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東京オリンピック(五輪)(その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」)  [社会]

東京オリンピック(五輪)については、2月21日に取上げた。今日は、(その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」)である。

先ずは、2月25日付けAERAdotが掲載したジャーナリストの池上彰氏と漫画家のヤマザキマリ氏の対談「「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/aera/2021022400005.html?page=1
・『森喜朗氏の女性蔑視発言の中で、注目を集めた「わきまえる」という言葉。コロナ禍での「自粛警察」にも通ずる。そうした風潮を打破するために今、求められることとは。AERA 2021年3月1日号で、池上彰さんとヤマザキマリさんが語り合った。 池上彰:非常に身につまされたのはオリンピックの組織委員会の方々は皆さん、「わきまえておられる」んですよね。ツイッターでは「わきまえない女」っていうハッシュタグもついたりしましたけど、あの「わきまえておられる」っていうのが実に日本的です。 私も含めて男たちって、会議の終わりの時間が近づいてきて、話が長くなっちゃいけないからこのへんで早く終えようという時に、言いたいことがあっても黙ってさっさと終わらせようっていうところがあると思うんです。そういうのをわきまえるって言われてしまうのかなと。わきまえちゃいけないんだなって、身につまされたんです。 ヤマザキマリ:わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない。わきまえるという感覚には、あ・うんで理解するみたいなことに近いものがあるじゃないですか。 池上:そうですね。 ヤマザキ:私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い。私以外にもそういう日本人の友人はいますし、そういう人は決して少なくないと思うんです。まあそれでこの社会でやっていくにはなかなか難しい部分もありますね。でしゃばりは世界中にいるけど、日本はちょっと声をあげただけでそういう捉えられ方をしてしまう。まさにわきまえてない迷惑な人として』、「わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない」、「私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」、「きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」とは言い得て妙だ。
・『池上:わきまえるでいうと、今のコロナの中で日本の場合はヨーロッパのようなロックダウンをしないわけです。「緊急事態宣言です、みんなで努力をして抑えましょう」って自粛を呼びかけますよね。それって、ある意味「わきまえてくださいね」って政府が言っているようにも思えるんですよね。 ヤマザキ:そうですね。欧米社会は多民族国家で多様な宗教観もありますし、様々な倫理観や価値観があるから、みんなの気持ちが一斉にまとまることはまずありません。だからイタリアではコロナの初期のロックダウン時には、「みんなそれぞれ考え方が違うでしょうけど、今回ばかりは、悪いけどそうしないと大変なことになります」という示唆のある提示をコンテ元首相がしたわけです。 池上:だからロックダウンしても「冗談じゃない」と外へ飛び出したり、マスクを強制するなって言ったりする人たちがいるわけですよね。日本人が見ていると、本当にわきまえない人たちってヨーロッパにはいっぱいいるんだなって思いますよね。 ヤマザキ:どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします。 池上:ヨーロッパで自粛警察なんて言葉、生まれないでしょう。 ヤマザキ:生まれないですね。それがあるとしたらイスラム圏ですよ。例えばホメイニ政権以降のイランでの宗教警察です。街の中でちょっとでも西洋かぶれした服装や態度を取っている若者たちがいれば、見せしめも含めて厳しく取り締まられますが、日本の世間的戒律における自粛警察にも、ちょっとそれに近いものを感じますよね。暗黙の暴力行為で戒める』、「(ヨーロッパ人が)どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします」、「世間体の戒律」とは上手い表現だ。
