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就活(就職活動)(その10)(「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」、就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛、「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず) [社会]

就活(就職活動)については、3月12日に取上げた。今日は、(その10)(「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」、就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛、「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず)である。

先ずは、やや古いが、2018年6月22日付けデイリー新潮「「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/06220731/?all=1
・『働くとはどういうことか  就活が本格化し、連日苦戦中、内定獲得済み、内定をとりまくり等々、同世代の中でも悲喜こもごも、様々な境遇に分かれているところだろう。 面接などの際、就活生が語るのに苦労するテーマの一つは志望動機だ。絶対にやりたいこと、好きなことがあり、それが仕事となっている企業を受けるのであれば話は簡単。その熱い気持ちを伝えればいい。 しかし、往々にしてそこまでの強い動機はない場合の方が多い。安定収入だけが魅力、ということだって珍しくない。 そういう場合どう言えばいいのか。このことを考えていくと、最終的には「仕事とは何か」「働くとはどういうことか」という問題に突き当たる。 ベストセラー『バカの壁』で知られる養老孟司さんは、同書の続編にあたる著書『超バカの壁』で、若者に向けて、自身の「仕事論」を語っている。養老さんならではの含蓄に富んだ仕事論を引用してご紹介しよう。ここで養老さんは、「自分に合った仕事がない」と言ってなかなか働かないニートの人を念頭に、話を進めている(以下、『超バカの壁』より)』、興味深そうだ。
・『「自分に合った仕事」なんかない  (ニートなど働かない人を)調査をすると、働かないのは「自分に合った仕事を探しているから」という理由を挙げる人が一番多いという。 これがおかしい。20歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。中身は、空っぽなのです。 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です。私は長年解剖をやっていました。その頃の仕事には、死体を引き取り、研究室で解剖し、それをお骨にして遺族に返すまで全部含まれています。それのどこが私に合った仕事なのでしょうか。そんなことに合っている人間、生まれ付き解剖向きの人間なんているはずがありません。 そうではなくて、解剖という仕事が社会に必要である。ともかくそういう穴がある。だからそれを埋めたということです。何でこんなしんどい、辛気(しんき)臭いことをやらなきゃいけないのかと思うこともあるけれど、それをやっていれば給料がもらえた。それは社会が大学を通して給料を私にくれたわけです。 生きている患者さんを診なくていいというのも、解剖に向かった大きな理由です。一番助かったのは、もうこれ以上患者が死なないということ。その点だけは絶対安心でした。人殺しをする心配がないからです。しかし患者さんを診るという行為から逃げ出しても、遺族の面倒だとか何とかもっと大変なことがありました。 社会、仕事というのはこういうものです。いいところもあれば、悪いところもある。患者の面倒の代わりに遺族の面倒を見る。全部合わせてゼロになればよしとする。 あとは目の前の穴を埋めていれば給料をくれる。仕事とはそもそもそういうものだと思っていれば、「自分に合った仕事」などという馬鹿な考え方をする必要もないはずです。NHKの「プロジェクトX」に登場するサラリーマンも、入社当初から大志を抱いていた人ばかりではないでしょう』、「20歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。中身は、空っぽなのです。 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です」、「目の前の穴を埋めていれば給料をくれる。仕事とはそもそもそういうものだと思っていれば、「自分に合った仕事」などという馬鹿な考え方をする必要もないはずです」、同感である。
