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脳科学(その4)(『脳の闇』の中野信子が指摘 日本人に「社会不安障害」が多い理由 ぶつかるのは面倒だから回避する 人と接するのが苦手な日本人の「気難しさ」、生まれて数ヶ月で「眠らせてしまった能力」じつは 戻るかもしれない…脳科学が挑む「究極の方法」) [科学]

脳科学については、昨年3月10日に取上げた。今日は、(その4)(『脳の闇』の中野信子が指摘 日本人に「社会不安障害」が多い理由 ぶつかるのは面倒だから回避する 人と接するのが苦手な日本人の「気難しさ」、生まれて数ヶ月で「眠らせてしまった能力」じつは 戻るかもしれない…脳科学が挑む「究極の方法」)である。

先ずは、本年1月8日付けJBPressが掲載した長野 光氏による「『脳の闇』の中野信子が指摘、日本人に「社会不安障害」が多い理由 ぶつかるのは面倒だから回避する、人と接するのが苦手な日本人の「気難しさ」【JBpressセレクション】」を紹介しよう。
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/78694
・『JBpressで掲載した人気記事から、もう一度読みたい記事を選びました。(初出:2023年3月22日)※内容は掲載当時のものです。 今の社会は何事も簡素に、便利に、合理的になっているが、それと反比例するように、人々はこれまで以上にデリケートかつ気難しくなっている印象を受ける。デジタルデバイスやインターネット空間が発達し、本音と建前、正義と悪が錯綜する現代という檻の中で、人々の思考と感情が窮屈さに悲鳴を上げている。 そんな時代に、私たちはどのように生きればいいのか。『脳の闇』(新潮新書)を上梓した脳科学者の中野信子氏に聞いた。(Qは聞き手の質問) Q:霊感商法、特殊詐欺、結婚詐欺、悪質なマルチ商法やネズミ講など、最近人を騙してカネを取る事件が頻繁に報道されます。「騙される人間は考えが甘い」などと思ってしまいがちですが、中野さんは「自分が詐欺師だったら高学歴の人を狙うかもしれない」と書かれています。高学歴の人には、つけ込まれる隙があるということでしょうか。 中野信子氏(以下、中野):高学歴の人は「自分だけは人から騙されることはない」というバイアスにかかりやすい人たちと言えます。自分には十分に知性があるから、人を騙そうとする人を見抜く力があると。あるいは、このような言い方は嫌いですが、「自分の周りには人を騙すような“民度の低い”人間はいない」と思い込んでいる。 そして、怪しげな人が近づいてきても、最初から相手を疑うのは失礼だと教えられているため、怪しげな人に対してさえ、失礼な応対をするのはいかがなものかという意識が働き、相手を疑う自分にこそ問題があると考えがちです。 つまり、怪しさを検知する機能を持ってはいても、感度が鈍っている場合があり、そのような一種のバグや穴のようなものを高学歴の人はより多く抱えていると考えられるのです。 Q:学力の高さのような頭の良さは、人の狡さを見抜くことにはうまく作用しないものでしょうか。 中野:しないと思います。よく出題されるひっかけ問題のようなものであれば、十分にトレーニングを積んでいるので見分けることができると思います。しかし、座学は人一倍努力しているにしても、実地で人間関係を十分にトレーニングしているわけではない。人間関係のトレーニングは学校で教えられるようなものではないので、むしろ勉強することに多大な時間を割いてきた高学歴の人は不利と言えるかもしれません。 付き合う人も限られており、合理的に考えれば人を騙すより自分で稼いだ方が楽だと考える人たちと付き合っていることも多いでしょう。ですから、人を騙して勝ち逃げしようと企むような人は、むしろ、高学歴の人をターゲットにしてもおかしくないと思います』、「高学歴の人は「自分だけは人から騙されることはない」というバイアスにかかりやすい人たちと言えます・・・人を騙して勝ち逃げしようと企むような人は、むしろ、高学歴の人をターゲットにしてもおかしくないと思います」、なるほど。
