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”ひきこもり”問題(その10)(社交的な人々は「ひきこもる力」をわかってない 大勢と集まったりしない人は何をしているのか、NHK「こもりびと」誕生秘話、発案者が語る今ひきこもりを取り上げる理由)

”ひきこもり”問題については、昨年5月16日に取上げた。今日は、(その10)(社交的な人々は「ひきこもる力」をわかってない 大勢と集まったりしない人は何をしているのか、NHK「こもりびと」誕生秘話、発案者が語る今ひきこもりを取り上げる理由)である。

先ずは、9月6日付け東洋経済オンラインが掲載した思想家・詩人・文芸批評家の吉本 隆明氏による「社交的な人々は「ひきこもる力」をわかってない 大勢と集まったりしない人は何をしているのか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/372123
・『コロナ自粛の影響で、例年より短くなった子どもたちの夏休み。学校に不安を感じている子にとって、新学期のスタートはしんどい時期でもあります。自粛期間が明け、日々の出社を求められるようになった大人たちの中にも、家にこもっていられた生活のほうがよかったと感じる人が少なくないかもしれません。 「ひきこもりは悪ではない。ひとりで過ごす分断されないひとまとまりの時間にこそ価値がある」 そう説いて、多くの人を救ってきた約20年前の名著があります。思想家・吉本隆明氏の『ひきこもれ』です。 本稿では絵本作家ヨシタケシンスケさんのイラストとともによみがえった『ひきこもれ<新装版> 』より「1人でこもって過ごす時間の価値」と「第二の言語」について紹介します』、吉本 隆明氏は東工大電気化学科を1947に卒業、エンジニア出身の思想家という珍しい経歴である。詳細は下記Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9C%AC%E9%9A%86%E6%98%8E
・『時間をこま切れにされることの弊害  「ひきこもり」はよくない。ひきこもっている奴は、何とかして社会に引っ張り出したほうがいい。 そうした考えに、ぼくは到底賛同することができません。ぼくだったら「ひきこもり、いいじゃないか」と言います。世の中に出張っていくことがそんなにいいこととは、どうしても思えない。 テレビなどでは「ひきこもりは問題だ」ということを前提として報道がなされています。でもそれは、テレビのキャスターなど、メディアに従事する人たちが、自分たちの職業を基準に考えている面があるからではないでしょうか。彼らはとにかく出張っていってものを言う職業であり、引っ込んでいては仕事になりません。だからコミュニケーション能力のある社交的な人がよくて、そうでない奴は駄目なんだと無意識に決めつけてしまっている。 そして「ひきこもっている人は、将来職業に就くのだって相当大変なはずだ。社会にとって役に立たない」と考えます。 でも、本当にそうでしょうか。 ぼくは決してそうは思わない。世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身に付けないと一人前になれない種類のものです。学者や物書き、芸術家だけではなく、職人さんや工場で働く人、設計をする人もそうですし、事務作業をする人や他人にものを教える人だってそうでしょう。 ジャーナリズムに乗っかって大勢の前に出てくるような職業など、実はほとんどない。テレビのキャスターのような仕事のほうが例外なのです。いや、テレビのキャスターだって、皆が寝静まった頃に家で1人、早口言葉か何かを練習していたりするのではないでしょうか。それをやらずに職業として成り立っていくはずがない。 家に1人でこもって誰とも顔を合わせずに長い時間を過ごす。周りからは一見無駄に見えるでしょうが、「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にも必ず必要なのだとぼくは思います』、「世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身に付けないと一人前になれない種類のものです」、「「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にも必ず必要」、言われてみれば、その通りだ。こんんあ考え方には初めて接した。
