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日本の政治情勢(その14)(「緑のタヌキ」は、すみやかに”排除”されるべき、小幡 績:日本の政党政治はこれからどうなるべきか(前編)、(後編)) [国内政治]

今日まで更新を休むつもりであったが、今日は日本の政治情勢(その14)(「緑のタヌキ」は、すみやかに”排除”されるべき、小幡 績:日本の政党政治はこれからどうなるべきか(前編)、(後編)) を取上げることにした。なお、前回このテーマを取上げたのは、10月20日である。

先ずは、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が10月25日付けで同氏のブログに掲載した「「緑のタヌキ」は、すみやかに”排除”されるべき」を紹介しよう。
・衆議院解散の直前に、「希望の党」設立の「緑の大イベント」を仕掛け、多数の前議員を合流の渦に巻き込んで民進党を事実上解党させ、「政権交代」をめざすなどと宣言して、全く当選可能性のない人物も含めて無理やり定員の過半数の候補者を擁立したものの、大惨敗が予想されるや、超大型台風の接近で東京都にも甚大な被害が発生する可能性があるのに、「災害から都民の命を守る都知事」の責任にも背を向けて、投票日前日にパリに渡航し、フランスの有力紙からも「逃亡中の女王」などと揶揄されていた小池百合子氏が、今日(10月25日)、「逃亡先」のパリから帰国した。
・パリでは、ケネディ前駐日大使と対談し、 都知事に当選してガラスの天井をカーンと1つ破ったかな。もう1つ、都議会の選挙というのがあって、そこもパーフェクトな戦いをして、ガラスの天井を破ったかなと思いましたけれども、今回、総選挙があって、鉄の天井があるということをあらためて知りましたなどと宣ったそうである。 「ガラスの天井」というのは、「資質又は成果にかかわらずマイノリティ及び女性の組織内での昇進を妨げる、見えないが打ち破れない障壁」のことである。今回の選挙結果は、小池氏が、「組織内で女性の昇進を妨げる障壁」に妨げられて敗北したものだというのである。
・恐るべき問題の「すり替え」だ。確かに、未だに日本の社会には、「ガラスの天井」が至る所に残っている。多くの働く女性達はその障壁と懸命に戦っている。小池氏がやってきたことは、その「ガラスの天井」を巧みに利用し、男性達をたぶらかして、自らの政治的野望を果たすことだった。今回の選挙結果は、小池氏の野望の「化けの皮」が剥がれただけだ。小池氏が今回の選挙結果と「ガラスの天井」を結びつけるのは、多くの働く女性達にとって許し難いことのはずだ。
・国政政党を立ち上げ自ら代表となって「政権交代」をめざすことと、都知事の職とは、もともと両立するものではなかった。政権交代をめざす以上、首班指名候補を決めることは不可欠だし、それは、代表の小池氏以外にはあり得ない。一方で、東京五輪まで3年を切ったこの時期に都知事を辞任するのは、あまりに無責任で都民に対する重大な裏切りだ。小池氏の策略は、都知事辞任をギリギリまで否定しつつ、希望の党による政権交代への期待を最高潮にまで高め、その期待に応えるための「決断」をすれば、マスコミも、「安倍・小池、総選挙での激突」を興行的に盛り上げることを優先し、「都知事投げ出し」を批判しないだろうという「したたかな読み」に基づいていたはずだ。
・ところが、小池氏の「策略」を知らされず、都知事辞任はあり得ないと常識的に考えていた腹心の若狭勝氏が、テレビ出演で、「政権交代は次の次」「小池氏は選挙には出ない」と、馬鹿正直に発言してしまった(この発言の後、小池氏は、若狭氏にテレビに出ないよう指示したようだが、「後の祭り」だった。
・民進リベラル系に対する「排除発言」も重なって、小池氏の「化けの皮」は剥がれ、希望の党による「政権交代」への期待は急速にしぼんでいった。
・そもそも、都議選で「パーフェクトな戦いをして、ガラスの天井を破った」という小池氏の認識は、見当違いも甚だしい。 都議選の直後、【“自民歴史的惨敗”の副産物「小池王国」の重大な危険 ~代表辞任は「都民への裏切り」】でも詳述したように、都議選での自民党の歴史的大敗は、安倍内閣の、加計学園問題、森友学園問題など安倍首相自身に関わる問題や、稲田防衛大臣の発言などの閣僚・党幹部の「不祥事」に対する都民の痛烈な批判の受け皿が、都議会民進党の崩壊のために、小池氏が率いる都民ファーストの会以外になかったことが、棚ぼた的な圧勝につながっただけだ。当時も、小池氏自身に対する人気は、築地・豊洲問題への対応への批判等で、確実に低下しつつあった。小池氏が言う「パーフェクトな戦い」とは、都議選の直前に都民ファーストの代表に就任、選挙の直後に代表を辞任して、選挙期間中だけ「小池・都民ファースト」の看板を掲げて、都民を騙したことを指すのであろう。
・一昨日の戦国ストーリー風ブログ記事【平成「緑のタヌキ」の変】でも書いたように、今回の選挙は、前原氏率いる民進党議員達が、「緑のタヌキ」にまんまと「化かされ」、自滅し、それが、安倍首相が、森友、加計疑惑についての説明もろくに行わないまま圧勝するという、前原氏が目指したのとは真逆の選挙結果をもたらしたということである。希望の党公認候補として苦しい選挙戦を強いられ、何とか勝ち上がった人も、苦杯をなめた人も、まず、行うべきことは、「緑のタヌキ」の実体を見抜くことができず、まんまと「化かされて」しまったことへの痛切な反省である。小池氏を責めることはほとんど無意味である。この「化かし」は、通常の人間の「詐言」とは異なる。「緑のタヌキ」は決して尻尾をつかまれるようなことはしない。「選挙には出ないと最初から言っていたじゃないですか」と開き直られて終わりだ。化かされた側の棟梁の前原氏の愚かさが際立つだけだ。