・『引き出しに収める作業  池上:自粛警察って要するに、わきまえない人間を摘発することのような気がするんです。だから森さんの「皆さん、わきまえておられて」というのと、コロナ禍の自粛警察って相通ずるような気がします。 同じように、日本には「空気を読む」っていう言葉もありますよね。これは言語化しないで「空気」を読んで判断しましょうというわけです。これも日本独特だなと思うんです。 ヤマザキ:そうなんです。そこなんですよ。言語化って、考え方が自分のものとして、きちんと引き出しの中に収まる作業だと思うんですよね。考えた事柄はアナログなまま放置しておかずに言語というデジタルに置き換えないと身につかない。 それをないがしろにして、ただただアナログな感覚だけでやり取りしていくというのは、江戸時代ならともかく、世界とこれだけ繋がってしまった現代の日本ではあまりもう通用しないのかもしれない。むしろ落語などを聞いていると、まだ江戸時代のほうが、みんな思ったことをしっかり言語化できていたのがわかります。しかもそこには洒落という寛容な精神性もあった。でも今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています』、「今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています」、なるほど由々しい傾向だ。
・『言語化されない表出  池上:私もものすごく反省してることがあるんです。最近何かあると「なんだかなー」って言っているんです。なんだかなーっていうのは、つまり否定的な、それはいけないんじゃないかと思ってるっていうことを表出しているわけですが、言語化はされていないんですよね。 ヤマザキ:確かに言語化されてないですね。そんなのを2500年前のソクラテス先生が聞いたら怒られてしまいますよ。何やってんだって(笑)』、確かに現在の日本人の「言語化されてない」表現は、「ソクラテス」から怒られるのは必至だ。

次に、3月22日付けPRESIDENT Onlineが掲載したジャーナリストのさかい もとみ氏による「「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/44405
・『突如浮上した「東京五輪に中国製ワクチン」  今夏に迫る東京オリンピック・パラリンピックの催行可否が議論されている中、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長は、中国製ワクチンを大会に導入する考えを突如ぶちあげた。予想外の展開に日本側は困惑、組織委員会の武藤敏郎事務総長は「事前に話は全く聞いていない。ワクチン接種は国による決定事項だ」とコメントするのが精いっぱいだった。 のちに触れるが、五輪参加にワクチン接種は義務付けられていない。選手や関係者にとっては強制接種に迫られるとの誤解を招きかねない会長発言の背景には何があるのか。公式資料と関係者への取材をもとに現状を探ってみることにしたい。 バッハ会長の発言は3月11日、IOCの定例総会の席上で飛び出した。東京五輪実施に向けたオンラインでの5者会談で、事前打ち合わせが全くない中、「中国オリンピック委員会から、今夏開催予定の東京五輪・パラリンピックと2022年冬季北京五輪・パラリンピックの参加者にワクチンを提供するとの申し出があった」と述べた。 これを受け、「ワクチン未接種の選手・役員は、中国製ワクチンを打つよう求められる」と受け取った報道が世界を駆け巡った。中国とIOCの癒着を疑う意見も重なり、日本のみならず、世界各国のメディアが会長発言の真相を追う記事を一斉に報じた』、結果論にはなるが、中国の「ワクチン」外交活発化を踏まえれば、日本としては、「IOC」への「働きかけ」に対して事前に備えておくべきだった。
・『ワクチン接種は「推奨および支援します」  まず、IOCはワクチンへの対応をどう考えているのだろうか。先に刊行された「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」に当たる「公式プレイブック アスリート/チーム役員」を読むと次のような記述がある。 「IOCはオリンピックチームとパラリンピックチームにワクチン接種を呼びかけます」「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」 さらには、「日本の皆さんには、(東京五輪が=編集部注)大会参加者だけでなく日本人自身をも保護するためにあらゆる措置が施されていると確信をもってもらうべきと考えています」と、東京五輪が日本国内でのコロナウイルス拡散の原因にならないよう配慮を重ねているという姿勢もみられる。 結論として「大会参加に際しワクチン接種は義務ではありません」と明示している。 IOCはプレイブックについて、アスリート/選手向けのほか、国際競技連盟向け、各国のプレス(取材者、カメラマン等)向け、そしてスポンサーであるマーケティングパートナー向けの計4バージョンを編纂している。 目下、アスリート/選手向けのみ日本語版が用意されており、制限なく誰でも読めるようになっている。これを読むと、大会関係者が守るべき日本滞在中のコロナ感染(拡散予防)対策は細かく明示されており、ちまたで叫ばれている「選手の隔離対策は本当に万全なのか?」といった疑問への回答に当たる記述もまとめられている』、「IOC]が「「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」で、「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」、としているのであれば、中国の無償供与はIOCにとっても好都合だ。
