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発達障害(その3)(発達障害は病気ではなく「脳の個性」 治すべきものではない、低年齢の「発達障害」、薬で隠される子どもの危機 独自調査でわかった「4歳以下」への投与実態、発達障害の子どもを排除する厳格な「学校ルール」 「普通に成長した子」しかいられない通常学級に) [生活]

発達障害については、昨年6月9日に取上げた。今日は、(その3)(発達障害は病気ではなく「脳の個性」 治すべきものではない、低年齢の「発達障害」、薬で隠される子どもの危機 独自調査でわかった「4歳以下」への投与実態、発達障害の子どもを排除する厳格な「学校ルール」 「普通に成長した子」しかいられない通常学級に)である。

先ずは、昨年10月1日付け日経ビジネスオンラインが掲載したフリーランス編集者・ライターの黒坂 真由子氏による「発達障害は病気ではなく「脳の個性」 治すべきものではない」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00369/092400001/
・『「発達障害」という言葉がよく使われるようになった。 「もしかして、うちの子も発達障害?」「あの同僚は、もしかして?」「もしかしたら私も?」――そんな思いが頭をよぎった経験のある方も少なくないのではないか。実は、本連載の取材、執筆を担当する私(黒坂真由子)も、発達障害(学習障害)の息子を育てる当事者家族である。 しかし、「発達障害」とは、そもそも何を指す言葉だろう? 「きちんと理解している」と自信を持って答えられる人は少ないはずだ。 本連載では、注目を集めながらも、定義すら流動的で理解しにくい「発達障害」の世界を、できるかぎり平易に、かつ正しく紹介していきたい。そのために、医師や研究者など専門家に取材する「外側の視点」と、発達障害を持ちながら生きる当事者に取材する「内側の視点」の2つを設定する。 初回は「外側の視点」から、岩波明氏にインタビューする。2015年より昭和大学附属烏山病院長として、ADHD専門外来を担当(昭和大学医学部精神医学講座主任教授と兼任)。日本で初めてADHD専門外来を立ち上げた医師として知られる(※発達障害の一類型である「ADHD」については、本文で詳述する)。 発達障害の増加には「システム化された社会」という時代背景が大きく働いている――岩波氏との対話からは、そんな構図も見えてくる。 Q:発達障害が急速に注目を集めるようになったのは、ここ10年ほどのことだと思います。何か理由があるのでしょうか? 岩波明氏(以下、岩波氏):まず何よりも「仕事の管理化」が進んでいるということが、理由として挙げられると思います。(岩波 明氏の略歴はリンク先参照)』、「発達障害が急速に注目を集めるようになった」背景には、「「仕事の管理化」が進んでいる」ことがある。なるほど。
・『「小さな自営業」が減ると、発達障害は増える  Q:会社では確かに、ある一定の基準から外れないように行動することが求められますし、その傾向は、昔より強まっているように感じます。ある意味、「普通」と認定されるための基準が上がっているのかもしれませんね。 岩波氏:そのために発達障害の人の存在が顕在化しやすくなっているということは、やはりあります。 会社の中に逃げ場がなくなっているということも重要です。以前だったら、例えば、対人関係が苦手だけど、事務処理能力は高いといった人などに向いた部署というのがあって、発達障害だったり、うつ病を発症したりしたような方々の受け皿になっていた気がします。しかし、現在ではアウトソーシングにより、そういった部署を持つ会社は減っています。 社会全体で見ても「仕事の管理化」は、進んでいます。例えば、小さな自営のお店が減っていますよね。小さなお店を切り盛りしたり、手伝ったりするのは、発達障害の人にとって比較的やりやすい仕事でした。 Q:自分の手が届く範囲を、自己流で管理できればいいというわけですね。 岩波氏:同じ「モノを売る」という仕事でも、自分のペースで働ける自営の店舗では問題にならなかったことが、マニュアルのあるチェーン店では問題になってしまう。発達障害の人が自由に働ける場所が、どんどん少なくなっていると感じています。 Q:つまり、発達障害が今、問題になっているのは、絶対的な人数が増えているというより、社会の変化によって、昔からあった「事象」が、新しい「問題」として顕在化しているという可能性も高いのですね。 そもそも発達障害とは、どのような事象を指すのでしょうか。先生の言葉でできるだけ簡単にご説明いただけますか。 岩波氏:多くの方が「発達障害」という言葉を、「糖尿病」や「胃がん」のような疾患名だと誤解しています。発達障害とは、あくまで「総称」なのです。では何の総称かというと、「生まれつきの脳機能の偏り」を持つ状態を示しています。脳機能に偏りがあるために、思考パターンや行動パターンが独特の特徴を持つようになります。 「脳機能の偏り」であって「疾患名」ではない』、「発達障害とは、」「生まれつきの脳機能の偏り」であって、「「疾患名」ではない」、私も「誤解」していた。
