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介護(その6)(「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感、老人ホームに捨てられた「元一流企業上級管理職老人」の悲惨な最期 「老人ホームに向かない人」の典型例とは) [社会]

介護については、2020年5月5日に取上げた。7久しぶりの今日は、(その6)(「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感、老人ホームに捨てられた「元一流企業上級管理職老人」の悲惨な最期 「老人ホームに向かない人」の典型例とは)である。

先ずは、昨年9月15日付け日経ビジネスオンラインが掲載した健康社会学者(Ph.D.)の河合 薫氏による「「人に迷惑をかけるな」という呪いと自助社会の絶望感」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/seminar/19/00118/00091/
・『書こうか書くまいか散々悩んだ結果、やはり書こうと思う。 なぜ、悩んだのか? 一つには、何から書いていいか分からないほど、「絶望」に近い感情を抱いたこと。そして、もう一つは、どうしたら伝えたいことが伝わるか、最善の方法が見つからなかったからだ。 が、今書いておかないと後悔しそうなので、書きます。 テーマは「人さまに迷惑をかけるな!」といったところだろうか。 まずは、遡ること14年前に起きた、忘れることのできない“ある事件”からお話しする。 2006年2月1日、京都市伏見区の河川敷で、認知症を患う母親(当時86歳)を1人で介護していた男性(当時54歳)が、母親の首を絞めて殺害した。自分も包丁で首を切り、自殺を図ったが、通行人に発見され、未遂に終わった。 男性は両親と3人で暮らしていたが、1995年に父親が他界。その頃から、母親に認知症の症状があらわれはじめる。一方、男性は98年にリストラで仕事を失い、親子は親族の好意で家賃を半額にしてもらい、月3万円のアパートに引っ越した。 その後、男性は非正規で働くことになるが、母親の認知症は悪化。昼夜逆転の生活になり、男性は慢性的な睡眠不足に陥ることになる。 しかし、生活費のためには仕事を辞めることはできない。そこで男性は介護保険を申請し、母親は自宅近くの施設でデイケアサービスを受け、男性はどんなに寝不足でも朝には会社に行き、仕事と母の介護に追われる日々を過ごすようになる。心身ともに疲弊しても、決して仕事を休むことはなかったそうだ』、「父親が他界。その頃から、母親に認知症の症状があらわれはじめる」、よくあるパターンだ。
・『仕事と介護の両立求めて職安へ  そんなある日、男性が仕事に行っている日中に、外出した母親が道に迷って警察に保護された。その後も同様の事態が繰り返し起きたため、男性は仕事を休職して、介護に専念することになった。 収入が途絶えて生活が困窮する中、男性は「せめて復職するまで生活保護を受給できないか?」と役所に相談した。ところが、職員から「あなたはまだ働ける身体なのだから頑張って」と諭され、生活保護支給を断念する。当時の報道によれば、「休職中だったため認められなかった」という。 母親の症状はさらに進み、男性は仕事を辞め、再び役所に「生活が持ち直せるまで、しばらくの間だけでも生活保護を受給できないか」と相談した。しかし役所側は、「失業保険の受給」を理由に拒否。男性は母親のデイサービスを打ち切るなど、介護保険の自己負担をギリギリまで抑えながら、介護と両立できる仕事を求めて職安通いをするが、仕事は見つからなかった。 なんとかカードローンなどで生活費を工面したが、限度額を超え、男性は追い詰められるようになる。自分の食事を2日に1回にして、母親の食事を優先し、この頃から心中を考えるようになったそうだ。 そして、2006年真冬のその日、手元のわずかな小銭でパンとジュースを買い、母親との最後の食事を済ませ、思い出のある場所を見せておこうと母親の車椅子を押しながら河原町かいわいを歩き、河川敷へ向かった。 男性「もう生きられへんのやで。ここで終わりや」 母親「そうか、あかんのか……。一緒やで。お前と一緒や」 男性「すまんな。すまんな」 母親「こっちに来い。お前はわしの子や。わしがやったる」 男性はこの会話を最後に、母親を殺害し、自らも包丁で切りつけるなどして意識を失った。数時間後、通行人が2人を発見し、男性だけが命を取りとめたという。 この事件は、4月19日、京都地裁で初公判が開かれ、地域の住民や関係者から126人分の嘆願書が提出され、メディアの注目を集めた。……覚えている人も多いかもしれない』、本当に悲惨な事件だ。