・『1人で過ごす時間が「価値」を生み出す  ぼくには子どもが2人いますが、子育てのときに気をつけていたのは、ほとんどひとつだけと言っていい。それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです。くだらない用事や何かを言いつけて子どもの時間をこま切れにすることだけはやるまいと思っていました。 勉強している間は邪魔してはいけない、というのではない。遊んでいても、ただボーッとしているのであっても、まとまった時間を子どもにもたせることは大事なのです。1人でこもって過ごす時間こそが「価値」を生むからです。 ぼくは子どもの頃、親に用事を言いつけられると、たいてい「おれ、知らないよ」と言って逃げていました。そうして表に遊びに行って、夕方まで帰らない。悪ガキでしたから、その手に限ると思っていました。 そうするとどうなるかというと、親はぼくの姉にその用事を言いつける。姉はいつも文句も言わずに従っていました。いま思っても、あれはよくなかったなあと反省します。つまり、女の子のほうが親は用事を言いつけやすい。姉本人もそういうものだと思って、あまり疑問をもたずに用足しに行ったりするわけです。 そういったことを当時のぼくはよくわかっていた。そして、うまく逃げながらも「自分が親になったら、これはちょっとやりたくないな」と思っていたのです。) ぼくの子どもは2人とも女の子です。女の子が育っていくときにいちばん大きいハンデは「時間を分断されやすい」、つまり「まとまった時間をもちにくい」ということなのではないかと思うのです。それ以外のことは、女の子でもやれば何とかなる気がするのですが、これだけは絶対に不利です。だから余計、気をつけました。 お使いを子どもに頼むくらいなら、自分で買い物かごを持っておかず屋さんにでも何でも行くようにしていました。ほかのことではだらしない、駄目な親でしたが、それは意識してやっていましたね。つまりそれだけひきこもる時間というものを大事に考えてきたということです。 自分の時間をこま切れにされていたら、人は何ものにもなることができません。ゆくゆくはこれを職業にできたらいいな、と思えるものが出てきたらなおのこと、1人で過ごすまとまった時間が必要になります。はたから見ると、何も作り出していない、意味のない時間に思えても、本人にとってはそうではないのです』、「子育てのときに気をつけていたのは、ほとんどひとつだけと言っていい。それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです。くだらない用事や何かを言いつけて子どもの時間をこま切れにすることだけはやるまいと思っていました」、娘さん2人はどうなったのだろう。「自分の時間をこま切れにされていたら、人は何ものにもなることができません」、「はたから見ると、何も作り出していない、意味のない時間に思えても、本人にとってはそうではないのです」、なるほど。
・『ひきこもることで育つ「第二の言語」  ひきこもりが生み出すものについて考えてみます。 1人になって自分と向き合う長い時間をもつことが何をもたらすのかについて、「第二の言語」という考え方に基づいて、説明してみようと思います。 他人とコミュニケートするための言葉ではなく、自分が発して自分自身に価値をもたらすような言葉。感覚を刺激するのではなく、内臓に響いてくるような言葉。ひきこもることによって、そんな言葉をもつことができるのではないか、という話です。 ぼくは、言語には二種類あると考えています。ひとつは他人に何かを伝えるための言語。もうひとつは、伝達ということは二の次で、自分だけに通じればいい言語です。例えば、美しい風景を目で見て「きれいだね」と誰かに言ったとします。これは、自分の視覚が感じた内容を指し示し、ほかの人に伝える言葉です。自分の心が感じた内容を表現してはいるのですが、それを他人と共有するという要素も同じくらい大きい。これが第一の言語です。 それに対して、例えば胃がキリキリ痛んで、思わず「痛い!」