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女性活躍(その5)(「引きこもり女子会」に続々と集まる女性たちのホンネ、男だ女はもう「114」 埋まらぬ日本の格差問題) [経済政策]

女性活躍については、9月6日に取上げたが、今日は、(その5)(「引きこもり女子会」に続々と集まる女性たちのホンネ、男だ女はもう「114」 埋まらぬ日本の格差問題) である。

先ずは、ジャーナリストの池上正樹氏が9月7日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「「引きこもり女子会」に続々と集まる女性たちのホンネ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽全国の女性たちが熱望 今なぜ「引きこもり女子会」なのか
・今、全国の引きこもり状態の女性たちから開催を熱望されているのが、「ひきこもり女子会」だ。 引きこもっているのは、男性だけではない。男性恐怖症のため、これまでの男性参加者の多い自助会や居場所などには怖くて行けなかった人も数多くいる。そんな「引きこもり等の生きづらさを抱える女性(性自認女性を含む)」たちから、安心して話し合ったりつながったりできるような出会いの場として、「ひきこもり女子会」が注目されるようになった。
・<こんなにも多くの(女性の)方が苦しみ、高年齢化している中で、なぜ様々な対策や支援があまりに少ないのか、憤りを感じます。> このような引きこもる女性からの声が、筆者の元にも毎日メールで届く。「何とかしたいけど、どうしたらいいのかわからない」「相談しても聞いてもらえないし、理解してもらえない」といった女性からの切実な訴えは数多く寄せられてくる。
・「ひきこもり支援」という枠組みで見ると、「(若年)就労」の前提となる男性以外、基本的に支援の対象として想定されてこなかったため、「家事手伝い」や「主婦」といった隠れ蓑の下で、彼女たちの存在はなかったことにされ、置き去りにされてきた。
・最近、東京・渋谷の「東京ウィメンズプラザ」と京都・宇治市のNPO「こころのはな(心華寺)」などを会場に女子会を定期的に運営し始めたのは、不登校、ひきこもり、発達障害、性的マイノリティなどの当事者・経験者でつくる一般社団法人「ひきこもりUX会議」だ。 UXとは、ユーザーエクスペリエンス(利用者体験)の略。昨年6月にスタートしてから1年あまり。これまでに21回開催し、延べ700人もの女性たちが集ってきた。
・参加者の人数は毎回、平均50~60人。年齢層も10代から60代と幅広い。地方からの参加者も、北海道から九州まで全国から集まってくる。遠くから夜行バスで駆けつけた20歳の女性もいた。
▽共感し合えるだけで変化を起こす女性たち
・参加する女性たちは皆、1人で会場にやって来る。しかし、引きこもってきた人たちだけに、すんなり参加できるわけではない。 「ずっと知っていたけど、4回目で初めて来れました」「今日初めて最初から最後まで会場にいられました」などというように、緊張と不安で震えている人たちや「自分の話ができたのは初めてです」などとホッとして泣き出す人も、数多くいたという。
・「これだけ溜め込んで、誰にも言えず、ようやくたどり着いて吐露できたって感じです」 主催者の1人で自らも経験者である林恭子さん(51歳)は、集まる女性たちにそんな印象を持った。 「女性たちって、共感し合えるだけで変化を起こすんだということを目の当たりにしています。初めて話した気持ちを“わかる”と言ってもらえる。自分と同じような話を皆がしている。私1人だと思っていたのに、こんなにたくさん同じような人がいることをわかるだけで、女性たちは勝手に動き出しちゃうんです」
・不登校から引きこもっていて、働いた経験もなかった20代女性は、女子会に参加して初めて自分の話をしたという。「どんなことでもきっかけが欲しくて、どうしても来なくてはいけない」と女子会に参加した2ヵ月後、女性は「仕事が決まった」と連絡してきた。 仕事を辞めた後、ずっと自宅に引きこもっていた40代の女性は、「将来が不安だから」と参加。複数回参加した後、「復職しようと思っています」との報告を最後に姿を見せなくなった。
・ただ、女子会は就労を目指しているわけではない。 「女性特有なのかもしれませんが、気持ちをわかってもらえるだけでいいのかなって。後はそれぞれの事情に合わせて、それぞれ動き出すようです」(林さん)
▽情報でもなく就労でもなく「交流したい」「出会いたい」
・アンケートを見ても、参加理由で最も多かったのは、「交流したい」「出会いたい」で、情報を求めているわけではないこともわかったという。 会では、第1部で林さんと、同じく経験者でUX会議代表理事の恩田夏絵さんの2人が、どうやって人と交流できるようになったのか、親子関係をどう乗り越えたのかなど、“先輩”としての体験談を披露。第2部では、8~10個(東京)のテーマテーブルに分かれて対話する。テーマは「異性が苦手」「親子関係」など、参加者からのリクエストにも応じて設けられる。
・女子会に行きたいけど不安な人向けに、予約不要で、扉は開けたままにして入退室が自由。「初めての人」テーブルや「非交流スペース」もつくられる。話すのが苦手な人は聞いているだけでもいい。母親が付き添いで娘と一緒に参加することも多いため、1部については、母親や女性の支援者、記者も入れる。
・「私たちとしては、少しずつ自分たちで女子会をつくってほしい」 そう思った林さんたちは、今年7月には横浜市で「女子会のつくり方講座」を開いた。「できればいつかつくってみたい」という声が多くあり、予想以上に好評だった。
・「なぜ自分たちが女子会を必要としているのか?」「女子会に何を求めているのか?」など、講座の中で自らを振り返ってもらったことも反応が良かった。 全国では、この1年の間に、兵庫県宝塚市でも女性の臨床心理士を中心にした主催者が定期的に開くようになったほか、表参道の女子会参加者たちが、皆で動物圏に行ったり花火で遊んだりする「おさんぽ女子会」や、東京の多摩地区を拠点に会場を借りた「ひきこもり女子会in多摩」を始めるなど、女子会の輪は広がりを見せている。
・「もっと早く知りたかった」「うちの地域でも開催してほしい」 UX会議のアドレスにも、そんな地方の女性からメールやコメントが寄せられてきた。開催するたびに女子会が必要とされることを感じたという。 「まだまだ知られていないし、知ってくれれば行きたいと思っている人がたくさんいるんだなと感じました」
▽助成金を得て始動した「女子会全国キャラバン」
・そこで、UX会議は日本財団からの助成金を得て、「女子会全国キャラバン」を開くことになった。キャラバンでは、3人の女子会参加者の体験談(漫画あり)などを載せた64ページのブックレットも500円(当事者・経験者は200円)で販売する。 また、キャラバンにおいて、ひきこもり女性たちの日常の意識や状況、環境などの実態調査も実施。来年2月25日に東京ウィメンズプラザで開催予定の女子フェス(男女問わず参加OK)で公表する。
・『ひきこもりUX女子会 全国キャラバン』は、9月22日から12月19日まで、全国10都市で開催される。詳細はこちらで。
※この記事や引きこもり問題に関する情報や感想をお持ちの方、また、「こういうきっかけが欲しい」「こういう情報を知りたい」「こんなことを取材してほしい」といったリクエストがあれば、下記までお寄せください。  
otonahiki@gmail.com(送信の際は「@」を半角の「@」に変換してお送りください)  なお、毎日、当事者の方を中心に数多くの方からメールをいただいています。本業の合間に返信させていただくことが難しい状況になっておりますが、メールにはすべて目を通させて頂いています。
http://diamond.jp/articles/-/141318

次に、健康社会学者の河合薫氏が11月14日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「男だ女はもう「114」。埋まらぬ日本の格差問題 ジェンダー・ギャップ指数で144カ国中堂々の114位!」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「女性起業家資金イニシアティブ(We-Fi)」を「イヴァンカ基金」とマスコミが報じ、それを鵜呑みにした福島みずほ議員の“勘違いTwitter”が炎上していた頃、「どうにかしてよ!」という悲鳴と共に、ある数字が拡散していた。 114――。 NTTの「お話中調べ」でもなければ、「4649(ヨロシク!)」もとい「114(いいよ!)」でもない。「144国中114位」!
・はい、そうです。世界経済フォーラム(WEF)が発表した、世界各国の男女平等の度合いを示す2017年版「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は144カ国のうち「堂々の114位!」(バックデータは表のリンクを参照、PDFファイルです)。 昨年の111位からさらに順位を落とし、過去最低となってしまったのだ。 ちなみにトップ5の常連国はいずれも議員・閣僚などにクオータ制(一定比率を女性に割り当てる制度)をとっていて、ルワンダの女性議員数の割合は世界トップだ。
・144カ国中114位……。 いったいこの数字のどこが、「アベノミクスはウーマノミクス」で、「ウーマノミクスは人口の半分を占める女性が持つ重要性を認めています(by イヴァンカさん)」なのだろうか? いっそのこと「144カ国中144位」と、落ちるとこまで落ちた方が語呂がいいし、居酒屋のネタにもなるし、ビリという響きは案外とかっこよかったりもする。“ビリ”って、狙ってとるのは案外難しいしね。
・男女で考えるとハレーションが起きるので  とまぁ、そんなことを考えてしまうほど日本の男女格差は悲惨な状態になっているのである。 にもかかわらず、マスコミは「144カ国中114位」より、「アベノミクスはウーマノミクス」を“もてなした”。
・おっとっと。はい、分かってますよ。 「格差が嫌なら自分達で起業しろ」 「平等なんて、数字で表すものじゃない」 「日本人て、白人が決めたランキングを病的に信奉しすぎ」 「評価基準がオカシイから気にする必要はない」 「気に入らないなら自分達で女性の役員数を増やしては?」 「ていうか、安倍首相がなにをやっても気に入らないんだろう?」 ……etc etc。
・ワンワンワンの111位だった昨年、コラム(こちら)を書いたときにこうコメントする人たちの多さに、この手の問題、すなわち男女格差問題、いや「“日本の”男女格差問題」の根深さに辟易したけど、首相の好き嫌いはさておいても、さすがに10年以上ほぼビリまっしぐら状態はやばいと思いますよ。
・ただ、否定的なコメントをする人の9割以上は「男女」という言葉に過剰に反応し、「男女格差をなくせ!」とか「男女平等にしろ!」と、正面から言えば言うほど「不当に責められた」と感じて、反射的に「ノー!」と拒絶する傾向が強い(あくまでも個人的感想です)。
・ならば、「男、女」とは違う角度から問題提起する必要があるのかもしれない。 つまり、「性」で考えるからめんどくさくなる。 「労働」で考えればわかりやすい。 というわけで今回は「男とか女じゃなく、労働でどう?」という切り口で、このテーマをアレコレ考えてみようと思う。
・まず、一般的には「労働」とは有償労働をさすが、国を成長させ、社会を支え、人を守る労働は、「市場労働とケア労働」の2つに分けることができる。
 ・市場労働(market work)=商品として売買される労働力としての「有償の労働」。
 ・ケア労働(care work)=家事、育児、介護、ボランティア活動などの「無償の労働」 ケアという言葉は「ケアの論理」に代表される米国の倫理学者・心理学者のキャロル・ギリガンの道徳理論に由来するが、ここでの「ケア労働」とは、単純に私たち社会が成立するうえでの無償の労働と捉える。
・生きていくためには「お金」が必要なので、私たちは「市場労働」をする。 生きていくためにはご飯を作って食べ、部屋を掃除する。子供や高齢者にはその力がないので、他者(親や子など)がご飯を作ったり、掃除をしたりといった「ケア労働」をする。 男であるとか女だとかとは関係なく、どちらも、私たちが生きていくためには必要不可欠な労働であることを、否定する人はいないはずだ。
▽目的は「市場労働への参加」か?
・ところが、先のジェンダーギャップ指数を含め世間に流布されている男女格差にまつわる指数では「市場労働」を軸にしたものが多い。最近では「家事時間」を男女で比較するものもあるが、先のケア労働は“家事や育児”だけを指しているわけじゃない。 従って、労働市場における市場労働(有償の労働)は男性が、家庭におけるケア労働(無償の労働)は女性が、という前提で考える必要はない。というか、そう考えたらおかしい。
・男であれ女であれ、市場労働とケア労働にアクセスする権利があり、前者は「労働権」、後者には「父母権」「保育権」がある。「子が親を介護する権利」、「社会活動としてボランティアする権利」なども含まれる。
・その上で、社会政策の国際比較を行って福祉国家の類型化を試みたスウェーデンの社会政策学者セインズベリーの研究をべースに、「市場労働とケア労働を国の政策としてどう考えているのか?」を横軸に、「社会におけるジェンダー役割」を縦軸に表を作成してみよう。すると、次のページのようになる(著者による)。  表中の用語について
 (横軸) 市場労働=ケア労働:2つの労働の価値を認め、無償労働者にも社会福祉政策が取られている国/ 市場労働者のケア労働を評価:市場労働者もケア労働に従事する権利を認め、日、週の短時間労働および長期休暇を徹底することを企業の義務としている国/ 市場労働のみ評価:ケア労働に国が積極的に介入せず、保育サービスは基本的に市場に任せている国
 (縦軸) 「男性稼得型(Male breadwinnermodel)」とは性別分業が維持される社会で、男性は扶養者としての賃金労働者で、女性は被扶養者として恩恵を享受する「男は仕事、女は家庭」モデル。 これに対して「共働き型(dual earner model)」は個人がそれぞれ労働者。
・自分(河合)の主観だが、この分類で、共同生活を営む男女の稼得役割の比率(男性:女性)を、ざっくりと数字にしてみると…  ・共働き「1:1」  ・弱い男性稼得者型「1:0.5」 ・強固な男性稼得者型「1:0」 というところだろうか。
・ご覧の通り、「市場労働=ケア労働」の国は、アイスランド(1位)、フィンランド(3位)、スウェーデン(5位)、デンマーク(14位)、ノルウェー(2位)と、ジェンダーギャップ指数の上位国(男女間の差が少ない)である。  「市場労働者のケア労働を評価」のオランダ(32位)、フランス(11位)、イギリス(15位)、ドイツ(12位)も軒並み上位国。
▽市場労働のみ評価する国は順位が低い
・一方、「市場労働のみ評価」の米国は45位と一般的なイメージより低く、韓国(118位)、日本(114位)は最下位グループ常連国である。 ドイツが日本と同じ「強固な男性稼得者型」に分類されていることに違和感を覚える人がいるかもしれないので説明を加えておこう。ドイツは今でこそ「共働き先進国」に分類されるが、元来、女性の母親としての役割を強調する組合主義的福祉国家を代表する国で、実際ドイツの女性は「時短勤務」している割合が高く、時短ワークしている女性のEU平均は約3割なのに対し、ドイツは約6割と圧倒的に多い。
・ただ、繰り返しになるが、ドイツでは短い労働時間が徹底的に厳守されているので、男性でもケア労働にアクセスする権利が保護されている。 平たくいえば「会社で仕事ばっかりやってないで、さっさと家帰って家事とか育児しないと一人前じゃないぞ!」という空気が熟成されているのだ。
・以上のことから考えると日本の長時間労働がいかに「ケア労働」を軽視しているかがわかるはずだ。 「誰でもできる仕事だから保育士の給料は低い」(by 堀江貴文さん) なんてのも、「国を成長させ、社会を支えるのは市場労働だけ」という理屈から出るコメントである。
・そう考えると、今の政策は「市場労働」に女性を参加させるために、たとえば「保育サービスを充実させよう」としているだけなのだ。  要するに男性が主な働き手だった「市場労働」に、女性が同化することが目的となってしまっている。
・「ケア労働も、国の成長、社会を支えるための必要不可欠な労働だ」と考えるならば、男性を女性のライフスタイルに近づける施策を重視することになる。育児休暇を女性並みの取得率とし、時短勤務も男性にも認め、育児だけでなく、介護休暇や介護時短勤務も充実させる必要がある。
▽「人材」は意図的に育てることができる
・そのためにもっともてっとり早くできるのが「労働時短の短縮」「有給休暇の完全取得」であることはいうまでもない。 1970年代初頭、米国ノースカロライナ州で示唆に富む社会実験が行なわれた。この実験では0歳の子供が5歳まで成長する過程で、「大人が子を手厚くケアする」グループと、しないグループに分け、40年後の学歴や健康などを追跡調査した。 結果は、幼児期のケアの重要性を示すものだった。  「“手厚いケア群”が大学を卒業する確率は、“手厚いケアをしなかった群”より4倍も高く、健康度も高い」ことがわかったのである(Frances A. et al. “Adult Outcomes as aFunction of an Early Childhood Educational Program”)。
・類似した実験は他にもあり、1960年代からミシガン州のペリー幼稚園で行なわれた「手厚いケア」群とそうでない群の追跡調査でも、19歳時の高校卒業率、27歳時の持ち家率、40歳時の所得が「手厚いケア」群で高いことがわかった。
・日本ではこれらの社会実験を「優秀な子を育てる英才教育」とみる傾向があるが、実際にはそうではない。確かに小学低学年までのIQは高まるが、その後効果は持続していない。 一方、学校を卒業するまで学び続ける力、企業などで働き続ける力、賃金を得る力などの、いわゆる「生きる力」は5歳まで、どれだけ大人に手厚いケアを受けたかで大きく変わる。
・子供たちが、この先に待ち受ける困難を乗り越えるたくましさ、市場経済の競争に破れたときの打たれ強さ、健康に暮す力、などの、まさしく「国を成長させ、社会を豊かにする力=人材」になるには、大人たちがケア労働に積極的に勤しむことが必要だ。あるいはこうも言える。社会が意識すれば、「人材(財)」を人為的に育てることが可能なのだ。
・最後に、男女格差ランキングでトップを独走中のアイスランドの「女性ストライキ」事件をお話しておく。  1975年10月24日、アイスランドの女性たちはいっせいに「仕事を休んだ」。 秘書も、先生も、保育士も、看護師も、仕事に行くのをやめ、主婦は食事や掃除を放棄し、赤ん坊を夫に預けた。 目的は、いかに女性が社会に貢献しているか、いかに女性の価値が低く見られているかを世に知らせるためだった。 女性たちが仕事にこないと、学校や託児所、銀行、工場、店は閉めるしかなく、父親は子どもを連れて出社し、子供をあやすため父親たちはお菓子や色鉛筆や絵本を職場に持参。焼くだけで食べられ、子供が喜ぶソーセージのお店は大盛況であっという間にソールドアウトになった。
▽ストでもしなければ思考停止は終わらないのか…
・女性ストライキに参加したのは女性成人人口の9割にあたる22万人。 この日を境に、アイスランドでは「女性の仕事」や「家事、育児などのケア労働」の重要性が認識されるようになり、その5年後の世界で初めて女性のヴィグディス・フィンボガドッティル氏が民選大統領に選出。 フィンボガドッティル氏は次々と福祉政策を進め、男女に関係なく「ケア労働」にアクセスできる権利と保障を充実させた。
・80パーセントの給与保障付きの育児休暇制度や託児所の整備により、アイスランドは2パーセント台の出生率を維持。高い女性の就業率を確保し、両性の幹部職割合を法的に均等化するクォータ制度の導入により、大手企業の女性役員割合も4割近くまで上昇した。
・さらに、2010年に初めて女性のヨハンナ・シグルザルドッティル首相が就任し、同性婚を合法化するなど、すべての人の権利と平等を守る政策を広げている。シグルザルドッティル首相自身、世界で初めて同性婚をした国家指導者となった。 男性も女性も住みやすい社会、ストレートもLGBTも区別しない社会。 その発端となったのが、1975年のストであり、ケア労働の重要性を認知することだった。
・男、女で思考を停止させるの、もうやめませんか? あなたのケア労働は何ですか?
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/200475/111300131/?P=1 

第一の記事で、 『「引きこもり女子会」』、の存在を初めて知った。一般的に女子は「おしゃべり」なので、「引きこもり」になる可能性はそれほどないのでは、と誤解していた。確かに、 『男性恐怖症のため、これまでの男性参加者の多い自助会や居場所などには怖くて行けなかった人も数多くいる』、と言われてみれば、納得した。 『UX会議は日本財団からの助成金を得て、「女子会全国キャラバン」を開くことになった』、というのは、日本財団もたまにはいいことをすると若干見直した。
第二の記事で、 『世界各国の男女平等の度合いを示す2017年版「ジェンダー・ギャップ指数」で、日本は144カ国のうち「堂々の114位!」』、というのには、日本の後進性を改めて痛感した。 『市場労働とケア労働』、に分けて考えるというのは面白い発想だ。 『市場労働のみ評価する国は順位が低い』、というのは、言われてみればその通りなのかも知れない。 『「学校を卒業するまで学び続ける力、企業などで働き続ける力、賃金を得る力などの、いわゆる「生きる力」は5歳まで、どれだけ大人に手厚いケアを受けたかで大きく変わる』、のであれば、日本でももっとケア労働に注目すべきなのだろう。 『アイスランドの「女性ストライキ」事件・・・参加したのは女性成人人口の9割』、はよくぞここまで統一的な行動がとれたものだと驚いたが、確かに女性の価値を男性に分からせるショック療法としては有効なことは、間違いなさそうだ。
タグ:女性活躍 池上正樹 ダイヤモンド・オンライン 「「引きこもり女子会」に続々と集まる女性たちのホンネ」 「引きこもり女子会」 男性恐怖症のため、これまでの男性参加者の多い自助会や居場所などには怖くて行けなかった人も数多くいる 基本的に支援の対象として想定されてこなかったため、「家事手伝い」や「主婦」といった隠れ蓑の下で、彼女たちの存在はなかったことにされ、置き去りにされてきた 共感し合えるだけで変化を起こす女性たち UX会議 日本財団からの助成金を得て、「女子会全国キャラバン」を開くことになった 河合薫 日経ビジネスオンライン 「男だ女はもう「114」。埋まらぬ日本の格差問題 ジェンダー・ギャップ指数で144カ国中堂々の114位!」 世界経済フォーラム(WEF) 2017年版「ジェンダー・ギャップ指数 日本は144カ国のうち「堂々の114位!」 昨年の111位からさらに順位を落とし、過去最低 アベノミクスはウーマノミクス」 、「男、女」とは違う角度から問題提起する必要があるのかもしれない。 つまり、「性」で考えるからめんどくさくなる。 「労働」で考えればわかりやすい。 というわけで今回は「男とか女じゃなく、労働でどう?」という切り口で、このテーマをアレコレ考えてみようと思う 市場労働 ケア労働 「ケア労働」をする。 男であるとか女だとかとは関係なく、どちらも、私たちが生きていくためには必要不可欠な労働であることを、否定する人はいないはずだ 男であれ女であれ、市場労働とケア労働にアクセスする権利があり、前者は「労働権」、後者には「父母権」「保育権」がある 市場労働=ケア労働」の国は、アイスランド(1位)、フィンランド(3位)、スウェーデン(5位)、デンマーク(14位)、ノルウェー(2位)と、ジェンダーギャップ指数の上位国(男女間の差が少ない)である 市場労働のみ評価する国は順位が低い ドイツでは短い労働時間が徹底的に厳守されているので、男性でもケア労働にアクセスする権利が保護されている 今の政策は「市場労働」に女性を参加させるために、たとえば「保育サービスを充実させよう」としているだけなのだ 要するに男性が主な働き手だった「市場労働」に、女性が同化することが目的となってしまっている。 米国ノースカロライナ州で示唆に富む社会実験 「“手厚いケア群”が大学を卒業する確率は、“手厚いケアをしなかった群”より4倍も高く、健康度も高い ミシガン州のペリー幼稚園 19歳時の高校卒業率、27歳時の持ち家率、40歳時の所得が「手厚いケア」群で高いことがわかった。 アイスランドの「女性ストライキ」事件 1975年10月24日 アイスランドの女性たちはいっせいに「仕事を休んだ」 女性ストライキに参加したのは女性成人人口の9割にあたる22万人。 この日を境に、アイスランドでは「女性の仕事」や「家事、育児などのケア労働」の重要性が認識されるようになり、その5年後の世界で初めて女性のヴィグディス・フィンボガドッティル氏が民選大統領に選出 男、女で思考を停止させるの、もうやめませんか?
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不動産(その2)(節税どころか破産する「タワマン購入」「アパート経営」の悲惨な最期、バブルの夢再び?不動産大手が海外投資を加速する理由、耕作放棄でも税優遇、「生産緑地」は大問題だ) [経済政策]

不動産については、8月9日に取上げたが、今日は、(その2)(節税どころか破産する「タワマン購入」「アパート経営」の悲惨な最期、バブルの夢再び?不動産大手が海外投資を加速する理由、耕作放棄でも税優遇、「生産緑地」は大問題だ) である。

先ずは、9月6日付け現代ビジネス「節税どころか破産する「タワマン購入」「アパート経営」の悲惨な最期 小手先の対策が命取りに」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽ハイリスク・ローリターン
・相続税の課税対象が、財産総額6000万円以上から3600万円以上に引き下げられた'15年以降、節税対策は関心を集めてきた。できることなら払いを少なく、と考える人が激増したのだ。 「中でもタワーマンションを購入することで節税をする方法が注目を集めましたが、これは非常にリスキーです。手を出すべきではありません」(経営コンサルタントで投資家の加谷珪一氏)
・実際に購入する額に比べて、評価額が低くなりやすいタワマンの高層階を購入することで、税額を減らすというのが、タワマン節税だ。加谷氏が続ける。 「たしかに現金で持つよりも節税になるかもしれませんが、購入したマンション価格が大幅に値下がりしたのでは元も子もない。タワマンには、投機マネーが大量に入っており、市況が悪化すれば資金が引き揚げられます。こうしたリスクをよく考えるべきです」
・しかも、近年では、節税用にマンションを購入したことがバレて、裁判でマンションの購入額での相続税を支払わされる判決が出ることもある。ハイリスク・ローリターンの手法と言える。
・タワマン節税にも増して、多くの識者が、「絶対にやってはいけない」と口を揃えるのが、「アパート経営」である。 この節税方法も、現金を土地とアパートに変えたり、もともと更地だった場所にアパートを建てたりして、相続税の評価額を下げるというものだ(アパートが建った土地は更地より利用の自由度が低く、評価額が下がる)。
・日銀の金融緩和で金利が下がっており、ローンは非常に組みやすい。銀行側も融資先を探していることからアパート経営に乗り出す人が増えているが、「人口が減り、空き家が増えている中で、アパートを建てて経営がうまくいくケースは少ない。相続税の評価額は下がるかもしれませんが、家賃収入が入らなければ、アパートを維持することはできません」(ファイナンシャル・プランナーの大沼恵美子氏)
・実際、肥大化したアパートローンの不良債権化を懸念した金融庁が、金融機関に注意を喚起している。  埼玉県に暮らす70代の金田正雄さん(仮名)も、相続税対策でアパート経営を始めたことを強く後悔している一人だ。 「3年前、建設会社から相続税対策を持ちかけられ、銀行から4000万円の融資を受けて自分の持っている土地で経営を始めました。1Kで家賃7万円の部屋が5つ。計35万円の家賃収入なので、月々20万円ほどのローンの支払いも大丈夫だろうと踏んでいた。
・当初は順調でしたが、1年ほどして近所にアパートが増え始め、ウチにも空き室が出るようになった。家賃を下げざるを得なくなり、収入が減って、ローンの返済を年金で埋め合わせています。このまま本当に支払い続けられるのか心配です」
・中には、相続税対策のはずが、破産してしまったという例もある。 相続税対策としては、「生前贈与」もポピュラーだが、これもよく考えたほうがいい。 「早い時期に資産を渡してしまうと、病気などをして、想定外のお金が必要となった際に、家族といえども取り戻せないケースもある。100歳まで生きるとリスクも増えます。簡単に資産を手放さないほうがいいのです」(前出・大沼氏) 小手先の税対策が、命とりになることがある。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52680

次に、11月7日付けダイヤモンド・オンライン「バブルの夢再び?不動産大手が海外投資を加速する理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・大手不動産が、海外の開発投資に向けアクセルを踏み込んでいる。 「ライバルと比較すれば、うちは周回遅れ。小さな一歩だが、これで具体的な開発案件を精査できる」 先月、大手不動産3社の中で、海外進出で出遅れていた住友不動産が、同社海外事業部に米国と欧州、アジアの各担当部を新設。それぞれのトップには開発畑のエキスパートを送り込んだ。
・住不はバブル期に海外に攻勢をかけたが、現在はほぼ撤退。今後の投資時期や投資規模は未定だが、海外再挑戦の準備を整えた格好だ。 そのもくろみを冒頭のように明かす住不が「さすが」とうらやむのが最大手、三井不動産。
・米国マンハッタンで進む、総事業費250億ドルと同国でも最大規模の再開発事業、ハドソンヤード(HY)。その地で三井不は9月、来年に竣工を予定するオフィスビル、55HY(仮称)に続き、50HY(同)への参画を決めた。 竣工予定は2022年で、事業シェアは9割。総事業費約4000億円は、同社の営業利益のほぼ2年度分に当たる。延べ床面積26万平方メートルは、マンハッタンでも最大クラスで、三井不の海外事業における旗艦物件となる。なお、三井不の15~17年度の中期経営計画では、海外に5500億円を投じる計画だったが、それを上回る5700億円になる見込みだ。
・一方、三菱地所も海外投資拡大へとかじを切った。今年発表された17~19年度の新たな中計では、前中計の海外投資額2400億円を大きく上回る4000億円を投じる。直近では、18年に総事業費1000億円以上を掛けて豪州初進出となる複合開発事業に着工する。目玉はシドニーで最も高い263メートルの超高層ビルだ。 このほかに森ビルも今夏、インドネシアでの超高層オフィスビル開発を明らかにするなど、オフィス、商業、住宅を問わず、不動産各社の海外投資が活発化している。
▽バブル時代の再来?
・背景にあるのは、人口減による国内需要の先細りと現在の地価高騰に伴う国内の開発用地の減少だ。  「かつて来た道」──。一方で、巨額の海外投資を危ぶむ声もある。過去の失敗の象徴は、1989年に三菱地所が買収したロックフェラーグループ。95年に破綻し、三菱地所は96年に1500億円の特別損失を出した。その二の舞いになりかねないのではというわけだ。
・だが、「当時は『金は出せ、だが口は出すな』という舐められた状況だったが、今は異なる」と大手不動産担当者は言う。また、「ばくちという認識はない」と三井不も高値つかみを否定する。三井不にせよ、三菱地所にせよ、強力な現地パートナーを開拓し、開発エリアのオフィス需要も旺盛だからだ。 確かに、例えばマンハッタンのオフィス賃料は目下、上昇トレンド。だが、世界の経済の中心地だけに景気変動の荒波も受けやすい。果たしてバブル期のリベンジとなるか──。
http://diamond.jp/articles/-/148369

