スポーツ界(その35)(サッカー日本代表が惨敗で危機露呈 選手の発言に見る「致命的欠陥」とは、文春砲炸裂のフェンシング合宿 「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを) [社会]
スポーツ界については、3月26日に取上げた。今日は、(その35)(サッカー日本代表が惨敗で危機露呈 選手の発言に見る「致命的欠陥」とは、文春砲炸裂のフェンシング合宿 「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを)である。
先ずは、6月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの藤江直人氏による「サッカー日本代表が惨敗で危機露呈、選手の発言に見る「致命的欠陥」とは」を紹介しよう。
・『カタールワールドカップ開幕を5カ月後に控えた森保ジャパンで、致命的ともいえる問題が露呈した。国内4連戦に臨んだ6月の強化マッチシリーズを終えた直後に、切り札的な存在になりつつあるFW三笘薫(ユニオン・サンジロワーズ)が「チームとして決まり事のようなものを持たないといけない」と明言した。就任から4年がたとうとしている森保一監督のもと、特に攻撃面で共通認識が設けられていない現実を前にして、日本代表は何をすべきなのか』、「森保一監督」に対しては、かねてから批判が多かったが、「攻撃面で共通認識が設けられていない」には心底驚かされた。
・『チュニジアに惨敗した理由 チームに「約束事がない」 ホームで喫した惨敗を介して、森保ジャパンの現在地があぶり出された。カタールワールドカップ開幕まであと5カ月という時間を考えれば、暗たんたる気持ちにさせられる。 14日のチュニジア代表戦で0‐3と完敗し、キリンカップ優勝を逃した直後のオンライン会見。三笘が残した言葉は衝撃的であり、同時に「やはりそうだったのか」と思わせるものだった。 「ボールを持ったときに、チームとしてどのようにして攻めるのかという意識の共有とバリエーションが不足している。そういった部分の組み立て、というものをやっていかないと」 後半途中から左サイドアタッカーとして投入され、何度も果敢な仕掛けを披露。パナソニックスタジアム吹田を沸かせたドリブラーはこう振り返りながら、さらにこんな言葉を紡いだ。 「今日のような流れになって相手のカウンター攻撃を受けて、というのはワールドカップで絶対にあってはならないこと。チームとして決まり事のようなものを持たないといけないと思っています」 三笘の言葉の中で気になったのは、言うまでもなく「チームとしての決まり事」の箇所だ。チームとしてこう攻めるという共通認識、すなわち約束事が森保ジャパンには存在しない。ゆえに個人の力量に頼る単発の形となり、相手も対策が立てやすくなる。三笘はさらにこう続けた。) 「選手同士のコミュニケーションで『こういうふうにしてほしい』と言っていますけど、チーム全員でそれを共有できているかというと、そうではないところが多いし、そこは必要かなと」 決して批判を展開しているわけではない。A代表デビューからわずか7試合目ながら大きなインパクトを残し続け、森保ジャパンにおける存在感を一気に増幅させている25歳は、攻撃陣の中心を担う自覚と責任を込めながら、現状に対する危機感を言葉へ転換し続けた。 年間を通して活動できるクラブチームほど緻密なものではないにせよ、攻守における約束事は代表チームにも必要不可欠だ。そして、それらをデザインするのはもちろん代表監督となる。船出からまもなく4年。森保監督が攻撃面で何も施さなかった跡が図らずも明らかになった。 大きな衝撃を与えたからか。オンライン会見の最後には約束事に関して、あらためて三笘へ質問が投げかけられた。ワールドカップ予選を戦ってきた今までは時間がなかったのか。チームとしての意識がそこへ向いていなかったのか。解決するためにはどうすればいのか、と。 「僕はアジア最終予選の途中から代表に入りましたけど、当時は本当に時間がなくて、コンディションを優先しないといけない、というのはありました。チームとして落とし込む時間がなかったわけではないけど、そこへ持っていけるような雰囲気はなかったですね」 三笘はA代表に初招集された昨年11月シリーズをこう振り返った。しかし、アジア最終予選の序盤でつまずき、7大会連続7度目のワールドカップ出場へ向けて一戦必勝だった時期とは異なり、今回の6月シリーズは計12回の練習を積めた。三笘は「それでも」とこう続けた。 「今回はけっこう時間もあって、みんなのコンディションもよかった。その中でコミュニケーションを取りながら、相手に対するチームとしての戦術というところで狙いはありましたけど、狙いの細かさといった部分は全然足りていない。ピッチ内での自分たちの対応力であるとか、そういったところにいってしまったところがあるので、いろいろな人たちで議論してやっていく必要があると思う」』、「攻守における約束事は代表チームにも必要不可欠だ。そして、それらをデザインするのはもちろん代表監督」、「船出からまもなく4年。森保監督が攻撃面で何も施さなかった跡が図らずも明らかになった」、何もしてこなかったとは酷い。
