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教育(その21)(「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪、「うがい薬買い占め」で露呈する 日本の学校教育の致命的欠陥、経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは) [社会]

教育については、7月5日に取上げた。今日は、(その21)(「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪、「うがい薬買い占め」で露呈する 日本の学校教育の致命的欠陥、経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは)である。

先ずは、7月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した心理学博士、MP人間科学研究所代表の榎本博明氏による「「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/243352
・『今、教育の現場では、あらゆる学習において、社会に出てからの実用性を重視する実学志向が強まっている。だが、基礎知識や教養、物事を深く考える習慣を身につけさせないのであれば、先の読めない変化の激しい時代を柔軟に生きることは困難だ。『教育現場は困ってる――薄っぺらな大人をつくる実学志向』(平凡社新書)の著者・榎本博明氏は、学校教育の在り方に警鐘を鳴らす。今回はシリーズ2回目で、日本の教育界が推奨してきた「アクティブ・ラーニング」について問題提起する』、興味深そうだ。
・『教育界に広がる誤ったものの見方  従来の講義形式の授業は、知識の伝達をするだけで、学生を受け身にさせてしまっているという見方が教育界に広まり、アクティブ・ラーニング(グループディスカッションやメンバーの前での発表など能動的な活動をふんだんに取り入れた学習スタイル)が推奨されるようになってきている。 しかし、一方では、アクティブ・ラーニングの広がりによって、学力の低下が懸念される事態が生じ、「活動あって学びなし」といった批判が出たり、学習意欲の高い学生が不満を持ったりしているのも事実だ。 それはアクティブ・ラーニングの具体的なやり方がまずいからだといった議論もあるが、そもそも「講義形式の授業がアクティブな学びの妨げになる」という前提に誤りはないだろうか、と榎本氏は警鐘を鳴らす。では、実際に、学生はどのように感じているのだろうか。それを考えるにあたって、榎本氏が行う講義形式の授業を聴講した学生を対象に大学側が行った授業評価のコメントをみてみよう。 ●「先生の説明がとてもわかりやすく、集中して取り組むことができました。パワーポイントなしの授業に集中できるので、私自身とてもやりやすかったです」 ●「『心理学』をただ形式的に、テキストに沿ってやる、というのではなく、先生の思いや熱意が感じられるとても良い授業でした。体調的には万全ではありませんでしたが、それを忘れてしまうほど楽しく面白かったので、あっという間に授業時間が過ぎました」 ●「心理学と聞くと、どこか『あやしい』『いんちきくさい』と思っていましたが、先生の講義を受け、まったく違うものだったと認識しました。受講できてよかったです」 ●「教員の熱意が感じられ、問題の本質に気づけた」 ●「内容がわかりやすく、大学らしい内容で、学ぶ喜びを味わうことができました」 ●「先生の経験をユーモアたっぷりに話してくれたので、楽しく受講できた。心理学を深く学びたくなった」 ●「とてもわかりやすく、心に刺さることばかりでした。もっと専門的な部分を学んでいくべきだということに気づくことができました」 ●「率直な言葉と人柄で進んでいく講義はとても興味深く、もっと学びたいと心より思いました。友だちを作りに来ているのではなく、学びに来ているので、他の教科のようにグループワークが多くないのも、限られた時間を最大限に活用できたと思いました」』、「榎本氏が行う講義形式の授業を聴講した学生を対象に大学側が行った授業評価のコメント」、はいずれも高く評価するもので、通常はいくつか出てくる低い評価がないのは不自然な印象だ。
