原発問題(その24)(NHKメルトダウン取材班後半2題:「福島第一原発事故」の「緊急記者会見」を遮った「東京電力社員の怒声」の衝撃的な内容、「お前、うるせえ 官邸が もうグジグジ言ってんだよ」…福島第一原発への「海水注入」をめぐる「緊迫したやり取り」)) [国内政治]
昨日に続き、原発問題(その24)(NHKメルトダウン取材班後半2題:「福島第一原発事故」の「緊急記者会見」を遮った「東京電力社員の怒声」の衝撃的な内容、「お前、うるせえ 官邸が もうグジグジ言ってんだよ」…福島第一原発への「海水注入」をめぐる「緊迫したやり取り」))を取上げよう。
先ずは、本年3月10日付け現代ビジネスが掲載したNHKメルトダウン取材班による「「福島第一原発事故」の「緊急記者会見」を遮った「東京電力社員の怒声」の衝撃的な内容」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/124773?imp=0
・『東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。今回、その文庫化にあたって、収録内容を一部抜粋して紹介する』、興味深そうだ。
・『午前3時 霞が関 紛糾する会見 1号機爆発まで12時間36分 午前3時すぎ。霞が関の経済産業省で、東京電力が緊急の記者会見を始めた。会見に臨んだのは本店対策本部の代表代行の小森だった。経産大臣の海江田と保安院院長の寺坂も陪席した。 小森は、開口一番、ベントを実施すると述べ、「午前3時くらいを目安に速やかに手順を踏めるように現場には指示しています」と語った。
すかさず、記者から疑問の声があがった。 「3時って、もう3時ですよ」 すでに午前3時を10分回っていた。 小森は「目安としては早くて3時くらいからできるように準備をしておりますので、少し戻って段取りを確認してから……」と返すのがやっとだった。 当初、東京電力は、午前3時を目標にベントをすると考えていたが、準備をしているうちに、あっという間に午前3時になっていたのだ。 小森はベントについて説明を続けた。 「まずは2号機について圧力の降下をするというふうに考えております。2号機は、夕方くらいから、原子炉に給水するポンプの作動状況がかなり見えない状況になっています」 にわかに会見場がざわついた。 記者の誰もが、1号機の格納容器の圧力が異常上昇したので、当然、1号機からベントすると思っていたからだ。混乱する記者から矢継ぎ早に質問が飛んだ。 「まず、1号機ではないのですか?」 「今、1号機の話をしているんじゃないの?」 小森が答える。 「圧力が上がっているのは、1号機でございますが、1号機も2倍にいっているわけでなくて……。注水機能がブラインドに(見えなく)なっている時間が長い2号機のほうが本当かと疑っていくべきだと」 1号機の格納容器の圧力は8.4気圧。設計時に想定した最高圧力の5.28気圧の2倍までには達していないため、まだ猶予がある。むしろ全電源喪失以降、注水が確認できていない2号機のほうに不安要素があるという説明だった。 しかし、8.4気圧は通常、格納容器にかかる圧力のおよそ8倍にあたる異常な値である。納得できない記者から、質問が投げかけられる。 「1号機は、もうレット・イット・ゴー(対応必要)の状態なんですよね。2号機はなぜですか? 突然、出たのでびっくりです」 小森はあくまで2号機の危機を強調する。 「本当に給水できているかどうかというのが、一番最初に怪しくなったプラントが2号機です」 「我々が技術的に理解しているものから見て、なかなか説明がつかないというのが2号機であります」 会見が始まる直前の午前2時半すぎ、免震棟と本店は2号機のベントを優先する方針を決めていた。1号機のベント弁を開ける作業は、高い放射線量のため、準備に時間がかかる。1号機は深刻な状況にあるが後回しにして、まず放射線量が高くなく、作業が可能な2号機からベントを実施するという戦略だった。しかし、刻々と変わる情報の中で、小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた。その後も、小森は繰り返し、1号機ではなく、2号機が危機的状況にあることをことさらに強調するという奇妙な説明を続けた。納得できない記者の質問が、次第に詰問調になり、記者会見は紛糾し始めた。) 会見が始まって30分近くが経った頃だった。突然、東京電力の原子力担当の社員が会見を遮り、怒鳴るように告げた。 