・『発達障害は「脳の個性」。「治すべきもの」ではない  岩波氏:「疾患名ではない」ということには、もう一つ意味があります。それは、発達障害は「病気」ではなく、従って「治すべきものではない」ということです。 仮に、うつ病を例にとれば、「生まれつきうつ病」という人はいません。しかし、発達障害は生まれつきのものです。ポジティブに表現すれば、「脳の個性」ということもできますが、個性ですから「治る」ことはありませんし、基本的な特性は変わることはないのです。 「発達障害」についてこれから学ぶ方には、まず「発達障害という疾患はない」ということを分かっていただけたらと思います。 Q:「発達障害」は疾患名ではなく総称であり、個性や特性である、と。それはあたかも「色」と総称されるものの中に、青があったり、赤があったり、黄色があったりするようなものだということですね。では具体的に、どのようなものが発達障害に含まれるのでしょうか。 岩波氏:主には、次の3つがあります。 ADHD:注意欠如・多動症(Attention—Deficit/Hyperactivity Disorder) ASD:自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder) LD:限局性学習症(Specific Learning Disorder) これら3つの他にも、症例は少ないものの、いくつかの疾患が発達障害の概念に含まれています。ちなみに、ASD(自閉スペクトラム症)に含まれる「スペクトラム」という言葉は「連続している」という意味です。症状に濃淡があると捉えていただいていいでしょう』、「ADHD」、「ASD」は有名だが、「LD」は初耳だ。
・『習障害児のIQは必ずしも低くない  「学習障害」という略称で知られるLD(限局性学習症)は「知的障害」とよく混同されるのですが、異なる概念です。知的障害の判断においてはIQ(知能指数)に代表される、知能検査の結果が重要な判断ポイントになりますが、学習障害では、知的機能全般には問題はなく、IQは必ずしも低くありません。ただ「読む」「書く」「計算する」など、特定の分野を苦手とします。「限局性」と付いているのはそのためです。 ただ、我々(編集部注:岩波氏が病院長を務める昭和大学附属烏山病院)が主に診ているのは思春期以降の成人の方たちで、成人になってからLDだと分かり、来院されるというケースはそれほど多くはないのです。) Q:「アスペルガー」という言葉をよく聞くのですが、発達障害のカテゴリーの1つではないのですか? 岩波氏:以前は、ASD的な特性はあるけれども知的障害や言語の遅れのないケース、いわゆる「高機能のASD」のケースは「アスペルガー症候群」と呼ばれていました。しかし、現在はASDに含まれる下位分類として扱われています』、なるほど。
・『「アスペルガーという名の天才」は「消えた」  Q:「アスペルガー症候群」というと「天才」のイメージもあります。例えば「シリコンバレーで活躍するエンジニアやプログラマーの大半は、アスペルガー症候群だ」などと、まことしやかに語られたりもしていました。 岩波氏:実は「アスペルガー症候群」という名称は、今ではあまり使われなくなっています。というのも、この名称を生んだハンス・アスペルガー医師がナチスの協力者だった可能性が指摘されたため、米国精神医学会の診断基準「DSM-5(*1)」からは、すでに削除されています。日本での診断もDSM-5に準拠していますから、これから先、この名称は使われなくなっていくでしょう。 したがって、大人の発達障害として主に扱うのは、ADHDとASDとなります。そして、症例数が多いのは、圧倒的にADHDです。 *1.DSM-5 米国精神医学会が作成する公式の精神疾患診断・統計マニュアルの第5版。精神障害診断のガイドラインとして用いる診断的分類表。DSMはDiagnostic and Statistical Manual of Mental Disordersの略称』、「「アスペルガー症候群」という名称は、今ではあまり使われなくなっています。というのも、この名称を生んだハンス・アスペルガー医師がナチスの協力者だった可能性が指摘されたため、米国精神医学会の診断基準・・・すでに削除」、こんなところでナチスの亡霊がいるとは驚いた。
・『「多動な子ども」とは「歩き回る」とは限らない  Q:ADHD(注意欠如・多動症)に、ASD(自閉スペクトラム症)、そしてLD(限局性学習症)……。略語がたくさん出てきて混乱してしまいそうです。 まずは、大人の発達障害の中で最も多いADHDについて、できるだけわかりやすく教えてください。 岩波氏:ADHDは「注意欠如・多動症」という日本語の名称の通りで、注意・集中力の障害と多動・衝動性が見られる疾患です。 「子どもの頃、忘れ物チャンピオンと言われていました」というような方が、ADHDの典型です。授業中、先生の話を全然聞かないでぼうっとしていたり、空想の世界に遊んでいたり、自由に絵を描いたりしていたというケースもよく見られます。 多動で落ち着かず、授業中におしゃべりをして怒られたりした経験がある方もいます。ただ、ここには誤解も多くて、「多動」というと皆さん、「席に座らないでうろうろしている」というイメージを持つのですが、そこまでの人はあまりいません。いつも体を揺らしているとか、椅子をガタガタさせているとか、その程度です。 Q:それは意外です。多動の子どもとは、「歩き回る子ども」のことだと思っていましたが、むしろ、そういう子は少ないということですね。 では、ASD(自閉スペクトラム症)とはどのようなものなのでしょうか?) 岩波氏:ASD(自閉スペクトラム症)には大きな特徴が2つあります。「空気が読めない」「場の雰囲気にそぐわない言動をしてしまう」などの対人関係やコミュニケーションの障害が第1の特徴です。親しい友人がいない、集団の仲間入りができないといった方もよく見られます。