・『講義こそアクティブな学びの場には最適  このような学生たちのコメントをみても、「楽しい授業」の条件として、「わかりやすい」ということが必要不可欠だとわかるだろう。「わかること」によって授業や先生に対して心が開かれていく。 それと同時に、このようなコメントをみると、学生は「わかりたい」という思いを強く持っていることがわかる。その思いが満たされることで、「集中して取り組むことができた」「あっという間に授業時間が過ぎた」「問題の本質に気づけた」「学ぶ喜びを味わうことができた」「自分から学ぼうと積極的に取り組めた」ということになる。このような学生のことを受動的だといえるだろうか。能動的に学んでいないだろうか。 教科書を読んだだけではわからないことがわかって、授業によって理解が深まる。これまでわからなかったことがわかるようになる。そのようにして自分の成長や熟達を感じることが、「授業が楽しい」「この教科の勉強が楽しい」という思いを生み、「もっと学びたい」「深く学びたい」といった意欲を生み出していく。 「今後も理解を深めて知見を広げたい」「今後も深く学びたい」「心理学を深く学びたくなった」「もっと専門的な部分を学ぶべきだということに気づくことができた」「もっと学びたいと心より思った」などといった言葉に表れているように、講義をきっかけに授業外の時間に能動的・主体的に学ぶ意欲が湧くのであれば、その講義はアクティブな学びの場になっていると言うべきだろう』、その通りなのだろう。
・『「能動的・主体的」に学ぶかどうかは、学生と教員の相互作用  こうしてみると、能動的・主体的に学んでいるかどうかは、講義かグループ活動かといった授業形式によって決まるのではなく、学ぶ側の心の姿勢によることがわかるだろう。 学生側の知的好奇心が強かったり、その学びを自分の生活に生かしたいといった思いが強かったりすることが、能動的・主体的な学びが生じる条件の一つといえる。いくら知的好奇心を強く刺激する授業であっても、学生の側に学びたいという思いが乏しい場合、なかなか能動的・主体的な学びの場になっていかない。 その場合は、できるだけわかりやすい授業にしようと工夫することで、学生のなかに眠っている「わかりたい」という思いを目覚めさせることが必要となる。わからないことがわかるようになるのは、誰にとってもうれしいことであり、もともと誰もが「わかりたい」という思いを持っているはずなのだ。ところが、わからない授業を数限りなく経験することで、「わかりたい」という思いが抑圧されてしまっていることが少なくない。 学生の側にいくら学びに対する積極的な姿勢があったとしても、教員の側に知的好奇心や自分の生活に生かしたいといった思いを満たす力量がなかったり、学生の心を刺激したいという情熱が乏しかったり、授業の形式が学習者の知的好奇心を満たすものでなかったりすれば、能動的・主体的な学びにはなっていかない。ゆえに、「能動的・主体的な学び」というのは、学生と教員の相互作用によって生み出されるものといえる。 何が何でもアクティブ・ラーニングとして推奨されるグループ活動を盛り込んだ授業形式を取り入れよう、といった空気が教育現場に蔓延しているが、ちょっと立ち止まって考えてほしい。グループで学習するより単独で学習する方が学力が高まるといったアメリカの調査結果を安直に見ているし、そもそもアクティブ・ラーニングということが叫ばれるようになったのは、アメリカで大学進学率が50パーセントを超え、講義を理解できない学生が出てきたことがきっかけだ。放っておいても能動的・主体的に学ぶ姿勢のある学生には、講義形式で密度の濃い授業を行うようなことがあってもいいだろう。 ◆本コラムの著者・榎本博明氏の新刊が発売中! いま、教育の現場では、英会話を小学校から始めるようになったり、2022年度から、高校の国語の授業で契約書の読み方を学ばせるなど、あらゆる学習において実用性を重視する実学志向が強まっている。 だが、社会に出てほんとうに役に立つ教育には何が大切か、いま一度、立ち止まって考える必要があるのではないか。このままでは、変化の激しい時代に柔軟に生きるのは困難になるだろう。 教育界の現状や教育改革の矛盾を指摘し、学校教育の在りかたに警鐘を鳴らす』、「わからない授業を数限りなく経験することで、「わかりたい」という思いが抑圧されてしまっていることが少なくない」、大いにありそうなことだ。「アクティブ・ラーニングということが叫ばれるようになったのは、アメリカで大学進学率が50パーセントを超え、講義を理解できない学生が出てきたことがきっかけだ」、初めて知った。

