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メディア(その27)(日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任、佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に、テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地) [メディア]

メディアについては、4月3日に取上げた。今日は、(その27)(日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任、佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に、テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地)である。

先ずは、4月28日付け東洋経済オンラインが掲載した近畿大学教授の柴田 直治氏による「日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/425344
・『「アジアが拓く新時代新型コロナ禍の先へ」 4月13日、日本経済新聞の朝刊1面の社告を見て私は思わず、えっと声をあげた。 日経新聞は5月20、21の両日、第26回国際交流会議「アジアの未来」を東京都内で開催し、オンラインで配信するという告知を掲載している。その中に、講師としてタイのプラユット首相が名を連ねていたからだ』、「タイのプラユット首相」が「講師」をするのに、どんな問題があるのだろう。
・『タイはミャンマー軍政の手本に  プラユット氏は2014年、タイの陸軍司令官として軍事クーデターを主導し、選挙で選ばれた政府を転覆した張本人である。2019年の総選挙を経て首相に就任したのだから、みそぎは済んだという解釈かもしれない。 だが強権下で軍に都合のいい憲法・選挙制度を制定し、議会工作の末にようやく首相に就任したプラユット氏は、総選挙の前も後も民主化を求める人々を拘束し、政府批判のデモを不敬罪や非常事態宣言で抑え込み、野党を解散させ、言論の自由を封殺してきた。 多くの若者が参加する2020年以降のデモでは辞任を突き付けられている。さかのぼれば、市街地を占拠した反政府デモ隊を武力で鎮圧し、多数の死者を出した2010年(注1)には軍のナンバー2だった。 2月にミャンマーで起きたクーデターを仕切ったミンアウンフライン国軍司令官が真っ先に親書を送った「先輩」でもある。ミャンマー国軍はタイのクーデターとその後の支配体制の確立を手本にしようとしている。 日経新聞も世評を気にしたのか、1面社告の写真にはマレーシアのマハティール前首相とインドの外相を載せ、日本とつながりの深いタイの首相を外している。 「アジアの未来」はこれまでもアジアの権威主義的なリーダーを招き、演説をさせてきた。報道機関が各国首脳に話を聞くのはもちろん重要な仕事である。しかし、この会議では記者が首脳らに厳しい質問をする機会などほとんどない。 2019年の同会議は、カンボジアのフン・セン首相とフィリピンのドゥテルテ大統領、バングラデシュのハシナ首相が登壇した。いずれも野党や政府批判のメディアを徹底弾圧する「アジア強権三羽烏」だ。 選挙で選ばれたのだから正統な指導者だと判断したとも考えられるが、招待前の3カ国の選挙について日経新聞は以下のように報じている』、「タイはミャンマー軍政の手本に」、とはいえ、ミャンマーでの死者数はタイとはけた違いに多いようだ。
(注1):タイの2010年の「反政府デモ隊を武力で鎮圧」:死者8人、負傷者2000人以上(2015年5月18日付けHuman Rights Watch)。
