インバウンド動向(その16)(なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得、「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか) [経済政策]
インバウンド動向については、本年6月9日に取上げた。今日は、(その16)(なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得、「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか)である。
先ずは、本年6月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得」を紹介しよう。
・『富士山周辺、京都、全国津々浦々……迷惑外国人が増えすぎていないか? 外国人観光客の迷惑トラブルが毎日のように報じられている。 富士山周辺では、ローソン越しの富士山が撮影できるスポットに観光客が殺到して危険だということで、苦肉の策で道路に黒い目隠し幕が設置された。京都では舞妓が「パパラッチ被害」に遭ったほか、八坂神社では参拝した外国人観光客が、鈴を乱暴に振り回して注意した人と口論になったという。 もちろん、こういうトラブルはかつて日本人観光客も欧州やハワイで山ほどやってきた。現地メディアから「バーバリアン」(野蛮人)などと問題視されたこともあるので「お互いさま」という側面もあるのだが、ここまで外国人観光客がハメを外すのは、別の要素もある。 それは「日本人をナメている」ということだ。 外国人観光客はガイドブッグやネット・SNSで、ある程度日本文化の予備知識を入れてくるのだが、その中で「おもてなし」という言葉とともに日本人は「チップをもらうわけでもないのに、とにかくゲストをもてなすのが大好きなサービス精神の塊のような人たち」とかなり盛った説明をしていることも多い。 つまり、外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ。 それがよくわかるのが、6月10日のニューヨークタイムズ「Japan Likes Tourists, Just Not This Many(日本は観光客が好き。これほど多すぎなければ)」という特集記事だ。 https://www.nytimes.com/2024/06/07/world/asia/japan-mount-fuji-kyoto-tourism.html タイトルからして、「日本人=外国人観光客に優しい国」というイメージを読者に与えていることは言うまでもないが、さらに注目すべきは記事中では日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ。 ここまで言われたら、日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。) つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ。 そう聞くと、「アピールも何も“おもてなし”は日本の文化なのだから、しょうがないだろ」と不愉快になられる方も多いだろうが、実はその認識は間違っている』、「外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ・・・ニューヨークタイムズ・・・特集記事・・・日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ・・・日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。 つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ」、その通りだ。
・『日本にはもともと「おもてなし」の伝統などなかった 日本は伝統的に「おもてなしの精神」を誇りにしているような国ではない。少なくとも、観光業や接客業で「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいこの30年程度の話だ。バブル崩壊以降、いわゆる「失われた30年」に突入して、国内観光業が大きく衰退したとき、起死回生のマーケティングとして打ち出したのが「おもてなし」である。 事実として、これまで日本の歴史の中で「おもてなし精神」などというものが語られたことはない。よく「おもてなしは古くは源氏物語にも掲載されている」なんてことが言われるが、それは単に「自宅に客が来たときにもてなす」ということを意味している。だから、近代になると「おもてなし料理」という言葉が生まれた。 それが「外国人を迎える」というニュアンスで使われるようになったのは戦後の「外交の場」である。と言っても、別に日本人の精神性を示すようなものではなく、単なる外交辞令だ。わかりやすいのは、旧ソ連のゴルバチョフ書記長が来日したときのこんなスピーチだ。 「私の妻と私個人から天皇、皇后両陛下、日本政府、日本国民の温かいおもてなしと歓迎に心からお礼を申し上げます。(中略)やはり温かいおもてなしで有名な自国民を代表して、陛下のご都合のよい時機に私たちの国をご訪問頂くよう天皇、皇后両陛下をご招待申し上げます」(読売新聞1991年4月17日) ゴルバチョフ氏が「ソ連国民のおもてなし」を誇らしげに語っているように、ゲストを気遣ってもてなす文化は世界中のどこにでもある。海外でバックパッカーなどをやった人などはわかるだろうが、欧米社会でも外国人の旅行者を温かくもてなすような文化はある。 筆者も若いときに中東を貧乏旅行したが、色々な国で自宅に招待されて泊めてもらった経験がある。