・『半端仕事はいけないよ  合うとか合わないとかいうよりも大切なのは、いったん引き受けたら半端仕事をしてはいけないということです。一から十までやらなくてはいけない。それをやっていくうちに自分の考えが変わっていく。自分自身が育っていく。そういうふうに仕事をやりなさいよということが結論です。 最近は、穴を埋めるのではなく、地面の上に余計な山を作ることが仕事だと思っている人が多い。社会が必要としているかどうかという視点がないからです。余計な橋や建物を作るのはまさにそういう余計な山を作るような仕事です。もしかすると、本人は穴を埋めているつもりでも実は山を作っているだけのことも多いのかもしれません。 しかし実は穴を埋めたほうが、山を作るより楽です。労力がかかりません。 普通の人はそう思っていたほうがいいのではないかと思います。俺が埋めた分だけは、世の中が平らになったと。平らになったということは、要するに、歩きやすいということです。山というのはしばしば邪魔になります。見通しが悪くなる。別の言い方をすれば仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです』、「仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです」、なるほど。
・『虫取りが仕事だったら  若い人が「仕事がつまらない」「会社が面白くない」というのはなぜか。それは要するに、自分のやることを人が与えてくれると思っているからです。でも会社が自分にあった仕事をくれるわけではありません。会社は全体として社会の中の穴を埋めているのです。その中で本気で働けば目の前に自分が埋めるべき穴は見つかるのです。 社会のために働けというと封建的だと批判されるかもしれません。「自分が輝ける職場を見つけよう」というフレーズのほうが通じやすいのかもしれません。しかしこれは嘘です。まず自分があるのではなく、先にあるのはあくまでも穴の方なのです。 向き不向きだけでいえば、私は仕事に向いていないとずっと思ってきました。仕事よりも虫取りに向いていると今でも思っています。虫取りをしている間、自分で全然違和感がない。ただ、そればかりやっていても食っていけないということはわかっています。 向いている虫取りをするためには、どうすべきかと考える。すると、財産も何もないし、とりあえず働くしかない。だから仕事には向いていないと思うけど、やめろと言われるまではやっていいのではないかと思っているのです。 本気で自分の仕事は天職だと思っている人はめったにいません。仮に虫取りが向いていても、それが仕事になっていいかというと、そうでもないでしょう。もしも虫取りが仕事になるとしてそれが嬉しいかといえばうっかりすると重荷になってしまうかもしれない。楽しんでいられることというのは、ある程度無責任だからこそなのです。 昨年養老さんは80歳になった。いまでも働いている。それは虫取りのためでもあるだろうが、きっと目の前にまだ穴がたくさんあるからなのである』、「「自分が輝ける職場を見つけよう」というフレーズのほうが通じやすいのかもしれません。しかしこれは嘘です。まず自分があるのではなく、先にあるのはあくまでも穴の方なのです」、「だから仕事には向いていないと思うけど、やめろと言われるまではやっていいのではないかと思っているのです。 本気で自分の仕事は天職だと思っている人はめったにいません」、「虫取りが仕事になるとしてそれが嬉しいかといえばうっかりすると重荷になってしまうかもしれない。楽しんでいられることというのは、ある程度無責任だからこそなのです」、浮ついた仕事論が溢れているなかで、本物の仕事論に出会えた意味は大きい。

次に、6月21日付け東洋経済オンラインが掲載した千葉商科大学 准教授で働き方評論家 の常見 陽平氏による「就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/596673
・『「ガクチカに悩む就活生たち」 新型コロナウイルスショック以降、このような報道をよく目にする。「ガクチカ」とは就活の選考でよく質問される「学生時代に力を入れたこと」の略だ。感染症対策のために、大学生活の自由度が制限される中、就活で自分をアピールするガクチカがなく、就活生が困っているという問題である。 ガクチカ問題は、全国紙各紙でも報じられた。関連した記事は一通りチェックしたが、パターンはほぼ一緒で、戸惑う学生の声を中心にし、企業の人事や、大学のキャリアセンターの試行錯誤が伝えられる。このような報道が就活生の不安をさらに高める』、興味深そうだ。