・彼らにとって必要なことは、「緑のタヌキ」に二度と化かされることがないように、今後の小池氏の在り方、行動に対して、厳しい目をもって対応していくことである。 パリでの「ガラスの天井」「鉄の天井」などの発言、帰国後の「せっかく希望の党がたちあがっているわけですから、国政に向けても進んでいきたい」などの発言を見る限り、小池氏が、今回の選挙結果について、そして、自分の所業が日本の政治や社会にいかに深刻な影響をもたらしたかについて、真摯に反省しているとは到底思えない。今後も、また、様々な策略を弄して、「緑のタヌキ」として巻き返しを図ろうとしてくることを十分に警戒しなければならない。
・小池氏は、「都政に専念せよという都民 国民の声であったと真摯に受け止めたい」と言っているようだが、都民の一人として率直に言わせてもらえば、小池氏には、国政だけでなく、都政にも実質的に関わってもらいたくない。都知事にとどまるのであれば、マスコミ対応や外交活動などをやるだけにとどめてもらいたい。小池氏が、都政に実質的に関わっていくことが、全く有害無益であることは、都知事就任以降のこれまでの経過を見れば明白だ。
・都知事としての小池氏について、私は、昨年11月以降、【小池都知事「豊洲市場問題対応」をコンプライアンス的に考える】【「小池劇場」で演じられる「コンプライアンス都政」の危うさ】【「拙速で無理な懲戒処分」に表れた「小池劇場」の“行き詰まり”】【豊洲市場問題、混乱収拾の唯一の方法は、小池知事の“謝罪と説明”】【「小池劇場」の”暴走”が招く「地方自治の危機」】などのブログ記事や、日経グローカル、都政新報などへの寄稿、片山善博氏との対談本【偽りの「都民ファースト」】の刊行などで、徹底して批判を行ってきた。
・それらを読んで頂ければ、小池氏が行ってきたことが、いかに「ごまかし」「まやかし」であり、都政を混乱させるだけであったかは理解して頂けるはずだ。 「緑のタヌキ」に「化かされた人」も、正体を見破って「化かされなかった人」も、今回の総選挙で、思い知ったはずだ。「緑のタヌキ」は、国政からはもちろん、都政からも、速やかに「排除」されるべきである。
https://nobuogohara.com/2017/10/25/%E3%80%8C%E7%B7%91%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%8C%E3%82%AD%E3%80%8D%E3%81%AF%E3%80%81%E3%81%99%E3%81%BF%E3%82%84%E3%81%8B%E3%81%AB%E3%80%8C%E6%8E%92%E9%99%A4%E3%80%8D%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%B9/

次に、財務省出身で慶応義塾大学准教授の小幡 績氏が10月25日付けNEWSWEEK日本版に寄稿した「日本の政党政治はこれからどうなるべきか(前編)」を紹介しよう(▽は小見出し)。
<大混乱の末、自民圧勝に終わった総選挙にも収穫はあった。「政策論争」「二大政党制」「政権交代」を理想と崇める日本政治の虚構を暴いたことだ>
・衆議院選挙が終わった。 これはほとんど意味のない選挙だった、といわれているが、まったく違う。 日本の間違った政党政治の終わりが来たのだ。 日本政治について語られる三つの誤りがある。そして、それは専門家ほど間違っている。メディアの政治部記者や政治学者たちがもっとも大きな誤りを犯しているが、多くの政治家自身も致命的に間違っているのだ。
・第一に、政策論争は必要ない。 第二に、二大政党制は必要ない。 第三に、そもそも政権交代も必要ない。 これらのことを改めて明確に提示したのが、今回の選挙だった。 この3つのことは、私は従来から指摘してきたが、ほとんどの人には理解されなかったし、相手にもされなかった。彼らの意見は、これらの3つが日本には必要で、これらを実現するのが政治改革の目的であり、民主主義政治のゴールいや第一歩であるというものだ。
・それは現実には起こりえない。日本では絶対に起こらない。そして、さらに重要なことに、それは理想論に過ぎないのではなく、誤った理想である。日本のこれまでの政治制度や政党政治のあり方に対する批判は、誤った理想に基づき議論されてきたのだ。
▽小池は取り巻きも「感じ悪かった」
・第一に、今回の選挙結果を見れば明らかなように、政策は選挙にはまったく関係ない。誰も消費税引き上げの是非も教育支出も、そして憲法改正さえも議論しなかった。メディアは専門家や政党の政策担当者を呼んで議論させたが、有権者は全く関心がなかった。彼らに必要だったのは、安倍首相と小池都知事、どちらが信用できるか、正確に言えば、どっちか「感じの良い人か」ということだけだった。小池都知事にとって不利だったのは、本人だけでなく、その取り巻きたちが輪をかけて「感じが悪かった」ことだった。これで決定的に希望の党は敗戦した。
・立憲民主党がなぜ躍進したか。 安倍政権への批判票の受け皿となったからではない。一番「感じが良かった」からである。共産党が衰退したのは、「希望の党は自民党の補完勢力」などと関係ないことばかりを言い続けたからである。希望の党というどうでもいい政党を攻撃したからで、攻撃は少なくとも自民党に向かうべきだったし、それよりも重要なことは、他の政党を攻撃だけしているのは、とっても「感じが悪かった」のである。 立憲民主党は、希望の党に苛められたことにより同情票があつまり、いじめられてもめげずに奮闘していたのが、「感じが良かった」のである。元民進党の仲間を攻撃しない、という態度が真の勝因だった。
