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日本の政治情勢(その60)(高市早苗政調会長が更迭へ 安倍氏の“使い捨て”が派内造反の火種になる可能性、権勢誇った「二階氏」が今 窮地に直面している訳 派閥から退会者続出 選挙区の継承にも暗雲、西部邁の最大の親友だった東大生が84歳になっても「中核派」議長を務めているワケ 対談 清水丈夫×田原総一朗(後篇)) [国内政治]

日本の政治情勢については、2月9日に取上げた。今日は、(その60)(高市早苗政調会長が更迭へ 安倍氏の“使い捨て”が派内造反の火種になる可能性、権勢誇った「二階氏」が今 窮地に直面している訳 派閥から退会者続出 選挙区の継承にも暗雲、西部邁の最大の親友だった東大生が84歳になっても「中核派」議長を務めているワケ 対談 清水丈夫×田原総一朗(後篇))である。

先ずは、4月10日付けNEWSポストセブン「高市早苗政調会長が更迭へ 安倍氏の“使い捨て”が派内造反の火種になる可能性」を紹介しよう。
https://www.news-postseven.com/archives/20220410_1743092.html?DETAIL
・『参議院選後の内閣改造・党人事で高市早苗・政調会長の更迭が確実視されている。安倍晋三・元首相の後ろ盾を失いつつあるためだ。総裁選であれほど高市氏をあれほど全面支援しながら、安倍氏は高市氏を安倍派に受け入れようとはしない。それは安倍氏が自民党最大派閥「清和政策研究会」(現・安倍派)の会長に就任(昨年11月)してから顕著になった。安倍派ベテランはこう話す。 「派内には下村博文・会長代理をはじめ、萩生田光一・経産相、世耕弘成・参院幹事長、福田達夫・総務会長、稲田朋美・事務局長などポスト岸田を目指す総裁候補が綺羅星の如く並んでいる。そこに総裁選出馬の実績がある高市さんが出戻ってきたら、総裁候補の地位を奪われかねない。だから派閥復帰には派内の反対が強い」 振り返ると、安倍氏の“マドンナ切り捨て”は今に始まったことではない。 第1次安倍政権では現東京都知事の小池百合子氏を総理補佐官や防衛大臣に抜擢したが、首相に返り咲くと第2次政権からは一転して干し上げた。かわりに重用したのが“タカ派のジャンヌダルク”と呼ばれた稲田氏だった。 当選3回で規制改革相に入閣させたのを皮切りに、自民党政調会長、防衛大臣を歴任させ、一時は党内で「安倍の後継者」とさえ言われた。 防衛大臣時代に同省の不祥事対応などで能力不足が露呈して事実上解任された後も、すぐに総裁特別補佐や幹事長代行の役職を与えて復権させたほどだ。 ところが、稲田氏が総裁選出馬に意欲を見せ、「選択的夫婦別姓」容認に転じると一転して距離を置いた。総裁選への協力要請にも、安倍氏は「一歩一歩頑張ればいい」とクビを縦には振らなかった。 「自分の役に立つと思えば、肩入れして持ち上げるが、言うことを聞かなくなったり、自分の立場を脅かすかもしれないと警戒すると容赦なく突き落とす。まさに権力者の常套手段です」 そう語るのは政治評論家の有馬晴海氏だ。 安倍氏は退陣後も最大派閥の会長として権力を持ち続け、総裁カードを次々に切り捨てて後継者が育つことを許さない。そのスタイルは“闇将軍”と呼ばれた田中角栄氏にも似ている。有馬氏が続ける。 「キングメーカーの安倍氏はこれまで高市氏を通じて佐渡金山の世界遺産推薦など、岸田政権に注文をつけてきた。しかし、ロシアのウクライナ侵攻によって、プーチン大統領を外交パートナーとしてきた安倍氏への評価は国際的にも国内でも非常に厳しくなっている。党内での立場が相対的に弱まってきたから、岸田首相に配慮しなければならない。3月14日に行われた麻生、茂木氏との3者会談で『政権を支える』と合意したのがその表われです。 安倍氏は平然と岸田批判を口にする高市氏にこれまでのように肩入れするわけにはいかなくなった。首相が内閣改造で高市氏を交代させると言えば反対しないはずです」) ところが、高市氏の更迭は党内の権力バランスの大きな変化につながりそうだ。“闇将軍”の角栄氏は最後は派内から“クーデター”を起こされて失脚、結束を誇った田中軍団は分裂に追い込まれ、自民党の世代交代を引き起こした。 実は、最大派閥の安倍派内では、安倍氏が派内から総裁候補を立てようとしないことに不満が溜まり、「安倍離れ」が始まっている。 