安全保障(その12)(いま「経済安全保障」が 驚くほど「バブル化」している理由 経産官僚たちの思惑、岸田政権が進める「経済安全保障」 その「危うさ」を考える 監視社会に繋がらないか、なぜ「防衛庁のミサイル研究データ」は北朝鮮側に渡ったのか…元国家安全保障局長が解説する"流出経路" 委託先 再委託先の把握が不足していた) [外交・防衛]
安全保障については、4月20日に取上げた。今日は、(その12)(いま「経済安全保障」が 驚くほど「バブル化」している理由 経産官僚たちの思惑、岸田政権が進める「経済安全保障」 その「危うさ」を考える 監視社会に繋がらないか、なぜ「防衛庁のミサイル研究データ」は北朝鮮側に渡ったのか…元国家安全保障局長が解説する"流出経路" 委託先 再委託先の把握が不足していた)である。
先ずは、5月4日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの川邊 克朗氏による「いま「経済安全保障」が、驚くほど「バブル化」している理由 経産官僚たちの思惑」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95001?imp=0
・『経済安保バブル 岸田内閣のもとで、経済安保政策が「バブル化」している。 岸田内閣が今国会で重要法案に掲げていた経済安全保障推進法案が4月7日、呆気なく衆院を通過してしまった。当初は「対決法案」と豪語し、立法に反対していた立憲民主党をはじめとする野党の議員が、こぞって、ロシアのウクライナ侵攻であらわになった「戦争リアリティ」に及び腰になり、法案反対どころか賛成に回ったからである。 もとはと言えば、この経済安全保障政策、安倍晋三政権時代に、今井尚哉首相秘書官ら経済産業官僚が主導したものだった。今井秘書官ら経産官僚は、外交・安全保障政策の司令塔である国家安全保障局(NSS)のトップに警察庁出身の北村滋内閣情報官が就いたことを利用し、米国の「中国脅威論」を引き合いに、経済安保政策を持ち出したのだった。 そして「首相官邸支配」の雰囲気のなか、「力の省庁」である防衛省、警察庁までもが、「バスに乗り遅れるな」と、「経済安保」担当セクション創設モードに前のめりとなった。その省益、利権確保の主戦場となったのが、今年度予算である。そこでは、経済安保推進法成立より一足早く、900億円超の経済安保関連予算が積み上げられ、「バブル化」が明らかになった。 この間、安倍後継の菅義偉内閣から岸田内閣へ政権が移行した。それにともなって、安全保障政策の「メインストリーム」を自負する外務省が、秋葉剛男事務次官によるNSS局長ポストを奪還し、首相官邸から経産官僚の影響力が排除されると、「オルタナティブ」である「経済安保」熱も冷めるかに見えた。 ところが、「商工族のドン」として経産官僚の後ろ盾となってきた甘利明元TPP担当相が、岸田内閣誕生の論功行賞人事で、二階俊博幹事長に取って代わると、経済安全保障政策の法案化は一気に加速した。同時にそれは、「本当にこれが国家安全保障政策の一環である経済安保政策なのか」と疑いたくなるようなものへと変質していったのである。) 法案は、具体的には、(1)重要物資のサプライチェーン(供給網)強化、(2)基幹インフラの安全性確保、(3)先端技術の育成・支援、(4)特許非公開の仕組み、を目指すというものだが、法律の運用は、国会審議も経ずに、政府が後日「政令」「省令」などで決めるというもので、その数は138項目に及んでいる。 要は、「『安全保障政治』と呼ばれる、私人、私企業、特定の圧力団体の利益の、『国家安全保障』の衣をまとったカモフラージュ現象」(船橋洋一『経済安全保障論 地球経済時代のパワー・エコノミックス』東経選書)という代物である』、「経済安保バブル」とは興味深そうだ。「当初は「対決法案」と豪語し、立法に反対していた立憲民主党をはじめとする野党の議員が、こぞって、ロシアのウクライナ侵攻であらわになった「戦争リアリティ」に及び腰になり、法案反対どころか賛成に回った」、野党も情けない。「甘利明元TPP担当相が、岸田内閣誕生の論功行賞人事で、二階俊博幹事長に取って代わると、経済安全保障政策の法案化は一気に加速」、「甘利」氏にそんな政治力があったとは意外だ。
・『甘利氏の存在感 経済安保法制のウラには、甘利氏の影響力が見え隠れする。 じつは岸田政権の経済安保戦略は、自民党内で甘利氏が座長として主導した「新国際秩序創造戦略本部」がすでに準備してきたものである。法案自体も、同本部が2020年12月に行った「提言」を上書きしたものに他ならない。 そして今年1月の施政方針演説で、経済安保は「外交・安保」の枠組みではなく、「成長と分配の好循環」を謳った「新しい資本主義」構想の文脈の中で語られるだけであった。とりわけ、コロナ危機のなかで露呈した、あまりにも海外に依存した情報技術(IT)のサプライチェーン・リスクの大きさに、今や「産業のコメ」となった半導体問題が、国産半導体計画へのテコ入れや工場建設等として、経済安保を絡めた政策へ拡大解釈されていった。 振り返れば甘利氏は、昨年10月の衆院選小選挙区で落選(比例区復活)し、幹事長職は退いたものの、その影響力はつづいている。選挙後の同年11月の改造内閣には、先述の自民党「新国際秩序想像戦略本部」でそれぞれ幹事長、事務局長として甘利座長を支えた山際大志郎氏が経済再生担当相(再任)、小林鷹之氏が新設の経済安全保障相、兼科学技術政策・宇宙政策担当相を配置し、経済安保シフトが敷かれた。しかも甘利氏と岸田首相の蜜月はその後も続いており、甘利氏が依然経済安保の「陰の主役」であるという』、「岸田政権の経済安保戦略は、自民党内で甘利氏が座長として主導した「新国際秩序創造戦略本部」がすでに準備してきたものである。法案自体も、同本部が2020年12月に行った「提言」を上書きしたものに他ならない」、「甘利」氏に政治力があったというより、ヒマな時に準備してきたものが、実ったという面もあったようだ。ただ、「甘利氏と岸田首相の蜜月はその後も続いており、甘利氏が依然経済安保の「陰の主役」であるという」、なるほど。
・『経産官僚の動き 経産官僚の動きも注目に値する。 岸田首相官邸では、藤井敏彦内閣官房経済安保法制準備室室長が経済安保を差配するはずだった。しかし藤井氏は、国会への法案提出直前に、無届兼業と朝日新聞の女性記者との不倫問題などのスキャンダルで失脚した。藤井氏は、安倍首相秘書官だった今井氏らが、国家安全保障局に新たに立ち上げた経済班のリーダーとして、古巣の経産省の藤井氏を据え、官邸に経産省の新たな「拠点」とする野心があったようだ。 本来なら首相外交から安全保障政策まで取り仕切りたい外務官僚にとって、「経済安保バブル」は迷惑な話だったはずだが、こうした「失脚」騒動もあり、岸田首相が政務秘書官に抜擢した嶋田隆経産事務次官の前に目下のところ出番はなく、また安倍政権時代の「政高党低」から「政と党のバランス」へと是正され、さしあたっては事なきを得ているようだ。 しかし、今後そうしたバランスが崩れないとも限らない』、「本来なら首相外交から安全保障政策まで取り仕切りたい外務官僚にとって、「経済安保バブル」は迷惑な話だったはず」、さもありなんだ。
・『保守政治の伝統 そもそも経済安保と経産官僚・商工族議員の関係はどのようなものなのだろうか。 かつて戦後日本の経済的繁栄を支えてきた貿易・投資のルール(自由貿易)とパワーポリティクスが形成する国際秩序が崩壊過程に入り、日本が経済において最も深く相互依存している米国、中国の両国の構造的対立は、すでに一部では「冷戦(a cold war)」の局面に入ったとも言われる。 自国ファーストを打ち出し、「力による平和」を強行しようとしたトランプ前米大統領時代以降、日本もTPPを離脱した米国に歩み寄り、インド太平洋地域での中国進出を食い止めるために、日米の協力関係は、「経済」においても一歩踏み出していたのである。 先の自民党「提言」を待つまでもなく、平和的方法としての「国際協調」を後景に追いやり、国民への説明を後回しにして、米国に追随して「同盟国」「同志国」との連携に舵を切ったということのようだ。 そしてそれが、この国の保守政治が脈々と受け継いできた、政治の統治技術であり、その担い手が今回、「通商国家」再生に生き残りに賭ける経産官僚、新商工族議員の面々だったようだ』、「平和的方法としての「国際協調」を後景に追いやり、国民への説明を後回しにして、米国に追随して「同盟国」「同志国」との連携に舵を切ったということのようだ。 そしてそれが、この国の保守政治が脈々と受け継いできた、政治の統治技術であり、その担い手が今回、「通商国家」再生に生き残りに賭ける経産官僚、新商工族議員の面々だったようだ」、なるほど。
・『経産省の来歴 こうした経産官僚や新商工族議員の存在の背景には、長い歴史がある。 1960年代、経産省の前身である通商産業省は、敗戦国・日本を奇跡的な高度経済成長で復活させたとの世界的な評価を得た。1970年代には、二度にわたる石油危機で、霞が関における通産省の地盤地下が始まったが、原子力エネルギー、通信・放送、IT等の科学技術の分野に活路を見出してきた。 しかし、「失われた30年」による国内産業の空洞化と福島原発事故による「原発ムラ」崩壊などを受けて、「経産省解体論」が再燃していた。最近では「霞が関のすき間産業」とも揶揄される、教育、医療、交通・観光等のデジタル分野にも触手を伸ばす。 経産官僚、商工族議員たちの人脈も興味深い。 先述の藤井氏が無届で兼業をしていた「バイト先」である「不識塾」という勉強会は、経営幹部向けのリベラルアーツ研修が売りだった。主宰の中谷巌代表は、1990年代、大阪大や一橋大といった国立大学を拠点に、グローバル資本主義を唱え、時の政権の経済ブレーンとして構造改革路線を主導した。しかし2008年に新自由主義からの転向を表明、以後ビジネスとしての経済への志向を強め、私立の多摩大学では学長までも務めるという異色の経歴を持つ。) その多摩大学に2016年に設置された「ルール形成戦略研究所」という研究開発機構に、顧問やシニアフェロー、客員教授といった肩書きで招聘されていたのが、甘利氏であり、藤井氏であった。逆に、多摩大の同研究所からは、政府や自民党の会合にスタッフが動員され、一連の経済安保戦略つくりに参画しており、「政・官」と「学」の、人脈はお互い共鳴し合ってきた。 またやや余談めくが、同研究所は米国系コンサルタント企業のような色彩が強いと言われてきただけに、中国企業の排除を念頭に、日米間のこれまでの貿易摩擦や防衛装備調達をめぐる衝突などと同様、経済安保も、米国に日本市場を開放していくことに収斂するのではとの懸念が政府内から早くも出ている。ちなみに国家安全保障局で経済安保を先取りした北村氏も、局長辞職後はコンサルト業を起業している。 これらが、経済安保がバブル化している背景と言えるが、では、経済安保にはどのような危うさがあるのだろうか。【後編】「岸田政権が進める「経済安全保障」、その「危うさ」を考える」で詳しく見ていこう』、「中谷巌」氏が「学長」を務める「多摩大学」の「「ルール形成戦略研究所」という研究開発機構に、顧問やシニアフェロー、客員教授といった肩書きで招聘されていたのが、甘利氏であり、藤井氏であった」、【後編】を見てみよう。