・第二に、二大政党制は誰も必要としていないことが明らかになった。小選挙区制の導入は二大政党制の確立を目指したものであったが、それは所詮、学者の机上の空論であり、政界の混乱とレベル低下をもたらしただけに終わりつつある。民進党の希望の党への合流は、やり方が稚拙だったり、担い手の個人的な欠陥があったりしたこともあるが、根底には、日本においては、人々は選挙で二者択一の選択をすること、させることを望んでいないことがある。
・今回の立憲民主党の躍進は、ここ数回の選挙の共産党バブルを引き継いだものという面もあった。明確な自民党批判勢力として貴重な存在だった、ということだ。もし、二大政党制を有権者が望んでいるのであれば、安倍政権批判に徹する政党はまったく必要ないはずで、立憲民主党だけでなく、他の野党も政策提言よりも、民主主義を取り戻す、暴走を止める、といった徹底的な批判、理屈や政策を超えた演説が相対的に効果を発揮した。
▽情に訴える「無所属」は日本だけ
・同時に、政治家、候補者の側も二大政党制を望んでいない。 日本人の特徴は、協調性がない、トップの決定に従わない、一国一城の主になりたがる、というものがある。これが日本の選挙を支配している。党の公認がとれなければ無所属で勝負する。党も分裂が避けられなければ、無所属で分裂選挙を戦わせ、勝ったほうに公認を与える。公平に見えるが、それは日本人だけの感覚であり、日本以外の社会では、上が決定すればそれはどんな形であれ、絶対であり、公平もくそもないのだ。これでは、政党政治は成り立たないし、そもそも組織は機能しない。
・しかも、それを有権者が支持する。無所属でがんばっていると、支援する。だから、候補者も、無所属はいろいろなハンディは生じるが、むしろ人情的には戦いやすい。だから、無所属という選択肢がある。こんなことは他の国の政党政治には見られない。
・二大政党制においては、議員はただの駒である。当選1回、2回の議員では駒にもならない。ただの国会の議席数の頭数である。それを心情的に認められない政治家の気持ちはわかるが、有権者も有識者も、個々の議員に政策の研究、提案、活動を期待する。そんな465種類の意見があったらまとまるはずがない。参議院は人数も少ないし、任期も長いので、政策を重視する、ということがあってもよい。しかし、衆議院は数による権力闘争の場だ。個人の人格も政策も関係ない。関係あるのは、政党の政策と人格だけなのだ。
・そうではなく、個々の議員の人格が重要、選挙は人で選ぶ、という有権者の下では、二大政党制は成り立たないし、一国一城の主を望む議員たちによって、安定した二大政党制は成り立たない。 そもそも、二大政党制が安定して成立しているのは、アングロサクソンの国々、それも一部に限られ、ほぼ米国と英国に限られ、英国でさえ、三党である。
・欧州の多くの国においては、意見の多様性あるいは価値観の軸の多様性を反映して2つを超える政党が成立し、常に連立政権を組むことになっている国が多く、その連立の組み合わせで、毎回政権の政策は変わってくる。
・今回の選挙において、希望の党の代表が国会議員に立候補しなければ内閣総理大臣の指名候補がいない、政権選択選挙なのだから、首相候補が誰かわからなければ、有権者は判断ができない、野党なのか、与党を目指すのかわからないなどあり得ない、安倍首相なら駄目で、ほかの自民党議員なら連立の可能性があるなどおかしい、などという間違った議論が専門家から噴出した。これらはすべて間違っている。
▽与党か野党かは連立次第
・小選挙区制の導入の誰かの(政治家か専門家かしらないが)下心が、二大政党制の実現にあったとしても、法律に二大政党制とは書いていないのであるから、それは社会が選ぶことになるのであり、その場合に、少数政党が生まれるのはありうるし、日本をはじめほとんどの社会ではほぼ必然なのである。
・そのような場合に、党の政策を実現するために、妥協しつつ部分的にでも少しでも実現するために、野党として議会を運営するのか、与党に入るのか、それは選挙が終わってから、連立の組み方の駆け引きの中で当然条件闘争として起こるべきものである。大臣ポストとかの駆け引きばかり取り上げるが、本来は政策の駆け引きであり、例えば、公明党が消費税の軽減税率を盛り込ませたのは、連立与党に入ったことによる果実であり、このような形が選挙前、選挙中、選挙後の動きの中で模索されるのは当然なのである。
・選挙の結果が出る前に与党か野党かなど、決まるはずがない。政策は決まっていないといけないが、その実現手段を委ねるのが間接民主制であり、議会制なのだから、100%間違っているのは専門家の方なのである。希望の党の問題は、政策がまったく決まっていなかったことにあり、それの方が致命的であるが、専門家の批判は政策の中身に向かうべきであったのである。
・第三の政権交代については、日本においては、2009年の選挙で政権交代バブルが起きたために、政権交代こそが必要だと専門家や野党の候補が言うから、人々もそう信じてしまっているが、これも間違いだ。  もっとも悲惨なのは、旧民主党の人々で、いまだに政権交代可能な政党を、と叫んでおり、それがすべてに最優先する。今回の希望の党への合流騒動も、もともと小池新党は眉唾だったから、どうなっても不思議はないが、そのような蜃気楼に民進党の当選回数の多い議員が喜んで乗ったことが不思議であり、驚愕であり、多くの有能な議員を巻き込んだ大惨事を生み出したのだが、この奇怪な意思決定の理由の一つに政権交代至上主義がある。