・『批判的報道の後に招聘する矛盾  カンボジア総選挙を受けた2018年7月31日付の社説は「逆流したカンボジア民主化」と題し、「フン・セン首相ひきいる与党が圧勝した。だが選挙に先立ち、政権が有力な野党を強制的に解散させるなど、今回の選挙の正当性そのものに大きな疑問がある。形ばかりの民主主義はとうてい容認できない」と論じた。 2019年5月に開催された同会議直前にフィリピンで行われた中間選挙について、日経新聞の現地特派員は「影響力の大きい上院でドゥテルテ大統領を支持する候補者が当選し、反対派は軒並み落選した。ドゥテルテ氏が任期後半の3年間も指導力を維持し、強権体制を続ける見通しとなった」(2019年5月14日付)と報告した。 2018年末のバングラデシュの総選挙では、やはり日経新聞の現地特派員が「争点は主に、2009年から続くハシナ体制の継続か政権交代かだった。ハシナ政権は報道統制やインターネットの制限、野党支持者の弾圧など政権維持に向けてあらゆる策を講じた」(2018年12月31日付)と論評していた。 日経新聞は「容認できない」などと批判的に報じた直後に3人を招いている。報道機関として認識や主張と同会議への招聘との関係について、会議を報じる紙面でも説明はなされていない。) それにも増して今回の招聘に強い疑問を抱いたのは、プラユット首相が選挙で選ばれた民選首相でさえないためだ。プラユット首相は、首相は下院議員から選ばれると定めた憲法をクーデターで破棄した。 そのうえで首相選任に票を投じる上院議員を民選から軍主導の任命制に変え、議員でなくても首相になれるよう新憲法を制定してその座に納まった』、「プラユット首相が選挙で選ばれた民選首相でさえない」、どういうことなのだろう。
・『日経記事が論評したタイ首相の素顔  プラユット氏について日経は2020年3月、「タイで強力な言論統制権、再び、首相、非常事態宣言」と題した記事で次のように論評している。 「プラユット首相が新型コロナウイルスの感染拡大防止を目的に非常事態宣言を出した。軍出身で2014年のクーデターを主導した首相は昨年の総選挙を経て現政権を発足させたが、軍政時代に勝るとも劣らない強力な言論統制権限を再び手にした。『私が選任した者だけを通じて進捗状況を国民に報告する』。プラユット首相は非常事態宣言に伴う演説で、新型コロナ対策をめぐる政府の情報発信を自らの管理下に置くと語った。新型コロナへの対応では省庁間や連立政権内の連携不足や情報の混乱が目立ち、様々なメディアで批判的な論調が増加。軍人の頃から短気で知られる首相はしびれを切らし、情報発信の締め付けをあからさまに宣言した。プラユット首相の演説は軍政時代をほうふつとさせた。14年のクーデターから軍事政権を率いた首相はタイの権威主義の顔とされる」(2020年3月31日付) 日経新聞自身、プラユット氏を「権威主義の顔」と評しているのだ。 その点、「アジアが拓く新時代新型コロナ禍の先へ」というアジアの未来会議のテーマは皮肉に聞こえる。日経の記事に照らせば、タイではコロナ禍の先に「強権と言論統制」が待っていたというのだから。 ミャンマーのミンアウンフライン国軍司令官の姿は、プラユット氏に重なって見える。ミャンマー国軍は一応、2年以内の総選挙を宣言している。アウンサンスーチー氏の率いる国民民主連盟(NLD)を排除した選挙を行うことになるだろう。 選挙制度はタイに習って、小選挙区制度を比例代表に変えるなどして軍に有利な仕組みにするはずだ。ほとんど無競争の選挙で親軍政党が勝つ。そして、ミンアウンフライン氏が大統領に就任するシナリオは非現実的とは言えない。選挙を経たのだからといって日経新聞は同氏を講師に招聘するのだろうか。 プラユット首相については少なくとも総選挙後、日本政府や多くの国々が一国の首脳として遇している。会議に招くことに問題はないという見方があるのかもしれない。 しかし日経新聞は、日本を代表するクオリティペーパーを自称する報道機関である。同社のホームページには基本理念として「わたしたちは、民主主義を支える柱である『知る権利』の行使にあたって、人権とプライバシーに最大限配慮しつつ、真実の追究に徹する」と書いてある。プラユット氏の招聘がこの理念に合致するとは思えない。 プラユット氏は3月9日、定例閣議後の記者会見で報道陣に新型コロナウイルス対策用のアルコール消毒液を噴射した。この出来事を日経新聞は3月11日付で「消毒液のスプレーを手に壇上から降り、マスクで顔を覆いながら最前列の記者に向けて噴射を開始。『新型コロナをうつされるのが怖いから、身を守っている』『君の口に噴射しようか』と語りながらスプレーを押し続けた」と報じている。 メディアにこれほど無礼なふるまいをする人物を招くことに同業者としてためらいがなかったのだろうか』、「プラユット首相」は「権威主義の顔」で、「記者会見で報道陣に新型コロナウイルス対策用のアルコール消毒液を噴射」するようなとんでもなく「無礼」な人物のようだ。
