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高齢化社会(その21)(精神科医 和田 秀樹 3題:「65歳を過ぎたらラクなことだけやりなさい」和田秀樹が定年後は遊び半分で生きることを勧めるワケ 向いてなかったら「こつこつやる奴ぁ ご苦労さん」と放り出せばいい、70代の大半はピンピンしている…「本当の健康寿命」を知れば年をとるのは怖くない!、70代からは信頼できる医師選びも大切 見分け方は「薬の相談」に対して親身か否か) [社会]

高齢化社会については、本年4月2日に取上げたばかりだが、今日は、(その21)(精神科医 和田 秀樹 3題:「65歳を過ぎたらラクなことだけやりなさい」和田秀樹が定年後は遊び半分で生きることを勧めるワケ 向いてなかったら「こつこつやる奴ぁ ご苦労さん」と放り出せばいい、70代の大半はピンピンしている…「本当の健康寿命」を知れば年をとるのは怖くない!、70代からは信頼できる医師選びも大切 見分け方は「薬の相談」に対して親身か否か)を紹介しよう。

先ずは、3月31日付けPRESIDENT Onlineが掲載した精神科医の和田 秀樹氏による「「65歳を過ぎたらラクなことだけやりなさい」和田秀樹が定年後は遊び半分で生きることを勧めるワケ 向いてなかったら「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん」と放り出せばいい」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/67944
・『定年後の人生を楽しむための秘訣は何か。医師の和田秀樹さんは「『定年を迎えた』ということは、仕事に対する最大最強の『かくあるべし思考』から完全に解放されることだ。何ごとも遊び半分と、胸を張って無責任のまま生きればいい」という――。 ※本稿は、和田秀樹『70代からの元気力』(三笠書房)の一部を再編集したものです』、「「『定年を迎えた』ということは、仕事に対する最大最強の『かくあるべし思考』から完全に解放されることだ。何ごとも遊び半分と、胸を張って無責任のまま生きればいい」、嬉しい限りだ。
・『70代になったら「かくあるべし思考」を捨てなさい  70歳を過ぎたら、「好きなことだけをする」という選択もあります。 「遊んで暮らす」のが、70代人生の理想だと私は思っています。 ですから、やりたくない仕事や役割はムリして続けるのは、時間がもったいないと思います。 そしてこれがいちばん大事なことですが、高齢になればなるほど、「いろいろなものから自由になる、解放される」といった気持ちを大切にしたほうがいいのです。 心を伸びやかにして、残された人生を楽しむためにも、どういうものであれ自分を縛るようなことはしないほうがいいのです。 まず捨てたいのは「かくあるべし思考」。 たとえば、会社勤めの間は、とにかく「定年までは働くべきだ」いう気持ちがあったはずです。この「かくあるべし思考」があったからこそ、仕事で嫌なことや、苦しいことがあっても、我慢して働いていたわけです。 また、仕事に対する責任感とか義務感といったものも、考えてみれば、「かくあるべし思考」が根本にあります。 「どんな仕事であれ、逃げ出したり、放り出したりせずに取り組むべきだ」と思うからこそ、責任感、義務感が生まれるわけです』、「「遊んで暮らす」のが、70代人生の理想だと私は思っています。 ですから、やりたくない仕事や役割はムリして続けるのは、時間がもったいないと思います。 そしてこれがいちばん大事なことですが、高齢になればなるほど、「いろいろなものから自由になる、解放される」といった気持ちを大切にしたほうがいいのです。 心を伸びやかにして、残された人生を楽しむためにも、どういうものであれ自分を縛るようなことはしないほうがいいのです」、「まず捨てたいのは「かくあるべし思考」」、確かに現役時代は、「かくあるべし思考」に強く縛られていた。
