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介護(その8)(介護人材は2025年に32万人不足!要介護者600万人時代に「介護難民」にならない備え、母さん ごめん2 二題:「家に帰る」という認知症の入居者 スタッフはどう導くのか、身の置き所がない 母 ホームのスタッフにケガをさせる) [社会]

介護については、昨年11月2日に取上げた。今日は、(その8)(介護人材は2025年に32万人不足!要介護者600万人時代に「介護難民」にならない備え、母さん ごめん2 二題:「家に帰る」という認知症の入居者 スタッフはどう導くのか、身の置き所がない 母 ホームのスタッフにケガをさせる)である。

先ずは、本年10月24日付けダイヤモンド・オンライン「介護人材は2025年に32万人不足!要介護者600万人時代に「介護難民」にならない備え」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/311682
・『『週刊ダイヤモンド』10月29日号の第一特集は「選ぶ介護」です。高齢の「おひとりさま」や「おふたりさま」(夫婦のみ世帯)の急増は、親の介護だけでなく、自分の介護をどうするか、という問題を投げかけています。人材と財源の不足で、今後、介護保険のサービス抑制や利用者の負担増は避けられないだけに、介護難民にならないためには、早めの準備が肝心です。利用者に参考になる情報を集めました』、興味深そうだ。
・『2割の自己負担対象者が増える方向 フルコースの在宅介護は困難に  要介護になっても最期まで住み慣れた我が家で、と願っている人は多いだろう。その願いをかなえるのは、家族とお金である。 高齢者の終活サポートを長年行ってきた黒澤史津乃さん(現・OAGライフサポート・シニアマネジャー)が語る。 「在宅介護の限界は排泄です。赤ちゃんのオムツ替えと違って、高齢者の下の世話は家族もやりたがらないし、されるほうも嫌がる。かといって、オムツをパンパンにしておけないので、ヘルパーさんを長時間入れると、自費負担が増えてあっという間に月の費用が30万円をこえてしまう。それなら、20万円以下の費用で済む施設に移るというようなケースが多いですね」 年末に決着する介護保険の改正論議では、2割の自己負担対象者を増やす方向で話が進められている。それが現実となれば、所得水準よって負担が倍増する利用者が増える。湯水のようにお金が使えなければ、フルコースの在宅介護は夢物語で終わるだろう』、「在宅介護の限界は排泄です・・・ヘルパーさんを長時間入れると、自費負担が増えてあっという間に月の費用が30万円をこえてしまう。それなら、20万円以下の費用で済む施設に移るというようなケースが多いですね」、なるほど。
・『なり手が少なく有効求人倍率は15倍 高齢化が進むヘルパーは絶滅危惧種  「在宅介護は崩壊寸前」と、業界関係者は口をそろえる。 サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)などに併設する事業者を除くと、ホームヘルパーを確保できず、廃業する例が相次いでいるからだ。 ホームヘルパーは高齢化が進み、80代の現役も珍しくない。有効求人倍率は約15倍。一人の採用に15社が群がる異常事態が続いている。業界ではホームヘルパーを“絶滅危惧種”と呼ぶ。 なり手が少ないのは当然だ。将来がある若い人にとって、施設で働いたほうが安定した給料が見込め、キャリアアップも期待できる。しかも、訪問介護は危険を伴う。 今年1月、訪問診療先で医師が殺害されるという悲惨な事件が埼玉県内で起きた。この事件を受けて県が行ったアンケート調査に、医師や看護師、ホームヘルパーの半数が暴力やハラスメントを受けた経験があると回答している。 埼玉県は警備会社と契約し複数で訪問するための補助金を出すなどの対策を検討しているが、財源に余裕のない自治体ではとうてい無理な話である。 人手不足解消の切り札として期待される外国人も急激に増えない上に、言葉の問題から、ほとんどが特別養護老人ホーム(特養)など施設での採用になる。 日本の財政が悪化するなかで、政府もない袖はふれないので、介護保険に回す財源は今後も多くを期待できない』、「なり手が少なく有効求人倍率は15倍 高齢化が進むヘルパーは絶滅危惧種」、「訪問診療先で医師が殺害されるという悲惨な事件が埼玉県内で起きた」、「埼玉県は警備会社と契約し複数で訪問するための補助金を出すなどの対策を検討しているが、財源に余裕のない自治体ではとうてい無理な話」、「政府もない袖はふれないので、介護保険に回す財源は今後も多くを期待できない」、やはり「介護」は非効率な自宅ではなく、効率的な「施設」中心になるのだろう。
・『月々の支払いは年金だけが頼りなのに施設の食費や管理費の値上げがつらい  人材や財源が慢性的に不足するなか、2025年には団塊世代のすべてが75歳以上の後期高齢者になる。厚生労働省は、要介護者は600万人を超え、介護職が32万人不足すると予測している。 高齢者の核家族化は、介護難民を増やす要因となるかもしれない。厚生労働省の調査によれば、65歳以上の「おひとりさま」は742万人、夫婦のみの「おふたりさま」も700万世帯に及ぶ(2021年)。(図表:人材と財源の不足で利用者は自己負担増へ はリンク先参照) 最近の傾向として、配偶者の死別後、子どもがいてもそのまま一人で暮らす高齢者が多い。予備軍を入れると1000万人を超える「おひとりさま」は、介護が必要になった時に資金的な余裕がなければ、料金が安い施設への入居しか選択肢はなくなる。 救いは、費用の安い特養が入りやすくなっていることだろう。 2015年に入居条件を要介護3以上に限定したことから、入居期間が短くなり、数百人と言われた待機者もかなり少なくなった。大量の特養が建設された東京の西多摩地区では空きが目立ち、入居者の確保に苦戦を強いられているほどだ。 西多摩地区は立地に難があったが、今後は世田谷区、練馬区などでも東京都の補助金を頼りにした開設ラッシュが続く。親の介護に直面していて、親のお金が十分でないなら、真っ先に検討の対象にするべきだろう。 しかし、特養は要介護3以上の認定が必要で、個室タイプが少ない、なんとなく“施設感”が漂う、など抵抗感を持つ人もいるだろう。 そんな人には、介護付き有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が検討の対象になる。特養並みの料金のホームから、入居金が数百万~数千万円のホームまで、選択の幅は広い。 金融資産や自宅の処分で5000万円以上を用意できる「おひとりさま」や「おふたりさま」なら、元気なうちに自立者向けの施設に入り、趣味やスポーツを通して仲間と余生を楽しむという道もある。 今年になって、施設の入居者や入居を検討している人には、インフレの波が重くのしかかっている。主に、月々に支払う食費や管理費の値上げである。月の利用料を年金から払っている入居者には、とても切実な問題だ。「将来、払えなくなって退去を迫られるのはつらいから、といって入居をあきらめた方もいらっしゃいました」と、ある老人ホームの募集担当者が明かす。 親や自分の介護が必要になった時、資産や体の状態に応じて、どのような選択肢があるのか、知っておくことは大切である。頭がしっかりして体が動くときでないと、できない準備もあるからだ』、「配偶者の死別後、子どもがいてもそのまま一人で暮らす高齢者が多い。予備軍を入れると1000万人を超える「おひとりさま」は、介護が必要になった時に資金的な余裕がなければ、料金が安い施設への入居しか選択肢はなくなる」、「救いは、費用の安い特養が入りやすくなっていることだろう。 2015年に入居条件を要介護3以上に限定したことから、入居期間が短くなり、数百人と言われた待機者もかなり少なくなった」、「特養は要介護3以上の認定が必要で、個室タイプが少ない、なんとなく“施設感”が漂う、など抵抗感を持つ人もいるだろう。 そんな人には、介護付き有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が検討の対象になる。特養並みの料金のホームから、入居金が数百万~数千万円のホームまで、選択の幅は広い。 金融資産や自宅の処分で5000万円以上を用意できる「おひとりさま」や「おふたりさま」なら、元気なうちに自立者向けの施設に入り、趣味やスポーツを通して仲間と余生を楽しむという道もある」、保有している資産の格差で如実に差が出てくるようだ。