・『「勝っているチームはいじらない」 監督のこだわりには批判も 森保監督の采配に対して内部、すなわち選手から声が上がるのは今回が初めてではない。金メダル獲得を目標に掲げながら、4位に終わった昨夏の東京五輪直後。オーバーエイジとして参戦し、キャプテンを務めたDF吉田麻也は出演したテレビ番組でこう語っている。 「大会を通して言うと、6試合を戦っていく上で、できればローテーションしてほしかった、というのはありますね。最後の試合は僕もそうですけど、選手たちがかなり疲弊していたし、疲労からくる判断力や集中力の欠如というものがあったと思うんですよね」 グループリーグ初戦から銅メダルをかけた3位決定戦までの6試合を、森保監督に率いられたU‐24日本代表は全て中2日の過密スケジュールで戦った。吉田が言及した「ローテーション」とは、選手をある程度入れ替えながら戦っていく方法を指している。 東京五輪では吉田とともにオーバーエイジで参加したMF遠藤航、24歳以下の選手ではMF田中碧、GK谷晃生、攻撃陣をけん引した堂安律、久保建英の両MFが全6試合に先発した。 中2日では疲労やダメージが抜けにくく、日本特有の高温多湿の過酷な気候が追い打ちをかけた。久保の3試合連続ゴールなどで、グループリーグを3連勝で突破した日本は決勝トーナメントで失速。3試合で挙げたゴールは、メキシコとの3位決定戦で一矢を報いた三笘の1点だけだった。 先発メンバーを固定した戦いへの是非は、当然ながら森保監督の耳にも届く。非が占める割合が圧倒的に多かった中で、指揮官の反応は頑固とも、いい意味での鈍感ともいえるものだった。例えば東京五輪における選手起用を問われたときには、こんな言葉を返している。) 「世界の中で日本が勝ち上がろうとしたとき、先を見越して戦うことはまだできない」 実際には世界はおろか、東京五輪後の昨年9月に幕を開けた、カタールワールドカップ出場をかけたアジア最終予選を勝ち抜くのにも、一戦必勝態勢となった。チーム内に約束事が存在しない以上は、ある程度の意思の疎通が図れる、慣れ親しんだ顔ぶれで戦うしかなかったからだ。 必然的に森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう。 アジア最終予選で1勝2敗と黒星を先行させ、一敗も許されなくなった瀬戸際に追い込まれた森保監督はシステムを4-2-3-1から4-3-3へスイッチ。遠藤を除いた中盤の構成も変えた。 アジア最終予選の潮目を変えた決断は評価できる。迎えたオーストラリア代表との第4戦。試合終了間際のオウンゴールが決勝点となり、かろうじて土俵際で踏み止まった森保監督は、再び「勝っているチームはいじらない」なるサッカーの格言を愚直に実践し続けた。 けがで離脱した選手や累積警告による出場停止の選手を除いて、敵地で勝利したオーストラリアとの第9戦までシステムも先発する選手も基本的に同じ。その間に6連勝とV字回復を果たした森保ジャパンは、ワールドカップ出場権獲得という最初の目標をクリアした。 迎えた6月の強化試合シリーズ。いずれも日本国内で行われた4連戦で、吉田と遠藤は全てで先発に名を連ねた。本大会へ臨む代表メンバーを絞り込んでいく段階に入った中で、後半で交代した試合こそあったものの、2人は代役の利かない存在であり続けた。 しかし、最後を締めくくるチュニジア戦で、吉田は後半に喫した3失点全てに自らのミスで絡み、遠藤は攻撃時にパスが入った瞬間に標的とされ、幾度となくボールを失ってカウンターを受けた。試合後のオンライン会見。森保監督は吉田と遠藤の異変に気づいていたと明かした。) 「長いシーズンをヨーロッパで戦ってきた後の代表ウイーク4試合ということで、心身ともに疲労がかなりきていたのかなと思う。今後の対戦チームも同じような狙いを持って、われわれの意図するところをつぶしにくると考えられる中で、いいシミュレーションになったと思っています」 4試合が全て中3日で行われた6月シリーズを、森保監督は同じく中3日でドイツ、コスタリカ、スペイン各代表とグループリーグを戦うカタール大会のシミュレーションと位置付けていた。チュニジア戦で疲労が目立った吉田と遠藤を代えなかった指揮官は、さらにこう語っている。 「アタッキングサードのところで、どのようにして攻撃の形を作ってシュートまで持っていくのかを、さらに上げていかないといけない」 アタッキングサードとはピッチの全長を3分割した場合に、相手ゴールに一番近いエリアを指す。しかし、攻撃の形を作る上で森保監督が約束事を持ち合わせず、選手個々のテクニックや判断に丸投げされている実情が、三笘の言葉を介して図らずも明らかにされた』、「森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう」、「アタッキングサードとはピッチの全長を3分割した場合に、相手ゴールに一番近いエリアを指す。しかし、攻撃の形を作る上で森保監督が約束事を持ち合わせず、選手個々のテクニックや判断に丸投げされている実情が、三笘の言葉を介して図らずも明らかにされた」、よくぞこんな無能な「監督」を使い続けるものだ。