相手の表情や言葉のニュアンスをつかむのが苦手なので、孤立してしまい、学校や職場での活動が難しくなってしまうのです。 Q:「空気を読むこと」が求められる日本においては、苦労が多そうですね。 岩波氏:そうですね。ただ、この側面がクローズアップされ過ぎたために「コミュニケーションが苦手な人=ASD」と決めつける傾向が生まれてしまいました。しかし、この1つの特徴だけで、ASDだと判断することはできないのですよ。 2つ目の特徴がないと、ASDとは診断できません。 Q:2つ目の特徴とは、何でしょう? 岩波氏:それは「こだわりの強さ」です。例えば小さい子であれば、電車を1時間でも2時間でも見続ける、おかずを全部食べてからでないと絶対に白飯に手を着けない、野菜は絶対に食べないなど、物事や自分の行動パターンについて極端なこだわりを持っていることが、診断の基準になります』、「ASD」には、「空気が読めない」かつ「こだわりの強さ」、のが特徴のようだ。
・『「タイムカードを押し忘れる人」には2パターンある  Q:なるほど。ASDと診断するには、「コミュニケーション障害」に加えて「こだわりの強さ」という2つの条件が必要ということですね。 ADHDとASDは同じ発達障害というカテゴリーの中にあっても、症状は随分、違うようですね。見分けはつきやすそうです。 岩波氏:それが、そうでもないのです。このように「言葉で説明する」とかなり違うのですが、「表面上の言動を見る」と似てきてしまうのです。 例えば、タイムカードの打刻をよく忘れる人がいるとします。ADHDの人であれば「うっかり忘れる」ために「打刻を忘れる」のに対して、ASDの人は「打刻する意味が分からないから、やらない」という理由で「打刻をしない」のです。ASDの人には頑固なところがあり、自分の興味がないことはやらないという側面があるからです。 Q:そうなると、原因がADHDであれASDであれ、表面上は「またあの人、タイムカード押すのを忘れている」となるわけですか。 岩波氏:そうなんです。それがなかなか難しいところなのです。 あと、ADHDの人が、時間の経過とともにASDの人に似てきてしまうという面もあります。ADHDの人はもともと、どちらかというと外交的で友達も多いタイプです。しかし、思春期以降、どこかでメンタルダウンすることが起こりやすい。ミスが多かったり、約束を忘れてすっぽかしてしまったりして、怒られたりすることが続いて、落ち込んで自閉的になってしまうことがあるのです。そうなると、表面上は、ASDの人に似てくる。 実際、他の病院でASDと診断された人を、我々が詳しく調べてみるとADHDだということはよくあります。そういう表面上の見え方に引きずられず、その後ろにある本来の特性を見分けるというのは、専門医であってもなかなか難しいものです。 Q:では、どういったところで違いを判断されるのですか? 何かいい方法はあるのでしょうか? 岩波氏:そうですね、子ども時代を思い起こしていただくことが大きなヒントになります。 ADHDの方は、少なくとも小学校時代に孤立していることはありません。活発でクラスの中心でしたとか、友達も多かったとか、そういう人が多いのです。一方ASDの方は、小さい頃から集団の中に入れずに孤立していることが多いですね。 あとは、強いこだわりです。小学校低学年で漢和辞典を暗記していたとか、学校からは必ず同じ道順で帰っていたなど、興味や行動パターンの極端な偏りは、ASDと診断する要素になります。ただ最近は、当初から両方の症状を持っている人がいることも分かってきています。 Q:一般の人が軽々しく判断してはいけないということが、よく分かりました。 最近では、大人になってから「実は発達障害ではないか」と自覚し、診断を受ける方も多いですよね。こうした「大人の発達障害」において、特有のことはありますか?) 岩波氏:私の外来には、「発達障害になってしまいまして……」といって来院される方がいるのですが、発達障害が大人になってから「発症する」ということはありません。最初にお話ししたように、これは「生まれつきの脳の特性」を原因としているので、うつ病のように人生の途中でかかったり、治ったりということはないのです。 Q:ではなぜ、大人になってから診断を受ける方がいるのでしょうか?  岩波氏:大人になってから発達障害の診断を受ける方には、大きく分けて2つのパターンがあります。1つは職場での不適応から自覚が生まれるケースです。学歴を含めた「その人に本来あると周囲が期待する能力」と比較して、仕事のパフォーマンスが非常に低い。そのために上司から頻繁に叱責を受ける。そんな職場での問題がきっかけとなって、ADHDあるいはASDを疑うということがあります。もう1つは、仕事が続かないケースです。長続きしなくて、いろいろな職を転々とする。その結果、引きこもりになることも見られます。そういった方のベースにADHDやASDがあることがあります』、「ADHDの人が、時間の経過とともにASDの人に似てきてしまうという面もあります。ADHDの人はもともと、どちらかというと外交的で友達も多いタイプです。しかし、思春期以降、どこかでメンタルダウンすることが起こりやすい。ミスが多かったり、約束を忘れてすっぽかしてしまったりして、怒られたりすることが続いて、落ち込んで自閉的になってしまうことがあるのです。そうなると、表面上は、ASDの人に似てくる」、なかなか難しいもののようだ。
