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経済学(その4)(なぜ理系出身の財務官僚は 最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは、宇沢弘文の「社会的共通資本」が今 響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった、コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論) [経済政治動向]

経済学については、昨年11月14日に取上げた。今日は、(その4)(なぜ理系出身の財務官僚は 最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは、宇沢弘文の「社会的共通資本」が今 響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった、コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論)である。

先ずは、昨年11月24日付けプレジデント(2020年10月2日号)が掲載した法政大学経済学部教授小黒 一正氏と経済評論家の浜田 敏彰氏による「なぜ理系出身の財務官僚は、最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/39515
・『気鋭の経済学者として注目を集めている小黒一正教授。財政再建を重視する元財務官僚らしく、マクロ経済のみでなく、財政赤字が恒常化するなか、日本財政の先行きにも危機感を募らせている。コロナ対策についても、償還の議論とセットになっていない国債発行に警鐘を鳴らす。もともとは理系の学者志望がなぜ経済の道へ、そして官の世界からなぜ研究者に転身したか。背景を聞いた』、同じ財務官僚から嘉悦大学教授になった高橋洋一氏は、内閣官房参与でありながら、新型コロナウイルスの感染状況について、ツイッターで「さざ波」などと表現、国会審議が中断する騒ぎで謝罪したが、小黒氏はもっと真面目な学者タイプのようだ。
・『根っからの理系学生が経済に関心を持った  石川県の山代温泉にホテル百万石という旅館があります。昭和天皇も宿泊されたその老舗旅館が私の祖父の生家です。兄弟姉妹は13人と多く、このうち祖父は双子なのですが、当時はその片方を養子に出す慣習があり、祖父は、硬質陶器などの経営をしていた小黒安雄氏(石川県出身)の養子になりました。このため、私も小黒姓です。祖父の双子の兄は戦後に「回転式黒板」「ホワイトボード」「電子黒板」を発明した日学の創業者で、吉田富雄という人物です。 祖父は戦前、陸軍士官学校を経て軍人になり、生家が資産家の祖母と結婚しましたが、太平洋戦争に突入して敗戦。戦後、俳優の上原謙氏がオーナーだった映画館の経営を依頼されたり、国際観光ホテルの取締役を務めながら帝国ホテル内にギャラリーを設立したと聞いています。その後、画廊は東京駅付近に移転しましたが、その傍ら瀬島龍三氏らが設立した同台経済懇話会の幹事もしていたそうです。なお、私の父は鹿島建設を経て祖父の画廊を継ぎました。 私自身は東京都国立市で育ちました。高校は自宅から自転車で10分の所にある都立国立高校でした。その頃から将来の進路として学者の世界を候補の1つにしていました。家系がビジネス系なので、なんとなく反骨心を抱いていたのかもしれません。 当時、興味を持っていたのが物理学と数学です。高校生のとき、数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を獲った広中平祐先生が創始した「数理の翼」に応募して合格し、夏季セミナーに参加しました。参加者には数学オリンピックでメダルを獲った学生や、博士課程に進学中の10代のイギリス人女性もいて、私にはとてもいい刺激になりました。 広中先生が京大理学部の出身ということもあり、大学は京大に進学しました。現在も同様ですが、京大と東大に広中先生のサロンがあり、学生たちが自由に出入りできる交流の場になっていました。さまざまな分野の先生や先輩から最先端の話を聞けたことは、現在でもいい財産です。 専攻は物理でしたが、2回生までに卒業に必要な単位は9割ほど取得して学生生活の後半は余裕があったので、経済や法律・哲学などの勉強をしていました。特に経済学には興味をひかれました。経済にもメカニズムがあって理論や分析ツールで現実の社会を動かせることがわかって、これはおもしろいなと思ったのです。 そのタイミングで友人に大蔵省(現財務省)の説明会に誘われて参加しました。説明に来ていたのは田中一穂氏(後の財務省事務次官)で、氏の勧めもあり、大蔵省を受けたところ、入省が決まりました。研究者を志していたのですが、一方で現実の世界は生々しくて、理論どおりにいかないことがあるはず。それを1度自分の目で見たかったのです。また、過去には大蔵省から研究者に転身した方も多かった。そのことにも背中を押されて、97年に入省しました』、「高校生のとき、数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を獲った広中平祐先生が創始した「数理の翼」に応募して合格し、夏季セミナーに参加」、「専攻は物理でしたが、2回生までに卒業に必要な単位は9割ほど取得して学生生活の後半は余裕があったので、経済や法律・哲学などの勉強をしていました。特に経済学には興味をひかれました」、極めて優秀だったようだ。
