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ブラック企業(その17)(「勤務中に肋骨3本を折ったのに“1カ月で出社しろ”と…」 山崎製パンの“凄絶ブラック労働”の実態 「コロナにかかったのに強制出勤」も、銀行で課長止まりの私と 支店長3店目の1年上の先輩…「出世の明暗」分けたのは?) [企業経営]

ブラック企業については、本年4月6日に取上げた。今日は、(その17)(「勤務中に肋骨3本を折ったのに“1カ月で出社しろ”と…」 山崎製パンの“凄絶ブラック労働”の実態 「コロナにかかったのに強制出勤」も、銀行で課長止まりの私と 支店長3店目の1年上の先輩…「出世の明暗」分けたのは?)である。

先ずは、本年5月16日付けデイリー新潮「「勤務中に肋骨3本を折ったのに“1カ月で出社しろ”と…」 山崎製パンの“凄絶ブラック労働”の実態 「コロナにかかったのに強制出勤」も」を紹介しよう。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/05161100/?all=1#goog_rewarded
・『「全治2カ月なのに“1カ月で出社しろ”と  セールスドライバーが死亡事故を起こした横浜第二工場 「週刊新潮」はこれまで「山崎製パン」で異物混入事案が相次いでいることや、工場で事故が発生する背景をお伝えしてきた。今回紹介するのは、足の骨が折れているにもかかわらず勤務させられたり、車で通勤中に事故に遭っても“警察を呼ばずに出勤してくれ”と命じられたりするなど、ブラック過ぎる労働環境の実態である。 「山パンが超ブラック企業なのは間違いありません。働いていた時に自分や仲間の間でよくあったのが、ケガをしていても休めないことでした」 そう話すのは、横浜第二工場で長らくセールスドライバーを務めていた男性である。 「自分の例としては、トラックの荷台から落ちて肋骨を3本折った時、全治2カ月だったのですが、1カ月で出社しろ、と言われました。また、車で通勤中に追突されたので上司に連絡して“警察呼びます”と言ったら、“いや、そのまま出勤してくれ”と命じられたこともあります」 他にも、「股関節に痛みがあったのに無理やり出勤させられ、仕事中、あまりに痛いので病院に行ったら大腿骨が折れていた、という人がいました。あと、坂で停めていたトラックが動いてしまい、ひかれて足を骨折した人の場合、代わりのドライバーは用意してもらえたものの、“道が分かるお前も乗ってろ”と上司に言われ、骨が折れているのに助手席に乗ってその日の配送が終わるまで働かされていました」』、「車で通勤中に追突されたので上司に連絡して“警察呼びます”と言ったら、“いや、そのまま出勤してくれ”と命じられたこともあります」、警察での事故処理をせずに済ませたのであれば、問題だ。「「股関節に痛みがあったのに無理やり出勤させられ、仕事中、あまりに痛いので病院に行ったら大腿骨が折れていた、という人がいました」、信じ難いような話だ。 
・「一番つらかったのは、父の死に目に会えなかったこと」  同工場の別の元セールスドライバーもこう語る。 「一番つらかったのは、父の死に目に会えなかったことですね。ヤマザキパンの配送は1日に2便あるのですが、2便目の配送前に父親が危篤状態だという連絡が入り、上司に“何とかなりませんか”と掛け合ったものの“(配送に出て)できるだけ早く帰ってこい”と取り合ってもらえませんでした。セールスドライバーは常に人が足りていないのでそうなってしまうのです」 そうした環境で働かされているためか、 「2010~12年ごろにはドライバーが死亡事故を起こしたこともありました。配送中に前方不注意で原付バイクをはねてしまったのですが、原因は居眠り運転だったはずです」(同)』、「坂で停めていたトラックが動いてしまい、ひかれて足を骨折した人の場合、代わりのドライバーは用意してもらえたものの、“道が分かるお前も乗ってろ”と上司に言われ、骨が折れているのに助手席に乗ってその日の配送が終わるまで働かされていました」、応急手当はした上であっても、予後安静できず、かえって最終的な治療期間が遅くなる懸念もある。