・どんな形であれ、野党を一本化しなくては、政党をひとつにしなければ、政権交代可能な政党は作れない、というが、そんなことはない。前述したように、連立を組めばよいだけであり、選挙戦であっても、政党を一つにする必要はなく、選挙協力で一本化すればよいのである。それは難しいというが、それなら、政党を一つにすることはそれ以上に難しい。
▽打倒安倍より大事「安倍の後」
・そもそも、安倍政権を倒すことがすべてに優先する、正義である、かのように当然のように議論が行われたが、そんなことはあり得ず、倒した後が倒した前よりもましな政治、ましな政策、ましな社会になる場合に限って倒すことは正当化されるのである。
・しかし、本質的な不幸は、政権交代実現可能な政党でなければ、有権者からの支持が得られない、衆議院は政権選択選挙である、という誤解によりもたらされている。議員たちにとって見れば、与党をやった後に野党をやることは、本当につまらない、やりがいのないものだ、という気持ちはわかる。自分たちが、政党を結集するのに、政権交代を目指す、といわないと政治家たちの内輪で盛り上がらない、というのもわかるが、有権者は、安倍政権が緩んだことに対して批判的ではあるが、政権交代をしろ、と言っているわけでもないし、いまだにイメージの悪い旧民主党のメンバーに交代して欲しいとは思っていないし、一生思わないだろう。
・それは、品のない嫌らしいことだとは思うが、安倍首相がいまだに、民主党政権時代と比べて、というフレーズを多用するのは、それが効果的だからである。 民主党という個別の党のイメージはともかく、そもそも政権交代自身も日本の有権者は望んでいない。戦後の政党の闘いを知らない中年の有権者層は、なんか政権交代は面白そうだと思っていたが、起きてみたら酷いもんだ、と、政権交代という概念自体を、個別の新党と同様に使い捨てにしてしまったのだ。
・新自由クラブ、日本新党、新進党、民主党、みんなの党とすべて使い捨てにされたが、政権交代も同じような意味で使い捨てられたのである。希望の党は、使い捨てられる前に自滅したが。 日本の人々は、政権交代ではなく、権力に対する牽制を求めているだけで、政権交代などという、コストもリスクもあるものを望んではない。二つの対立軸も実はなく、どの政党の政策もすべての有権者層へ向かって八方美人なものになっているということでわかるように、交代ではなく、牽制と修正だけが必要なのだ。55年体制でもわかるように、確かに、たまには交代しないとけん制機能は低下してしまうのであるが、しかし、もうひとつの自民党を抱えるほどのコストを社会は負担する気はない。カネも人もそこで寝かせて置くわけだから、これは非常にコストがかかるのだ。
・ここまで、仕方がない、ということである意味、現状是認の議論をしてきたが、現在の政党政治がこのままでいいとは思わない。そこで、後半では、ひとつの提言をしてみたい。
http://www.newsweekjapan.jp/obata/2017/10/post-17_1.php

第三に、上記の小幡 績氏の続きである10月27日付けNEWSWEEK日本版「緑の党を作ろう──日本の政党政治はこれからどうなるべきか(後編)」を紹介しよう(▽は小見出し)。
<10.22の衆院選で見たように、野党の多くが自滅するのには理由がある。従来の常識を覆す、しかし、実は王道の政党を日本でも作れるのではないか> 
・緑と言っても希望の党とは無関係だ。その正反対の党を作るのだ。 現代日本の政党の構造的な問題が鮮烈に示されたのが、今回の選挙であった。 有権者は政策には関心がない。地方では人物重視、都市部ではイメージだけの争い。そのような現代日本社会の選挙においては、政党は重要でない。
・そうなると組織もいらなくなり、政治家は全員個人商店になるか、というとそういう面が強いが、それでも組織は絶対的に必要である。 政策は無関係、イメージだけの争いとなった場合、与党だけが組織として持続可能となる。政権交代を目指す野党は組織としては存続し得えない。 なぜか。 それは、組織の構成員が組織にとどまるインセンティブがない一方、組織を維持するにはカネとエネルギーと忍耐が揃うことが必要であり、それらは日本ではほぼ永遠に実現しないからである。
・選挙に負けた場合、次の選挙までは、野党である。野党の落選した候補者は、普通は無職で次の選挙まで地道に選挙のための活動を日々続ける必要がある。 これはつらい。政党から補助が出るといっても数十万円で、それで事務所を借りて、秘書を雇って、家族も養わないといけない。一度も当選したことがなければ、とにかく当選するまであらゆる手段を使って、なんとか生活していくかもしれないが、一度当選した後に落選すると、これは厳しい。むしろ制約条件が増えている。
▽城も兵糧もない主
・議員であったときに雇った秘書がいる。地元の秘書もスタッフもいる。事務所もある。毎日街頭演説をしなくてはいけない。支援者のネットワークもあるが、それの維持のために毎日回り続けなくてはならない。つまり、カネもエネルギーもかかるのである。そして、自分個人と家族の手を離れて、候補者の名前は支援者を中心とするコミュニティのものとなり、いわばその地方のものとなるのである。簡単には候補者を辞められない。 これはきつい。だから、是が非でも当選しなくてはいけない、と一度も当選できてない落選続きのときよりも身にしみて思うのである。
・このとき、日本の政党はあまり助けにならない。金銭的援助がないだけでなく、当選するためには、上述したように個人で、野党のその選挙区の一国一城の主として奮闘しなければならない。しかし、実は城はなく、兵糧もない。政党の評判、イメージが有権者の間で悪ければ、そんな助けにならない党にとどまる意味はないどころか、足かせになる。そこで、風を求めて、政党を移ったり、作ったりすることになる。