・『森保監督は何もしない? 選手たちはどうするべき? これまで何もしない、いや、できなかったのだから、これから「さらに上げていく」ための術もおそらく提示できない。森保監督は、21日の取材対応でも「さらに独力でいける選手になってほしい」と、三笘をはじめとする選手個々の成長に期待した。ならば、選手たちはどうするべきなのか。 6日のブラジル代表戦を終えた後に、35歳のベテラン、DF長友佑都は「最終的な部分で、個の力で勝てる確率を上げていかなければいけない」と課題を挙げた上でこう補足している。 「いろいろなところにサポートがいる状況での1対1ならば、相手を引きつけて剥がせる場面もあるんじゃないかと。もちろん一人一人がもっと突き詰めていく必要もあるけど、おとりになるランニングを含めた味方との連携で相手のマークのずれ、意識のずれを引き起こせると思っている」 6月シリーズでは右の伊東純也、そして左の三笘の両アタッカーが個の勝負を挑み続けた。日本の攻撃の生命線になると信じて周囲もボールを託した。ブラジルはさらに強力な個の力で2人を凌駕し、チュニジアは場合によっては複数の選手を対応させて伊東や三笘を封じ込めにきた。 ここで相手の選択肢を増やさせ、少しでも後手に回らせるコンビネーションを構築できれば、状況が変わる可能性も生まれる。森保監督が手段を講じられない以上は、選手が率先して動くしかない。そうしなければ手遅れになるギリギリのところまで日本は追い詰められている。 大きな変化を好まない、頑固で保守的な性格の持ち主である森保監督だが、攻撃の約束事を作ろうと試行錯誤する選手たちの自主性は尊重する。勝負師の側面こそ持ち合わせないが、優しさと謙虚さもあって選手たちから“いい人”と慕われる指揮官の数少ないプラス材料がここにある。 カタールワールドカップへ向けて、ヨーロッパ組を含めた陣容で活動できるのは9月の国際Aマッチデー期間の9日間と、あとは大会直前の数日間しかない。この時期に露呈した危機を克服できるかどうかは、ヨーロッパ組を中心とする選手たちのアイデアと経験値に委ねるしかなくなった』、「森保監督が手段を講じられない以上は、選手が率先して動くしかない。そうしなければ手遅れになるギリギリのところまで日本は追い詰められている」、「大きな変化を好まない、頑固で保守的な性格の持ち主である森保監督だが、攻撃の約束事を作ろうと試行錯誤する選手たちの自主性は尊重する。勝負師の側面こそ持ち合わせないが、優しさと謙虚さもあって選手たちから“いい人”と慕われる指揮官の数少ないプラス材料がここにある」、さて、今さら変えられないのかも知れないが、このままでは「ワールドカップ」本戦は、早目に敗退が決まることを覚悟した方がよさそうだ。
次に、7月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家・スポーツライターの小林信也氏による「文春砲炸裂のフェンシング合宿、「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを」を紹介しよう。
・『フェンシング日本代表合宿に“文春砲” 助成金の申請が見送りに フェンシング・エペ日本代表合宿が「当初の予定と異なるレジャー中心の合宿だった」と週刊文春に報じられ、他のメディアも追随してこれを非難した。 これに対し、日本フェンシング協会の武井壮会長が謝罪会見を開くものと推測されていた。だが、7月2日の理事会で協議した後、囲み取材に応じた武井会長は、「長期遠征の合間のリフレッシュ目的だったとして、合宿内容自体には『最初に抱いた印象とは違う。単なる遊びではなかった』と理解を示した」と報じられた(日刊スポーツ)。同紙によれば、「助成金203万2905円(15人分)の申請の見送りを決議したと報告。選手とコーチの家族計4人が同行していたことについては『不適切だった』と謝罪した」という。 私は「武井会長、謝らないで!」と思っていたので、一部謝罪はしたものの、合宿の意義や目的を協会の立場で堂々と肯定した今回の姿勢には拍手を送る』、どういうことだろうか。
・『合宿ではリフレッシュしてはいけないのか? 今回の問題の「本質」とは 選手とコーチが、合宿中にリフレッシュするためプールで過ごして何がいけないのか? 合宿に家族が同行したらいけないのか? プロ野球の春季キャンプは今も単身参加だが、メジャーリーグでは家族同伴が当たり前だ。30年以上前、メジャーのキャンプに行ったとき、練習が終わる頃、選手の妻と子どもが選手を迎えに来て、一緒に帰る姿に目を丸くした。けれど、考えてみれば、結婚している選手の家族を引き裂き、約1カ月も家族離散を強いる非人道的な日本の野球界こそおかしいと気付かされた。ところが、日本は今も変わっていない。 その思い込みが全てのスポーツに適用されている。「厳しい練習に打ち込む期間、家族は邪魔な存在で、ストイックにトレーニングしなければ罪だ」という思い込みが根強いから、今回の報道も多くの怒りを誘発したのではないだろうか。 もちろん、週刊文春が切り札としてにおわせているのはコーチと選手の不倫関係だが、そのことで今回の沖縄合宿全てが否定され、スポーツ界からまた自由が奪われていくのはとても残念だ。 武井会長は、「休養と調整が必要な状態だった。世界選手権に向けた最初の1週目としてはリフレッシュが必要。私自身、アスリートの経験としても分かるし、話をした選手からも『しっかり練習をしていた』と涙ながらに聞いた」「とはいえ、我々アスリート側の考えと国民の皆さまとの感覚にはギャップがあるのは事実」(日刊スポーツ)と語っている。 メディアや世間はここ数年、スポーツにおけるパワハラや支配的な指導体制をずっと批判し続けている。今回報道された「リラックスのための過ごし方」などは、パワハラ体質と対極の新しいムーブメントとして歓迎されるべきものではないか、と私は感じる。ところが、それ自体が批判されるのは、世間のほうに相変わらず古くさい考えが染みついているからではないだろうか。 恐らく、「強化費は国民の血税が投入されているのだ」というのが最大の怒り、批判の根拠だろう。しかし、強化とは猛練習だけではない。家族の理解があって、フレッシュな気持ちで取り組めてこそ成長があり、競技への集中ができる。15人で203万2905円、1人当たり13万5527円の税金投入。その間にプールでリフレッシュしたことを非道な行為とののしるほどに、日本人のスポーツへの理解は低いのかと思うと悲しくなる。