・『実は「高学歴」が多い、発達障害の人たち  Q:ということは、その方たちは、高校や大学までは大きな問題なく過ごせていたということですか? 岩波氏:子ども時代に顕著な症状がある方は、その時期に治療に入っているものです。ですから、大人になってから我々の外来に来る方の9割以上は、子ども時代に本格的な受診歴のない方です。学生時代までは、本人の努力もあると思いますが、なんとかやってこられた方たちですね。 今外来に来られているADHDやASDの方々には、知的能力の高い方が多いのですよ。我々はWAIS−Ⅳ(*2)などの知能検査を使ってテストをするのですが、IQベースで見ても平均よりも高い方が多い。また、大部分の方が4年制大学を出ています。有名大学を卒業している方も多数います。そのため、「あんないい大学を出ているのに、なんでこんなことができないのか」と言われてしまうわけです。大学までは地頭でそれなりにやってこられたのが、仕事においてはそうもいかなくなってしまうのですね。 そうなると、最初に戻って「仕事の管理化」「社会の管理化」の問題が、浮かび上がってきます。小規模な自営業のような受け皿が減っている中で、管理された職場や社会に対応できず、隠れていた「脳の個性」が、ネガティブな方向であらわになってしまう。それが「大人の発達障害」という新しい社会問題を生んでいるのです。 *2.WAIS-IV ウェクスラー式知能検査の成人版。言語テストと作業テストの双方を含み、知的能力や記憶・処理に関する能力を測る。 岩波先生のお話、次回も続きます』、「ADHDやASDの方々には、知的能力の高い方が多い」、「有名大学を卒業している方も多数います。そのため、「あんないい大学を出ているのに、なんでこんなことができないのか」と言われてしまうわけです。大学までは地頭でそれなりにやってこられたのが、仕事においてはそうもいかなくなってしまうのですね」、「小規模な自営業のような受け皿が減っている中で、管理された職場や社会に対応できず、隠れていた「脳の個性」が、ネガティブな方向であらわになってしまう。それが「大人の発達障害」という新しい社会問題を生んでいる」、なかなか難しい問題だ。

次に、3月8日付け東洋経済オンライン「低年齢の「発達障害」、薬で隠される子どもの危機 独自調査でわかった「4歳以下」への投与実態」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/535851
・『日本で子どもの人口が減少する中、「発達障害」と呼ばれる子どもは増え続けている。2006年に発達障害の児童数は7000人余りだったが、2019年には7万人を超えた。それに伴い、子どもへの向精神薬の処方も増加している。 発達障害とされる児童数はなぜここまで増えているのか。そして、発達障害の早期発見、投薬は子どもたちを救っているのだろうか。特集「発達障害は学校から生まれる」の第3回は「低年齢の発達障害、薬で隠される子どもの危機」。 第1回学校から薬を勧められる発達障害の子どもたち 第2回 子どもに「向精神薬」を飲ませた親の深い後悔 第4回 いじめを受けた発達障害の彼女が語る薬の闇 「発達障害の『グレーゾーン』と言われる子どもがあまりに増えています」 こう話すのは、岡山県倉敷市にあるNPO法人「ペアレント・サポートすてっぷ」代表の安藤希代子さんだ。自閉症の障害がある娘を育ててきた安藤さんは10年前から、障害児の保護者の相談支援や居場所づくりを行ってきた。 「今は学校、保育園、行政の子育て相談窓口などあらゆる場所で、『お子さんは発達障害の可能性があるから、病院に行ってみたら』と言われている。ここに相談に来る子どもを見ていると、どう見ても『障害』があるとは言えない子までもが、発達障害やそのグレーゾーンと指摘されています」 発達障害を疑われるきっかけは、些細なことだ。「1人遊びが多い」「叱られても、ほかの子と違う反応をする」。2~3歳でこうしたことを保育園や幼稚園で指摘され、受診を促される。 「程度の問題だが、発達障害の特性は小さい子どもの行動とかぶります。子どもの発達への無理解で、子どもらしい行動が発達障害の特性に見えてしまうのではないでしょうか」(安藤さん)』、「どう見ても『障害』があるとは言えない子までもが、発達障害やそのグレーゾーンと指摘されています」、恐ろしいことだ。
・『「入学前に薬を飲みましょう」  発達障害は原因が明らかでないため、血液検査や脳波などの数値で診断されるものではない。国際的な診断基準や知能検査などの尺度はあるが、最終的にはあくまで医師の問診で診断される。 家庭や学校での様子を家族から聞き、「衝動性」や「こだわりの強さ」といった特性がどの程度ならば発達障害なのか、それは医師の判断にゆだねられる。発達障害児を診療する獨協医科大学埼玉医療センター・こころの診療科の井原裕診療部長は、次のように説明する。 「発達障害が顕在化するか否かは状況に左右される。ADHD(注意欠陥・多動性障害)の場合、長時間座位を強いられると多動や不注意が目立ってくるが、活動を求められる状況だと持ち味だと思われる。授業中は『多動だ』とみなされる生徒も、放課後の部活では俊敏な名選手かもしれない。その程度の活動性を、あえてADHDと診断する必要はない」 だが、現実には親が子どもの困りごとを医師に伝えると、安易に薬を処方される。そんな例を前出の安藤さんはたくさん見てきた。 例えば、ある母親は、落ち着きがない子どもが小学校に入って椅子に座っていられないかもしれないと医師に相談すると、こう言われた。 「入学前に座れるように、年長の秋から薬を始めましょう」 発達障害児の診療を行っているある小児科医は、「癇癪を起こしたことをきっかけに、2歳のときから薬を飲まされている子どももいる」と話す。) 