「総裁選出馬を止められた下村さんや稲田さんは安倍さんに対して不信感を拭い切れていないし、側近の萩生田さんも自分の支持層は安倍さんの岩盤保守とは少し違うと考えている。だから福田総務会長を含めて、総裁候補たちは安倍さんに頼らなくてもいいようにそれぞれ個別に勉強会を開くなど自前の勢力拡張を急いでいる。皮肉なことに、安倍さんに一番忠実なのは無派閥で自分の勢力がない高市政調会長ではないか」(前出・安倍派ベテラン) そんな状況で安倍氏がいまや“唯一の忠臣”である高市氏を見捨てれば、「安倍さんに従っても使い捨てられる」と派内から造反の火の手が上がり、角栄氏の“二の舞い”となる可能性がある。それが岸田政権を支える最大派閥の崩壊へとつながれば、自民党に激震を呼ぶのは間違いない』、「派内には・・・ポスト岸田を目指す総裁候補が綺羅星の如く並んでいる。そこに総裁選出馬の実績がある高市さんが出戻ってきたら、総裁候補の地位を奪われかねない。だから派閥復帰には派内の反対が強い」、安倍氏は「自分の役に立つと思えば、肩入れして持ち上げるが、言うことを聞かなくなったり、自分の立場を脅かすかもしれないと警戒すると容赦なく突き落とす。まさに権力者の常套手段です」、「総裁候補たちは安倍さんに頼らなくてもいいようにそれぞれ個別に勉強会を開くなど自前の勢力拡張を急いでいる。皮肉なことに、安倍さんに一番忠実なのは無派閥で自分の勢力がない高市政調会長ではないか」、「そんな状況で安倍氏がいまや“唯一の忠臣”である高市氏を見捨てれば、「安倍さんに従っても使い捨てられる」と派内から造反の火の手が上がり、角栄氏の“二の舞い”となる可能性がある」、面白い展開になってきた。

次に、5月3日付け東洋経済オンラインが掲載した政治ジャーナリストの泉 宏氏による「権勢誇った「二階氏」が今、窮地に直面している訳 派閥から退会者続出、選挙区の継承にも暗雲」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/586556
・『昨年10月の岸田文雄政権発足で自民党幹事長の座を追われ、いまや党内反主流の「冷や飯組」となった二階俊博元幹事長が、ここにきて政治生命の危機をささやかれている。 次期衆院選での政界引退が既定路線とみられる中、息子など二階氏直系での選挙区継承も困難視されているからだ。 二階氏の地元・和歌山県は、1票の格差是正のための「10増10減」で小選挙区が3から2に減る。しかも、二階氏の新たな選挙区に世耕弘成自民党参院幹事長が鞍替え出馬を目指しており 、「二階vs世耕」の戦いは世耕氏優勢との見方が強い』、「二階俊博元幹事長」が「いまや党内反主流の「冷や飯組」」とは政治の世界も厳しいものだ。
・『「政界駆け込み寺」と呼ばれた二階派の状況が一変  二階氏は、安倍晋三、菅義偉両政権で自民党の最高実力者として君臨。安倍氏が首相時代、「党で最も政治技術を持った方」と評したように、昭和の政治をほうふつとさせる強かさなどから「政界の絶滅危惧種」と畏怖されてきた。 しかし、「来るものは拒まず」と無派閥や元野党議員を積極的に取り込んだことで、「政界駆け込み寺」とも呼ばれた二階派は、ここにきて状況が一変。退会者が相次いで自民第5派閥に定住し、後継者も不透明で「解体寸前」(閣僚経験者)とみる向きも出始めている。 このため、参院選で与党が改選過半数を確保し、岸田首相の「黄金の3年」が現実となれば、3年後と想定される次期衆院選に向けて、現在83歳で体調不安も抱える二階氏が、「選挙区と政治生命を同時に失う絶体絶命の危機」(自民長老)に陥る可能性も少なくない。) 二階氏は2016年8月に当時の谷垣禎一幹事長の自転車転倒事故負傷による辞任を受けて幹事長に就任。その後の安倍、菅両政権で自民の最高権力者に昇りつめ、政局運営の中枢として豪腕を振るってきた。 とくに、安倍首相の総裁3選を主導する一方、2019年以降の「ポスト安倍レース」では、安倍4選に言及しながら、安倍氏のライバルの石破茂元幹事長を「期待の星」と持ち上げるなど、変幻自在の二階流を駆使。2020年夏の安倍氏の退陣表明時には、電光石火で「菅後継」をまとめ上げた。 こうした実績から、二階氏は、安倍・菅両氏、麻生太郎副総裁をしのぐ「最強のキングメーカー」として権勢を誇示。岸田政権発足後も、党内反主流の旗頭として、党内ににらみをきかせてきた』、「二階氏は2016年8月に当時の谷垣禎一幹事長の自転車転倒事故負傷による辞任を受けて幹事長に就任。その後の安倍、菅両政権で自民の最高権力者に昇りつめ、政局運営の中枢として豪腕を振るってきた」、「谷垣氏」の後任だったことを思い出した。
