介護施設(老人ホーム)問題(その9)(介護施設の意義5題:「介護施設で死ぬ人 増えてます」…介護アドバイザーが語る 『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”、『人らしさ』を守る“最後の砦”…病院ではなく 介護施設を『死に場所』に選ぶ人が増えている納得の理由、「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは、介護なんかできない 出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは、機能 [社会]
昨日に続いて、介護施設(老人ホーム)問題を取上げよう。今日は(その9)(介護施設の意義5題:「介護施設で死ぬ人 増えてます」…介護アドバイザーが語る 『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”、『人らしさ』を守る“最後の砦”…病院ではなく 介護施設を『死に場所』に選ぶ人が増えている納得の理由、「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは、介護なんかできない 出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは、機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること)である。
先ずは、本年9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「「介護施設で死ぬ人、増えてます」…介護アドバイザーが語る、『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136367
・『2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。 介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第1回』、興味深そうだ。
・『介護の現場で人の死を看取るとはどういうことか 介護保険が導入されて以降、介護老人保健施設(老健)、特別養護老人ホーム(特養)、グループホームといった介護施設で人を看取ることが、公的にも法的にも認められるようになりました。 こうした施設は、入居者の「生活支援の場」です。 身体機能が衰えて体を自由に動かすことが困難になったり認知症を発症したりして、食事、入浴、排泄、その他の日常生活にさまざまな支障をきたすようになったお年寄りが、できるだけあるがままにその人らしく暮らしていけるように手助けをする役割を担っています。 ですから介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります』、「介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります、なるほど。
・『その人らしい生活を最後まで支え抜く では、施設という生活支援の場で人の最期を見届けるとはどういうことなのでしょうか。 一口に言えば、現在施設で暮らしているお年寄りのその人らしい生活を最後まで支え抜くということ、一般に言われているQOL(生活の質)を守るということです。 その人らしい生活のベースには、まず、あたりまえの生活というものがあります。読者の皆さんに「昨日どのようにして過ごしましたか?」と尋ねたら、おそらく全員から違う答えが返ってくるはずです。 ただし、ほとんどの人に共通していることもあります。たとえば朝目覚めること、今日これから起きるであろう出来事を思い浮かべながら着替えや洗面などの身繕いをすること、おなかを空かせてごはんを食べること、おしっこやうんこをしたいと感じたときに排泄すること、ゆっくりとお風呂に入ること、親しい人と語り合うこと、そして夜になったら「ああ、寝るのがいちばん」と言って床に就くこと……。 これらがあたりまえの生活の具体的な中身です。それに加えて、人それぞれにさまざまなこだわりをもっています。 「朝目が覚めたらすぐに歯を磨きたい」というおじいさんもいれば、「歯磨きは必ずごはんを食べた後で」というおばあさんもいます。「お風呂に入ったら、湯ぶねに浸けたタオルで耳の後ろをこすりたい」というおばあさんもいれば、「湯ぶねにタオルを浸けるなんてもってのほかだ!」と思っているおじいさんもいます。 これらはどちらがいいか悪いかという問題ではありません。その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています。 『「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは』へ続く』、「その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています」、なるほど。
次に、9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「『人らしさ』を守る“最後の砦”…病院ではなく、介護施設を『死に場所』に選ぶ人が増えている納得の理由」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136370
・『・・・『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第2回 『「介護施設で死ぬ人、増えてます」…介護アドバイザーが語る、『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”』より続く』、興味深そうだ。
