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”右傾化”(その14)(多幸感に包まれて自画自賛を繰り返す…権力に迎合する「エセ保守」の異常、独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」、父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由、高齢化して「ネット右翼」になった父 その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと) [社会]

”右傾化”については、2021年6月19日に取上げた。久しぶりの今日は、(その14)(多幸感に包まれて自画自賛を繰り返す…権力に迎合する「エセ保守」の異常、独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」、父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由、高齢化して「ネット右翼」になった父 その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと)である。

先ずは、昨年10月1日付け日刊ゲンダイが掲載した作家の適菜収氏による「多幸感に包まれて自画自賛を繰り返す…権力に迎合する「エセ保守」の異常」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/312166
・『自称保守向けの某月刊誌の目次を見て驚いた。そこには〈国葬反対派はバカか売国奴〉〈日本を蝕む「アベガー」というカルト〉〈国葬反対派は極左暴力集団〉といった見出しが並んでいる。「日本を蝕むカルト」は一体どちらなのか? 主要メディアの調査のほとんどで国葬反対派は賛成派を上回っており、直近のFNNの調査では賛成が31.5%で反対は62.3%。この類いの連中は、日本人の62.3%が、バカで売国奴で極左暴力集団とでも言うのか。思考停止した連中が徒党を組むと、自分たちの異常さに気づかなくなる。都合のいい情報しか耳に入らなくなり、現実との接点を失い、濃縮されたカルトになっていく。だから安倍というカルト体質の男と親和性があったのだろう。 本来、保守とはこうした歪んだ思考を戒める態度のことである。それは復古でも右翼でもない。近代の不可逆的な構造を理解した上で、近代内部において理性や合理の暴力に抵抗するのが保守である。保守思想に関する文献を読めば、日本で「保守」とされているものが、その対極であることがわかる。保守は人間理性を信仰しないので権力を警戒する。よって権力の分散を説いてきたが、エセ保守は逆に権力に迎合する。そして権力と一体化したかのような多幸感に包まれ、自画自賛を繰り返す。自分が大好きで、日本はすごい国と信じ込み、生温かい世界に引きこもる。論理的な整合性が取れなくなれば陰謀論に逃げ込み、惨めな、卑小な、卑劣な自分たちのメンタリティーをごまかすために、その鬱憤を近隣諸国や社会的弱者にぶつける。) 今回の統一教会との癒着問題を抜きにしても、安倍がやったことは国や社会、法の破壊に他ならなかった。この日本を三流国家に貶めた国賊に、黄色い声援を送ってきたのが自称保守論壇である。要するに、現在のわが国では「バカ」が保守を名乗っている。言葉の混乱は社会の混乱につながる。よって言葉の定義を正確な形に戻すべきだ。保守の2文字を「バカ」に置き換えるといろいろなことがすっきりする。〈保守論壇→バカ論壇〉〈保守合同→バカ合同〉〈親米保守→親米バカ〉〈保守本流→バカ本流〉。そして本来の意味における保守のみを「保守」と呼ぶことにすれば無用な混乱を避けることができる』、「思考停止した連中が徒党を組むと、自分たちの異常さに気づかなくなる。都合のいい情報しか耳に入らなくなり、現実との接点を失い、濃縮されたカルトになっていく。だから安倍というカルト体質の男と親和性があったのだろう」、「本来、保守とはこうした歪んだ思考を戒める態度のことである。それは復古でも右翼でもない。近代の不可逆的な構造を理解した上で、近代内部において理性や合理の暴力に抵抗するのが保守である。保守思想に関する文献を読めば、日本で「保守」とされているものが、その対極であることがわかる。保守は人間理性を信仰しないので権力を警戒する。よって権力の分散を説いてきたが、エセ保守は逆に権力に迎合する。そして権力と一体化したかのような多幸感に包まれ、自画自賛を繰り返す。自分が大好きで、日本はすごい国と信じ込み、生温かい世界に引きこもる。論理的な整合性が取れなくなれば陰謀論に逃げ込み、惨めな、卑小な、卑劣な自分たちのメンタリティーをごまかすために、その鬱憤を近隣諸国や社会的弱者にぶつける」、日本の「エセ保守」に対する批判は手厳しいが、その通りなのだろう。

