福祉問題一般(その2)(「死体遺棄」「殺人未遂」に職員を走らせた福祉現場が模索する 再生への道、日本の福祉システムは「生涯独身」を想定していない…これから激増する「身寄りのない男たち」という大問題 行政のサポートはなく 遺産も宙に浮く) [社会]
福祉問題一般については、2018年5月25日に取上げた。久しぶりの今日は、(その2)(「死体遺棄」「殺人未遂」に職員を走らせた福祉現場が模索する 再生への道、日本の福祉システムは「生涯独身」を想定していない…これから激増する「身寄りのない男たち」という大問題 行政のサポートはなく 遺産も宙に浮く)である。
先ずは、2021年4月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランス・ライターのみわよしこ氏による「「死体遺棄」「殺人未遂」に職員を走らせた福祉現場が模索する、再生への道」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/267915
・『福祉事務所で起きた仰天事件 は特殊な組織の特異な事件なのか(新年度は、職場に新しいメンバーを迎える季節だ。コロナ禍で採用が抑制されている場合は、コロナ後の採用に備える機会である。2019年、2つの福祉事務所で発生した不祥事とその後の状況から、職場づくりのヒントを得ることはできないだろうか。 2019年の6月と12月、京都府向日市と滋賀県米原市において、福祉事務所の現職ケースワーカーが刑事事件で逮捕された。ケースワーカーであった向日市職員のXさんと米原市職員のYさんは、いずれも当時20歳代の男性であり、人柄にも能力にも定評があった。 向日市のXさんは、元暴力団組員で傷害致死などの前科を持つ50歳代の男性受給者を担当していた。男性は、約1年半にわたって不当要求をエスカレートさせた末、同居していた女性に暴行を加えて死なせた。さらに、担当ケースワーカーだったXさんを脅迫して協力させ、女性の遺体を遺棄した。 米原市のYさんは、「親族が暴力団関係者」と称する20歳代の受給者男性から2カ月にわたって不当要求に応じさせられた末に、相手を刺して負傷させた。死体遺棄容疑で起訴されたXさんと、殺人未遂容疑で起訴されたYさんは、2020年に執行猶予付き判決を言い渡された。 「暴力団関係者」「死体遺棄」「殺人未遂」といったキーワードには、「別世界」という雰囲気が漂う。そこに、「公務員なのに」という感情も重なる。 しかし、「若い社会人がクレーマーに遭遇」「経験の浅い社会人が自分史上初の困難に直面」といった状況は、どこにでもある。そこに職場や組織の課題が重なれば、事態はとめどなく悪化する』、「2019年の6月と12月、京都府向日市と滋賀県米原市において、福祉事務所の現職ケースワーカーが刑事事件で逮捕された。ケースワーカーであった向日市職員のXさんと米原市職員のYさんは、いずれも当時20歳代の男性であり、人柄にも能力にも定評があった。 向日市のXさんは、元暴力団組員で傷害致死などの前科を持つ50歳代の男性受給者を担当していた。男性は、約1年半にわたって不当要求をエスカレートさせた末、同居していた女性に暴行を加えて死なせた。さらに、担当ケースワーカーだったXさんを脅迫して協力させ、女性の遺体を遺棄した。 米原市のYさんは、「親族が暴力団関係者」と称する20歳代の受給者男性から2カ月にわたって不当要求に応じさせられた末に、相手を刺して負傷させた。死体遺棄容疑で起訴されたXさんと、殺人未遂容疑で起訴されたYさんは、2020年に執行猶予付き判決を言い渡された」、「ケースワーカーであった向日市職員のXさんと米原市職員のYさんは、いずれも当時20歳代の男性であり、人柄にも能力にも定評があった」、上司との関係が記載されてないが、どういう事情があったのだろう。そもそも、2ケースとも「暴力団」がらみなのに、新人に担当させる無責任さには、呆れ果てる。
・『誰にとっても難しくなった「公私の境界線」 受給者からの不当要求の内容は、スマホの設定から金品まで多様であった。度重なる電話応対や対面での対応は、勤務時間を圧迫する。向日市の事件では、連日2時間以上の電話が事件まで6カ月間にわたって続いた。このような場面では、「異常な事態」という認識と、組織全体および管理職による毅然とした対処が不可欠だ。しかし2つの事件では、ケースワーカー個人に対処が任せられた。 当該受給者への対応や仕事の積み残しは、時間外勤務で対応せざるを得ない上、残業が認められるとは限らない。すでに退勤後であるはずの時間帯に職場で対応したり、自分自身のプライベートを犠牲にして対応したりすることになる。そのうちに、業務と私生活の境界が、感覚としても実態としても曖昧になる。精神的にも追い詰められ、正常な判断が難しくなる。 誰にとっても、充実した職業生活と成果のためには、通勤時間や「アフターファイブ」の読書や学習、日々の振り返りや工夫が欠かせない。時には、自分の限界に挑む働き方が有意義な成長をもたらすこともある。とはいえ、仕事と私生活の良い循環の維持は難しい。向上心や努力は、仕事依存症のリスクと背中合わせだ。そこにコロナ禍とテレワーク推進が重なっている現在、個人の努力や工夫による対応は、より困難になっている。 2つの事件では、組織によるバックアップは見られなかった。特に向日市の事件では、相手は元暴力団員であり、不当要求や組との関係をほのめかす態度が続いていた。ケースワーカーのXさんは、上司に対して警察への連絡を申し出たが、曖昧にされた。 ケースワーカーの人員数は、向日市のXさんの職場では5人、米原市のYさんの職場では2人であった。少人数の職場となることは自治体の規模による宿命でもあるのだが、「新任や異動でケースワーカーとなっても、1~2年程度で別の職場に異動していく職員が多い」という事情もあった。職場にノウハウが蓄積されていなかったわけである。 事件の前には前任者や同僚が休職し、ケースワーカー1人あたりの業務負荷が増大していた。都市部でのケースワーカー1人あたりの担当世帯数の標準は、社会福祉法で80世帯とされているのだが、向日市のXさんは110世帯、米原市のYさんは140世帯を担当していた。絶望的な職場と状況の中で、闘うのか。それとも、逃げるのか。あるいは、逆らえないまま流され続けるのか。選択肢は多くない。) 向日市のXさんは、上司に毅然とした対処を要望し、警察との連携も求めた。また、人事異動も希望した。米原市のYさんは「140世帯も担当できない」と上司に訴え、ケースワーカーの増員を求めた。職場の中での、せめてもの闘いであろう。