つまり、「おもてなし」というのは日本だけの専売特許ではないし、ましてや日本の観光業や接客業の強みとしてアピールされるようなものではなかったのである。) もちろん、高級ホテルや高級レストランでは「王族をおもてなしするような高品質なサービスを提供します」といった感じで、外交辞令で使われる「おもてなし」を宣伝文句に流用することも、なくはなかった。しかし、今のように「おもてなしは日本の文化」というような盛った話を、世界にふれまわることはなかった。 それが大きく変わるのが、バブル崩壊後だ。 1990年代後半から観光業や自治体などが急に「おもてなしの心」を唱え始めるようになる。わかりやすいのは、1998年4月に静岡県熱海市が『おもてなしマニュアル~芸妓・ホステス編』を2000部作成して、芸者置き屋に配布したことだ。 2000年10月には京都商工会議所が中心になって、77の関連団体と設立した「観光サービス向上対策連絡会議」が、同じく接客のノウハウをまとめた『京のおもてなしハンドブック』を作成した。 この頃になると、「おもてなし」は観光業界のバズワードになる。たとえば、2001年6月、静岡県下田市が観光業者を対象にした接客研修「下田市観光おもてなしプログラム」を実施している。 ここまで言えばもうおわかりだろう。今、日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ』、「日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ」、なるほど。
・『「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいバブル崩壊後のこと さて、そこで不思議なのは、なぜこの時機にそれまでは誰も唱えていなかった「おもてなし」が急に叫ばれるようになったのかということだが、実はそれには「国内観光業の低迷」が関係している。 平成24年度の『観光白書』の中に、バブル崩壊後、経済の冷え込みで観光業が厳しい状況に陥ったことが、データで語られているので引用しよう。 《国内宿泊観光旅行1回当たりの国内宿泊観光旅行の平均費用額を見ると、平均費用額が最も高かったのはバブル期であり、20代の1回当たりの旅行の平均費用額は1986年には約4.5万円であったが、バブル崩壊後の1998年には約3.3万円にまで落ち込んだ》) 《若者が国内宿泊観光旅行に行かなくなっている傾向は、国内宿泊観光旅行の平均回数の減少からも見て取れる。全年齢平均では1994年から2010年にかけて1.43回から0.93回に減少しているのに対し、20代は1.86回から0.89回と大幅に減少している。このように若者の国内宿泊観光旅行回数が1990年代半ばから2000年代に急激に減少した背景としては、1990年半ば頃に活発になったスポーツを目的とする旅行、特にスキー旅行が、その後落ち込んだ影響等があると考えられる》 このような背景を知れば、「おもてなし精神」とやらの正体が見えてきたのではないか。バブル崩壊で日本の国内観光は大打撃を受けた。若者がかつてのように泊まり込みでスキーや海水浴などに行かなくなり、海外旅行にも流れてしまっていたからだ。 閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである』、「閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである」、その通りだ。
・『単なる根性アピールが世界に発信されてしまった悲劇 ちなみに、これは日本社会の「あるある」でもある。苦しくなってくると具体的な問題解決を提示するわけでもなく、「ふわっ」とした精神論を唱えて「スポ根マンガ」のように気合いで乗り切ろうとしがちである。「絆」とか「1億総活躍」などはその典型だ。 つまり、「おもてなし精神」というのはもともと、観光業に携わる日本人が、同じ日本人の観光客へ向けて「我々は死ぬ気でサービスします」と「根性アピール」をしたようなものなのだ。 そんな「おもてなしマーケティング」は観光業者にもてはやされた。「おもてなし精神」というあくまで心の問題なので、特殊技能が必要なわけでもないし設備投資もいらない。単刀直入に言ってしまうと、日本人の「情」に訴えた集客方法なのである。 そういうドメスティックな観光戦略が、東京オリンピック誘致やインバウンド推進もあって世界に発信されてしまったということが、今回の悲劇の始まりだ。) 外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ。 そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ』、「外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ・・・そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ」、その通りだ。
・『外国人にハメを外させた「安い日本」の自業自得 それを誰よりもよくわかっているのが、実は我々日本人だ。 かつて日本が経済大国だった時代、多くの日本人観光客が、自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる東南アジアに旅行をして、ハメが外しまくった。経済が衰退して「ハメを外される側」になっただけの話だ。 いずれにせよ、今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか』、「今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか」、その通りだ。