・『「70歳になる」とは「自由になる」ということ  ただ、仕事がうまくいっているうちはいいのですが、うまくいかなくなると、その責任感や義務感に追いつめられることになります。それに耐えられる人もいるでしょうが、心が病んでしまう人もいます。 そんなときは「かくあるべし思考」を捨ててもらうと、ラクになることが少なくありません。実際、職場でうつに苦しむ人は、医者の診断書をもらって休職が認められただけで、ずいぶんラクになるものです。 実際の治療に入らなくても、医者の診断書をもらったことで、「かくあるべし思考」からいったん解放されるので、それまでの苦しさが消えてしまうことがあるのです。 「定年を迎えた」ということは、仕事に対する最大最強の「かくあるべし思考」から完全に解放されるということです。 人によっては「あと5年は働かないといけない」といった拘束があるかもしれませんが、定年前ほどの縛りは消えています。「かくあるべし思考」から解放されているので、「いざとなれば、我慢して働く必要もない」という意識が、どこかにあるからでしょう。 それでいいのです。 仕事だけではありません。 子どもの教育とかマイホームのローンなど、いままで自分を縛っていたものが1つずつ消えていくのが、60代。気がつけばどんどん身軽になっているのが、年齢を重ねるということなのかもしれません。 70代からは、その「身軽さ」を楽しみたいものです。 「70歳になるということは、自由になること」なのかもしれません。 そう考えれば、こんなに楽しく嬉しいこともないはずです』、「子どもの教育とかマイホームのローンなど、いままで自分を縛っていたものが1つずつ消えていくのが、60代。気がつけばどんどん身軽になっているのが、年齢を重ねるということなのかもしれません。 70代からは、その「身軽さ」を楽しみたいものです」、その通りだ。
・『「何ごとも遊び半分」が、脳を老化させないコツ  70代は「自由の時代」――と考えていいでしょう。 そう考えれば、何ごとも、いままでのような拘束力はありません。 地域の活動だって、ボランティアだって、自分がやりたいと思ったらやればいいし、時間がもったいない、ムダなことだと思ったらやめたほうがいいのです。 趣味も、つき合いも、すべて同じ。 「つまらないな」と思ったら、やめていいのです。 と言うより、「つまらないな」と思ったら、やめたほうがいいのです。 「何ごとも、中途半端に終わらせてはいけない」という考えは、会社員時代に長く染みついてきた「かくあるべし思考」に過ぎません。「別に仕事じゃないんだし」と思って、つまらないと感じたら、その場でおしまいにしてしまいましょう。 そうしないと、70代のせっかくの貴重な時間をムダにしてしまいます。 昔であれば、そのような態度は、「遊び半分」と思われて、否定的に考えられたものです。嫌悪感を抱く人さえいました。 とくに、団塊の世代は、真面目な努力家が多いので、その傾向があるように思います。 実際、会社員時代、仕事が中途半端に終わってしまったときなど、「まるで遊び半分じゃないか!」と、反省していた人もいるのではないでしょうか。 でもこれからは、すべて「遊び半分」にしたほうがいい年齢なのです』、「「何ごとも、中途半端に終わらせてはいけない」という考えは、会社員時代に長く染みついてきた「かくあるべし思考」に過ぎません。「別に仕事じゃないんだし」と思って、つまらないと感じたら、その場でおしまいにしてしまいましょう。 そうしないと、70代のせっかくの貴重な時間をムダにしてしまいます」、「これからは、すべて「遊び半分」にしたほうがいい年齢なのです」、なるほど。
・『責任感や義務感を押しつける人とは距離を置く  それに地域の活動やボランティアをやめたところで、周りはそれほど気にしないもの。「つまらないな」と思っていたわけですから、周りもそれとなく気がついているものです。 「和田さん、最近姿が見えないね」と地域活動やボランティアの仲間が言ったとしても、「まあ、そんな予感はしてましたよ」「まあ、当てにしないで待ってましょう」くらいで終わってしまいます。 もちろん、どの世界にも、「かくあるべし思考」でしか考えられない人がいるものです。そして相も変わらず、昔ながらの責任感だの義務感だのを、人に押しつけてきたりします。 