・『「コロナにかかり体調が悪い人に“人がいないから出てくれ”」  子会社の現役セールスドライバーに聞いても、 「ウチも慢性的な人手不足です。直近では、ドライバーで新型コロナにかかった2名と、靭帯損傷1名が強制出勤させられています」 と、こう語る。 「靭帯損傷の人は1カ月は休まないといけないのに2週間程度で無理やり出勤させられていました。コロナの人は4~5日休んで、まだ体調が悪いのに“人がいないから出てくれ”と言われて出てきていました。普段は“無理するな”とか“安全第一”と言うのに、いざ何か起こると“みんな無理して出てきているんだから出てこい”と命じてくるのです」 完全版記事「『父が危篤なのに勤務させられ死に目に会えず…』『10代の女性アルバイトに次亜塩素酸がかかり大やけど』 山崎製パンの“絶望工場”の実態を現役社員、元社員が告発」と5月16日発売の「週刊新潮」では、ドライバーのみならず元アルバイトや元社員からの告発に基づき、10代の工場アルバイトに危険作業を任せた結果、次亜塩素酸が体にかかった事故などと併せ、山崎製パンのブラック過ぎる労働環境の実態について詳報する』、「「靭帯損傷の人は1カ月は休まないといけないのに2週間程度で無理やり出勤させられていました。コロナの人は4~5日休んで、まだ体調が悪いのに“人がいないから出てくれ”と言われて出てきていました。普段は“無理するな”とか“安全第一”と言うのに、いざ何か起こると“みんな無理して出てきているんだから出てこい”と命じてくるのです」。コロナの場合は、完治せずに出勤すれば、感染を広げてしまうだけだ。

次に、6月19日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した現役行員の目黒冬弥氏による「銀行で課長止まりの私と、支店長3店目の1年上の先輩…「出世の明暗」分けたのは?」を紹介しよう。これは、ブラック企業として挙げるには、必ずしも適切ではないが、広義で捉えれば、問題ないと思われる。
https://diamond.jp/articles/-/328830
・『かつて問題児だった先輩が大規模店の支店長に出世(黙っていれば、いつの間にか支店長になれる。そんな時代ではなくなった。支店の数は年々縮小の一途をたどり、支店長のポスト自体がそもそも減っているからだ。椅子取りゲームの椅子は確実に少なくなっている。 先日、入行して最初に着任した吹田支店の先輩から電話があった。たまたま私が受電したのだが、三十数年ぶりの「再会」だった。 「おお、目黒か。久しぶりやないか!」 「お久しぶりです。お元気ですか?」 話を聞くと、都内大規模店の支店長になっているという。支店長としても3店目だそうだ。この先輩は私の1年上。当時はとんでもない問題児だった。営業中に昼寝をし、集金の約束をすっぽかし、私がその尻拭いに行かされた。「融資の稟議書を手伝え」と言われて先輩の寮部屋に徹夜で缶詰め。麻雀のメンツが足りないと駆り出され…。ろくでもない思い出ばかりなのだが、その先輩が今では大規模店の支店長を歴任している。 「先輩、随分ご活躍のようですね? すごいじゃないですか!」 「わしか? たまたまや。運が良かっただけや。目黒は預金課長か、苦労したなあ。お前なんか真面目やし、もっと偉くなると思ってたわ。まあ、運よ、運。奥さんによろしくな」 豪快さだけは相変わらず。30年の年月が彼を変えたのか、それとも言葉そのまま運が良かっただけなのか』、「この先輩は私の1年上。当時はとんでもない問題児だった。営業中に昼寝をし、集金の約束をすっぽかし、私がその尻拭いに行かされた。「融資の稟議書を手伝え」と言われて先輩の寮部屋に徹夜で缶詰め。麻雀のメンツが足りないと駆り出され…。ろくでもない思い出ばかりなのだが、その先輩が今では大規模店の支店長を歴任している」、なるほど。