・この結果、政党の組織的な維持はさらに難しくなる。忍耐できない個人を組織へと結束させ続けるのは、個人の忍耐の次元を超えて難しい。組織の持続性は決定的に厳しいのだ。 とりわけ、二大政党制を目指し、政権交代を目指す、というような政党の場合、すべての小選挙区に候補者がいる。つまり、落選中の次回選挙の公認(予定)候補が多数いる。彼らをつなぎとめるには、票かカネしかない。しかし、支持層が確立していない歴史の浅い野党では基礎票はない。カネを配る、という時代でもない。だから、組織が意味を持つための手段もキャパシティもないのである。
・ちなみに、かつての派閥政治とは、このカネで結束が生まれていたのであり、かつカネは与党であり続けることにより、組織的に企業などから流れてきたものであるから、機能したのだ。今では、政策勉強会的に派閥が機能しているが、しかし、それでも一旦確立した派閥を崩す意味はなく、他のメンバーがどこかの派閥に属している以上、自分もどこかには属したほうが良い。これが一番重要で、歴史と伝統の効果だ。さらに、力が弱まったとは言ってもある程度の票と軍資金の助けにはなるから、与党においては派閥が機能し続けているのである。
・さらに、広く考えると野党は絶望的な状況にある。 党は、議員や候補者だけの集まりではない。党の職員も必要だし、全国に草の根ネットワークが必要である。要は草の根かつ全国規模の動員ネットワークが必要なのである。
・支持者が組織化され、安定的に支持し、投票してくれることが必要だ。彼らのファーストコンタクトが市町村会議員であり、次に県議会議員であり、その上に国会議員が乗っかる構造になっていることが必要だ。国会議員は中央で大きな仕事をし、地元のために大きな利益を持ってくる。それを県、市町村に配分する。その代わり、地方議員は、国政選挙のときは、自分の支援者を動員する。国会議員はそれらをカリスマティックにまとめることに専念する。市町村議員もこの活動を通じて、自分の支援者の結束を強め、広げることができる。市町村議会選挙のときに、カリスマのある、有名な国会議員が応援に来てくれれば、盛り上がり、自分の当選もより確実になる。これぞ組織のネットワークである。
▽国会議員になっても個人商店
・しかし、野党にはこれがない。民主党は、日本新党の流れから、21世紀に入って議席を伸ばし続け、期待が高まった。だから、地方選挙の新人候補はみな無所属ではなく民主党の地方議員として立候補した。この流れがもう少し継続すれば、彼らにもこのようなネットワークができたであろうが、政権獲得後、一瞬で崩壊してしまったから、地方議員はイメージの悪い党から抜け出し、無所属で闘い、再度自分の小さな支持基盤を固め直した。この結果、野党の国会議員は選挙のときに地方のネットワークをヒエラルキー的に動員することができない。国会議員になっても個人商店で、地元の小さな社会でも、すべて自分自身ですべてをやらなくてはいけない。これでは、カリスマは出てこない。大きな仕事に集中できない。
・当選している地方議員よりも草の根的に活動しないといけない。これは厳しい。この厳しい環境の中で、当選している議員もいるから、彼らは与党の議員よりも個人としてはより選挙に強いはずである。これで鍛えられた野党議員たちが、与党になれば、より強くなるのだが、それは実現しそうもない。
・逆説的だが、だからこそ、強い彼らは自分の力を頼り、または過信し、有権者にイメージの悪くなった所属政党を批判し、あるいは内部分裂をし、またはイメージをよくするために、代表を取り替えたり、政党名を取り替えたりする誘惑に駆られる。これでますます党は弱くなり、イメージも悪くなる。絶望的だ。だから、一発逆転を狙いたくなる。そして、自滅する。これが運命だ。
・こんな状況で新しく政治家になろうとする人は物好きだ。ものすごいギャンブルだ。ギャンブルはある意味公平な賭けであるが、これは望みがなく、自分だけの努力ではどうしようもない賭けだ。だから、有望な人材で合理的な人々は政治家にはならなくなる。政界は人材不足となるのである。
・秘書ともなるとさらに悲惨だ。 いつ落ちるかわからない野党議員の政策秘書になることほど不安定な職業はない。かつては、秘書をやって政治の勉強をして我慢していれば、後継者として自分もいつか議員になれた。いまはそういうことはほぼない。議員自身が生き残りが難しいのに、秘書が生き残れるはずはなく、議員になれるはずなどない。さらに、議員候補者は落選して次を忍耐強く頑張るのは自分次第だが、それについていく秘書はほとんどいない。政策秘書的な人間ならなおさら給与も高く払わないといけないから、断腸の思いで首にせざるを得ない。政治家の秘書の人材不足は議員以上に深刻となる。こうなると、ますます、選挙にも勝てなくなり、勝ち続けている与党議員との差は広がってしまう。
▽組織として最も優れた政党:公明党と共産党
・さて、このような状況では、健全な野党を作ることは諦めるしかないのか。 現在、自民党以外で組織として機能している政党は2つある。公明党と共産党だ。組織としては、自民党以上にしっかりしている。それは、彼らは与党でないか、与党になったのは最近であるから(そして少数政党だから)、自民党よりも組織として強くなければ存続は難しい。だから、機能している、ということはすごいのである。