第三に、11月18日付け東洋経済オンライン「耕作放棄でも税優遇、「生産緑地」は大問題だ 草刈りすらされずに放置されるケースも」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「これほどひどいところは見たことがない」。記者が現地の写真を見せると、東京都のある区で農業委員を務める男性はそう驚嘆の声を挙げた。 その「ひどいところ」では、雑草が生い茂り、囲いの中には不法投棄のゴミが散乱している。別の区画では手入れのされていない竹がはびこる。どこからどうみても打ち棄てられた土地としか見えない。しかし、これは東京都江戸川区に指定された農地、れっきとした「生産緑地」だ。
▽指定を受ければ、税金が120分の1になる
・2022年、3大都市圏で地価の暴落がうわさされている。その元凶と言われるのが、生産緑地だ。生産緑地とは、都市部に農地を残す目的で、行政から指定を受けた農地を指す。生産緑地に指定されると、30年間、営農を続ける義務を負うかわりに、固定資産税などの減免や相続税の納税猶予を受けられる。
・JA(全国農業協同組合中央会)の資料を見ると、その優遇ぶりがわかる。北関東のある中核都市で10アール(1000平方メートル)の固定資産税と都市計画税の合計は、宅地で年間21.5万円。通常の農地も市街化区域内では宅地と同じだ。それが生産緑地の指定を受ければ、合計1800円となる。実に120倍もの差が生じるのだ。
・さらに相続税の納税猶予という恩恵もある。たとえばある土地の相続に2.5億円の相続税が発生したとする。これが生産緑地であれば、5000万円だけを納税し、2億円の納税猶予を選択することが可能となる。しかも終生、営農を続けるならば、この2億円は納める必要がない。 ただし、仮に10年後に自分から生産緑地の指定解除を申し出た場合、その時点で納税猶予額の2億円に、10年分の利子約6000万円が加算され、2.6億円の相続税を納付しなければならなくなる。
・現在、東京、大阪、名古屋の3大都市圏を中心に総面積1万ヘクタール超、東京ドームにして2500個を優に超える生産緑地が点在する。1992年に制定された改正生産緑地法により生産緑地の指定期間は30年となったが、生産緑地の8割が2022年に指定解除を迎える。農業の後継者問題がクローズアップされる中、指定が解除された生産緑地が宅地となって大量に放出される懸念があるというのが「2022年問題」だ。 宅地化を抑制しようと、農林水産省や国土交通省は生産緑地の保全にさまざまな策を講じている。だが、そうした努力をあざ笑うかのように、不作為のまま税の優遇だけを受けている農地も存在するのだ。
▽職員がお願いしても、何も変わらない
・東京都内では東部に位置する江戸川区。その江戸川区の中でも北東、東小岩の辺りに、問題の生産緑地は点在している。 生産緑地の管理を行う生活振興部の区職員は、「赴任してきて以来4年、毎年、せめて草くらいは刈ってくれるようお願いをしてきたが、何も変わらない」とあきらめ顔で語った。 同部では区内全域の生産緑地を点検して回っており、肥培されていないような怪しい土地があれば、様子を探る。その結果は都税事務所にも報告を上げている。
・都税事務所は「耕作されているかどうか、1回見ただけでは判断できない。3年くらい耕されていなくとも休耕扱いにして様子を見る」という。問題の生産緑地は、近所の人の話によれば、10年以上前から草が生い茂っていたとの声もある。生産緑地を耕作放棄したのであれば、税減免という恩恵も剥奪されてしかるべきだが、ことはそう簡単ではない。
・実は、生産緑地は休耕扱いとされても、税優遇の措置が続く。生産緑地の指定解除は、生産緑地所有者が耕作できなくなるほどの病気や故障を負うか、死亡するかのどちらかに限られる。 休耕や耕作放棄はそのどちらにも当てはまらないのだ。そして、行政側が一方的に指定解除を通達することはできない仕組みになっている。「ひたすらお願いベースで、耕作をしてもらうよう“指導”と是正勧告を繰り返すしかない」(生活振興部)。
・生産緑地の所有者には大地主が多い。江戸川区の耕作放棄地と見まがう生産緑地の所有者であるM氏も、多くの土地を所有する地元の名士だ。各地域には税務署の協力団体で、税制に関する啓蒙や納税教育を進める法人会という組織がある。M氏は長く江戸川北法人会の会長職を務め、数年前に定年でその職を退くまでは講師として税金の納付勧奨や啓発のセミナーなどを開催していたという。 また、20数年に渡って、複数の町内会の連合体である連合町会の会長や、江戸川花火大会の大会委員長も務めた。
・東洋経済は、このM氏に生産緑地の耕作放棄について、再三にわたり取材を申し込んだ。しかし、何の返答も得られなかった。まがりなりにも税に関する啓蒙セミナーの講師を務めた人物として、ノブレス・オブリージュ(高貴な者の義務)を果たす責任があるのではないだろうか。
・ただ、冒頭の農業委員は「これほどひどいものは見たことがないが、何の生産もしていないのに、営農を続けているように見せかけている農地は意外とある」と打ち明ける。
▽生産緑地制度への疑問も
・かくも問題のある生産緑地は今後どうなるのか。 長年、都市部の農地を見守ってきたJAの関係者は、「10年前とは比較にならないほど、都市農地に対する理解が深まってきた」と語る。体験農園などを通して、都市部で農業に触れる人も増えてきた。官民を挙げて、都市に農地を残そうとする機運も高まりつつある。
・一方で「生産緑地の税優遇に対し、こころよく感じていない人も多い」(農水省)。生産緑地の耕作放棄や偽装耕作のような事例が放置されれば、生産緑地制度自体に疑義をとなえる人が出てくる可能性も否めない。 2017年4月には生産緑地法が改正された。30年経過後は「特定生産緑地」となり、更新は10年単位となる。束縛期間が短くなったことで、監視・罰則の強化が打ち出されてもおかしくはない。ただ、実際の運用は5年後。その前に、自らの襟を正すべきではないだろうか。
http://toyokeizai.net/articles/-/198058
ただ、

第一の記事での 『「アパート経営」』、については、いまだにテレビで派手なCMを打っている業者もいる。我が家の周辺でもアパート建設ラッシュだ。このままでは、賃料下落で、アパートローンの不良債権化、さらにはオーナーの自己破産増加が顕在化するのは避けられないだろう。
第二の記事で、 『「当時は『金は出せ、だが口は出すな』という舐められた状況だったが、今は異なる」と大手不動産担当者は言う』、とのことらしい。個別の事情は不明だが、一般論としては、日本の業者が開発するということは、現地の数多いディベロッパーが手を出さないか、手を引いた案件ということになる。とすれば、採算が取れるハードルはそれだけ高くなっている筈だ。それでも、日本国内よりはましということなのかも知れないが、今回は大丈夫という保証がないことは確かだ。
第三の記事の生産緑地、については8月9日にも紹介した。生産緑地の耕作放棄が、ここまで酷いとは驚かされた。なお、生産緑地を市民農園とすればいいとも思えるが、さいたま市の説明では、『生産緑地においても市民農園を開設することは可能ですが、納税猶予が打ち切られたり、生産緑地の買取り制度が利用できなくなったりと、生産緑地としてのメリットがなくなる可能性があります。生産緑地は、自身で耕作していることが大前提なので、農園利用方式であれば継続してメリットを受けられる可能性はありますが、税務署や生産緑地所管課(みどり推進課)とよく相談するようにしてください』、と簡単ではないようだ。
http://www.city.saitama.jp/005/002/002/p038709.html
いずれにしても、休耕や耕作放棄の場合にも、生産緑地の指定解除できるようにするなど、制度の抜本的見直しが急務だ。
タグ:不動産 (その2)(節税どころか破産する「タワマン購入」「アパート経営」の悲惨な最期、バブルの夢再び?不動産大手が海外投資を加速する理由、耕作放棄でも税優遇、「生産緑地」は大問題だ) 現代ビジネス 「節税どころか破産する「タワマン購入」「アパート経営」の悲惨な最期 小手先の対策が命取りに」 相続税の課税対象 財産総額6000万円以上から3600万円以上に引き下げられた 節税対策は関心を集めてきた タワーマンションを購入することで節税をする方法が注目を集めましたが、これは非常にリスキーです。手を出すべきではありません タワマンには、投機マネーが大量に入っており、市況が悪化すれば資金が引き揚げられます。こうしたリスクをよく考えるべきです 多くの識者が、「絶対にやってはいけない」と口を揃えるのが、「アパート経営」である アパートローンの不良債権化を懸念 金融庁が、金融機関に注意を喚起 相続税対策のはずが、破産してしまったという例もある ダイヤモンド・オンライン 「バブルの夢再び?不動産大手が海外投資を加速する理由」 住友不動産 同社海外事業部に米国と欧州、アジアの各担当部を新設 三井不動産 マンハッタンで進む、総事業費250億ドルと同国でも最大規模の再開発事業 総事業費約4000億円 三井不の海外事業における旗艦物件 三菱地所 シドニーで最も高い263メートルの超高層ビル 森ビル インドネシアでの超高層オフィスビル開発 人口減による国内需要の先細りと現在の地価高騰に伴う国内の開発用地の減少 「かつて来た道」 当時は『金は出せ、だが口は出すな』という舐められた状況だったが、今は異なる 東洋経済オンライン 耕作放棄でも税優遇、「生産緑地」は大問題だ 草刈りすらされずに放置されるケースも」 生産緑地 指定を受ければ、税金が120分の1になる 30年間、営農を続ける義務を負うかわりに、固定資産税などの減免や相続税の納税猶予を受けられる 相続税の納税猶予という恩恵もある 3大都市圏を中心に総面積1万ヘクタール超、東京ドームにして2500個を優に超える生産緑地が点在 生産緑地の8割が2022年に指定解除を迎える 不作為のまま税の優遇だけを受けている農地も存在するのだ 生産緑地は休耕扱いとされても、税優遇の措置が続く。生産緑地の指定解除は、生産緑地所有者が耕作できなくなるほどの病気や故障を負うか、死亡するかのどちらかに限られる 生産緑地の所有者には大地主が多い
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東芝不正会計問題(その35)(証券取引等監視委員会が東芝を調査?、東芝の現在位置を確認しておこう、東芝・シャープが勝ち目のない案件に挑んだ理由 大失敗の共通項を神戸大学の三品和広教授に聞く) [企業経営]

東芝不正会計問題については、9月5日に取上げた。今日は、(その35)(証券取引等監視委員会が東芝を調査?、東芝の現在位置を確認しておこう、東芝・シャープが勝ち目のない案件に挑んだ理由 大失敗の共通項を神戸大学の三品和広教授に聞く) である。

先ずは、10月20日付け闇株新聞が掲載した「証券取引等監視委員会が東芝を調査?」を紹介しよう。
・証券取引等監視委員会(以下、「監視委員会」)が、東芝の2017年3月期決算の作成過程などを調査するようです。 東芝といえば2015年春に過去の不正経理が発覚し、それまでの7年間(それ以前は時効)で累計2248億円もの利益を不正に計上していた「重大な経済事件」でありながら、歴代3社長らが辞任したものの刑事事件化は見送られています。
・2015年12月に監視委員会(開示検査課)は東芝に対し73億円余の課徴金納付を勧告し、さらに佐渡賢一委員長(当時)を中心に歴代3社長の刑事責任を追及するものの、なぜかタッグを組む検察庁(東京地検特捜部)が全く動かない「珍しい構図」となっていました。 その佐渡委員長も2016年12月に退任し、新たに検察庁OBの長谷川充弘氏が後任の委員長となり、監視委員会と検察庁の不協和音も聞こえなくなっていました。つまり本年(2017年)に入ってから、東芝に監視委員会が出てくることは全くありませんでした。
・ところが本日(10月19日)、その監視委員会が東芝を調査しているとの報道が急に出てきました。だいたいこういう報道は監視委員会が各報道機関にリークするもので、どのニュースもほとんど同じで「さっぱり要領を得ない内容」となっています。 監視委員会が各報道機関にリークするときは、「それなりに本気で取り組む事案」であるはずで、そうでなくても半導体売却を巡り複雑怪奇となっている東芝に、さらに監視委員会まで加わった可能性があります。
・東芝は遅れに遅れていた2017年3月期の決算発表と有価証券報告書の提出を8月10日に行いましたが、PwCあらた監査法人は「限定付き適正意見」しか付さず、さらに3月末に切り離したWH関連を中心に9656億円もの巨額損失となりました。 それにPwCあらた監査法人が最後まで譲らなかったとされる「巨額損失の一部(あるいはほとんど)は2016年3月期に計上すべきものだった」も含めて、確かに決算発表後すみやかに監視委員会(開示検査課)が調査する条件が揃っています。しかし開示検査課だとすれば、その目的は課徴金納付など行政処分を金融庁に勧告することでしかありません。
・つまり監視委員会でも最初から刑事事件化を目的とする特別調査課の担当でなく、改めて東芝の刑事事件化を狙うわけでもないと感じます。 しかしそれだとわざわざ各報道機関にリークする必要もないはずで、違和感は残ります。調査開始に合わせて報道機関にリークするケースは、圧倒的に刑事事件化を目的とする特別調査課が担当するケースが多いからです。
・そうでなくても半導体事業売却や2018年3月期における債務超過解消などで調査開始に合わせて報道機関にリークするケースは、圧倒的に刑事事件化を目的とする特別調査課が担当するケースが多いからです。
・その半導体事業売却については、東芝は9月末にベインキャピタルが主導する日米韓連合と正式契約しています。そこで東芝自身が3505億円も出資し、突然出てきたHOYAの270億円と合わせて議決権の過半数を保有すると公表されています。 またベインキャピタルが2120億円(議決権あり)、SKハイニックスが3950億円(10年後でも議決権の15%しか保有できない)、アップルやデルなど米国企業が4155億円(議決権のない優先株)、それに三井住友銀行などが6000億円(融資)と、たしかに総額は2兆円となっていますが、あるはずの裏契約を含めた「本当の売却スキーム」が全く見えてきません。
・しかし本日はせっかく東芝と監視委員会の話題なので、この半導体事業について金融商品取引法に違反している可能性があるところを指摘しておきます。 東芝は7000億円の帳簿価格である半導体事業を2兆円で売却して利益を捻出し、さらに3505億円を「高値で」再投資することになります。その3505億円は公表が正しいとすれば、議決権の半数近いもの(つまり東芝が主導的立場にある投資家)となるはずです。 つまり東芝は自社が保有している半導体事業を、自社が再投資する高値で売却しているだけとなります。つまり東芝の半導体事業売却益は、東芝が自ら主導する高値で計算されていることになります。
・つまり東芝は自分で半導体事業売却益を積み上げていることになり、明らかな決算操作(利益の不正計上)となるはずです。せっかく監視委員会が出てきているので、この辺も調査するべきと考えますが、さてどうなるのでしょう?
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2107.html

次に、同じ闇株新聞が11月14日付けで掲載した「東芝の現在位置を確認しておこう」を紹介しよう。
・東芝は先週末(11月10日)、半導体事業の売却が債務超過解消のデッドラインである2018年3月末までに完了しない事態に備えて、6~8000億円規模の資本増強(増資のことです)の検討に入ったと報道されています。 東芝の株価はその当日(11月10日)から出来高を伴って急落しており、その前日の313円(終値、以下同じ)から本日(11月13日)は279円となっています。早くもヘッジファンドが「準備」を始めていることになります。
・本誌はもともとハゲタカファンド(ベインキャピタル)が主導するブラックボックスだらけの半導体事業売却など止めて、単に債務超過を解消するための資本増強にすべきと主張していますが、ようやくそういう意見が出てきたことになります。 ただ資本増強で2018年3月末の債務超過が解消できても、半導体事業は期をこえても売却するニュアンスで、もちろん売却条件が変更されるわけでもなさそうです。資本増強ができればとりえず東芝の上場は維持されるため、どうしても2018年3月までに売却を完了するために「ほとんど丸呑み」となっていた売却条件は変更すべきと考えます。
・11月9日に発表された東芝の2017年4~9月期決算は、営業利益が2317億円と4~9月期としては過去最高となりましたが、その82%は売却してしまう半導体事業が稼いでいます。東芝はさらにパソコンやテレビなどの事業も売却してしまうようで「いったい何の会社になるのか」がわかりません。
・ところでブラックボックスだらけだった半導体事業の売却も、少しずつその内容が明らかになっています。  まず総額2兆円の内訳は、東芝自身の3505億円とHOYAの270億円の合計3775億円で(どうせ売却時だけですが)議決権の50.1%を保有するとなっています。つまり売却時における株主資本は7535億円であるはずです。
・これにベインキャピタルの2120億円とSKハイニックスの3950億円の一部(今後10年間は議決権の15%以上を保有しないことになっています)で議決権の49.9%(3760億円)を保有することになるため、ベインキャピタルが2120億円、SKハイニックスが1640億円となるはずです。しかしそうなると売却時にSKハイニックスの議決権は21.7%となるため辻褄が合いません。
・またSKハイニックスも、参加者最大の3950億円の資金を拠出して15%以下の議決権(残りは融資だそうですが)を保有するだけとなると、SKハイニックスの株主が納得するとも思えません。何かブラックボックスが隠れているはずです。
・あとはアップル、デル、シーゲート・テクノロジーズ、キングストンテクノロジー(かつてソフトバンクが保有していた)の米国連合が議決権のない優先株(普通株への転換ができるはずです)で4155億円、三井住友銀行など日本の金融機関が6000億円を融資します。 この融資される6000億円は、売却される半導体事業会社が「せっせと」返済することになります。
・さらに東芝の半導体事業の「簿価」はずっと7000億円とされていましたが、それが「いつの間にか」8000億円に修正されています。つまり何かわかりませんが1000億円も半導体事業に「おまけ」をつけて売却することになります。 それでは8000億円の簿価の半導体事業を2兆円で売却すれば、1兆2000億円の売却益となるはずですが、これも1兆800億円となっており、その差額の1200億円は(東芝の発表ですが)弁護士費用とアドバイザーへの報酬となっています。
・本誌は以前から「決して表には出ない複数のアドバイザーが巨額報酬を山分けする」と書いていますが、それが1200億円だったことになります。2兆円の6%となりますが、融資する日本の金融機関も金利とは別に「分け前」にあずかります。
・さらにその1兆800億円の売却益から3400億円の税金を支払い、最終的には7400億円の資本増強ができることになります。売却にかかる税金は5000億円のはずですが、還付できるものもあるため最終的に3400億円の税負担となるようです。東芝は2017年4~9月期にその税負担を計上しており、最終純利益が498億円の赤字となりました。
・また東芝は過去の不正経理がどれだけ明らかになっても、東京地検特捜部が「頑として」刑事事件化しませんでしたが、実はこの半導体売却を強行すると「犯罪になるかもしれない部分」が2か所あります。 1つは、東芝はWDと共同運営する四日市工場に年間3000億円ほどの投資を行うと発表していますが、その四日市工場の東芝の持分まで売却対象となっているなら(そうでない可能性もありますが)、外部に売却すると決めている四日市工場に巨額資金を投入することになり(つまりその分はタダであげることになるため)、背任行為となります。
・もう1つは、半導体事業への最大出資者(議決権のある普通株式への出資)は東芝となります。つまり売却益の前提となる半導体事業の売却価格に東芝自身が最大出資者として影響力を及ぼしていることになり、東芝が自らの利益(売却益)を操作していることになります。 やはりどう考えても半導体事業を無理に売却しない方がいいとなりますが、それでも売却してしまうのでしょうね?
http://yamikabu.blog136.fc2.com/blog-entry-2122.html

第三に、11月13日付け日経ビジネスオンラインに掲載された神戸大学の三品和広教授へのインタビュー記事「東芝・シャープが勝ち目のない案件に挑んだ理由 大失敗の共通項を神戸大学の三品和広教授に聞く」を紹介しよう(▽は小見出し、――は聞き手の質問、+は回答内の段落)。
・液晶工場に巨額の資金を投じたシャープと米ウエスチングハウスを買収して原子力ビジネスに賭けた東芝には、1つの共通点がある。経験を積んでよく知っている事業なら「失敗しない」と判断し、巨額の資金を投じたことだ。なぜリスクを軽視して巨額投資に走ったのか。日本企業の経営戦略に詳しい神戸大学の三品和広教授に話を聞いた。
――巨大プロジェクトに挑み、失敗する日本企業が後を絶ちません。東芝は米国の原発建設を管理しきれず債務超過に転落し、三菱重工業は国産旅客機「MRJ」の納入延期を繰り返しています。何が原因なのでしょうか。
・三品和広教授(以下、三品):日本企業が大きな特別損失を計上したケースを分析すると、勝ち目がない案件に自ら突っ込んでいる例が目立ちます。 プロジェクトを続ける間にマネジメントを失敗し、結果が当初想定から大きく狂うというケースは、皆無ではありません。ただし、日本企業ではマジョリティー(多数派)ではないでしょう。根本的な原因は、出発段階の経営判断の甘さにあります。 ではなぜ、甘い経営判断がまかり通るのか。私は日本企業の「リスク」の捉え方が間違っているのだと分析しています。
――日本企業の経営者は、「石橋を叩いて渡らない」イメージがありますが。
・三品:ところが全然違うのです。プロジェクトに関するリスクを、2つの側面から考えてみましょう。 1つ目は「損失の期待値」。思い通りに進まなかった場合、どれぐらいの「持ち出し」が発生する可能性があるかという考え方です。「失敗する確率」と「投下金額」のかけ算で、損失の期待値は計算できます。
+米国企業は、投下金額を小さくすることで期待値をコントロールしようとします。ベンチャー投資が1つの象徴ですね。失敗する確率は高くても、少額なら経営を揺るがすような損失にはなりませんから。その中で成功が出てきたら、徐々に金額を増やしていきます。
+一方で日本企業は、まずは失敗確率を低くしようと考えます。この傾向が強いので「リスクテークが足りない」と批判されるのでしょう。半面、失敗確率が低いと判断したら、一気に巨額の資金を投じて勝負に出る。私から見たら、ものすごいリスクを取っているわけです。単純に経営が「乱暴」と言っていいと思います。 
▽経験を積んだ事業なら、失敗確率は低いのか
――計算上は、米国企業でも日本企業でも「損失の期待値」は同じようなレベルになると思います。
・三品:ここで、リスクのもう1つの側面を考えねばなりません。最悪のケースに陥ったら、最大でいくらの損失が発生するかということです。 仮に発生確率が0.1%程度に過ぎなかったとしても、不運が重なることはあり得ます。そうした時に、財務が耐えられるのかを考えておかないといけません。投下金額の絶対額を自社の財務体力と比べる必要があります。
+堺市に巨大な液晶工場を建設したシャープと巨費を投じて米ウエスチングハウスを買収した東芝は、2つ目のリスクを見誤ったのです。文字通り社運を賭けたわけですが、大きく転んで債務超過に転落してしまいました。 CFO(最高財務責任者)がCEO(最高経営責任者)の部下のようになってしまい、財務面からブレーキをかけられなかったのが1つの原因でしょう。
――シャープも東芝も、事前に「損失の期待値」については計算したのではないでしょうか。
・三品:そうでしょうね。挑戦する事業からもそうした考えが見てとれます。 シャープの場合は液晶を長年手掛けてきたので、テレビ事業なら何とかなると考えていた。東芝は数十年間にわたって原子力ビジネスを手掛けてきたので、米国でも原発建設をこなせると思っていた。
+三菱重工業のMRJも同様です。米ボーイングの下請けで経験を積んでいますし、防衛省向けの戦闘機も手掛けている。航空機に関しては全くの素人ではないという自負があるでしょう。 つまり、自分たちが経験を積んでいる事業ならば、まさか手痛い失敗にはならないだろうと思い込んでいるわけです。失敗の確率が低ければ巨大な投資をしても大丈夫。そういう理屈なのです。
――全く見知らぬ場所ではなく、経験の通用する領域で勝負するのは当たり前のように思えます。
・三品:皆さんここで計算違いをするのです。事業の中身は、時代や置かれた立場によって全く異なるからです。
▽日本と米国では原発のビジネス手法が異なる
・三品:同じテレビ事業でも、ブラウン管と液晶ではビジネスのやり方が全く異なります。原発でも相手が東京電力なのか米国の電力会社なのかで、やり方は大きく変わらざるを得ない。自らが事業主体となるMRJでは、ボーイングの下請け時代とは違った責任が生じます。 失敗した企業はこうした違いを過小評価したのでしょう。目の前に流れる川の「深さ」を確かめないまま、渡れると思い込んで足を踏み込んでしまった。過去の成功体験から自信過剰になっていたのだと思います。
――足を踏み出した段階で、既に間違っている可能性がある。
・三品:そうですね。間違った選択をしてしまう1つの理由は、日本企業が重視する「経験主義」にあると思います。 日本企業に学生が就職する時には、学校で何を勉強してきたかはあまり問われません。入社してから仕事を通じて経験を重ねていけばいいと、社長以下が考えているからです。海外でMBAを取って転職してくる人よりも、生え抜きが重用される例が多いのはその象徴です。社内で積み重ねた経験に価値があると信じているからこそ、日本企業は今でも長期雇用を維持しているのです。
+経営者になるのは、その会社の本業で誰よりも経験を積んだ人。そして、自分が過去に経験して想像できる範囲内で次の戦略を考えようとします。 自分たちが経験している領域には、当然、同業他社がいます。長い歴史の中で過当競争に陥っている事業も多い。そこで勝負するには大きな金額を張って、競合を振り切らないといけない。そんな発想に至るわけです。
+19世紀ドイツの宰相ビスマルクは「愚者は経験に学ぶ、賢者は歴史に学ぶ」という言葉を残しています。歴史は他人の経験の集合体です。ビスマルクの視点では、自らの経験からしか学ぼうとしない日本企業は愚者に他なりません。
+一方で欧米企業は、他人の経験から学ぼうとします。自社が手掛けていない分野でも関係ありません。米ゼネラル・エレクトリック(GE)が金融分野に乗りだし、ずっとパソコンを作ってきた米アップルが通信機器であるiPhoneを手掛けるようなことは、当たり前に起きています。こうした挑戦は、日本企業の発想ではあり得ません。
▽「飛び地」に挑まないのは、根本的な間違い
――新たな挑戦で、成功するかどうかは分かりません。
・三品:だからこそ、最初は小さく始めるのです。 アップルはiPhoneのために工場を作ったりしていませんよね。2008年に「iPhone3G」を投入し、それが成功したことを見極めてから、徐々に小さな会社を買収して機能を強化していく。これが本来のリスクテークのあり方なんです。 米グーグルも米アマゾン・ドット・コムも、最初のビジネスは小さなサーバーでできる範囲にとどめていました。お客さんが付いて資金が回り出してから、本格的に投資を始めました。
+インターネットの登場で様々なビジネスが大きく変わり始めた時期に、グーグルは広告で、アマゾンは通販でそれぞれ最適な「立地」を押さえました。「揺籃期」なら市場規模はまだ小さいので、少額投資でも大きな存在感を示せます。その後、市場の成長に合わせて投資を増やしていけばよいのです。
+一方の日本企業は、経営陣が臆病で未経験の事業を判断できません。成熟産業でも新たな事業機会はどんどん立ち上がっているのに、「お手並み拝見」と眺めているだけ。経験を積んで勝手が分かる事業以外には、投資する勇気が無いのです。 「飛び地」には行かないと宣言する経営者がいますよね。あの発想は根本的に間違っています。自らの経験のみを重視して、世の中で新たに登場するニーズや可能性に興味を持っていないというのと同義ですから。
――戦略的に「立地」を押さえるのではなく、後から挽回しようとするから失敗してしまう。
・三品:そういうことです。慣れ親しんだ事業が成熟してくると、状況を変えようとして大型投資に走るわけです。ある意味で乱暴な手法で勝ちを収めようとする。これが多くの失敗の共通点です。 日本企業がそういう乱暴な経営をしてしまう理由はもう1つあります。社長の任期が4~6年と短いことです。3年の「中期経営計画」を2回転して退任するのが典型的なパターンになっています。
+この6年の期間で歴史に名を刻むには、小さな事業を育てていくのでは間に合いません。機が熟しているかどうかは関係なく、何らかの勝負に挑む必要があると考えるのでしょう。だからこそ、「高値づかみ」だと分かっていても後には引けないのです。 後任の社長も失敗をすぐに修正できません。多くの日本企業では実績と経験に基づき、前任社長が後継者を指名するケースが今も続いているからです。
+そうした意味からも、ガバナンス改革を急がねばなりません。 「執行」に携わるのは経験主義の中で育ってきた人でもいいんです。日本企業が強みとする実務では、経験が絶対に必要ですから。一方で「経営」する人、戦略を描く人はその延長線上では育ちません。ここをちゃんと区別する必要があります。だからこそ指名委員会の役割が大きくなると考えています。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/16/110900179/110900002/

第一の記事で、 証券取引等監視委員会による、 『調査開始に合わせて報道機関にリークするケースは、圧倒的に刑事事件化を目的とする特別調査課が担当するケースが多い』、らしいが、仮に開示検査課が担当するのであっても、 『そうでなくても半導体売却を巡り複雑怪奇となっている東芝に、さらに監視委員会まで加わった可能性があります・・・また東芝の新たな波乱となるかもしれません』、 『東芝は自分で半導体事業売却益を積み上げていることになり、明らかな決算操作(利益の不正計上)となるはずです。せっかく監視委員会が出てきているので、この辺も調査するべきと考えますが、さてどうなるのでしょう?』、などから調査結果の発表は大いに待たれるところだ。
第二の記事で、 『資本増強で2018年3月末の債務超過が解消できても、半導体事業は期をこえても売却するニュアンスで、もちろん売却条件が変更されるわけでもなさそうです。資本増強ができればとりえず東芝の上場は維持されるため、どうしても2018年3月までに売却を完了するために「ほとんど丸呑み」となっていた売却条件は変更すべきと考えます』、との指摘は正論だ。 『本誌は以前から「決して表には出ない複数のアドバイザーが巨額報酬を山分けする」と書いていますが、それが1200億円だったことになります』、とさすが闇株新聞の指摘は鋭い。 『この半導体売却を強行すると「犯罪になるかもしれない部分」が2か所あります・・・やはりどう考えても半導体事業を無理に売却しない方がいいとなりますが、それでも売却してしまうのでしょうね?』、東芝の「お手並み拝見」といくしかない。
第三の記事で、 『日本企業は、まずは失敗確率を低くしようと考えます・・・失敗確率が低いと判断したら、一気に巨額の資金を投じて勝負に出る。私から見たら、ものすごいリスクを取っているわけです。単純に経営が「乱暴」と言っていいと思います』、 『目の前に流れる川の「深さ」を確かめないまま、渡れると思い込んで足を踏み込んでしまった。過去の成功体験から自信過剰になっていたのだと思います』、 『間違った選択をしてしまう1つの理由は、日本企業が重視する「経験主義」にあると思います』、 『ビスマルクの視点では、自らの経験からしか学ぼうとしない日本企業は愚者に他なりません』、 『慣れ親しんだ事業が成熟してくると、状況を変えようとして大型投資に走るわけです。ある意味で乱暴な法で勝ちを収めようとする。これが多くの失敗の共通点です。 日本企業がそういう乱暴な経営をしてしまう理由はもう1つあります。社長の任期が4~6年と短いことです。3年の「中期経営計画」を2回転して退任するのが典型的なパターンになっています』、などの指摘はその通りなのだろう。特に、社長の任期の問題は、日本企業は長期的視点に立った経営が可能なのが「強み」、との一般的な常識を覆すものであり、私も考え直させられた。
タグ:東芝不正会計問題 (その35)(証券取引等監視委員会が東芝を調査?、東芝の現在位置を確認しておこう、東芝・シャープが勝ち目のない案件に挑んだ理由 大失敗の共通項を神戸大学の三品和広教授に聞く) 闇株新聞 「証券取引等監視委員会が東芝を調査?」 監視委員会が各報道機関にリーク 調査開始に合わせて報道機関にリークするケースは、圧倒的に刑事事件化を目的とする特別調査課が担当するケースが多い 調査開始に合わせて報道機関にリークするケースは、圧倒的に刑事事件化を目的とする特別調査課が担当するケースが多いからです 東芝は自分で半導体事業売却益を積み上げていることになり、明らかな決算操作(利益の不正計上)となるはずです。せっかく監視委員会が出てきているので、この辺も調査するべきと考えますが、さてどうなるのでしょう? 「東芝の現在位置を確認しておこう」 6~8000億円規模の資本増強(増資のことです)の検討に入ったと報道 資本増強で2018年3月末の債務超過が解消できても、半導体事業は期をこえても売却するニュアンスで、もちろん売却条件が変更されるわけでもなさそうです 半導体事業の売却 差額の1200億円は(東芝の発表ですが)弁護士費用とアドバイザーへの報酬 本誌は以前から「決して表には出ない複数のアドバイザーが巨額報酬を山分けする」と書いていますが、それが1200億円だったことになります はこの半導体売却を強行すると「犯罪になるかもしれない部分」が2か所あります 四日市工場に年間3000億円ほどの投資を行うと発表 四日市工場の東芝の持分まで売却対象となっているなら(そうでない可能性もありますが)、外部に売却すると決めている四日市工場に巨額資金を投入することになり(つまりその分はタダであげることになるため)、背任行為となります 半導体事業への最大出資者(議決権のある普通株式への出資)は東芝となります。つまり売却益の前提となる半導体事業の売却価格に東芝自身が最大出資者として影響力を及ぼしていることになり、東芝が自らの利益(売却益)を操作していることになります 日経ビジネスオンライン 三品和広 「東芝・シャープが勝ち目のない案件に挑んだ理由 大失敗の共通項を神戸大学の三品和広教授に聞く」 根本的な原因は、出発段階の経営判断の甘さにあります。 ではなぜ、甘い経営判断がまかり通るのか。私は日本企業の「リスク」の捉え方が間違っているのだと分析 米国企業は、投下金額を小さくすることで期待値をコントロールしようとします 日本企業は、まずは失敗確率を低くしようと考えます 敗確率が低いと判断したら、一気に巨額の資金を投じて勝負に出る。私から見たら、ものすごいリスクを取っているわけです。単純に経営が「乱暴」と言っていいと思います リスクのもう1つの側面を考えねばなりません。最悪のケースに陥ったら、最大でいくらの損失が発生するかということです 堺市に巨大な液晶工場を建設したシャープと巨費を投じて米ウエスチングハウスを買収した東芝は、2つ目のリスクを見誤ったのです。文字通り社運を賭けたわけですが、大きく転んで債務超過に転落してしまいました CFO(最高財務責任者)がCEO(最高経営責任者)の部下のようになってしまい、財務面からブレーキをかけられなかったのが1つの原因 シャープの場合は液晶を長年手掛けてきたので、テレビ事業なら何とかなると考えていた。東芝は数十年間にわたって原子力ビジネスを手掛けてきたので、米国でも原発建設をこなせると思っていた 事業の中身は、時代や置かれた立場によって全く異なるからです。 失敗した企業はこうした違いを過小評価したのでしょう。目の前に流れる川の「深さ」を確かめないまま、渡れると思い込んで足を踏み込んでしまった。過去の成功体験から自信過剰になっていたのだと思います 間違った選択をしてしまう1つの理由は、日本企業が重視する「経験主義」にあると思います。 自分たちが経験している領域には、当然、同業他社がいます。長い歴史の中で過当競争に陥っている事業も多い。そこで勝負するには大きな金額を張って、競合を振り切らないといけない。そんな発想に至るわけです ビスマルクの視点では、自らの経験からしか学ぼうとしない日本企業は愚者に他なりません 飛び地」に挑まないのは、根本的な間違い 日本企業は、経営陣が臆病で未経験の事業を判断できません。成熟産業でも新たな事業機会はどんどん立ち上がっているのに、「お手並み拝見」と眺めているだけ。経験を積んで勝手が分かる事業以外には、投資する勇気が無いのです 「飛び地」には行かないと宣言する経営者がいますよね。あの発想は根本的に間違っています。自らの経験のみを重視して、世の中で新たに登場するニーズや可能性に興味を持っていないというのと同義ですから 慣れ親しんだ事業が成熟してくると、状況を変えようとして大型投資に走るわけです。ある意味で乱暴な手法で勝ちを収めようとする。これが多くの失敗の共通点です 日本企業がそういう乱暴な経営をしてしまう理由はもう1つあります。社長の任期が4~6年と短いことです。3年の「中期経営計画」を2回転して退任するのが典型的なパターンになっています
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中国国内政治(その4)(中国新指導部が発足 漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け 共青団派との闘争は激化、習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由) [世界情勢]

