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終末期(その9)(「こんなに急に悪化するとは思わなかった」これから親を看取る人は知っておきたい"老衰死の経過" いつ墜落するかわからない低空飛行中の飛行機の状態、96歳で崩御、エリザベス女王の死因「老衰」の意味 医師が解説「持病があってもPPKは叶うもの」、欧米では絶対にそんな治療はしない…現役医師が「日本の終末医療はほぼ虐待」と語るワケ 会話もできない寝たきりの状態で胃に栄養を流し込む) [人生]

終末期については、9月6日に取上げた。今日は、(その9)(「こんなに急に悪化するとは思わなかった」これから親を看取る人は知っておきたい"老衰死の経過" いつ墜落するかわからない低空飛行中の飛行機の状態、96歳で崩御、エリザベス女王の死因「老衰」の意味 医師が解説「持病があってもPPKは叶うもの」、欧米では絶対にそんな治療はしない…現役医師が「日本の終末医療はほぼ虐待」と語るワケ 会話もできない寝たきりの状態で胃に栄養を流し込む)である。

先ずは、10月6日付けPRESIDENT Onlineが掲載した内科医の名取 宏氏による「「こんなに急に悪化するとは思わなかった」これから親を看取る人は知っておきたい"老衰死の経過" いつ墜落するかわからない低空飛行中の飛行機の状態」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/62190
・『家族の看取りに際して後悔しないためにどんな準備ができるだろうか。内科医の名取宏さんは「老衰による死は、ご家族にとって突然に思えることが多い。だから心の準備をするために、どのような経過をたどるのか知っておいてほしい」という――』、興味深そうだ。
・『高齢化でかえって忘れられがちな老衰死  親世代のお看取りは、他人事ではありません。私個人にとっても、です。義父は老衰ではなく病気でしたが、自宅で看取りました。本人の希望で点滴もせず、経口摂取できなくなって数日で亡くなりました。義父本人も義理の息子(私)も医師で、どういう経過をたどるかわかっていたためスムーズにいきましたが、そうではない場合は家族が慌ててしまうことが多いでしょう。 ご存じの通り、今、日本はますますの超高齢化社会になっています。2020年(令和2年)の平均寿命は、女性が87.71歳、男性は81.56歳。2019年(令和元年)の平均寿命を女性は0.26年、男性は0.15年も上回っていて、今後ますます寿命が延びることが予想されています。高齢者である65歳以上の割合は、すでに28.9%です(※1)。 少子化なのは問題ですが、平均寿命と同時に健康寿命も延びていますから良いことですね。元気な高齢者が多いので、永遠に生きられるような気がするほどです。しかし実際はそうではなく、平均寿命はあくまで平均。そして誰もが老衰からは逃れられず、いつかは亡くなる時がくるのです。ですから「そんなの知らなかった」なんてことがないよう、これから親世代を見送る人たちに、老衰死の経過を知っておいてほしいと思います。(【図表1】平均寿命の推移と将来推計出所=内閣府「令和4年版高齢社会白書」はリンク先参照)』、「老衰死の経過」を知っておくことは、確かに役立ちそうだ。
・『高齢者の体調は「低空飛行中の飛行機」  私が勤務している病院はいわゆる慢性期病院で、入院患者さんのほとんどが高齢者です。90歳台は珍しくなく、100歳を超える患者さんもいらっしゃいます。高齢ですから、治療のかいなく亡くなることもよくあります。死亡診断書に記載する直接死因は「誤嚥ごえん性肺炎」や「心不全」などの病名がつくこともありますが、その背景には老衰があります。 何らかの病気ならば、適切に治療しても治らないことがあるものの、もちろん治ることもあります。一方で、老衰はどんな名医も治せません。医師にできることは、苦痛を和らげて、穏やかな最期を迎えていただくお手伝いをすることくらいです。ご家族の反応はさまざまで、医療従事者からみれば平均的な経過でも「こんなに急に悪くなるとは思わなかった」と言われることがよくあります。ごくまれに「病院に入院した以上は、必ず回復すると思っていた」とおっしゃるご家族も……。 そんな時に私がご家族への説明でよく使うたとえは「いつ墜落するかわからない低空飛行中の飛行機」です。何もなければ低空ながらずっと飛んでいられるように見えますが、食欲低下などの何らかの問題があれば急に墜落する恐れがあります。それが老衰というものなのです』、「高齢者の体調は「低空飛行中の飛行機」とは言い得て妙だ。
