューをあわせ1冊の書籍にまとめました。 岩井さんのお言葉に加え、番組内で触れたトピックスについても解説をつけさせていただています。1993年の「貨幣論」以来、岩井さんが取り組んでこられた、欲望の表象たる貨幣への洞察が、仮想通貨=暗号資産、さらにキャッシュレス化などお金をめぐる状況が、デジタルテクノロジーで大きく変化する時代にマッチして語られています。 われわれの「欲望」シリーズの視点ともうまくリンクして、この時代に多くのみなさんに届けるべき内容になったと思います。 Q:あまりテレビではお見受けしない岩井先生が、よくご出演をお引き受けになられましたね。 丸山:それだけ、現在の状況に強い危機意識を持ってらっしゃったのだと思います。経済現象の本質を理論的に追究されるお仕事において研究者として輝かしい成果を上げられたわけですが、そのメッセージを多くの方々に今こそ届けなくてはならないという使命感もおありだったように感じました。 実際、貨幣への過剰な執着と同時に、一方では「お金がなくなる……」といった声もある今の世の中です。いよいよねじれ、錯綜する資本主義を考えるとき、歴史上の巨人たちの葛藤から学べること、まさに岩井さんのように徹底的に本質を考え、あえて抽象度の高い理論を突き詰めていくことで浮かび上がる逆説から学べることも多いと思います。 テクノロジーがすべてを牽引していくこの時代、いっそ「ビッグデータの言うままになるほうが幸せだ」という声もあります。経済の論理が、社会を、世の中の構造を大きく変えていくことを視野に入れていかねばなりません。 そうした時だからこそ、その中心にあって、実はその価値の根拠を誰も明確に捉えきれていないかもしれない貨幣という不思議な存在について、岩井さんの語りととも考える「資本主義最大のミステリー」にご一緒できれば、と思います。 そして、1つのクライマックスは、貨幣はこの人間社会にあって、なんのためにあるのか?その問いへの答えです。そして、それは単に倫理的な答えにとどまるものではなく、実際問題としての信用経済がなぜ危ういのか?という問いへの答えともなっています。ぜひそのあたりを、味わっていただきたいと思います。 そのほかにも、自由を守るためには自由放任とは決別しなくてはならないなどの強いメッセージもいただきましたが、そうした論理がなぜ導き出されるのか?ぜひこうした問いについて、改めて考えるきっかけとなれば、うれしく思います。 Q:実は岩井さんとのご縁は学生時代からだそうですね。 丸山:1985年に世に出た『ヴェニスの商人の資本論』、それ以前からの『現代思想』誌上でのご発言などにずっと触れていた身からすれば、少なからず岩井さんの思考の影響を受けてきたように思います。 他大学の学生でありながら、岩井さんの講義に潜り質問までしたエピソードについても少しだけ本書で触れましたが、こうして35年ぶりに「質問」の答えをいただき、映像で、活字でまとめさせていただくことになるとは、実に数奇な思いがします』、「丸山氏」は、「他大学の学生でありながら、岩井さんの講義に潜り質問までした」、熱心な学生だったようだ。
・『貨幣を通して人間存在の原点を考えるきっかけに  岩井さんの思考はいつも本質的なパラドックスへと導かれるのですが、そのパラドックスは、経済現象にとどまらず、貨幣、言語、法、社会……、そして人間存在の原点についても想いをはせることにつながるように感じます。 このパラドックスとどう付き合っていくべきか?これは、ある意味知的な喜びに満ちたミステリーであり、そこから逆に照射されるのは、実は私たちの意識の持ち方でもあるといつも感じます。そのとき、つねに何らかの「合理的」根拠を求めてしまうことがむしろ足かせとなることもあるのかもしれません。 わからないことをわからないままに付き合っていけるのも実は大事なセンス……、どうぞ、貨幣をきっかけに、市場、資本主義の逆説の謎を真摯に楽しむ旅にご一緒しましょう』、「岩井氏」については、次の記事で詳しくみてみよう。

次に、2月21日付け東洋経済オンラインが掲載した作家・研究者の佐々木 一寿氏による「私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/329400
・『昨今、にわかに盛り上がっているのが「貨幣論」だ。ビットコインやリブラに代表される暗号資産(仮想通貨)、MMT(現代貨幣理論)、キャッシュレス化の流れなどが相まって、貨幣という「ありふれてはいるが不思議なもの」への関心はかつてないほど広まり、また注目度も高まってきている。 こうした状況の中で『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』が上梓された。貨幣の性質の核心を突く研究で知られる岩井氏は、今、“貨幣の本性”をどのように考察しているのか。最新、最前線の「貨幣論」を詳らかにみていく』、興味深そうだ。