次に、8月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「「うがい薬買い占め」で露呈する、日本の学校教育の致命的欠陥」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/245187
・『今度は「うがい薬」に殺到 なぜ真に受ける人が多いのか  「免疫力をアップさせてコロナに効くらしい」と、品薄になった納豆に続いて、今度は「うがい薬」が店頭から消えてしまったようだ。 大阪府の吉村洋文知事が、府内の新型コロナ患者にポビドンヨード入りうがい薬を使用したところ、唾液からウイルスが検出される人が減ったと発表したことを受けて、もはや風物詩になりつつある「買い占め」が起きてしまったのである。 パニックぶりは、ドラッグストアだけにとどまらない。メルカリでは「うがい薬」が高額転売されたほか、うがい薬の製造販売をしている明治ホールディングスの株価は年初来高値を叩き出した。この調子でいけば、「コロナウイルスを撃退!ポビドンヨード入りサプリメント」などという怪しげな健康食品が登場するのも、時間の問題だろう。 という話を聞くと、「なんでこんな話を真に受ける人がいるの?」と首をかしげる方も少なくないのではないか。 発表直後から、テレビでは研究者が登場して、「対象としている患者数が少なくて医学的根拠にならない」とバッサリやっている。ネットやSNSでも同様に懐疑的な声が多く、吉村知事に対しても「不確かな情報でパニックを煽っている」とボロカスだ。 にもかかわらず、ドラッグストアへ駆け込んでうがい薬を買い求めるというのは、いったいどういう気持ちなのかと、なかなか理解できない人も多いはずだ。 もちろん、シンプルに転売目的の人もいるだろう。が、転売の難しい納豆も似たような情報が流れたことで品薄になったことを踏まえると、世の中には「これがコロナに効くらしいよ」という話をノンフィルターで受け入れるピュアな人たちも、かなりの割合で存在しているのは間違いないのだ。 では、なぜこんなことになってしまうのか。経済分野のエラい先生などは、「本当に効果があるとわかったときに入手できないと困るから、とりあえず買っておくか」という、ゲーム理論に基づく消費者の自然な行動だという。また、日本人は権威に弱いので、公的な立場の人間が言うことは無条件で信頼する、と説明する人もいる。 どの説明も「なるほど」と納得できる一方で、もう1つ大きな要因があるのではないかと考えている。 納豆が効くと聞いてワッと飛びつき、うがい薬が効くと言われると買い漁り、という感じで、いともたやすく操れる人が多いというのは、我々日本人が、そういう教育を受けてきたからではないのか。 つまり、幼いころから「偉いセンセイの言っていることは素直に信じましょう」としつけられてきたので、知事自身が「ウソみたいな本当の話」と前置きするような眉唾な話でも、素直に信じてしまう人が多いのではないか、と申し上げたいのだ』、確かに「日本人」は権威に弱いとも言われている。
・『OECDの調査から見て取れる明らかに非常識な日本の教育  「そんなムチャクチャな暴論こそ信じられねえよ」と冷笑する人も多いだろうが、経済協力開発機構(OECD)が、48カ国・地域の小中学校段階の教員を対象に行った『国際教員指導環境調査2018』(TALIS 2018)の中には、日本の教育についてクスリとも笑えないシビアな現実が指摘されている。 48ヵ国の教員たちが実践している指導の中で、「批判的に考える必要がある課題を与える」という項目がある。批判といっても、クレーマーのように無理筋のイチャモンをつけるのではない。目の前に提示された話をハイハイと鵜呑みにするのではなく、客観的事実に基づいてゼロベースで論理的に考える力をつける、という立派な教育だ。 このような指導をしていると回答した教員の割合は、やはりというか欧米豪が高い傾向があり、アメリカは78.9%、カナダ(アルバータ)は76%、イギリス(イングランド)は67.5%、オーストラリアは69.5%となっている。 ただ、他の国もそれほど低いというわけではなく、アジアではシンガポール54.1%、台湾48.8%、韓国44.8%。