・『介護がまだ不要な富裕層なら自立型の高級老人ホーム  『週刊ダイヤモンド』10月29日号の第一特集は「選ぶ介護」です。急増する高齢の「おひとりさま」や「おふたりさま」(夫婦のみ世帯)は、親の介護だけでなく、自分の介護をどうするか、という問題に対処しなければなりません。在宅でぎりぎりまで頑張るにせよ、施設入居を検討するにせよ、元気なうちに準備しておくことが大切です。 人生100年時代、できれば住み慣れた我が家で最期まで過ごしたいと考えている人は多いでしょう。しかし、身体の状態や認知症などの進み具合によって、地域の訪問介護サービスが十分でなければ、やがて在宅での介護は限界を迎えます。 介護難民になりそうな人にとって救いは、特養があまり始めたこと。ただし、認知症患者や身寄りのない入居者が多い特養は、民間に比べて虐待が発生しやすいともいわれています。医療系が運営主体の特養は、不要な検査を受けさせられたり、入院させられたりすることも。特養を選ぶ際にどんな点に注意すべきか、本特集ではチェック表を掲載しました。 特養には抵抗がある、入居要件である要介護3までの重度者ではない、という人に参考にしていただきたいのが、恒例の「老人ホームランキング」です。 親を入れたい場合には「介護型」、元気な方で早めに入って仲間を作り、第2の人生を楽しみたいという人にとっては「自立型」のランキングが参考になるはすです。自立型は高級ホームが多く、入居金も数千万円から数億円。資金的によほど余裕のある人を除いて、入ったら最後、簡単には退去できません。年齢別、性別など複雑になっている入居金についても、図解で解説しました。 その他にも、親のため、自分のために、介護サービスや施設を選択する際に必要な情報が詰まった一冊です』、「特養」か「民間」か、「介護型」か「自立型」か、「入居金」や生活費などの負担金などの格差が大きいだけに、信頼できる資料に基づいた慎重な検討が必要だ。

次に、5月26日付け日経ビジネスオンラインが掲載したノンフィクション作家の松浦 晋也氏による「「家に帰る」という認知症の入居者、スタッフはどう導くのか」を紹介しよう。
https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00444/051100006/
・『2017年3月、「『事実を認めない』から始まった私の介護敗戦」から連載を開始した、松浦晋也さんの「介護生活敗戦記」は、科学ジャーナリストとして自らを見る冷徹な視点から、介護を通した母親との壮絶な体験を、ペーソスあふれる文章で描き、絶大な支持をいただきました。コメント欄に胸を打つ投稿が相次いだのも記憶に残るところです。 この連載は『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』として単行本・電子書籍となり、介護関連の本としては異例の支持を集めました。22年1月には集英社文庫に収録されております(こちら。文庫版にはジェーン・スーさんとの対談が追加されています)。 そして5年後。前回の最後は、松浦さんのお母様がグループホームに入ったところでしたが、今回はそこから今日まで起こったさまざまな出来事が語られます。 介護施設に入居したことで、母親の介護は終わったのでしょうか。 入居後にお母様、そして松浦さんを待っていたのはどんなことなのか。 ぜひじっくりとお読みください。 母のいるグループホームは「看取り(みとり)」に対応している。つまり、入居者がグループホームで最期を迎えることを想定して体制を組んでいる。 グループホームは「健康に問題がない認知症の人」の入る施設だ。このため看取りは、特に悪いところのない老衰による最期を意味する。明らかに病気による衰弱が始まった場合は、医療行為が必要となるので病院に入院することになる。 看取りに対する対応は、グループホームによって色々違うのだそうだ。看取りに対応していないグループホームもあって、その場合は、看取り対応の施設や、病院あるいはホスピスなどに送り出す。 老衰の場合、だいたいの場合は食事が食べられなくなり、体重が落ちていくことで、「ああ、この人は寿命だ」と分かるのだという。「体格にもよるのですけれど、お母様程度の体格の女性の場合は体重40kgがひとつの目安です。これを切ると危険水域です」とは、Kグループホーム長の言である。母のいるグループホームでは、最後の数日については家族の寝泊まりにも対応する。 老人ばかりが入居するグループホームは、けっこうな頻度で入居者が入れ替わる。病気で退居する人との入れ替わりや、老衰死で空いた部屋に新たな入居者が入る。前回の訪問ではリビングで介助を受けながら健啖な食欲を発揮していた人が、次の訪問ではもういない、というようなことが起きる。事情を聞くと「急に食べなくなって、3日で亡くなられました」ということだったりする』、「グループホームは「健康に問題がない認知症の人」の入る施設だ。このため看取りは、特に悪いところのない老衰による最期を意味する。明らかに病気による衰弱が始まった場合は、医療行為が必要となるので病院に入院することになる。 看取りに対する対応は、グループホームによって色々違うのだそうだ。看取りに対応していないグループホームもあって、その場合は、看取り対応の施設や、病院あるいはホスピスなどに送り出す」、どうせなら「看取りに対応している」「グループホーム」の方が便利だ。
・『不安がもたらす症状が突然顔を出す  ホームのリビングは天井が高く、内装は明るく、日差しもきれいに入ってくる。それでも、入居者が入れ替わることで、否応なしに「ここは人が死に至るまでの最後の時間を過ごす場所だ」ということを意識させられる。 新しく入居した方の認知症の症状は、前の方とはまったく異なるのが普通だ。母の見舞いと共に、それらの入居している人々と話し、観察していくことで、自分は、認知症という病気が非常に多様であることを実感した。認知症にはいくつもの原因があり、症状の現れ方は多様であると頭では知っていたが、実地に体験すると、その多様さは予想以上だった。 と同時に、その根底には共通して「不安と安心」があることが見えてきた。 母の入居当初、最初に話をするようになったのは、主に症状が軽い方だった。ご存じの通り、介護保険制度では、介護を受ける人を7段階に区分し、段階に応じた手当を行う仕組みになっている。家事や身支度などの日常生活に他者の支援が必要になり、助けないと次の「要介護」に進行する可能性がある状態を「要支援」、症状が進行して日常生活の動作に常時介護が必要になった状態を「要介護」と定義し、それぞれ「要支援1」「要支援2」、「要介護1」から「要介護5」と7段階に区分しているのだ。 