中国国内政治いついては、昨年10月25日に取上げた。中国共産党の第18期中央委員会第7回全体会議(7中全会)閉幕を踏まえた今日は、(その4)(中国新指導部が発足 漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け 共青団派との闘争は激化、習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由) である。

先ずは、10月26日付け日経ビジネスオンライン「中国新指導部が発足、漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、日本への脱出を急ぐ起業家も」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・「日本で500万円投資するとしたらどうしたらいいのでしょうか」 中国でベンチャー企業を経営しているある中国人経営者は今、日本の「経営管理ビザ」を取得しようと躍起になっている。経営管理ビザは外国人が日本国内に置かれた企業を経営するために必要となるもので、500万円以上の投資などが条件となっている。経営管理ビザを手に入れれば、将来的には永住許可の取得も視野に入る。
・この経営者は今すぐ日本に拠点を移すことは考えておらず、中国での事業を止めるつもりもない。「いざという時のため備え」だという。それでも経営管理ビザ取得を急ぐのは、中国の企業経営環境が激変する可能性を実感しているためだ。この夏、きっかけとなる「事件」があった。 この企業が提供しているサービスが一時、インターネット上で問題となった。企業の製品やサービス、はたまたCMがネット上で炎上することは今や世界中で見られる現象で珍しいものではない。だが、炎上騒ぎを起こしたことで公安当局の取り調べを受けるとなればどうだろうか。
・個人の安全を守るため同社が引き起こした「炎上」の詳しい内容に触れることはできないが、詐欺のような、どの国でも犯罪に該当するような行為はしていない。不注意により、敏感な問題に触れてしまった格好だ。だが公安当局が取り調べる以上、中国の何らかの法律に触れているということになる。結局、この企業は行政処分を受けることになった。 規模の大きくない同社は事業継続が危ぶまれる事態に陥った。この経営者は、中国では企業の生死は国の考え一つで決まってしまうと改めて分かったという。日本の経営管理ビザ取得を真剣に考え出したのはそれからだ。
▽中央委員から外れた王岐山氏
・中国共産党は10月25日、第19期中央委員会第1回全体会議(1中全会)を開き、最高指導部となる政治局常務委員の7人を選出した。習近平総書記(64歳)と李克強首相(62歳)が続投。栗戦書・中央弁公庁主任(67歳)、汪洋・副首相(62歳)、王滬寧・中央政策研究室主任(62歳)、趙楽際・中央組織部長(60歳)、韓正・上海市党委員会書記(63歳)が政治局委員から昇格した。
・10月18日から10月24日まで開催した中国共産党第19回全国代表大会(党大会)前には、今回の常務委員人事がいくつかの点で注目されていた。1つは反腐敗運動を取り仕切ってきた王岐山氏(69歳)の去就だ。王氏は結局、約200人の中央委員の名簿にも名前がなく、党の中枢メンバーからは外れた形になった。
・また習氏の「子飼い」とされる陳敏爾・重慶市党委書記(57歳)が常務委員入りするかも焦点だったが、常務委員を含む25人で構成される政治局委員入りにとどまった。また、胡錦濤・前国家主席や李首相を輩出した共産主義青年団出身の次期エースとされ、同じく常務委員入りの可能性が出ていた胡春華・広東省党委書記(54歳)も常務委員には昇格しなかった。結局、次の指導者候補となり得る50代の常務委員入りはなかったが、習氏の長期政権への布石なのだろうか。
・この先5年の中国を率いる新たな常務委員メンバーは「習氏のチーム」と言った様相だ。特に栗戦書氏と王滬寧氏はこの5年、すぐそばで習氏を支えてきた側近だ。習氏と栗氏は1980年代に河北省の近接する県の書記として知り合って以来の関係だという。また王氏は思想面などのブレーンとして習氏の外遊に同行するなどしてきた。また趙楽際氏は人事を差配する党中央組織部長として反腐敗を後方から支え、習氏に近い人物の昇格などを実現してきた。
▽漂い始めた文化大革命の空気
・24日に閉幕した党大会では、習氏の名を冠した「習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想」を行動指針として盛り込んだ党規約の改正案が採択され、習氏は毛沢東に並ぶ権威となった。習氏は党大会冒頭の演説で次のように述べている。「新時代の中国の特色ある社会主義の偉大な勝利を勝ち取り、中華民族の偉大な復興という中国の夢の実現に向けてたゆまず奮闘しよう」。これが習氏をはじめとする新最高指導部の目標となる。
・具体的には何をしていくのか。特に経済面について見ていきたい。習氏は演説で「供給側構造改革を深化させる」「革新型国家の建設を加速する」などと述べた。「世界レベルの先進的製造業クラスターをいくつか育成」し、「経済体制の改革は(中略)公平で秩序のある競争、企業の優勝劣敗を目指して進まなければならない」と説く。また習氏は「開放は進歩をもたらし、閉鎖は遅れを招く」とも述べた。
・これだけ見れば、中国の市場経済は一段と開放に向かうようにも思えるが、その一方で「全活動に対する党の指導を堅持する」とも述べている。革新や開放はあくまで共産党の指導の範囲内で、ということになる。それどころか、共産党や国による締め付けはますます厳しくなっているように見える。
・冒頭の中国人経営者が経験した「事件」はその一端だろうか。この経営者はまだ若く文化大革命を経験してはいない。だが、知識層だった経営者の父親は農村に下放された経験がある。父親の経験を聞いたこの経営者は、現在の中国に当時と似た雰囲気を嗅ぎ取った。 
・習氏の権威がさらに強まるこの先の5年は、中国の企業経営者であっても難しい判断を迫られる局面が増えるかもしれない。「中華民族の復興を追求する」という習氏の所信表明に照らせば、日本企業を含む外資企業にとってはさらに厳しいものとなりかねない。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/report/15/278549/102500013/?P=1

次に、ジャーナリストの福島香織氏が11月1日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け、共青団派との闘争は激化必至」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・第19回党大会が10月24日に終わり、25日の一中全会(第一回中央委員会全体会議)で人事と党規約の改正が承認された。翌日の中国各紙の一面は、判で押したように、習近平の撮影用メークアップを施したつややかなポートレートを一面に大きく掲載。その他の政治局委員とは格が違うのだよ、と視覚的に訴えた。
・鄧小平の打ち立てた集団指導体制「書記は委員の一員であり上下関係はない。書記は党の委員会の中で平等な一員である」という1980年以来の規定を、習近平は時代は変わったのだ、と言わんばかりの態度で否定したわけだ。
・だが、今回の党大会が習近平の思惑通りに進み、その長期独裁体制確立の基盤を整えた、と判断するには時期尚早のような気がする。もちろん、今回の党大会で習近平一強体制は大きく前進した。だが、そう見える背後に、かなり激しい闘争の痕跡と、そして今後の闘争の激しさを暗示する材料もある。今党大会における習近平の勝利と妥協を分析してみよう。
▽過半数を押さえ、後継者候補を置かず
・勝利といえる点は、共産党中央委員のヒエラルキーの上部組織・政治局25人の顔ぶれの中に、明らかに習近平に従順、忠実な習近平派とみなせる人間が14人前後いることだ。つまり過半数が習近平派である。また中央委員会メンバー204人も引退年齢(68歳)に達していない共青団派メンバー、例えば李源潮や劉奇葆らが退任し、およそ6割が入れ替えられた。その多くが習近平におもねる政治家たちであった。これで、政治局会議、あるいは政治局拡大会議、中央委員会全体会議で習近平が、たとえば経済政策や外交などの失策で責任を問われて突然総書記職を解任される、といった可能性はなくなった。
・実は習近平はそれを恐れていた。共産党の権力闘争史では、こうした会議の場での政敵による多数派工作で権力の座から引きずり降ろされる解任劇はよくあった。華国鋒も胡耀邦も、旧ソ連のフルシチョフもそれで失脚した。
・さらに政治局常務委員会という共産党中央の最上部組織、最高指導部7人のメンバーには、習近平が最も恐れる男が入らなかった。広東省委書記であり政治局委員を5年務めた習近平より10歳若い共青団派のエース、胡春華である。
・これにより、最高指導部が後継者候補2人を指名し、政治局常務委員会入りさせ、その2人を競わせる形で指導者として育成するという慣例が破られ、習近平政権は後継者未定のままで、2期目に入ったわけである。習近平としては、後継者がいないという口実によって、自分が3期目も総書記・国家主席を継続して、党政・国政の主導権を握り続け、長期独裁体制を確立できる可能性が広がった。胡春華が政治局常務委員会入りできなかったことは、習近平の第19回党大会までの権力闘争における一つの大きな成果であったといえる。
・胡春華は胡錦涛政権時代に元重慶市委書記の孫政才とともに見いだされて、2人セットで後継者育成コースにのっていた。習近平は、この胡錦涛政権時代に選ばれた後継者候補をなんとか失脚させようと画策しており、その結果、孫政才は失脚。その代わりに、習近平自身の選んだ陳敏爾(重慶市委書記)を後継者候補に促成栽培しようとした。
・私の仄聞したところでは、胡春華を政治局常務委員会に入れようとする共青団派に対して、習近平は陳敏爾も一緒に後継者として政治局常務委員会入りさせることを北戴河会議で内定させたという。 だが、習近平としては、陳敏爾を胡春華よりも序列上位につけることにこだわった。そうすれば、たとえ習近平の3期目任期継続の野望が阻まれたとしても、次善の策として、陳敏爾に総書記の座をゆずり、実力も経験も不足している陳敏爾を補佐するという形で、鄧小平のように院政を敷く道が開ける。だが、地方の行政経験も短く、政治局委員ですらない実力不足の陳敏爾を政治局常務委員会に入れ、なおかつ胡春華よりも序列上位につけることへの党中央の抵抗は強く、今の習近平の権力基盤ではこの抵抗を無視することはかなわなかった。
▽直接対決避けた胡春華、勝負は5年先
・党大会直前の最後の人事の攻防の場であった七中全会(第18期中央委員会第七回全体会議)では陳敏爾の政治局常務委員会入りは見送られる公算になった。だが、陳敏爾が政治局常務委員会に入れず、胡春華だけが政治局常務委入りさせることも共青団派としてはリスクが高かった。
・胡春華は外部ではあまり知名度はないが、党内では期待の星である。胡春華が政治局常務委入りすれば、おのずと習近平VS胡春華の直接対決構図がクローズアップされる。陳敏爾が一緒であれば、陳敏爾VS胡春華が牽制しあう形になるが、さすがに習近平との直接全面対決では、胡春華がつぶされる可能性が高い。用心深い胡春華は、体調不良などを理由に政治局常務委入りを辞退し、習近平との全面戦争を回避した、という。
・だが、胡春華は失脚したわけでなく、実力を蓄えたまま政治局委員を2期続けることになる。5年後は59歳、まさしく習近平が総書記になった年齢。その時、引退年齢に達した習近平が、胡春華の台頭を抑えることができるかどうかは、今後の5年の闘争の結果による。後継問題は解決したわけではなく、少し先送りになっただけともいえる。その意味で、習近平の完全勝利ではない。
・政治局常務委員会入りしたのは、習近平、李克強、栗戦書、汪洋、王滬寧、趙楽際、韓正。第18期に引き続いて残留したのは習近平、李克強で、張徳江、兪正声、劉雲山、王岐山、張高麗の5人は定年68歳に達していたので引退した。
・この5人のうち、王岐山は習近平政権1期目において、党中央規律検査委員会書記として反腐敗キャンペーンの陣頭指揮を執り、習近平政権を支えた最大功労者だ。習近平にとってみれば、数少ない実力をともなった“盟友”ということで、本人が引退を言い出したときに定年を無視して残留を望んだともいわれている。王岐山の残留は、習近平が第20回党大会時に定年を超えて3期目の総書記職を継続するための先例になるという期待があった。王岐山の実力は、これまでの不文律を無視できるほどの説得力があった。
・だが、その王岐山は引退した。つまり定年制度は、どんなに実力があっても例外を認めず徹底される、ということが現段階でむしろ確認された格好だ。これは、習近平の思惑が外れた、というふうに見えるかもしれない。汚職疑惑が米国メディアらに取り上げられはじめている王岐山が留任すればしたで、習近平にとってはリスクになったかもしれないので、この妥協はむしろ習近平の慎重な選択ともいえる。
・ただ胡春華の政治局常務委入りを阻止し、なおかつ定年制の例外を認めて王岐山が残留すれば、これは確実に習近平の定年を超えた任期継続の布石になっただろう。そうはできなかったという意味では、これも習近平が完全勝利でないといえる要因の一つだ。
・残留したのは習近平と李克強の2人だけで、この2人は第19期も引き続き国家主席、首相を務めることになる。新しく入ったメンバーを見てみると、習近平派と呼べるのは習近平本人のほか、栗戦書、趙楽際の3人。共青団派と呼べるのは李克強、汪洋の2人。韓正は唯一の上海閥だが、アンチ習近平派という意味では、共青団と同じ立場だろう。王滬寧は無派閥ということになるが、今は習近平の指導思想を支えるスピーチライターだ。そう考えると、最高指導部内の権力バランスは若干の習近平有利と言えるが、圧倒的に有利というわけではなく、今後5年、依然として激しい権力闘争が継続する可能性を残したと考えたほうがよいだろう。
▽「反腐敗」は栗戦書ではなく趙楽際に
・新たに政治局常務委入りしたメンバーで注目すべきは、栗戦書だ。習近平の側近であり、「習近平半径5メートルの男」と呼ばれるほど、いつも習近平に寄り添っている習近平派の中心人物。非常に有能だが習近平より3歳年上であり、習近平の後継者にはなりえない。また実は共青団派とも深い関係があり、権力闘争においては非情になり切れない人情家の面もある。
・彼は本来、王岐山が退任すれば中央規律検査委員会書記を継いで、習近平路線の最大の推進力である反腐敗キャンペーン(という名の政敵排除)を担うことを期待されていたが結局、その任務を外された。それはひょっとすると、栗戦書の人情家の部分が、非情な習近平にそこまで信頼されていない、ということかもしれない。もっとも本人にとっては、この苛酷な任務から外されたことは幸いだろう。彼は全人代常務委員長(国会議長に相当)となり、国家主席任期を2期と決めている憲法を改正して、習近平政権の延長を画策する任務を負わされるかもしれない。
・一方、中央規律検査委員会書記に新たに任命された趙楽際は“偉大なるイエスマン”、ごますりと出世と揶揄される官僚である。陝西省委書記時代、習近平の父親である習仲勲の巨大墓所「習仲勲陵園」整備計画を打ち出したことで、2012年秋、習近平政権のスタートとともに政治局委員に抜擢された。
・趙楽際の祖父・趙寿山(建国後は青海省主席)が習仲勲と親友であり、習仲勲が毛沢東から反党的だとして攻撃されたとき、身を挺して毛沢東から習仲勲をかばったという逸話がある。以来、家族ぐるみの親交が続いている。だが、趙楽際自身は、開明派の祖父と違い、思想的には毛沢東の信望者であり、共青団系でありながら、改革派とは程遠い。習近平の下では中央組織部長として習近平人事を推し進めてきた。だた、さほど切れ者という評判もなく、王岐山でさえ27回も暗殺未遂にあったという身の危険をともなう中央規律検査委員会書記の職務を趙楽際が全うできるかどうか、習近平の権力闘争の中心である反腐敗キャンペーンを支え切れるかどうかは、未知数である。
・序列四位に入った汪洋は胡錦涛の信頼を得ている共青団派の有能な政治家だ。国際派であり、その思想も本質的には改革派、開明派。イデオロギー、路線的には習近平と対立する。共青団派の同い年(1955年生まれ)というライバル関係上、李克強とは相性が悪いが共青団派としては忠実だ。李克強が仮に健康状態を理由に引退していれば、首相を務められるくらいの実力はもっている。結果的には、閑職・名誉職的な全国政治協商会議主席のポジションに就くようだ。
▽共青団派の集団指導体制に期待
・汪洋は如才なく習近平とも付き合っているが、習近平としてはやはり、その有能さを警戒したのかもしれない。李克強とともに第20回党大会時に、引退年齢に達しておらず、留任可能な若さがある。5年後、定年制を打破できなかった習近平が69歳で引退を迫られたとき、67歳の李克強と汪洋が政治局常務委員会に留任、今度こそ新たに政治局常務委入りする胡春華を補佐する形で、共青団派主導の集団指導体制を確立するというシナリオもまったくなくはない。
・私がひそかに期待するのは、この共青団派の集団指導体制である。共青団出身官僚政治家は、よくも悪くも官僚的で、国際派で、実務派で、リアリストで、権力闘争はどちらかというと関心が薄く、共産党史上初めて本格的な政治改革に取り組もうとした胡耀邦の薫陶を受けたエリート集団である。しかも60后(1960年代生まれ)はポスト文革時代、天安門事件前の中国社会の民主化希求の熱気の中で青年期を過ごした世代である。彼らが最高指導部で党政・国政の主導権を握ったときに、中国の方向性が変わるかもしれない、という期待は、中国の体制改革を望む人間に共通している。
・王滬寧は、おそらく胡春華が政治局常務委員会落ちした代わりに、急きょ政治局常務委員会入りが決定したのだろう。一中総会のときの記者会見で、落ち着きなく居心地悪そうにしていたのは、本人がこの苛烈な権力闘争の鬼の巣のような政治局常務委員会に望んで入ったことではないことがうかがえる。
・王滬寧は地方の行政経験がゼロの研究者肌のスピーチライターである。江沢民の「三つの代表」、胡錦涛の「科学的発展観」、そして第19回党大会で党規約に盛り込まれることになった「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」のいずれも王滬寧が中心となって理論構築している。「三つの代表」と「習近平新時代の~思想」は路線として真逆であり、このことは王滬寧自身が時の政権の御用理論家であることの証左でもある。地方の行政経験がないということは、部下もおらず独自の派閥もないということで、権力闘争的には「戦闘力ゼロ」。積極的に権力闘争にかかわらないようにしながら、その時の強き方に傾斜して生き抜くタイプであろう。 こうした点を総合すれば、第19回党大会における人事は習近平もかなり妥協し、絶対的な基盤を築くには今後の5年が勝負となる。
▽長い形容句と、続く権力闘争
・人事面でかなり妥協した習近平だが、最もこだわったはずの党規約改正にも妥協がみられる。総綱に「習近平新時代の中国の特色ある社会主義思想」という個人名と思想を入れた言葉を、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論、三つの代表、科学的発展観に並べたことは習近平にとって勝利だ。少なくとも、江沢民、胡錦涛よりも上位であることを党に承認させ、自分が毛沢東、鄧小平に並ぶ第三の強人政治家である、というアピールはできた。しかも「理論」ではなく「思想」なので(理論より、思想の方が格上)鄧小平理論すら、超えたといえなくもない。
・習近平新時代とは、鄧小平時代が旧時代である、といいたいのだ。だが、改革開放40年の成果を習近平時代のわずか5年で越えようというのは、おこがましいにもほどがあると党内の多くが思っている。その不満が、習近平と思想の間にこれでもかと挟まれた長い形容句に表れている。なんとか、習近平という言葉が思想にかからないように、抵抗した跡のようにも思えるのだ。
・そして習近平のもう一つのこだわり「党主席」制度復活は、見送られた。死ぬまで権力を掌握し続けた毛沢東と同じ党主席になろうという野望を今の時点で貫き通すほどの権力は習近平になかったということである。
・第19回党大会の総括としては、習近平は鄧小平時代を過去のものとし、習近平時代ともいうべき習近平長期個人独裁政権の確立にむけて、その野望を隠さずに全面的に宣言したことが最大の意義である。だが、党がその野望のもとに団結できるのか、国際社会がその野望を容認するのかまではわからない。一つ言えるのは、習近平がその方向性を変えない限り、今後5年間の中国もやはり、波乱に満ちた権力闘争を展開するはずである。
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/218009/103100124/?P=1

第三に、国際コラムニストの加藤嘉一氏が11月7日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽“習近平思想”が定着して歴史と化していく
・中国共産党の第19回大会が閉幕し、習近平第2次政権がスタートした。前回コラム(習近平演説が示唆する「外国企業・個人も共産党に忠誠を」)では習総書記が大会開幕日に行った報告を振り返りインプリケーションを抽出すべく試みた。その際に次のように記した。 『習総書記が発したフレーズを眺める限り、その指導思想とは「新時代中国特色社会主義思想」であり、かつそれが行動指南として党章に書き加えられる政治的準備はすでに整っている状態だと解読することが可能であろう。』
・そして、習近平以外の政治局常務委員(当時)が各地方の代表分科会にて「習近平新時代中国特色社会主義思想」という文言を統一的に使用していた光景から「『新時代』の前に『習近平』の3文字が書き入れられる可能性すら含んでいる」と提起し、「権力がこれまで以上に習近平に集中し、かつそれが“制度化”される趨勢を意味している」と段階的に結論づけた。
・その後党章の正式な改正案が公表され、「習近平新時代中国特色社会主義思想」が党の行動指南として党章に書き入れられた。過去の指導思想の名称のなかで最も長い(中国語で毛沢東時代5文字、鄧小平時代5文字、江沢民時代8文字、胡錦濤時代5文字、習近平時代16文字)。この違和感を禁じ得ないほどの長さが、逆にその端的さを如実に主張しているように映る。 要するに“習近平思想”なのだと。 実際に、人々はそのうちこの長々しい指導思想を毎回、ことあるごとに読み上げるのに疲れ、次第に“習近平思想”の5文字が定着し、歴史と化していくに違いない。
▽「後継者」を明確にしなかった習近平総書記 3期目続投の可能性も
・私が想定していた中で最も強いレベル、言い換えれば、権力集中と神格化の程度が最も高い指導思想であった。自らが時の権力者として顕在している状況下で“習近平”の三文字が入った事実を前に、正直私も驚いた。 上記の状況から、今後習近平への権力集中および神格化そのものが制度化され、前回コラムで検証したように、共産党がこれまで以上にすべての分野を“指導”し、トップダウンかつ政治の論理と需要で経済活動が運営され、社会への引き締めが強化されていく趨勢が明らかになったと言えよう。そして、そんな趨勢にさらなる確信を付与するかのように25日、新たな中央政治局常務委員がお披露目となった。
・最も目を引いたのはやはり、明確に後継者と想定される人間が常務委員の中に入らなかったことであろう。 2007年に行われた第17回党大会において、他の8人を引き連れて記者の前に姿を現した胡錦濤前総書記は、同僚を紹介する際、「習近平、李克強両氏は比較的若い同志である」と明らかに“次”を見据えたフォーメーションを演出した。習近平は自らが「5年後に胡錦濤の後を継ぐ」という覚悟を持ってそれからの5年を過ごし、実際に総書記に就任した。
・だが今回、習近平は当時の自分に相当する人物を常務委員に選ばなかった。 この事実をもって、2022年に開催される第20回党大会で習近平が総書記を続投し、国務院総理も他の6人(李克強、汪洋、王滬寧の3人は67歳、趙楽際は65歳で2022年を迎えるため、年齢的にも常務委員続投は問題ない)から選出されるとは限らないと考えている。
・もちろん、今回後継者を入れなかったことで、習近平が第3期目も総書記として続投し、他の6人のうち数名を引き続き常務委員に残す可能性が断然高くなったのは言うまでもない。
▽習近平が総書記を3期務める制度的な弊害は見いだせない
・ここで指摘しておきたいのが“七上八下”についてである。「67歳は上がり(あるいは残り)、68歳は退く」という共産党内における一種の慣例であるとされるが、私はこれも相対的なものだと考えている。 例えば、そう遠くない過去の第16回党大会(1998年)、江沢民が総書記、朱鎔基が総理として新政権がスタートしたが、当時江は72歳、朱は70歳であった。この例だけをもってしても、69歳で2022年を迎える習近平が“年齢的要因によって”第3期目を続投しないという議論は通用しなくなる。
・と同時に、任期に関して、1990年代後半に王岐山・元政治局常務委員の直接の上司だった元政府高官が以前私にこのように語ったことがある。 「中央・地方を問わず、党のトップである書記は3期務めることができるというのが中南海における暗黙の規定である。したがって、習近平が3期総書記を務めることは可能である」 これらを受けて私なりに推察するに、習近平が2022年~2027年という3期目を総書記として全うする“制度的障害”は見いだせない。
・残るのは“政治的障害”であるが、これも前述した“習近平思想”やそれにまつわる「権力の神格化+制度化」という状況から判断する限り、見いだすのは困難というべきだろう(もちろん、これからの5年で何が起こるか決して分からないが…)。
▽2022年を境に発生しうる政治リスクとは
・2022年を境に発生しうる政治リスクに焦点を当ててみたい。後継者不在という“結果”を前に、5年後の人事はいまだ不透明であるが、リスクは現時点においてもある程度明晰に浮かび上がってくるように私には思える。 仮に2022年に習近平が総書記を退任し、政治局委員から“比較的若い同志”を2人引き上げるとしよう。その際、国際社会、とりわけ西側諸国では「習近平は慣例を守った。中国の集団的指導体制は継続されている」といったポジティブな見方が蔓延するかもしれない。
・しかしながら、政治局常務委員としての経験のない人物をいきなり総書記や総理に任命し、彼らに国家最高指導者としての大役を課すことは、深刻な統治リスクを内包するものであろう(胡錦濤は総書記就任前に10年間常務委員として経験を積んでいる。江沢民は未経験のままいきなり総書記に飛び込んだが、当時は天安門事件直後という特殊な状況であり直接の参考対象とはならない)。 2007年に中央委員から飛び級で政治局常務委員に上がってきた習近平でさえ、常務委員として5年間鍛錬を積んだ上で総書記になっている。
・私がここで言いたいことは、2022年に習近平が総書記を続投するとしたら、権力の長期一極集中という意味でリスクであり(物事を大々的かつ安定的に推し進めていく上でこれを契機だとする見方は中国国内に根強いようであるが、たとえそのような側面が見いだせるとしても、長期的かつ一極に集中した権力は暴走する、あるいはそれ自体が腐敗するという意味で私はリスク>契機だと考える)、一方で2022年にいきなり政治局委員から後継者を抜擢するのも当事者たちの経験不足という意味でリスクであるということである。  もっとも、習近平自身が個人的かつ水面下で耳打ちをするという形で、事実上かつ非公開の後継者に5年後、あるいは10年後を見据えていまから準備させる可能性は否定できない。
・また、2017年の時点で次の後継者を確定的に選出し、公開しないというスタイルは「中国政治の透明性」という観点からしても、習近平時代の中国はこれまでにも増して“我道”を突き進んでいる感がある。グローバリゼーションや“人類運命共同体”の推進を提唱する習近平の外交関係・政策への“鈍感力”に満ち溢れているように私には映る
▽現時点では後継者が決められない!?
・もっとも、“第三の道”として、2017~2022年に政治局常務委員を経験した同僚のなかから2022年の総書記を選ぶという選択肢はある。 前述のように年齢的要素だけを見ても該当する候補者は少なくない。また、2022年に習近平は形式上ステップバックし、政治局委員から総書記を抜擢した上で、当時の鄧小平のようにいわゆる“院政”を敷き、新総書記を後ろから操るというシナリオも十分に考えられる。 鄧小平が早くから胡錦濤を未来の総書記に指名して意図的に育てたように、習近平が今の段階から同様のアプローチを取る可能性は十分にある。いや、実際はすでに始まっているのかもしれない。
・習近平に近い“比較的若い同志”としては、丁薛祥(1962年生)・国家主席弁公室主任、陳敏爾(1960年生)・重慶市書記、李強(1959年生)・江蘇省書記が今回の党大会を経て政治局委員に昇格した。閉幕後まもなく、丁が中央弁公庁主任、李が上海市書記という要職(それぞれ党大会で常務委員に昇格した栗戦書、韓正の後任)に抜擢されている。
・私の根拠なき推測からすれば、習近平は誰を自らの後継者にするのかを現段階で決めているわけではない、いや、いくつかの事情や要因によって決められないといったほうが正しいかもしれない。 ただ、“紅二代”という正統性をもって現在の地位まで登りつめた習近平の心のなかで、「XXの類の人間はダメ。選ぶならYYとZZの類からだ」といった“一種の掟”は存在しているのだろう。
http://diamond.jp/articles/-/148375

第一の記事で、 『中国の市場経済は一段と開放に向かうようにも思えるが、その一方で「全活動に対する党の指導を堅持する」とも述べている。革新や開放はあくまで共産党の指導の範囲内で、ということになる。それどころか、共産党や国による締め付けはますます厳しくなっているように見える』、 『「中華民族の復興を追求する」という習氏の所信表明に照らせば、日本企業を含む外資企業にとってはさらに厳しいものとなりかねない』、とやはりある程度、覚悟しておいた方がよさそうだ。
第二の記事で、 『中国各紙の一面は、判で押したように、習近平の撮影用メークアップを施したつややかなポートレートを一面に大きく掲載。その他の政治局委員とは格が違うのだよ、と視覚的に訴えた。 鄧小平の打ち立てた集団指導体制「書記は委員の一員であり上下関係はない。書記は党の委員会の中で平等な一員である」という1980年以来の規定を、習近平は時代は変わったのだ、と言わんばかりの態度で否定したわけだ』、のうちの『書記は党の委員会の中で平等な一員』、と集団指導の規定があったというのは初めて知った。これを空文化した習氏の政治力はやはり強力なようだ。 日本の新聞では、『今回の党大会が習近平の思惑通りに進み、その長期独裁体制確立の基盤を整えた』、との報道が殆どだが、福島氏は、 『と、判断するには時期尚早のような気がする。もちろん、今回の党大会で習近平一強体制は大きく前進した。だが、そう見える背後に、かなり激しい闘争の痕跡と、そして今後の闘争の激しさを暗示する材料もある。今党大会における習近平の勝利と妥協を分析してみよう』、として、かなりの妥協があったことを分析している。独裁者の習氏といえども、必ずしも思うようにはいかないというのは、なるほどだ、ただ、次の体制については、 『青団派の集団指導体制に期待』、としているが、これだけ強力になった習近平がさらに政権に居座る可能性に触れてないのは、やや違和感を感じる。
第三の記事は、 第二の記事とは異なり、『“習近平思想”が定着して歴史と化していく』、とするほど習近平のパワーの強烈さに着目している。 後継問題については、『2022年に習近平が総書記を続投するとしたら、権力の長期一極集中という意味でリスクであり・・・総書記を退任し、政治局委員から“比較的若い同志”を2人引き上げるとしよう・・・政治局常務委員としての経験のない人物をいきなり総書記や総理に任命し、彼らに国家最高指導者としての大役を課すことは、深刻な統治リスクを内包するものであろう』、といずれのケースにもリスクがあるとしている。今後の展開を注目したい。
タグ:(その4)(中国新指導部が発足 漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け 共青団派との闘争は激化、習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由) 中国国内政治 日経ビジネスオンライン 「中国新指導部が発足、漂い始めた文革の空気 企業への締め付けはより厳しく、日本への脱出を急ぐ起業家も」 この経営者は、中国では企業の生死は国の考え一つで決まってしまうと改めて分かったという 次の指導者候補となり得る50代の常務委員入りはなかったが、習氏の長期政権への布石なのだろうか 習近平の新時代の中国の特色ある社会主義思想 習氏は毛沢東に並ぶ権威となった 中国の市場経済は一段と開放に向かうようにも思えるが、その一方で「全活動に対する党の指導を堅持する」とも述べている。革新や開放はあくまで共産党の指導の範囲内で、ということになる。それどころか、共産党や国による締め付けはますます厳しくなっているように見える 福島香織 「習近平「独裁」への勝利と妥協…党人事を読む 「5年後」に向け、共青団派との闘争は激化必至」 翌日の中国各紙の一面は、判で押したように、習近平の撮影用メークアップを施したつややかなポートレートを一面に大きく掲載。その他の政治局委員とは格が違うのだよ、と視覚的に訴えた 鄧小平の打ち立てた集団指導体制「書記は委員の一員であり上下関係はない。書記は党の委員会の中で平等な一員である」という1980年以来の規定を、習近平は時代は変わったのだ、と言わんばかりの態度で否定したわけだ 今回の党大会が習近平の思惑通りに進み、その長期独裁体制確立の基盤を整えた、と判断するには時期尚早のような気がする 今回の党大会で習近平一強体制は大きく前進した。だが、そう見える背後に、かなり激しい闘争の痕跡と、そして今後の闘争の激しさを暗示する材料もある 今党大会における習近平の勝利と妥協を分析してみよう 直接対決避けた胡春華、勝負は5年先 青団派の集団指導体制に期待 長い形容句と、続く権力闘争 習近平のもう一つのこだわり「党主席」制度復活は、見送られた 加藤嘉一 ダイヤモンド・オンライン 習近平が共産党大会で「後継者」を明確にしなかった理由」 習近平思想”が定着して歴史と化していく 後継者」を明確にしなかった習近平総書記 3期目続投の可能性も 習近平が総書記を3期務める制度的な弊害は見いだせない 2022年を境に発生しうる政治リスクとは 2022年に習近平が総書記を続投するとしたら、権力の長期一極集中という意味でリスクであり(物事を大々的かつ安定的に推し進めていく上でこれを契機だとする見方は中国国内に根強いようであるが、たとえそのような側面が見いだせるとしても、長期的かつ一極に集中した権力は暴走する、あるいはそれ自体が腐敗するという意味で私はリスク>契機だと考える 2022年にいきなり政治局委員から後継者を抜擢するのも当事者たちの経験不足という意味でリスクであるということである 現時点では後継者が決められない!?
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今日は更新を休むので、明日にご期待を!