・『IOCが無視できない「中国の恩」  バッハ会長は今回の発言に先立ち行われた会長選挙で、94票のうち93票の信任票を得て、会長に再任された。2期目を磐石とするため、是が非でも東京開催を諦めないことを訴え続ける必要があったとみられる。 この再選の裏には、2022年に北京で冬季五輪を控えている中国の存在が大きい。 バッハ氏は2013年、ジャック・ロゲ前会長から会長職を引き継いだ。2022年冬季五輪の開催地を決めた2015年は、立候補を目指すとされていた有力都市が次々と脱落。結果的に北京の立候補を受けることができ、一息つける格好となった。巨額な費用負担を理由に五輪招致を断念する都市が増える中、「困っているIOCを中国が救った」ともいえる』、「バッハ会長」が「中国」に大きな恩義を感じているのであれば、日本側としてはますます「中国」の出方を予測して、備えておくべきだった。
・『騒ぎの幕引きを図るが…  中国の大手企業は次々と五輪事業のスポンサーとなっており、事実上、中国が金銭面でもIOCを支えている。こうした背景もあり、ビジネス面で中国と太いパイプを持つバッハ氏が会長選挙で無投票再選するのは当然の結果だったかもしれない。 中国への配慮とはいえ、会長の発言はいかにも舌足らずだった。「選手の日本上陸後、中国製ワクチンを全員に打つ」と受けとられても仕方なく、報道もこれをそのまま伝えざるを得なかった。 その後の補足説明で、「中国製ワクチンは承認済みの国に対してのみ供与する」と明確に方針を述べた。丸川珠代五輪担当相も「承認された国で判断することだろうと思う」と足並みをそろえ、騒ぎの幕引きを図った。 ひとまず「日本に持ち込んで打つ」との誤解はいったん解けたが、中国の協力を受けながらワクチン接種を進めるとの発表もあり、引き続き会長と中国との間に「強固な関係」がある疑念は残る』、「疑念は残る」とソフトな表現になっているが、実態は「疑念」が強まったの方が適切だろう。
・『来冬の北京五輪は義務付けになるか  ワクチン接種は目下、先進国を中心に進んでいるのみで、発展途上国の中には1本もワクチンが届いていない国もある。先進国の中にも、「高齢者など高リスク者への接種を進めるべきだ」との流れからアスリートの接種は後回しにしている例もみられる。現状、接種を前提に東京五輪参加を打ち出すのは不可能だ。 だが、中国オリンピック委員会がIOCに持ちかけた提案が本当なら、来冬の北京五輪では、中国製ワクチンの接種が義務となるかもしれない。それは次のような例から感じられる。 中国は3月15日、日本を含む各国駐在の中国大使館を通じて、同国で就労するビジネスパーソンらに対し、入国に対する新たなガイドラインを発表した。 中国への再入国を希望する就労者はこれまで、現地自治体や関係当局から特別な許可証を得た上で、ビザを再申請。許可が出たのちにようやく渡航できるという煩雑な手続きが必要だった。ところが、ここへきて「中国製ワクチン接種済みの申請者に対しては、提出書類の簡略化を認める」と公言した。 言うまでもなく、日本は中国製ワクチンに対する使用承認を与えていない。一方で「中国に一日も早く戻って仕事をしたい」という要望を持つ企業関係者も少なくない。経済界から中国製ワクチンの国内承認を進めろという動きが沸き起こる可能性もあり、ワクチン外交を推し進める中国の動向は引き続き注視する必要があるだろう』、警告は遅きに失したようだ。
・『「北京ボイコット」を阻止したい事情  これほどまでに中国が五輪のワクチン導入にこだわる理由は、一部の国で北京五輪をボイコットしようとする動きがあり、ワクチン供与をチラつかせながら各国がボイコットに傾くのを阻止したい思惑があるからだ。 新疆ウイグル自治区で少数民族ウイグル族への弾圧が繰り返し行われているとする疑念をめぐっては、これまでに米国、カナダ、オランダの議会が中国政府による同自治区での所業を「ジェノサイド(大量虐殺)」とみなす段階にまでエスカレートしている。 中国当局がウイグルだけでなく、香港でも民主派勢力の完全追放にかかる中、人権を踏みにじるといったさまざまな行いに対する批判は、中国自らが相応な自制をしない限り、批判は高まることはあっても下火になる可能性は低い。 中国政府は何としても北京五輪を成功させたい。史上初の夏冬両大会を催行した都市として歴史に残すという目的はともかく、国威向上のためには是が非でも米国をはじめとする各国からの参加を得たい。そして、それはボイコットによる参加国の大幅減少という惨状を見たくないIOCも同じだ』、1980年のモスクワオリンピック はソ連のアフガニスタン侵攻で、「日本」を含む西側諸国が「ボイコット」したのは記憶に新しいところだ。
・『会長発言でバレてしまった  ニューヨークタイムズは、「バッハ会長は、中国によるワクチン提供について、実際の接種に向けたプログラム、調達されるワクチンの量、そしてかかる費用についての詳細はほとんど述べていない」とした上で、「ワクチン購入代金は、バッハ政権下で中国との緊密な関係を保ってきたIOCにとって、大した支出にはならないだろう」と報じている。 IOCと中国双方の最大課題である「参加辞退国の続出を避ける」という点で目的が合致した結果、「拙速なワクチン提供方針の発表」につながったと見ることもできる。これまで述べたように、IOCに対し中国の「強大な力」が働いていることは間違いなく、バッハ会長が「中国によるワクチン提供」を口にしたことで、中国のワクチン外交推進にIOCが積極的に参加していることがバレてしまう格好となった』、その通りだ。
