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夫婦別姓(その1)(小田嶋氏:人の結婚に介入したがる彼らは何者なんだ?、「夫婦別姓」反対派の主張がよくわからない訳 「古きよき日本」という意味不明の幻想のせい?、「選択的夫婦別姓」文言削除のウラにあった「自民党女性議員の攻防」) [社会]

今日は、夫婦別姓(その1)(小田嶋氏:人の結婚に介入したがる彼らは何者なんだ?、「夫婦別姓」反対派の主張がよくわからない訳 「古きよき日本」という意味不明の幻想のせい?、「選択的夫婦別姓」文言削除のウラにあった「自民党女性議員の攻防」)を取上げよう。

先ずは、昨年1月24日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「人の結婚に介入したがる彼らは何者なんだ?」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00054/?P=1
・『議院の代表質問で、心ない野次が飛んだようで、その時の様子が早速新聞記事になっている。 「心ある野次」といったようなものがあるのかどうかはともかくとして、今回のこの野次に関しては、野次を飛ばした行為そのものよりも、野次の内容をくわしく分析せねばならない。 記事によれば、1月22日の衆議院で、国民民主党の玉木雄一郎代表が選択的夫婦別姓の導入を求める発言をしたタイミングで、 「それなら結婚しなくていい」という趣旨の野次が「自民党席の女性議員から飛んできた」のだという。 なるほど、心ない野次だ。 しかしながら、心ない野次を飛ばす人間にも、やはり心はあるわけで、今回は、その彼または彼女の「心」について考えてみたい。 選択的夫婦別姓については、これまで、ほかのところにも何回か寄稿したことがあって、その度に同じことを書いている気がしている。もっとも、夫婦別姓のような隅々まで論点のはっきりしている話題については、あえて別の角度から主張を展開することや、別の書き方で読者を説得しようとすることの方が、かえってむずかしいとも言える。ひとつの問題について、毎度同じ展開で同じ内容の話を繰り返すのは、当然といえば当然のなりゆきではある。段ボールの底に隠れているかもしれない腐ったミカンを早めに取り除いておくべきであることについて、特段に新奇な見解はないし、取り除く方法に関して斬新な手段を考案すべきだという話でもない。あたりまえのことを伝えるためには、あたりまえの言い方であたりまえな言葉を根気よく繰り返すほかにどうしようもない。 野次を飛ばした議員が、男性であったのか女性であったのかは、この際、主要な論点ではない。たいした問題でもない。個人的には、あえて積極的に無視すべきポイントだと考えている。 というのも、ここのところのジェンダーロールをつつきまわすと、別の問題が立ち上がってきてしまって、非常にぐあいがよろしくないからだ。ぐあいがよろしくないというのはつまり、夫婦別姓をめぐる論争をさらなる混乱に陥れようと画策している人々に塩を送る結果になるということだ。なので、野次発信者の性別や姓名を云々する話題には踏み込まない。 ただ、その野次が、自民党議員の席から飛んできたことには、やはり注目しておかねばならない。 理由は、自民党が、日本で一番たくさんの支持者を集めている政党だからだ。 その唯一絶対とも言える国民的な与党たる自民党の議員が集まっている席の中にあって、野次を飛ばした議員さんは、選択的夫婦別姓についての自分の率直な考えが、そのまま「国民の内なる声」だという自信を抱いていたからこそ、あえてそれを不規則発言として声に出してアピールしたのだと思う』、「小田嶋氏」の「コラム」は昨年の途中から有料になったので、紹介できないが、これは無料版だ。「野次」を飛ばした犯人は、例の悪名高い「杉田水脈衆議院議員」のようだ。
