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司法の歪み(その4)(ある公安警察官の遺言シリーズ(過激派との闘い、オウム事件で喫した痛恨のミス、公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯)) [社会]

司法の歪みについては、昨年8月22日に取上げた。今日は、必ずしも「歪み」とはいえないが、普段は表に出ることのない公安警察を扱ったものを、(その4)(ある公安警察官の遺言シリーズ(過激派との闘い、オウム事件で喫した痛恨のミス、公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯))である。

先ずは、TBS報道記者で作家の竹内 明氏が昨年7月23日付け現代ビジネスに寄稿した「「俺はもうすぐ死ぬ」元公安警察官が明かした過激派との闘い ある公安警察官の遺言 第1回」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・6月9日、ひとりの元公安警察官がなくなった。 古川原一彦。警視庁公安部公安一課に所属して極左の捜査を担当し、連続企業爆破やオウム真理教事件で活躍した叩きあげの捜査官だ。 「俺はもうすぐ死ぬから、お前と最後に飲みたい。世話になったお礼にご馳走させてくれ」 筆者の携帯にこんな電話が掛かってきたのは、先月中旬のことだ。その口ぶりに覚悟を感じた。8年前に膵臓癌で手術、奇跡的に回復していたが、去年、再発していた。
・古川原は千葉県内の某駅を指定し、「午後6時頃に駅に着いたら電話しろ」と言って電話を切った。 当日、私が待ち合わせ場所の駅から電話すると彼はこう言った。 「なんだよ、おまえ。朝6時だぞ。年寄りは寝てるんだから、こんなに早く電話するなよ」  「いや、古さん。いま夕方の6時、約束の時間ですよ」  「……そうだったか。すまねえ」  駅近くの店ではなく、体に負担をかねないよう自宅近くの居酒屋で飲むことにした。
・いつもどおりの洒落たジャケットを着て店にやってきた古川原は思ったより血色がよかった。 「頚椎に癌が転移しやがった。右手がまるで利かなくなっちゃってね。まったくいやになるよなあ」 古川原は照れ臭そうに笑うと、馴染みの店員に、豪華な刺身の盛り合わせを注文した。カウンターに並んで、黙々と食事をした。古川原は震える右手でフォークを握り、刺し身を何度も落としながら、口に運んだ。あれほど豪快に酒をのんだ男が、この日は熱燗を舐める程度だ。
・公安捜査官として数々の難事件を解決した男だ。二度の離婚、酒癖もわるい。上司には平気で食って掛かるし、ルール違反すれすれの捜査手法も厭わない。組織の枠からは大きくはみ出した公安部の名物男だった。
・これまで筆者はこの男から沢山の話を聞いてきた。首都のど真ん中で起きた衝撃の事件に全国民が慄然とした連続企業爆破テロ事件、クアラルンプール事件、ダッカ事件。そして平成に入って世界初の化学兵器によるテロが実行されたオウム真理教事件。現在の警察組織では、公安といえども踏み越えることのない一線を、ときに荒々しく越える昭和の公安捜査官の捜査手法……。 読者の皆さんには、彼が死の直前に見せてくれた写真や資料も交えながら、激動の捜査官人生を数回に分けて紹介したいと思う。
▽テロの時代、公安はまさに「花形」だった
・公安警察官は目立たぬことこそが最も重要だ。だが、古川原一彦は警視庁に入庁する前から「有名人」だった。その名が世間に知れ渡ったのは、全国高校駅伝でのことだ。1964年1月4日の新聞には、こう書かれている。 <ひょろ長い体にくりくり坊主、真っ赤なハチマキをしめたその頭からほのぼのとユゲが立つ。その表情はいかにも全力を出し切ってたたかったわこうどの表情をそのままに美しい。レースを終わって勝利のアンカー古川原選手はゆっくりと喜びをかみしめながらぽつりぽつりとレースをかえりみて次のように語った。 「優勝はしたが、記録を更新できず残念です。風がきつかった上に道が悪くて穴で足をくじきはしないかと気が気でなかった。優勝はみんなのおかげです。しかし優勝はなんどしても気持ちがいい」>