・『「誰かを罰する」ことで感じる快感  Q:「規範意識が高いところほどいじめが起きやすい」「決めごとの多い夫婦ほど離婚しやすい」と書かれています。何か事件があると、「より細かな法整備が必要だ」「より厳しい厳罰化が必要だ」といった議論が盛んに行われます。学校や家庭などでも問題のある子供は厳しいルールで囲い込んで間違った行動から遠ざけようとしがちですが、ルールをたくさん作るほど、人と人がぶつかる摩擦点が増えてかえって危険ということでしょうか。 中野:そういう側面もあります。たとえば、誹謗中傷に関する問題などは、抑止力としてある程度の厳罰化は必要だと思います。しかし、規範意識が高くなっていくと、規範を破った人に対して厳しい視線を向けることが、あたかも正義であるかのように社会が変質していきます。 逆説的に、問題がある人を国や法律が完全に罰してくれるという安心感があれば、自分たちが私刑を加える必要はなくなりますから、こうしたリスクは回避しやすくなるでしょう。 けれども、大衆がその処罰では不十分だと不満を持つような、少額の罰金や譴責(けんせき)処分のような形で終わってしまう場合、「誰も彼らを罰することができないならば自分で罰しなければならない」という圧力が自発的に生じて、ターゲットに対する攻撃はより激化しがちになるという構図です。 もちろん、人々の怒りが正当な場合もあります。けれども、誤解によって相手が過剰に責められる場合もある。しかし、ひとたび人々の間で罰する機運が高まってしまった後では、止めようとする声は聞き入れられません。なぜなら、人々は罰する快感によって思考停止してしまうからです。そして、正義を執行する快感を取り上げられることに抵抗するのです。これはとても恐ろしいことです。 人間というものは、何もない状態で自分を正しいと認識することができません。しかし、誰か責めるべき相手がいると、その相手と比較して自分は正しいという認知に至ることができる。そのため、誰か一人でも自分が責めることができる相手を設定しておくことが、自分が快感を得ることができるスイッチになる。 この場合、責めるべき対象が謝罪をしたり悪行をやめたりすると、次の標的を求めるようになる。そのようにして、次々と標的を探し続けるのです。 だからこそ、「こういうことをしてはいけない」という禁止の社会通念を強めることに私は抵抗を感じるのです』、「誰か責めるべき相手がいると、その相手と比較して自分は正しいという認知に至ることができる。そのため、誰か一人でも自分が責めることができる相手を設定しておくことが、自分が快感を得ることができるスイッチになる。 この場合、責めるべき対象が謝罪をしたり悪行をやめたりすると、次の標的を求めるようになる。そのようにして、次々と標的を探し続けるのです」、なるほど。
・『「怒りやすい脳」も態度を変えることは可能  Q:人は常に誰かを罰しておきたいと思うものなんですね。 中野:そうですね。相手を罰することで自分を正義側に位置付けることができる。「自分はそんなことはしない」と思う人でも、これは必ず皆持っている機能です。そんなふうに自分に自信がある人ほど気をつけてほしい。怖いのは、自分が無意識の内に誰かへの懲罰的な行為に加担していることです。 Q:「他人の過ちを糾弾し、自らの正当性が認められることによってひとときの快楽を得られたとしても、日々他人の言動にイライラし、許せないという強い怒りを感じながら生きる生活を、私は幸せだとはとても思えない」と書かれています。ムカムカして何かにつけ批判ばかりしている人や、怒りを原動力に日常をこなしているような人も見られます。怒りの感情の持ちやすさは、脳の作りに原因があるのでしょうか、それとも、ただの思考の癖のようなものなのでしょうか。 中野:怒りやすい脳の作りというものはあると思うし、それを作り変えることは難しいですが、自分が怒りやすい人間であるという自覚を持って対処することは可能です。 たとえば、怒りを感じることは仕方がないけれど、怒りを表現するときに「手は出さないように気をつけよう」と注意することはできる。あるいは、怒りをそのまま言葉にして全部相手に伝えるのではなくて、自分がどういうところに残念さを感じ、だからどういうことを変えてほしいか、一度整理して丁寧に相手に伝えることはできます。 つまり、気持ちで怒ることは構わないけれど、怒りを態度にして表明することには気をつけなければならないという認識を持てば、態度の方は変えることができる。 足を挫きやすい人であれば、自分の癖を理解して靴を取り替えてみたり、サポーターを当ててみたりといった工夫は可能になる。歩き方そのものを変えてみることもできる。怒りやすい脳を持っていること自体はしょうがないけれど、それが問題にならないように暮らすという努力は可能だと思います』、「怒りやすい脳を持っていること自体はしょうがないけれど、それが問題にならないように暮らすという努力は可能だと思います」、なるほど。