次に、10月6日付けデイリー新潮「独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2022/10060603/?all=1
・『神社本庁と言えば、全国8万社の神社を取りまとめる日本最大の宗教法人だ。我々が日常的に手を合わせる神社のほとんどが、この神社本庁に属しており、実は日本人にもっとも馴染み深い宗教法人と言えよう。そんな神社本庁が今、事務方トップである「総長」の人選を巡って、分断の危機に瀕している。既に様々な媒体がこの件を報じてきたものの、これまで沈黙を守って来た、渦中の人物が騒動後初めて、デイリー新潮の独占インタビューに応じた。【写真16枚】分裂危機という前代未聞の事態について語る田中総長』、「神社本庁が今、事務方トップである「総長」の人選を巡って、分断の危機」、とは興味深そうだ。
・『前代未聞  まずは一連の騒動を簡単に振り返ってみよう。発端となったのは、今年5月28日に開かれた臨時役員会。神社本庁の事務方のトップである総長を、集まった役員17人の中から選出する話し合いが行われた。そこには、神社本庁のもう一つのトップの地位にあたる、「統理」という役職に就いている鷹司尚武氏も臨席していた。ちなみに統理とは、宗教団体としての神社本庁を統べる地位だ。上皇の甥にあたる鷹司尚武氏は、伊勢神宮のトップにあたる大宮司を務めた後、2018年に統理に就任した。 その鷹司統理が、5月28日の役員会において、新総長に、理事の一人、芦原高穂・旭川神社宮司を突然指名。しかし、役員の多くはその人選を支持せず、現職の総長である田中恆清・石清水八幡宮宮司の続投を望んだため、新総長決定は次回の役員会に持ち越された。が、その直後の6月6日、芦原理事は、自らが新総長に選ばれたとして、法務局に変更登記申請を行ったのである。神社本庁はその動きを察知し、芦原氏が総長の地位にないことを確認する仮処分を申し立て、その主張は認められていた。 前代未聞の事態が、今もって続いている。一体なぜこんなことになったのか、デイリー新潮では、渦中の田中恆清総長に取材を申し込んだ――(Qは聞き手の質問)』、神職の集まりには、似つかわしくない事態が進行しているようだ。
・『驚きと戸惑い  田中総長(以下、田中) 今回の騒動について、これまでいろいろな人がいろいろなことを言っていますが、私自身の声で、何が起こっているのか、きちんと皆様に伝える必要があると思い、機会をうかがっていたところでした。 5月28日の臨時役員会は、いまだに驚きしかありませんし、芦原理事の動きについても、戸惑っています。5月の役員会では、もう一度役員会を開いて新たな総長を決めるという結論になったのに、6月6日に、芦原氏が総長に就任したとして変更登記申請を秘密裏に行った。間一髪で登記変更を止めることはできたものの、本来、変更登記の手続きは、担当部署である神社本庁の総務部が行うものですよ。 Q:それを芦原理事が行ったと。 田中 そういう動きがあったのは事実です。本庁の役員という指導的立場にある神職がそこまで強引な方法をとるとは夢にも思わなかったので、とても驚きました。ちなみに今回分かったのですが、登記申請は、書類さえ整っていれば、誰が申請してこようと、法務局は受けざるを得ない。神社本庁が仮処分を申し立てなければ、6月中旬頃には登記上は芦原理事が代表役員総長になっていた。そういうことも熟知した上での動きだったと思います』、「5月の役員会では、もう一度役員会を開いて新たな総長を決めるという結論になったのに、6月6日に、芦原氏が総長に就任したとして変更登記申請を秘密裏に行った」、「間一髪で登記変更を止めることはできたものの、本来、変更登記の手続きは、担当部署である神社本庁の総務部が行うものですよ」、こんな違法な手続きをした「芦原氏」は、本来、組織として処分すべきだ。