・『彼または彼女は、自分の野次が「非常識」で「空気を読まない」「異端の」声だとは、ついぞ考えなかった。むしろ、玉木氏の要望への痛烈な反撃である自分の言葉が、少なくとも自民党議員の「総意」ないしは、「安倍総理を中心とする党中枢のメンバーの主張を集約したコメント」であると強く確信しているがゆえに、あの場で、玉木氏に届く声量で、 「それなら結婚しなくていい」 という主張を呼ばわったはずなのである。 野党が導入を求めている選択的夫婦別姓は、その名が示す通り、結婚するカップルに対して、夫婦別姓を「選択的」に容認することを旨とする民法第750条の改正案だ。 ここでいう「選択的」の意味は、具体的には、新たに結婚する夫婦が「夫婦別姓」と「夫婦同姓」のうちのどちらでも好きな方を選択できるということで、実質的には「自由選択」を許す手続きだ。 思うに、読解力の高くない人々は、ここのところを誤解している。 「選択的夫婦別姓」という字面(じづら)から、いきなり「夫婦別姓がベースになる」というイメージを受け取って、その「新しい夫婦の誰もが夫婦別姓で結婚する」イメージに対して反発を抱いたうえで反対に回っている人々が、おそらく日本人のうちの3割かそこいらはいるのではなかろうかと思うのだ。 でなくても、この問題を 「夫婦別姓と夫婦同姓とどっちがいいのかしら?」 というざっくりした二択の問題としてとらえてしまっている人は少なくないはずだ。でもって、 「別姓っていうのも色々と不便そうだし、だいいち子どもがどっちについていいかわからなくてかわいそうじゃない? 私は別姓には反対だわ」 てなことを考えて、選択的夫婦別姓に反対している、と、そういう人たちが一定数いると私は想像している。 違うのである。 私たちは 「夫婦別姓と夫婦同姓のどちらが望ましいのか」 を問われているのではない。われわれは 「夫婦同姓を強制されるべきなのか、それとも、別姓婚を選びたい人に選択の自由を容認するのか」 の二択を問われている。 もっといえば、選択的夫婦別姓がわれわれに問うているのは、 「強制vs自由」のどちらを選ぶかなのであって、それゆえ、最終的にこの問題は、 「他人の別姓婚を許すのか」という問いかけに還元される 論理が飛躍したと思っている読者がいるかもしれない。でなくても、ややこしくなっている』、誤解に基づいて「選択的夫婦別姓に反対している、と、そういう人たちが一定数いる」、というのは残念なことだ。
・『話を整理する。 まず夫婦同姓による同姓婚を望むカップルは、現在の制度であれ、選択的夫婦別姓制度が導入された改正民法下であれ、どっちにしても同姓婚を貫徹することができる。同姓婚を禁じる法律はどこにも存在しない。ということは、彼らは自分たちの結婚に関して、選択的夫婦別姓制度を導入した民法改正案に反対する理由を持っていない。そういうことになる。 次に、夫婦別姓で結婚することを願っているカップルは、現状の民法のもとでは、望み通りの形態で結婚することができない。しかし、民法が改正されて選択的夫婦別姓制度が導入されれば、別姓婚で入籍することができる。ということは、彼らには、選択的夫婦別姓制度を組み込んだ民法の改正案を支持する理由がある。 さて、それでは、選択的夫婦別姓制度を組み込んだ民法改正案に反対する理由を持っているのは、具体的にはいったいどんな人たちなのだろうか。つらつら考えるに、それは、 「自分たち以外の他人が夫婦別姓で結婚することを容認したくない人たち」ということになる。 自分たち自身のことであれば、どっちの法律であれ、同姓婚の自由は保障されている。 とすれば、反対する理由は、他人の結婚に対してだけということになる。 まさかとは思うが、そんなケツメドの小さい人たちが、日本人の多数派なのだろうか? 答えを先に言うと、そんなことはない。 自民党の多数派は、選択的夫婦別姓に反対しているかもしれないし、自民党の支持母体である日本会議はもっと露骨に反対運動を展開している。 でも、一般国民の多数派が、この期に及んで他人の夫婦が別姓で一緒になることにいちいち反対しているのかというと、そんなことはない。 われわれは、いくらなんでもそこまで頑迷ではない。 法務省が公開している、《選択的夫婦別氏制度(いわゆる選択的夫婦別姓制度)について》というページにくわしいデータが掲載されている。 そのページのリンク先にある 「選択的夫婦別氏制度に関する調査結果の推移(総数比較)」と題されたグラフを見ると、この件についてのこの四半世紀ほどの世論の推移が一覧できる。 平成29年(2017年)のデータでは、「夫婦は必ず、同じ名字(姓)を名乗るべきであり、法律を改める必要はない」と回答した人は29.3%に過ぎない。 対して 「法律を改めてもかまわない」は、42.5%、 「夫婦は必ず同じ名字(姓)を名乗るべきだが、婚姻前の氏を通称として使 えるように法律を改めることはかまわない」が24.4%、「わからない」が、3.8%となっている。 これを見ると、民意は、夫婦別姓を容認している』、「民意は、夫婦別姓を容認している」のに、反対している自民党右派の勢力はそんなに強いのだろうか。