・『日本は振り回されてはいけない  中国はこれまでに、北京五輪へのボイコットを検討する国々に釘を刺すため、中国共産党系のメディアは「どこかの国がボイコットすれば北京は必ず報復する」と警告している。 一部の国では中国にとやかく言われるのが厄介なので、東京五輪に参加する関係者全員にワクチンを打つことを検討している動きもある。加えてIOCが「中国製ワクチン」に対するお墨付きを与えたことで、中国政府は自国の活動への後押しになると感じているはずだ。そして、北京五輪が最終的に開催されたならば、中国に「巨大なプロパガンダの勝利」をもたらすことになるだろう。 来年の北京大会を実施する中国をひいきする一方、目前の課題である東京大会を潰すわけにもいかないIOC。これがバッハ会長の暴走発言につながったのか。中国当局とIOCの巧妙な仕掛けによる「ワクチン浸透策」に日本は安易に振り回されないようにすべきだ』、「ワクチン」早期確保に失敗した「日本」にとっては、「負け惜しみに聞こえる。

第三に、3月28日付けPRESIDENT Onlineが掲載したノンフィクションライターの木村 元彦氏による「「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/44519
・『東京オリンピック・パラリンピックは本当に開催できるのか。ノンフィクション作家の木村元彦さんは「8割の人が中止や延期を望んでおり、日本人の心が五輪から離れている。ステークホルダー・エンゲージメントという考え方から読み解くと、2つの致命的な原因が見えてくる」という』、「ステークホルダー・エンゲージメント」とは何なんだろう。
・『分断の背景にあるもの  東京五輪の延期が決定して、ほぼ一年が経過した。「何が何でも開催する」という掛け声は勇ましくもそこに民意は無く、日本経済新聞の世論調査(2月1日付)では相変わらず回答者の約8割が中止か延期を望んでいるという。 本来、オリンピック好きと言われる日本の人々の心がなぜここまで五輪から乖離してしまったのか。 コロナ禍における日常生活の苦しさから、五輪の受益者である富裕層と、そうではない大多数の人々とのギャップが露見したことが大きい。「これは私たちが愛した五輪ではない」という意識が分断をもたらしたとも言える。 何が足りていなかったのかと考えるときに、私にはスポーツ法が専門の早稲田大学松本泰介准教授が発した「ステークホルダー・エンゲージメント」という言葉が最も腑に落ちた。松本氏によれば「ステークホルダー・エンゲージメント」とは、「プロジェクトの議論や意思決定のプロセスにおいて利害関係者の存在をそこに置かなくてはいけない」という意味のガバナンス論の専門用語だ。 「東京五輪のような膨大な税金を使った国家プロジェクトになれば、利害関係者は国民規模にまで及びます。ときに透明性という言葉も使われますが、単なる一方的、事後的な情報開示だけでなく、どう巻き込むのか、もっと広範な意味を持ちます。ところが、今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」(松本氏)』、「今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」、その通りだろう。
・『「法」と「報」の機能不全  象徴的なのは、安倍晋三前首相が五輪開催の延期を発表したことだった、と松本氏は指摘する。 「契約関係から言えば、これは当然、日本のスポーツ界全体を代表してJOC(日本オリンピック委員会)も含めて行うべきことです。ところがJOCは蚊帳の外に置かれてしまった。米国でUSOPC(米国オリンピック・パラリンピック委員会)が同じようなことをされたら、大問題になりますよ」 本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議(IOC会長、大会組織委会長、東京都知事、五輪担当相が参加)からも外されている。かように重要なことなのに誰も何も言わない。 ガバナンスが崩壊していることに神経がマヒしている。ステークホルダー・エンゲージメントは手間がかかるし、ひとつの正解は無いかもしないが、重要なのはそこでの納得である。プロセスに納得すれば、たとえ運営での不手際などがあっても「私たちの五輪」だという意識が働く。 機能していないのはガナバンスのみならず、報道を担うメディアも同様である。「法」と「報」が機能していないことが、五輪離れを加速させた』、「本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議・・・からも外されている」、言われてみれば、確かに不自然だ。 