グループホームへは「要支援2」から入居できる。だから「要支援2」や「要介護1」の比較的認知症の症状が軽い人もいる。 こういう方たちは、ちょっと見たところでは普通の人と変わらない。日常的な会話はできるし、私が家の老犬「ロンロン」を連れていくと、「かわいい!」と歓声を上げて集まってきて、代わる代わるだっこしたりする。 ところが、まったくの健常ではないことが、ふとした拍子に分かるのだ。 犬を連れて帰ろうとすると、おばあさんの一人が「あー、楽しかった。じゃあ私も帰ろうかしら」といって立ち上がったりするのである。自分がグループホームに入居しているということの自覚がないのだ。 それまで普通に話をしていた人が、急におかしなことを言うのにはぎくりとする。日常に突如として裂け目が発生して、なにか見てはならない荒涼とした風景が垣間見える気分になる。 そんなときスタッフは決して、「いいえ、あなたは今ここに住んでいるんですよ」といった、諫めるようなことは言わない。「そうですか。もう少ししたらお茶とお菓子を出すつもりだったんですよ」とか、「今日は晩ご飯も食べていきませんか」というように、相手の意識を「帰る」というところから引き離すようにして注意をそらす。すると「あら、悪いわ」とか言いながら、おばあさんは再度腰を下ろし、話をしているうちに帰ろうとしていたことを忘れるのである。 「帰る」ということは、認知症の方には、わりと一般的な観念なのだと、私は知った。では、なぜ帰ろうとするのか?』、「犬を連れて帰ろうとすると、おばあさんの一人が「あー、楽しかった。じゃあ私も帰ろうかしら」といって立ち上がったりする」、「諫めるようなことは言わない。「そうですか。もう少ししたらお茶とお菓子を出すつもりだったんですよ」とか、「今日は晩ご飯も食べていきませんか」というように、相手の意識を「帰る」というところから引き離すようにして注意をそらす。すると「あら、悪いわ」とか言いながら、おばあさんは再度腰を下ろし、話をしているうちに帰ろうとしていたことを忘れるのである」、「認知症」患者の扱いには、思いもかけないノウハウがあるようだ。
・『「泊まっていってください」  入居者の中に、大変活発にお話をするおばあさんがいた。歩行や座る、立つといった動作は一般人と変わりなく、スタッフに呼ばれればさっさと食事の支度に参加し、そつなく会話を交わす。はて、この方はどこが認知症なのだろうと思っていたある日、たまたま事情があってホームを就寝時刻になってから訪問することになった。 就寝時にケアすべきことは多い。入居者に歯を磨かせ、寝間着に着替えさせ、夜中に何回も起きてこなくても済むようにトイレに行かせる。もちろん一人では着替えができない人はいるし、トイレもままならない人もいるから、ケアはけっこうな重労働だ。そんな仕事をこなすスタッフの方と、合間を縫うようにして母の状態について情報を交換する。一段落ついたな、と思った頃、その活発なおばあさんが起きてきた。おや、さきほど「おやすみなさい」と言って就寝したはずではないか、と不審に思う間もなく、「ねえ、なぜ私ここにいるのかしら。もう夜も遅いし家に帰らなくちゃ」と言う。 えっ、と驚く私。まったく驚く様子もないスタッフリーダーのOさん。Oさんは、「大丈夫ですよ。今日は遅いのでちゃんとベッドを用意しました。泊まっていってくださいな。ご家族にも連絡しておきましたから」と柔らかく話しかける。「でも悪いわ。泊まるんならお金払わなくちゃ」とおばあさんが言うと、「もう頂戴してますから払わなくてもいいんですよ」と返す。「……そう、そうなんだ。じゃあお世話になるわ。おやすみなさい」と自室に戻っていくおばあさん』、「大変活発にお話をするおばあさんがいた。歩行や座る、立つといった動作は一般人と変わりなく、スタッフに呼ばれればさっさと食事の支度に参加し、そつなく会話を交わす」、「その活発なおばあさんが起きてきた。おや、さきほど「おやすみなさい」と言って就寝したはずではないか、と不審に思う間もなく、「ねえ、なぜ私ここにいるのかしら。もう夜も遅いし家に帰らなくちゃ」と言う。 えっ、と驚く私。まったく驚く様子もないスタッフリーダーのOさん。Oさんは、「大丈夫ですよ。今日は遅いのでちゃんとベッドを用意しました。泊まっていってくださいな。ご家族にも連絡しておきましたから」と柔らかく話しかける。「でも悪いわ。泊まるんならお金払わなくちゃ」とおばあさんが言うと、「もう頂戴してますから払わなくてもいいんですよ」と返す。「……そう、そうなんだ。じゃあお世話になるわ。おやすみなさい」と自室に戻っていくおばあさん」、「認知症」患者への対応へのあと1つの重要なノウハウのようだ。
・『「帰りたい」のは「不安」だから  が、それで終わりではなかった。少しするとまたひょこひょことリビングに出てきて「なぜ私ここにいるのかしら」と同じことを言う。Oさんも同じ話を繰り返し、おばあさんは納得して部屋に戻り、そしてまた出てきて「ねえ、なぜここにいるのかしら」……。 これを何回繰り返したか。おばあさんが出てこなくなると、Oさんは少しほっとした表情を見せた。「あの方は、夜になると不安になるんですよ。それで毎晩就寝前になると、なぜここにいるんだろう、と起きてくるんです」 このとき、私は理解した。「帰る」のは「不安」だからだ。「不安だから自分のよく知っている、安心できるところに帰りたい」のだ、と。2年半、母を介護していて気が付かなかったのか、と言われれば、「すいません、気が付きませんでした」と言うしかない。 ともかく私は、グループホームで母以外の認知症の方と接することで、やっとこさ認知症の根底に「不安」があることに気が付いた。 不安の根源には、認知機能の劣化がある。本人の主観からは「周りの世界が自分の知らない形に変化してしまう」と見えるのだろう。だから怖いし不安になる。だから安心できる場所に帰りたくなる。 認知症の方の症状は多様だ。それぞれ固有の認知症の現れ方を抱えている。と、同時にその奥底には共通して、「不安」と、不安からの脱出手段としての「帰る」が渦巻いているのである。 もう少し認知症が進行したか、と思える人になると、異常行動が現れるようになる。それは以前も書いた徘徊だったり、靴を自室に持っていったりしてしまうといったものだ。 が、徘徊ひとつとっても、「入居前に住んでいた家に帰ろうとしての徘徊」「もうなくなってしまっている故郷に帰ろうとしての徘徊」「若い頃からの生活習慣として身に付いた散歩の表れとしての徘徊」と、本人の内面における位置付けは様々だ。しかもどこかに帰ろうとしての徘徊には、一緒に住んでいた今は亡き配偶者とか両親や兄弟に会いたいという、切ない心の動きがあったりする』、「認知症の方の症状は多様だ。それぞれ固有の認知症の現れ方を抱えている。と、同時にその奥底には共通して、「不安」と、不安からの脱出手段としての「帰る」が渦巻いているのである。 もう少し認知症が進行したか、と思える人になると、異常行動が現れるようになる。それは以前も書いた徘徊だったり、靴を自室に持っていったりしてしまうといったものだ」、「グループホームで母以外の認知症の方と接することで、やっとこさ認知症の根底に「不安」があることに気が付いた」、やはり「母親」だけを見ているよりは、客観視できるからなのだろう。