・『裁かれたのは被告だけではない  何よりも衝撃的だったのは、6月21日に行われた3回目の公判で、裁判官が被告人質問で男性に「同じような事件が後を絶たないのはなぜか」と聞いた際の答えだ。 「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」(毎日新聞大阪社会部取材班『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』(新潮文庫)より)。 結局、京都地裁は男性に懲役2年6カ月、執行猶予3年(求刑は懲役3年)を言い渡し、裁判官は国にこう、苦言を呈した。 「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と。 そして男性に、「痛ましく悲しい事件だった。今後あなた自身は生き抜いて、絶対に自分をあやめることのないよう、母のことを祈り、母のためにも幸せに生きてください」と語りかけたという。 繰り返すがこの事件が起きたのは、2006年1月である。この事件の6年前、国は介護保険を導入した。しかし、介護保険の効果について分析した研究では、「支援が必要な高齢者に対するケアの充実が図られたが、介護殺人の件数が減少する傾向は一切認められていない」ことが分かっている(湯原悦子氏の論文「日本における介護に関わる要因が背景に見られる 高齢者の心中や殺人に関する研究の動向」より)。 また、1998年から2015年までに発生した介護殺人の件数は716件で、件の事件のあった2006年は49件と過去最悪を記録。その後、2008年には54件発生するなど、50件前後で推移している(湯原悦子氏の論文「介護殺人事件から見いだせる介護支援の必要性」より)。) 私は、件の事件が起きた当時、介護現場の調査研究のヒアリングを行っていたので、この事件の裁判の内容は鮮明に記憶している。が、実はこの事件には続きがあった。 2014年8月、男性は琵琶湖に飛び込んで自ら命を絶っていたことが、毎日新聞大阪社会部の取材で分かったのである。 これは2016年4月にNHKがドキュメンタリー番組で報じ、2019年5月に毎日新聞大阪社会部取材班が出版した書籍『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』に詳しく記されている。取材班は、「当事者が胸の内に封印している事実こそが、本質を照らし出す」と考え、介護殺人の加害者の取材を進めた。その過程で、件の男性が亡くなっていたことを知ったそうだ。 取材を重ねたどり着いた、男性の身元引き受け人の親戚の言葉。それはとてつもなく重くて、「社会とは何か?」を考えさせるものだった』、「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」との判決は、その通りだ。「介護殺人の件数」が年「50件前後で推移」、予想以上に多いのに驚かされた。
・『不器用な人をも救う「公の何か」  「困った人を救う制度がないわけではないし、私は何でも行政が悪いとも思いません。でも、A(件の男性)のように制度を使いたいけど使えない、あるいは使わない人間もいるということですかね。そんな不器用な人にも手を差しのべる公の何かがあれば、とは感じます」(『介護殺人 ~追いつめられた家族の告白~』より) ……さて、私が何を言わんとしているのか、お分かりいただけたでしょうか? そう。これが「自助、共助、公助、そして絆」の顛末(てんまつ)である。 ご承知のとおり、自民党総裁になった菅義偉官房長官は、出馬表明した際に出演したテレビ番組で、「自助・共助・公助。