・『貨幣とは何か、その不思議な性質  「あなたにとって貨幣(マネー)とは何か?」 この問いは、どんな人にとっても答えにくいものではないか。その答えによって自身の人間性が暴かれるような怖さがあり、それにおいそれと即答することはなかなかできない。 ただ、経済学者であれば「経済学者にとって貨幣とは何か」と読み替えて、よどみなく答えられるかもしれない。 貨幣とは、(1)価値交換、(2)価値測定、(3)価値保存、を行うものである、と。厳密に定義を説明しなくても、おそらく想像はつくだろうが、貨幣の存在によって、経済活動は便利かつ円滑に行うことができる。 貨幣がない物々交換の世界では、欲しいものを持っている人とモノを交換するために人探しから始めなければいけないし、さらには相手が私の持っているモノを欲している必要がある(“欲望の二重の一致”という)(1)。 釣った魚の価値を決めるのに、ほかの小魚の何匹分という測り方よりは、「価格」をつけたほうが便利だろう(2)。 また、将来欲しいものを買うために、物々交換用のモノを蓄えておくのは不便であるから、価値が変わらず腐りもしないコンパクトな金属片や証書のほうが使い勝手がいいに違いない(3)。 それなしの経済を考えることすら難しい、経済活動の根幹を支える貨幣は、しかし不思議な存在でもある。貨幣はなぜ、貨幣として使われうるのか。 『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る』で、岩井氏は「貨幣とは何か」に関しては、一般的に想像される以上に難問なのだと指摘する。とくに、貨幣を“貨幣“たらしめる理由(機能するメカニズム)に関して、経済学者の間ですら今でも意見が分かれるという。 岩井氏の結論としては、人々が貨幣を受け入れるのは、貨幣自体の価値的な根拠ではまったくなく、受け入れられてきた事実性(慣習)と、将来も皆が受け入れるであろうという(漠然とした根拠のない)予期によるものだという。 そして、貨幣に値打ちがあるからという「商品貨幣論」も、法律で定められているからという「貨幣法定論」も、歴史的事実に照らし合わせれば矛盾があると論じる。 つまり、価値にも法的強制力にも依拠しない、「貨幣を誰もが貨幣として受け入れてくれる」という一種の”社会的な思い込み”のみで機能しているというのが「貨幣の本質」だというのだ。 だれに聞いても、「ほかの人が500円の価値がある貨幣として受け取ってくれるから、私も500円の価値がある貨幣として受け取るのです」と答えるだけなのです。だれもが、「ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです」と答えるのです。<中略>思い切って縮めてしまうと、以下になります。 「貨幣とは貨幣であるから貨幣である。」 これは、「自己循環論法」です。木で鼻をくくったような言い回しで申し訳ないのですが、別に奇をてらっているわけではありません。真理を述べているのです。貨幣の価値には、人間の欲望のような実体的な根拠は存在しません。それはまさにこの 「自己循環論法」によってその価値が支えられているのです。そして、この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です。(同書P47) 貨幣は、それを受け入れてくれるだろうという事実性や期待だけで機能している。それゆえに不安定さを本来的に抱えるものであり、みなが受け入れなくなればそれは価値を失ってしまう。 ただ、私たちはそのような貨幣に大きく依存しながら過ごしているし、貨幣がなければ経済は回らない。このことは、潜在的に大きな問題を抱えることになる』、「ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです」、「この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です」、「貨幣は、それを受け入れてくれるだろうという事実性や期待だけで機能している。それゆえに不安定さを本来的に抱えるものであり、みなが受け入れなくなればそれは価値を失ってしまう」、なるほど。
・『貨幣の所有は「最も純粋な投機」  人はなぜお金を欲しがるのか。モノとして役に立たない貨幣は、皆が貨幣として受け入れなくなれば、それ自体はなんの魅力もなくなってしまう。 しかし、私もそうだが、たいていの人はお金がたくさん欲しい。 お金自体を自分で作るわけにはいかないため、いろいろなものの交換で貨幣を得ることになる。土地やモノなどいろいろなものの中に「労働」があり、私たちの労働を貨幣に換える行動がいわゆる「働いて稼ぐ」ことであるが、実は貨幣を所有することは最も純粋な投機なのだと岩井氏は言う(「投機」とは、自分が使うためでなくほかの人に売るために買うこと)。) たとえば、私は大学から給料というかたちでおカネをもらっています。その金額は ここでは述べませんが、それは私が行った教育や研究という仕事の対価です。通常は 商品に関して使う「売り買い」という言葉を、貨幣に関しても使ってみると、私は大学から私の仕事と交換に「おカネを買っている」のです。 <中略>おカネそのものには何の使い道もありません。その使い道のないおカネと交換に、缶コーヒーやTシャツやアパートを手に入れるためです。 <中略>私が今おカネを買うのは、自分でモノとして使うためではなく、将来、ほかの人に売るだけのためなのです。つまり、私はおカネが将来もおカネとしての価値を持ち続けることに賭けて、「投機」しているのです。おカネを使うこと――すなわち、それ自体何の使い道もないおカネをおカネとして流通させるという行為こそ、この世の中に存在する「もっとも純粋な投機」であると言えるのです。(同書P107~108) そして、この「純粋な投機」は、際限のないエスカレーションを起こす。 投機の対象は、自身が消費をするためにあるのではない。つまりそれ自体が欲しいのではなく、将来うまく売れる、つまり交換できそうなものであればなんでもよい。その意味で、最も純粋で象徴的な存在が貨幣である。 貨幣を所有することで、いろいろな可能性を選択できるようになる。無数にある、あらゆる可能性の要不要をすべて検討できないため、貨幣の所有欲は飽和することなく延々と続く。 さらには、今はまだ見えない、遠い将来に出現する便利なものを買うことにも使える。つまり、想像ができないものすら欲望できるのだ。 貨幣は交換のための単なる媒介手段でありながら、それゆえに、皆から果てしなく欲望されるモノとなる(“手段”から、欲望される“目的”へ)。 皆がみな、お金を欲するようになるのはこのような必然がある』、「おカネが将来もおカネとしての価値を持ち続けることに賭けて、「投機」している」、「交換のための単なる媒介手段でありながら、それゆえに、皆から果てしなく欲望されるモノとなる」、確かにその通りだ。
・『貨幣は人々の欲望を本来的に加速させ、不安定にする  皆がお金を欲するようになることで、実は面倒なことが起こってくる。もし貨幣量に限度があったらどうなるか。貨幣の奪い合いや囲い込みが起こり、流通する貨幣量が減少してしまうかもしれない。 これはケインズの主張する「流動性選好」の極端な例としても紹介されているが、詳しくは経済学の金融論に譲るとして、経済活動がとても不安定になりパフォーマンスの低下を招くことが知られている。 そして、一般的なケインズの理解による流動性選好よりもそれははるかに強力なのだ、と岩井氏は示唆をしたいようである。この考察こそが、岩井氏の長年構築してきた経済学が標準的な経済学と一線を画する重要なポイントとなる。 標準的な経済学は、極端な流動性選好はあったとしても一時的なものだと(そのモデルで)主張する。しかし、岩井氏のモデルでは、それがエスカレートしたまま破綻まで進む可能性を示すが(一般均衡理論 vs. 不均衡動学)、ここでは論が専門的になりすぎるため、話を貨幣に戻すことにしよう。 流動性選好(人々はお金を欲望する)によって流通する貨幣量が減ると、経済に大ダメージを与える。これへの処方箋として出てきたのが、“金本位制からの脱却”としての「管理通貨制度」である。 この処方箋はニクソンショックという事実に照らし合わせれば、50年前に出てきた比較的新しいスキームだが、岩井氏はその原型をケインズ(金本位制脱却の代表的な提唱者)と彼よりも前の時代のジョン・ローに見いだしている。 ジョン・ローへの評価が貨幣論、金融論のセンスを分けるといわんばかりの本書の記述は、もちろん一般の読者にもわかりやすく書かれているが、とくに専門家にとって非常に刺激的なものだろう。間違いなく本書の大きな見どころの1つである。 貨幣量の管理は、人々の欲望(自由放任)に任せては不安定になり、ひいては経済が成り立たなくなる。ここでは「神の見えざる手」は存在せず、貨幣量は流動性選好、もっと言えば“人々の欲望”のために、適切に絶妙に供給されなければ経済が回らない。 このような理由で、金本位制からの脱却を評価し、中央銀行の金融政策の必要性を肯定している』、「極端な流動性選好」があっても、「管理通貨制度」により「経済活動」の「不安定」化を防ぐことが可能だが、「貨幣量の管理」には、「「神の見えざる手」は存在せず・・・適切に絶妙に供給されなければ経済が回らない・・・中央銀行の金融政策の必要性を肯定」、「金融政策」の重要性を再認識した。
・『モノの値段が安定する条件  それでもモノの値段は本来的に不安定さを抱えている。その安定性を担保するものは何なのか。 それはある種の“ノイズ”であり、純粋性とは正反対となる“不完全さ”や、ある種の”粘性“といったものだという。ケインズとヴィクセルの名前が出ていることから、おそらく「賃金の下方硬直性」はその1つの例として念頭にあるものと想像する。おそらく経済の専門家であれば、このパートには驚く人もいるかもしれない。このあたりは岩井氏の真骨頂である。 岩井氏によるビットコインへの言及は幅広いが、ここで取り上げるべきは、「数量上限が一定である(増やせない)」という点だろう。これだけではないが、この点を重大だと見てビットコインの通貨としての不可能性を論じている。 