次に、8月26日付けデイリー新潮が掲載した九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中敏徳氏による「「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか」を紹介しよう。興味深そうだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08260557/?all=1
・『これはもはや全国民共通の“悩み”と言っても差し支えあるまい。混み過ぎで、おちおち旅行も楽しめやしない……。観光立国を目指す日本が直面しているオーバーツーリズム問題。“混雑疲れ”を実感する夏休みだからこそ、専門家による解決案に耳を傾けてみよう。 【写真を見る】「さすがにマナー悪過ぎ…」 “塀の上”に登って電車を撮影する外国人 観光客も 「2030年に(年間)訪日客6000万人を目指す」 今年4月、政府は改めてこうした方針を打ち出しました。訪日外国人観光客の数が増え、日本の素晴らしさが多くの人に伝わり、そして日本経済が潤うことは、観光に関する研究を続けてきた私としても大いに歓迎するところです。 しかし一方で、こうも感じました。 「政府はどれだけ“本気”なのだろうか」 こう話すのは、九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中俊徳氏だ。 環境政策・ガバナンス論を専門とする田中氏は、ユネスコ本部世界遺産センターなどで研究し、観光のあり方についての論考を重ねてきた。 6月に著書『オーバーツーリズム解決論』を上梓した田中氏が続ける』、興味深そうだ。
・『日本が“パンク”する なぜ、「6000万人目標」の本気度が気になったのか。それは、もし今のような状況のまま訪日客が増え続けたら、日本が“パンク”してしまうのは目に見えているからです。 オーバーツーリズム。 この問題が解決しない限り、6000万人どころか、3477万人(今年の訪日客の予測値)ですら多すぎると、眉をひそめる人もいるのではないでしょうか。実際、外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません』、「外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません」、なるほど。
・『観光の「質」を置き去りに その原因としてはさまざまなことが考えられますが、何よりもまず「数ありき」であった点が挙げられます。観光の「質」を置き去りにし、とにかく訪日客の数を増やそうとしてきた結果、今のオーバーツーリズムに至った面は否定できないように感じます。 数ありきの姿勢だったのは国に限りません。自治体も同様です。例えばハワイをライバル視してきた沖縄県は、年間観光客数1000万人を目標に掲げ、現に2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません。 つまり日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです』、「2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません・・・日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです」、「日本の観光は、数を求める「開発途上国型」、言い得て妙だ。
・『先進国型の観光とは ハワイでは、2018年に「日焼け止め法」を制定し、21年から、環境を破壊する特定の成分が入った日焼け止めの販売・流通を禁止しています。また、コロナ禍によって観光客がいなくなったことで、海の水質改善や野生動物の増加といった自然にとっての好環境が生まれました。 規制を設け、観光客に“不便さ”を強いる。一見、観光客を排除する措置に映るかもしれません。しかし、ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です』、「ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です」、その通りだ。
・『安易に行われてきた対策 反対に、観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます。 では、どうすれば質を上げることができるのでしょうか。 オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました。その背景には、2~3年もすれば担当の行政官は異動になるため、とりあえずその場しのぎともいえる(3)の対策が、安易に行われてきたという事情もあります』、「オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした」、なるほど。
・『「自粛」は通用しない しかし、拘束力のない自主的ルールや協力金は、コロナ禍での「自粛」がそうであったように、日本人以外には通用しません。強制力を伴った(1)(2)の対策を取らなければ、決してオーバーツーリズムは解決しないのです。 例えば(1)に関して見てみると、富士山と同じクラスの高さの、台湾の玉山(大日本帝国時代は新高山、3952メートル)は、1日あたりの登山者数を200人と厳しく規制しています。 富士山の山梨県側の吉田ルートでも、今年の7月からようやく入山規制が開始されました。そのこと自体は評価できるものの、1日の上限は4000人。玉山とは桁が違う上に、規制が設けられたのは吉田ルートだけで、静岡県側からの登山には現状、人数規制がありません。 また(2)については、パラオでは外国人観光客に限って100ドルの入国税を徴収しています。さらに外国人観光客には、“パラオという美しい島を保全することを誓う”といったことなどが書かれた「パラオ誓約」にもサインをさせています』、「観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます・・・オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました」、なるほど。