・『入行3年目の社員が退職を決めた理由  ところで最近の若手社員の中には、処遇は改善された方がうれしいが、昇進・昇格を必ずしも望んでいない者が少なからずいるようだ。給料は高いに越したことがないが、責任は取りたくない。全く都合のいい話だが、私のような老いぼれた中間管理職を見ていれば、そう思われても仕方がないのかもしれない。ましてや、支店長を目指すなど考えるわけもないだろう。 すでに、仕事に対する考え方がこの30年で大きく変わっている。銀行で仕事をするなら、いつかは支店長になりたいと考えていた時代ではなくなっている。それにしがみついているのは、バブル入行組か崩壊後間もなく入行した世代であり、若い世代の考え方は極めてドライだ。これも、政府が目指す働き方改革の波なのか。 先月、入行3年目の法人営業担当者がデスクにいる私へ声をかけてきた。 「課長、今ちょっといいですか? 私、今月退職することになりました」 「えっ? 随分突然だな。それでこれからどうするんだ?転職か?」 「はい、外資系のコンサル会社に転職します」 「コンサルかあ。うちの銀行でもできたんじゃないか?そういう部署、うちにもあるよな?」 「キャリア公募で申し込んでも、その部署に行ける保証はないですもん。それに、1年後になるのか、もっと後か…そうなると待ちきれませんね。そこに行けたとしても、やりたいことをやらせてもらえるとは限りませんし。今までやらされてきたことを考えると、とてもじゃないけれど希望が通ると思えません。どうせまともに評価されてませんしね」 「評価って言うけど、キミはまだ2~3年しか働いてないじゃないか。仕えた支店長だって2人だろ? 将来、キミを買ってくれる支店長が現れるかもしれないぜ?」 今、評価されなきゃ意味がないんですよ。だから、評価してもらえる会社に転職します」 「その会社で評価されなかったら、どうするのさ」 「そういうことはあまり考えないですね。この銀行に入る時もそうでしたし。また転職したらいいじゃないですか? 少なくとも、今の支店長みたいな人がいない会社に行きたいですね。そろそろ行きます。課長もお元気で。お世話になりました」 「おう、頑張れよ。近くに来たら寄ってけよ」 「あはは、たぶん来ませんよ。それじゃ」 それが彼と会った最後だった。 長くても2年で支店長が異動する環境だ。それこそ最大の魅力であり、自分次第で敗者復活のチャンスはいくらでもあるはずなのだが、退職を選択したのはよほど我慢がならなかったのだろう。 支店長が喜ぶ成果を上げれば、いいことがあると信じていた昭和時代。一方、部下が支店長を見下し、支店長も部下の将来など露とも思わない令和時代。全てが全て、こんな支店長や若手ばかりではないが、30年の年月をこの会社一筋でやってきた自分としては、このギャップに強い違和感を覚える。昔の常識はもう通用しない世の中になっているんだと痛感している。 ただし、この若手が支店長に失望し退職していったように、やはり支店長の存在というのは大きい。それだけはいつの時代になっても、いい意味でも悪い意味でも変わらないのだ』、「支店長が喜ぶ成果を上げれば、いいことがあると信じていた昭和時代。一方、部下が支店長を見下し、支店長も部下の将来など露とも思わない令和時代。全てが全て、こんな支店長や若手ばかりではないが、30年の年月をこの会社一筋でやってきた自分としては、このギャップに強い違和感を覚える。昔の常識はもう通用しない世の中になっているんだと痛感している」、なるほど。
・『自分ファーストな支店長が人事権を握ることの危険性  2000年代後半、自ら応募して支店長などの希望するポストに立候補する人事制度が始まり、たくさんの副支店長や課長が名乗りを挙げて支店長になった。この制度を使ってトップ出世で支店長になるのが、最年少で30代半ば。ぼちぼち、平成生まれの支店長も現れるだろうし、すでに登場しているのかもしれない。 30代半ばというのは、恥ずかしながら私がやっと課長代理になれた年だ。そこからさらに数年かかって課長になった。やっと自分も人並みなところに追いついたかと思いきや、営業職を解かれ失意の底に沈んだのが40代前半。 自ら支店長にチャレンジするからか、立候補者には優秀な者が多い。また、経験が浅くても持ち前のバイタリティーでカバーし、忠誠心の高い三本槍(やり)だか何本槍だかの「軍師」や「家臣」が就くことで、支店という組織は順回転する。正に「職位は人を育てる」という言葉が当てはまる。早く支店長になれば、それだけ多くの支店に支店長として着任できる。40代前半ともなれば、2~3店の支店長を歴任して、さらに上位職を展望できよう。 問題は、支店長が優秀ではない場合だ。ただのバカ殿、自分ファーストな支店長であれば、部下の将来的なキャリア形成を考慮した指導育成などするわけがない。