・『いま日本に必要なのは実体経済を強くすること  まず証券局に配属されたその年に山一証券、三洋証券が破綻しました。大臣官房の文書課に異動になった翌年には、大蔵省の接待汚職事件で省内は大騒ぎ。「地検がきたぞ」と誰かが叫んで、火事でもないのに4階の防火シャッターが閉められたことを覚えています。後にも先にも、大蔵省の防火シャッターが閉まったのはあのときだけではないでしょうか。 その後は理財局や関税局などにも配属されました。その頃の関税局は9.11後のテロ対策も落ち着いて大きな政治課題もなく、時間に余裕がありました。そこで個人的に関心があった財政や社会保障についてペーパーを書き、官房に送ったところ「財務総合政策研究所に行ってみないか」と打診を受けて、財務省の中で研究の道を歩むことになりました』、主計局には行ってないようだ。
・『研究者として生きていこうと決心  研究にフルに時間を充てるようになると、実務をやっているときには見えなかった課題がよりクリアに見えてきました。さらに研究を続けるため、中曽根康弘さんのシンクタンクである世界平和研究所を経て、一橋大学経済研究所の准教授になりました。そして、いよいよ研究者として生きていこうと決心し、2013年、39歳で法政大学に移り、現在は経済学部で教授を務めています。 私の研究テーマは財政と社会保障ですが、対象領域は広がり、最近は実体経済に関心を持っています。日本の経済が盤石だったころは、アセットサイド(バランスシートの左側)を気にせず、財政のデットサイド(財政のバランスシートの右側)を正しくコーディネートしていれば、投資の収益が上がるという認識でした。しかし、いまのように実体経済が弱いと、財政政策でいくら経済をブーストさせようとしても限界がある。日本には実体経済の足腰を強くするソリューションが必要で、それを分析して提言していくことが、研究者としての現在のチャレンジです。 それと別に、政治家や官庁、日銀の幹部を務めた方などを対象に、財政のオーラルヒストリーを記録する仕事に取り組んでいます。30年間、外に出さないという約束があり、世に出るのはずっと先です。しかし、現下の日本財政や経済は本当に厳しい状況で、その舵取りに関わった方々の証言は歴史的価値が高いはずです。後世に託す貴重な資料を残すため、ライフワークとして、しっかり取り組んでいきたいですね』、「財政のオーラルヒストリーを記録する仕事に取り組んでいます。30年間、外に出さないという約束があり、世に出るのはずっと先」、なかなか面白そうな取り組みだ。
・『▼浜ちゃん総研所長の目  現実の世界は、物理の法則どおりに動いている。もともと理系少年だった小黒さんがそのことを知って物理にのめり込んだのは、高校生の頃だった。しかし、知的な関心は物理にとどまらなかった。京大に進学して卒業に必要な単位を2年目でほぼ取り終え、片手間に他分野を学び始めたところ、経済の世界にも社会をマネジメントする理論があることを知り、おもしろさに目覚めた。そこから本格的に勉強を始めて大蔵省に入省。後にノーベル賞に繋がる素粒子を研究するゼミの教授に報告すると、「なぜ、そっちにいくのか」と惜しまれたという。分野を問わずに活躍できるスーパーマンだ。 官僚になったのは、旅館やギャラリー、硬質陶器の経営者が並ぶファミリーの影響があったようだ。小黒さんは「ビジネスで儲けるのはいいのですが、個別最適にしかならない。社会全体の最適化を手がけたかった」と明かしてくれた。大蔵省に入省後は、導かれるようにして研究者への道が拓けていく。退官して大学に籍を置くのも、理論派の小黒さんらしい。「趣味は?」と問うと、「分析ですかね」。本人の生真面目さがにじみ出る答えだ。損得を超えたところで公のために研究に打ち込む人がいるのは、とても心強いことである』、「損得を超えたところで公のために研究に打ち込む人がいるのは、とても心強いことである」、その通りだ。

次に、10月30日付け東洋経済オンラインが掲載した 内科医の占部 まり氏による「宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/384561
・『2020年は新型コロナ感染症で世界の人々の生活が大きく変化した。金融危機以降に広がってきた資本主義を批判する論調はますます高まっている。そうした中、その著作がブームとなって再び注目を集めているのが、宇沢弘文(1928~2014年)だ。数理経済学で最先端の理論を構築しノーベル経済学賞に最も近い日本人とされただけでなく、公害問題や環境問題などにも取り組み、経済学が人間の幸福に資するものであるかを問い続け、「哲人経済学者」の異名を持つ。もし、生きていたら、現在の状況についてどんな発言をしただろうか。今回は、宇沢弘文氏の長女で宇沢国際学館取締役としてその思想の伝導にも努めている医師の占部まり氏に寄稿してもらった。 新型コロナウイルス感染症が蔓延したことで、世界観が大きく変わった方も多いと思います。とはいうものの、緊急事態宣言が出ていたあの頃は遠い昔のことのように感じられます。少しずつ新しい日常生活が戻ってきてはいますが、このウイルスが浮き彫りにした社会問題に向き合い続ける必要性を強く感じています』、「宇沢弘文氏の長女」による紹介とは興味深そうだ。