しかし、2人の要望や訴えが実現することはなかった。 あまりにも小さな職場であることは、「逃げる」という選択を妨げた。5人(向日市)あるいは2人(米原市)のケースワーカーが1人いなくなると、残ったケースワーカーの業務量は激増する。真面目で心優しい2人は、「自分の心身を守るために休職する」という選択に踏み切れなかった。そして、事件が起こった。 むろん、死体遺棄や殺人未遂が許されるわけはない。しかし成り行きを振り返ると、「困難な状況の中で孤立無援のまま放置され、疲弊し、逃げ道を失い、行き着くところまで行ってしまった若手」という図式が浮かび上がる。事件当時、XさんとYさんはいずれもメンタルヘルスに問題を抱えていた』、「向日市のXさんは、上司に毅然とした対処を要望し、警察との連携も求めた。また、人事異動も希望した。米原市のYさんは「140世帯も担当できない」と上司に訴え、ケースワーカーの増員を求めた。職場の中での、せめてもの闘いであろう。しかし、2人の要望や訴えが実現することはなかった」、いずれの「上司」も逃げ腰で、若い担当者任せにしたのでは、事件は起きるべくして起きたといえよう。
・『「メンバーを孤立させない」 リスクマネジメントは機能しているか 向日市市議として事件に真摯な関心を向け、市民とともに向日市の生活保護行政の改善に取り組み続ける杉谷伸夫さんは、自らの経験も踏まえ、次のように語る。 「生活保護で暮らす方々の中には、数多くの課題を抱えている方がおられます。しかし、若い市職員の多くは、それまでの人生や学校での学びの中で、大きな問題に巻き込まれなかった方々です。やはり、専門的な福祉教育を受けて資格を取得した人でないと、生活保護の仕事は厳しいと思います」(杉谷さん) 職場で出合う未知の世界とそこでの経験は、本人にとっては有意義であろう。しかし、何をどこまでやれば充分なのか。公私の線を明確に引くと、信頼関係を作れないのではないだろうか。対人接触を伴う仕事につきものの不安と悩みの数々がある。) さらに生活保護の現場には、依存症、発達障害、受刑歴など、専門的な支援を必要とする人々が少なくない。生存権を守りつつ課題の解決を充分に支援することは、一般行政職の公務員では難しくなっている。 「ケースワーカーの仕事は大変です。専門職ではない、採用されたばかりの若い方が、いきなりやれるものではありません。大変で難しく、加減のわかりにくい、受け持った一人ひとりの人生を大きく左右しかねない仕事です。どなたにとっても1回限りの人生と人権を守り、その人らしい人生を保障していく大切な仕事でもあります。そうした重要な職務であるという認識に立ち、役所は採用、配置、研修、異動、組織的運用などをしっかり行う必要があります。事件とその後を通じて、そのように痛感しました」(杉谷さん) まさに「エッセンシャル・ワーカー」だ。そして、“顧客”を選択する余地は全くない。 「社会人経験がなかったり浅かったりする若い職員が、数多くの課題を抱えた人や困難な物事に直面するとき、立ちすくむこともあるでしょう。先輩のフォローや上司のアドバイスが適切に行われないと、過酷すぎます」(杉谷さん) 役所が生活保護の利用を拒むことは許されない。しかし、不当要求を拒むことは可能であり、必要でもある。機能する職場や組織をつくり上げ、リスクを回避し、避けられないリスクやクライシスには適切に対応する必要がある。これらは、経営やマネジメントの課題だ。 「組織のリスクマネジメントとしては……結局のところ、職員を孤立させないことでしょう。困難を抱えている職員を見つけて、どうフォローするのかが問われているのだと思います」(杉谷さん)』、「「組織のリスクマネジメントとしては……結局のところ、職員を孤立させないことでしょう・・・とあるが、担当者から相談を受けても逃げ腰というのは、「リスクマネジメント」以前の問題だ。
・『大きなつまずきから生まれた小さく着実な行政改革の数々 向日市では、市の立場からも市民たちの立場からも、事件の検証と反省が行われ、少しずつ施策に反映されている。事件当時は部長が7つの課を統括し、福祉事務所長を兼任していた。現在は、課長と部長の中間に位置する福祉事務所長が福祉事務所の業務に専念して責任を持つ体制だ。生活保護の職場では、ケースワーカーが1名増員された。社会福祉に専門性を持つ職員の必要性も認識され、福祉職の採用が開始された。) 不当要求への対応マニュアルも作成された。現在は「すべての市民に益する」という観点から、「不当要求対処」という狭い枠組みにとどまらず、公正かつ透明に、市民の要求や要望に向き合う市政を実現する条例づくりが進行中だ。 職場環境の面では、メンタルヘルスの危機を訴える職員の声を無視しない制度改革が進行中だ。労働基準法に定められた衛生委員会は、規定どおり毎月開催されるようになった。1人しかいなかった衛生管理者は、組織の規模に対応する形で増員が検討されている。「規定が遵守されるようになっただけ」と言えば、それまでだ。規定遵守の次は、形骸化との闘いが続く。数々の施策の効果が明確に現れるのは、少なくとも数年先であろう。 生活保護の専門家として、向日市の市民として、一連の改革に関わっている吉永純さん(花園大学教授)は、向日市と米原市の事件について「少人数の生活保護の職場では、どこでも起こり得ます」と指摘する。 たとえばケースワーカー数が少なすぎる場合、休職などで1人減ると、ケースワーカー1人当たりの保護世帯数が急増する。福祉の資格職や専門職の配置が乏しいと、有効な支援は難しい。数年で全職員が入れ替わるようでは、組織に経験が蓄積されない。責任感のない上司が配置されると、職員は孤立する。少人数の生活保護の現場には、組織人事の問題課題が濃縮されやすいのだ』、「責任感のない上司」に対しては、徹底的な調査で問題を放置した責任を追及した上で、厳しい処分を行うことで対処するほかなさそうだ。
・『2つの事件に学ぶ職場から絶望を遠ざけるヒント 発生しやすい問題や陥りやすいリスクのパターンは、職種や職場の規模によって異なる。しかし、良好な人間関係と円滑なチームワークは、どのような職場でも望まれる。雇用環境がジョブ型へと変化し、流動性が健全に高まれば、今日辞めていく同僚は、未来にまた同僚となるかもしれない人になる。 職場から絶望を遠ざけるためには、何が必要だろうか。イメージを共有して協力し合うためには、どうすればよいのだろうか。先行きの不透明感が続く中で、どのように一歩を踏み出せばよいのだろうか。2つの事件とその後には、数多くのヒントがある』、ここでの「2つの事件」は余りに特殊なケースだと思う。