・『他人の部屋のものをすっと持っていく人  グループホームのスタッフは、そういうひとつひとつの事情に対応して、接し方を工夫し、異常行動が出ないようにもっていこうとする。それは、「入居者が安心して過ごせるようにする」ということでもある。Kホーム長は、私との会話の中で「僕らからどんなに変に思える行動にも、本人の内面ではきちんと筋の通った理由があるんです」とよく言っていた。どんなに不可解な行動でも、理由を理解した上で不安を無くす方向で接していけば、徐々にでも収まっていくというわけだ。 それは本当にプロの対人技術を必要とする、大変な仕事だと思う。いちど、母の居室で母と話をしていると、突然知らないおばあさんが部屋に入ってきたことがあった。何も言わずにそのまま母の化粧品のひとつをすっと手に取って出ていってしまった。こっちはびっくりして、何もすることはできなかった。 すぐにケアマネのYさんが来て、「ごめんなさい!」と言う。「入居したばかりの方なんですが、他の人の部屋に入ってものを持ってっちゃうんです。多分しばらく続くと思いますけれど、持っていったものは私たちが責任を持って戻しておきますから、許してください」 ホームの介護を受けているこちらとしては、許すも許さないもなく、とにかくこの状況を受け止めるしかない。 その後しばらくして、このおばあさんはものを持ち去ることをしなくなった。おそらくご本人の内面では、なにか理由があってものを持っていっていたのだろう。ものを持っていくという行為が何らかの機序で不安を解消していたのだろう。スタッフが理由を探り、理解し、寄り添うことで、異常行動は止まったのだろう。 さらに認知症が進み、脳の別の部位の萎縮が進行すると、今度は妄想が出てきたりする。表れとしては精神の病に近い。私が遭遇した例では、なぜかテレビに映るアナウンサーの女性に対して、執拗に「このバカ女! バカ女!」と罵声を投げかけるおばあさんがいた。 こうなると、かかりつけの医師の判断で精神科の投薬を受けることになる。時折、老人施設について「精神科の薬でおとなしくさせて、結果一日中ぼおっとなってしまって、認知症が進行する」というような批判を聞くことがある。が、私がグループホームで体験した限りにおいては、精神的・情緒的な病態が出てきた場合には、精神系の投薬はやむを得ない、むしろ必要なものと考える。罵声ぐらいならまだしも、暴れてスタッフがけがをするということもあり得るのだから。後述するが、母もまた症状の進行とともに妄想が出て、スタッフにけがをさせてしまうということが起きた』、「精神的・情緒的な病態が出てきた場合には、精神系の投薬はやむを得ない、むしろ必要なものと考える。罵声ぐらいならまだしも、暴れてスタッフがけがをするということもあり得るのだから」、確かに「スタッフがけがをする」のは避ける必要がありそうだ。
・『スタッフの助けとなる「家族が書く書類」  精神的な問題が出ている場合にも、スタッフの側は「この人の内面では何が起きているのか、なにが不安なのか。なにか本人としては合理的な道筋をたどった結果、このような症状が出ているのではないか。とするなら、どのように接すれば、穏やかに過ごせるようになるか」と考え、実際にそのように接する。繰り返すが、プロの仕事という他ない。 スタッフと入居者との会話の基本となっているのが、入居時に家族が書く書類だ。母がこのグループホームに入居するにあたって書いた書類の中には、母の性格、生育歴に履歴、趣味などを書く欄があった。「なるべく詳細に記入してください。それをとっかかりにして私たちはお母様と会話しますから」と言われたのだが、実際にホームにお世話になって、会話のきっかけが大変重要であることを痛感した。 ひとこと話をすれば、次のひとことにつなげることができる。つなげることができれば、さらに会話を重ねて、相互の信頼関係を構築することができる。信頼関係ができれば、対話の中で入居者の内側に渦巻く不安を解消していくことが可能になる。 ただ、それも時代につれて、色々難しい要素が入ってくるようだ。ある日、私はKホーム長が難しい顔をして、考え込んでいるところに行き合わせた。 「どうしたんですか」という質問に、ホーム長曰く「今度入居する方の書類を読んでいるのですが、この方、スキューバ・ダイビングが趣味だったんだそうですよ」。 それの何が問題なのか分からない私に向かって、Kさんは続けた。 「我々スタッフの中にスキューバダイビングの経験者はいないんです。一体どうやって話を合わせていけばいいんでしょうか」』、「「なるべく詳細に記入してください。それをとっかかりにして私たちはお母様と会話しますから」と言われたのだが、実際にホームにお世話になって、会話のきっかけが大変重要であることを痛感した」、とはいえ、「我々スタッフの中にスキューバダイビングの経験者はいないんです。一体どうやって話を合わせていけばいいんでしょうか」、ニッチな趣味の場合は、確かに難しそうだ。ただ、「スキューバダイビング」をしていた人が、「認知症」になるというのは、何かピントこないものがある。

第三に、この続きを、6月16日付け日経ビジネスオンラインが掲載したノンフィクション作家の松浦 晋也氏による「身の置き所がない。母、ホームのスタッフにケガをさせる」を紹介しよう。
・『親を「グループホーム」に入れたらどんな介護生活になるのか。 そもそも「グループホーム」とは、どこにある、どんなところなのか? 親が高齢になれば、いずれ否応なく知らねばならない介護施設、その代表的なものの一つである「グループホーム」。『母さん、ごめん2 50代独身男の介護奮闘記 グループホーム編』で、科学ジャーナリスト、松浦晋也さんが母親をグループホームに入れた実体験を、冷静かつ暖かい筆致で描き出します。 介護は、事前の「マインドセット」があるとないとではいざ始まったときの対応の巧拙、心理的な負担が大きく変わってきます。本連載をまとめた書籍で、シミュレーションしておくことで、あなたの介護生活が「ええっ、どういうこと?」の連続から「ああ、これか、来たか」になります。 書籍・電子版で6月23日発売予定です。 本書の前段に当たる、自宅介護の2年半を描いた『母さん、ごめん。 50代独身男の介護奮闘記』は、電子版、集英社文庫が発売中です。 2017年の年末から2018年の年頭にかけては、“ハンサムなおじいさん”だったSさんが母の内面に残した余波に、私も揺さぶられっぱなしだった。母は「Sさんが結婚しようと言ってくれた」と繰り返す。私は複雑な気分を飲み込みつつ「そう、良かったね」と返事する。 もちろんSさんはもういない。グループホームを退居したからだ。それだけではなく、病気を患っていたSさんは、ほどなくこの世を去ったと、私はKホーム長から聞かされた。 Sさんはもういない。どこにもいない。が、母は「結婚しようと言ってくれた」と繰り返し、私はそれに「良かったね」と繰り返し答える以外の手を持たない。 が、「結婚しようと言ってくれた」は、事の始まりだったのである。 記録を見返すと、自分がこれに気が付いたのは2018年3月14日のホーム訪問の時だった。この日、お菓子を持って母とお茶にしようと訪問すると、いきなり母から「あの子が帰ってくるって電話してきたから、私一緒に住む。だからもう家に帰る」と言われた。あの子とは在ドイツの妹のこと。もちろん妹は母に電話していない。妹がドイツから帰国するという事実もない。が、母は「あの子が帰ってくるから一緒に住む。だから帰る。ここから出して」と言い募る。 そのうちに「私をこんなところに閉じ込めて、お前はひどい。むごい息子だ」と怒りだし、ぽかぽかと私を叩きはじめた。力が落ちているので痛くはない。が、身に覚えのないことで責められ、叩かれるのは精神を消耗する』、「母は「結婚しようと言ってくれた」と繰り返し、私はそれに「良かったね」と繰り返し答える以外の手を持たない」、確かに真実を打ち明けても、「母親」がそれを受け入れるかは疑問だ。「母から「あの子が帰ってくるって電話してきたから、私一緒に住む。だからもう家に帰る」と言われた。あの子とは在ドイツの妹のこと。もちろん妹は母に電話していない。妹がドイツから帰国するという事実もない。が、母は「あの子が帰ってくるから一緒に住む。だから帰る。ここから出して」と言い募る。 そのうちに「私をこんなところに閉じ込めて、お前はひどい。むごい息子だ」と怒りだし、ぽかぽかと私を叩きはじめた。力が落ちているので痛くはない。が、身に覚えのないことで責められ、叩かれるのは精神を消耗する」、母親は、自分の願望を事実と取り違えてしまったようだ。