と口に出てしまったとする。このときの言葉は、他人に伝えることは二の次です。つまり、意味を指し示して他者とコミュニケートするためではなく、自分が自分にもたらすために発した言葉である要素が強いのです。これをぼくは、第二の言語であると考えます。 第一の言語は感覚器官と深く関わっています。感覚が受け入れた刺激が神経を通って脳に伝わり、了解されて最終的に言葉となる。つまり感覚系の言語といえるでしょう。) 一方、第二の言語は内臓の働きと関係が深い。内臓に通っている神経は、感覚器官ほど鋭敏ではありません。だから痛みにしても、例えば胃の痛みは皮膚をケガしたときに比べると鈍い。 また、他人から見て、どのくらい痛いのかをうかがい知ることも難しいといえます。例えば熱いお茶を飲んだとき、口の中ではとても熱さを感じるけれども、喉仏から下へいくとそれほど熱さを感じません。まさに「喉元過ぎれば……」ということわざのとおりです。 ぼくはそれを、下っていく間にお茶が冷めるからだと思っていたのですが、そうではなく、喉から下は感覚が半分くらいしかないのだそうです。ぼくはこのことを、解剖学者の三木成夫氏によって知りました。 内臓には、感覚的には鋭敏ではないけれども、自分自身にだけよく通じるような神経は通っている。このことは、とても興味深く、示唆に富んでいると思います。「内臓の言葉」とでもいうのでしょうか、自分のためだけの言葉、他人に伝えることは二の次である言葉の使い方があるのだということです』、「自分のためだけの言葉、他人に伝えることは二の次である言葉の使い方がある」、面白い指摘だ。
・『大勢の人と交わることは必要か  この第二の言語、あるいは内臓の働きからくる言葉とでもいうべきものを獲得するには、ひきこもる要素が必要だということなのです。 ひきこもったりしないで、大勢の人と交わったほうが楽しいし、気分が紛れるということは確かにあります。生きていくうえで、それなりの有効性があると思います。でもそれは、感覚的な有効性であり、言ってみれば脳に直結する神経にとっての有効性です。 しかし、内臓に響くような心の具合というのは、それでは絶対に治らない。人の中に出ていって、食事をしたり、冗談話をすれば助かるということはないのです。ひきこもって、何かを考えて、そこで得たものというのは、「価値」という概念にぴたりと当てはまります。価値というものは、そこでしか増殖しません。) 一方、コミュニケーション力というのは、感覚に寄りかかった能力です。感覚が鋭敏な人は、他人と感覚を調和させることがうまい。大勢の人がいる中に入っていく場合、それは確かに第一番手に必要な能力かもしれません。 しかし、それは「意味」でしかない。 「意味」が集まって物語が生まれるわけですから、そういう経験も確かに役に立ちます。けれども、「この人が言っていることは奥が深いな」とか、「黙っているけれど存在感があるな」とか、そういう感じを与える人の中では、「意味」だけではなく「価値」の増殖が起こっているのです。それは、1人でじっと自分と対話したことから生まれているはずです』、「「この人が言っていることは奥が深いな」とか、「黙っているけれど存在感があるな」とか、そういう感じを与える人の中では、「意味」だけではなく「価値」の増殖が起こっているのです。それは、1人でじっと自分と対話したことから生まれているはずです」、なるほど。
・『「暗いこと」はコンプレックスにならない  価値を生み出すためには、絶対にひきこもらなくてはならないし、ひきこもる時間が多い人は、より多くの価値を増殖させていると言えます。 でも、コミュニケーションということでいえば、ぜんぜん駄目だということになるのでしょうね。「あいつは鬱陶しくてしょうがない」と言われるでしょう。それでも、その人の内部では、豊かさが増えていっているわけです。ほかの人にはわかりにくいでしょうが、何かのときに、その豊かさが伝わるということがある。 「よくよく話してみたら、この人はいろいろなことを考えているんだな」と思ってくれる人も出てくるはずです。ひきこもりの傾向のある人は、暗いとか話が盛り上がらないとか、あいつと一緒にいても気心が知れなくて面白くないとか、そんなことを言われているかもしれません。 もし、それがコンプレックスになっている人がいたとしたら、それは決して悪いことではないのだということを覚えておいてください。 あなたは、明るくて社交的ではないかわりに、考えること、感じて自分で内密にふくらませることに関しては、人より余計にやっているのです。それは、毎日毎日、価値を生んでいるということなのです』、「あなたは、明るくて社交的ではないかわりに、考えること、感じて自分で内密にふくらませることに関しては、人より余計にやっているのです。それは、毎日毎日、価値を生んでいるということなのです」、確かにその通りなのだろう。