・『岸田氏が高い支持を集める中で存在感が急速に低下  しかし、岸田首相が2021年10月の総選挙で圧勝し、その後の政局運営でも、売り物の「聞く力」と、コロナやウクライナ危機への機敏な対応で国民的評価を獲得。今年4月に政権半年を迎えた時点で内閣支持率も就任後最高水準となり、参院選勝利による長期安定政権が確実視される状況となったことで、二階氏の存在感が急速に低下した。 二階氏は、2012年12月に、当時の伊吹派(志帥会)会長だった伊吹文明氏の衆院議長就任で派閥を継承して二階派が誕生。その後は、政界の師とする故田中角栄元首相の「数は力」を念頭に、派閥拡大に邁進。党内に居場所のない無派閥議員や旧民主党から自民入りを目指す議員らを次々派閥に入会させ続けた。 もちろん、二階氏の力の源泉は、幹事長として選挙での公認調整や資金供与、さらには党内閣人事で行使してきた絶大な権力だった。しかし、「二階外し」を掲げて誕生した岸田政権で力を失ったことで求心力は一気に低下。ここにきて、退会者が相次ぐ事態となった。 まず政界に波紋を広げたのは、片山さつき参院議員(元女性活躍担当相)をめぐる除名騒動。片山氏は2021年末に二階氏に退会を申し出て了承されたと主張したが、二階氏はそんな事実はないとして、2022年2月に片山氏を除名処分とした。 片山氏は最大派閥の安倍派に入会し、次期参院選で東京選挙区からの出馬を狙ったとの見方もあり、それが二階氏の逆鱗に触れたとされる。 さらに、衛藤晟一元沖縄北方担当相(参院比例)も4月8日付けで派閥を離脱した。周辺には「二階さんはもう政治家として終わった」などと漏らしているとされ、もともと安倍氏側近でもあった衛藤氏だけに、二階氏を見限って最大派閥の安倍派入りを狙っているとみられている。 これにより二階派の所属議員は42人となり、党内5大派閥の最小勢力の立場が一段と鮮明に。しかも、くしの歯が抜けるような退会者続出が、二階氏の威信を急速に低下させていることも否定しようがない。 二階氏の政界引退の際の後継者と目されるのは、武田良太元総務相。今のところ二階氏とも意を通じているようにみえるが、武田氏は菅氏とも極めて親密で、「場合によっては多くの手兵を連れて派閥を割って菅グループに加わるのでは」(自民幹部)との憶測も絶えない』、「後継者と目されるのは、武田良太元総務相・・・武田氏は菅氏とも極めて親密で、「場合によっては多くの手兵を連れて派閥を割って菅グループに加わるのでは」・・・との憶測も絶えない」、これでは大変だ。
・『二階派内にあつれきが生じた2021年9月の総裁選  そもそも、他党からの転向組などを次々と自派閥に取り込む手法には、党内の他派閥が「強引だ」と反発、「思想信条もバラバラな寄せ集め集団」などの批判も絶えなかった。それだけに、現在の二階派の窮状にも、党内他派閥からは「自業自得」との厳しい声が相次ぐ。 二階派内にあつれきが生じたのは2021年9月の党総裁選がきっかけとされる。この総裁選で二階氏は、“泡沫候補”扱いだった現在の野田聖子内閣府特命相(こども家庭庁担当など)に派内から8人の推薦人を出した。 これに反発したのが片山、衛藤両氏で、いずれも高市早苗氏(現政調会長)の推薦人に名を連ねた。このため「無条件で二階氏の判断に従う」という二階派の“鉄則”は崩れ、今回の両氏の退会にもつながった。) こうした二階氏の苦境に追い打ちをかけたのが地元・和歌山での「IR否決」だった。和歌山県議会は4月20日の本会議で、県が誘致を進めてきたカジノを含む統合型リゾート(IR)について、区域整備計画の認定を国に申請する議案を反対多数で否決した。 「資金計画が不透明」などが理由で、県は国が求める同28日までの整備計画提出を断念、IR誘致計画は事実上、頓挫した。 県は和歌山市の人工島「マリーナシティ」へのIR誘致を計画。約4700億円を投資し、2027年秋ごろの開業を目指していた。本会議での採決は無記名投票で行われ、最大会派の自民党からも多くが反対に回ったとされる』、「“泡沫候補”扱いだった現在の野田聖子内閣府特命相・・・に派内から8人の推薦人を出した」、「これに反発したのが片山、衛藤両氏」、「「無条件で二階氏の判断に従う」という二階派の“鉄則”は崩れ、今回の両氏の退会にもつながった」、やはり「二階氏」のやり方が強引過ぎたようだ。「地元・和歌山での「IR否決」」も指導力低下が影響したようだ。