仮想通貨に関しては、理論面で長年の考察を行っている岩井氏が奥深い記述をしているので、仮想通貨の運命に興味がある方であれば、ぜひじっくりと読んでみてほしい。 少し専門的になるが、現在の標準的な主流派経済学は「見えざる手」「レッセフェール(自由放任)」を数理的にモデル化して構築されている(新古典派による一般均衡理論)。 そして、新古典派は、均衡モデルが非常に得意であるが(例えば需要と供給のバランスによる価格決定モデル)、実はいわゆる“バブル”の分析を苦手としている。 岩井氏の依拠する数理モデル(不均衡動学)は、金融バブルやそのほかのスパイラル過程をうまく説明する。本書を読んで、株式市場を見るならば、そこでなにが起こっているのかがイメージしやすくなるだろう。金融市場の関係者に本書の読了を私が強くお勧めしたい理由でもある。 そして個人的に感じるのは、岩井氏の、パラドックス的な現象に弱くなってしまった経済学を立て直す作業への意志だ。それが本文の間から漏れ伝わってきて、非常に深い感慨を覚える』、「新古典派は・・・“バブル”の分析を苦手としている」、このため「理論で説明できないのがバブル」などと無責任に定義するしかないようだ。「岩井氏の依拠する数理モデル(不均衡動学)は、金融バブルやそのほかのスパイラル過程をうまく説明する」、大したものだ
・『貨幣論から経済学全体、そして人と社会のありようへ  本書は、貨幣論ではあるが、貨幣の性質から始まり、経済学全体、そして社会と人の歴史・生き方にまで考察が及ぶ。その視座の高さ、スコープの広さには驚かされる。人は自由たらんと欲望を大きくすることで、逆に不自由になってしまうという悲劇なども語られている。 欲する/欲されるの違いはあるにしても、貨幣が貨幣であることと、人が人であることは、そのパラドックスゆえに案外、似ているところがあるのかもしれない。そんなことを思わされてしまう、不思議な人間臭さのある貨幣論なのである』、「人間臭さのある貨幣論」とは言い得て妙だ。

第三に、2月10日付け東洋経済オンラインが掲載した経営共創基盤共同経営者/内閣府デジタル市場競争会議WG委員 の塩野 誠氏による「34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/328937
・『昨年12月に発売された、『ラディカル・マーケット脱・私有財産の世紀』。本書はシカゴ大学ロースクールの教授エリック・ポズナー氏と、マイクロソフト首席研究員でもあり法学・経済学の研究者であるグレン・ワイル氏の二人が世に問うた、クリエイティブな思考実験の塊のような本だ。とくにワイル氏は、プリンストン大学を首席で卒業したのち、平均で5、6年はかかる経済学の博士号をたった1年で取得して経済学界に衝撃を与えた、34歳の若き俊英としてその名を知られた人物である。今回、経営共創基盤の塩野誠氏に、本書について解説してもらった』、「博士号をたった1年で取得」、凄い「天才」もいるものだ。
・『デジタル市場の未来を考える必読書  世の大学に「経済学部」は多く、そこで学んだ方も多いことだろう。しかし、日々の社会生活の中で、自分は大学で学んだ経済学を使いながらビジネスをしている、と断言できる方はそう多くはないのではないだろうか。 この本は、GAFAのデータ独占の問題や、移民問題、機関投資家による市場支配など、昨今話題の幅広い問題を取り上げている。一見、既存の経済学の分析範囲を超えているようにも思えるが、実はこれらの問題は経済学で考えていくことができるし、よりよい答えを導き出せると主張している。経済学を現実の問題に適用してみたいと考える人にはうってつけの本だ。 私はいま、デジタルプラットフォームの透明性と公正性に関して検討する政府関連の会議に出ている。GAFAに代表されるデジタルプラットフォームのデータ独占や公平性・透明性がテーマだが、こうした新しい事象をそもそもどう捉えて、どんなフレームワークで考えるべきなのか、そこから考える必要もあり、考え方の指針となるようなものに関心がある そうした立場から、この本を大変興味深く読むことができた。経済学の考え方を使って社会制度を設計しようと考えている官僚の方々はもちろん、進歩しつづけるITやフィンテックを使って社会課題の解決に取り組もうとしている方々に本書を推薦したいと思う。 では、本書は実際にどのような提案をしているのだろうか。本書が提案する「ラディカル(過激)な改革」の例として私が面白いと思った例は次のものだ。 +都市全体を売りに出す(土地が有効に活用されるようにする) +世の中の全ての財産を共有化して、使用権をオークションにかける(私有財産制をやめてみる) +自分の財産評価を自己申告制にして税金を支払う。より高い財産評価をする人が現れたら所有権が移転する(独占の弊害を取り除く) +投票権を貯められるようにする。そして、自分にとって重要な課題のときに、貯めた投票権を集中的に投票する(一人一票よりも投票者の選好の強さを反映できるようにする) どれも、「それは思いつかなかった!」