・『ちなみに年代別のデータを見ると、平成29年の数字で、 「法律を改めてもかまわない」とした人は、 18~29歳で50.2%、30~39歳で52.5%と、過半数を上回っている。 つまり、少なくともこれから結婚する可能性が高い世代である20代から40歳ぐらいまでの日本人は、圧倒的に別姓婚を容認する法改正を支持しているのである。 さて、こういう数字を見せられると、国民政党である自民党が、どうしてあえて民意に逆らってまで夫婦同姓一択の強圧的な結婚制度の維持に拘泥しているのかが、あらためて不思議に思えてくる。いったい彼らは何を恐れているのだろうか。あるいは、恐れていることとは別に、彼らなりの狙いがあるということなのだろうか? どうしてあの人たちは他人の結婚に介入したがるのだろうか。あらためて考えてみるに、不思議な心理だ。見も知らぬ他人の別姓婚を、なんとしても許したくないと考えているあの人たちは、いったいどういう理由で、他人の名乗り方を自分たちがコントロールできると思い込んでいるのであろうか。 仮に、近い将来、選択的夫婦別姓制度が実現したのだとして、おそらく8割以上の新婚夫婦は、これまで通り同姓での結婚を選択するはずだ。あるいは、同じ名字で結婚することを願うカップルの割合は、9割を超えるかもしれない。 とすると、別姓に反対している人たちは、くだくだしい各種の改姓手続きの煩雑さをきらって、とりあえず別姓での入籍を選ぼうとしているカップルや、仕事上の継続性を重んじる理由から互いに旧姓のままで暮らす結婚生活を選択する若い二人を、いかなる理由において排除せんとするのであろうか。 よくあるのは、「日本人の家族観が破壊されるから」「家族の絆があやうくなるから」という回答なのだが、これらにしたところで「他人の家族観」「他人の絆」に過ぎない。 自分自身が自分たちの固有の家族の家族観を死守したいのであれば、同姓の結婚と同姓の家族を死守すれば良い。それだけの話だ。あるいは、自分たちの家族が同姓でなくなった瞬間に絆を失ってしまうと考える向きの人たちは、他人はどうあれ、自分たちだけは同じ名字を守り通せば良い。誰も文句はつけないはずだし、法律も同姓婚の自由は完全に保障している。 もしかすると、日本中誰も彼も同じような家族であり続けないと、日本の家族観が崩壊してしまうと、彼らはそういう順序でものを考える人々であるのだろうか。 それほどまでに、彼らの中の「家族」というのは、脆いものなのだろうか。 たとえば、離婚して旧姓に戻るシングルマザーの家庭や、外国人のパートナーと暮らしている未入籍の同居家族や、複数の性的マイノリティーによる戸籍上は他人であるに過ぎないカップルや、適齢期を過ぎたと判断されがちな年齢の独身独居生活者は、彼らの判断基準からすると、日本の伝統的な家族観を破壊している破壊分子ってなことになるのだろうか』、「保守派」の「家族」感は現実離れした曖昧で観念的なもののようだ。
・『私の住んでいる東京の北東部の地域話をすれば、私が育った50年前とは、まるで様子の違う町になっている。 この20年ほど、独身の外国人に加えて、家族で暮らす外国人が目に見えて増えた。 それゆえ、私の母校の小学校には、カタカナの名前の子どもたちがたくさん通っている。 両親が揃っていない家庭から学校に通っている子どもたちも少なくない。 これは、崩壊だろうか? 私たちの町では、なにか間違ったことが進行していて、われわれのコミュニティーは壊滅寸前なのだろうか? 私は必ずしもそうは思っていない。 むしろ、目の前にある「リアル」が、これほどまでに変容しつつあるのに、それを直視しようとせずに、あいも変わらずサザエさん一家だの、三丁目の夕日だのを「日本の家族の理想」として引用している政治家の頭の中身の方がどうかしているのだと、少なくとも私はそう思っている。 安倍総理大臣は、その著書『新しい国へ―美しい国へ・完全版』(文春新書)の中で、自身がかつて自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の座長をつとめた経験を示唆しつつ、 《子どもたちにしっかりした家族のモデルを示すことは、教育の使命ではないだろうか。》と言い、また 《家族が崩壊しつつある、と言われて久しい。