次に、この続きを、5月4日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの川邊 克朗氏による「岸田政権が進める「経済安全保障」、その「危うさ」を考える 監視社会に繋がらないか」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95003?imp=0
・『私が、「経済安全保障」に関心を持ったのは、TBSに入社して間もない1978年に、当時朝日新聞記者だった船橋洋一氏が米国ハーバード大学に提出した論文を基にした著作を読んでからのことであった。 1970年代に国際社会の経済相互依存が強まり、冷戦イデオロギーに代わるヘゲモニー論として注目を浴びた。2010年代になって、米中テクノ覇権戦争にともう知的財産の流出や、国家に退場を迫るグローバル資本主義の巨大IT企業によるデータ独占、さらにサイバー戦争時代の到来等々が話題となり、国家の安全保障も、外交・軍事から経済インテリジェンスへの路線転換が避けて通れなくなった。 日本も、安倍長期政権の下、「選択と集中」で経済成長路線の演出を担ってきた経産官僚が、経済安保戦略に新たな省益を夢想したのも「故なし」というわけではなかったのかもしれない』、「経済安全保障」には長年関心を持っていた「筆者」の見方を詳しく知りたいものだ。
・『保守政治の二つの潮流 戦後の保守政治には、経済成長を巡って、二つの流れがあったという。 「自由な市場経済の下での自助努力」を重んじ、「積極的成長」つまり「消費」の拡大を目指す系譜と、「計画性のある自立経済」を確立し、「安定成長」つまり「生産」を重んじるという系譜である。前者が、吉田茂-池田勇人のハト派の「宏池会」であり、後者が岸信介-福田赳夫のタカ派の「清和会」の流れであった(『評伝 福田赳夫 戦後日本の繁栄と安定を求めて』五百旗頭真編、岩波書店)。 しかし戦後80年にならんとする今、曖昧模糊とした「新しい資本主義」と言い出した宏池会の岸田と、アベノミクスという放漫な自由経済を信奉した清和会の安倍、両氏の立ち位置は完全に入れ替わってしまった。 これは、冷戦崩壊から「ポスト冷戦」後に至る過程で、「ハト派」と「タカ派」がボーダーレス化し、同時に経済面で中ソ等の共産主義国も資本主義体制に移行したため、国家運営の座標軸を見失ってしまったからだろう。この経済成長を巡る保守政治内での倒錯が、安全保障政治に「経済安保」が徘徊する余地を与えることになった』、「曖昧模糊とした「新しい資本主義」と言い出した宏池会の岸田と、アベノミクスという放漫な自由経済を信奉した清和会の安倍、両氏の立ち位置は完全に入れ替わってしまった。 これは、冷戦崩壊から「ポスト冷戦」後に至る過程で、「ハト派」と「タカ派」がボーダーレス化し、同時に経済面で中ソ等の共産主義国も資本主義体制に移行したため、国家運営の座標軸を見失ってしまったからだろう。この経済成長を巡る保守政治内での倒錯が、安全保障政治に「経済安保」が徘徊する余地を与えることになった」、「宏池会の岸田と、アベノミクスという放漫な自由経済を信奉した清和会の安倍、両氏の立ち位置は完全に入れ替わってしまった」、「この経済成長を巡る保守政治内での倒錯が、安全保障政治に「経済安保」が徘徊する余地を与えることになった」、大変、興味深い見解だ。
・『経済安保の危うさ では、経済安保には、どのような危うさがあるのだろうか。 経産官僚による、一連の経済安保戦略の手段として、国際的なサプライチェーンに関する二つの概念が注目を浴びた。 その一つは、「戦略的不可欠性」である。 先端科学・技術を振興し、他国の追随を許さない産業分野を開拓し、政治的にも国際社会での優位性を打ち立てるというものだ。アカデミズムから民間企業まで、研究機関などを動員した国家システムの構築に主眼を置く。 しかしそれは、「軍産」とか「産学」とか、とかく批判を浴びてきたスキームに直結するものではなく、2004年の国立大学の独立法人化に続き、甘利氏が展開してきた大学資源や知的インフラの活用、大学ファンドなどによる付加価値を創造する「知識産業体」へのイノベーション構想をイメージしているようだ。 戦前、商工省の岸信介、椎名悦三郎ら「革新官僚」は、軍部と一線を画し、官民一体となって、中央集権的な指令型の経済計画を市場型に転換し、計画的な自由経済の創出という「満州国」モデルを打ち立てた。戦略的不可欠性には、そうしたモデルを彷彿とさせるものがあるが、岸氏らの成功体験も、本土帰国後は、図らずも軍部や翼賛政治家らによって軍国主義が貫徹した「国家総動員」体制へ組み込まれていった。 それだけに、政・官の、民への関与・統制は、研究を単なる軍事研究に転用するために動員システムに変質するおそれがある。現在の経済界の「寡黙な抵抗」も当然の成り行きと言えるだろう。 戦略のもう一つの柱が、「戦略的自律性」である。 日本の経済社会活動の維持に不可欠な基幹インフラの強靭化と、そのデータの保全によって、他国、とりわけ「安全保障上の懸念がある国」への過度の依存を排除するというものである。外には基礎科学研究・技術開発の情報漏洩を徹底して阻止し、内には研究者のみならず、研究環境にまで政府の徹底した監視システムを発動するというものだ』、「政・官の、民への関与・統制は、研究を単なる軍事研究に転用するために動員システムに変質するおそれがある。現在の経済界の「寡黙な抵抗」も当然の成り行きと言えるだろう」、確かに「経済界」は沈黙を守っているようだ。「内には研究者のみならず、研究環境にまで政府の徹底した監視システムを発動する」、恐ろしいことだ。
・『警察の権力拡大 こうした米国追随の流れのなか、「経済安保バブル」に素早い反応を見せたのが日本警察、とりわけその中核を担う外事警察である。大都市圏を抱える各警察本部は、専従班を発足させ、「オレオレ詐欺」防止キャンペーンや交通安全運動紛いに、民間企業や大学を対象に、先端技術の海外流出防止策や海外研究者らとの交際術などに関するコンサルティングを買って出ているのである。 1981年の商法改正のときのことが蘇る。この改正は、一部の暴力団が転身した総会屋への利益供与を禁止するというものだったが、汚職や企業犯罪の摘発だけでなく、予防という名目で企業個々への監視とその過程で、企業情報の組織的収集が可能となった。しかも今回の場合は、公安警察機能の拡大に道を開くことが可能になる。 「学問の自由」や「大学の自治」の名の下に、戦後一貫して聖域化されてきた「アカデミア」に警察が公然と足を踏み入れることも容易になりそうだ。その意味では、政府方針に異を唱える人文・社会科学系学者6人の会員任命が拒否された、安倍・菅内閣以来漂流を続けている「日本学術会議問題」は、その助走に過ぎなかったのかもしれない』、「公安警察機能の拡大に道を開くことが可能になる。 「学問の自由」や「大学の自治」の名の下に、戦後一貫して聖域化されてきた「アカデミア」に警察が公然と足を踏み入れることも容易になりそうだ」、「警察権力」にとっては、地位向上の好機のようだ。
・『「ココム」の再現? 冷戦構造の崩壊後の外事警察は、民族・宗教という新たなキー・プレイヤーの出現で、アルカイーダなどのイスラム過激派組織や北朝鮮に翻弄されるが、その後の米中の「経済スパイ戦争」時代を迎え、冷戦型の諜報手法に回帰しそうだ。 かつて外事警察は、共産圏への戦略物資・技術移転を禁止する、対共産圏輸出委員会(ココム)違反事件として、さまざまな主体を摘発してきた。今回は、当時の「共産圏」を「安全保障上懸念がある国」に言い換える、ということだろう。 またココムが毎年改定していた、規制対象となる「ココムリスト」も、所管が経産省から防衛省に移管されたとしても、その運用は外事警察の裁量に委ねられ、さらに特定秘密保護や共謀罪法といった新たな治安立法も駆使するとなると、政・官の民への強権化は必然である。 むしろ、時代が要請している「経済安全保障」は、サイバー・セキュリティが本筋である。技術革新により、サイバー・宇宙・電磁波等々、安全保障の戦域は拡大し、サイバー空間一つとってみても、国際犯罪組織や国家ぐるみのサイバー部隊によって、日本企業は狙い撃ちにされているのが実態である。しかもITインフラの破壊やデータ流出などの被害実態は不明と言うから、何をか況や。 折しもこの4月、警察庁はサイバー局を新設し、独自に広域捜査を行うFBI(連邦捜査局)方式の「サイバー隊」を発足させたが、能力不足は歪めない。 「経済安保バブル」は、中国による南シナ海や東シナ海での領土的膨張や、ロシアによるクリミア併合に始まる現在進行形のウクライナ侵略を受けて、「地政学」ブーム再来と軌を一にしている。第二次世界大戦後も、さまざまな国家間の戦闘は、朝鮮半島、東南アジア、中近東、アフリカ、中南米、中央アジアと、「戦場」を次々に移して、今振り出しのヨーロッパに戻ってきた。) そしてそこで可視化されたのは、「軍事力」「情報力」「外交力」の、安全保障の三つの要諦の現実である。