・『情報量が多くなるほど孤立していくパラドキシカル  Q:本書の「迷信・俗信」に関する個所では、過去にあったほんの数回の経験だけで、脳がいかに固定観念を持ってしまうか、誤ったパターン認識を持ちやすいか、といったことについて説明されています。SNSとAIの時代には、ある情報にアクセスすると、同じ方向性の情報や言論がその人に流れ込みます。高度なテクノロジーによって心のほころびが刺激され、危険な勘違いが強化・増幅されやすい状況になっているのでしょうか。 中野:そういう状況になっていますね。様々な陰謀論があり、「世界は、本当はこういった人々によって動かされている」というような、その人が信じたいと思う現実の形があって、そのような情報の中に埋没しやすい環境が現代は整っています。自分の信念とは異なる現実を受け入れることが難しい環境になっています。 情報化社会の中で、情報はフラットに流れるものだとかつては思われていましたが、人間の脳はそんなに劇的には変わっていませんから、情報の処理能力はそんなに速くなってはいません。時間も有限です。 そうなると、1人の人間が触れることのできる情報は莫大な情報のほんの一部、しかも1つの情報の吟味に使える時間はより短くなるため、その人の関心のあるワードや関連ワードをもとに、AIがピックアップしてきた情報を受け入れるという形になってしまう。自然とエコーチェンバー(反響室)現象が惹起されるんです。 情報量が多くなるほど、人々の世界は独自の形の中に孤立していくというパラドキシカルな現象が起きています。 Q:人から相談を受けたり、相談に乗って相手にアドバイスしたりすることがいかに難しいことか、ということについても書かれています。その難しさの本質は、相手の語る悩みに必ずしも悩みの本質があるわけではなく、悩みを相談することを通して承認や共感を獲得したいという隠れた相談者の意図が潜んでいる場合もあり、扱い方を誤ると、関係に亀裂が走る危険をはらんでいると感じました。人に相談をしたりされたりする場合に、どんなことを意識しておいた方がいいでしょうか』、「人から相談を受けたり、相談に乗って相手にアドバイスしたりすることがいかに難しいことか、ということについても書かれています。その難しさの本質は、相手の語る悩みに必ずしも悩みの本質があるわけではなく、悩みを相談することを通して承認や共感を獲得したいという隠れた相談者の意図が潜んでいる場合もあり、扱い方を誤ると、関係に亀裂が走る危険をはらんでいると感じました」、難しいものだ。
・『「誰かにアドバイスすることほど危険なことはない」  中野:これは自戒を込めて言うのですが、誰かにアドバイスするというのは、これほど危険なことはありません。アドバイスする側とされる側は、アドバイスがはじまった途端に、対等な関係ではなくなるからです。アドバイスする側にはある種の権威が付与され、アドバイスを受ける側は、逆に権威と自尊感情を毀損される、という認知的な構造が生じます。 裏付ける実験もあります。アドバイスする側はとても気分がよくなり、アドバイスされる側は不快になるのです。 これは、自分から相手にアドバイスを求めに行った場合でも例外ではありません。「こうするべきだ」と言われると立場が下に感じられる。自分が助言を求めたならまだしも、求めていないのに相手がアドバイスをしてきた場合はなおさら不快になる。 アドバイスをするということはむしろ搾取ですらある、人間関係を壊しかねない危険なものです。 Q:アドバイスする側は気をつける必要がありますが、思わず、相談している人は気をつけなくていいのでしょうか。 中野:お気持ちはよく分かります(笑)。「あなたが聞いてきたんだけどな」という場合でも、しかし、相手の反応を見ると「この人は相談をしたかったのではなくて、自分の考えを後押ししてほしかったのだ」と気づかされることもあります。もう答えは決まっていて、話を聞いてほしかっただけということは往々にしてあるので、一見相談という形を装ってやって来る人を見分けなくてはなりません。 Q:もうアドバイスはしない方がいいということでしょうか』、「誰かにアドバイスするというのは、これほど危険なことはありません。アドバイスする側とされる側は、アドバイスがはじまった途端に、対等な関係ではなくなるからです。アドバイスする側にはある種の権威が付与され、アドバイスを受ける側は、逆に権威と自尊感情を毀損される、という認知的な構造が生じます・・・相手の反応を見ると「この人は相談をしたかったのではなくて、自分の考えを後押ししてほしかったのだ」と気づかされることもあります。もう答えは決まっていて、話を聞いてほしかっただけということは往々にしてあるので、一見相談という形を装ってやって来る人を見分けなくてはなりません」、なるほど。