次に、昨年9月27日付けPRESIDENT Onlineが掲載したコラムニスト・独身研究家の荒川 和久氏による「日本の福祉システムは「生涯独身」を想定していない…これから激増する「身寄りのない男たち」という大問題 行政のサポートはなく、遺産も宙に浮く」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/74272
・『日本の人口減少は「多死化」で加速する 9月15日に発表された2022年の人口動態調査確定報によれば、出生数は77万759人で人口動態調査開始以来最少となったほか、合計特殊出生率も1.26と過去最低となりました。 しかし、注目したいのはむしろ死亡数の増加です。 死亡数は156万9050人で、これは統計の残らない太平洋戦争期間中をのぞけば、統計調査開始以来、というより日本史上初めて150万人を突破し、もっとも死亡数の多かった年となりました。ちなみに、今までの最高記録は、スペイン風邪が流行した1918年の149万3162人でした。 しかし、これは2022年だけの特異な現象ではありません。すでに2023年の速報値でも前年の死亡数を上回るペースで推移しており、今後も150万人超の死亡数が続くでしょう。 それどころか、以前、〈1人生まれても2人が死ぬ」が50年続く…ついに始まった「日本人の大量死」の行き着く先とは〉という記事でもお伝えしている通り、日本は2022年を起点とした「多死時代」へ突入します。今後50年間は年間死亡数150万人以上の時代が続きます。 いつも「少子化」の問題が取りざたされますが、日本の人口減少は「少子化」というよりもこの「多死化」によって促進されます。人間は不老不死ではないので、人口転換メカニズム上、高齢化の先には必ずこの「多死化」が訪れるからです』、「日本の人口減少は「少子化」というよりもこの「多死化」によって促進されます」、「多死化」はイメージがが暗過ぎるので、「少子化」が使われるのだろう。
・『結婚できないと早死にする男性 ところで、以前、2022年2月の記事〈「一人だと短命になる男、一人だと長生きする女」年金すら受け取れない独身男性の虚しい人生)において、配偶関係別の死亡中央値を比較し、未婚男性だけが唯一60歳台と早死にする傾向がある事実をお伝えしました。 「いのち短かし 恋せよおとめ」(「ゴンドラの唄」1915年、吉井勇作詞、中山晋平作曲)とは、大正時代の有名な流行歌のフレーズですが、さしずめ現代は「いのち短かし 恋せぬおとこ」というべきでしょうか。 以前のデータは2015~2019年の累積値による計算でしたが、2022年の確定報に基づいて最新の配偶関係別死亡中央値を計算してみました。対象は50歳以上としています。 それによると、未婚男性の死亡中央値は、今までよりは多少延び、71.1歳とかろうじて70歳を超えました。未婚男性の寿命も延びているようですが、相変わらず配偶関係別で比較するともっとも短命であることに変わりはありません』、「未婚男性の死亡中央値は、今までよりは多少延び、71.1歳とかろうじて70歳を超えました」、なるほど。
・『「男は一人では生きていけない」は本当だった 誤解しないでいただきたいのは、死別男女がもっとも長生きだからといって、「配偶者と死別すれば長生きできる」ということではありません。配偶者と死別するまで有配偶状態が継続した結果です。 また、女性の場合、有配偶がもっとも短命に見えますが、これも「結婚した状態だと女性は早死にする」のではなく、そもそも有配偶のまま死亡する女性の総数が少ないためです。大抵の妻は夫より長生きです。一般的に、多くの女性は有配偶のうちには死なず、死別女性として死亡するのですが、有配偶女性だけを抽出して死亡中央値を計算するとこういう結果になるだけです。 全体的な傾向としては、男性は死別も含み有配偶状態が長く続けば続くほど長生きの傾向があります。未婚男性の死亡も早いですが、離別男性も74.6歳と早い。これが「男は一人では生きていけない」といわれる所以ゆえんでしょう。反対に、未婚女性は84.6歳と、むしろ一人でいるほうが長生きのようです。 こうした配偶関係別の寿命の違いは、大きくは食生活など生活習慣によるものが大きいのですが、もうひとつ男性より女性のほうが孤独耐性が強いことも影響があるでしょう』、「男性は死別も含み有配偶状態が長く続けば続くほど長生きの傾向があります。未婚男性の死亡も早いですが、離別男性も74.6歳と早い。これが「男は一人では生きていけない」といわれる所以ゆえんでしょう。反対に、未婚女性は84.6歳と、むしろ一人でいるほうが長生きのようです。 こうした配偶関係別の寿命の違いは、大きくは食生活など生活習慣によるものが大きいのですが、もうひとつ男性より女性のほうが孤独耐性が強いことも影響があるでしょう」、「男性」は「女性」よりも「孤独耐性が」弱いとは情けない限りだ。
・『50歳以上の未婚男性は40年で23倍に 特に、男性の場合、会社や家族という所属が失われてしまうと途方に暮れてしまう人が多いものです。これは、男性がより社会の中で「どこかに所属している」という帰属意識に依存してしまう傾向があるからです。 また、男性は離婚率と自殺率が強い正の相関がある点も、家族という所属を失った喪失感と関係がないとは言えないでしょう(〈「離婚男性の自殺率が異常に高い」なぜ日本の男性は妻から捨てられると死を選んでしまうのか〉参照)。 そもそも50歳以上の未婚人口は激増しています。国勢調査によれば、1980年における50歳以上の未婚男性人口はわずか17万人程度でした。それが、2020年には、約391万人へと23倍にも増大しています。女性のそれも、1980年の41万人から2020年251万人へと増えていますが、6倍増に過ぎないので、いかにこの40年間で50歳以上の未婚男性人口が急増したかがわかると思います。 この男女合わせて642万人もの50歳以上未婚人口ですが、これはこれからのソロ社会化にむけて避けては通れない課題となるでしょう。いうなれば「身寄りなき人口増加問題」です』、「男女合わせて642万人もの50歳以上未婚人口ですが、これはこれからのソロ社会化にむけて避けては通れない課題となるでしょう。いうなれば「身寄りなき人口増加問題」です」、暗いイメージだ。