・『ついに始まったか  こうなると母と会話するどころではないので、早々に退散してスタッフの方と相談する。この症状は数日前から急に出るようになったのだという。 「『ほら、そこにSさんがさっきまで座っていた』とか言い出しまして……」とケアマネジャーのYさん。「他にも『私、Sさんに結婚を申し込まれちゃったけど言いふらさないで』とか……」。 妹が帰ってくると言っていたんですが、とYさんに問うと「『さっき妹さんが電話をかけてきた』というのもよく言っています。『日本に帰ってくるって。帰ったらお母さん一緒に住もうと言ってくれた』とかですね」。 ついに始まったか――幻覚か妄想だ。 母のグループホーム入居により、私はホームの他の入居者の方の行動も見ることになった。中には明らかに妄想を発現している方もいて、私は脳の萎縮が進めば母もいずれ妄想が出るであろうと覚悟するようになった。認知症の症状は人によって様々だが、それでも一つの傾向がある。症状が進むと妄想が発現するのは、決して珍しいことではない。 母の記憶障害に気が付いたのが2014年7月だから、そこから3年9カ月で、妄想が出るまで症状が進行したわけである。 しかし、こんなに唐突に症状が出るとは思ってもいなかった。もっと緩やかに進行すると思っていたが……と考えていてはっと気が付いた。「Sさんが結婚しようと言ってくれた」――これこそは、妄想の前駆症状ではなかったか。 前兆はあったのだ。しかし気が付いていなかった。認知症を発症した時と同じ過ちを犯してしまったのだ。) 正直自分のうかつさに愕然とした。と同時に、困惑した。ここまで「Sさんが結婚しようと言ってくれた」という母に「そう、よかったね」と受け入れる形で対応してきた。とすると、妄想もまたそれを受け入れる形で対応しなくてはならないのか。「お前はひどい息子だ」と、ぽかぽか殴りかかってくる母に、「そうだねえ」とにこやかに対応しなくてはならないのだろうか。 その通りだった。グループホーム側は、妄想が出始めた母に対して、どのような対応をした介護を行うか、ミーティングを持ってくれた。その結果「松浦さんの場合、大切なのは本人の心の平安なので、受け入れて応対する」ということになったのだ。 これがもう、見ているだけで胃が痛くなるようなことだった。妄想の発現以来、母の症状は徐々に進行し、程なく「誰かが自分のいない間に、自分の家に勝手に入り込んで住み着いている」というものに変化した。そしてその誰かが、その都度周囲にいるスタッフだと思い込むようになってしまったのである。 何かの拍子に母は怒り出す。「なんでお前、私の家に上がり込んで勝手に住んでいるんだ。誰の許しを得てそんなことしているんだ」。すると介護をするスタッフは「はい、すみません」とまず謝る。そして「あんまりきれいなお家だったんで、つい住んでみたくなってしまったんです。ごめんなさい」と続ける。つまりは母の自尊心をくすぐるわけだ。すると勝ち誇った母は「もうしないか?」と問いかける。「はい、もうしません。ごめんなさい」……で、母は納得しておとなしくなる』、「認知症」、「症状が進むと妄想が発現するのは、決して珍しいことではない。 母の記憶障害に気が付いたのが2014年7月だから、そこから3年9カ月で、妄想が出るまで症状が進行したわけである。 しかし、こんなに唐突に症状が出るとは思ってもいなかった・・・はっと気が付いた。「Sさんが結婚しようと言ってくれた」――これこそは、妄想の前駆症状ではなかったか。 前兆はあったのだ。しかし気が付いていなかった。認知症を発症した時と同じ過ちを犯してしまったのだ」、「妄想の発現以来、母の症状は徐々に進行し、程なく「誰かが自分のいない間に、自分の家に勝手に入り込んで住み着いている」というものに変化した。そしてその誰かが、その都度周囲にいるスタッフだと思い込むようになってしまったのである。 何かの拍子に母は怒り出す。「なんでお前、私の家に上がり込んで勝手に住んでいるんだ。誰の許しを得てそんなことしているんだ」。すると介護をするスタッフは「はい、すみません」とまず謝る。そして「あんまりきれいなお家だったんで、つい住んでみたくなってしまったんです。ごめんなさい」と続ける。つまりは母の自尊心をくすぐるわけだ。すると勝ち誇った母は「もうしないか?」と問いかける。「はい、もうしません。ごめんなさい」……で、母は納得しておとなしくなる」、「介護をするスタッフ」も事前のシナリオに従っているとはいえ、やはり大変そうだ。
・『自分の身の上を必死に考えるから  ところが母は記憶が続かない。すぐにまた「なんでお前、私の家に上がり込んで勝手に住んでいるんだ。誰の許しを得てそんなことしているんだ」「はい、住んでました。ごめんなさい」……これを何度も何度も繰り返す。 ケアマネYさんをはじめとして、スタッフの方たちはみな「私らはこれで給料貰ってますからね」と言ってくれたのだが、いくら給料を貰っていたって、これはきつい。精神的にものすごくきつい。 一方で母は私には「家にいる変な人追い出して」という。その都度「うん、やっておくよ」と答える。それはさほどつらいわけではない。むしろつらいのは「私を家に帰せ、戻せ」という要求が強くなったことだ。「準備をきちんとしてからね」と答えると、「お前はひどい息子だ。私をこんなところに閉じ込めて」と非難されるのだ。 「仕事ですから」というのはKホーム長以下、スタッフの口から何度も出た言葉だった。仕事だから、家族にはできないことができる。仕事としてやるから耐えられる。むしろ仕事でなければ、こんなことはできない、と。 しかし「なんで勝手に私の家に住んでいる!」と理不尽に怒る母をなだめてその精神を安定させる仕事というのは、なんと大変なことだろうか。 ロックバンドBUMP OF CHICKENに「ギルド」という曲がある(2004年発売のアルバム「ユグドラシル」に収録※)。「人間という仕事をしてきたが、ふさわしい給料を貰ったという実感はない」といった気持ちを歌い、「休みをください」と哀願する、そんな曲だ――。怒り、勝ち誇る母を支えるスタッフの姿になぜか重なるように思えた。歌のほうは「生きていくことは仕事ではないよ、素晴らしいことがいっぱいあるよ」という内容へと続いていくのだけれど。 ※ 作詞・作曲 藤原基央 なぜ母は「自分の家に誰か住み着いている」というような妄想にとらわれるようになったのか。 「失われつつある能力を使って必死に考えているからなんですよ」とKホーム長は説明する。「認知症の方の主観では、自分の身の上に、納得できないおかしなことが次々に起きているんです。なぜか自分は自分の家じゃないどこか違う馴染みのない場所で、家族じゃない知らない人に囲まれて暮らしている。なんでこんなことが起きているのか、みんな必死に考えて合理的な理由を探すんです。その結果がお母さまの場合、『誰かが自分の家に住み着いている』なんですよ」。 いまひとつ納得できない私に、Kホーム長は続ける。 「お母さまは、今のグループホームにいる自分に納得していないのでしょう。なんでこんなところにいなくちゃいけないのか、それは誰か自分じゃない誰かが自分を追い出して家に住んでいるからに違いない、と考えるわけです。