次に、12月25日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したジャーナリストの:池上正樹氏による「NHK「こもりびと」誕生秘話、発案者が語る今ひきこもりを取り上げる理由」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/258091
・『11月末から12月前半にかけ、NHKがひきこもり関係の番組13本を一挙放送した「#こもりびと」プロジェクトが大きな反響を呼んでいる。このプロジェクトでは、筆者も番組づくりの一端を担わせていただいた。そこで、まだ余韻の冷めやらぬ「#こもりびと」のプロジェクト発案者である、NHK報道局の松本卓臣チーフ・プロデューサーに、プロジェクトが生まれたいきさつなどの話を聞いた』、興味深そうだ。
・『引きこもる息子役の松山ケンイチさんが父親役の武田鉄矢さんに訴えた言葉  「これまでだって、十分頑張ってきたんだよ。これ以上、何を頑張れって言うのよ」 引きこもる息子の役を務めた松山ケンイチさんが、父親役の武田鉄矢さんに訴えるシーンが印象的だった、ドラマ「こもりびと」のワンシーン。11月末から12月前半にかけ、NHKがひきこもり関係の番組13本を一挙放送した「#こもりびと」プロジェクトが、大きな反響を呼んでいる。 中でも、NHKスペシャルドラマ「こもりびと」(11月23日放送)とNHKスペシャル「ある、ひきこもり死 扉の向こうの家族」(11月29日放送)は異例の高視聴率をマーク。ビデオリサーチの調べによると、関東地区の総合視聴率はそれぞれ、「こもりびと」が11.0%、「ある、ひきこもり死」が10.3%に上ったという。局には「他人事とは思えない」という声が数多く寄せられ、引きこもる本人やその家族の間で「こもりびとロス」なる言葉も生んだ。 また、今回のNHKスペシャルを見た自民党の下村博文政調会長が党内に「対策プロジェクトチーム」を立ち上げるなど、支援施策に当事者の声を反映させる流れも加速しそうだ。 このドラマのタイトルにも使われた「こもりびと」プロジェクトが始まって以来、筆者は全国のひきこもり家族会などの現場で「なぜいま、NHKがキャンペーンやっているのですか?」とよく尋ねられた。 プロジェクトを統括する松本氏によると、きっかけは2019年3月、内閣府の実態調査でひきこもり状態にある人が100万人に上ると推計されたことだったと振り返る。 「NHK局内でもきちんと伝えていかないといけないと思わせる、インパクトのある数字でした。その後、川崎市の通り魔殺傷事件や元農林水産事務次官の長男殺害事件などが『ひきこもり』と結び付けられ、本人や家族が困惑し、動揺していました」 現場のディレクターたちからは、「ひきこもり状態に置かれている人の実像を正確に伝えなければいけないのではないか」という意見が上がってきた。 同年8月には、筆者も出演した「クローズアップ現代+」で「中高年ひきこもり」をテーマに、死に至る人もいる現実を放送。やはり大きな反響が寄せられた。その後も、「ひきこもり」をテーマにした「クローズアップ現代+」が2本続けて放送されている。 声を上げられずに長い歳月を過ごした「中高年ひきこもり」の人たちが、親世代が亡くなることによって自身も亡くなってしまう厳しい現実の端緒が表れ始めている。報道番組だけでなく、NHKの他の情報番組もそれぞれの視点で「ひきこもり」について別々に伝え始めていた』、社会の関心の高まりが背景にあるのだろう。