・『病気やケガは最後の一押しに過ぎない  ご自宅や施設で暮らしていた高齢者が入院するきっかけは、食欲低下、発熱、転倒などですが、これが低空を飛んでいる飛行機の高度が急激に下がったことに相当します。熱中症や脱水なら点滴、肺炎なら抗菌薬の投与といった治療は十分にします。 それで高度が回復するならいいのですが、回復しなければ亡くなります。亡くなった最期だけを見ると急に悪くなったように見えますが、何年もかけてゆっくりと飛行機の高度は下がってきたのです。病気は、最後の一押しに過ぎません。 肺炎などの病気が治って、当面は命の危険がなくなっても、十分には回復しないこともあります。たとえば、誤嚥性肺炎の治療後に口から物を食べられなくなるケースです。物を飲み込む機能は複雑で、筋肉や神経の機能が衰えると、食道に送られるはずの食べ物が誤って気管や肺に送られ、肺炎を起こします。これが誤嚥性肺炎です。 肺炎自体は抗菌薬で治っても、体力が低下して衰えた「飲み込む機能」はなかなか元に戻りません。リハビリで回復するケースもないわけではありませんが、老衰が背景にある場合はまず回復しません』、「飲み込む機能」は「老衰が背景にある場合はまず回復しません」、厳しい現実だ。
・『食事をとれなくなったらどうするか  食事の経口摂取ができなくても「経鼻経管栄養」や「胃瘻いろう栄養」などといった栄養を補給する方法はあります。「経鼻経管栄養」は鼻から細いチューブを胃に通して栄養剤を入れる方法で、生命維持に必要なカロリーが補給できます。ただ、鼻にずっとチューブが入ったままなので不快感や苦痛を伴いますし、定期的にチューブの入れ替えが必要です。一方の「胃瘻栄養」は、胃に穴をあけてチューブを通して栄養剤を入れる方法で、長期的にはこちらのほうが負担は小さいといえます。神経難病などで飲み込む機能が衰えた患者さんにとっての胃瘻栄養は、命をつなぎ、生活の質を上げる重要な治療法です。 ですが、老衰で亡くなる恐れのある患者さんの胃瘻栄養は議論になるところです。日本では、自分で意思決定ができなくなった認知症の高齢者に対して胃瘻栄養が行われてきました。一方、海外の多くの国ではあまり行われていません。たとえばアメリカ老人医学会は、重度の認知症患者に対して胃瘻栄養は推奨せず、代わりに注意深く食事介助を行うとしています(※2)。 このことは欧米で寝たきり老人が少ない一因として挙げられます。「日本では胃瘻を造って強制的に栄養を取らせ高齢者を不自然に延命させる。欧米では口から食べられなくなったら自然で平穏な死を迎える」といった主張もあるほどです』、「「日本では胃瘻を造って強制的に栄養を取らせ高齢者を不自然に延命させる。欧米では口から食べられなくなったら自然で平穏な死を迎える」といった主張もあるほどです」、「胃瘻を造る」については、本人や家族からの強い要望がある場合に限定すべきだ。
・『胃瘻栄養を行わなければ点滴を行う  とはいえ、胃瘻栄養を悪と見なすのも一方的すぎます。「胃瘻を造って長生きしたい」と考える患者さんの価値観も尊重されるべきです。ただし、患者さんの価値観や死生観を確認しないまま、漫然と胃瘻栄養を開始するのはよくありません。 最近は、日本でも胃瘻栄養を行うことは減りました。胃瘻を造る手術には、ご本人やご家族の同意が必要です。本来、治療方針はご本人が決めるべきですが、その意思確認が不可能な場合は、胃瘻栄養の利点や欠点や代替案について説明した上でご家族に選択していただきます。胃瘻栄養を行わない場合、末梢まっしょう点滴をすることがほとんどですが、十分なカロリーは入りませんから、患者さんは数週間から数カ月で亡くなります。 カロリーだけを考えればブドウ糖濃度の高い点滴を多めに入れたほうがいいのですが、濃い点滴は静脈炎を起こしやすく、水分を多く入れると体がむくみます。点滴は血液と同じ濃さ(等浸透圧)のものを選び、徐々に量を減らします。等浸透圧の輸液を少量行うのなら静脈注射ではなく皮下注射も可能です。血管が細い患者さんに静脈注射を試みると、何度も血管を刺されることになりやすいですが、皮下注射ならそんなことはなくなります』、「胃瘻栄養を行わない場合、末梢まっしょう点滴をすることがほとんどですが、十分なカロリーは入りませんから、患者さんは数週間から数カ月で亡くなります」、やむを得ないことだ。
・『人工呼吸や胸骨圧迫を行うかどうか  呼吸や心臓が止まったときの対応も、ご家族に選んでいただくことがあります。もともと元気な若い患者さんが心肺停止した場合の対応は迷いません。意思を確認するまでもなく、速やかに人工呼吸や胸骨圧迫(心臓マッサージ)を開始します。 ですが、老衰死が予測される患者さんに対しては心肺蘇生をせず、そのまま看取ることも多いのです。当院で老衰死が予想される入院患者さんに対しては、原則として前もってご家族と話し合い、心臓や呼吸が止まっても心肺蘇生を行わない方針を定めておきます。 私が医師になったばかりの頃は、こうした心肺蘇生を試みない方針は、それほど多くありませんでした。命を助けることは医療の目的の一つです。今にも死にそうな患者さんに対して何もしないことは、医師にとって抵抗感があります。ご家族も「できる限りのことはやってください」とおっしゃいました。すると患者さんは胸骨圧迫をされ、チューブを喉に入れられ、人工呼吸器につながれることになります』、「老衰死が予測される患者さんに対しては心肺蘇生をせず、そのまま看取ることも多いのです。当院で老衰死が予想される入院患者さんに対しては、原則として前もってご家族と話し合い、心臓や呼吸が止まっても心肺蘇生を行わない方針を定めておきます」、無駄な「心肺蘇生」を避けるためにも、必須だ。
