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環境問題(その12)(原発は「グリーンエネルギー」と言えるか?「脱原発vs原発回帰」でEU分裂、冷蔵庫こそ「フードロスの原因」と断言する理由 「食べ物を保存するための装置」のはずがなぜ?) [経済政策]

環境問題については、1月8日に取上げた。今日は、(その12)(原発は「グリーンエネルギー」と言えるか?「脱原発vs原発回帰」でEU分裂、冷蔵庫こそ「フードロスの原因」と断言する理由 「食べ物を保存するための装置」のはずがなぜ?)である。

先ずは、1月12日付けNewsweek日本版が掲載したゾーエ・ストロズースキ氏による「原発は「グリーンエネルギー」と言えるか?「脱原発vs原発回帰」でEU分裂」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2022/01/eu-284.php
・『<脱炭素の過程における原子力発電を認めるか否かで、ドイツとフランスなど方針が異なる国同士でEUが割れている> EUの欧州委員会は1月1日、脱炭素化への過程で原発を「グリーンエネルギー」に認定し活用する方針を発表したが、EU内は支持と不支持で割れている。脱原発を掲げるドイツは反対し、2045年までに温室効果ガスの実質排出ゼロを目指すための「つなぎ」の電源としては天然ガスを重視すると強調した。 EU諸国の中ではオーストリアとルクセンブルクも原発に反対しているが、チェコやフィンランド、フランスは化石燃料から脱却するには原発が不可欠だと考えている。ドイツは昨年12月末に国内に残る6基の原発のうち3基を停止。今年末までに残る3基を停止する予定だが、隣国のフランスは既存の原発の改良や新規設営を目指すなど原発回帰路線だ。 原発は二酸化炭素をほとんど出さないが、有害な放射性廃棄物が残り続ける。一方で天然ガスも、燃やせば石炭ほどではないものの二酸化炭素を排出すると、環境保護主義者たちは批判している』、「ドイツ」は「「つなぎ」の電源としては天然ガスを重視」、としたようだが、その後のロシアのウクライナ侵攻により姿勢が変わった可能性がある。「オーストリアとルクセンブルク」も同様である。独電力大手が石炭に回帰 停止している石炭火力発電所の稼働検討しているようだ。

次に、4月17日付け東洋経済オンラインが掲載した元朝日新聞論説委員でフリーランサーの稲垣 えみ子 氏による「冷蔵庫こそ「フードロスの原因」と断言する理由 「食べ物を保存するための装置」のはずがなぜ?」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/582213
・『疫病、災害、老後……。これほど便利で豊かな時代なのに、なぜだか未来は不安でいっぱい。そんな中、50歳で早期退職し、コロナ禍で講演収入がほぼゼロとなっても、楽しく我慢なしの「買わない生活」をしているという稲垣えみ子氏。不安の時代の最強のライフスタイルを実践する筆者の徒然日記、連載第53回をお届けします』、興味深そうだ。
・『フードロスが減らない根本理由  先日、おそらくは日本最高レベルなんじゃ……と勝手に自負している、わが7年にわたる「フードロスゼロ生活」の実態を具体的にご紹介させていただいた。机上の空論でも掛け声でもない、まごう事なき貴重な実体験ゆえ、それなりに面白く読んでいただければ体を張った者としてはこれ以上の幸せはないと思うところであります。 稲垣えみ子氏による連載53回目です。 で、それはいいんだが。 改めて冷静に読み返してみると、われながらあまりのレベルの高さ(低さ?)に、「私もやってみたい!」と思う方がどれほどおられるか、なんとも確信が持てなくなってきた。っていうか、正直言って一人でもおられるかどうかすら怪しい気がする。 でもまあいいの。自分でコントロールできないことをいくら思い悩んでも時間のムダですからね。構わずどんどん話を先に進める。 このようにフードロスゼロで暮らすことは現実に可能だし、加えて、多くの人ができるならフードロスなど出したくないと思っていることもまた事実であろう。そう、みんなやる気はちゃんとあるのだ。だがしかし、現実にはほとんどの人がフードロスを出しまくる人生からどうしても縁を切ることができないでいる。 それは一体「なぜ」なのか。 この「なぜ」を解明することなく、いくら「フードロスをなくしましょう」と呼びかけたところで何も変わらないのではなかろうか。 つまりは「なぜ」がいまだに解明されていないからこそ、このように十年一日のごとく「買いすぎないようにしましょう」「作りすぎないようにしましょう」という呼びかけだけがむなしく響いているのではなかろうか。 ってことで、まずはその巨大な謎の解明が急務だと個人的に思っているわけです。 とはいえ、それが簡単にわかるくらいならとっくに問題は解決しているわけで、ってことは、きっと少なからぬ人が解明を試みては跳ね返されてきたに違いなく、それを考えればこれこそは人類に残された三大ミステリーの一つと言っても過言ではなかろう(注:過言です)。 