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税制一般(その5)(令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実、「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!、日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか) [経済政策]

税制一般については、昨年5月4日に取上げた。今日は、(その5)(令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実、「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!、日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか)である。

先ずは、昨年12月31日付けダイヤモンド・オンラインが掲載した作家・評論家の古谷経衡氏による「令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実」を紹介しよう。
https://diamond.jp/articles/-/336693
・『現代の税負担率は江戸時代と同じなのか?  「増税メガネ」という言葉が流行語大賞のノミネートを逃したのが忖度かどうかはさておくとして、大増税による国民生活の窮乏は事実である。 増税の是非はともかく、国民負担率5割ともされる目下の租税公課負担は、よく江戸時代の「五公五民」に例えられている。つまり現在は江戸時代並みの過酷な重税にあえいでいるというわけだ。しかし現在の税負担率を江戸時代とほぼ同じと捉えるのは、端的に言って間違いではないか。 かつて、とりわけ戦後の歴史学の中には階級闘争史観が優位的であった。これは江戸時代の封建社会を、武士=支配階級、農工商その他を被支配階級と規定し、この二者が互いに対立・緊張状態にあったとしたものだ。 支配層は苛烈な重税による搾取を行って被支配階級を抑圧し、厳格な身分制のもと、圧政に耐えかねた被支配階級が時としてむしろ旗を立てて一揆を繰り返す。江戸期の庶民はとにかく重い税を搾り取られて生活に窮していた――。このような江戸時代の捉え方を「貧農史観」などと呼ぶが、近年、江戸時代の歴史研究が大きく進歩したことにより、このような概念は更新されつつある。 そもそも江戸時代の身分制度とされる士農工商その他は、明治国家が作成した壬申戸籍の記載をのちの時代の人々がなぞっただけで、実際には武士=支配階級のほかは一般市民、というくくりが実態に沿うとされ、士農工商の四分野での身分区分を引用した江戸時代の解説は、現在では、ほとんどの教科書から消滅している。 時代劇ではよく、江戸の町人の中に商人や職人がおり、身分の分け隔てなく酒をくみ交わしている描写があるが、その演出の良しあしを除くとしても、まあ正しいというふうに考えることもできる。農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである』、「農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである」、なるほど。
・『江戸時代中期の「国民」負担率は28.9%  さて、江戸時代の一般的な人々の税負担は実際のところどうであったのだろうか。「五公五民」といえば、収入(収穫)の半分が年貢として取られていた、ということを指すが、この表現も教科書からは消えつつあるのが実態である。 「ごまの油と百姓は、絞れば絞るほど出るものなり」 このような重税感は江戸時代イメージの常であったが、例えば「慶安のお触書」は、江戸時代の農民の重い税負担を表現したものだとされ、かつての教科書にはほぼ必ず登場したが、この記述も江戸時代研究が進むにつれて、現在の教科書からは削除の方向性が強くなっている。 江戸時代は大開発の時代であった。信長、秀吉、家康という戦国の三英傑の時代が終わり、幕藩体制が確立する17世紀初頭から、幕府や諸藩は新田開発にまい進した。農業生産の高進と、税収を増やすために各地で奨励されたもので、結果的に江戸時代最初の約100年という間に、全国の石高は倍になった。日本人の主食であるコメの生産が倍になったということは、その分だけ人口も倍になったというのが道理である。 戦国時代末期、日本の人口は約1500万人と推計されているが、幕府開闢から100年ほどが過ぎた元禄時代、つまりは「生類憐みの令」などで知られる五代綱吉の治世下の時、日本の人口はほぼ倍の2700万人~3000万人弱になったという推計が正しいようである。この約3000万人という人口は、明治時代まで多少の増減はあるものの、基本的に維持されるのである。 