・『「二階氏の威光が薄れた証拠」  IRについては岸田政権も推進の立場だ。しかも、和歌山のドンと呼ばれる二階氏は、かねてからIR誘致を地元繁栄のための看板政策と位置付けていた。にもかかわらず、二階氏の影響が強いはずの県議会が反対を決めたことは、「地元でも二階氏の威光が薄れた証拠」(県会自民党)と受け止められている。 こうして永田町と地元の双方で「落ち目」が際立つ二階氏。「本人はなお権勢維持への執念が強い」(周辺)とされるが、岸田首相が参院選を自民勝利で乗り切って長期安定政権を実現すれば、「さしもの二階氏も命脈が尽きる」(自民長老)との見方が強まっている』、「「地元でも二階氏の威光が薄れた証拠」・・・と受け止められている」、「さしもの二階氏も命脈が尽きる」「との見方が強まっている」、政治情勢の変化は想像以上に早いようだ。

第三に、4月9日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの田原 総一朗氏と清水丈夫氏の対談「西部邁の最大の親友だった東大生が84歳になっても「中核派」議長を務めているワケ 対談 清水丈夫×田原総一朗(後篇)」を紹介しよう。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/94215?imp=0
・『「暴力革命」を掲げてゲリラ活動を行ってきた新左翼党派・中核派で議長を務める清水丈夫氏は、地下潜行活動を経て、2020年9月、実に51年ぶりに公然集会に姿を見せて人々を驚かせた。実はこの清水氏、かつて東大生時代は西部邁氏や青木昌彦氏と60年安保を闘っていた。前編に引き続き、田原総一朗による清水氏のインタビューを掲載しよう。前後編記事の後編です。 (清水氏の略歴はリンク先参照)』、「中核派」の「議長」を未だに続けているとは、興味深そうだ。
・『中核派から国会議員誕生へのシナリオ  田原 アメリカやヨーロッパはこの30年、経済成長を続けてきました。90年代初頭のバブル崩壊以来、日本はまったく経済成長しなかった。こんな国は日本だけだ。今から30年前、日本人の平均賃金は韓国の2倍だった。今や平均賃金は韓国に抜かれている。なんでこうなったの? 清水 日本の帝国主義が、帝国主義間の競争で劣敗しているからです。 田原 なんで負けてるの? 清水 弱いからですよ。労働者・人民大衆の戦争反対、改憲反対の意識と闘いが強いから。 田原 だったら清水さんたちにとって大チャンスのはずなのに、あなたたちの政治勢力はなんで伸びないんだ。 清水 いやいや、伸びていますよ。 田原 国会議員を出してないじゃない。 清水 そんな単純な言い方はしないでください。 田原 国会議員を出せるくらいにならなきゃ。 清水 将来はそうありたいと思っていますよ。 田原 あなたたちは国会を否定してるのか! 清水 国会は直接には否定していません。しかし、あれは所詮、ブルジョア国会ですよ。 田原 そんなこと言ってたら、まったく展望がないよ。国会を否定してどうすんだ!! そんなこと言ってたら、いつまで経っても政権なんて取れっこない。議会制民主主義の内部に、あんたたちが現実に参加してないことが問題なんだよ!! 清水 我々はプロレタリア革命、暴力革命によって新しい社会を作ろうとしていますよ。 田原 ブルジョア国会だなんて言って国会を否定してるのに、新しい社会なんか作れっこないじゃん。あなたたちの暴力革命は、自分たちに反対する人間は全部敵だと思ってるんでしょ。 清水 そんなふうには思わないですよ。 田原 デモクラシーというのは、自分たちと考えが違う人間たちの存在を認めなきゃいけないんだよ。 清水 頭から否定なんてしていません。認めていますよ。 田原 革マル派は認めてないじゃない。 清水 あれは左翼じゃないですよ。カクマルの問題はもうケリがつきました。それに「考えが違う人の存在を認めるのがデモクラシーだ」と言われたって、我々を抹殺すると言っている連中とどうやって手を組むんですか。そんなことはありえないでしょう。) 