・彼らの強みはもちろん、固定化された支持層である。数は多くないが、決して裏切らない結束の強い支持基盤がある。どんなことがあっても上層部の支持には従う。組織として安定しているから、個人商店として選挙を戦わない。だからこそ、選挙に強い人が偉くなるのではなく、組織人として優秀な人が偉くなるのである。比例名簿の上に載るのである。そして、定年などがあり、きちんとローテーションする(ことが多い)。組織文化として、インテリを尊敬するところがあるから、優秀な人材が出世する。これも組織の安定性に繋がる。だから、政党の中では、もっとも素晴らしい組織なのである。
・政策的な主張もはっきりしている。そして、公明党は与党に入ることで、政策的な一貫性を失ったようにも見えるが、与党に入り続けることから得られる実利を優先し、可能な限り妥協する、という方針がはっきりしている。その結果、もっとも自分たちの支持者のために有効な政策を実現する成果を得たのは公明党である。軽減税率はその一例である。
・選挙的には、彼らはなくてはならない票を持っている。安定した票を全国に持っているということだ。自民党は公明党の基礎票抜きには選挙を戦えないし、今回希望の党が惨敗したのは、連合の基礎票がばらばらになってしまったことで、立憲民主党は部分的に共産党の基礎票を取り込めたことが勝因となった。
・だから、選挙戦術的に言えば、共産党との共闘は、政策的な整合性から難しい、という民進党の一部の人々の判断は選挙に負けてもいいから、ということであれば、正論で素晴らしいが、選挙に勝つことを最優先するのであれば、致命的な失敗であった。
・現在の選挙は、組織的な基礎票をベースに浮動票をイメージ戦略でどこまで取り込むか、という闘いである。基礎票もなく、イメージも悪い民進党の有力議員は自力でがんばり続けるしかなかったが、風を求める議員たちの作り上げた人災によって、自己努力で得ていた票まで吹き飛ばされてしまった。 このような繰り返しをしていては未来はない。もし、組織的に安定的な政党を作るとすればどうしたらよいのか。
▽政権交代可能な政党は目指さない
・第一に、浮動票には頼らないことが必要である。無党派層と呼ばれる浮動票層は気まぐれで、適当である。日本新党に入れ、小泉郵政解散に入れ、政権交代に入れ、みんなの党に入れ、維新に入れる人々である。頼ったらこちらが使い捨てられてしまう。
・第二に、では基礎票を固めるしかないが、それには全国的なネットワークが必要である。しかし、それは思いつかない。私は、この30年、何がありうるか考え続けたが、ないという結論に達した。公明党や共産党は参考になるが、特殊である。同様のネットワークを今から作ることは不可能だし、代わりになるものも存在するようには見えない。何か代替案が必要である。
・第三に、ローコスト運営が必要である。政党をつくる、ということはゼロからのスタートである。もちろん、野党である。だから、長い間、もしくは永遠に野党であるから、利権も組織に帰属するインセンティブも生み出すことはできない。それでも組織を持続させるためには、組織の持続にコストがかからないようにする必要がある。
・第四に、そのためには、政権交代可能な政党は絶対に目指さない、という方針が必要である。日本では政権交代は望まれていない。過度に強くなった政権与党を牽制することだけが必要である。そのためには、公明党のように、少数政党として、連立政権に入るか、共産党のように、野党として一貫した主張をし続けるかである。そのためには、政権をとることを目指してはいけない。多数の候補者、小選挙区のすべての選挙区に候補者を擁立するにはコストがかかりすぎる。最初から少数政党であり続けることを前提に党を作る必要がある。
・これらを考慮すれば、結論はどうなるか。 一つは地域政党、という道があるだろう。大阪はそうであるが、あれは橋下氏という例外的なカリスマに頼ったものであり、かつ彼が全国展開、政権獲得を目指したことにより衰退していった。地域政党と政権獲得は両立しないのである。かつ地域政党であれば、地方自治であり、国政選挙政党としては持続的でない。全国的な政党になるための過渡期の手段でしかない。
・もう一つの道は、逆説的だが、現在の日本の選挙では政策がまったく関係ない、という状況を活かして、あえて政策の軸を据えて、それで勝負する政党を作ることである。 基礎票が得られないとなれば、浮動票層を狙うしかない。しかし、浮動票で過半数を目指すと無理が生じるし、政策も流行を追う必要があり、浮動に応じて右往左往しなくてはならない。徹底したポピュリズムとイメージ戦略に陥ってしまう。これまでの失敗を繰り返すだけである。だから、浮動票の中でも一部だけを獲得すればよい。そして、それを固定化することを目指すのである。
・これまで何回も新しい政党やイメージ戦略で膨らんだ政治バブルを自ら作り、自ら崩壊させ、一部の浮動表層の有権者たちは飽きていることがある。うんざりしている人も多いだろう。そのようなバブルを作っては壊し続ける周りの浮動表層に憤りを感じている人も一部はいるだろう。
・彼らは、政策で選挙に投票できる状況が生まれれば、非常に楽になるに違いない。これまでは、選挙にいかなくてはいけない。それは国民の義務である。しかし、どの政党もポピュリズムで、風目当てで、うんざりだ、投票したいところがない、と思っていた。だから、少しでも望みがあれば、あるいは少しでも目新しければ、試してみるか、ということで投票していたが、失望し、そんな党に投票した自分を後悔していたはずだ。だから、政策で投票できた、という実感を持てれば、非常に楽になるはずである。 だから、政策を軸に党を作ってみよう。
▽左翼、右翼、憲法、女性ではだめだ
・ただし、右とか左、というのではいけない。欧州の流行に従えば、極右政党となるかもしれないが、それは持続的ではないし、欧州の特殊事情もあるし、日本では極右は受けないと思う。同時に、左ではもちろんない。右とか左ではないのである。