日本はと言えば、うわべだけの「平和主義」といっときだけの「人道主義」に酔いしれている。かと思えば、トップリーダーたちは、無邪気に「核シェア」論や「敵基地先制攻撃」を振りかざし、“国防キッズ”は防衛費増額論を唱導する。 こうした「自衛隊活用論」という「軍事力」の前では、「経済安全保障」は陳腐であり、もはや経済安保バブルは弾けてしまっているのではと錯覚してしまう程である。そして次なる「戦場」が、北東アジアになるとすれば、“ハト派”の岸田首相の謳う「新時代リアリズム外交」は、「平和」にどこまで有効なのだろうか。 国家安全保障政策は、国民の安全と平和を守るために、戦争回避、そのための事前の策が全てである。何よりもまず「外交力」、自立した外交戦略の構想と、冷徹で強かな外交戦術の発想が緊喫の課題である。「平和のハト」は自分でつかむものである。それが、「ウクライナ」の歴史的教訓でもある』、「またココムが毎年改定していた、規制対象となる「ココムリスト」も、所管が経産省から防衛省に移管されたとしても、その運用は外事警察の裁量に委ねられ、さらに特定秘密保護や共謀罪法といった新たな治安立法も駆使するとなると、政・官の民への強権化は必然である」、「むしろ、時代が要請している「経済安全保障」は、サイバー・セキュリティが本筋である」、「この4月、警察庁はサイバー局を新設し、独自に広域捜査を行うFBI(連邦捜査局)方式の「サイバー隊」を発足させたが、能力不足は歪めない」、「トップリーダーたちは、無邪気に「核シェア」論や「敵基地先制攻撃」を振りかざし、“国防キッズ”は防衛費増額論を唱導する。 こうした「自衛隊活用論」という「軍事力」の前では、「経済安全保障」は陳腐であり、もはや経済安保バブルは弾けてしまっているのではと錯覚してしまう程である」、「国家安全保障政策は、国民の安全と平和を守るために、戦争回避、そのための事前の策が全てである。何よりもまず「外交力」、自立した外交戦略の構想と、冷徹で強かな外交戦術の発想が緊喫の課題である。「平和のハト」は自分でつかむものである。それが、「ウクライナ」の歴史的教訓でもある」、その通りだ。
第三に、5月31日付けPRESIDENT Onlineが掲載した前国家安全保障局長の北村 滋氏による「なぜ「防衛庁のミサイル研究データ」は北朝鮮側に渡ったのか…元国家安全保障局長が解説する"流出経路" 委託先、再委託先の把握が不足していた」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/57672
・『2005年、防衛庁(当時)から、ミサイルの研究データが北朝鮮側に流出していたことが判明した。なぜ流出してしまったのか。元国家安全保障局長の北村滋さんは「業務の委託先、再委託先をしっかり把握することが、経済安全保障上は極めて重要だ」と指摘する――。 ※本稿は、北村滋、大藪剛史(聞き手・構成)『経済安全保障 異形の大国、中国を直視せよ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。なお、質疑応答形式でQは質問、Aは回答。
・『ミサイルの研究データが北朝鮮側に流出していた Q:北朝鮮に絡む情報流出はあったのか。 A:2005年、防衛庁(現・防衛省)から、ミサイルの研究データが北朝鮮側に流出していたことが判明した。 防衛庁は当時、配備を予定していた「03式中距離地対空誘導弾システム」(中SAM)の研究をしていたが、このデータの一部が流出した。 Q:中SAMとは。 A:「地対空」は地上から発射し、対空、つまり空から近づいてくる相手戦闘機などを狙うミサイルのことだ。地対空を意味する英語Surface-to-Air Missileを略したのがSAM。「中」は中距離の略だ。中SAMは「ちゅうさむ」と読む。陸上自衛隊が保有するミサイルだ。 Q:どのような情報が流出したのか。 A:さきほど、「空から近づいてくる相手戦闘機などを狙う」と説明したが、敵が撃ち込んできた他の飛翔体を迎撃することも視野にあったのかもしれない。それに関する説明資料が流出していた。資料の表紙には「平成七年(1995年)四月二十日」と作成日が書かれていた。資料には、中SAMが対象を迎え撃つべき高度や距離、範囲などに関するデータが記載されていた。他国から攻撃された時に自衛隊がどう対処するかという手の内を北朝鮮にさらしてしまったことになる』、「中SAMが対象を迎え撃つべき高度や距離、範囲などに関するデータが記載」、「他国から攻撃された時に自衛隊がどう対処するかという手の内を北朝鮮にさらしてしまったことになる」、情けない限りだ。
・『委託先、再委託先の把握は経済安全保障において極めて重要 Q:どういう経路で流出したのか。 防衛庁は1993~95年、研究開発を三菱電機に委託した。三菱電機は研究に関する社内報告書の作成を三菱総合研究所に委託していた。三菱総研はさらに、「在日本朝鮮人総聯合会」(朝鮮総聯。「主体チュチェ思想」を指導的指針とする在日朝鮮人が組織する民族団体)の傘下団体「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)の幹部だった男性が社長を務める東京・豊島区のソフトウエア会社に、報告書作成関連業務の一部を委託していた。 別の事件が端緒だった。警視庁が2005年10月、薬事法違反容疑で男性の関係先としてこのソフトウエア会社を捜索したところ、資料が見つかった。防衛庁が三菱電機に委託していた中SAMの研究試作に関する報告書にある図表数点と同一だった。図表には、三菱総研のロゴが入っていた。自衛隊法上、機密レベルとしてはかなり高いものだった。 防衛庁は06年1月、情報流出の事実を発表した。男性の会社に業務の一部が委託されていたことは知らなかったという。委託先、再委託先をしっかり把握することが経済安全保障上は極めて重要だ』、「三菱総研」が北朝鮮系の朝鮮人が経営する「豊島区のソフトウエア会社に、報告書作成関連業務の一部を委託」、したことで漏洩したようだ。わざわざ北朝鮮系の朝鮮人が経営する会社に委託するとは信じ難い話だ。
・『設計図流出自体は立件できなかった Q:設計図流出自体は立件できなかったのか。 A:できなかった。設計図そのものに機密度の高い事項が記載されていなかったからだ。今回の件に限らず、機密度が高い情報は書類に書かず、空白にしておくことが多い。情報保全のためだ。捜査上は、「機微な性能データまでは流出しなかった」という判断になってしまった。 このころは朝鮮総聯と、北朝鮮の金正日一族との関係が現在よりも緊密だった。北朝鮮の貨客船・万景峰マンギョンボン号がまだ定期的に新潟西港(新潟市)に入っていた時期だったから。私は警察庁外事課長の時、万景峰号が入ってくるのを新潟までよく見に行っていた。 その後、北朝鮮への制裁に基づいて、万景峰号は入港できなくなった。これで北朝鮮と朝鮮総聯との人、物資の行き来の大きなパイプが切断されたことになる。それに伴い、朝鮮総聯の北朝鮮本国における発言力も低下しているようだ。 私は内閣情報官だった16年から17年にかけて、北朝鮮が頻繁に弾道ミサイルを発射するという危機を経験した。深夜や未明に官邸に駆けつけるたびに、「流出した中SAMの情報が、日本に飛んでいるミサイルに役立ったのかも知れない」などと思ったものだ』、責任感溢れた感想だ。
・『核開発に使用できる測定機を輸出したミツトヨ事件 Q:2006年には、大手精密測定機器メーカー「ミツトヨ」(川崎市高津区)が、核兵器製造にも使用できる「三次元測定機」を海外に輸出していた事件もあった。 A:三次元測定機とは、文字通り、立体の物を三次元で測るものだ。測る物を測定機の台に置くと、高さ、幅などだけでなく、曲面や輪郭といった形状を測れる。 核開発のためにウランを濃縮するには遠心分離器という機械が必要になるが、これが高速回転できるかどうかを調べるため、円筒のゆがみなどを測定するのに三次元測定機は使われる。遠心分離器の保守管理には不可欠だ。計測誤差が小さいことが求められており、一定水準を上回る高性能の機種は輸出が規制されている。 警視庁は、2006年2月、外為法違反(無許可輸出)の疑いで、ミツトヨの本社や宇都宮市の工場などを捜索した。01年に三次元測定機と、測定機を作動させるソフトウエアを1セットずつ、経産大臣の許可を受けないで中国とタイにある日本企業の現地法人に輸出した疑いだった。現地にそれぞれ、測定機の操作方法を指導する技術者を派遣してもいた。外為法は、軍事転用可能な精密機器の無許可輸出だけでなく、技術指導も禁じている』、「日本企業の現地法人」からさらに輸出されたのだろうか。
・『「核の闇市場」を通じてリビアに運び込まれたようだ 警視庁は、06年8月、ミツトヨの社長、副会長、常務ら5人を外為法違反(無許可輸出)容疑で逮捕した。01年10月と11月、経産大臣の許可を受けないまま、測定機を1台ずつ、約470万円で、東京港からシンガポール経由でマレーシアのミツトヨ現地法人に輸出した疑いだった。うち1台は、国際原子力機関(IAEA)が03年12月~04年1月にリビアに核査察に入った際、核関連研究施設で発見されている。「核の闇市場」を通じて運び込まれたのだろう。 Q:測定機はどういう経緯でリビアに運び込まれたのか。 A:日本のミツトヨ↓シンガポールにあるミツトヨの現地法人↓マレーシアにあるミツトヨの現地法人↓マレーシアの精密機器メーカー「スコミ・プレシジョン・エンジニアリング」↓ドバイ↓リビア というルートだったようだ。 Q:スコミ社とは。 A:パキスタンの「核開発の父」と呼ばれたパキスタン人の核開発研究者アブドル・カディル・カーン博士が、側近に指示して設立した企業といわれる。カーン博士は、インド中部で生まれ、その後、パキスタンに移住した。欧州の核関連施設で働き、ウラン濃縮用の遠心分離器技術を盗み出したとされる人物だ。帰国後はパキスタンの核開発を中心的に担い、核実験を成功させた。「核の闇市場」と呼ばれる世界的なネットワークを作り、北朝鮮とイラン、リビアに核関連技術を提供した。イランと北朝鮮は獲得した技術を生かし、現在も核開発を進めている』、「うち1台は、国際原子力機関(IAEA)が03年12月~04年1月にリビアに核査察に入った際、核関連研究施設で発見されている」、他にもリビア以外で使われているのだろう。