この国づくりを行っていきたいと思います」と述べた。 私はこの発言を聞いたとき、一瞬耳を疑った。でもって「……台風が来ているからだよね? 自然災害が増えているから、自助、共助、公助なんて言ってるんだよね?」と、マジで思った。 だが、そうではなかった。 菅氏は、「まずは自分のできることを自分でやり、無理な場合は家族や地域で支え合い、それでもダメな場合は国が守る」と繰り返した。自助・共助・公助は、40年前の1970年代に掲げられた「日本型福祉社会」の基本理念だ。それを、新時代を迎えようとしている“今”、自らの政策の柱に掲げたのである。 日本型福祉社会は、1979年の大平正芳首相のときに発表された自民党の政策研修叢書で発表されたもので、その骨子は、以下のように菅氏の発言と重なっている。 自ら働いて自らの生活を支え、自らの健康は自ら維持するという「自助」を基本とする →「まずは自分のできることを自分でやる」(菅氏) これを生活のリスクを相互に分散する「共助」が補完する →「無理な場合は家族や地域で支えう」(菅氏) その上で、自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し、所得や生活水準・家庭状況などの受給要件を定めた上で必要な生活保障を行う公的扶助や社会福祉などを「公助」として位置付ける →「それでもダメな場合は国が守る」(菅氏)』、「自助・共助・公助は、40年前の1970年代に掲げられた「日本型福祉社会」の基本理念だ」、ずいぶん古いものを持ち出したものだ。
・『社会が変わっても変わらない「日本型社会福祉]  つまり、自助の精神は古くから日本社会に根付く、「人さまに迷惑かけてはいけない」という考え方に通じるもので、北欧に代表される「政府型」や、米国に代表される「民間(市場)型」ではない。「とにもかくにも、“家族”でよろしく!」という独自路線の福祉政策が、日本型の福祉社会だ。 当時の日本社会の典型的な家族モデルは「夫婦と子供2人の4人家族」であり、働く人の9割以上が正社員で、介護は嫁の仕事だった。人口はピラミッド型で、「介護」という言葉が社会保障の議論の中に出てこない時代である。 そのときの仕組みを国は維持し続けている。これまでも書いてきた通り、どんなに「家族のカタチ、雇用のカタチ、人口構成のカタチ」が変わっても日本型福祉政策は踏襲され続けてきてしまったのだ。 1986年に『厚生白書 昭和61年版』として発表された、社会保障制度の基本原則では、上記の「日本型福祉社会」の視点をさらに明確化し、「『健全な社会』とは、個人の自立・自助が基本で、それを家庭、地域社会が支え、さらに公的部門が支援する『三重構造』の社会である」と明記。2006年に政府がまとめた「今後の社会保障の在り方について」でも、40年前と全く同じことが書かれている。 一方で、世界人権宣言にある「家庭は、社会の自然かつ基礎的な集団単位であって、社会及び国の保護を受ける権利を有する」という条文と同様の内容の一文は、自民党の改憲草案にはなく、現行憲法にない「家族の尊重、家族の相互の助け合い」が追加された。 いわずもがな、日本は1970年にすでに高齢化社会(65歳以上の人口が、全人口に対して7%超)に突入し、95年には高齢社会(同14%超)、2007年には超高齢社会(同21%超)になっている。 家族に介護を押しつける仕組みそのものに無理があることは明白なのに、少子高齢社会に向き合わず、問題を解決しようとする活発な議論すらしてこなかった。その間、家族のカタチも雇用のカタチも変わったのに、「とにかくまずは自分のことは自分で守れ!」を貫いた。 要するに、「自分で守れなければ残念だけど仕方ないね。国は最低限のことはするけれど、生活の質や尊厳までは守りません」と切り捨てていることに等しい。 このような考え方が「人さまに迷惑をかけてはいけない」という呪縛を生んでいる、そう思えてならないのである』、同感だ。