パワハラを糾弾しながら柔軟な思考がないのは世間やメディアのほうではないか。 簡単な話、日本フェンシング協会が独自の財源を持っていれば、今回の合宿をこれほど非難されただろうか。チーム内の倫理の問題は別として、必要なレジャーであれ、家族同伴であれ、法律には違反しないし、部外者にとやかく言われる問題ではない。ところが今は国がスポンサーになっている。そのため、税金を払っている国民自身にもスポンサーだという思いがあるのか、散々な言われようになっている。 グランドスラム大会を目前に控えたテニス選手が、プールサイドで恋人にサンオイルを塗ってもらっていたら、それだけで「不謹慎だ」と怒るだろうか。 サッカー日本代表が、ワールドカップのときにどれだけ豪華なホテルに泊まり、日本からシェフを連れて臨んでも、そのことに批判は起こらない。なぜなら、それが必要だという理解とともに、その財源を日本サッカー協会自身が生み出していると了解しているからだろう』、「必要なレジャーであれ、家族同伴であれ、法律には違反しないし、部外者にとやかく言われる問題ではない。ところが今は国がスポンサーになっている。そのため、税金を払っている国民自身にもスポンサーだという思いがあるのか、散々な言われようになっている」、独自の財源ではなく、税金でやっている以上は、一定の制約は当然だと思う。
・『国民が気付くべき「スポーツ界の現実」 選手の“自由と独立”を応援することこそが重要 強化は難しい。大きな舞台で成果を出す、それは本当にスペシャリストの世界だ。大きな勝負を制するには、瞬時に変わる状況をかぎ分け、賭けにも等しい判断の繰り返しが必要だ。とても部外者に理解できるものではない。信頼して任せ、応援することしかサポーターにはできないことを、スポーツファン、そしてメディアが認識し、リスペクトすべきではないだろうか。道徳的な常識とは別のひらめきや大胆な感性がそこでは重要な役割を果たす。 日本国民に、この機会に気付いてほしい現実がある。 スポーツ界は、モスクワ五輪ボイコットの反省を生かし、政治からの独立を悲願として取り組んだ経緯がある。政府が決めたボイコットの方針に従わざるを得なかったのは、組織的にJOC(日本オリンピック委員会)が国の支配下にあり、遠征費や強化費も全て国の支援に依存していたからだ。そこで、スポーツ関係者の涙ぐましい努力の結果、JOCは1989年、日本体育協会(現・日本スポーツ協会)からの独立を果たした。これで、政府の束縛を受けず、スポーツ界は独自の判断で歩めるはずだった。 ところが、現実は厳しい。全ての競技が独立採算では活動できない。資金援助は不可欠だ。さまざまな現実や思惑が交錯する中、その後、スポーツ界は事実上、政府の支配下に戻ってしまった。 しかも、パワハラ問題に端を発したスポーツ団体の組織の見直しに乗じて、政府は規制や支配を強めている。ガバナンスの整備のため、日本スポーツ協会は全ての競技団体に公益法人化を求めている。これも結局、内閣府の管理下に置かれるという意味でも、「下部組織」としての色彩を強くする傾向につながっている。 スポーツの自治と自由が侵害されるなら、公益法人化などは受け入れない判断もあっていいはずだ。が、拒否すれば、助成金を受ける資格を失い、オリンピック種目から除外される心配もある。そうやって、スポーツ界は政治的に縛られているのだ。そういうスポーツの政治支配こそ、危険だと警戒しなければならない。 スポーツ界が、政府や上部団体から独立し、自主的に運営できる体制を確立することこそ重要だ。メディアがこの本質を見逃して、スキャンダルの発掘のため結果的に権力構造の強化に加担するような動きは滑稽だ。 武井会長には、当初の予定どおり助成金を申請してもらいたいくらいだ。 私たちの務めは、スポーツ選手の自由と独立を応援することではないか』、「公益法人化を求めている。これも結局、内閣府の管理下に置かれるという意味でも、「下部組織」としての色彩を強くする傾向につながっている」、「公益法人」になれば情報公開など透明化が求められるという重要なメリットがあるのを無視している。筆者はスポーツ記者だけあって、スポーツ団体には甘過ぎるようだ。「スポーツ界が、政府や上部団体から独立し、自主的に運営できる体制を確立することこそ重要だ」、こんな独立王国化には大反対だ。
先ずは、6月23日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの藤江直人氏による「サッカー日本代表が惨敗で危機露呈、選手の発言に見る「致命的欠陥」とは」を紹介しよう。
・『カタールワールドカップ開幕を5カ月後に控えた森保ジャパンで、致命的ともいえる問題が露呈した。国内4連戦に臨んだ6月の強化マッチシリーズを終えた直後に、切り札的な存在になりつつあるFW三笘薫(ユニオン・サンジロワーズ)が「チームとして決まり事のようなものを持たないといけない」と明言した。就任から4年がたとうとしている森保一監督のもと、特に攻撃面で共通認識が設けられていない現実を前にして、日本代表は何をすべきなのか』、「森保一監督」に対しては、かねてから批判が多かったが、「攻撃面で共通認識が設けられていない」には心底驚かされた。
