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人生論(その6)(“もてる能力”を集中させることで 「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】、プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道、新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ) [人生]

人生論については、9月6日に取上げた。今日は、(その6)(“もてる能力”を集中させることで 「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】、プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道、新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ)である。

先ずは、9月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した東京大学工学系研究科IoTメディアラボラトリー ディレクターの西 和彦氏による「“もてる能力”を集中させることで、「凡才」は「天才」に勝てる【西和彦】」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248048
・『「あの西和彦が、ついに反省した!?」と話題の一冊、『反省記』(ダイヤモンド社)が出版された。マイクロソフト副社長として、ビル・ゲイツとともに「帝国」の礎を築き、創業したアスキーを史上最年少で上場。しかし、マイクロソフトからも、アスキーからも追い出され、全てを失った……。IT黎明期に劇的な成功と挫折を経験した「伝説の起業家」が、その裏側を明かしつつ、「何がアカンかったのか」を真剣に書き綴った。ここでは、西氏が、大学受験の失敗でつかんだ「凡人が天才に勝つ」ための武器について紹介する』、あの「西氏」のストーリーとは興味深そうだ。
・『僕は、一瞬で「決断」をくだした  大学受験に失敗して神戸の実家に戻った僕は、すぐに自宅から通える神戸の大道学園という予備校に申し込みに行った。試験も受けて、東大・京大進学コースで勉強することが決まっていた。 ところが、予備校が開講するのを待つだけだったある日、朝8時過ぎからボーッとテレビを見ていたら、NHKで「東大に一番近い予備校」が紹介されていた。その番組のキャスターは、「東大生の半分は、この駿台予備校から来ています」と言った。そうか、大道学園より駿台予備校のほうが東大に近いんだな、と思った。そして、「来年度の学生を募集する最後の試験は明日。申し込みの締め切りは今日の夕方です」というアナウンスを聞いた。 画面が切り替わって別の話題に移った途端、僕は隣で一緒にテレビを見ていた父親にこう言っていた。 「僕は、この駿台予備校に行きたい。これから東京に行ってくる」) 父は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに「よし、行け」と言って、電車代と当座の費用を渡してくれた。9時過ぎには家を出ていた。新神戸駅を10時過ぎに出る新幹線に乗ったので、東京には14時頃に着いた。お茶の水の駿台予備校の玄関脇でスピード写真を撮って申し込み用紙に貼り、必要事項を書き込んで提出した。 試験は翌日、発表は翌々日だった。 その間、東大受験の時に泊まったホテルで過ごした。それなりに難しい試験だったが、4月から駿台予備校の東大コースに通うことが決まった。下総中山にある駿台予備校の学生寮に入ることも決めた。寝具など必要なものはすべて、父親が神戸から車で運んでくれた。嬉しかった。ありがたかった。 結局、「駿台予備校に行く」と自宅を出てから、一度も神戸に帰ることなく、東京での生活が始まった。これ以来、僕の生活の本拠はずっと東京かアメリカだった。つまり、両親との生活は、あの日、朝9時過ぎに家を出た時に終わったのだ』、「駿台予備校」にすると決めてからの行動力はさすがだ。