・『「ガクチカの父」として猛反省していること  このガクチカについて、私は複雑な想いを抱いている。実は、この言葉を日本で初めて書籍に掲載したのはどうやら、私なのだ。2010年のことだった。私は「意識高い系」をタイトルにした本を初めて世に出した者でもある。ゆえに、若者を苦しめる言葉を広げた者として悪者扱いされることもある。ともに、私が生み出した言葉ではなく、広めた言葉なのだが。 正直なところ、とばっちり、流れ弾だなとも思いつつも、とはいえ反省すべき点もある。それは、このガクチカという言葉が就活生、企業、大学関係者などに誤解を与えつつ広まってしまったことにより、混乱を招いている。これは、問題だ。 あたかも、ガクチカとして自信をもって語れることがなければ内定が取れないのではないかと就活生を焦らせたのではないか。ガクチカ=「わたしがなしとげたさいこうのせいこうたいけん」なのだと、誤解させてしまったのではないか(つまり、“すごい体験”でなければアピールできないと思わせてしまったのではないか)。 企業の面接官も、わかっていない人に限って、派手なガクチカを過大に評価してしまう。しかも、その流れにより、大学もエントリーシートの添削などで学生の体験を誇張してしまう。さらには、大学側が就活でアピールできるような機会まで用意してしまう……。) もともと、ガクチカは本人の価値観、行動特性、思考回路、学ぶ姿勢、勝ちパターンなどを読み解くための「手段」だった。「世界一周」「サークル立ち上げ」「学園祭の模擬店で大成功」などという話を期待しているわけではない。目立たなくても地道な取り組みが評価されることもある。しかし、ガクチカが学生、企業双方で過度に「目的化」してしまったのが、現代の就活なのである』、「ガクチカ」を「広めた」のは筆者、というのは初めて知った。「就活生、企業、大学関係者などに誤解を与えつつ広まってしまったことにより、混乱を招いている」、「混乱」を是正するような論文などの努力を払ったのだろうか。余りに第三者的だ。
・『学生にガクチカを問うのは、コロナ前から酷だった  もっとも、学生がガクチカに困りだしたのは、新型コロナウイルスショックのせいなのだろうか?よくある「新型コロナウイルスショックの影響で、大学生活が2019年までよりも制限され、ガクチカで学生が困っている」という言説は、本当だろうか?疑ってかからなくてはならない。 私の主張を先に書こう。ガクチカに困ると言われたこの世代は、過去最高に内定率が高い。また、ガクチカはコロナ前から悩みの種だったのだ。 就職情報会社各社が発表した、2022年6月時点での内定率は過去最高だ。たとえば、リクルート就職みらい研究所が発表している就職プロセス調査によると、6月1日時点の内定率は73.1%となっており、前年同時期比4.6ポイントアップ、6月選考解禁となった2017年卒以降最も高くなった。 これはモニター調査であり、実態よりも高くなりがちではある。就職情報会社各社の渉外担当者が大学に対して「実際はこんなに高くありません」と言うほどだ。また、最終的な数字を見なければ結果の先食いにもなる。ガクチカに自信がある学生が先に内定しているともみることもできるだろう。とはいえ、ガクチカに困っているはずの学生たちに、これだけ内定が出ている点に注目するべきだろう。 学生は新型コロナウイルスショック前からガクチカに悩んでいた。無理もない。今の学生はお金も時間もない。奨学金やアルバイトに依存しなければ、大学生活が回らない。自宅から通わざるを得ず、遠距離通学する学生もいる。筆者は千葉県市川市の大学に勤務しているが、茨城県や、千葉県の房総半島から通う学生もおり、通学時間が片道2時間以上かかる学生もいる。よく若者の○○ばなれというが、その原因はお金と時間の若者離れだ。) ゆえに、就活で跋扈するのが普段のアルバイト体験を劇的に語ろうとする学生たちだ。面接では「居酒屋でのアルバイトで、コミュニケーション能力を磨きました。笑顔を心がけ、お客様にもいつも、笑顔で帰ってもらいました。この力を営業の仕事で活かしたいと思います」という学生がよく出現する。面接官からすると「またか」とウンザリするような、お決まりの自己PRだ。お客さんが笑顔で帰ったのは生ビールが美味しかったからではないかと言いたくなる。就活ノウハウでは「だから、アルバイトネタは、差別化できないから話すな」というものが伝授される。 この問題はこじれている。アドバイスするとしたら、元面接官視点では、「もっと工夫してアピールしろ」と言いたくなる。同じ居酒屋バイトでも、チームワークや売り上げアップなどアピールできるポイントはあるだろう。大学教員視点では、勉強の話をしてほしいと悲しんだりする。 ただ、学生の状況を考えると、激しく同情する。学生生活において、時間もお金も余裕がない。