・『死を迎えるお手伝いも医療の役割  高齢者に対して本気で胸骨圧迫を行えば、間違いなく肋骨は折れます。命を救うためなら肋骨が折れようともためらわずにやるべきなのですが、老衰死するような患者さんが心肺停止に陥った場合、心肺蘇生をしても治ることはありません。 もしかしたら一時的に呼吸や脈拍が戻ることはあるかもしれません。ですが、また同じことが起こるでしょう。多くは意識がないので苦痛を感じないはずですが、もしも意識があるなら、肋骨が折れたり、喉にチューブを入れられたりすれば苦痛を伴います。では、誰のために心肺蘇生をしたり、人工呼吸器につないだりするのでしょうか。以前は、本人のためではなく、医療者の自己満足やご家族の納得のためにやっていた側面が確かにありました。 人はみな、必ず死にます。死を「医療の敗北」と考えると、医療は必ず負けるのです。死を避けようとするだけではなく、死を迎えるお手伝いをすることも医療の大切な役割のはずです。いざというときに心肺蘇生を行わない方針であれば、入院や施設入所をせず、ご自宅でお看取りをするという選択肢もあります』、「人はみな、必ず死にます。死を「医療の敗北」と考えると、医療は必ず負けるのです。死を避けようとするだけではなく、死を迎えるお手伝いをすることも医療の大切な役割のはずです」、その通りだ。
・『訪問看護・診療を受けて自宅で看取る  自宅にいても、訪問看護や訪問診療によって抗菌薬や酸素の投与、鎮痛・鎮静といった医療は受けられます。義父を含めて私の親族の幾人かは、信頼できる在宅医と巡り会えたということもあって、在宅で看取りました。特に新型コロナウイルス感染症の流行によって病院や施設での面会が制限されている現在では、住み慣れた自宅で家族に最期を見届けてもらえるのは大きな利点です。 一方、入院と違って在宅のお看取りでは可能な医療行為は限られます。病態が急に悪化しても医師がかけつけるまでには時間がかかりますし、夜中に息を引き取った場合、医師が訪問して死亡を確認するのはたいてい翌日の朝になります。 在宅でお看取りする方針であったはずなのに、心肺停止時にご家族が救急車を呼んでしまった事例もときどき聞きます。この場合、心肺蘇生を行わない方針だとしても、その事実が確認できるまで救急隊員は心肺蘇生を行うことになります』、「在宅でお看取りする方針」の場合には、「心肺蘇生を行わない方針」を家族中で徹底しておく必要がありそうだ。
・『どのようなお看取りが最善なのか  どのようなお看取りが良いのかという絶対の正解はありません。ケース・バイ・ケースで判断するしかないのです。患者さん本人が心肺蘇生を希望されるなら、その選択肢を尊重して十分な心肺蘇生を行います。十分な説明をされた上で、ご本人やご家族が少しでも納得のいく最期を迎えられるようにするしかありません。 高齢者ご本人が理解できるうちに十分な説明をし、胃瘻を造るかどうか、延命治療を行うかどうかを確認しておくのが理想的です。でも、もしもそれができなければ、ご家族が「ご本人だったらどうしたかったのか」をよく考えた上で選択されれば、それが最善だろうと私は思います。 最後に、死亡確認も医師の仕事です。聴診器で心音と呼吸音の停止を、ペンライトで対光反射の消失を確認し、死亡時刻を述べます。そのあとに「お疲れさまでした」と述べることが多くなりました。長く生きてこられた患者さまに対しての言葉でもありますし、長く看病されてきたご家族に対する言葉でもあります。何歳であってもご臨終はご家族にとってつらい瞬間です。悲しみや後悔を少しでも減らせるよう心がけています』、「何歳であってもご臨終はご家族にとってつらい瞬間です。悲しみや後悔を少しでも減らせるよう心がけています」、こうした丁寧な医師に看取ってもらいたいものだ。

次に、10月26日付け東洋経済オンラインが掲載した医療未来学者・医師の奥 真也氏による「96歳で崩御、エリザベス女王の死因「老衰」の意味 医師が解説「持病があってもPPKは叶うもの」」を紹介しよう。
・『この秋、英王室のエリザベス女王が亡くなりました。 その気高さ、成し遂げられた数々の人類への貢献は、多くの人が心から敬意を表するものだったと思い返します。1万キロに近い距離を隔て、日本人の多くも喪失の悲しみに打ちひしがれました。 9月30日、スコットランド当局は、エリザベス女王の死因が「老衰」であると発表しました。エリザベス女王の命を奪った「老衰」とは一体何なのでしょうか』、「「老衰」とは一体何なのでしょうか」、興味深そうだ。