「今、入った情報でございますけど、現場で、RCICという設備で2号機に水が入っていたことが確認できたという話が、今入りました! 申し訳ありません」 午前2時55分に、2号機の原子炉建屋に入っていた運転員が、RCICの作動を確認したという情報が、免震棟の吉田から東京の本店を経由して、ようやく経済産業省の会見場に届いたのだった。 すかさず、記者から確認の質問が飛んだ。 「それを受けて2号機からやるか1号機からやるか判断し直すということですね」 「そういうことですね。申し訳ございません。申し訳ございません」 一転して2号機ではなく、1号機の危機がクローズアップされてくる。錯綜する情報に小森は、翻弄されるばかりだった。 さらに連載記事<1号機爆発まで24時間50分…東日本大震災が発生した「まさにその瞬間」の「福島第一原発」の「あまりに緊迫した状況」>では、発災直後の緊迫した様子を詳細に語っています。 *本記事の抜粋元・NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 検証編』では、福島第一原発事故を13年にわたって検証取材してきた内容を報告書としてまとめています。ぜひお買い求めください』、会見が始まる直前の午前2時半すぎ、免震棟と本店は2号機のベントを優先する方針を決めていた。1号機のベント弁を開ける作業は、高い放射線量のため、準備に時間がかかる。1号機は深刻な状況にあるが後回しにして、まず放射線量が高くなく、作業が可能な2号機からベントを実施するという戦略だった」、これであれば、「2号機のベントを優先する方針」は問題なく、記者会見でも通っていただろう。「しかし、刻々と変わる情報の中で、小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた。その後も、小森は繰り返し、1号機ではなく、2号機が危機的状況にあることをことさらに強調するという奇妙な説明を続けた。納得できない記者の質問が、次第に詰問調になり、記者会見は紛糾し始めた」、記者会見での説明役の「小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた」、のであれば、「記者」が納得する筈はなく、紛糾の度を増すばかりだった。これは、完全に「東電」側の致命的な手落ちだ。
次に、3月17日付け現代ビジネスが掲載したNHKメルトダウン取材班による「「お前、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」…福島第一原発への「海水注入」をめぐる「緊迫したやり取り」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/124776?imp=0
・『東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。今回、その文庫化にあたって、収録内容を一部抜粋して紹介する』、興味深そうだ。
・『吉田の英断 海水注入騒動 免震棟では、水素爆発をした1号機に、現場が被ばくの危険を冒しながら粘り強く敷設し直した消防ホースを通じて、午後7時4分から海水注入が始まったことに安堵の空気が流れていた。水素爆発から4時間、絶望の淵からなんとか這い上がった。荒れ狂う原子炉をなだめようとする長い闘いが再び幕を開けた。その現場を率いる吉田は、次なる指揮をどうすべきか休む間もなく目まぐるしく頭を働かせていた。 午後7時25分。その吉田に電話が入った。総理官邸にいた武黒からだった。 「お前、海水注入は?」 「やってますよ」 「えっ?」 「もう始まってますから」 「おいおい、やってんのか。止めろ」 「何でですか?」 「お前、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」 「何言ってんですか」 電話は、そこで唐突に切れた。 吉田は、すぐにテレビ会議を通じて本店に武黒からの電話を短く報告し、本店は聞いているのかと尋ねた。) 本店は、武黒から同じ趣旨の連絡があったと話したうえで、ちょっと判断を曖昧にしていると含みを持たせる言い方をした。吉田は、一瞬、この話を本店の判断で握りつぶそうとしているのかと思った。しかし、本店は「官邸が言っているならしようがない」と言い出した。でも、午後7時すぎから海水注入はすでに始まっている。本店は、試験注入という位置づけにしようと提案してきた。