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いじめ問題(その6)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による残り1題:人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造) [社会]

昨日に続いて、いじめ問題(その6)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による残り1題:人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造) を取上げよう。

明治大学准教授 いじめ問題研究 内藤 朝雄氏が11月3日付け現代ビジネスに寄稿した「人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造 戦争中の全体主義を超えている…」を紹介しよう(▽は小見出し)
・なぜ「いじめ自殺」が後を絶たないのか? 「教育」なら何でも許されていいのか? 大反響となった「いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする『異常な論理』」につづき、茨城県取手市・中3女子自殺事件の核心に迫る。
▽「いじめ殺す」とは何か?
・茨城県取手市・中3女子自殺事件のように、子どもが自殺に追い込まれ、いじめ殺されてしまうのは、逃げられず対人距離を調節できない閉鎖環境の効果が大きく関与している。 このような有害作用から子どもたちを守るために、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる現行学校制度を見直すことを、公論の主題にしならなければならないのではないか。
・ここでは、中島菜保子さんが学校のグループ(教員が含まれる可能性もある)によっていじめ殺された経緯から、閉ざされた集団生活のなかで、加害者がどこまでも加害を続け、被害者が内側から破壊されるしくみを考える。そして、国や自治体の「閉鎖空間設定責任」という新しい考えを世に訴える。
・いじめ殺すとは、「さんざん苦しめ悩まして殺す。苦しめ抜いて死なせる」(『日本国語大辞典』)の意である。 資料は限られている。菜保子さんがグループに囲い込まれ、迫害され、壊されていった具体的な出来事についての報道は、教委に関する報道に比べて、とても少ない。 学校や教委は、生徒を外部社会の力に触れさせたくない。彼らを<自分たち教育のもの>にしておきたい。<我らの世界>で起きた残酷と不正を隠したい。当然、学校や教委は、生徒への直接取材をしないでほしいとメディアに強く要求する。
・だからこそ、学校や教委が最もいやがることをしなければならない。 メディアは、学校と教委が子どもたちを<教育のなかの我らの世界>に囲い込んで隠蔽するのに対し、それをこじ開け、市民社会の公共性のもとに引きずり出し、照らし出さなければならない。それが社会正義の担い手としてのジャーナリズムの役割である。
・菜保子さんがいじめ殺された経緯について、きちんと調査取材をして報じようとしたのは、筆者が知るかぎり週刊文春と産経新聞だけである。 以下、『週刊文春』2017年6月15日号と『産経新聞』2017年8月6日の記事から菜保子さんがいじめ殺された経緯を紹介する(二つの記事を要約しつつ合成しているが、まとまった文章をそのまま用いた箇所もある)。
▽「きもい」「うんこ」「クソやろー」
・菜保子さんは、中3のクラス替え後、A子らのグループで行動するようになった。 進級直後の4月、「いやなクラスになった」と母にこぼしていた。 最初、素行の悪いA子と距離をとろうとしたが、「菜保子に無視された」と文句を言われ離脱できなかった。 そのうち、クラスメートの前で「きもい」「うんこ」「クソやろー」などと言われるようになった。
・B子が4月まで交際していたA君のとなりに菜保子さんの席があり、二人が会話をすることがあった。それをB子が妬み、A子に伝えた。それから、いじめがさらにひどくなった。 A子が「行くよ」と命令すると、菜保子さんが「うん」と返事して、暗い顔でグループの後をついていく。A子が「早く来いよー、うんこー」と呼びつけていた。こういったことがしばしば目撃されていた。
・女子トイレで菜保子さんだけが個室に入っていて、3人が外から「なんかくさくねえ?」「まだ出ちゃだめだよ!」などと言っていて、閉じこめられている様子だった。 グループは菜保子さんをトイレに連れて行き、授業に遅れるようにしむけた。しかも担任のT教諭の授業の前にことさら遅れていた。 たとえばA子は、トイレの前で「あんた、ちょっと持ってなよ」と教科書を持っているように命じ、菜保子さんが自分といっしょに授業に遅れていくようにしむけた。
・このようなことが起きたとき、担任のT教諭は、A子らを叱らず、菜保子さんだけを生徒たちの面前で叱った。「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」などと言って、菜保子さんだけを叱るのだ。 同級生は、こういうことが5、6回あったと証言する。別の生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じ」と証言する。 T教諭は生徒の好き嫌いが激しいことで有名な人物だった。A子はT教諭と良好な関係だった。
・菜保子さんは部活動をしていなかった。理由は幼いころから続けているピアノのレッスンがあったためで、高校も東京都内の名門校への進学を希望し、それも叶えられそうな方向で進んでいた。 居残り授業に参加せずに菜保子さんが帰ろうとすると、T教諭は「ピアノばかりやっていても仕方がない」と怒った。母によると、三者面談の際、T教諭は「2学期の態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言った。
・T教諭について、ある同級生は「先生も中島さんに嫉妬している感じだった。A君と隣りあわせにした席替えで、B子さんが中島さんに嫉妬して激しくなったいじめだけど、それにT先生が加勢した感じ」と言う。 A君と菜保子さんの席を隣り合わせにしたのもT教諭だった。しかも席替えがあっても、A君と中島さんの席だけは不動で、こうした不自然な席替えが4回もあったという。
・A子が菜保子さんを、離れていても「バンバン」と聞こえるほど叩いているのを、同級生が見ている。 10月には、菜保子さんは「くさや」と書かれたメモをノートに貼られたり、「くさや」と声をかけられたりするようになった。 机の上に落書きがはってあったのを見つけた菜保子さんが、暗い顔で消していたのを複数の同級生が見ている。 「くさい」「くさや」といった悪口は、ほぼ毎日続いた。
・音楽室で行われていた合唱祭の練習のさいにも、C子が菜保子さんを別の生徒の前に引っ張っていき、「この子、くさくない?」と言った。 あるとき、ピアノを弾いている菜保子さんが、A子らのグループとは別のクラスメートと楽しく話していた。そのクラスメートが「なお、すごいよね」と言っていたら、A子とC子が面白くなさそうに「えっ?えっ?何が?」と言った。
・体育祭のバスケットボールのチーム決めのとき、A子らが相談して、菜保子さんを外すように仕組んだグーパーじゃんけんをした。菜保子さんは下駄箱のところで泣いていた。 A子とC子が「壁ドンごっこ」をして教室のドアのガラスを割った。菜保子さんは関与していない。しかし、非常勤講師、学年主任、T教諭、教頭らに次々と叱られた。菜保子さんは「A子とC子が割ったのに…」と言って泣いていたという。
・様子がおかしいので母がT教諭に電話をした。 T教諭は、母に次のように言った。 「菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち2人が逃げようとした」 「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」 「菜保子さんは何と言ってますか」 母「泣いています。関係ない、知らないと言ってます」 T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」
・その後菜保子さんは「明日二人(A子とC子)ににらまれる」「学校に行きたくない」と言い、首を吊って死んだ。 毎日が怖い、自分が嫌い…  菜保子さんの自殺後、11月16日に両親がみつけた日記は次のようなものだった。 報道では、日記の内容がわずかしか紹介されていなかったので、テレビ(TBS「News23」(2017年5月29日放映)、NHK「クローズアップ現代」(2017年7月18日放映)など)の録画画面に映った日記から筆者がメモしたものを大幅に加えた。
・「もうやだ…あんなに学校が楽しいって思ってたのに…たのしくない  気づかってばっかで自分がだせない。自分の性格もきらい。いやだ…  …がいなかったら、自殺してた。ありがとう。あと、ごめんね。本当に…なんか変わっちゃった。どうしたの?自分は何もしてないのに  ひどい…。傷つく。ストレスがたまる。   気分屋がきらいって…言ってたけど…  おまえもだよ  なんにも自覚してない  …には、めいわくかけてると思う   あまり うちといてもたのしくは…  ホッとしたい。  明日は、ぼっちにされるのかな? それとも上手くすごせるかな?  不安。  …大丈夫。大丈夫って、自分に言いきかせても、目に涙があふれてくる  それを自分でごまかそうとしている。  いや…ごまかしている。  目は涙目だけど。  おねがい…これ以上苦しめないで。  …苦しい、悲しい、さびしい」  「いやだ もう 学校きらい…3年のある日突然から。2年は、こんなことなかった」  「ピアノも 勉強も 友達も なにもかもが上手くいかない。だから死にたい」 「いじめられたくない。ぼっちはいやだ」  「(他の女子生徒の名前)お願いだから、耳打ちは、やめて おねがい。本当に」 「毎日が怖い。今日はうまくいくのかいかないのか。家に帰ってからも、そのことばかり考えて、疲れた。明日も(ひとり)ぼっち?それとも上手くいくのかなって…怖くてしかたがない。毎日、不安な夜を過ごしてる。疲れがピーク」 「友達が居なくなるのが怖い、本当にこわい」 「おねがい…私を一人にしないで。おねがいだから。今日みたいな日が毎日だったらどれだけ楽しいか。(複数の女子生徒の名前)…」 「…にもんくばっか言ってる。自分が嫌い。死にたいくらい」
・報道を読むかぎりでは、加害者たちが行った一連の行動は、一回かぎりと考えれば、それほど大きなダメージを与えるようなものではないはずだ。 では、なぜ加害者が怪物になり、被害者は死ななければいけなかったのか。
▽世界でもめずらしい日本の学校教育
・先進諸国の標準的な市民社会では、このようなことをする人物がいたとしても、一回だけいやな思いをした後で自由に距離を取ることができる。給料や学力認定を得るために義務となるのは、範囲が狭く限定された仕事や勉強だけだ。 それ以外の対人距離は、個人が魅力と幸福感にもとづいて自由に調節できる。だから、大きなダメージになることもなく、安心して生活することができる。
・だが、日本の特殊な学級制度は、閉鎖空間に囲い込んで強制的にベタベタさせるよう、考え抜かれて設計されている。人間を個の人から群れの人へと内から変化させるのが、中学校の本当の目標である。 当然、兵営や刑務所のように、市民的な距離と個人主義が発生しにくいしくみになっている。逃げ場なく密着させて人を内側から変化させる爆縮レンズのような構造になっている(http://www.antiatom.org/GSKY/jp/Rcrd/Basics/jsawa-10.htm)。
・日本の中学校のように、勉強ではなく、ベタベタ群れさせることに主眼をおいた学校教育は、世界でもめずらしい。 日本の中学校のクラスは、共に生きることを無理強いするための生活学級だ。どんなに嫌なひとたちでも、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、共に生きなければならない。 学校は勉強するためにいくところだ、と感じている生徒はほとんどいない。生徒にとって学校は群れて生きなければならないところである。それを個人で拒むことは許されない。
・一人でいること、あるいは一人でいることを<みんな>に見られることは、異常で恥ずかしい。それは、考えただけでも凍りつくような恐ろしいことだ。 このベタベタした<距離なし生活>を強いられる閉鎖空間で、悪意の行為がこれでもか、これでもかと繰りかえされると、通常の市民生活では考えられないような、けたはずれのダメージが生じる。これが被害者の身に起きたことである。
▽だから「人間壊し遊び」が生まれる
・学校の磁場が、被害者の菜保子さんを突き落としていくさまを見てみよう。 最初「いやなクラスになった」とこぼした菜保子さん。群れずに一人でいることが実質的に不可能な中学校で、たまたまA子らのグループで行動するようになる。その後、素行の悪いA子と距離をとろうとしたが離脱できなかった。
・それから、自殺に至るまでの数ヵ月の急展開が起こる。菜保子さんは、A子らのグループに囲い込まれ、引き回され、人間の人格を壊して遊ぶために飼育する<友だち家畜>の状態にさせられた。 これが通常の市民生活であれば、菜保子さんの身にふりかかったような不幸は、起きようがない。 たしかに、世界中どこでも、学校は多かれ少なかれ閉鎖的な空間である。だが、日本の中学校ほど程度が極端に「多かれ」でなければ、菜保子さんが亡くなることはなかったはずだ。
・たとえば、世界で普通にみられる習熟別クラス編成で、授業ごとに次々とクラスを移動するのであれば、A子たちのグループが行ったような囲い込みと<人間壊し遊び>は、やろうと思ってもできない。 このような遊びの行動プランは、被害者を逃げないようにできる密閉空間を必要条件とする。<人間壊し遊び>は、開かれた市民の生活空間では非現実的であり、頭の中の選択肢から消える。その結果、やろうとも思わなくなる。
▽多くの人が見逃しがちな盲点
・加害者が「怪物になる」しくみについては、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)で論じつくした。これは学術書『いじめの社会理論』(柏書房)をわかりやすく新書化したものだ。TEDxスピーチでも要点を説明した。 筆者による最先端の理論は、「学校の秩序分析から社会の原理論へ――暴力の進化理論・いじめというモデル現象・理論的ブレークスルー」『岩波講座 現代 第8巻』第9章(岩波書店)で提出した。いじめ加害者については、これ以上書くことはない。
・だが、被害者については、いくつか世に問わなければならないことがある。 菜保子さんのように、もっぱらコミュニケーション操作系のいじめ(物理的暴力ではなく、もっぱら言葉やしぐさによるいじめ)によって大きなダメージを受けた被害者について、多くの人が見逃しがちな盲点がある。
・なぜ、敵であり、赤の他人である加害者グループに服従し、連れまわされ、<友だち家畜>のような状態にされてしまうのか。 ひどい暴力的な処遇が人間を無力化してしまうことは、よく知られている。 たとえば、殺されていく数千人のユダヤ人の列を監視するナチスの人員がほんの数人なのに、なぜ逃げずに従順に従うのだろうか。
・東京都足立区で、女子校生が不良少年のグループに監禁され、輪姦され、なぶり殺された。遺体はコンクリート詰めにされて捨てられた。 有名な女子校生コンクリート詰め殺人事件で話題になったのは、逃げるチャンスがいくらでもあったのに、どうして女子校生は逃げようとしなかったのか、ということだ。マフィアやゲリラに誘拐されたり、捕虜になったりした人たちも、よく似た状態になる。
・心理学者のフィリップ・ジンバルドーは大学の地下に模擬監獄をつくり、十数人ずつの健康な若者を、看守役と囚人役にわけて共同生活をさせた。すると、看守役は囚人役をいたぶって遊ぶ怪物になり、囚人役は精神に変調を起こし、無力化されてしまった(TEDトークを参照)。
・このようなことは、もっぱら激しい暴力的圧迫のもとで生じ、通常の非暴力的な生活レベルでは生じるはずがない、と思われるかもしれない。 しかし、上で紹介した記事と菜保子さんの日記、そして多くのいじめ被害の記録をあわせ読むと、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる学校では、悪口、しかと、嘲笑といったコミュニケーション操作系のいじめだけで、ナチ収容所、女子校生コンクリート詰め殺人、ゲリラやマフィアによる拉致誘拐、ジンバルドーの監獄実験と同形の、人間破壊が多かれ少なかれ生じうることがわかる。
・この「多かれ」の局面で、さまざまな偶然がかさなり、菜保子さんのように死に追い詰められる犠牲者が一定数でてくる。 私たち、日本の中学校で3年間の集団生活をさせられた者は、多かれ少なかれ、菜保子さんと同じ形の、人間破壊を受けているのではないか。 わたしたちがまわりの空気を気にして、何か自分が滅ぼされてしまうような不安をおぼえるとき、その後遺症が出ているのではないか。 わたしたちは菜保子さんを「かわいそう」と言う前に、過度に集団化された学校生活のなかに埋められた過去の自分を抱きしめるべきではないだろうか。 そして痛みとともに、頭に埋められた洗脳チップを引き抜くべきではないだろうか。 私たちは、たまたま生き延びることができた菜保子さんではないだろうか。
▽学校という閉鎖空間の有害作用
・なんでこんなことぐらいで」「この子は弱いのではないか」と言う人には、この図を頭に叩き込んでもらいたい。 (いじめによる苦痛の大きさと生活空間が閉鎖的である度合いの関係)  同じことをされても、広い生活圏で自由な市民として生きているほど苦痛は小さく(図のA)、狭い世界で絶えず周囲に運命を左右されて生きているほど苦痛が大きい(図のB)。 特に小学校高学年から中学校では、それが極端なまでになりうる。裁判官やジャーナリストや研究者は、大人の平均以上に自由で広い世界を生きている。
・自分が同じことをされたとしても「どうということはない」という図のA地点の感覚で、極端に狭い世界で自由を剥奪されて生きている中学生(図のB地点)を評価しないでほしい。特に裁判官は、閉鎖空間の有害作用を考慮に入れて「自己過失割合」を計算するよう注意してほしい。 自由な市民であるあなたが自殺する場合と、きわめて有害な閉鎖空間で<友だち家畜>にされてしまった中学生が自殺する場合では、まったく事情が違うのだ。
・ところでこの有害な閉鎖空間は、国や地方公共団体が制度的に設定し、強制したものだ。それならば、国や地方公共団体には、閉鎖空間による有害作用によって人を害した責任があるのではないだろうか。 たとえば公営プールの設計ミスによって排水溝付近に渦巻きが発生し、それによって溺死者が続出した場合、公共団体にはその設計ミスの責任がある。訴訟になれば損害賠償の義務が生じる。 また、すぐにプールを閉鎖し、プールを設計しなおし、安全を確認したのちに、はじめて再開することができる。危険なまま有害プールを市民に提供してはならない。
・これと同じことが、学校という閉鎖空間の有害作用についても言える。 筆者はここで、国や地方公共団体による「閉鎖空間設定責任」という概念を提出する。 法律関係者には、いじめ関連裁判のための、閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げることをお願いしたい。この責任概念が法曹関係で効いてくると、日本の学校が改善され、子どもたちの苦しみを減らすことができるかもしれない。
▽戦争中の全体主義を超えた瞬間
・最後に、日本の学校が全体主義的であり、これが全体主義に抵抗がない大衆を生み出す、強力なインフラストラクチャーになっていることを指摘したい。このことについて、『教育新聞』(2017年5月22日)に書いたことをもういちど繰りかえす。 昭和初期から敗戦までの日本は、天皇を最高尊厳とし、天皇を中心とする高次の集合的生命である「国体」を最高価値とする、現在の北朝鮮とよく似た全体主義社会であった。 一人ひとりが「日本人らしく」天皇の赤子になり続ける「くにがら」を守ること(国体護持)がなによりも重視された。一人ひとりの命は鴻毛(羽毛)のように軽い。
・カミカゼ自爆攻撃などで死ぬ瞬間こそが、人として生まれた最高の栄誉であり、華やかに花が咲いたような生のきらめき(散華)でなければならない。親はそれを光栄ですと喜び祝うことが強制された。 「国体」については、「世界が警戒する日本の『極右化』〜私たちはいま、重大な岐路にいる」で詳しく書いたので、そちらを参照されたい。 戦時中の「国体」の「日本人らしく」を、戦後の集団主義学校の「生徒らしく」に、「くにがら」を「学校らしさ」に置き換えれば、戦争中の日本と学校は同じ全体主義の形をしていることがわかる。 学校の全体主義(中間集団全体主義)について知りたい方は、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を参照されたい。
・最後に、学校の全体主義が、戦争中の大日本帝国の全体主義を超えた瞬間を記録した動画があるのでご覧いただきたい。 中学校運動会の巨大組体操の崩落事故で、親たちは盛大に拍手している。事故のありさまを見れば、障害が残るけがをしても、あるいは死者が出てもおかしくない。 赤子のころから大事に育てた、なによりも愛しい子どものはずである。交通事故なら、すぐに駆け寄り、わが子を探して、生きているか、けがをしていないか確認し、無事であれば泣いて喜ぶような事態である。
・だが、学校の集合的生命が生き生きと躍動する運動会で、親たちは、子どもが集団的身体として散華する姿に拍手している。戦争中の日本ですら、親は強制されて喜ぶふりをさせられていただけで、このような自発的な拍手はありえない。 「共に生き」るはずの「ともだち」は、うずくまっている他人を無視して、軍隊まがいの整列で、「ぴしっ」と兵隊のまねごとをしている。
・義務教育によってこのような集団洗脳をすることによって、他の先進諸国であればナチスまがいの発言をしたとして絶対に国会議員になれないような人物に、何も感じずに投票する大衆が生み出される。 また、ブラック企業と呼ばれる職場を、あたりまえに感じる大衆が生み出される。学校教育のおかげで、市民は育たない。自由も民主主義も社会に根づかない。
・学校は、習慣化された感情反応に包み込んで「国体」を護持し、国を再全体主義化するための、貴重なインフラストラクチャーになっている。その成果が実り、今、全体主義勢力が社会を飲み込もうとしている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53333

『担任のT教諭は、A子らを叱らず、菜保子さんだけを生徒たちの面前で叱った。「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」などと言って、菜保子さんだけを叱るのだ。 同級生は、こういうことが5、6回あったと証言する。別の生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じ」と証言する。 T教諭は生徒の好き嫌いが激しいことで有名な人物だった。A子はT教諭と良好な関係だった』、 『居残り授業に参加せずに菜保子さんが帰ろうとすると、T教諭は「ピアノばかりやっていても仕方がない」と怒った。母によると、三者面談の際、T教諭は「2学期の態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言った』、 『T教諭は、母に次のように言った。 「菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち2人が逃げようとした」 「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」 「菜保子さんは何と言ってますか」 母「泣いています。関係ない、知らないと言ってます」 T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」』、
などから、A子らもさることながら、T教諭にも極めて大きな責任がありそうだ。こんな生徒の好き嫌いが激しい人物が教師になっているというのも酷いことだ。そんな人物を担任にしていた校長の責任も重い。 菜保子さんの日記の内容は、ここまで追い込まれるのかと、深刻さを再認識した。 『閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる学校では、悪口、しかと、嘲笑といったコミュニケーション操作系のいじめだけで、ナチ収容所、女子校生コンクリート詰め殺人、ゲリラやマフィアによる拉致誘拐、ジンバルドーの監獄実験と同形の、人間破壊が多かれ少なかれ生じうることがわかる』、との説明で、なぜA子たちのグループから逃げ出せなかったのかが理解出来た。 『日本の特殊な学級制度は、閉鎖空間に囲い込んで強制的にベタベタさせるよう、考え抜かれて設計されている。人間を個の人から群れの人へと内から変化させるのが、中学校の本当の目標である。 当然、兵営や刑務所のように、市民的な距離と個人主義が発生しにくいしくみになっている。逃げ場なく密着させて人を内側から変化させる爆縮レンズのような構造になっている』、というのは同感だ。 ただ、『筆者はここで、国や地方公共団体による「閉鎖空間設定責任」という概念を提出する。 法律関係者には、いじめ関連裁判のための、閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げることをお願いしたい』、との部分については、閉鎖空間について、もう少し掘り下げないと、 『閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げる』、のはおぼつかない気がする。 『戦時中の「国体」の「日本人らしく」を、戦後の集団主義学校の「生徒らしく」に、「くにがら」を「学校らしさ」に置き換えれば、戦争中の日本と学校は同じ全体主義の形をしていることがわかる』、 『義務教育によってこのような集団洗脳をすることによって、他の先進諸国であればナチスまがいの発言をしたとして絶対に国会議員になれないような人物に、何も感じずに投票する大衆が生み出される。 また、ブラック企業と呼ばれる職場を、あたりまえに感じる大衆が生み出される。学校教育のおかげで、市民は育たない。自由も民主主義も社会に根づかない』、などの指摘は言われてみれば、確かにその通りだ。
内藤氏の3つの記事を読んで、いじめ問題についての見方がより深まった気がする。もっと多くの人に読んでほしい記事だ。
タグ:裁判官は、閉鎖空間の有害作用を考慮に入れて「自己過失割合」を計算するよう注意してほしい 広い生活圏で自由な市民として生きているほど苦痛は小さく(図のA)、狭い世界で絶えず周囲に運命を左右されて生きているほど苦痛が大きい(図のB) 学校という閉鎖空間の有害作用 上で紹介した記事と菜保子さんの日記、そして多くのいじめ被害の記録をあわせ読むと、閉鎖空間に閉じこめ強制的にベタベタさせる学校では、悪口、しかと、嘲笑といったコミュニケーション操作系のいじめだけで、ナチ収容所、女子校生コンクリート詰め殺人、ゲリラやマフィアによる拉致誘拐、ジンバルドーの監獄実験と同形の、人間破壊が多かれ少なかれ生じうることがわかる ひどい暴力的な処遇が人間を無力化してしまうことは、よく知られている 人間壊し遊び 一人でいること、あるいは一人でいることを<みんな>に見られることは、異常で恥ずかしい。それは、考えただけでも凍りつくような恐ろしいことだ。 このベタベタした<距離なし生活>を強いられる閉鎖空間で、悪意の行為がこれでもか、これでもかと繰りかえされると、通常の市民生活では考えられないような、けたはずれのダメージが生じる。これが被害者の身に起きたことである 日本の中学校のクラスは、共に生きることを無理強いするための生活学級だ。どんなに嫌なひとたちでも、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、共に生きなければならない。 学校は勉強するためにいくところだ、と感じている生徒はほとんどいない。生徒にとって学校は群れて生きなければならないところである。それを個人で拒むことは許されない 当然、兵営や刑務所のように、市民的な距離と個人主義が発生しにくいしくみになっている。逃げ場なく密着させて人を内側から変化させる爆縮レンズのような構造になっている 日本の特殊な学級制度は、閉鎖空間に囲い込んで強制的にベタベタさせるよう、考え抜かれて設計されている。人間を個の人から群れの人へと内から変化させるのが、中学校の本当の目標である 、国や地方公共団体には、閉鎖空間による有害作用によって人を害した責任があるのではないだろうか 学校は、習慣化された感情反応に包み込んで「国体」を護持し、国を再全体主義化するための、貴重なインフラストラクチャーになっている。その成果が実り、今、全体主義勢力が社会を飲み込もうとしている 日記 T教諭は、母に次のように言った。 「菜保子さんではないが、お友達がガラスを割った。割ったこともよくないが、その後の態度が悪かった。逃げようとした。3人のうち2人が逃げようとした」 「こうなった(ガラスが割れた)ことは、元に戻さないといけないよね、と菜保子さんに言いました」 「菜保子さんは何と言ってますか」 母「泣いています。関係ない、知らないと言ってます」 T教諭「泣いているということは本人も反省しているということです」 A子とC子が「壁ドンごっこ」をして教室のドアのガラスを割った。菜保子さんは関与していない。しかし、非常勤講師、学年主任、T教諭、教頭らに次々と叱られた。菜保子さんは「A子とC子が割ったのに…」と言って泣いていたという 筆者はここで、国や地方公共団体による「閉鎖空間設定責任」という概念を提出する 居残り授業に参加せずに菜保子さんが帰ろうとすると、T教諭は「ピアノばかりやっていても仕方がない」と怒った。母によると、三者面談の際、T教諭は「2学期の態度を見て志望校を一校に絞っていいかどうか、こちらで決めます」と言った 同級生は、こういうことが5、6回あったと証言する。別の生徒は「中島さんを狙い撃ちにしている感じ」と証言する。 T教諭は生徒の好き嫌いが激しいことで有名な人物だった。A子はT教諭と良好な関係だった 担任のT教諭は、A子らを叱らず、菜保子さんだけを生徒たちの面前で叱った。「前に来なさい。遅れた理由を言いなさい」などと言って、菜保子さんだけを叱るのだ 菜保子さんが自分といっしょに授業に遅れていくようにしむけた 閉じこめられている様子 女子トイレ A子らのグループで行動 週刊文春と産経新聞だけである きちんと調査取材をして報じようとしたのは 学校や教委は、生徒を外部社会の力に触れさせたくない。彼らを<自分たち教育のもの>にしておきたい。<我らの世界>で起きた残酷と不正を隠したい。当然、学校や教委は、生徒への直接取材をしないでほしいとメディアに強く要求する 中島菜保子さん いじめ殺されてしまうのは、逃げられず対人距離を調節できない閉鎖環境の効果が大きく関与 取手市・中3女子自殺事件 「人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造 戦争中の全体主義を超えている…」 現代ビジネス 内藤 朝雄 また、ブラック企業と呼ばれる職場を、あたりまえに感じる大衆が生み出される。学校教育のおかげで、市民は育たない。自由も民主主義も社会に根づかない (その6)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による残り1題:人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造) いじめ問題 有害な閉鎖空間は、国や地方公共団体が制度的に設定し、強制したものだ 義務教育によってこのような集団洗脳をすることによって、他の先進諸国であればナチスまがいの発言をしたとして絶対に国会議員になれないような人物に、何も感じずに投票する大衆が生み出される 戦時中の「国体」の「日本人らしく」を、戦後の集団主義学校の「生徒らしく」に、「くにがら」を「学校らしさ」に置き換えれば、戦争中の日本と学校は同じ全体主義の形をしていることがわかる 法律関係者には、いじめ関連裁判のための、閉鎖空間設定責任の法理を磨き上げることをお願いしたい
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いじめ問題、(その5)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による2題:日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由、いじめ自殺を隠蔽するとき 教育者が必ず口にする「異常な論理」) [社会]

いじめ問題については、10月28日に取上げた。今日は、日本のいじめ問題を極めてユニークな角度から分析している、(その5)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による2題:日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由、いじめ自殺を隠蔽するとき 教育者が必ず口にする「異常な論理」) である。