・『72時間ぶっ通しで考え続ける「集中力」  予備校では、取り憑かれたように勉強をした。 予備校の授業は面白く、寮ではよい仲間に恵まれ、何の不満もなかったが、どんなに勉強をしても不安だった。「このまま東大に受からなかったらどうしよう……」と、寮のグラウンドで、ひとり泣いたこともある。 その不安によって、僕の精神が研ぎ澄まされていたからだろうか。僕は、長時間集中して、深く考えることができるようになっていた。 普通、集中してひとつのことを考えられるのは、せいぜい3時間くらいのものだろう。しかし、当時の僕は、72時間くらいぶっ通しで考え続けることができるようになっていたのだ。 1時間考えたら30分休む、ということを繰り返しながら、考えたことを紙に書いていって、ある程度の枚数になったら、その紙を並べ直して二次元に展開する。そういうことを3日間繰り返すのである。そうすると、その時点での、自分なりの答えにたどり着くことができた。 この頃、よく考えたのは、生きるとはどういうことなのか、死ぬとはどういうことなのか、自分はどこから来たのか、自分は何をしようとしているのか、というようなことだった。 哲学関係の本もよく読んだ。 特にはまったのは吉本隆明だった。同じ部屋の妹尾君に貸してもらって読んだのが始まり。やがて彼の著作は全部読むことになった。吉本隆明の書いていることは非常にロジカルで、とてもよく理解できたし、共感するところも多かった。思えば、初めて、自分に目覚めた時期だったような気がする。少年から青年へと、顔つきも変わった。僕にとって、人生の大きな転換点だったように思う』、「72時間ぶっ通しで考え続ける「集中力」」、尋常でない凄さだ。
・『「挫折」が人間を強くする  しかし、2度目の受験も失敗に終わった。 最初の受験で東大理一だけに絞ったのは、やはり無謀だったと思った僕は、東大理一のみならず、いくつかの大学を併願した。その結果、ほとんどの大学に合格することができたが、東大理一は落ちた。このとき、僕は19歳。同じ頃、ハーバード大学生だったビル・ゲイツはマイクロソフト社を設立していたわけだ。 ひどく落胆したが、これ以上浪人はできないから、早稲田大学理工学部に進学することにした。学科は機械工学科を選んだが、特段の意図はなかった。学科志望欄の一番上に機械工学科があったから、ろくに考えもせず、それに丸をつけたのだ。 当時の僕にとって、東大受験失敗はものすごく大きな挫折だった。 僕のなかの何かが決定的に壊れてしまうような経験だった。しかし、これがよかったのだと、今は思う。 人生に“if”はないが、もしあのとき東大に受かっていたら、人生は変わっていたと思う。 僕は、早稲田大学には2年生の頃から通わなくなり、結局、8年在籍して除籍となったが、東大に入っていれば卒業はしただろう。東大卒というのは非常にいいタイトルになるから、それは捨てなかったと思う。そのかわり、挫折も知らず、自立もできず、神戸の親元に戻って、ゴロゴロしながらいい加減な人生を送っていたかもしれない。 僕は、東大に落ちたことで、闘争心に火がついたと思う。 いや、僕は、あの挫折によって、自分は頭のキレで勝負ができる人間ではないと悟った。その後、僕は「閃きの西和彦」「天才・西和彦」などと、マスコミで持ち上げられることがあったが、それを冷めた目で眺めていた。僕は、天才などではないし、ひらめきで勝負できるような人間でもないとかたく思っていたからだ。 これこそ、東大受験のために膨大な努力をして二度も失敗をするという、大きな対価を払うことで得ることができた、僕の「自己認識」だったのだ。おかげで、自分はあらゆることに対して、人の何倍も努力をするような人間になった』、「あの挫折によって、自分は頭のキレで勝負ができる人間ではないと悟った」、「自分はあらゆることに対して、人の何倍も努力をするような人間になった」、挫折をこれだけ前向きのエネルギーに変えたとは凄いことだ。
・『僕がはじめて手に入れた「武器」  では、何で勝つのか? 僕は東大出の錚々たる人たちと勝負して勝つには、集中力という武器しかないと思った。ひらめきや頭脳で勝負することはできないが、ある発想が湧いたり、ある決断をした時に、それを実現する粘りというか、気力、集中力だけは人に負けないという自負があった。 天才の条件とは、99%の努力と1%のひらめきだとよく言われるが、それに勝つために、凡人の僕にできるのは、1%のひらめきを100%にする圧倒的な努力しかない。そして、その努力とは、英語でいうフォーカス・イン(集中)である。僕は、集中力と持続力を振り絞って世界と戦うと心に決めたのだ。 その後、僕は、面白い事実に気づいた。 トイレの電球は10ワット。机のスタンドは100ワット。スタジオの電灯は1キロワットだ。つまり、ワット数が多くなればなるほど明るくなるわけだ。しかし、1キロワットの電灯でも、3キロメートル先を照らすことはできない。3キロメートル先を照らすことができるのは、レーザー光だけである。 では、レーザー光は何ワットか? たった1ワットに過ぎない。