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女性活躍(その20)(優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは、丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る、小田嶋氏:告発する人間を異端視する世界) [社会]

女性活躍については、昨年11月5日に取上げた。今日は、(その20)(優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは、丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る、小田嶋氏:告発する人間を異端視する世界)である。

先ずは、昨年10月22日付けPRESIDENT WOMANが掲載したゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー 松井氏による「優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/39665
・『ウーマノミクス」の発表以来、日本の明るい未来のためには女性活躍が欠かせないと主張し続けてきた、ゴールドマン・サックス証券副会長のキャシー松井さんのところには、さまざまな企業のトップから、女性リーダーの育成方法に関する相談が数多く寄せられます。優秀な女性社員を育て、会社に愛着を持って長く働いてもらうためには? 女性自身が、やりがいを持って働ける環境をつくるには? コツを聞きました』、「キャシー 松井氏」は証券ストラテジストから出世の階段を駆け上がった有名人だ。
・『日本人女性が辞める理由は「育児」よりも「仕事への不満」(日本株ストラテジストの私が「働く女性が増えれば、経済にもプラスになる」という「ウーマノミクス」のリポートを書いたのは1999年。2013年に安倍晋三前首相の経済政策「アベノミクス」の成長戦略のひとつである女性活躍の裏付けに「ウーマノミクス」が使われたことで、いろいろな企業のトップから話を聞かせてほしいという依頼が増えました。 ここ数年でジェンダーや多様性の重要さは浸透してきたものの、実際に企業のトップと話してみると、相変わらず「女性は使いにくい」「せっかく『幹部候補に』と育てて昇進させても辞めてしまう」といった悩みが聞かれます。 しかし、アメリカの非営利シンクタンク、センター・フォー・ワーク・ライフ・ポリシー(CWCP)が行った、日本人女性とアメリカ人女性を対象にした調査によると、仕事を辞めたアメリカ人女性の74%が育児を理由に挙げていたのに対して、日本人女性の場合は育児を理由に挙げたのは32%と半分以下。一方、仕事に不満を感じて退職したアメリカ人女性は26%なのに対し、日本人女性は63%だったのです』、「日本」では「育児」が問題になる前に「仕事に不満を感じて退職」してしまうのかも知れない。
・『子育てインフラ整備“だけ”では、女性リーダーは増えない  日本人女性が仕事を辞める理由は、育児よりも、仕事への不満のほうが多かったのです。 だとすれば、保育園などの子育てインフラが整備されるだけでは、女性の退職は減らないでしょう。政府の介入しにくい、職場の課題の方が大きい。もちろん、子育てインフラの問題や、家庭内での役割分担、ステレオタイプなどの問題はまだまだ大きいですが、企業が女性にやりがいを持って働いてもらえるようにならないと、女性のリーダーは増えません』、その通りだ。
・『男性と同じやり方ではダメ  私はアメリカやアジアを中心に、世界中の企業で多くの女性社員を見てきましたが、仕事の能力については男女差よりも、圧倒的に個人差が大きいと感じています。 しかし、女性社員にやりがいを持って長く働いてもらおうとするときには、男性社員と同じやり方をしているだけではうまくいかないことが多いように感じます。昇進に対する意欲、評価に対する受け止め方、自己PRの仕方などで、女性は男性とは異なる傾向があるからです。そしてそのやり方には、ちょっとしたコツがあるのです。 私自身がやってきたことや、ゴールドマン・サックスがやってきたことの中から、参考になりそうなものをいくつかご紹介しましょう。 コツ① 男性よりも少し多めに励ます(「とても優秀な女性に昇進の打診をしても、本人が断ってくる」と嘆く経営者や管理職の人がよくいます。これは、決して女性にやる気がないわけではありません。能力はあるのに遠慮してしまう。日本だけでなく、海外でもよくみられる傾向です。こうした場合、私は必ず「一度打診して断られただけであきらめたんですか?」と聞くのですが、するとだいたい「そうです」と言われます。 こういう場合の私の提案は、もう一度打診してみることです。そして2回目の打診では、その人の直接の上司ではなく、そのまた上の上司から話してもらうことをお勧めします。その際には、「あなたをこのポストに推薦している理由は、こんなふうにたくさんあります。絶対大丈夫だと思ったからこそ推薦したんです。必ず私たちもサポートするから、もう一度考えてみたらどうですか」と話してもらいます。 これを読んでいる女性読者の中にも、心当たりがあるという人は多いのではないでしょうか。自分を過小評価してしまったり、遠慮してしまったり。あと一歩がなかなか踏み出せない。女性は男性よりも、少しだけ多めに励まし、背中を押してあげる必要があるのです』、「コツ①男性よりも少し多めに励ます」、というの確かに有効そうだ。
・『コツ② 能力の高い女性にはライフイベント前にタフな仕事を  ハイポテンシャルな女性には、結婚や出産、介護など、重要なライフイベントの前に、なるべくタフな仕事、つまり「チャレンジングだが、十分なサポートさえあればできる」というレベルの仕事を与えることをお勧めしています。 結婚や出産、子育て、介護などのライフイベントが起きたときに、女性が仕事を辞めずに続けられるかどうか、大きな力になるのは、仕事に対するモチベーションの高さです。仕事がおもしろくなかったり、自分は会社に必要とされていないと思うと、プライベートで変化があったとき、「無理に仕事を続ける必要はない」「家族の方を大事にすべきかも」と考えてしまう可能性があります。 仕事を続けるかどうか迷ったときに「やっぱり仕事を続けたい」と思えるモチベーションを持つには、「自分は周りから期待されている」「ここで仕事をしていれば成長できる」「私にしかできない仕事がある」と思えなければいけません。だからこそ、特に能力の高い女性には、あえてタフな仕事を任せるべきだと思うのです。 時々、「女性に優しい企業」といった言葉を聞きますが、この言い方は誤解を招くので良くないように思います。「女性が働きやすい」と言いたいのだろうと思いますが、女性に優しくし過ぎるのは良くありません。例えば、子どもがいる女性に対して「子育てで大変だろうから、大変なプロジェクトを任せるのはやめてあげよう」といった、間違った配慮。これは本当の優しさではありません。女性を、挑戦の機会から遠ざけてしまうことになるからです。 女性の側は、自分が必要とされているという実感が得られませんし、仕事におもしろさややりがいも感じられなくなってしまう。それに、男性社員と同等のレベルのタフな仕事、タフな挑戦、タフな評価をしていかないと、管理職にふさわしい女性社員もなかなか生まれません』、「コツ② 能力の高い女性にはライフイベント前にタフな仕事を」も、よく考えられた仕組みだ。