・『アドバイスを求められたときの切り抜け方  中野:アドバイスはしない方がいいと思います。アドバイスを求められたときの切り抜け方の1つは、「今あなたは困っていて私に相談したくなったんだね。どうして?」と答えるやり方です。さらに、「なんで相談したくなったのか聞かせて」と言うと、こちらがアドバイスのリスクを被らずにすみます。 また、相手は自分から考えを話し始めますからとても楽です。さらに、こういう話の進め方をすると、男の人は女の人から好かれるでしょう。 女の人は話を聞いてくれる男の人を好ましく思う傾向があります。「この人は私のことを分かってくれる」と満足を覚えるんですね。実際は、分かっているわけではなくて、ただ話を聞いているだけであっても、不用意にアドバイスをしまくるよりずっといい。 Q:「どちらかといえば、というかむしろ明らかに、自分はかなり気難しい部類に属する」「相手に合わせるためのやる気を出すことが不可能なのである」と書かれています。ご自身のどういったところに気難しさをお感じになりますか。 中野:気難しさは常に感じています。家から1歩出るのですら大変。実は人間がそんなに好きなわけではないし、仕事に行くのも闘いです。対社会向けのペルソナ(注)をかぶってから家を出るんです。ペルソナをかぶるまではいつも少し苦労します。 Q:ペルソナをかぶる方法はあるんですか? 中野:「もう行かなきゃ」と自分に圧力をかけるだけです。出なければならない事情を作り、強制的に自分を外に出す。 Q:そのペルソナのかぶり方を知らない人もたくさんいるんでしょうね。 中野:いると思います。たくさんの引きこもりの問題があり、現代は家から出なくてもだんだん生活できるようになってきましたが、時代を遡ると、もともと日本人は積極的に外と交わろうとする民族ではないのかもしれないとも思います』、「アドバイスを求められたときの切り抜け方の1つは、「今あなたは困っていて私に相談したくなったんだね。どうして?」と答えるやり方です。さらに、「なんで相談したくなったのか聞かせて」と言うと、こちらがアドバイスのリスクを被らずにすみます・・・中野:気難しさは常に感じています。家から1歩出るのですら大変。実は人間がそんなに好きなわけではないし、仕事に行くのも闘いです。対社会向けのペルソナ(注)をかぶってから家を出るんです。ペルソナをかぶるまではいつも少し苦労します」、中野氏でも「気難しさは常に感じています。家から1歩出るのですら大変」とは初めて知った。
(注)ペルソナ:一般的に社会的役割、劇中の役、心理学で社会に適応するための一種の演技のこと(Wikipedia)
・『人が持つ気難しさの本質  中野:近年「社会不安障害」と呼ばれるものがあり、かつては「対人恐怖症」などとも呼ばれていたものですが、人と接することに大いにストレスを感じるタイプの人が一定数存在し、日本ではその割合がやや多いというデータがあります。かつて「対人恐怖症は国民病だ」とも言われていました。 脳の構造で言うと、脳には眼窩前頭皮質(がんかぜんとうひしつ)と扁桃体(へんとうたい)という場所があり、扁桃体は恐怖を感じる部分なのですが、この2カ所の連携が強いと「社会全般が自分にとって安全な場所か分からない」「どちらかというと恐怖の対象だ」という認知が起こるようです。 どうも、日本人にはこの部分の連携が強い人が多数派で、未知の人間関係に恐れを抱く傾向が強いと考えられます。私自身もそこに当てはまるのかどうか。少なくとも、他者をやすやすと信用するタイプでないことは確かです。 これは脳科学ではなく神話の話になりますが、天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あまのいわと)にお隠れになる、という話がありますね。神様が自ら引きこもるというのは寓意的で大変興味深く、国民の多くが引きこもるという選択肢を考慮するというのもうなずける話です。ある有名な神社の宮司さんとお話をしたときに、全く同じことを考えていらしたので、とてもびっくりしました。 Q:読んでいて、気難しさというものが本書のサブテーマとして貫かれている印象を受けました。