ウクライナ(その8)(「侵攻の引き金」を引いたウクライナの"失策" 対立の根底には2つの「ロシア人像」がある、戦死したロシア軍参加の29歳元自衛官は義勇兵か傭兵か…ロ軍/ウクライナ軍それぞれの懐事情、ゼレンスキーの「大博打」は成功するか クルスク侵攻作戦の行方、ゼレンスキーのクルスク侵攻は「プーチンの思うつぼ」だったのか?...「時間が経つにつれて、損失は大きくなる」) [世界情勢]
ウクライナについては、本年4月4日に取上げた。今日は、(その8)(「侵攻の引き金」を引いたウクライナの"失策" 対立の根底には2つの「ロシア人像」がある、戦死したロシア軍参加の29歳元自衛官は義勇兵か傭兵か…ロ軍/ウクライナ軍それぞれの懐事情、ゼレンスキーの「大博打」は成功するか クルスク侵攻作戦の行方、ゼレンスキーのクルスク侵攻は「プーチンの思うつぼ」だったのか?...「時間が経つにつれて、損失は大きくなる」)である。
先ずは、本年6月25日付け東洋経済オンラインが掲載した作家・元外務省主任分析官の佐藤 優氏による「「侵攻の引き金」を引いたウクライナの"失策" 対立の根底には2つの「ロシア人像」がある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/760030
・『ロシアによる侵攻開始から2年を経てなお、収束の兆しが見えないウクライナ情勢ですが、この戦争の意味を理解するには、約100年にわたる米ロの対立を俯瞰する必要があると、作家で元外務省主任分析官でもある佐藤優氏は説きます。ウクライナ侵攻の背景にある複雑な事情とは。 ※本稿は佐藤氏の監修書『米ロ対立100年史』から、一部を抜粋・編集してお届けします』、歴史的視点から見る意味はありそうだ。
・『みずから行方をくらました「親ロ派」の大統領 2014年2月、ウクライナにおいて現役大統領のビクトル・ヤヌコビッチが行方不明になるという事態が発生した。彼は何者かにさらわれたわけではなく、みずから行方をくらましたのだ。 当時、ウクライナでは「マイダン革命」が進行していた。マイダンとはウクライナ語で「広場」を意味する言葉である。2013年11月から、ウクライナの首都キーウの中心部にある独立広場では市民によるデモ活動が始まっていたのだが(マイダン革命の名称はこの独立広場に由来する)、原因はヤヌコビッチ大統領が国民に約束していたEUとの自由貿易協定締結を延期したことにある。 これは西側と距離を置くという意思表示だった。彼はまた、クリミアにおけるロシアの黒海艦隊の駐留延長も認めた。このことからわかるように、ヤヌコビッチは親ロ派だった。 こうした大統領の行為に対して、不満を覚えた民衆たちが反政府デモを組織。その活動がマイダン革命と呼ばれるようになり、一時は100万人規模に達するほどの激しいデモとなった。ウクライナ政府は治安部隊を出動させて鎮圧を図ろうとしたものの、民衆の怒りを抑えることはできず、多数の死傷者が出た。 2014年2月になっても騒動は収まらず、「もうどうしようもない」とばかりにヤヌコビッチは大統領としての職務を放棄し、ロシアに逃亡したのだった。これが現役大統領行方不明の顛末である。 こうした事態を受けて、ウクライナ議会はオレクサンドル・トゥルチノフを大統領代行に立てて新政権を樹立。それまでの親ロ派から一転して親欧米派の立場を採った。 このマイダン革命の成功にウクライナの全国民が拍手喝采を送った——わけではなかった。親欧米路線に抵抗を覚える国民も存在し、こうした状況がウクライナ情勢を複雑なものにしている』、「2013年11月から、ウクライナの首都キーウの中心部にある独立広場では市民によるデモ活動が始まっていたのだが(マイダン革命の名称はこの独立広場に由来する)、原因はヤヌコビッチ大統領が国民に約束していたEUとの自由貿易協定締結を延期したことにある。 これは西側と距離を置くという意思表示だった。彼はまた、クリミアにおけるロシアの黒海艦隊の駐留延長も認めた」・・・2014年2月になっても騒動は収まらず、「もうどうしようもない」とばかりにヤヌコビッチは大統領としての職務を放棄し、ロシアに逃亡したのだった。これが現役大統領行方不明の顛末である。 こうした事態を受けて、ウクライナ議会はオレクサンドル・トゥルチノフを大統領代行に立てて新政権を樹立。それまでの親ロ派から一転して親欧米派の立場を採った」、なるほど。
・『「広い意味でのロシア人」だと考えるウクライナ人 ウクライナには「自分たちは広い意味ではロシア人だ」と考えている人々がいる。「ロシア人」という言葉には、狭義では現在のロシア人、広義ではベラルーシ人やウクライナ人も含んでいるというニュアンスがある。 ウクライナのロシア人たちは、位置的にはロシアに近い東部や南部に多い。東部ではドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)、そして南部ではクリミア半島だ(クリミアはもともとロシアの領土だったが、1954年にフルシチョフが当時のウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移管している)。この地域の人たちは日常的にロシア語を使っている。 一方で、「自分たちは決してロシア人ではない」と考える人たちもいる。こちらはウクライナ西部に多い。とくに最西部のガリツィア地方ではその意識が強い。 この地域は歴史的に見ると、オーストリア・ハンガリー帝国(一般的にはハプスブルク帝国と呼ばれる)の領土であり、第1次世界大戦の敗北によって帝国が解体された1918年以降はポーランド領となっていた。) ロシア領(ソ連領)になるのは第2次世界大戦後であり、また日常的にウクライナ語も使われていることもあって、ロシアに対する思い入れは皆無に等しかった。いや、それどころか、むしろ積極的に嫌っているとさえいってよいかもしれない。 これから触れるクリミア半島併合のあと、ガリツィア地方の中心都市であるリヴィウではプーチンの顔を印刷したトイレットペーパーが人気商品になったという話もあるほどだ。 このウクライナにおける東南部と西部のロシアに対するスタンスの違いは、第2次世界大戦中の対ナチス・ドイツでも浮き彫りにされる。 このときソ連兵としてナチス・ドイツと戦ったウクライナ人は約200万人。一方、ウクライナ西部の人たちはナチス・ドイツに協力してソ連軍と戦った。その数は約30万人と伝えられている。 また、東と西では信仰する宗教も異なる。ロシアに近い東部はロシア正教を信仰しているが、西部に関してはカトリックの影響が強い「ユニエイト教会」(イコン〈聖画像〉崇敬や下級聖職者の妻帯が認められるなどは正教会と同じだが、ローマ教皇の首位性と教義的にはフィオリクエ〈子からも〉を認める東方典礼カトリック教会)の信者が多い。こうした宗教の違いも対立に影を落としているのだ。 このような対立があることを踏まえたうえで、マイダン革命のその後を見てみると、東部と南部の親ロ派の人たち(広い意味でのロシア人)が親欧米政権に対し「冗談じゃない!」と反発したことも理解できる』、「ウクライナのロシア人たちは、位置的にはロシアに近い東部や南部に多い。東部ではドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)、そして南部ではクリミア半島だ・・・一方で、「自分たちは決してロシア人ではない」と考える人たちもいる。こちらはウクライナ西部に多い。とくに最西部のガリツィア地方ではその意識が強い。 この地域は歴史的に見ると、オーストリア・ハンガリー帝国の領土であり、第1次世界大戦の敗北によって帝国が解体された1918年以降はポーランド領となっていた・・・ソ連兵としてナチス・ドイツと戦ったウクライナ人は約200万人。一方、ウクライナ西部の人たちはナチス・ドイツに協力してソ連軍と戦った。その数は約30万人・・・ロシアに近い東部はロシア正教を信仰しているが、西部に関してはカトリックの影響が強い「ユニエイト教会」(イコン〈聖画像〉崇敬や下級聖職者の妻帯が認められるなどは正教会と同じだが、ローマ教皇の首位性と教義的にはフィオリクエ〈子からも〉を認める東方典礼カトリック教会)の信者が多い・・・マイダン革命のその後を見てみると、東部と南部の親ロ派の人たち(広い意味でのロシア人)が親欧米政権に対し「冗談じゃない!」と反発したことも理解できる」、なるほど。