・『「それでもダメな場合は国が守る」と言うが…  介護殺人に関する研究は1980年代から徐々に増え、2000年代に入り急増している。 研究手法はさまざまだが時代を経ても一貫して、「介護殺人の背後には経済的困窮がある」こと、「家族中心主義は社会からの孤立につながる」こと、「自立自助の原則は結果として介護する人を追い詰める」ことが指摘されている。 人は言う。「なんで相談してくれなかったのか?」と。 だが、経済的にも精神的にも追い詰められると、相談する余裕すらなくなるのだ。 菅氏は言う。「それでもダメな場合は国が守る」と。 件の介護殺人を犯した男性を、果たして国は守ったのだろうか。 生きるとは、何か? ただ単に寝る家があり、餓死しなけりゃいいってことか。 金もない、人に頼ることもはばかられる、勇気を出してSOSを出しても断られれば、残るのは「絶望」だけ。生きるには「光」が必要なのだ。 1980年代から研究者たちが、「介護する人たちへの支援」を訴え続けているのに、その声は聞こえてないということだろうか。 「雇用があることが何よりも大事」と言うけれど、日本の貧困層の9割は、働けど働けど楽にならないワーキングプアだ。ワーキングプア世帯は推計で247万世帯、北海道の全世帯数に相当するという試算もある(日本総合研究所「中高年ワーキングプアの現状と課題 ―キャリアアップ・就労支援制度に新しい視点を」)。 さらに、シングルマザーの就業率は先進国でもっとも高い84.5%なのに、3人に2人が貧困というパラドクスも存在する(経済協力開発機構(OECD)の報告より)。 「できるだけ人に迷惑をかけないように生きようとすれば、自分の持っている何かをそぎ落として生きていかなければならないのです。限界まで来てしまったら、自分の命をそぐしかないのです」 という男性の言葉の意味を、「自助」を社会福祉の前面に掲げる人たちは、どう受け止めているのか、教えてほしい。 このような問題を取り上げると、「結果の平等」を追求するような政策は、「堕落の構造」を生むと反論する人たちがいるが、堕落とは何なのか? 菅氏は、テレビ番組に出演した際、「自助、共助、公助」をつっこまれるたびに、「『そして、絆』ってありますよ!」と何度も繰り返していたけど、絆って何? ホントなんなのだろう? どうか今一度、立ち止まって、1970年代の社会福祉の理念を踏襲し続けることの是非を考え、見直してほしい』、「「介護殺人の背後には経済的困窮がある」こと、「家族中心主義は社会からの孤立につながる」こと、「自立自助の原則は結果として介護する人を追い詰める」ことが指摘されている」、「今一度、立ち止まって、1970年代の社会福祉の理念を踏襲し続けることの是非を考え、見直してほしい」、その通りだ。

次に、昨年12月29日付け現代ビジネスが掲載した株式会社ASFON TRUST NETWORK 常務取締役の小嶋 勝利氏による「老人ホームに捨てられた「元一流企業上級管理職老人」の悲惨な最期 「老人ホームに向かない人」の典型例とは」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/78868?imp=0
・『半ば捨てられるように老人ホームへ  Aさんは、一流大学を卒業後、一流大手機械メーカーに就職、その能力を高く評価され、最後は部長職で定年を迎えました。定年後も、会社の功労者として子会社に転籍し手腕を発揮、70歳を過ぎるまで仕事の第1線で活躍されたといいます。 その後、長年連れ添った奥様が病気で他界、独立した子供たちとは距離を置くようになり、長年住み慣れた郊外の一戸建てで1人、静かに老後を過ごしていました。ところが、80歳で脳梗塞を発症、一命はとりとめたものの右半身に麻痺が残りました。そして、広い自宅での独居生活が困難になり「老人ホームへ入居」という運びになったのです。 老人ホームでの生活ぶりをお話しする前に、脳梗塞後発症後に起きた事実について説明しておきます。 病院を退院後、半身麻痺になったAさんをどうするかの親族会議が開かれ、結果、長男夫婦が同居することになりました。長男夫婦がAさんの自宅に移り住み、同居生活が始まります。 要介護4の認定を受けていたAさんの日常介護は、訪問介護や通所介護の事業者が担います。右半身は麻痺をしていますが、それ以外は特に悪いところはなく、頭も鮮明です。