・『コツ③ 「スポンサー制度」を導入する  最近は多くの企業で、メンター制度を取り入れていると思いますが、ポテンシャルの高い、幹部候補となる女性にはそれを一歩進めて、「スポンサー制度」を採り入れてはどうでしょうか。 当社の場合、女性社員1人に対してスポンサーとして、その女性の所属部署ではないところにいる幹部クラスの社員が2人つきます。スポンサーになった人は、女性の上司から、本人の強みや成果、どんな改善余地があるかをヒアリングし、本人ともしっかり話をしてキャリアについてアドバイスします。例えばもし、彼女の能力が高く、成果も上げているけれど、担当している仕事の範囲が狭すぎるのであれば、「もう少し大きな仕事を担当してみては」「違うオフィスへの転勤を考えてみては」などと提案します。 スポンサーのもう一つの重要な役割は、その女性社員の成果や能力を宣伝して、自分の人脈を使って昇進のバックアップすることです。メンターが、女性社員を励まして主体的に行動を促す後方支援的な存在なのに対して、スポンサーは、より高みから女性社員を引き上げる存在と言えるでしょう。 男性の場合は、喫煙所や飲み会などで、若いうちからスポンサーの役割を担ってくれるような幹部と知り合う機会が多いのですが、女性はこうした機会が少ないものです。また、先ほども述べた通り、女性の場合はいくら優秀であっても、自分の業績や能力をPRするのが苦手な人が多い。そこを補完するのがスポンサー制度です。 スポンサーがついたからといって、その女性が昇進する保証は全くありません。ただ、スポンサーがついた女性は、「私は会社から必要とされている。会社は評価してくれている。私のためにこんなに時間を割いてくれた人がいる。頑張らなくては」と感じるようになります。先ほど、「女性は多めに励まして」と言いましたが、理由は同じです。こうして、“抱きしめられた”経験があれば、彼女が会社を辞めずに活躍し続ける可能性は高くなるでしょう』、「コツ③ 「スポンサー制度」もいい仕組みだ。
・『コツ④ 女性のネットワークづくりを支援する  会社が、女性のネットワークづくりを支援することも大切です。 当社では、幹部候補となる女性を対象としたスポンサー制度よりももっと若い、20代後半から30代前半くらいの女性社員を対象とした、「ウーマンズ・キャリア・ストラテジーズ・イニシアチブ」というプログラムを設けています。一般の企業でいう課長職手前くらいの女性に向けた、リーダーシップやネットワーキング、プレゼンテーションスキルなどを学ぶトレーニングプログラムです。 これは単に、キャリアアップに必要なスキルを身に付けてもらうためだけのものではありません。日本だけでなく、インドやシンガポール、中国などアジア太平洋全般にわたって、さまざまな国や地域の人と一緒に受講するのですが、同じ会社で頑張る同世代の女性のネットワークづくりも目的の一つです。視野が広がり、励みにもなりますし、将来に向けて長く大きな財産になります。特に、女性の少ない業界・業種で働く女性にとっては、こうしたネットワークの有無が、働き続けるうえでの大きな支えになります。実際、ゴールドマン・サックスではこのプログラムを始めてから、女性社員の離職率が低下しました』、「コツ④ 女性のネットワークづくりを支援する」、もいい制度だ。「ゴールドマン・サックスではこのプログラムを始めてから、女性社員の離職率が低下」、も当然だろう。
・『自分で自分の背中を押して 自分を過小評価してしまう、業績などをPRするのが苦手、などの傾向は、心当たりがあるという人も多いのではないかと思います。だとすれば、みなさんにとって、自分がやりがいを持って働き続けるには何が必要でしょうか。もし、「自分は会社から評価されていないのでは」「必要とされていないのでは」と考えることがあれば、実はそうではないことを知ってほしいと思います。社内に女性のネットワークがなければ、自分で作ってみるのも良いでしょう。そして、昇進の打診があれば、ぜひ自分で自分の背中を押して、チャレンジしてみてください。 ここでご紹介したコツが、今の職場について「何となく働きにくい」と思っている方、子育てや介護などに直面して仕事を続けるか心が揺れている方にとって、今の職場に何が足りないのか、どうしたら改善し、働き続けたいと思えるようになるのかを、見つけるヒントになればうれしいです。そしてもちろん、女性の部下の育成に悩んでいる人にも、参考にしてほしいと思います。(キャシー 松井氏の略歴はリンク先参照)』、説得力のある主張で、女性の活躍を真剣に取り組んでいる企業には、貴重なアドバイスになった筈だ。

次に、3月15日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリスト/前Business Insider Japan統括編集長の浜田 敬子氏による「丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/81137?imp=0
・『「わきまえる」とは何か  森喜朗・元東京オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の発言から1ヵ月余りが経ったが、あの発言によって日本のジェンダーギャップの実態や構造や背景が次々と明らかになって、議論は沈静化するどころか広がっている。 中でも今回得心がいったのが、日本の企業や組織で働いている女性には大きく分けて2種類いるということ、つまり「わきまえる女」と「わきまえない女」がいるということだ。森氏の「わきまえる」発言で、「そうかー、あの何とも言えない圧力は『わきまえろ』ということだったのね」と胸にストンと落ちた女性たちは多かったのではないだろうか。 そしてこの森発言の余波が収まらないのは、その後に起きたさまざまなこと、例えば森氏の後任をめぐる選考過程、選択的夫婦別姓制度をめぐっての女性議員の反応、全く別事件だけど総務省の接待疑惑…などで「わきまえた」女たちのサンプルを見せつけられたからだ。 「わきまえる」体験は、同調圧力の強い日本の組織で働く人であれば、男女限らずあるだろう。私だって、もちろんある。会議で「発言しないように」と言われて、その後発言をやめたこともある(「森会長だけじゃない…『会議は発言する場じゃない』と言われてきた現実」の記事に詳しい)』、「「わきまえる」体験は、同調圧力の強い日本の組織で働く人であれば、男女限らずあるだろう」、その通りだ。