・『ミツトヨの業績は90年代初めから悪化していた ミツトヨの測定機がスコミ社に納品されたのは02年1月だった。スコミ社は当時、「リビアから発注を受けた」と説明していた。「測定機の操作方法はミツトヨの技術者に教わった」「その様子を撮影したビデオをスコミ社がリビアに持ち込み、リビア側に操作方法を教えた」とも認めていた。ミツトヨの測定機がリビアの核開発に役立っていたことを証明している。 スコミ社からドバイ、ドバイからリビアへの海上輸送に使われた貨物船は、イラン船籍だった。一連の動きに関わっている勢力が、イランにもいたのだろう。 Q:ミツトヨはイランと関係があるのか。 A:ミツトヨは、1989年から5年間にわたり、毎年1台ずつ、測定機などをイランに輸出していた。イランの軍事機関である革命防衛隊や国防軍需省、核開発関連企業が輸出の相手先だった。 Q:イランに輸出するきっかけは。 A:イラン出身で日本に帰化した男性が経営する東京都渋谷区の商社が輸出をミツトヨに提案していた。この商社は、対戦車ロケット砲の照準器に使われる目盛り板を埼玉県の光学機器メーカーがイランに無許可輸出した外為法違反事件で、00年1月に警視庁に捜索されている。イランが日本企業から軍事物資や精密機器類を調達する際の窓口だったのだろう。 そもそも、ミツトヨは、バブル崩壊のあおりを受けて90年代初めから、業績が急速に悪化していた。有望な輸出先を探していたのだろう』、「業績が急速に悪化」、していたのであれば、何とかしたくなるのだろう。
・『「このままでは何も輸出できなくなる。何とかしろ」 そうしたさ中、イランに輸出を続けていたミツトヨに転機が訪れる。 92年7月、ミツトヨは、イラン企業に三次元測定機を輸出しようと、当時の通商産業省(現・経済産業省)に届け出た。ところが、通産省は93年6月、測定機は核兵器製造にも使えるとの理由で、外為法に基づき、輸出を許可しなかった。92年末の外為法関連政令改正で、輸出規制対象製品が18種類から、精密測定機器を含む51種類に拡大されていた。93年以降、大量破壊兵器の開発疑惑の強いイラン、イラク、リビア、北朝鮮の「懸念国」4カ国への輸出で5万円以上の取引となるケースは、すべて通産大臣の許可が必要となった。 ミツトヨの経営幹部が93年ごろ、「このままでは何も輸出できなくなる。何とかしろ」と輸出管理の担当者に指示していたことが判明している。この輸出不許可が、無許可輸出を行うようになったきっかけかもしれない。 輸出先としてシンガポールの現地法人を選んだのは、規制を逃れる迂回うかい戦術だったのだろう。ミツトヨがシンガポールの現地法人への輸出を急増させたのは、イランへの輸出規制が強まった後の95年以降だ。それまで年間20台程度だった精密機器類の輸出は、年間約200台のペースになっていった。海外の現地法人などを経由することで、懸念国への直接輸出を避ける狙いがあったのだろう』、「ミツトヨの経営幹部が93年ごろ、「このままでは何も輸出できなくなる。何とかしろ」と輸出管理の担当者に指示していたことが判明している。この輸出不許可が、無許可輸出を行うようになったきっかけかもしれない」、「何とかしろ」、とは強烈な命令だ。
・『性能を低く見せかけて輸出していた Q:どうやって、輸出規制をかいくぐっていたのか。 A:三次元測定機の性能を低く見せかけて輸出していた。性能を示す数値を低く見せかける数値改竄ソフトを自社開発していた。実に悪質だ。逮捕された副会長や常務らが中心になって開発したようだ。改竄ソフトは、測定機が物体をどのくらい正確に計測できるかといった性能データを実際より低い数値で表示する仕組みだった。 イランなどへの輸出規制が厳しくなった後の、遅くとも94年ごろに開発されたようだ。ソフトは「COCOM」と名付けられていた。 Q:COCOMとはどういう意味か。 A:対共産圏輸出統制委員会の英語名、Coordinating Committee for Multilateral Strategic Export Controlsの略だ。ココムと読む。冷戦当時、共産圏の国々への軍事技術、戦略物資の輸出を規制していた組織だ。日本も加わっていた。ミツトヨとしては、「自由な輸出を阻んできたCOCOMのようなものを打ち破りたい」という思いがあったのかもしれない。 このソフトを使った不正輸出が始まったのは95年ごろからのようだ。測定機を輸出する時にこのソフトを使い、数値を実際よりも低く見せかける偽装(スペックダウン)が恒常的に行われていた。輸出後にソフトをもう一度入れると、数値が元に戻る仕掛けだった。 当時の捜査で、ソフトの入ったCD-ROMが約1000枚押収されたのは忘れられない。測定機を約1000台、不正輸出していたということを意味するからだ』、「性能を示す数値を低く見せかける数値改竄ソフトを自社開発していた。実に悪質だ。逮捕された副会長や常務らが中心になって開発したようだ」、ここまでやるとは極めて悪質だ。
・『効率的に審査をする制度が「抜け道」として悪用された 逮捕容疑となった2001年10月と11月の不正輸出でも、輸出直前の書類には、計測誤差が実際より大きいように書き換えられていた。製造直後の完成検査では、輸出規制に触れる数値になっていたにもかかわらず、だ。 Q:ミツトヨ社内の輸出管理体制はどうだったのか。 A:逮捕された社長は、社内のチェック機関である「輸出管理審査委員会」の最高責任者を務めていたが、他の容疑者らによる不正輸出を黙認していたようだ。ミツトヨの関係者は「社内に輸出管理規定はあるが、管理体制は甘い。ほとんどチェックできていない」と話していた。 しかも、ミツトヨは1996年2月、通産大臣から、輸出にあたって輸出審査を個別に受けなくても済む「包括許可」を受けていた。包括許可は、 ・輸出する製品の性能が比較的低い ・輸出先が、大量破壊兵器を開発する「懸念国」ではない ことなどを条件に、個別の輸出許可審査を省く制度だ。許可を更新するまでの3年間は事実上、無審査となる。 外為法違反(無許可輸出)の疑いで警視庁の捜索を受けたことで、2006年6月には許可を取り消されたが、効率的に審査を進める国の制度が、抜け道として悪用されていたわけだ。 IAEAがリビアでの査察で、三次元測定機を見つけなかったら、無許可輸出が明らかにならなかった可能性もある』、「1996年2月、通産大臣から、輸出にあたって輸出審査を個別に受けなくても済む「包括許可」を受けていた」、「外為法違反(無許可輸出)の疑いで警視庁の捜索を受けたことで、2006年6月には許可を取り消されたが、効率的に審査を進める国の制度が、抜け道として悪用されていたわけだ」、「IAEAがリビアでの査察で、三次元測定機を見つけなかったら、無許可輸出が明らかにならなかった可能性もある」、「ミツトヨ」にとっては、ついてなかったことになるが、違法輸出が続いていたとすれば、それは由々しい大問題だったことになる。やはり見つけてくれた「IAEA」に感謝すべきだろう。
先ずは、5月4日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの川邊 克朗氏による「いま「経済安全保障」が、驚くほど「バブル化」している理由 経産官僚たちの思惑」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95001?imp=0
・『経済安保バブル 岸田内閣のもとで、経済安保政策が「バブル化」している。 岸田内閣が今国会で重要法案に掲げていた経済安全保障推進法案が4月7日、呆気なく衆院を通過してしまった。当初は「対決法案」と豪語し、立法に反対していた立憲民主党をはじめとする野党の議員が、こぞって、ロシアのウクライナ侵攻であらわになった「戦争リアリティ」に及び腰になり、法案反対どころか賛成に回ったからである。 もとはと言えば、この経済安全保障政策、安倍晋三政権時代に、今井尚哉首相秘書官ら経済産業官僚が主導したものだった。今井秘書官ら経産官僚は、外交・安全保障政策の司令塔である国家安全保障局(NSS)のトップに警察庁出身の北村滋内閣情報官が就いたことを利用し、米国の「中国脅威論」を引き合いに、経済安保政策を持ち出したのだった。 そして「首相官邸支配」の雰囲気のなか、「力の省庁」である防衛省、警察庁までもが、「バスに乗り遅れるな」と、「経済安保」担当セクション創設モードに前のめりとなった。その省益、利権確保の主戦場となったのが、今年度予算である。そこでは、経済安保推進法成立より一足早く、900億円超の経済安保関連予算が積み上げられ、「バブル化」が明らかになった。 この間、安倍後継の菅義偉内閣から岸田内閣へ政権が移行した。それにともなって、安全保障政策の「メインストリーム」を自負する外務省が、秋葉剛男事務次官によるNSS局長ポストを奪還し、首相官邸から経産官僚の影響力が排除されると、「オルタナティブ」である「経済安保」熱も冷めるかに見えた。 ところが、「商工族のドン」として経産官僚の後ろ盾となってきた甘利明元TPP担当相が、岸田内閣誕生の論功行賞人事で、二階俊博幹事長に取って代わると、経済安全保障政策の法案化は一気に加速した。同時にそれは、「本当にこれが国家安全保障政策の一環である経済安保政策なのか」と疑いたくなるようなものへと変質していったのである。) 法案は、具体的には、(1)重要物資のサプライチェーン(供給網)強化、(2)基幹インフラの安全性確保、(3)先端技術の育成・支援、(4)特許非公開の仕組み、を目指すというものだが、法律の運用は、国会審議も経ずに、政府が後日「政令」「省令」などで決めるというもので、その数は138項目に及んでいる。 要は、「『安全保障政治』と呼ばれる、私人、私企業、特定の圧力団体の利益の、『国家安全保障』の衣をまとったカモフラージュ現象」(船橋洋一『経済安全保障論 地球経済時代のパワー・エコノミックス』東経選書)という代物である』、「経済安保バブル」とは興味深そうだ。「当初は「対決法案」と豪語し、立法に反対していた立憲民主党をはじめとする野党の議員が、こぞって、ロシアのウクライナ侵攻であらわになった「戦争リアリティ」に及び腰になり、法案反対どころか賛成に回った」、野党も情けない。「甘利明元TPP担当相が、岸田内閣誕生の論功行賞人事で、二階俊博幹事長に取って代わると、経済安全保障政策の法案化は一気に加速」、「甘利」氏にそんな政治力があったとは意外だ。