自分の上司である支店長が評価し薦めてくれたことを忘れ、自分の実力で支店長になれたと勘違いしているからだ。 そのような者に人事権を与えるのは、幼児に刃物を持たせるに等しい。部下を生かすも殺すもその支店長に気に入られるかにかかってくるのは、あまりに危険だと感じる』、「ただのバカ殿、自分ファーストな支店長であれば、部下の将来的なキャリア形成を考慮した指導育成などするわけがない。自分の上司である支店長が評価し薦めてくれたことを忘れ、自分の実力で支店長になれたと勘違いしているからだ。 そのような者に人事権を与えるのは、幼児に刃物を持たせるに等しい。部下を生かすも殺すもその支店長に気に入られるかにかかってくるのは、あまりに危険だと感じる」、その通りだ。
・『銀行での出世の明暗を分けるのは能力ではない  私の働くメガバンクでは、公務員のような昇進試験はない。支店長が全権を握り、部下たちの評価を下している。このような状況であれば、とにかく支店長に気に入られる行動を取るしかない。気に入られなかったら終わり。支店長の在任期間はおおむね2年。その間は足踏みしかない。 支店長が代われども足踏みが続けば、先が見えてくる。退職までの残りの年数が近づいてくると、最後の職位はどのくらいで終わるのか、大体分かってくる。課長で終わるのか副支店長で終わるのか。退職金だって数百万円は変わるらしいし、企業年金の支給額も違うと聞いた。苦労した者が正当に報われないのは極めて残念だ。 …そんなにつらい毎日だったなら、そんなに不遇な評価を受けてきたと思っているなら、もっと早く辞めていればよかったじゃないか? それも正解だ。しかし私は、転職を選ばなかった。拙著『メガバンク銀行員ぐだぐだ日記』にも詳しく記したが、銀行には暗黙の「5年ルール」がある。顧客との癒着による不正を回避すべく、営業職であろうとも事務職であろうとも、5年以内に人事異動となり、他部署や他支店へ転勤となる。それが転職みたいなものだと、自分に言い聞かせていたのもある。 私がこの銀行に入行してから四半世紀。今数えてみたところ、10回前後の転勤を経て20人ほどの支店長に仕えた。相性が合うか合わないかを確率論で考えれば50:50のはずだったのだが…。 自分自身で言うのもおこがましいが、私のことを高く評価し、人事異動で着実にステップアップさせてくれた支店長はおおよそ4分の1弱。反対に、残念な人事異動を命じた支店長はおおよそ4分の1強。致命的なタイミングで出会ってしまい出世レースに乗り遅れ、最後には支店長への道からも外されてしまった。残りの2分の1には、どうとも思われていなかったようだ。それもまたつらいといえばつらい。 私を高く評価してくれた4分の1弱の支店長が、いいタイミングで私を評価していたら、もっと早く課長を卒業したかもしれない。逆に、悪い評価を下した4分の1強の支店長が最悪なタイミングで低評価を与えたら、私はいまだヒラ社員だったかもしれない。 当たり前のことだが、出会いは運以外の何ものでもない。部下と相性が合わなければ、支店長は服を着替えるように異動させることができるが、部下は支店長を選ぶことはできない。もっとも、我慢しかねて支店長をパワハラで訴えて退ける猛者が現れたのも、時代の波か。 このような環境であり、残念ながら銀行で出世するための方法など、これといった妙案は見当たらない。要領よく調子のいいことばかり言ってとんとん拍子に昇格していく者もいれば、性格のいいヤツが損な役回りばかり背負わされ、浮かばれない銀行員人生を過ごす人もいる。 明暗を分け隔てたものは何か。人間の能力で言えば、そんなに大きな差はないはずだ。やはり、支店長の影響がかなり大きいと痛感する。まあ、私がこんなことを言うのも負け犬の遠ぼえにしかならないが。 そんな事を感じつつ、私は今日も明日もこの銀行で勤務する。つらいことも喜びもあった。この銀行に感謝している』、「私を高く評価してくれた4分の1弱の支店長が、いいタイミングで私を評価していたら、もっと早く課長を卒業したかもしれない。逆に、悪い評価を下した4分の1強の支店長が最悪なタイミングで低評価を与えたら、私はいまだヒラ社員だったかもしれない。 当たり前のことだが、出会いは運以外の何ものでもない・・・明暗を分け隔てたものは何か。人間の能力で言えば、そんなに大きな差はないはずだ。やはり、支店長の影響がかなり大きいと痛感する。まあ、私がこんなことを言うのも負け犬の遠ぼえにしかならないが。 そんな事を感じつつ、私は今日も明日もこの銀行で勤務する。つらいことも喜びもあった。この銀行に感謝している」、最後の部分はホットさせられる。