・古川原は当時、名門・中京商業の駅伝選手。アンカーでゴールテープを切って、全国優勝を成し遂げた超一流の選手だった。名だたる企業からの誘いを断って古川原が選んだ就職先は警視庁だった。その理由はのちに紹介したい。
・古川原が警視庁巡査を拝命したのは1965年のことだ。交番勤務からスタートして、その7年後に、大塚警察署の公安係に異動となった。過激派によるテロが続いた時代、所轄とはいえ、まさに公安は花形だった。  1974年8月30日に、東京・丸の内で三菱重工ビルが爆破された。死者は8人、けが人は376人。ダイナマイト700本分の威力の爆弾だった。
・この爆破の8分前、三菱重工の本社にはこんな電話が掛かっていた。 <我々は東アジア反日武装戦線”狼”である。爆弾を2個仕掛けた。これはいたずら電話ではない>  その後も、三井物産、帝人、大成建設、鹿島……と大企業を狙った爆破事件が続いた。これが当時の日本を震撼させた「連続企業爆破テロ事件」である。
・古川原は所轄の末端の捜査員として、犯行に使われたペール缶爆弾に取り付けられていた時限タイマーの販売元をこつこつと探す作業に没頭した。 タイマーに使われたのは「スターレット」という旅行用目覚まし時計。茗荷谷駅近くの時計店にいった古川原は、タイマーに使われたスターレットと製造番号が連番の時計を発見する。
・「犯人が時計をこの店で買ったのではないかと誰もが思った。茗荷谷駅近くに爆弾魔がいれば、俺に手柄になると思ってワクワクしたよ」(古川原) 結局、犯人がこの店で時計を買った事実はなかったのだが、その粘り強い捜査姿勢が評価され、古川原には念願の「公安部」から声がかかったのだった。
▽「お前、家賃滞納してるだろ」
・異動先は、公安部公安一課の「極左暴力取締本部」だった。通称「極本」。極本の捜査員たちは、愛宕警察署の裏手にある「交通反則通告センター」に極秘の帳場(捜査本部のこと)を開き、東アジア反日武装戦線の正体を割り出す作業を進めていた。 古川原の任務は、東アジア反日武装戦線のメンバーと思われる佐々木規夫の行方を探すことだった。古川原は所在不明だった佐々木が、東京都北区中十条に住民票移転届けを出していたことを、戸籍調査で割り出した。
・古川原は初めて佐々木の姿を確認した時の印象をこう語った。 「佐々木は当時の過激派の若者とは違い、真面目なインテリサラリーマンという印象。彼らの教えの中に、『革命を起こすために、人民の海に入るには、善良な市民を装え』という教えがある。佐々木はまさにそれを実践していた」
・公安警察の真骨頂は徹底した「視察」、つまり尾行と張り込みである。このとき古川原は27歳。高校生時代は「くりくり坊主」だった頭は、肩までの長髪にパーマになっていた。当時の若者に溶け込みながら尾行するための偽装である。 行確(行動確認)を開始すると、佐々木は足立区梅島のアパートの1階に引っ越した。古川原は視察拠点の選定を命じられた。
・絶好の場所にアパートがあったが、その部屋には大学生が住んでいた。いきなり家を訪ねて「警察だ。部屋をよこせ」とはいえない。そこで古川原は大学生の基礎調査を開始した。 すると、この学生が家賃を滞納していること、仕送りをしている実家の父親が、かなりの酒好きだということがわかった。 
・古川原はまず、ビールを1ケース持って、父親を訪ねた。そして父親にこういった。  「息子さんの家の近くで事件が起きているんだ。息子さんに話を聞きてえんだけど、全然見つからないんだ」  父親は息子と連絡を取り、引き合わせてくれた。
・古川原は西新井駅近くのラーメン店で大学生と二人で会った。酒を飲ませながら、こう脅した。 「お前、家賃滞納しているだろう。親父さんから仕送りしてもらってるのに、とんでもねえ野郎だ。金は俺が払ってやるから、あの部屋から引っ越せ。親父には内緒にしてやる」 古川原は大学生に別の部屋を借りてやり、転居させた。まんまと視察拠点を確保したのである。佐々木のアパートまでの距離、120メートル。古川原は窓に簾を下げ、その簾の目の高さの竹を2本だけ切断した。その隙間に双眼鏡を当てて佐々木の出入りを確認したのだ。 (第2回はこちら)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52339