という声が聞こえてきそうなクリエイティブな政策の数々である。 都市全体を見渡せば、もっとも景観のよい丘の上にスラム街ができていることがある。これでは観光客も呼びにくい。ある人がいったん土地を私有してしまうと、別の人がその土地のより有効な活用を思いついても、それを実現できなくなる。環境問題にとても関心があって、その課題に強くコミットしたい人も、選挙ではそうでない人と同じ一票しか投票できない。 このような事態は非効率ではないだろうか。これは、市場の失敗なのだろうか。より強い公的な介入がなければ、解決できないのだろうか。そうではなく、よりラディカルに市場の力を使うことで状況を改善できるというのがこの本の面白さだ。 では実際どうやって、という疑問が当然わくだろうが、これらの提案には経済学の詳細なロジックが伴っている。そして、読み手が「それはうまくいかないのでは」と思った次の瞬間には、その反論が用意してあるという形で議論が進む。 私有財産制の問題、独占の問題、投票制度の問題などについて、思考が行き詰まってしまった方々には、クリエイティブなアイディアを得るためにぜひ、一読していただきたいと思う』、「「ラディカル(過激)な改革」の例」、は知的な思考実験としては確かに面白い。「思考が行き詰まってしまった方々には、クリエイティブなアイディアを得る」、には参考になりそうだ。
・『「データ労働者組合」を作ろう  近年、GAFAなどのデジタルプラットフォームがその巨大化とともに、ビジネスだけでなく、社会に大きな影響を与えている。そうしたデジタルプラットフォーマーとビジネスや社会でどう付き合っていくべきか、誰にとっても関心のあるところだろう。 本書によれば、フェイスブックが毎年生み出している価値のうち、プログラマーに支払われる報酬は約1%にすぎないそうだ。そして価値の大半は、「データ労働者」であるユーザから無料で得ているのだという(一方でウォルマートは生み出した価値の40%を従業員の賃金に充てている)。 この問題をどう考えればいいだろうか。個人情報の保護を強化しよう、あるいはプラットフォーマーという優越的な地位の乱用を規制しよう、というのが従来的なやり方だろう。 一方本書の著者らは、デジタルプラットフォーマーに供給されるデータはわれわれの「労働」であると説く。となると、われわれは、データ提供という「労働」から対価を得るために、「データ労働者組合」を作ってはどうかという。非常に興味深い概念である。 筆者たちは本書を「ウィリアム・S・ヴィックリーの思い出に捧げる」としている。ヴィックリーとは何者だろうか。 彼は1961年に「投機への対抗措置、オークション、競争的封入入札」という論文を発表した経済学者で、この論文は社会問題の解決に資するオークションの力を示した最初の研究とされる。 ヴィックリーの研究によって「メカニズムデザイン」と呼ばれる経済学の領域が生まれ、彼は1996年にノーベル経済学賞を受賞した。筆者らによると、「ラディカル・マーケット」とは、市場を通した資源の配分(競争による規律が働き、すべての人に開かれた自由交換)という基本原理が十分に働くようになる制度的な取り決めであり、オークションはまさしくラディカル・マーケットだと言う。 ラディカル・マーケットというメカニズムを創造するために、新しい税制によって私有財産を誰でも使用可能な財産とすることや、公共財の効率的市場形成についても本書では詳述される。 なかでも移民労働力についての章では、「ビザをオークションにかける」や「個人が移住労働者の身元を引き受けるという個人間ビザ制度」というアイディアも出てくる。こうした移住システムに関するアイディアは、今後の日本にとっても、従来なかった新しい風景の見える思考実験として興味深いのではないだろうか』、「ラディカル・マーケット」とは面白そうな概念だ。
・『効率的な資源配分のために私有財産制をやめる  本書で筆者らが一貫して主張するのは、私的所有は効率的な資源配分を妨げる可能性がある、ということである。工場設備であれ、家庭内のプリンターであれ、個々に私的所有されているがゆえに不稼働となっているような、非効率なモノは多数存在する。 昨今、先進諸国の若者、いわゆるミレニアル世代のトレンドは「モノより経験」となっていることも後押しになって、車や家のシェアリングエコノミーがデジタルテクノロジーの進展とともに進んでいる。 こうした最先端のサービスでなくとも、古くは美術館の高価な絵画は公共財になっているために、市民が時間ベースで使用(鑑賞)することが可能となっていた。筆者たちの主張は過激かもしれないが、ビジネスにおいてもサブスクリプションはトレンドであり、ヴィックリーが生み出したオークションの概念は通信インフラの電波オークションからインターネットのアドテクノロジーまで世に浸透しているのだ。 グローバルな格差の拡大、成長の鈍化の中で資本主義に代わる選択肢が不在のなか、本書のクリエイティブで骨太なアイディアは読み手の思考方法をラディカルにすることだろう』、「効率的な資源配分のために私有財産制をやめる」、とは驚かされたが、「シェアリングエコノミー」、「サブスクリプション」の進展などを考慮すると、一考の余地がありそうだ。