70代になったら、そういう人とは距離を置くことです。 放っておけばいいのです。 70代は、そういう気ままさが許される世代なのです。 それに「何ごとも遊び半分」とばかりに、最初から何ごとにも深入りしないと決めておけば、それが自然と自分のキャラクターになってきます。 周りの反応など、気にすることもなくなります』、「どの世界にも、「かくあるべし思考」でしか考えられない人がいるものです。そして相も変わらず、昔ながらの責任感だの義務感だのを、人に押しつけてきたりします。 70代になったら、そういう人とは距離を置くことです。 放っておけばいいのです。 70代は、そういう気ままさが許される世代なのです」、「気ままさが許される世代」とは有り難い。
・『「胸を張って、無責任に生きる」は、70代の特権  齢をとると、何を始めるにしても、おっくうに感じるもの。 それには理由があります。 65歳を過ぎても、60歳までの価値観、人生観を引きずっている人が多いので、何かを始めるとき、どうしても不安や懸念を感じてしまうのです。 「始めても、だんだん辛くなるかもしれない」「ひょっとしたら、自分に向いてないかもしれない」などなど、ついつい不安を感じてしまうわけです。 さらには「長続きしなかったら、みっともない」「やるからには、中途半端なことはできない」と、見栄から生まれる懸念もあります。 このような価値観、人生観は、長い会社勤めや、組織の人間関係の中で身についたもの。それをそのまま、65歳からの人生に当てはめても、意味がありません。 どんな世界でも、いざ飛び込んでみると「勝手が違う」「通用しない」「体がついていけない」といったことはいくらでも起こり得ます。 前項でお話ししたように、「何ごとも遊び半分」という気持ちで始めれば、気分もラクなもの。「勝手が違う」「通用しない」「体がついていけない」と思ったら、のんびりマイペースに持ち込んでしまえばいいだけの話。 65歳を過ぎたら、ラクなことだけやる。 誰からも文句は言われないはずです。 また、ラクだと思っていても、「やっぱり、自分に向いてない」ということもあるでしょう。それなら、「やーめた!」と放り出せばいいのです。 65歳からは、万事がこんな調子のほうが、うまくいくと考えてください。 団塊の世代なら、クレージーキャッツの植木等さん主演の映画『無責任』シリーズを覚えていると思います。その映画の中で「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」というとても痛快なセリフがありました。 70歳からは、まさに「無責任一代男」「無責任一代女」でいいのです。 「やっぱり、自分に向いてない」と思ったら、「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」とばかりに放り出す。70代になったらもう、胸を張って、無責任のまま生きていいと思います。 70代は、何十年もの間、ひたすら責任だけを果たしてきた世代なのですから』、「自分に向いてない」と思ったら、「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」とばかりに放り出す。70代になったらもう、胸を張って、無責任のまま生きていいと思います」、嬉しくなる。
・『「外に出て町を歩く」だけでも、必ず若返ります  外に出て町を歩くだけで、気分が華やいでくるときがあります。 70代になったら、このような気分から生まれてくる高揚感を大事にしたいものです。 と言うのも、このような高揚感は、老化の防止にとてもいいのです。 晴れの日はもちろんのこと、曇りの日でも雨の日でも、外を歩いて風を感じたり、人とすれ違ったり、店先を眺めたりする。また、気が向いたら、しばらくご無沙汰の飲食店や居酒屋に顔を出したりする。 それだけでも、「こういう気分もいいな」と思うときがきっとあります。 それが脳にとって、とてもいい刺激なのです。 また、町には同世代の男性や女性たちがいます。快活で楽しそうな同世代がいれば、いやがうえにも刺激になります。 ファッションにも目が行くでしょう。「ああいうチェックの柄のジャケットなら、私も欲しい」と思ったりします。