・『機能不全の「法」……無視される選手たちの声  2月3日、大会組織委の森喜朗会長(当時)がJOCの臨時評議員会で女性蔑視発言をした。翌日から森氏の処遇の検討と再発防止を求める署名運動がネット上で起こり、約2週間で15万筆超が集まった。署名は組織委に提出された。 これこそがステークホルダーの動きと言って良いであろう。 今回の東京五輪はもはや、選手のためでも自分たちのためでもなく、一部の人たちの利権でしかないことが、あらわになってきた。その中で「オリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、(中略)などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない」というオリンピック憲章の根本原則は、開催国に暮らす人々の最後の拠り所であったと言えよう。 それを実現する立場にある組織委のトップが自ら貶める発言をした以上、「わきまえて」などいられない。動いたのは「私たちの五輪」をまだあきらめてはいない、スポーツに希望を見出していた人たちであろう。いくらカネ集めと政治に能力があろうとも五輪精神を蔑ろにする人間はNOなのだ。 アスリートも声を上げた。女子100mハードルの日本記録保持者である寺田明日香選手は2月5日、ツイッターで「#わきまえない女」というハッシュタグとともに、こんな投稿をした。(投稿文はリンク先参照) さらに「選手は組織委やJOCの言いなりでないことを示したかった」と発言。この言葉の持つ意味は大きい。組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている。 JOCはIOCの意向もあり、各NF(競技団体)に選手の声をくみ上げるアスリート委員会の設置を義務付けている。 しかし、コロナ禍での五輪の在り方はどうあるべきか、アンケートを取るなどの行為は一度もしていない。上意下達であり続けることに現役選手が不信を隠さず、声をあげるのは必然である。世界的にも火のついた世論は収まらなかった』、「組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている」、確かに問題だ。
・『機能不全の「報」……追認するだけの報道機関  森氏がIOCからダメを出されるという事態に陥って、次に起きたのが、その森氏による日本サッカー協会元会長・川淵三郎氏への「後継指名」だった。それも唐突に2月11日にメディアによって発表された。 ガバナンス以前の社会通念から見ても、問題を起こして辞任する人が正当なプロセスを吹っ飛ばして後継指名するなど、言語道断である。スポーツ界の常識は社会の非常識になる。ところが、これを伝える報道は、あたかも決まったかのような論調だった。 スポーツ紙に至っては、川淵氏の自宅前での囲み取材から「森氏が涙を流すのを見た川淵氏がもらい泣きして引き受けた」と、まるで義理人情の美談として扱う有り様だった。記事で読む限り、この囲み取材の中で「こんな後継者の決め方で良いのですか?」と聞いた記者がひとりもいなかったとしか思えない。 私にはデジャブが2つある。一つは06年、日本サッカー協会会長だった川淵氏が、惨敗したW杯ドイツ大会直後の記者会見で「あ、オシムって言っちゃったね」と口を滑らせるかたちで次期代表監督候補の名前を出してしまったときのことである。 この会見は、黄金世代を擁しながら2敗1分グループリーグ敗退という結果を招いた責任、技術委員会が別の人物を推薦したにも関わらずジーコ氏を監督に任命した責任を追及するはずのものだった。しかし、川淵氏の発言で空気が一変。翌日の各紙にはすべて「次期代表監督にオシム」という見出しが躍った。 このときも「会長、今はその話ではないでしょう」と疑義を呈する記者はいなかった』、「追認するだけの報道機関」、確かに情けない。
・『あっと言う間に既成事実化された後任人事  私がたまさかその半年前にオシム氏に関する著作を出版していたことから、直後からメディアに頻繁にコメントを求められたが、「良かったですね。川淵会長は木村さんの『オシムの言葉』を読んで次期監督に選んだと言っていましたよ」と伝えてくる記者がほとんどだった。ああ、スポーツライターは舐められているのだ、と憤怒に駆られた。 「会長はお目が高い」と言うとでも思ったのだろうか。ここで起きたのは、代表監督選考と要請のプロセスを経ずしてのモラルハザードである。以降私は、オシム氏についてのコメントは出すが、それは川淵会長のこの横紙破りに対する批判と必ずセットにして欲しいと伝えて対応した。それでもオシム氏の代表監督就任はあっと言う間に既成事実化されてしまった。当時と同じではないか。 もうひとつは我那覇和樹選手(現福井ユナイテッド)のドーピング冤罪事件におけるミスリードである。詳細は、『07年我那覇和樹を襲った冤罪事件。「言わないと一生後悔する」』(sportiva、2019年02月08日) を参照していただきたい。 川淵氏はこのときも、事実確認前にもかかわらずスポーツ紙に対し、我那覇選手の懲罰処分の内容にまで言及するという極めて軽率な発言をした。選手を守るべき競技団体のトップとしてはあらざる行為だった。 (この冤罪を看過すれば、選手たちに正当な医療行為ができなくなるとして立ち上がったサンフレッチェ広島の寛田司ドクター(当時)は「協会のトップによるあの発言がマスコミに出たことで、Jリーグももう過ちを認めて引き返すことがなくなった」と回顧する)) 今回もまたプロセスを飛ばしての密室人事が既成事実化されかけた。後押ししたのは再びマスメディアである。残る人生のベストを尽くすと意欲を見せていた川淵氏であるが、官邸からのストップ(一説にはIOCが止めたという報道もある)がかかり、2月11日の午後10時には、就任を固辞したとされる。 しかし、翌12日のテレビのワイドショーでは、「世界が注視している中での人選は正当な手続きで行われるべきではないか」という議論の無いまま、またも「新会長の川淵さんはどんな人?」というテーマに終始した』、「オシム」問題はともかく、「我那覇和樹を襲った冤罪事件」での「川淵氏」の姿勢は酷いと、初めて知り、幻滅した。