・『それ以前も「おかしいな」  「ちょっと違うな」と思っても意見を飲み込んだことなんて、数えきれないくらいある。そのときも気持ちは、ひと言で言えば「保身」だ。この会社で、この組織で「面倒臭い女」と思われたくない、その想いがわきまえさせてしまう。 この記事で「会議で発言するな」と言われた体験や会食政治について考察した 「わきまえる女」と「わきまえない女」は綺麗に分かれた2種類の人間というより、時と場合によって2つを行き来したり、どちらかが極端に出たり、「わきまえた」側から「わきまえない」側に移行したりするものだと思う。 そう思うのも私自身、ある時から「わきまえる」ことは決して自分一人の問題でなく、周囲に与える影響が大きい、もっと言えば「罪深い」と感じるようになり、徐々にわきまえることを辞めたからだ。特に後輩世代の女性たちに与える影響が大きいと感じるようになったのだ。 改めて「わきまえること」の罪について考えてみたいと思う』、「私自身、ある時から「わきまえる」ことは決して自分一人の問題でなく、周囲に与える影響が大きい、もっと言えば「罪深い」と感じるようになり、徐々にわきまえることを辞めた」、なるほど。 
・『「女はわきまえるもの」という考えを固定化する  まさに森氏は、「組織委員会に女性は7人くらいおりますが、皆さん、わきまえておられて」と発言したわけだが、女性がわきまえて発言を慎めば、ただでさえ年長者が持っている「女性というものは男性より、一歩引いているもの」というステレオタイプな考えをより強固にしてしまう。 もともと年功序列的な日本の組織では女性だけでなく、男性の若手に対しても「わきまえろ」的空気は蔓延していて、発言するのはなかなか勇気のいることだ。 森氏はラグビー協会の女性理事たちが積極的に発言していることを「女性は会議での発言が長い」と批判したが、そうした場面、女性たちに出会ったことがなかったのだろう。出会わなければ、考え方は変わらない。つまりいつまでも発言を慎んでいたら、女性というものは発言しないものという固定観念を強固にする方に加担してしまうのだ』、「もともと年功序列的な日本の組織では女性だけでなく、男性の若手に対しても「わきまえろ」的空気は蔓延していて、発言するのはなかなか勇気のいることだ」、同感である。
・『わきまえた女しか登用されなくなる  「わきまえない」とは、自分が持った違和感や反論を口にすることだ。今日本の組織で意思決定層にいる年配の男性たちは、これまでの自分たちの仕事を「成功体験」として捉えている。新参者である女性がこれまでの手法や慣例に異議を申し立てたら、自分や自分の「成功」が否定された、と思うのだろう。異議を口にする側は決して個人を批判している訳ではないのに、なぜか男性側(意思決定層にいる女性も含む)は「自分が攻撃された」と感じてしまいがちだ。 多様性の本質的な意味や効果をわかっているリーダーは、あえて自分とは違う意見や価値観、経験を持った人を側に置いてその意見に耳を傾けるが、わきまえた集団の中で出世したリーダーはそうした「耳の痛い」意見を傾聴するトレーニングができていない。 とはいえ、第2次安倍政権で女性活躍推進法が施行され、世界的にも多様性に欠ける企業は成長性がないとして投資家サイドからも見放される流れになっている中では、女性登用は「しなければならない」命題。どうせ登用しなければいけないのなら、組織の調和を乱さず、異を唱えないわきまえた女性の方が面倒臭くない、という意識が働き、結果「わきまえた女」が登用される連鎖が続く。 橋本聖子氏が森氏の後任に選ばれた時に、「女性だったら、能力や適性がなくてもいいのか」という議論になったが、私はむしろ「森氏は父」とまで言った橋本氏が「わきまえてきた娘」から脱皮できるかに注目していた。 残念ながら今の日本型組織で全くわきまえずにきた女性がいきなり抜擢されることはほぼ無いと言っていい。であれば、女性たちはポジションに就くまでは戦略的にしたたかに「わきまえ」、権限を得たら改革を実践する戦法は現実的だと思う。橋本氏も五輪組織委会長就任後に、「女性の理事を40%増やす」だけでなく、「そこから何を打ち出せるか」と話している。 私は森氏発言後、上野千鶴子さんにインタビューしたのだが、「一匹狼」的に組織内で闘ってきた印象の強かった上野さんでさえ、東大教授就任後、組織で生き残るため、そして自分の目的を達成するためには、「根回し」なども厭わなかったという。 「組織で働いて組織で何かやろうと思ったら1人じゃどうにもならないんです。だから根回しと忖度もしましたよ(中略)。でもそれは組織で生きる人間としては当たり前のことで。ただ上の人に黙って従うということはしませんでした」(上野さん)(ビジネスインサイダー「上野千鶴子氏は組織をどう生き抜いたのか。孤立しないためにやった“根回し”(後編)」より)』、「上野千鶴子氏」も「根回しと忖度もしましたよ」、さもありなんだ。
・『女は納得しているというアリバイに使われる  男性だって、今のご時世、真正面から女性の意見に反対を唱えにくい。「ジェンダー問題に理解がない」「女性蔑視だ」と思われることを恐れるから。その時に使われるのが「わきまえた女」たちの意見だ。男性が自分の意見を補強するときに、彼女たちの意見を使う。「ほら、こういう意見だって女性の中にはあるんだから」と言われ、口をつぐんだこともある。「わきまえた女性」の存在が、「女性にはこういう意見もある」とアリバイに使われてしまうのだ。 それを強く感じるのが、選択的夫婦別姓制度についてだ。導入に反対し、地方議会の議員に反対するよう働きかけていた国会議員50人の中には、丸川珠代・男女共同参画・女性活躍担当大臣(よりにもよってなぜ彼女がこのポジションなのかと思うが)や高市早苗・前総務相など女性議員もいる。丸川氏は国会で、大臣として戸籍名(大塚)をサインしなければならなかった苦労まで語っているのに、なぜ導入に反対するのか、理解に苦しむし、肝心な理由を明らかにしない。 しかし、こういう女性たちが何人かいるだけで、「旧姓の通称使用でいいじゃない」「彼女たちはうまくやっているじゃない」とアリバイに使われてしまうのだ』、「「わきまえた女性」の存在が、「女性にはこういう意見もある」とアリバイに使われてしまうのだ」、その通りだ。