そう考えて原因が分かった気分になれば、自分の精神も安定しますしね。じゃあ、誰が自分の押しのけて自分の家に住んでいるのか。こんなところで自分を世話している人が怪しい、とね。認知症の方の考えは、たどっていくとちゃんと筋は通っているんです」 なるほど。衰えた記憶と知覚と思考力で考えているから、妄想になってしまうということか。 「そうですね。でも真面目に必死に考えた結果ですから、周囲で我々が受け入れてあげると安心して、本人の心も安定するわけです」』、「「認知症の方の主観では、自分の身の上に、納得できないおかしなことが次々に起きているんです。なぜか自分は自分の家じゃないどこか違う馴染みのない場所で、家族じゃない知らない人に囲まれて暮らしている。なんでこんなことが起きているのか、みんな必死に考えて合理的な理由を探すんです。その結果がお母さまの場合、『誰かが自分の家に住み着いている』なんですよ」。 「Kホーム長は続ける。「お母さまは、今のグループホームにいる自分に納得していないのでしょう。なんでこんなところにいなくちゃいけないのか、それは誰か自分じゃない誰かが自分を追い出して家に住んでいるからに違いない、と考えるわけです。そう考えて原因が分かった気分になれば、自分の精神も安定しますしね。じゃあ、誰が自分の押しのけて自分の家に住んでいるのか。こんなところで自分を世話している人が怪しい、とね。認知症の方の考えは、たどっていくとちゃんと筋は通っているんです」 なるほど。衰えた記憶と知覚と思考力で考えているから、妄想になってしまうということか」、「認知症」の人に「妄想」が生まれる背景がよく理解できた。
・『一気に暴力的になってしまった  とにもかくにも母の妄想をスタッフが受け止め続けて半年たった9月のことだった。グループホームを訪問すると、スタッフのOさんの二の腕に長く痛々しいひっかき傷ができていた。驚く私にOさんは口ごもりつつも「いや、ちょっとお母さまにひっかかれてしまいまして。なんでこんなところに私を閉じ込めておくんだ、と」と説明する。 ぽかぽか殴られるだけなら痛くないが、同じ力でも引っかかれるとなるとこれだけの傷になるのか。Oさんに申し訳なくて、私はひたすら頭を下げるしかない。 「いや、いいんです。これが僕らの仕事なんですから。これで給料貰っているんですから」とOさんは言う。が、ひっかき傷に傷病手当なんてないのだろう。まるでひっかかれ損ではないか。 実はそれだけではなかった。その後、Kホーム長から説明を受けたのだが、母が一気に暴力的になっていたのである。9月2日に突如として暴力がエスカレートして、「私をなぜこんなところに閉じ込める」「お前が私の家に勝手に住んでいるんだろ」と入居者、スタッフを問わず突っかかるようになったのだ。当然スタッフが止めに入るが、母は抵抗する。Oさんの腕にできたひっかき傷はその時のものだったらしい。 「なぜ一気にエスカレートしたのか分かりません。一度脳梗塞をやってますから、なにか脳に微細な損傷が発生して攻撃的になったという可能性もあります。が、本当のところは分かりません」とKホーム長に言われ、もう私はすいませんすいません、と頭を下げるばかりである。 9月の敬老の日は、入居者と家族が集まって簡単なパーティを開く。この日も母は機嫌が悪かった。「私を家に帰せ」「誰か家に勝手に住んでいる。お前だろ」とスタッフに突っかかり、せっかくのパーティの雰囲気を壊し続ける。矢面に立つ私は文字通りの針のむしろだ。否、スタッフの方々は毎日がこの針のむしろなのだろうと想像する。 そこに、ホーム入居以来の母の必殺技が炸裂する。「このご飯まずい」。いや、せっかくのパーティメニューにそれはないだろお母さん。 入居者が妄想にかられてスタッフに暴力を振るうということは、グループホームにとって大きな問題であるようだ。「もしも母のような力の弱い高齢者でなかったら」「例えば大柄で力の強いおじいさんが認知症による妄想を起こしたら」と考えれば、それが施設介護における大問題であることはすぐに想像できる。 実際ネットを渉猟すると「入居者の暴力でかなりのけがをした」というような介護職の書き込みが見つかったりするのだ。入居者の振るう暴力は、介護スタッフの離職の原因となることもしばしばらしい。 一体どうすればいいのか……。 そんな日々の中、突如家の電話が鳴った。出ると、「お母さんだけどね……」と、母ではないか。「私帰るからね。早く迎えに来て」という。びっくりして「ちゃんと準備してからね」と返事すると、「早く来て、もうここやだ」という。すぐに電話はスタッフに代わり、「すみません。次に来られる時に説明しますから」と言われて電話は終わった』、「突如として暴力がエスカレートして、「私をなぜこんなところに閉じ込める」「お前が私の家に勝手に住んでいるんだろ」と入居者、スタッフを問わず突っかかるようになったのだ。当然スタッフが止めに入るが、母は抵抗する。Oさんの腕にできたひっかき傷はその時のものだったらしい」、「入居者が妄想にかられてスタッフに暴力を振るうということは、グループホームにとって大きな問題であるようだ」、「入居者の振るう暴力は、介護スタッフの離職の原因となることもしばしばらしい」、本当に困ったことだ。
・『管理室に入り込むようになった母  次の訪問は気が重かった。が、行かないわけにはいかない。なんと母は、「帰る」と、電話のあるホームの管理室に入り込もうとするようになったのだという。スタッフは母が部屋に入ると電話線を抜いて対抗し、「今ちょっと電話が通じませんから後にしましょうね」と母の興奮を静めて部屋から連れ出していたのだが、ついに突破されてしまって、我が家に母から電話が入るという事態になったのだった。暴力性と共に母の行動力もスケールアップしていたのである。 と、同時に私は、母がまだ自宅の電話番号と電話のかけ方を覚えていて、しかも「家に帰りたい」という欲求に対して「電話をかける」という解を見つけたことに驚いていた。明らかに妄想から始まった母の異常行動は、残っている認知能力をも駆動しているではないか。 母の暴力のエスカレートを受けて、ホームかかりつけ医のK医師は、母に精神科の薬を処方すると決定した。処方されたのはリスペリドン。商品名は「リスパダール」だ。基本的には統合失調症に処方する薬で、ドーパミンとセロトニンという2種類の神経伝達物質の働きを緩和する。神経細胞にはこの2つの神経伝達物質を受け止める受容体という仕組みがある。リスペドリンは、受容体に働きかけてドーパミンとセロトニンの作用を抑える機能を持つ。ごく簡単に要約するなら神経の伝達が良すぎて興奮しっぱなしになるのを鎮静させる薬理作用を持つ。 ここで気になるのがすでに母が服用し続けている商品名「アリセプト」「メマリー」という認知症の対症療法薬との飲み合わせだ。アリセプトの有効成分ドネペジルは、神経伝達物質のアセチルコリンの分解を遅らせて一定濃度を維持する機能を持ち、メマリーの薬効成分メマンチン塩酸塩は、同じく神経伝達物質のグルタミン酸の過剰放出を抑制することで神経の正常な機能を維持する。リスパダールとアリセプト・メマリーとの同時服用は禁忌にはなっていない。が、一方でリスパダールの高齢者への投与は慎重に行うようにという指定も出ている。リスパダールの投与は通常1日2回、1mgずつだが、母の場合は1日1回、就寝前に1mgから始め、様子を見て増量するということになった。) 効能の発生機序が異なるので、おそらくは同時服用も可能なのだろう――そう考える。しかし、ここまで来ると、もう素人ではいくら調べても服用させてよいやら悪いやら、まったくわからない。