・『介護の現場で人の死を看取るとはどういうことか 介護保険が導入されて以降、介護老人保健施設(老健)、特別養護老人ホーム(特養)、グループホームといった介護施設で人を看取ることが、公的にも法的にも認められるようになりました。 こうした施設は、入居者の「生活支援の場」です。 身体機能が衰えて体を自由に動かすことが困難になったり認知症を発症したりして、食事、入浴、排泄、その他の日常生活にさまざまな支障をきたすようになったお年寄りが、できるだけあるがままにその人らしく暮らしていけるように手助けをする役割を担っています。 ですから介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります』、「介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります」、なるほど。
・『その人らしい生活を最後まで支え抜く では、施設という生活支援の場で人の最期を見届けるとはどういうことなのでしょうか。 一口に言えば、現在施設で暮らしているお年寄りのその人らしい生活を最後まで支え抜くということ、一般に言われているQOL(生活の質)を守るということです。 その人らしい生活のベースには、まず、あたりまえの生活というものがあります。読者の皆さんに「昨日どのようにして過ごしましたか?」と尋ねたら、おそらく全員から違う答えが返ってくるはずです。 ただし、ほとんどの人に共通していることもあります。たとえば朝目覚めること、今日これから起きるであろう出来事を思い浮かべながら着替えや洗面などの身繕いをすること、おなかを空かせてごはんを食べること、おしっこやうんこをしたいと感じたときに排泄すること、ゆっくりとお風呂に入ること、親しい人と語り合うこと、そして夜になったら「ああ、寝るのがいちばん」と言って床に就くこと……。 これらがあたりまえの生活の具体的な中身です。それに加えて、人それぞれにさまざまなこだわりをもっています。 「朝目が覚めたらすぐに歯を磨きたい」というおじいさんもいれば、「歯磨きは必ずごはんを食べた後で」というおばあさんもいます。「お風呂に入ったら、湯ぶねに浸けたタオルで耳の後ろをこすりたい」というおばあさんもいれば、「湯ぶねにタオルを浸けるなんてもってのほかだ!」と思っているおじいさんもいます。 これらはどちらがいいか悪いかという問題ではありません。その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています。 『「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは』へ続く』、「現在施設で暮らしているお年寄りのその人らしい生活を最後まで支え抜くということ、一般に言われているQOL(生活の質)を守るということです・・・その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています」、なるほど。
第三に、9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136592
・・・・『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第3回
・『尊厳と尊重、分かっていますか? 私は、生活支援の場ではあたりまえの生活はもちろんのこと、人それぞれの生活習慣やこだわりも大切にしなければならないと考えています。なぜなら、それが個人の尊厳や尊重に直結するからです。 個人の尊厳・尊重というといささか大げさに聞こえるかもしれませんが、言い換えればある個人が別の個人を、人として大切にするということです。何をどう大切にするのかといえば、その人がいままで生きてきた人生や生活の中でこだわってきたこと、大切にしてきたことを、その人がどんな状態になっても一緒に続けていく、または続けていけるようにする、ということです。 ところが年齢を重ねるにつれて、あたりまえの生活やその人らしい生活を脅かす事態が生じます。目が見えない、耳が聞こえない、手足が動かない、自分の子どもを見ても誰だかわからない、といった不具合です。こうした身体の障害、精神・知的の障害、視聴覚の障害、内臓が正常に働かなくなる内部障害を総称して「機能障害」と呼んでいます。 機能障害がその人らしい生活を脅かすのであれば、それらの障害をなくす、あるいは軽減することによってそれに対抗するという考え方があります。この考え方に基づいて「治療」という行為を行うのが医療の現場です。 ですから、医療現場での目標は治癒または回復です。つまり、その人をもとの状態(いわゆる正常)に戻すということが最高の価値をもちます。そのために手術や投薬などの処置、機能回復のためのリハビリテーション訓練などが行われます』、「身体の障害、精神・知的の障害、視聴覚の障害、内臓が正常に働かなくなる内部障害を総称して「機能障害」と呼んでいます。 機能障害がその人らしい生活を脅かすのであれば、それらの障害をなくす、あるいは軽減することによってそれに対抗するという考え方があります。この考え方に基づいて「治療」という行為を行うのが医療の現場です。 ですから、医療現場での目標は治癒または回復です。つまり、その人をもとの状態(いわゆる正常)に戻すということが最高の価値をもちます。そのために手術や投薬などの処置、機能回復のためのリハビリテーション訓練などが行われます」、なるほど。