・『わきまえた女は過剰適応し、先鋭化する  先の丸川氏で言えば、最近、国会での「大笑いシーン」が波紋を呼んだ。選択的夫婦別姓制度について、福島瑞穂氏が「丸川というのは旧姓ですよね。家族で姓が違うじゃないですか。家族の一体感、ないですか?」と丸川氏に質問したところ、何がおかしいのか全くわからない文脈で、大笑いしたのだ。私はこの映像を見たときゾッとした。 丸川氏は2007年、当時首相だった安倍氏に見出され政界入りした。元アナウンサーという経歴だからか、安倍氏の“寵愛”を受けていたからか、選挙の応援演説など当選回数が浅いうちから目立つ場所に立ち続けてきた。環境相や五輪担当相を歴任し、今回も橋本聖子氏の後任として五輪担当相に再任、男女共同参画相にも就くなど、自民党内での出世街道まっしぐらだ。 丸川氏にゾッとしたのは、今回が初めてではない。自民党が下野した野党時代、丸川氏はヤジを飛ばすことで有名だった。2010年3月、参院厚生労働委員会で、子ども手当法案が強行採決された時、「この愚か者めが!」「このくだらん選択をしたバカ者どもを絶対忘れん!」 という彼女の大声が国会中継で流れたことが話題になった。 のちに、テレビ朝日時代の彼女を知る人に聞いたのだが、テレ朝時代はそんな片鱗はなかったという。その人も彼女の変化に驚いていた。 女性が出世するためには、残念ながらまだまだ実力や地位にある男性たちに引き上げてもらわなければならない。だから引き上げてくれた人に恩義を感じるという気持ちはわからないでもない。でも男性以上に、女性の方が引き上げてくれた男性に過剰になびき、その男性の意見を代弁し、どんどん先鋭化していくーー丸川氏を見ていて、この人は誰の価値観を代弁しているのだろうかと思ってしまうのだ』、「自民党が下野した野党時代、丸川氏はヤジを飛ばすことで有名だった」、初めて知った。
・『わきまえてエラくなった女をみて、管理職を躊躇する  もう1人、この間「わきまえた女」のサンプルとして登場したのが、総務省接待問題で7万円もの高額接待を受けた山田真貴子・前内閣広報官だ。出身母体の総務省では事務次官に次ぐポストの審議官まで上りつめ、安倍首相時代には初の女性首相秘書官にも抜擢された。その山田氏の言動に驚いたのは、高額接待を受けていたこともさることながら、「飲み会を断らない」と豪語したことだ。 今、女性たちを管理職に登用しようにも、女性たち側が躊躇するという悩みは企業の人事に共通する。経済同友会の櫻田謙悟代表幹事は、女性管理職が少ない理由について、「女性側にも全く問題がないわけではない」とし、自らチャンスを取りに行く人が少ないと指摘した。 だが、私が多くの後輩世代の女性たちと話して感じるのは、それは女性側の問題ではない、ということだ。 私自身、管理職と子育ての両立をするために、実家の両親を東京に呼び寄せ、子育てを全面的に手伝ってもらったが、そのこと自体が後輩世代にどれだけのプレッシャーを与えたのか、と後になって反省した。先輩世代が親やシッターをフル活用して仕事をしている姿を見て、同じようにしなければ私も好きな週刊誌の仕事はとても続けられないと思って選択した苦肉の策ではあったものの、「あそこまでしなければ管理職は務まらないのか」という間違ったメッセージを送ってしまい、管理職への心のハードルをあげてしまったのでは、と思っている。実際、私の3つ下の後輩は、同じように実家から親を東京に呼び寄せた。 バブル世代、均等法世代の私たちと違って、後輩世代は自分たち夫婦で子育てもしながら、その範囲で仕事も頑張りたいと思っている。 「飲み会を断らない」山田氏にもお子さんがいたと聞く。おそらく飲み会だけでなく、残業も厭わず働いてきたのだろう。その間、子育てはどうしていたのだろう。山田氏の働き方を見て、ああいう風になりたいと思っていた女性たちはどれだけいるのだろうか。むしろあそこまでしなければ出世できないなら、と諦めていく女性たちの姿が私には容易に想像できる。 せっかく出世したのなら、もっとポジションを生かしてできることは他にあったのではないか。夜の高額な接待に出かけるより、子育てや介護など家族の事情でどうしても働く時間に制約がある人でも能力を発揮しやすいような職場づくり、働き方の改革は、実はトップや管理職にしかできない』、「せっかく出世したのなら、もっとポジションを生かしてできることは他にあったのではないか」、正論ではあるが、与えられた職務を遂行するだけの方が樂なのではあるまいか。
・『空気を読みすぎて時代が読めなくなる  山田氏を見ていてもう一つ思ったことは、「わきまえ続けてると、組織内の空気は読めるけど、時代が読めなくなる」ということだった。 ひたすら所属する組織の文化に適応し、上司や引き立ててくれる実力者の気持ちを忖度するようになると、その組織の論理にズッポリと染まってしまう。 その「飲み会を絶対断らない」発言は10年も前のものではない。2020年の、しかも若者に向けた動画でのメッセージだった。聞いた若者たちはどう思っただろう。男女問わずドン引きだったのではないか。就職先を選ぶにも、ワーク・ライフ・バランスを重視するという今の若者たちのことを山田氏は知らなかったのだろうか。そんな人が組織のトップにいれば、若手の官僚が長時間労働の中でやりがいを喪失して、早期に退職していく、という現実が改善されないのも無理はない、と思った』、「「わきまえ続けてると、組織内の空気は読めるけど、時代が読めなくなる」、確かにその通りなのだろう。
・『わきまえる踏み絵を踏むかどうか  拙著『働く女子と罪悪感』にも書いたエピソードなのだが、私はAERAの編集長になる際に「反省文」を役員に書かされたことがある。時と場合によって「わきまえ」てきたが、それでも時々は上司や経営層に意見も言ってきた。反省文を書くよう要求したその人はむしろ「良かれ」と思って私に忠告してくれたのだ。 「社長は浜田を編集長にすることにまだ不安を思っている」 その理由は私の能力というよりも、「言うことを聞く」かどうか、つまり自分たちのコントロールが効くかどうかが不安だったのだ。だから、「反省文」を書いて忠誠を示せ、ということだったのだろう。男性はこうやって忠誠の「踏み絵」をいろんな形で踏まされてきたのか。わきまえた女には必要ないのだろうが、わきまえない、わきまえなさそうな女が「男村」に入るときはこうした儀式が必要なのだとも思った。 結局、私は反省文を書いた。この時書いてしまった苦い思いが、私にわきまえることを辞めさせる一つのきっかけとなった』、筆者が「AERAの編集長」だったとは初めて知ったが、「「反省文」を書いて忠誠を示」した、朝日でもそこまでするのかと驚かされた。

第三に、3月26日付け日経ビジネスオンラインが掲載したコラムニストの小田嶋 隆氏による「告発する人間を異端視する世界」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00116/00113/