・『「ひきこもり」というテーマはNHKが総力を挙げて発信すべき  そんな中、現場のディレクターたちの間からこんな声が挙がってきたという。 「裾野の広いテーマなので、各セクションが意見交換もしないでバラバラに伝えるより、NHKが一枚岩になって、課題や知見を集約しながら全体像を正確に発信していかないといけないのではないか」 「こもりびと」プロジェクトは、そんなボトムアップのプロジェクトだった。 「番組の放送を重ねる中で、『ひきこもり』の広がりは時代の変化と関係があるのではないかという感覚がありました。また、(ひきこもり状態にある人が関係する)事件が起きると、当事者に対する『怠けだ』『自己責任だろう』という意見も相変わらず聞こえてくる中で、『ひきこもり』という言葉の持つネガティブなニュアンスを変えられないかという声が幾つかあったのです」(松本氏) そのときすでにNHKには「ひきこもり」に関する情報発信に取り組んでいる番組があった。情報番組「あさイチ」は女性の視点から取り上げ、「プロフェッショナル 仕事の流儀」はひきこもり支援者の石川清さんを取材していた。また、さまざまな福祉情報を展開している「ハートネットTV」もあった。 松本氏が「一緒にやりませんか?」と各番組のプロデューサーやディレクターの元を訪ね歩いたら、「ぜひやりたい」ということになり、スムーズに進んだという。 「誤解を理解に変えていきたい」という思いから、同プロジェクトは元農水次官による刺殺事件から1年後となる、20年5月末の放送を目指した。松本氏は、局内を横断する形の大規模なプロジェクトの提案書を書いて各番組と連携し、企画が実現に向けて動き出した』、公共放送ならではの強味だ。
・『コロナ禍で日本中が「総ひきこもり化」 プロジェクトは一時休止  ところが、その矢先にコロナ禍に見舞われた。 3月末ごろには、ドキュメンタリ―の取材がままならなくなった。政府から緊急事態宣言も出され、ドラマ「こもりびと」の撮影も中断した。 まさに、日本中の人たちが総ひきこもり化した。こういう状況の中で、引きこもって苦しんでいる人をテーマにすること自体、やりにくいという空気も生まれた。 ただ、夏頃になると、「これから先、経済は厳しくなっていくだろう」「人との関係が断たれてしまう人が増えていく」という懸念も広がっていた。実際、仕事を失う人が目に見える形で増えていた。 「今であれば番組を受け止める側も、人とのつながりが断たれてしまう苦しさや孤立せざるを得ない状況に思いをはせてくれる人が多いのではないか。それに、新たなひきこもり層の形成につながるような事態も起きていた。むしろ今こそ、『ひきこもり』について、伝えることが大事なのではないか」 松本氏が感じていた問題意識と同じような思いを他のディレクターたちも共有していた。 また7月には、引きこもっている人を無理やり部屋や自宅から連れ出す「問題」を取り上げた『クローズアップ現代+』(筆者も出演)を放送。その番組の取材を通して、「親御さんたちがコロナ禍によって支援先とつながれなくなって苦しんでいる話を伺えたのも参考になりました」と松本氏は語る。 「ひきこもりは、時代の揺らぎや経済の打撃とも無関係ではない。その意味を他の番組の関係者とも共有できて、11月に『ひきこもりプロジェクト』の実現を目指すことになったんです」』、組織力はさすがに強いようだ。
・『「ステイホーム」で家族全員が逃げ場を失うケースも  世の中全体が「ステイホーム」の状況になり、引きこもっていた本人にとってはやましさから解放され、気持ちが楽になったという声がある。その一方で、家族全員が家の中にいて逃げ場がなく、お互いのストレスがたまり、緊張関係が高まった――。そうした話が、筆者が関わっている家族会でも相次いで報告された。 雇用についても、コロナ禍の影響で解雇や雇い止めに遭ったという相談が夏頃から届き始めていた。リーマンショックのときも少し時間が経ってから、以前の状況に戻れない新たなひきこもり層が増加したことを考えると、これから一気に問題が顕在化していく予感があった。 松本氏らは、考えを切り換えるようになった夏頃からドラマの撮影も再開。NHKスペシャルにはコロナ禍の要素も取り込んだ。 「局内も、このプロジェクトを行うことは大事なのではないかという空気に自然となっていったんです」(松本氏)』、なるほど。