タグ:ダイヤモンド・オンライン 「「靭帯損傷の人は1カ月は休まないといけないのに2週間程度で無理やり出勤させられていました。コロナの人は4~5日休んで、まだ体調が悪いのに“人がいないから出てくれ”と言われて出てきていました。普段は“無理するな”とか“安全第一”と言うのに、いざ何か起こると“みんな無理して出てきているんだから出てこい”と命じてくるのです」。コロナの場合は、完治せずに出勤すれば、感染を広げてしまうだけだ。 「坂で停めていたトラックが動いてしまい、ひかれて足を骨折した人の場合、代わりのドライバーは用意してもらえたものの、“道が分かるお前も乗ってろ”と上司に言われ、骨が折れているのに助手席に乗ってその日の配送が終わるまで働かされていました」、応急手当はした上であっても、予後安静できず、かえって最終的な治療期間が遅くなる懸念もある。 「車で通勤中に追突されたので上司に連絡して“警察呼びます”と言ったら、“いや、そのまま出勤してくれ”と命じられたこともあります」、警察での事故処理をせずに済ませたのであれば、問題だ。「「股関節に痛みがあったのに無理やり出勤させられ、仕事中、あまりに痛いので病院に行ったら大腿骨が折れていた、という人がいました」、信じ難いような話だ。 デイリー新潮「「勤務中に肋骨3本を折ったのに“1カ月で出社しろ”と…」 山崎製パンの“凄絶ブラック労働”の実態 「コロナにかかったのに強制出勤」も」 (その17)(「勤務中に肋骨3本を折ったのに“1カ月で出社しろ”と…」 山崎製パンの“凄絶ブラック労働”の実態 「コロナにかかったのに強制出勤」も、銀行で課長止まりの私と 支店長3店目の1年上の先輩…「出世の明暗」分けたのは?) ブラック企業 目黒冬弥氏による「銀行で課長止まりの私と、支店長3店目の1年上の先輩…「出世の明暗」分けたのは?」 「この先輩は私の1年上。当時はとんでもない問題児だった。営業中に昼寝をし、集金の約束をすっぽかし、私がその尻拭いに行かされた。「融資の稟議書を手伝え」と言われて先輩の寮部屋に徹夜で缶詰め。麻雀のメンツが足りないと駆り出され…。ろくでもない思い出ばかりなのだが、その先輩が今では大規模店の支店長を歴任している」、なるほど。 「支店長が喜ぶ成果を上げれば、いいことがあると信じていた昭和時代。一方、部下が支店長を見下し、支店長も部下の将来など露とも思わない令和時代。全てが全て、こんな支店長や若手ばかりではないが、30年の年月をこの会社一筋でやってきた自分としては、このギャップに強い違和感を覚える。昔の常識はもう通用しない世の中になっているんだと痛感している」、なるほど。 「ただのバカ殿、自分ファーストな支店長であれば、部下の将来的なキャリア形成を考慮した指導育成などするわけがない。自分の上司である支店長が評価し薦めてくれたことを忘れ、自分の実力で支店長になれたと勘違いしているからだ。 そのような者に人事権を与えるのは、幼児に刃物を持たせるに等しい。部下を生かすも殺すもその支店長に気に入られるかにかかってくるのは、あまりに危険だと感じる」、その通りだ。 「私を高く評価してくれた4分の1弱の支店長が、いいタイミングで私を評価していたら、もっと早く課長を卒業したかもしれない。逆に、悪い評価を下した4分の1強の支店長が最悪なタイミングで低評価を与えたら、私はいまだヒラ社員だったかもしれない。 当たり前のことだが、出会いは運以外の何ものでもない・・・明暗を分け隔てたものは何か。人間の能力で言えば、そんなに大きな差はないはずだ。やはり、支店長の影響がかなり大きいと痛感する。 まあ、私がこんなことを言うのも負け犬の遠ぼえにしかならないが。 そんな事を感じつつ、私は今日も明日もこの銀行で勤務する。つらいことも喜びもあった。この銀行に感謝している」、最後の部分はホットさせられる。
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