・『豊かな生活に欠かせないものを政府が支える  私の父は宇沢弘文という経済学者で、ノーベル経済学賞にいちばん近い日本人とも言われていました。大事なものは金銭に換算することはできない。そんな当たり前の視点から「社会的共通資本」という理論を構築しました。 豊かな社会に欠かせないものがあります。例えば、大気、森林、河川、水、土壌などの自然環境、道路、交通機関、上下水道、電力・ガスなどの社会的インフラストラクチャー、教育、医療、司法、金融制度などの制度資本です。宇沢はこれらを社会的共通資本と考え、国や地域で守っていくこと、市場原理主義に乗せて利益をむさぼる対象にしないことで、人々がより生き生きと暮らせると考えていました。 J.S.ミルの提言した“定常状態”、経済成長をしていなくても、その人々の生活に入り込むと豊かな生活が営まれている、そんな社会を支えるのが社会的共通資本であるとしていました。経済成長と人間の幸せが相関しない時代に入った今の日本や世界の多くの地域で、この理論が共感を呼ぶようになってきています。 日本の4~6月の緊急事態宣言の中でも、電気、水道といった社会的インフラストラクチャーが機能していました。私は横浜市でかかりつけ医をしていますが、通勤で電車がいつもどおり動いていたことで、本当に助かりました。経済原理に従えば、これだけ需要が減った場合、減便などで対応することが議論されてもおかしくない状況でした。 医療や教育など社会が機能するうえで本当に必要なものが明らかになり、そうしたものは市場というシステムからはなかなか見えづらく、利益至上主義で考えないということの重要性が多くの方に認識されたのではないでしょうか。 同時に社会保障制度のあり方も見直しの必要があるとのことで、ユニバーサルベーシックインカム(UBI)が話題になっています。しかし、これは深く考えたいところです。 「国民全員にお金を配るという考えはどうなのか」を父に聞いてみたことがあります。答えは「うまくいかない」でした。「なぜ?」という私に返ってきた答えは「今月100円で買えた大根が来月は120円になる」でした。 みんなが必要としているもの、つまり需要が多いものは市場原理に任せると、価格が上がっていくのです。弱者がどんどん必要なものに手が届かなくなっていってしまうというのが父の解説でした。UBIを導入すると、教育や医療といったものの価格が大きく上昇していくというわけです。 宇沢と1964年から親しくしていたジョセフ・E・スティグリッツ・コロンビア大学教授は「政府の役割はお金を配ることではなく、働きたい人に仕事を与えることだ」といっています。お金が配られて、自由に好きなものが買えるという状況以上に、働きたい人がやりがいを持って働ける場があるということは価値があります。 同じような金額を得るにしても、仕事があることで、その人が社会参画している、社会から必要とされているという実感が得られ、社会、つまり人とのつながりも同時に構築されていくのです。人と人とのつながり、つまり「社会関係資本」が健康に及ぼす影響の大きさに関する分析も最近は多くなされるようになりました』、「政府の役割はお金を配ることではなく、働きたい人に仕事を与えることだ」、一般的にはその通りだが、「与える」「仕事」に適切なものが残っているのだろうか。
・『医療は雇用を生み出し社会を安定させる  宇沢はまた、社会的共通資本を担う専門家集団を国ないし地域がサポートするべきと言っていました。税金から賄われることが多い性質のものです。しばしば医療費は税金の無駄づかいという論調が展開されることもあります。しかし、医療費は医療に従事している人の給料となり、社会に還元されていきます。 医療を産業と呼ぶのには抵抗がありますが、医療分野には医師や看護師、薬剤師といった国家資格を有している人から、清掃や調理など資格がなくても働ける仕事もあり、このような幅の広い雇用を生み出すものは他に例を見ません。さらに病院はボランティアという金銭的なものを伴わない人とのつながりを生み出す社会装置でもあります。繰り返しになりますが、健康に対して一番大きな影響を与えるのは人とのつながり、社会関係資本なのです。 病院はそこにあるだけでもいいとも宇沢は言っていました。いつでも医療が受けられるという安心感は金銭的なものに還元はできないのです。 私が臨床をしている神奈川県では、神奈川モデルとして、新型コロナ感染症への対策が行われ、感染者数が爆発的に増えるかもしれないというような状況でも安心して臨床を行うことができました。その対策は、例えば在宅で介護をしている人が感染した場合に、介護を受けている方や親が感染してしまった際に子どもたちが過ごせる場所を提供するなど、視野が広い対策でした。