「派手な色だけど、あの歳でも案外、様になるんだな」と気がついたりします。 あるいは逆の場合もあります。 「同じくらいの歳だと思うけど、地味な服のせいか、年寄りくさく見える」 「不機嫌そうな表情をしているな。あれじゃ家の雰囲気も悪いだろう」 といった具合です。 町を歩くと、つい同世代に目が行ってしまうのはいくつであっても同じだと思います。そのたびに、いろいろな刺激を受けるのです。 「あのようなジャケットが欲しい」「あのような表情はよくない」などと、勝手な刺激を受けているうちに、不思議な元気が出てきます。何をどうするというのでもなく、前向きな気分になってくるものです。 それだけでも出かけた甲斐があります。 目的などなくてもいいから、とにかく外に出てみる。 それだけでも若返りの刺激を受けるのです』、「目的などなくてもいいから、とにかく外に出てみる。 それだけでも若返りの刺激を受けるのです」、私は他人の「ファッション」には興味がないが、運動による「刺激」にはこだわっている。

次に、4月19日付け現代ビジネスが掲載した精神科医の和田 秀樹氏による「70代の大半はピンピンしている…「本当の健康寿命」を知れば年をとるのは怖くない!」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/108461?imp=0
・『年々、右肩上がりに延びている日本人の平均寿命。一方、健康で自立して暮らせる期間とされる「健康寿命」は、男性が72.68歳、女性が75.38歳だという。この数字を見て、不安を感じる人も多いだろう。しかし、著書『70代から「いいこと」ばかり起きる人』(朝日新書)を上梓した、精神科医で老年医学の専門家でもある和田秀樹氏によれば、この数字には大きな誤解があるという。そんな同氏に、健康寿命のトリックと「本当の健康寿命」について教えてもらった』、「健康寿命のトリックと「本当の健康寿命」」とは興味深そうだ。
・『「健康寿命」を真に受けてはいけない  厚生労働省が2019年に発表した、日本人の健康寿命は、男性が72.68歳、女性が75.38歳でした。 健康寿命の定義は、「健康上の問題で、日常生活が制限されることなく生活できる期間」とされています。そう聞くと、「じゃあ、72歳になったら介護が必要になるの?」と思う人もいるかもしれません。 まさか、そんなわけはありません。「未来ビジョン研究所」の調査によると、70代の約7割は「自分は健康だ」と思っています。私の臨床現場における実感でも、70代の人の多くはピンピンしています。 厚生労働省の調査でも、介護サービスを1年間継続して使った人は、70代前半では男女ともたった4%しかいません。72歳で健康寿命を迎えるという考えは、明らかに実態とかけ離れています。 いったいなぜ、こんな乖離が起きているのでしょうか。原因はずばり、健康寿命の算出方法にあります。 健康寿命がどう決められているのか、みなさんはご存じでしょうか? 平均寿命のように、客観的な数字をもとに決められていると思っている人も多いのではないかと思います。 じつは、健康寿命は厚生労働省によるアンケート調査で決められています。 全国から無作為に抽出された男女を対象に、「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか?」と尋ね、「ある」と回答した人は不健康、「ない」と回答した人は健康とみなして算出されたものなのです。 この聞き方では、病気ではないけれど、なんとなく体調がすぐれない人も「ある」と答えるでしょうし、たまたま風邪をひいていた人や、ケガをしていた人も「ある」と答えるでしょう。 逆に「ない」と言いきれる人がどれだけいるでしょうか? 誰だって不調のひとつやふたつ、あると思います。 このように健康寿命というのは、きわめて主観的であやふやなものなのです。そんなものを真に受けて、年をとることを恐れたり、健康寿命を伸ばそうとやっきになったりする必要はありません』、「健康寿命は厚生労働省によるアンケート調査で決められています」、「「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか?」