・『「身寄りなき死」が続出する 同じ独身でも、婚歴有の死別や離別の場合は、子どもの家族など誰かしら身寄りのある人が多いと思われますが、生涯未婚であれば当然配偶者も子もいないし、本人が50歳を過ぎていれば親も鬼籍に入っていることも考えられ、さらに、昔ほど兄弟姉妹が多いわけではない環境の中で、まったく身寄りのない状態で死亡する可能性が高いということになります。 そもそも日本の福祉システムは、皆婚時代の流れを引きずり、家族がいる前提で作られています。家族がいないという生涯未婚者に対してはそのサポート体制がないといっても過言ではないでしょう。かつて互助機能を果たしていた地域のコミュニティも、一部の地方を除けば消滅しつつあります。血縁関係があったとしても、遠方に住む親戚との接点も希薄になっていれば、たとえ死亡したとしても、その引き取りを拒否されるケースも増えています。 さらに、身寄りのない未婚者は遺産の行方すら宙に浮いてしまいます。 最高裁判所によると、相続人不存在による相続財産が国庫に入った金額は約647億円(2021年度)にものぼるといいます。2001年度は約107億円だったので、20年で6倍増になっているわけです。これは未婚で身寄りがないがゆえに、老後の蓄えを気にして、節約した結果、生きているうちに使わずに亡くなってしまう場合もあるでしょうし、そもそも不動産を相続する相手もいないわけです』、「日本の福祉システムは、皆婚時代の流れを引きずり、家族がいる前提で作られています。家族がいないという生涯未婚者に対してはそのサポート体制がないといっても過言ではないでしょう。かつて互助機能を果たしていた地域のコミュニティも、一部の地方を除けば消滅しつつあります・・・相続人不存在による相続財産が国庫に入った金額は約647億円(2021年度)にものぼるといいます。2001年度は約107億円だったので、20年で6倍増になっているわけです。これは未婚で身寄りがないがゆえに、老後の蓄えを気にして、節約した結果、生きているうちに使わずに亡くなってしまう場合もあるでしょうし、そもそも不動産を相続する相手もいないわけです」、なるほど。
・『「所属」のない高齢者に社会的役割が必要 前述した通り、今現在でも50歳以上の未婚人口は642万人もいます。もちろん、この全員が身寄りがないわけではありませんが、今後未婚人口がさらに増加していく中で「身寄りのない高齢ソロ」の対応は大きな課題となるでしょう。 「どうせ一人なんだから、死んだ後のことは知ったことではない」という考えの人もいるかもしれませんが、一方で「死んだ後、よそ様に迷惑をかけたくないが、どうすればいいかわからない」と悩む人も多いでしょう。 死後の憂いをなくすことで、かえって安心して生きられるという面もあります。 長野県南箕輪村では、行政と連携し、2019年度に「身寄りのない方のエンディングに関する研究会」を発足したという動きもあります。こうした視点の取り組みを各自治体も国も目を向けるべき時にきているのではないでしょうか。 死後のことだけではなく、「所属」のない身寄りなき高齢者にとっての今の社会的役割の付与も大事です。自分の子や孫がいなくても、血がつながっていなくても、果たせる社会的役割はあります。むしろ行政には、増え続ける高齢ソロの社会的役割を実感できる環境作り、お膳立てが必要です』、「行政には、増え続ける高齢ソロの社会的役割を実感できる環境作り、お膳立てが必要です」、確かにその通りだ。
・『「つながり」は血縁や友人だけではない 奈良県橿原市にある「げんきカレー」という店では、お客が自分の会計に200円をプラスすると1枚チケットが発行されます。そのチケットを壁に貼ると、地域の子どもたちがそのチケットを利用してカレーを無料で食べることができるというシステムになっています。 血縁関係のある子や見知った誰か特定の子にカレーをごちそうするというだけではなく、自分の行動がどこかの見知らぬ子どもの笑顔を作れるかもしれないという喜びがそこにはあります。行動する良いきっかけにもなります。チケットを利用する子どもたちも、誰かの温もりを具体的に感じて感謝できるでしょう。 リアルに顔を見合わせて助け合うことだけが「人のつながり」ではありません。自分のしたことが巡り巡って誰かのためになるという、これは、今後所属だけではない人のつながりを作るという意味で、私の提唱する「接続するコミュニティ」のひとつの形でもあります。こうしたささいなお膳立てひとつでも、今後増え続ける身寄りのない高齢ソロの「生きる力」となるのかもしれません』、筆者が「提唱する「接続するコミュニティ」」とはよく分からないが、「自分のしたことが巡り巡って誰かのためになるという、これは、今後所属だけではない人のつながりを作るという意味」何やらつながりを作っていくというイメージは共感できそうだ。
先ずは、2021年4月9日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したフリーランス・ライターのみわよしこ氏による「「死体遺棄」「殺人未遂」に職員を走らせた福祉現場が模索する、再生への道」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/267915
・『福祉事務所で起きた仰天事件 は特殊な組織の特異な事件なのか(新年度は、職場に新しいメンバーを迎える季節だ。コロナ禍で採用が抑制されている場合は、コロナ後の採用に備える機会である。2019年、2つの福祉事務所で発生した不祥事とその後の状況から、職場づくりのヒントを得ることはできないだろうか。 2019年の6月と12月、京都府向日市と滋賀県米原市において、福祉事務所の現職ケースワーカーが刑事事件で逮捕された。ケースワーカーであった向日市職員のXさんと米原市職員のYさんは、いずれも当時20歳代の男性であり、人柄にも能力にも定評があった。 向日市のXさんは、元暴力団組員で傷害致死などの前科を持つ50歳代の男性受給者を担当していた。男性は、約1年半にわたって不当要求をエスカレートさせた末、同居していた女性に暴行を加えて死なせた。さらに、担当ケースワーカーだったXさんを脅迫して協力させ、女性の遺体を遺棄した。 米原市のYさんは、「親族が暴力団関係者」と称する20歳代の受給者男性から2カ月にわたって不当要求に応じさせられた末に、相手を刺して負傷させた。死体遺棄容疑で起訴されたXさんと、殺人未遂容疑で起訴されたYさんは、2020年に執行猶予付き判決を言い渡された。 「暴力団関係者」「死体遺棄」「殺人未遂」といったキーワードには、「別世界」という雰囲気が漂う。そこに、「公務員なのに」という感情も重なる。 しかし、「若い社会人がクレーマーに遭遇」「経験の浅い社会人が自分史上初の困難に直面」といった状況は、どこにでもある。そこに職場や組織の課題が重なれば、事態はとめどなく悪化する』、「2019年の6月と12月、京都府向日市と滋賀県米原市において、福祉事務所の現職ケースワーカーが刑事事件で逮捕された。