ホースを繋いだ注水ラインが生きているかどうかを確かめる試験注入をしていたが、その後止めて、本当の注入を始めるかどうか判断を待っていた。そういう話にしよう。官邸の意向に沿って事実を書き換えて辻褄を合わせる。組織に染み付いた処世術が編み出すいつもながらの知恵だった。 だけど、と吉田は思った。すでに一度できている注入をやめて、もし事態が悪くなったら、誰が責任をとるのか。吉田は自問自答した。本来、本店が止めろというなら、そこで議論できるが、まったく脇にいるはずの官邸から電話までかかってきてやめろというのは、一体何なのか。指揮命令系統が完全に崩れている。これは、もう最後は自分の判断だ。吉田は腹をくくった。 現場の、部下の命を守るのは所長である自分しかいない。吉田は、消防注水を担当している防災班長のそばに歩み寄り、周りには聞こえないように小声で囁いた。 「ここで海水注入を中止するとテレビ会議で命令するが、絶対に中止しては駄目だ」 防災班長は、身体を固くして頷いた。次の瞬間、吉田は、テレビ会議のマイクに口を近づけ、免震棟中に響き渡るような大声で本店に向かって言った。 「海水注入を中止する!」 テレビ会議を見ていた本店はもちろん免震棟の誰もが吉田の命令を微塵(み じん)も疑うことなく聞いていた。 午後7時55分。官邸では、班目や武黒らが菅に改めて海水注入の必要性とリスク対策を説き、菅も納得した。 午後8時10分。武黒から吉田に海水注入を開始してよいという連絡が入った。午後8時20分。吉田は素知らぬ顔をしてテレビ会議に向かって大声で「海水注入を開始する」と指示を出した。しかし実際には、午後7時すぎから1時間あまりの間、海水注入は一度も中断されることなく、ずっと続けられていたのである。これが、後に語り継がれる海水注入騒動の一部始終だった。 事故後、この顛末が明らかにされると、1号機の事態悪化を食い止めた英断だと、日本中が吉田に喝采を送った。一方、官邸や本店の意思決定の乱れは、様々な角度から検証され、悪しき現場介入と批判された。 海水注入騒動は、吉田の名を一躍あげた。しかし、事故から5年半がたった2016年9月、思わぬ後日譚が明らかにされた。 日本原子力学会で、事故後長く原子炉の注水を分析してきた国際廃炉研究開発機構が最新の研究結果を発表した。その発表は、1号機への注水は、注水ルートを変更した3月23日までは、原子炉冷却への寄与はほぼゼロであるというものだった。にわかには信じがたい解析結果だった。3月12日の時点では、1号機への注水は、配管の様々な箇所から漏洩し、ほぼ原子炉に届いていなかったり、メルトダウンした核燃料に注がれていなかったりして、冷却にほぼ寄与していなかったというのである。実は、これより2年前の2014年8月に東京電力が事故をめぐる未解明事項の2回目の検証結果を発表した際、1号機の消防注水は、原子炉に通じる一本道の注水ラインの10ヵ所で水漏れしていたという見解を明らかにしていた。国際廃炉研究開発機構が発表した1号機への注水が3月23日までほぼ原子炉に届いていなかったという研究結果は、東京電力の消防注水の水漏れの検証結果をさらに進めたもので、より衝撃的な結果だった。 その後、NHKと専門家が「サンプソン」を使って行ったシミュレーションでも同様の結果が出たことから、3月12日から23日まで1号機の原子炉へ水がほぼ入っていなかったことは、定説になりつつある。 吉田が、菅が、武黒が、はからずもそれぞれの生き様をあらわにして必死に考え、行動した結果が織りなした海水注入騒動。しかし、膨大な核のエネルギーを放つ原子炉は、人間の意思をまったく超えたところで、事態をさらに悪化させていたのである。 さらに連載記事<1号機爆発まで24時間50分…東日本大震災が発生した「まさにその瞬間」の「福島第一原発」の「あまりに緊迫した状況」>では、発災直後の緊迫した様子を詳細に語っています。 *本記事の抜粋元・NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 検証編』では、福島第一原発事故を13年にわたって検証取材してきた内容を報告書としてまとめています。ぜひお買い求めください』、「本来、本店が止めろというなら、そこで議論できるが、まったく脇にいるはずの官邸から電話までかかってきてやめろというのは、一体何なのか。指揮命令系統が完全に崩れている。これは、もう最後は自分の判断だ。吉田は腹をくくった。 現場の、部下の命を守るのは所長である自分しかいない。