発語にも生活に支障をきたすような問題はありませんでした。 しかしです。同居生活がスタートしてから1年後、Aさんは、半ば捨てられるように、老人ホームに入居することになったのです。理由は一体、何だったのでしょうか? それは、長男の奥様や在宅介護を支えている介護事業者に対する暴言と暴力でした。自由に動く左手と左足で、長男の奥様や介護職員に対して「殴る」「蹴る」の暴力を振るい、さらには、相手を馬鹿にするような罵声を浴びせるという言動が出現したのです。 最初は、皆、「病気がそうさせているのだから仕方がない」「身体の自由が利かないのだからストレスもたまるはずだ」と考え、どちらかと言うと同情的でした。幾度となく担当ケアマネジャー主催のカンファレンスが開かれ、その都度、関係者間では「支えていく」ことを確認しました。しかし、物事には限度があります。度を超えてしまうと、そうは割り切れません。 まず初めに、「Aさんの対応をするなら事業所を辞めたい」という退職希望の介護職員が続出します。ついに、介護事業者からも介護職員の職場環境を考えた場合、「これ以上、Aさんにサービスを提供することは難しい」と言ってサービス辞退の申し出がありました。 さらに追い打ちをかけたのは、介護事業者から見放され、同居していた長男の奥様が、様々な心労から精神を病み、入院治療をしなければならなくなったことです。長男は、このことに怒り心頭、担当ケアマネも長男が納得できる代替え案を提案できず、結局、Aさんを老人ホームへ入居させるという結論に至ったのです』、「介護事業者から見放され、同居していた長男の奥様が、様々な心労から精神を病み、入院治療をしなければならなくなった」、いくら「脳梗塞」で「半身麻痺」とはいえ、「Aさん」の態度は余りに酷過ぎ、「Aさんを老人ホームへ入居させる」のもやむを得ない。
・『Aさんのケアプラン  老人ホームへ入居の申し込みをしに来た長男は、Aさんのことを「いくら恨んでも恨み足りない。親子の縁を切りたい」と訴え、自分たちがこの1年間、どれだけ苦しんだかという説明を蕩々と繰り返したといいます。 そして、ホームとAさんの身元引受人契約を締結した際、「Aさんの取り扱いは、ホームに一切任せる。死んだ場合のみ連絡すること。遺体を引き取ります」という約束をして帰っていきました。 後日、Aさんの入居時調査を担当した介護職員の報告によると、Aさんは、男尊女卑の思想が強く、女性は自分の奴隷であるというような趣旨の発言があったといいます。そして、リクエストに応えることができない女性に罰を与えることは当然である、とも言っていたというのです。 介護業界では、女性を敵に回したらお終いです。なぜなら、介護の現場は圧倒的に女性の力で支えられているからです。 おそらく、Aさんの場合、暴力もそうですが、この「暴言」こそが多くの女性から見放された最大の原因だと思います。何しろ、それまで元気だった長男の奥様が精神病院に入院しなければならなくなったほどなのですから。 この老人ホームでは、介護職員らによるAさんのケアプラン作成を目的としたカンファレンスにおいて、以下のことが協議・決定されました。 元エリートでプライドが高く、頭もしっかりしている。しかし、身体には麻痺があるため、自由に動けないというジレンマが、従来から持っている気質をより増大させ、自分の思うようにならないことが起きると、暴言や暴行となって外部へ責任転嫁されている(「お前が悪いからだ」という思考)。 よって、しばらくの間は、先ず、介護対応は男性職員が担当することとし、介護支援において「何をすると、どのような反応になるのか」をきめ細かく記録に残し、様子を観察していくこととなりました。 なお、夜勤帯については、女性しか配置できない日があるため、例外とするということになりました』、「男尊女卑の思想が強く、女性は自分の奴隷であるというような趣旨の発言があった・・・リクエストに応えることができない女性に罰を与えることは当然である」、ここまでくると、酷過ぎる。