先ずは、明治大学准教授 いじめ問題研究 内藤 朝雄氏が2月9日付け現代ビジネスに寄稿した「日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由 だから子どもは「怪物」になる」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・最近、また「いじめ」が大きなニュースとなっている。なぜいまだに根本的な解決にいたっていないのだろうか。 いじめは80年代なかば以降、人びとの関心をひく社会問題になったが、いじめ対策は効果をあげていない。
・それは、学校に関する異常な「あたりまえ」の感覚が一般大衆に根強く浸透してしまっているからである。マス・メディアや政府、地方公共団体、学校関係者、教委、教育学者や評論家や芸能人たちがでたらめな現状認識と対策をまき散らし、一般大衆がそれを信じ込んでしまうためでもある。 私たちが学校に関して「あたりまえ」と思っていることが、市民社会のあたりまえの良識を破壊してしまう。この学校の「あたりまえ」が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる環境要因となっているのだ。
▽きわめてシンプルな「いじめ対策」
・いじめを蔓延させる要因は、きわめて単純で簡単だ。 一言でいえば、①市民社会のまっとうな秩序から遮断した閉鎖空間に閉じこめ、②逃げることができず、ちょうどよい具合に対人距離を調整できないようにして、強制的にベタベタさせる生活環境が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる。
・対策は、次のこと以外にはまったくありえない。 すなわち、①学校独自の反市民的な「学校らしい」秩序を許さず、学校を市民社会のまっとうな秩序で運営させる。②閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせることをせず、ひとりひとりが対人距離を自由に調節できるようにする。
・このことについては、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)を読んでいただきたい。これを読めばいじめについての基本的な認識を手にすることができる。 まず、本稿執筆時に注目を浴びたいじめ報道を手がかりに、私たちが学校という存在をいかに偏った認識枠組で見ているかを浮き彫りにしていこう。
・福島原発事故のあと横浜に自主避難していた子どもが、何年にもわたって学校でいじめを受けていた。そして何年ものあいだ、教員たちはいじめを放置した。その経緯のなかで150万円もの金をゆすられたと保護者は訴えた。金を払ったのはいじめから逃れるためだったと被害者は言う。いじめ加害者たちはおごってもらったのだと言う。
・メディアはこれを報道しはじめた──。横浜市の岡田優子教育長が、「金銭授受をいじめと認定できない」と発言したのに対し、被害者側が「いじめ」認定を求める所見を提出したのが報じられると、世論が沸騰し、さらに報道が大きくなった。 「横浜いじめ放置に抗議する市民の会」は金銭授受を「いじめ」と認めるよう、2千人ほどの署名を添えて市長と教育長に要望書を提出した。これと連動して、他の地域でも原発避難者の子どもが学校で迫害されたという報道がなされた。
・学校のような生活環境では、ありとあらゆることがきっかけとして利用され、いじめが蔓延しエスカレートしやすい。原発事故からの避難者にかぎらず、学校で集団生活をしていれば、だれがこのような被害をこうむってもおかしくない。 問題の本質は、学校が迫害的な無法状態になりがちな構造にある1。
・1もちろん原発事故の問題が根幹にあるのではないかと疑われるケースもある。たとえば以下は、保護者が実名で訴えたものだ。 福島第一原発に近い地域で被曝をさけようと給食を食べない生徒に、他の生徒たちが暴力を含むいじめをした。暴力を止めさせるよう親が申し入れをしたところ、教員は「安全」な給食を食べろと圧力を加えるのみで、暴力を放置した。 このことを保護者が訴え続けてもメディアは取材すらしない。保護者はYouTubeで英語字幕をつけて発信し、これには海外からの英語コメントがたくさんよせられた(この件に関してメディアは取材をして、事実関係を調べるべきではないだろうか)。
▽いじめは教育の問題なのか?
・まともな市民社会の常識で考えれば、他人をいためつけ、おどして、その恐怖を背景に金をまきあげれば犯罪である。「おごってもらっただけだ」という言い訳は通用しない。 たとえば、暴力団が何年ものあいだいためつけ続けた被害者に対して、恐怖を背景に大金を「おごり」名目で巻き上げた場合と同じことが、いじめの加害者たちについてもいえる。
・学校をなんら特別扱いしないで見てみよう。すると、地方公共団体が税金で学習サービスを提供する営業所(学校)内部で、このような犯罪が何年も放置されたということが、問題になるはずである。 しかも公務員(教員)がそれを放置していたことも重大問題である。公務員は、犯罪が生じていると思われる場合は、警察に通報する義務がある。知っていて放置した公務員(教員)は懲戒処分を受けなければならない。
・このような市民社会のあたりまえを、学校のあたりまえに洗脳された人は思いつきもしない。ここで生じていることは無法状態であり、犯罪がやりたい放題になることである。これは社会正義の問題である。
・ここで「いじめ」という概念の使い方について考えてみよう。 筆者は「いじめ」という概念を、ものごとを教育的に扱う認識枠組として用いていない。人間が群れて怪物のように変わる心理-社会的な構造とメカニズムを、探求すべき主題として方向づける概念として「いじめ」を用いている。
・それに対して、誰かに責任を問うための概念としては、「いじめ」という概念を使うべきではない。責任を問うために使うものとしては、侮辱、名誉毀損、暴行、強要、恐喝などの概念を使わなければならない。 だが、多くの人びとは「いじめ」という言葉をつかうことでもって、ものごとを正義の問題ではなく、教育の問題として扱う「ものの見方」に引きずり込まれてしまう。市民社会のなかで責任の所在を明らかにするための正義の枠組を破壊し、それを「いじめ」かどうかという問題にすりかえてしまう。
・そして悲しいことに、学校で起きている残酷に立ち向かおうという情熱を持っている人たちも、そのトリックにひっかかってしまう。 認定すべきは、犯罪であり、加害者が触法少年であることであり、学校が犯罪がやり放題になった無法状態と化していたことだ。そして責任の所在を明らかにすることだ。
・警察が加害少年を逮捕・補導する。犯罪にあたる行為を行った加害者が責任能力を問えない触法少年であれば、児童相談所に通告し、場合によっては収容する。 被害者を守るために加害者を学校に来させないようにする。放置した教員を厳しく処分する。加害者の保護者は、高額の損害賠償金を被害者に払う。学校が無法状態になりがちな構造を制度的に改革する。
・それにしても、公的に責任を問う局面で犯罪認定すべきところを「いじめ」扱いでお茶を濁すこと自体が不適切なのに、さらにそのなけなしの「いじめ」認定すら教育長はしない。その意味でこの教育長は解職すべきであるし、市長が動こうとしなければ次の選挙で落とすべきである。
・もちろん起きていることは、責任を問う局面で犯罪であり、かつ、場の構造を問う局面で「いじめ」である。これが「いじめ」でなくて、何を「いじめ」というのかというぐらい、「いじめ」である。中井久夫氏がいうところの透明化段階にまで進行した「いじめ」である(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』(みすず書房)所収)。
・もっとも重要なことは、加害者たちは学校で集団生活をおくりさえしなければ、他人をどこまでもいためつけ、犯罪をあたりまえに行うようにはならなかったはずである、ということだ。 つまり、学校が人間を群れた怪物にする有害な環境になっているということが、ひどいいじめから見えてくる。これが根幹的な問題なのだ。 外部の市民社会の秩序を、学校独自の群れの秩序で置き換えて無効にしてしまう有害な効果が学校にはある。これは、たまたまいじめが生じていない場合でも有害環境といえる。
▽「学校とはなにか」─それが問題だ
・最も根幹的な問題は、「学校とはなにか」ということであり、そこからいじめの蔓延とエスカレートも生じる。  わたしたちが「あたりまえ」に受け入れてきた学校とはなんだろうか。いじめは、学校という独特の生活環境のなかで、どこまでも、どこまでもエスカレートする。 先ほど例にあげた横浜のいじめが、数年間も「あたりまえ」に続いたのも、学校が外の市民社会とは別の特別な場所だからだ。社会であたりまえでないことが学校で「あたりまえ」になる。
・学校とはどのようなところか。最後にその概略をしめそう。 日本の学校は、あらゆる生活(人が生きることすべて)を囲いこんで学校のものにしようとする。学校は水も漏らさぬ細かさで集団生活を押しつけて、人間という素材から「生徒らしい生徒」をつくりだそうとする。 これは、常軌を逸したといってもよいほど、しつこい。生徒が「生徒らしく」なければ、「学校らしい」学校がこわれてしまうからだ。
・たとえば、生徒の髪が長い、スカートが短い、化粧をしている、色のついた靴下をはいているといったありさまを目にすると、センセイたちは被害感でいっぱいになる。  「わたしたちの学校らしい学校がこわされされる」 「おまえが思いどおりにならないおかげで、わたしたちの世界がこわれてしまうではないか。どうしてくれるんだ」 というわけだ。
・そして、生徒を立たせて頭のてっぺんからつま先までジロジロ監視し、スカートを引っ張ってものさしで測り、いやがらせで相手を意のままに「生徒らしく」するといった、激烈な指導反応が引き起こされる。 この「わたしたちの世界」を守ることにくらべて、一人一人の人間は重要ではない。人間は日々「生徒らしい」生徒にされることで、「学校らしい」学校を明らかにする素材にすぎない。
・多くのセンセイたちは、身だしなみ指導や挨拶運動、学校行事や部活動など、人を「生徒」に変えて「学校らしさ」を明徴(めいちょう)するためであれば、長時間労働をいとわない。 その同じ熱心なセンセイたちが、いじめ(センセイが加害者の場合も含む)で生徒が苦しんでいても面倒くさがり、しぶしぶ応対し、ときに見て見ぬふりをする。私たちはそれをよく目にする。
・ある中学校では、目の前で生徒がいじめられているのを見て見ぬふりしていたセンセイたちが、学校の廊下に小さな飴の包み紙が落ちているのを発見したら、大事件発生とばかりに学年集会を開いたという(見て見ぬふりをされた本人(現在大学生)の回想より)。こういったことが、典型的に日本の学校らしいできごとだ。
・こういった集団生活のなかで起きていることを深く、深く、どこまでも深く掘りさげる必要がある。 さらにそれが日本社会に及ぼす影響を考える必要がある。学校の分析を手がかりにして、人類がある条件のもとでそうなってしまう、群れたバッタのようなありかたについて考える必要がある。
・学校で集団生活をしていると、まるで群れたバッタが、別の色、体のかたちになって飛び回るように、生きている根本気分が変わる。何があたりまえであるかも変わる。こうして若い市民が兵隊のように「生徒らしく」なり、学習支援サービスを提供する営業所が「学校らしい」特別の場所になる。 この「生徒らしさ」「学校らしさ」は、私たちにとって、あまりにもあたりまえのことになっている。だから、人をがらりと変えながら、社会の中に別の残酷な小社会をつくりだす仕組みに、私たちはなかなか気づくことができない。
・しかし学校を、外の広い社会と比較して考えてみると、数え切れないほどの「おかしい」、「よく考えてみたらひどいことではないか?」という箇所が見えてくる。 市民の社会では自由なことが、学校では許されないことが多い。 たとえば、どんな服を着るかの自由がない。制服を着なければならないだけでなく、靴下や下着やアクセサリー、鞄、スカートの長さや髪のかたちまで、細かく強制される。どこでだれと何を、どのようなしぐさで食べるかということも、細かく強制される(給食指導)。社会であたりまえに許されることが、学校ではあたりまえに許されない。
・逆に社会では名誉毀損、侮辱、暴行、傷害、脅迫、強要、軟禁監禁、軍隊のまねごととされることが、学校ではあたりまえに通用する。センセイや学校組織が行う場合、それらは教育である、指導であるとして正当化される。 正当化するのがちょっと苦しい場合は、「教育熱心」のあまりの「いきすぎた指導」として責任からのがれることができる。生徒が加害者の場合、犯罪であっても「いじめ」という名前をつけて教育の問題にする。 こうして、社会であたりまえに許されないことが、学校ではあたりまえに許されるようになる。
▽全体主義が浸透した学校の罪と罰
・学校は「教育」、「学校らしさ」、「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界だ。その膜の中では、外の世界では別の意味をもつことが、すべて「教育」という色で染められてしまう。そして、外の世界のまっとうなルールが働かなくなる。 こういったことは、学校以外の集団でも起こる。
・たとえば、宗教教団は「宗教」の膜で包まれた別の世界になっていることが多い。オウム真理教教団(1995年に地下鉄サリン事件を起こした)では、教祖が気にくわない人物を殺すように命令していたが、それは被害者の「魂を高いところに引き上げる慈悲の行い(ポア)」という意味になった。また教祖が周囲の女性を性的にもてあそぶ性欲の発散は、ありがたい「修行(ヨーガ)」の援助だった。
・また、連合赤軍(暴力革命をめざして強盗や殺人をくりかえし、1972年あさま山荘で人質をとって銃撃戦を行った)のような革命集団でも、同じかたちの膜の世界がみられる。 そこでは、グループ内で目をつけられた人たちが、銭湯に行った、指輪をしていた、女性らしいしぐさをしていたといったことで、「革命戦士らしく」ない、「ブルジョワ的」などといいがかりをつけられた。そして彼らは、人間の「共産主義化」、「総括」を援助するという名目でリンチを加えられ、次々と殺害された。
・学校も、オウム教団も、連合赤軍も、それぞれ「教育」、「宗教」、「共産主義」という膜で包み込んで、内側しか見えない閉じた世界をつくっている2。そして外部のまっとうなルールが働かなくなる。よく見てみると、この三つが同じかたちをしているのがわかる。
2漫画家・エッセイストの田房永子は「膜」という語を用いて痴漢や強姦者やストーカーなど個人の独善的で歪んだファンタジーと行動様式を描く。筆者が難解な用語を用いて理論的に探究してきた心理-社会現象を、「膜」という直感に近い語によって、一般向けに平易に説明できることに気づいた。田房氏の卓越した言語感覚に敬意を表したい。  http://www.lovepiececlub.com/lovecafe/mejirushi/2014/08/19/entry_005292.html
・このようにさまざまな社会現象から、学校と共通のかたちを取り上げて説明するとわかりやすい。あたりまえすぎて見えないものは、同じかたちをした別のものと並べて、そのしくみを見えるようにする。たとえば、学校とオウム教団と連合赤軍をつきあわせて、普遍的なしくみを導き出すことができる。 こうして考えてみると、学校について「今まであたりまえと思っていたが、よく考えてみたらおかしい」点が多くあることに気づく。
・これらのポイントに共通していえるのは、クラスや学校のまとまり、その場のみんなの気持ちといった全体が大切にされ、かけがえのないひとりひとりが粗末にされるということだ。全体はひとつの命であるかのように崇拝される。 この全体の命がひとりひとりの形にあらわれたものが「生徒らしさ」だ。だから学校では、「生徒らしい」こころをかたちであらわす態度が、なによりも重視される。これは大きな社会の全体主義とは別のタイプの、小さな社会の全体主義だ。
・大切なことは、人が学校で「生徒らしく」変えられるメカニズムを知ることだ。それは、自分が受けた洗脳がどういうものであったかを知る作業であり、人間が集団のなかで別の存在に変わるしくみを発見する旅でもある。 ある条件のもとでは、人と社会が一気に変わる。場合によっては怪物のように変わる。この人類共通のしくみを、学校の集団生活が浮き彫りにする。
・学校の全体主義と、そのなかで蔓延しエスカレートするいじめ、空気、ノリ、友だち、身分の上下、なめる-なめられる、先輩後輩などを考えることから、人間が暴走する群れの姿を明らかにすることができる。学校という小さな社会の全体主義とそのなかのいじめを考えることから、人間の一面が見えてくる。
・わたしたちは長いあいだ、学校で行われていることを「あたりまえ」と思ってきた。あたりまえどころか、疑いようのないものとして学校を受け入れてきた。 だからこれを読んだ読者は、「こんなあたりまえのことをなぜ問題にするのだろうか」と疑問に思ったかもしれない。だが、その「あたりまえ」をもういちど考え直してみることが大切だ。
・理不尽なこと、残酷なことがいつまでも続くのは、人がそれを「あたりまえ」と思うからだ。それがあたりまえでなくなると、理不尽さ、残酷さがはっきり見えてくる。逆にあたりまえであるうちは、どんなひどいことも、「ひどい」と感じられない。歴史をふりかえってみると、このことがよくわかる。
・これを読んで心にひっかかっていたものが言葉になったときの、目から鱗が落ちるような体験を味わっていただければと思う。もっと知りたいという方は、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』を手に取ってください。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50919

次に、上記の続きを11月2日付け現代ビジネス「いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする「異常な論理」 これを変えねば、いじめは消えない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽何度でも伝えたい「いじめの構造」
・逃げることができず、どこまでも追い詰めていくいじめ。生徒を「生徒らしく」するためだけの、些末でしつこい内部規則。いつも周囲の空気を気にして過剰同調し続けなければならない集団生活……。 学校という囲い込み施設の有害性は、何十年も社会問題になっているが改善されない。 学校や教育の世界を聖域扱いし、それを「あたりまえ」と思いこむ習慣が一般大衆に浸透しているからである。 そして、マス・メディアや政府、地方公共団体、学校関係者、教委、教育学者、評論家や芸能人たちが、でたらめな現状認識と対策をまきちらし、一般大衆がそれを信じてしまうためでもある。
・日本の学校、特に中学校の全体主義ぶりは、北朝鮮によく似ている。個人の市民的自由を奪い、人間を頭のてっぺんからつま先まで集団化してしまう。私たちは、学校や教育についての「あたりまえ」の感覚によって、そのことが見えなくなってしまっている。
・「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由」で、筆者は次の単純明快な正解を示した。 現状分析:①外部から遮断した閉鎖空間に閉じこめ、②強制的にベタベタさせる生活空間が、いじめを含む残酷と理不尽を蔓延させ、エスカレートさせている。
・有効な対策:①反市民的な「学校らしい」秩序を許さず、学校を市民社会の秩序で運営させる。②閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせることをせず、ひとりひとりが対人距離を自由に調節できるようにする。
・このことについては、拙著『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書)で詳しく論じた。
▽主題のすりかえが起きている
・「日本の学校は地獄か…いじめ自殺で市教委がとった残酷すぎる言動」から今回まででは、茨城県取手市で起きたいじめ自殺事件と、それを隠蔽しようとしたと考えられる教育委員会のふるまいをもとに、次のことを行う。 ①教委のふるまいとそれに対するメディアの反応を分析し、市民社会が教育に侵食され、別の種類の教育的な「あたりまえ」がまかり通ってしまう現状を示す。 ②学校制度が強いる集団生活の中で、いじめ被害者が破壊されていく構造的なしくみを分析し、「閉鎖空間設定責任」という新しい考え方を提唱する。
・これまで、いじめ自殺を隠蔽しようとする教委のふるまいを次のように分析した。 まず教委にとっての利害損得があり、それに応じて教育的なストーリーのなかから都合の良い素材を選び出し、いいわけとして組み立てる。 それは、オウム真理教教団が利益を図って行う殺人に、「ポア(魂を高いところに引き上げる慈悲の行い)」という宗教的な意味づけをするのと同じである(「日本の学校から『いじめ』が絶対なくならないシンプルな理由」)。
・だが、オウム教団とは異なり、教委や学校関係者による意味づけは、人びとが教育を特別扱いする思考習慣に支えられて、社会に受け入れられてしまう。 そのため、教委や学校関係者(生徒や教員、校長など)は責任を問われることなく、通常ならば処分・処罰される行為をやりたい放題になる。
・このとき、主題のすりかえが生じている。 つまり、教委や学校関係者が引き起こす悪や残酷に対し、何が問題であり、どうすれば適切に対処したといえるか、という<問いと答えのセット>そのものが、社会正義を主題とするものから教育を主題とするものへと、すりかえられている。
▽「信頼」ではなく、チェック機能を
・今回の事件では、教委はいじめの隠蔽工作に手を染めていたと考えられる(くわしくは前回および前々回を参照)。これは、公共団体幹部グループによる重大かつ悪質な背任行為である。相応な処分は懲戒免職しか考えられない。
・さらに教委によるこの背任行為は、遺族に対しては、名誉毀損(虐待デマの流布)や、これによって非人道的な精神的苦痛を与えた(虐待デマが子を失った遺族に対するものであることを考えてみよ!)可能性も含めて追及されるべきものである。
・だが報道によれば、教委は処罰も処分も受けず、記者会見で「被害者によりそい、信頼を回復しながら次に向かっていくよう努めます」と語る。メディアも「不信」「信頼の危機」「信頼回復」といった報道を繰りかえす。被害者も「信頼が失われた」と語る。 メディアでは、「信頼を取り戻すにはどうしたらよいか」といった教育の問題へ主題がすり替わった。教委幹部たちは不正行為を行ったかどうかを追究されず、不信をまねいた過誤によって非難されるだけの人となった。
・何か問題が生じたときに、合い言葉のように口に出される「教育(教委、学校)への信頼」が、社会正義によるチェック機構を働かないようにする。そして、教委や学校関係者の不正や残酷を免責し、教育関係者はどんな非道をはたらいても責任を問われないという事態を生み出す。 教育委員会や学校は、たとえば土建会社のような他の職種と同じものとみなさなければならない。 土建会社が談合や政治家への賄賂をしないと期待できるのは、社会正義の制度による厳しいチェック・システムがある場合だけである。土建会社が土建会社であるというだけの理由で土建会社への信頼を要求するような習慣は有害である。
・それとまったく同じで、教育関係者が教育関係者であるというだけの理由で教育関係者を信頼するという習慣も、きわめて有害である(ここでは、チェック・システムが重要という一点に限って土建会社を比較対象にした)。 子どもを守るためには、そのような信頼をなくさなければならない。
・重要なのは、教育(教委、学校)への信頼ではない。社会正義のしくみを確かなものにすることだ。 私たちの目標は、教委幹部も教員も生徒も悪をしたくてもできなくなり、そのうち大部分の人が悪をなそうとも思わなくなり、善人になってしまうような、うまくまわるシステムをつくりあげることだ。そのうえで、うまくまわっている程度に応じてそのシステムを信頼すべきなのだ。
・信頼できるチェック・システムという観点からは、いじめを隠すと得をする利害当事者である教育委員会が、いじめ調査委を設置することを、即座にやめさせなければならない。これは暴力団が警察を設置するようなことだ。
・「被害者によりそい、信頼を回復しながら次に向かっていくよう努めます」といったたぐいの教委の発言には、被害者を害しておきながら、きずな・よりそい・信頼関係をまくしたてるストーカーと<同じかたち>のおぞましさがある。
▽恐怖の「教育的ストーカー」論理
・これまでの経緯を約すると、遺族は「あなたたち教委のことは信頼しない。もう関わり合いになりたくない。あなたたちは、私たちが虐待したから子どもが死んだというデマをまき散らして、いじめを隠蔽している」と訴えている。 これに対し、不正や加害をなしたと考えられる教委は責任をとろうとせず、「おれはおまえたち遺族との信頼を回復するぞ。教委(教育)への信頼を回復するのだ。おれはおまえたち遺族によりそうぞ」という内容の教育的ストーカー論理を、議会や記者会見で堂々と口にしているのである。
・もちろん教委は、自己利益のために、遺族をどこまでも虫けらのように扱ってきた(教委が遺族をどのように扱ってきたかについては、前回と前々回を参照されたい)。 報道をみるかぎり、教委は本物のストーカーとことなり、ほぼ100%損得勘定で動いていると考えられる。乾いた保身のために利用する教育の論理が、べとべと粘りつくストーカーの論理と同じ形をしているのだ。 この乾ききった保身の利害計算と、粘りつく教育的お涙頂戴芝居をつなぎ合わせるコンビネーションは、もはや教育関係者の職能にもなっている。
▽なぜ校長は泣くのか
・取手市のケースとは別であるが、このことを示す一例をあげよう。 いじめ調査の第一人者ともいうべき探偵の阿部泰尚によれば、校長たちは、不都合なことを表沙汰にしないでほしい、責任をのがれたい、という意向を暗に伝えるための<芸>として泣くことが多いという。もちろん、泣いても不誠実であることは変わらない。
・阿部は次のように述べる。 「それにしてもなぜ校長先生という人たちは、あんなにも頻繁に人前で泣き出すのだろう。私の経験から言うと、依頼者である親御さんにいじめの調査資料を突きつけられた段階で、4割ぐらいの校長が泣き出す。特に警察沙汰になりそうな事案では、泣き出すことが多い。 (略)彼らが本気で泣いているとは思えない。(略)ことを荒立てないで欲しい。(略)穏便に事が運ぶように計らって欲しい。それを暗に伝えるために泣いている。というか泣いて見せる。…。校長が泣いた後でも実際に何もしない学校が多い」(阿部泰尚『いじめと探偵』p.p.168-171)
・私たちの社会では通常、正当性が問題となるやりとりにおいて、責任ある立場の者が不祥事に目をつぶってほしいと泣くことは、否定的に扱われる。場合によっては嘲笑のまとになりかねない。泣くことは利益にならないので、多くの人はやらない。 不祥事を表沙汰にしないでほしいときに校長が泣くことが驚くほど多いとすれば、それは功を奏する見込みが大きいからである。
・すなわち、「ここは教育の場である」と感じられる状況では、通常の公共的秩序が崩れて、不祥事隠蔽のために泣くことが功を奏するような別のタイプの秩序にとって代わられているということである。校長はそこにつけこんで泣く。
・ここで重要なことは、私たちの社会がどうなっているかということだ。 この社会は、教育に侵食され穴があいている。不祥事でも校長が泣けば許される穴。教育によって市民社会のルールと人権が否定される穴。教育であれば暴力や全体主義が許される穴。 この穴が広がるにつれて、社会が別のタイプの不健全な秩序に飲み込まれてしまう危険が大きくなる。
▽「教育」なら何でも許されるのか
・この穴がどれほどのものか、マス・メディアの報道スタイルから考えてみよう。 以下の思考実験が示すように、報道は、私たちの社会がどのような状態にあるかを示す指標として用いることができる。 もし、マス・メディアが先述のポアといういいわけを真実とみなし、「過度のポア」「行き過ぎたポア」と報道したとすれば、それは、私たちの社会がオウム真理教にひどく侵食されていることのサインであるといえる。 また、マス・メディアが暴力団による暴力犯罪を「過度の任侠」「行きすぎた任侠」と報道したとすれば、それは、私たちの社会が暴力団にひどく侵食されていることのサインになる。
・もちろん、このような思考実験上のシナリオは、現実にはありえない。しかし、こと教育に関しては、このようなことは、あたりまえに起こっている。 NHKのドキュメンタリー番組『クローズアップ現代 なぜ続く〝いじめ自殺〟~こどもの命を救うために』(2017年7月18日放映)は、取手市教育委員会によるいじめ隠しを、背任行為ではなく、「過度な配慮」「行きすぎた配慮」と報道した。
・このことは、上で述べた思考実験上のシナリオが実際に起こったと仮定した場合と同程度のひどさで、私たちの社会が教育に侵食され、市民の秩序が破壊されていることを示している。 このような、教育であれば何でも許されるタイプの報道は、これまでも繰りかえされてきた。「教育熱心のあまり」の「行きすぎた指導」と、あたりまえのように。
・さらに教員による暴力犯罪は、「体罰」と呼ばれるので、被害者の方に何らかの「罰」を受けるにふさわしい落ち度があり、それに対して加害者が「教育熱心のあまりの行きすぎた指導」をしてしまったというストーリーで認識されるようになる。 そして、「先生がここまでやらざるを得なくなるぐらいなのだから、よほど困った生徒なのだろう」と暴力被害者の方に否定的な感情がむけられるようになる。
・こうして「体罰」という誤称によって、教員からの暴力被害者は、レイプ被害者のように二重の被害をこうむることになる(ジャーナリストは、このような二次被害が生じるのを避けるため、教員による暴力犯罪に「体罰」という語を用いるのをやめなければならない)。
・このようにメディア報道を指標として、私たちの社会が教育によって侵食され、市民の秩序が破壊されていることを見て取ることができる。 さらにこの『クローズアップ現代』の後半は、いじめの基本を外した相談系、受け止め系、教員の心がけ系の、無意味な対策の羅列である(上記NHKサイトを参照)。 無意味なことを、いじめ対策と称して意味ありげに並べ立てるのを見ると、そこまでして閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせる特殊な学校制度を維持したいのかというのが正直な感想である。
▽「異常な論理」が「あたりまえ」に…
・なぜ、極端な集団主義で悪名高い異常な日本の学校を、せめて先進諸国グループの普通の学校程度に変えるぐらいのことを、誰も提案しないのか(いじめは世界中どこにでもあるが、追い詰められる程度が格段に違ってくる)。 それは、番組を制作する側も含めて多くの人びとが、異常な学校の「あたりまえ」を常識として疑うことなく信じ込んでいるからだ。
・また、この番組をつくった人たちは、いじめの主役は加害者の群れであり、加害者を抑制しなければ意味がないことを理解していない。「気持ちを受け止める」相談のあと、あいかわらず加害者に痛めつけられて自殺するということは、いくらでもある。 加害者を制止するか、被害者の生活圏から排除することができなければ、相談など無意味なのだ。学校を、法によって個人が守られ、加害者との距離を自由に調節することができる市民的な生活空間にする以外に、有効な対策はない。
・筆者は冒頭で、マス・メディアや政府、地方公共団体、学校関係者、教委、教育学者、評論家や芸能人たちが、でたらめな現状認識と対策をまきちらし、一般大衆がそれを信じてしまうと述べた。  この現状に対し、多くの人たちに次の寓話を読んでもらいたい。そして新聞・雑誌・テレビでいじめ対策を目にするたびに、思い出していただきたい。
・ある国では、35歳から40歳までの人を強制的に収容所の監禁部屋に閉じこめて理想の共同生活をさせることにした。そのなかで、人びとは、狭い檻に閉じ込められたネズミのように、互いに痛めつけ合うようになった。人びとを監禁部屋に閉じこめること自体不当であり、収容所から開放するのが基本である。しかし、国は監禁部屋の生活を少しでも快適で健康的なものにしようと、壁紙を三日に一回変えたり、音楽を流したり、早寝・早起き・朝ご飯を推奨したりする工夫をし、それを国民にアピールした。国民はいつのまにか、監禁部屋に閉じこめること自体を問題にしなくなった。そして、監禁部屋で35歳から40歳までの人たちが、すこしでも「マシ」な生活になるような、些末で矮小な工夫がなされたことを、あたかも問題の解決に近づく努力であるかのように報道するようになった(拙稿「インターネットを用いたいじめや迫害をめぐる諸問題」加納寛子編著、内藤朝雄・西川純・藤川大祐著『ネットいじめの構造と対処』金子書房)。
・マス・メディアや政府、地方公共団体、学校関係者、教委、教育学者、評論家や芸能人たちがやっているのは、こういうことだ。 マス・メディアの報道は、①世に影響を及ぼすと同時に、②一般大衆の思考や感情の習慣を示す指標になっている。 制作側は、一般大衆の思考や感情の習慣にあわせて番組をつくっていると考えられるからだ。
・メディアの報道内容は、日本の市民社会がどのぐらい教育的な<別の現実>に侵食され、乗っ取られているかを如実に示す。 メディアと大衆のあいだには次のような悪循環が生じる。 メディアが大衆ウケするように企画を立てて、でたらめな教育論を流す→大衆のでたらめな「あたりまえ」が強化される→メディアはその「あたりまえ」にあわせて大衆ウケするように企画を立てて、でたらめな教育論を流す→大衆のでたらめな「あたりまえ」がさらに強固になる。
・そしてメディアは、この悪循環のなかでつくられた企画どおりに発言する識者や芸能人を選択する。企画よりも水準が高い発言をする専門家は使われなくなる。
▽マスコミも加担している
・筆者の経験を一つ紹介しよう。 【NHKの事例】  筆者のもとにNHKから出演依頼がきた。筆者はすぐに了承しますとメール送信し、スケジュールに日程を入れておいた。電子メールで送られてきた企画書には、驚くべきことが書かれていた。  「『いじめられた生徒は、なぜ話を聞いてくれる人がいないと自殺するのか?』と聞きますので、『気持ちを受け止めてもらうことが大切だから』と答えてください」。これに対し筆者は、「話を聞いてもらえれば、いじめ被害者が自殺しなくなるなどということはありません。ひどいいじめをされて、話を聞いてもらって、その後で、相変わらず加害行為が続いて絶望し、自殺するケースはいくらでもあります。重要なことは、いじめ加害者の迫害を止めること。狭いところに閉じこめないことです」と電子メールで返答をした。
・すると、まったく返事が来なくなった。放送日が迫っていたため連絡を入れたところ、「内藤さんの出演はとりやめになりました」とのことだった。 実際に放送された番組を見たところ、筆者の代わりになぜか同姓の元ボクサーが登場し、自分のいじめ体験を語った後、「いじめられている君の気持ちはわかるよ」といった心の話をしていた。
・最近のいじめ報道では、限られた報道枠になにを押し込むかが、教委の言動関連にかたよっている。今回のいじめ自殺事件についての報道も、大半は教委の言動に関するものだ。 教委の背任行為に関しては、少ない報道枠で社会正義の観点から非難し、そのとおりであれば懲戒免職にすべきではないかと報じればよいだけだ。また、背任行為に対し法的な処罰規定をもうけるべしと簡潔に報じればよいだけだ。
・報道枠の大部分は、子どもたちを苦しめているいじめと、それを歯止めなく蔓延させ、エスカレートさせている学校制度の改革に割くべきだ。 メディアは最も重要な①中島菜保子さんに対する集団加害の問題を無視し、②集団加害に教員が関与していたかもしれない問題を無視し、③集団加害が蔓延しやすい有害環境としての学校の問題を無視する。
・そして、教委の言動に大量の報道枠を絞ったうえで、教委(教育、学校)への信頼が危機にあるとのストーリーで報じ、一般大衆がそれを「あたりまえ」に受け止める。問題の中心が正義から信頼にズラされたことに、だれも異をとなえない。気づきもしない。
・一人の女子中学生が学校のグループによっていじめ殺されるという痛ましい事件が起きたのだ。いじめ殺すとは、「さんざん苦しめ悩まして殺す。苦しめ抜いて死なせる」(『日本国語大辞典』)の意である。 社会正義という点からは、菜保子さんをいじめ殺した加害者たちにも厳しく責任をとらせることが要請される。教育でごまかすことができるような問題ではない。
・また、社会正義は、このような事件が起きる有害環境としての学校のしくみを分析し改善することを要請する。 もっとも重要なことは、菜保子さんは、学校で特殊な集団生活さえしなければ、追いつめられて死ぬはずがなかったということである。 また加害者のA子、B子、C子ら(場合によっては教諭も含まれる可能性がある)も、学校で特殊な集団生活さえしなければ、他人を死においつめる怪物になることはなかったということである。
・学校の閉ざされた特殊な集団生活が、あたりまえの市民生活を送っていれば死ぬはずのなかった少女を遺体にし、怪物になるはずのなかった人を怪物にしたのだ。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53330
なお、ここまでで、相当長くなったので、11月3日付け「人格を壊して遊ぶ…日本で「いじめ自殺」がなくならない根深い構造 戦争中の全体主義を超えている…」の紹介は明日にする予定である。