・『「密室の後継者選び」の真相  私はまた、その2月11日に気になる情報を目にした。同日午前中にスポーツ法学会の境田正樹弁護士が「今日15時から森さん、川淵さん、と私で会うことになりました」と自らが密室での後継者選びを繋ぐことを発信していたのである。境田氏はスポーツ界のガバナンスの強化をする立場の人間である。 境田氏が森氏、川淵氏を会長として適任と思うのであれば、それもまたひとつの意見ではあろうが、「組織委員会の会長は理事会から選ばれる」という定款があるにも関わらず、ガバナンスをアドバイスする立場の人間が、後継指名をする森氏の仲介者として間に入って動いた。 しかも直後に「川淵さんに何とか引き受けて頂きました」というようなワードを発信。これらが流れて私のところにも送られて来たのだ。「引き受けて頂いた」というのは主語が境田氏になるが、字義通りならば、明らかにガバナンス違反にあたる。 なぜ、境田氏はかような行動をとったのか。三者(実際はもうひとり九州のラグビー関係者も同席していたということであるが)の会談の中で何が話し合われたのか、境田氏にインタビューを申し込んだ』(Qは聞き手の質問)、「スポーツ法学会の境田正樹弁護士」が「明らかにガバナンス違反」を犯したというのも、驚かされた。
・『森・川淵両氏の仲介人の弁明  Q:今回の世論の猛反発というのは、川淵さん自身に対してというよりも、決め方のプロセスだったと思います。「評議員でしかない俺が特筆されているような形で名前があがるっていうのは、俺自身もおかしいと思ってた」と本人がおっしゃっています。しかし、人事自体があたかも決まったかのように発信されました。 【境田】僕も予想外で、当然、川淵さんと僕と、(11日午後)3時から森さんのところで会ったときには、これはまだ全然、内々の話で、これからいろんな手続きが進むということはお伝えしていました。 森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ。なので、三者会談が終わった後、ご自宅の前で、川淵さんが記者の前で既に会長就任をしたら、というご発言までされたことは、想定外でしたね。 ただ、3人で会うっていうことは、どうも別の人が記者に既に話しておられたそうで、それで記者も川淵さんのご自宅前に集まっていたみたいですね』、「森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ」、なのに決定事項のように話した「川淵」氏はどういう神経の持ち主なのだろう。ボケてしまったのだろうか。
・『「もしも選ばれたときにお願いします」  F:境田さんは、森さんから川淵さんとの会合のセッティングを頼まれたときに「こういう決め方はよくないんじゃないですか」とは言わなかったんですか? 【境田】いえ、私も法律家なので、これから会長選考プロセスがあることは百も承知です。森さんの意向とは関係なく、会長選考委員会が最終的に会長を推薦するというのは当然の話ですよ。ただ、選ぼうとするときに、誰も候補者が出ないってわけにはいかないでしょうと。 だから「もしも選ばれたときにお願いします」っていうお話をしたに過ぎないし、3人で会ったときにも、もちろんそういう話はしていたのですよ。そのことは、実は、川淵さんも囲み取材の冒頭で話をしているのです。なので、今回のもろもろの批判は、川淵さんがマスコミに話した発言の一部を切り取ってメディアがそのように評価をしている、とも言えるかもしれませんね。 F:私は記者に対しても腹が立っていて。「こんな決め方、組織委の定款と違うじゃないですか!」と言う人間がなぜいなかったのか。川淵さんも「自分が特筆されているのはおかしい」って話しているわけだから、そういう質問が出れば自制がきいたんじゃないかと思うんですよ。 【境田】先ほど言いましたように、「もしも今後、会長に選ばれたらの話だよ」とは川淵さんは言っているんですよ。11日の5時ぐらいの会見の冒頭でね。ただ、その時点で、「決まったらこうする」とか、まだ言う必要のないことまでおっしゃたのは事実ですね』、なるほど。 
・『ガバナンスを確保するために最善の方法」 F:境田さんは後継指名人事に加担する気は無かったということですか。 【境田】僕はそこに介入するとか、加担するとかのつもりは全く無くて、2人に面識のあるというところにおいて間に入って、会談の場をセットした。将来的にもし選ばれたときにはお願いしますっていう話はしたという、そこだけですね。僕ね、木村さんにはね、この件の本当に根っこのところをわかってもらいたいんですよ。 我那覇の事件を通じて思ったのが、スポーツ団体がちゃんとガバナンスを構築できていないとあんな不幸なことが起きるということ。なので、2019年には、スポーツ庁でスポーツ団体向けのガバナンスコードの立案に関わりましたし、その遵守を求めて、スポーツ団体にガバナンス改革に取り組んでもらっているわけです。 今回も、組織委員会というスポーツ団体のトップが変わらなければいけないという緊急事態下で、組織委員会のガバナンスを確保するために最善の方法は何かと考えた末に取った行動であったことをご理解頂ければと思います。 ただ、この15年近く、いろいろなスポーツ政策の立案やスポーツ団体の改革に関わってきた原点には我那覇(冤罪)事件があります。我那覇事件をもう一度起こさないため、いわば、我那覇への償いなんですよ』、しかし、結果的に「川淵」氏の言動で問題を起こしたことには、一端の責任もありそうだ。