イデオロギー的に国民の体制批判に敏感な中国(上海)でさえ53.3%、ロシアも59.7%なっており、48カ国の平均でみると61%だった。 このOECD調査から浮かび上がるのは、子どもたちに対して、「なんでもかんでも言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で論理的に考えてみなさい」と教育するのは、社会や文化に関係のない「世界の常識」ということだ。 が、この常識に頑なに背を向けて、我が道をつき進む国が1つだけある。そう、我らが日本だ。先ほどの調査で47の国・地域が40〜87%の範囲におさまっている中で、なんと日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低いのである。 ちなみに、これほどではないが、日本の教員がほとんど実践しない指導がもう1つある。「明らかな解決法が存在しない課題を提示する」という項目だ。48ヵ国平均が37.5%という中で、日本は16.1%。下にはチェコやリトアニアという旧共産圏の国しかなく、ビリから3番目だ。 つまり、我々は何かにつけて、「ここまで識字率が高くて、レジでもお釣りの計算を間違えない国民が多い国は他にない」などと日本の教育レベルの高さを誇るが、実は一方で、世界のどの国でも当たり前にやっている「複雑な問題を先入観ゼロで自分の頭で考える」ということを子どもに教えない、ダイナミックな教育理念を持つ国だったのである』、「子どもたちに対して、「なんでもかんでも言われたことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で論理的に考えてみなさい」と教育するのは、社会や文化に関係のない「世界の常識」ということだ。 が、この常識に頑なに背を向けて、我が道をつき進む国が1つだけある。そう、我らが日本だ。先ほどの調査で47の国・地域が40〜87%の範囲におさまっている中で、なんと日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低い」、中国やロシアよりも低いというのが衝撃的だ。日本では校則の押し付けなど権威主義的なやり方が教育現場に蔓延している。しかし、教育界にとっては、不都合な事実なので無視されているのだろう。
・『「ゼロから調べるレポート」で宿題の存在意義を調べてはいけない不思議  そう言われてみれば、皆さんも身に覚えがあるだろう。小中高の授業で先生から、「世の中で当たり前となっていることを疑ってみる」というようなことや、「そもそもなぜそんなルールがあるのか」などということを考えさせられたという経験のある人は、かなり少数派ではないか。もちろん、それは最近の学校も変わらない。 少し前、知り合いの子どもから非常に興味深い話を聞いた。その小学校では、夏休みの宿題として、自分が興味を持ったことをゼロから調べてレポートにするという課題が出された。テーマは自由で、「なんで地球は丸いのか」ということから、「なぜ戦争がなくらないのか」というような壮大なものまで、興味を持てばなんでもいい。レポートは休み明けに、クラスのみんなの前で発表する。 そうした教師の説明を受けて、盛り上がる子どもたちの中で1人がこんなことを言い出した。 「じゃあ、僕はなんで学校には宿題があるのかについて調べます」 しかし、教師は間髪入れず、「はい、そういうのはダメです」とピシャリ。「テーマは自由」だと言いながらも、なぜ学校に行かなくてはいけないのか、校則があるのか、などのテーマはNGだというのである。 確かに、ゼロから考えた結果、「宿題をしなくてもいい」「校則なんてなくていい」という結論になってそれが発表されたら、「学級崩壊」につながるかもしれない、学校のガバナンスが保てないということなのだろうが、この話を聞いて、筆者は先ほどのOECD調査の「12.6%」という数字が頭をよぎった。 なぜ、学校に行かなくてはいけないのか。なぜ、みんなで同じ制服を着て、髪型まで決められなくてはいけないのか。そもそも、勉強というのは何のためにするのか――。みなさんも子ども時代、一度は考えた素朴な疑問だろう。本来、人が学ぶのは、このような明確な答えが出ない難題に対して、自分なりの答えを探すためである。 教師は子どもたちとこういう疑問について話し合い、学校に行く意義や、集団生活でルールを守ることの大切さ、「学ぶ」ということが何かということを、一緒に考えていかなければいけない。が、多くの小中学校ではそういう根本的な議論は避けられている。文科省の指導要綱で決められたことをしっかりと子どもたちに叩き込むことが「教育」であって、現行のシステムに疑問を持たせるようなことは、むしろ教育の妨げという扱いなのだ』、同感である。