・『なお在任  Q:そんな経緯がありながら、6月23日に次の臨時役員会を迎えた。 田中 その時も話し合いはまとまりませんでした。前回と同様、統理は、「芦原氏が次の総長にふさわしい」と仰って、その一方で役員の過半数は、私の再任という意見でした。ここで問題となるのが、総長を選ぶ際のルールが書かれた庁規(神社本庁の規則)なのです。「総長は、役員会の議を経て、理事のうちから統理が指名する」となっている。この文言の解釈が、今問題になっているわけですが、役員会の議、つまり役員会の議論と議決を経て、私が再任される運びとなったのに、統理は私を指名しない、と。拒否をされたというわけです。 Q:ということは、現在総長は空位となっているのか。 田中 いえ、これも庁規に定めがあるのですが、後任が決まるまでは、前任者がなお在任するとなっておりますので、私が総長ということです。法人の代表役員である総長が不在だと、組織としての決裁ができませんから。 Q:一方の鷹司統理側は、芦原理事が総長になったと主張している。 田中 そうです。統理側は、例のルールを、「役員会の多数意見がどうであれ、統理の意見によって選ばれる」という風に解釈しているというわけです。芦原理事は8月に自らが総長であることの確認を求める訴訟を提起しましたので、今後は、この解釈をめぐって、裁判で争われることになります(※9月29日の第一回口頭弁論で結審)。宗教法人の代表である総長を誰にするかということを、宗教団体の代表である統理の一存で決めていい、というのは庁規の趣旨にそぐわないと思っています。宗教法人として、役員会の議決に意味がないというのは、やはり考えづらいのではないでしょうか』、「統理側は、例のルールを、「役員会の多数意見がどうであれ、統理の意見によって選ばれる」という風に解釈している」、こんな解釈は不当だ。
・『統理という存在  Q:統理という存在は、神社本庁にとってどのようなもの なのか。 田中 統理というのは、基本的には宗教団体としての神社本庁の権威であり象徴であると考えています。例えば、何か対立があったとしても、双方の意見をよくお聞きになりますが、どちら側にもつかない、崇高なお立場として常に見守っておられる。だからこそ、統理様の存在を権威として、みんなで尊敬してきたというわけです。 Q:鷹司統理側が、田中さんを総長に指名しない背景には、何があると考えているのか。 田中 やはり、神社本庁の不動産売却を巡る騒動でしょう(※編集部注 2017年、神社本庁が所有する宿舎を売却した際、田中総長側が不正を行ったのではないかという疑惑。この騒動を巡って、関係者らに怪文書がばら撒かれ、その怪文書を書いたとされる職員ら二人が懲戒処分となった。処分を不服とした二人は神社本庁を提訴。最高裁まで争われ、今年4月、神社本庁側の敗訴が確定した)。 Q:この懲戒処分に、批判の声が上がっている? 田中 そうですね。この件については、撒かれた怪文書の中に、内部情報漏洩があり、それを知り得る内部の人間が書いたことは明らかでした。また、不動産売却は役職員の絡んだ背任行為であることは明白であるなどと、事実と異なる内容を流布しており、これは明確な規程違反です。そこで、書いた職員を調査で特定し、本人たちもそれを認めたものですから、最終的に処分を下す判断となったのです。とはいえ、当然ながら、懲戒解雇と降格という重い処分内容は、私個人の判断ではなく、常務理事会を開いて協議・決定し、さらに役員会、評議員会でも報告したのです。いずれの場でも、懲戒解雇と降格という判断について、了承されました。そうした了承を経ないまま、私が独断で懲戒解雇などを命じた、という風に言う向きもあるようですが、これも全くの誤解です』、「怪文書の中に、内部情報漏洩があり、それを知り得る内部の人間が書いたことは明らか」、「不動産売却は役職員の絡んだ背任行為であることは明白」、「懲戒解雇と降格という重い処分内容は、私個人の判断ではなく、常務理事会を開いて協議・決定し、さらに役員会、評議員会でも報告したのです。いずれの場でも、懲戒解雇と降格という判断について、了承」、手続き的には瑕疵はないようだ。