と尋ね、「ある」と回答した人は不健康、「ない」と回答した人は健康とみなして算出されたものなのです。 この聞き方では、病気ではないけれど、なんとなく体調がすぐれない人も「ある」と答えるでしょうし、たまたま風邪をひいていた人や、ケガをしていた人も「ある」と答えるでしょう。 逆に「ない」と言いきれる人がどれだけいるでしょうか? 誰だって不調のひとつやふたつ、あると思います。 このように健康寿命というのは、きわめて「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか?」と尋ね、「ある」と回答した人は不健康、「ない」と回答した人は健康とみなして算出されたものなのです。 この聞き方では、病気ではないけれど、なんとなく体調がすぐれない人も「ある」と答えるでしょうし、たまたま風邪をひいていた人や、ケガをしていた人も「ある」と答えるでしょう。 逆に「ない」と言いきれる人がどれだけいるでしょうか? 誰だって不調のひとつやふたつ、あると思います。 このように健康寿命というのは、きわめて主観的であやふやなものなのですなのです」、なーんだ、こんなに「主観的であやふやなもの」、とは初めて知った。
・『「本当の健康寿命」は男女とも80歳以上  私たちが本当に知っておくべき数字は、健康寿命ではなくほかにあります。 2012年に発表された「健康寿命の算定方法の指針」という説明書では、65歳の人が亡くなるまでの間、要介護認定を受けずに自立して生活している期間と、要介護認定を受けて自立できなくなった期間、それぞれどれくらいあったのか、という調査をしています。 調査結果によると、65歳男性の平均余命は18.9年。そのうち、自立している期間が17.2年、自立できなくなった期間が1.6年でした。女性の場合は、平均余命が24.0年。自立している期間が20.5年、自立できなくなった期間が3.4年でした。 つまり、男性は82.2歳まで、女性は85.5歳までは、介護の必要もなく健康でいられるということです』、「「健康寿命の算定方法の指針」という説明書では、65歳の人が亡くなるまでの間、要介護認定を受けずに自立して生活している期間と、要介護認定を受けて自立できなくなった期間、それぞれどれくらいあったのか、という調査をしています。 調査結果によると、65歳男性の平均余命は18.9年。そのうち、自立している期間が17.2年、自立できなくなった期間が1.6年でした。女性の場合は、平均余命が24.0年。自立している期間が20.5年、自立できなくなった期間が3.4年でした」、これなら実態に近そうだ。
・『「男性82歳、女性85歳」  私はこの数字こそが、「本当の健康寿命」ではないかと思っています。 もうひとつ強調しておきたいのは、男性の「自立できなくなった期間」がたった1.6年であるという事実です。 72歳で健康寿命を迎えたあとは、81歳の平均寿命を迎えるまで、ベッドの上で寝たきりで過ごすことになる。そんなふうに想像していた人もいるかもしれません。それでは年をとりたくないと思うのも当然でしょう。 実際は、介護が必要になるのは、死ぬ前のわずか1年半ほどなのです。もちろん、これは平均値ですから、もっと少ない人もたくさんいます。 そう思えば、年をとることが怖くなくなるのではないでしょうか』、「「男性82歳、女性85歳」  私はこの数字こそが、「本当の健康寿命」ではないかと思っています」、「実際は、介護が必要になるのは、死ぬ前のわずか1年半ほどなのです」、安心した。