・『先週から今週にかけて、似たような事件が3件続発した。 「似たような事件」とは言っても、細かく見て行けば、背景は微妙に違っている。個々の事件が明るみに出した問題点も、それぞれに異なっている。ところが、3つの話題を伝える報道記事をひとつのテーブルの上に並べてみると、あらまあびっくり、なんとも見事な「女性蔑視連続事件」とでも言うべきひとつのシリーズが出来上がってしまっている。ここのところがポイントだ。 つまり、われわれは、それぞれに異なった別々の出来事が、ほとんどまるで同じひとつの事件であるように見えてしまうメディア環境の中で暮らしている。このことは、われわれの感覚が粗雑になっているということでもあれば、メディアによる報道がそれだけ劣化してきているということでもある。 今回は、この1週間ほどに相次いで発覚した3つの炎上案件をひとまとめに扱うことで、それらの出来事に共通の背景を与えている「気分」に迫りたいと思っている。 個人的には、個々の事件の個別の影響よりも、3つの事件が相次いで報じられたことがもたらすであろうひとまとまりの副作用に、強い憂慮の念を抱いている。 その「副作用」とは、ごく大雑把に言えば、「また女性さまがらみの怒られ案件かよ」「つまりアレだ。オレらがさつな男どもは、弱者さまの強権ぶりにはまるで太刀打ちできないってことだわな」「女性のみなさんのお気持ちに配慮できない男はパージされて、立場と職を失うことになるのだからして、おまいらも注意したほうがいいぞwww」 てな調子で拡散しつつある陰にこもった反発の気分のことだ。 ぜひ注意せねばならないのは、そもそもこの3つの事件は、その同じ「気分」(「女性」「フェミニズム」「ジェンダー平等」「弱者利権」「リベラリズム」「ポリティカル・コレクトネス(PC)」「キャンセル・カルチャー」などなどへの漠然とした反発)が惹起した感情的な暴発を含んでいる点だ。 それはつまり、「反フェミニズム」「反リベラル」「反PC」「嫌キャンセル・カルチャー」は、先週から今週にかけて報じられた3つの事件の原因でもあれば結果でもあるわけで、してみると、この先、この反動形成による無限ループは、バカにならない圧力を生み出しかねない。 以下に、「3つの事件」についてのごく大まかな解説と、その事件を扱った記事へのリンクを紹介しておく。 1.タレントの渡辺直美さんを「オリンピッグ」(←五輪の豚?)とする演出案を提案していた旨を報じられたクリエイティブディレクターの佐々木宏氏が、3月18日に東京五輪・パラリンピック大会開閉会式の演出リーダーを辞任する意向を表明し、了承された。「東京五輪パラ関係者また「退場」、女性タレントをブタに例える」 2.ベストセラー『応仁の乱』の著者として知られる国際日本文化研究センター助教の呉座勇一氏が、女性研究者らを中傷する投稿をしたとしてツイッター上で謝罪した問題で、日文研が謝罪コメントを発表した。「呉座勇一氏の投稿『到底容認されない発言』 日文研謝罪」 3.テレビ朝日で放映中の「報道ステーション」が、3月24日、ネット上で「女性蔑視ではないか」という指摘が相次いでいたウェブCMを取り下げ、謝罪した。「『女性蔑視』指摘受けた報道ステーションのウェブCM、テレビ朝日が取り下げ」 当稿では、ひとつひとつの事件の詳細に立ち入ることはしないつもりだ。書くことはいくらでもあるのだが、いちいち追いかけていたらキリがないし、また、おそらく、個々の事件に詳しく触れた原稿を書けば書いたで、過半の読者はうんざりするはずだからだ。 「またかよ」と。 なので、今回はその「またかよ」という気分そのものを主題に持って来つつ、その気分を読み解く作業に行数を費やすつもりでいる』、「この先、この反動形成による無限ループは、バカにならない圧力を生み出しかねない」、というのは鋭い指摘だ。
・『とはいえ、3つの事件を、このまま、見出しを紹介したのみで処理し去るのは、釈然としない(もちろん「釈然としない」のは私の側の気分の話で、読者がどう思うのかは私にはわからない)ので、以下、箇条書きの範囲内で感想を述べておく。 1.当件の主たる問題点は、渡辺直美さんに対して発動された女性蔑視演出案ではない。むしろ、悪質なのは、佐々木宏氏(ならびにその背後で権力を振るっていた森喜朗前東京五輪・パラリンピック組織委員会会長)による、五輪演出チーム排除&演出利権横奪の経緯だ。「文春砲」の記事の焦点もそこにある。女性蔑視または容姿差別演出のプランは、「キャッチーな見出し」「使い勝手の良い追及ツール」として機能した可能性が考えられる。 2.呉座氏による一連のツイッター投稿は、たしかにひどいものではあった。とはいえ、もっと凶悪なツイートを連発している投稿者はいくらでもいる。では、どうして呉座氏だけが告発され、炎上し、責任を取らされたのかといえば、彼が「実名身バレ」の、一種「堂々たる」設定で、無防備な中傷ネタを発信していたからだ。 つまりこの事件の本質は、投稿の悪質さそのものよりも、「鍵アカウント」(相互承認したアカウント同士が内輪で楽しむ設定のツイッター利用)の防御力を過信した、呉座氏のネットリテラシーの貧困さ(←「鍵アカウント」であっても、フォロワーが3000人以上もいれば、事実上は公開設定と変わらない。こんなことはツイッター利用者にとっては常識以前の話だ)に求めなければならない。 してみると呉座氏をして裸の王様(かわいそうな呉座先生は自分が全裸で公共の場を歩いていることに最後まで無自覚だった)たらしめていたのは、匿名&随時逃亡準備完了の状態で誹謗中傷投稿を楽しみつつ、生身の実名アカウントである呉座氏のあまりにもナイーブな本音投稿を囃し立てていた取り巻き連中(←だってじきに炎上することは誰の目にも明らかだったわけだから)だったわけで、主たる罪もまた彼らにある。呉座氏は、ある意味で、被害者ですらあった。 例によって、一連の炎上騒動を呉座氏の投稿を告発した女性研究者に帰責するテの立論が一部でやりとりされているが、それらの言説が悪辣な論理のすり替えであることは、この場を借りて明言しておく。被害を訴えただけの被害者がどうしてトラブルの責任を負わなければならないというのだろうか。 ついでに言えばだが、当件においても、「女性蔑視」「女性差別」は、「キャッチーな見出し」「使い勝手の良い追及ツール」として用いられていた側面が大きい。事件の本質は「匿名逆張り論客によるアカデミズムならびに社会への復讐」と、「その彼らによる著名アカウントを利用した小遣い稼ぎ」だ。 匿名ネット論客の彼らが無傷なのは、彼らが匿名であるからというよりは「無名」(つまり、誹謗中傷された側の人間が、手間とカネをかけて告発するコストに見合うだけの内実を、彼らがあらかじめ持っていないということ)だからで、さらに言えば、彼らが「無敵の人」(←失うものを持っていない)だからだ。その点、呉座先生は失うものをあまりにも多く持っていた。 