・『「他人事とは思えない」「明日はわが身」 視聴者から最も多かった反響の声  プロジェクトのドラマやドキュメンタリーなどの放送後に最も多かった声は、「他人事とは思えない」「明日はわが身」などだ。厳しい状況の人たちを取材しているにもかかわらず、「特殊な世界の人」といった反応はほとんどなかったという。 「皆、多かれ少なかれ、社会や家庭内での生きづらさ、業績や効率を求められる組織の中での疎外感、将来どうなるか分からない不安を抱えている。とても多くの人が、ひきこもり当事者の方が語る言葉や、松山ケンイチさんのセリフを自分に重ねて見てくれたし、今という時代に響くテーマだったんだなと改めて感じました」 ところで、なぜプロジェクト名が、元々の「ひきこもり」ではなく「こもりびと」のネーミングになったのか。 「放送するたびに、『ひきこもりという言葉が悪い状態を指しているようでしんどくなります』といった声を耳にする機会が増え、伝え方について考えるようになりました。例えばハートネットTVでは『ひきこもり文学』に出てくるご本人たちが、深い言葉を持っている。こうして魅力的に伝える視点もあるのかと思いました。ひきこもりという言葉が、悪いことのようなレッテルになっていないかについても、プロジェクトの中で議論になったんです」 NHKでは元々「ひきこもりクライシス」というサイトで、当事者の声を紹介したり取材の情報を伝えたりしていた。一方で、「ひきこもり」が危機であるかのように受け取られかねないのではないかという議論もあったという』、NHK内で様々に取り組んできた経験の積み重ねがあったからこそ、議論になったのだろう。
・『「ひきこもり」から「こもりびと」へプロジェクト名が決まった経緯  「ドラマの制作中に神奈川県大和市で(19年10月から)『こもりびと』という呼び方をしていることも聞きました。呼称の響きが優しいことも参考になり、先にドラマのタイトルが決まったんです。今までのような伝え方のままでいいのかと自問自答しながら、ひきこもりという目線そのものも考えながら向き合っていけないかという思いで、『#こもりびとプロジェクト』に決まったんです」 中には「ひきこもりは問題なんだから、柔らかい名前でくるむな」といった視聴者の声もあり、そうした指摘も受け止めているという。ただ、大半は「温かみがある言葉」「こもりびとって、いいよね」といった反応だったそうで、特にドラマ「こもりびと」の続編を希望する声は、筆者も家族会などで数多く聞いた。 「苦しみを抱えて逃れたい人たちもいて、いろんな形で手を差し伸べなければいけない。まずは、自分たちが持っていた固定観念、目線を変えていくことも大事なのかなと思います。自分自信も番組に深く関わる以前は、ひきこもり当事者に対して『自業自得の面もあるのではないか』という思いが、心のどこかにあった。取材を通して知れば知るほど、そうではないことが分かってきたし、『ひきこもり』という言葉に違和感を覚えるという声も理解できるようになった。そうしたことも、僕らはきちんと伝えていく責任があると思いました」 従来の「ひきこもり」という言葉が持つ、外から問題視しているかのようなニュアンスを変えていきたい――。「こもりびと」というネーミングには、そんなメディアとしての思いも込められているようだ。 「現場のディレクターたちからは、継続して伝え続けていくことが大事だと言われています。『こもりびと』への反響を受けて、もっと深掘りしていきたいと思っています」(松本氏) ※この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方、また、「こういうきっかけが欲しい」「こういう情報を知りたい」「こんなことを取材してほしい」といったリクエストがあれば、下記までお寄せください。Otonahiki@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください) なお、毎日、当事者の方を中心に数多くのメールを頂いています。本業の合間に返信させて頂くことが難しい状況になっておりますが、メールにはすべて目を通させて頂いています。また、いきなり記事の感想を書かれる方もいらっしゃるのですが、どの記事を読んでの感想なのか、タイトルも明記してくださると助かります』、「自分自信も番組に深く関わる以前は、ひきこもり当事者に対して『自業自得の面もあるのではないか』という思いが、心のどこかにあった。取材を通して知れば知るほど、そうではないことが分かってきたし、『ひきこもり』という言葉に違和感を覚えるという声も理解できるようになった」、検討の結果決まった「こもりびと」は、確かに「温かみがある言葉」で良さそうだ。