・『人はなかなか死ねなくなった  人類の平均寿命が延びている。そのことにはみんな気づいていますよね。いえ、意識しなくても、誰しもがついつい気づいてしまうほどに著明に延びています。人間はなかなか死ねなくなりました。 現在の日本の平均寿命は男性が約82歳、女性は約88歳です。昔の話をしますと、戦後(1945年)すぐの頃には日本人の平均寿命は50歳を少し超えたくらいでした。当時は、戦争の影響で下がっていた面が多少はあったにせよ、今と大きな違いがあります。かつての60代、70代の人は、現代の同世代とは比べられないくらいに「老人」だったのです。 ところで、老衰、って何でしょうか。 医学的に「老衰」というのは案外に難しい概念です。「老化」ならば比較的わかりやすい。人間を含む生物は、代替わりを繰り返して成立するもの。新しい世代が生まれる前提として、老兵は去らなくてはならない。生物の定めとして、メンバーの新陳代謝を図るわけです。そして、その新陳代謝のために自然が用意した答えこそが「老化」だったのです。このことは古来の共通理解であったと思われます。つまり、去って行くために「老化」して心身機能が細胞レベルから後退し、やがて生命を閉じる方向に向かうということです。 翻って「老衰」です。老衰は老化によってだんだんと衰えていく状態を指す言葉です。しかし、「老衰」と聞くと、それ自体が病気の名前のように感じられると思います。そのことには理由があって、「老衰」は長い間、高齢者が起こす不調をざっくりと表す魔法の言葉のように使われてきました。医学が老化にともなう人間の現象をはっきりとわかっていなくて、曖昧な用語を使っていたという面があるのです。) 高齢になるに伴い、人間の機能は低下してきます。いろいろな低下が起こるのは、完全に自然のなせる業、節理です。 冒頭に書いたように、我々は誰しも、次の世代にバトンタッチして自らは消えていく使命を帯びて生まれてきています。世代継承のために必要な寿命は最短なら20歳、子育てまで含めても50年あればお釣りがきます。そのため、我々が持つ身体はもともと50年仕様なのです(身体の部品が50年仕様である話は、拙著『人は死ねない』〈晶文社〉でも詳しく書いています)。 さて、その50年仕様を大きく超えて高齢を極めた人間が亡くなる頃、身体のさまざまな機能がちょっとずつ、生命の維持に十分に耐えうる状態ではなくなってきます。心臓も悪く、肺も悪く、腎臓の機能も足りない……一個一個の臓器の異常が特に顕著なわけではなくても、全体としての「チーム力」が足りなくなるのです。そして、チーム力のせいで生命の灯がついえる状況を、我々は老衰と呼ぶのです』、「一個一個の臓器の異常が特に顕著なわけではなくても、全体としての「チーム力」が足りなくなるのです。そして、チーム力のせいで生命の灯がついえる状況を、我々は老衰と呼ぶのです」、なるほど。
・『各臓器の総力が足りなくなる  なお、チーム力、と言いましたが、チーム力が足りなくなるときの最後の決定的な部分は、腎臓であったり肺であったり、また、心臓であったりします。野球でいうならば(野球に喩えるのが適切かどうかもわかりませんが)、4番バッターが打てなくなったから負けた、ピッチャーの層が薄いのが原因でリリーフの切り札の心身がボロボロになって打ち込まれた……というようなことでしょうか。ともかく、ひとりの人間全体の生命活動を支えるには各臓器の総力が足りなくなるのが老衰なのです。 そういう状況であることから、例えば高血圧や糖尿病の持病を抱えた、あるいはがんから回復したあとの「一病息災」「多病息災」の状況であっても、それらの病気が命を奪うことなく、「老衰」によって命を閉じることは十分にあり得ます。高齢でも目立った病気もなく日々の活動ができ、元気なままで、いわば、ピンピンピンピンピンピンコロリ(PPPPPPK)ということも高望みではありません。  国立国語研究所が運営するコーパスで調べてみます。コーパスとは、ごく簡単にいうと、検索しやすいように構造化された用例データベースです。コーパスで調べると、「老衰」が現代の意味で使われ始めたのは、少なくとも1878年生まれの小説家、有島武郎の『小さき者へ』までは遡れます。それより遙か以前、8世紀に著わされた書物にも「老衰」は使われています。しかし、その当時から18世紀までの間、同語の使われ方は、「齢を取って衰弱」という程度にとどまり、現代のような、病気に言及する意味はなさそうです。 ちょっと周辺の事情をお話ししたいと思います。 江戸時代から明治にかけて、日本に大量の西洋医学が入ってきました。蘭学医であった杉田玄白の『解体新書』などは、その文脈でよく知られる代表的な存在です。 当時、日本にはまだ存在しないモノや考え方が入ってきました。その結果、日本語の語彙として必要ないろいろな言葉が「転用」ないし「発明」されることになりました。「解剖」や「細胞」「侵襲」……といった医学用語が昔の語彙から蘇らされたり、たくさん作られたりしました。そのときに作られた言葉の見事さ、漢字の使われ方の完膚なきまでの技術を見ると、時代の知識層が漢文に大きな素養を持っていたことが見てとれます。現代人として恥ずかしくもなります。21世紀の日本語に定着しているさまざまな用語がこの時期に作られているのです。) そして、「老衰」もこの時期に使われ始めた「リバイバル語」であったと思われます。対応する西洋の言葉は「senility」(あえて普通に訳すなら、老化)、あるいは単純に「aging」あたりであったと想像されるものです。老いてだんだんと衰弱していく、まさにその状態をよく反映しています。 死亡診断書の話をしましょう。死亡診断書は、医師が人の臨終を看取ったときに書く書類です。この書類がないと、火葬することも、お葬式を出すこともできません。