第四に、10月10日付け東洋経済オンラインが掲載した経済評論家の山崎 元氏による「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの」の4頁目までを紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/380732
・『新型コロナで明け暮れた2020年も10月となり、4月をスタートとする年度ベースでは第3四半期、西暦ベースでは第4四半期に入った。そろそろ世の中が落ち着くかと思えば、まったくそのようなことはなく、1日には東京証券取引所の取引がシステムトラブルによって終日停止した。そして、翌10月2日の日本時間の午前中にはアメリカのドナルド・トランプ大統領が新型コロナウイルスに感染したという、冗談のようなニュースが飛び込んできた』、「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか」、との挑戦的なタイトルに惹かれて紹介した次第だ。
・『うそのような10月なのに「市場は案外しぶとい」  東証の売買停止とトランプ感染に直接的な関係はないが、トランプ感染は株価に影響のある(日経平均はしばし急落した)イベントだったので、2日の取引が始まってからのニュースで、東証はほっとしたことだろう。 もしニュースが取引の開始前であれば、「前日手仕舞いができなかったので、こんなに損をした」というクレームの数とサイズがずっと大きかったはずだからだ。予想外なイベントが続いたが、その後の経済と市場は案外いつもと変わらない印象で動いている。経済と市場は「案外しぶとい」ものだという感を強くする。 本欄の筆者であるオバゼキ先生(小幡績氏)の前回の原稿「日本人はドコモの高い携帯料金に甘んじている」によると、大統領選挙までかんべえ先生(吉崎達彦氏)が毎週原稿を書くとよく、2021年にバブルが崩壊したらオバゼキ先生が毎週本欄を書くのがいいらしい。私は「招かれざる筆者」のようなので(笑)、執筆機会があるうちに書きたいことを書いておこう。 3流プロレスの筋書きを予想するがごとき「トランプの次の一手は?」的な当面の話をしばし離れて、資本主義の今後について考えてみる。 このテーマについてオバゼキ先生のファンは、先生の新著『アフターバブル近代資本主義は延命できるか』(東洋経済新報社)を是非読んでほしい。賛否いずれの立場の読者にとっても、「ぼんやりとした感想」を許さない、刺激に満ちた力作だ。 筆者は、昨今のいくつかの「資本主義批判」が気になっている。現状を資本主義だとして、このままの形で守りたいわけではないのだが、議論が急所から外れている点の居心地が悪いのだ。 気鋭の若手論者の書籍を2冊読んだ。白井聡『武器としての資本論』(東洋経済新報社)と斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書)だ。両著はテイストが大きく異なるが「考えながら再読して楽しい」類いの良書で共にお勧めできる。 白井氏は「永続敗戦論」で示した、日本が所詮アメリカの子会社のような存在でしかない現実を的確に指摘していた点で小気味よい議論を展開した方だ。 直近を振り返ると「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げていた安倍前政権が、徹底的な対米追従を指向していて実は最も「戦後レジーム的」だったのは皮肉だった。「親会社」の社長的存在であるトランプ大統領に対して徹底的に機嫌を取る努力をした安倍前首相は、子会社の社員たる日本国民に対して、彼にできる最善の努力をしたのだろう。 一方、斎藤幸平氏は、最近人気の哲学者マルクス・ガブリエル氏へのインタビューなどでも注目されており、またカール・マルクスの研究者として、マルクス晩年の思索についてこれまで知られていなかった(少なくとも筆者は知らなかった)刺激的な文献解釈を発表している』、実務家の「山崎氏」が「資本主義」をどう料理するのだろうと懸念したが、「気鋭の若手論者の書籍を2冊読んだ」というので納得した。「「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げていた安倍前政権が、徹底的な対米追従を指向していて実は最も「戦後レジーム的」だったのは皮肉だった」、同感だ。