・『相次ぐウクライナからの「独立」の動き ウクライナ共和国内における自治共和国としての地位を確保していたクリミア(1996年〜)は、ヤヌコビッチ政権崩壊後の暫定政権に対する親ロ派のデモが拡大するなどしたのち、2014年3月にはウクライナからの独立を問う住民投票を実施した。 その結果、9割もの人々が独立を支持。それだけではなく、ロシアへの編入を望むという流れが生まれた。ロシアはこれを受け入れ、クリミア共和国として編入された(国際的には認められていない)。 この動きに対してアメリカ、ヨーロッパ諸国と日本などはロシアを非難し、住民投票の無効を訴えたものの、具体的な軍事介入にまでは至らなかった。 なお、アメリカはこのクリミア併合以降、ウクライナに対して15億ドル以上の軍事支援を提供、その多くはウクライナ軍の近代化や兵士の訓練に費やされた。 同年春、ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)の親ロ派武装勢力とウクライナ中央政府の間で紛争が起きる。こちらもウクライナからの独立を求めての動きだった。 (出所:『米ロ対立100年史』より)※外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください この場合、マイダン革命ののちにウクライナ政府が「国家言語政策基本法」の廃止を決定したことが大きく影響しているといわれている』、「クリミア(1996年〜)は、ヤヌコビッチ政権崩壊後の暫定政権に対する親ロ派のデモが拡大するなどしたのち、2014年3月にはウクライナからの独立を問う住民投票を実施した。 その結果、9割もの人々が独立を支持。それだけではなく、ロシアへの編入を望むという流れが生まれた。ロシアはこれを受け入れ、クリミア共和国として編入された(国際的には認められていない)。 この動きに対してアメリカ、ヨーロッパ諸国と日本などはロシアを非難し、住民投票の無効を訴えたものの、具体的な軍事介入にまでは至らなかった・・・アメリカはこのクリミア併合以降、ウクライナに対して15億ドル以上の軍事支援を提供、その多くはウクライナ軍の近代化や兵士の訓練に費やされた。 同年春、ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)の親ロ派武装勢力とウクライナ中央政府の間で紛争が起きる。こちらもウクライナからの独立を求めての動きだった」、なるほど。
・『侵攻の契機となった「第二公用語=ロシア語」の廃止 ウクライナでは公用語はウクライナ語と決められているが、普段からロシア語を使う地域に関しては第二公用語としてロシア語を使ってもいいとの決まりがあった。これが廃止されるとなると、公にはロシア語が使えなくなってしまう。 ウクライナ語を使えない公務員や国営企業の社員は職を失うことにもなりかねず、そのため激しい反発が起きて市庁舎を占拠するなどの暴動に発展したのだった。 なお、ロシア語とウクライナ語は、日本語にたとえれば共通語と津軽弁のようなものだという。文法上大きな違いはないにせよ、共通語しか知らない人が津軽弁で会話をすることは難しい。 言葉というものはアイデンティティに大きく関わってくるので非常に大きな問題である。 この国家言語政策基本法の廃止は、激しい反発に驚いたウクライナ政府によってすぐに撤回されたが、ウクライナ東南部の人々に政府に対する警戒感を与えてしまったのは大きな失策だったといえる。 結果としてこれが引き金となり、ロシアから支援を受けた武装勢力がドンバス地方を押さえることにつながっていったのだった。) その後、武装勢力はウクライナ東部の実効支配に至り、それぞれ「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」として独立国家の名乗りを上げたが、ウクライナ政府がこれを認めることはなく、紛争は続いた』、「国家言語政策基本法の廃止は、激しい反発に驚いたウクライナ政府によってすぐに撤回されたが、ウクライナ東南部の人々に政府に対する警戒感を与えてしまったのは大きな失策だったといえる。 結果としてこれが引き金となり、ロシアから支援を受けた武装勢力がドンバス地方を押さえることにつながっていったのだった。) その後、武装勢力はウクライナ東部の実効支配に至り、それぞれ「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」として独立国家の名乗りを上げたが、ウクライナ政府がこれを認めることはなく、紛争は続いた」、なるほど。
・『プーチンが2つの「人民共和国」を承認した背景 2014年9月、ベラルーシの首都ミンスクで停戦協定が結ばれた(第1次ミンスク合意)ものの、戦闘が止むことはなかった。 翌2015年2月になってドイツのアンゲラ・メルケル首相が新たな和平計画を発表する。それを受けてロシアとウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)、ウクライナ東部を実効支配している武装勢力が停戦合意に署名した。これを「第2次ミンスク合意」という。 その後、2022年2月にプーチン大統領は両国の独立を承認し、平和維持を目的としてロシア軍を派遣した。その直後、ウクライナへの軍事侵攻が開始される。 ウクライナ東部には最先端の軍産複合体や宇宙関連企業があるのだが、これはソ連時代からモスクワが設置してきたものだ。 もしウクライナが西側寄りになり、さらにはNATOに加盟するという事態が起きれば、ロシアの軍事・宇宙産業に関する機密情報はすべて西側(とくにアメリカ)に流れてしまう。 それもプーチン大統領が2つの「人民共和国」の独立を承認した理由の一つと考えられる』、「ロシアとウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)、ウクライナ東部を実効支配している武装勢力が停戦合意に署名した。これを「第2次ミンスク合意」という。 その後、2022年2月にプーチン大統領は両国の独立を承認し、平和維持を目的としてロシア軍を派遣した。その直後、ウクライナへの軍事侵攻が開始される。 ウクライナ東部には最先端の軍産複合体や宇宙関連企業があるのだが、これはソ連時代からモスクワが設置してきたものだ。 もしウクライナが西側寄りになり、さらにはNATOに加盟するという事態が起きれば、ロシアの軍事・宇宙産業に関する機密情報はすべて西側(とくにアメリカ)に流れてしまう。 それもプーチン大統領が2つの「人民共和国」の独立を承認した理由の一つと考えられる」、なるほど。
次に、7月24日付け日刊ゲンダイ「戦死したロシア軍参加の29歳元自衛官は義勇兵か傭兵か…ロ軍/ウクライナ軍それぞれの懐事情」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/358047
・『衝撃的なニュースが飛び込んできた。2年半近くウクライナ侵攻を続けるロシア軍に加わった元自衛官が戦地で命を落としたというのだ。「義勇兵」として戦闘に参加したと報じられているが、国際法違反の軍事侵攻になぜ身を投じたのか。ナゾは深まるばかりだ。 林官房長官は23日の会見で、ロシア軍に20代の邦人男性が兵士として加わり、6月3日に死亡したと公表。日本側は今月15日に男性の死亡を確認した。外務省は個人情報保護を理由に、男性の氏名や出身地、死亡した場所、状況を明らかにしていない。 一方、関係者の話を総合すると、戦死したのは大阪府内に住む元自衛官(29)。かつて陸上自衛隊信太山駐屯地(大阪府和泉市)に勤務していて、昨年11月ごろに出国してロシア軍に参加し、ウクライナ東部ドネツク州で爆風などに巻き込まれて死亡したという。プーチン大統領は2022年9月にドネツクを含む4州の編入を発表し、憲法にも自国領土として書き込んだが、ドネツクの占領は半分程度にとどまり、激戦地となっている。 「ロシアは邦人死亡に関する情報を一切公表しておらず、メディアでも全く報じられていません」(筑波大名誉教授の中村逸郎氏=ロシア政治)』、「20代の邦人男性が兵士として加わり、6月3日に死亡したと公表。日本側は今月15日に男性の死亡を確認した。外務省は個人情報保護を理由に、男性の氏名や出身地、死亡した場所、状況を明らかにしていない・・・陸上自衛隊信太山駐屯地(大阪府和泉市)に勤務していて、昨年11月ごろに出国してロシア軍に参加し、ウクライナ東部ドネツク州で爆風などに巻き込まれて死亡」、日本人が「義勇兵」として参戦し、戦死したとは驚かされた。