・『話がいつの間にか変化  Q:宿舎の売却そのものについても、問題はなかったのか。 田中 売却した川崎の職員宿舎は、老朽化が進んでいて、住む人が少なくなっていました。後で分かったことですが、建物も欠陥だらけの、ひどい宿舎だったのです。神社本庁の財政を立て直す検討会が立ち上げられ、財務状況を健全化する動きの中で、宿舎を売却しようということになりました。この話が進んでいく際に、売却を担当する者が私のところにやってきて、「全く高く売れない」と相談してきた。「貴重な財産なんだから、少しでも高く売った方がいいんじゃないか」と私が言って、さらに、昔から神社本庁と付き合いのある、ある不動産業者さんの名前をあげ、「一応相談してみたら」という話をしたんです。これは事実です。それが、いつの間にか、私がその不動産業者にしろ、と命令したかのように話が変化していってしまった。 そして、本来、3億円くらいの価値があると言われる不動産を、1億8400万円という値段で売り、その差額を私が懐に入れているのではないか、という疑惑が騒がれたのですが、実際は3億円の価値はなく、もちろん差額を懐に入れてもいません。これは背任ではない、とさきに述べた裁判の判決文にも書かれているんですよ。これまで何度も説明していますが、それでも、いまだにその話はなくならず、何か特定の意図でもあるのか、何度も何度も蒸し返される、という状態なのです』、「「貴重な財産なんだから、少しでも高く売った方がいいんじゃないか」と私が言って、さらに、昔から神社本庁と付き合いのある、ある不動産業者さんの名前をあげ、「一応相談してみたら」という話をしたんです。これは事実です。それが、いつの間にか、私がその不動産業者にしろ、と命令したかのように話が変化していってしまった。 そして、本来、3億円くらいの価値があると言われる不動産を、1億8400万円という値段で売り、その差額を私が懐に入れているのではないか、という疑惑が騒がれたのですが、実際は3億円の価値はなく、もちろん差額を懐に入れてもいません」、嵌める意図があったが、失敗したようだ。
・『長期政権の意義  Q:一方で、すでに総長を4期続けられており、その長さにも批判の声が上がっているが。 田中 もちろん、そうした声が上がっているのは承知しています。ただ、自ら言うのもおこがましいですが、私に続けてほしい、というお声があるのも、事実なのです。正直、私自身も、もう78歳ですし、できることならもう辞めてしまいたいと思う時もありますよ。ただ、今回も、正当な手続きを経て、多くの方の推薦を受けて理事にしていただき、さらに役員会でも総長にとの議決をいただいている。皆さんからのご期待、「神社本庁をなんとかしてほしい」との声もたくさんいただいております。そうした方々の思いも大切にしていきたいと思っています。 Q:現在、裁判では、総長を決めるためのルール、「役員会の議を経て理事のうちから統理が指名する」の文言の意味を巡る審理が続いている。仮に裁判所が、この文言の意味を、「役員会の決議と統理の意向が一致した時にのみ、新しい総長が選出される」と判断した場合は、統理の意思が変わらない限り、延々と新総長が誕生しないという事態も予想される。このように不安定な状態が続くことについて、どのようにお考えか。 田中 まずは役員会の多数意見に基づいて統理にご指名いただくのが第一だと思っています。これまでも総長はそのように決められてきましたし、議を経てというのは役員会の議決を尊重していただくという意味であるはずです。しかし、それでも統理がご指名されないということであれば、現在の状況(田中氏がなお在任の規定により総長を続ける状態)が続いていくことになってしまいます。全国の神社に迷惑をかけるわけにいきませんから、私は包括宗教法人の代表役員総長として必要な決裁を行い、通常通り業務を進めています。 Q:不安定な状態ではない、と。 田中 もちろん、正式な形で新しい総長が選ばれることが一番です。ただ、今回の件で、庁規や各規程などの条項には、さまざまな問題や齟齬があることがわかりました。全国約8万の包括下神社は、コロナ禍や氏子の減少などで困難に直面しているところも多く、神社本庁では、これまでの小規模神社への支援策を発展させ、地区単位の協力体制作りを進めています。人々が集い絆を深める大切な場所である各地の神社がこれからも安定的に存続していくために、包括法人としての神社本庁の庁規なども、改めて見直していかなければならない、と考えております。今こそ、我々は神職であるということに、今一度立ち戻っていかなければならないと思います。人々が手を合わせ、祈りを捧げる神様に奉仕する。そのことを我々神職は改めて肝に銘じていかなければ、と思っています』、「今こそ、我々は神職であるということに、今一度立ち戻っていかなければならないと思います。人々が手を合わせ、祈りを捧げる神様に奉仕する。そのことを我々神職は改めて肝に銘じていかなければ、と思っています」、同感である。