・『拝観料を7倍に このように「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです(現在は、オンラインでも予約可能)。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう』、「「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです・・・。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう」、なるほど。
・『「行政」に任せるのは限界 では、なぜ苔寺はこのような大胆な対策を取ることができたのでしょうか。それは苔寺が私有地であり、民間だったためです。つまり、苔寺自らの判断だけで、ハードルを設置することが可能だったのです。 これに対して、自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。 本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです』、「自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです」、その通りだ。
先ずは、本年6月13日付けダイヤモンド・オンラインが掲載したノンフィクションライターの窪田順生氏による「なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得」を紹介しよう。
・『富士山周辺、京都、全国津々浦々……迷惑外国人が増えすぎていないか? 外国人観光客の迷惑トラブルが毎日のように報じられている。 富士山周辺では、ローソン越しの富士山が撮影できるスポットに観光客が殺到して危険だということで、苦肉の策で道路に黒い目隠し幕が設置された。京都では舞妓が「パパラッチ被害」に遭ったほか、八坂神社では参拝した外国人観光客が、鈴を乱暴に振り回して注意した人と口論になったという。 もちろん、こういうトラブルはかつて日本人観光客も欧州やハワイで山ほどやってきた。現地メディアから「バーバリアン」(野蛮人)などと問題視されたこともあるので「お互いさま」という側面もあるのだが、ここまで外国人観光客がハメを外すのは、別の要素もある。 それは「日本人をナメている」ということだ。 外国人観光客はガイドブッグやネット・SNSで、ある程度日本文化の予備知識を入れてくるのだが、その中で「おもてなし」という言葉とともに日本人は「チップをもらうわけでもないのに、とにかくゲストをもてなすのが大好きなサービス精神の塊のような人たち」とかなり盛った説明をしていることも多い。 つまり、外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ。 それがよくわかるのが、6月10日のニューヨークタイムズ「Japan Likes Tourists, Just Not This Many(日本は観光客が好き。これほど多すぎなければ)」という特集記事だ。 https://www.nytimes.com/2024/06/07/world/asia/japan-mount-fuji-kyoto-tourism.html タイトルからして、「日本人=外国人観光客に優しい国」というイメージを読者に与えていることは言うまでもないが、さらに注目すべきは記事中では日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ。 ここまで言われたら、日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。) つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ。 そう聞くと、「アピールも何も“おもてなし”は日本の文化なのだから、しょうがないだろ」と不愉快になられる方も多いだろうが、実はその認識は間違っている』、「外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ・・・ニューヨークタイムズ・・・特集記事・・・日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ・・・日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。 つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ」、その通りだ。