・『「素直な子ども」はルールを守る「素直な大人」になる  それをうかがわせるような話が、先日の『日本経済新聞』に載っていた。常葉大学の紅林伸幸教授らの研究チームが、教員を目指す学生が大学の教職課程で4年間どう学び、どんな意識を形成していくのかを調べたところ、卒業に近づくほど授業技術のウェイトが増し、社会の広い関心、友人や社会との繋がりを議論するような体験が減少したという。ここから紅林教授は、以下のような結論を出した。 《日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている》(日本経済新聞2020年8月3日)) とにかく日本では、決められたことを決められた期間内にきっちりと教えるのが、「良い教師」というわけである。こういう教師が量産されて、全国の教育現場に配置されれば、現実を批判的に捉えて独創的に工夫するのではなく、学校や親が語ることを肯定して、文句ひとつ言わずに従う「素直ないい子」が大量に育つ、というのは容易に想像できよう。 実はこのあたりが、眉唾な情報やデマを鵜呑みにして買い占めに走るようなピュアな人が、日本に多い原因なのではないだろうか。「素直ないい子」が成長すれば「素直な大人」になる。彼らは、「決められたルール」に従うのがデフォルトなので、自分の頭で考えて動くことができない。そうなると、テレビに出ている有名人や、政治家や役所が言うことを素直に信じて、素直に行動に移すしか道はないのだ』、「日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている」、恐ろしいことだ。戦前の軍国教育、戦後の民主教育も「素直な」国民の行動が可能にしたのだろう。
・『規律正しい国民性には排他性という負の側面も  べつにディスっているわけではない。幼い頃から、「現実を批判的に捉えて独創的に工夫する」という教育を受けたこともないので、無理をしているわけではなく、それが当たり前なのだ。 与太話に付き合い切れないと思う方も多いかもしれないが、日本という国が世界の中でもかなり「異常」な教育を子どもたちに施しているのは、動かし難い事実だ。 もちろん、物事には必ず良い面と悪い面がある。国民みんながマスクをしたり、いきなりスーパーでレジ袋を使わなくなくなったりという「世界一規律正しい日本人」は、個々に「批判的思考」を教育していないからこそ、実現できているのかもしれない。 しかし一方で、この全体主義的教育が「社畜」という個を殺して組織に奉公するというスタイルや、「みんなと同じことをしない人間」への強烈な憎悪、イジメ、差別を生んでいるという負の部分もある。 ちなみに先ほどの調査で、48カ国の中で2番目に「批判的に考える」という指導に熱心なのがブラジル(84.2%)だ。新型コロナにかかってもマスクをしないで、「あんなもの風邪みたいなもんだ」とうそぶく大統領がまだそれなりに支持されているのは、国民性云々以前に「教育」によるところも大きいのだ。 ならば、日本で起きている「コロナ差別」や「自粛警察」の根っこにも「教育」があると考えることは、それほど荒唐無稽な話ではない。 「うがい薬が店頭から消えました」と大騒ぎをして終わるだけではなく、なぜこんなにも我々は「扇動」に弱いのか、なぜデマや偏見に踊らされやすいのか、という根本的な原因を、今のコロナ禍を機に、しっかりと考えてみる必要もあるのではないか』、説得力溢れた主張で、大いに参考になった。

第三に、10月14日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの三宅勝久氏による「経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/250748