・『後継人事は、結局自民党内の「玉突き人事」  候補者検討委員会が出した組織委会長の後継の結論は、橋本聖子五輪担当相だった。 一方でその五輪担当相の後釜には、選択的夫婦別姓に反対する丸川珠代氏が就いた。ジェンダー平等をうたうオリンピック憲章とは相いれないスタンスである。これもまたステークホルダーを巻き込んだ議論の結果とは到底言えず、自民党内の玉突き人事である。 3月16日、宮城県は確保した五輪の都市ボランティア約1700人の内、コロナへの不安などで600人近くが参加を辞退する動きがあることを発表した。辞退の増加には、二階幹事長などのボランティア軽視の発言も無関係ではないだろう。 ここまでの五輪離れから、一度、地に落ちた信頼と信用を取り戻すには、再度、「これこそが自分たちの平和の祭典」という意識をもたらす改革が不可欠であろう。 スポーツメディアもまた「密室に詳しい人」「密室に入れる人」を持ち上げ、次は誰かという人事当てクイズをするのではなく、その決定プロセスに上辺だけでなくガバナンスや透明性が効いているか、常にチェックを怠らぬことが肝要である。 セクシャルハラスメントも、ドメスティックバイオレンスも言語化することで問題解決が認識できた。 ステークホルダー・エンゲージメント。流行らせるべきワードである』、同感である。

第四に、3月27日付けAERAdotが掲載した解剖学者の養老孟司氏による「「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」」を紹介しよう。
https://dot.asahi.com/wa/2021032500028.html
・『3月25日に東京五輪の聖火リレーが始まった。しかし、本当に開催できるのか。解剖学者の養老孟司さんに話を聞いた。 私の場合、最初から東京五輪というものに気乗りがしていませんでした。石原慎太郎さんが東京都知事のときにオリンピックを東京に招致する構想が打ち出された時点で、やめればいいと思っていた。あれも老害の一つだったんじゃないでしょうか。政治家たちが五輪に固執しているのは、1964年東京五輪の成功体験が残っている年齢層の願望が強く働いているのではないかと思っています。 前回の東京五輪開催時、私は20代でした。一番印象に残っているのは、エチオピアのマラソン選手アベベの姿です。ところが何年か後、五輪が開催される競技場のトラックにポリウレタンを何層構造かにして埋め込んで、反発を良くするうんぬんという話になってきた。ちょうど、筋肉増強剤などを使ったドーピングの取り締まりが厳しくなったころです。人体への規制を厳しくする代わりに、周りの設備などを改良することで記録を更新しようとし始めた。水泳の水着に対する議論もありましたよね。 人工的なグラウンドによって世界記録を出すとか、あまり意味がないような気がしますね。いつの間にか、どこからが自然で、どこからが人工なのか、線引きがわからなくなってしまった。 解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています。 教科書などで皮膚を剥いだ人体の絵を見たことがありますよね。様々な部位の筋肉が描かれていますが、これらの大きさはひとりでに決まっているのです。ですが、五輪選手はその標準から外れている。例えば、水泳選手は肩幅が標準よりも広いなど、特定の筋肉が大きくなってしまっている。 私が適当な運動だと思うのは、本来の筋肉の大きさが保たれ、まんべんなく体を使っている状態。人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません』、「解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています」、「人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません」、いずれも「養老」氏ならではの鋭い指摘だ。こういう冷めた見方は清涼剤になる。 