吉田は、消防注水を担当している防災班長のそばに歩み寄り、周りには聞こえないように小声で囁いた。 「ここで海水注入を中止するとテレビ会議で命令するが、絶対に中止しては駄目だ」 防災班長は、身体を固くして頷いた。次の瞬間、吉田は、テレビ会議のマイクに口を近づけ、免震棟中に響き渡るような大声で本店に向かって言った。 「海水注入を中止する!」 テレビ会議を見ていた本店はもちろん免震棟の誰もが吉田の命令を微塵(み じん)も疑うことなく聞いていた。 午後7時55分。官邸では、班目や武黒らが菅に改めて海水注入の必要性とリスク対策を説き、菅も納得した。 午後8時10分。武黒から吉田に海水注入を開始してよいという連絡が入った。午後8時20分。吉田は素知らぬ顔をしてテレビ会議に向かって大声で「海水注入を開始する」と指示を出した。しかし実際には、午後7時すぎから1時間あまりの間、海水注入は一度も中断されることなく、ずっと続けられていたのである。これが、後に語り継がれる海水注入騒動の一部始終だった。 事故後、この顛末が明らかにされると、1号機の事態悪化を食い止めた英断だと、日本中が吉田に喝采を送った。一方、官邸や本店の意思決定の乱れは、様々な角度から検証され、悪しき現場介入と批判された。 海水注入騒動は、吉田の名を一躍あげた」、「吉田所長」もなかなかの役者だ。3月12日の時点では、1号機への注水は、配管の様々な箇所から漏洩し、ほぼ原子炉に届いていなかったり、メルトダウンした核燃料に注がれていなかったりして、冷却にほぼ寄与していなかったというのである・・・1号機の消防注水は、原子炉に通じる一本道の注水ラインの10ヵ所で水漏れしていたという見解を明らかにしていた。国際廃炉研究開発機構が発表した1号機への注水が3月23日までほぼ原子炉に届いていなかったという研究結果は、東京電力の消防注水の水漏れの検証結果をさらに進めたもので、より衝撃的な結果だった・・・3月12日から23日まで1号機の原子炉へ水がほぼ入っていなかったことは、定説になりつつある。 吉田が、菅が、武黒が、はからずもそれぞれの生き様をあらわにして必死に考え、行動した結果が織りなした海水注入騒動。しかし、膨大な核のエネルギーを放つ原子炉は、人間の意思をまったく超えたところで、事態をさらに悪化させていたのである」、情報が限定されたなかでの人間の判断が如何に頼りないものであるかを如実に示した。やはり、原子力発電は、人間の手には負えないものと考えるべきだ。
先ずは、本年3月10日付け現代ビジネスが掲載したNHKメルトダウン取材班による「「福島第一原発事故」の「緊急記者会見」を遮った「東京電力社員の怒声」の衝撃的な内容」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/124773?imp=0
・『東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。今回、その文庫化にあたって、収録内容を一部抜粋して紹介する』、興味深そうだ。
・『午前3時 霞が関 紛糾する会見 1号機爆発まで12時間36分 午前3時すぎ。霞が関の経済産業省で、東京電力が緊急の記者会見を始めた。会見に臨んだのは本店対策本部の代表代行の小森だった。経産大臣の海江田と保安院院長の寺坂も陪席した。 小森は、開口一番、ベントを実施すると述べ、「午前3時くらいを目安に速やかに手順を踏めるように現場には指示しています」と語った。
すかさず、記者から疑問の声があがった。 「3時って、もう3時ですよ」 すでに午前3時を10分回っていた。 小森は「目安としては早くて3時くらいからできるように準備をしておりますので、少し戻って段取りを確認してから……」と返すのがやっとだった。 当初、東京電力は、午前3時を目標にベントをすると考えていたが、準備をしているうちに、あっという間に午前3時になっていたのだ。 小森はベントについて説明を続けた。 「まずは2号機について圧力の降下をするというふうに考えております。2号機は、夕方くらいから、原子炉に給水するポンプの作動状況がかなり見えない状況になっています」 にわかに会見場がざわついた。 記者の誰もが、1号機の格納容器の圧力が異常上昇したので、当然、1号機からベントすると思っていたからだ。混乱する記者から矢継ぎ早に質問が飛んだ。 「まず、1号機ではないのですか?」 「今、1号機の話をしているんじゃないの?」 小森が答える。 「圧力が上がっているのは、1号機でございますが、1号機も2倍にいっているわけでなくて……。