・『老いて病んで死んでいく人の価値を決めるものは? ただし、医療現場で第一に優先されるのは「命を守る」ということです。人が生きるか死ぬかの瀬戸際で、その命を守ろうとする仕事はきわめて重要です。実際、日本では多くの国民が医療の恩恵にあずかっています。そして、医療技術の発達・発展にともない、昔なら死んでいた人が生き延びることができるようになりました。これはたいへん素晴らしいことです。 ところが、命だけは助かったけれど新たな機能障害が生じたり、もともとあった機能障害がより重くなったりすることがあります。患者さんが高齢であれば、その可能性はより高くなります。 「私、脳卒中や肺炎の治療は終わりました。でも、目が見えないんですよ。手足が動かないんですよ。息子が誰だかわからないんですよ、自分で食べられないしトイレにも行けないんですよ。そんな私がどうやって生きていけばいいんですか?生きていく意味、ありますか?」 お年寄りの皆さんは、それを全身で聞いてきます。目はうつろで、寝返りひとつ打てない全介助レベルのおじいさんも、1日中手をたたいてよだれをダラダラ流し、「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」と歌っているおばあさんも、全身で聞いてくるんです。 「老いて病んで、ただ死んでいこうとしている私に、お前たちはなんで近づこうとするんだ」と。 この問いに、私たち介護者は応えていかなければなりません。私はそこに医療技術がここまで発達した現代ならではの、新しいニーズがあると感じています。 『介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは』へ続く』、「「老いて病んで、ただ死んでいこうとしている私に、お前たちはなんで近づこうとするんだ」と。 この問いに、私たち介護者は応えていかなければなりません。私はそこに医療技術がここまで発達した現代ならではの、新しいニーズがあると感じています」、なるほど。
第四に、9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136599
・『・・・『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第4回』、
・『典型的な迷惑入居者(老いて病んで、ただ死んでいく人たちの価値は何によって決まると思いますか? それは、そのお年寄りが「出会った人」で決まります。 お年寄りの今までの生き方を無視して数や量として扱うのか、やっかい者として排除するのか、それとも、ひとりの大切な人として最後まで見届けるのか。つまりお年寄りがどんな最期を迎えるかは、そのお年寄りが誰に出会ったかで決まるのです。生活支援の場におけるターミナルケアでもっとも重要なのはこの一点です。 私が勤務している施設に、認知症の典型のようなおじいさんが入居していました。 昼夜を問わず施設内を徘徊し、大声を出し、ところかまわず放尿するわ、気に入らないことがあると職員に暴力をふるうわで、「介護なんかできないよ。出て行ってもらおう!」と職員たちの大ブーイングが起きたこともありました。 それでも何とか踏みとどまって職員たちが受け入れ続けたのは、施設に来る前、手に負えないこのおじいさんの面倒を70歳過ぎたおばあさんがたったひとりでみていて、苦労の末に、困り果てて私たちの施設にやって来たことを、ケアマネジャーからの申し送りで知っていたからです。 「奥さんがここまで頑張ったのだから、私たちだって、もう少し頑張ろうよ」とお互いに声をかけ合っていました。 そんなふうに、しばらくは元気いっぱいに暴れ回り、職員たちをさんざん手こずらせたおじいさんは、数年後に風邪をこじらせて肺炎を起こし、病院に入院しました。幸い肺炎は2週間ほどで完治しましたが、退院して戻ってくると1日中ボーッとしています。おまけに病院では治療のために絶食していたので、自分から物を食べようとしなくなりました』、「昼夜を問わず施設内を徘徊し、大声を出し、ところかまわず放尿するわ、気に入らないことがあると職員に暴力をふるうわで、「介護なんかできないよ。出て行ってもらおう!」と職員たちの大ブーイングが起きたこともありました・・・数年後に風邪をこじらせて肺炎を起こし、病院に入院しました。幸い肺炎は2週間ほどで完治しましたが、退院して戻ってくると1日中ボーッとしています。おまけに病院では治療のために絶食していたので、自分から物を食べようとしなくなりました」、なるほど。
・その人が、「自分である」ということ 職員がこのおじいさんの肩を揺すり、一所懸命に食べてもらおうとします。 「じいちゃん、もう一口食べて。今食べないとチューブ(経管栄養)になっちゃうよ」 その様子を見ていた別の職員が言いました。 「じいちゃん、大声出してよ。歩き回ってよ。警察くらい呼んでこいよ!」 あれほど嫌だった大声です。職員みんなが振り回され、たいへんな思いをさせられた徘徊です。勝手に施設を抜け出し、「お宅のおじいさんを預かっています」という警察からの電話に大騒動したこともありました。それをもう一度やってみせてくれと言うんです。このおじいさんは最後にこんな職員たちと出会いました。 認知症のお年寄りが抱える恐さは、記憶が障害される恐さです。記憶が障害されるということは、自分が自分を忘れるということ。自分が他人から忘れられるということ。それはいないも同じ、「死んだ」も同然です。おじいさんの「自分を忘れたくない」「私を忘れられたくない」「私を生きていたい」という思いが、大声や徘徊という行動を引き起こしていることを、現場の職員たちは知っています。 「私はおじいさんに生きていてほしい。だから、おじいさんの生きたいという気持ちを、もう一度見せてよ」 おじいさんの思わぬ行動の一つひとつに振り回されていた日々、あのとき、おじいさんと職員はともに生きていました。だからこそ職員たちはもう一度ともに生きたいと願い、その気持ちが「大声出してよ」「歩き回ってよ」という言葉になったのです。 機能障害が、その人の「個性」になった瞬間です。 『機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること』へ続く』、「認知症のお年寄りが抱える恐さは、記憶が障害される恐さです。記憶が障害されるということは、自分が自分を忘れるということ。自分が他人から忘れられるということ。それはいないも同じ、「死んだ」も同然です。おじいさんの「自分を忘れたくない」「私を忘れられたくない」「私を生きていたい」という思いが、大声や徘徊という行動を引き起こしていることを、現場の職員たちは知っています・・・あのとき、おじいさんと職員はともに生きていました。だからこそ職員たちはもう一度ともに生きたいと願い、その気持ちが「大声出してよ」「歩き回ってよ」という言葉になったのです。 機能障害が、その人の「個性」になった瞬間です」、なるほど。