タグ:「きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」とは言い得て妙だ 池上彰 「「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方」 「今の日本では思ったことを言語化するのはよくないことと捉えている風潮があるどころか、言葉の性質が制限されすぎて、かつては使えていたのに今は使えない言葉がたくさんある。このコロナ禍では、世間の戒律や空気に従うだけで、社会の風潮に対して批判的考えを持たないそんな現代の特徴があらわになった気がしています」、なるほど由々しい傾向だ (ヨーロッパ人が)どうしてわきまえないかっていうと、日本のような個人の考え方を抑制する「世間体の戒律」がないからなんでしょうね。日本にはキリスト教国やイスラム教国のような宗教的な戒律はありませんが、流動的な世間体の戒律っていうのがありますよね。「自粛警察」もそう。正義感から、他人の行動を監視して世間的な戒律にそぐわない行為をしている人を批判するということでしょうが、わきまえるっていう言葉が妙にマッチするような気がします」、「世間体の戒律」とは上手い表現だ 「私はイタリア暮らしが長いこともあって、思ったことは全部吐露してしまう傾向があります。一応根本的には日本人ですから、場合によってはわきまえる気持ちは稼働させますが、でもやっぱりこれはおかしいとなればそれに対して、きちんと意思表示はしないと体内に毒素をため込むようで気持ちが悪い」 (その15)(「わきまえる」は「自粛警察」に相通ずる日本的考え方、「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か、「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない、養老孟司「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」) 確かに現在の日本人の「言語化されてない」表現は、「ソクラテス」から怒られるのは必至だ わきまえるという言葉はなかなか難しいですね。人々全体の価値観が統一しないとうまく稼働しないでしょう。イタリア人の場合、少なくとも私の周りの人は誰もわきまえてないですから(笑)。欧米は思ったことを言わないと潰されてしまう社会ですから、黙っていても始まらない」 東京オリンピック AERAdot (五輪) ヤマザキマリ PRESIDENT ONLINE さかい もとみ 「「東京五輪に中国製ワクチンを」IOC会長の暴走のウラにある"中国の恩" 次の北京冬季五輪への"布石"か」 突如浮上した「東京五輪に中国製ワクチン」 結果論にはなるが、中国の「ワクチン」外交活発化を踏まえれば、日本としては、「IOC」への「働きかけ」に対して事前に備えておくべきだった 「IOC]が「「東京五輪出場選手向けの参加マニュアル」で、「日本入国前に自国のワクチン接種ガイドラインに従って自国でワクチン接種を受けることを推奨および支援します」、としているのであれば、中国の無償供与はIOCにとっても好都合だ。 「バッハ会長」が「中国」に大きな恩義を感じているのであれば、日本側としてはますます「中国」の出方を予測して、備えておくべきだった。 「疑念は残る」とソフトな表現になっているが、実態は「疑念」が強まったの方が適切だろう。 警告は遅きに失したようだ 1980年のモスクワオリンピック はソ連のアフガニスタン侵攻で、「日本」を含む西側諸国が「ボイコット」したのは記憶に新しいところだ 「ワクチン」早期確保に失敗した「日本」にとっては、「負け惜しみに聞こえる。 木村 元彦 「「すべてが密室で決まる利権の祭典」日本人の東京五輪離れが起きた根本原因 「法」と「報」が機能していない」 ステークホルダー・エンゲージメント 「今のスポーツ界はいろんな決め事が、関係団体ではなく、ほとんど政治的な案件として、関係団体の目の届かないところで決定されて来ました」、その通りだろう 「本来、当事者であるはずのJOCの山下泰裕会長は延期を知らされることもなく、今年になって発足したいわゆる四者会議 からも外されている」、言われてみれば、確かに不自然だ 「組織委もJOCも選手のための組織であるはずだが、被支配の関係にあるという意識を選手たちに持たせてしまっている」、確かに問題だ 「追認するだけの報道機関」、確かに情けない。 「オシム」問題はともかく、「我那覇和樹を襲った冤罪事件」での「川淵氏」の姿勢は酷いと、初めて知り、幻滅した 「スポーツ法学会の境田正樹弁護士」が「明らかにガバナンス違反」を犯したというのも、驚かされた 「森さんも川淵さんに対して、今回の話は、候補にあがってからの話だから、これは内々だよというのは、言っているんですよ」、なのに決定事項のように話した「川淵」氏はどういう神経の持ち主なのだろう。ボケてしまったのだろうか しかし、結果的に「川淵」氏の言動で問題を起こしたことには、一端の責任もありそうだ ステークホルダー・エンゲージメント。流行らせるべきワードである』、同感である 養老孟司 「「解剖学的視点で見ると『オリンピックは現代の歪み』だ」」 「解剖学からみると、五輪型の身体の使い方はノーマルではないのです。ヒトの身体は競争するようにできていません。虎が追いかけてくるわけでもないのに必死に100メートルを走ってどうするんだと、いつも思っています」 「人間の身体は自然が時間をかけてつくり上げてきたわけで、人が意識して設計したわけではない。それを現代人は歪めてきた。五輪を見ていると、現代人の歪みの一部を見ている気がします。 世界一になるために一生懸命に練習する選手は「自分に勝つ」と、自分自身までをも敵にしてしまっている。身体がもう嫌だって悲鳴をあげているのに、なぜそこまで無理をしなければならないのか。よくわかりません」、いずれも「養老」氏ならではの鋭い指摘だ。こういう冷めた見方は清涼剤になる。
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