注水機能がブラインドに(見えなく)なっている時間が長い2号機のほうが本当かと疑っていくべきだと」 1号機の格納容器の圧力は8.4気圧。設計時に想定した最高圧力の5.28気圧の2倍までには達していないため、まだ猶予がある。むしろ全電源喪失以降、注水が確認できていない2号機のほうに不安要素があるという説明だった。 しかし、8.4気圧は通常、格納容器にかかる圧力のおよそ8倍にあたる異常な値である。納得できない記者から、質問が投げかけられる。 「1号機は、もうレット・イット・ゴー(対応必要)の状態なんですよね。2号機はなぜですか? 突然、出たのでびっくりです」 小森はあくまで2号機の危機を強調する。 「本当に給水できているかどうかというのが、一番最初に怪しくなったプラントが2号機です」 「我々が技術的に理解しているものから見て、なかなか説明がつかないというのが2号機であります」 会見が始まる直前の午前2時半すぎ、免震棟と本店は2号機のベントを優先する方針を決めていた。1号機のベント弁を開ける作業は、高い放射線量のため、準備に時間がかかる。1号機は深刻な状況にあるが後回しにして、まず放射線量が高くなく、作業が可能な2号機からベントを実施するという戦略だった。しかし、刻々と変わる情報の中で、小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた。その後も、小森は繰り返し、1号機ではなく、2号機が危機的状況にあることをことさらに強調するという奇妙な説明を続けた。納得できない記者の質問が、次第に詰問調になり、記者会見は紛糾し始めた。) 会見が始まって30分近くが経った頃だった。突然、東京電力の原子力担当の社員が会見を遮り、怒鳴るように告げた。 「今、入った情報でございますけど、現場で、RCICという設備で2号機に水が入っていたことが確認できたという話が、今入りました! 申し訳ありません」 午前2時55分に、2号機の原子炉建屋に入っていた運転員が、RCICの作動を確認したという情報が、免震棟の吉田から東京の本店を経由して、ようやく経済産業省の会見場に届いたのだった。 すかさず、記者から確認の質問が飛んだ。 「それを受けて2号機からやるか1号機からやるか判断し直すということですね」 「そういうことですね。申し訳ございません。申し訳ございません」 一転して2号機ではなく、1号機の危機がクローズアップされてくる。錯綜する情報に小森は、翻弄されるばかりだった。 さらに連載記事<1号機爆発まで24時間50分…東日本大震災が発生した「まさにその瞬間」の「福島第一原発」の「あまりに緊迫した状況」>では、発災直後の緊迫した様子を詳細に語っています。 *本記事の抜粋元・NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 検証編』では、福島第一原発事故を13年にわたって検証取材してきた内容を報告書としてまとめています。ぜひお買い求めください』、会見が始まる直前の午前2時半すぎ、免震棟と本店は2号機のベントを優先する方針を決めていた。1号機のベント弁を開ける作業は、高い放射線量のため、準備に時間がかかる。1号機は深刻な状況にあるが後回しにして、まず放射線量が高くなく、作業が可能な2号機からベントを実施するという戦略だった」、これであれば、「2号機のベントを優先する方針」は問題なく、記者会見でも通っていただろう。「しかし、刻々と変わる情報の中で、小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた。その後も、小森は繰り返し、1号機ではなく、2号機が危機的状況にあることをことさらに強調するという奇妙な説明を続けた。納得できない記者の質問が、次第に詰問調になり、記者会見は紛糾し始めた」、記者会見での説明役の「小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた」、のであれば、「記者」が納得する筈はなく、紛糾の度を増すばかりだった。これは、完全に「東電」側の致命的な手落ちだ。
次に、3月17日付け現代ビジネスが掲載したNHKメルトダウン取材班による「「お前、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」…福島第一原発への「海水注入」をめぐる「緊迫したやり取り」」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/124776?imp=0