・『日経に言論の自由に対する敬意はあるか  この会議、参加料は前回より値上げをして8万8000円である。個人が負担する金額ではなく、おそらく企業が経費で支払うのだろう。 日経がその名で内外の講師を集め、取材先でもある企業に高額の受講料を払わせる。もちろんメディアにとっても収益は重要である。それでも民主主義、なかでも言論の自由に対する一定の敬意がそこには必要だろう。 筆者は4月19日、「アジアの未来」の事務局に以下の質問状を送った。プラユット氏を招聘したことについての見解やプラユット氏に講師料は支払われるのか否かのほか、過去もフン・セン、ドゥテルテ、ハシナ各氏のようにメディアを弾圧する強権指導者を招いていることについて、日経新聞の基本理念に合致するのかどうかなどを尋ねた。 4月23日、日経広報室取材窓口から回答があった。1面社告からプラユット氏の顔写真を外した理由について、「掲載時点での首脳や閣僚の訪日の可能性などを配慮して選定」と回答。プラユット氏への講師料は「支払われません」とし、高額な参加料については「貴重なご意見として承ります」との回答があった。 だが、他の質問については「国際交流会議『アジアの未来』はアジア大洋州地域の各界のリーダーらが域内の様々な課題や世界の中でのアジアの役割などについて率直に意見を交換し合う国際会議です。1995年から原則毎年開催しておりアジアで最も重要な国際会議の一つに数えられています。アジア各国・地域の首脳・閣僚らの生の声を参加者や読者にお伝えする貴重な機会とすべく当会議を企画しています」としたうえで、「個別の案件についてはお答えしておりません」と回答した。 報道機関に属さない私にも回答した点については敬意を表するものの、講師料が支払われていないことを除けば、実質的な中身はなく、新聞社として説明責任を果たす姿勢は感じられない。 ジャーナリズムとビジネスの間合いをどうとるのか。「アジアの未来」には、日本経済新聞社の抱える本質的な矛盾が解決されないまま、凝縮されている』、「1995年から原則毎年開催しておりアジアで最も重要な国際会議の一つに数えられています」、とはいえ、「「アジアの未来」には、日本経済新聞社の抱える本質的な矛盾が解決されないまま、凝縮されている」、同感である。

次に、4月29日付けエコノミストOnlineが掲載したライターの楠木春樹氏による「佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に」を紹介しよう。
https://weekly-economist.mainichi.jp/articles/20210429/se1/00m/020/001000d
・『評論家の佐高信氏が、作家で元外務省主任分析官の佐藤優氏に約1000万円の損害賠償請求裁判を起こされたことがわかった。佐藤氏は佐高氏の著書『佐藤優というタブー』(旬報社)に名誉棄損的表現が含まれるとし、発行者である木内洋育・旬報社代表取締役にも1064万円を支払うよう求めている。 同書のオビには「”雑学クイズ王”佐藤批判はタブーか!?」「私は二冊も佐藤と共著を出した責任を感じて、ここで佐藤批判を、特に佐藤ファンに届けたい」などと書かれている。共著もある作家同士が名誉毀損裁判に至るのは異例なことだろう。 辛口評論家とも称される佐高氏は月刊誌『噂の真相』(休刊)で「タレント文化人筆刀両断」を連載するなど、数多くの文壇や論壇の批評を書いてきた。佐藤氏は多くのメディアに連載を持ち多作で知られる』、「二冊も佐藤と共著を出した」のにあえて訴えられるのを覚悟の上で、『佐藤優というタブー』を出版したとはよほど覚悟の上なのだろう。