で、不肖私、実はその巨大な謎の答えを知っているのであります! というのは、前も書いたが、私もそもそもはフードロスを普通に出しまくっており、しかし7年前を境にピタッと、フードロスという単語そのものがわが人生から消えたのである。 ってことは、注目すべきは7年前だ。7年前に一体何が起きたのか?その出来事の中に、フードロスをなくすための決定的な要因が含まれていることはどう考えても疑いのないことである』、「現実にはほとんどの人がフードロスを出しまくる人生からどうしても縁を切ることができないでいる。 それは一体「なぜ」なのか。 この「なぜ」を解明することなく、いくら「フードロスをなくしましょう」と呼びかけたところで何も変わらないのではなかろうか」、その通りだ。
・『冷蔵庫の電源を抜いたらフードロスゼロになった  結論から言う。 私は7年前に、冷蔵庫の電源を抜いた。そうしたらいきなり、そうその電源を抜いたその日から、いきなりフードロスがゼロになったのである。 いや……これってどう考えてもおかしいですよね。だって、言うまでもなく冷蔵庫とは食べ物を保存するための装置。つまりは「フードロスを減らすための装置」と言い換えても良いはずである。常識的に考えれば、冷蔵庫をなくしたらフードロスが増えるはずではないか。 でも現実はその真逆だった。一番びっくりしたのは私である。事実は小説より奇なりと言いますが、いやホント、何事もやってみなければわかりませんな。 ってことで、なぜそんな予想だにしなかったことが起きたのか、順を追って書く。 冷蔵庫をやめて起きたことその1:食べ物がうかつに買えなくなる まずは何と言ってもこれである。 ……って言うと、少なからぬ人が「だよねー」「冷蔵庫がないと毎日外食になっちゃうよねー」などとシタリ顔でおっしゃる。イヤイヤそーなんですヨ、そもそも自炊なんてやめちゃえばフードロスとか出さなくて済むわけで……なーんて話じゃありません! 冷蔵庫がないと食べ物がまったく買えなくなるというわけではない。私、野菜も豆腐もちゃんと買っております。つまりは普通に生鮮食品を買い、普通に自炊している。それは冷蔵庫がなくたってちゃんとできたのだった。ただ、そこにはいくつかちょっとしたコツがあるというだけのことだ。 で、その「ちょっとしたコツ」の一丁目一番地が、「食材を買いすぎない」ということである。 え、そんなことなら私もやってるって?うん、そうでしょうそうでしょう。誰だって食材を無駄にしたくないもんね。でもたぶん、あなたがイメージする「買いすぎない」ってことと、冷蔵庫を持っていない私が日々やっている「買いすぎない」ってことは、おそらくそのレベルが月とスッポンほど異なるはずである。 私の食生活の基本は「その日に買ったものはその日に食べる」。これが原則だ。実に単純な発想だが、これならば食材を保管しなくとも済むので、冷蔵庫がなくとも何の問題もなくやっていけるのだ』、「私の食生活の基本は「その日に買ったものはその日に食べる」。これが原則だ。実に単純な発想だが、これならば食材を保管しなくとも済むので、冷蔵庫がなくとも何の問題もなくやっていけるのだ」、なるほど。ただ、通常は安い商品を多目に買って、それを徐々に使えば、節約になる筈だが、それは放棄したようだ。
・『「お金があるのに買えない」人生初の異常事態  ただ唯一の「難点」は、やってみて初めてわかったんだが、このようなことを始めると、どんなにキラキラしたスーパーに行っても、ほとんど何も買うことができないということなのだった。 その「買えなさ」といったら衝撃的なレベルで、仕事帰りにいつものようにスーパーに寄ったはいいものの、結局は一周しただけで何も買えずにがっくりと肩を落として出てくることも少なくなかったのである。 だってですよ、想像してみてください。 例えばある日、ハクサイを買ったとしよう。無論、買いすぎぬよう4分の1カットの小さいやつを選ぶ。それでも1日で食べきるのは100%無理だ。 そうなんです。先ほど「その日に買ったものはその日に食べる」と書いたが、それはあくまで原則というか目標であって、一人暮らしとなれば現実にはどうやっても、つまりは必死にシャクシャク食べたところでどうやってもその日にはなくならないものが多いんである――ってことがやってみて初めてわかった。 4分の1のハクサイだったら最低3日はかかる。となれば、3日間は他の野菜なんぞ買ってる場合じゃない。ってことで、スーパーに行けば特売のキャベツなどに一瞬手が伸びるんだが、いや待て待てそんなことしてる場合かとグッとこらえることになる。買ったものを腐らせぬようにするためには、とにかくそれを必死に食べきってから次を買うしかないのである。 ってなことになると、いったい何が起きるかと言いいますと、何度も言うが、ほぼ何も買えないんである。どう頑張っても一度に数百円しか使うことができない。) なんというか、実に不思議な心持ちであった。お金がないから「買いたくても買えない」ってことはこれまでだって何度も経験した。でも、お金があろうがなかろうがそもそも「買いたくても買えない」なんて、どう考えても人生初の異常事態である。なんというか、これはこれで寂しいというか物足りないような気もして、どうもフクザツである』、「買ったものを腐らせぬようにするためには、とにかくそれを必死に食べきってから次を買うしかないのである」、「「買いたくても買えない」なんて、どう考えても人生初の異常事態である・・・これはこれで寂しいというか物足りないような気もして、どうもフクザツである」、なるほど。