・『■「ネオナチの脅威」に大義? 信念を持って自発的に軍に入るのが義勇兵、金銭を動機に雇われるのが傭兵だとされる。元自衛官はプーチンの言う「ネオナチの脅威」に大義を見いだしたのか。しかし、少なくとも6万人のロシア兵の命を奪ったウクライナ侵攻に対する国内世論は厳しく、兵員補充はままならない。 「報酬は時期やリクルート先によって変動があり、国内で短期の兵役契約をした新兵の手当は月17万ルーブル(約30万円)程度。外国人の場合は出身地などによって月20万~30万ルーブル(約35万~53万円)ほど」(地元メディア関係者) ウクライナ軍はどうなのか。報道カメラマンの横田徹氏が日本人義勇兵に取材し、集英社オンラインに寄せた記事によると、「初任給は日本円で7万円」。前線手当などを上乗せされれば月収30万~40万円ほどになるという。防衛省発表の自衛官の平均年収は20代前半が約374万円、後半は428万円だ。 「中国に見放され、新体制になったイランからも距離を置かれ始めたプーチン氏は孤立を深めている。ロシア兵の遺体回収すらままならない状況で、邦人死亡を確認できたとしたら奇跡的です。この件をとっかかりに、日本との関係正常化を狙っているのではないか」(中村逸郎氏)) おそロシア……』、「ロシア兵の遺体回収すらままならない状況で、邦人死亡を確認できたとしたら奇跡的です」、その通りだろう。
・『■受刑者3800人入隊 ウクライナの地元メディア、ウクラインスカ・プラウダは23日、最高会議(議会)議員の話として、受刑者3800人がウクライナ軍に入隊したと報じた。兵力確保に向け、受刑者計5000人近くの入隊を見込む。ロシア軍と直接交戦する部隊に配属される予定で、入隊後、既に死傷した者もいるという。 議会は5月、残る刑期が3年以下の受刑者が軍に入隊できるようにする法案を可決した。殺人、強姦、汚職、国家安全保障に関わる犯罪などで収監された受刑者は対象外。 米メディアによると、入隊者が入隊期間が満了する前に除隊した場合、5~10年の刑期が追加される。戦場での自発的な退却や投降は禁止される。 受刑者の軍への採用はロシアもウクライナ侵攻初期から実施していた』、「入隊者が入隊期間が満了する前に除隊した場合、5~10年の刑期が追加される。戦場での自発的な退却や投降は禁止される。 受刑者の軍への採用はロシアもウクライナ侵攻初期から実施していた」、なるほど。
第三に、8月26日付けNewsweek日本版が掲載した在英ジャーナリストの木村正人氏による「ゼレンスキーの「大博打」は成功するか クルスク侵攻作戦の行方」を紹介しよう。
・『<ロシアへの越境攻撃に踏み切ったウクライナ軍はジリジリ前進を続け、プーチンは状況に機敏に対応できない弱点を再びさらした> [ロンドン発]8月6日早朝に始まったウクライナ軍のロシア西部クルスク州への侵攻は「28〜35キロメートルの深度まで進み、93集落を含む1263平方キロメートルを占領」(20日、オレクサンドル・シルスキー総司令官の説明)し、ジリジリと前進を続けている。 西側の対ロシア制裁にもかかわらず、ロシア産エネルギーの輸入を続けるインドのナレンドラ・モディ首相は23日、キーウを訪れ、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談した。インド側は「この紛争が終結することを強く、強く望んでいる」と訪問の狙いを説明した。 モディ氏はウクライナ軍によるクルスク州侵攻後にウクライナを訪問した最初の国際的指導者となった。 クルスク州侵攻は追い込まれたゼレンスキー氏が和平交渉に備えてカードをつくるための窮余の一策との見方が強い。米国防総省のサブリナ・シン副報道官は22日、「ゼレンスキー氏が緩衝地帯を作りたいと言っていることは理解している」に述べるにとどめた』、「クルスク州侵攻は追い込まれたゼレンスキー氏が和平交渉に備えてカードをつくるための窮余の一策との見方が強い」、なるほど。
・『ウクライナと米国の間に生じた溝 クルスク州侵攻が戦場におけるウクライナの戦略目標にどのように合致するかについて彼らと協議を続けている。ウクライナの戦場における戦略目標にどのように組み合わされるのか、私たちがより良く理解できたと確信が持てれば詳細を発表する」 シン副報道官はウクライナと最大の支援国・米国の間に生じる溝を感じさせた。英誌エコノミストによると、11月の米大統領選を控え、カマラ・ハリス米副大統領(民主党)はドナルド・トランプ前米大統領(共和党)を3%ポイントリードする。 ジョー・バイデン米大統領も、ハリス氏もウクライナ戦争が拡大する不測の事態は望んでいない。ゼレンスキー氏のギャンブルを専門家はどうみているのか。 米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のロシア・ユーラシアに関するポッドキャスト(23日)で元オーストラリア陸軍少将のミック・ライアン研究員はこんな見方を示している』、「ジョー・バイデン米大統領も、ハリス氏もウクライナ戦争が拡大する不測の事態は望んでいない」、なるほど。
・『「戦争とは究極的に政治的なものだ」 ライアン研究員は新著『ウクライナ戦争 戦火の戦略と適応』を出版したばかり。「戦争とは究極的に政治的なものだ。ゼレンスキー氏は現状のままでは戦争に勝てる可能性がかなり低くなるため、このままではいけないと判断した」と分析する。 「北大西洋条約機構(NATO)がウクライナの防衛からウクライナがロシアを打ち負かすのを支援する方向へと戦略を転換するとは思えない。米国の政策が変わる見込みもなかった。プーチンはウクライナを完全に征服するという戦略を変えていない」(ライアン氏)) 米国議会の混乱で支援が停滞したため、ウクライナ軍は深刻な弾薬不足に陥り、その隙にロシア軍は攻勢に転じた。 戦争の軌道を変えることができるのは結局のところウクライナだけであることをゼレンスキー氏は痛感していた。「ウクライナが冒すリスクについて、西側諸国のほとんどは良い感覚を持っているとは思えない。しかし戦争とは結局のところ意志の戦いなのだ」』、「米国議会の混乱で支援が停滞したため、ウクライナ軍は深刻な弾薬不足に陥り、その隙にロシア軍は攻勢に転じた。 戦争の軌道を変えることができるのは結局のところウクライナだけであることをゼレンスキー氏は痛感していた」、なるほど。
・『プーチンはまたも弱点をさらけ出した ウクライナ東部ドンバスでプーチンは攻め、ゼレンスキー氏は守る。露西部クルスク州では逆にゼレンスキー氏は攻め、プーチンは守る。プーチンの侵攻で全面戦争に突入したウクライナ戦争は2つの大規模な地上作戦に同時並行で対処するという新局面に入った。 祖国を守る「ストロングマン」の装いをまとってきたプーチンはまたも不意をつかれ、状況に機敏に対応できない弱点をさらけ出した。 英国の戦略研究の第一人者、キングス・カレッジ・ロンドンのローレンス・フリードマン名誉教授は自身のブログ(21日)に「ウクライナのこれまでの消耗戦略が功を奏しているとの見方もある」と指摘している。 ウクライナ軍の陣地に無理な肉弾戦を仕掛けるロシア軍が多くの兵員と火力を使い果たし、今回のウクライナの電撃作戦に対応する蓄えを失っていたというものだ。 「大きな『もし』だが、ウクライナ軍の攻勢が数週間、数カ月にわたって継続され、ロシア軍がウクライナ軍をクルスク州から追い出すために一層の努力を払わざるを得なくなれば、ロシアの戦略的計算と戦争を巡るナラティブに変化が見られるかもしれない」(フリードマン名誉教授) 米欧からの支援頼みのウクライナが兵員、武器弾薬の量で不利に立たされている状況は変わらない。果たしてゼレンスキー氏のギャンブルは奏功するのだろうか』、「米欧からの支援頼みのウクライナが兵員、武器弾薬の量で不利に立たされている状況は変わらない。果たしてゼレンスキー氏のギャンブルは奏功するのだろうか」、さあ、どうだろうか、次の記事も要注目だ。
第四に、9月2日付けNewsweek日本版「ゼレンスキーのクルスク侵攻は「プーチンの思うつぼ」だったのか?...「時間が経つにつれて、損失は大きくなる」」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/09/post-105611_1.php