そこで、気難しさの本質は何なのかと考えてみると、拒絶するということでしょうか。 中野:「回避する」ということだと思います。衝突しないように回避する。 Q:回避する気持ちのさらに核心は恐怖心ですか。 中野:面倒くささです。合理性と考えてもらってもいいです。ぶつかると後処理が大変だからあらかじめ交わることを回避する。いちいちの衝突を処理するのは、馬力のある人なら可能かもしれませんが、私には衝突の後その処理に要する体力も気力もない。だから、ぶつかりそうな相手には最初から関わらない。そういう気難しさを自分の中にも感じています』、「天照大神・・・が天岩戸・・・にお隠れになる、という話がありますね。神様が自ら引きこもるというのは寓意的で大変興味深く、国民の多くが引きこもるという選択肢を考慮するというのもうなずける話です」、「神様が自ら引きこもるというのは寓意的で大変興味深く」、その通りだ。

次に、5月5日付け現代ビジネスが掲載した東京大学薬学部教授・脳研究者の池谷 裕二氏による「生まれて数ヶ月で「眠らせてしまった能力」じつは、戻るかもしれない…脳科学が挑む「究極の方法」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/127310?imp=0
・『累計43万部を突破し、ベストセラーとなっている脳研究者・池谷裕二さんによる脳講義シリーズ。このたび、『進化しすぎた脳』 『単純な脳、複雑な「私」』(講談社ブルーバックス) に続き、15年ぶりとなるシリーズ最新作 『夢を叶えるために脳はある』(講談社)が刊行された。 なぜ僕らは脳を持ち、何のために生きているのか。脳科学が最後に辿り着く予想外の結論、そしてタイトルに込められた「本当の意味」とは――。 高校生に向けておこなわれた脳講義をもとにつくられた本書から、その一部をご紹介しよう。 ※ 本記事は、『夢を叶えるために脳はある』(講談社)の読みどころを、厳選してお届けしています』、興味深そうだ。
・『絶対音感と相対音感、コスパがいいのはどっちだろう  相対音感は、転調しても対応できる。応用性も高く便利な能力ではある。 けれども、だからといって、わざわざ絶対音感を捨てて、相対音感を得るには、コストが嵩む。それほど苦労をしてまで、相対音感を採用している。それが脳だ(Qは聞き手の質問、Aは回答)。 Q:見返りとして利点があるから? A:きっとそうだろうね。一つのポイントは「声」だ。 人ごとに声の高さ(音程)が違う。女の人が「おはよう」と言うときと、男の人が「おはよう」と言うときで、聞く側がもし絶対音感で判断したら、違う言葉になってしまうよね。周波数がまったく違うんだから。 耳の鼓膜から入ってきた直下の脳回路では絶対音感として扱うから、発火する神経細胞はまるで異なる。だから、絶対音感だけに頼ると、同じ言葉でも音程が違うだけで会話ができない。言葉を有効にするためには、相対音感が必要だ。 その人に固有な声の周波数は声帯のサイズで決まる。管楽器や太鼓と同じことで、大きいほうが低い音になる。ほんの少しサイズが違うだけで周波数が変わる。 もし絶対音感だけで会話をしようとしたら、人々のあいだで声帯のサイズをぴったりと揃えておかねばならない。これは生物の発生を考えると、きわめてむずかしいことだ。果物や野菜のサイズがまちまちなように、声帯のサイズを厳密に揃えることは、とんでもなく困難。人体は工業製品じゃないからね。) 脳が相対音感を発達させているという事実は、裏を返せば、声の品質を個人間で均一にさせる苦労に比べたら、相対音感を脳に装備させる苦労のほうが軽いということを物語っている。 身体のデザインに手を加えるくらいならば、脳回路の設計を調整するほうが、低コストですむ。脳のほうが身体よりも進化的に後から発達したよね。だから、身体のほうが既得権益を強く主張する、という見方もできる。 そう考えていくと、相対音感が大切なのは納得できる。でもね、これでは答えになっていない。だって、絶対音感の能力を捨てる必要まではないからだ。せっかく持って生まれてきたものを、わざわざ消すのも、またコストがかかる。 Q:たしかに。 A:ごく一部の人とはいえ、絶対音感の能力を残したまま大人になる人もいる。つまり、絶対音感の能力を持ったままでも、死ぬほど困ることはない。 あっても生命に不都合はないのに、なぜ捨てるのだろうか。もしかしたら絶対音感と相対音感を両方とも備えていれば、いざというときに役に立つかもしれない。もったいない。 