・『資本主義と経済成長を捨てるべきか?  白井氏が激賞している斎藤氏の著作の議論を追うと、そこには先鋭的な資本主義批判がある。 詳しくは斎藤氏の著作に当たってほしいが、同氏は気候変動問題の決定的重要性を説く。地球環境の問題を考えると、環境投資での経済成長を説く「グリーン・ニューディール」(同書の呼び名は「気候ケインズ主義」)も、環境技術の発達に期待するジオエンジニアリングも、経済政策としてのMMT(現代貨幣理論)も、「危機を生み出している資本主義という根本原因」を維持しようとしている点でダメなのだという。 「経済成長と気候変動問題が両立すると考えること」がそもそも甘いのだと指摘し、資本主義は経済成長を求めるので、「資本主義と経済成長を捨てた経済社会運営が必要だ」と主張している。こちらもなかなか小気味いい書きぶりだ。  経済成長と気候の関係については研究と議論の余地があるとしても、この本の議論の中で筆者が気になったのは、「資本は無限の価値増殖を目指す」(「が、地球は有限である」と続く。p37)という「資本」に対する見方だ。「無限の経済成長を目指す資本主義」(p118)、「資本とは、絶えず価値を増やしていく終わりなき運動である」(p132)といった表現もある。白井氏の著書にも「増えることそのものが資本の目的なのです」という言及がある。 同じ前提に立つ「違和感のある議論」の別バージョンとしては、人口減少などで経済成長に限界が生じるので、あるいは新興国の経済発展によって成長のために搾取できるフロンティアが減ったので、資本主義は早晩行き詰まるといった種類の議論もあった(10年くらい前の、民主党政権時代にはやった)。 いずれにあっても、「資本」はつねに増殖を目指すので、経済成長がないと資本主義は立ちゆかないということが前提とされた議論だ。しかし、果たして、「資本」とは、経済成長を「食料」として無限に大きくなろうとする一個の生き物のような存在なのだろうか』、どうなのだろう。
・『「単なるお金」としての資本  資本主義に対する批判者あるいは悲観論者は、「資本」がそれ自体の意思を持って動く抽象的でも具体的でもある単一の生命体のように思っているのではないか。まるで、資本という怪物がいるかのようだ。 しかし、彼らは、資本が単にその所有者が自由に処分できる「お金」にすぎないことを忘れている。資本のサイズは、消費とのバランスを比較しつつ、生身の経済主体がこれを決定する。 資本の具体的な形は、企業の設備だったり、無形の権利の価値だったり、運転資金だったりするのだが、資本家はこれらを少なくとも部分的には換金して処分できるので、資本はおおよそお金として機能する。そして、資本家は単なるバカではない。投資の収益の見通しやリスクの判断によって、自分の財産をどう使うかを決定する。 資本家は、自分が資本から得た利益を、再投資し続けることもできるが、消費してしまうこともできる。売り上げの減少が予想されるなら、設備への更新投資を減らすこともできる。いい投資機会がないと判断するなら、物を買うなり、飯を食うなり、目立つために使うなり、「GO TO 蕩尽!」が可能なのだ。ついでに言うと、人口減少経済では、資本家の人口も減少することを考えに入れておこう。 株式会社は、持っている資本を、いい投資機会があれば再投資すればいいし、リスクに見合う投資機会を見つけられなければ配当なり、自己株買いなりで株主に返すことができる。 投資される資本の量は資本家の判断によって調節可能なのだ。仮に、企業活動の環境に対する悪影響に対してかなり高いコストを支払わなければならないとすると、あるいは今後の経済が成長する見通しがないとすると、企業はビジネスを縮小して株主にお金を返すことを選択できる。 ついでに株式投資の話をしておくと、経済が成長する見込みでなくても、その予想が反映した株価が形成されていれば、株式投資ではリスクプレミアムを得ることができる仕組みになっている。 こと環境に関しては、経済全体として、環境コストの負担が正しくビジネスに課金されるなら、投資は当面縮小するかもしれない。しかし、その場合でも、資本は「リスクに見合うリターン」があると資本家が判断したビジネスに投資され、その投資の大きさは調整されるはずだ。もちろん資本家は「強欲」でありうるが、強欲な経済主体がつねに無謀なギャンブラーである訳ではない。金持ちは案外冷静だ(「金持ち喧嘩せず」と言うではないか)。 斎藤幸平氏の著書で、自身が提唱する「コモン」に関連して「ひとまず、宇沢弘文の『社会的共通資本』を思い浮かべてもらってもいい」とひとことあっさりと触れられているので、宇沢弘文『社会的共通資本』(岩波新書)を見ると、「地球環境」の章で定常状態と経済発展はジョン・スチュワート・ミルが可能であることを示しているとの言及がある。「安定的な経済的条件のもとでゆたかな、人間的社会が具体化されている」(p221)とある。 同書は、農業、国土のインフラ、都市、教育、医療、金融、地球環境などを「国家にも市場にも明け渡してはならぬ」となかなか格好のいい主張を述べる。社会的共通資本として専門的知見を踏まえてコミュニティーが管理すべきだというのだが、斎藤氏も宇沢氏も、現実的にワーク(機能)しそうな意思決定と社会運営の方法を提示しているとは言いがたい。 ちなみに、宇沢氏が著書で地球環境問題での対策として圧倒的に推しているのは「炭素税」だ。グローバルな貧富の差を調節するために1人あたりの国民所得に比例的に調整された炭素税を課税するといいというアイデアは納得的だ。これは、環境に対する費用を内部化することによって、資本主義を機能させようとする考え方だ。尚、ここで、「資本主義」とは、「私有財産の自由な売買に基づく競争システム」(F.A.ハイエク『隷従への道』から)といった程度の意味だ』、「経済が成長する見込みでなくても、その予想が反映した株価が形成されていれば、株式投資ではリスクプレミアムを得ることができる仕組みになっている」、とするが、マイナス成長経済の下では、期待収益率もマイナスとならざるを得ず、「株価形成」は困難になるのではなかろうか。プロの「山崎氏」なので、間違うことはないとは思うが、気になるところだ。