・『<この夏、ウクライナは予想外のロシア越境攻撃とクルスク侵攻という賭けに出た。しかし、プーチン大統領が反応しない背景について> ウクライナのゼレンスキー大統領によるロシア西部クルスク州への侵攻は、第二次世界大戦後初めて、ロシアの国土が外国に占領されたことを意味する。 しかし、プーチン大統領の反応は鈍い。それはプーチンが今回の侵攻が他の前線にもたらす可能性に注目していることを示唆している。 ウクライナによる8月6日の同地域への越境侵攻は、プーチンにとっても、ウクライナの同盟国にとっても、不意打ちに等しい出来事だった』、「ウクライナによる8月6日の同地域への越境侵攻は、プーチンにとっても、ウクライナの同盟国にとっても、不意打ちに等しい出来事だった」、なるほど。
・『ウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官によれば、同軍は約1300平方キロを制圧し、100の集落、594人の捕虜が支配下にあるという。 だがウクライナは、ロシア軍によるドネツク州の都市ポクロフスクへの激しい攻撃で、厄介な問題に直面している。 ワシントンのシンクタンク戦争研究所(ISW)は8月28日、ウクライナにとって重要な道路と鉄道のハブであるボクロフスクの南東で、ロシア軍が「重要な戦術的前進」を続けていると発表した。 親ウクライナの独立調査機関のコンフリクト・インテリジェンス・チームは同日、ポクロフスク方面の状況はウクライナ軍にとって「ますます危険」になっていると述べた』、「ポクロフスク方面の状況はウクライナ軍にとって「ますます危険」になっている」、なるほど。
・『プーチンは東部戦線を温存 プーチンはウクライナの進軍を阻止するためにウクライナの東部戦線の部隊ではなく、ほとんど軍事訓練を受けていない若い徴集兵の部隊をクルスクに送ったようだが、ロシア政府はこれを否定している。一方、ウクライナ東部のロシア軍部隊は無傷のまま温存されている。 2022年までドイツ国防省のアドバイザーを務めたニコ・ランゲ欧州政策分析センター(CEPA)非常駐上級研究員は、ゼレンスキーのクルスク攻撃が成功したかどうかを判断するには数カ月かかるかもしれないと見ている。 ウクライナ軍の作戦はよく練られているように見えるが、越境攻撃がプーチンの軍隊をポクロフスクからそらすためだったとすれば、「それはまだうまくいっていない」と言う。) クルスクの住民は、侵攻に対するロシア当局の対応に怒りを覚えているが、ロシア政府が支配するメディアは、この攻撃をウクライナが攻撃的な意図をいだいている証拠と決めつけている。 これは、プーチンのウクライナ侵攻をさらに正当化し、政府の対応に対する期待をコントロールし、政治指導者に対する支持が高まる旗下結集効果を生みだす可能性がある。 『ロシアの戦略文化を再解釈する(Reinterpreting Russia's Strategic Culture: The Russian Way of War)』の著者でボローニャ大学の研究員ニコロ・ファソラは、ウクライナの侵攻はすでにプーチンに一定の利益をもたらしていると言う。 ウクライナによるロシアの領土獲得が戦争の流れを変えることは「ありそうもない」し、ロシアがポクロフスクへの進撃を継続することは、国内の関心をクルスクからそらし、ドンバス地方の作戦に関するロシア政府の言い分を補強する可能性がある。 ファソラは、クルスク侵攻によって新たな戦場が生まれたかもしれないが、ゼレンスキーが最も有能な部隊の一部をそちらに向けたことは、戦線の過剰拡大の危険をはらんでいると考えている。 「ウクライナはクルスクに限られた予備兵力を投入し、さまざまな部隊を作戦参加のために戦線から離脱させるという賭けに出た」と、保守系シンクタンク民主主義防衛財団(FDD)のロシアプログラムのジョン・ハーディ副所長は語った。「この作戦が成功したかどうかは、時が経てばわかるだろう」。 これまでのところ、クルスクでのウクライナ軍の装備の損失はそれほど大きくないが、「時間が経つにつれて、損失は大きくなるだろう」と、ハーディは言う。 「ウクライナにとってのリスクは、地域の安定化のために部隊が必要となり、他の地域を防衛するために利用できないということだけではない。部隊は消耗する可能性があり、兵員の不足の問題が悪化しかねない」 ウクライナ政府は明言していないが、今回の越境侵攻の目的は、ロシア領内に緩衝地帯を作ることと同様に、和平交渉における潜在的な影響力に関連しているようだ』、「これまでのところ、クルスクでのウクライナ軍の装備の損失はそれほど大きくないが、「時間が経つにつれて、損失は大きくなるだろう」と、ハーディは言う。 「ウクライナにとってのリスクは、地域の安定化のために部隊が必要となり、他の地域を防衛するために利用できないということだけではない。部隊は消耗する可能性があり、兵員の不足の問題が悪化しかねない・・・今回の越境侵攻の目的は、ロシア領内に緩衝地帯を作ることと同様に、和平交渉における潜在的な影響力に関連しているようだ」、「ウクライナにとって」今回の賭けはどうにも実りそうもなさそうだ。
先ずは、本年6月25日付け東洋経済オンラインが掲載した作家・元外務省主任分析官の佐藤 優氏による「「侵攻の引き金」を引いたウクライナの"失策" 対立の根底には2つの「ロシア人像」がある」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/760030
・『ロシアによる侵攻開始から2年を経てなお、収束の兆しが見えないウクライナ情勢ですが、この戦争の意味を理解するには、約100年にわたる米ロの対立を俯瞰する必要があると、作家で元外務省主任分析官でもある佐藤優氏は説きます。ウクライナ侵攻の背景にある複雑な事情とは。 ※本稿は佐藤氏の監修書『米ロ対立100年史』から、一部を抜粋・編集してお届けします』、歴史的視点から見る意味はありそうだ。
・『みずから行方をくらました「親ロ派」の大統領 2014年2月、ウクライナにおいて現役大統領のビクトル・ヤヌコビッチが行方不明になるという事態が発生した。彼は何者かにさらわれたわけではなく、みずから行方をくらましたのだ。 当時、ウクライナでは「マイダン革命」が進行していた。マイダンとはウクライナ語で「広場」を意味する言葉である。2013年11月から、ウクライナの首都キーウの中心部にある独立広場では市民によるデモ活動が始まっていたのだが(マイダン革命の名称はこの独立広場に由来する)、原因はヤヌコビッチ大統領が国民に約束していたEUとの自由貿易協定締結を延期したことにある。 これは西側と距離を置くという意思表示だった。彼はまた、クリミアにおけるロシアの黒海艦隊の駐留延長も認めた。このことからわかるように、ヤヌコビッチは親ロ派だった。 こうした大統領の行為に対して、不満を覚えた民衆たちが反政府デモを組織。その活動がマイダン革命と呼ばれるようになり、一時は100万人規模に達するほどの激しいデモとなった。ウクライナ政府は治安部隊を出動させて鎮圧を図ろうとしたものの、民衆の怒りを抑えることはできず、多数の死傷者が出た。 2014年2月になっても騒動は収まらず、「もうどうしようもない」とばかりにヤヌコビッチは大統領としての職務を放棄し、ロシアに逃亡したのだった。これが現役大統領行方不明の顛末である。 こうした事態を受けて、ウクライナ議会はオレクサンドル・トゥルチノフを大統領代行に立てて新政権を樹立。それまでの親ロ派から一転して親欧米派の立場を採った。 このマイダン革命の成功にウクライナの全国民が拍手喝采を送った——わけではなかった。親欧米路線に抵抗を覚える国民も存在し、こうした状況がウクライナ情勢を複雑なものにしている』、「2013年11月から、ウクライナの首都キーウの中心部にある独立広場では市民によるデモ活動が始まっていたのだが(マイダン革命の名称はこの独立広場に由来する)、原因はヤヌコビッチ大統領が国民に約束していたEUとの自由貿易協定締結を延期したことにある。 これは西側と距離を置くという意思表示だった。彼はまた、クリミアにおけるロシアの黒海艦隊の駐留延長も認めた」・・・2014年2月になっても騒動は収まらず、「もうどうしようもない」とばかりにヤヌコビッチは大統領としての職務を放棄し、ロシアに逃亡したのだった。これが現役大統領行方不明の顛末である。 こうした事態を受けて、ウクライナ議会はオレクサンドル・トゥルチノフを大統領代行に立てて新政権を樹立。それまでの親ロ派から一転して親欧米派の立場を採った」、なるほど。