金銭的に換算できない効果を実感しました。 より良い医療を提供するため、国民の健康に寄与するために、もっと工夫すべきことがあるのも事実です。 UCLAの津川友介さんらがまとめた日本における特定保健指導の分析が2020年10月5日付JAMA(The Journal of the American Medical Association)に掲載されています。通称「メタボ健診」の効果が限定的であるということを述べています。効果が限定的であるからすべてがダメだというわけではありません。より良い形に整えていくのが重要なのです。 建設的な議論が必要で、目標は人々の“健康”を守ることであって、健診を効率的に行うことではありません。そのためには軌道修正が必要なのです。この事実を踏まえ新たな健診制度を構築していく責務も専門家集団としての医療者に課せられた使命であると思っています。 健康という概念も、1947年にWHO憲章で採択された「健康とは、病気でないとか、弱っていないとうことではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」といったものから、オランダで提唱されている「ポジティブヘルス」、すなわち「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに、適応し、本人主導で管理する能力」に変化していく時期に来ているのではないかと感じています(参考図書:『オランダ発ポジティヴヘルス』シャボットあかね著)』、日本でも「「ポジティブヘルス」、すなわち「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに、適応し、本人主導で管理する能力」に変化していく時期に来ている」、その通りだろう。
・『在宅で社会とつながりながら、その人らしく生きる  これまでは病院が病気の主戦場であり、生活の場というものを無視しても成り立つ構図がありましたが、多くの病が乗り越えられる現代では生活の場である自宅が主体になっていきます。そういった視線から能力としての健康が重要視されていきます。「病気や障害を持っていても、不幸とは限らない」。医療関係者がこういった感覚を持っていくことも必要です(参考記事:「健康は“状態”でなく“能力”なのだ。ポジティヴヘルス。」 新型コロナウイルスの動態が明らかになり、無症状の人からの感染もありうるし、感染をゼロにすることは不可能であるということもわかってきました。日本では高齢者施設での感染症対策が適正に取られていたことなどから、死亡者数が低く抑えられていたと私は考えています。新型コロナの感染予防のために、社会とのつながりが断たれていることの弊害に鑑み、どのように社会をひらいていくのか、社会的コンセンサスが必要です。 そのためには宇沢の『自動車の社会的費用』で展開された理論が参考になるとも思います。1974年に出版されたものですがいまだに再版され、中国や韓国などでもここ数年、翻訳出版が相次いでいます。根元的なものにアプローチしているために古びることがないのだと思います。人の命をお金に換算しないですむ社会制度を構築していくためのヒントがたくさん詰まっています。 「公(おおやけ)」「みんなのため」という議論をする際に、実は弱い人にしわ寄せがいく構図についてもこの本で言及していました。例えば、道路を作る際には、路線価格が低いところに作られやすい、そして幹線道路ができた場所はさらに路線価格が下がるという構図があることを指摘しています。 この、新型コロナ感染症の際にも、感染予防という公のために弱い人々にしわ寄せがいっていることを忘れてはならないと思います。この感染症はその弱い人々を守らないと収束が難しいことも指摘されています。自分のまわりの「見えている環境」を整備するだけでは十分ではないのです。目に見えていない環境までカバーするのが社会的共通資本という理論なのではないでしょうか』、「目に見えていない環境までカバーするのが社会的共通資本という理論なのではないでしょうか」、なるほど。
・『古典派経済学が無視した「人の心」を見つめ直す  人間の心が動いてはじめて経済が動く。そんな当たり前のことも忘れられているような気がします。経済活動が必要なのはなぜなのか。人々が豊かに暮らすためです。それには、古典派経済学では無視されていた人間の心や自然環境を見つめ直す必要があるのです。 「よく生きる」を理念に掲げるベネッセの福武總一郎さんと宇沢は生前ご縁がありました(チャイルド・リサーチ・ネット「子どもを粗末にしない国にしよう〜社会的共通資本の視点」参照)。 福武さんは「自然こそが人間にとって最高の教師」「在るものを活かし無いものを創る」「経済は文化の僕」を標語にされています。すでにあるものを破壊し新しいものを創るほうが金銭的な経済活動は大きくなるかもしれません。しかし、破壊から始まる社会には限界が来ています。あるものを活かすことに主眼を置いて新しく創造することが豊かさの源泉となるのではないでしょうか。 この7月に福武財団と共催でフォーラムを開催しました。