・『東日本壊滅はなぜ免れたのか? 取材期間13年、のべ1500人以上の関係者取材で浮かび上がった衝撃的な事故の真相。他の追随を許さない圧倒的な情報量と貴重な写真資料を収録した、単行本『福島第一原発事故の「真実」』は、2022年「科学ジャーナリスト大賞」受賞するなど、各種メディアで高く評価された。今回、その文庫化にあたって、収録内容を一部抜粋して紹介する』、興味深そうだ。
・『吉田の英断 海水注入騒動 免震棟では、水素爆発をした1号機に、現場が被ばくの危険を冒しながら粘り強く敷設し直した消防ホースを通じて、午後7時4分から海水注入が始まったことに安堵の空気が流れていた。水素爆発から4時間、絶望の淵からなんとか這い上がった。荒れ狂う原子炉をなだめようとする長い闘いが再び幕を開けた。その現場を率いる吉田は、次なる指揮をどうすべきか休む間もなく目まぐるしく頭を働かせていた。 午後7時25分。その吉田に電話が入った。総理官邸にいた武黒からだった。 「お前、海水注入は?」 「やってますよ」 「えっ?」 「もう始まってますから」 「おいおい、やってんのか。止めろ」 「何でですか?」 「お前、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」 「何言ってんですか」 電話は、そこで唐突に切れた。 吉田は、すぐにテレビ会議を通じて本店に武黒からの電話を短く報告し、本店は聞いているのかと尋ねた。) 本店は、武黒から同じ趣旨の連絡があったと話したうえで、ちょっと判断を曖昧にしていると含みを持たせる言い方をした。吉田は、一瞬、この話を本店の判断で握りつぶそうとしているのかと思った。しかし、本店は「官邸が言っているならしようがない」と言い出した。でも、午後7時すぎから海水注入はすでに始まっている。本店は、試験注入という位置づけにしようと提案してきた。ホースを繋いだ注水ラインが生きているかどうかを確かめる試験注入をしていたが、その後止めて、本当の注入を始めるかどうか判断を待っていた。そういう話にしよう。官邸の意向に沿って事実を書き換えて辻褄を合わせる。組織に染み付いた処世術が編み出すいつもながらの知恵だった。 だけど、と吉田は思った。すでに一度できている注入をやめて、もし事態が悪くなったら、誰が責任をとるのか。吉田は自問自答した。本来、本店が止めろというなら、そこで議論できるが、まったく脇にいるはずの官邸から電話までかかってきてやめろというのは、一体何なのか。指揮命令系統が完全に崩れている。これは、もう最後は自分の判断だ。吉田は腹をくくった。 現場の、部下の命を守るのは所長である自分しかいない。吉田は、消防注水を担当している防災班長のそばに歩み寄り、周りには聞こえないように小声で囁いた。 「ここで海水注入を中止するとテレビ会議で命令するが、絶対に中止しては駄目だ」 防災班長は、身体を固くして頷いた。次の瞬間、吉田は、テレビ会議のマイクに口を近づけ、免震棟中に響き渡るような大声で本店に向かって言った。 「海水注入を中止する!」 テレビ会議を見ていた本店はもちろん免震棟の誰もが吉田の命令を微塵(み じん)も疑うことなく聞いていた。 午後7時55分。官邸では、班目や武黒らが菅に改めて海水注入の必要性とリスク対策を説き、菅も納得した。 午後8時10分。武黒から吉田に海水注入を開始してよいという連絡が入った。午後8時20分。吉田は素知らぬ顔をしてテレビ会議に向かって大声で「海水注入を開始する」と指示を出した。しかし実際には、午後7時すぎから1時間あまりの間、海水注入は一度も中断されることなく、ずっと続けられていたのである。これが、後に語り継がれる海水注入騒動の一部始終だった。 事故後、この顛末が明らかにされると、1号機の事態悪化を食い止めた英断だと、日本中が吉田に喝采を送った。一方、官邸や本店の意思決定の乱れは、様々な角度から検証され、悪しき現場介入と批判された。 海水注入騒動は、吉田の名を一躍あげた。しかし、事故から5年半がたった2016年9月、思わぬ後日譚が明らかにされた。 日本原子力学会で、事故後長く原子炉の注水を分析してきた国際廃炉研究開発機構が最新の研究結果を発表した。その発表は、1号機への注水は、注水ルートを変更した3月23日までは、原子炉冷却への寄与はほぼゼロであるというものだった。にわかには信じがたい解析結果だった。