・『資本主義が問題なのではなく「使い方」が問題  今の日本では、社会的同調圧力を使った疑似社会主義的計画経済がしばし可能なのかもしれないが、新古典派経済学を激烈に批判した宇沢氏も計画経済を推しているわけではない。 専門家の知見とメンバーの熟議を経て「エッセンシャルな活動」を実現すべくコミュニティーを運営すると考えても、例えば、食料・医療は「エッセンシャル」だろうが、何をどの程度望むかは人によるし、数多ある分野の財やサービスに関して資源や労働の配分に関する「計画」の合意を形成する手続きは容易ではない。ビッグデータと計算機を使うとしても、結論の選択プロセスは独裁的なものに近づくのではないか。 個人の自由な選択の余地を残しながら、資源配分や生産活動を決定する仕組みとしては、先のハイエク的な意味での資本主義を使うのが、現実的で且つメンバーにとっても納得感がある方法ではないか。 結局、「資本主義」が問題なのではなく、その使い方が問題なのだろう。 もちろん、現在のままの資本主義がいいと言っているのではない。「炭素税」のように環境に対するコストを内部化する仕組みは是非必要だし、例えば大規模なベーシックインカムの導入を行って、弱者に優しい経済と資本主義的経済選択を両立させようとする「もっと優しい資本主義」が可能なはずだ。 ポンコツではあっても資本主義を手直しながら使うのが現実的な経済運営なのではないかという平凡な結論に行き着いた。資本主義は、結構しぶとい(本編はここで終了です。次ページは競馬好きの筆者が週末のレースを予想するコーナーです。あらかじめご了承ください)』、「ポンコツではあっても資本主義を手直しながら使うのが現実的な経済運営」、そうであればいいが、前述の「株価形成」が引っかかる。紹介するのを止めようかとも考えたが、マーケットに近い人間の見方として、やはり紹介する意味はあると考えた次第である。
タグ:資本主義 東洋経済オンライン 山崎 元 マルクス・ガブリエル 佐々木 一寿 丸山 俊一 (その4)(貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る、私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」、34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える、ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの) 「貨幣という「資本主義最大のミステリー」に挑む 「欲望」の時代の「哲学と資本主義」の謎を探る」 欲望が欲望を生みだす資本主義の先に何があるのか NHK経済教養ドキュメント「欲望の資本主義特別編欲望の貨幣論2019」 『岩井克人「欲望の貨幣論」を語る「欲望の資本主義」特別編』として書籍化 「欲望の時代の哲学2020」で問われるもの 社会と個人、意識と無意識、時代の生む物語 「欲望」は時代によって形を変えてきた 岩井克人氏による「欲望の貨幣論」 貨幣を通して人間存在の原点を考えるきっかけに 「私たちが貨幣に翻弄され「罠に落ちる」根本理由 経済と人間の本質を描ききる「欲望の貨幣論」」 貨幣とは何か、その不思議な性質 ほかの人が貨幣として受け取ってくれるから、私も貨幣として受け取るのです この「自己循環論法」こそ、貨幣に関するもっとも基本的な真理です 貨幣の所有は「最も純粋な投機」 貨幣は人々の欲望を本来的に加速させ、不安定にする モノの値段が安定する条件 貨幣論から経済学全体、そして人と社会のありようへ 塩野 誠 「34歳天才経済学者が私有財産を否定する理由 データ搾取から移民までラディカルに考える」 『ラディカル・マーケット脱・私有財産の世紀』 デジタル市場の未来を考える必読書 「データ労働者組合」を作ろう 効率的な資源配分のために私有財産制をやめる 「ポンコツの資本主義は完全に「オワコン」なのか うそのような10月のあとに待ち受けているもの」 うそのような10月なのに「市場は案外しぶとい」 資本主義と経済成長を捨てるべきか? 「単なるお金」としての資本 資本主義が問題なのではなく「使い方」が問題
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