宇沢の理論をいかに次世代につないでいくかを考えるうえで非常に示唆に富んだものとなりました。ベネッセアートサイト直島のホームページで動画も公開されているのでご覧いただければと思います。 「環境を守る」という観点から、「生態系を拡張していく」という積極的な姿勢にシフトしていく必要性もあります。ともすると人間の存在が、地球温暖化の最大悪であるとされることもありますが、実は今までで一番、生態系に影響を与えたのは植物の出現です。植物が酸素を作り始めたために、今まで存在していた酸素がない環境を好む嫌気性の生物は絶滅の危機にさらされました。 今、環境に一番大きな影響を与えているのは人間ですが、植物ほどの影響力はありません。とはいうものの、温暖化を悪化させる方向性から脱却していくために生態系に積極的にアプローチできるものも、また人間しかいないのです。ソニーコンピュータサイエンス研究所の舩橋真俊さんが構築された「拡張生態系」の理論を基軸に、宇沢が考えていた比例型炭素税を基軸とした国際大気安定化基金を実働できないか、模索しています(舩橋真俊さんの理論、参考記事「「協生農法」がもたらす見えざる“七分の理”――未来世代から資源を奪い続けないために」)』、「実は今までで一番、生態系に影響を与えたのは植物の出現です」、意外だが、言われてみれば、その通りなのだろう。「「今、瀬戸内から宇沢弘文~自然・アートから考える社会的共通資本~」レポートは、セッションごとに動画がついている。URLは
https://benesse-artsite.jp/story/20200929-1462.html
・『資本主義でも社会主義でもなく  宇沢は「資本主義も社会主義もどちらも人間の尊厳や自然環境に対する配慮が足りない」といっていました。 しかし、市場の持つ力というものも信じていました。一人の人間が認識したり想像したりできる範囲は限られています。世界の大部分が一人の人間が想像できないもので出来上がっているとも言えます。その想像が及ばないものまでをも守ろうとする社会こそが、新型コロナウイルス感染症に強い社会ではないでしょうか。 このウイルスが明らかにした社会問題を踏まえ、真の意味での豊かな社会を構築する大きなチャンスが来ているのではないか、そして、宇沢の理論がそれに大きな力を与えてくれると感じています』、なるほど。

第三に、宇沢氏の弟子である学習院大学経済学部教授の宮川 努氏が本年2月14日付け東洋経済オンラインに掲載した「コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/411579
・『新型コロナウイルスの感染拡大によって経済社会が大きなダメージを受ける中、独自の「社会的共通資本」論を唱え続けた経済学者、宇沢弘文(1928~2014)が脚光を浴びている。「社会的共通資本」は市場経済原理に任せないで社会的に管理される財・サービスの総称だが、宇沢は、医療サービスをこの「社会的共通資本」の重要な要素と してたびたび強調してきた。 このため東京財団政策研究所上席研究員で元日本銀行理事の早川英男氏は、ポストコロナの医療体制を考える中で、「社会的共通資本」に言及している。宇沢の経済学への姿勢について、膨大なインタビューと調査をもとに大著『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』をまとめあげた佐々木実氏は、宇沢が今日のコロナショックのような社会経済体制の危機を念頭に独自の経済学を構築してきたとする。 特に興味深かったのは、宇沢の長女である占部まり氏が、東洋経済オンラインに寄稿した『宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由』において、宇沢がベーシックインカムの議論を必ずしもポジティブに評価していなかった点に言及していたことだ。 なぜ、宇沢は所得再分配政策の1つであるベーシックインカムを評価していなかったのか――。筆者はあらためて彼の著作『自動車の社会的費用』を読み直してみたが、ここでは新古典派理論の限界と社会的共通資本、所得再分配政策が併せて語られている。そこで、よりフォーマルに書かれた『経済解析(展開篇)』(岩波書店、2003年)の第17章「社会的不安定性と社会的共通資本」に依拠しながら、宇沢がなぜベーシックインカムを批判し、「社会的共通資本」の理論を展開するに至ったのかを、今回のコロナ禍での医療問題と関連付けて考えてみたい』、「ベーシックインカムを批判」を「よりフォーマルに書かれた『経済解析(展開篇)』から解題するとはさすがだ。