第五に、9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136600
・『・・・『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第5回
・『機能障害が個性になっていくプロセスをともに生きる 機能障害は、もちろんはじめからその人の個性だったのではありません。個性になっていく過程があります。 医療技術では治らない機能障害が、お年寄りの生きにくさ、生活のしにくさとしてその人を苦しめている、まさにそのときに私たち介護職と出会ったとしたらどうでしょう。 私たちは、治らない機能障害がある人は、人としてダメなんじゃなくて、その治らない機能障害も含めて、それがあるがままのその人なのだと考えます。 「そのあるがままの自分で生きていくのがつらいとか、悲しいだなんておかしいよ」 それが生活支援の場で働く私たちの立ち位置です。この、機能障害が個性になっていく過程を踏む時間と場所が、私たちのいる生活支援の現場なのです』、「私たちは、治らない機能障害がある人は、人としてダメなんじゃなくて、その治らない機能障害も含めて、それがあるがままのその人なのだと考えます。 「そのあるがままの自分で生きていくのがつらいとか、悲しいだなんておかしいよ」 それが生活支援の場で働く私たちの立ち位置です」、なるほど。
・『医療現場で亡くなること、介護施設で看取られること 病院で人が死ぬということは、病名で死ぬということです。「3号室の肺炎の方が亡くなりました」「特別室の胃がんの方が死亡しました」というように。そこに個別の患者に対する人生にまでおよぶ特別の思い入れを望むことは、なかなか難しいでしょう。 ただし病院のすごいところは、昨日今日出会った人でも、その命を見届けることができるということです。言い換えれば、その人の体の状態を瞬時に把握し、そのときどきに必要な医療を、その人が亡くなるまで提供しつづけるということです。これは介護施設では不可能なことです。 一方、生活支援の場である介護施設で人が死ぬということは、たったひとつの、その人だけの固有名詞で見送られるということです。私たち介護職員はひとりの入居者であるこのおじいさんと、1年、3年、5年、10年……という歳月をともに過ごす中でいくつものエピソードを積み重ね、最後はかけがえのないたったひとりの「○○さん」として見送ることができます。 その点が、医療現場で亡くなられることと、生活支援の場の看取りとの決定的な違いです』、「病院で人が死ぬということは、病名で死ぬということです。「3号室の肺炎の方が亡くなりました」「特別室の胃がんの方が死亡しました」というように。そこに個別の患者に対する人生にまでおよぶ特別の思い入れを望むことは、なかなか難しいでしょう。 ただし病院のすごいところは、昨日今日出会った人でも、その命を見届けることができるということです・・・生活支援の場である介護施設で人が死ぬということは、たったひとつの、その人だけの固有名詞で見送られるということです。私たち介護職員はひとりの入居者であるこのおじいさんと、1年、3年、5年、10年……という歳月をともに過ごす中でいくつものエピソードを積み重ね、最後はかけがえのないたったひとりの「○○さん」として見送ることができます」、「病院」で死ぬのと、「過誤施設」で死ぬのには確かに大きな違いがあるようだ。
先ずは、本年9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「「介護施設で死ぬ人、増えてます」…介護アドバイザーが語る、『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136367
・『2015年に厚生労働省が出した統計によれば、日本人が亡くなった場所は病院、自宅の次に、「介護施設」が多くなっている。治療に特化した病院でもなく、住み慣れた自宅でもない「介護施設」で亡くなるとはどういうことなのか。 介護アドバイザーとして活躍し、介護施設で看・介護部長も務める筆者が、終末期の入居者や家族の実例を交えながら介護施設の舞台裏を語る『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著)より、介護施設の実態に迫っていこう。『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第1回』、興味深そうだ。
・『介護の現場で人の死を看取るとはどういうことか 介護保険が導入されて以降、介護老人保健施設(老健)、特別養護老人ホーム(特養)、グループホームといった介護施設で人を看取ることが、公的にも法的にも認められるようになりました。 こうした施設は、入居者の「生活支援の場」です。 身体機能が衰えて体を自由に動かすことが困難になったり認知症を発症したりして、食事、入浴、排泄、その他の日常生活にさまざまな支障をきたすようになったお年寄りが、できるだけあるがままにその人らしく暮らしていけるように手助けをする役割を担っています。 ですから介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります』、「介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります、なるほど。