・『奨学金の借り手に不利な和解条件  9月某日午前10時、東京地裁6階の小さな法廷で、独立行政法人日本学生支援機構が起こした奨学金の取り立て訴訟が開かれていた。被告席に座る不安そうな表情の女性Aさん(20代)を横目に、事務的な口調で裁判官が和解条項を読み上げる。 「被告は原告に金448万7000円を支払う義務がある。ただし令和2年10月から22年4月まで毎月末日までに1万9000円を支払うこととする。支払いを3万円以上延滞した場合は当然に期限の利益を失う」 5~6分で閉廷し、支援機構の弁護士は忙しそうに法廷を去った。Aさんは不安そうな表情で被告席を立った。 Aさんは大学進学の学資として、準備金50万円と月8万円、計434万円を日本学生支援機構に借りた。卒業は2015年春。同年10月から35年9月まで20年をかけて、毎月1万9000円の月賦で返還をする予定だった。しかし、卒業後収入が思うように得られず、2年で行き詰まる。返還猶予が認められ、いったん安堵(あんど)する。 だが卒業5年目の2019年5月、異変が起きる。420万円以上を一括で払えと請求されたのだ。期日到来分と5月分で26万円、加えて将来払う予定の「期日未到来分」が398万円。さらに利息。猶予期間中だと思っていたAさんは当然驚く。 Aさんによれば、支援機構の説明はこうだ。 「猶予は1年だけ。続けて猶予を受けるには手続きが必要だ。Aさんはそれをしていない」 420万円の支払期限まで1カ月弱しかない。払えるはずがなかった。うろたえてもたもたしているうちに訴訟(支払督促)を起こされたといういきさつだ。 冒頭触れたとおり、裁判は分割払いの和解で終わった。一見すると以前と変わらない。だが事情は圧倒的にAさんに不利になっていた。和解条件に「期限の利益」が書き込まれたためだ。 これにより、支援機構は、Aさんが2度続けて延滞した場合、自動的に一括弁済を求めることができるようになった。 将来なんらかの事情で払えなくなって一括弁済になると、延滞金が急速に増える。残元本が300万円なら、300万円に対する延滞金年3%の年9万円、月額7500円以上が加算されていく。 Aさんはこれから20年間、50歳すぎまで「奨学金ローン」を最優先にして払わねばならないという重荷を背負ったことになる。もとはといえば、手続きの不備を理由に返還猶予が認められなかったのが始まりだから、理不尽というほかない』、「猶予は1年だけ。続けて猶予を受けるには手続きが必要だ。Aさんはそれをしていない」、との「支援機構の説明」も、これだけ重要なことをきちんと「説明」したのか不明だ。そもそも「Aさん」側の弁護士についての説明はないが、いたとしても頼りなさそうだ。
・『返還期限の猶予を求めない人は支払能力があるのか?  Aさんのような月々の返済に困っている人に対して何百万円を耳をそろえて払えという繰り上げ一括請求。その法的根拠は、請求書や訴状によれば、日本学生支援機構法施行令5条5項だ。Aさんの事件の訴状から引用する。 「日本学生支援機構法施行令5条5項の定めにより、割賦金の返還を怠った者に対しては、原告が指定する期日までに返還期日未到来分を含む返還未済額の全部を一括して返還させることができる定めである」 返済が遅れたら一括請求されてもやむを得ない――これだけ読めばだれでもそう思うだろう。だが、実はこの「施行令5条5項」の説明は不正確だ。原文はこうだ。 「学資貸与金の貸与を受けた者が、支払能力があるにもかかわらず割賦金の返還を著しく怠ったと認められるときは、前各項の規定にかかわらず、その者は、機構の請求に基づき、その指定する日までに返還未済額の全部を返還しなければならない」 「支払能力があるにもかかわらず」「割賦金の返還を著しく怠ったと認められる」ことが一括請求の前提条件であると明記している。つまり、何百万円もの返済を一括でするだけの財産を持っているのに分割金の返済をしない、そういった特殊な例を想定した条項ではないだろうか。 Aさんは経済的な困窮から月々の返還ができない。支払能力はない。だから本来5条5項の適用は本来できないはずである。なぜこんなことがまかり通るのか。 そもそも「支払能力」の審査をした上で一括請求をしているのか。筆者がかつて日本学生支援機構に取材した際、次の説明が返ってきた。 「以下の理由により、繰り上げ一括請求時に債務者の支払能力の審査は行っておりません。 (中略)こうした再三の督促・連絡を行っても返還や猶予の手続き等がない延滞9カ月以上の者に対して、繰り上げ一括請求を行っております。