アルバイトをしなければ学生生活が回らない。居酒屋でのアルバイトは人手不足で彼ら彼女たちを求めている。モチベーションアップ施策にも手厚く取り組んでいる。飲食店でのアルバイトは、彼ら彼女なりに、精一杯努力した、「学生時代に力を入れたこと」なのだ。 「コミュニケーション能力」を「アピールさせている」のは誰なのか?経団連が毎年、発表している新卒採用で重視する点として、「コミュニケーション能力」が十数年にわたり、1位となっている。 「居酒屋でアルバイトし、コミュニケーション能力を身につけた」という「量産型就活生」が、納得のいく内定に至ることができるのかどうかという問題はさておき、彼ら彼女たちはそう言わざるを得ないし、大人たちにそう言わされているのだと解釈したい。これも彼ら彼女たちなりの精一杯の「ガクチカ」なのだ』、「「居酒屋でアルバイトし、コミュニケーション能力を身につけた」という「量産型就活生」が、納得のいく内定に至ることができるのかどうかという問題はさておき、彼ら彼女たちはそう言わざるを得ないし、大人たちにそう言わされているのだと解釈したい。これも彼ら彼女たちなりの精一杯の「ガクチカ」なのだ」、確かにその通りだ。
・『供給されるガクチカ、誇張、装飾されるガクチカ  学生たちがエントリーシートに書いてきた「ガクチカ」をそのまま信用していいのか。ここでも立ち止まって考えたい。「ガクチカ」は本当に学生が書いたものなのか。この「ガクチカ」は、学生が自ら頑張ったものだろうか?大学が用意した機会に乗っただけではないか。 そのガクチカが問われる場といえば、エントリーシートだ。すでに想像がついた人もいることだろう。そう、このエントリーシートもまた必ずしも、学生が自ら一人で書ききったものとは限らない。キャリアセンターなどで、教職員が添削をしている。話題の棚卸し、意味づけ、表現の工夫などは、大学教職員のアドバイスのもと、学生はエントリーシートを書き上げる。もちろん本人がみずからは気づかない良さを引き出している面はあると思う。ただ、「盛り」「盛られ」のエントリーシート、ガクチカが製造されるのも現実である。 大学が用意したプログラムが、ガクチカのネタに使われることもある。大学は企業や地域と連携した取り組みなどを行っている。よく、新聞の教育面を読むと、各大学のユニークな取り組みが紹介される。これらは学生が自ら発案したものではない。もちろん、学生に何から何までゼロから立ち上げることを期待するのは酷だと言えよう。ただ、いかにも「私はこんなユニークな取り組みをした」という「ガクチカ」は実は、大学や教員がお膳立てした可能性があることを指摘しておきたい。 一方で私自身は大学教員だ。だからといって保身に走るわけではないが、これらの取り組みにも意味がある。別に大学は「ガクチカ」のためだけに、これらの企業や地域と連携したプログラム、ユニークなプロジェクトを立ち上げているわけではない。あくまで学びの機会である』、「いかにも「私はこんなユニークな取り組みをした」という「ガクチカ」は実は、大学や教員がお膳立てした可能性があることを指摘しておきたい」、大いにあり得る話だ。
・『学生たちは機会があれば、よく学び、成長する  文部科学省もアクティブ・ラーニングやPBL(Project Based Learning ※PはProblemとすることもある〕を推奨している。これらのユニークプログラムは、文科省の意向や産業界や地域の要請を受けたものでもある。お金も時間もない大学生に、何か貴重な体験をしてもらいたいという想いもある。 私自身、このような企業や地域とコラボしたプログラムを担当しているが、学生たちはよく学び、成長する。所詮、単位取得のためにやらされたことだとしても、それが学生にとっての成長、変化の機会になればよいと私は考えている。そもそも、お金も時間もない中、このような機会でも作らなければ、大学生活はますます単位取得と、アルバイトと就活で終わってしまう。 私も学生から相談を受けエントリーシートを添削することがある。あくまで言葉づかいの間違いを直したり、学生の考えを整理したり、彼ら彼女たちが体験したことについて、解釈する視点を提供するためのものだ。最終的には、学生に仕上げてもらう。このやり取りは、添削というよりも、面談に近い。エントリーシートというものを媒介に、何を大切にして大学生活をおくってきたのか、棚卸しと意味づけを行うやり取りだ。) ここからは私自身の意見を交えて展開したい。「ガクチカ」というものに事実上、大学も侵食されていることについて警鐘を乱打したい。大学は何のためのものなのか』、「警鐘を乱打したい。大学は何のためのものなのか」、どういうことなのだろうか。