・『人間の肉体は思っているほど衰えない  人間の肉体というのは、私たちが思っているほど衰えません。 たしかに、30歳のときと70歳のときの筋肉量をくらべると、筋肉量は30%ほど減ります。ですが、30歳と70歳では生活の内容がまったく違います。 30歳のときは、ハードな仕事を要求されることもあったかもしれませんが、70歳の高齢者に重い荷物を持たせたり、全力疾走させたりする人はいないでしょう。 つまり、30%ほど筋肉量が減っても、70歳の日常生活に影響を与えるほどではないということです。70歳らしい生活を送ることのできる肉体は、たいていの人が維持できます。 それを裏づけるのが、東京都が行なった高齢者の生活実態に関する調査です。 1980年の時点では、杖などを使わずに歩くことができる65~69歳の割合は90%以下でした。しかし、2000年にはその割合が95%を超えています。75~79歳の場合でも、1980年では80%を切っていたのが、2000年には90%近い人が自分の力だけで歩くことができています。 さらに20年近くたった現在では、自力歩行の割合はおそらくもっと高くなっているでしょう。 高齢者というと、杖や車いすをイメージしがちです。しかし、高齢者の日常生活能力は、昔とくらべて断然高くなっています。 あれもできなくなった、これもできなくなったと、若いころの自分とくらべて嘆くよりも、あれもできる、これもできると、まだできることを数えたほうが、幸せな毎日を過ごせるのではないでしょうか』、「高齢者の日常生活能力は、昔とくらべて断然高くなっています。 あれもできなくなった、これもできなくなったと、若いころの自分とくらべて嘆くよりも、あれもできる、これもできると、まだできることを数えたほうが、幸せな毎日を過ごせるのではないでしょうか」、同感である。

第三に、4月20日付け日刊ゲンダイが掲載した精神科医の和田秀樹氏による「70代からは信頼できる医師選びも大切 見分け方は「薬の相談」に対して親身か否か」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/321820
・『私が高齢者専門の浴風会病院に勤務していたころ、亡くなられた方の病理解剖報告を毎週、チェックしていました。すると、85歳以上の方で、アルツハイマー型認知症の所見が脳に見られない人はいませんでした。つまり、認知症がそれほどひどくなくても、脳は確実に老いに向かっているということです。 その経験から強く実感したことがあります。老いを2つの時期に分けてとらえる考え方で、80代からは「老いを受け入れる時期」で、70代までは「老いと闘う時期」ということです。 「老いと闘う時期」の中でも70歳は分岐点で、その後の老いとの闘い方が変わり、ひいては80代からの老いの受け入れ方も変わってきます。70代をうまく乗り越える闘い方のひとつが、前回紹介した意欲のキープですが、一般の方にとっては信頼できる医師の存在も老後の道先案内人として重要でしょう。 では、老いと闘う70代にとって、どんな人が頼れる医師か。見分け方は簡単で、ズバリ、その医師が薬の相談に親身になってくれるか。これが大きいと思います。 高齢者に薬の副作用が表れやすいことは、この連載でも紹介しました。薬の代謝や排泄(はいせつ)に関わる肝臓や腎臓の機能が衰えるため、薬の成分が体に残りやすいためです。 たとえば、睡眠導入剤としても使われる精神安定剤は、20代だと20時間ほどで血中濃度が半分になりますが、70代は70時間くらいかかります。多くの薬でこういうことが生じるため、若い成人と同じような服用では、副作用が生じやすい。 その点を踏まえると、1日3回服用の薬で副作用があるなら、高齢者の場合、1日1回でいいでしょう。ですから、薬を飲んで感じた不調は、ためらうことなく医師に伝えること。医師に忖度(そんたく)してつらさを我慢する必要はありません。「この薬を飲むと体がだるい」「頭がボーッとする」といったことを素直に伝えましょう。 医師がその訴えに「数値は正常だから、このまま続けて」「いい薬だから、やめると悪化しますよ」などと取り合わなければ、信頼できません。70代の健康を守る上でよくない医師です。 高齢者医療に詳しい医師なら、「副作用がつらければ、別の薬を試しましょう」「数値は少し高めでコントロールしましょうか」などと薬の見直しを検討してくれます。 そんな医師を老後の道先案内人にすると、ヨボヨボせず、元気な80代を迎えられるでしょう』、「80代からは「老いを受け入れる時期」で、70代までは「老いと闘う時期」、「「老いと闘う時期」の中でも70歳は分岐点で、その後の老いとの闘い方が変わり、ひいては80代からの老いの受け入れ方も変わってきます。