幕府や諸藩は新田開発を激しく奨励する見返りに、新たに開発された田畑には一定期間、年貢を見送るなどの措置を取った。現在でも、創業支援のために起業した会社には最初の数年間は特例などがある場合もあるが、新田への免税・減税措置はこのような短期間ではなく、場合によっては数十年という優遇もあった。 このような幕府などの政策は、江戸時代の人々の開墾精神を刺激し、彼らが続々と開発に参入したために、森林が過剰に切り開かれ、台風や長雨によって大きな洪水が起こり、幕府や諸藩は森林や河川域の過剰開発を防ぐ命令を出したほどであった。現在で言う環境破壊は、すでに17世紀から社会問題になっていたのである。 江戸時代中期、すなわち18世紀の初頭、五代将軍綱吉が死ぬや、六代将軍家宣、七代将軍家綱に仕えた新井白石は、その著書『折たく柴の記』の中で、この時代の実効税率を「二割八分九厘」と記述している。 つまり今風に言うと、28.9%がおおむね18世紀初頭の江戸時代の「国民」負担率だったということである。この記述は幕府財政の悪化を嘆く文脈の中に登場し、新井白石はこの実効税率をなんとか上昇させることで国庫を安定させることを目標とした。『折たく柴の記』は現代語訳が出版されているので、読んでみるとよい。 さて白石がこのように嘆いたのは、前掲の大開発が主な原因である。新田に対する優遇措置はあったにせよ、農地の拡大によって税収は増えると考えるのが普通である。しかし現在のような精緻な測量技術が全国に行き渡っていたわけではなく、また行政の徴税技術も未発達であった当時、幕府天領や全国の諸藩で、一元的に収穫を把握し、それに対し効率的な税を徴収するのは難しい状況であった。 加えて徳川の世になり、幕藩体制の安定のために幕府が儒教(朱子学)を官学として普及させたのが大きかった。儒教の世界観では、国を統治する支配者は高い徳を有するのであり、支配者には弱い者(女性や老人や子ども、病人など)を守る道徳的責任が強く課される、とされた。よってみだりに権力者が権威を振りかざして、被支配階級から搾取するのは「徳のある者がするべきでない行為」とされ、武士の道に反するという道徳観が出来上がったのである。 つまり、新田開発により収穫が増えているということは、当然幕府は把握しているものの、庶民の努力によって開発した新田などを隅々まで調査したうえで、そこに重い税金をかけて取り立てるのは、「支配者としてあるまじき行為」として認知されていたきらいがある。よって新田からの増収があっても、その部分は検地の際、意図的に見逃されたり、暗黙の了解として全部を課税の対象にしなかったり、などといういわゆる「おめこぼし」が多く存在していたのである』、「徳川の世になり、幕藩体制の安定のために幕府が儒教(朱子学)を官学として普及させたのが大きかった。儒教の世界観では、国を統治する支配者は高い徳を有するのであり、支配者には弱い者(女性や老人や子ども、病人など)を守る道徳的責任が強く課される、とされた。よってみだりに権力者が権威を振りかざして、被支配階級から搾取するのは「徳のある者がするべきでない行為」とされ、武士の道に反するという道徳観が出来上がったのである。 つまり、新田開発により収穫が増えているということは、当然幕府は把握しているものの、庶民の努力によって開発した新田などを隅々まで調査したうえで、そこに重い税金をかけて取り立てるのは、「支配者としてあるまじき行為」として認知されていたきらいがある。よって新田からの増収があっても、その部分は検地の際、意図的に見逃されたり、暗黙の了解として全部を課税の対象にしなかったり、などといういわゆる「おめこぼし」が多く存在していた」、なるほど。
・『税負担において歴史的な重税時代  このような寛容な幕府の姿勢は、むろん、それだけの財政的裏付けもあったからである。幕府は、関ヶ原の役の戦後処理において西軍大名の所領を没収し、諸大名を配置転換させたうえで広大な天領を保有するに至った。また2回に及ぶ大坂の陣で豊臣を滅ぼしたのち、当時の経済的要衝であった京、大坂とその周辺といった上方の支配体制を盤石とした。 それ以外にも、幕府は外国貿易をほとんど独占し、甲州や佐渡、石見などといった鉱山を独占的に開発、運営することにより、巨額の黒字を計上するに至った。現代風に言えば、幕府は超優良な国営企業を複数所有して、輸出入企業さえも独占していたのである。このような「打ち出の小づち」という裏付けがあったからこそ、庶民に対して厳しい徴税姿勢を取らなくて済んだともいえる。 これにより幕府は諸藩を圧倒する富裕となり、おおむね18世紀に入るまで積極財政を繰り返した。幕府の開祖、徳川家康をまつる日光東照宮への歴代将軍一行の参拝(日光社参)は、徳川の武威、威光を諸藩や庶民に知らしめる目的もあり、惜しみなく盛大に行われた。また参勤交代制度によって街道筋の宿場町は発展し、官主体の消費によって、道路と物流が大きく整備されることになった。 