そして、医師は、死亡診断書を書くにあたり、死の原因をあれこれと医学的に判断し、1つの病名を書く決まりになっています。 仮にもし、その判断の時点で、死亡原因に不審な点があれば、「司法解剖」というものが行われるようになります。このあたりのシーンはテレビドラマなどでご覧になった方も多いのではないでしょうか。 さて、上段の話を裏付けるかのように、厚生労働省は、死亡診断書において、「老衰」という死因の記載を正式に認めています。 <死因としての「老衰」は、高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用います。ただし、老衰から他の病態を併発して死亡した場合は、医学的因果関係に従って記入することになります。> 下図はその公式文書ですが、こういう文書にありがちな、素人には少しとっつきにくいものであると思います。要は「ほかに死因として書けるものがなければ老衰を使っていいよ」ということです。 平成30年度版「死亡診断書(死体検案書)記入マニュアル」より抜粋 さて、ひと時代を美しくしなやかに導いたエリザベス女王が亡くなったことは、英国民ならず世界の人々を悲しみの淵に追いやります。私とてその例外ではもちろんありません。 女王の死の報に接したときは海外出張の地で同僚(主に欧州人)たちと会食の盛りであったのですが、1人が速報をつかみ、その話は瞬く間にテーブルにいきわたりました。ひとしきり、食卓の話題は女王とその時代に関するものに占められることになったのです。それぞれの人の中にエリザベス女王はありました。大きな位置を占めているといってよい状態でした。 エリザベス女王が君臨した美しい20世紀の終焉が、時を十分に経た今、そして、老衰というかたちであったことに私は深い感慨を禁じ得ません。医学がいかに発展しようが、人の自然な先行きに老衰があるということは変えようがないものであると改めて認識します。老衰とはまさにそういう存在だと私は思うのです』、「厚生労働省は、死亡診断書において、<死因としての「老衰」は、高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用います。ただし、老衰から他の病態を併発して死亡した場合は、医学的因果関係に従って記入することになります』、「エリザベス女王」の「老衰」、について、「医学がいかに発展しようが、人の自然な先行きに老衰があるということは変えようがないものであると改めて認識します」、同感である。

第三に、11月28日付けPRESIDENT Onlineが掲載した臨床内科認定医の杉浦 敏之氏による「欧米では絶対にそんな治療はしない…現役医師が「日本の終末医療はほぼ虐待」と語るワケ 会話もできない寝たきりの状態で胃に栄養を流し込む」を紹介しよう。
・『日本では終末期の患者に点滴や人工栄養による延命措置を行うことがある。臨床内科認定医の杉浦敏之さんは「欧米では終末期に無理な延命を行わない方針が取られており、オーストラリアでは『栄養状態改善のための積極的介入は、倫理的に問題がある』と明確に指摘されている。家族や医療者ではなく『患者さんの最善の利益』を求める治療を整備していくべきだ」という――。(第2回) ※本稿は、杉浦敏之『死ねない老人』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです』、興味深そうだ。
・『「患者さんが亡くなる=敗北」であれば医師はつねに全敗  医師は病と闘い、人の命を救うのが仕事です。 そのため医師にとっては、患者さんが亡くなることは医療の力が及ばなかった「敗北」という感覚があるのも事実です。だから死を認められない、認めたくない気持ちが働くのかもしれません。しかし、どれだけ医療が発展しても、生物としての死を免れることはできません。人の致死率は100%です。医師にとって「死が敗北」なら、確実に「全敗」なのです。 「全敗」というのは、90歳まで現役の医師として臨床の現場に出ていた私の父の言葉です。父は生前、医療の究極の目的は「いかに患者さんが満足して死んでいけるか」だとも語っていたことがあります。医師として半世紀以上、患者さんの生死を見つめてきた経験、そして自分自身が年齢を重ねてきたなかで行き着いた、一つの結論だと思います。 私自身も在宅医療や看取りを行うようになってから、つくづく父の言葉は真理だと思うようになりました。「満足のいく最期」ということを考えたとき、人工呼吸器や人工栄養などの望まない延命医療を施し、高齢者の苦痛を増やすのは満足とは正反対の、明らかに患者さんの利益に反する行為です。 にもかかわらず、終末期に至っても濃厚な医療が続けられてきた背景について、東京大学大学院人文社会系研究科附属死生学・応用倫理センターの特任教授・会田薫子氏は、次のように指摘しています。 「なぜ終末期の高齢者に人工栄養(胃瘻いろう)を行うかというと、『自然死についての社会のコンセンサスがない』『法律上の問題がある』『家族の希望である』『遠くの親戚が口を出す』などの様々な理由が出てくるが、実は『人工栄養の差し控えは餓死させることと同じだと思う』という医師の意識が一番大きいものだった」(ブックレット『高齢者の終末期医療を考える』生産性出版) 現在の日本では高齢者医療に携わる医師ですら、より苦痛が少なく、満足度の高い終末期医療についての正確な知識や理解がない、ということです。これは世界的に見ても異様な状況です』、「「なぜ終末期の高齢者に人工栄養(胃瘻いろう)を行うかというと」、「実は『人工栄養の差し控えは餓死させることと同じだと思う』という医師の意識が一番大きいものだった」、「現在の日本では高齢者医療に携わる医師ですら、より苦痛が少なく、満足度の高い終末期医療についての正確な知識や理解がない、ということです。これは世界的に見ても異様な状況です」、ショッキングな事実だ。