・『「広い意味でのロシア人」だと考えるウクライナ人 ウクライナには「自分たちは広い意味ではロシア人だ」と考えている人々がいる。「ロシア人」という言葉には、狭義では現在のロシア人、広義ではベラルーシ人やウクライナ人も含んでいるというニュアンスがある。 ウクライナのロシア人たちは、位置的にはロシアに近い東部や南部に多い。東部ではドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)、そして南部ではクリミア半島だ(クリミアはもともとロシアの領土だったが、1954年にフルシチョフが当時のウクライナ・ソビエト社会主義共和国に移管している)。この地域の人たちは日常的にロシア語を使っている。 一方で、「自分たちは決してロシア人ではない」と考える人たちもいる。こちらはウクライナ西部に多い。とくに最西部のガリツィア地方ではその意識が強い。 この地域は歴史的に見ると、オーストリア・ハンガリー帝国(一般的にはハプスブルク帝国と呼ばれる)の領土であり、第1次世界大戦の敗北によって帝国が解体された1918年以降はポーランド領となっていた。) ロシア領(ソ連領)になるのは第2次世界大戦後であり、また日常的にウクライナ語も使われていることもあって、ロシアに対する思い入れは皆無に等しかった。いや、それどころか、むしろ積極的に嫌っているとさえいってよいかもしれない。 これから触れるクリミア半島併合のあと、ガリツィア地方の中心都市であるリヴィウではプーチンの顔を印刷したトイレットペーパーが人気商品になったという話もあるほどだ。 このウクライナにおける東南部と西部のロシアに対するスタンスの違いは、第2次世界大戦中の対ナチス・ドイツでも浮き彫りにされる。 このときソ連兵としてナチス・ドイツと戦ったウクライナ人は約200万人。一方、ウクライナ西部の人たちはナチス・ドイツに協力してソ連軍と戦った。その数は約30万人と伝えられている。 また、東と西では信仰する宗教も異なる。ロシアに近い東部はロシア正教を信仰しているが、西部に関してはカトリックの影響が強い「ユニエイト教会」(イコン〈聖画像〉崇敬や下級聖職者の妻帯が認められるなどは正教会と同じだが、ローマ教皇の首位性と教義的にはフィオリクエ〈子からも〉を認める東方典礼カトリック教会)の信者が多い。こうした宗教の違いも対立に影を落としているのだ。 このような対立があることを踏まえたうえで、マイダン革命のその後を見てみると、東部と南部の親ロ派の人たち(広い意味でのロシア人)が親欧米政権に対し「冗談じゃない!」と反発したことも理解できる』、「ウクライナのロシア人たちは、位置的にはロシアに近い東部や南部に多い。東部ではドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)、そして南部ではクリミア半島だ・・・一方で、「自分たちは決してロシア人ではない」と考える人たちもいる。こちらはウクライナ西部に多い。とくに最西部のガリツィア地方ではその意識が強い。 この地域は歴史的に見ると、オーストリア・ハンガリー帝国の領土であり、第1次世界大戦の敗北によって帝国が解体された1918年以降はポーランド領となっていた・・・ソ連兵としてナチス・ドイツと戦ったウクライナ人は約200万人。一方、ウクライナ西部の人たちはナチス・ドイツに協力してソ連軍と戦った。その数は約30万人・・・ロシアに近い東部はロシア正教を信仰しているが、西部に関してはカトリックの影響が強い「ユニエイト教会」(イコン〈聖画像〉崇敬や下級聖職者の妻帯が認められるなどは正教会と同じだが、ローマ教皇の首位性と教義的にはフィオリクエ〈子からも〉を認める東方典礼カトリック教会)の信者が多い・・・マイダン革命のその後を見てみると、東部と南部の親ロ派の人たち(広い意味でのロシア人)が親欧米政権に対し「冗談じゃない!」と反発したことも理解できる」、なるほど。
・『相次ぐウクライナからの「独立」の動き ウクライナ共和国内における自治共和国としての地位を確保していたクリミア(1996年〜)は、ヤヌコビッチ政権崩壊後の暫定政権に対する親ロ派のデモが拡大するなどしたのち、2014年3月にはウクライナからの独立を問う住民投票を実施した。 その結果、9割もの人々が独立を支持。それだけではなく、ロシアへの編入を望むという流れが生まれた。ロシアはこれを受け入れ、クリミア共和国として編入された(国際的には認められていない)。 この動きに対してアメリカ、ヨーロッパ諸国と日本などはロシアを非難し、住民投票の無効を訴えたものの、具体的な軍事介入にまでは至らなかった。 なお、アメリカはこのクリミア併合以降、ウクライナに対して15億ドル以上の軍事支援を提供、その多くはウクライナ軍の近代化や兵士の訓練に費やされた。 同年春、ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)の親ロ派武装勢力とウクライナ中央政府の間で紛争が起きる。こちらもウクライナからの独立を求めての動きだった。 (出所:『米ロ対立100年史』より)※外部配信先では図表を全部閲覧できない場合があります。その際は東洋経済オンライン内でお読みください この場合、マイダン革命ののちにウクライナ政府が「国家言語政策基本法」の廃止を決定したことが大きく影響しているといわれている』、「クリミア(1996年〜)は、ヤヌコビッチ政権崩壊後の暫定政権に対する親ロ派のデモが拡大するなどしたのち、2014年3月にはウクライナからの独立を問う住民投票を実施した。 その結果、9割もの人々が独立を支持。それだけではなく、ロシアへの編入を望むという流れが生まれた。ロシアはこれを受け入れ、クリミア共和国として編入された(国際的には認められていない)。 この動きに対してアメリカ、ヨーロッパ諸国と日本などはロシアを非難し、住民投票の無効を訴えたものの、具体的な軍事介入にまでは至らなかった・・・アメリカはこのクリミア併合以降、ウクライナに対して15億ドル以上の軍事支援を提供、その多くはウクライナ軍の近代化や兵士の訓練に費やされた。 同年春、ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)の親ロ派武装勢力とウクライナ中央政府の間で紛争が起きる。こちらもウクライナからの独立を求めての動きだった」、なるほど。
・『侵攻の契機となった「第二公用語=ロシア語」の廃止 ウクライナでは公用語はウクライナ語と決められているが、普段からロシア語を使う地域に関しては第二公用語としてロシア語を使ってもいいとの決まりがあった。これが廃止されるとなると、公にはロシア語が使えなくなってしまう。 ウクライナ語を使えない公務員や国営企業の社員は職を失うことにもなりかねず、そのため激しい反発が起きて市庁舎を占拠するなどの暴動に発展したのだった。 なお、ロシア語とウクライナ語は、日本語にたとえれば共通語と津軽弁のようなものだという。文法上大きな違いはないにせよ、共通語しか知らない人が津軽弁で会話をすることは難しい。 言葉というものはアイデンティティに大きく関わってくるので非常に大きな問題である。 この国家言語政策基本法の廃止は、激しい反発に驚いたウクライナ政府によってすぐに撤回されたが、ウクライナ東南部の人々に政府に対する警戒感を与えてしまったのは大きな失策だったといえる。 結果としてこれが引き金となり、ロシアから支援を受けた武装勢力がドンバス地方を押さえることにつながっていったのだった。) その後、武装勢力はウクライナ東部の実効支配に至り、それぞれ「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」として独立国家の名乗りを上げたが、ウクライナ政府がこれを認めることはなく、紛争は続いた』、「国家言語政策基本法の廃止は、激しい反発に驚いたウクライナ政府によってすぐに撤回されたが、ウクライナ東南部の人々に政府に対する警戒感を与えてしまったのは大きな失策だったといえる。 結果としてこれが引き金となり、ロシアから支援を受けた武装勢力がドンバス地方を押さえることにつながっていったのだった。) その後、武装勢力はウクライナ東部の実効支配に至り、それぞれ「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」として独立国家の名乗りを上げたが、ウクライナ政府がこれを認めることはなく、紛争は続いた」、なるほど。