幕府(政府)が惜しみなく金を使うことによって、その需要に応える民間部門が急速に成長し、これがのち、明治以降の日本近代資本主義につながるブルジョワジー(資本家)の勃興に貢献したのである。 もっともこのような幕府の放漫財政は長く続かず、18世紀までに金を使いすぎた幕府の国庫は空になり、慢性的な赤字状況となって、幕府財政の改善を企図するいわゆる「三大改革」が実行される。 しかしいったん儒教的精神によって、庶民に対する寛容な姿勢を維持してきた幕府が、財政が悪いからといって180度転換して大増税を行ったとなると、徳川の威信は低下し、一揆や打ちこわしが激増するなどして社会不安を引き起こしかねない。 幕府は年貢の計算方式の変更や追加の検地などの諸改革を行うものの、幕府財政が徳川三代(家康、秀忠、家光)の時代の、潤沢な状況に戻ることは幕府滅亡までついぞなかった。 さらに時代が経るとともに、金鉱山からの産出量が過剰採掘で減少し、また、当時世界的に吹き荒れた天候不順(小氷期)や火山の噴火による農業生産の不振、相次ぐ大地震の復旧費、江戸や大坂などの大都市に流入する人々への対策、大火によって焼失した建物修繕費用なども増大し、国庫の悪化にさらなる追い打ちをかけることになる。こうして幕藩体制は徐々にだが確実に疲労し、徳川の権勢の低下とともに時代は明治維新に向かっていく。 といっても、少なくとも幕府直轄の天領において、税負担が「五公五民」つまり収入の50%が年貢、という状況は、例外こそあるものの、基本的に起きづらかったといえる。現在の「大増税」を江戸時代になぞらえるのは、このような事実からいっても間違いである。もちろん、江戸時代に全国一律の社会福祉や近代医療はないし、インフラは比べようもなく劣悪である。近代的な人権意識は育まれず、人々は非科学的な迷信に重きを置いていた。 しかし税負担という意味でいえば、確実に現代は江戸時代よりも過酷であり、よって日本史上まれに見る庶民生活の困苦が具現化しているといえよう。まさに歴史的な重税の時代を我々は生きているのである。 (作家/令和政治社会問題研究所理事長/日本ペンクラブ正会員 古谷経衡)』、「当時の経済的要衝であった京、大坂とその周辺といった上方の支配体制を盤石とした。 それ以外にも、幕府は外国貿易をほとんど独占し、甲州や佐渡、石見などといった鉱山を独占的に開発、運営することにより、巨額の黒字を計上するに至った。現代風に言えば、幕府は超優良な国営企業を複数所有して、輸出入企業さえも独占していたのである。このような「打ち出の小づち」という裏付けがあったからこそ、庶民に対して厳しい徴税姿勢を取らなくて済んだともいえる・・・幕府は諸藩を圧倒する富裕となり、おおむね18世紀に入るまで積極財政を繰り返した。幕府の開祖、徳川家康をまつる日光東照宮への歴代将軍一行の参拝(日光社参)は、徳川の武威、威光を諸藩や庶民に知らしめる目的もあり、惜しみなく盛大に行われた。また参勤交代制度によって街道筋の宿場町は発展し、官主体の消費によって、道路と物流が大きく整備されることになった。 幕府(政府)が惜しみなく金を使うことによって、その需要に応える民間部門が急速に成長し、これがのち、明治以降の日本近代資本主義につながるブルジョワジー(資本家)の勃興に貢献したのである・・・金鉱山からの産出量が過剰採掘で減少し、また、当時世界的に吹き荒れた天候不順(小氷期)や火山の噴火による農業生産の不振、相次ぐ大地震の復旧費、江戸や大坂などの大都市に流入する人々への対策、大火によって焼失した建物修繕費用なども増大し、国庫の悪化にさらなる追い打ちをかけることになる。こうして幕藩体制は徐々にだが確実に疲労し、徳川の権勢の低下とともに時代は明治維新に向かっていく。 といっても、少なくとも幕府直轄の天領において、税負担が「五公五民」つまり収入の50%が年貢、という状況は、例外こそあるものの、基本的に起きづらかったといえる。現在の「大増税」を江戸時代になぞらえるのは、このような事実からいっても間違いである」、なるほど。

次に、本年5月24日付け日刊ゲンダイ「「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!」を紹介しよう。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/money/340640