実際、発達障害の薬はより年齢の低い幼児へ広がっている。 2016年には、大人の統合失調症に使われる「エビリファイ」と「リスパダール」が、発達障害の一つである小児の自閉スペクトラム症の易刺激性(癇癪、攻撃性など)に対して使えるようになった。これらは脳の中枢神経に作用する抗精神病薬で、気持ちの高ぶりを抑えるといった効果がある。いずれも自閉症の根本的な治療ではない。 エビリファイの添付文書によると、服用は「原則6歳以上」と記されている。6歳未満については、薬の安全性と有効性を確かめる臨床試験(治験)が行われていない。にもかかわらず、厚生労働省が公開する医療機関の支払い明細データを集計すると、4歳以下への処方量が増加していることが分かった。 エビリファイはさまざまな用量(1㎎と3㎎)の錠剤があるため、用量で換算して合計した結果が上の図だ。2015年の9500mgに比べ、2019年にはその7.5倍の70000mg以上に膨れ上がっている。 エビリファイは錠剤だけでなく、子どもが飲みやすい液剤もある。特に増えているのが、この液剤の処方だ。リスパダールの4歳以下の処方量も、2014年の7400mgから2019年には25000mgに増加している』、「大人の統合失調症に使われる「エビリファイ」と「リスパダール」が、発達障害の一つである小児の自閉スペクトラム症の易刺激性(癇癪、攻撃性など)に対して使えるようになった。これらは脳の中枢神経に作用する抗精神病薬で、気持ちの高ぶりを抑えるといった効果がある。いずれも自閉症の根本的な治療ではない」、「エビリファイの添付文書によると、服用は「原則6歳以上」と記されている」、しかし、「4歳以下への処方量が増加」、恐ろしいことだ。
・『眠気で子どもの行動を鎮静  東洋経済が調べた結果について医師や薬剤師に意見を聞くと、一部からは「あまりのショックに呆然とした」と、驚きの声も出た。発達障害の子どもを診療している福島県立矢吹病院の井上祐紀副院長はこう話す。「エビリファイは副作用として眠気が出ることもある。そうした薬剤の効果を利用して子どもたちの行動自体を鎮静している可能性がある。4歳以下の治験のデータはないため、その年齢層の子どもに投与された場合の安全性が確立しているかはわからない。仮に処方するのなら、その事実を医師が親に伝えなければならないだろう」 抗精神病薬に詳しい、たかぎクリニックの高木俊介医師も次のように指摘する。 「抗精神病薬には中枢神経毒性があることはわかっている。成人で長期に使用した場合は遅発性ジスキネジアという不随意運動(本人の意思とは無関係に身体に異常な運動が起きること)が3割以上の確率で起こる。エビリファイは遅発性ジスキネジアが起こりにくいといわれているが、経験的には長期に使用すればやはり起こる。それを4歳以下の心身の発達が本格化する前の子どもに投与するのは、理解できない」 子どもの行動の問題に対する安易な投薬は、安全性だけが問題ではない。(副作用や依存性についての詳細は、連載第2回「子どもに向精神薬を飲ませた親の深い後悔」を参照)。複数の医師や支援者が共通して問題視するのは、子どもの行動の裏側に隠されている家庭や学校でのトラブルが見えなくなることだ。) 「癇癪(かんしゃく)を起こした子どもは、なぜ起こしているのかを考える必要がある。イライラを子どもの脳が勝手に出している症状だと考えれば、薬しか手段がないように見えてしまう。だが、養育環境がその子に最適化されていないならば、その環境を調整するのが先だ」(井上医師) 井上医師は、「最後のやむなき手段であるはずの薬が、いつの間にか最初の手段になっているのが問題だ。苦しんでいる子どもたちが、かろうじて出したSOSサインとしての行動の問題に、薬物療法が選択されている」と指摘する。 前出の安藤さんは、子どもが発達障害といわれて相談に来たある母親について、次のように話す。 「実は父親から母親へのDV(家庭内暴力)があり、その問題が解決したらお子さんが安定しました。自分の子が発達障害と疑われ、泣きながら相談していたお母さんの悲しみは、いったい何だったのでしょうか」 安藤さんは、「薬物治療をすべて否定しているわけではない」と前置きしつつもこう話す。 その子は何が好きなのか。嫌がっているときにどうしたら落ち着くのか。周囲は、子どもについて知る時間が必要です。子どもの出す行動のサインを薬で抑えると、本来の子どもの姿がわからなくなります」』、「「最後のやむなき手段であるはずの薬が、いつの間にか最初の手段になっているのが問題だ。苦しんでいる子どもたちが、かろうじて出したSOSサインとしての行動の問題に、薬物療法が選択されている」、子どもにこんな強い薬を安易に処方する医師の良識を疑いたくなる。
・『子どもが抱える裏事情を考える  前出の井上医師も、複雑な要因が絡み合って生じた子どもの問題行動を医療だけで解決しようとする「医療化」を問題視する。 「いじめや虐待などさまざまな絡み合った問題が、子ども自身の問題に矮小化されてしまうこともある。本人が弱い立場であればあるほど、家庭や学校、地域の大人たちは子どもの行動の“裏事情”を考える習慣が必要だ」。 前出の小児科医は、「子どもの逃げ場はどこにもなくなっている」と危機感を募らせている。「学校の先生や医師、専門家が寄ってたかって、子どものSOSを脳の問題にすり替えている。本人たちは『善意』でやっているため、お母さんもそこに頼りたくなる」 服薬の可否を自分で選べない子どもへの処方は、最も慎重であるべきだ。安全性が確保されていないにもかかわらず、子どもの声に耳を傾けず、薬が優先されることは断じて許されない。 しかし、「薬を飲みたくない」と声を上げても、なおその声を押し殺される子どもがいる。 (第4回はこちら「いじめを受けた発達障害の彼女が語る薬の闇」)【情報提供のお願い】東洋経済では、発達障害に関連する課題を継続的に取り上げています。こちらのフォームへ、情報提供をお待ちしております』、「服薬の可否を自分で選べない子どもへの処方は、最も慎重であるべきだ。安全性が確保されていないにもかかわらず、子どもの声に耳を傾けず、薬が優先されることは断じて許されない」、同感である。