次に、同氏が9月3日付けで寄稿した「オウム事件で喫した痛恨のミス…いま明かす公安「尾行のイロハ」 ある公安警察官の遺言 第7回」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・極左過激派やオウム真理教事件など、昭和から平成にかけて日本を揺るがせた大事件の「裏側」で活動してきた公安捜査官・古川原一彦。その古川原が死の直前に明かした、公安警察の内幕やルール無視の大胆な捜査手法から、激動の時代に生きたひとりの捜査官の生きざまに迫ります。長年、古川原と交流を持ち、警察やインテリジェンスの世界を取材し続けてきた作家・竹内明氏が知られざる公安警察の実像に迫る連続ルポ、第7回(前回までの内容はこちら)。
▽公安捜査官が明かした「尾行のイロハ」
・公安部が得意とするのは徹底した「行確」(コウカク)である。 捜査対象を24時間、監視下において、行動や人脈を丸裸にして行く作業だ。この行確は張り込みと尾行によって行われる。この連載の主人公である警視庁公安部公安一課の古川原一彦は、連続企業爆破事件の捜査で、佐々木規夫を尾行した。その結果、東アジア反日武装戦線の共犯者達を割り出す手柄をあげた。その後、中核、黒ヘルといった極左活動家たちとの戦いの中で、尾行技術を研ぎ澄ましていった。
・古川原は生前、筆者にこう語った。 「いいか、尾行ってのは、メリハリなんだ。人気のないところでは、いったん脱尾(尾行中断)して、先回りする勇気も必要だ。人混みに入ったら、一気に距離を詰めて一歩半後ろにつける。尾行を警戒する者は、だいたい10メートル以上後ろを気にする。捜査員が真後ろにいるとは思わない。ウラをかくのが大事なんだ」 脱尾と直近尾行。これぞ、古川原の真骨頂であった。だが、その尾行のプロも大きな失敗をおかしていた。
・これは古川原が生前、筆者に明かした屈辱の記録だ。 その出来事は1996年2月に起きた。地下鉄サリン事件の翌年、全国の公安警察がオウム逃亡犯を草の根を分けて探していた時期のことだ。古川原もまた、公安一課調査第六の係長、警部として30人ほどの部下を率いて、オウム真理教事件の捜査に投入されていた。
・当時、公安部でとくに重要視されていた逃亡犯がいた。平田信である。平田は高校時代にインターハイで入賞したこともある射撃の名手で、警察庁長官狙撃事件の容疑者候補の一人であった。 ある日、部下の一人が古川原にこんな極秘情報を上げてきた。 「中村琴美(仮名)が友人宅にカネを取りに来る」
▽張り巡らされた「網」
・中村琴美とはオウム真理教付属病院の元看護師で、平田信とともに逃亡しているとみられていた女だった。その中村が西武池袋線・清瀬駅近くに住む看護学校時代の友人A子宅に、預けていた50万円を取りに来るというのである。 「中村は平田の行方を掴むための重要人物だった。だから、俺たちは中村の友人達に網をかけて協力者をたくさん作っていたんだ。
・中村は平田と逃げるための金に困って預けた50万円を取りに来るのだと確信した。完全秘匿で追尾すれば、平田のもとに行く。これは最大のチャンスだと思ったよ」(古川原) 2月15日の夕刻、中村は清瀬駅からバスに乗って、集合住宅に住むA子宅に姿を現した。古川原たちは息を潜めて、その様子を見守っていた。無論、A子の家の中には事前にマイクを仕掛け、中の会話は完全に把握できるようになっていた。
・そんなことを中村が知る由もない。A子に西武池袋店で買ってきたぬいぐるみと育児用のビデオをプレゼントし、「今晩泊めて欲しい」と言った。 A子は宿泊を了承し、「明日の昼に、都営三田線白山駅に来てくれれば、預かっていた50万円を返す」と約束した。 白山はA子が勤務する病院の最寄り駅だった。昼休み時間帯に銀行で金をおろして返却する――。これは古川原がA子に事前に言い聞かせていた段取りだった。