・さらに、女性の代表とか、若者の代表、というのでもいけない。本来、政治とは、自分のバックグラウンドを支持するものではないのである。それでは、利権政治と同じである。 したがって、どんな属性を持つ人でも、政策に関する考えだけで投票できる可能性のある軸を打ち出す必要があるのである。それは何か。私は、環境、と考える。だから「緑の党」なのである。
・連立政権がほとんどである大陸欧州では、ほとんどの国で、緑の党が一定の議席を持っている。それがなぜ日本で成立しないのか。その理由は、環境意識が日本人は低い、という説もあるが、私は正反対に環境意識が誰もが強すぎて、政策としてあえて主張する、自分の信念として主張することにこれまで違和感があったからだと思う。あたりまえすぎて、あえて主張することではなかったのだ。
・しかし、環境破壊は激しく進んでいる。日本自体は、1960年代の公害問題を克服し、環境は戻る、良くなる、ということを実証した素晴らしい国だ。しかし、日本だけが良くなっても、世界の環境破壊は止まらない。地球温暖化は否定の仕様のない悪影響を地球に与え、異常気象は、世界で普遍的に起こり、日常的になり、異常気象が通常となっている。従来と違って、意識的に環境最優先と強く主張しないと、個々人の日常生活を超えて、日本として世界に主張していかないと、環境問題は解決できないと少しずつ日本の人々も実感し始めているのではないか。
・したがって、なぜ日本では「緑の党」が成立しなかったのか(過去にそういう党は存在したが、存続し得なかったのか)という問いに対しては、だから、これから作る、という回答があり得る。私は、この仮説を信じてみたい。 私は環境の専門家でもなんでもない。一有権者として、そのような党があったら投票してみたい、と思っただけである。そして、それは私だけではないのではないか、と感じている。だから、是非、誰かにこのような政党を作ってみて欲しいのである。
・具体的には、小選挙区には立候補しない。比例区だけ候補者を立てる。そして、候補者は、職業としての政治家ではない。環境問題に貢献したいというメンバーが組織をつくり、そのメンバーが交代で候補者になる。当選しても一期限りである。仕事は別に持ち続ける。当選した場合だけ、一定期間出向のような感覚で、その間だけ仕事を離れ、議員活動に専念する。1期終われば、いままでの仕事に戻るのである。こうすることによって、いいメンバーが集まる可能性があるのではないか。権力闘争や政治的なプロセスには興味はないが、環境政策に関心のある専門家が参加できるのではないか。
▽期待ゼロよりは建設的挑戦を
・中核には、政治の専門家としての政治家が必要だろう。1名あるいは数名の経験のある議員にいてもらう必要がある。そして政党運営のために、ベテランスタッフも最低数名は必要であろう。あとのメンバーはパートタイム、あるいはボランティアである。 選挙活動は従来のような形ではしない。環境問題の理解を深めるシンポジウムを開催したり、小規模な集会をボタンティアでしたり、そのような論考や主張を発表したりするだけである。政策については徹底的に勉強をする。
・カネは必要である。上述のスタッフの人件費は安定的に必要であり、また立候補にもカネが必要である。ただ、普通の政党に比べて格段に少なくて済む。毎回、風を求めて右往左往する必要はない。当選できなくても構わないのである。
・これでどこまで政策に影響力を持つことができるかは未知数である。大きな力にはならないかもしれない。しかし、ゼロよりはましではないか。環境を良くすることにマイナスにはならないだろう。政治に何も期待できないのであれば、ゼロよりましなものに賭けてみるのはありではないだろうか。
http://www.newsweekjapan.jp/obata/2017/10/post-19_1.php

第一の記事で、 『鉄の天井』発言は、 『恐るべき問題の「すり替え」だ』、 さらに小池氏が 『今後も、また、様々な策略を弄して、「緑のタヌキ」として巻き返しを図ろうとしてくることを十分に警戒しなければならない』、などというのはまさにその通りだ。 『「緑のタヌキ」は、国政からはもちろん、都政からも、速やかに「排除」されるべきである』、というのは正論だ。
第二の記事の小幡 績氏の見解は、俗論に流されずに、やや独断的ではあるが、極めてユニークなので、面白い。 『日本政治について語られる三つの誤りがある・・・第三に、そもそも政権交代も必要ない』、の第三については、若干の違和感を感じる。 『連立を組めばよいだけ』、とするが、 『政権交代至上主義』は問題があるとしても、与党が圧倒的多数を占めている昨今の状況を踏まえると、『連立』とは「空論」に近いのではなかろうか。ただ、 『日本の人々は、政権交代ではなく、権力に対する牽制を求めているだけで、政権交代などという、コストもリスクもあるものを望んではない』、というのはその通りだろう。
第三の記事で、 『浮動票の中でも一部だけを獲得すればよい。そして、それを固定化することを目指すのである』、 『どんな属性を持つ人でも、政策に関する考えだけで投票できる可能性のある軸を打ち出す必要があるのである。それは何か。私は、環境、と考える』、など小幡 績氏が、真剣に考察した提案は傾聴に値する。ただ、 『第四に、そのためには、政権交代可能な政党は絶対に目指さない、という方針が必要である』、というのも、上記の連立についての小幡 績氏の考え方に違和感を持つ以上、賛成しかねる。いずれにしても、小幡 績氏のユニークな考え方は、思考実験としても、興味深い。