返還が困難な状況であれば、機構に返還期限猶予の申請等など連絡があると考えられ、連絡も無く延滞状態を継続しているものは、機構としては支払能力があるものと認識せざるを得ず、次の世代の奨学金の原資を確保する観点から、厳しい対応をせざるを得ません」(日本学生支援機構) 長期間連絡がないことが、どうして「支払能力があるものと認識せざるを得ない」ことの根拠になり得るのか。この点については、今回あらためて説明を求めており、回答を待っているところである。 また日本学生支援機構がいう「次の世代の奨学金の原資を確保」するためという理由にも疑問がある。一括請求をすれば未払い元本が一気に何百万円という規模になるので、延滞金(現在は年3%~1.5%)が増える速度も劇的に上がる。分割和解が成立したとしても、月々の返済金は、まず延滞金に充当される。訴訟に要した費用も元本より先に払わされる。一度でも払えなくなれば全額請求されるので、破産によって救済を求める可能性が高くなる。 もし、一括請求をせず、当初の計画どおり分割で払う仕組みであれば、滞りながらでも少しずつ払うことができる。払った金は元本に入る。元本回収にとっても一括請求は百害あって一利なしというほかない』、「返還が困難な状況であれば、機構に返還期限猶予の申請等など連絡があると考えられ、連絡も無く延滞状態を継続しているものは、機構としては支払能力があるものと認識せざるを得ず」、との「支援機構」の説明は余りに乱暴だ。「Aさん」側の弁護士は一体、何をやっているのだろう。
・『ホームページに詳しい説明はなし  日本学生支援機構のホームページを見ると、奇妙なことに気づく。繰り上げ一括請求に関する記述のなかで、それが施行令5条5項に基づく手続きであるとか、「支払能力があるにもかかわらず」長期間延滞した場合になされるといった重要なことが、いっさい出てこない。 長期に延滞したときの対応について、支援機構のホームページは、「延滞が続いた場合、次のような督促を行うことになります」として、「支払督促予告」「支払督促申立」「仮執行宣言付支払督促申立」「強制執行」の4種類の手続きを示しているだけだ。「一括請求」のことは一番目の「支払督促予告」の項で、「利息および延滞金の一括返還を請求する」とごく簡単に触れているにすぎない。 適用法令や条文を明記するなどして、なぜもっと正確に丁寧に書かないのか。支援機構に取材すると広報課は次のように回答した。 「奨学金事業は日本学生支援機構法の規程に基づいて実施している。一方HPではわかりやすい記載を心がけており、関連法令その他の文言をすべてお伝えするとかえって読みづらい。請求や督促の過程で詳細な情報を個別に説明している」 一括請求の内容や根拠規定について触れないほうがわかりやすいというのだ。本当にそうなのか。釈然としない。また、個別に「詳細な情報」を説明しているとの回答についても、「支払能力」のことを知らされなかったAさんの例を見れば疑問がある。 ところで、Aさんのように訴訟になるのは人的保証の場合だが、機関保証で借りている人に対しても、問題視すべき一括請求は使われている。一括請求した後、裁判ではなく、機関保証業務を委託されている公益財団法人日本国際教育支援協会が全額代位弁済し、以後学生支援機構に代わって本人から取り立てている。 日本国際教育支援協会の延滞金は年10%だから延滞金の増え方は支援機構の比ではない。元本が300万円なら年30万円のペースで増える。分割和解が成立しても、例によって「期限の利益」が和解条項に盛り込まれる。いったん払えなくなると全額請求され、ふたたび延滞金が増える。日本学生支援機構が繰り上げ一括請求さえしなければ起こらない事態だ。 保証の種類のいかんを問わず、一括請求がはらむ問題はきわめて大きいと言わざるを得ない。 参考までに、日本学生支援機構の2019年度の貸与金利息収入は約325億円、延滞金収入が約39億円。純利益は48億円。貸付金総額は、同年度期末で約9.5兆円(1種2.8兆円、2種6.67兆円)に上る。また「破産再生更生債権等」は約1123億円。借入先は、一般会計が約2.8兆円、財政融資資金約6.3兆円、民間銀行約2500億円。 一方、機関保証を担う日本国際教育支援協会は、2019年度、約272億円を日本学生支援機構に対して代位弁済し、約40億円を回収している。大半は一括請求の後の代位弁済と思われる。平均300万円と仮定してざっと1000人の代位弁済をした計算になる。機関保証料の収入は約208億円。 