離婚率が上がり、シングルマザーやシングルファーザーに育てられた子や再婚家庭の子も増えている。現実問題として、少年院に収容されている少年たちの九割近くが、家庭に問題を抱えているといわれる。》 という問題意識を明らかにしつつ、最終的に 《家族のかたちは、理想どおりにはいかない。それでも、「お父さんとお母さんと子どもがいて、おじいちゃんもおばあちゃんも含めてみんな家族だ」という家族観と、「そういう家族が仲良く暮らすのがいちばんの幸せだ」という価値観は、守り続けていくべきだと思う。》 と結論づけている。 家族を大切にする考え方に異存はない。 ただ、その「家族」なり「家族観」なりを防衛するために、日本中の家族が、どれもこれも同じスタンダードで再生産される粒ぞろいの斉一的な家族単位であることが望ましいというふうには私は考えない。 自分の家族について自分が思うことと、他人の家族に関して他人が考えるところは、おのずと違っている。あたりまえの話だ。とすれば、自分自身の個人的な「家族観」とやらを守るために、他人の家族のあり方に注文をつける態度は、少なくとも私には思いもよらぬことだ。失礼にもほどがある。 不思議なのは、日本の伝統的な家族観を守るためには、伝統的家族観を守りたいと思っていない人たちに対しても伝統的家族観を守ることを強制しないといけないと思い込んでいる人たちがいることだ。 彼らは、いったい何者なんだろう? そういえば、百田尚樹さんの著書『日本国紀』の帯には、 「私たちは何者なのか」というキャッチコピーが大書されていた。 せっかくなので、この場を借りて、私も問うておきたい。 あんたたちは何者なんだ?』、「自分自身の個人的な「家族観」とやらを守るために、他人の家族のあり方に注文をつける態度は、少なくとも私には思いもよらぬことだ。失礼にもほどがある」、同感である。

次に、12月17日付け東洋経済オンラインが転載した「ニューズウィーク日本版」ウェブ編集部の在米作家の冷泉彰彦氏による「「夫婦別姓」反対派の主張がよくわからない訳 「古きよき日本」という意味不明の幻想のせい?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/395956
・『「古きよき日本」という幻想が崩れるのが苦痛だという、極めて概念的な原理主義ならその理屈は理解できるが……。 自民党内の保守派は「選択式夫婦別姓制度」について頑強に反対しています。しかし時代が少しずつ進むなかで、有権者の世代交代が起きてくると、選挙に落ちては大変ですから多くの議員は徐々に態度を軟化させてきました。これを受けて、最高裁大法廷で審理されることになったので、判例変更となるかもしれません。 報道によれば、別姓反対派は、この11月に自民党内の議員連盟として「『絆』を紡ぐ会」というのを結成したそうです(発起人は高市早苗議員、山谷えり子議員、片山さつき議員など)。その会は12月3日に、下村博文政調会長に対して、選択的夫婦別姓の導入には慎重に対応するとともに、旧姓の通称使用を拡充するよう求める提言書を手渡したそうです。 提言書の中では、夫婦同姓は「子育てや夫婦親族相互扶助の環境づくりの土台」として、別姓に関しては「子どもたちの心への影響を考えれば慎重になるべきだ」としていると報じられています。 この問題で、今ひとつわからないのは、こうした反対派の本音です。今となっては、イデオロギーによる勢力争いになっているので、高齢保守票を抱えた選挙区の議員、組織票がなく高齢保守票にも手を伸ばさざるをえない議員などは、立場を硬化して票を固めるしかないのかもしれません』、「『絆』を紡ぐ会」には、大蔵省に1番で入ったというれる秀才の「片山さつき議員」がいるとなると、全く理解不能だ。
・『子供への「いい影響」の不可解  ですが、とくにこの問題については、とにかく反対派の理屈と心情が見えないのです。例えば、似たような保守派の主張として、婚外子(非嫡出子)の相続差別肯定という問題があります。これは既に最高裁判決が出て民法も改正されていますが、一時は差別を肯定する保守派が頑強に法改正反対を叫んでいました。 この問題では「ほかの女性との間で子供を作る男性の正妻は、じっと耐えて家を守っているので、少なくとも自分の子供と婚外子とは相続で差をつけなくては我慢がならない」という「イエ」や「正妻」の立場からの議論というように考えれば理解はできます。