・『チュニジアに惨敗した理由 チームに「約束事がない」 ホームで喫した惨敗を介して、森保ジャパンの現在地があぶり出された。カタールワールドカップ開幕まであと5カ月という時間を考えれば、暗たんたる気持ちにさせられる。 14日のチュニジア代表戦で0‐3と完敗し、キリンカップ優勝を逃した直後のオンライン会見。三笘が残した言葉は衝撃的であり、同時に「やはりそうだったのか」と思わせるものだった。 「ボールを持ったときに、チームとしてどのようにして攻めるのかという意識の共有とバリエーションが不足している。そういった部分の組み立て、というものをやっていかないと」 後半途中から左サイドアタッカーとして投入され、何度も果敢な仕掛けを披露。パナソニックスタジアム吹田を沸かせたドリブラーはこう振り返りながら、さらにこんな言葉を紡いだ。 「今日のような流れになって相手のカウンター攻撃を受けて、というのはワールドカップで絶対にあってはならないこと。チームとして決まり事のようなものを持たないといけないと思っています」 三笘の言葉の中で気になったのは、言うまでもなく「チームとしての決まり事」の箇所だ。チームとしてこう攻めるという共通認識、すなわち約束事が森保ジャパンには存在しない。ゆえに個人の力量に頼る単発の形となり、相手も対策が立てやすくなる。三笘はさらにこう続けた。) 「選手同士のコミュニケーションで『こういうふうにしてほしい』と言っていますけど、チーム全員でそれを共有できているかというと、そうではないところが多いし、そこは必要かなと」 決して批判を展開しているわけではない。A代表デビューからわずか7試合目ながら大きなインパクトを残し続け、森保ジャパンにおける存在感を一気に増幅させている25歳は、攻撃陣の中心を担う自覚と責任を込めながら、現状に対する危機感を言葉へ転換し続けた。 年間を通して活動できるクラブチームほど緻密なものではないにせよ、攻守における約束事は代表チームにも必要不可欠だ。そして、それらをデザインするのはもちろん代表監督となる。船出からまもなく4年。森保監督が攻撃面で何も施さなかった跡が図らずも明らかになった。 大きな衝撃を与えたからか。オンライン会見の最後には約束事に関して、あらためて三笘へ質問が投げかけられた。ワールドカップ予選を戦ってきた今までは時間がなかったのか。チームとしての意識がそこへ向いていなかったのか。解決するためにはどうすればいのか、と。 「僕はアジア最終予選の途中から代表に入りましたけど、当時は本当に時間がなくて、コンディションを優先しないといけない、というのはありました。チームとして落とし込む時間がなかったわけではないけど、そこへ持っていけるような雰囲気はなかったですね」 三笘はA代表に初招集された昨年11月シリーズをこう振り返った。しかし、アジア最終予選の序盤でつまずき、7大会連続7度目のワールドカップ出場へ向けて一戦必勝だった時期とは異なり、今回の6月シリーズは計12回の練習を積めた。三笘は「それでも」とこう続けた。 「今回はけっこう時間もあって、みんなのコンディションもよかった。その中でコミュニケーションを取りながら、相手に対するチームとしての戦術というところで狙いはありましたけど、狙いの細かさといった部分は全然足りていない。ピッチ内での自分たちの対応力であるとか、そういったところにいってしまったところがあるので、いろいろな人たちで議論してやっていく必要があると思う」』、「攻守における約束事は代表チームにも必要不可欠だ。そして、それらをデザインするのはもちろん代表監督」、「船出からまもなく4年。森保監督が攻撃面で何も施さなかった跡が図らずも明らかになった」、何もしてこなかったとは酷い。
・『「勝っているチームはいじらない」 監督のこだわりには批判も 森保監督の采配に対して内部、すなわち選手から声が上がるのは今回が初めてではない。金メダル獲得を目標に掲げながら、4位に終わった昨夏の東京五輪直後。オーバーエイジとして参戦し、キャプテンを務めたDF吉田麻也は出演したテレビ番組でこう語っている。 「大会を通して言うと、6試合を戦っていく上で、できればローテーションしてほしかった、というのはありますね。最後の試合は僕もそうですけど、選手たちがかなり疲弊していたし、疲労からくる判断力や集中力の欠如というものがあったと思うんですよね」 グループリーグ初戦から銅メダルをかけた3位決定戦までの6試合を、森保監督に率いられたU‐24日本代表は全て中2日の過密スケジュールで戦った。吉田が言及した「ローテーション」とは、選手をある程度入れ替えながら戦っていく方法を指している。 東京五輪では吉田とともにオーバーエイジで参加したMF遠藤航、24歳以下の選手ではMF田中碧、GK谷晃生、攻撃陣をけん引した堂安律、久保建英の両MFが全6試合に先発した。 中2日では疲労やダメージが抜けにくく、日本特有の高温多湿の過酷な気候が追い打ちをかけた。久保の3試合連続ゴールなどで、グループリーグを3連勝で突破した日本は決勝トーナメントで失速。3試合で挙げたゴールは、メキシコとの3位決定戦で一矢を報いた三笘の1点だけだった。 先発メンバーを固定した戦いへの是非は、当然ながら森保監督の耳にも届く。非が占める割合が圧倒的に多かった中で、指揮官の反応は頑固とも、いい意味での鈍感ともいえるものだった。例えば東京五輪における選手起用を問われたときには、こんな言葉を返している。) 「世界の中で日本が勝ち上がろうとしたとき、先を見越して戦うことはまだできない」 実際には世界はおろか、東京五輪後の昨年9月に幕を開けた、カタールワールドカップ出場をかけたアジア最終予選を勝ち抜くのにも、一戦必勝態勢となった。チーム内に約束事が存在しない以上は、ある程度の意思の疎通が図れる、慣れ親しんだ顔ぶれで戦うしかなかったからだ。 必然的に森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう。 