・『問題にした9つの記述  訴状によれば佐藤氏は9つの佐高氏の記述を問題にしている。 最初に指摘しているのは、「創価学会御用達の佐藤優が、『AERA』でダラダラと『池田大作研究』を続けている。2020年9月28日号の第37回が特に卑劣な学会擁護だった」という表現。 これについて佐藤氏は「原告が著述している池田大作研究の内容が『卑劣な学会擁護』とするものであり、『卑劣』とは『品性や言動がいやらしいこと』、『人格的に低級であること』を意味し、原告が卑劣な方法で学会擁護をしたとするこの表現は原告の作家としての良心であるとか、その誇りを踏みにじる表現である。このような侮蔑的表現で他人の著述を批判することは許されることではない」としている。 次は、「彼は2016年3月2日付け『東奥日報』の電気事業連合会の『全面広告』に出て、『エネルギー安全保証の観点から原子力発電の必要性を強調』している。おそらく最低でも1000万円はもらっているだろうが、その金額を明らかにしてから『内調から藤原に金銭の流れもあった』とか言え」という記述、などだ。 「内調」とは内閣調査室、「藤原」とは評論家で『創価学会を斬る』の筆者、藤原弘達氏のことである。佐高氏は佐藤氏について「藤原のように内調から工作されなくても(あるいは、工作されたのか)、国策と称された原子力発電の推進に協力する“原発文化人”はたくさんいる。佐藤もその一人だ」として、電気事業連合会の広告に出た佐藤氏を批判していた。 これに対して佐藤氏は、「原告には、同広告の仕事によって電気事業連合会から幾らもらっているのかを明らかにする筋合いはなく、一般読者に原告が仕事にそぐわないような多額の金員をもらっていると思わせる記述をして、原告の名誉を傷つけた被告がその根拠を明らかにするべき事柄である」などと訴状で述べている』、「佐藤氏」も「“原発文化人”」だったとは失望した。
・『第一回口頭弁論は6月8日  今回の訴えに対し佐高氏は「言論人が裁判に訴えるということは言論での敗北を認めること。言論人失格である。すべての著作を絶版にしろと言いたい」とコメント。 佐藤氏は「既に裁判で問題を処理する段階ですので、冷静な審理に影響を与えるような言動は私の方からは避けることにしています。第一審の判決が出た後は、きちんと対応します」とメールで回答。 第一回口頭弁論は6月8日、東京地裁で行われる予定だ』、「言論人が裁判に訴えるということは言論での敗北を認めること。言論人失格である」、との「佐高氏」の主張はもっともだ。裁判所はどんな判断を下すのだろう。

第三に、5月4日付け東洋経済オンライン「テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/426091
・『もしテレビが最も大事な「映像」を捨てたら、ユーザーに何を伝えられるのか――。そんな大胆な試みがテレビ東京で始まった。世界最大の音楽ストリーミングサービス「Spotify(スポティファイ)」と連携し、4月からオリジナルの音声番組(ポッドキャスト)の配信に乗り出したのだ。 第1弾は地上波でも人気の高い「ハイパーハードボイルドグルメリポート」の音声版。テレビ版では「ヤバい奴らのヤバい飯を通して世界のリアルを見る」というテーマのもと、ディレクターが世界の危険地帯に足を運んでいる。2017年以降、不定期特番として放送されており、ギャラクシー賞・優秀賞の受賞歴もある。 ロサンゼルスではギャングが対立し、殺人が繰り返される地域を取材。「飯、一緒にどうですか」と声をかけ食事をともにすると、ギャングのメンバーから「いつも最後の飯だと思っている」「ギャングでいいことなんて何もない」などと本音が漏れ、過酷な生きざまが見えてくる。 ほかにも、不法入国を試みる難民や、「イスラム国の兵士を6人殺した」と告白する青年、スラムやカルト教団に身を置く人々など、さまざまな「飯」を扱っている。演出を極力抑えた映像からは異常な緊張感が伝わる。テレ東の中でも攻めに攻めたドキュメンタリーなのだ』、「テレ東」はもともと、ユニークな企画が多いと思っていたが、「Spotify」と連携し、4月からオリジナルの音声番組(ポッドキャスト)の配信に乗り出した」、面白そうだ。