医師を信じて任せるしかない。 確かにリスパダールの服用開始後、母の攻撃的な怒りは収まった。 残念なことに妄想は消えなかった。それまでは「誰かが自分の家に勝手に住み着いている。お前だろう!」と怒りを周囲に向けていたものが、「誰かが自分の家に勝手に住み着いているのよ」と冷静に指摘する口調に変わったのだ。淡々と妄想を語る母は不気味といえば不気味だが、それでも怒りもあらわに暴力を振るう母よりはずいぶんとましである。 怒りは薬効成分の血中濃度が高い午前中は出ず、濃度が下がってくる夕刻から就寝前にかけて出てくることから、リスパダールが効いていることが間接的に確認できた。 グループホームのスタッフや家族に対する、妄想に基づく攻撃的な態度は出なくなった。これは本当にありがたかった。が、同時に意識レベルが若干下がってぼおっとするようになったかにも思える。しかし、そのぼおっとした状態がリスパダールの副作用なのか、それとも認知症の進行によるものなのかは、なんとも判断し難い。 グループホームでの精神科の薬品の処方には、様々な意見がある。「認知症は精神の病気ではない。安易に精神科の薬品を処方すべきでない」とする意見があることは承知している。「薬を飲ませて意識レベルを低下させ、管理しやすくしているんだ」という意見があることも知っている。 その上で、これはもう気を付けつつも処方するしかないのだろう、というのが母の妄想と暴力を体験しての実感である。あのまま暴力をのさばらせ放題にした場合、グループホームのスタッフにかかる負荷は大変なものになっただろうと容易に予想できるのだ。とても家族から「精神科の薬の処方はやめてくれ」と言える状況ではなかったと判断している』、「これはもう気を付けつつも処方するしかないのだろう、というのが母の妄想と暴力を体験しての実感である。あのまま暴力をのさばらせ放題にした場合、グループホームのスタッフにかかる負荷は大変なものになっただろうと容易に予想できるのだ。とても家族から「精神科の薬の処方はやめてくれ」と言える状況ではなかったと判断」、当然だ。
・『鉛筆で描いた絵をざっと消すように  元気な頃の母は、決して暴力的な人ではなかった。認知症により脳が壊れていくことで暴力を抑制していた機能が働かなくなり、急に暴力的になったのだろう。 ひっかき傷の被害を受けたスタッフのOさんがしみじみと話してくれた。 「認知症の方の人格というかその人のあり様というか、そういうものは、鉛筆で描いた絵を消しゴムで、ざ、ざ、と大きなストロークで消していくように感じることがあるんですよ。絵の一部が消えてもその絵が何だったかはわかるんです。認知症になってもその人はその人なんです。でも、消えてしまった部分が増えていくと、あるところで、ふっとその絵がなんだかがわかりにくくなるんです」 その通りだと思った。認知症を患っても母は母だ。だが、妄想を抱いて怒る母は、もう以前の母と同人格とは思えない。 しかし、同時に私は「Sさんね、『ボクは家に帰るよ』と言って出て行ったの」という言葉も思い出していた。この言葉が出たときの母は、認知症以前の元気な頃の母だったのではないか。 だから私はOさんにこう答えた。「でも、その絵は鉛筆であると同時に生乾きの墨絵みたいなところもあって、消えたところに下から墨が染み出てきて、おぼろに以前の形が見えたりもする、と」 Oさんは叫ぶようにして言った。「ああ、そうですそうです!……ほんと、一筋縄ではいかないですね」』、「「認知症の方の人格というかその人のあり様というか、そういうものは、鉛筆で描いた絵を消しゴムで、ざ、ざ、と大きなストロークで消していくように感じることがあるんですよ。絵の一部が消えてもその絵が何だったかはわかるんです。認知症になってもその人はその人なんです」、「その絵は鉛筆であると同時に生乾きの墨絵みたいなところもあって、消えたところに下から墨が染み出てきて、おぼろに以前の形が見えたりもする、と」。「ほんと、一筋縄ではいかないですね」、その通りのようだ。
タグ:「入居者が妄想にかられてスタッフに暴力を振るうということは、グループホームにとって大きな問題であるようだ」、「入居者の振るう暴力は、介護スタッフの離職の原因となることもしばしばらしい」、本当に困ったことだ。 「「認知症の方の人格というかその人のあり様というか、そういうものは、鉛筆で描いた絵を消しゴムで、ざ、ざ、と大きなストロークで消していくように感じることがあるんですよ。絵の一部が消えてもその絵が何だったかはわかるんです。認知症になってもその人はその人なんです」、「その絵は鉛筆であると同時に生乾きの墨絵みたいなところもあって、消えたところに下から墨が染み出てきて、おぼろに以前の形が見えたりもする、と」。「ほんと、一筋縄ではいかないですね」、その通りのようだ。 「これはもう気を付けつつも処方するしかないのだろう、というのが母の妄想と暴力を体験しての実感である。あのまま暴力をのさばらせ放題にした場合、グループホームのスタッフにかかる負荷は大変なものになっただろうと容易に予想できるのだ。とても家族から「精神科の薬の処方はやめてくれ」と言える状況ではなかったと判断」、当然だ。 日経ビジネスオンライン 「突如として暴力がエスカレートして、「私をなぜこんなところに閉じ込める」「お前が私の家に勝手に住んでいるんだろ」と入居者、スタッフを問わず突っかかるようになったのだ。当然スタッフが止めに入るが、母は抵抗する。Oさんの腕にできたひっかき傷はその時のものだったらしい」、 「特養」か「民間」か、「介護型」か「自立型」か、「入居金」や生活費などの負担金などの格差が大きいだけに、信頼できる資料に基づいた慎重な検討が必要だ。 (その8)(介護人材は2025年に32万人不足!要介護者600万人時代に「介護難民」にならない備え、母さん ごめん2 二題:「家に帰る」という認知症の入居者 スタッフはどう導くのか、身の置き所がない 母 ホームのスタッフにケガをさせる) 介護 そんな人には、介護付き有料老人ホームやサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)が検討の対象になる。特養並みの料金のホームから、入居金が数百万~数千万円のホームまで、選択の幅は広い。 金融資産や自宅の処分で5000万円以上を用意できる「おひとりさま」や「おふたりさま」なら、元気なうちに自立者向けの施設に入り、趣味やスポーツを通して仲間と余生を楽しむという道もある」、保有している資産の格差で如実に差が出てくるようだ。 なるほど。衰えた記憶と知覚と思考力で考えているから、妄想になってしまうということか」、「認知症」の人に「妄想」が生まれる背景がよく理解できた。 「救いは、費用の安い特養が入りやすくなっていることだろう。 2015年に入居条件を要介護3以上に限定したことから、入居期間が短くなり、数百人と言われた待機者もかなり少なくなった」、「特養は要介護3以上の認定が必要で、個室タイプが少ない、なんとなく“施設感”が漂う、など抵抗感を持つ人もいるだろう。 「配偶者の死別後、子どもがいてもそのまま一人で暮らす高齢者が多い。予備軍を入れると1000万人を超える「おひとりさま」は、介護が必要になった時に資金的な余裕がなければ、料金が安い施設への入居しか選択肢はなくなる」、 「なり手が少なく有効求人倍率は15倍 高齢化が進むヘルパーは絶滅危惧種」、「訪問診療先で医師が殺害されるという悲惨な事件が埼玉県内で起きた」、「埼玉県は警備会社と契約し複数で訪問するための補助金を出すなどの対策を検討しているが、財源に余裕のない自治体ではとうてい無理な話」、「政府もない袖はふれないので、介護保険に回す財源は今後も多くを期待できない」、やはり「介護」は非効率な自宅ではなく、効率的な「施設」中心になるのだろう。 