・『「食べもしないもの」を買いまくっていた日々  こんな妙チキリンな日々を過ごすうちに、私はふと気づいた。 いうまでもなく、私という人間は、冷蔵庫を使っていようが使っていまいが同一人物である。つまりは急に少食になったとか、そういうことはまったくない。それなのに、冷蔵庫をやめた途端、食べ物を買う量が激減した。当然、それに使うお金も激減した。 ってことは……結論は一つしかないのであった。 私はこれまで、ずーっと長い間、「食べもしないもの」を、来る日も来る日も貴重なお金を使って、買って買って買いまくっていたんである。 なぜそんなことをしていたのかといえば、それは冷蔵庫があったからだ。「とりあえず冷蔵庫」に入れておいて、いつか食べれば良いと思っていたからだ。だからこそ、カゴいっぱいに食品を詰め込んで、2480円とか当たり前にレジで支払っていたのである。 もちろん「いつか」食べることもあった。でも考えたくないことだが、圧倒的に多くのものは、その「いつか」が来ぬまま冷蔵庫の奥へと追いやられてすっかり忘却の彼方。何かの拍子に発掘された時にはとっくに干からび、かび、あるいは腐ってベトベトになり、顔をしかめて捨てられていたに違いないんである。 だって、こうして冷蔵庫をなくしてあらゆるものをちゃんと「食べきって」みればどう頑張っても数百円程度のものしか買えないってことはですよ、その差額の1000円とか2000円とかで買ったものは、結局ゴミ箱行きになっていた可能性しかないではないか。 いやはやなんということでしょう! その事実も恐ろしいが、もっと恐ろしいのは、もし私が冷蔵庫をやめていなければ、きっと死ぬまでその事実に気づくことはなかったに違いないということだ。) 冷蔵庫を使うことが当たり前になった現代人は、自分が生きていくためにどれほどの食べ物が必要なのかがまったくわからなくなってしまっている。 そもそもほとんどの人は、ものを「食べきってから次を買う」体験などほぼしたことがないんじゃないだろうか?まだ大根を食べきらぬうちにネギやら人参やらピーマンやらトマトやら多種多様な食材を次々買い足していくのはごく普通の行動だ。 結果、いつだって冷蔵庫はあれやこれやの食べ物でいっぱいで、中に一体何が入っているのかを日々把握し続けることすら大事業すぎて絶対無理である。となれば、今日の献立にたまたま大根おろしを添える場合は「ああ大根があってちょうどよかった」と思うけれど、一本の大根ではたして何日生きられるのかを考える機会など決して訪れない。 なので、結局は何がどれだけ買ってあっても「もしかして足りないかも」という不安に苛まれることになる。冷蔵庫がパンパンじゃないと心配というのは、ごく一般的な現代人の感覚であろう』、「冷蔵庫がパンパンじゃないと心配というのは、ごく一般的な現代人の感覚であろう」、その通りだ。
・『人間が食べられる量は驚くほど少ないという事実  でも、大根を一本買って、それを食べてしまってから次の野菜を買うってことを一度でもやってみればわかる。心配なんぞどこにもない。大根一本じゃあさすがに……というのであれば、今冷蔵庫にあるものをまずは食べつくしてから次の買い物に行くということでも良い。 それをやりとげることがどれほど大変なことか!人間が食べられる量など、どれほど欲張りだろうが食いしん坊だろうが驚くほどたいしたことないんである。 ……ってことを知らぬままでいると、「フードロスを出さぬよう無駄なものは買わないで」といくら呼びかけられたところで、一体どこから先が無駄なのかさっぱり想像もつかないので努力したくとも努力のしようがない。だってそもそも無駄なものなんて買っているつもりなどさらさらないのだから。とりあえず冷蔵庫に入れておけばいいんだからね! そうなのだ。この永遠の「とりあえず」を保証してくれる魔法の箱が存在する限り、「今ここ」で本当に必要なものの量などどうしてわかるだろう? ってことで、まずは冷蔵庫とフードロスの切っても切れない深い関係がわかっていただけただろうか? 次回はさらに一歩進んで、冷蔵庫に「食べきれないもの」がどこまでもたまってしまうもう一つの強力な原動力、みんな大好きな「あるもの」についてご紹介したい』、「この永遠の「とりあえず」を保証してくれる魔法の箱が存在する限り、「今ここ」で本当に必要なものの量などどうしてわかるだろう?」、さすが「魔法の箱」を捨て、「フードロス」と無縁になった筆者ならではの言葉だ。
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