・『6月に実施されるというのに制度設計がややこしくて、岸田首相自ら「広報で発信を強める」「効果を周知徹底し知ってもらう」とアピールせざるを得なくなっている定額減税。給与明細に減税額の「明記」が義務化されていたことが直前になって“周知”され、SNSなどで大炎上しているが、これに続く驚きの事実がまだあった。 定額減税は1人当たり所得税3万円、住民税1万円の計4万円。本人と扶養家族が対象なので、4人家族なら16万円になる。所得税は6月分から減税されるが、1カ月分だけでは満額差し引けない場合、翌月に残りの減税額が繰り越して差し引かれる』、「給与明細に減税額の「明記」が義務化されていたことが直前になって“周知”され、SNSなどで大炎上しているが、これに続く驚きの事実がまだあった。 定額減税は1人当たり所得税3万円、住民税1万円の計4万円。本人と扶養家族が対象なので、4人家族なら16万円になる。所得税は6月分から減税されるが、1カ月分だけでは満額差し引けない場合、翌月に残りの減税額が繰り越して差し引かれる」、わざわざ「定額減税」の有難味を知らしめようとする姑息な手段だ。
・『満額減税できない人へ1万円単位の給付金  一方、納税額が少なく、繰り越しても満額を引き切れない場合は、市区町村からの給付金の形で補填されることになっている。これが、事務手続きの簡素化という理由で、1万円単位での支給なのだ。満額との差額が0円超~1万円以下なら一律1万円、1万円超~2万円以下なら2万円が給付されるので、例えば、年間の納税額が3万9999円の人は、4万円の満額にわずか1円満たないだけでも、1万円が給付されるのである。 本来の定額減税のルール以上に過剰に給付することになるわけで、もらえる当人は「ラッキー」と喜ぶだろうが、原資は税金だ。不公平感があるし、国の政策としてどうなのか』、「年間の納税額が3万9999円の人は、4万円の満額にわずか1円満たないだけでも、1万円が給付されるのである。 本来の定額減税のルール以上に過剰に給付することになるわけで、もらえる当人は「ラッキー」と喜ぶだろうが、原資は税金だ。不公平感があるし、国の政策としてどうなのか」、全く酷い話だ。
・『1回こっきりの減税に余計にかかる支出は1150億円!  この点について、23日の記者会見で立憲民主党の長妻昭政調会長が言及。地方自治体の職員からも疑問の声が届いているという。加えて、長妻政調会長が財務省に確認した上で試算したところ、本来の減税額より多く給付することによって余計にかかる支出は、ナント1150億円程度にもなるそうだ(対象者の2300万人に平均5000円を給付したとして推計)。 長妻政調会長は日刊ゲンダイの取材にこう言った。 「『4万円』をどうしてもやるなら、給付の方が事務的にも余計な予算がかからない。ところが、給料が上がったように見せかけたいから、岸田首相は減税にこだわる。『増税メガネ』を払拭するためにコストをかけるのは前代未聞。選挙対策であり、人気取りに振り回されている」 たった1回こっきりの減税に、経理担当者はシステム変更や事務手続きで余計な仕事が増える。そのうえ1000億円規模の税金ムダ遣い! 不人気首相の支持率対策だけの世紀の愚策だ』、「本来の減税額より多く給付することによって余計にかかる支出は、ナント1150億円程度にもなるそうだ・・・『増税メガネ』を払拭するためにコストをかけるのは前代未聞。選挙対策であり、人気取りに振り回されている」 たった1回こっきりの減税に、経理担当者はシステム変更や事務手続きで余計な仕事が増える。そのうえ1000億円規模の税金ムダ遣い! 不人気首相の支持率対策だけの世紀の愚策だ」、まるで悪政の見本だ。

第三に、9月9日付け東洋経済オンラインが掲載した経済アナリスト・認定テクニカルアナリストの馬渕 磨理子氏による「日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか」を紹介しよう。
https://toyokeizai.net/articles/-/824332
・『自由民主党総裁選の争点として株式の売却益などへの金融所得課税が浮上している。金融所得課税の話題は必ずと言っていいほど注目が集まるものの、これに政治生命を賭けたい政治家はほぼいないといっていい。つまり、金融所得課税の議論は国民の関心をかき乱す「政争の具」として扱われかねない。本稿では金融所得課税の論点と焦点をまとめたうえで、安易な議論が国民への不信感につながる可能性を指摘したい』、興味深そうだ。
・『「金融所得課税」推進派と反対派の言い分  金融所得課税とは、投資信託、株式、預金などの金融商品から得た所得にかかる税金で、税率は所得に関わらず、原則として一律で20.3%となっている。もともと、金融所得課税の見直しは、2021年総裁選で岸田文雄首相が打ち出したが、その後、株価の大幅下落によって見送りを余儀なくされている。 そして今回、金融所得課税の強化をめぐっては、石破茂元幹事長が「実行したい」と語り、小泉進次郎元環境相、茂木敏充幹事長、小林鷹之前経済安全保障担当相、や河野太郎デジタル相、否定的な考えを表明。林芳正官房長官は状況を注視する姿勢を示している。 岸田首相や、石破茂元幹事長が金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある。) 国は格差是正のために社会保障を通じた再分配を行っている。