・『若者に旧来の若者らしさを求めるな  この手の話をするたびに「いや、大学は自分でやりたいことを探す場所だろう」「ガクチカとして誇れるものがないのは自己責任」などという話が飛び出したりする。中には「俺は、苦学生だったが、アルバイトで学費をすべて払い、サークルの立ち上げまでして、充実した大学生活をおくったぞ」などという、マウンティング、ドヤリングが始まったりする。さらには「どうせ学生は、遊んでばかり」というような学生批判まで始まったりする。 いい加減にしてほしい。どれも現実離れしている意見である。構造的に、時間もお金もないことが課題となる中、それを強いることは脅迫でしかない。自分の体験の一般化は、持論であって、理論ではない。さらに、自分の時代の、しかもドラマや漫画などで妄想が拡大され美化された大学生活を前提に語られても意味はない。 これは言わば、妄想ともいえる「若者らしさ」の押し付けでしかない。自分たちが思い描く若者像を、過剰なまでに期待していないか。 そもそも、ガクチカなるものを今の大学生に期待することがいかにエゴであるか、確認しておきたい。大人たちには学生が、自分たちが理想とする学生生活を送れるように応援する気持ちを持ってもらいたいものだ。学生像を押し付けてはいけない。 企業の面接官には、学生1人ひとりをしっかり見てもらいたい。コロナ時代の彼ら彼女たちは不安な生活を乗り切った。よく勉強した。これこそが、ガクチカではないか。「学生時代に力を入れたこと」としてのガクチカを期待するよりも、「学生生活に力を入れられる」ような環境をつくらねばならない。これはガクチカなる言葉を広めた者としての懺悔と自己批判と提言である』、「コロナ時代の彼ら彼女たちは不安な生活を乗り切った。よく勉強した。これこそが、ガクチカではないか。「学生時代に力を入れたこと」としてのガクチカを期待するよりも、「学生生活に力を入れられる」ような環境をつくらねばならない。これはガクチカなる言葉を広めた者としての懺悔と自己批判と提言である」、「自己批判」が弱い気もするが、まあよしとしよう。

第三に、7月1日付け東洋経済オンラインが掲載したコラムニスト・人間関係コンサルタント・テレビ解説者の木村 隆志氏による「「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/600890
・『大学生向けの就職活動情報サイト「就活の教科書」が5月に掲載した「【底辺職とは?】底辺の仕事ランキング一覧|特徴,デメリット,回避方法も」が6月になってネット上で拡散され、この数日間はネット上で批判にさらされています。 運営会社は指摘を受けて同記事を削除しましたが、批判は加熱する一方。6月30日は朝からツイッターの検索ランキングに複数の関連ワードが上位を占めたほか、Yahoo!ニュースのコメント欄は違反コメント数が基準を超えて非表示になり、7月1日になってからも「めざまし8」(フジテレビ系)がトップ級のニュースとして扱うなど、まだまだ騒動が収まる気配はありません。 なぜこの記事はここまで人々の怒りを買ってしまったのか。単に「職業差別を助長する」だけではなく、罪深い6つの問題点が潜んでいたのです』、「底辺職とは?」とは酷いタイトルをつけたものだ。
・『配慮の言葉は免罪符にはならない  記事の冒頭には「この記事でわかること」として、「世間一般的での底辺職ランキング一覧」「底辺職と呼ばれている仕事の特徴」「底辺職で仕事をするデメリットは年収が低いこと」「底辺職を回避するための方法4つ」「未経験でも採用されやすい職種/業種一覧」をピックアップ。いきなり、ある職業を「年収が低い」「回避するべき」と決めつける強い論調に驚かされます。 さらに、「何を底辺職だと思うのかは人それぞれ」「一般的に底辺職と呼ばれている仕事は、社会を下から支えている仕事」「そのような方がいるからこそ、今の自分があるのだということには気づきましょう」「社会にとって必要な仕事」などの一定の配慮を思わせる記述がありました。 しかし、「最初にこのような配慮のフレーズを書いておけば、そのあとはひどいことを書いてもいい」というわけではありません。書き手や監修者は、「これを免罪符にしておけば、『底辺の職業ランキング』という記事が成立するだろう」と計算したのでしょうが、それがまさに誤算だったのです。) 同記事は、「①土木・建設作業員」「②警備スタッフ」「③工場作業員」「④倉庫作業員」「⑤コンビニ店員」「⑥清掃スタッフ」「⑦トラック運転手」「⑧ゴミ収集スタッフ」「⑨飲食店スタッフ」「⑩介護士」「⑪保育士」「⑫コールセンタースタッフ」と12の職業をピップアップ。 それらの特徴として「肉体労働」「誰にでもできる仕事」「同じことの繰り返しであることが多い」、デメリットとして「年収が低い」「結婚のときに苦労する」「体力を消耗する」を挙げたほか、「底辺職に就かない方法/抜け出す方法4つ」などの項目もありました』、コロナ禍で話題になったエッセンシャル・ワーカーは、上記の「「⑩介護士」「⑪保育士」」の他、医療従事者、公務員、教員などより幅広い