間違っていますし、すでに是正もされた問題ですが、当時の反対論は何を根拠にしていたのかはイメージできるわけです。 ところが、夫婦別姓反対論というのは、その根拠が見えません。例えば、今回の「会」の主張では、「通称として旧姓利用を拡大すべき」としながら「戸籍だけは同姓」にするというのが、「子どもたちの心への影響」にとって大切というのですが、まったく意味不明です。 お母さんは旧姓を通称として学会発表をしたり、それこそ国会議員として活躍したり、ビジネスの交渉をまとめたりしているが、家にいるときは夫婦同姓の戸籍謄本を見せて育てると、子どもにいい影響があるなどという理屈は、やはり理解不能でしょう』、同感である。
・『アメリカ宗教保守との類似  ひとつ想像できるのは、「嫁」が旧姓で学術やビジネスの世界で活躍すると、自分や息子がみじめになると勝手に思い込んで「嫁」の悪口を言う姑が、せめて戸籍だけでも自分の「家」に入って同姓にしてくれていると多少態度が落ち着くようになり、孫への悪影響が減るというストーリーはあるかもしれません。ですが、そうした個別で個人的な心情が政治的な主張に発展するというのは不自然です。 考えられるのは、「古きよき日本」という意味不明の幻想があって、その幻想が1つひとつ崩れていくのが苦痛だという、極めて概念的な原理主義ということです。であれば、アメリカの宗教保守票とか、イスラム圏の原理主義的な心情と同種のものとして頭では理解できます。 それが心情のレベルまで食い込んでいるので票になるということなのでしょうが、それでも、どうしてこの問題なのかというのは、やはり納得がいきません。「日本の家族」を守り、「子どもの心情」に寄り添いたいのであれば、「ローテーション目的だけの転勤や単身赴任」「長時間労働」「儀礼や社交目的の宿泊出張」などをやめるか減らすほうがはるかに大切だと思うのです』、「「古きよき日本」という意味不明の幻想があって、その幻想が1つひとつ崩れていくのが苦痛だという、極めて概念的な原理主義ということです。であれば、アメリカの宗教保守票とか、イスラム圏の原理主義的な心情と同種のものとして頭では理解できます」、大変興味深いアナロジーだ。「「日本の家族」を守り、「子どもの心情」に寄り添いたいのであれば、「ローテーション目的だけの転勤や単身赴任」「長時間労働」「儀礼や社交目的の宿泊出張」などをやめるか減らすほうがはるかに大切だと思うのです」、極めて説得y的だ。

第三に、12月22日付け現代ビジネス「「選択的夫婦別姓」文言削除のウラにあった「自民党女性議員の攻防」」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78495?imp=0
・『「おはようございます。 ご報告が遅くなりました。 最終的に男女共同参画基本計画案から「夫婦別姓」の文言も削除させました。一安心です。」 12月17日早朝、杉田水脈衆議院議員はツイッターでこう発信した。 (杉田水脈氏のツイッターはリンク先参照) 杉田氏は、朝日新聞の「夫婦別姓の表現、自民が変更 反対派の異論受け大幅後退」との見出しの記事を紹介した上で、 「この記事の最後に、制度導入をめざす「選択的夫婦別姓・全国陳情アクション」の事務局長の言葉が載っています。 「反対した自民党議員も、どんな支持層からの反対の声があったのかを明らかにするべきだ」 私に多く寄せられたのは支持団体ではなく、一般の皆さまの声です。」としている。 「一般の皆様の声」というなら、昨今の世論調査等を見れば賛成派が多数。しかし、杉田氏のツイッターへのコメント欄を見れば、反対派が圧倒的。杉田氏にとって「一般の皆様」とは、自分の支持者のみであることがわかる』、「杉田氏にとって「一般の皆様」とは、自分の支持者のみであることがわかる」、同感だ。