・『欧米では事前に終末医療のマニュアルを医師と本人が作成する  アメリカや欧州、オーストラリアなどの先進諸国では、人として尊厳のある死やそのための終末期医療について、もうずいぶん前から議論がなされてきています。それにより、どのようなときにどのような医療・ケアを行うか(行わないか)という具体的な指針も既につくられています。 たとえばアメリカでは、人生の最期のときまで本人の意思決定、自己決定権を尊重することが、尊厳のある死という考え方があります。そのため、高齢や病気によって終末期に至った人が治療を望まないという意思表示をしたとき、医療者はもちろん、家族ですらそれに反対することはありません。万一、本人の意思に反して治療を行えば、医師が家族に訴えられることもあります。 ただ一般の患者さんの意思表示だけでは、希望する医療の内容があいまいだったり、家に保管していていざというときに役立たなかったりすることから、医師と相談して治療内容を確認しておく「生命維持治療のための医師指示書(通称POLST)」というものが活用されるようになっています。 これは1991年にオレゴン・ヘルスサイエンス大学病院のリチャードソン博士が開発したものです。終末期の人(病気や加齢で余命1年程度と診断された人)が、次の医療行為を受けるかどうかについて、患者本人あるいは医療代理人と、医師とが相談して決めます。 医療行為は①心肺停止時の蘇生、②脈拍あるいは呼吸があるときの積極的治療、③抗生剤投与、④人工栄養、の4つです。そしてオリジナルの医師指示書は患者さんが保管し、医師もコピーを所持したり、情報をカルテに保持したりします。これがあれば、患者さんの状態が変わったときにも医師は治療方法に迷うことはありません。 実際の医療現場で、患者さんの意思が確実に反映されるしくみといえます』、「生命維持治療のための医師指示書(通称POLST)」は、「終末期の人・・・が、次の医療行為を受けるかどうかについて、患者本人あるいは医療代理人と、医師とが相談して決めます」、「オリジナルの医師指示書は患者さんが保管し、医師もコピーを所持したり、情報をカルテに保持したりします。これがあれば、患者さんの状態が変わったときにも医師は治療方法に迷うことはありません。 実際の医療現場で、患者さんの意思が確実に反映されるしくみ」、進んだ仕組みだ。
・『最も大切なことは「入所者の満足感」である  またオーストラリアでは、政府が2006年に「高齢者介護施設における緩和医療のガイドライン」を策定しています。そこでは、終末期の医療・ケアについて次のような方針が明確に示されています(以下、『高齢者の終末期医療を考える』より引用)。 ・無理に食事をさせてはいけない ・栄養状態改善のための積極的介入は、倫理的に問題がある ・脱水のまま死ぬことは悲惨であると思い点滴を行うが、緩和医療の専門家は経管栄養や点滴は有害と考える ・最も大切なことは入所者の満足感であり、最良の点滴をすることではない)・『終末期の高齢者が食事をしなくなることは自然なこと  世界各国の終末期医療を調査し、札幌で「高齢者の終末期医療を考える会」を立ち上げているのが、宮本顕二医師と宮本礼子医師のご夫妻です。認知症が専門の宮本礼子医師は、2007年に初めてスウェーデンの終末期医療を目にしたときの驚きを率直に著書に綴つづり、現地の医師の話をこう紹介しています(『欧米に寝たきり老人はいない』中央公論新社)。 「タークマン先生は、『スウェーデンでは、高齢者が食べなくなっても、点滴や経管栄養を行いません。食べられるだけ、飲めるだけですが、安らかに亡くなります。私の父もそうして亡くなりました。亡くなる前日まで話すことができて穏やかな最期でした』と言いました。日本では高齢者が人生の終わりに食べなくなると、点滴や経管栄養をするのが当たり前でした。 点滴もしないことに私が驚くと、『ベッドの上で、点滴で生きている人生なんて、何の意味があるのですか?』と逆に聞かれてしまいました。そして『スウェーデンも昔は高齢者が食べなくなると点滴や経管栄養を行っていましたが、20年かけてしなくなりました』と言っていました」 終末期の高齢者が食べなくなるのは、死に向かうとき自然な体の変化です。死が近づくと体が食べ物を受け付けなくなるのです』、「スウェーデンも昔は高齢者が食べなくなると点滴や経管栄養を行っていましたが、20年かけてしなくなりました」、「終末期の高齢者が食べなくなるのは、死に向かうとき自然な体の変化です。死が近づくと体が食べ物を受け付けなくなるのです」、なるほど。