ケースワーカーであった向日市職員のXさんと米原市職員のYさんは、いずれも当時20歳代の男性であり、人柄にも能力にも定評があった。 向日市のXさんは、元暴力団組員で傷害致死などの前科を持つ50歳代の男性受給者を担当していた。男性は、約1年半にわたって不当要求をエスカレートさせた末、同居していた女性に暴行を加えて死なせた。さらに、担当ケースワーカーだったXさんを脅迫して協力させ、女性の遺体を遺棄した。 米原市のYさんは、「親族が暴力団関係者」と称する20歳代の受給者男性から2カ月にわたって不当要求に応じさせられた末に、相手を刺して負傷させた。死体遺棄容疑で起訴されたXさんと、殺人未遂容疑で起訴されたYさんは、2020年に執行猶予付き判決を言い渡された」、「ケースワーカーであった向日市職員のXさんと米原市職員のYさんは、いずれも当時20歳代の男性であり、人柄にも能力にも定評があった」、上司との関係が記載されてないが、どういう事情があったのだろう。そもそも、2ケースとも「暴力団」がらみなのに、新人に担当させる無責任さには、呆れ果てる。
・『誰にとっても難しくなった「公私の境界線」 受給者からの不当要求の内容は、スマホの設定から金品まで多様であった。度重なる電話応対や対面での対応は、勤務時間を圧迫する。向日市の事件では、連日2時間以上の電話が事件まで6カ月間にわたって続いた。このような場面では、「異常な事態」という認識と、組織全体および管理職による毅然とした対処が不可欠だ。しかし2つの事件では、ケースワーカー個人に対処が任せられた。 当該受給者への対応や仕事の積み残しは、時間外勤務で対応せざるを得ない上、残業が認められるとは限らない。すでに退勤後であるはずの時間帯に職場で対応したり、自分自身のプライベートを犠牲にして対応したりすることになる。そのうちに、業務と私生活の境界が、感覚としても実態としても曖昧になる。精神的にも追い詰められ、正常な判断が難しくなる。 誰にとっても、充実した職業生活と成果のためには、通勤時間や「アフターファイブ」の読書や学習、日々の振り返りや工夫が欠かせない。時には、自分の限界に挑む働き方が有意義な成長をもたらすこともある。とはいえ、仕事と私生活の良い循環の維持は難しい。向上心や努力は、仕事依存症のリスクと背中合わせだ。そこにコロナ禍とテレワーク推進が重なっている現在、個人の努力や工夫による対応は、より困難になっている。 2つの事件では、組織によるバックアップは見られなかった。特に向日市の事件では、相手は元暴力団員であり、不当要求や組との関係をほのめかす態度が続いていた。ケースワーカーのXさんは、上司に対して警察への連絡を申し出たが、曖昧にされた。 ケースワーカーの人員数は、向日市のXさんの職場では5人、米原市のYさんの職場では2人であった。少人数の職場となることは自治体の規模による宿命でもあるのだが、「新任や異動でケースワーカーとなっても、1~2年程度で別の職場に異動していく職員が多い」という事情もあった。職場にノウハウが蓄積されていなかったわけである。 事件の前には前任者や同僚が休職し、ケースワーカー1人あたりの業務負荷が増大していた。都市部でのケースワーカー1人あたりの担当世帯数の標準は、社会福祉法で80世帯とされているのだが、向日市のXさんは110世帯、米原市のYさんは140世帯を担当していた。絶望的な職場と状況の中で、闘うのか。それとも、逃げるのか。あるいは、逆らえないまま流され続けるのか。選択肢は多くない。) 向日市のXさんは、上司に毅然とした対処を要望し、警察との連携も求めた。また、人事異動も希望した。米原市のYさんは「140世帯も担当できない」と上司に訴え、ケースワーカーの増員を求めた。職場の中での、せめてもの闘いであろう。しかし、2人の要望や訴えが実現することはなかった。 あまりにも小さな職場であることは、「逃げる」という選択を妨げた。5人(向日市)あるいは2人(米原市)のケースワーカーが1人いなくなると、残ったケースワーカーの業務量は激増する。真面目で心優しい2人は、「自分の心身を守るために休職する」という選択に踏み切れなかった。そして、事件が起こった。 むろん、死体遺棄や殺人未遂が許されるわけはない。しかし成り行きを振り返ると、「困難な状況の中で孤立無援のまま放置され、疲弊し、逃げ道を失い、行き着くところまで行ってしまった若手」という図式が浮かび上がる。事件当時、XさんとYさんはいずれもメンタルヘルスに問題を抱えていた』、「向日市のXさんは、上司に毅然とした対処を要望し、警察との連携も求めた。また、人事異動も希望した。米原市のYさんは「140世帯も担当できない」と上司に訴え、ケースワーカーの増員を求めた。職場の中での、せめてもの闘いであろう。しかし、2人の要望や訴えが実現することはなかった」、いずれの「上司」も逃げ腰で、若い担当者任せにしたのでは、事件は起きるべくして起きたといえよう。
・『「メンバーを孤立させない」 リスクマネジメントは機能しているか 向日市市議として事件に真摯な関心を向け、市民とともに向日市の生活保護行政の改善に取り組み続ける杉谷伸夫さんは、自らの経験も踏まえ、次のように語る。 「生活保護で暮らす方々の中には、数多くの課題を抱えている方がおられます。しかし、若い市職員の多くは、それまでの人生や学校での学びの中で、大きな問題に巻き込まれなかった方々です。やはり、専門的な福祉教育を受けて資格を取得した人でないと、生活保護の仕事は厳しいと思います」(杉谷さん) 職場で出合う未知の世界とそこでの経験は、本人にとっては有意義であろう。しかし、何をどこまでやれば充分なのか。公私の線を明確に引くと、信頼関係を作れないのではないだろうか。対人接触を伴う仕事につきものの不安と悩みの数々がある。) さらに生活保護の現場には、依存症、発達障害、受刑歴など、専門的な支援を必要とする人々が少なくない。生存権を守りつつ課題の解決を充分に支援することは、一般行政職の公務員では難しくなっている。 「ケースワーカーの仕事は大変です。専門職ではない、採用されたばかりの若い方が、いきなりやれるものではありません。大変で難しく、加減のわかりにくい、受け持った一人ひとりの人生を大きく左右しかねない仕事です。どなたにとっても1回限りの人生と人権を守り、その人らしい人生を保障していく大切な仕事でもあります。そうした重要な職務であるという認識に立ち、役所は採用、配置、研修、異動、組織的運用などをしっかり行う必要があります。