https://hrnote.jp/contents/soshiki-essentialworker-20220504/
・『「底辺」というフレーズは必要か  最初の問題点は、なぜ“底辺”という過激なフレーズを使わなければいけなかったのか。 その理由は「誰かをおとしめたい」という悪意というより、「多くの人々から注目を集めるため」でしょう。“ランキング”というウェブでページビューを集めやすい形式の記事であることからも、運営側の思惑が透けて見えます。 しかし、この記事を見る人々にしてみれば、「自社コンテンツへの注目を集めるためなら、多くの人々を傷つけてもいい」という悪意としか思えないものでした。運営サイドは「これくらいなら大丈夫だろう」というビジネス的な判断にすぎなかったものが、「まさかここまで悪意としてとらえられるとは……」と戸惑っているのではないでしょうか。 もし「底辺」というフレーズをどうしても使いたかったのであれば、同サイトが決めつけたものではなく、当事者が「底辺と感じている」というアンケート結果をベースにした記事であれば問題はなかったでしょう。 2つ目の問題点は、具体的な12もの職業を名指ししたうえで、「就かない方法/抜け出す方法」を挙げたこと。たとえば、特徴やデメリットだけを挙げて「底辺」と定義しただけにとどめる。あるいは「就かない方法/抜け出す方法」を挙げたとしても、12の職業を名指ししなければ、今回ほどの騒ぎにはならなかったでしょう。) 12の職業に従事する人や家族にとっては、名指しされたうえに「誰にでもできる」「同じことの繰り返し」「年収が低い」「結婚のときに苦労する」などと誹謗中傷に近いレッテルを貼られたわけですから、怒りの感情を抱いて当然。では、運営サイドは、これだけ多くの人々を怒らせてしまうことをどうして想像できなかったのでしょうか。 ビジネスシーンでは数字を追うあまり、リスクに関する想像力に欠けてしまうときがありますが、だからこそストップをかけられる組織体制が必要。メディアで言えば、その機能が乏しい「ワンマン」、または「部員任せ」の編集部は今回のような事態につながりやすいところがあるものです。今のところ『就活の教科書』編集部の内情はわかっていませんが、これらの可能性は高いでしょう』、「ビジネスシーンでは数字を追うあまり、リスクに関する想像力に欠けてしまうときがありますが、だからこそストップをかけられる組織体制が必要。メディアで言えば、その機能が乏しい「ワンマン」、または「部員任せ」の編集部は今回のような事態につながりやすいところがあるものです」、その通りだ
・『「選民意識の持ち主」というイメージ  3つ目の問題点は、なぜメリットも書かなかったのか。個人ブログではなくメディアのコンテンツである以上、公平なスタンスで書くことが大前提。今回のような記事では、いくつかフォローの言葉を入れるだけでなく、メリットとデメリットの両方を並べるくらいのバランス感覚が必要でした。 デメリットを書いたとしても、その前後に「感謝の言葉をもらいやすい」「日々の生活を支えるというやりがい」などのメリットも併記したうえでカテゴライズすれば、多少なりとも印象は変わったでしょう。また、デメリットとしての書き方にも、「世の中にとって必要であるにもかかわらず年収が低い」などのバランス感覚が求められます。 今回の記事はそんなバランス感覚に欠けていたため、「この職業がなければ“底辺”と決めつけているあなたたちの生活も成り立たないはずだ」などの批判を受けていました。 このような「自分も世話になっている職業をおとしめてしまう」という行為は、少なからず「自分は選ばれた人間」「彼らとは違う」という選民意識の強い人が犯しがちな失敗。しかも今回は、かなり多くの人々をおとしめてしまったうえに、「就活の教科書」という自信たっぷりのサイト名も影響して、「際立った選民意識の持ち主が運営しているメディア」というイメージを持たれてしまいました。) そもそも個人の価値観やスキルが多種多様な現在の社会において、挙げられた12の職業は“底辺”とは言い切れず、運営サイドの思い込みによるものでしょう。しかし、社会経験の少ない大学生たちが見る記事である以上、信じてしまい、担い手を減らしてしまう危険性があります。 私の友人・知人に、大卒の土木・建設作業員、コンビニ店員、清掃スタッフ、トラック運転手、飲食店スタッフ、介護士、保育士がいますが、彼らは決して嫌々働いているわけではありません。ところが、もし彼らが就職活動中にこのような記事を見ていたら、12の職業を目指さなかった可能性もありうるでしょう。ひいては、社会のバランスを崩しかねない危険な発想の記事であることが4つ目の問題点です』、「社会経験の少ない大学生たちが見る記事である以上、信じてしまい、担い手を減らしてしまう危険性があります」、その通りだ。