・『プーチンが2つの「人民共和国」を承認した背景 2014年9月、ベラルーシの首都ミンスクで停戦協定が結ばれた(第1次ミンスク合意)ものの、戦闘が止むことはなかった。 翌2015年2月になってドイツのアンゲラ・メルケル首相が新たな和平計画を発表する。それを受けてロシアとウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)、ウクライナ東部を実効支配している武装勢力が停戦合意に署名した。これを「第2次ミンスク合意」という。 その後、2022年2月にプーチン大統領は両国の独立を承認し、平和維持を目的としてロシア軍を派遣した。その直後、ウクライナへの軍事侵攻が開始される。 ウクライナ東部には最先端の軍産複合体や宇宙関連企業があるのだが、これはソ連時代からモスクワが設置してきたものだ。 もしウクライナが西側寄りになり、さらにはNATOに加盟するという事態が起きれば、ロシアの軍事・宇宙産業に関する機密情報はすべて西側(とくにアメリカ)に流れてしまう。 それもプーチン大統領が2つの「人民共和国」の独立を承認した理由の一つと考えられる』、「ロシアとウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)、ウクライナ東部を実効支配している武装勢力が停戦合意に署名した。これを「第2次ミンスク合意」という。 その後、2022年2月にプーチン大統領は両国の独立を承認し、平和維持を目的としてロシア軍を派遣した。その直後、ウクライナへの軍事侵攻が開始される。 ウクライナ東部には最先端の軍産複合体や宇宙関連企業があるのだが、これはソ連時代からモスクワが設置してきたものだ。 もしウクライナが西側寄りになり、さらにはNATOに加盟するという事態が起きれば、ロシアの軍事・宇宙産業に関する機密情報はすべて西側(とくにアメリカ)に流れてしまう。 それもプーチン大統領が2つの「人民共和国」の独立を承認した理由の一つと考えられる」、なるほど。
次に、7月24日付け日刊ゲンダイ「戦死したロシア軍参加の29歳元自衛官は義勇兵か傭兵か…ロ軍/ウクライナ軍それぞれの懐事情」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/358047
・『衝撃的なニュースが飛び込んできた。2年半近くウクライナ侵攻を続けるロシア軍に加わった元自衛官が戦地で命を落としたというのだ。「義勇兵」として戦闘に参加したと報じられているが、国際法違反の軍事侵攻になぜ身を投じたのか。ナゾは深まるばかりだ。 林官房長官は23日の会見で、ロシア軍に20代の邦人男性が兵士として加わり、6月3日に死亡したと公表。日本側は今月15日に男性の死亡を確認した。外務省は個人情報保護を理由に、男性の氏名や出身地、死亡した場所、状況を明らかにしていない。 一方、関係者の話を総合すると、戦死したのは大阪府内に住む元自衛官(29)。かつて陸上自衛隊信太山駐屯地(大阪府和泉市)に勤務していて、昨年11月ごろに出国してロシア軍に参加し、ウクライナ東部ドネツク州で爆風などに巻き込まれて死亡したという。プーチン大統領は2022年9月にドネツクを含む4州の編入を発表し、憲法にも自国領土として書き込んだが、ドネツクの占領は半分程度にとどまり、激戦地となっている。 「ロシアは邦人死亡に関する情報を一切公表しておらず、メディアでも全く報じられていません」(筑波大名誉教授の中村逸郎氏=ロシア政治)』、「20代の邦人男性が兵士として加わり、6月3日に死亡したと公表。日本側は今月15日に男性の死亡を確認した。外務省は個人情報保護を理由に、男性の氏名や出身地、死亡した場所、状況を明らかにしていない・・・陸上自衛隊信太山駐屯地(大阪府和泉市)に勤務していて、昨年11月ごろに出国してロシア軍に参加し、ウクライナ東部ドネツク州で爆風などに巻き込まれて死亡」、日本人が「義勇兵」として参戦し、戦死したとは驚かされた。
・『■「ネオナチの脅威」に大義? 信念を持って自発的に軍に入るのが義勇兵、金銭を動機に雇われるのが傭兵だとされる。元自衛官はプーチンの言う「ネオナチの脅威」に大義を見いだしたのか。しかし、少なくとも6万人のロシア兵の命を奪ったウクライナ侵攻に対する国内世論は厳しく、兵員補充はままならない。 「報酬は時期やリクルート先によって変動があり、国内で短期の兵役契約をした新兵の手当は月17万ルーブル(約30万円)程度。外国人の場合は出身地などによって月20万~30万ルーブル(約35万~53万円)ほど」(地元メディア関係者) ウクライナ軍はどうなのか。報道カメラマンの横田徹氏が日本人義勇兵に取材し、集英社オンラインに寄せた記事によると、「初任給は日本円で7万円」。前線手当などを上乗せされれば月収30万~40万円ほどになるという。防衛省発表の自衛官の平均年収は20代前半が約374万円、後半は428万円だ。 「中国に見放され、新体制になったイランからも距離を置かれ始めたプーチン氏は孤立を深めている。ロシア兵の遺体回収すらままならない状況で、邦人死亡を確認できたとしたら奇跡的です。この件をとっかかりに、日本との関係正常化を狙っているのではないか」(中村逸郎氏)) おそロシア……』、「ロシア兵の遺体回収すらままならない状況で、邦人死亡を確認できたとしたら奇跡的です」、その通りだろう。
・『■受刑者3800人入隊 ウクライナの地元メディア、ウクラインスカ・プラウダは23日、最高会議(議会)議員の話として、受刑者3800人がウクライナ軍に入隊したと報じた。兵力確保に向け、受刑者計5000人近くの入隊を見込む。ロシア軍と直接交戦する部隊に配属される予定で、入隊後、既に死傷した者もいるという。 議会は5月、残る刑期が3年以下の受刑者が軍に入隊できるようにする法案を可決した。殺人、強姦、汚職、国家安全保障に関わる犯罪などで収監された受刑者は対象外。 米メディアによると、入隊者が入隊期間が満了する前に除隊した場合、5~10年の刑期が追加される。戦場での自発的な退却や投降は禁止される。 受刑者の軍への採用はロシアもウクライナ侵攻初期から実施していた』、「入隊者が入隊期間が満了する前に除隊した場合、5~10年の刑期が追加される。戦場での自発的な退却や投降は禁止される。 受刑者の軍への採用はロシアもウクライナ侵攻初期から実施していた」、なるほど。
第三に、8月26日付けNewsweek日本版が掲載した在英ジャーナリストの木村正人氏による「ゼレンスキーの「大博打」は成功するか クルスク侵攻作戦の行方」を紹介しよう。
・『<ロシアへの越境攻撃に踏み切ったウクライナ軍はジリジリ前進を続け、プーチンは状況に機敏に対応できない弱点を再びさらした> [ロンドン発]8月6日早朝に始まったウクライナ軍のロシア西部クルスク州への侵攻は「28〜35キロメートルの深度まで進み、93集落を含む1263平方キロメートルを占領」(20日、オレクサンドル・シルスキー総司令官の説明)し、ジリジリと前進を続けている。 西側の対ロシア制裁にもかかわらず、ロシア産エネルギーの輸入を続けるインドのナレンドラ・モディ首相は23日、キーウを訪れ、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領と会談した。インド側は「この紛争が終結することを強く、強く望んでいる」と訪問の狙いを説明した。 モディ氏はウクライナ軍によるクルスク州侵攻後にウクライナを訪問した最初の国際的指導者となった。 クルスク州侵攻は追い込まれたゼレンスキー氏が和平交渉に備えてカードをつくるための窮余の一策との見方が強い。米国防総省のサブリナ・シン副報道官は22日、「ゼレンスキー氏が緩衝地帯を作りたいと言っていることは理解している」に述べるにとどめた』、「クルスク州侵攻は追い込まれたゼレンスキー氏が和平交渉に備えてカードをつくるための窮余の一策との見方が強い」、なるほど。
・『ウクライナと米国の間に生じた溝 クルスク州侵攻が戦場におけるウクライナの戦略目標にどのように合致するかについて彼らと協議を続けている。ウクライナの戦場における戦略目標にどのように組み合わされるのか、私たちがより良く理解できたと確信が持てれば詳細を発表する」 シン副報道官はウクライナと最大の支援国・米国の間に生じる溝を感じさせた。英誌エコノミストによると、11月の米大統領選を控え、カマラ・ハリス米副大統領(民主党)はドナルド・トランプ前米大統領(共和党)を3%ポイントリードする。 ジョー・バイデン米大統領も、ハリス氏もウクライナ戦争が拡大する不測の事態は望んでいない。ゼレンスキー氏のギャンブルを専門家はどうみているのか。 米シンクタンク、戦略国際問題研究所(CSIS)のロシア・ユーラシアに関するポッドキャスト(23日)で元オーストラリア陸軍少将のミック・ライアン研究員はこんな見方を示している』、「ジョー・バイデン米大統領も、ハリス氏もウクライナ戦争が拡大する不測の事態は望んでいない」、なるほど。