・『日本にはもともと「おもてなし」の伝統などなかった 日本は伝統的に「おもてなしの精神」を誇りにしているような国ではない。少なくとも、観光業や接客業で「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいこの30年程度の話だ。バブル崩壊以降、いわゆる「失われた30年」に突入して、国内観光業が大きく衰退したとき、起死回生のマーケティングとして打ち出したのが「おもてなし」である。 事実として、これまで日本の歴史の中で「おもてなし精神」などというものが語られたことはない。よく「おもてなしは古くは源氏物語にも掲載されている」なんてことが言われるが、それは単に「自宅に客が来たときにもてなす」ということを意味している。だから、近代になると「おもてなし料理」という言葉が生まれた。 それが「外国人を迎える」というニュアンスで使われるようになったのは戦後の「外交の場」である。と言っても、別に日本人の精神性を示すようなものではなく、単なる外交辞令だ。わかりやすいのは、旧ソ連のゴルバチョフ書記長が来日したときのこんなスピーチだ。 「私の妻と私個人から天皇、皇后両陛下、日本政府、日本国民の温かいおもてなしと歓迎に心からお礼を申し上げます。(中略)やはり温かいおもてなしで有名な自国民を代表して、陛下のご都合のよい時機に私たちの国をご訪問頂くよう天皇、皇后両陛下をご招待申し上げます」(読売新聞1991年4月17日) ゴルバチョフ氏が「ソ連国民のおもてなし」を誇らしげに語っているように、ゲストを気遣ってもてなす文化は世界中のどこにでもある。海外でバックパッカーなどをやった人などはわかるだろうが、欧米社会でも外国人の旅行者を温かくもてなすような文化はある。 筆者も若いときに中東を貧乏旅行したが、色々な国で自宅に招待されて泊めてもらった経験がある。つまり、「おもてなし」というのは日本だけの専売特許ではないし、ましてや日本の観光業や接客業の強みとしてアピールされるようなものではなかったのである。) もちろん、高級ホテルや高級レストランでは「王族をおもてなしするような高品質なサービスを提供します」といった感じで、外交辞令で使われる「おもてなし」を宣伝文句に流用することも、なくはなかった。しかし、今のように「おもてなしは日本の文化」というような盛った話を、世界にふれまわることはなかった。 それが大きく変わるのが、バブル崩壊後だ。 1990年代後半から観光業や自治体などが急に「おもてなしの心」を唱え始めるようになる。わかりやすいのは、1998年4月に静岡県熱海市が『おもてなしマニュアル~芸妓・ホステス編』を2000部作成して、芸者置き屋に配布したことだ。 2000年10月には京都商工会議所が中心になって、77の関連団体と設立した「観光サービス向上対策連絡会議」が、同じく接客のノウハウをまとめた『京のおもてなしハンドブック』を作成した。 この頃になると、「おもてなし」は観光業界のバズワードになる。たとえば、2001年6月、静岡県下田市が観光業者を対象にした接客研修「下田市観光おもてなしプログラム」を実施している。 ここまで言えばもうおわかりだろう。今、日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ』、「日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ」、なるほど。
・『「おもてなし」が唱えられたのはせいぜいバブル崩壊後のこと さて、そこで不思議なのは、なぜこの時機にそれまでは誰も唱えていなかった「おもてなし」が急に叫ばれるようになったのかということだが、実はそれには「国内観光業の低迷」が関係している。 平成24年度の『観光白書』の中に、バブル崩壊後、経済の冷え込みで観光業が厳しい状況に陥ったことが、データで語られているので引用しよう。 《国内宿泊観光旅行1回当たりの国内宿泊観光旅行の平均費用額を見ると、平均費用額が最も高かったのはバブル期であり、20代の1回当たりの旅行の平均費用額は1986年には約4.5万円であったが、バブル崩壊後の1998年には約3.3万円にまで落ち込んだ》) 《若者が国内宿泊観光旅行に行かなくなっている傾向は、国内宿泊観光旅行の平均回数の減少からも見て取れる。全年齢平均では1994年から2010年にかけて1.43回から0.93回に減少しているのに対し、20代は1.86回から0.89回と大幅に減少している。このように若者の国内宿泊観光旅行回数が1990年代半ばから2000年代に急激に減少した背景としては、1990年半ば頃に活発になったスポーツを目的とする旅行、特にスキー旅行が、その後落ち込んだ影響等があると考えられる》 このような背景を知れば、「おもてなし精神」とやらの正体が見えてきたのではないか。バブル崩壊で日本の国内観光は大打撃を受けた。若者がかつてのように泊まり込みでスキーや海水浴などに行かなくなり、海外旅行にも流れてしまっていたからだ。 閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである』、「閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである」、その通りだ。
・『単なる根性アピールが世界に発信されてしまった悲劇 ちなみに、これは日本社会の「あるある」でもある。苦しくなってくると具体的な問題解決を提示するわけでもなく、「ふわっ」とした精神論を唱えて「スポ根マンガ」のように気合いで乗り切ろうとしがちである。「絆」とか「1億総活躍」などはその典型だ。 つまり、「おもてなし精神」というのはもともと、観光業に携わる日本人が、同じ日本人の観光客へ向けて「我々は死ぬ気でサービスします」と「根性アピール」をしたようなものなのだ。 そんな「おもてなしマーケティング」は観光業者にもてはやされた。「おもてなし精神」というあくまで心の問題なので、特殊技能が必要なわけでもないし設備投資もいらない。単刀直入に言ってしまうと、日本人の「情」に訴えた集客方法なのである。 そういうドメスティックな観光戦略が、東京オリンピック誘致やインバウンド推進もあって世界に発信されてしまったということが、今回の悲劇の始まりだ。) 外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ。 そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ』、「外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ・・・そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ」、その通りだ。