・『甘利氏の存在感 経済安保法制のウラには、甘利氏の影響力が見え隠れする。 じつは岸田政権の経済安保戦略は、自民党内で甘利氏が座長として主導した「新国際秩序創造戦略本部」がすでに準備してきたものである。法案自体も、同本部が2020年12月に行った「提言」を上書きしたものに他ならない。 そして今年1月の施政方針演説で、経済安保は「外交・安保」の枠組みではなく、「成長と分配の好循環」を謳った「新しい資本主義」構想の文脈の中で語られるだけであった。とりわけ、コロナ危機のなかで露呈した、あまりにも海外に依存した情報技術(IT)のサプライチェーン・リスクの大きさに、今や「産業のコメ」となった半導体問題が、国産半導体計画へのテコ入れや工場建設等として、経済安保を絡めた政策へ拡大解釈されていった。 振り返れば甘利氏は、昨年10月の衆院選小選挙区で落選(比例区復活)し、幹事長職は退いたものの、その影響力はつづいている。選挙後の同年11月の改造内閣には、先述の自民党「新国際秩序想像戦略本部」でそれぞれ幹事長、事務局長として甘利座長を支えた山際大志郎氏が経済再生担当相(再任)、小林鷹之氏が新設の経済安全保障相、兼科学技術政策・宇宙政策担当相を配置し、経済安保シフトが敷かれた。しかも甘利氏と岸田首相の蜜月はその後も続いており、甘利氏が依然経済安保の「陰の主役」であるという』、「岸田政権の経済安保戦略は、自民党内で甘利氏が座長として主導した「新国際秩序創造戦略本部」がすでに準備してきたものである。法案自体も、同本部が2020年12月に行った「提言」を上書きしたものに他ならない」、「甘利」氏に政治力があったというより、ヒマな時に準備してきたものが、実ったという面もあったようだ。ただ、「甘利氏と岸田首相の蜜月はその後も続いており、甘利氏が依然経済安保の「陰の主役」であるという」、なるほど。
・『経産官僚の動き 経産官僚の動きも注目に値する。 岸田首相官邸では、藤井敏彦内閣官房経済安保法制準備室室長が経済安保を差配するはずだった。しかし藤井氏は、国会への法案提出直前に、無届兼業と朝日新聞の女性記者との不倫問題などのスキャンダルで失脚した。藤井氏は、安倍首相秘書官だった今井氏らが、国家安全保障局に新たに立ち上げた経済班のリーダーとして、古巣の経産省の藤井氏を据え、官邸に経産省の新たな「拠点」とする野心があったようだ。 本来なら首相外交から安全保障政策まで取り仕切りたい外務官僚にとって、「経済安保バブル」は迷惑な話だったはずだが、こうした「失脚」騒動もあり、岸田首相が政務秘書官に抜擢した嶋田隆経産事務次官の前に目下のところ出番はなく、また安倍政権時代の「政高党低」から「政と党のバランス」へと是正され、さしあたっては事なきを得ているようだ。 しかし、今後そうしたバランスが崩れないとも限らない』、「本来なら首相外交から安全保障政策まで取り仕切りたい外務官僚にとって、「経済安保バブル」は迷惑な話だったはず」、さもありなんだ。
・『保守政治の伝統 そもそも経済安保と経産官僚・商工族議員の関係はどのようなものなのだろうか。 かつて戦後日本の経済的繁栄を支えてきた貿易・投資のルール(自由貿易)とパワーポリティクスが形成する国際秩序が崩壊過程に入り、日本が経済において最も深く相互依存している米国、中国の両国の構造的対立は、すでに一部では「冷戦(a cold war)」の局面に入ったとも言われる。 自国ファーストを打ち出し、「力による平和」を強行しようとしたトランプ前米大統領時代以降、日本もTPPを離脱した米国に歩み寄り、インド太平洋地域での中国進出を食い止めるために、日米の協力関係は、「経済」においても一歩踏み出していたのである。 先の自民党「提言」を待つまでもなく、平和的方法としての「国際協調」を後景に追いやり、国民への説明を後回しにして、米国に追随して「同盟国」「同志国」との連携に舵を切ったということのようだ。 そしてそれが、この国の保守政治が脈々と受け継いできた、政治の統治技術であり、その担い手が今回、「通商国家」再生に生き残りに賭ける経産官僚、新商工族議員の面々だったようだ』、「平和的方法としての「国際協調」を後景に追いやり、国民への説明を後回しにして、米国に追随して「同盟国」「同志国」との連携に舵を切ったということのようだ。 そしてそれが、この国の保守政治が脈々と受け継いできた、政治の統治技術であり、その担い手が今回、「通商国家」再生に生き残りに賭ける経産官僚、新商工族議員の面々だったようだ」、なるほど。
・『経産省の来歴 こうした経産官僚や新商工族議員の存在の背景には、長い歴史がある。 1960年代、経産省の前身である通商産業省は、敗戦国・日本を奇跡的な高度経済成長で復活させたとの世界的な評価を得た。1970年代には、二度にわたる石油危機で、霞が関における通産省の地盤地下が始まったが、原子力エネルギー、通信・放送、IT等の科学技術の分野に活路を見出してきた。 しかし、「失われた30年」による国内産業の空洞化と福島原発事故による「原発ムラ」崩壊などを受けて、「経産省解体論」が再燃していた。最近では「霞が関のすき間産業」とも揶揄される、教育、医療、交通・観光等のデジタル分野にも触手を伸ばす。 経産官僚、商工族議員たちの人脈も興味深い。 先述の藤井氏が無届で兼業をしていた「バイト先」である「不識塾」という勉強会は、経営幹部向けのリベラルアーツ研修が売りだった。主宰の中谷巌代表は、1990年代、大阪大や一橋大といった国立大学を拠点に、グローバル資本主義を唱え、時の政権の経済ブレーンとして構造改革路線を主導した。しかし2008年に新自由主義からの転向を表明、以後ビジネスとしての経済への志向を強め、私立の多摩大学では学長までも務めるという異色の経歴を持つ。) その多摩大学に2016年に設置された「ルール形成戦略研究所」という研究開発機構に、顧問やシニアフェロー、客員教授といった肩書きで招聘されていたのが、甘利氏であり、藤井氏であった。逆に、多摩大の同研究所からは、政府や自民党の会合にスタッフが動員され、一連の経済安保戦略つくりに参画しており、「政・官」と「学」の、人脈はお互い共鳴し合ってきた。 またやや余談めくが、同研究所は米国系コンサルタント企業のような色彩が強いと言われてきただけに、中国企業の排除を念頭に、日米間のこれまでの貿易摩擦や防衛装備調達をめぐる衝突などと同様、経済安保も、米国に日本市場を開放していくことに収斂するのではとの懸念が政府内から早くも出ている。ちなみに国家安全保障局で経済安保を先取りした北村氏も、局長辞職後はコンサルト業を起業している。 これらが、経済安保がバブル化している背景と言えるが、では、経済安保にはどのような危うさがあるのだろうか。【後編】「岸田政権が進める「経済安全保障」、その「危うさ」を考える」で詳しく見ていこう』、「中谷巌」氏が「学長」を務める「多摩大学」の「「ルール形成戦略研究所」という研究開発機構に、顧問やシニアフェロー、客員教授といった肩書きで招聘されていたのが、甘利氏であり、藤井氏であった」、【後編】を見てみよう。
次に、この続きを、5月4日付け現代ビジネスが掲載したジャーナリストの川邊 克朗氏による「岸田政権が進める「経済安全保障」、その「危うさ」を考える 監視社会に繋がらないか」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/95003?imp=0
・『私が、「経済安全保障」に関心を持ったのは、TBSに入社して間もない1978年に、当時朝日新聞記者だった船橋洋一氏が米国ハーバード大学に提出した論文を基にした著作を読んでからのことであった。 1970年代に国際社会の経済相互依存が強まり、冷戦イデオロギーに代わるヘゲモニー論として注目を浴びた。2010年代になって、米中テクノ覇権戦争にともう知的財産の流出や、国家に退場を迫るグローバル資本主義の巨大IT企業によるデータ独占、さらにサイバー戦争時代の到来等々が話題となり、国家の安全保障も、外交・軍事から経済インテリジェンスへの路線転換が避けて通れなくなった。 日本も、安倍長期政権の下、「選択と集中」で経済成長路線の演出を担ってきた経産官僚が、経済安保戦略に新たな省益を夢想したのも「故なし」というわけではなかったのかもしれない』、「経済安全保障」には長年関心を持っていた「筆者」の見方を詳しく知りたいものだ。
・『保守政治の二つの潮流 戦後の保守政治には、経済成長を巡って、二つの流れがあったという。 「自由な市場経済の下での自助努力」を重んじ、「積極的成長」つまり「消費」の拡大を目指す系譜と、「計画性のある自立経済」を確立し、「安定成長」つまり「生産」を重んじるという系譜である。前者が、吉田茂-池田勇人のハト派の「宏池会」であり、後者が岸信介-福田赳夫のタカ派の「清和会」の流れであった(『評伝 福田赳夫 戦後日本の繁栄と安定を求めて』五百旗頭真編、岩波書店)。 しかし戦後80年にならんとする今、曖昧模糊とした「新しい資本主義」と言い出した宏池会の岸田と、アベノミクスという放漫な自由経済を信奉した清和会の安倍、両氏の立ち位置は完全に入れ替わってしまった。 これは、冷戦崩壊から「ポスト冷戦」後に至る過程で、「ハト派」と「タカ派」がボーダーレス化し、同時に経済面で中ソ等の共産主義国も資本主義体制に移行したため、国家運営の座標軸を見失ってしまったからだろう。この経済成長を巡る保守政治内での倒錯が、安全保障政治に「経済安保」が徘徊する余地を与えることになった』、「曖昧模糊とした「新しい資本主義」と言い出した宏池会の岸田と、アベノミクスという放漫な自由経済を信奉した清和会の安倍、両氏の立ち位置は完全に入れ替わってしまった。 これは、冷戦崩壊から「ポスト冷戦」後に至る過程で、「ハト派」と「タカ派」がボーダーレス化し、同時に経済面で中ソ等の共産主義国も資本主義体制に移行したため、国家運営の座標軸を見失ってしまったからだろう。この経済成長を巡る保守政治内での倒錯が、安全保障政治に「経済安保」が徘徊する余地を与えることになった」、「宏池会の岸田と、アベノミクスという放漫な自由経済を信奉した清和会の安倍、両氏の立ち位置は完全に入れ替わってしまった」、「この経済成長を巡る保守政治内での倒錯が、安全保障政治に「経済安保」が徘徊する余地を与えることになった」、大変、興味深い見解だ。