・『「削除」は最高裁判断への布石か  しかし、今回なぜ自民党は「夫婦別姓」の文字を削減したのか、いや、誰に「削除させられた」のだろうか。 それは杉田氏らの貢献というよりは、直前の12月9日に最高裁が、夫婦別姓を求める2つの特別抗告審を大法廷に回付すると決めたことが大きいのではないか。 これまでの家族法が現在生きている人々の生活と齟齬を来していて、そうしたルールを変えようとするとき、自民党が動くことはない。 それは、「女性活躍」を促す外圧(1975年国連後援第1回世界女性会議)や「憲法違反」判決(2013年、2016年最高裁)を使って、「自分たちは反対したが、世界情勢や司法判断でこうならざるを得なかったのだ」と、自らの責任を回避するためである。) 2016年には最高裁で違憲判断が出なかった夫婦別姓だが、今回は後ほど述べるように何らかの判断が出る可能性も少なくない。 もし今回でなくても時代の趨勢は既に決している。いずれにせよ数年後には司法判断が出るであろう。そうなれば夫婦別姓はいやでも法的対処が必要となる。どうせ改正されるのであれば、まずは「反対」を主張しておこう。 文言を削除するぐらいオーバーに主張した方が良い。そうやっておけば支持者は納得し、地盤固めになるという魂胆なのである。 たとえば、婚外子差別や再婚禁止期間。どちらも立法での対応が求められていたが、自民党政権では何も動く気配はなかった。 しかし、2007年に無戸籍問題が社会問題化され、その救済とともに再婚禁止期間を100日に短縮する特例法が、与党自民党・公明党PTから出された。 ところが、たまたまそのときの法務大臣はバックラッシュ期に日本会議等で活躍した長勢甚遠氏で、彼はこの特例法を潰しにかかり、法案は幻と消える。 しかし、それなりの力業で潰したものが、その後遠からぬ時期に最高裁で「違憲」とされ、立法府での法改正を迫られることになった。そうなると今度はしれっと、あっさり改正は実現、ほぼ議論はなかったのである。本気で闘う議員などいない。 「憲法違反」と言えば、支援者とて納得せざるを得ない。結局、保守系議員にとっては「闘ったふり」をすることが大事。ファイティングポーズを取ったか否かが評価につながる。 法改正が実現しても、彼らがかつて主張していた「婚外子の相続分差別がなくなると不倫が増える」「妻の地位が脅かされる」「家族の絆が失われた」などという話はついぞ聞かれない。保守派が主張していたことに、エビデンスはないのである』、「「憲法違反」と言えば、支援者とて納得せざるを得ない。結局、保守系議員にとっては「闘ったふり」をすることが大事。ファイティングポーズを取ったか否かが評価につながる」、自民党右派の行動原理が分かったような気がする。
・『閣僚経験女性議員たちの闘い  さて、この選択的夫婦別姓議論で注目すべきは、法案そのものの行方もさることながら、閣僚経験のある女性議員たちの党内での動きである。 「ガースー」総理が、どうやら器ではないことがはっきりしてくるにつれて、「ポストガースー」の動きも盛んになってくるだろう。 その際に「飛び道具」もしくは「瓢箪から駒」で女性総理誕生も全くありえない話ではないだろうし、「副総理」等の役職に抜擢ということもあるのではないだろうか。 野田聖子幹事長代理は、「セクハラ対策とか選択的夫婦別姓は、女性政策だとは思っていない。この国の国策だと思っている。岩盤規制とよく言われているが、これを変えていかないと次の日本は出現しない」と、自らの政策の柱であることを常々発信している。 また、保守派で「安倍ガールズ」稲田朋美元防衛庁長官が賛成に舵を切る一方、同じく古参の「安倍ガールズ」高市早苗元総務大臣は反対を主張している。それぞれの主張を注意深く見ていくと、実はこれが将来の総裁選への布石とも見えてくる。 たとえば、稲田朋美衆議院議員。「女性がいない民主主義」を連発し、寡婦控除の見直し等で尽力し、防衛大臣時代の苦い経験から女性を味方につけて一気に再起してきた。しかし、夫婦別姓に関しては「賛成」の立場を取りつつも、実は保守派に対して十分に「言い訳」できる立ち位置にいるのだ』、「稲田朋美衆議院議員」はなかなか巧に振舞っているようだ。
・『「稲田議員が夫婦別姓容認」は虚偽か  稲田朋美氏の秘書で、元宝塚市会議員の大河内茂太氏がFacebook(公開)で、稲田氏の選択的夫婦別姓について言及している。以下、大河内氏の投稿である。 稲田朋美に対抗して作られた「(絆)議連は、子供の姓をどちらにするのかで家庭内で混乱や対立が生じる事態などを危惧。旧姓の通称使用の拡大などを検討する方針」とのこと。 (1)選択的夫婦別姓反対 (2)選択的夫婦別姓賛成 (3)婚前氏続称制度 稲田の提唱する「婚前氏続称制度」は、選択的夫婦別姓とは異なります。 夫婦は同氏(ファミリーネーム)を選び戸籍に明記するため、子供はその氏しか名乗れないし、その氏しか相続できません。この点は現状のままです。したがって子供が名乗るべき氏について「混乱や対立」は生じません。 