トイレの電球は10ワットでも薄暗いのに、なぜ、1ワットの光が遠くまで届くのか? それは、光を一点に集中させているからだ。これこそ、集中することのパワーなのだ。 しかも、1キロワットしか出せない電球に2キロワットをかけると、焼き切れるだけだ。重要なのはワット数(能力)の大きさではない。重要なのは、自分がもっているワット数を徹底的に集中させることであり、その集中をとことん持続させることだ。それができれば、たとえ1ワットの才能しかなくても、1キロワットの才能をもっている人間よりも、遠くに行くことができるのだ。 僕は、後に、これを「レーザー哲学」と名付けたが、これこそ、大学受験に挫折した僕が初めて手にした「武器」だった。そして、この「武器」を握り締めて、僕は戦いを始めるのだ』、「レーザー哲学」は確かにその通りのようだ。マイクロソフトの副社長時代に、ビル・ゲイツとの関係を知りたいところだ。

次に、9月20日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したスタンフォード大学・オンラインハイスクール校長の星 友啓氏による「プータローから一念発起!“哲学者校長”の紆余曲折なスタンフォードへの道」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248389
・『スタンフォード大学・オンラインハイスクールはオンラインにもかかわらず、全米トップ10の常連で、2020年は全米の大学進学校1位となった。世界最高峰の中1から高3の天才児、計900人(30ヵ国)がリアルタイムのオンラインセミナーで学んでいる(設立15年目)。 そのトップがオンライン教育の世界的リーダーでもある星友啓校長だ。 全米トップ校の白熱授業を再現。予測不可能な時代に、シリコンバレーの中心で、エリートたちが密かに学ぶ最高の生存戦略を初公開した星校長の処女作『スタンフォード式生き抜く力』が発売たちまち話題となっている。 星校長は言う。「本書で伝えたいのは、競争の激しいシリコンバレーで実践されてきた世界最先端科学に基づく生き抜く力です。スタンフォードの精鋭たちが結果を出すためにやっていること、本当の幸せのつかみ方、コミュニケーション力、天才児の教育法までエクササイズ付きで紹介したい。プータローから一念発起してスタンフォードにきて20年ほど、私が学術界の巨匠やビジネスリーダーから実感してきた生き抜く力(The Power to Survive)の源泉は、20年前に思い描いていた“ケンカ上等”でゴリゴリに勝ち上がっていくスタイルとは真逆のものでした。本書の内容はスタンフォード大学・オンラインハイスクールでも教えられてきました。将来的に世界のリーダーになる天才児たちが実際に受けている内容です。最新科学に基づくプレミアム・エクササイズもあります。最高の生存戦略=生き抜く力を一緒に手に入れましょう」 +スタンフォードやシリコンバレーの精鋭が「結果」を出すためにやっていることを知りたい +仕事やプライベートの「人間関係」をよくするテクニックを学びたい +世界最先端の科学で実証された「本当の幸せ」を手に入れたい +できる人の「プレゼン」「話し方」「聞き方」をマスターしたい +世界中の天才たちが集まるスタンフォードで結果を出し続ける「教育法」を知りたい +今後生きていくうえで「不安」を解消する方法を身につけたい そんなあなたのために、スタンフォードにいる著者を直撃した』、「プータローから」「スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長」になった「の星 友啓」氏も只者ではないようだ。
・『日本生まれの日本育ち(星氏の略歴はリンク先参照))  【著者公式サイト】(最新情報やブログを配信中)https://tomohirohoshi.com/ 私は日本生まれの日本育ちです。大学まで日本ですごしました。 1年浪人し、東京大学理科Ⅰ類に入学しました。 しかし、俗にいう燃え尽き症候群になり、勉学はそっちのけ。 アルバイトで趣味の料理に没頭しながら、ギャンブルに明け暮れる日々をすごしました。 しかし、理系は積み重ねが大切。 徐々についていけなくなり、その頃「都合よく」興味を持ち出した文学ならごまかしがきくだろうと、文学部に転部。 しかし、そんな苦しまぎれの思いつきが役に立つはずもなく、うつ状態に陥ります。 大学と自分との距離がさらに開いていきました。 そんなプータロー生活が続いていたある日、パチンコ仲間で数少ない東大の友人が私の携帯に「就職が決まった」と電話をかけてきました。 私は純粋に「めでたい! お祝いだな!」