・『経済安保の危うさ では、経済安保には、どのような危うさがあるのだろうか。 経産官僚による、一連の経済安保戦略の手段として、国際的なサプライチェーンに関する二つの概念が注目を浴びた。 その一つは、「戦略的不可欠性」である。 先端科学・技術を振興し、他国の追随を許さない産業分野を開拓し、政治的にも国際社会での優位性を打ち立てるというものだ。アカデミズムから民間企業まで、研究機関などを動員した国家システムの構築に主眼を置く。 しかしそれは、「軍産」とか「産学」とか、とかく批判を浴びてきたスキームに直結するものではなく、2004年の国立大学の独立法人化に続き、甘利氏が展開してきた大学資源や知的インフラの活用、大学ファンドなどによる付加価値を創造する「知識産業体」へのイノベーション構想をイメージしているようだ。 戦前、商工省の岸信介、椎名悦三郎ら「革新官僚」は、軍部と一線を画し、官民一体となって、中央集権的な指令型の経済計画を市場型に転換し、計画的な自由経済の創出という「満州国」モデルを打ち立てた。戦略的不可欠性には、そうしたモデルを彷彿とさせるものがあるが、岸氏らの成功体験も、本土帰国後は、図らずも軍部や翼賛政治家らによって軍国主義が貫徹した「国家総動員」体制へ組み込まれていった。 それだけに、政・官の、民への関与・統制は、研究を単なる軍事研究に転用するために動員システムに変質するおそれがある。現在の経済界の「寡黙な抵抗」も当然の成り行きと言えるだろう。 戦略のもう一つの柱が、「戦略的自律性」である。 日本の経済社会活動の維持に不可欠な基幹インフラの強靭化と、そのデータの保全によって、他国、とりわけ「安全保障上の懸念がある国」への過度の依存を排除するというものである。外には基礎科学研究・技術開発の情報漏洩を徹底して阻止し、内には研究者のみならず、研究環境にまで政府の徹底した監視システムを発動するというものだ』、「政・官の、民への関与・統制は、研究を単なる軍事研究に転用するために動員システムに変質するおそれがある。現在の経済界の「寡黙な抵抗」も当然の成り行きと言えるだろう」、確かに「経済界」は沈黙を守っているようだ。「内には研究者のみならず、研究環境にまで政府の徹底した監視システムを発動する」、恐ろしいことだ。
・『警察の権力拡大 こうした米国追随の流れのなか、「経済安保バブル」に素早い反応を見せたのが日本警察、とりわけその中核を担う外事警察である。大都市圏を抱える各警察本部は、専従班を発足させ、「オレオレ詐欺」防止キャンペーンや交通安全運動紛いに、民間企業や大学を対象に、先端技術の海外流出防止策や海外研究者らとの交際術などに関するコンサルティングを買って出ているのである。 1981年の商法改正のときのことが蘇る。この改正は、一部の暴力団が転身した総会屋への利益供与を禁止するというものだったが、汚職や企業犯罪の摘発だけでなく、予防という名目で企業個々への監視とその過程で、企業情報の組織的収集が可能となった。しかも今回の場合は、公安警察機能の拡大に道を開くことが可能になる。 「学問の自由」や「大学の自治」の名の下に、戦後一貫して聖域化されてきた「アカデミア」に警察が公然と足を踏み入れることも容易になりそうだ。その意味では、政府方針に異を唱える人文・社会科学系学者6人の会員任命が拒否された、安倍・菅内閣以来漂流を続けている「日本学術会議問題」は、その助走に過ぎなかったのかもしれない』、「公安警察機能の拡大に道を開くことが可能になる。 「学問の自由」や「大学の自治」の名の下に、戦後一貫して聖域化されてきた「アカデミア」に警察が公然と足を踏み入れることも容易になりそうだ」、「警察権力」にとっては、地位向上の好機のようだ。
・『「ココム」の再現? 冷戦構造の崩壊後の外事警察は、民族・宗教という新たなキー・プレイヤーの出現で、アルカイーダなどのイスラム過激派組織や北朝鮮に翻弄されるが、その後の米中の「経済スパイ戦争」時代を迎え、冷戦型の諜報手法に回帰しそうだ。 かつて外事警察は、共産圏への戦略物資・技術移転を禁止する、対共産圏輸出委員会(ココム)違反事件として、さまざまな主体を摘発してきた。今回は、当時の「共産圏」を「安全保障上懸念がある国」に言い換える、ということだろう。 またココムが毎年改定していた、規制対象となる「ココムリスト」も、所管が経産省から防衛省に移管されたとしても、その運用は外事警察の裁量に委ねられ、さらに特定秘密保護や共謀罪法といった新たな治安立法も駆使するとなると、政・官の民への強権化は必然である。 むしろ、時代が要請している「経済安全保障」は、サイバー・セキュリティが本筋である。技術革新により、サイバー・宇宙・電磁波等々、安全保障の戦域は拡大し、サイバー空間一つとってみても、国際犯罪組織や国家ぐるみのサイバー部隊によって、日本企業は狙い撃ちにされているのが実態である。しかもITインフラの破壊やデータ流出などの被害実態は不明と言うから、何をか況や。 折しもこの4月、警察庁はサイバー局を新設し、独自に広域捜査を行うFBI(連邦捜査局)方式の「サイバー隊」を発足させたが、能力不足は歪めない。 「経済安保バブル」は、中国による南シナ海や東シナ海での領土的膨張や、ロシアによるクリミア併合に始まる現在進行形のウクライナ侵略を受けて、「地政学」ブーム再来と軌を一にしている。第二次世界大戦後も、さまざまな国家間の戦闘は、朝鮮半島、東南アジア、中近東、アフリカ、中南米、中央アジアと、「戦場」を次々に移して、今振り出しのヨーロッパに戻ってきた。) そしてそこで可視化されたのは、「軍事力」「情報力」「外交力」の、安全保障の三つの要諦の現実である。日本はと言えば、うわべだけの「平和主義」といっときだけの「人道主義」に酔いしれている。かと思えば、トップリーダーたちは、無邪気に「核シェア」論や「敵基地先制攻撃」を振りかざし、“国防キッズ”は防衛費増額論を唱導する。 こうした「自衛隊活用論」という「軍事力」の前では、「経済安全保障」は陳腐であり、もはや経済安保バブルは弾けてしまっているのではと錯覚してしまう程である。そして次なる「戦場」が、北東アジアになるとすれば、“ハト派”の岸田首相の謳う「新時代リアリズム外交」は、「平和」にどこまで有効なのだろうか。 国家安全保障政策は、国民の安全と平和を守るために、戦争回避、そのための事前の策が全てである。何よりもまず「外交力」、自立した外交戦略の構想と、冷徹で強かな外交戦術の発想が緊喫の課題である。「平和のハト」は自分でつかむものである。それが、「ウクライナ」の歴史的教訓でもある』、「またココムが毎年改定していた、規制対象となる「ココムリスト」も、所管が経産省から防衛省に移管されたとしても、その運用は外事警察の裁量に委ねられ、さらに特定秘密保護や共謀罪法といった新たな治安立法も駆使するとなると、政・官の民への強権化は必然である」、「むしろ、時代が要請している「経済安全保障」は、サイバー・セキュリティが本筋である」、「この4月、警察庁はサイバー局を新設し、独自に広域捜査を行うFBI(連邦捜査局)方式の「サイバー隊」を発足させたが、能力不足は歪めない」、「トップリーダーたちは、無邪気に「核シェア」論や「敵基地先制攻撃」を振りかざし、“国防キッズ”は防衛費増額論を唱導する。 こうした「自衛隊活用論」という「軍事力」の前では、「経済安全保障」は陳腐であり、もはや経済安保バブルは弾けてしまっているのではと錯覚してしまう程である」、「国家安全保障政策は、国民の安全と平和を守るために、戦争回避、そのための事前の策が全てである。何よりもまず「外交力」、自立した外交戦略の構想と、冷徹で強かな外交戦術の発想が緊喫の課題である。「平和のハト」は自分でつかむものである。それが、「ウクライナ」の歴史的教訓でもある」、その通りだ。
第三に、5月31日付けPRESIDENT Onlineが掲載した前国家安全保障局長の北村 滋氏による「なぜ「防衛庁のミサイル研究データ」は北朝鮮側に渡ったのか…元国家安全保障局長が解説する"流出経路" 委託先、再委託先の把握が不足していた」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/57672
・『2005年、防衛庁(当時)から、ミサイルの研究データが北朝鮮側に流出していたことが判明した。なぜ流出してしまったのか。元国家安全保障局長の北村滋さんは「業務の委託先、再委託先をしっかり把握することが、経済安全保障上は極めて重要だ」と指摘する――。 ※本稿は、北村滋、大藪剛史(聞き手・構成)『経済安全保障 異形の大国、中国を直視せよ』(中央公論新社)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。なお、質疑応答形式でQは質問、Aは回答。
・『ミサイルの研究データが北朝鮮側に流出していた Q:北朝鮮に絡む情報流出はあったのか。 A:2005年、防衛庁(現・防衛省)から、ミサイルの研究データが北朝鮮側に流出していたことが判明した。 防衛庁は当時、配備を予定していた「03式中距離地対空誘導弾システム」(中SAM)の研究をしていたが、このデータの一部が流出した。 Q:中SAMとは。 A:「地対空」は地上から発射し、対空、つまり空から近づいてくる相手戦闘機などを狙うミサイルのことだ。地対空を意味する英語Surface-to-Air Missileを略したのがSAM。「中」は中距離の略だ。中SAMは「ちゅうさむ」と読む。陸上自衛隊が保有するミサイルだ。 Q:どのような情報が流出したのか。 A:さきほど、「空から近づいてくる相手戦闘機などを狙う」と説明したが、敵が撃ち込んできた他の飛翔体を迎撃することも視野にあったのかもしれない。それに関する説明資料が流出していた。資料の表紙には「平成七年(1995年)四月二十日」と作成日が書かれていた。資料には、中SAMが対象を迎え撃つべき高度や距離、範囲などに関するデータが記載されていた。他国から攻撃された時に自衛隊がどう対処するかという手の内を北朝鮮にさらしてしまったことになる』、「中SAMが対象を迎え撃つべき高度や距離、範囲などに関するデータが記載」、「他国から攻撃された時に自衛隊がどう対処するかという手の内を北朝鮮にさらしてしまったことになる」、情けない限りだ。