70代をうまく乗り越える闘い方のひとつが、前回紹介した意欲のキープですが、一般の方にとっては信頼できる医師の存在も老後の道先案内人として重要でしょう」、「「この薬を飲むと体がだるい」「頭がボーッとする」といったことを素直に伝えましょう。 医師がその訴えに「数値は正常だから、このまま続けて」「いい薬だから、やめると悪化しますよ」などと取り合わなければ、信頼できません。70代の健康を守る上でよくない医師です。 高齢者医療に詳しい医師なら、「副作用がつらければ、別の薬を試しましょう」「数値は少し高めでコントロールしましょうか」などと薬の見直しを検討してくれます。 そんな医師を老後の道先案内人にすると、ヨボヨボせず、元気な80代を迎えられるでしょう」、「高齢者医療に詳しい医師なら、「副作用がつらければ、別の薬を試しましょう」「数値は少し高めでコントロールしましょうか」などと薬の見直しを検討してくれます。 そんな医師を老後の道先案内人にすると、ヨボヨボせず、元気な80代を迎えられるでしょう」、こんないい「医師を老後の道先案内人に」したいものだが、実際には難しそうだ。 
タグ:高齢化社会 (その21)(精神科医 和田 秀樹 3題:「65歳を過ぎたらラクなことだけやりなさい」和田秀樹が定年後は遊び半分で生きることを勧めるワケ 向いてなかったら「こつこつやる奴ぁ ご苦労さん」と放り出せばいい、70代の大半はピンピンしている…「本当の健康寿命」を知れば年をとるのは怖くない!、70代からは信頼できる医師選びも大切 見分け方は「薬の相談」に対して親身か否か) 和田秀樹『70代からの元気力』(三笠書房) 「「『定年を迎えた』ということは、仕事に対する最大最強の『かくあるべし思考』から完全に解放されることだ。何ごとも遊び半分と、胸を張って無責任のまま生きればいい」、嬉しい限りだ。 「「遊んで暮らす」のが、70代人生の理想だと私は思っています。 ですから、やりたくない仕事や役割はムリして続けるのは、時間がもったいないと思います。 そしてこれがいちばん大事なことですが、高齢になればなるほど、「いろいろなものから自由になる、解放される」といった気持ちを大切にしたほうがいいのです。 心を伸びやかにして、残された人生を楽しむためにも、どういうものであれ自分を縛るようなことはしないほうがいいのです」、「まず捨てたいのは「かくあるべし思考」」、確かに現役時代は、「かくあるべし思考」に強く縛られていた。 「子どもの教育とかマイホームのローンなど、いままで自分を縛っていたものが1つずつ消えていくのが、60代。気がつけばどんどん身軽になっているのが、年齢を重ねるということなのかもしれません。 70代からは、その「身軽さ」を楽しみたいものです」、その通りだ。 「「何ごとも、中途半端に終わらせてはいけない」という考えは、会社員時代に長く染みついてきた「かくあるべし思考」に過ぎません。「別に仕事じゃないんだし」と思って、つまらないと感じたら、その場でおしまいにしてしまいましょう。 そうしないと、70代のせっかくの貴重な時間をムダにしてしまいます」、「これからは、すべて「遊び半分」にしたほうがいい年齢なのです」、なるほど。 「どの世界にも、「かくあるべし思考」でしか考えられない人がいるものです。そして相も変わらず、昔ながらの責任感だの義務感だのを、人に押しつけてきたりします。 70代になったら、そういう人とは距離を置くことです。 放っておけばいいのです。 70代は、そういう気ままさが許される世代なのです」、「気ままさが許される世代」とは有り難い。 「自分に向いてない」と思ったら、「こつこつやる奴ぁ、ご苦労さん!」とばかりに放り出す。70代になったらもう、胸を張って、無責任のまま生きていいと思います」、嬉しくなる。 「目的などなくてもいいから、とにかく外に出てみる。 それだけでも若返りの刺激を受けるのです」、私は他人の「ファッション」には興味がないが、運動による「刺激」にはこだわっている。 現代ビジネス 和田 秀樹氏による「70代の大半はピンピンしている…「本当の健康寿命」を知れば年をとるのは怖くない!」 