事件とその後を通じて、そのように痛感しました」(杉谷さん) まさに「エッセンシャル・ワーカー」だ。そして、“顧客”を選択する余地は全くない。 「社会人経験がなかったり浅かったりする若い職員が、数多くの課題を抱えた人や困難な物事に直面するとき、立ちすくむこともあるでしょう。先輩のフォローや上司のアドバイスが適切に行われないと、過酷すぎます」(杉谷さん) 役所が生活保護の利用を拒むことは許されない。しかし、不当要求を拒むことは可能であり、必要でもある。機能する職場や組織をつくり上げ、リスクを回避し、避けられないリスクやクライシスには適切に対応する必要がある。これらは、経営やマネジメントの課題だ。 「組織のリスクマネジメントとしては……結局のところ、職員を孤立させないことでしょう。困難を抱えている職員を見つけて、どうフォローするのかが問われているのだと思います」(杉谷さん)』、「「組織のリスクマネジメントとしては……結局のところ、職員を孤立させないことでしょう・・・とあるが、担当者から相談を受けても逃げ腰というのは、「リスクマネジメント」以前の問題だ。
・『大きなつまずきから生まれた小さく着実な行政改革の数々 向日市では、市の立場からも市民たちの立場からも、事件の検証と反省が行われ、少しずつ施策に反映されている。事件当時は部長が7つの課を統括し、福祉事務所長を兼任していた。現在は、課長と部長の中間に位置する福祉事務所長が福祉事務所の業務に専念して責任を持つ体制だ。生活保護の職場では、ケースワーカーが1名増員された。社会福祉に専門性を持つ職員の必要性も認識され、福祉職の採用が開始された。) 不当要求への対応マニュアルも作成された。現在は「すべての市民に益する」という観点から、「不当要求対処」という狭い枠組みにとどまらず、公正かつ透明に、市民の要求や要望に向き合う市政を実現する条例づくりが進行中だ。 職場環境の面では、メンタルヘルスの危機を訴える職員の声を無視しない制度改革が進行中だ。労働基準法に定められた衛生委員会は、規定どおり毎月開催されるようになった。1人しかいなかった衛生管理者は、組織の規模に対応する形で増員が検討されている。「規定が遵守されるようになっただけ」と言えば、それまでだ。規定遵守の次は、形骸化との闘いが続く。数々の施策の効果が明確に現れるのは、少なくとも数年先であろう。 生活保護の専門家として、向日市の市民として、一連の改革に関わっている吉永純さん(花園大学教授)は、向日市と米原市の事件について「少人数の生活保護の職場では、どこでも起こり得ます」と指摘する。 たとえばケースワーカー数が少なすぎる場合、休職などで1人減ると、ケースワーカー1人当たりの保護世帯数が急増する。福祉の資格職や専門職の配置が乏しいと、有効な支援は難しい。数年で全職員が入れ替わるようでは、組織に経験が蓄積されない。責任感のない上司が配置されると、職員は孤立する。少人数の生活保護の現場には、組織人事の問題課題が濃縮されやすいのだ』、「責任感のない上司」に対しては、徹底的な調査で問題を放置した責任を追及した上で、厳しい処分を行うことで対処するほかなさそうだ。
・『2つの事件に学ぶ職場から絶望を遠ざけるヒント 発生しやすい問題や陥りやすいリスクのパターンは、職種や職場の規模によって異なる。しかし、良好な人間関係と円滑なチームワークは、どのような職場でも望まれる。雇用環境がジョブ型へと変化し、流動性が健全に高まれば、今日辞めていく同僚は、未来にまた同僚となるかもしれない人になる。 職場から絶望を遠ざけるためには、何が必要だろうか。イメージを共有して協力し合うためには、どうすればよいのだろうか。先行きの不透明感が続く中で、どのように一歩を踏み出せばよいのだろうか。2つの事件とその後には、数多くのヒントがある』、ここでの「2つの事件」は余りに特殊なケースだと思う。
次に、昨年9月27日付けPRESIDENT Onlineが掲載したコラムニスト・独身研究家の荒川 和久氏による「日本の福祉システムは「生涯独身」を想定していない…これから激増する「身寄りのない男たち」という大問題 行政のサポートはなく、遺産も宙に浮く」を紹介しよう。
https://president.jp/articles/-/74272
・『日本の人口減少は「多死化」で加速する 9月15日に発表された2022年の人口動態調査確定報によれば、出生数は77万759人で人口動態調査開始以来最少となったほか、合計特殊出生率も1.26と過去最低となりました。 しかし、注目したいのはむしろ死亡数の増加です。 死亡数は156万9050人で、これは統計の残らない太平洋戦争期間中をのぞけば、統計調査開始以来、というより日本史上初めて150万人を突破し、もっとも死亡数の多かった年となりました。ちなみに、今までの最高記録は、スペイン風邪が流行した1918年の149万3162人でした。 しかし、これは2022年だけの特異な現象ではありません。すでに2023年の速報値でも前年の死亡数を上回るペースで推移しており、今後も150万人超の死亡数が続くでしょう。 それどころか、以前、〈1人生まれても2人が死ぬ」が50年続く…ついに始まった「日本人の大量死」の行き着く先とは〉という記事でもお伝えしている通り、日本は2022年を起点とした「多死時代」へ突入します。今後50年間は年間死亡数150万人以上の時代が続きます。 いつも「少子化」の問題が取りざたされますが、日本の人口減少は「少子化」というよりもこの「多死化」によって促進されます。人間は不老不死ではないので、人口転換メカニズム上、高齢化の先には必ずこの「多死化」が訪れるからです』、「日本の人口減少は「少子化」というよりもこの「多死化」によって促進されます」、「多死化」はイメージがが暗過ぎるので、「少子化」が使われるのだろう。
・『結婚できないと早死にする男性 ところで、以前、2022年2月の記事〈「一人だと短命になる男、一人だと長生きする女」年金すら受け取れない独身男性の虚しい人生)において、配偶関係別の死亡中央値を比較し、未婚男性だけが唯一60歳台と早死にする傾向がある事実をお伝えしました。 「いのち短かし 恋せよおとめ」(「ゴンドラの唄」1915年、吉井勇作詞、中山晋平作曲)とは、大正時代の有名な流行歌のフレーズですが、さしずめ現代は「いのち短かし 恋せぬおとこ」というべきでしょうか。 以前のデータは2015~2019年の累積値による計算でしたが、2022年の確定報に基づいて最新の配偶関係別死亡中央値を計算してみました。対象は50歳以上としています。 それによると、未婚男性の死亡中央値は、今までよりは多少延び、71.1歳とかろうじて70歳を超えました。未婚男性の寿命も延びているようですが、相変わらず配偶関係別で比較するともっとも短命であることに変わりはありません』、「未婚男性の死亡中央値は、今までよりは多少延び、71.1歳とかろうじて70歳を超えました」、なるほど。