3月12日の時点では、1号機への注水は、配管の様々な箇所から漏洩し、ほぼ原子炉に届いていなかったり、メルトダウンした核燃料に注がれていなかったりして、冷却にほぼ寄与していなかったというのである。実は、これより2年前の2014年8月に東京電力が事故をめぐる未解明事項の2回目の検証結果を発表した際、1号機の消防注水は、原子炉に通じる一本道の注水ラインの10ヵ所で水漏れしていたという見解を明らかにしていた。国際廃炉研究開発機構が発表した1号機への注水が3月23日までほぼ原子炉に届いていなかったという研究結果は、東京電力の消防注水の水漏れの検証結果をさらに進めたもので、より衝撃的な結果だった。 その後、NHKと専門家が「サンプソン」を使って行ったシミュレーションでも同様の結果が出たことから、3月12日から23日まで1号機の原子炉へ水がほぼ入っていなかったことは、定説になりつつある。 吉田が、菅が、武黒が、はからずもそれぞれの生き様をあらわにして必死に考え、行動した結果が織りなした海水注入騒動。しかし、膨大な核のエネルギーを放つ原子炉は、人間の意思をまったく超えたところで、事態をさらに悪化させていたのである。 さらに連載記事<1号機爆発まで24時間50分…東日本大震災が発生した「まさにその瞬間」の「福島第一原発」の「あまりに緊迫した状況」>では、発災直後の緊迫した様子を詳細に語っています。 *本記事の抜粋元・NHKメルトダウン取材班『福島第一原発事故の「真実」 検証編』では、福島第一原発事故を13年にわたって検証取材してきた内容を報告書としてまとめています。ぜひお買い求めください』、「本来、本店が止めろというなら、そこで議論できるが、まったく脇にいるはずの官邸から電話までかかってきてやめろというのは、一体何なのか。指揮命令系統が完全に崩れている。これは、もう最後は自分の判断だ。吉田は腹をくくった。 現場の、部下の命を守るのは所長である自分しかいない。吉田は、消防注水を担当している防災班長のそばに歩み寄り、周りには聞こえないように小声で囁いた。 「ここで海水注入を中止するとテレビ会議で命令するが、絶対に中止しては駄目だ」 防災班長は、身体を固くして頷いた。次の瞬間、吉田は、テレビ会議のマイクに口を近づけ、免震棟中に響き渡るような大声で本店に向かって言った。 「海水注入を中止する!」 テレビ会議を見ていた本店はもちろん免震棟の誰もが吉田の命令を微塵(み じん)も疑うことなく聞いていた。 午後7時55分。官邸では、班目や武黒らが菅に改めて海水注入の必要性とリスク対策を説き、菅も納得した。 午後8時10分。武黒から吉田に海水注入を開始してよいという連絡が入った。午後8時20分。吉田は素知らぬ顔をしてテレビ会議に向かって大声で「海水注入を開始する」と指示を出した。しかし実際には、午後7時すぎから1時間あまりの間、海水注入は一度も中断されることなく、ずっと続けられていたのである。これが、後に語り継がれる海水注入騒動の一部始終だった。 事故後、この顛末が明らかにされると、1号機の事態悪化を食い止めた英断だと、日本中が吉田に喝采を送った。一方、官邸や本店の意思決定の乱れは、様々な角度から検証され、悪しき現場介入と批判された。 海水注入騒動は、吉田の名を一躍あげた」、「吉田所長」もなかなかの役者だ。3月12日の時点では、1号機への注水は、配管の様々な箇所から漏洩し、ほぼ原子炉に届いていなかったり、メルトダウンした核燃料に注がれていなかったりして、冷却にほぼ寄与していなかったというのである・・・1号機の消防注水は、原子炉に通じる一本道の注水ラインの10ヵ所で水漏れしていたという見解を明らかにしていた。国際廃炉研究開発機構が発表した1号機への注水が3月23日までほぼ原子炉に届いていなかったという研究結果は、東京電力の消防注水の水漏れの検証結果をさらに進めたもので、より衝撃的な結果だった・・・3月12日から23日まで1号機の原子炉へ水がほぼ入っていなかったことは、定説になりつつある。 吉田が、菅が、武黒が、はからずもそれぞれの生き様をあらわにして必死に考え、行動した結果が織りなした海水注入騒動。しかし、膨大な核のエネルギーを放つ原子炉は、人間の意思をまったく超えたところで、事態をさらに悪化させていたのである」、情報が限定されたなかでの人間の判断が如何に頼りないものであるかを如実に示した。やはり、原子力発電は、人間の手には負えないものと考えるべきだ。