第三に、本年1月18日付け現代ビジネスが掲載した文筆業の鈴木 大介氏による「父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104407?imp=0
・『「老いた親が突然、韓国や中国を罵倒するような言葉を吐くようになって戸惑っている」 昨今、そんな声をしばしば耳にするようになりました。 ルポライターの鈴木大介さんも、父親が老いとともに「ネット右翼」的な言動をとるようになったことに戸惑った一人です。 父親の死の直後、鈴木さんは「右傾化」の背景を分析する記事を執筆し、大きく話題になりました。 その分析は、「老いと病のなかで父は商業的な右翼コンテンツにつけ込まれたのではないか」というものでしたが、時間とともに、鈴木さんはやがてその分析に疑問を抱くようになります。 家族の「右傾化」とどう向き合うかーー。この現代的な問題に取り組んだ鈴木さんの新著『ネット右翼になった父』より、お届けします』、興味深そうだ。
・『晴れないモヤモヤ  記事を寄稿したあと、僕の中には、何か大きなモヤモヤした感情が立ち上がり始めていた。 寄稿した記事をざっくりまとめれば、父が生来の知的好奇心から保守メディアに触れたことと、商業化し、なりふり構わなくなった右傾コンテンツによって、父の中にあった古き良き日本に対する喪失感の矛先が嫌韓嫌中思考に誘導されたのではないかという推論が、その柱となるだろう。 しかし、「商業右翼が分断の主犯!」とばかりに、怒りに任せて単純な決着をつけてはみたものの、それでは決して胸のモヤモヤは晴れなかったのだ。) まず第一に、一歩引いて客観的に自分を振り返ったときに、寄稿前後の自分が平常心を保てていたとはとても言えないということがある。例えば、下記は寄稿後に感想をくれた取引先の担当編集に返した一文だ。 冷静にお話しする努力が必要かと思いますが、嫌韓嫌中といった心理構造そのものは本当に下衆な民衆心理の骨頂であり、障害者差別、自己責任論、いじめ問題、あらゆる集団が内包する集団心理の醜さが凝縮された、「民意の肥溜め」だと僕は思っています。言いたくない言葉ですが、衆愚とか言いたくなる。だからこそ、自身の父がその言説に「汚染」されたことが悔しくて悔しくて、たまらないのです。 もう、明らかに冷静ではない。前出の寄稿を書く際にも、こうした心情を知人に吐露する際にも、僕は自身の中に湧き上がる激しい憎しみの情動に手を震わせながら、ヘイトコンテンツに対する嫌悪感に吐き気を催しながら、キーボードで文字を入力した覚えがある。 けれど、そんな激高した状態で出した結論で、自身の父親の七十余年にわたる人生の晩節を決めつけてしまって、果たしてよいものだろうか……。 さらに、いくつかの媒体からの取材や問い合わせに答える中で、僕の中には新たにいくつもの疑問が立ち上がってきてしまった。きっかけは、取材に応じるべく何とか記憶を掘り起こしていく中で、不可解な事実を思い出したことだ』、「もう、明らかに冷静ではない。前出の寄稿を書く際にも、こうした心情を知人に吐露する際にも、僕は自身の中に湧き上がる激しい憎しみの情動に手を震わせながら、ヘイトコンテンツに対する嫌悪感に吐き気を催しながら、キーボードで文字を入力した覚えがある。 けれど、そんな激高した状態で出した結論で、自身の父親の七十余年にわたる人生の晩節を決めつけてしまって、果たしてよいものだろうか……」、「冷静に」振り返ることが出来るのはさすがだ。
・『始まりは2000年代初頭だった  その事実とは、父がいわゆる保守系ワードを日常会話の中で口にするようになったのは、父ががんを患った後のことではなく、そこから10年以上遡る「仕事をリタイアした直後」=2002年前後だったということである。 この頃から、父の口からは「支那と言って何が悪い」「三国人は○○」「いかにも毛唐のしそうなことだな」といった、故・石原慎太郎氏の常套句みたいな排外的ワードがこぼれるようになっていた。 けれど2002年と言えば、日韓共同開催となったFIFAワールドカップで偏向審判騒動があったことで、まさに日本国内(特にネット内)での反韓言説が大いに湧き上がったという頃合い。翌年はドラマ「冬のソナタ」に端を発した韓流ブーム元年であり、一方で保守本流を再編したともいわれた「新しい歴史教科書を作る会」が教科書検定に合格して物議をかもしていたタイミングでもある。 