「婚前氏続称制度」は、旧姓を使い続けたい人は戸籍にその旨を記載することで、旧姓(婚前氏)に限って法的に使えるようにし、不便を解消します。 その反面、旧姓に限らずおおよそ通称と名のつくものは、極力使用できなくします。その先鞭となる制度です。通称という得体の知れないものを極力排除することで社会の混乱を防ぎます。 具体的には述べませんが、この「通称使用の弊害の防止」は、保守が大歓迎する制度のはずです。(中略)稲田朋美は「伝統と創造」を掲げて政治活動を行なっている。 本来、保守主義は多様性や改革に寛容な思想です。自分が間違っているかもしれないという謙虚な気持ちから伝統を重んじると同時に、多様性や漸次的な改革にも肯定的なのです。 ここが自分の知性を信じ切る高慢な革新主義者との大きな違い。 いつの時代も変えるべきではないもの(私個人的にはそれは男系の皇位継承だと思っている)と、漸次的に改革しても良いものがある。 さて、稲田は最近、LGBTや夫婦別姓について肯定的な発言を続けており、保守界隈からは非難轟々なのですが、ちょっと待ってもらいたい。 男色が普通のことだった戦国時代や江戸時代に家族の形は壊れたのですか?それは共産党の陰謀だったのですか? 明治になるまで庶民は姓を名乗れず、武家は夫婦別姓でしたし、つい最近まで事実上の一夫多妻が普通でしたが、家族は崩壊していたのでしょうか? なお、稲田が提唱する婚前氏続称制度はファミリーネームはあくまで一つで子供もそれを名乗り継承する制度です。 絶対に死守すべき「伝統」と漸次的に改革しても良い「創造」を分けましょう。 稲田は「伝統」を死守し、多様性に寛容な真の保守主義者です。 大河内氏は、こうした稲田氏の主張に共鳴する後援者からの声を紹介している。 國體護持を掲げる稲田代議士を敵視する左翼勢力は、「稲田議員が夫婦別姓容認」等と虚偽の報道を流し、保守層の分断工作を画策しています。 保守を標榜される皆様に於かれては、決して報道を鵜呑みにしたりメディアに踊らされる事無きよう、真実を理解しましょう。 つまり、保守派は報道を鵜呑みにしてはいけない。「稲田議員が夫婦別姓容認」等とは虚偽報道だと言っているのだ。一方で、リベラル派が自分たちの主張に寄ったと誤解するならそれでいい、とも読み取ることができる』、「稲田の提唱する「婚前氏続称制度」は、選択的夫婦別姓とは異なります」、確かなようだ。
・『「婚前氏続称制度」は「あだ名制度」  稲田氏が主張する「婚前氏続称制度」が、既に定着している「婚氏続称制度」を元にしていることは間違いないだろう。 婚氏続称とは、離婚後に婚姻時に使用していた氏を呼称上の氏(あだ名)としてそのまま使い続けられるというものだ。実はこれは、1人の人間に「民法上の氏」と「呼称上の氏」が二重に存在するという摩訶不思議な制度なのだが、婚前氏続称は、婚氏続称を拡大していくということだと理解できる。 シミュレーションしてみよう。 たとえば、「松尾」という女性と「佐藤」という男性が結婚する。妻はいったん夫の氏「佐藤」を選択するが、その後、婚前の氏である「松尾」を使用する届けを出し、戸籍にはその旨が記載され、「呼称上の氏」として民法上「松尾」は本名扱いになり、パスポートも銀行口座も「松尾」で使用できることになる。 ただ、この「呼称上の氏」というのは、本名扱いをされてはいるが、いったん夫の氏を選んでいる以上、「あだ名」という側面が強い。つまり、「松尾礼子」さんは「松尾(っち)礼子」。一度強制的に一つの氏を選んだ以上、「本名」と「本名扱い」の差はやはり存在するのである。 そもそも「一つの氏を選ぶ」ことに対する違和感や尊厳を傷つけられると感じる多くの「松尾っち」の気持を、自民党の誰がどう理解しているのであろうか。 やはり閣僚経験者の片山さつき衆議院議員は、「明治以来ある戸籍法で、戸籍の公称をどうするのかの話があって、そこを検証しないで、ここだけいじろうとか、法改正を出そうとすること自体が過去自民党が長く積み上げてきた議論からして非常におかしい」と発言している。 「婚前氏続称制度」での二重氏の問題をどうクリアしているのか、聞いてみたいところだ。) ただ、今回の最高裁大法廷は、「婚氏続称」が戸籍法で規定されていることに関し、離婚後だけでなく婚姻するときにも認めないと、制度的公平性が保たれないという角度からも審議される。 「松尾」「佐藤」の例で言うならば、現行では婚姻時に「佐藤」を選んだ場合、離婚後も「佐藤」を使い続けることはできるが、民法上の氏はもとの「松尾」に戻る。