タグ:私は、環境、と考える 、どんな属性を持つ人でも、政策に関する考えだけで投票できる可能性のある軸を打ち出す必要 政策を軸に党を作ってみよう 浮動票の中でも一部だけを獲得すればよい。そして、それを固定化することを目指すのである もう一つの道は、逆説的だが、現在の日本の選挙では政策がまったく関係ない、という状況を活かして、あえて政策の軸を据えて、それで勝負する政党を作ることである 第四に、そのためには、政権交代可能な政党は絶対に目指さない、という方針が必要 第三に、ローコスト運営が必要 第二に、では基礎票を固めるしかないが、それには全国的なネットワークが必要である。しかし、それは思いつかない 第一に、浮動票には頼らないことが必要 組織的に安定的な政党を作るとすればどうしたらよいのか 組織として最も優れた政党:公明党と共産党 国会議員になっても個人商店 かつての派閥政治とは、このカネで結束が生まれていたのであり 政党の評判、イメージが有権者の間で悪ければ、そんな助けにならない党にとどまる意味はないどころか、足かせになる。そこで、風を求めて、政党を移ったり、作ったりすることになる 個人で、野党のその選挙区の一国一城の主として奮闘しなければならない 城も兵糧もない主 組織の構成員が組織にとどまるインセンティブがない一方、組織を維持するにはカネとエネルギーと忍耐が揃うことが必要であり、それらは日本ではほぼ永遠に実現しないからである 政権交代を目指す野党は組織としては存続し得えない 政策は無関係、イメージだけの争いとなった場合、与党だけが組織として持続可能となる 地方では人物重視、都市部ではイメージだけの争い 有権者は政策には関心がない 緑の党を作ろう──日本の政党政治はこれからどうなるべきか(後編)」 戦後の政党の闘いを知らない中年の有権者層は、なんか政権交代は面白そうだと思っていたが、起きてみたら酷いもんだ、と、政権交代という概念自体を、個別の新党と同様に使い捨てにしてしまったのだ そもそも政権交代自身も日本の有権者は望んでいない 打倒安倍より大事「安倍の後」 連立を組めばよいだけであり、選挙戦であっても、政党を一つにする必要はなく、選挙協力で一本化すればよいのである 政権交代至上主義 2009年の選挙で政権交代バブル 常に連立政権を組むことになっている国が多く、その連立の組み合わせで、毎回政権の政策は変わってくる 欧州の多くの国においては 二大政党制が安定して成立しているのは、アングロサクソンの国々、それも一部に限られ、ほぼ米国と英国に限られ、英国でさえ、三党である 個々の議員の人格が重要、選挙は人で選ぶ、という有権者の下では、二大政党制は成り立たないし、一国一城の主を望む議員たちによって、安定した二大政党制は成り立たない 衆議院は数による権力闘争の場だ。個人の人格も政策も関係ない。関係あるのは、政党の政策と人格だけなのだ 二大政党制においては、議員はただの駒である。当選1回、2回の議員では駒にもならない 情に訴える「無所属」は日本だけ 安倍政権への批判票の受け皿となったからではない。一番「感じが良かった」からである 立憲民主党がなぜ躍進したか 小池は取り巻きも「感じ悪かった」 日本のこれまでの政治制度や政党政治のあり方に対する批判は、誤った理想に基づき議論されてきたのだ 第三に、そもそも政権交代も必要ない。 第二に、二大政党制は必要ない 第一に、政策論争は必要ない 日本政治について語られる三つの誤りがある 日本の間違った政党政治の終わりが来たのだ 「日本の政党政治はこれからどうなるべきか(前編)」 Newsweek日本版 小幡 績 。「緑のタヌキ」は、国政からはもちろん、都政からも、速やかに「排除」されるべきである 小池氏が、都政に実質的に関わっていくことが、全く有害無益であることは、都知事就任以降のこれまでの経過を見れば明白だ 今後も、また、様々な策略を弄して、「緑のタヌキ」として巻き返しを図ろうとしてくることを十分に警戒しなければならない 行うべきことは、「緑のタヌキ」の実体を見抜くことができず、まんまと「化かされて」しまったことへの痛切な反省である 前原氏率いる民進党議員達が、「緑のタヌキ」にまんまと「化かされ」、自滅 小池氏の「化けの皮」は剥がれ、希望の党による「政権交代」への期待は急速にしぼんでいった 民進リベラル系に対する「排除発言」 テレビ出演で、「政権交代は次の次」「小池氏は選挙には出ない」と、馬鹿正直に発言 若狭勝 都知事辞任をギリギリまで否定しつつ、希望の党による政権交代への期待を最高潮にまで高め、その期待に応えるための「決断」をすれば、マスコミも、「安倍・小池、総選挙での激突」を興行的に盛り上げることを優先し、「都知事投げ出し」を批判しないだろうという「したたかな読み」に基づいていたはずだ 国政政党を立ち上げ自ら代表となって「政権交代」をめざすことと、都知事の職とは、もともと両立するものではなかった 恐るべき問題の「すり替え」だ 今回、総選挙があって、鉄の天井があるということをあらためて知りました ケネディ前駐日大使と対談 大惨敗が予想されるや、超大型台風の接近で東京都にも甚大な被害が発生する可能性があるのに、「災害から都民の命を守る都知事」の責任にも背を向けて、投票日前日にパリに渡航し、フランスの有力紙からも「逃亡中の女王」などと揶揄 「緑のタヌキ」は、すみやかに”排除”されるべき」 郷原信郎 (その14)(「緑のタヌキ」は、すみやかに”排除”されるべき、小幡 績:日本の政党政治はこれからどうなるべきか(前編)、(後編)) 日本の政治情勢
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