3.まず、素材としてのウェブCM自体が、多くの論者によって指摘されている通り、どうにもぞんざいな制作物だった。「ジェンダー平等」という言葉の扱いが無神経かつ浅薄であることはもとより、動画の末尾の部分で表示される「こいつ報ステみてるな」というテロップが、それまで画面に向かってひとりしゃべりを続けていた女性に対して失礼極まりない点も無視できない。総体として、若い女性を軽佻かつ無自覚な人間として扱っているところに、制作者の偏見が覆いようもなく露呈している。 ただ、より深刻なのは、報道機関であるテレビ朝日が、まっとうな謝罪のテンプレートを世間に示すことができなかった点だ。常日頃は、不祥事に関わった人物や組織に謝罪や弁明を求める役割をこなしている報道機関なればこそ、自分が謝罪せねばならない場面に立たされた時には、世の模範になる百点満点の謝罪を提示せねばならなかったはずだ。 ところが、テレビ朝日の謝罪は、謝罪会見すら開かない、半端な書き置き(←テキストファイルでさえない、お詫び文書の画像ファイルをウェブ上に掲示しただけだった。お詫びの文言をテキストでなく、画像で提供したということはつまり、「引用するな」ということですよね? 一体どこまで視聴者をバカにしているのでしょうか)を残したのみの、ミもフタもない逃走劇だった。こんな謝罪をしているようでは、今後、他者の責任を追及する取材は永久に不可能になると思われる。 もうひとつ、当該CMの制作責任者ならびに制作過程と、CM制作をめぐる議論および承認に至る経緯を公開していない点も、報道機関としてなさけないの一語に尽きる。思うに、現場のニュース制作者たちは、公開前にこのCMを見せられていないはずだ(逆に言えば、見せられていれば黙っていたはずがないし、見せられて黙っていたのだとすれば、いよいよ完全にどうしようもない)。だとすると、番組をめぐるガバナンスが機能しているのかどうかが、大きな疑問として浮かび上がることになる。今後の一番の注目点はそこだと思う』、「テレビ朝日の謝罪」は、「今後、他者の責任を追及する取材は永久に不可能になると思われる。 もうひとつ、当該CMの制作責任者ならびに制作過程と、CM制作をめぐる議論および承認に至る経緯を公開していない点も、報道機関としてなさけないの一語に尽きる」、驕り高ぶった姿勢のままだったようだ。
・『ひとことだけのつもりが、けっこう長くなってしまった。 ともあれ、上記の3つの女性蔑視案件の報道を受けて、現在、ネット上では「反作用」とも言うべき怨嗟の声が反響している。 ネット上だけではない。 既存メディアの中にも、世間の反発の気分に乗っかることで、部数やページビューを稼ごうとする動きが顕在化しはじめている。 たとえば、この記事 などは、キャンセル・カルチャー(←社会の中で抗議活動や不買運動が過剰な力を発揮する現象)への反発をそのまま書き起こしたテキストと言って良い。 記事(といっても、昨今目立つ、テレビ番組内のコメントを書き起こしただけのいわゆる「コタツ記事」なのだが)の中で、北村弁護士は、《 -略- 「今回辞任されるのは、ものすごい生きづらくなってきたなって世の中が。森(喜朗)さんの発言はボクも納得できなかったけど、世間からの叩かれ方がある意味、異常といえるぐらいすごかったんですね。ああいう状況に陥ると考えて辞任されたのかなと思うと、悪いことは悪いけど、異常にバッシングする雰囲気は少し抑えた方がいいのかなと思います」 -略-》と言っている。 たしかに、氏が指摘している通り、本来内輪のやりとりであるはずの「企画段階の演出案のLINE送信」が、商業誌の誌面で暴露されていることは、一見、由々しき事態に見える。また、企画段階でボツになった演出案が問題視されて、責任者の辞任につながっている流れも、この部分だけをとらえてみれば、不気味極まりない「密告屋社会の到来」てな話になるのだろう。 しかしながら、前述した通り、本件のキモは女性蔑視演出案ではなく、週刊文春の有料記事を最後まで読めばわかるが、あくまでも「佐々木氏とその周辺の人々が、進行中だった五輪演出チームの演出プランに不当に介入し、結果として演出リーダーの地位を横奪するに至ったその経緯と手口」だ。 もうひとつ言っておくなら、北村氏の言う 《ものすごい生きづらくなってきたなって世の中が》 という感慨は、これまで、女性蔑視ネタの笑いや、容姿差別的な企画案を臆面もなく口外してきた側の人間であればこそ抱くことのできるお気楽な嘆き以上のものではない。 これまで、その「抑圧者」「差別者」「権力者」たちがのびのびと 「生きやすく」暮らしてきた社会は、とりもなおさず、その彼らの差別や虐待のターゲットになってきた人々にとっては、抑圧そのものだったわけで、その差別や虐待が許されなくなって 「不用意な差別ネタをうっかり口にできなくなってしまった世の中」が、到来したのだとすれば、その社会は、むしろ、被抑圧者にとっては、のびのびと生きやすくなっているはずだ……という、そこのところをおさえておかないとこの話の全体像は完結しない。つまり、北村弁護士は、ご自身が生きやすく生きていたこれまでの生き方を自省すべき時期に立ち至っていることを自覚すべきなのだ。まあ、余計なお世話ではある』、「本件のキモは女性蔑視演出案ではなく、週刊文春の有料記事を最後まで読めばわかるが、あくまでも「佐々木氏とその周辺の人々が、進行中だった五輪演出チームの演出プランに不当に介入し、結果として演出リーダーの地位を横奪するに至ったその経緯と手口」だ、確かにこの問題については、その後の追及の動きはなさそうだ。
・『ほかにもたとえば、産経新聞のこの記事 などは、苦情社会の息苦しさを代弁した典型例だろう。 これも、「一理ある」と言えばその通りなのだが、 《エンターテインメントの世界で活躍する渡辺さん本人が寄せたコメントの全文を読むと、侮辱されたとは思っていないのも分かる。》 という増田明美さんによる要約は、端的に間違っている。 渡辺直美さんは、事務所を通して出した公式コメントの中では、ご自身の感情を明らかにすることは控えている。 しかし、YouTubeチャンネルでの言及を報じた記事によると 《-略- 一部で「芸人だったらやるでしょ」という声も受けたといい、「もしもその演出プランが採用されて、私のところに来たら私は絶対に断るし、その演出を私は批判すると思う。目の前でちゃんと言うと思う」と断言し「だって普通に考えて面白くないし、意図がわからない」と説明していた。-略-》 と、ここでは演出への感情を表明している。 何が言いたいのかを説明する。 3連続で炎上した女性蔑視案件の報道を受けて、いま、世間では 「苦情を言う人」「抗議する人々」「不満を述べる人間」「怒りを表明する者」「群れ集って抗議行動を起こす団体」 に対する、忌避感が急速に高まっている。 