第三に、4月8日付け東洋経済オンライン「発達障害の子どもを排除する厳格な「学校ルール」 「普通に成長した子」しかいられない通常学級に」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/579447
・『日本で子どもの人口が減少する中、「発達障害」と呼ばれる子どもは増え続けている。2006年に発達障害の児童数は7000人余りだったが、2019年には7万人を超えた。それに伴い、子どもへの向精神薬の処方も増加している。 発達障害の子どもは、どうやったら学校で過ごしやすくなるのか。特集「発達障害は学校から生まれる」の第8回は「発達障害の子どもを排除する厳格な『学校ルール』」。 子どもの特性や困りごとに応じて、学校側が環境を調整することを「合理的配慮」という。東京都公立小学校教員を務め、合理的配慮の実践事例集『つまり、「合理的配慮」って、こういうこと?!』の編集に携わる宮澤弘道教諭に、発達障害の子どもを取り巻く学校の課題を聞いた(Qは聞き手の質問、Aは宮澤氏の回答)。 Q:発達障害の子どもは、なぜ増えているのでしょうか。 A:教師たちが当たり前のように思っている教室の環境が、一定の子どもを排除するルールになっていると感じています。2006年に改正された教育基本法では規律や規範が重視され、各学校で学力向上のための「学習スタンダード」が導入され始めました。「◯◯小学校スタンダード」などと、独自の細かい決まりごとを作る学校が増えています。 例えば、授業の前に「気をつけ。これから◯時間目の挨拶を始めます」と言ってから、担任教師の目を2秒間見るといったルール。この儀式が苦手な子がいると、いつまでも授業が始まらず、「あいつのせいでまた待たされている」と周りの子も思うようになります。授業に集中できない子どもがいても、教師の授業の組み立て方が悪い、とはなりません』、「2006年に改正された教育基本法では規律や規範が重視され、各学校で学力向上のための「学習スタンダード」が導入され始めました」、「授業の前に「気をつけ。これから◯時間目の挨拶を始めます」と言ってから、担任教師の目を2秒間見るといったルール。この儀式が苦手な子がいると、いつまでも授業が始まらず、「あいつのせいでまた待たされている」と周りの子も思うようになります」、こんな全体主義的な教育が行われているとは初めて知った。
・『ルールに収まらない子が増えるのは必然  私は挨拶なしで授業を始めますが、面白い授業をすればスタート段階で一斉にこちらを向くし、つまらない授業をすれば、いつまでもざわざわしています。それは子どもの責任というより、プロとして私がだめだということです。 整列や一斉に腰を下ろすといった集団行動も同じです。できない子がいて何度もやり直しさせていると、周りも次第にその子を否定的に見るようになります。 学校のルールがどんどん細かくなるので、そのルールに収まらない子が必然的に増えてくる。その結果、ひと昔前であれば「この子がなぜ?」という子どもが、特別支援学級に行くことが増えました。 Q:特別支援学級の児童生徒数は、この10年間で2倍に増えていますね。 A:周りの友達にすぐに手が出る。授業中にうるさくて周りの子が勉強できない。主にこの2つが通常の学級にいられなくなる原因になっています。) 担任の工夫や周りの子への理解を促すことで通常学級にいられる子が、特別支援学級に追いやられる事例も多く見てきました。その結果、通常学級は「普通に成長した子ども」しかいられない教室になりつつあります。 昔の通常学級は、いろいろな子どもが集まる1本の大木でしたが、今はどんどん枝分かれして、幹の部分が細くなっています。 Q:同じクラスで過ごすことで、周囲とトラブルにならないでしょうか。 A:一緒に過ごしていれば、喧嘩もするし、嫌なこともある。もちろん、暴力や暴言などで理不尽に嫌な思いをさせてしまった時は厳しく指導し、やられた子へのフォローが欠かせません。 (宮澤氏の略歴はリンク先参照) そうして周囲と接する中で、徐々に手をすぐに出さない接し方を学んでいきます。ある程度の年齢になると落ち着くことも多いので、その子の成長を待ってあげることが大切です。 子どもは優しくて、柔軟です。一緒の空間で過ごしていると、「あいつは授業で邪魔ばっかりするけど、忘れ物をした時は貸してくれて優しいんだよね」と、多面的に見るようになります。その子も一人の人間だということが理解できるんです。 しかし、自分の周囲で障害やハンディキャップのある人を知らないで育ち、あるとき突然出会ったら理解できるでしょうか。ともに育たない学校の現状は、社会をますます分断してしまうのではないかと危機感を感じています』、「特別支援学級の児童生徒数は、この10年間で2倍に増えています」、「通常学級は「普通に成長した子ども」しかいられない教室になりつつあります」、安易に「特別支援学級」へ入れる先生たちの姿勢は問題だ。