第一の記事で、 『私たちが学校に関して「あたりまえ」と思っていることが、市民社会のあたりまえの良識を破壊してしまう。この学校の「あたりまえ」が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる環境要因となっているのだ』、との指摘のユニークさに驚かされた。  『いじめを蔓延させる要因・・・対策』、も指摘されてみると、確かにその通りだ。 『人間が群れて怪物のように変わる心理-社会的な構造とメカニズムを、探求すべき主題として方向づける概念として「いじめ」を用いている。 それに対して、誰かに責任を問うための概念としては、「いじめ」という概念を使うべきではない。責任を問うために使うものとしては、侮辱、名誉毀損、暴行、強要、恐喝などの概念を使わなければならない』、との定義づけは、大胆だが、説得力がある。横浜市での原発いじめについて、 『公的に責任を問う局面で犯罪認定すべきところを「いじめ」扱いでお茶を濁すこと自体が不適切なのに、さらにそのなけなしの「いじめ」認定すら教育長はしない。その意味でこの教育長は解職すべきであるし、市長が動こうとしなければ次の選挙で落とすべきである』、その後、いじめ認定だけはしたようだが、犯罪認定などする素振りもない。 『全体主義が浸透した学校の罪と罰』、もその通りだ。
第二の記事の  『主題のすりかえが起きている』、 『「信頼」ではなく、チェック機能を』、 『「教育」なら何でも許されるのか』、 『「異常な論理」が「あたりまえ」に』、 『マスコミも加担している』、なども見事な指摘だ。
これらの指摘で、私のいじめ問題に対する見方は根底から覆された。フーム、なるほど・・・。
タグ:対策 全体主義が浸透した学校の罪と罰 現代ビジネス マスコミも加担している 異常な論理」が「あたりまえ」に 社会であたりまえに許されることが、学校ではあたりまえに許されない。 日本の学校、特に中学校の全体主義ぶりは、北朝鮮によく似ている 「体罰」という誤称によって、教員からの暴力被害者は、レイプ被害者のように二重の被害をこうむることになる 日本の学校は、あらゆる生活(人が生きることすべて)を囲いこんで学校のものにしようとする。学校は水も漏らさぬ細かさで集団生活を押しつけて、人間という素材から「生徒らしい生徒」をつくりだそうとする。 これは、常軌を逸したといってもよいほど、しつこい。生徒が「生徒らしく」なければ、「学校らしい」学校がこわれてしまうからだ 学校が人間を群れた怪物にする有害な環境になっているということが、ひどいいじめから見えてくる その意味でこの教育長は解職すべきであるし、市長が動こうとしなければ次の選挙で落とすべきである 公的に責任を問う局面で犯罪認定すべきところを「いじめ」扱いでお茶を濁すこと自体が不適切なのに、さらにそのなけなしの「いじめ」認定すら教育長はしない 認定すべきは、犯罪であり、加害者が触法少年であることであり、学校が犯罪がやり放題になった無法状態と化していたことだ。そして責任の所在を明らかにすることだ 、「先生がここまでやらざるを得なくなるぐらいなのだから、よほど困った生徒なのだろう」と暴力被害者の方に否定的な感情がむけられるようになる 主題のすりかえが起きている 岡田優子教育長が、「金銭授受をいじめと認定できない」と発言 信頼」ではなく、チェック機能を 、①学校独自の反市民的な「学校らしい」秩序を許さず、学校を市民社会のまっとうな秩序で運営させる 逆に社会では名誉毀損、侮辱、暴行、傷害、脅迫、強要、軟禁監禁、軍隊のまねごととされることが、学校ではあたりまえに通用する この「生徒らしさ」「学校らしさ」は、私たちにとって、あまりにもあたりまえのことになっている。だから、人をがらりと変えながら、社会の中に別の残酷な小社会をつくりだす仕組みに、私たちはなかなか気づくことができない 「いじめ自殺を隠蔽するとき、教育者が必ず口にする「異常な論理」 これを変えねば、いじめは消えない」 福島原発事故 教員による暴力犯罪は、「体罰」と呼ばれるので、被害者の方に何らかの「罰」を受けるにふさわしい落ち度があり、それに対して加害者が「教育熱心のあまりの行きすぎた指導」をしてしまったというストーリーで認識されるようになる 『いじめの構造――なぜ人が怪物になるのか』(講談社現代新書) 問題の本質は、学校が迫害的な無法状態になりがちな構造にある 横浜に自主避難していた子どもが、何年にもわたって学校でいじめを受けていた 市民社会のあたりまえを、学校のあたりまえに洗脳された人は思いつきもしない。ここで生じていることは無法状態であり、犯罪がやりたい放題になることである。これは社会正義の問題 ②閉鎖空間に閉じこめて強制的にベタベタさせることをせず、ひとりひとりが対人距離を自由に調節できるようにする 一人一人の人間は重要ではない。人間は日々「生徒らしい」生徒にされることで、「学校らしい」学校を明らかにする素材にすぎない 教育」なら何でも許されるのか 熱心なセンセイたちが、いじめ(センセイが加害者の場合も含む)で生徒が苦しんでいても面倒くさがり、しぶしぶ応対し、ときに見て見ぬふりをする。私たちはそれをよく目にする 学校は「教育」、「学校らしさ」、「生徒らしさ」という膜に包まれた不思議な世界 誰かに責任を問うための概念としては、「いじめ」という概念を使うべきではない。責任を問うために使うものとしては、侮辱、名誉毀損、暴行、強要、恐喝などの概念を使わなければならない 筆者は「いじめ」という概念を、ものごとを教育的に扱う認識枠組として用いていない。人間が群れて怪物のように変わる心理-社会的な構造とメカニズムを、探求すべき主題として方向づける概念として「いじめ」を用いている ②逃げることができず、ちょうどよい具合に対人距離を調整できないようにして、強制的にベタベタさせる生活環境が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる (その5)(いじめ問題研究家 内藤 朝雄氏による2題:日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由、いじめ自殺を隠蔽するとき 教育者が必ず口にする「異常な論理」) いじめ問題 内藤 朝雄 「日本の学校から「いじめ」が絶対なくならないシンプルな理由 だから子どもは「怪物」になる」 いじめを蔓延させる要因 私たちが学校に関して「あたりまえ」と思っていることが、市民社会のあたりまえの良識を破壊してしまう。この学校の「あたりまえ」が、いじめを蔓延させ、エスカレートさせる環境要因となっているのだ 、①市民社会のまっとうな秩序から遮断した閉鎖空間に閉じこめ
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スペイン(カタルーニャ独立問題1)(「企業脱出」続くカタルーニャ独立のジレンマ、カタルーニャの未来はスロベニアとは異なる、カタルーニャの次はどこか 「富める離脱クラブ」の脅威) [世界情勢]

今日は、スペイン(カタルーニャ独立問題1)(「企業脱出」続くカタルーニャ独立のジレンマ、カタルーニャの未来はスロベニアとは異なる、カタルーニャの次はどこか 「富める離脱クラブ」の脅威) を取上げよう。

先ずは、貿易コンサルタントの白石 和幸氏が10月26日付け東洋経済オンラインに寄稿した「「企業脱出」続くカタルーニャ独立のジレンマ スペイン最古の企業もついに去った」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・カタルーニャ自治州の独立問題が複雑化している。10月21日には、スペイン政府が臨時の閣僚会議を開き、憲法155条を適用してカタルーニャ州の自治権停止とプチデモン州首相らの解任を決定。155条はスペインが1978年に民主化の道を歩み始め、民主憲法を発布した際に、ドイツ憲法をまねたもので、国家の統一を乱す自治州に対してその機能を停止する権利がスペイン政府に付与されているという内容である。
・ただし、その適用には上院での承認が必要で、まず24日から上院でその諮問委員会が開かれ、上院での審議を経て27日に採決をするという日程になっている。政府与党は上院で過半数の議席を確保しており、しかも穏健左派の社会労働党と、カタルーニャで誕生した政党シウダダノスも賛成票を投じることになっているので承認には問題はない。このため、28日から155条の発動は可能になる見込みであるとされている。
▽155条発動は「国家によるクーデター」
・だが、事態はそう簡単に進みそうにない。まず、社会労働党は155条の適用を支持しているものの、同党はカタルーニャではカタルーニャ社会党と連携している。そして、このカタルーニャ社会党内部では、155条の適用については意見が分しているのである。それは次のような理由からだ。
・フランコ独裁政治で弾圧されたカタルーニャでは、多くがフランスに亡命し、フランスでカタルーニャ自治議会を創設した。その後、1977年に、この自治議会の最後の首相を務めたジュセップ・タラデーリャス氏がバルセロナに帰還。この時、自治機能回復に彼と共に努力したのが、当時のカタルーニャ社会党のメンバーであった。彼らからしてみれば、155条の適用は、当時の努力を否定されていることにも等しいのである。
・一方、同党内には、現在の州政府は憲法を蹂躙(じゅうりん)して国家の統一を阻害しており、現在の州政府を廃止せねばならないという考えもある。こうした中、カタルーニャ社会党内部では、州政府との対話をもとに問題の解決を図っていくべきだという意見が主流になってきている。
・カタルーニャ州議会も、155条発動は「カタルーニャの尊厳を冒瀆する」と、猛反発。カルメ・フォルカデル議長は、「国家によるクーデターだ。カタルーニャ州議会を無能化させて、マリアーノ・ラホイ首相はそれを自分のものにしようとしている」「投票によって選出されてできた州政府と州議会を打倒しようとしている」と、怒りをあらわにしている。
・また、州政府を構成している主要政党の1つ、カタルーニャ民主集中のジュセップ・ルイス・クレリエス上院代表も同様に、155条の適用を「国家クーデター」と位置づけ、「ラホイ首相がやろうとしていることは正に155条に規定されていない内容だ」「首相の都合に合ったように理解を下したまでだ」と述べている。
・こうした中、スペインのテロ組織「エタ」の撲滅に活躍したバルタサル・ガルソン判事は、155条の適用は正当であるとしながらも、「最初から州政府の機能を停止させるようには規定されていない」と指摘。「少しずつ適用されて行くべきだ」と発言している。
▽強硬手段に出るラホイ首相の言い分
・一部報道によると、スペイン政府と州政府は秘密裏に接触しているもよう。しかし、双方で合意には至っていない。これは、スペイン政府が州政府による独立という姿勢を批判し、これまでの行為を違憲だと認めることを交渉条件に掲げていることが理由とみられている。
・そもそも、現在のカタルーニャ州政府は2党の連立政権に加え、左派過激派が必要時に票を貸して過半数を確保している状態で、この3党の意見が「違憲」という方向にまとまるのはそう簡単なことではない。これが、スペイン政府との交渉にも影響しているとみていいだろう。
・こうした中、スペイン政府は自治州機能停止という強硬手段に出るわけだ。計画では、まずプチデモン州知事とジュンケラス副州知事を解任し、それから閣僚全員を解任する。また州政府に癒着していることが判明している自治警察のトゥラペロ警視総監も解任。さらに、州政府寄りの報道が目立つTV3テレビとラジオにも介入するとしている。州政府の通信および情報テクノロジーセンターも、治安警察管轄下に置かれるという。
・ラホイ首相は、閣僚会議後記者団に対し、155条を発動することについて、カタルーニャ州政府によるスペイン憲法の蹂躙と、州議会の野党の存在を無視した議会制民主主義を正しい状態に戻すことが目的だと説明。スペイン国内での独立支持派と反対派の対立を防ぐと同時に、企業がカタルーニャ州から流出するのを防ぐことで経済を安定化させたいと語った。
・同首相はまた、カタルーニャ州が「安定」した時点で、州議会選挙を早期に実施すると表明。一部メディアでは、スペイン政府が州政府の自治権を停止した後、暫定政府を2カ月ほどおき、その後選挙を開催するとも取りざたされている。
・一方、スペイン上院で155条発動に向けた審議が行われている最中に、カタルーニャ州政府が議会を招集し、独立宣言をする可能性も浮上している。ただ、ジュンケラス副州知事率いる左派共和党が独立宣言を主張しているのに対し、プチデモン州知事のカタルーニャ民主集中の党内には、州議会を解散させて、州議会選挙に踏み切るべきだという意見もあるという。そうすれば、自治機能を停止させられるという屈辱を回避できるからだ。
▽スペインで最も古い企業も去った
・スペイン政府とカタルーニャ州政府の葛藤が続く中で、カタルーニャに本拠を置いていた企業の流出が続いており、10月以降、1200社余りがその手続きをしている。州政府は、独立した暁には、カタルーニャ共和国の2大銀行カイシャバンクとサバデル銀行をメインバンクとする構想を練っていたが、この2行もバレンシア州に本社を移転させている。
・カタルーニャが独立した場合、新国家が欧州連合(EU)に加盟するのは困難を極めるとみられる。となれば、ユーロは使えなくなるし、欧州中央銀行とも取引ができなくなる。こうした国家に本社を構えることは、銀行にとって致命傷になりかねない。このため、2行は本社移転に踏み切ったのである。
・このほかにも、州外に移った有名企業は少なくない。たとえば、スパークリングワイン、カバの老舗メーカーであるCodorniu(コドルニウ)は本社をラ・リオハに移すことを決めた。1551年創業の同社は、スペインで最も古い企業として知られ、カタルーニャのシンボル企業といっても過言ではない。その同社が移転を発表した10月16日には、スペイン中のメディアがこれを報じた。
・また、同じくシンボル的な企業で、セメント大手のセメント・モリンスもマドリードへの本社移転を決定。同社の元社長ホアキン・モリンス氏は議員経験もあり、現在のカタルーニャ州政府を支えている連立政党にも関係してきた。ゆえにカタルーニャ州政府とは関係が深い企業であるが、他社と同様、カタルーニャの先行きに不安を覚え、本社を移転させたようだ。
・もっとも、カタルーニャからの企業流出は今に始まったことではない。同州で独立機運が高まり始めた2008年以降、カタルーニャ州外に本社を移転させた企業は7956社に上る。もちろん、この間カタルーニャに誕生した企業や、移転してきた企業もあるが、それを差し引いた場合、2624社がカタルーニャから姿を消したことになる。 州政府の財務・経済を担当しているジュンケラス副州知事は「企業の移転は心理的なインパクトが現実よりも強いだけである」と述べて、実質経済への波及はわずかだと指摘。カタルーニャの国民総生産(GDP)には影響ないと述べている。
▽州外に雇用の流出懸念も
・しかし、この発言には隠されていることがある。たとえば、企業の法人税は国に納税されているが、そのおよそ1割は自治州の財源に還元される。つまり、本社を置く企業が減ることは、国から回ってくる税収が減ることを意味している。これは、州政府の財源に深刻な影響を与えかねない。
・こうした中、カタルーニャの企業連合の1つ「Foment del Treball」は、州政府が「法にのっとった形」に戻ることを要求。同企業連合は、最悪の事態は数カ月、あるいは数年先に表面化しかねないと指摘している。このほか、カタルーニャへの投資が減ることや、雇用が州外に移ることも懸念事項として挙げている。 企業が利益を優先するのは当然ではあるが、これを理由に住んでいる人々の独立機運を鎮めるのは容易ではないだろう。だからこそ、スペイン政府と州政府は互いに強硬姿勢を貫くことなく、対話の機会を模索し続ける必要があるのではないか。
http://toyokeizai.net/articles/-/194707

次に、第一生命経済研究所 主席エコノミストの田中 理氏が10月31日付け東洋経済オンラインに寄稿した「カタルーニャの未来はスロベニアとは異なる プチデモン州首相はモデルケースとするが」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・10月27日に独立を宣言したカタルーニャ州を待ち構えていたのは、スペイン政府による州首相や閣僚の解任と州議会の解散など自治権の停止だった。カタルーニャがスペインから独立した共和国となる決議案を州議会が可決した瞬間を、歓喜と熱狂で迎えた独立派の住民の願いは今後もかなえられそうにない。
・解任されたカルラス・プチデモン州首相が独立のモデルケースにしたとされるのが、1990年代前半に旧ユーゴスラビア連邦から独立を果たしたスロベニアだ。州首相に担ぎ出される以前にジャーナリストだったプチデモン氏は、現地を訪れ、スロベニアが独立に至った経緯を綿密に取材したとされる。
▽スロベニアも周辺地域より豊かだった
・連邦解体以前のユーゴスラビアは、スロベニア、クロアチア、セルビア、マケドニアなど6つの共和国とコソボなど2つの自治州で構成されていた。その多様性は「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ、1つの国家」と形容された。ユーゴスラビアはソ連型の社会主義体制から距離を置き、冷戦下でも東西両陣営との関係を維持したほか、共和国や少数民族に一定の自治を認めていた。
・オーストリアとイタリアに国境を接するスロベニアは、ユーゴスラビア内で最も工業化が進んだ地域で、その地理的近接性もあり、西欧諸国との経済交流がとりわけ盛んだった。当時のスロベニアは、ユーゴスラビア全体のわずか8%弱の人口で、国内総生産(GDP)の約20%を生み出す先進経済地域だった。1980年代にユーゴスラビアを襲った不況もあり、連邦内で経済的に最も成功していたスロベニアでは、連邦政府への巨額の負担金がコソボやマケドニアといった貧しい地域のために使われていることへの不満がくすぶっていた。
・カリスマ的な指導者であったヨシップ・ブロズ・チトーの死後、抑圧されていたナショナリズムがユーゴスラビア各地で広がっていった。1980年にセルビアでスロボダン・ミロシェビッチ政権が誕生すると、共和国の自治を制限し、ベオグラード(セルビアの首都も兼ねる)の連邦政府に権力を集中しようとした。スロベニアやクロアチアでは、こうしたセルビアによる覇権復活に反発が強まり、連邦からの分離・独立を求める声が高まっていった。
・1989年に入ると、ドイツでベルリンの壁が崩壊し、ルーマニアでもニコラエ・チャウシェスク政権が崩壊するなど、共産主義体制が次々と倒れていった。こうした東欧革命の波はユーゴスラビアにも程なく押し寄せた。
・スロベニアでは1980年代後半に民主化や独立を求める運動が激化した。1989年の憲法改正を経て、1990年4月に第2次世界大戦後で初の普通選挙が行われ、民主化や自由化を進め、ユーゴスラビアからの独立を志向する政権が誕生した。緩やかな連邦制への移行提案などが頓挫した後、同年12月にユーゴスラビアからの独立の是非を問う住民投票が行われ、有権者の93.5%が投票し、有効票の実に95.7%(有権者の88.5%)が独立に賛成票を投じた。
・投票から6カ月後の1991年6月にスロベニアは隣国クロアチアとともにユーゴスラビアからの独立宣言に踏み切った。独立に反対するユーゴスラビアは連邦軍をスロベニアに派兵。スロベニア防衛軍との間で散発的な戦闘が行われ、75人の犠牲者を出した。これは十日間戦争と呼ばれ、その後のユーゴスラビア紛争の幕開けとなった。
・ユーゴスラビア連邦軍は10日で撤退し、スロベニアも独立に向けた動きを3カ月凍結することで同意した。その後、スロベニアは独自通貨の発行を開始し、同年12月には新たな憲法を制定し、独立に向けた動きを着々と進めた。1992年1月にはドイツや欧州経済共同体(EEC)もスロベニアを国家承認した。国際社会の後押しもあり、1992年5月にスロベニアは国連加盟を果たした。
▽カタルーニャの民族主義に火がついたきっかけ
・このようにスロベニアがユーゴスラビアから独立を果たした経緯は、カタルーニャのスペインからの独立に向けた動きと酷似する。かつて地中海の覇者として君臨したカタルーニャ・アラゴン連合王国があった土地では、今もカスティーリャ王国のそれとは異なる独自の文化や言語が息づいている。ただ、カタルーニャで自治拡大や独立を求める声がこれほど活発化したのは比較的最近のことで、2010年ころが転機になったといわれている。
・独自の文化を持つカタルーニャ州はその歴史的な経緯もあり、広範な自治が認められている。自治の具体的な内容は各州とスペイン政府が結ぶ自治憲章で定められており、カタルーニャでは2006年に1979年の民政移管後で初めての改正が実現した。だが、スペインの現与党で、自治拡大に批判的な国民党の訴えに基づき、憲法裁判所は2010年に、この2006年のカタルーニャ自治憲章が違憲であるとの判決を下した。これをきっかけにカタルーニャの民族主義に火がついた。
・違憲判決の直後に行われたカタルーニャ州議会選挙で独立派の政権が誕生し、翌年のスペイン下院選挙で国民党が社会労働党から政権を奪ったことも、スペイン政府とカタルーニャ州政府との対立を深める一因となった。
・不動産バブル崩壊と欧州債務危機の激震はカタルーニャにも影を落とし、裕福なはずのカタルーニャの州財政は破綻すれすれの状況にある。スペインでは州間の格差是正を目的に財政資金の再配分が行われている。スロベニア同様に、カタルーニャ州民の間では巨額の財政資金を他州に吸い上げられているとの不満が根強い。
▽国際社会は否定的、州民の総意でもない
・スロベニアが独立を果たすうえで重要な役割を演じたのが、国際社会の後押しだった。今回のカタルーニャの独立問題をめぐっては、欧州連合(EU)やその加盟国はそろって、内政問題との立場を崩しておらず、スペイン政府を支持している。州政府からの仲裁の呼びかけに応じる国は現れていない。スロベニアの場合、非民主的な体制からの独立であったことやユーゴスラビア政府が軍隊を派兵したことで、国際社会の協力を得られやすかった。カタルーニャの場合、民主的な法治国家であるスペインからの独立を目指しており、州政府側が憲法裁判所の違憲判決を無視して住民投票を強行するなど分が悪い。
・スロベニアとのもう一つの違いは、スロベニアの住民投票が90%以上の投票率の下で独立賛成票が圧倒的な割合を占めたのに対し、カタルーニャでは今回の住民投票も2012年の住民投票も独立賛成票の割合こそ多かったが、投票率が50%にも満たなかった。また、州議会が27日に可決した独立決議も、残留支持派の議員が抗議して議場を退出した後に採決が行われた。最近の世論調査でも独立賛成派は過半数に満たない。スペインからの独立がカタルーニャ州民の総意と言うのは難しい。
http://toyokeizai.net/articles/-/195267

第三に、John Lloyd氏が11月12日付けロイターに寄稿した「コラム:カタルーニャの次はどこか、「富める離脱クラブ」の脅威」を紹介しよう。
・スペイン北東部カタルーニャ自治州の独立を巡る騒動は、欧州連合(EU)が現在持つ強みと将来的な弱みを象徴している。また、敵対する勢力を率いる2人の指導者、つまりスペインのラホイ首相とカタルーニャ州のプッチダモン前首相の、現在と先行きの弱点も明らかになった。
・先月カタルーニャ自治州議会が行った独立宣言はスペイン憲法に違反している。独立賛成派による大規模集会のせいで霞んでしまっているが、この夏の世論調査では、スペイン離脱に反対が49.4%、賛成が41.1%だった。  独立反対派も独自に大規模な集会を行っており、エル・ムンド紙による新たな世論調査では、カタルーニャ州における12月選挙に向けて、微差ではあるが独立反対派の政党が優位に立っている。
・カタルーニャ州議会が独立を決議した直後、スペインのラホイ首相は同州議会の解散とプッチダモン州首相の解任を命じた。プッチダモン氏はブリュッセルへと逃亡。カタルーニャ州政府閣僚のうち9人が、反逆、扇動、公金流用の容疑で2日、スペイン高等裁判所に提訴された。プッチダモン氏は帰国の意志を示しているが、公正な裁判の保証が得られることが条件であるとしている。
・同国の他地域ではカタルーニャ独立に対する中央政府の強硬姿勢が強く支持されているせいで、ラホイ首相とスペイン国家が抱えている、もっと長期的な課題が見えにくくなっている。ラホイ政権は安定的な連立相手を見つけられず、少数与党の状態にある。
・つまり、これは脆弱な基盤を持つ全国レベルの指導者ラホイ首相が、こちらも国外逃亡によって支持基盤が弱まっている地域レベルの指導者プッチダモン州首相と向かい合っている構図だ。 プッチダモン氏はカタルーニャを独立へと導くことはできないかもしれないし、今のところ、独立の実現性は低い。だが、独立志向はカタルーニャ州政治において今後も強い潮流になるだろうし、EUにとっては、少なくとも英国のEU離脱(ブレグジット)と同じ程度に統合を脅かす、より広範囲の問題を示唆している。
・欧州では次々と中央から離脱していくトレンドが続いており、今なおその動きが高まっている。米ワシントン・ポスト紙のイシャーン・サローア氏が指摘するように、大半のナショナリズムを主導するのは、なにも取り残されることに辟易した労働者階級や低中所得層の有権者を動員する攻撃的な右翼指導者や政党とは限らない。
・「もう1つ注目すべきトレンドは、国家による後ろ向きの政策に苛立つ、欧州内でも都市化が進んだ地域に見受けられる性急な地域主義だ」と同氏は説く。 こうした「豊かな離反者」の先頭に立つのが、スペインで最も生産力の高い地域であり、最も力強い独立運動が行われているカタルーニャ自治州だ。カタルーニャの分離主義者たちは、スペイン政府に納める税金が少なくなれば、同州経済には恩恵がもたらされると主張する。
・だが今や他の地域においても、こうした富裕層の「離脱クラブ」に加わる意欲を見せるか、少なくとも参加条件に注目している。最も驚くべきは、ドイツ南部のバイエルン州だ。人気タブロイド紙ビルトの7月世論調査では、3人に1人が独立を支持していることが分かった。
・先月、イタリア20州のなかでも最も裕福な北部ロンバルディアとベネトの2州では、自治権拡大を問う住民投票で賛成が圧倒的多数となった。両州を合わせるとイタリアの国民総生産(GDP)の約3割を占める。  この地域で強い勢力を持つ北部同盟は、イタリアからの独立を政策として掲げている。現在ではその主張は抑制されているが、この地域の税金が、はるかに貧しく生産性も低い南部に注ぎ込まれていることへの不満は高まっている。こうした分断は、要するに経済の二極化であり、北部の分離主義に勢いを与えている。
・EU行政の中枢ベルギーでさえ緊張が高まりつつある。ブリュッセルではプッチダモン氏に対する賛否が分かれており、ベルギー国家における政治の混乱が垣間見られる。ベルギー中央政府は、完全な分断を回避しようとして、2つの主要地域に権限の多くを譲渡。2019年の国政選挙後には、富めるフランドル地方から、さらに権限委譲を進めるよう圧力がかかり、中央政府が消滅する状況に至るだろう。
・一方、英国から権限を委譲されているスコットランド議会では、スコットランド民族主義者が優位に立っているが、独立への熱意は沈静化しつつある。スコットランドの経済委員会自身が認めているように、北海油田の埋蔵量とそれによる石油収入という点で、豊かな将来が確実とは言えなくなってきたからだ。 だがブレグジットが難航すれば、圧倒的にEU残留を支持した住民のあいだで英国からの独立運動が再燃する可能性はある。
・景気が回復しつつあるフランスでも、コルシカ島(地方議会はコルシカ民族主義者が支配している)や西部のブルターニュ地方には独立機運が残っている。依然として独立支持は少数ではあるが、その勢いは増大しつつある。ちなみに、ブルターニュ地方やコルシカ島の経済水準は、フランスの平均的1人当たりGDPとほぼ同じであり、独立運動は経済的理由よりも文化的背景に基づく。もっとも、ナショナリズム運動はすべて、時に何世紀も前に遡る文化的な差異に訴えかけるものだ。
・EUとしては、こうした動きに対し不快感と警戒心を抱きつつ注視せざるを得ない。カタルーニャの例に見られるように裕福な分離主義運動はEU残留を希望するが、大規模な分離独立が一般化すれば、EUにとって過去最大の危機をもたらすことになる。
・ある地域が存続可能な独立国の形成に成功すれば、EU加盟申請が必要になる。だが、それまで所属していた国とのあいだの法的、領土的な問題がすべて決着してからでなければ、その申請は考慮されないだろう。加盟の実現までに10年かかっても不思議のないプロセスなのだ。
・政治の主流派や中央政府に対する幅広い不信感、地元のポピュリスト政治家の方がうまくやれるという信念が、いまやはっきりした、警戒すべき形を取りつつある。EUはナショナリズムの衰退、いや消滅さえ願っていたのに、むしろ逆に、中欧に見られるように、ときには反自由主義的、独裁主義的な形さえ取りながら復活している。
・EUが、国境を廃した、進化する「理想的な連邦」として見られることはますます少なくなっている。独自の歴史と文化に立脚し、歓迎されざる移民を排除し、誇りと信頼を回復する、懐かしくも新しい国家がもたらす暖かさや親密さと比較すれば、疎遠で複雑な、ほとんど理解されていないEU統合というプロセスは敗れ去ってしまう。
・まさにそれが、新興のナショナリズムが掲げる約束なのだ。 EUが異議を唱えることはできる。しかし、依然として脆弱な状態にあるEUにとって、ナショナリズムの退潮を願う以外に、ほとんどなす術がない。そして今のところ、まだその台頭は続いているのだ。
http://jp.reuters.com/article/lloyd-catalonia-idJPKBN1D71CE