田原 中核派から、区議会議員や県議会議員は出ているの? 清水 一時期は東京や大阪で、都議会議員と区議会議員や市議会議員など地方議員を何人も輩出しました。2019年4月の統一地方選挙では、我々の同志である洞口朋子さんが杉並区議会議員として当選しています。 田原 そういう人をもっとガンガン出して、議会制民主主義を活性化してほしいんだよ。 清水 必要に応じて、議会政治活動はどんどんやりますよ。だけど選挙が革命運動の中心ではありません。議会で多数派を取るために選挙運動ばかりやるようでは、革命運動として本末転倒、ナンセンスです。 田原 じゃあ、あなたたちの運動の中心は何なの。 清水 労働運動と学生運動ですよ。反戦・反改憲の全人民の闘いです。 田原 何もやってないじゃん。 清水 そんなことないですよ。たとえば動労千葉(国鉄千葉動力車労働組合)は、国鉄分割・民営化の攻撃に対抗して勝ち抜きました。動労千葉は今も労働組合として生き残っています。「関西生コン」という労働組合(全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部)や大阪の(全国金属機械労働組合)港合同、それに動労千葉の三労組が一緒になって、毎年数千人単位で11月労働者集会に大結集します。私たちは、この三労組が呼びかける11月労働者集会の成功のために全力で闘っています。 韓国にある民主労総(全国民主労働組合総連盟)ソウル本部と動労千葉は連携契約を結んでいまして、ものすごく強固な共闘関係です。アメリカの教職員労組とも共闘関係にあり、彼らはあちこちの州で闘争をやっていますよ。中国、韓国、アメリカ、ブラジル、トルコ、フィリピン、ドイツ、イギリス、フランスなど、11月労働者集会には世界中から続々と来賓がやって来ます。 田原 そんなにあちこちに同志がいるんですか。それはすごい。 清水 ドイツの機関士の労働組合は、1000人単位の組合員がいる大きな労働組合です。彼らとは完全に共闘関係にあります。どの国でも、社会党や共産党といった既成政党の運動はどうしようもない。彼らは労働者を糾合できていません。社会党や共産党を乗り越える労働運動、革命運動という点では、我々の運動はものすごく前進しています。皆さんが考える以上に、我々の運動は国際色豊かに前進しているのです』、「2019年4月の統一地方選挙では、我々の同志である洞口朋子さんが杉並区議会議員として当選」、僅か1人ではどうしようもなさそうだ。「運動の中心は」、「労働運動と学生運動」。「社会党や共産党を乗り越える労働運動、革命運動という点では、我々の運動はものすごく前進しています。皆さんが考える以上に、我々の運動は国際色豊かに前進しているのです」、なるほど。
・『盟友・西部邁との決裂  田原 故・西部邁さん(元東京大学教授)には、「朝まで生テレビ!」にずいぶんたくさん出演してもらいました。東大ブント時代、清水さんは一番の親友だったと西部さんが本で書いています。でも西部さんは清水さんと袂を分かち、革命家をやめてまったく違う道に進みました。 清水 西部とは本当に親しかったのです。学生時代には、駒場寮でずっと一緒にいましたから。彼のことはすごく信頼して一緒にやってきました。でもブントが潰れたとき、彼は運動をやめてしまった。労働者階級のことが信頼できなくなってしまったのでしょうね。 田原 彼はずっと大衆を信用してなかったと思いますよ。 清水 ブントが破綻して潰れたときには、僕も揉みくちゃになって行き詰まりかけたものです。でも労働者階級の解放を目指す共産主義運動に参加したからには、ちょっとしたあれこれのことで苦しんだとしても、転向なんて考えられない。そんな生き方は僕にはできません。人生をかけて運動に参加したわけですから。 若いころ、西部が「大衆が信用できない」というようなことを口走ったことがありました。まさか本気だとは思わなかったので、「それは間違っている!」と徹底的に討論したことがあります。西部は納得して「わかりました」と言って、それから一緒に運動を続けました。 彼は運動に没頭するし熱中するし、大衆運動を作る力がものすごくあります。だから運動から離れてしまったときは、本当に惜しいことをしたと思いました。 田原 それから彼はアカデミズムの世界に入り、東大教授まで上り詰めました。 