アジア最終予選で1勝2敗と黒星を先行させ、一敗も許されなくなった瀬戸際に追い込まれた森保監督はシステムを4-2-3-1から4-3-3へスイッチ。遠藤を除いた中盤の構成も変えた。 アジア最終予選の潮目を変えた決断は評価できる。迎えたオーストラリア代表との第4戦。試合終了間際のオウンゴールが決勝点となり、かろうじて土俵際で踏み止まった森保監督は、再び「勝っているチームはいじらない」なるサッカーの格言を愚直に実践し続けた。 けがで離脱した選手や累積警告による出場停止の選手を除いて、敵地で勝利したオーストラリアとの第9戦までシステムも先発する選手も基本的に同じ。その間に6連勝とV字回復を果たした森保ジャパンは、ワールドカップ出場権獲得という最初の目標をクリアした。 迎えた6月の強化試合シリーズ。いずれも日本国内で行われた4連戦で、吉田と遠藤は全てで先発に名を連ねた。本大会へ臨む代表メンバーを絞り込んでいく段階に入った中で、後半で交代した試合こそあったものの、2人は代役の利かない存在であり続けた。 しかし、最後を締めくくるチュニジア戦で、吉田は後半に喫した3失点全てに自らのミスで絡み、遠藤は攻撃時にパスが入った瞬間に標的とされ、幾度となくボールを失ってカウンターを受けた。試合後のオンライン会見。森保監督は吉田と遠藤の異変に気づいていたと明かした。) 「長いシーズンをヨーロッパで戦ってきた後の代表ウイーク4試合ということで、心身ともに疲労がかなりきていたのかなと思う。今後の対戦チームも同じような狙いを持って、われわれの意図するところをつぶしにくると考えられる中で、いいシミュレーションになったと思っています」 4試合が全て中3日で行われた6月シリーズを、森保監督は同じく中3日でドイツ、コスタリカ、スペイン各代表とグループリーグを戦うカタール大会のシミュレーションと位置付けていた。チュニジア戦で疲労が目立った吉田と遠藤を代えなかった指揮官は、さらにこう語っている。 「アタッキングサードのところで、どのようにして攻撃の形を作ってシュートまで持っていくのかを、さらに上げていかないといけない」 アタッキングサードとはピッチの全長を3分割した場合に、相手ゴールに一番近いエリアを指す。しかし、攻撃の形を作る上で森保監督が約束事を持ち合わせず、選手個々のテクニックや判断に丸投げされている実情が、三笘の言葉を介して図らずも明らかにされた』、「森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう」、「アタッキングサードとはピッチの全長を3分割した場合に、相手ゴールに一番近いエリアを指す。しかし、攻撃の形を作る上で森保監督が約束事を持ち合わせず、選手個々のテクニックや判断に丸投げされている実情が、三笘の言葉を介して図らずも明らかにされた」、よくぞこんな無能な「監督」を使い続けるものだ。
・『森保監督は何もしない? 選手たちはどうするべき? これまで何もしない、いや、できなかったのだから、これから「さらに上げていく」ための術もおそらく提示できない。森保監督は、21日の取材対応でも「さらに独力でいける選手になってほしい」と、三笘をはじめとする選手個々の成長に期待した。ならば、選手たちはどうするべきなのか。 6日のブラジル代表戦を終えた後に、35歳のベテラン、DF長友佑都は「最終的な部分で、個の力で勝てる確率を上げていかなければいけない」と課題を挙げた上でこう補足している。 「いろいろなところにサポートがいる状況での1対1ならば、相手を引きつけて剥がせる場面もあるんじゃないかと。もちろん一人一人がもっと突き詰めていく必要もあるけど、おとりになるランニングを含めた味方との連携で相手のマークのずれ、意識のずれを引き起こせると思っている」 6月シリーズでは右の伊東純也、そして左の三笘の両アタッカーが個の勝負を挑み続けた。日本の攻撃の生命線になると信じて周囲もボールを託した。ブラジルはさらに強力な個の力で2人を凌駕し、チュニジアは場合によっては複数の選手を対応させて伊東や三笘を封じ込めにきた。 ここで相手の選択肢を増やさせ、少しでも後手に回らせるコンビネーションを構築できれば、状況が変わる可能性も生まれる。森保監督が手段を講じられない以上は、選手が率先して動くしかない。そうしなければ手遅れになるギリギリのところまで日本は追い詰められている。 大きな変化を好まない、頑固で保守的な性格の持ち主である森保監督だが、攻撃の約束事を作ろうと試行錯誤する選手たちの自主性は尊重する。勝負師の側面こそ持ち合わせないが、優しさと謙虚さもあって選手たちから“いい人”と慕われる指揮官の数少ないプラス材料がここにある。 カタールワールドカップへ向けて、ヨーロッパ組を含めた陣容で活動できるのは9月の国際Aマッチデー期間の9日間と、あとは大会直前の数日間しかない。この時期に露呈した危機を克服できるかどうかは、ヨーロッパ組を中心とする選手たちのアイデアと経験値に委ねるしかなくなった』、「森保監督が手段を講じられない以上は、選手が率先して動くしかない。そうしなければ手遅れになるギリギリのところまで日本は追い詰められている」、「大きな変化を好まない、頑固で保守的な性格の持ち主である森保監督だが、攻撃の約束事を作ろうと試行錯誤する選手たちの自主性は尊重する。勝負師の側面こそ持ち合わせないが、優しさと謙虚さもあって選手たちから“いい人”と慕われる指揮官の数少ないプラス材料がここにある」、さて、今さら変えられないのかも知れないが、このままでは「ワールドカップ」本戦は、早目に敗退が決まることを覚悟した方がよさそうだ。