・『無理やり食事をとらせるのは虐待しているようなもの  日本でも昔は医師にも社会にも「食べられなくなったらそこまで」という感覚があったものです。そしてときどき口に水やリンゴの搾り汁などを含ませる程度で、それだけでお年寄りは穏やかに亡くなっていました。 それに対し、現代の医師や介護者は高齢者が食べなくなると空腹やのどの渇きで苦痛なのではないかと考えてしまい、いつまでも必死に食べさせようとします。そして自力で食べられなくなれば、人工栄養や点滴を施します。宮本礼子医師も、日本で欧米式の人工栄養も点滴もしない終末期医療を提案すると、必ず医師たちから「患者さんを餓死させるのか」「見殺しにするのか」という質問や反発を受けると記しています。 しかし終末期に至った人は、健康な私たちが想像するような空腹やのどの渇きによる苦痛は感じなくなっています。体内の栄養や水分が少なくなるとβエンドルフィンやケトン体が多く分泌され、自然に鎮静鎮痛効果が働くともいわれています。むしろ食べられなくなった患者さんに無理に食事をとらせ、誤嚥ごえん性肺炎を繰り返すようなことは欧米の感覚でいえば「虐待」に相当します。 会話もできない寝たきりの状態で褥瘡じょくそうをつくりながら胃瘻で命をつなぐというのもそうかもしれません。点滴にしても、体に水分を多く入れれば痰が増えて吸引が多く必要になりますし、浮腫や肺水腫が増え、溺死と同じように肺に水が溜まって亡くなる患者さんも多くいます。私も在宅看取りでは点滴を減らし、水分を抜いて“乾かす”ようにしたほうが、患者さんの苦痛が少なく穏やかな最期になることを、確かに実感しています』、「現代の医師や介護者は高齢者が食べなくなると空腹やのどの渇きで苦痛なのではないかと考えてしまい、いつまでも必死に食べさせようとします。そして自力で食べられなくなれば、人工栄養や点滴を施します」、「終末期に至った人は、健康な私たちが想像するような空腹やのどの渇きによる苦痛は感じなくなっています。体内の栄養や水分が少なくなるとβエンドルフィンやケトン体が多く分泌され、自然に鎮静鎮痛効果が働くともいわれています。むしろ食べられなくなった患者さんに無理に食事をとらせ、誤嚥ごえん性肺炎を繰り返すようなことは欧米の感覚でいえば「虐待」に相当します」、「欧米の感覚でいえば「虐待」に相当」とはショッキングだ。
・『家族や医療者ではなく「患者さんの最善の利益」を求めるべき  欧米のほか、歴史的・文化的な背景の近いアジアでも、台湾や韓国は25年近く前から、患者本人の希望があれば積極的延命をしない方向になっており、法的にもそれが保証されてきています。 台湾では、2000年に「安寧緩和医療法」という尊厳死を法的に認める法案が100%の賛成で可決しています。台湾でも尊厳死法制化の前は、終末期の人に対して心臓マッサージ、人工呼吸、人工栄養、点滴などの処置が行われていたそうです。しかし現在は患者本人、または代理人のリビング・ウィルがあれば、延命治療の非開始も中止も、どちらも合法になりました。 また台湾には「終末期退院」と呼ばれる慣行があり、本人が希望すれば病院で緩和ケアを受けることも、自宅で在宅ホスピスを受けることもできるようになっています。一方の韓国では、終末期医療中止等を法的に認める「ホスピス・緩和医療および終末期患者の延命医療の決定に関する法律」が2016年1月に可決成立。2018年に施行されました。 患者さんの意思表明については「事前延命医療意向書」を作成し、登録します。登録先の医療機関やリビング・ウィル事業者を管理する、国立延命医療管理機関も設置されています。私も以前、海外の終末期患者のための病室を見学したある先生の講演で次のようなことを聞きました。 そこは天国に一番近いという意味で病院の最上階にあり、室内の内装も、天国や極楽浄土を思わせるような明るく、居心地のいい雰囲気になっていました。そこでお年寄りたちは家族と自由に交流をしたり、苦痛を取り除くケアを受けたりしながら最期の日々を過ごすのです。病院で亡くなるにしても、こうした環境と適切な終末期医療・ケアがあれば、その人らしい尊厳のある死を実現することはできるのです。 世界一の超高齢社会である日本でも、家族や医療者が納得するための終末期医療ではなく、「患者さんの最善の利益」のための終末期医療が整備され、広まっていく必要があるのはいうまでもありません』、「世界一の超高齢社会である日本でも、家族や医療者が納得するための終末期医療ではなく、「患者さんの最善の利益」のための終末期医療が整備され、広まっていく必要がある」、強く同意する。