しかし、現在の社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ。 これに対して、反対派は、そもそも富裕層の定義自体が曖昧なうえ、自民党として新NISA(少額投資非課税制度)の拡充などを進めてきたこととも逆行すると主張している。 一部の富裕層ではなく、多くの中間層が金融所得による所得増の恩恵を得られるよう取り組みを進めてきた流れで、金融所得課税を強化するというメッセージは誤解を持たれかねないほか、物価高に苦労する中間層に対する増税となりかねないとの意見が上がっている』、「金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある・・・社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ」、なるほど。
・『海外の金融所得税はどうなっている?  こうした議論の中で、参考になるのが海外の事例だ。財務省によれば、アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない。 金融所得課税は現時点で「再分配」という視点のみで議論されているが、税を優遇することによる「経済成長」の側面と両輪で議論されることが望ましい。日本が金融立国を目指すのであれば、アメリカ型なのか、シンガポール型なのか、日本独自の型で進むのか、こうしたグランドデザインの議論になれば総裁選の争点に値する。 では、日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。) フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。 それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。 富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ』、「アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない・・・日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。) フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。 それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。 富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ」、とすると「アメリカ」は必ずしも参考にはならないことになる。
・『日本と世界では富の集中構造が異なる  アメリカや世界で問題となっている富の集中構造は、一部の富裕層に圧倒的な資産が集中する構図だ。富を持つ数少ない人口が、より富を生み出し資産を拡大させている。 しかし、日本はどうやら構造が異なる。日本における資産が5億円以上の世帯は全体の0.2%で、その資産は97兆円(全体の6.2%)である。1億円以上の世帯は124万世帯で(全体の2.3%)、その資産は236兆円(全体の15.2%)だ。 一方で、3000万未満の世帯は4215万世帯で(全体の78%)、その資産は656兆円(42.2%)である。日本では、富裕層と呼ばれる層がそこまで資産が集まっているわけではない。中間層がいまだに多い国である。であれば、低所得者層から中間層に対して、金融教育を整えることで、国民全体の金融所得自体の底上げも可能ではないか。) では、日本のどこで格差が拡大しているのかというと、所得格差の度合いを測るために国際的に使われているジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。 近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。 つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない。海外に比べると少ない富裕層の資産から出た運用益に5%や10%を割増課税したとしても、再分配に寄与する金額は限られたものになる』、「ジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。 近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。 つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない」、なるほど。