・『外国人にハメを外させた「安い日本」の自業自得 それを誰よりもよくわかっているのが、実は我々日本人だ。 かつて日本が経済大国だった時代、多くの日本人観光客が、自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる東南アジアに旅行をして、ハメが外しまくった。経済が衰退して「ハメを外される側」になっただけの話だ。 いずれにせよ、今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか』、「今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか」、その通りだ。
次に、8月26日付けデイリー新潮が掲載した九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中敏徳氏による「「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか」を紹介しよう。興味深そうだ。
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/08260557/?all=1
・『これはもはや全国民共通の“悩み”と言っても差し支えあるまい。混み過ぎで、おちおち旅行も楽しめやしない……。観光立国を目指す日本が直面しているオーバーツーリズム問題。“混雑疲れ”を実感する夏休みだからこそ、専門家による解決案に耳を傾けてみよう。 【写真を見る】「さすがにマナー悪過ぎ…」 “塀の上”に登って電車を撮影する外国人 観光客も 「2030年に(年間)訪日客6000万人を目指す」 今年4月、政府は改めてこうした方針を打ち出しました。訪日外国人観光客の数が増え、日本の素晴らしさが多くの人に伝わり、そして日本経済が潤うことは、観光に関する研究を続けてきた私としても大いに歓迎するところです。 しかし一方で、こうも感じました。 「政府はどれだけ“本気”なのだろうか」 こう話すのは、九州大学アジア・オセアニア研究教育機構准教授の田中俊徳氏だ。 環境政策・ガバナンス論を専門とする田中氏は、ユネスコ本部世界遺産センターなどで研究し、観光のあり方についての論考を重ねてきた。 6月に著書『オーバーツーリズム解決論』を上梓した田中氏が続ける』、興味深そうだ。
・『日本が“パンク”する なぜ、「6000万人目標」の本気度が気になったのか。それは、もし今のような状況のまま訪日客が増え続けたら、日本が“パンク”してしまうのは目に見えているからです。 オーバーツーリズム。 この問題が解決しない限り、6000万人どころか、3477万人(今年の訪日客の予測値)ですら多すぎると、眉をひそめる人もいるのではないでしょうか。実際、外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません』、「外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません」、なるほど。
・『観光の「質」を置き去りに その原因としてはさまざまなことが考えられますが、何よりもまず「数ありき」であった点が挙げられます。観光の「質」を置き去りにし、とにかく訪日客の数を増やそうとしてきた結果、今のオーバーツーリズムに至った面は否定できないように感じます。 数ありきの姿勢だったのは国に限りません。自治体も同様です。例えばハワイをライバル視してきた沖縄県は、年間観光客数1000万人を目標に掲げ、現に2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません。 つまり日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです』、「2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません・・・日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです」、「日本の観光は、数を求める「開発途上国型」、言い得て妙だ。
・『先進国型の観光とは ハワイでは、2018年に「日焼け止め法」を制定し、21年から、環境を破壊する特定の成分が入った日焼け止めの販売・流通を禁止しています。また、コロナ禍によって観光客がいなくなったことで、海の水質改善や野生動物の増加といった自然にとっての好環境が生まれました。 規制を設け、観光客に“不便さ”を強いる。一見、観光客を排除する措置に映るかもしれません。しかし、ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です』、「ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です」、その通りだ。
・『安易に行われてきた対策 反対に、観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます。 では、どうすれば質を上げることができるのでしょうか。 オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました。その背景には、2~3年もすれば担当の行政官は異動になるため、とりあえずその場しのぎともいえる(3)の対策が、安易に行われてきたという事情もあります』、「オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした」、なるほど。