・『音声版では国内の「さまざまな飯」が舞台  新たに始まった音声版は国内で取材を敢行している。右翼・左翼団体の人々やセックスワーカー、特殊清掃員(孤独死や事件・事故の現場、五味屋敷などの清掃を専門に行う事業者)、夜逃げ屋などに会い、食事をともにして話を聞く。 ディレクターを務める上出遼平氏は「国内なので登場する人物は見かけたことがある人や、同じ街に住んでいる人かもしれない。距離的に近くても近寄りがたい人が取材対象なので、海外と違うインパクトがある」と語る。 4月28日に配信されたエピソード1は「右翼左翼の飯」。ディレクターはレコーダーを手に、終戦記念日の靖国神社に向かう。周辺では「どけやオラ!」「邪魔なんだよ!」などの罵声や怒号、団体による主張が飛び交い、機動隊は壁になって衝突を止める。一般人なら恐怖でとても近寄れないような光景が、その音から想像できる。 だが、ディレクターはレポートを続け、やがて一人の人物を食事に誘う。テレビでこれほど緊迫した状況を流し続けるのは難しいかもしれない。 上出氏は「音声の臨場感や没入感は映像より強い」と断言する。確かに車が通り抜ける音の迫力や、左右の音のムラ、人々の肉声はリアルで、聴き手もその場にいるような感覚になる。 また、「登場人物の一段とパーソナルな部分に入っていけるのが音声の力かもしれない」(同)と語るように、カメラを構えた取材班でないからこそ、より深いエピソードを聞き出せる側面もあったようだ。 今まで遠い存在だったり、近づいてはならないと思っていたりした人物でも、「飯、一緒にどうですか」と話しかけるとさまざまな事情や経験などを語ってくれる。いつの間にか引いてしまっていた境界線のようなものを壊すことが、国内でもできるのではないか――。上出氏はそうした思いで番組を作っているという』、「音声の臨場感や没入感は映像より強い」、子供時代にラジオ番組にかじりついていた頃は、他に刺激が少なかったこともあり、確かに「没入感」が強かったようだ。
・脈々と培ってきた「そぎ落とす文化」  今回のスポティファイとの提携は、音声のみで番組を企画制作するテレビ東京のプロジェクト「ウラトウ」のコンテンツを配信するというもの。ウラトウはテレビ番組で実現が難しいアイデアや若手ディレクターの挑戦的な企画を実践する場として、今回新たに上出氏らが立ち上げた。音声から始め、いずれテレビ番組に育てていく流れも見据えている。 ただ、いくら新規プロジェクトとはいえ、なぜテレビの命である映像を捨てるのか。ここはテレ東の”ものづくり”の歴史が関係している。 テレ東はそもそも、全国ネットではない。大手キー局と比較して広告収入が少なく、番組制作費は半分以下だ。それでも他局と渡り合うために現場のスタッフはつねに知恵を絞ってきた。お金をかけるポイントを絞り込む、つまり「捨てること」に慣れている会社なのだ。 その結果として、豪華なスタジオやタレントに頼らずとも「Youは何しに日本へ?」「家、ついて行ってイイですか?」といった、一般人が主役のヒット番組をいくつも生み出した。ドラマも差別化のためマスを捨て、「孤独のグルメ」「勇者ヨシヒコ」などニッチに刺さる作品を追求した。 これらの手法には他局も一目を置いている。「映像を捨てたい」という上出氏の一言から始まった音声番組の企画も、業界の常識を捨ててきたDNAの延長線上にある。 テレ東がこれら音声番組でターゲットとしているのは、主にテレビから離れてしまった消費者だ。 「これまでさまざまな動画メディアをやってきたが、テレ東のコンテンツが届いていない消費者はたくさんいる。テレビは一方向の情報提供という面が強いので、音声ではユーザーから感想をもらうなどの交流も重視していきたい」(テレビ東京コミュニケーションズ メディア事業開発本部の井上陽介氏)。 「地上波だけではない、表現する場を貪欲に求めていかないと」(上出氏)。ネット配信の強化にとどまらず、映像制作のノウハウを生かして未経験の作品作りにも打って出る。テレ東はテレビ局として大変革期を迎えているのかもしれない』、「テレ東」には「そぎ落とす文化」があったというのは、分かる気がする。