次に、7月6日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家・スポーツライターの小林信也氏による「文春砲炸裂のフェンシング合宿、「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを」を紹介しよう。
・『フェンシング日本代表合宿に“文春砲” 助成金の申請が見送りに フェンシング・エペ日本代表合宿が「当初の予定と異なるレジャー中心の合宿だった」と週刊文春に報じられ、他のメディアも追随してこれを非難した。 これに対し、日本フェンシング協会の武井壮会長が謝罪会見を開くものと推測されていた。だが、7月2日の理事会で協議した後、囲み取材に応じた武井会長は、「長期遠征の合間のリフレッシュ目的だったとして、合宿内容自体には『最初に抱いた印象とは違う。単なる遊びではなかった』と理解を示した」と報じられた(日刊スポーツ)。同紙によれば、「助成金203万2905円(15人分)の申請の見送りを決議したと報告。選手とコーチの家族計4人が同行していたことについては『不適切だった』と謝罪した」という。 私は「武井会長、謝らないで!」と思っていたので、一部謝罪はしたものの、合宿の意義や目的を協会の立場で堂々と肯定した今回の姿勢には拍手を送る』、どういうことだろうか。
・『合宿ではリフレッシュしてはいけないのか? 今回の問題の「本質」とは 選手とコーチが、合宿中にリフレッシュするためプールで過ごして何がいけないのか? 合宿に家族が同行したらいけないのか? プロ野球の春季キャンプは今も単身参加だが、メジャーリーグでは家族同伴が当たり前だ。30年以上前、メジャーのキャンプに行ったとき、練習が終わる頃、選手の妻と子どもが選手を迎えに来て、一緒に帰る姿に目を丸くした。けれど、考えてみれば、結婚している選手の家族を引き裂き、約1カ月も家族離散を強いる非人道的な日本の野球界こそおかしいと気付かされた。ところが、日本は今も変わっていない。 その思い込みが全てのスポーツに適用されている。「厳しい練習に打ち込む期間、家族は邪魔な存在で、ストイックにトレーニングしなければ罪だ」という思い込みが根強いから、今回の報道も多くの怒りを誘発したのではないだろうか。 もちろん、週刊文春が切り札としてにおわせているのはコーチと選手の不倫関係だが、そのことで今回の沖縄合宿全てが否定され、スポーツ界からまた自由が奪われていくのはとても残念だ。 武井会長は、「休養と調整が必要な状態だった。世界選手権に向けた最初の1週目としてはリフレッシュが必要。私自身、アスリートの経験としても分かるし、話をした選手からも『しっかり練習をしていた』と涙ながらに聞いた」「とはいえ、我々アスリート側の考えと国民の皆さまとの感覚にはギャップがあるのは事実」(日刊スポーツ)と語っている。 メディアや世間はここ数年、スポーツにおけるパワハラや支配的な指導体制をずっと批判し続けている。今回報道された「リラックスのための過ごし方」などは、パワハラ体質と対極の新しいムーブメントとして歓迎されるべきものではないか、と私は感じる。ところが、それ自体が批判されるのは、世間のほうに相変わらず古くさい考えが染みついているからではないだろうか。 恐らく、「強化費は国民の血税が投入されているのだ」というのが最大の怒り、批判の根拠だろう。しかし、強化とは猛練習だけではない。家族の理解があって、フレッシュな気持ちで取り組めてこそ成長があり、競技への集中ができる。15人で203万2905円、1人当たり13万5527円の税金投入。その間にプールでリフレッシュしたことを非道な行為とののしるほどに、日本人のスポーツへの理解は低いのかと思うと悲しくなる。パワハラを糾弾しながら柔軟な思考がないのは世間やメディアのほうではないか。 簡単な話、日本フェンシング協会が独自の財源を持っていれば、今回の合宿をこれほど非難されただろうか。チーム内の倫理の問題は別として、必要なレジャーであれ、家族同伴であれ、法律には違反しないし、部外者にとやかく言われる問題ではない。ところが今は国がスポンサーになっている。そのため、税金を払っている国民自身にもスポンサーだという思いがあるのか、散々な言われようになっている。 グランドスラム大会を目前に控えたテニス選手が、プールサイドで恋人にサンオイルを塗ってもらっていたら、それだけで「不謹慎だ」と怒るだろうか。 サッカー日本代表が、ワールドカップのときにどれだけ豪華なホテルに泊まり、日本からシェフを連れて臨んでも、そのことに批判は起こらない。なぜなら、それが必要だという理解とともに、その財源を日本サッカー協会自身が生み出していると了解しているからだろう』、「必要なレジャーであれ、家族同伴であれ、法律には違反しないし、部外者にとやかく言われる問題ではない。ところが今は国がスポンサーになっている。そのため、税金を払っている国民自身にもスポンサーだという思いがあるのか、散々な言われようになっている」、独自の財源ではなく、税金でやっている以上は、一定の制約は当然だと思う。