「あーあ、めんどうくさい人たちだなあ」てな調子で 「わきまえない女たち」への嫌悪感が増幅しているというふうに言い換えても良い。 昨年来、もっぱら海の向こうから伝わって来ていた「#MeToo」やBLMの運動への反発を核としてひとつの勢力を形成しはじめていたネット言論が、ここへ来て、いよいよ形をなしはじめている感じだ。 その感情をひとことで表現すれば、あるいは 「うっせえわ」ということになるのだろうか。 面白いのは、この「うっせえわ」の声が、権力や、政治や、体制には決して向かわないことだ。 「うっせえわ」という、この穏やかならぬ感情は、むしろ、もっぱら、権力や体制や政治に抗議する人々に向けての叫びとして、ぶつけられはじめている。 私は、このことにとても強い警戒感を抱いている。 もっとも、こんなことを言っている私とて、個人的な感情としては、機嫌の悪い人よりは機嫌の良い人の方が好きだ。怒っている人よりはニコニコしている人々と付き合いたいものだとも考えている。 ただ、人はいつも機嫌良く暮らせるわけではない。 特に、現実に苦しんでいる人は、そうそうニコニコばかりもしていられない。当然だ。 だからこそ、他人の不機嫌や怒りに耳を傾ける態度を持たないと、世の中は、恵まれた人だけが得をする場所になってしまう、と、少なくとも私はそう考えている次第なのだ。 「いつもニコニコしている人」には、二通りのパターンがある。 ひとつは「他者に不機嫌な顔を見せないマナーが身についている極めて人間のできた人々」で、もうひとつの類型は「単に恵まれた人たち」だ。 「いつもニコニコしていること」を個人の目標として掲げることは、決して悪いことではない。むしろ、素晴らしいことでさえある。 しかしながら、その一方で、「いつもニコニコしていること」を、他人に求めることは、時に、あからさまな抑圧になる』、「この「うっせえわ」の声が、権力や、政治や、体制には決して向かわないことだ。 「うっせえわ」という、この穏やかならぬ感情は、むしろ、もっぱら、権力や体制や政治に抗議する人々に向けての叫びとして、ぶつけられはじめている」、ネット右翼系なのだろうか。
・『であるから、渡辺直美さんが、例の「オリンピッグ」の演出に対して最初に出した公式コメント(←全方位的に誰も責めていない極めて穏当で抑制の利いた文案でした)を、過剰に賞賛する各方面の声に、私は、強い違和感を抱いたのだ。 なので、ツイッター上に 《個人的には、渡辺直美さんのコメントへの過剰な賞賛がSNS上でこれ見よがしに拡散されていることと、伊藤詩織さんへの不当なバッシングが一向に衰えないことは、ひとつながりの出来事なのだと思っている。要するにうちの国の男たちは「屈辱の中にあって笑顔を絶やさない女性」が大好きなのだね。》という発信をした。 このツイートには、賛同と反発の両方の反応があった。 ……それはつまり、わざわざ発信者に反発の意思を伝えてくる人間が、それなりの人数として存在していたということは 「わりと反発された」と受け止めなければならないのだろう。 ひるがえって、渡辺直美さんのコメントを手放しで賞賛しているツイートには盛大な「いいね」が付けられている。 ということは、やはり人々は、機嫌の良い人々によるポジティブな発信の方を好んでいるわけだ。 ケチをつけるために取り上げたと思われるのは心外なので、以下、概要だけを引用する次第なのだが、つい先日、ある人気アカウントが投稿した 「不機嫌な態度をとるほうが、得する世界が終わりになるといいな」 という意味のシンプルなツイートが、丸一日ほどのうちに約13万件の「いいね」を獲得するという“事件”があった。 この事実に、私は静かに打ちのめされている。 人々はどうやら「キャンセル・カルチャー」にうんざりしはじめている。 のみならず、抗議や告発をめんどうくさがりはじめている。 この流れは、もはやキャンセルできないのかもしれない。 もっとも、「不機嫌な態度をとるほうが、得する世界が終わりになるといいな」 というこのシンプルな言明が人々の心をとらえたのは、必ずしも、抗議する人々への忌避感からではないのだろう。 むしろ「威張り散らす権力者」や、「意味なくにらみつけてくるおっさん」や、 「やたらとカリカリしている顧客」 が醸しているいやーな感じを的確に言語化してくれたツイートへの賛意が、約13万件の「いいね」であったと考える方が自然だ』、なるほど。
・『とはいえ、コロナ禍の渦中で抑圧を感じているわれら日本人が、ギスギスした世間の空気にうんざりしていることもまた事実ではある。 そんな中で、たとえば 「プロテストする人々」「抗議する女性」「声をあげる人間」 として活動せざるを得ないフェミニズムの活動家は、どうしても嫌われ役を自ら進んで担うことになる。 フェミニストだけではない。 差別や偏見にさらされていたり、パワハラやモラハラの被害に苦しんでいたりする人々は、その自分たちへの不当な抑圧や攻撃に、反撃し、反発し、抵抗する行為を通じて、結局のところ世間に嫌われる役回りを演じることになる。 なんと理不尽ななりゆきではないか。 告発者として振る舞うことのコストは、社会が抑圧的であればあるほど、無制限に上昇する。 告発者は、ただただ身に降りかかる火の粉を振り払っているだけなのに 「密告者」「チクリ屋」「金棒引き」 などとされ、さらなる迫害を受けることになる。 今回のように、女性蔑視をめぐって、3つの異なった場面で、3件のよく似た告発案件が報道されたりすると、「抗議者」「告発者」は、SNS上では、それこそゲシュタポじみた扱いを受けるに至る。 「企画をツブし、担当者のクビを飛ばし、人々を黙らせ、CMを引き上げさせ、ている《女性》という人たちのどこが一体弱者なんだ?」 「女性蔑視案件って、事実上は万能首切りツールじゃないか」 「っていうか、秘密警察ムーブだわな」 「魔女狩りだよね。魔女による」「魔女を魔女だと言った男は魔女だ式の?」 なんとも悲しい反応だ。 一定の地位や権力を持った人々は、抗議されたり告発されたりすることをひたすらに恐れている。 であるから、彼らは抗議や告発や怒りを外部化しようとする。 ちょっとわかりにくい話をしている。 私は、抗議され、告発され、怒りを向けられている側の人々が、その抗議や告発や怒りに直面したがらない傾向についてのお話をしている。 では、彼らはどんなふうにそれらを処理するのだろうか。 彼らは、自分たちに向けられた、抗議・告発・怒号が、自分たちの行動や言葉に由来する反応だとは考えない。 彼らは、それらを、抗議・告発・激怒している側の感情の問題として定義し直す。まるで魔法みたいな論理だ。 次に、彼らは告発の主客を転倒させる。 自分が告発者を怒らせたというふうには考えない。 その代わりに、自分が告発者の怒りの対象になったと言い換えることで、自分を「透明な存在」に置き換えつつ、告発を、相手側の感情の問題として外部化するのである。 その魔法みたいな理屈のひとつの成果が 「怒られが発生した」というネットスラングだ。 彼らは自分が怒らせたとは考えない』、「彼らは告発の主客を転倒させる。 自分が告発者を怒らせたというふうには考えない。 その代わりに、自分が告発者の怒りの対象になったと言い換えることで、自分を「透明な存在」に置き換えつつ、告発を、相手側の感情の問題として外部化するのである。 その魔法みたいな理屈のひとつの成果が 「怒られが発生した」」、全く卑怯な姿勢だ。