・『日本で足りていないのは丁寧な議論と説明  金融所得課税の実現について語る際には、金融所得課税の対象を明確にし、課税によってどれくらい税収が見込めるのか、国民がきちんと理解できる形で丁寧に説明すべきだろう。むしろ、富裕層が国内で消費や投資をしやすい環境を作るほうが、経済を回し、消費税や法人税などの財源を増やす流れにつながる可能性もある。 もともと、金融所得課税の見直しは、2021年総裁選で岸田文雄首相が打ち出したが、その後、株価の大幅下落によって見送られた。しかし、岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている。岸田首相は「所得減税」という「減税」を断行したにもかかわらずだ。 未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる』、「岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている・・・未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる」、その通りだ。
タグ:「徳川の世になり、幕藩体制の安定のために幕府が儒教(朱子学)を官学として普及させたのが大きかった。儒教の世界観では、国を統治する支配者は高い徳を有するのであり、支配者には弱い者(女性や老人や子ども、病人など)を守る道徳的責任が強く課される、とされた。よってみだりに権力者が権威を振りかざして、被支配階級から搾取するのは「徳のある者がするべきでない行為」とされ、武士の道に反するという道徳観が出来上がったのである。 「農民が武士の次に偉く、さらにその次に職人(工)、末端に商人(商)という身分があり、あえて農民を武士の次としたのは、重税の不満をそらすためだったという説は、基本的に正しくない。なぜなら繰り返すようにそんな江戸時代の身分制自体が、虚妄に近かったと考えられてきたからである」、なるほど。 古谷経衡氏による「令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実」 ダイヤモンド・オンライン 税制一般 (その5)(令和の大増税は“江戸時代の五公五民”より過酷?「真の国民負担率」で見る不都合な真実、「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!、日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか) つまり、新田開発により収穫が増えているということは、当然幕府は把握しているものの、庶民の努力によって開発した新田などを隅々まで調査したうえで、そこに重い税金をかけて取り立てるのは、「支配者としてあるまじき行為」として認知されていたきらいがある。よって新田からの増収があっても、その部分は検地の際、意図的に見逃されたり、暗黙の了解として全部を課税の対象にしなかったり、などといういわゆる「おめこぼし」が多く存在していた」、なるほど。 「当時の経済的要衝であった京、大坂とその周辺といった上方の支配体制を盤石とした。 それ以外にも、幕府は外国貿易をほとんど独占し、甲州や佐渡、石見などといった鉱山を独占的に開発、運営することにより、巨額の黒字を計上するに至った。現代風に言えば、幕府は超優良な国営企業を複数所有して、輸出入企業さえも独占していたのである。 このような「打ち出の小づち」という裏付けがあったからこそ、庶民に対して厳しい徴税姿勢を取らなくて済んだともいえる・・・幕府は諸藩を圧倒する富裕となり、おおむね18世紀に入るまで積極財政を繰り返した。幕府の開祖、徳川家康をまつる日光東照宮への歴代将軍一行の参拝(日光社参)は、徳川の武威、威光を諸藩や庶民に知らしめる目的もあり、惜しみなく盛大に行われた。また参勤交代制度によって街道筋の宿場町は発展し、官主体の消費によって、道路と物流が大きく整備されることになった。 幕府(政府)が惜しみなく金を使うことによって、その需要に応える民間部門が急速に成長し、これがのち、明治以降の日本近代資本主義につながるブルジョワジー(資本家)の勃興に貢献したのである・・・金鉱山からの産出量が過剰採掘で減少し、また、当時世界的に吹き荒れた天候不順(小氷期)や火山の噴火による農業生産の不振、相次ぐ大地震の復旧費、江戸や大坂などの大都市に流入する人々への対策、大火によって焼失した建物修繕費用なども増大し、国庫の悪化にさらなる追い打ちをかけることになる。 こうして幕藩体制は徐々にだが確実に疲労し、徳川の権勢の低下とともに時代は明治維新に向かっていく。 といっても、少なくとも幕府直轄の天領において、税負担が「五公五民」つまり収入の50%が年貢、という状況は、例外こそあるものの、基本的に起きづらかったといえる。現在の「大増税」を江戸時代になぞらえるのは、このような事実からいっても間違いである」、なるほど。 日刊ゲンダイ「「定額減税」給与明細の記載義務化に輪をかけてボロ…税金ムダ遣いの“過剰支出”1150億円も!」 