こうした問いを追究するのが、「脳AI融合プロジェクト」の一つ。 脳の音処理の、少なくとも初期の段階では、絶対音感で反応している。だから、その脳の活動を、人工知能で読み取って、人工知能の分析結果を、本人に教えてやるという方法が考えられるよね。「あなたの脳がこんな活動をしているときの音はラの音ですよ」とか。 そんなトレーニングを積むと、「ああ、なるほど! いままで気づかなかったけど、自分の脳がこんな活動をしたときの音はラの音程だったのか」と本人が気づくようになる。一度コツをつかめば、しめたものだよね。 もうその人にとってラの音を識別することは楽勝だ。こんな具合に、人工知能を使って、脳に眠った能力を覚醒させることができる。そんなことを目指した研究を展開している。 *本記事の抜粋元・池谷 裕二『夢を叶えるために脳はある 「私という現象」、高校生と脳を語り尽くす』(講談社)は、人気脳研究学者である著者が、3日間にわたっておこなった感動の講義の内容を収めています。ぜひ、お買い求めください』、「耳の鼓膜から入ってきた直下の脳回路では絶対音感として扱うから、発火する神経細胞はまるで異なる。だから、絶対音感だけに頼ると、同じ言葉でも音程が違うだけで会話ができない。言葉を有効にするためには、相対音感が必要だ。 その人に固有な声の周波数は声帯のサイズで決まる。管楽器や太鼓と同じことで、大きいほうが低い音になる。ほんの少しサイズが違うだけで周波数が変わる。 もし絶対音感だけで会話をしようとしたら、人々のあいだで声帯のサイズをぴったりと揃えておかねばならない。これは生物の発生を考えると、きわめてむずかしいことだ。果物や野菜のサイズがまちまちなように、声帯のサイズを厳密に揃えることは、とんでもなく困難。人体は工業製品じゃないからね・・・ごく一部の人とはいえ、絶対音感の能力を残したまま大人になる人もいる。つまり、絶対音感の能力を持ったままでも、死ぬほど困ることはない。 あっても生命に不都合はないのに、なぜ捨てるのだろうか。もしかしたら絶対音感と相対音感を両方とも備えていれば、いざというときに役に立つかもしれない。もったいない。 こうした問いを追究するのが、「脳AI融合プロジェクト」の一つ。 脳の音処理の、少なくとも初期の段階では、絶対音感で反応している。だから、その脳の活動を、人工知能で読み取って、人工知能の分析結果を、本人に教えてやるという方法が考えられるよね。「あなたの脳がこんな活動をしているときの音はラの音ですよ」とか。 そんなトレーニングを積むと、「ああ、なるほど! いままで気づかなかったけど、自分の脳がこんな活動をしたときの音はラの音程だったのか」と本人が気づくようになる。一度コツをつかめば、しめたものだよね」、NHK女子アナウンサーの林田氏は芸大大学院卒で「絶対音感」の持ち主といわれている。この記事のおかげで、「絶対音感」と「相対音感」の違いが理解できた。 
タグ:脳科学 (その4)(『脳の闇』の中野信子が指摘 日本人に「社会不安障害」が多い理由 ぶつかるのは面倒だから回避する 人と接するのが苦手な日本人の「気難しさ」、生まれて数ヶ月で「眠らせてしまった能力」じつは 戻るかもしれない…脳科学が挑む「究極の方法」) JBPRESS 長野 光氏による「『脳の闇』の中野信子が指摘、日本人に「社会不安障害」が多い理由 ぶつかるのは面倒だから回避する、人と接するのが苦手な日本人の「気難しさ」【JBpressセレクション】」 「高学歴の人は「自分だけは人から騙されることはない」というバイアスにかかりやすい人たちと言えます・・・人を騙して勝ち逃げしようと企むような人は、むしろ、高学歴の人をターゲットにしてもおかしくないと思います」、なるほど。 「誰か責めるべき相手がいると、その相手と比較して自分は正しいという認知に至ることができる。そのため、誰か一人でも自分が責めることができる相手を設定しておくことが、自分が快感を得ることができるスイッチになる。 この場合、責めるべき対象が謝罪をしたり悪行をやめたりすると、次の標的を求めるようになる。そのようにして、次々と標的を探し続けるのです」、なるほど。 「怒りやすい脳を持っていること自体はしょうがないけれど、それが問題にならないように暮らすという努力は可能だと思います」、なるほど。 「人から相談を受けたり、相談に乗って相手にアドバイスしたりすることがいかに難しいことか、ということについても書かれています。