・『「自粛」は通用しない しかし、拘束力のない自主的ルールや協力金は、コロナ禍での「自粛」がそうであったように、日本人以外には通用しません。強制力を伴った(1)(2)の対策を取らなければ、決してオーバーツーリズムは解決しないのです。 例えば(1)に関して見てみると、富士山と同じクラスの高さの、台湾の玉山(大日本帝国時代は新高山、3952メートル)は、1日あたりの登山者数を200人と厳しく規制しています。 富士山の山梨県側の吉田ルートでも、今年の7月からようやく入山規制が開始されました。そのこと自体は評価できるものの、1日の上限は4000人。玉山とは桁が違う上に、規制が設けられたのは吉田ルートだけで、静岡県側からの登山には現状、人数規制がありません。 また(2)については、パラオでは外国人観光客に限って100ドルの入国税を徴収しています。さらに外国人観光客には、“パラオという美しい島を保全することを誓う”といったことなどが書かれた「パラオ誓約」にもサインをさせています』、「観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます・・・オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました」、なるほど。
・『拝観料を7倍に このように「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです(現在は、オンラインでも予約可能)。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう』、「「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです・・・。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう」、なるほど。
・『「行政」に任せるのは限界 では、なぜ苔寺はこのような大胆な対策を取ることができたのでしょうか。それは苔寺が私有地であり、民間だったためです。つまり、苔寺自らの判断だけで、ハードルを設置することが可能だったのです。 これに対して、自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。 本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです』、「自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです」、その通りだ。
タグ:インバウンド動向 (その16)(なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得、「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか) ダイヤモンド・オンライン 窪田順生氏による「なぜ日本は外国人観光客にナメられるのか?「おもてなしは文化」というウソの自業自得」 「外国人観光客がやりたい放題やっているのは、「日本人っておもてなしの精神があって、外国人観光客が好きで好きでたまらないから、ちょっとくらいハメを外しても怒らないでしょ?」とタカをくくっているところもあるのだ・・・ニューヨークタイムズ・・・特集記事・・・日本のことを「本来は心からゲストを気遣い“おもてなし”の精神を誇りにしている国」と説明していることだ・・・ 日本旅行を検討している外国人たちは思うだろう。「そっか、日本って国には、外国人ゲストのワガママを最大限許してくれる執事のような人たちがたくさんいるんだな」と。 つまり、今日本全国の観光地で問題になっている「観光公害」というのは、世界に対して「お・も・て・な・し」などと言って、日本のホスピタリティの高さを過度にアピールしてしまったことも原因なのだ」、その通りだ。 「日本中の観光地で叫ばれている「おもてなしの心」や、IOC総会での東京オリンピック誘致で、滝川クリステルさんがプレゼンした「お・も・て・な・し」というのも、すべてはバブル崩壊後、1990年代後半に誕生した、かなり新しい概念なのだ」、なるほど。 「閑古鳥が鳴くような観光地も出てきた中で、起死回生のマーケティングとして唱えられたのが「おもてなし」だ。観光や接客に関わる人たちが、ホスピタリティが高く、サービス精神があるということをアピールして、離れてしまった日本人観光客を呼び戻そうとしたのである」、その通りだ。 「外国人観光客からすれば、「おもてなし精神」をこんなにアピールするということは、日本はタイなどのような高いホスピタリティの「観光大国」だと思うし、それなりに観光客のワガママも通るはずだと勘違いしてしまう。だから、全国の観光地で好き放題やってしまう。 しかし、現実の日本はまだ「観光大国」にはほど遠い。外国人観光客がここまで増えたのもほんの最近だし、ホスピタリティも高くない。 多言語対応も十分ではないし、何よりもオーバーツーリズム対策に必要不可欠な「ゾーニング」(観光客の流れを戦略的に分散をさせること)もできていない。だから、トラブルが雪だるま式に増えていくのだ・・・そして、事態をさらに悪化させているのが「安いニッポン」だ。多くの外国人にとって、日本は自国と比べものにならないほど安いカネで遊べる。これが「ハメを外す」ことを助長させるのだ」、その通りだ。 「今の外国人観光客の迷惑トラブルが増えているのは、「自業自得」の側面もある。 自分たちで勝手に「我々は世界一のサービス精神があります」とハードルを上げたせいで、それを間に受けてハメを外したい外国人たちが、大挙して押し寄せているのだ。 