「健康寿命のトリックと「本当の健康寿命」」とは興味深そうだ。 「健康寿命は厚生労働省によるアンケート調査で決められています」、「「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか?」と尋ね、「ある」と回答した人は不健康、「ない」と回答した人は健康とみなして算出されたものなのです。 この聞き方では、病気ではないけれど、なんとなく体調がすぐれない人も「ある」と答えるでしょうし、たまたま風邪をひいていた人や、ケガをしていた人も「ある」と答えるでしょう。 逆に「ない」と言いきれる人がどれだけいるでしょうか? 誰だって不調のひとつやふたつ、あると思います。 このように健康寿命というのは、きわめて「あなたは現在、健康上の問題で日常生活に何か影響がありますか?」と尋ね、「ある」と回答した人は不健康、「ない」と回答した人は健康とみなして算出されたものなのです。 この聞き方では、病気ではないけれど、なんとなく体調がすぐれない人も「ある」と答えるでしょうし、たまたま風邪をひいていた人や、ケガをしていた人も「ある」と答えるでしょう。 逆に「ない」と言いきれる人がどれだけいるでしょうか? 誰だって不調のひとつやふたつ、あると思います。 このように健康寿命というのは、きわめ て主観的であやふやなものなのですなのです」、なーんだ、こんなに「主観的であやふやなもの」、とは初めて知った。 「「健康寿命の算定方法の指針」という説明書では、65歳の人が亡くなるまでの間、要介護認定を受けずに自立して生活している期間と、要介護認定を受けて自立できなくなった期間、それぞれどれくらいあったのか、という調査をしています。 調査結果によると、65歳男性の平均余命は18.9年。そのうち、自立している期間が17.2年、自立できなくなった期間が1.6年でした。女性の場合は、平均余命が24.0年。自立している期間が20.5年、自立できなくなった期間が3.4年でした」、これなら実態に近そうだ。 「「男性82歳、女性85歳」  私はこの数字こそが、「本当の健康寿命」ではないかと思っています」、「実際は、介護が必要になるのは、死ぬ前のわずか1年半ほどなのです」、安心した。 「高齢者の日常生活能力は、昔とくらべて断然高くなっています。 あれもできなくなった、これもできなくなったと、若いころの自分とくらべて嘆くよりも、あれもできる、これもできると、まだできることを数えたほうが、幸せな毎日を過ごせるのではないでしょうか」、同感である。 日刊ゲンダイ 和田秀樹氏による「70代からは信頼できる医師選びも大切 見分け方は「薬の相談」に対して親身か否か」 「80代からは「老いを受け入れる時期」で、70代までは「老いと闘う時期」、「「老いと闘う時期」の中でも70歳は分岐点で、その後の老いとの闘い方が変わり、ひいては80代からの老いの受け入れ方も変わってきます。70代をうまく乗り越える闘い方のひとつが、前回紹介した意欲のキープですが、一般の方にとっては信頼できる医師の存在も老後の道先案内人として重要でしょう」、「「この薬を飲むと体がだるい」「頭がボーッとする」といったことを素直に伝えましょう。 医師がその訴えに「数値は正常だから、このまま続けて」「いい薬だから、やめると悪化しますよ」などと取り合わなければ、信頼できません。70代の健康を守る上でよくない医師です。 高齢者医療に詳しい医師なら、「副作用がつらければ、別の薬を試しましょう」「数値は少し高めでコントロールしましょうか」などと薬の見直しを検討してくれます。 そんな医師を老後の道先案内人にすると、ヨボヨボせず、元気な80代を迎えられるでしょう」、「高齢者医療に詳しい医師なら、「副作用がつらければ、別の薬を試しましょう」「数値は少し高めでコン トロールしましょうか」などと薬の見直しを検討してくれます。 そんな医師を老後の道先案内人にすると、ヨボヨボせず、元気な80代を迎えられるでしょう」、こんないい「医師を老後の道先案内人に」したいものだが、実際には難しそうだ。
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