・『「ながら聴き」に向かない番組はどう刺さる  配信するスポティファイにとっても、今回の提携は音声番組ファンを広げるための重要な試みといえる。スポティファイジャパンで音声コンテンツを統括する西ちえこ氏は「チームの皆が『ハイパー』を聴いて驚いた。音の使い方にこだわっていて非常に新鮮。海外でも類似コンテンツはない」と語る。 現在、音声コンテンツは比較的若い層が聴取している。また、何かをしながら聴く「ながら聴き」が多い点も特徴だ。一方の「ハイパー」は、もとが高齢層の多いテレビのコンテンツであり、没入感ゆえに「ながら聴き」に向くとも言いにくい。どんなユーザーに刺さるのかは、スポティファイにとっても未知数だ。 「(テレ東とは)第2弾、第3弾と複数の取り組みを進めていく。サポートも積極的にやっていきたい」(西氏)。今後もテレ東のような国内でのパートナーとのコラボに加え、サポートプログラムやセミナーなど一般クリエイター向けの支援も広げ、音声コンテンツをさらに成長させる考えだ。 映像という最大の武器を捨て、世界でも類を見ないアプローチで音声に挑むテレ東と、それに共鳴したスポティファイ。両社のタッグによって「耳の可処分時間争奪戦」は一段と過熱しそうだ』、「「耳の可処分時間争奪戦」は一段と過熱しそうだ」、楽しみだ。
タグ:メディア (その27)(日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任、佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に、テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地) 「タイのプラユット首相」が「講師」をするのに、どんな問題があるのだろう。 「日経新聞がタイの「強権首相」を日本に招く事情 問われる報道機関としての見識と説明責任」 柴田 直治 東洋経済オンライン 「タイはミャンマー軍政の手本に」、とはいえ、ミャンマーでの死者数はタイとはけた違いに多いようだ。 (注1):タイの2010年の「反政府デモ隊を武力で鎮圧」:死者8人、負傷者2000人以上(2015年5月18日付けHuman Rights Watch)。 「プラユット首相が選挙で選ばれた民選首相でさえない」、どういうことなのだろう 「プラユット首相」は「権威主義の顔」で、「記者会見で報道陣に新型コロナウイルス対策用のアルコール消毒液を噴射」するようなとんでもなく「無礼」な人物のようだ。 「1995年から原則毎年開催しておりアジアで最も重要な国際会議の一つに数えられています」、とはいえ、「「アジアの未来」には、日本経済新聞社の抱える本質的な矛盾が解決されないまま、凝縮されている」、同感である。 エコノミストOnline 楠木春樹 「佐藤優批判はタブーなのか!? 佐高信の著作めぐり1000万円の名誉棄損裁判に」 佐高氏の著書『佐藤優というタブー』 「二冊も佐藤と共著を出した」のにあえて訴えられるのを覚悟の上で、『佐藤優というタブー』を出版したとはよほど覚悟の上なのだろう 問題にした9つの記述 「佐藤氏」も「“原発文化人”」だったとは失望した。 「言論人が裁判に訴えるということは言論での敗北を認めること。言論人失格である」、との「佐高氏」の主張はもっともだ。裁判所はどんな判断を下すのだろう。 「テレ東が「映像を捨てた」!大胆勝負に出る背景 「音声のみ」だから生まれる臨場感で拓く新境地」 「テレ東」はもともと、ユニークな企画が多いと思っていたが、「Spotify」と連携し、4月からオリジナルの音声番組(ポッドキャスト)の配信に乗り出した」、面白そうだ。 「音声の臨場感や没入感は映像より強い」、子供時代にラジオ番組にかじりついていた頃は、他に刺激が少なかったこともあり、確かに「没入感」が強かったようだ。 「テレ東」には「そぎ落とす文化」があったというのは、分かる気がする。 「「耳の可処分時間争奪戦」は一段と過熱しそうだ」、楽しみだ。
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