・『委託先、再委託先の把握は経済安全保障において極めて重要 Q:どういう経路で流出したのか。 防衛庁は1993~95年、研究開発を三菱電機に委託した。三菱電機は研究に関する社内報告書の作成を三菱総合研究所に委託していた。三菱総研はさらに、「在日本朝鮮人総聯合会」(朝鮮総聯。「主体チュチェ思想」を指導的指針とする在日朝鮮人が組織する民族団体)の傘下団体「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)の幹部だった男性が社長を務める東京・豊島区のソフトウエア会社に、報告書作成関連業務の一部を委託していた。 別の事件が端緒だった。警視庁が2005年10月、薬事法違反容疑で男性の関係先としてこのソフトウエア会社を捜索したところ、資料が見つかった。防衛庁が三菱電機に委託していた中SAMの研究試作に関する報告書にある図表数点と同一だった。図表には、三菱総研のロゴが入っていた。自衛隊法上、機密レベルとしてはかなり高いものだった。 防衛庁は06年1月、情報流出の事実を発表した。男性の会社に業務の一部が委託されていたことは知らなかったという。委託先、再委託先をしっかり把握することが経済安全保障上は極めて重要だ』、「三菱総研」が北朝鮮系の朝鮮人が経営する「豊島区のソフトウエア会社に、報告書作成関連業務の一部を委託」、したことで漏洩したようだ。わざわざ北朝鮮系の朝鮮人が経営する会社に委託するとは信じ難い話だ。
・『設計図流出自体は立件できなかった Q:設計図流出自体は立件できなかったのか。 A:できなかった。設計図そのものに機密度の高い事項が記載されていなかったからだ。今回の件に限らず、機密度が高い情報は書類に書かず、空白にしておくことが多い。情報保全のためだ。捜査上は、「機微な性能データまでは流出しなかった」という判断になってしまった。 このころは朝鮮総聯と、北朝鮮の金正日一族との関係が現在よりも緊密だった。北朝鮮の貨客船・万景峰マンギョンボン号がまだ定期的に新潟西港(新潟市)に入っていた時期だったから。私は警察庁外事課長の時、万景峰号が入ってくるのを新潟までよく見に行っていた。 その後、北朝鮮への制裁に基づいて、万景峰号は入港できなくなった。これで北朝鮮と朝鮮総聯との人、物資の行き来の大きなパイプが切断されたことになる。それに伴い、朝鮮総聯の北朝鮮本国における発言力も低下しているようだ。 私は内閣情報官だった16年から17年にかけて、北朝鮮が頻繁に弾道ミサイルを発射するという危機を経験した。深夜や未明に官邸に駆けつけるたびに、「流出した中SAMの情報が、日本に飛んでいるミサイルに役立ったのかも知れない」などと思ったものだ』、責任感溢れた感想だ。
・『核開発に使用できる測定機を輸出したミツトヨ事件 Q:2006年には、大手精密測定機器メーカー「ミツトヨ」(川崎市高津区)が、核兵器製造にも使用できる「三次元測定機」を海外に輸出していた事件もあった。 A:三次元測定機とは、文字通り、立体の物を三次元で測るものだ。測る物を測定機の台に置くと、高さ、幅などだけでなく、曲面や輪郭といった形状を測れる。 核開発のためにウランを濃縮するには遠心分離器という機械が必要になるが、これが高速回転できるかどうかを調べるため、円筒のゆがみなどを測定するのに三次元測定機は使われる。遠心分離器の保守管理には不可欠だ。計測誤差が小さいことが求められており、一定水準を上回る高性能の機種は輸出が規制されている。 警視庁は、2006年2月、外為法違反(無許可輸出)の疑いで、ミツトヨの本社や宇都宮市の工場などを捜索した。01年に三次元測定機と、測定機を作動させるソフトウエアを1セットずつ、経産大臣の許可を受けないで中国とタイにある日本企業の現地法人に輸出した疑いだった。現地にそれぞれ、測定機の操作方法を指導する技術者を派遣してもいた。外為法は、軍事転用可能な精密機器の無許可輸出だけでなく、技術指導も禁じている』、「日本企業の現地法人」からさらに輸出されたのだろうか。
・『「核の闇市場」を通じてリビアに運び込まれたようだ 警視庁は、06年8月、ミツトヨの社長、副会長、常務ら5人を外為法違反(無許可輸出)容疑で逮捕した。01年10月と11月、経産大臣の許可を受けないまま、測定機を1台ずつ、約470万円で、東京港からシンガポール経由でマレーシアのミツトヨ現地法人に輸出した疑いだった。うち1台は、国際原子力機関(IAEA)が03年12月~04年1月にリビアに核査察に入った際、核関連研究施設で発見されている。「核の闇市場」を通じて運び込まれたのだろう。 Q:測定機はどういう経緯でリビアに運び込まれたのか。 A:日本のミツトヨ↓シンガポールにあるミツトヨの現地法人↓マレーシアにあるミツトヨの現地法人↓マレーシアの精密機器メーカー「スコミ・プレシジョン・エンジニアリング」↓ドバイ↓リビア というルートだったようだ。 Q:スコミ社とは。 A:パキスタンの「核開発の父」と呼ばれたパキスタン人の核開発研究者アブドル・カディル・カーン博士が、側近に指示して設立した企業といわれる。カーン博士は、インド中部で生まれ、その後、パキスタンに移住した。欧州の核関連施設で働き、ウラン濃縮用の遠心分離器技術を盗み出したとされる人物だ。帰国後はパキスタンの核開発を中心的に担い、核実験を成功させた。「核の闇市場」と呼ばれる世界的なネットワークを作り、北朝鮮とイラン、リビアに核関連技術を提供した。イランと北朝鮮は獲得した技術を生かし、現在も核開発を進めている』、「うち1台は、国際原子力機関(IAEA)が03年12月~04年1月にリビアに核査察に入った際、核関連研究施設で発見されている」、他にもリビア以外で使われているのだろう。
・『ミツトヨの業績は90年代初めから悪化していた ミツトヨの測定機がスコミ社に納品されたのは02年1月だった。スコミ社は当時、「リビアから発注を受けた」と説明していた。「測定機の操作方法はミツトヨの技術者に教わった」「その様子を撮影したビデオをスコミ社がリビアに持ち込み、リビア側に操作方法を教えた」とも認めていた。ミツトヨの測定機がリビアの核開発に役立っていたことを証明している。 スコミ社からドバイ、ドバイからリビアへの海上輸送に使われた貨物船は、イラン船籍だった。一連の動きに関わっている勢力が、イランにもいたのだろう。 Q:ミツトヨはイランと関係があるのか。 A:ミツトヨは、1989年から5年間にわたり、毎年1台ずつ、測定機などをイランに輸出していた。イランの軍事機関である革命防衛隊や国防軍需省、核開発関連企業が輸出の相手先だった。 Q:イランに輸出するきっかけは。 A:イラン出身で日本に帰化した男性が経営する東京都渋谷区の商社が輸出をミツトヨに提案していた。この商社は、対戦車ロケット砲の照準器に使われる目盛り板を埼玉県の光学機器メーカーがイランに無許可輸出した外為法違反事件で、00年1月に警視庁に捜索されている。イランが日本企業から軍事物資や精密機器類を調達する際の窓口だったのだろう。 そもそも、ミツトヨは、バブル崩壊のあおりを受けて90年代初めから、業績が急速に悪化していた。有望な輸出先を探していたのだろう』、「業績が急速に悪化」、していたのであれば、何とかしたくなるのだろう。
・『「このままでは何も輸出できなくなる。何とかしろ」 そうしたさ中、イランに輸出を続けていたミツトヨに転機が訪れる。 92年7月、ミツトヨは、イラン企業に三次元測定機を輸出しようと、当時の通商産業省(現・経済産業省)に届け出た。ところが、通産省は93年6月、測定機は核兵器製造にも使えるとの理由で、外為法に基づき、輸出を許可しなかった。92年末の外為法関連政令改正で、輸出規制対象製品が18種類から、精密測定機器を含む51種類に拡大されていた。93年以降、大量破壊兵器の開発疑惑の強いイラン、イラク、リビア、北朝鮮の「懸念国」4カ国への輸出で5万円以上の取引となるケースは、すべて通産大臣の許可が必要となった。 ミツトヨの経営幹部が93年ごろ、「このままでは何も輸出できなくなる。何とかしろ」と輸出管理の担当者に指示していたことが判明している。この輸出不許可が、無許可輸出を行うようになったきっかけかもしれない。 輸出先としてシンガポールの現地法人を選んだのは、規制を逃れる迂回うかい戦術だったのだろう。ミツトヨがシンガポールの現地法人への輸出を急増させたのは、イランへの輸出規制が強まった後の95年以降だ。それまで年間20台程度だった精密機器類の輸出は、年間約200台のペースになっていった。海外の現地法人などを経由することで、懸念国への直接輸出を避ける狙いがあったのだろう』、「ミツトヨの経営幹部が93年ごろ、「このままでは何も輸出できなくなる。何とかしろ」と輸出管理の担当者に指示していたことが判明している。この輸出不許可が、無許可輸出を行うようになったきっかけかもしれない」、「何とかしろ」、とは強烈な命令だ。