清水 テレビで発言している様子を見ると、ブントで活動していたころとはまったく逆の方向のことを言っていたものです。「なんとまあ」と悲しい気持ちになりました。転向し、若いころやっていた運動とはひっくり返ったことを今やっている。そのことについてどこかで納得がいかず、苦しんでいたんじゃないですか。だから最終的に、ああいう形で責任を取ったのだと思います(2018年1月に入水自殺)。 田原 西部さんは亡くなる2年くらい前から、僕に会うたびとにかく「死にたい」「死にたい」と言っていましたよ。 清水 潜伏活動を送る中、実はある場所で西部と偶然会ったことがあります。そのとき彼は「自分のやり方は失敗だった」と言っていました。資本主義経済は駄目だ。資本主義も資本家もまったく信用できない。とてつもない絶望感に陥ったはずです。何もかも信じられなくなってしまった。彼はアカデミズムの世界なんかに転向せず、僕と一緒に闘い続けるべきだったと思います。そうすれば今でもピンピン元気にしていたと思いますよ』、「西部」氏は「2018年1月に入水自殺」したが、「西部と偶然会ったことがあります。そのとき彼は「自分のやり方は失敗だった」と言っていました。資本主義経済は駄目だ。資本主義も資本家もまったく信用できない。とてつもない絶望感に陥ったはずです。何もかも信じられなくなってしまった。彼はアカデミズムの世界なんかに転向せず、僕と一緒に闘い続けるべきだったと思います。そうすれば今でもピンピン元気にしていたと思いますよ」、なるほど。
・『もう一人の盟友・青木昌彦のこと  田原 ノーベル賞候補とも言われた経済学者の青木昌彦さん(元スタンフォード大学教授)も、東大ブント時代に清水さんや西部さんと一緒に戦った同志ですね。青木さんは日経新聞の「私の履歴書」の中で、こう書いています。 《六一年の三月に東京・南青山にあった私の四畳半の下宿にプロ通派のメンバーが全員集まった。清水(丈夫)と北小路(敏)が、革共同に合流しようと切り出した。彼らは我々もすぐ同調すると思っていたらしい。だが即座に西部(邁)が「まっぴらごめん」と言った。私もこれまで思想的にも相容れず喧嘩してきた連中に、政治的便宜主義、ご都合主義で頭を下げるのはとんでもない話なので、一も二もなく同意した。他の連中もそうだった》 清水さんについて「後に革共同の中で凄惨な内ゲバを繰り広げる当事者になる。稀有の才能の持ち主だっただけに惜しいことだ」とも書かれていました。 清水 いやあ、青木は自分が転向したことについて、ルーズな言葉で説明してゴマカシているだけですよ。60年安保の闘争をやっている最中から、彼はいつもどこかに逃げ道があるような中途半端なスタンスをとっていました。だからブント時代の最後には、ほかの活動家から信用がだんだん失われていったのです。 田原 二つの道とはどういう意味? 青木さんはブント時代から、革命家として生きる道以外にどこかで「学者になろう」という志向があったということですか。 清水 自分の能力を生かせるのであれば、革命運動ではない道にブレたっていい。心のどこかでそう思っていたから、ちょっとした振れ方の違いでどんどん違う道を進んでしまったのでしょう。西部にしろ青木にしろ、革命運動にはいろいろな波があるものです。 田原 ほかの仲間がどんどん転向していくのに、60年以上も変わらず運動を続けてきた清水さんがすごいですよ。 清水 人間がとても単純なんです。 田原 そんなことないです。ちょっとでも展望が見えなくなったら、普通は運動なんて続けられなくなるものですよ。 清水 子どものころ目撃した2.1ストの熱気は強烈でした。あの経験は大きかったです。 田原 1947年2月1日にあるはずだったゼネラルストライキですね。何百万人も参加するはずだったのに、マッカーサーの指令によって潰されてしまった。 清水 結局は中止に追いこまれてしまいましたが、「労働者階級が次の社会を担うのだ。働いている人が社会の中心にならなければ、本当の社会なんてできない」と子どもながらに確信しました。 田原 2.1ストはなんで失敗したんですかね。 清水 共産党が裏切ったせいです。彼らには進駐軍と闘う方針がありませんでした。 田原 共産党は進駐軍の味方だもん。 清水 そうですよ。 田原 共産党だけは進駐軍のことを「解放軍」と呼んでいた。 清水 まったくそうです。 田原 ほかのところは全部「進駐軍」とか「占領軍」と呼んでいた。