・『その人らしい生活を最後まで支え抜く では、施設という生活支援の場で人の最期を見届けるとはどういうことなのでしょうか。 一口に言えば、現在施設で暮らしているお年寄りのその人らしい生活を最後まで支え抜くということ、一般に言われているQOL(生活の質)を守るということです。 その人らしい生活のベースには、まず、あたりまえの生活というものがあります。読者の皆さんに「昨日どのようにして過ごしましたか?」と尋ねたら、おそらく全員から違う答えが返ってくるはずです。 ただし、ほとんどの人に共通していることもあります。たとえば朝目覚めること、今日これから起きるであろう出来事を思い浮かべながら着替えや洗面などの身繕いをすること、おなかを空かせてごはんを食べること、おしっこやうんこをしたいと感じたときに排泄すること、ゆっくりとお風呂に入ること、親しい人と語り合うこと、そして夜になったら「ああ、寝るのがいちばん」と言って床に就くこと……。 これらがあたりまえの生活の具体的な中身です。それに加えて、人それぞれにさまざまなこだわりをもっています。 「朝目が覚めたらすぐに歯を磨きたい」というおじいさんもいれば、「歯磨きは必ずごはんを食べた後で」というおばあさんもいます。「お風呂に入ったら、湯ぶねに浸けたタオルで耳の後ろをこすりたい」というおばあさんもいれば、「湯ぶねにタオルを浸けるなんてもってのほかだ!」と思っているおじいさんもいます。 これらはどちらがいいか悪いかという問題ではありません。その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています。 『「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは』へ続く』、「その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています」、なるほど。
次に、9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「『人らしさ』を守る“最後の砦”…病院ではなく、介護施設を『死に場所』に選ぶ人が増えている納得の理由」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136370
・『・・・『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第2回 『「介護施設で死ぬ人、増えてます」…介護アドバイザーが語る、『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”』より続く』、興味深そうだ。
・『介護の現場で人の死を看取るとはどういうことか 介護保険が導入されて以降、介護老人保健施設(老健)、特別養護老人ホーム(特養)、グループホームといった介護施設で人を看取ることが、公的にも法的にも認められるようになりました。 こうした施設は、入居者の「生活支援の場」です。 身体機能が衰えて体を自由に動かすことが困難になったり認知症を発症したりして、食事、入浴、排泄、その他の日常生活にさまざまな支障をきたすようになったお年寄りが、できるだけあるがままにその人らしく暮らしていけるように手助けをする役割を担っています。 ですから介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります』、「介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります」、なるほど。
・『その人らしい生活を最後まで支え抜く では、施設という生活支援の場で人の最期を見届けるとはどういうことなのでしょうか。 一口に言えば、現在施設で暮らしているお年寄りのその人らしい生活を最後まで支え抜くということ、一般に言われているQOL(生活の質)を守るということです。 その人らしい生活のベースには、まず、あたりまえの生活というものがあります。読者の皆さんに「昨日どのようにして過ごしましたか?」と尋ねたら、おそらく全員から違う答えが返ってくるはずです。 ただし、ほとんどの人に共通していることもあります。たとえば朝目覚めること、今日これから起きるであろう出来事を思い浮かべながら着替えや洗面などの身繕いをすること、おなかを空かせてごはんを食べること、おしっこやうんこをしたいと感じたときに排泄すること、ゆっくりとお風呂に入ること、親しい人と語り合うこと、そして夜になったら「ああ、寝るのがいちばん」と言って床に就くこと……。 これらがあたりまえの生活の具体的な中身です。それに加えて、人それぞれにさまざまなこだわりをもっています。 「朝目が覚めたらすぐに歯を磨きたい」というおじいさんもいれば、「歯磨きは必ずごはんを食べた後で」というおばあさんもいます。「お風呂に入ったら、湯ぶねに浸けたタオルで耳の後ろをこすりたい」というおばあさんもいれば、「湯ぶねにタオルを浸けるなんてもってのほかだ!」と思っているおじいさんもいます。 これらはどちらがいいか悪いかという問題ではありません。その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています。 『「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは』へ続く』、「現在施設で暮らしているお年寄りのその人らしい生活を最後まで支え抜くということ、一般に言われているQOL(生活の質)を守るということです・・・その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています」、なるほど。
第三に、9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136592
・・・・『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第3回