・『「男は一人では生きていけない」は本当だった 誤解しないでいただきたいのは、死別男女がもっとも長生きだからといって、「配偶者と死別すれば長生きできる」ということではありません。配偶者と死別するまで有配偶状態が継続した結果です。 また、女性の場合、有配偶がもっとも短命に見えますが、これも「結婚した状態だと女性は早死にする」のではなく、そもそも有配偶のまま死亡する女性の総数が少ないためです。大抵の妻は夫より長生きです。一般的に、多くの女性は有配偶のうちには死なず、死別女性として死亡するのですが、有配偶女性だけを抽出して死亡中央値を計算するとこういう結果になるだけです。 全体的な傾向としては、男性は死別も含み有配偶状態が長く続けば続くほど長生きの傾向があります。未婚男性の死亡も早いですが、離別男性も74.6歳と早い。これが「男は一人では生きていけない」といわれる所以ゆえんでしょう。反対に、未婚女性は84.6歳と、むしろ一人でいるほうが長生きのようです。 こうした配偶関係別の寿命の違いは、大きくは食生活など生活習慣によるものが大きいのですが、もうひとつ男性より女性のほうが孤独耐性が強いことも影響があるでしょう』、「男性は死別も含み有配偶状態が長く続けば続くほど長生きの傾向があります。未婚男性の死亡も早いですが、離別男性も74.6歳と早い。これが「男は一人では生きていけない」といわれる所以ゆえんでしょう。反対に、未婚女性は84.6歳と、むしろ一人でいるほうが長生きのようです。 こうした配偶関係別の寿命の違いは、大きくは食生活など生活習慣によるものが大きいのですが、もうひとつ男性より女性のほうが孤独耐性が強いことも影響があるでしょう」、「男性」は「女性」よりも「孤独耐性が」弱いとは情けない限りだ。
・『50歳以上の未婚男性は40年で23倍に 特に、男性の場合、会社や家族という所属が失われてしまうと途方に暮れてしまう人が多いものです。これは、男性がより社会の中で「どこかに所属している」という帰属意識に依存してしまう傾向があるからです。 また、男性は離婚率と自殺率が強い正の相関がある点も、家族という所属を失った喪失感と関係がないとは言えないでしょう(〈「離婚男性の自殺率が異常に高い」なぜ日本の男性は妻から捨てられると死を選んでしまうのか〉参照)。 そもそも50歳以上の未婚人口は激増しています。国勢調査によれば、1980年における50歳以上の未婚男性人口はわずか17万人程度でした。それが、2020年には、約391万人へと23倍にも増大しています。女性のそれも、1980年の41万人から2020年251万人へと増えていますが、6倍増に過ぎないので、いかにこの40年間で50歳以上の未婚男性人口が急増したかがわかると思います。 この男女合わせて642万人もの50歳以上未婚人口ですが、これはこれからのソロ社会化にむけて避けては通れない課題となるでしょう。いうなれば「身寄りなき人口増加問題」です』、「男女合わせて642万人もの50歳以上未婚人口ですが、これはこれからのソロ社会化にむけて避けては通れない課題となるでしょう。いうなれば「身寄りなき人口増加問題」です」、暗いイメージだ。
・『「身寄りなき死」が続出する 同じ独身でも、婚歴有の死別や離別の場合は、子どもの家族など誰かしら身寄りのある人が多いと思われますが、生涯未婚であれば当然配偶者も子もいないし、本人が50歳を過ぎていれば親も鬼籍に入っていることも考えられ、さらに、昔ほど兄弟姉妹が多いわけではない環境の中で、まったく身寄りのない状態で死亡する可能性が高いということになります。 そもそも日本の福祉システムは、皆婚時代の流れを引きずり、家族がいる前提で作られています。家族がいないという生涯未婚者に対してはそのサポート体制がないといっても過言ではないでしょう。かつて互助機能を果たしていた地域のコミュニティも、一部の地方を除けば消滅しつつあります。血縁関係があったとしても、遠方に住む親戚との接点も希薄になっていれば、たとえ死亡したとしても、その引き取りを拒否されるケースも増えています。 さらに、身寄りのない未婚者は遺産の行方すら宙に浮いてしまいます。 最高裁判所によると、相続人不存在による相続財産が国庫に入った金額は約647億円(2021年度)にものぼるといいます。2001年度は約107億円だったので、20年で6倍増になっているわけです。これは未婚で身寄りがないがゆえに、老後の蓄えを気にして、節約した結果、生きているうちに使わずに亡くなってしまう場合もあるでしょうし、そもそも不動産を相続する相手もいないわけです』、「日本の福祉システムは、皆婚時代の流れを引きずり、家族がいる前提で作られています。家族がいないという生涯未婚者に対してはそのサポート体制がないといっても過言ではないでしょう。かつて互助機能を果たしていた地域のコミュニティも、一部の地方を除けば消滅しつつあります・・・相続人不存在による相続財産が国庫に入った金額は約647億円(2021年度)にものぼるといいます。2001年度は約107億円だったので、20年で6倍増になっているわけです。これは未婚で身寄りがないがゆえに、老後の蓄えを気にして、節約した結果、生きているうちに使わずに亡くなってしまう場合もあるでしょうし、そもそも不動産を相続する相手もいないわけです」、なるほど。
・『「所属」のない高齢者に社会的役割が必要 前述した通り、今現在でも50歳以上の未婚人口は642万人もいます。もちろん、この全員が身寄りがないわけではありませんが、今後未婚人口がさらに増加していく中で「身寄りのない高齢ソロ」の対応は大きな課題となるでしょう。 「どうせ一人なんだから、死んだ後のことは知ったことではない」という考えの人もいるかもしれませんが、一方で「死んだ後、よそ様に迷惑をかけたくないが、どうすればいいかわからない」と悩む人も多いでしょう。 死後の憂いをなくすことで、かえって安心して生きられるという面もあります。 長野県南箕輪村では、行政と連携し、2019年度に「身寄りのない方のエンディングに関する研究会」を発足したという動きもあります。こうした視点の取り組みを各自治体も国も目を向けるべき時にきているのではないでしょうか。 死後のことだけではなく、「所属」のない身寄りなき高齢者にとっての今の社会的役割の付与も大事です。自分の子や孫がいなくても、血がつながっていなくても、果たせる社会的役割はあります。むしろ行政には、増え続ける高齢ソロの社会的役割を実感できる環境作り、お膳立てが必要です』、「行政には、増え続ける高齢ソロの社会的役割を実感できる環境作り、お膳立てが必要です」、確かにその通りだ。