共産党だけは「解放軍」と呼んでいて、徳田球一も野坂参三も進駐軍とは仲が良かったですよね。 清水 あのとき共産党さえ裏切っていなければ、2.1ストは決行できたはずです。労働者階級が団結して、革命運動の中で力をつけて生産手段を自分の手にしっかり握れば、社会経済を回していくことは難しくありません。革命運動といっても、そんなに難しいものではないのです。大きな意味での歴史の必然ですから、絶対に勝てると昔から思ってきました』、「あのとき共産党さえ裏切っていなければ、2.1ストは決行できたはずです。労働者階級が団結して、革命運動の中で力をつけて生産手段を自分の手にしっかり握れば、社会経済を回していくことは難しくありません。革命運動といっても、そんなに難しいものではないのです」、「決行」しても、運動をどう続けていくかの展望がなかったのではなかろうか。
・『ラジオ体操が一番の健康法  田原 世の中はみんな「中核派は極めて危険な暴力集団だ」と大宣伝してきました。労働者たちから信頼を得るためにはどうすればいい? そこがあなたの一番の仕事だと思う。 清水 そのために地下活動をやめて、こうして公然化したわけです。これから本当の大衆運動を巻き起こしていきますよ。 田原 ほとんどの人間が途中でねじ曲がるわけですよ。その点、あなたは途中で一度もねじ曲がっていない。 清水 そこだけが取り柄ですから。 田原 なんであなたはねじ曲がらなかったんですか。 清水 このようにしか生きようがなかったからですよ。幸いなことに、僕と同年代の同志は日本中にいます。高齢化は悪いことのように言われますが、良い面もあるわけです。若い時代に正義感に燃えて、全力を挙げて60年安保や70年安保、沖縄で闘った。高揚した大闘争に参加した経験がある60代、70代、80代はいっぱいいます。彼らは今も元気でピンピン活動する力があるわけです。 新聞の「声」欄を読んでいると、10人のうち5人くらいは必ず政府や内閣に対する鋭い批判を書いていますでしょう。70代、80代に限っては、十中八九がかなり強固な反政府じゃないですか。 自民党内閣がやることに対して反対する人たちが100万人単位どころか、1000万単位で存在する。我々はそういう人たちに囲まれて運動をやっているのです。60年安保も70年安保も問題にならないような、圧倒的で大規模な大衆運動を大爆発させたい。それができれば、革命はそんなに遠くないと思っています。 田原 それにしても、このような立派なビル(前進社)を中核派がもっているのはすごい。感心しました。シンパがたくさんいてカンパが集まらなければ、これだけの建物はもてませんよ。清水さんは前進社に住んでいるんですか。 清水 そうです。2020年7月からここで暮らすようになりました。 田原 ブントで戦っていた20代のころと比べて、さすがに体力の衰えを感じていると思います。老いについては自覚されていますか。 清水 さすがに80を過ぎてから、だいぶ体力が弱ってきました。健康には相当注意してがんばってきたつもりですが、しょうがないですね。 田原 生涯現役で革命運動に取り組むことが、清水さんにとっての一番の健康法ですよ。 清水 健康法をほかに一つ挙げれば、ラジオ体操をやっています。ラジオ体操はすごく効きますよ。田原さんもやってください。 田原 東大で学生運動をやっていたころの清水さんは、革命はもっと早く成就すると信じていたはずです。その清水さんが今や84歳になられた。革命家として80代まで現役で活動する人生になったのは、まったくの想定外でしたか。 清水 もっと早く運動が爆発すると思っていました。大変な闘いですから、長い時間がかかるのは当然だと今は思っています。 田原 もしかすると、清水さんが生きている間に革命は成就しないかもわかりません。 清水 今の情勢を見ていると、意外とわかりませんよ。僕が90歳まで生きられたら、革命の始まりと言えるものが起こる可能性はあると思っています。そう願ってがんばりますよ。(2022年3月13日、前進社本部で収録)』、「今や84歳」になっても、「僕が90歳まで生きられたら、革命の始まりと言えるものが起こる可能性はあると思っています。そう願ってがんばりますよ」、学生時代の思いをいまだに持ち続ける姿勢は、自分には無理だが、ある意味でうらやましい。