本日紹介する記事は以上だが、このブログの3月18日、「医療問題(その28)」で紹介した記事のなかに、東洋経済オンライン「引きこもりの彼が精神病院で受けた辱めの驚愕 就職支援施設から強制連行されたのはなぜか」、があった。これもひきこもりを扱っているので、まだ読んでいない方には、一読をお勧めしたい。
タグ:大勢の人と交わることは必要か 「自分のためだけの言葉、他人に伝えることは二の次である言葉の使い方がある」、面白い指摘だ 「自分の時間をこま切れにされていたら、人は何ものにもなることができません」、「はたから見ると、何も作り出していない、意味のない時間に思えても、本人にとってはそうではないのです」、なるほど 「世の中の職業の大部分は、ひきこもって仕事をするものや、一度はひきこもって技術や知識を身に付けないと一人前になれない種類のものです」、「「分断されない、ひとまとまりの時間」をもつことが、どんな職業にも必ず必要」、言われてみれば、その通りだ。こんんあ考え方には初めて接した。 吉本 隆明氏は東工大電気化学科を1947に卒業、エンジニア出身の思想家という珍しい経歴 「社交的な人々は「ひきこもる力」をわかってない 大勢と集まったりしない人は何をしているのか」 (その10)(社交的な人々は「ひきこもる力」をわかってない 大勢と集まったりしない人は何をしているのか、NHK「こもりびと」誕生秘話、発案者が語る今ひきこもりを取り上げる理由) ひきこもることで育つ「第二の言語」 「子育てのときに気をつけていたのは、ほとんどひとつだけと言っていい。それは「子どもの時間を分断しないようにする」ということです。くだらない用事や何かを言いつけて子どもの時間をこま切れにすることだけはやるまいと思っていました」、娘さん2人はどうなったのだろう 時間をこま切れにされることの弊害 吉本 隆明 東洋経済オンライン ”ひきこもり”問題 「「この人が言っていることは奥が深いな」とか、「黙っているけれど存在感があるな」とか、そういう感じを与える人の中では、「意味」だけではなく「価値」の増殖が起こっているのです。それは、1人でじっと自分と対話したことから生まれているはずです」、なるほど。 「あなたは、明るくて社交的ではないかわりに、考えること、感じて自分で内密にふくらませることに関しては、人より余計にやっているのです。それは、毎日毎日、価値を生んでいるということなのです」、確かにその通りなのだろう ダイヤモンド・オンライン 池上正樹 「NHK「こもりびと」誕生秘話、発案者が語る今ひきこもりを取り上げる理由」 引きこもる息子役の松山ケンイチさんが父親役の武田鉄矢さんに訴えた言葉 社会の関心の高まりが背景にあるのだろう 「ひきこもり」というテーマはNHKが総力を挙げて発信すべき 公共放送ならではの強味だ コロナ禍で日本中が「総ひきこもり化」 組織力はさすがに強いようだ。 「ステイホーム」で家族全員が逃げ場を失うケースも 「他人事とは思えない」「明日はわが身」 視聴者から最も多かった反響の声 NHK内で様々に取り組んできた経験の積み重ねがあったからこそ、議論になったのだろう。 「ひきこもり」から「こもりびと」へプロジェクト名が決まった経緯 「自分自信も番組に深く関わる以前は、ひきこもり当事者に対して『自業自得の面もあるのではないか』という思いが、心のどこかにあった。取材を通して知れば知るほど、そうではないことが分かってきたし、『ひきこもり』という言葉に違和感を覚えるという声も理解できるようになった」、検討の結果決まった「こもりびと」は、確かに「温かみがある言葉」で良さそうだ このブログの3月18日、「医療問題(その28)」 「引きこもりの彼が精神病院で受けた辱めの驚愕 就職支援施設から強制連行されたのはなぜか」
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