こののち、いわゆる嫌韓本の萌芽期が訪れ、次いで商業右翼コンテンツの百花繚乱を見ることになるのだが、この時点での父は「本当にこれが定年後か」と思うほど活動的で知的で、老いなど微塵も感じさせていなかった。 この時期既に父が排外的な発言をしていたのであれば、「老いと病で衰えたところを商業右翼コンテンツにつけ込まれた」という推論は、時系列的に全く的外れになってしまうではないか(「WiLL」の創刊は2004年、「日本文化チャンネル桜」の一部コンテンツがYouTubeで視聴できるようになったのが2009年)。 見失っていた事実を思い起こした瞬間、ギョッとした。ギョッとしたのち、再び混乱した。) というのも、「であれば父は、もともとの素地にそうした保守や排外的な思想を持っていたのか?」というと、それもまた、全く腑に落ちないのだ。 なぜなら晩節は反中発言の激しかった父だが、退職翌年から中国は雲南省の首都昆明にて、たっぷり半年間の語学留学をしている。思い起こせば色々な国の言語を学ぶのが好きだった父は、退職前にはハングルを勉強していた時期もあった。「ハングルは文字としてものすごく合理的で面白い」と言っていたのも憶えている。 「嫌韓」の父がハングルの合理性に感心し、「嫌中」の父がわざわざ昆明まで語学留学などするだろうか? 【つづき】「高齢化して「ネット右翼」になった父、その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと」では、こうした推論のなかで見えてきた、もう一つの可能性について紹介します』、早く真相を知りたいものだ。

第四に、続きを、1月18日付け現代ビジネスが掲載した文筆業の鈴木 大介氏による「高齢化して「ネット右翼」になった父、その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/104458?imp=0
・『「老いた親が突然、韓国や中国を罵倒するような言葉を吐くようになって戸惑っている」 昨今、そんな声をしばしば耳にするようになりました。 ルポライターの鈴木大介さんも、父親が老いとともに「ネット右翼」的な言動をとるようになったことに戸惑った一人です。 父親の死の直後、鈴木さんは「右傾化」の背景を分析する記事を執筆し、大きく話題になりました。 その分析は、「老いと病のなかで父は商業的な右翼コンテンツにつけ込まれたのではないか」というものでしたが、時間とともに、鈴木さんはやがてその分析に疑問を抱くようになります。 家族の「右傾化」とどう向き合うかーー。この現代的な問題に取り組んだ鈴木さんの新著『ネット右翼になった父』より、お届けします。 【前編】「父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由」』、興味深そうだ。
・『リタイア後に同世代との交友関係が急拡大  混乱する中で、もう一つ、思い出したことがあった。それは僕の記憶にある、「父が排外的ワードを使うようになった」その時期、父自身の人生に大きな変化が訪れていたということ。それは、同世代との交友関係の急拡大だ。 典型的な企業戦士だった父ではあるが、実は会社員時代の仕事を通じた人間関係では、友人らしい友人を作っていた気配がない。在職中は休日に必ずゴルフの練習やコンペに顔を出していたが、それもあくまで仕事上のことだったようで、退職するやせっかく買いそろえていた用具一式を容赦なく捨て去ってしまった。 引き止められて出向先企業での再雇用にも応じたが、それも2年ほどのことで、きっぱり完全リタイア。その後は在職中の知人とも、ほぼ交流を絶ってしまった。 けれど一方、そうしてリタイアした後の父は、その37年に及んだサラリーマン人生で失ったものを取り戻すかのように、急速にその交友関係を広げていった。留学から帰国するや、地域の大学同窓会に積極的に参加するようになり、あっという間に記念誌刊行のコアメンバーを務めるまでになった。 地域でパソコン教室や同世代の男性向けの料理教室を開き、自治会協議会の連携を目指すネットワークの設立や社会福祉協議会への参加など、もう全方向で交流活動を広げ始めたのだ。 ただ帰って寝るだけだった家の書斎は、地域活動の資料やPC関連の専門書籍が整然と並ぶようになり、地域のために日々飛んで歩く父はリタイア後とは思えないほどに活動的だった。 