第一の記事で、 『カタルーニャに本拠を置いていた企業の流出が続いており、10月以降、1200社余りがその手続きをしている』、 『州外に雇用の流出懸念も』、などからすれば、独立支持派も次第に冷静さを取り戻す可能性もあるのではなかろうか。
第二の記事で、 『カタルーニャでは今回の住民投票も2012年の住民投票も独立賛成票の割合こそ多かったが、投票率が50%にも満たなかった。また、州議会が27日に可決した独立決議も、残留支持派の議員が抗議して議場を退出した後に採決が行われた。最近の世論調査でも独立賛成派は過半数に満たない。スペインからの独立がカタルーニャ州民の総意と言うのは難しい』、というのでは、独立運動も尻すぼみになりそうだ。
第三の記事で、 『今や他の地域においても、こうした富裕層の「離脱クラブ」に加わる意欲を見せるか、少なくとも参加条件に注目している。最も驚くべきは、ドイツ南部のバイエルン州だ。人気タブロイド紙ビルトの7月世論調査では、3人に1人が独立を支持していることが分かった。 先月、イタリア20州のなかでも最も裕福な北部ロンバルディアとベネトの2州では、自治権拡大を問う住民投票で賛成が圧倒的多数となった・・・EU行政の中枢ベルギーでさえ緊張が高まりつつある。ブリュッセルではプッチダモン氏に対する賛否が分かれており、ベルギー国家における政治の混乱が垣間見られる。ベルギー中央政府は、完全な分断を回避しようとして、2つの主要地域に権限の多くを譲渡。2019年の国政選挙後には、富めるフランドル地方から、さらに権限委譲を進めるよう圧力がかかり、中央政府が消滅する状況に至るだろう』、とカタルーニャ問題が他のEU諸国にも広がりつつあるのは、気になる現象だ。豊かな地域が、貧しい地域への財政移転を拒んで、独立を目指すというのは、自分たちだけが良ければいいという「XXファースト」の発想で、どうもトランプだけの専売特許ではなく、思いのほか広がりを持っているようだ。
タグ:独立問題が複雑化 独立のモデルケース 新国家が欧州連合(EU)に加盟するのは困難を極めるとみられる 富裕層の「離脱クラブ」に加わる意欲を見せるか、少なくとも参加条件に注目している 州外に雇用の流出懸念も 欧州では次々と中央から離脱していくトレンドが続いており、今なおその動きが高まっている プチデモン州首相らの解任を決定 2大銀行カイシャバンクとサバデル銀行 田中 理 「カタルーニャの未来はスロベニアとは異なる プチデモン州首相はモデルケースとするが」 (「企業脱出」続くカタルーニャ独立のジレンマ、カタルーニャの未来はスロベニアとは異なる、カタルーニャの次はどこか 「富める離脱クラブ」の脅威) (カタルーニャ独立問題1) カタルーニャに本拠を置いていた企業の流出が続いており、10月以降、1200社余りがその手続きをしている スペイン スコットランド ブレグジットが難航すれば、圧倒的にEU残留を支持した住民のあいだで英国からの独立運動が再燃する可能性はある ・フランコ独裁政治で弾圧されたカタルーニャ ベルギーでさえ緊張が高まりつつある。ブリュッセルではプッチダモン氏に対する賛否が分かれており、ベルギー国家における政治の混乱が垣間見られる。ベルギー中央政府は、完全な分断を回避しようとして、2つの主要地域に権限の多くを譲渡。2019年の国政選挙後には、富めるフランドル地方から、さらに権限委譲を進めるよう圧力がかかり、中央政府が消滅する状況に至るだろう もう1つ注目すべきトレンドは、国家による後ろ向きの政策に苛立つ、欧州内でも都市化が進んだ地域に見受けられる性急な地域主義だ 「豊かな離反者」 白石 和幸 東洋経済オンライン 「「企業脱出」続くカタルーニャ独立のジレンマ スペイン最古の企業もついに去った」 コラム:カタルーニャの次はどこか、「富める離脱クラブ」の脅威」 ・カタルーニャ自治州 った独立宣言はスペイン憲法に違反している。独立賛成派による大規模集会のせいで霞んでしまっているが、この夏の世論調査では、スペイン離脱に反対が49.4%、賛成が41.1%だった 2010年ころが転機 新たな世論調査では、カタルーニャ州における12月選挙に向けて、微差ではあるが独立反対派の政党が優位に立っている 憲法155条を適用してカタルーニャ州の自治権停止 カタルーニャでは今回の住民投票も2012年の住民投票も独立賛成票の割合こそ多かったが、投票率が50%にも満たなかった。また、州議会が27日に可決した独立決議も、残留支持派の議員が抗議して議場を退出した後に採決が行われた。最近の世論調査でも独立賛成派は過半数に満たない。スペインからの独立がカタルーニャ州民の総意と言うのは難しい John Lloyd ロイター 憲法裁判所は2010年に、この2006年のカタルーニャ自治憲章が違憲であるとの判決 バイエルン州 ユーゴスラビア連邦から独立を果たしたスロベニア 人に1人が独立を支持 イタリア20州のなかでも最も裕福な北部ロンバルディアとベネトの2州では、自治権拡大を問う住民投票で賛成が圧倒的多数となった これをきっかけにカタルーニャの民族主義に火がついた スロベニアも周辺地域より豊かだった ドイツや欧州経済共同体(EEC)もスロベニアを国家承認した。国際社会の後押しもあり、1992年5月にスロベニアは国連加盟を果たした カタルーニャの民族主義に火がついたきっかけ 不動産バブル崩壊と欧州債務危機の激震はカタルーニャにも影を落とし 裕福なはずのカタルーニャの州財政は破綻すれすれの状況にある 国際社会は否定的、州民の総意でもない この2行もバレンシア州に本社を移転させている EUとしては、こうした動きに対し不快感と警戒心を抱きつつ注視せざるを得ない 独自の歴史と文化に立脚し、歓迎されざる移民を排除し、誇りと信頼を回復する、懐かしくも新しい国家がもたらす暖かさや親密さと比較すれば、疎遠で複雑な、ほとんど理解されていないEU統合というプロセスは敗れ去ってしまう フランスでも、コルシカ島(地方議会はコルシカ民族主義者が支配している)や西部のブルターニュ地方には独立機運が残っている 155条発動は「国家によるクーデター」 多くがフランスに亡命し、フランスでカタルーニャ自治議会を創設 現在のカタルーニャ州政府は2党の連立政権に加え、左派過激派が必要時に票を貸して過半数を確保している状態で、この3党の意見が「違憲」という方向にまとまるのはそう簡単なことではない 彼らからしてみれば、155条の適用は、当時の努力を否定されていることにも等しいのである
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自衛隊が抱える問題(防衛問題)(その6)(「新品」を欲しがる自衛隊的発想 米陸軍少将が批判、防衛装備品“爆買い”の愚 元米軍人「ミサイル迎撃は困難」、「ポンコツ戦闘機」F35 こんなに買っちゃって本当に大丈夫?、航空自衛隊が「もう限界」事故続発) [国内政治]

自衛隊が抱える問題(防衛問題)については、8月28日に取上げたが、今日は、(その6)(「新品」を欲しがる自衛隊的発想 米陸軍少将が批判、防衛装備品“爆買い”の愚 元米軍人「ミサイル迎撃は困難」、「ポンコツ戦闘機」F35 こんなに買っちゃって本当に大丈夫?、航空自衛隊が「もう限界」事故続発) である。

先ずは、ガバナンスアーキテクト機構研究員の部谷 直亮氏が10月20日付けJBPressに寄稿した「「新品」を欲しがる自衛隊的発想、米陸軍少将が批判 「新装備を買う前に、もっと維持整備を考えよ!」」を紹介しよう(▽は小見出し、+は段落)。
・近年、自衛隊の装備調達が「維持費」を無視しているとして批判を受けている。実際に、それは自衛隊の装備品の稼働率を低下させ、また現場を苦労させることにもつながっている。
・こうした中、米陸軍安全保障援助コマンドの司令官がそうした発想を批判するインタビューが公表された。同司令官は、153カ国に対する1720億ドル(約19.4兆円)・5300件以上の米陸軍系装備品の提供と維持整備指導を担当している。 今回はその批判の概要を紹介し、我が国にとってどれほど重要な意味をもっているのかを論じたい。
▽その装備は本当にその国に必要なのか?
・米陸軍安全保障援助コマンド司令官、ステファン・ファーメン少将は、軍事情報サイト「ディフェンスニュース」(10月11日付)の中で、同盟国が予算の使い方を変えてもっと防衛装備品の維持を重視するよう早急に議論を始めるべきだとの考えを明らかにした。
・ファーメン少将は次のように述べる。 「(私の職務は相手国の陸軍に対して援助をすることだが)、世界各国の同盟国やパートナー国を訪ねていていつも思うのは、彼らはピカピカの装備ばかりを追いかけて、維持整備への投資が不足しがちだということだ。それは、多数の問題を生じさせる。
・我々は、同盟国のアパッチ戦闘ヘリやブラックホーク輸送ヘリが調達までに5年もかかったり、維持整備の失敗により、稼働できずに置物状態になることを望んでいない。仮にその国で20機のブラックホーク輸送ヘリが必要だとしても、これを18機にすれば、次の10~15年間、十分に維持整備をしてすべて稼働させられるだろう。 だからこそ、我々はこうした意味のある議論を早急に開始しようとしているのだ」
・またファーメン少将は、自分たちの任務は、その装備が本当にその国に必要なのか、どのように維持整備していくか、をアドバイスするのみならず、既存の装備の可能性を広げてあげることでもあると述べている。  これは、マティス国防長官が述べたように、民生品のIoT化と同じく、古いプラットフォーム(車両・航空機・艦船等)であってもちゃんと維持整備しておけば、新しいIT技術を取り入れることで強力な装備品にできるということである。
▽自衛隊にとっては耳が痛い指摘
・ファーメン少将の見解は、同盟国やパートナー国が、安易な「新品」志向によって防衛装備品を維持できなくなっている状況を指摘したものである。この指摘は非常に重い意味を持つと言えよう。
・以下では、ファーメン少将の指摘から読み取るべき3つのポイントを挙げてみたい。
(1)「維持整備」も製品である
+発展途上国や新興国を中心に、米国の装備品を買い込んだものの使えなくなっている事例が多発している。特にイラクやアフガンでは、米軍が撤退した駐屯地を装備事引き継いだがすぐに使えなくなってしまった事例が過去に相次いだ。そこで、武器輸出を目指す我が国も、維持整備も含めて売り込む必要があることを肝に銘じなければならない。そして、それは自衛隊と同じ装備を、自衛隊のシステムで何十年も稼働し、維持整備を通じて、当該国との何十年にもわたる「強固な絆」ができることをも意味している。
(2)自衛隊の維持整備軽視も改めるべき
+ファーメン氏の指摘は、まさしく自衛隊的発想を批判したものだと言うことができる。 例えばグローバルホークを調達したものの、その維持費は当初の想定を上回っている。また、V-22オスプレイやAAV7などの新規調達が防衛装備品の維持費を圧迫している。同時に、部品枯渇の問題は3自衛隊に共通しており、稼働できなくなる自衛隊の装備が増えてきている。
+元航空自衛隊空将であり、空自補給本部長を務めた吉岡秀之氏も「軍事研究」2016年10月号で、空自では予算における優先順位の低さや契約およびマネジメントの問題から、部品の在庫不足が発生しており、その結果、別の機体から部品を取り外して流用する「共喰い整備」を行い、空自装備の稼働率が低下していると指摘している。
+また、朝日新聞(2017年4月13日付)は、F-35戦闘機、V-22オスプレイ、E2D早期警戒機の4機種の維持費だけで年間800億円が消えるとしている。これに今後、誰も膨大な維持費を指摘せずに無責任に持ち上げている「イージスアショア」等が続けば、どれだけの維持費(特にイージスアショアは警備費や人事配置なども含めて膨れ上がる)がかかり、そして、どれだけその他の防衛装備品や「人員」の維持費を圧迫することになるか目に見えている。
+ファーメン少将の指摘はこうした自衛隊の現状を図らずも批判したものであり、重く受け止めるべきである。少なくとも、正面装備の調達数を削減し、それを3Dプリンタの現場での運用および研究、もしくは部品の在庫なりに振り向ける努力が必要だろう(自衛隊の3Dプリンタ活用への取り組みは、世界の中で大きく後れをとっている)。
(3)プラットフォームが新品である必要はない
+古いプラットフォームであっても、きちんと維持し、新しい技術に基づいた改良をするなり装備を載せれば強靭化できるという発想が重要である。実は、こうしたファーメン少将の発想は最近の流れでもある。もはやプラットフォームが新品である必要はなく、その上のソフトウエアや武装が最新鋭であることが重要なのだ。
+実際、米軍はB-52やC-17、台湾軍は潜水艦やミサイル、オランダ海軍は旧式艦艇、韓国やポーランドは旧式戦闘機などの部品を3Dプリンタで製造し、しかも能力向上と低コスト化に成功している(一体成型で作成できるため、強度を増加しつつ軽量化を実現できる)。古いプラットフォームの大きな可能性に、防衛省自衛隊はもっと注目すべきであろう。
・いずれにせよ、ファーメン少将の指摘は今後の防衛装備調達でより意識されてしかるべきである。我が国としても重く受け止めるべき大事な視点と言えるだろう。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/51388

次に、11月10日付け日刊ゲンダイ「防衛装備品“爆買い”の愚 元米軍人「ミサイル迎撃は困難」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・9日、外国特派員協会で、宇宙関連事業のコンサルティング会社社長のランス・ガトリング氏が「北朝鮮のミサイルと核」をテーマに講演した。ガトリング氏は、米陸軍で北東アジア地域の軍事問題について米国と日本の連絡担当を務めた軍事専門家でもある。
・トランプ米大統領は、6日の日米首脳共同記者会見で「(米国からの)軍事兵器購入が完了すれば、安倍首相は北朝鮮のミサイルを撃ち落とせる」と胸を張っていたが、ガトリング氏は講演でこう語った。 「北朝鮮の大陸間弾道ミサイルを日本は迎撃できるのかと問われたら、答えは“ノー”です。(迎撃するには)どこからどこへ発射されるのか『正確』に捕捉しなければなりませんからね。加えて、北朝鮮が日本の上空に向けてミサイルを飛ばすときは、ほぼ真上に発射するロフテッド軌道になります。高高度を飛翔し落下スピードが速いため、通常軌道よりも迎撃が難しい。迎撃にセカンドチャンスはありません。当然ながら、推測ではどうにもできないのです」
・北朝鮮のミサイル技術については、こんな見方を披露した。 「北朝鮮のミサイルは短・中・長距離どれをとってもソ連やウクライナ、エジプトなどの技術や部品が組み合わされています。アメリカやイギリス、日本の精密部品も使われています」(ガトリング氏)
・元米陸軍人が「迎撃は難しい」と断言する一方で、安倍政権はすでに1基800億円の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入を決めている。またカモられるだけか……。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/217373/1

第三に、東京新聞論説兼編集委員で防衛庁担当の半田 滋氏が11月11日付け現代ビジネスに寄稿した「「ポンコツ戦闘機」F35、こんなに買っちゃって本当に大丈夫? やっぱり日本はアメリカの金ヅルか」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽本国アメリカでも問題が続々発覚
・トランプ米大統領の就任後、初めてとなるアジア歴訪の旅は「親愛なるシンゾウ」が一強体制を誇る日本から始まった。安倍晋三首相が先に来日した娘のイバンカ大統領補佐官をもてなし、57億円のカネを寄付することでトランプ一家を懐柔して用意万端。 来日したトランプ大統領は「日本の玄関口」である羽田空港ではなく、「日本占領のシンボル」ともいわれる首都・東京に置かれた横田基地に大統領専用機で降り立った。安倍首相とともにご機嫌にゴルフをし、翌日には日米首脳会談に臨んだ。
・会談後の共同記者会見で、トランプ氏が力を込めたのは、日本に武器購入を迫った場面。「非常に重要なのは、日本が膨大な武器を追加で買うことだ。我々は世界最強の武器をつくっている」とのセールス・トークから切り出し、「完全なステルス機能を持つF35戦闘機も、多様なミサイルもある」と具体的品目の購入を迫った。
・一方の安倍首相は「日本は防衛力を質的に、量的に拡充しなければならない。米国からさらに購入していくことになる」とあうんの呼吸で応じ、トランプ氏が列挙したF35や新型迎撃ミサイルのSM3ブロック2Aなどを購入することを挙げた。 はい、出ましたF35。 F35は、来年3月には青森県の航空自衛隊三沢基地に配備されることが決まっているものの、米国で自衛隊に渡された機体はソフトウェアが未完成なため、機関砲も赤外線ミサイルも撃てず、領空侵犯に対処する緊急発進待機の任務につけないことが判明している(参照:現代ビジネス2017年10月5日寄稿「自衛隊の次期戦闘機・F35、実は『重要ソフト』が未完成だった」)。
・今のところ、戦闘機というより「ただの飛行機」に近いF35をもっともっと買えというのだ。F35は来年度防衛費の概算要求では1機あたり147億円もする。すでに42機を米国から買うことになっているのだが…。 実はF35をめぐっては、トランプ大統領の訪日直前にも、米国内で深刻な問題が浮上していた。訓練ができないほどの深刻な部品不足と、整備体制の遅延である。
・米国会計検査院(GAO)は10月26日、部品不足により、機体の整備や修理に当初目標の約2倍に当たる約172日を要しているとの事実を指摘。この結果、今年1月から8月7日までの時点で、予定していた飛行訓練は計画の約22%が実行できなかったと影響の大きさを指摘した。 また、昨年のうちに完成予定となっていた関連部品の整備修理施設の建設は大幅に遅れ、完成は2022年までずれ込むとした。その結果、18年からの6年間で維持費が約15億㌦(約1700億円)不足する見込みとなり、整備体制はさらに悪化するとの悲観的な見通しを示している。
・このように、開発を進めた本家の米国でも問題が噴出しているのである。 そもそもF35は空軍、海軍、海兵隊と三者の異なる要求を基本設計に取り入れた結果、機体構造が複雑になり、重量増という戦闘機としての致命傷を負った。燃料を満載すると、エンジンが1個の単発にもかかわらず機体重量は35㌧にもなり、エンジン2個のF15戦闘機の40㌧に迫る。
・その鈍重ぶりは「曲がれず、上昇できず、動けない」と酷評され、2015年には40年も前に開発されたF16戦闘機との模擬空中戦で負けるという失態を演じている。 つまり、F35は「最先端」とは言っても、衛星や他の航空機が集めた情報を統合する攻撃システムの「先端」でしかなく、団体戦なら能力を発揮するものの、個人戦では驚くほど弱いことが証明されているのだ。
・こんな戦闘機に日本の防空を担わせようという航空自衛隊もどうかしているが、「もっと買え」というトランプ氏も相当に面の皮が厚いといわなければならない。
▽「日本製」なのにアメリカから買う?
・トランプ氏がF35にこだわるのは成功体験があるからだろう。 大統領に当選した後の昨年12月、トランプ氏は自らのツイッターで「F35は高すぎる」とつぶやいた。 すると製造元のロッキード・マーティン社の株価が急落。今年1月、同社のマリリン・ヒューソン最高経営責任者(CEO)はトランプ氏と会談し、F35を大幅に値下げすることを約束した。最終的に90機分の調達費を 7億2800万㌦(約820億円)も値下げしたのである。
・大統領に就任してから約10カ月、上下両院とも与党の共和党が多数を占めるにもかかわらず、重要法案は何一つ成立していない。大統領選で廃止を約束したオバマ・ケア(医療保険制度改革)は残り、税制の見直しもインフラ整備関連法も実現していない。 数少ない成功体験であるF35にすがりたいトランプ氏に対し、贋物をほめる骨董屋の主人よろしく、安倍首相が共感してみせたのが共同記者会見の「武器トーク」だったのではないだろうか。
・「武器トーク」に出てきた、弾道ミサイルを迎撃するSM3ブロック2Aの購入表明も素直には受けとめられない。 イージス艦から発射するSM3ブロック1は米国製だが、改良版にあたるSM3ブロック2Aは日米で共同開発し、日米で部品を生産する日米合作のミサイルである。 弾頭部を熱から守るノーズコーン、第2弾・第3弾ロケットモーター、上段分離部、第2弾操舵部といった精密技術が必要なパーツの開発を日本政府に依頼してきたのは米政府である。とくに宇宙空間に飛び出した後、自然な形で割れるノーズコーンは、下町工場の加工技術がなければつくれない現代の工芸品といえる。
・ところが、このSM3ブロック2Aも米国から購入するのだ。なぜ国内の防衛産業で製造しないのか。 防衛装備庁の堀江和宏統合装備計画官は「国内産業が組み立て施設を持っていないからです。国内で部品を製造して輸出し、米国のレイセオン社で組み立て、完成したミサイルを輸入するほかない」という。
▽返品はできません
・しかも調達方法は、「現代ビジネス」で何度も指摘している通り、悪名高い有償対外軍事援助(FMS)方式である。 FMSとは、米国の武器輸出管理法に基づき、(1)契約価格、納期は見積もりであり、米政府はこれらに拘束されない、(2)代金は前払い、(3)米政府は自国の国益により一方的に契約解除できる、という不公平な条件を提示し、受け入れる国にのみ武器を提供するというものだ。
・買い手に不利な一方的な商売だが、米国製の武器が欲しい防衛省はFMS方式による導入を甘んじて受け入れる。ただでさえ、防衛省のFMSによる調達額は近年極端に増えており、2016年度の米政府への支払い額は過去最高の4881億円に達した。
・当然ながら、問題も噴出している。日本の会計検査院は10月26日、防衛省がFMS取り引きを精査できず、米国の言いなりになってカネを支払っているのではないかと指摘した。 防衛省が2012年度から16年度までにFMSで購入した武器類の不具合は734件(91億9118万余円)ある。このうち12件(3194万円)は、防衛省の担当者と武器を受け取った部隊との間の確認作業などに時間がかかり、米政府が期限とした1年以内を越えて是正要求したところ、米政府から門前払いされた。日本側の大損である。
・例えば、海上自衛隊の要求にもとづき、防衛省がFMSで購入した151億3000万円にのぼるC130R輸送機(6機)と整備器材一式は、最初から整備器材が損傷していた。米政府に問い合わせている間に時間が経過し、修理を求めたにもかかわらず、米政府から「1年が経過している」として却下された。
・防衛装備庁によると、米側に問い合わせても回答すらない場合があり、何度もやり取りするのに時間がかかるという。最初から契約通りの武器類が米政府から送付されていれば、起こり得ない問題ではないだろうか。
・どれほど米政府の理不尽ぶりに腹が立とうとも、国内の防衛産業で同種の武器を製造すれば、開発、生産に膨大な時間とコストがかかる。限られた防衛費をやり繰りする防衛省としては唯々諾々として米政府に従うほかない。とはいえ、必要以上に米国から武器を買う必要がないことは言うまでもない。
・ところが、安倍首相は共同会見の「武器トーク」の中で「米国からさらに購入していくことになる」と述べた。これが事実上の対米公約となり、米政府からの売り込みが加速するおそれがある。 すでに防衛省はFMSで購入したイージス・システムを組み込んだイージス艦2隻を追加建造しているほか、12月には同システムを地上に置いた「イージス・アショア」もFMSでの購入を決める。米国にとって日本は「カネの成る木」に見えているに違いない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53473

第四に、報道ジャーナリストの伊藤 明弘氏が10月21日付け現代ビジネスに寄稿した「航空自衛隊が「もう限界」事故続発、観閲式もぶっつけ本番で!? 人も装備も疲弊しきって…」を紹介しよう(▽は小見出し)。
▽「完全なオーバーワークだ」
・航空自衛隊に、何が起きているのか。10月17日夜には、静岡県の浜松基地所属の救難ヘリが海上に墜落。翌18日には、茨城県の百里基地でF4戦闘機の主脚が折れて炎上した。 こうした状況下で、本稿執筆中の10月20日午後、22日の日曜日に予定されていた、航空観閲式の予行演習が中止されるという情報が筆者の耳に飛び込んできた(その後、HPでも発表。
http://www.mod.go.jp/asdf/pr_report/airreview2017/)。
・予行演習とはいえ、「観閲式事前公開」といって、メディア関係者など1万人近くを招待しての大イベントだっただけに、一人一人に電話連絡をして中止を伝えた航空自衛隊の苦労は並大抵のものではなかっただろう。 中止の第一の理由は、折あしく接近してくる台風21号による「荒天のため」とされている。だが、浜松沖で行方不明になっている隊員もいる中では、天候がよかったとしても同様の判断が下されたかもしれない。
 各パートごとの予行はそれぞれ行われており、29日の本番も予定通り開かれるというが、全体を通しての予行はない。不測の事態に備えるのが自衛隊とはいえ、「ぶっつけ本番」は正常なこととは言えないだろう。
・連日の重大事故の背景には、何があるのか。隊長経験もある幹部パイロットが、重い口を開いてくれた。  「怖れていたことが現実になってしまった。原因を一言でいえば、完全なオーバーワークだ」 そもそも航空自衛隊には、「専守防衛のための最低限の装備と人員しかない」のだと、この幹部は話す。
・実際、陸・海・空の自衛隊を見比べてみると、大災害の発生時などに警察・消防と協力関係にある陸自や、海上安全の面で海上保安庁と連携している海自など、陸・海には互いに補完する組織がある。だが日本の空には、航空自衛隊しかない。
・ここ数年で複雑化の度合いを増している東アジア情勢は、そんな航空自衛隊への負担をさらに重いものにしている。今年4月から9月までのスクランブル(緊急発進)の回数は、前年度より減少したとはいえ561回。1日3回(出動1回につき発進する戦闘機は2機だ)以上が、「国籍不明機」に対処している。 一時期、多かった中国機が減ったかと思えば、今度はロシア機が増えている。しかもこれまでのように周辺国の戦闘機がやってくるだけではなく、特異なケースも増加した。前出の幹部パイロットは、「爆撃機や情報収集機だけでなく、厄介なドローンも加わっている」と話す。
・さらに加えて、北朝鮮が核実験や弾道ミサイル発射を繰り返すようになった。幹部パイロットは、この状態は「もはや平時ではなく有事に当たる」と指摘する。 目に見える戦争にならなくとも、いざそうなってしまったときのために、異変が起こるたびに準備をするのが実力組織たる自衛隊の役割ではある。そのため、スクランブルにしても北朝鮮の不穏な動きにしても、何かことが起こるたびに、航空機をサポートすための整備など、支援部隊もフル稼働を強いられている。
・敵の動きを察知すためのレーダーサイトや「北朝鮮の弾道ミサイル対処のためPAC3も臨戦態勢にある」と前出の幹部は明かした。全航空自衛官が、これまで経験した事のない状態にあると言っても過言ではない。
▽高難度の訓練ゆえに起きた事故
・そんなオーバーワークが続く中で、10月17日午後5時50分ごろに航空自衛隊浜松基地を離陸した航空救難団浜松救難隊所属のUH-60J救難ヘリコプターが、約10分後に同基地の南約30kmの遠州灘でレーダーから機影が消えた。 翌18日には「墜落」と公表されたわけだが、ある救難パイロットは「痛恨の極みだ。人命救助のスペシャリストに何があったのかは、フライトレコーダーを回収しないと真実は不明だ」と肩を落とした。浜松救難隊は約70名で編成されており、スローガンは「必ず帰還する」である。
・混乱の中、18日午前11時50分ごろ、今度は百里基地所属の第302飛行隊所属所属のF-4EJ改戦闘機が、誘導路を走行中に左脚部が折れ、主翼や燃料タンクが誘導路に接触、油圧装置の油や燃料などに引火する事故を起こしてしまった。出火直後、搭乗していたパイロット2名は、かろうじて機体から脱出した。 これらの事故の主役となってしまった機体を見比べると、それぞれ異なる事情が浮かび上がってくる。
・まずは、UH-60J救難ヘリコプター、通称「ブラックホーク」。アメリカ軍では1978年から運用され、航空自衛隊では1988年度から調達して全国10基地に36機が配備されている。アメリカでも現役であり、比較的新しい機体だ。 事故機は2015年10月に配備された最新型。空中給油装置を備えている。飛行時間は約440時間と新品同様だ。1機約38億円。
・航空救難団の任務は、自衛隊航空機の搭乗員を救助することを第一義とするが、災害派遣として急患空輸や山岳・海上における遭難者の捜索救助活動にも出動している。 「救難パイロットは他の航空機とは全く異なり、最も高い技能が要求される。高い技能ゆえに、他の組織(消防・警察など)が対応不可能と判断した案件で『最後の頼みの綱』として希望を託されることも多い」(救難ヘリパイロット)  実際、航空救難団は、陸上・海上を問わず2600人以上の救助実績を持つ。
・そんな実績あるパイロットたちにとっても、事故発生の午後6時頃は「魔の時間」だと言っていいだろう。パイロットたちは要救助者を捜索を、最終的には目視で行うのだが、日暮れ時、外はすでに暗闇に支配されている。 そこで彼らは、ヘルメットに装着された暗視装置ごしに海上の様子を覗くことになる。高度や方位は計器に記されるが、「海面ギリギリで飛行すれば、一瞬の狂いで海面に接触してしまうことになる」と救難ヘリのパイロットは指摘する。おそらく今回の事故も、そうした困難な状況での訓練中に発生したと思われる。
▽機体があまりに古すぎて…
・一方、火を噴いたF-4EJ改戦闘機、通称「ファントム」を見てみよう。こちらも元はアメリカ製で、本国では1960年から使用され、ベトナム戦争も経験しており、導入から57年が経っている。 アメリカにおいては、現在は全機が退役しており、標的機(ミサイルの的)として無人飛行されているだけだ。
・そのファントムを、航空自衛隊は1974年から配備しており、国内でも運用開始からすでに43年が経った。そもそも、米本国で生産されたF-4Eを日本向けに改修したF-4EJは、1989年、さらなる延命・能力向上のための改修を経てF-4EJ改となり、90機が防空任務に就いた。現在は徐々に退役して、48機が運用されている。
・しかし、「改」となった際の改造の内容は、主に電子装置の更新と、それにともなう兵装システムの向上だ。今回、事故の原因となった脚部の強化・改良はなかったのである。
・もともとファントムは米海軍機でもあり、航空母艦に着艦するときの衝撃に耐えるため、脚周りは頑丈とされていた。だが、40年以上の時を経て、さすがに金属疲労が進んでいたのではないだろうか……。冒頭の幹部パイロットはこう証言する。 「先進国で、まだファントムを飛ばしているのは日本だけだ。視察に訪れた外国の空軍関係者は一様に驚いている」
・自衛隊機の事故は陸・海・空をあわせてみると、昨年度から数えて10件になる。その他、事故につながりかねない「重大インシデント」も多発するようになっている。 防衛費に限りはあるが、老朽化している機材の更新も焦眉の急だ。民間ではとうの昔に退役したYS-11のような航空機を、未だに使用しているのは自衛隊だけだという事実が、それを物語っている。
・また人員、とくにパイロットの不足にも、早急に手を打たなくてはならないだろう。一人前のパイロットを養成するには最短で6年、その教育には1億円以上が必要だとされる。 短期養成の即席パイロットばかりでは制空権が保てず、戦いにすらならないことは、太平洋戦争の経過を見ても明らかだろう。
・自衛隊を巡っては、選挙戦を含め、憲法問題と絡んでかしましく議論されるが、現場からはそれ以前に、切実な悲鳴が上がっている。議論を深めることには大いに賛成だが、まずはともかくもこの窮状に対処するのが、政治の責任ではないだろうか。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/53269