・『医療などの「必需財」の価格は上昇しやすい  『経済解析』の議論は数学的な抽象経済モデルを使って展開されている。まず世の中の財やサービスを「必需的な財・サービス」と「選択的な財・サービス」の2つに大別する。 「必需財」は、現在の医療サービスのように他の財・サービスでは代替のきかないもので、経済学的には需要の価格弾力性(価格に応じた需要の変化)が小さいと考えられる。病気になった場合は、いかにその財・サービスの価格が高額であっても必要である。同様のことは供給側についてもあてはまる。必需財供給の価格弾力性は小さい可能性が大きく、価格が高くなってもすぐには供給が増えないであろう。 例えばマスクは、昨年3月頃にはなかなか手に入らなかったが、5月頃からは市中に出回り始め、どんどんと価格が低下していった。こうした財は価格の高騰または品不足に対して、供給側が迅速に対応できる。これに対して医療サービスは第3波の際にも議論になったように、新型コロナウイルスを扱うための施設や人材がボトルネックになり、急速に供給を増加させることができない。 宇沢はこうした財・サービスの性質の違いを使って、経済全体の所得の増加に伴う価格上昇率において、必需財が選択財よりも高くなることを示している。 このような条件下で、ベーシックインカム(宇沢の著作では「ミニマムインカム」と呼んでいる)を実施するとどうなるだろうか。もしこの制度のもとで、経済全体の所得が上昇していくと、必需品の価格は選択品の価格を上回るスピードで上昇するため、必需品のシェアが高まり、ベーシックインカムの上昇率が経済全体の平均所得の上昇率を上回ることになる。 宇沢はこうした現象を「所得分配のメカニズムが社会的に不安定である(socially unstable)」としている。占部氏が述べているベーシックインカムに関する宇沢の批判的な見解は、こうした分析に基づいていると考えられる』、「財・サービスの性質の違いを使って、経済全体の所得の増加に伴う価格上昇率において、必需財が選択財よりも高くなる・・・このような条件下で、ベーシックインカム・・・を実施すると」、「必需品の価格は選択品の価格を上回るスピードで上昇するため、必需品のシェアが高まり、ベーシックインカムの上昇率が経済全体の平均所得の上昇率を上回ることになる」、確かに「ベーシックインカム」は上手く機能しないようだ。
・『金額ありきでない「消費の格差是正」が目的  宇沢の分析には2つの貢献がある。1つはベーシックインカムについて「消費者が最低限の満足度を維持することができるような所得」という厳密な定義を与えていることである。 格差の議論では「所得格差の議論」が中心になっているが、消費効用の最大化が中心課題となる経済学においては、「消費格差の是正」こそがオーソドックスなアプローチであり、宇沢の定義はこの標準的なアプローチを踏襲したものといえる。 昨今は格差是正の一手段としてベーシックインカムの議論が盛んだが、どれくらいの金額をベーシックインカムとして支給すればよいのか、はたして財政的に維持できるのかという金額の議論が中心になっている。しかし「消費における最低限の満足度」という厳密な定義のないベーシックインカムの議論は、その制度が果たして維持可能か、国民の経済厚生水準を今よりも大きく下げることはないのかということを、事前に検証する手段を欠いていることを、宇沢の議論は示している。 もう1つは「クズネッツ仮説」に対する1つの反証を示していることである。1971年にノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツは、資本主義経済では発展の初期段階でこそ所得格差は拡大するが、その後、格差は縮小するとした。これがクズネッツ仮説である。このクズネッツ仮説への反論としては、トマ・ピケティの著書『21世紀の資本』での反証が有名だが、宇沢の場合はベーシックインカムのような所得再分配政策をとったとしても、経済成長に伴って格差が縮小するということはないという意味で、ピケティ教授よりも厳しい条件を提示したといえる。 もっともここまでの宇沢の議論にも限界がないわけではない。自身が第17章の最終部分で明らかにしているようにここまでの議論は資本量を固定して、必需品の供給弾力性が低いという前提からこれまでの結論を導出している。しかし、昨年中国が新型コロナウイルスの感染拡大で封鎖された武漢でコロナ専門の病院を短期間で建設したように、資本の供給が柔軟に行われるのなら、必ずしも必需品の価格上昇率が選択品の価格上昇率を上回ることはなく、ベーシックインカムに関する議論も修正を余儀なくされる』、「「消費における最低限の満足度」という厳密な定義のないベーシックインカムの議論は、その制度が果たして維持可能か、国民の経済厚生水準を今よりも大きく下げることはないのかということを、事前に検証する手段を欠いていることを、宇沢の議論は示している」、「「クズネッツ仮説」に対する1つの反証を示している」、大したもののようだ。