・『尊厳と尊重、分かっていますか? 私は、生活支援の場ではあたりまえの生活はもちろんのこと、人それぞれの生活習慣やこだわりも大切にしなければならないと考えています。なぜなら、それが個人の尊厳や尊重に直結するからです。 個人の尊厳・尊重というといささか大げさに聞こえるかもしれませんが、言い換えればある個人が別の個人を、人として大切にするということです。何をどう大切にするのかといえば、その人がいままで生きてきた人生や生活の中でこだわってきたこと、大切にしてきたことを、その人がどんな状態になっても一緒に続けていく、または続けていけるようにする、ということです。 ところが年齢を重ねるにつれて、あたりまえの生活やその人らしい生活を脅かす事態が生じます。目が見えない、耳が聞こえない、手足が動かない、自分の子どもを見ても誰だかわからない、といった不具合です。こうした身体の障害、精神・知的の障害、視聴覚の障害、内臓が正常に働かなくなる内部障害を総称して「機能障害」と呼んでいます。 機能障害がその人らしい生活を脅かすのであれば、それらの障害をなくす、あるいは軽減することによってそれに対抗するという考え方があります。この考え方に基づいて「治療」という行為を行うのが医療の現場です。 ですから、医療現場での目標は治癒または回復です。つまり、その人をもとの状態(いわゆる正常)に戻すということが最高の価値をもちます。そのために手術や投薬などの処置、機能回復のためのリハビリテーション訓練などが行われます』、「身体の障害、精神・知的の障害、視聴覚の障害、内臓が正常に働かなくなる内部障害を総称して「機能障害」と呼んでいます。 機能障害がその人らしい生活を脅かすのであれば、それらの障害をなくす、あるいは軽減することによってそれに対抗するという考え方があります。この考え方に基づいて「治療」という行為を行うのが医療の現場です。 ですから、医療現場での目標は治癒または回復です。つまり、その人をもとの状態(いわゆる正常)に戻すということが最高の価値をもちます。そのために手術や投薬などの処置、機能回復のためのリハビリテーション訓練などが行われます」、なるほど。
・『老いて病んで死んでいく人の価値を決めるものは? ただし、医療現場で第一に優先されるのは「命を守る」ということです。人が生きるか死ぬかの瀬戸際で、その命を守ろうとする仕事はきわめて重要です。実際、日本では多くの国民が医療の恩恵にあずかっています。そして、医療技術の発達・発展にともない、昔なら死んでいた人が生き延びることができるようになりました。これはたいへん素晴らしいことです。 ところが、命だけは助かったけれど新たな機能障害が生じたり、もともとあった機能障害がより重くなったりすることがあります。患者さんが高齢であれば、その可能性はより高くなります。 「私、脳卒中や肺炎の治療は終わりました。でも、目が見えないんですよ。手足が動かないんですよ。息子が誰だかわからないんですよ、自分で食べられないしトイレにも行けないんですよ。そんな私がどうやって生きていけばいいんですか?生きていく意味、ありますか?」 お年寄りの皆さんは、それを全身で聞いてきます。目はうつろで、寝返りひとつ打てない全介助レベルのおじいさんも、1日中手をたたいてよだれをダラダラ流し、「ぽっぽっぽ、鳩ぽっぽ」と歌っているおばあさんも、全身で聞いてくるんです。 「老いて病んで、ただ死んでいこうとしている私に、お前たちはなんで近づこうとするんだ」と。 この問いに、私たち介護者は応えていかなければなりません。私はそこに医療技術がここまで発達した現代ならではの、新しいニーズがあると感じています。 『介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは』へ続く』、「「老いて病んで、ただ死んでいこうとしている私に、お前たちはなんで近づこうとするんだ」と。 この問いに、私たち介護者は応えていかなければなりません。私はそこに医療技術がここまで発達した現代ならではの、新しいニーズがあると感じています」、なるほど。
第四に、9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136599
・『・・・『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第4回』、
・『典型的な迷惑入居者(老いて病んで、ただ死んでいく人たちの価値は何によって決まると思いますか? それは、そのお年寄りが「出会った人」で決まります。 お年寄りの今までの生き方を無視して数や量として扱うのか、やっかい者として排除するのか、それとも、ひとりの大切な人として最後まで見届けるのか。つまりお年寄りがどんな最期を迎えるかは、そのお年寄りが誰に出会ったかで決まるのです。生活支援の場におけるターミナルケアでもっとも重要なのはこの一点です。 私が勤務している施設に、認知症の典型のようなおじいさんが入居していました。 昼夜を問わず施設内を徘徊し、大声を出し、ところかまわず放尿するわ、気に入らないことがあると職員に暴力をふるうわで、「介護なんかできないよ。出て行ってもらおう!」と職員たちの大ブーイングが起きたこともありました。 それでも何とか踏みとどまって職員たちが受け入れ続けたのは、施設に来る前、手に負えないこのおじいさんの面倒を70歳過ぎたおばあさんがたったひとりでみていて、苦労の末に、困り果てて私たちの施設にやって来たことを、ケアマネジャーからの申し送りで知っていたからです。 「奥さんがここまで頑張ったのだから、私たちだって、もう少し頑張ろうよ」とお互いに声をかけ合っていました。 そんなふうに、しばらくは元気いっぱいに暴れ回り、職員たちをさんざん手こずらせたおじいさんは、数年後に風邪をこじらせて肺炎を起こし、病院に入院しました。幸い肺炎は2週間ほどで完治しましたが、退院して戻ってくると1日中ボーッとしています。おまけに病院では治療のために絶食していたので、自分から物を食べようとしなくなりました』、「昼夜を問わず施設内を徘徊し、大声を出し、ところかまわず放尿するわ、気に入らないことがあると職員に暴力をふるうわで、「介護なんかできないよ。出て行ってもらおう!」と職員たちの大ブーイングが起きたこともありました・・・数年後に風邪をこじらせて肺炎を起こし、病院に入院しました。幸い肺炎は2週間ほどで完治しましたが、退院して戻ってくると1日中ボーッとしています。おまけに病院では治療のために絶食していたので、自分から物を食べようとしなくなりました」、なるほど。