・『「インターンに書かせる」運営方式  「就活の教科書」は“底辺”の記事が削除された一方で、「【行く意味ある?】Fランク大学一覧|Fラン大学の実態,偏差値,女子あるあるも」「【低学歴でも大丈夫】Fラン大学生におすすめの企業3選|就活で失敗する共通点も」などの記事は現在も掲載されています。 「行く意味ある?」「低学歴でも大丈夫」という目線やレッテルの危うさは、“底辺”の記事と同様。では、この危うさはどこから来ているのか。 「就活の教科書」はインターンを募集していて、その筆頭に「Webライター」が挙げられています。つまり「記事の多くは、実際に就活をした内定者や、現役の就活生が書いている」ということ。それを代表取締役社長が監修者として記名することで信頼性を担保しつつ、発信しているようですが、この運営方式こそが5つ目の問題点でしょう。 この形は「新しい情報でリアリティがある」というメリットが得られる反面、「メディアとしての公平性やライターとしてのスキルに欠けやすい」というデメリットがある運営方式。もともと就活サイトに限らず、少ない報酬で記事を量産しやすい編集部の運営方式として使用しているメディアが少なくないものの、つねにリスクと隣り合わせのところがある形なのです。) 同サイトに記載されたデータを見ると、「累計3500万PV、月に就活生50万人が訪れる」「網羅的な就活情報を約1600記事掲載」「日本コンシューマーリサーチの調査で、就活情報サイト部門で3冠を受賞。自己分析の書籍も出版。新聞、ラジオ、雑誌など、多数メディアに掲載」「就活メディアではTOP5に入るほど規模の大きいサイト」などと書かれていました』、「「記事の多くは、実際に就活をした内定者や、現役の就活生が書いている」ということ。それを代表取締役社長が監修者として記名することで信頼性を担保しつつ、発信しているようですが、この運営方式こそが5つ目の問題点でしょう。 この形は「新しい情報でリアリティがある」というメリットが得られる反面、「メディアとしての公平性やライターとしてのスキルに欠けやすい」というデメリットがある運営方式。もともと就活サイトに限らず、少ない報酬で記事を量産しやすい編集部の運営方式として使用しているメディアが少なくないものの、つねにリスクと隣り合わせのところがある形なのです」、「就活メディアではTOP5に入るほど規模の大きいサイト」「規模の大きさ」の割に体制が伴ってないようだ。
・『社長も会社もまだ若くリカバリー可能  これらの規模や実績があるにもかかわらず、危機管理の対応はかなり遅いと言わざるを得ません。これが6つ目の問題点であり、当該記事の監修者でもある社長が少しでも早く謝罪したうえで、誤解があるならば自分の言葉で解いておくべきでしょう。 現在はそれがないため、他メディアやネットユーザーによる「9カ月で退職した代表取締役には無理」などの社長に対する批判や、「ウェブサイトの住所はレンタルスペースだった」などの会社に対するガサ入れのようなものが飛び交っているという状態。学生たちにとって有意義なコンテンツも多いだけに、現在の状態は残念でならないのです。 とはいえ、社長も会社もまだまだ若いだけに、今回のような失敗をしてしまうこともあるでしょう。たとえば“底辺”として挙げられたゴミ収集スタッフは、警察官や消防士などと同じように幼児たちにとっては「カッコイイ」と思うヒーローの職業。このように「“底辺”とは真逆の“頂上”だった」というケースもあるものです。社長や記事を書いた人は、まだ若く社会経験も浅いだけに、そのような視点は持てていないのかもしれません。 もちろん「今後はこのような記事を発信しない」という前提は必要ですが、「社長や会社を叩く」というより、今後の変化を見守り、正しい方向に導いていく社会であってほしいところです』、筆者は何故か「社長」には甘いようだが、いまだにきちんとした謝罪もない。やはりこんないい加減な会社は、断罪すべきなのではなかろうか。