・『「煮ようと焼こうと好きにしてくれ!」  しかし、トラブルはすぐに発生しました。夜勤時、排泄を介助した女性介護職員に対し、暴力事件を起こしたのです。 何でも、トイレ内でのズボンの下ろし方が気に食わないという理由で、自由が利く方の手で女性介護職員の顔を殴りつけ、足蹴りにしたというのです。不意を突かれた女性職員は、殴られた拍子に手すりに顔をぶつけ、口腔内から出血してしまいました。傷害事件です。 翌日、この話を聞いた一部の女性介護職員からは「冗談じゃない!」と怒りの声が上がり、施設長に対し「即刻退去させるべきだ」「そんな人の介護はできない」と言って、Aさんの介護を拒否する意思表示なされます。 通常、このようなケースでは、本人と話をした上で、家族を呼び、再発防止策を考えるのですが、本人は一向に悪びれることはなく、仕事ができない女性に罰を与えただけだと、当の女性職員が聞けば怒り心頭となる発言をしたのです。 身元引受人である長男からは、「死んだとき以外は連絡不要だと言ったはずだ。煮ようと焼こうと、ホームの好きにしてくれ!」といって電話を切られてしまいました。 それからしばらくの間、男女を問わず、一部の理解ある職員による介護支援が続きます。もちろん大小さまざまな事件が多発しましたが、その都度、一部の介護職員による“神対応”ともいえる応対でしのいでいました。 しかし、多くの介護職員は、過度の緊張を強いられるため、Aさんの介護支援に対して前向きになれず、徐々にAさんはホーム内で孤立していくことになります。さらに、Aさんの暴言、暴行は介護職員のみならず、他の女性入居者にも向けられるようになり、「怖いおじいさん」といって入居者からも避けられるようになります。 そうするうちに、1日のほとんどを居室内で過ごし、食事や入浴も拒絶するケースが増え、次第に、居室内からまったく出てこない日も多くなっていきました。 長男に相談しても、「このまま居室内で死んでしまえばいい」と言われる始末。地方にいる長女に連絡しても、「父の好きなようにさせてください」という回答しか返ってきません。 入居から1年後、Aさんは入院先の病院で一人静かに亡くなりました。心筋梗塞だったといいます。立ち会った介護職員の報告によると、長男は事務的に葬儀業者に火葬の手配を行い、葬儀などは一切せず、先祖代々のお寺に納骨すると言っていたそうです』、「「怖いおじいさん」といって入居者からも避けられるようになります。 そうするうちに、1日のほとんどを居室内で過ごし、食事や入浴も拒絶するケースが増え、次第に、居室内からまったく出てこない日も多くなっていきました」、「入院先の病院で」、「心筋梗塞」で「一人静かに亡くなりました」、運動不足で孤立したらあり得る死因だ。
・『「老人ホームに向かない人」の典型例  今回ご紹介した話は、「老人ホームに向いていない人」の典型的な事例なのですが、皆さんはどのように感じましたでしょうか? この事例を通して私が皆さんに理解して欲しいことは、ただ一つです。それは、家族と友好的な関係性が構築できていない高齢者は、老人ホーム入居には向いていないということです。 しかし、現実的には、家族から嫌われているため老人ホームに入居しているケースが少なくありません。つまり、老人ホーム生活に向いていない人が、老人ホームに一定数入居している、ということになります。 第1回目の今回は、老人ホーム入居に向いている人、向いていない人の中で、家族との関係性に着目した話をしました。老後は、老人ホームで快適に過ごしたいーーそう考えている方は、どうぞ、家族と友好的な関係を構築するように努めてください。家族から嫌われる人は、他人からも嫌われます。当たり前と言えば当たりの話です。 なお、家族がいない自分は老人ホーム入居に向いていないのでは? という心配もあると思いますが、初めから家族がいない人は、別の問題はあったにせよ、このような心配は概ねありません。あくまでも、家族がいるにもかかわらず、とうケースの話です。 老人ホームは、その使い方、自身の運用の仕方によっては、毒にも薬にもなるところです。このことを、どうぞ、覚えておいてください』、「老人ホーム生活に向いていない人」もかなり多いようだ。早目に、家族が注意しておくことも必要なのだろう。ただ、注意しても効き目がないかも知れない。
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