・その人が、「自分である」ということ 職員がこのおじいさんの肩を揺すり、一所懸命に食べてもらおうとします。 「じいちゃん、もう一口食べて。今食べないとチューブ(経管栄養)になっちゃうよ」 その様子を見ていた別の職員が言いました。 「じいちゃん、大声出してよ。歩き回ってよ。警察くらい呼んでこいよ!」 あれほど嫌だった大声です。職員みんなが振り回され、たいへんな思いをさせられた徘徊です。勝手に施設を抜け出し、「お宅のおじいさんを預かっています」という警察からの電話に大騒動したこともありました。それをもう一度やってみせてくれと言うんです。このおじいさんは最後にこんな職員たちと出会いました。 認知症のお年寄りが抱える恐さは、記憶が障害される恐さです。記憶が障害されるということは、自分が自分を忘れるということ。自分が他人から忘れられるということ。それはいないも同じ、「死んだ」も同然です。おじいさんの「自分を忘れたくない」「私を忘れられたくない」「私を生きていたい」という思いが、大声や徘徊という行動を引き起こしていることを、現場の職員たちは知っています。 「私はおじいさんに生きていてほしい。だから、おじいさんの生きたいという気持ちを、もう一度見せてよ」 おじいさんの思わぬ行動の一つひとつに振り回されていた日々、あのとき、おじいさんと職員はともに生きていました。だからこそ職員たちはもう一度ともに生きたいと願い、その気持ちが「大声出してよ」「歩き回ってよ」という言葉になったのです。 機能障害が、その人の「個性」になった瞬間です。 『機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること』へ続く』、「認知症のお年寄りが抱える恐さは、記憶が障害される恐さです。記憶が障害されるということは、自分が自分を忘れるということ。自分が他人から忘れられるということ。それはいないも同じ、「死んだ」も同然です。おじいさんの「自分を忘れたくない」「私を忘れられたくない」「私を生きていたい」という思いが、大声や徘徊という行動を引き起こしていることを、現場の職員たちは知っています・・・あのとき、おじいさんと職員はともに生きていました。だからこそ職員たちはもう一度ともに生きたいと願い、その気持ちが「大声出してよ」「歩き回ってよ」という言葉になったのです。 機能障害が、その人の「個性」になった瞬間です」、なるほど。
第五に、9月30日付け現代ビジネスが掲載した理学療法士・介護支援専門員・介護福祉士 現:介護アドバイザー/「元気がでる介護研究所」代表の髙口 光子氏による「機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること」を紹介しよう。
https://gendai.media/articles/-/136600
・『・・・『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』連載第5回
・『機能障害が個性になっていくプロセスをともに生きる 機能障害は、もちろんはじめからその人の個性だったのではありません。個性になっていく過程があります。 医療技術では治らない機能障害が、お年寄りの生きにくさ、生活のしにくさとしてその人を苦しめている、まさにそのときに私たち介護職と出会ったとしたらどうでしょう。 私たちは、治らない機能障害がある人は、人としてダメなんじゃなくて、その治らない機能障害も含めて、それがあるがままのその人なのだと考えます。 「そのあるがままの自分で生きていくのがつらいとか、悲しいだなんておかしいよ」 それが生活支援の場で働く私たちの立ち位置です。この、機能障害が個性になっていく過程を踏む時間と場所が、私たちのいる生活支援の現場なのです』、「私たちは、治らない機能障害がある人は、人としてダメなんじゃなくて、その治らない機能障害も含めて、それがあるがままのその人なのだと考えます。 「そのあるがままの自分で生きていくのがつらいとか、悲しいだなんておかしいよ」 それが生活支援の場で働く私たちの立ち位置です」、なるほど。
・『医療現場で亡くなること、介護施設で看取られること 病院で人が死ぬということは、病名で死ぬということです。「3号室の肺炎の方が亡くなりました」「特別室の胃がんの方が死亡しました」というように。そこに個別の患者に対する人生にまでおよぶ特別の思い入れを望むことは、なかなか難しいでしょう。 ただし病院のすごいところは、昨日今日出会った人でも、その命を見届けることができるということです。言い換えれば、その人の体の状態を瞬時に把握し、そのときどきに必要な医療を、その人が亡くなるまで提供しつづけるということです。これは介護施設では不可能なことです。 一方、生活支援の場である介護施設で人が死ぬということは、たったひとつの、その人だけの固有名詞で見送られるということです。私たち介護職員はひとりの入居者であるこのおじいさんと、1年、3年、5年、10年……という歳月をともに過ごす中でいくつものエピソードを積み重ね、最後はかけがえのないたったひとりの「○○さん」として見送ることができます。 その点が、医療現場で亡くなられることと、生活支援の場の看取りとの決定的な違いです』、「病院で人が死ぬということは、病名で死ぬということです。「3号室の肺炎の方が亡くなりました」「特別室の胃がんの方が死亡しました」というように。そこに個別の患者に対する人生にまでおよぶ特別の思い入れを望むことは、なかなか難しいでしょう。 ただし病院のすごいところは、昨日今日出会った人でも、その命を見届けることができるということです・・・生活支援の場である介護施設で人が死ぬということは、たったひとつの、その人だけの固有名詞で見送られるということです。私たち介護職員はひとりの入居者であるこのおじいさんと、1年、3年、5年、10年……という歳月をともに過ごす中でいくつものエピソードを積み重ね、最後はかけがえのないたったひとりの「○○さん」として見送ることができます」、「病院」で死ぬのと、「過誤施設」で死ぬのには確かに大きな違いがあるようだ。