・『「この子は難しい」という担任の判断から  Q:特別支援学級に入る子どもは、どのようにして決められるのでしょうか。 A:担任の判断からです。担任が通常学級では難しいと判断したら、校内の生活指導担当やスクールカウンセラーにつなげます。彼らが教室の様子を見ると、先生が必死に対応してもどうにもならず、ほかの子どもたちからも邪険にされたり、避けられたりしている状況があります。そうすると「この子にとってこの環境はふさわしくない」という話になります。 まずは週に何時間か別の教室で指導を受ける通級指導、それでも改善が見られなければ特別支援学級に転籍するという流れです。転籍を検討する際には、担任教師や管理職、特別支援学級の教師らで判定会議を行います。 判定会議でも担任の判断は重いので、担任が「この子は難しい」と言っていたら、転籍が認められることが多い。もちろん、その前の段階で保護者との対話と納得は必須ですが、保護者は学校からさまざまな角度で説得されると、「前向きに」というより「諦めて」入級を受け入れるパターンも多いです。) Q:通常学級より、特別支援学級や特別支援学校を希望する保護者も増えているようです。特別な支援を受ける子どもが増えることはよいことのようにも思えますが。 A:保護者にとっては、特別支援学級・学校に行けば、専門性の高い教育を受けて子どもの可能性が広がるという希望があります。ただ、特別支援学級・学校は、保護者がイメージする専門的な学びとは違い、将来の就職につなげるための訓練に近い面があります。 一度、特別支援学級・学校のレールに乗ると、通常学級のレールに戻るのは難しいのが現実です。特別支援学校の高等部の卒業は、就職時に(「高卒」の要件として認められず)中学校卒業の扱いになります。特別支援学校では就職先を斡旋してくれますが、そこでうまくいかなければ、中卒資格で自活しなければいけません。 一方、保護者が学校でつらい思いをしていることは、痛いほどわかります。今の通常学級には問題のある子どもが少ないので、周囲に面倒をかける子どもの親は、いつも厳しい目にさらされています。 1人の教師ががんばって工夫をしても、担任が変われば辛い思いをしてしまう可能性がある。だから、保護者に「特別支援学級に行ったほうがよっぽど気持ちがいい」と言われてしまうと、教師も「通常学級でがんばりましょう」とは軽率に言えません。集団行動や規律を重視し過ぎる体制が変わらないことが、悩ましいですね。 Q:本人や親が通常学級を希望しても、学校側から拒否されるケースもありますか。 A:制度上は保護者が特別支援学級を希望しなければ、強制はできません。 以前、ADHD(注意欠陥・多動性障害)と言われていた男児を受け持っていた時の話です。中学進学の際、関係機関から特別支援学級への入級を勧められました。特別支援学級のある学校は小学校の友達が進学する中学校とは違うため、人見知りをする本人は行きたくありませんでした。 男児の受け入れを懸念する中学校の校長に、親と一緒に会いに行き、改めて本人と親の思いを伝えました。結局、彼は周りの子と同じ通常学級に入りました。) 中学1年、2年はあまり学校に通えなかったのですが、3年生になってから行けるようになりました。彼が遊びに来た時に話を聞くと、「彼女ができた」と言います。彼女と一緒の高校に行くために、勉強をがんばったそうです。 小学校の時は、ずっと動いていて、周りの子に迷惑をかけている子でしたが、随分と落ち着いていました。高校までいけば、通信制や単位制、自由な校風の学校もあって選択肢が増えてきます。 Q:2013年に成立した「障害者差別解消法」では、同じ場で学ぶために、障害の特性に応じた環境の調整や工夫をする「合理的配慮」が公立学校に義務付けられました。ただ、教師は工夫をしたくても、忙しすぎるという声も聞こえます。 明日の授業、来週の行事につねに追われ、考える余裕がないという現実問題はあります。2000年以降、教師への人事評価制度が入ってからは評価が給料や昇給に跳ね返るので、管理職に物が言いづらくなりました。 東京都では職員会議で挙手での採決を禁止するなど、教員を抑圧する政策がこの20年間ばんばん打ち出されました。そうしているうちに教員自身が主体性を失い、思考停止してしまったところもあります。 ただ、考える時間が取れなかったとしても、担任に「この教室にいていいんだよ」という眼差しがあるだけでも、だいぶ違います』、「東京都では職員会議で挙手での採決を禁止するなど、教員を抑圧する政策がこの20年間ばんばん打ち出されました。そうしているうちに教員自身が主体性を失い、思考停止してしまったところもあります」、教員への管理強化が「教員自身が主体性を失い、思考停止」につながっているとすれば大いに問題だ。
・『教師も学校文化との板挟みに  Q:発達障害の子どもへの投薬についてはどう考えていますか。 A:「薬を飲んで落ち着けば成功体験ができ、子どもの自信になる」というのが、多くの教師の考え方だと思います。ただ、薬を飲んで成功する体験を積み重ねているだけなので、薬が手放せなくなりますよね。 クラスを受け持った時点で、大量に服薬している子もいます。薬を飲んでいる子どもの中には、たとえ調子が良い日でも「今日俺は薬飲んでないからどうせだめなんだ」「今日薬飲んでないから暴れるよ」と自分から言ってくる子もいます。 薬だけに頼らずに生活できるよう、この子にどういう環境が合っているかを考えることが、私たち教師の仕事だと思っています。 合理的配慮をしようと努力している教師もいますが、(さまざまなルールを設ける)学校文化が変わらない限り、それとの板挟みになります。その結果、環境の調整よりも投薬が優先される可能性もあります。集団行動が苦手な子がいたら、そもそも「なぜそのルールが必要なのか」を子どもにも考えてもらい、学校の文化そのものを見直していく必要があります。 【情報提供のお願い】東洋経済では、発達障害に関連する課題を継続的に取り上げています。こちらのフォームへ、情報提供をお待ちしております』、私個人としては、薬漬けや「ルール漬け」からの脱却を真剣に検討すべき時だと思う。