・『性能を低く見せかけて輸出していた Q:どうやって、輸出規制をかいくぐっていたのか。 A:三次元測定機の性能を低く見せかけて輸出していた。性能を示す数値を低く見せかける数値改竄ソフトを自社開発していた。実に悪質だ。逮捕された副会長や常務らが中心になって開発したようだ。改竄ソフトは、測定機が物体をどのくらい正確に計測できるかといった性能データを実際より低い数値で表示する仕組みだった。 イランなどへの輸出規制が厳しくなった後の、遅くとも94年ごろに開発されたようだ。ソフトは「COCOM」と名付けられていた。 Q:COCOMとはどういう意味か。 A:対共産圏輸出統制委員会の英語名、Coordinating Committee for Multilateral Strategic Export Controlsの略だ。ココムと読む。冷戦当時、共産圏の国々への軍事技術、戦略物資の輸出を規制していた組織だ。日本も加わっていた。ミツトヨとしては、「自由な輸出を阻んできたCOCOMのようなものを打ち破りたい」という思いがあったのかもしれない。 このソフトを使った不正輸出が始まったのは95年ごろからのようだ。測定機を輸出する時にこのソフトを使い、数値を実際よりも低く見せかける偽装(スペックダウン)が恒常的に行われていた。輸出後にソフトをもう一度入れると、数値が元に戻る仕掛けだった。 当時の捜査で、ソフトの入ったCD-ROMが約1000枚押収されたのは忘れられない。測定機を約1000台、不正輸出していたということを意味するからだ』、「性能を示す数値を低く見せかける数値改竄ソフトを自社開発していた。実に悪質だ。逮捕された副会長や常務らが中心になって開発したようだ」、ここまでやるとは極めて悪質だ。
・『効率的に審査をする制度が「抜け道」として悪用された 逮捕容疑となった2001年10月と11月の不正輸出でも、輸出直前の書類には、計測誤差が実際より大きいように書き換えられていた。製造直後の完成検査では、輸出規制に触れる数値になっていたにもかかわらず、だ。 Q:ミツトヨ社内の輸出管理体制はどうだったのか。 A:逮捕された社長は、社内のチェック機関である「輸出管理審査委員会」の最高責任者を務めていたが、他の容疑者らによる不正輸出を黙認していたようだ。ミツトヨの関係者は「社内に輸出管理規定はあるが、管理体制は甘い。ほとんどチェックできていない」と話していた。 しかも、ミツトヨは1996年2月、通産大臣から、輸出にあたって輸出審査を個別に受けなくても済む「包括許可」を受けていた。包括許可は、 ・輸出する製品の性能が比較的低い ・輸出先が、大量破壊兵器を開発する「懸念国」ではない ことなどを条件に、個別の輸出許可審査を省く制度だ。許可を更新するまでの3年間は事実上、無審査となる。 外為法違反(無許可輸出)の疑いで警視庁の捜索を受けたことで、2006年6月には許可を取り消されたが、効率的に審査を進める国の制度が、抜け道として悪用されていたわけだ。 IAEAがリビアでの査察で、三次元測定機を見つけなかったら、無許可輸出が明らかにならなかった可能性もある』、「1996年2月、通産大臣から、輸出にあたって輸出審査を個別に受けなくても済む「包括許可」を受けていた」、「外為法違反(無許可輸出)の疑いで警視庁の捜索を受けたことで、2006年6月には許可を取り消されたが、効率的に審査を進める国の制度が、抜け道として悪用されていたわけだ」、「IAEAがリビアでの査察で、三次元測定機を見つけなかったら、無許可輸出が明らかにならなかった可能性もある」、「ミツトヨ」にとっては、ついてなかったことになるが、違法輸出が続いていたとすれば、それは由々しい大問題だったことになる。やはり見つけてくれた「IAEA」に感謝すべきだろう。
タグ:「性能を示す数値を低く見せかける数値改竄ソフトを自社開発していた。実に悪質だ。逮捕された副会長や常務らが中心になって開発したようだ」、ここまでやるとは極めて悪質だ。 (その12)(いま「経済安全保障」が 驚くほど「バブル化」している理由 経産官僚たちの思惑、岸田政権が進める「経済安全保障」 その「危うさ」を考える 監視社会に繋がらないか、なぜ「防衛庁のミサイル研究データ」は北朝鮮側に渡ったのか…元国家安全保障局長が解説する"流出経路" 委託先 再委託先の把握が不足していた) 現代ビジネス 安全保障 「ミツトヨの経営幹部が93年ごろ、「このままでは何も輸出できなくなる。何とかしろ」と輸出管理の担当者に指示していたことが判明している。この輸出不許可が、無許可輸出を行うようになったきっかけかもしれない」、「何とかしろ」、とは強烈な命令だ。 「日本企業の現地法人」からさらに輸出されたのだろうか。 「曖昧模糊とした「新しい資本主義」と言い出した宏池会の岸田と、アベノミクスという放漫な自由経済を信奉した清和会の安倍、両氏の立ち位置は完全に入れ替わってしまった。 これは、冷戦崩壊から「ポスト冷戦」後に至る過程で、「ハト派」と「タカ派」がボーダーレス化し、同時に経済面で中ソ等の共産主義国も資本主義体制に移行したため、国家運営の座標軸を見失ってしまったからだろう。この経済成長を巡る保守政治内での倒錯が、安全保障政治に「経済安保」が徘徊する余地を与えることになった」、「宏池会の岸田と、アベノミクスという放漫な 「経済安全保障」には長年関心を持っていた「筆者」の見方を詳しく知りたいものだ。 「1996年2月、通産大臣から、輸出にあたって輸出審査を個別に受けなくても済む「包括許可」を受けていた」、「外為法違反(無許可輸出)の疑いで警視庁の捜索を受けたことで、2006年6月には許可を取り消されたが、効率的に審査を進める国の制度が、抜け道として悪用されていたわけだ」、「IAEAがリビアでの査察で、三次元測定機を見つけなかったら、無許可輸出が明らかにならなかった可能性もある」、「ミツトヨ」にとっては、ついてなかったことになるが、違法輸出が続いていたとすれば、それは由々しい大問題だったことになる。やは 「国家安全保障政策は、国民の安全と平和を守るために、戦争回避、そのための事前の策が全てである。何よりもまず「外交力」、自立した外交戦略の構想と、冷徹で強かな外交戦術の発想が緊喫の課題である。「平和のハト」は自分でつかむものである。それが、「ウクライナ」の歴史的教訓でもある」、その通りだ。 「業績が急速に悪化」、していたのであれば、何とかしたくなるのだろう。 「うち1台は、国際原子力機関(IAEA)が03年12月~04年1月にリビアに核査察に入った際、核関連研究施設で発見されている」、他にもリビア以外で使われているのだろう。 責任感溢れた感想だ。 『経済安全保障 異形の大国、中国を直視せよ』(中央公論新社) PRESIDENT ONLINE 「またココムが毎年改定していた、規制対象となる「ココムリスト」も、所管が経産省から防衛省に移管されたとしても、その運用は外事警察の裁量に委ねられ、さらに特定秘密保護や共謀罪法といった新たな治安立法も駆使するとなると、政・官の民への強権化は必然である」、「むしろ、時代が要請している「経済安全保障」は、サイバー・セキュリティが本筋である」、「この4月、警察庁はサイバー局を新設し、独自に広域捜査を行うFBI(連邦捜査局)方式の「サイバー隊」を発足させたが、能力不足は歪めない」、「トップリーダーたちは、無邪気に「 「公安警察機能の拡大に道を開くことが可能になる。 「学問の自由」や「大学の自治」の名の下に、戦後一貫して聖域化されてきた「アカデミア」に警察が公然と足を踏み入れることも容易になりそうだ」、「警察権力」にとっては、地位向上の好機のようだ。 「政・官の、民への関与・統制は、研究を単なる軍事研究に転用するために動員システムに変質するおそれがある。現在の経済界の「寡黙な抵抗」も当然の成り行きと言えるだろう」、確かに「経済界」は沈黙を守っているようだ。「内には研究者のみならず、研究環境にまで政府の徹底した監視システムを発動する」、恐ろしいことだ。 川邊 克朗氏による「岸田政権が進める「経済安全保障」、その「危うさ」を考える 監視社会に繋がらないか」 「中谷巌」氏が「学長」を務める「多摩大学」の「「ルール形成戦略研究所」という研究開発機構に、顧問やシニアフェロー、客員教授といった肩書きで招聘されていたのが、甘利氏であり、藤井氏であった」、【後編】を見てみよう。 「平和的方法としての「国際協調」を後景に追いやり、国民への説明を後回しにして、米国に追随して「同盟国」「同志国」との連携に舵を切ったということのようだ。 そしてそれが、この国の保守政治が脈々と受け継いできた、政治の統治技術であり、その担い手が今回、「通商国家」再生に生き残りに賭ける経産官僚、新商工族議員の面々だったようだ」、なるほど。 「本来なら首相外交から安全保障政策まで取り仕切りたい外務官僚にとって、「経済安保バブル」は迷惑な話だったはず」、さもありなんだ。 「岸田政権の経済安保戦略は、自民党内で甘利氏が座長として主導した「新国際秩序創造戦略本部」がすでに準備してきたものである。法案自体も、同本部が2020年12月に行った「提言」を上書きしたものに他ならない」、「甘利」氏に政治力があったというより、ヒマな時に準備してきたものが、実ったという面もあったようだ。ただ、「甘利氏と岸田首相の蜜月はその後も続いており、甘利氏が依然経済安保の「陰の主役」であるという」、なるほど。 「経済安保バブル」とは興味深そうだ。「当初は「対決法案」と豪語し、立法に反対していた立憲民主党をはじめとする野党の議員が、こぞって、ロシアのウクライナ侵攻であらわになった「戦争リアリティ」に及び腰になり、法案反対どころか賛成に回った」、野党も情けない。「甘利明元TPP担当相が、岸田内閣誕生の論功行賞人事で、二階俊博幹事長に取って代わると、経済安全保障政策の法案化は一気に加速」、「甘利」氏にそんな政治力があったとは意外だ。 川邊 克朗氏による「いま「経済安全保障」が、驚くほど「バブル化」している理由 経産官僚たちの思惑」 「三菱総研」が北朝鮮系の朝鮮人が経営する「豊島区のソフトウエア会社に、報告書作成関連業務の一部を委託」、したことで漏洩したようだ。わざわざ北朝鮮系の朝鮮人が経営する会社に委託するとは信じ難い話だ。 北村 滋氏による「なぜ「防衛庁のミサイル研究データ」は北朝鮮側に渡ったのか…元国家安全保障局長が解説する"流出経路" 委託先、再委託先の把握が不足していた」 「中SAMが対象を迎え撃つべき高度や距離、範囲などに関するデータが記載」、「他国から攻撃された時に自衛隊がどう対処するかという手の内を北朝鮮にさらしてしまったことになる」、情けない限りだ。
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