といって電話を切ったのですが、自分の心の声はこうつぶやいていました。 「そうか、就活だよな。 ん? 俺も4年生だけど、何もしていない。 正直、就活時期だったとは知らなかった。 ヤバすぎだな」 ふと我に返り、パチンコ台のガラスに映ったのは、ボーッとパチンコのハンドルを握りながらタバコをふかしている自分。 胸の真ん中をドキュンと撃ち抜く衝撃とポカンとした虚無感。 パチンコ玉はそんな学生崩れを気にも留めずに落ち続け、吐き出したタバコの煙はゆったりとその場に漂います。 空っぽの心に、最初に湧き出した気持ちはこうでした。「ここにいたらダメだ。このままだ。日本を離れて一度は志した勉学にもう一度かけてみよう。 そうだ、留学しよう」』、自堕落な生活から抜け出すには、「留学」はいいきっかけになりそうだ。
・『理系のDNAに抗えず…  そこから一念発起し、なんとか東大の哲学科で卒論をえいやと書いて、逃げ出すようにアメリカへ。 テキサスA&M大学の修士課程にかろうじて入り、哲学の道を志したのです。 大都市東京からは一転、小さな大学町で勉学と研究に勤(いそ)しむことができました。 アメリカでも哲学を続けるものの、結局、理系の「DNA」に抗(あらが)えず、数学やコンピュータ・サイエンスと哲学などが分野横断的に入り混じる応用論理学の研究をしていきました。 テキサスA&M大学で修士号を取得後、論理学で全米トップのスタンフォード大学の哲学博士課程に入学。そこから、論理学者の道を本格的に歩んでいきました。 東大入学で燃え尽き症候群。理系から文転して哲学の道へ。プータローから一念発起。 留学して哲学を志すも、理系に引き戻され、論理学。 本書は、そんな私の「紆余曲折の事情」を最大限に活かして、「生き抜く力」を文系・理系の双方の視点から徹底解剖していきます。 哲学と論理の視点から、最新の心理学、脳科学などをふんだんに盛り込んでいます。 さらに、スタンフォード大学全体のリーダーの一人として、また、スタンフォード大学・オンラインハイスクール校長という経営者としての経験を踏まえ、シリコンバレーのビジネス空間やスタンフォード大学でかみ締めてきた「生き抜く力」の戦略も紹介していきます。(著者略歴はリンク先参照)』、挫折した人生を見事に立て直した「星」氏の「生き抜く力」には心底、脱帽した。

第三に、同じ「星」氏による、10月4日付けダイヤモンド・オンライン「新渡戸稲造の『武士道』から最強の生存戦略を学ぶ」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/248683
・ ・・・
・『一ノ谷の戦いの名場面 (著者略歴(リンク先参照) 「いやいや、ちょっと待ってくださいよ。 そりゃあ、宗教家が人助けとか、相手の痛みをわかることの大切さを説くのはあたりまえ。 しかし、みんながみんなそう思ってきたわけではないだろう。 事実、世界の歴史は争いの歴史。数々の戦争が行われて、国々や人々は争いに勝つことによって、生き抜いてきたのだ」 ダライ・ラマからフランシスコときて、そう考えるのも自然だと思います。 そこでもう少し歴史を振り返り、斬るか斬られるかの武士の世界における「生き抜く力」を見ていくことにしましょう。 「敵に背を向けるのは卑怯(ひきょう)ではないか。戻ってきて戦うのだ!」 この日、平家陣に一番乗りして血気にはやる武将・熊谷直実(くまがいなおざね、1141-1207)が雄叫びをあげた。 1184年3月20日、須磨の浦の美しい海岸は、源平合戦の場と化していた。 「仕方あるまい。望むところだ」と戻ってきた武士を、直実はいとも簡単に組み倒す。 「名を名乗れ。何者だ!」答えようとしない相手の兜(かぶと)を剥ぎ取ると、10代も半ばの美しい顔の少年だ。 「追っ手がやってくる。今すぐ逃げるのだ」 直実は自軍の援護隊が押しかける前に、その少年を逃がそうとする。 直実には知る由もなかったが、その少年は平清盛の弟である経盛の子、敦盛(あつもり、1169-1184)だった。 逃亡の促しに答えず、敦盛はその場を動こうとしない。 それどころか、透き通るはっきりとした声でこういった。 「私とあなたの両方の名誉のためにも、この場で首を取っていただきたい」 援軍の騎馬隊の音が耳元に迫る中、敦盛の意をかき消さんかのごとく、直実が叫ぶ。 「何をいう、早く逃げるのだ!」 いまだ動こうとしない敦盛を見ながら、直実は決断する。 「何者かは知らねども、援軍の無名の兵に首を取られるよりも、武将である自分が供養してやる」 美しい剣の光がすっと降りると、真紅の血しぶきが勢いよく舞い上がり、直実の涙と混じったのであった。 これは源平合戦のハイライトの一つ、一ノ谷(いちのたに)の戦いの名場面です。 名のある武将として、窮地に立たされた「無名」の少年を逃がそうとする熊谷直実。 逃げ出さない決意とともに相手に功を与えんと首を差し出す平敦盛。 命がけの戦場において戦う武士たちの誇りと相手への思いが交錯するヒューマンドラマ』、「一ノ谷の戦い」は有名な話だ。