この状況を変えたいのなら、まずは「おもてなしは日本文化」などという嘘を引っ込めるべきだろう。外国人観光客が異国でハメを外したいのなら、それに見合うだけのサービスを提供してカネをきっちり請求する。 そこでルールを破ったり、住民や地域に迷惑をかけるような行為をした外国人は、法律に基づいて厳しく処罰もしていく。 本当に観光立国を目指すのならば、我々日本人は「おもてなし精神」とやらを誇りに思っていないことを明確にすべきだ。サービス精神などではなく、あくまでビジネスとして外国人観光客をもてなしているということを、この際、世界にしっかりと示すべきではないか」、その通りだ。 デイリー新潮 田中敏徳氏による「「このままでは日本は“パンク”する」後手に回る対策…「オーバーツーリズム」をどうすれば解決できるのか」 『オーバーツーリズム解決論』 「外国人を含む大量の観光客による大混雑に巻き込まれ、不快な思いをした経験がある人は少なくないはずです。 にもかかわらず、入域者数の上限設定や入域料の徴収などを行ってきた諸外国に比べ、日本のオーバーツーリズム対策は後手に回っていると言わざるを得ません」、なるほど。 「2017年には、ハワイ州の観光客数938万人に対して沖縄県は939万人と、ハワイを追い抜き、その翌々年には1000万人を突破しました。 しかし、観光客の平均消費額はハワイの3分の1、滞在日数は2分の1にとどまっています。その上、マナーの悪い観光客によってサンゴ礁が踏み荒らされたり、便乗的に観光業に乗り出してきた悪質な事業者がガイドを行ったりと、環境破壊やトラブルが後を絶たず、観光の「質」の面ではハワイに及びません・・・ 日本の観光は、数を求める「開発途上国型」であり、環境を保全しつつ高付加価値を生み出していく「先進国型」にモデルチェンジすることができていないのです」、「日本の観光は、数を求める「開発途上国型」、言い得て妙だ。 「ハワイの海の美しさを守ることによって、結果的に高い付加価値が生み出されます。同時に、環境保全に対する意識などのリテラシーが低い観光客は自ずと足が遠のき、魅力的で過ごしやすい観光地としてさらに付加価値が高まる。自然と観光客の滞在日数は増え、お金もたくさん落としてくれる――この好循環を生み出していくことが、まさに先進国型の観光です」、その通りだ。 「観光客をとにかく受け入れるだけ受け入れ、そのために地域住民が迷惑し、自然は破壊され、観光地としての価値が損なわれて観光客が寄り付かなくなる。この「負のスパイラル」を招いてしまうのが開発途上国型の観光です。 今は円安の影響もあって日本への観光は世界でも人気の的になっていますが、先進国型に転換しなければ、いつ「ニッポンに行っても満足度は低い」と飽きられ、見捨てられてしまうか分かりません。従って、観光立国を目指すのであれば、「数」から「質」への転換を図るオーバーツーリズム対策が必要不可欠だと私は考えます・・・ オーバーツーリズム対策の基本は、効果が高い順に(1)規制的手法(立ち入り許可などの制限)、(2)経済的手法(課金)、(3)情報的手法(マナー改善の啓発ポスターを掲示するなどの情報戦略)です。 これら三つの対策を組み合わせることによって、質を高めていくわけですが、日本の行政の対策はこれまで(3)がメインでした。(1)や(2)は観光業者など利害関係者との調整が難しい。そのため、効果は薄いものの、とりあえず簡単にできる(3)の対策が取られてきました」、なるほど。 「「ハードル」を上げることで、インスタ映えだけを目的にするようなリテラシーの低い観光客を排除する効果が期待できます。同時に、パラオ政府の観光に対する「強い思い」を発信することにもつながっているのです。 台湾にパラオ、さらには先に紹介したハワイの対策を、日本でできない理由はありません。事実、日本でも成功例はあります。 事実、日本でも成功例はあります。 1977年に、今で言うオーバーツーリズムに悩まされていた京都の西芳寺、通称、苔(こけ)寺は、多い日には1日9000人も殺到していた参拝客の数を最大で200人までに制限し、また400円に過ぎなかった拝観料を一気に3000円の参拝冥加(みょうが)料とする値上げを行いました。それだけではなく、往復はがきでしか予約できず、来たら必ず写経をしなければならないといったハードル(不便さ)を設けたのです・・・。 その結果、良質な参拝客だけが訪れるようになり、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録され、スティーブ・ジョブズに愛されたように、外国人観光客にも広く親しまれるようになりました。 この苔寺の対策は、今後のオーバーツーリズム対策を考える上で、大きな参考になるでしょう」、なるほど。 「自然観光地や都市部の観光スポットには、国、自治体、民間と、あらゆる利害関係者が絡んでくるため、思い切った対策に踏み切るのが容易ではないという現実が存在します。利害関係者間の複雑な調整を、「行政」にこれからも任せるのは限界があるように思います。 ならば、今こそ「政治」の出番ではないでしょうか。総理大臣、環境相、国交相、首長。政治家の強いリーダーシップによって複雑な利害関係を調整し、大胆かつ高いハードルを設け、今後も日本が選ばれ続ける良質な観光をつくり出していく。 これができてこそ、初めて「観光立国」と言えると思うのです。それなしで数を追い求めるだけでは、日本の貴重な自然や文化が切り売りされ、大事な成長産業である観光業が「負のスパイラル」に陥りかねません。本気で6000万人を目指すのであれば、政府は後手後手ではなく、予防的な対策を加速させるべきでしょう。それは、観光に懸ける日本の本気度を世界に示すことにつながるはずです」、その通りだ。
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