・『ベーシックインカム論の前提は「必需品も市場供給」  とはいえ、現在の日本では物的資本が賄えたとしても、治療のための技能を備えた医療従事者を早急に準備することが難しい。その点は、新型コロナウイルスの感染第3波で明らかとなっている。おそらくこうした固定性は医療にかかわらず、日本の産業のいたるところに存在するのではないか。その意味で宇沢の所得分配に関する分析は、現在の日本経済については妥当すると考えられる。 そして社会的共通資本は、この社会的不安定性を防ぐ装置として位置づけられる。ベーシックインカムというのは、必需品も選択品と同じく市場経済の中で供給されることを前提としている。これに対し、むしろ必需品の供給は営利企業に任せるのではなく、社会的管理のもとにおき、その消費について格差が生じないようにすれば、選択品について効率的に資源を配分することも可能になるのではないか、というのが「社会的共通資本」の考え方である。 筆者からすると、この議論は、従来の「社会的共通資本」の議論よりもはるかに明快である。いくつかの前提に基づいてはいるものの、市場経済のもとでベーシックインカムの導入が必ずしも期待された結果をもたらさないという論理展開は、標準的なミクロ経済学の見事な応用であり、多くの経済学者の理解が得られると考えられる。 それにもかかわらず、なぜ宇沢は、「社会的共通資本」が「歴史的・社会的・経済的条件にもとづいて、社会的に決められる」(『自動車の社会的費用』)と述べ、これらの社会的共通資本の「社会的管理」を強調することから始めたのだろうか。 1つの理由は、これまで書いてきたような手続きを経ず社会的共通資本を語るほうが、一般にこの概念が受け入れられやすかったということがあるだろう。しかし第17章を読むと理由はそれだけでなかったことがわかる』、どいうことだろう。
・『何が「必需財」か、民主主義では合意が難しい  宇沢は、一度は標準的な経済学のアプローチによって社会的共通資本の理論的基礎を考えたように見える。しかし分権的な市場経済と多様な個人の価値基準を認めた前提のもとで、何を必需財と考えるかということについて社会的な合意形成を得ることは、民主主義的なルールのもとでは不可能であるとする、アローの有名な「不可能性定理」と矛盾することになる。 確かに今回の新型コロナの感染拡大に関して、民主主義を基本とする国々で、なかなか感染防止策が定まらない状況は、アローの「不可能性定理」が単なる形式論理による帰結ではないということを教えてくれる。 ここに至り、宇沢は、「社会という概念はすでに、それを構成する主体の持つ倫理的要件にかんして共通の理解を持ち、社会的価値基準の形成について、個別的な主観的価値基準をどのように集計するかについて、すでにあるルールの存在を想定している」と述べ、個々の社会の歴史的、制度的な蓄積の下で何を社会的共通資本とするかを決めることができるとしている。 ただしこの時点で効率的な市場経済の補完としての社会的共通資本という位置づけではなく、社会的共通資本の整備による社会的安定性を議論の中心に据え、市場経済を脇役として位置づけているので、経済学上の資源配分論からは遠ざかることになる。 筆者には、市場経済を中心とした社会制度を選ぶか、効率性では劣るが社会的共通資本を含む経済制度を選ぶかに際しては、その社会における必需財の選定だけでなく、その社会がどのくらいの時間的射程をもって安定性を望んでいるかにも依存しているように思う。 この点は今回の新型コロナウイルスの感染拡大で、世界中の国が試されているのではないか。アメリカは市場経済中心の経済体制を貫いて多くの犠牲者を出す一方で、独自にワクチンを開発し、おそらくは日本より早く経済的な回復を遂げるだろう。 日本は医療部門が公的医療保険制度で支えられているにもかかわらず、医薬品分野の技術開発では欧米や中国に遠く及ばず、かつ医療供給体制も十分に準備できずにいる。そして他の国以上に経済損失と現場の医療従事者の負担、国民の忍耐によって感染拡大を抑制している。こうした戦略的対応とも呼べない場当たり的な体制が、本当に国民の望んだ制度なのかどうかは、このコロナ禍が一段落した後であらためて検証されるべきだろう。 宇沢は、「ヒポクラテスの誓い」をたびたび引用するほど、医療従事者に対して敬意を払っていた。しかしながら宇沢が理想とする医療制度と現実の医療制度の間にはなお乖離があるように思う』、「日本は医療部門が公的医療保険制度で支えられているにもかかわらず、医薬品分野の技術開発では欧米や中国に遠く及ばず、かつ医療供給体制も十分に準備できずにいる。そして他の国以上に経済損失と現場の医療従事者の負担、国民の忍耐によって感染拡大を抑制している。こうした戦略的対応とも呼べない場当たり的な体制が、本当に国民の望んだ制度なのかどうかは、このコロナ禍が一段落した後であらためて検証されるべきだろう」、同感である。
・『日本の「開業医」中心の医療制度の改革を提起  社会的共通資本をわかりやすく解説した『経済解析(展開篇)』第21章「20世紀の経済学を振り返って」では、日本の医療機関が規模の小さい開業医で占められ、医師の技術的要素が医療報酬に十分反映されていない状況を憂えたうえで、「現行の開業医制度のもとでなされてきたさまざまな固定生産要素の蓄積、人的資源の配分、さらには医療従事者の要請などについて、総合的な、しかも長期的な視点に立った改革案がつくられなければならないであろう」と述べている。 いまわれわれがコロナ禍の中で実感している医療への期待ともどかしさを、宇沢は20年前、いや初出から考えると約半世紀前に持っていた。医療だけでなく分配政策も含めて、その先見性と洞察力にあらためて敬意を抱くとともに、宇沢から直接教えを受けた時期もありながら、今回のコロナ危機であらためて勉強をし直す自分自身を恥じるばかりである』、「いまわれわれがコロナ禍の中で実感している医療への期待ともどかしさを、宇沢は20年前、いや初出から考えると約半世紀前に持っていた」、確かに先見性の鋭さには脱帽である。「宇沢から直接教えを受けた時期もありながら、今回のコロナ危機であらためて勉強をし直す自分自身を恥じるばかりである」、との述懐もさもありなんだ。