・『新渡戸稲造と武士道精   このシーンを引き合いに出しながら、武士の規律や考え方の根底にある「武士道」の価値観を説明したのは、旧5000円札(1984年から2007年まで流通)にも描かれた、新渡戸稲造(1862-1933)です。 新渡戸稲造は明治に活躍した日本人の思想家です。 明治初期にアメリカとドイツに留学し、1900年に英文で『BUSHIDO : The Soul of Japan』(以下、『武士道』)を出版。 明治時代、帝国主義日本が台頭していく中で、日本文化への注目が高まっていた頃、「日本人は宗教なしに道徳をどう学ぶのか?」という外国人の疑問に答える内容で、世界各国で翻訳され、大ベストセラーになりました。 「武士道」という言葉自体が、この本によって普及したといわれているほどです。 そもそも武士道は、日本の近世における武士階級の習慣や道徳のこと。武士であるからには、こう生きるべき、こうすべき、こうしてはいけないなど武士階級の常識や習慣が口づてに引き継がれてきたものです。 鎌倉時代には、戦(いくさ)でのベストな戦略や武士として身につけるべき慣習や知恵などという位置づけだったものが、江戸時代以降に儒教や仏教と融合し、思想として体系化されます。 武士制度が廃止されてからの近代日本でも、日本人の思想や文化の重要なバックボーンになりました。 長く欧米文化の中で暮らしてきた新渡戸稲造は、西洋人が日本文化を理解するには、武士道の理解が欠かせないと考えました。 世界の宗教や哲学と日本文化を比較し、正義や礼儀、名誉や忠義などの武士道的価値観を徹底解剖して、日本文化に親しみのない世界の人々に発信していったのです。 その『武士道』の中で基礎的な価値観として議論されているのが「Benevolence」、日本語で「慈愛」です。 つまり、他人の痛みを感じたりいたわったりする心のことです。 新渡戸稲造は、その「慈愛」が武士道において最も高次元の「徳」であり、武士にとって一番大切な価値観だと説きました。 私たちになじみ深い「武士の情け」の考え方も「慈愛」に基づいています。 この「慈愛」を説明する際に新渡戸稲造が引き合いに出すのが、先ほどの熊谷直実と平敦盛のシーンです。 武士道において、首を取っていいのは相手の階級が上か、少なくとも同等の力を持った者との戦のときだけ。熟練した武士である熊谷直実が敦盛の若々しい顔を見たとき、自分より力の弱い下級武士とみなし、自分が斬るべき相手ではないと判断したのはそのためです。 一方で敦盛は、平家の血筋の中で「自分のほうが身分が上」ということがわかっていたはず。 そのため、直実からの武士の情けは無用。首を取るようにけしかけたのでした。 最後に熊谷直実が涙するシーンから、将来ある若者を斬らねばならない痛みも察することができます』、「新渡戸稲造」が「武士道」で「引き合いに出すのが、先ほどの熊谷直実と平敦盛のシーン」、とはさすがだ。
・『利他的な「生き抜く力」は武士の生存戦略  こうして考えると、一ノ谷の戦いのエピソードは、相手への気配りや思いやり、武士道の慈愛に基づく精神があふれ出す名シーンであることがわかります。 生存をかけての殺し合いで相手に譲っている暇はない。 ガムシャラに突き進み、迫りくる輩を斬りまくらなければ! という冷徹な戦を追求する武士のイメージは、慈愛の精神とミスマッチに感じられます。 しかし、武士が命をかけて戦う存在だからこそ、仲間をいたわり、武士階級の秩序を尊敬したりする心が大切なのです。 相手の気持ちや状況を理解し、共感し、与える。 本書第1講で触れたやさしく利他的な「生き抜く力」は、武士の生存戦略として、いつしか武士道の根本精神となって日本文化の根底に流れてきたのです。 さて、武士道で「慈愛」が最も重要な価値観の一つとなったのは、江戸時代に儒教と融合してきた歴史にルーツがあります。 次回は、武士道の「慈愛」に誘われて、儒教の考え方に「生き抜く力」の思想的源泉をたどってみることにしましょう』、欧州にも騎士道がある。「武士道」との共通点もあるが、違い、主君に仕えるのではなく、国家や教会等に仕える(武士道精神と騎士道精神の違い)。日本社会から「利他的」な部分が薄らいでいるのは残念だ。
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