つまり続称として「佐藤」を選択した場合でも、民法上は「松尾」なのである。それを認めているなら、そもそも「井戸(っち)」「山崎(っち)」として婚姻できるはず、という論法だ。 私という1人の人間は「佐藤」か「佐藤(っち)」か、「松尾」か「松尾(っち)」か、「井戸」か「井戸(っち)」なのか——。説明するだけでややこしい。 一部の学者が、民法や戸籍法にこのような二重氏が生じること自体がおかしいと主張しても、戸籍の専門家以外は問題の中身を理解するのが難しく、一般の国民は二重氏という矛盾を考えないように仕向けられているとも言える。 これを改めるには、そもそも婚姻時に一つの氏を選ばなければならない現行の婚姻制度を見直し、選択的夫婦別姓を導入することが、実は最も簡単な解決なのである。 ただ、選択的夫婦別姓推進派も、文言削除されたことに対して、目立つような反対の声を上げてはいない。それは冒頭に指摘したように、司法も含めた「外圧」を見極めた上で行動することが、自民党という組織の中で多数派を占めていくための戦術だからである。総理は能力で決まるのではない。彼女たちは、菅総理誕生でまざまざと見せつけられたのだ。 選択的夫婦別姓は、70代、80代の男性議員が力を持つ組織の中で、女性議員が権力の座へと向かう際の試金石、もしくはガラスの天井そのものなのである』、「女性議員が権力の座へと向かう」のが誰になるのか、注目したい。
タグ:夫婦別姓 (その1)(小田嶋氏:人の結婚に介入したがる彼らは何者なんだ?、「夫婦別姓」反対派の主張がよくわからない訳 「古きよき日本」という意味不明の幻想のせい?、「選択的夫婦別姓」文言削除のウラにあった「自民党女性議員の攻防」) 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 「人の結婚に介入したがる彼らは何者なんだ?」 国民民主党の玉木雄一郎代表が選択的夫婦別姓の導入を求める発言をしたタイミングで、 「それなら結婚しなくていい」という趣旨の野次が「自民党席の女性議員から飛んできた」 「野次」を飛ばした犯人は、例の悪名高い「杉田水脈衆議院議員」のようだ 誤解に基づいて「選択的夫婦別姓に反対している、と、そういう人たちが一定数いる」、というのは残念なことだ 「民意は、夫婦別姓を容認している」のに、反対している自民党右派の勢力はそんなに強いのだろうか。 「保守派」の「家族」感は現実離れした曖昧で観念的なもののようだ 「自分自身の個人的な「家族観」とやらを守るために、他人の家族のあり方に注文をつける態度は、少なくとも私には思いもよらぬことだ。失礼にもほどがある」、同感である 東洋経済オンライン ニューズウィーク日本版 冷泉彰彦 「「夫婦別姓」反対派の主張がよくわからない訳 「古きよき日本」という意味不明の幻想のせい?」 『絆』を紡ぐ会 「『絆』を紡ぐ会」には、大蔵省に1番で入ったというれる秀才の「片山さつき議員」がいるとなると、全く理解不能だ 子供への「いい影響」の不可解 アメリカ宗教保守との類似 「「古きよき日本」という意味不明の幻想があって、その幻想が1つひとつ崩れていくのが苦痛だという、極めて概念的な原理主義ということです。であれば、アメリカの宗教保守票とか、イスラム圏の原理主義的な心情と同種のものとして頭では理解できます」、大変興味深いアナロジーだ 「「日本の家族」を守り、「子どもの心情」に寄り添いたいのであれば、「ローテーション目的だけの転勤や単身赴任」「長時間労働」「儀礼や社交目的の宿泊出張」などをやめるか減らすほうがはるかに大切だと思うのです」、極めて説得y的だ。 現代ビジネス 「「選択的夫婦別姓」文言削除のウラにあった「自民党女性議員の攻防」」 「杉田氏にとって「一般の皆様」とは、自分の支持者のみであることがわかる」、同感だ 「削除」は最高裁判断への布石か 「「憲法違反」と言えば、支援者とて納得せざるを得ない。結局、保守系議員にとっては「闘ったふり」をすることが大事。ファイティングポーズを取ったか否かが評価につながる」、自民党右派の行動原理が分かったような気がする 閣僚経験女性議員たちの闘い 「稲田議員が夫婦別姓容認」は虚偽か 「婚前氏続称制度」は「あだ名制度」 「女性議員が権力の座へと向かう」のが誰になるのか、注目したい
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