・『国民が気付くべき「スポーツ界の現実」 選手の“自由と独立”を応援することこそが重要 強化は難しい。大きな舞台で成果を出す、それは本当にスペシャリストの世界だ。大きな勝負を制するには、瞬時に変わる状況をかぎ分け、賭けにも等しい判断の繰り返しが必要だ。とても部外者に理解できるものではない。信頼して任せ、応援することしかサポーターにはできないことを、スポーツファン、そしてメディアが認識し、リスペクトすべきではないだろうか。道徳的な常識とは別のひらめきや大胆な感性がそこでは重要な役割を果たす。 日本国民に、この機会に気付いてほしい現実がある。 スポーツ界は、モスクワ五輪ボイコットの反省を生かし、政治からの独立を悲願として取り組んだ経緯がある。政府が決めたボイコットの方針に従わざるを得なかったのは、組織的にJOC(日本オリンピック委員会)が国の支配下にあり、遠征費や強化費も全て国の支援に依存していたからだ。そこで、スポーツ関係者の涙ぐましい努力の結果、JOCは1989年、日本体育協会(現・日本スポーツ協会)からの独立を果たした。これで、政府の束縛を受けず、スポーツ界は独自の判断で歩めるはずだった。 ところが、現実は厳しい。全ての競技が独立採算では活動できない。資金援助は不可欠だ。さまざまな現実や思惑が交錯する中、その後、スポーツ界は事実上、政府の支配下に戻ってしまった。 しかも、パワハラ問題に端を発したスポーツ団体の組織の見直しに乗じて、政府は規制や支配を強めている。ガバナンスの整備のため、日本スポーツ協会は全ての競技団体に公益法人化を求めている。これも結局、内閣府の管理下に置かれるという意味でも、「下部組織」としての色彩を強くする傾向につながっている。 スポーツの自治と自由が侵害されるなら、公益法人化などは受け入れない判断もあっていいはずだ。が、拒否すれば、助成金を受ける資格を失い、オリンピック種目から除外される心配もある。そうやって、スポーツ界は政治的に縛られているのだ。そういうスポーツの政治支配こそ、危険だと警戒しなければならない。 スポーツ界が、政府や上部団体から独立し、自主的に運営できる体制を確立することこそ重要だ。メディアがこの本質を見逃して、スキャンダルの発掘のため結果的に権力構造の強化に加担するような動きは滑稽だ。 武井会長には、当初の予定どおり助成金を申請してもらいたいくらいだ。 私たちの務めは、スポーツ選手の自由と独立を応援することではないか』、「公益法人化を求めている。これも結局、内閣府の管理下に置かれるという意味でも、「下部組織」としての色彩を強くする傾向につながっている」、「公益法人」になれば情報公開など透明化が求められるという重要なメリットがあるのを無視している。筆者はスポーツ記者だけあって、スポーツ団体には甘過ぎるようだ。「スポーツ界が、政府や上部団体から独立し、自主的に運営できる体制を確立することこそ重要だ」、こんな独立王国化には大反対だ。
タグ:スポーツ界 (その35)(サッカー日本代表が惨敗で危機露呈 選手の発言に見る「致命的欠陥」とは、文春砲炸裂のフェンシング合宿 「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを) ダイヤモンド・オンライン 藤江直人氏による「サッカー日本代表が惨敗で危機露呈、選手の発言に見る「致命的欠陥」とは」 「森保一監督」に対しては、かねてから批判が多かったが、「攻撃面で共通認識が設けられていない」には心底驚かされた。 「攻守における約束事は代表チームにも必要不可欠だ。そして、それらをデザインするのはもちろん代表監督」、「船出からまもなく4年。森保監督が攻撃面で何も施さなかった跡が図らずも明らかになった」、何もしてこなかったとは酷い。 「森保監督が選ぶメンバーは“いつメン”と呼ばれるようになった。いつものメンバーを揶揄(やゆ)したものだが、対策が練りやすい点で相手にとっては大歓迎だった。加えてFW大迫勇也やMF柴崎岳ら、固定されてきた主力が調子を崩せば、その分だけチーム力も低下してしまう」、「アタッキングサードとはピッチの全長を3分割した場合に、相手ゴールに一番近いエリアを指す。しかし、攻撃の形を作る上で森保監督が約束事を持ち合わせず、選手個々のテクニックや判断に丸投げされている実情が、三笘の言葉を介して図らずも明らかにされた」、よくぞ 「森保監督が手段を講じられない以上は、選手が率先して動くしかない。そうしなければ手遅れになるギリギリのところまで日本は追い詰められている」、「大きな変化を好まない、頑固で保守的な性格の持ち主である森保監督だが、攻撃の約束事を作ろうと試行錯誤する選手たちの自主性は尊重する。勝負師の側面こそ持ち合わせないが、優しさと謙虚さもあって選手たちから“いい人”と慕われる指揮官の数少ないプラス材料がここにある」、さて、今さら変えられないのかも知れないが、このままでは「ワールドカップ」本戦は、早目に敗退が決まることを覚悟 小林信也氏による「文春砲炸裂のフェンシング合宿、「筋違い批判」に反論の武井壮会長にエールを」 どういうことだろうか。 「必要なレジャーであれ、家族同伴であれ、法律には違反しないし、部外者にとやかく言われる問題ではない。ところが今は国がスポンサーになっている。そのため、税金を払っている国民自身にもスポンサーだという思いがあるのか、散々な言われようになっている」、独自の財源ではなく、税金でやっている以上は、一定の制約は当然だと思う。 「公益法人化を求めている。これも結局、内閣府の管理下に置かれるという意味でも、「下部組織」としての色彩を強くする傾向につながっている」、「公益法人」になれば情報公開など透明化が求められるという重要なメリットがあるのを無視している。筆者はスポーツ記者だけあって、スポーツ団体には甘過ぎるようだ。「スポーツ界が、政府や上部団体から独立し、自主的に運営できる体制を確立することこそ重要だ」、こんな独立王国化には大反対だ。
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