「Kホーム長は続ける。「お母さまは、今のグループホームにいる自分に納得していないのでしょう。なんでこんなところにいなくちゃいけないのか、それは誰か自分じゃない誰かが自分を追い出して家に住んでいるからに違いない、と考えるわけです。そう考えて原因が分かった気分になれば、自分の精神も安定しますしね。じゃあ、誰が自分の押しのけて自分の家に住んでいるのか。こんなところで自分を世話している人が怪しい、とね。認知症の方の考えは、たどっていくとちゃんと筋は通っているんです」 「「認知症の方の主観では、自分の身の上に、納得できないおかしなことが次々に起きているんです。なぜか自分は自分の家じゃないどこか違う馴染みのない場所で、家族じゃない知らない人に囲まれて暮らしている。なんでこんなことが起きているのか、みんな必死に考えて合理的な理由を探すんです。その結果がお母さまの場合、『誰かが自分の家に住み着いている』なんですよ」。 り大変そうだ。 何かの拍子に母は怒り出す。「なんでお前、私の家に上がり込んで勝手に住んでいるんだ。誰の許しを得てそんなことしているんだ」。すると介護をするスタッフは「はい、すみません」とまず謝る。そして「あんまりきれいなお家だったんで、つい住んでみたくなってしまったんです。ごめんなさい」と続ける。つまりは母の自尊心をくすぐるわけだ。すると勝ち誇った母は「もうしないか?」と問いかける。「はい、もうしません。ごめんなさい」……で、母は納得しておとなしくなる」、「介護をするスタッフ」も事前のシナリオに従っているとはいえ、やは 前兆はあったのだ。しかし気が付いていなかった。認知症を発症した時と同じ過ちを犯してしまったのだ」、「妄想の発現以来、母の症状は徐々に進行し、程なく「誰かが自分のいない間に、自分の家に勝手に入り込んで住み着いている」というものに変化した。そしてその誰かが、その都度周囲にいるスタッフだと思い込むようになってしまったのである。 「在宅介護の限界は排泄です・・・ヘルパーさんを長時間入れると、自費負担が増えてあっという間に月の費用が30万円をこえてしまう。それなら、20万円以下の費用で済む施設に移るというようなケースが多いですね」、なるほど。 ダイヤモンド・オンライン「介護人材は2025年に32万人不足!要介護者600万人時代に「介護難民」にならない備え」 「母は「結婚しようと言ってくれた」と繰り返し、私はそれに「良かったね」と繰り返し答える以外の手を持たない」、確かに真実を打ち明けても、「母親」がそれを受け入れるかは疑問だ。「母から「あの子が帰ってくるって電話してきたから、私一緒に住む。だからもう家に帰る」と言われた。あの子とは在ドイツの妹のこと。もちろん妹は母に電話していない。妹がドイツから帰国するという事実もない。が、母は「あの子が帰ってくるから一緒に住む。だから帰る。ここから出して」と言い募る。 松浦 晋也氏による「身の置き所がない。母、ホームのスタッフにケガをさせる」 「「なるべく詳細に記入してください。それをとっかかりにして私たちはお母様と会話しますから」と言われたのだが、実際にホームにお世話になって、会話のきっかけが大変重要であることを痛感した」、とはいえ、「我々スタッフの中にスキューバダイビングの経験者はいないんです。一体どうやって話を合わせていけばいいんでしょうか」、ニッチな趣味の場合は、確かに難しそうだ。ただ、「スキューバダイビング」をしていた人が、「認知症」になるというのは、何かピントこないものがある。 「精神的・情緒的な病態が出てきた場合には、精神系の投薬はやむを得ない、むしろ必要なものと考える。罵声ぐらいならまだしも、暴れてスタッフがけがをするということもあり得るのだから」、確かに「スタッフがけがをする」のは避ける必要がありそうだ。 「認知症の方の症状は多様だ。それぞれ固有の認知症の現れ方を抱えている。と、同時にその奥底には共通して、「不安」と、不安からの脱出手段としての「帰る」が渦巻いているのである。 もう少し認知症が進行したか、と思える人になると、異常行動が現れるようになる。それは以前も書いた徘徊だったり、靴を自室に持っていったりしてしまうといったものだ」、「グループホームで母以外の認知症の方と接することで、やっとこさ認知症の根底に「不安」があることに気が付いた」、やはり「母親」だけを見ているよりは、客観視できるからなのだろう。 まったく驚く様子もないスタッフリーダーのOさん。Oさんは、「大丈夫ですよ。今日は遅いのでちゃんとベッドを用意しました。泊まっていってくださいな。ご家族にも連絡しておきましたから」と柔らかく話しかける。「でも悪いわ。泊まるんならお金払わなくちゃ」とおばあさんが言うと、「もう頂戴してますから払わなくてもいいんですよ」と返す。「……そう、そうなんだ。じゃあお世話になるわ。おやすみなさい」と自室に戻っていくおばあさん」、「認知症」患者への対応へのあと1つの重要なノウハウのようだ。 「大変活発にお話をするおばあさんがいた。歩行や座る、立つといった動作は一般人と変わりなく、スタッフに呼ばれればさっさと食事の支度に参加し、そつなく会話を交わす」、「その活発なおばあさんが起きてきた。おや、さきほど「おやすみなさい」と言って就寝したはずではないか、と不審に思う間もなく、「ねえ、なぜ私ここにいるのかしら。もう夜も遅いし家に帰らなくちゃ」と言う。 えっ、と驚く私。 ハウがあるようだ。 「犬を連れて帰ろうとすると、おばあさんの一人が「あー、楽しかった。じゃあ私も帰ろうかしら」といって立ち上がったりする」、「諫めるようなことは言わない。「そうですか。もう少ししたらお茶とお菓子を出すつもりだったんですよ」とか、「今日は晩ご飯も食べていきませんか」というように、相手の意識を「帰る」というところから引き離すようにして注意をそらす。すると「あら、悪いわ」とか言いながら、おばあさんは再度腰を下ろし、話をしているうちに帰ろうとしていたことを忘れるのである」、「認知症」患者の扱いには、思いもかけないノウ 「グループホームは「健康に問題がない認知症の人」の入る施設だ。このため看取りは、特に悪いところのない老衰による最期を意味する。明らかに病気による衰弱が始まった場合は、医療行為が必要となるので病院に入院することになる。 看取りに対する対応は、グループホームによって色々違うのだそうだ。看取りに対応していないグループホームもあって、その場合は、看取り対応の施設や、病院あるいはホスピスなどに送り出す」、どうせなら「看取りに対応している」「グループホーム」の方が便利だ。 松浦 晋也氏による「「家に帰る」という認知症の入居者、スタッフはどう導くのか」 「認知症」、「症状が進むと妄想が発現するのは、決して珍しいことではない。 母の記憶障害に気が付いたのが2014年7月だから、そこから3年9カ月で、妄想が出るまで症状が進行したわけである。 しかし、こんなに唐突に症状が出るとは思ってもいなかった・・・はっと気が付いた。「Sさんが結婚しようと言ってくれた」――これこそは、妄想の前駆症状ではなかったか。 そのうちに「私をこんなところに閉じ込めて、お前はひどい。むごい息子だ」と怒りだし、ぽかぽかと私を叩きはじめた。力が落ちているので痛くはない。が、身に覚えのないことで責められ、叩かれるのは精神を消耗する」、母親は、自分の願望を事実と取り違えてしまったようだ。
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