・『「つながり」は血縁や友人だけではない 奈良県橿原市にある「げんきカレー」という店では、お客が自分の会計に200円をプラスすると1枚チケットが発行されます。そのチケットを壁に貼ると、地域の子どもたちがそのチケットを利用してカレーを無料で食べることができるというシステムになっています。 血縁関係のある子や見知った誰か特定の子にカレーをごちそうするというだけではなく、自分の行動がどこかの見知らぬ子どもの笑顔を作れるかもしれないという喜びがそこにはあります。行動する良いきっかけにもなります。チケットを利用する子どもたちも、誰かの温もりを具体的に感じて感謝できるでしょう。 リアルに顔を見合わせて助け合うことだけが「人のつながり」ではありません。自分のしたことが巡り巡って誰かのためになるという、これは、今後所属だけではない人のつながりを作るという意味で、私の提唱する「接続するコミュニティ」のひとつの形でもあります。こうしたささいなお膳立てひとつでも、今後増え続ける身寄りのない高齢ソロの「生きる力」となるのかもしれません』、筆者が「提唱する「接続するコミュニティ」」とはよく分からないが、「自分のしたことが巡り巡って誰かのためになるという、これは、今後所属だけではない人のつながりを作るという意味」何やらつながりを作っていくというイメージは共感できそうだ。
タグ:福祉問題一般 (その2)(「死体遺棄」「殺人未遂」に職員を走らせた福祉現場が模索する 再生への道、日本の福祉システムは「生涯独身」を想定していない…これから激増する「身寄りのない男たち」という大問題 行政のサポートはなく 遺産も宙に浮く) ダイヤモンド・オンライン みわよしこ氏による「「死体遺棄」「殺人未遂」に職員を走らせた福祉現場が模索する、再生への道」 「2019年の6月と12月、京都府向日市と滋賀県米原市において、福祉事務所の現職ケースワーカーが刑事事件で逮捕された。ケースワーカーであった向日市職員のXさんと米原市職員のYさんは、いずれも当時20歳代の男性であり、人柄にも能力にも定評があった。 向日市のXさんは、元暴力団組員で傷害致死などの前科を持つ50歳代の男性受給者を担当していた。男性は、約1年半にわたって不当要求をエスカレートさせた末、同居していた女性に暴行を加えて死なせた。さらに、担当ケースワーカーだったXさんを脅迫して協力させ、女性の遺体を遺 棄容疑で起訴されたXさんと、殺人未遂容疑で起訴されたYさんは、2020年に執行猶予付き判決を言い渡された」、「ケースワーカーであった向日市職員のXさんと米原市職員のYさんは、いずれも当時20歳代の男性であり、人柄にも能力にも定評があった」、 上司との関係が記載されてないが、どういう事情があったのだろう。そもそも、2ケースとも「暴力団」がらみなのに、新人に担当させる無責任さには、呆れ果てる。 「向日市のXさんは、上司に毅然とした対処を要望し、警察との連携も求めた。また、人事異動も希望した。米原市のYさんは「140世帯も担当できない」と上司に訴え、ケースワーカーの増員を求めた。職場の中での、せめてもの闘いであろう。しかし、2人の要望や訴えが実現することはなかった」、いずれの「上司」も逃げ腰で、若い担当者任せにしたのでは、事件は起きるべくして起きたといえよう。 「「組織のリスクマネジメントとしては……結局のところ、職員を孤立させないことでしょう・・・とあるが、担当者から相談を受けても逃げ腰というのは、「リスクマネジメント」以前の問題だ。 「責任感のない上司」に対しては、徹底的な調査で問題を放置した責任を追及した上で、厳しい処分を行うことで対処するほかなさそうだ。 ここでの「2つの事件」は余りに特殊なケースだと思う。 PRESIDENT ONLINE 荒川 和久氏による「日本の福祉システムは「生涯独身」を想定していない…これから激増する「身寄りのない男たち」という大問題 行政のサポートはなく、遺産も宙に浮く」 「日本の人口減少は「少子化」というよりもこの「多死化」によって促進されます」、「多死化」はイメージがが暗過ぎるので、「少子化」が使われるのだろう。 「未婚男性の死亡中央値は、今までよりは多少延び、71.1歳とかろうじて70歳を超えました」、なるほど。 「男性は死別も含み有配偶状態が長く続けば続くほど長生きの傾向があります。未婚男性の死亡も早いですが、離別男性も74.6歳と早い。これが「男は一人では生きていけない」といわれる所以ゆえんでしょう。反対に、未婚女性は84.6歳と、むしろ一人でいるほうが長生きのようです。 こうした配偶関係別の寿命の違いは、大きくは食生活など生活習慣によるものが大きいのですが、もうひとつ男性より女性のほうが孤独耐性が強いことも影響があるでしょう」、「男性」は「女性」よりも「孤独耐性が」弱いとは情けない限りだ。 「男女合わせて642万人もの50歳以上未婚人口ですが、これはこれからのソロ社会化にむけて避けては通れない課題となるでしょう。いうなれば「身寄りなき人口増加問題」です」、暗いイメージだ。 「日本の福祉システムは、皆婚時代の流れを引きずり、家族がいる前提で作られています。家族がいないという生涯未婚者に対してはそのサポート体制がないといっても過言ではないでしょう。かつて互助機能を果たしていた地域のコミュニティも、一部の地方を除けば消滅しつつあります・・・相続人不存在による相続財産が国庫に入った金額は約647億円(2021年度)にものぼるといいます。 2001年度は約107億円だったので、20年で6倍増になっているわけです。これは未婚で身寄りがないがゆえに、老後の蓄えを気にして、節約した結果、生きているうちに使わずに亡くなってしまう場合もあるでしょうし、そもそも不動産を相続する相手もいないわけです」、なるほど。 「行政には、増え続ける高齢ソロの社会的役割を実感できる環境作り、お膳立てが必要です」、確かにその通りだ。 筆者が「提唱する「接続するコミュニティ」」とはよく分からないが、「自分のしたことが巡り巡って誰かのためになるという、これは、今後所属だけではない人のつながりを作るという意味」何やらつながりを作っていくというイメージは共感できそうだ。
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