タグ:(その9)(「こんなに急に悪化するとは思わなかった」これから親を看取る人は知っておきたい"老衰死の経過" いつ墜落するかわからない低空飛行中の飛行機の状態、96歳で崩御、エリザベス女王の死因「老衰」の意味 医師が解説「持病があってもPPKは叶うもの」、欧米では絶対にそんな治療はしない…現役医師が「日本の終末医療はほぼ虐待」と語るワケ 会話もできない寝たきりの状態で胃に栄養を流し込む) 終末期 PRESIDENT ONLINE 名取 宏氏による「「こんなに急に悪化するとは思わなかった」これから親を看取る人は知っておきたい"老衰死の経過" いつ墜落するかわからない低空飛行中の飛行機の状態」 「老衰死の経過」を知っておくことは、確かに役立ちそうだ。 「高齢者の体調は「低空飛行中の飛行機」とは言い得て妙だ。 「飲み込む機能」は「老衰が背景にある場合はまず回復しません」、厳しい現実だ。 「「日本では胃瘻を造って強制的に栄養を取らせ高齢者を不自然に延命させる。欧米では口から食べられなくなったら自然で平穏な死を迎える」といった主張もあるほどです」、「胃瘻を造る」については、本人や家族からの強い要望がある場合に限定すべきだ。 「胃瘻栄養を行わない場合、末梢まっしょう点滴をすることがほとんどですが、十分なカロリーは入りませんから、患者さんは数週間から数カ月で亡くなります」、やむを得ないことだ。 「老衰死が予測される患者さんに対しては心肺蘇生をせず、そのまま看取ることも多いのです。当院で老衰死が予想される入院患者さんに対しては、原則として前もってご家族と話し合い、心臓や呼吸が止まっても心肺蘇生を行わない方針を定めておきます」、無駄な「心肺蘇生」を避けるためにも、必須だ。 「人はみな、必ず死にます。死を「医療の敗北」と考えると、医療は必ず負けるのです。死を避けようとするだけではなく、死を迎えるお手伝いをすることも医療の大切な役割のはずです」、その通りだ。 「在宅でお看取りする方針」の場合には、「心肺蘇生を行わない方針」を家族中で徹底しておく必要がありそうだ。 「何歳であってもご臨終はご家族にとってつらい瞬間です。悲しみや後悔を少しでも減らせるよう心がけています」、こうした丁寧な医師に看取ってもらいたいものだ。 東洋経済オンライン 奥 真也氏による「96歳で崩御、エリザベス女王の死因「老衰」の意味 医師が解説「持病があってもPPKは叶うもの」」 「「老衰」とは一体何なのでしょうか」、興味深そうだ。 「一個一個の臓器の異常が特に顕著なわけではなくても、全体としての「チーム力」が足りなくなるのです。そして、チーム力のせいで生命の灯がついえる状況を、我々は老衰と呼ぶのです」、なるほど。 「厚生労働省は、死亡診断書において、<死因としての「老衰」は、高齢者で他に記載すべき死亡の原因がない、いわゆる自然死の場合のみ用います。ただし、老衰から他の病態を併発して死亡した場合は、医学的因果関係に従って記入することになります』、「エリザベス女王」の「老衰」、について、「医学がいかに発展しようが、人の自然な先行きに老衰があるということは変えようがないものであると改めて認識します」、同感である。 杉浦 敏之氏による「欧米では絶対にそんな治療はしない…現役医師が「日本の終末医療はほぼ虐待」と語るワケ 会話もできない寝たきりの状態で胃に栄養を流し込む」 杉浦敏之『死ねない老人』(幻冬舎新書) 「「なぜ終末期の高齢者に人工栄養(胃瘻いろう)を行うかというと」、「実は『人工栄養の差し控えは餓死させることと同じだと思う』という医師の意識が一番大きいものだった」、「現在の日本では高齢者医療に携わる医師ですら、より苦痛が少なく、満足度の高い終末期医療についての正確な知識や理解がない、ということです。これは世界的に見ても異様な状況です」、ショッキングな事実だ。 「生命維持治療のための医師指示書(通称POLST)」は、「終末期の人・・・が、次の医療行為を受けるかどうかについて、患者本人あるいは医療代理人と、医師とが相談して決めます」、「オリジナルの医師指示書は患者さんが保管し、医師もコピーを所持したり、情報をカルテに保持したりします。これがあれば、患者さんの状態が変わったときにも医師は治療方法に迷うことはありません。 実際の医療現場で、患者さんの意思が確実に反映されるしくみ」、進んだ仕組みだ。 「スウェーデンも昔は高齢者が食べなくなると点滴や経管栄養を行っていましたが、20年かけてしなくなりました」、「終末期の高齢者が食べなくなるのは、死に向かうとき自然な体の変化です。死が近づくと体が食べ物を受け付けなくなるのです」、なるほど。 「現代の医師や介護者は高齢者が食べなくなると空腹やのどの渇きで苦痛なのではないかと考えてしまい、いつまでも必死に食べさせようとします。そして自力で食べられなくなれば、人工栄養や点滴を施します」、 「終末期に至った人は、健康な私たちが想像するような空腹やのどの渇きによる苦痛は感じなくなっています。体内の栄養や水分が少なくなるとβエンドルフィンやケトン体が多く分泌され、自然に鎮静鎮痛効果が働くともいわれています。むしろ食べられなくなった患者さんに無理に食事をとらせ、誤嚥ごえん性肺炎を繰り返すようなことは欧米の感覚でいえば「虐待」に相当します」、「欧米の感覚でいえば「虐待」に相当」とはショッキングだ。 「世界一の超高齢社会である日本でも、家族や医療者が納得するための終末期医療ではなく、「患者さんの最善の利益」のための終末期医療が整備され、広まっていく必要がある」、強く同意する。
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