思い起こせば、初めて父の書斎で保守論壇誌である「正論」を目にしたのは、そうやって父がセカンドライフを充実させているさなかのことだった。 執筆陣には田母神俊雄元航空幕僚長や高市早苗氏など、そうそうたる保守論壇の先鋒が名を連ねていた。表紙には「総力特集・民主党よ、どこまで日本を壊したいのか」と打たれ、外国人参政権や夫婦別姓等々、後にネット右翼が「悪夢」と呼ぶ民主党政権の改革課題がやり玉に挙げられている。 改めて調べると、それは父のリタイアから8年後、東日本大震災の起きる前年の刊行物だった』、「地域のために日々飛んで歩く父はリタイア後とは思えないほどに活動的だった」、「初めて父の書斎で保守論壇誌である「正論」を目にしたのは、そうやって父がセカンドライフを充実させているさなかのこと」、なるほど。
・『新たな推論  ここに至って、僕は新たな推論を立てた。 それは、当時父とその周囲にいた同世代のコミュニティの中で、「排外的ワード」「リベラル政党への疑義」といったものが、共通言語や雑談上のテーマ、いわば「飲みの席での娯楽的なネタ(話題)」だったのではないかということ。 そして同じ傾向の思想を持つ狭い集団の中で対話するうちに、いわゆるエコーチェンバー現象(同じ価値観を持つ集団の中で対話を重ねることで、価値観や言葉が一般に通じないほどに先鋭化してしまうこと)が父の中にも起きてしまっていたのではないかということだ。 実は、父の晩年に枕もとで見た「月刊Hanada」や「WiLL」といった雑誌は、亡くなったあと書斎には残されていなかった。あれらはどこに行ったのか? 「捨てた」のではなく「友人から借りたものだから返した」のかもしれない。 退職して改めて友人づくりができた父にとって、嫌韓論議は同世代の男性との共通言語(コミュニケーションツール)だったり、娯楽の要素が強かったのではないかというのが、あらたな見地です。寄稿した記事に書いたような喪失感も彼らの共通する感情で、その寂しさに対しての答えを、同世代との中で共有、醸成していったのではないかと感じています。 これは、記事寄稿後にコメント取材に応じた僕が、記者の方に送った文面だ。 狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質していき、その下地ができたところで商業右派コンテンツに晒される。病によって認知判断力が衰え、卑俗なネット右翼コンテンツの消費にまで至る。 まあまあ、ありえそうな話だ。 であれば、これは「孤独の病」だと思った』、「狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質していき、その下地ができたところで商業右派コンテンツに晒される。病によって認知判断力が衰え、卑俗なネット右翼コンテンツの消費にまで至る。 まあまあ、ありえそうな話だ。 であれば、これは「孤独の病」だと思った」、「狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質」、大いにあり得そうな話だ。これを「孤独の病」と呼ぶのにはやや違和感を感じる。
タグ:「思考停止した連中が徒党を組むと、自分たちの異常さに気づかなくなる。都合のいい情報しか耳に入らなくなり、現実との接点を失い、濃縮されたカルトになっていく。だから安倍というカルト体質の男と親和性があったのだろう」、 ”右傾化” (その14)(多幸感に包まれて自画自賛を繰り返す…権力に迎合する「エセ保守」の異常、独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」、父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由、高齢化して「ネット右翼」になった父 その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと) 「本来、保守とはこうした歪んだ思考を戒める態度のことである。それは復古でも右翼でもない。近代の不可逆的な構造を理解した上で、近代内部において理性や合理の暴力に抵抗するのが保守である。保守思想に関する文献を読めば、日本で「保守」とされているものが、その対極であることがわかる。保守は人間理性を信仰しないので権力を警戒する。よって権力の分散を説いてきたが、エセ保守は逆に権力に迎合する。