タグ:(その10)(「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」、就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛、「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず) 就活(就職活動) 「ガクチカ」を「広めた」のは筆者、というのは初めて知った。「就活生、企業、大学関係者などに誤解を与えつつ広まってしまったことにより、混乱を招いている」、「混乱」を是正するような論文などの努力を払ったのだろうか。余りに第三者的だ。 常見 陽平氏による「就活でガクチカを聞くのはもういい加減やめよう 「学生時代に力を入れたこと」に囚われる人々の呪縛」 東洋経済オンライン 「「自分が輝ける職場を見つけよう」というフレーズのほうが通じやすいのかもしれません。しかしこれは嘘です。まず自分があるのではなく、先にあるのはあくまでも穴の方なのです」、「だから仕事には向いていないと思うけど、やめろと言われるまではやっていいのではないかと思っているのです。 本気で自分の仕事は天職だと思っている人はめったにいません」、「虫取りが仕事になるとしてそれが嬉しいかといえばうっかりすると重荷になってしまうかもしれない。楽しんでいられることというのは、ある程度無責任だからこそなのです」、浮ついた仕事 「仕事はおまえのためにあるわけじゃなくて、社会の側にあるんだろうということです」、なるほど。 「20歳やそこらで自分なんかわかるはずがありません。中身は、空っぽなのです。 仕事というのは、社会に空いた穴です。道に穴が空いていた。そのまま放っておくとみんなが転んで困るから、そこを埋めてみる。ともかく目の前の穴を埋める。それが仕事というものであって、自分に合った穴が空いているはずだなんて、ふざけたことを考えるんじゃない、と言いたくなります。 仕事は自分に合っていなくて当たり前です」、「目の前の穴を埋めていれば給料をくれる。仕事とはそもそもそういうものだと思っていれば、「自分に合った仕事」などという馬鹿 デイリー新潮「「自分に合った仕事なんて探すな」 養老孟司先生の語る「働くってこういうこと」」 「「居酒屋でアルバイトし、コミュニケーション能力を身につけた」という「量産型就活生」が、納得のいく内定に至ることができるのかどうかという問題はさておき、彼ら彼女たちはそう言わざるを得ないし、大人たちにそう言わされているのだと解釈したい。これも彼ら彼女たちなりの精一杯の「ガクチカ」なのだ」、確かにその通りだ。 「いかにも「私はこんなユニークな取り組みをした」という「ガクチカ」は実は、大学や教員がお膳立てした可能性があることを指摘しておきたい」、大いにあり得る話だ。 「警鐘を乱打したい。大学は何のためのものなのか」、どういうことなのだろうか。 「コロナ時代の彼ら彼女たちは不安な生活を乗り切った。よく勉強した。これこそが、ガクチカではないか。「学生時代に力を入れたこと」としてのガクチカを期待するよりも、「学生生活に力を入れられる」ような環境をつくらねばならない。これはガクチカなる言葉を広めた者としての懺悔と自己批判と提言である」、「自己批判」が弱い気もするが、まあよしとしよう。 木村 隆志氏による「「底辺の仕事ランキング」批判集めた6つの問題点 “誰でもできる"の罪深さ、差別で片づけられず」 大学生向けの就職活動情報サイト「就活の教科書」 「底辺職とは?」とは酷いタイトルをつけたものだ。 コロナ禍で話題になったエッセンシャル・ワーカーは、上記の「「⑩介護士」「⑪保育士」」の他、医療従事者、公務員、教員などより幅広い https://hrnote.jp/contents/soshiki-essentialworker-20220504/。 「ビジネスシーンでは数字を追うあまり、リスクに関する想像力に欠けてしまうときがありますが、だからこそストップをかけられる組織体制が必要。メディアで言えば、その機能が乏しい「ワンマン」、または「部員任せ」の編集部は今回のような事態につながりやすいところがあるものです」、その通りだ 「社会経験の少ない大学生たちが見る記事である以上、信じてしまい、担い手を減らしてしまう危険性があります」、その通りだ。 「「記事の多くは、実際に就活をした内定者や、現役の就活生が書いている」ということ。それを代表取締役社長が監修者として記名することで信頼性を担保しつつ、発信しているようですが、この運営方式こそが5つ目の問題点でしょう。 この形は「新しい情報でリアリティがある」というメリットが得られる反面、「メディアとしての公平性やライターとしてのスキルに欠けやすい」というデメリットがある運営方式。もともと就活サイトに限らず、少ない報酬で記事を量産しやすい編集部の運営方式として使用しているメディアが少なくないものの、つねにリ 筆者は何故か「社長」には甘いようだが、いまだにきちんとした謝罪もない。やはりこんないい加減な会社は、断罪すべきなのではなかろうか。
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