タグ:介護施設(老人ホーム)問題 (その9)(介護施設の意義5題:「介護施設で死ぬ人 増えてます」…介護アドバイザーが語る 『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”、『人らしさ』を守る“最後の砦”…病院ではなく 介護施設を『死に場所』に選ぶ人が増えている納得の理由、「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは、介護なんかできない 出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは、機能 現代ビジネス 髙口 光子氏による「「介護施設で死ぬ人、増えてます」…介護アドバイザーが語る、『死に場所』を選ぶ前に知っておきたい介護施設の“実態”」 『生活支援の場のターミナルケア 介護施設で死ぬということ』(髙口光子著) 「介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります、なるほど。 「その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています」、なるほど。 髙口 光子氏による「『人らしさ』を守る“最後の砦”…病院ではなく、介護施設を『死に場所』に選ぶ人が増えている納得の理由」 「介護施設におけるターミナルケアとは、生活支援の場で人の最期を見届けるということです。これは、まず病気を治すという目的があり、その目的が果たせず患者さんがお亡くなりになった場合の、病院での「死の看取り」とは大きな違いがあります」、なるほど。 「現在施設で暮らしているお年寄りのその人らしい生活を最後まで支え抜くということ、一般に言われているQOL(生活の質)を守るということです・・・その人がそれまでの人生を通して培ってきた生活習慣、その人ならではのこだわりなのです。 そして、あたりまえの生活と人それぞれのこだわりの2つによって、その人の暮らしが成り立っています」、なるほど。 髙口 光子氏による「「生きていく意味、ありますか?」…医療技術の発展で“生き延びてしまった”高齢者の『嘆き』に介護施設ができることとは」 「身体の障害、精神・知的の障害、視聴覚の障害、内臓が正常に働かなくなる内部障害を総称して「機能障害」と呼んでいます。 機能障害がその人らしい生活を脅かすのであれば、それらの障害をなくす、あるいは軽減することによってそれに対抗するという考え方があります。この考え方に基づいて「治療」という行為を行うのが医療の現場です。 ですから、医療現場での目標は治癒または回復です。つまり、その人をもとの状態(いわゆる正常)に戻すということが最高の価値をもちます。そのために手術や投薬などの処置、機能回復のためのリハビリテーション訓練などが行われます」、なるほど。 「「老いて病んで、ただ死んでいこうとしている私に、お前たちはなんで近づこうとするんだ」と。 この問いに、私たち介護者は応えていかなければなりません。私はそこに医療技術がここまで発達した現代ならではの、新しいニーズがあると感じています」、なるほど。 髙口 光子氏による「介護なんかできない。出て行って!」介護士が“迷惑”高齢者に不満爆発!…そこに隠されていた『ターミナルケアの真髄』とは」 「昼夜を問わず施設内を徘徊し、大声を出し、ところかまわず放尿するわ、気に入らないことがあると職員に暴力をふるうわで、「介護なんかできないよ。出て行ってもらおう!」と職員たちの大ブーイングが起きたこともありました・・・数年後に風邪をこじらせて肺炎を起こし、病院に入院しました。幸い肺炎は2週間ほどで完治しましたが、退院して戻ってくると1日中ボーッとしています。おまけに病院では治療のために絶食していたので、自分から物を食べようとしなくなりました」、なるほど。 「認知症のお年寄りが抱える恐さは、記憶が障害される恐さです。記憶が障害されるということは、自分が自分を忘れるということ。自分が他人から忘れられるということ。それはいないも同じ、「死んだ」も同然です。おじいさんの「自分を忘れたくない」「私を忘れられたくない」「私を生きていたい」という思いが、大声や徘徊という行動を引き起こしていることを、現場の職員たちは知っています・・・ あのとき、おじいさんと職員はともに生きていました。だからこそ職員たちはもう一度ともに生きたいと願い、その気持ちが「大声出してよ」「歩き回ってよ」という言葉になったのです。 機能障害が、その人の「個性」になった瞬間です」、なるほど。 髙口 光子氏による「機能障害も立派な“個性”…入居者を『患者』ではなく『人』として天寿を全うしてもらうために介護施設ができること」 「私たちは、治らない機能障害がある人は、人としてダメなんじゃなくて、その治らない機能障害も含めて、それがあるがままのその人なのだと考えます。 「そのあるがままの自分で生きていくのがつらいとか、悲しいだなんておかしいよ」 それが生活支援の場で働く私たちの立ち位置です」、なるほど。 「病院で人が死ぬということは、病名で死ぬということです。「3号室の肺炎の方が亡くなりました」「特別室の胃がんの方が死亡しました」というように。そこに個別の患者に対する人生にまでおよぶ特別の思い入れを望むことは、なかなか難しいでしょう。 ただし病院のすごいところは、昨日今日出会った人でも、その命を見届けることができるということです・・・ 生活支援の場である介護施設で人が死ぬということは、たったひとつの、その人だけの固有名詞で見送られるということです。私たち介護職員はひとりの入居者であるこのおじいさんと、1年、3年、5年、10年……という歳月をともに過ごす中でいくつものエピソードを積み重ね、最後はかけがえのないたったひとりの「○○さん」として見送ることができます」、「病院」で死ぬのと、「過誤施設」で死ぬのには確かに大きな違いがあるようだ。
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