そして権力と一体化したかのような多幸感に包まれ、自画自賛を繰り返す。 自分が大好きで、日本はすごい国と信じ込み、生温かい世界に引きこもる。論理的な整合性が取れなくなれば陰謀論に逃げ込み、惨めな、卑小な、卑劣な自分たちのメンタリティーをごまかすために、その鬱憤を近隣諸国や社会的弱者にぶつける」、日本の「エセ保守」に対する批判は手厳しいが、その通りなのだろう。 デイリー新潮「独占インタビュー 分断危機の「神社本庁」トップが語った「内紛の真実」」 「神社本庁が今、事務方トップである「総長」の人選を巡って、分断の危機」、とは興味深そうだ。 神職の集まりには、似つかわしくない事態が進行しているようだ。 「5月の役員会では、もう一度役員会を開いて新たな総長を決めるという結論になったのに、6月6日に、芦原氏が総長に就任したとして変更登記申請を秘密裏に行った」、「間一髪で登記変更を止めることはできたものの、本来、変更登記の手続きは、担当部署である神社本庁の総務部が行うものですよ」、こんな違法な手続きをした「芦原氏」は、本来、組織として処分すべきだ。 「統理側は、例のルールを、「役員会の多数意見がどうであれ、統理の意見によって選ばれる」という風に解釈している」、こんな解釈は不当だ。 「怪文書の中に、内部情報漏洩があり、それを知り得る内部の人間が書いたことは明らか」、「不動産売却は役職員の絡んだ背任行為であることは明白」、「懲戒解雇と降格という重い処分内容は、私個人の判断ではなく、常務理事会を開いて協議・決定し、さらに役員会、評議員会でも報告したのです。いずれの場でも、懲戒解雇と降格という判断について、了承」、手続き的には瑕疵はないようだ。 「「貴重な財産なんだから、少しでも高く売った方がいいんじゃないか」と私が言って、さらに、昔から神社本庁と付き合いのある、ある不動産業者さんの名前をあげ、「一応相談してみたら」という話をしたんです。これは事実です。それが、いつの間にか、私がその不動産業者にしろ、と命令したかのように話が変化していってしまった。 そして、本来、3億円くらいの価値があると言われる不動産を、1億8400万円という値段で売り、その差額を私が懐に入れているのではないか、という疑惑が騒がれたのですが、実際は3億円の価値はなく、もちろん差額を懐に入れてもいません」、嵌める意図があったが、失敗したようだ。 「今こそ、我々は神職であるということに、今一度立ち戻っていかなければならないと思います。人々が手を合わせ、祈りを捧げる神様に奉仕する。そのことを我々神職は改めて肝に銘じていかなければ、と思っています」、同感である。 現代ビジネス 鈴木 大介氏による「父は老いて「ネトウヨ」になった…それは本当に「商業右翼コンテンツにつけ込まれた結果」だったのか? 疑問がよぎった理由」 ネット右翼になった父 「もう、明らかに冷静ではない。前出の寄稿を書く際にも、こうした心情を知人に吐露する際にも、僕は自身の中に湧き上がる激しい憎しみの情動に手を震わせながら、ヘイトコンテンツに対する嫌悪感に吐き気を催しながら、キーボードで文字を入力した覚えがある。 けれど、そんな激高した状態で出した結論で、自身の父親の七十余年にわたる人生の晩節を決めつけてしまって、果たしてよいものだろうか……」、「冷静に」振り返ることが出来るのはさすがだ。 早く真相を知りたいものだ。 鈴木 大介氏による「高齢化して「ネット右翼」になった父、その原因は「孤独の病」だった…のか? 息子の回顧から見えたこと」 「地域のために日々飛んで歩く父はリタイア後とは思えないほどに活動的だった」、「初めて父の書斎で保守論壇誌である「正論」を目にしたのは、そうやって父がセカンドライフを充実させているさなかのこと」、なるほど。 「狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質していき、その下地ができたところで商業右派コンテンツに晒される。病によって認知判断力が衰え、卑俗なネット右翼コンテンツの消費にまで至る。 まあまあ、ありえそうな話だ。 であれば、これは「孤独の病」だと思った」、「狭い同世代コミュニティの中で対話を重ねたことでエコーチェンバーが起き、価値観の基準が右寄りに変質」、大いにあり得そうな話だ。これを「孤独の病」と呼ぶのにはやや違和感を感じる。
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