・『「戦争とは究極的に政治的なものだ」 ライアン研究員は新著『ウクライナ戦争 戦火の戦略と適応』を出版したばかり。「戦争とは究極的に政治的なものだ。ゼレンスキー氏は現状のままでは戦争に勝てる可能性がかなり低くなるため、このままではいけないと判断した」と分析する。 「北大西洋条約機構(NATO)がウクライナの防衛からウクライナがロシアを打ち負かすのを支援する方向へと戦略を転換するとは思えない。米国の政策が変わる見込みもなかった。プーチンはウクライナを完全に征服するという戦略を変えていない」(ライアン氏)) 米国議会の混乱で支援が停滞したため、ウクライナ軍は深刻な弾薬不足に陥り、その隙にロシア軍は攻勢に転じた。 戦争の軌道を変えることができるのは結局のところウクライナだけであることをゼレンスキー氏は痛感していた。「ウクライナが冒すリスクについて、西側諸国のほとんどは良い感覚を持っているとは思えない。しかし戦争とは結局のところ意志の戦いなのだ」』、「米国議会の混乱で支援が停滞したため、ウクライナ軍は深刻な弾薬不足に陥り、その隙にロシア軍は攻勢に転じた。 戦争の軌道を変えることができるのは結局のところウクライナだけであることをゼレンスキー氏は痛感していた」、なるほど。
・『プーチンはまたも弱点をさらけ出した ウクライナ東部ドンバスでプーチンは攻め、ゼレンスキー氏は守る。露西部クルスク州では逆にゼレンスキー氏は攻め、プーチンは守る。プーチンの侵攻で全面戦争に突入したウクライナ戦争は2つの大規模な地上作戦に同時並行で対処するという新局面に入った。 祖国を守る「ストロングマン」の装いをまとってきたプーチンはまたも不意をつかれ、状況に機敏に対応できない弱点をさらけ出した。 英国の戦略研究の第一人者、キングス・カレッジ・ロンドンのローレンス・フリードマン名誉教授は自身のブログ(21日)に「ウクライナのこれまでの消耗戦略が功を奏しているとの見方もある」と指摘している。 ウクライナ軍の陣地に無理な肉弾戦を仕掛けるロシア軍が多くの兵員と火力を使い果たし、今回のウクライナの電撃作戦に対応する蓄えを失っていたというものだ。 「大きな『もし』だが、ウクライナ軍の攻勢が数週間、数カ月にわたって継続され、ロシア軍がウクライナ軍をクルスク州から追い出すために一層の努力を払わざるを得なくなれば、ロシアの戦略的計算と戦争を巡るナラティブに変化が見られるかもしれない」(フリードマン名誉教授) 米欧からの支援頼みのウクライナが兵員、武器弾薬の量で不利に立たされている状況は変わらない。果たしてゼレンスキー氏のギャンブルは奏功するのだろうか』、「米欧からの支援頼みのウクライナが兵員、武器弾薬の量で不利に立たされている状況は変わらない。果たしてゼレンスキー氏のギャンブルは奏功するのだろうか」、さあ、どうだろうか、次の記事も要注目だ。
第四に、9月2日付けNewsweek日本版「ゼレンスキーのクルスク侵攻は「プーチンの思うつぼ」だったのか?...「時間が経つにつれて、損失は大きくなる」」を紹介しよう。
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2024/09/post-105611_1.php
・『<この夏、ウクライナは予想外のロシア越境攻撃とクルスク侵攻という賭けに出た。しかし、プーチン大統領が反応しない背景について> ウクライナのゼレンスキー大統領によるロシア西部クルスク州への侵攻は、第二次世界大戦後初めて、ロシアの国土が外国に占領されたことを意味する。 しかし、プーチン大統領の反応は鈍い。それはプーチンが今回の侵攻が他の前線にもたらす可能性に注目していることを示唆している。 ウクライナによる8月6日の同地域への越境侵攻は、プーチンにとっても、ウクライナの同盟国にとっても、不意打ちに等しい出来事だった』、「ウクライナによる8月6日の同地域への越境侵攻は、プーチンにとっても、ウクライナの同盟国にとっても、不意打ちに等しい出来事だった」、なるほど。
・『ウクライナ軍のオレクサンドル・シルスキー総司令官によれば、同軍は約1300平方キロを制圧し、100の集落、594人の捕虜が支配下にあるという。 だがウクライナは、ロシア軍によるドネツク州の都市ポクロフスクへの激しい攻撃で、厄介な問題に直面している。 ワシントンのシンクタンク戦争研究所(ISW)は8月28日、ウクライナにとって重要な道路と鉄道のハブであるボクロフスクの南東で、ロシア軍が「重要な戦術的前進」を続けていると発表した。 親ウクライナの独立調査機関のコンフリクト・インテリジェンス・チームは同日、ポクロフスク方面の状況はウクライナ軍にとって「ますます危険」になっていると述べた』、「ポクロフスク方面の状況はウクライナ軍にとって「ますます危険」になっている」、なるほど。
・『プーチンは東部戦線を温存 プーチンはウクライナの進軍を阻止するためにウクライナの東部戦線の部隊ではなく、ほとんど軍事訓練を受けていない若い徴集兵の部隊をクルスクに送ったようだが、ロシア政府はこれを否定している。一方、ウクライナ東部のロシア軍部隊は無傷のまま温存されている。 2022年までドイツ国防省のアドバイザーを務めたニコ・ランゲ欧州政策分析センター(CEPA)非常駐上級研究員は、ゼレンスキーのクルスク攻撃が成功したかどうかを判断するには数カ月かかるかもしれないと見ている。 ウクライナ軍の作戦はよく練られているように見えるが、越境攻撃がプーチンの軍隊をポクロフスクからそらすためだったとすれば、「それはまだうまくいっていない」と言う。) クルスクの住民は、侵攻に対するロシア当局の対応に怒りを覚えているが、ロシア政府が支配するメディアは、この攻撃をウクライナが攻撃的な意図をいだいている証拠と決めつけている。 これは、プーチンのウクライナ侵攻をさらに正当化し、政府の対応に対する期待をコントロールし、政治指導者に対する支持が高まる旗下結集効果を生みだす可能性がある。 『ロシアの戦略文化を再解釈する(Reinterpreting Russia's Strategic Culture: The Russian Way of War)』の著者でボローニャ大学の研究員ニコロ・ファソラは、ウクライナの侵攻はすでにプーチンに一定の利益をもたらしていると言う。 ウクライナによるロシアの領土獲得が戦争の流れを変えることは「ありそうもない」し、ロシアがポクロフスクへの進撃を継続することは、国内の関心をクルスクからそらし、ドンバス地方の作戦に関するロシア政府の言い分を補強する可能性がある。 ファソラは、クルスク侵攻によって新たな戦場が生まれたかもしれないが、ゼレンスキーが最も有能な部隊の一部をそちらに向けたことは、戦線の過剰拡大の危険をはらんでいると考えている。 「ウクライナはクルスクに限られた予備兵力を投入し、さまざまな部隊を作戦参加のために戦線から離脱させるという賭けに出た」と、保守系シンクタンク民主主義防衛財団(FDD)のロシアプログラムのジョン・ハーディ副所長は語った。「この作戦が成功したかどうかは、時が経てばわかるだろう」。 これまでのところ、クルスクでのウクライナ軍の装備の損失はそれほど大きくないが、「時間が経つにつれて、損失は大きくなるだろう」と、ハーディは言う。 「ウクライナにとってのリスクは、地域の安定化のために部隊が必要となり、他の地域を防衛するために利用できないということだけではない。部隊は消耗する可能性があり、兵員の不足の問題が悪化しかねない」 ウクライナ政府は明言していないが、今回の越境侵攻の目的は、ロシア領内に緩衝地帯を作ることと同様に、和平交渉における潜在的な影響力に関連しているようだ』、「これまでのところ、クルスクでのウクライナ軍の装備の損失はそれほど大きくないが、「時間が経つにつれて、損失は大きくなるだろう」と、ハーディは言う。 「ウクライナにとってのリスクは、地域の安定化のために部隊が必要となり、他の地域を防衛するために利用できないということだけではない。部隊は消耗する可能性があり、兵員の不足の問題が悪化しかねない・・・今回の越境侵攻の目的は、ロシア領内に緩衝地帯を作ることと同様に、和平交渉における潜在的な影響力に関連しているようだ」、「ウクライナにとって」今回の賭けはどうにも実りそうもなさそうだ。