第一の記事で、 『V-22オスプレイやAAV7などの新規調達が防衛装備品の維持費を圧迫している。同時に、部品枯渇の問題は3自衛隊に共通しており、稼働できなくなる自衛隊の装備が増えてきている』、 『空自では予算における優先順位の低さや契約およびマネジメントの問題から、部品の在庫不足が発生しており、その結果、別の機体から部品を取り外して流用する「共喰い整備」を行い、空自装備の稼働率が低下していると指摘している』、 『もはやプラットフォームが新品である必要はなく、その上のソフトウエアや武装が最新鋭であることが重要なのだ』、などの指摘を防衛省幹部は真摯に受け止める必要がある。維持費を無視して、新品を欲しがるのは、日本だけではなく、米国から武器を調達している多くの国に共通する傾向のようだが、困ったことだ。
第二の記事で、 『元米陸軍人が「迎撃は難しい」と断言する一方で、安倍政権はすでに1基800億円の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入を決めている。またカモられるだけか……。』、との指摘もやれやれだ。
第三の記事で、  『F35は来年度防衛費の概算要求では1機あたり147億円もする。すでに42機を米国から買うことになっているのだが…。 実はF35をめぐっては、トランプ大統領の訪日直前にも、米国内で深刻な問題が浮上していた。訓練ができないほどの深刻な部品不足と、整備体制の遅延である』、 『その鈍重ぶりは「曲がれず、上昇できず、動けない」と酷評され、2015年には40年も前に開発されたF16戦闘機との模擬空中戦で負けるという失態を演じている』、1機あたり147億円もする鈍重な欠陥機を購入するとは、防衛省幹部は一体何を考えているのだろう。しかも、 『調達方法は、「現代ビジネス」で何度も指摘している通り、悪名高い有償対外軍事援助(FMS)方式』で、これに伴う各種の無駄が 会計検査院で指摘されているようだ。
第四の記事で、 『航空自衛隊が「完全なオーバーワーク」で、事故続発、観閲式もぶっつけ本番』、とはそら恐ろしいことだ。F-4EJ改については、 『改造の内容は、主に電子装置の更新と、それにともなう兵装システムの向上だ。今回、事故の原因となった脚部の強化・改良はなかったのである』、については、改造で寿命を延ばすこと自体は、第一の記事にある通り、望ましいことではある。しかし、やる以上は脚部を含めた機体の金属疲労なども当然チェックすべきで、それが漏れていたとすれば、お粗末としか言いようがない。
タグ:米国製の武器が欲しい防衛省はFMS方式による導入を甘んじて受け入れる 日刊ゲンダイ 民間ではとうの昔に退役したYS-11のような航空機を、未だに使用 伊藤 明弘 悪名高い有償対外軍事援助(FMS)方式である 半田 滋 「「新品」を欲しがる自衛隊的発想、米陸軍少将が批判 「新装備を買う前に、もっと維持整備を考えよ!」」 武器輸出を目指す我が国も、維持整備も含めて売り込む必要があることを肝に銘じなければならない F-4EJ改戦闘機が、誘導路を走行中に左脚部が折れ、主翼や燃料タンクが誘導路に接触、油圧装置の油や燃料などに引火する事故を起こしてしまった 先進国で、まだファントムを飛ばしているのは日本だけだ その6)(「新品」を欲しがる自衛隊的発想 米陸軍少将が批判、防衛装備品“爆買い”の愚 元米軍人「ミサイル迎撃は困難」、「ポンコツ戦闘機」F35 こんなに買っちゃって本当に大丈夫?、航空自衛隊が「もう限界」事故続発) 航空自衛隊が「もう限界」事故続発、観閲式もぶっつけ本番で!? 人も装備も疲弊しきって…」 FMSとは、米国の武器輸出管理法に基づき、(1)契約価格、納期は見積もりであり、米政府はこれらに拘束されない、(2)代金は前払い、(3)米政府は自国の国益により一方的に契約解除できる、という不公平な条件を提示し、受け入れる国にのみ武器を提供するというものだ 北朝鮮のミサイルと核」をテーマに講演 自衛隊の維持整備軽視も改めるべき 開発を進めた本家の米国でも問題が噴出 正面装備の調達数を削減し、それを3Dプリンタの現場での運用および研究、もしくは部品の在庫なりに振り向ける努力が必要だろう(自衛隊の3Dプリンタ活用への取り組みは、世界の中で大きく後れをとっている)。 同司令官は、153カ国に対する1720億ドル(約19.4兆円)・5300件以上の米陸軍系装備品の提供と維持整備指導を担当 ステファン・ファーメン少 もはやプラットフォームが新品である必要はなく、その上のソフトウエアや武装が最新鋭であることが重要なのだ 安倍政権はすでに1基800億円の陸上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」の導入を決めている。またカモられるだけか……。 今後、誰も膨大な維持費を指摘せずに無責任に持ち上げている「イージスアショア」等が続けば、どれだけの維持費(特にイージスアショアは警備費や人事配置なども含めて膨れ上がる)がかかり、そして、どれだけその他の防衛装備品や「人員」の維持費を圧迫することになるか目に見えている ロフテッド軌道になります。高高度を飛翔し落下スピードが速いため、通常軌道よりも迎撃が難しい 原因を一言でいえば、完全なオーバーワークだ ただでさえ、防衛省のFMSによる調達額は近年極端に増えており、2016年度の米政府への支払い額は過去最高の4881億円に達した 。(迎撃するには)どこからどこへ発射されるのか『正確』に捕捉しなければなりませんからね ディフェンスニュース このSM3ブロック2Aも米国から購入するのだ SM3ブロック2Aは日米で共同開発し、日米で部品を生産する日米合作のミサイル 彼らはピカピカの装備ばかりを追いかけて、維持整備への投資が不足しがちだということだ。それは、多数の問題を生じさせる 安易な「新品」志向によって防衛装備品を維持できなくなっている状況を指摘 その鈍重ぶりは「曲がれず、上昇できず、動けない」と酷評され、2015年には40年も前に開発されたF16戦闘機との模擬空中戦で負けるという失態を演じている 弾頭部を熱から守るノーズコーン、第2弾・第3弾ロケットモーター、上段分離部、第2弾操舵部といった精密技術が必要なパーツの開発を日本政府に依頼してきたのは米政府である JBPRESS 現代ビジネス 北朝鮮の大陸間弾道ミサイルを日本は迎撃できるのかと問われたら、答えは“ノー”です レーダーサイトや「北朝鮮の弾道ミサイル対処のためPAC3も臨戦態勢にある 「「ポンコツ戦闘機」F35、こんなに買っちゃって本当に大丈夫? やっぱり日本はアメリカの金ヅルか」 イージス・アショア F-35戦闘機、V-22オスプレイ、E2D早期警戒機の4機種の維持費だけで年間800億円が消える なぜ国内の防衛産業で製造しないのか。 防衛装備庁の堀江和宏統合装備計画官は「国内産業が組み立て施設を持っていないからです 海面ギリギリで飛行すれば、一瞬の狂いで海面に接触してしまうことになる 空自では予算における優先順位の低さや契約およびマネジメントの問題から、部品の在庫不足が発生しており、その結果、別の機体から部品を取り外して流用する「共喰い整備」を行い、空自装備の稼働率が低下していると指摘している 元航空自衛隊空将であり、空自補給本部長を務めた吉岡秀之氏 (防衛問題) 完全なステルス機能を持つF35戦闘機も、多様なミサイルもある 部谷 直亮 会計検査院は10月26日、防衛省がFMS取り引きを精査できず、米国の言いなりになってカネを支払っているのではないかと指摘 トランプ F35は来年度防衛費の概算要求では1機あたり147億円もする。すでに42機を米国から買うことになっているのだが…。 百里基地でF4戦闘機の主脚が折れて炎上した F35は、来年3月には青森県の航空自衛隊三沢基地に配備されることが決まっているものの、米国で自衛隊に渡された機体はソフトウェアが未完成なため、機関砲も赤外線ミサイルも撃てず、領空侵犯に対処する緊急発進待機の任務につけないことが判明している 古いプラットフォームの大きな可能性に、防衛省自衛隊はもっと注目すべきであろう V-22オスプレイやAAV7などの新規調達が防衛装備品の維持費を圧迫している。同時に、部品枯渇の問題は3自衛隊に共通しており、稼働できなくなる自衛隊の装備が増えてきている が抱える問題 同盟国が予算の使い方を変えてもっと防衛装備品の維持を重視するよう早急に議論を始めるべきだとの考えを明らかにした 宇宙関連事業のコンサルティング会社社長のランス・ガトリング氏 「防衛装備品“爆買い”の愚 元米軍人「ミサイル迎撃は困難」」 仮にその国で20機のブラックホーク輸送ヘリが必要だとしても、これを18機にすれば、次の10~15年間、十分に維持整備をしてすべて稼働させられるだろう UH-60J救難ヘリコプター 連日の重大事故の背景 航空観閲式の予行演習が中止 自衛隊
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トランプ訪日と日米関係(その2)(小田嶋 隆氏:トランプは横田に舞い降りた、ゴルフで転倒 衝撃映像で露呈した安倍首相の“体調悪化説”) [外交]

昨日に続いて、トランプ訪日と日米関係(その2)(小田嶋 隆氏:トランプは横田に舞い降りた、ゴルフで転倒 衝撃映像で露呈した安倍首相の“体調悪化説”) を取上げよう。

先ずは、コラムニストの小田嶋 隆氏が11月10日付け日経ビジネスオンラインに寄稿した「トランプは横田に舞い降りた」を紹介しよう。
・はじめて日本を訪問したアメリカの大統領は、1974年に来日した第38代大統領のジェラルド・フォード氏だったのだそうだ。 この時のことは、よくおぼえている。 当時高校3年生だった私は、従兄の運転するクルマの助手席で、大統領の来日が引き起こした交通規制に巻き込まれていた。記憶では、時間にして30分から1時間ほど、首都高速道路の路上で、完全な停車を余儀なくされた。その時、おそらくクルマのラジオかなにかで、自分が巻き込まれている交通渋滞が、大統領の羽田空港から都心への移動に伴う首都高環状線の封鎖に起因するものであることを知って、ひどく腹を立てたのを覚えている。
・どうしてあんなにムカついたのかは、いまとなってはよくわからない。 とにかく1970年代の高校生は、アメリカのような国とそのリーダーには、天然の敵意を抱いているものだったのだ。 今回、トランプ大統領の来日の様子を傍観しながら、私は、あの時のフォード渋滞で味わった気分を思い出した。 もちろん、高校生だった時のように腹を立てたわけではない。
・むしろ私は、ニュースの画面を見ることを避けていた。 なので、事態は録画で確認した。 ふだんから、大好きなサッカーやボクシングの試合は、なるべくライブで観戦することを心がけている。録画だと、臨場感が半減するからだ。 一方、ドラマやバラエティーは、むしろ録画した上でないと見る気持ちになれない。理由は、頻繁に挿入されるCMと、不要な場面を早送りしたいからだ。
・ここしばらく、ニュースも録画で見るようになっている。 で、不快な事件は「30秒送り」のボタンを適宜連打しつつ、なるべく目に入らないようにしている。 人生の残り時間に限りのある人間は、精神に負担をかける映像から身を守らなければならない。 私の場合は、その、不要な負担を避ける具体的な手立てが録画視聴で、トランプさんは、最近、視聴スキップ対象に指定されつつあるわけだ。
・今回は、トランプ大統領来日についての雑感を書いておくことにする。 この種の、感想を記録しただけのテキストは、うまくすると、何年か後に、貴重な記録に化けていたりする。 というのも、われわれは、時系列に沿って起こる事件の経過は記憶しても、その時々に抱いていた感情については忘れてしまうものだからだ。
・トランプ大統領は、来日に先立ってハワイに立ち寄り、真珠湾を訪れている。 三軍の長を兼ねる大統領としては、折に触れて軍人の働きぶりに目を配るのも仕事のうちなのだろうし、アジア歴訪を前に太平洋軍の司令部を訪れることは、当然でもある。  その日の夜、真珠湾でのセレモニーやら行事を終えた後、トランプ大統領は、こんなツイートを残している。  Thank you to our GREAT Military/Veterans and @PacificCommand. Remember #PearlHarbor. Remember the @USSArizona!  A day I’ll never forget.  https://twitter.com/realDonaldTrump/status/926707692395102219  われらの偉大なる軍人と退役軍人に感謝する。 リメンバー・パールハーバー、リメンバー・戦艦アリゾナ 今日は私にとって忘れられない一日になるだろう!  https://twitter.com/realDonaldTrump/status/926707692395102219  タイムラインにこのツイートが流れてきた時、私は、比喩ではなく、自分の目を疑った。
・自分がいま見ているこのツイートは、成りすましによるアカウント乗っ取りだとかいった不測の事態の結果なのではあるまいかと、あれこれ考えこまねばならなかった。 何かの間違いでないのだとすると、トランプ大統領は、日本を訪問する前日に、あえて、この挑発的なフレーズをぶつけてきたことになる。
・念のために解説しておけば、「リメンバー・パールハーバー」は、アメリカと日本が敵国であった時代の言葉で、もっぱら対日戦への戦意高揚のために使われていたスローガンだ。その意味では「真珠湾(での日本の卑怯な奇襲攻撃)を忘れるな」という意味を含むこのフレーズのニュアンスは、わが邦の国民が繰り返していた「鬼畜米英」や「暴支膺懲」とそんなに遠いものではない。
・トランプ大統領の真意が、わが国を挑発したり侮辱するところにあった、などと言い張るつもりはない。 穏当に解釈すれば、大統領のこの日のツイートは、パールハーバーで戦った勇気あるアメリカ兵士の貢献を忘れずにいたい、といったぐらいの意味をこめた軽口に過ぎないのだろう。 とはいえ、歴史的に不穏な行きがかりをもつこういう言葉を、来日を前にしたこのタイミングでアメリカの大統領が発信することは、やはり、無神経だと申し上げざるを得ない。
・私が憂慮するのは、大統領による「リメンバー・パールハーバー」というつぶやきが、単なる無知や無神経の発露ではなく、もう少し深刻な「意地悪」に近い何かである可能性だ。 パワハラ上司によくある振る舞い方として、人のいやがる言葉や仕草をあえて小出しにして相手の顔色を観察するパターンがある。 「イノウエ君はアレだろ、ほら、アタマの地肌が露出してるから、直射日光は苦手だよな?」 「……あ、いや、なんと言いますか……部長もお人がお悪い」 「はははははは。気にしてるのかやっぱり。あ?」 などと言いつつ、部長は、イノウエがどこまでナブれば怒り出すのかの限界を観察している。
・この種の人間は、無邪気なふうを裝いつつ神経にさわる言動を繰り返すことで、人々の反応を見ている。「三国志」の「許田の狩り」の場面で、曹操があえて帝に対して尊大な態度を示しつつ、諸人の向背を確認した時の力加減に近い。 今回の訪日では、トランプ大統領の動作の端々に、その意識的な尊大さがあらわれていたように思う。
・というよりも、トランプ大統領の対人コミュニケーション戦略と人間観は、そもそもトランプタワーではじめて安倍晋三総理と握手をした時の、握手の仕方(相手の手を思い切り強く握りつつ自分の側に引き寄せる「トランプ式握手」と呼ばれる独特の進退運用)に、すでにすっかり現れていたところのもので、要するに彼は、他人の忠誠度を常に観察せずにはおれないタイプのリーダーだ、ということだ。
・「何をオンナコドモみたいにマナーだとか言葉遣いみたいな瑣末事に拘泥してるんだ? 大切なのは文書化された約束と行き来するカネと交渉を裏付ける軍事力なのであって、あんたがさっきから言ってるみたいなうじうじした感情の話は、週刊誌のネタ以上のものじゃないぞ」 てなことを言う人もあることだろう。  もちろん、外交を動かしている当のものがカネと力であることはよくわかっている。
・しかしながら、私は、そういうものとは無関係な人間だ。 とすれば、カネやチカラと無縁な存在である人間の一人として、私はむしろ、マナーや言葉づかいのような、文書化されない要素に注目せざるを得ない。  というのも、外交官や政府の首脳がそのカウンターパートとの間の交渉や会談の中でやりとりしている個別の案件についての金額や条件や情報や駆け引きが、当面は最重要なことはその通りなのだとして、現実問題として外国の賓客を迎えることになった一般の国民がテレビ画面から受け取っているのは、「感情」であり「印象」であり「敬意」や「反発」なのだ。長い目で見れば、国と国との間に流れるその種の目に見えない感情の総和が、二国間関係の最も基礎的な関係性を形成している可能性は高い。
・その意味で、大統領の一挙手一投足は、彼が訪問する国の対米感情の未来を作っている。 これを見逃して良いはずがないではないか。 大統領の到着場所が羽田空港でも成田空港でもなく、横田基地であったことも大切なポイントだと思う。 北朝鮮のテロを警戒してのこと、とも見えるが、それだけとは思えない。 そもそも歴代のアメリカ大統領で、いきなり横田基地から来日したのはトランプさんが初めてだという。
・横田基地は、日本国内に存在するが、厳密には日本ではない。 どちらかといえば、米国の領土に近い。  まあ、「米軍の領土」という言い方は、あんまり穏やかな表現ではないのでとりあえず撤回しておくが、ともあれ、米軍基地が、日米地位協定の定めるところにより、米軍の支配下にあることは間違いない。
・それゆえ、米軍の兵士が日本国内の米軍基地に空からやって来る場合、日本の入国審査を通る義務は負わないし、ビザの発給も要しない。 このこと(米軍の兵士が日本国内の米軍基地を自由往来できること)そのものは、軍隊というものの性質上ある程度当然のことだ。
・が、その米軍兵士に許された特権を帯びて大統領が来日するのは、ちょっと意味が違うと思う。 違法ではないのだとしても、失礼だと思う。 大切なのは、その「失礼」の部分だ。 外交の基本は、当たり前の話だが、相手国の国民感情に配慮することだ。 してみると、いきなり米軍基地に着陸した大統領の態度は、異例でもあれば、素っ頓狂でもあって、つまるところ「失礼」だ。
・というのも、大統領が来日して、いの一番に顔を合わせたのは、日本の外交官でもなければ政治家でもなく、自国の軍人だったわけだし、訪日の第一声も、その米軍兵士たちに向けたスピーチだったからだ。 演説の中で、トランプ大統領は、自分がアジア歴訪に際して最初に降り立つ場所として、この基地よりふさわしい場所はほかに無いという意味のことを言っている(こちら)。
・また、トランプ氏は、この日の演説で、 “We dominate the sky, we dominate the sea, we dominate the land and space,” Trump said. “No one -- no dictator, no regime and no nation -- should underestimate ever American resolve. Every once in a while in the past they underestimated us. It was not pleasant for them, was it.” と言っている。 「われわれは空を、海を、そして陸地と宇宙空間を支配している。誰も――どんな独裁者も、どのような統治体制も国家も――アメリカの決意を見くびることはできない。かつて、われわれを軽く見た者たちは、不愉快な目に遭っている。そうじゃないか?」 と、直訳すればこんな感じになると思うのだが、この言葉も、日本の国土の上で発された言葉として聞くと、まあ、かなり物騒な内容を含んでいる。
・もちろん、トランプ大統領は、自国の基地の中で、自軍の兵士たちを前に(聴衆には自衛官も含まれていたが)話したわけで、その限りにおいては、兵士に対するエール以上の言葉ではない。 が、「われわれは、空を、海を、陸を、宇宙を支配(dominateという単語を使っている)している」というこの言葉を、米軍の兵士に向けて呼びかけることは、「米軍が日本を支配している」というニュアンスを生じさせかねない。
・トランプは、「日本」とは言っていない。「the land」と言っている。その意味では、日本を名指ししたと言い切ることはできないが、それにしても無神経ないいようではある  最後の、 「かつてわれわれを過小評価(underestimated)した者たちは、自らを不愉快な境遇に貶めているではないか」 という最後の一文も、文脈しだいでは、「日本」そのものを指しているように聞こえる。
・米国と日本の同盟関係に疑念を抱いていない人たちの耳に、私の言っていることが、言いがかりに聞こえるであろうことは承知している。 ていうか、私自身、自分の指摘していることのうちの半分ぐらいは言いがかりだと思っている。
・が、これは、逆側から見れば、トランプ大統領の振る舞い方のうちの半分ぐらいは嫌がらせに見えるということを意味してもいるわけで、いずれにせよ、トランプ大統領の対人マナーは、相手の反発を観察してナブりにかかる部分を含んだ、典型的ないじめっ子の姿に似ているのだ。
・日本での公式日程を終えたトランプ大統領は、 My visit to Japan and friendship with PM Abe will yield many benefits, for our great Country. Massive military & energy orders happening+++!  「私の訪日がもたらした安倍総理との親密な関係は、わたしたちの偉大な国に多大な利益をもたらすだろう。軍事、エネルギー関連について、巨大な受注が発生している」 https://twitter.com/realDonaldTrump/status/927645648685551616  というツイートを発信している。  これも、アメリカ国民向けのアピールと見れば、いつものトランプ節と変わることのない、我田引水ではある。
・でも、このツイートを発信した場所が日本であり、おりしも訪日中のタイミングとあって多くの日本人がトランプ大統領のツイートを注視していることを考えれば、この言葉は、滞在先の国の足元を見た発言と受け取られても仕方のない内容を含んでいる。
・どうしてこの人は、あえて他人の神経にさわるようなものの言い方をするのだろうか。 その回答に近い記事を発見した。 Japanese leader Shinzo Abe plays the role of Trump’s loyal sidekick 「日本のリーダー、安倍晋三氏は、トランプの忠実な相方の役割を演じている」 と題されたワシントン・ポスト紙の記事だ(こちら)。
・私はふだん英語のメディアを直接に読むことはしない(っていうか、正直に言えば「できない」)のだが、今回は、苦労して最後まで読んでみた。 というのも、「sidekick」という言い方があんまり露骨だと思ったからだ。 辞書を引いてみると、”sidekick” には 《口語》として、仲間 (companion); 親友 (close friend); 相棒, 同類 (partner, confederate).という訳語が当てられている。(研究社『新英和大辞典』より) 下僕(servant)、下っ端(follower)というのとは違う。 ただ、”role of loyal sidekick”という言い方からして、「忠実な仲間」「忠良な相棒」ぐらいのことにはなるわけで、ニュアンスとしては、やはり「子分」に近い。新聞が一国の首相を評するにあたってヘッドラインに持ってくる言葉としては、十分に軽んじた言い方だと思う。
・記事の中で、こんなエピソードが紹介されている。 《「日本は発展し、日本の都市は活力に満ち、世界でも有数のパワフルな経済をつくりあげている」と言った。ここでトランプは、読み上げていた原稿から目を離して、アベの方を見ると、 「でも、われわれと同等とは思わない。そうだろ?」 と言い、 「われわれはそれを続けていく」 と続け、さらに 「君たちは二番手だ」 と付け加えた。 翻訳者に内容を伝えられたアベは、黙って微笑んでいた。》 
・これなどは、アメリカのテレビドラマに出てくるクラスのいじめっ子そのものの態度に見える。 深刻なのは、トランプ大統領がこのように振る舞い、安倍首相がそれをこんなふうに受けとめていることが、世界中に伝えられていることだ。
・なお、以下は、毎日新聞でも紹介されていた話だが、こんな挿話もある。 《首相はトランプ氏にとって当選後、初めて会談した海外の首脳。トランプ氏はあいさつで、首相から昨年11月に当選祝いの電話を受けた際、「首相から『なるべく早くお会いしたい』と言われ『いつでもいい』と適当に回答した。(大統領就任後の今年の)1月20日以降の意味で答えた」と説明。「私は(会談は今年の)2月とか3月とか4月と思ったが、首相は非常に積極的な政治家で、今すぐということだった」と食い違いを「暴露」。直後に首相がすぐに訪米しようとしていると知り、側近からも「適切なタイミングではない」と言われて断りの電話を入れようとした。 しかし、「首相はすでにニューヨークに向かっており、断ることはできないので会うことにした」と語った。トランプ氏は当時の会談について「本当にいい思い出になった」と述べた。》 (こちら)
・一対一関係の話を、外部の人間(それもメディアの人間に対して)漏らしてしまう態度自体極めて異例だし、暴露されている内容も安倍首相にとっては恥に属する話題だと思う。 ワシントン・ポストの紙面では、how Abe was so desperate to visit him at Trump Tower after the election (選挙の後、トランプ・タワーを訪れることに対してアベがいかに必死だったか) という書き方をされている。
・私は、心配している。 トランプ大統領は、自分に近づいてくる人間には鷹揚に応対するし、利用価値があると見た人間にはわかりやすい厚遇を与える人だと思う。 でも、自分にとって価値のない相手だと思った時に、彼がどんな態度を取るのかは、この半年の間に彼のもとを去った側近の扱いを見ればよくわかるはずだ。 "You are fired!"(お前はクビだ!) と言い放つテレビ番組の彼の演技は、半ば以上彼自身の本質だと思う。 というか、「トランプ氏」は、もともとテレビ用のキャラクターなのだ。 
http://business.nikkeibp.co.jp/atcl/opinion/15/174784/110900118/

次に、11月10日付け日刊ゲンダイ「ゴルフで転倒 衝撃映像で露呈した安倍首相の“体調悪化説”」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・安倍首相が「会話が弾んで突っ込んだ話もできた」と胸を張ったトランプ大統領との“ゴルフ外交”。ところが、マトモな会話なんてできっこないと思わせる衝撃的な映像が流れ、波紋を広げている。さらに安倍首相の体調不安説まで再燃している。
・政界で話題になっているのはバンカーにハマった1番ホールでの安倍首相の衝撃映像だ。1回ではバンカーからボールを出せず、2回目のショットで何とかバンカーから脱出。安倍首相は先を歩くトランプと松山英樹に取り残されまいと、バンカーからフェアウエーに一気に駆け上がろうとしたが、バランスを崩して後方にスッテンコロリン1回転。亀みたいに手足をバタつかせて自身がバンカー入りしてしまった。この“珍プレー”をテレビ東京がニュースで放送すると、ユーチューブに映像がアップされ、瞬く間に再生回数が30万回を超えた。
・「官邸側は削除依頼を繰り返しているようですが、クリックが稼げるためか、次々に同じ映像がアップされて消えません。他にも安倍首相がパットに失敗した球をトランプ氏がオーケーして投げ返す際、うまくキャッチできずカラダで受け止める映像などをNHKなどが持っているようです。官邸側は安倍首相が『成功した』と言い張る“ゴルフ外交”の珍映像がこれ以上流出することを危惧しています」(官邸事情通)
・政界が注目しているのは、安倍首相の体調不安だ。ゴルフ場でのヨタヨタした姿、歩幅の狭さ、トランプが投げたボールに反応できないなど、「やはり体調が悪いのではないか」との声が上がっているのだ。
▽“珍プレー”の原因は薬の副作用?
・ただでさえ、安倍首相は「潰瘍性大腸炎」という難病を抱え、先月の総選挙前後から「顔がむくんでいる」と不安視されていた。  「安倍首相は特効薬『アサコール』を服用して持病である潰瘍性大腸炎の症状を抑えていますが、最近は強いステロイドも服用している、といわれている。ステロイドには副作用があるだけに、それが体調を悪化させている可能性もあります」(前出の官邸事情通)
・薬の副作用が“バンカー地獄”の原因だったのか――。 「あくまで一般論ですが」と前置きした上で、医学博士の米山公啓氏がこう言う。 「ステロイドの副作用なら精神疾患などもっと強い症状が出るはずで、ゴルフどころではないと思います。ただバンカーで転倒した、上手にボールをキャッチできないといった行動が事実なら、加齢による小脳機能の低下が疑われます。もっとも、これらの機能は筋トレなど定期的な運動で低下を防げます。首相は運動不足が疑われます」
・首相動静によれば、安倍首相は毎月1~4回のペースでジム通いをして汗を流したことになっている。なのに運動不足が疑われるとは、どういうことなのか。ジム通いはトレーニングのためではなく、施設内で医師と待ち合わせをし、診察を受けているともいわれている。
・安倍首相は一国をつかさどる総理大臣。自分の体調についてもキチンと説明すべきだ。 「スコア以外はすべて発表させていただいた」なんて冗談めかして隠すのは反則だ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/217267/1

第一の記事のタイトルは、英国の作家、ジャック・ヒギンズによる小説「鷲は舞い降りた」をもじったものであろう。それにしても、 『リメンバー・パールハーバー、リメンバー・戦艦アリゾナ』、と 『トランプ大統領は、日本を訪問する前日に、あえて、この挑発的なフレーズをぶつけてきたことになる』、 『歴代のアメリカ大統領で、いきなり横田基地から来日したのはトランプさんが初めてだという』、などは日本の一般紙は解説抜きで伝えただけなので、初めて隠された意味が理解できた。 前者は、『単なる無知や無神経の発露ではなく、もう少し深刻な「意地悪」に近い何かである可能性』、後者については、 『いきなり米軍基地に着陸した大統領の態度は、異例でもあれば、素っ頓狂でもあって、つまるところ「失礼」だ』、 『トランプ大統領の対人マナーは、相手の反発を観察してナブりにかかる部分を含んだ、典型的ないじめっ子の姿に似ているのだ』、などの指摘は言われてみれば、その通りだ。 初の安部・トランプ会談について、『「私は(会談は今年の)2月とか3月とか4月と思ったが、首相は非常に積極的な政治家で、今すぐということだった」と食い違いを「暴露」。直後に首相がすぐに訪米しようとしていると知り、側近からも「適切なタイミングではない」と言われて断りの電話を入れようとした。 しかし、「首相はすでにニューヨークに向かっており、断ることはできないので会うことにした」と語った』、というところまで暴露されては、『安倍首相にとっては恥に属する話題』、そのものだ。
第二の記事でのユーチューブ映像については、官邸側の削除要請が功を奏したためか、今日、ざっとみた限りでは、画像が残っているサイトは殆ど削除されたようだ。ただ、唯一、残っていたサイトは下記。
http://フリーダムライフ.com/2017/11/08/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E4%B8%89%E7%B7%8F%E7%90%86%E3%81%8C%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97%E3%81%A8%E3%81%AE%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%83%95%E3%81%A7%E8%BB%A2%E5%80%92%E3%81%97%E3%81%9F%E5%8B%95/
確かに、バンカーから上がろうとする拍子に、後ろ向きにバンカー内に倒れ込んだようだ。
タグ:単なる無知や無神経の発露ではなく、もう少し深刻な「意地悪」に近い何かである可能性 珍プレー”の原因は薬の副作用? 小田嶋 隆 日本を訪問する前日に、あえて、この挑発的なフレーズをぶつけてきたことになる 安倍首相の体調不安 暴露されている内容も安倍首相にとっては恥に属する話題だと思う 日刊ゲンダイ 「でも、われわれと同等とは思わない。そうだろ?」 と言い、 「われわれはそれを続けていく」 と続け、さらに 「君たちは二番手だ」 と付け加えた。 翻訳者に内容を伝えられたアベは、黙って微笑んでいた トランプ氏はあいさつで、首相から昨年11月に当選祝いの電話を受けた際、「首相から『なるべく早くお会いしたい』と言われ『いつでもいい』と適当に回答した 日米関係 トランプ訪日 日経ビジネスオンライン 「トランプは横田に舞い降りた」 ハワイに立ち寄り、真珠湾を訪れている 安倍首相がパットに失敗した球をトランプ氏がオーケーして投げ返す際、うまくキャッチできずカラダで受け止める映像などをNHKなどが持っているようです 安倍首相は先を歩くトランプと松山英樹に取り残されまいと、バンカーからフェアウエーに一気に駆け上がろうとしたが、バランスを崩して後方にスッテンコロリン1回転。亀みたいに手足をバタつかせて自身がバンカー入りしてしまった ユーチューブに映像がアップされ、瞬く間に再生回数が30万回を超えた。 ワシントン・ポスト紙の記事 (その2)(小田嶋 隆氏:トランプは横田に舞い降りた、ゴルフで転倒 衝撃映像で露呈した安倍首相の“体調悪化説”) 歴史的に不穏な行きがかりをもつこういう言葉を、来日を前にしたこのタイミングでアメリカの大統領が発信することは、やはり、無神経だと申し上げざるを得ない 一対一関係の話を、外部の人間(それもメディアの人間に対して)漏らしてしまう態度自体極めて異例 ゴルフで転倒 衝撃映像で露呈した安倍首相の“体調悪化説”」 バンカーにハマった1番ホールでの安倍首相の衝撃映像 日本のリーダー、安倍晋三氏は、トランプの忠実な相方の役割を演じている 。(大統領就任後の今年の)1月20日以降の意味で答えた」と説明。「私は(会談は今年の)2月とか3月とか4月と思ったが、首相は非常に積極的な政治家で、今すぐということだった」と食い違いを「暴露」。直後に首相がすぐに訪米しようとしていると知り、側近からも「適切なタイミングではない」と言われて断りの電話を入れようとした。 しかし、「首相はすでにニューヨークに向かっており、断ることはできないので会うことにした」と語った リメンバー・パールハーバー、リメンバー・戦艦アリゾナ 、「米軍が日本を支配している」というニュアンスを生じさせかねない トランプ大統領の振る舞い方のうちの半分ぐらいは嫌がらせに見えるということを意味してもいるわけで、いずれにせよ、トランプ大統領の対人マナーは、相手の反発を観察してナブりにかかる部分を含んだ、典型的ないじめっ子の姿に似ているのだ いきなり米軍基地に着陸した大統領の態度は、異例でもあれば、素っ頓狂でもあって、つまるところ「失礼」だ 歴代のアメリカ大統領で、いきなり横田基地から来日したのはトランプさんが初めてだという 官邸側は削除依頼を繰り返しているようですが 大統領の一挙手一投足は、彼が訪問する国の対米感情の未来を作っている 2回目のショットで何とかバンカーから脱出 テレビ東京がニュースで放送
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