タグ:(その3)(発達障害は病気ではなく「脳の個性」 治すべきものではない、低年齢の「発達障害」、薬で隠される子どもの危機 独自調査でわかった「4歳以下」への投与実態、発達障害の子どもを排除する厳格な「学校ルール」 「普通に成長した子」しかいられない通常学級に) 発達障害 日経ビジネスオンライン 黒坂 真由子氏による「発達障害は病気ではなく「脳の個性」 治すべきものではない」 「発達障害が急速に注目を集めるようになった」背景には、「「仕事の管理化」が進んでいる」ことがある。なるほど。 「発達障害とは、」「生まれつきの脳機能の偏り」であって、「「疾患名」ではない」、私も「誤解」していた。 「ADHD」、「ASD」は有名だが、「LD」は初耳だ。 「「アスペルガー症候群」という名称は、今ではあまり使われなくなっています。というのも、この名称を生んだハンス・アスペルガー医師がナチスの協力者だった可能性が指摘されたため、米国精神医学会の診断基準・・・すでに削除」、こんなところでナチスの亡霊がいるとは驚いた。 「ASD」には、「空気が読めない」かつ「こだわりの強さ」、のが特徴のようだ。 「ADHDの人が、時間の経過とともにASDの人に似てきてしまうという面もあります。ADHDの人はもともと、どちらかというと外交的で友達も多いタイプです。しかし、思春期以降、どこかでメンタルダウンすることが起こりやすい。ミスが多かったり、約束を忘れてすっぽかしてしまったりして、怒られたりすることが続いて、落ち込んで自閉的になってしまうことがあるのです。そうなると、表面上は、ASDの人に似てくる」、なかなか難しいもののようだ。 「ADHDやASDの方々には、知的能力の高い方が多い」、「有名大学を卒業している方も多数います。そのため、「あんないい大学を出ているのに、なんでこんなことができないのか」と言われてしまうわけです。大学までは地頭でそれなりにやってこられたのが、仕事においてはそうもいかなくなってしまうのですね」、「小規模な自営業のような受け皿が減っている中で、管理された職場や社会に対応できず、隠れていた「脳の個性」が、ネガティブな方向であらわになってしまう。それが「大人の発達障害」という新しい社会問題を生んでいる」、なかなか 東洋経済オンライン「低年齢の「発達障害」、薬で隠される子どもの危機 独自調査でわかった「4歳以下」への投与実態」 「どう見ても『障害』があるとは言えない子までもが、発達障害やそのグレーゾーンと指摘されています」、恐ろしいことだ。 「大人の統合失調症に使われる「エビリファイ」と「リスパダール」が、発達障害の一つである小児の自閉スペクトラム症の易刺激性(癇癪、攻撃性など)に対して使えるようになった。これらは脳の中枢神経に作用する抗精神病薬で、気持ちの高ぶりを抑えるといった効果がある。いずれも自閉症の根本的な治療ではない」、「エビリファイの添付文書によると、服用は「原則6歳以上」と記されている」、しかし、「4歳以下への処方量が増加」、恐ろしいことだ。 「「最後のやむなき手段であるはずの薬が、いつの間にか最初の手段になっているのが問題だ。苦しんでいる子どもたちが、かろうじて出したSOSサインとしての行動の問題に、薬物療法が選択されている」、子どもにこんな強い薬を安易に処方する医師の良識を疑いたくなる。 「服薬の可否を自分で選べない子どもへの処方は、最も慎重であるべきだ。安全性が確保されていないにもかかわらず、子どもの声に耳を傾けず、薬が優先されることは断じて許されない」、同感である。 東洋経済オンライン「発達障害の子どもを排除する厳格な「学校ルール」 「普通に成長した子」しかいられない通常学級に」 「2006年に改正された教育基本法では規律や規範が重視され、各学校で学力向上のための「学習スタンダード」が導入され始めました」、「授業の前に「気をつけ。これから◯時間目の挨拶を始めます」と言ってから、担任教師の目を2秒間見るといったルール。この儀式が苦手な子がいると、いつまでも授業が始まらず、「あいつのせいでまた待たされている」と周りの子も思うようになります」、こんな全体主義的な教育が行われているとは初めて知った。 「特別支援学級の児童生徒数は、この10年間で2倍に増えています」、「通常学級は「普通に成長した子ども」しかいられない教室になりつつあります」、安易に「特別支援学級」へ入れる先生たちの姿勢は問題だ。 「東京都では職員会議で挙手での採決を禁止するなど、教員を抑圧する政策がこの20年間ばんばん打ち出されました。そうしているうちに教員自身が主体性を失い、思考停止してしまったところもあります」、教員への管理強化が「教員自身が主体性を失い、思考停止」につながっているとすれば大いに問題だ。 私個人としては、薬漬けや「ルール漬け」からの脱却を真剣に検討すべき時だと思う。
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