「給与明細に減税額の「明記」が義務化されていたことが直前になって“周知”され、SNSなどで大炎上しているが、これに続く驚きの事実がまだあった。 定額減税は1人当たり所得税3万円、住民税1万円の計4万円。本人と扶養家族が対象なので、4人家族なら16万円になる。所得税は6月分から減税されるが、1カ月分だけでは満額差し引けない場合、翌月に残りの減税額が繰り越して差し引かれる」、わざわざ「定額減税」の有難味を知らしめようとする姑息な手段だ。 「年間の納税額が3万9999円の人は、4万円の満額にわずか1円満たないだけでも、1万円が給付されるのである。 本来の定額減税のルール以上に過剰に給付することになるわけで、もらえる当人は「ラッキー」と喜ぶだろうが、原資は税金だ。不公平感があるし、国の政策としてどうなのか」、全く酷い話だ。 「本来の減税額より多く給付することによって余計にかかる支出は、ナント1150億円程度にもなるそうだ・・・『増税メガネ』を払拭するためにコストをかけるのは前代未聞。選挙対策であり、人気取りに振り回されている」 たった1回こっきりの減税に、経理担当者はシステム変更や事務手続きで余計な仕事が増える。そのうえ1000億円規模の税金ムダ遣い! 不人気首相の支持率対策だけの世紀の愚策だ」、まるで悪政の見本だ。 東洋経済オンライン 馬渕 磨理子氏による「日本の「金融所得課税」議論で圧倒的に欠けた視点 総裁選の争点だが、政争の具になっていないか」 「金融所得課税を強化で狙うのは、総所得が1億円を超えると所得税の負担率が下がる「1億円の壁」の打破だ。富裕層は所得だけでなく、金融所得も多く保有してるため、20.3%の課税は税制上有利になっているという考えがもととなっている。経済成長の恩恵の分配によって格差是正を図りたいという思惑がある・・・ 社会保障給付での再配分は、受給者が「高齢者」であり、財源である保険料は「現役世代」が負担している。構造的に日本では現役世代から高齢者への再配分となっている。このため、「高所得者」から「低所得者」への再配分を行うには、金融所得課税が適しているというのが推進派の考えだ」、なるほど。 「アメリカは7.1~34.8%、イギリスは10%または20%と、所得ごとに金融所得に対する適⽤税率が決定されている。ドイツは26.4%で一律。日本と同じ運用になっている。また、シンガポールの場合、株式、金融商品の売却益が課税対象にはならない・・・日本はアメリカを参考にするべきなのだろうか。 この議論をする上で必要なのは、日本が諸外国と同じように富裕層における「富の集中」が進んでいるかだろう。日本の富裕層の人口や保有資産から見てみたい。) フランスの経済学者トマ・ピケティは世界のトップ1%の超富裕層に富が集まっており、世界的に格差が拡大していると指摘しているが、日本国内ではどうだろうか。参考になるデータがある。2022年2月に日本証券業協会がまとめた「格差の国際比較と資産形成の課題について」と題して発表されたレポートだ。 それによると、日本における所得1億円超えの人口は約2万人で、労働力人口に 占める割合は約0.04%である。アメリカで、所得100万ドル以上は53万件存在し、全体の0.4%と、日本の10倍の開きがある。 富裕層への富の集中度合について調査したOECDのデータでは、富の集中度合1位のアメリカでは上位1%の層に40%の富が偏っている。日本は、上位1%の層が保有する富の割合は11%で、これは、OECDが統計を公表している27カ国のうち2番目に低い。日本では、富裕層への富の集中度合いは相対的に低い水準となっているわけだ」、とすると「アメリカ」は必ずしも参考にはならないことになる。 「ジニ係数では、格差が広がっているのは高齢者世帯で、現役世帯の所得格差は比較的小さいことが確認できる。むしろ、日本の課題は高齢世代の低所得層にあると言える。 近年の傾向は、もともと存在していた一部の富裕層の資産が増えたのではなく、新たな富裕層が加わったことで富裕層の総資産が拡大している。株などの投資が普及したことで、これまで富裕層でなかった層が資産を形成しつつあるのだ。 富める者だけがさらに富んだ、というわけではないのが日本の現状だ。 つまり、日本はアメリカなどとは富の集中構造が大きく異なり、海外における議論をそのまま当てはめることはできない」、なるほど。 「岸田首相が退陣を決めた今でも、金融所得課税のネガティブな印象は深く一部の国民や個人投資家の心に突き刺さっている・・・未来に向けてどんなに前向きな議論や政策を論じようとしても、一度ついた印象を拭うのは容易ではない。デフレから脱却し、日本経済を前に進ませる時期に最も重要な視点は何か。それは、政治と国民との信頼関係を構築することであり、政治家には国民と同じ目線でコミュニケーションを図ることが求められる」、その通りだ。
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