タグ:(その60)(高市早苗政調会長が更迭へ 安倍氏の“使い捨て”が派内造反の火種になる可能性、権勢誇った「二階氏」が今 窮地に直面している訳 派閥から退会者続出 選挙区の継承にも暗雲、西部邁の最大の親友だった東大生が84歳になっても「中核派」議長を務めているワケ 対談 清水丈夫×田原総一朗(後篇)) 日本の政治情勢 NEWSポストセブン「高市早苗政調会長が更迭へ 安倍氏の“使い捨て”が派内造反の火種になる可能性」 「派内には・・・ポスト岸田を目指す総裁候補が綺羅星の如く並んでいる。そこに総裁選出馬の実績がある高市さんが出戻ってきたら、総裁候補の地位を奪われかねない。だから派閥復帰には派内の反対が強い」、安倍氏は「自分の役に立つと思えば、肩入れして持ち上げるが、言うことを聞かなくなったり、自分の立場を脅かすかもしれないと警戒すると容赦なく突き落とす。まさに権力者の常套手段です」、「総裁候補たちは安倍さんに頼らなくてもいいようにそれぞれ個別に勉強会を開くなど自前の勢力拡張を急いでいる。皮肉なことに、安倍さんに一番忠実な 東洋経済オンライン 泉 宏氏による「権勢誇った「二階氏」が今、窮地に直面している訳 派閥から退会者続出、選挙区の継承にも暗雲」 「二階俊博元幹事長」が「いまや党内反主流の「冷や飯組」」とは政治の世界も厳しいものだ。 「二階氏は2016年8月に当時の谷垣禎一幹事長の自転車転倒事故負傷による辞任を受けて幹事長に就任。その後の安倍、菅両政権で自民の最高権力者に昇りつめ、政局運営の中枢として豪腕を振るってきた」、「谷垣氏」の後任だったことを思い出した。 「後継者と目されるのは、武田良太元総務相・・・武田氏は菅氏とも極めて親密で、「場合によっては多くの手兵を連れて派閥を割って菅グループに加わるのでは」・・・との憶測も絶えない」、これでは大変だ。 「“泡沫候補”扱いだった現在の野田聖子内閣府特命相・・・に派内から8人の推薦人を出した」、「これに反発したのが片山、衛藤両氏」、「「無条件で二階氏の判断に従う」という二階派の“鉄則”は崩れ、今回の両氏の退会にもつながった」、やはり「二階氏」のやり方が強引過ぎたようだ。「地元・和歌山での「IR否決」」も指導力低下が影響したようだ。 「「地元でも二階氏の威光が薄れた証拠」・・・と受け止められている」、「さしもの二階氏も命脈が尽きる」「との見方が強まっている」、政治情勢の変化は想像以上に早いようだ。 現代ビジネス 田原 総一朗氏と清水丈夫氏の対談「西部邁の最大の親友だった東大生が84歳になっても「中核派」議長を務めているワケ 対談 清水丈夫×田原総一朗(後篇)」 「中核派」の「議長」を未だに続けているとは、興味深そうだ。 「2019年4月の統一地方選挙では、我々の同志である洞口朋子さんが杉並区議会議員として当選」、僅か1人ではどうしようもなさそうだ。「運動の中心は」、「労働運動と学生運動」。「社会党や共産党を乗り越える労働運動、革命運動という点では、我々の運動はものすごく前進しています。皆さんが考える以上に、我々の運動は国際色豊かに前進しているのです」、なるほど。 盟友・西部邁との決裂 「西部」氏は「2018年1月に入水自殺」したが、「西部と偶然会ったことがあります。そのとき彼は「自分のやり方は失敗だった」と言っていました。資本主義経済は駄目だ。資本主義も資本家もまったく信用できない。とてつもない絶望感に陥ったはずです。何もかも信じられなくなってしまった。彼はアカデミズムの世界なんかに転向せず、僕と一緒に闘い続けるべきだったと思います。そうすれば今でもピンピン元気にしていたと思いますよ」、なるほど。 もう一人の盟友・青木昌彦のこと 「あのとき共産党さえ裏切っていなければ、2.1ストは決行できたはずです。労働者階級が団結して、革命運動の中で力をつけて生産手段を自分の手にしっかり握れば、社会経済を回していくことは難しくありません。革命運動といっても、そんなに難しいものではないのです」、「決行」しても、運動をどう続けていくかの展望がなかったのではなかろうか。 「今や84歳」になっても、「僕が90歳まで生きられたら、革命の始まりと言えるものが起こる可能性はあると思っています。そう願ってがんばりますよ」、学生時代の思いをいまだに持ち続ける姿勢は、自分には無理だが、ある意味でうらやましい。
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