タグ:東洋経済オンライン 経済学 (その4)(なぜ理系出身の財務官僚は 最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは、宇沢弘文の「社会的共通資本」が今 響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった、コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論) プレジデント(2020年10月2日号) 小黒 一正 浜田 敏彰 「なぜ理系出身の財務官僚は、最強官庁財務省を辞めたのか 気鋭の経済学者が今注目の研究とは」 同じ財務官僚から嘉悦大学教授になった高橋洋一氏は、内閣官房参与でありながら、新型コロナウイルスの感染状況について、ツイッターで「さざ波」などと表現、国会審議が中断する騒ぎで謝罪したが、小黒氏はもっと真面目な学者タイプのようだ。 「高校生のとき、数学界のノーベル賞と呼ばれるフィールズ賞を獲った広中平祐先生が創始した「数理の翼」に応募して合格し、夏季セミナーに参加」、「専攻は物理でしたが、2回生までに卒業に必要な単位は9割ほど取得して学生生活の後半は余裕があったので、経済や法律・哲学などの勉強をしていました。特に経済学には興味をひかれました」、極めて優秀だったようだ。 主計局には行ってないようだ。 「財政のオーラルヒストリーを記録する仕事に取り組んでいます。30年間、外に出さないという約束があり、世に出るのはずっと先」、なかなか面白そうな取り組みだ。 「損得を超えたところで公のために研究に打ち込む人がいるのは、とても心強いことである」、その通りだ。 占部 まり 「宇沢弘文の「社会的共通資本」が今、響く理由 コロナ禍で社会に本当に必要なものがわかった」 「宇沢弘文氏の長女」による紹介とは興味深そうだ。 「政府の役割はお金を配ることではなく、働きたい人に仕事を与えることだ」、一般的にはその通りだが、「与える」「仕事」に適切なものが残っているのだろうか。 日本でも「「ポジティブヘルス」、すなわち「社会的・身体的・感情的問題に直面したときに、適応し、本人主導で管理する能力」に変化していく時期に来ている」、その通りだろう。 「目に見えていない環境までカバーするのが社会的共通資本という理論なのではないでしょうか」、なるほど。 「実は今までで一番、生態系に影響を与えたのは植物の出現です」、意外だが、言われてみれば、その通りなのだろう。 「「今、瀬戸内から宇沢弘文~自然・アートから考える社会的共通資本~」レポートは、セッションごとに動画がついている。URLは https://benesse-artsite.jp/story/20200929-1462.html。 宮川 努 「コロナ医療逼迫を予見した経済学者・宇沢弘文 ベーシックインカム批判と「社会的共通資本」論」 「ベーシックインカムを批判」を「よりフォーマルに書かれた『経済解析(展開篇)』から解題するとはさすがだ。 「財・サービスの性質の違いを使って、経済全体の所得の増加に伴う価格上昇率において、必需財が選択財よりも高くなる・・・このような条件下で、ベーシックインカム・・・を実施すると」、「必需品の価格は選択品の価格を上回るスピードで上昇するため、必需品のシェアが高まり、ベーシックインカムの上昇率が経済全体の平均所得の上昇率を上回ることになる」、確かに「ベーシックインカム」は上手く機能しないようだ。 「「消費における最低限の満足度」という厳密な定義のないベーシックインカムの議論は、その制度が果たして維持可能か、国民の経済厚生水準を今よりも大きく下げることはないのかということを、事前に検証する手段を欠いていることを、宇沢の議論は示している」、「「クズネッツ仮説」に対する1つの反証を示している」、大したもののようだ どいうことだろう。 「日本は医療部門が公的医療保険制度で支えられているにもかかわらず、医薬品分野の技術開発では欧米や中国に遠く及ばず、かつ医療供給体制も十分に準備できずにいる。そして他の国以上に経済損失と現場の医療従事者の負担、国民の忍耐によって感染拡大を抑制している。こうした戦略的対応とも呼べない場当たり的な体制が、本当に国民の望んだ制度なのかどうかは、このコロナ禍が一段落した後であらためて検証されるべきだろう」、同感である。 「いまわれわれがコロナ禍の中で実感している医療への期待ともどかしさを、宇沢は20年前、いや初出から考えると約半世紀前に持っていた」、確かに先見性の鋭さには脱帽である。「宇沢から直接教えを受けた時期もありながら、今回のコロナ危機であらためて勉強をし直す自分自身を恥じるばかりである」、との述懐もさもありなんだ。
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