タグ:ウクライナ (その8)(「侵攻の引き金」を引いたウクライナの"失策" 対立の根底には2つの「ロシア人像」がある、戦死したロシア軍参加の29歳元自衛官は義勇兵か傭兵か…ロ軍/ウクライナ軍それぞれの懐事情、ゼレンスキーの「大博打」は成功するか クルスク侵攻作戦の行方、ゼレンスキーのクルスク侵攻は「プーチンの思うつぼ」だったのか?...「時間が経つにつれて、損失は大きくなる」) 東洋経済オンライン 佐藤 優氏による「「侵攻の引き金」を引いたウクライナの"失策" 対立の根底には2つの「ロシア人像」がある」 歴史的視点から見る意味はありそうだ。 「2013年11月から、ウクライナの首都キーウの中心部にある独立広場では市民によるデモ活動が始まっていたのだが(マイダン革命の名称はこの独立広場に由来する)、原因はヤヌコビッチ大統領が国民に約束していたEUとの自由貿易協定締結を延期したことにある。 これは西側と距離を置くという意思表示だった。彼はまた、クリミアにおけるロシアの黒海艦隊の駐留延長も認めた」・・・ 2014年2月になっても騒動は収まらず、「もうどうしようもない」とばかりにヤヌコビッチは大統領としての職務を放棄し、ロシアに逃亡したのだった。これが現役大統領行方不明の顛末である。 こうした事態を受けて、ウクライナ議会はオレクサンドル・トゥルチノフを大統領代行に立てて新政権を樹立。それまでの親ロ派から一転して親欧米派の立場を採った」、なるほど。 「ウクライナのロシア人たちは、位置的にはロシアに近い東部や南部に多い。東部ではドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)、そして南部ではクリミア半島だ・・・一方で、「自分たちは決してロシア人ではない」と考える人たちもいる。こちらはウクライナ西部に多い。とくに最西部のガリツィア地方ではその意識が強い。 この地域は歴史的に見ると、オーストリア・ハンガリー帝国の領土であり、第1次世界大戦の敗北によって帝国が解体された1918年以降はポーランド領となっていた・・・ ソ連兵としてナチス・ドイツと戦ったウクライナ人は約200万人。一方、ウクライナ西部の人たちはナチス・ドイツに協力してソ連軍と戦った。その数は約30万人・・・ロシアに近い東部はロシア正教を信仰しているが、西部に関してはカトリックの影響が強い「ユニエイト教会」(イコン〈聖画像〉崇敬や下級聖職者の妻帯が認められるなどは正教会と同じだが、ローマ教皇の首位性と教義的にはフィオリクエ〈子からも〉を認める東方典礼カトリック教会)の信者が多い・・・マイダン革命のその後を見てみると、東部と南部の親ロ派の人たち(広い意味での ロシア人)が親欧米政権に対し「冗談じゃない!」と反発したことも理解できる」、なるほど。 「クリミア(1996年〜)は、ヤヌコビッチ政権崩壊後の暫定政権に対する親ロ派のデモが拡大するなどしたのち、2014年3月にはウクライナからの独立を問う住民投票を実施した。 その結果、9割もの人々が独立を支持。それだけではなく、ロシアへの編入を望むという流れが生まれた。ロシアはこれを受け入れ、クリミア共和国として編入された(国際的には認められていない)。 この動きに対してアメリカ、ヨーロッパ諸国と日本などはロシアを非難し、住民投票の無効を訴えたものの、具体的な軍事介入にまでは至らなかった・・・ アメリカはこのクリミア併合以降、ウクライナに対して15億ドル以上の軍事支援を提供、その多くはウクライナ軍の近代化や兵士の訓練に費やされた。 同年春、ウクライナ東部のドンバス地方(ドネツク州とルガンスク州)の親ロ派武装勢力とウクライナ中央政府の間で紛争が起きる。こちらもウクライナからの独立を求めての動きだった」、なるほど。 「国家言語政策基本法の廃止は、激しい反発に驚いたウクライナ政府によってすぐに撤回されたが、ウクライナ東南部の人々に政府に対する警戒感を与えてしまったのは大きな失策だったといえる。 結果としてこれが引き金となり、ロシアから支援を受けた武装勢力がドンバス地方を押さえることにつながっていったのだった。) その後、武装勢力はウクライナ東部の実効支配に至り、それぞれ「ドネツク人民共和国」「ルガンスク人民共和国」として独立国家の名乗りを上げたが、ウクライナ政府がこれを認めることはなく、紛争は続いた」、なるほど。 「ロシアとウクライナ、欧州安全保障協力機構(OSCE)、ウクライナ東部を実効支配している武装勢力が停戦合意に署名した。これを「第2次ミンスク合意」という。 その後、2022年2月にプーチン大統領は両国の独立を承認し、平和維持を目的としてロシア軍を派遣した。その直後、ウクライナへの軍事侵攻が開始される。 ウクライナ東部には最先端の軍産複合体や宇宙関連企業があるのだが、これはソ連時代からモスクワが設置してきたものだ。 もしウクライナが西側寄りになり、さらにはNATOに加盟するという事態が起きれば、ロシアの軍事・宇宙産業に関する機密情報はすべて西側(とくにアメリカ)に流れてしまう。 それもプーチン大統領が2つの「人民共和国」の独立を承認した理由の一つと考えられる」、なるほど。 日刊ゲンダイ「戦死したロシア軍参加の29歳元自衛官は義勇兵か傭兵か…ロ軍/ウクライナ軍それぞれの懐事情」 「20代の邦人男性が兵士として加わり、6月3日に死亡したと公表。日本側は今月15日に男性の死亡を確認した。外務省は個人情報保護を理由に、男性の氏名や出身地、死亡した場所、状況を明らかにしていない・・・陸上自衛隊信太山駐屯地(大阪府和泉市)に勤務していて、昨年11月ごろに出国してロシア軍に参加し、ウクライナ東部ドネツク州で爆風などに巻き込まれて死亡」、日本人が「義勇兵」として参戦し、戦死したとは驚かされた。 「ロシア兵の遺体回収すらままならない状況で、邦人死亡を確認できたとしたら奇跡的です」、その通りだろう。 「入隊者が入隊期間が満了する前に除隊した場合、5~10年の刑期が追加される。戦場での自発的な退却や投降は禁止される。 受刑者の軍への採用はロシアもウクライナ侵攻初期から実施していた」、なるほど。 Newsweek日本版 木村正人氏による「ゼレンスキーの「大博打」は成功するか クルスク侵攻作戦の行方」 「クルスク州侵攻は追い込まれたゼレンスキー氏が和平交渉に備えてカードをつくるための窮余の一策との見方が強い」、なるほど。 「ジョー・バイデン米大統領も、ハリス氏もウクライナ戦争が拡大する不測の事態は望んでいない」、なるほど。 「米国議会の混乱で支援が停滞したため、ウクライナ軍は深刻な弾薬不足に陥り、その隙にロシア軍は攻勢に転じた。 戦争の軌道を変えることができるのは結局のところウクライナだけであることをゼレンスキー氏は痛感していた」、なるほど。 「米欧からの支援頼みのウクライナが兵員、武器弾薬の量で不利に立たされている状況は変わらない。果たしてゼレンスキー氏のギャンブルは奏功するのだろうか」、さあ、どうだろうか、次の記事も要注目だ。 Newsweek日本版「ゼレンスキーのクルスク侵攻は「プーチンの思うつぼ」だったのか?...「時間が経つにつれて、損失は大きくなる」」 「ウクライナによる8月6日の同地域への越境侵攻は、プーチンにとっても、ウクライナの同盟国にとっても、不意打ちに等しい出来事だった」、なるほど。 「ポクロフスク方面の状況はウクライナ軍にとって「ますます危険」になっている」、なるほど。 「これまでのところ、クルスクでのウクライナ軍の装備の損失はそれほど大きくないが、「時間が経つにつれて、損失は大きくなるだろう」と、ハーディは言う。 「ウクライナにとってのリスクは、地域の安定化のために部隊が必要となり、他の地域を防衛するために利用できないということだけではない。部隊は消耗する可能性があり、兵員の不足の問題が悪化しかねない・・・ 今回の越境侵攻の目的は、ロシア領内に緩衝地帯を作ることと同様に、和平交渉における潜在的な影響力に関連しているようだ」、「ウクライナにとって」今回の賭けはどうにも実りそうもなさそうだ。
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