・『「怒られ」という現象が、天から降ってきた一種の不可抗力として自分たちの居住空間の中に突如出現したテイで、彼らは、 「怒られが発生した」と語るのである。 要するに、こうやって、彼らはあらゆる抗議から身を遠ざけ、すべての感情を他者の理不尽な情動の結果として退け、それらを「お気持ち」と呼んで嘲笑することで、マジメに取り合わない体制を固めている。 「キャンセル・カルチャー」という言い方でひとくくりにしてしまうと、議論が雑になってしまうので、ここは慎重にまとめることにする。 正義が告発側にあるのかどうかは、実際にはケース・バイ・ケースで、一概には言えない。 抗議する者を常に正義の側として定義する乱暴な決めつけから出発すると、世に言われる「キャンセル・カルチャー」のネガティブな面が社会を害する場合も当然あるはずだ。 ただ、今回の3例について言うなら、非は、おおむね女性蔑視を発動したとして退場を余儀なくされた側にあると言って良い。その点では、正しい側が正しく評価されたわけだ。 SNSで散発的にやりとりされている議論を眺めていると、事態が一件落着したかに見えているにもかかわらず、告発者へのリンチがはじまりそうな気配は、一向に衰えていない。 とても不気味だ。 長い原稿になってしまった。 この長くまとまりのない原稿で私が言いたかったのは、 「告発する人間を異端視する世界が終わりになりますように」 ということだ。 私は、自分の言葉で何かや誰かを告発することはないと思うのだが、機嫌の良い人のつぶやきよりは、告発する人の言葉に耳を傾ける人間でありたいと思っている。まあ、いつもそうできるとは限らないのだが』、「告発する人の言葉に耳を傾ける人間でありたいと思っている」、同感である。
タグ:女性活躍 (その20)(優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは、丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る、小田嶋氏:告発する人間を異端視する世界) PRESIDENT WOMAN キャシー 松井 「優秀な女性が会社を辞める「育児より重大な理由」とは」 日本人女性が辞める理由は「育児」よりも「仕事への不満」 「日本」では「育児」が問題になる前に「仕事に不満を感じて退職」してしまうのかも知れない。 企業が女性にやりがいを持って働いてもらえるようにならないと、女性のリーダーは増えません 「コツ①男性よりも少し多めに励ます」、というの確かに有効そうだ。 「コツ② 能力の高い女性にはライフイベント前にタフな仕事を」も、よく考えられた仕組みだ 「コツ③ 「スポンサー制度」もいい仕組みだ 「コツ④ 女性のネットワークづくりを支援する」、もいい制度だ。「ゴールドマン・サックスではこのプログラムを始めてから、女性社員の離職率が低下」、も当然だろう 説得力のある主張で、女性の活躍を真剣に取り組んでいる企業には、貴重なアドバイスになった筈だ。 現代ビジネス 浜田 敬子 「丸川珠代氏、山田真貴子氏…「わきまえる女たち」が築き上げた罪の重さ わきまえてきた歴史を振り返る」 「「わきまえる」体験は、同調圧力の強い日本の組織で働く人であれば、男女限らずあるだろう」、その通りだ 「私自身、ある時から「わきまえる」ことは決して自分一人の問題でなく、周囲に与える影響が大きい、もっと言えば「罪深い」と感じるようになり、徐々にわきまえることを辞めた」、なるほど 「もともと年功序列的な日本の組織では女性だけでなく、男性の若手に対しても「わきまえろ」的空気は蔓延していて、発言するのはなかなか勇気のいることだ」、同感である。 「上野千鶴子氏」も「根回しと忖度もしましたよ」、さもありなんだ。 「「わきまえた女性」の存在が、「女性にはこういう意見もある」とアリバイに使われてしまうのだ」、その通りだ 「自民党が下野した野党時代、丸川氏はヤジを飛ばすことで有名だった」、初めて知った。 「せっかく出世したのなら、もっとポジションを生かしてできることは他にあったのではないか」、正論ではあるが、与えられた職務を遂行するだけの方が樂なのではあるまいか。 「「わきまえ続けてると、組織内の空気は読めるけど、時代が読めなくなる」、確かにその通りなのだろう。 筆者が「AERAの編集長」だったとは初めて知ったが、「「反省文」を書いて忠誠を示」した、朝日でもそこまでするのかと驚かされた 日経ビジネスオンライン 小田嶋 隆 「告発する人間を異端視する世界」 先週から今週にかけて、似たような事件が3件続発した 「この先、この反動形成による無限ループは、バカにならない圧力を生み出しかねない」、というのは鋭い指摘だ 「テレビ朝日の謝罪」は、「今後、他者の責任を追及する取材は永久に不可能になると思われる。 もうひとつ、当該CMの制作責任者ならびに制作過程と、CM制作をめぐる議論および承認に至る経緯を公開していない点も、報道機関としてなさけないの一語に尽きる」、驕り高ぶった姿勢のままだったようだ 「本件のキモは女性蔑視演出案ではなく、週刊文春の有料記事を最後まで読めばわかるが、あくまでも「佐々木氏とその周辺の人々が、進行中だった五輪演出チームの演出プランに不当に介入し、結果として演出リーダーの地位を横奪するに至ったその経緯と手口」だ、確かにこの問題については、その後の追及の動きはなさそうだ 「この「うっせえわ」の声が、権力や、政治や、体制には決して向かわないことだ。 「うっせえわ」という、この穏やかならぬ感情は、むしろ、もっぱら、権力や体制や政治に抗議する人々に向けての叫びとして、ぶつけられはじめている」、ネット右翼系なのだろうか。 「彼らは告発の主客を転倒させる。 自分が告発者を怒らせたというふうには考えない。 その代わりに、自分が告発者の怒りの対象になったと言い換えることで、自分を「透明な存在」に置き換えつつ、告発を、相手側の感情の問題として外部化するのである。 その魔法みたいな理屈のひとつの成果が 「怒られが発生した」」、全く卑怯な姿勢だ 「告発する人の言葉に耳を傾ける人間でありたいと思っている」、同感である。
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