その難しさの本質は、相手の語る悩みに必ずしも悩みの本質があるわけではなく、悩みを相談することを通して承認や共感を獲得したいという隠れた相談者の意図が潜んでいる場合もあり、扱い方を誤ると、関係に亀裂が走る危険をはらんでいると感じました」、難しいものだ。 「誰かにアドバイスするというのは、これほど危険なことはありません。アドバイスする側とされる側は、アドバイスがはじまった途端に、対等な関係ではなくなるからです。アドバイスする側にはある種の権威が付与され、アドバイスを受ける側は、逆に権威と自尊感情を毀損される、という認知的な構造が生じます・・・相手の反応を見ると「この人は相談をしたかったのではなくて、自分の考えを後押ししてほしかったのだ」と気づかされることもあります。もう答えは決まっていて、話を聞いてほしかっただけということは往々にしてあるので、一見相談とい う形を装ってやって来る人を見分けなくてはなりません」、なるほど。 「アドバイスを求められたときの切り抜け方の1つは、「今あなたは困っていて私に相談したくなったんだね。どうして?」と答えるやり方です。さらに、「なんで相談したくなったのか聞かせて」と言うと、こちらがアドバイスのリスクを被らずにすみます・・・中野:気難しさは常に感じています。家から1歩出るのですら大変。実は人間がそんなに好きなわけではないし、仕事に行くのも闘いです。対社会向けのペルソナ(注)をかぶってから家を出るんです。ペルソナをかぶるまではいつも少し苦労します」、中野氏でも「気難しさは常に感じています。家か ら1歩出るのですら大変」とは初めて知った。 (注)ペルソナ:一般的に社会的役割、劇中の役、心理学で社会に適応するための一種の演技のこと(Wikipedia) 「天照大神・・・が天岩戸・・・にお隠れになる、という話がありますね。神様が自ら引きこもるというのは寓意的で大変興味深く、国民の多くが引きこもるという選択肢を考慮するというのもうなずける話です」、「神様が自ら引きこもるというのは寓意的で大変興味深く」、その通りだ。 現代ビジネス 池谷 裕二氏による「生まれて数ヶ月で「眠らせてしまった能力」じつは、戻るかもしれない…脳科学が挑む「究極の方法」」 『夢を叶えるために脳はある』(講談社) 「耳の鼓膜から入ってきた直下の脳回路では絶対音感として扱うから、発火する神経細胞はまるで異なる。だから、絶対音感だけに頼ると、同じ言葉でも音程が違うだけで会話ができない。言葉を有効にするためには、相対音感が必要だ。 その人に固有な声の周波数は声帯のサイズで決まる。管楽器や太鼓と同じことで、大きいほうが低い音になる。ほんの少しサイズが違うだけで周波数が変わる。 もし絶対音感だけで会話をしようとしたら、人々のあいだで声帯のサイズをぴったりと揃えておかねばならない。これは生物の発生を考えると、きわめてむずかしいことだ。果物や野菜のサイズがまちまちなように、声帯のサイズを厳密に揃えることは、とんでもなく困難。人体は工業製品じゃないからね・・・ごく一部の人とはいえ、絶対音感の能力を残したまま大人になる人もいる。つまり、絶対音感の能力を持ったままでも、死ぬほど困ることはない。 あっても生命に不都合はないのに、なぜ捨てるのだろうか。もしかしたら絶対音感と相対音感を両方とも備 えていれば、いざというときに役に立つかもしれない。もったいない。 こうした問いを追究するのが、「脳AI融合プロジェクト」の一つ。 脳の音処理の、少なくとも初期の段階では、絶対音感で反応している。だから、その脳の活動を、人工知能で読み取って、人工知能の分析結果を、本人に教えてやるという方法が考えられるよね。「あなたの脳がこんな活動をしているときの音はラの音ですよ」とか。 そんなトレーニングを積むと、「ああ、なるほど! いままで気づかなかったけど、自分の脳がこんな活動をしたときの音はラの音程だったのか」と本人 に教えてやるという方法が考えられるよね。「あなたの脳がこんな活動をしているときの音はラの音ですよ」とか。 そんなトレーニングを積むと、「ああ、なるほど! いままで気づかなかったけど、自分の脳がこんな活動をしたときの音はラの音程だったのか」と本人が気づくようになる。一度コツをつかめば、しめたものだよね」、NHK女子アナウンサーの林田氏は芸大大学院卒で「絶対音感」の持ち主といわれている。この記事のおかげで、「絶対音感」と「相対音感」の違いが理解できた。
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