筆者が一括請求の問題に気づいたのは2013年の夏であった。以来、明らかに支払能力を欠いた人への一括請求を多数取材し、問題提起をしてきた。だが、支援機構に改善の気配はない。 経済的に困窮する人に繰り上げ一括請求をしたところで、いっそう追い詰め、延滞金を増やし、原資の回収を遅らせるか、不可能にするだけではないだろうか。それでもやめない理由は何か。あるいは、「不良債権」を手っ取り早く切り離し、財務諸表をよく見せたいといった意図でもあるのかと勘ぐりたくなる』、「支援機構」の姿勢は、確かに合理性を欠く。一般の新聞に取上げてもらえば、「支援機構」の姿勢も変わるのではなかろうか。
タグ:教育 日本学生支援機構 榎本博明 ダイヤモンド・オンライン 窪田順生 (その21)(「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪、「うがい薬買い占め」で露呈する 日本の学校教育の致命的欠陥、経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは) 「「活動あって学びなし」教育界が推奨する討論学習・体験学習の功罪」 実学志向が強まっている 教育現場は困ってる――薄っぺらな大人をつくる実学志向 教育界に広がる誤ったものの見方 アクティブ・ラーニングの広がりによって、学力の低下が懸念される事態が生じ、「活動あって学びなし」といった批判が出たり、学習意欲の高い学生が不満を持ったりしているのも事実 榎本氏が行う講義形式の授業を聴講した学生を対象に大学側が行った授業評価のコメント 講義こそアクティブな学びの場には最適 「能動的・主体的」に学ぶかどうかは、学生と教員の相互作用 アクティブ・ラーニングということが叫ばれるようになったのは、アメリカで大学進学率が50パーセントを超え、講義を理解できない学生が出てきたことがきっかけだ 「「うがい薬買い占め」で露呈する、日本の学校教育の致命的欠陥」 今度は「うがい薬」に殺到 なぜ真に受ける人が多いのか OECDの調査から見て取れる明らかに非常識な日本の教育 目の前に提示された話をハイハイと鵜呑みにするのではなく、客観的事実に基づいてゼロベースで論理的に考える力をつける、という立派な教育だ。 このような指導をしていると回答した教員の割合は、やはりというか欧米豪が高い傾向があり、アメリカは78.9%、カナダ(アルバータ)は76%、イギリス(イングランド)は67.5% 中国(上海)でさえ53.3%、ロシアも59.7% 日本だけが12.6%と、ドン引きするほどダントツに低い 「ゼロから調べるレポート」で宿題の存在意義を調べてはいけない不思議 文科省の指導要綱で決められたことをしっかりと子どもたちに叩き込むことが「教育」であって、現行のシステムに疑問を持たせるようなことは、むしろ教育の妨げという扱いなのだ 「素直な子ども」はルールを守る「素直な大人」になる 日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている 規律正しい国民性には排他性という負の側面も なぜこんなにも我々は「扇動」に弱いのか、なぜデマや偏見に踊らされやすいのか、という根本的な原因を、今のコロナ禍を機に、しっかりと考えてみる必要もあるのではないか 「経済的弱者を追い詰める奨学金「繰り上げ一括請求」問題とは」 奨学金の借り手に不利な和解条件 奨学金の取り立て訴訟 。返還猶予が認められ、いったん安堵(あんど)する。 だが卒業5年目の2019年5月、異変が起きる。420万円以上を一括で払えと請求された 「猶予は1年だけ。続けて猶予を受けるには手続きが必要だ。Aさんはそれをしていない」 「支援機構の説明」も、これだけ重要なことをきちんと「説明」したのか不明だ 返還期限の猶予を求めない人は支払能力があるのか? 返還が困難な状況であれば、機構に返還期限猶予の申請等など連絡があると考えられ、連絡も無く延滞状態を継続しているものは、機構としては支払能力があるものと認識せざるを得ず」、との「支援機構」の説明は余りに乱暴だ ホームページに詳しい説明はなし 「支援機構」の姿勢は、確かに合理性を欠く。一般の新聞に取上げてもらえば、「支援機構」の姿勢も変わるのではなかろうか
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