タグ:(その24)(NHKメルトダウン取材班後半2題:「福島第一原発事故」の「緊急記者会見」を遮った「東京電力社員の怒声」の衝撃的な内容、「お前、うるせえ 官邸が もうグジグジ言ってんだよ」…福島第一原発への「海水注入」をめぐる「緊迫したやり取り」)) 原発問題 現代ビジネス NHKメルトダウン取材班による「「福島第一原発事故」の「緊急記者会見」を遮った「東京電力社員の怒声」の衝撃的な内容」 『福島第一原発事故の「真実」』 会見が始まる直前の午前2時半すぎ、免震棟と本店は2号機のベントを優先する方針を決めていた。1号機のベント弁を開ける作業は、高い放射線量のため、準備に時間がかかる。1号機は深刻な状況にあるが後回しにして、まず放射線量が高くなく、作業が可能な2号機からベントを実施するという戦略だった」、これであれば、「2号機のベントを優先する方針」は問題なく、記者会見でも通っていただろう。 「しかし、刻々と変わる情報の中で、小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた。その後も、小森は繰り返し、1号機ではなく、2号機が危機的状況にあることをことさらに強調するという奇妙な説明を続けた。納得できない記者の質問が、次第に詰問調になり、記者会見は紛糾し始めた」、記者会見での説明役の「小森はこの複雑な戦略を咀嚼し切れずに会見に臨んでいた」、のであれば、「記者」が納得する筈はなく、紛糾の度を増すばかりだった。これは、完全に「東電」側の致命的な手落ちだ。 NHKメルトダウン取材班による「「お前、うるせえ。官邸が、もうグジグジ言ってんだよ」…福島第一原発への「海水注入」をめぐる「緊迫したやり取り」」 「本来、本店が止めろというなら、そこで議論できるが、まったく脇にいるはずの官邸から電話までかかってきてやめろというのは、一体何なのか。指揮命令系統が完全に崩れている。これは、もう最後は自分の判断だ。吉田は腹をくくった。 現場の、部下の命を守るのは所長である自分しかいない。吉田は、消防注水を担当している防災班長のそばに歩み寄り、周りには聞こえないように小声で囁いた。 「ここで海水注入を中止するとテレビ会議で命令するが、絶対に中止しては駄目だ」 防災班長は、身体を固くして頷いた。次の瞬間、吉田は、テレビ会議のマイクに口を近づけ、免震棟中に響き渡るような大声で本店に向かって言った。 「海水注入を中止する!」 テレビ会議を見ていた本店はもちろん免震棟の誰もが吉田の命令を微塵(み じん)も疑うことなく聞いていた。 午後7時55分。官邸では、班目や武黒らが菅に改めて海水注入の必要性とリスク対策を説き、菅も納得した。 午後8時10分。武黒から吉田に海水注入を開始してよいという連絡が入った。午後8時20分。吉田は素知らぬ顔をしてテレビ会議に向かって大声で「海水注入を開始する」と指示を出した。しかし実際には、午後7時すぎから1時間あまりの間、海水注入は一度も中断されることなく、ずっと続けられていたのである。これが、後に語り継がれる海水注入騒動の一部始終だった。 事故後、この顛末が明らかにされると、1号機の事態悪化を食い止めた英断だと、日本中が吉田に喝采を送った。一方、官邸や本店の意思決定の乱れは、様々な角度から検証され、悪しき現場介入と批判された。 海水注入騒動は、吉田の名を一躍あげた」、「吉田所長」もなかなかの役者だ。 3月12日の時点では、1号機への注水は、配管の様々な箇所から漏洩し、ほぼ原子炉に届いていなかったり、メルトダウンした核燃料に注がれていなかったりして、冷却にほぼ寄与していなかったというのである・・・1号機の消防注水は、原子炉に通じる一本道の注水ラインの10ヵ所で水漏れしていたという見解を明らかにしていた。国際廃炉研究開発機構が発表した1号機への注水が3月23日までほぼ原子炉に届いていなかったという研究結果は、東京電力の消防注水の水漏れの検証結果をさらに進めたもので、より衝撃的な結果だった・・・ 3月12日から23日まで1号機の原子炉へ水がほぼ入っていなかったことは、定説になりつつある。 吉田が、菅が、武黒が、はからずもそれぞれの生き様をあらわにして必死に考え、行動した結果が織りなした海水注入騒動。しかし、膨大な核のエネルギーを放つ原子炉は、人間の意思をまったく超えたところで、事態をさらに悪化させていたのである」 、情報が限定されたなかでの人間の判断が如何に頼りないものであるかを如実に示した。やはり、原子力発電は、人間の手には負えないものと考えるべきだ。
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