・古川原は上司にこう意見具申した。 「清瀬から尾行すると、ヅかれます(気付かれます)。カネは絶対に受け取りに来るはずだから、白山駅から尾行する態勢を組みましょう」 追われる者は、行動を開始した直後にもっとも警戒している。だから安心させてから尾行した方が成功する。これは古川原がこれまでの経験から得た知恵だった。
・しかし、本部で指揮するキャリアの上司は、この進言を聞き入れようとしなかった。 「見失ったらどうするんだ。清瀬から秘匿追尾を行え」
▽忍耐のしどころで痛恨のミス
・翌16日の朝、A子宅を出てきた中村に15名の追尾要員がついた。サラリーマンやカップル、学生など様々な日常に偽装した男女が入れ替わり立ち代り、中村を取り囲んだ状態で移動したのである。 大規模な尾行だったが、中村には警戒する様子はなかった。西武池袋線に乗った中村は池袋駅で降りて、駅前のマクドナルドに入った。
・A子との待ち合わせは正午だから、金を受け取るまでの時間潰しだろう。古川原はこう考え、店の前を歩いて往復する「流し張り」をしながら待機するよう尾行チームに指示した。 たが、尾行対象の姿を確認できないと、捜査員の不安は募るものだ。 「もしかしたら、カゴ抜けしたかもしれません。店内に一人投入します」 直近の追尾を担当する捜査員が言った。「カゴ抜け」とは対象が店の裏口から出ていってしまうことだ。
・「駄目だ。まだ入るな!」古川原は止めた。 ここは我慢。対象から一時的に、目を離す度胸も必要なのだ。だが、堪えきれぬ捜査員がいた。 「確認だけさせてください」 こういって、ひとりの捜査員がマクドナルドの店内に入った。しかし、これは尾行者の存在を確認するために、中村が仕掛けた罠だった。
・中村はカウンター席でコーヒーを飲みながら、紙にペンを走らせていた。捜査員は背後を通り過ぎながら、中身を読み取ろうと紙をちらりと覗いた。 チューリップ柄の便箋になにやら手紙を書いている。このとき、一瞬の油断が生じた。中村は突然後ろを振り向いたのだ。  捜査員は咄嗟に顔を逸らしたが、わずかに視線が交錯してしまった。だが、中村は何事もなかったかのように、便箋に視線を戻した。
・「警察がたくさんいるじゃない!」  報告を受けた古川原は再び上司に連絡を入れた。 「ヅかれた(気づかれた)可能性があります。ここはいったん脱尾して、白山駅から追いかけます」 公安部幹部は「脱尾」を許可しなかった。 正午過ぎ、中村は予定通り白山駅に到着した。改札口周辺には、駅員や清掃員に扮した張り込み要員が待ち構えていた。 中村は改札口の外で友人から50万円を受け取り、別れを告げて、ホームに向かった
・乗客に扮した追尾要員が同じ方向に動いたそのとき、中村が突然Uターンして、見送っていた友人のもとに駆け戻った。 「私は尾行されている。周りに警察官らしい人がたくさんいるじゃない。なぜこんなことになったの!」  中村は泣いていた。親友に裏切られた。そんな涙だったという。古川原にとってはまさしく悪夢。尾行がバレた瞬間だった。  ※文中の「中村琴美」は仮名。2012年7月に懲役1年2月の実刑判決が確定し、現在は刑期を終えている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52702

第三に、同氏による上記の続き、9月10日付け「「ヅかれた!」公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯、女の執念 ある公安警察官の遺言 第8回」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・極左過激派やオウム真理教事件など、昭和から平成にかけて日本を揺るがせた大事件の「裏側」で活動してきた公安捜査官・古川原一彦。その古川原が死の直前に明かした、公安警察の内幕やルール無視の大胆な捜査手法から、激動の時代に生きたひとりの捜査官の生きざまに迫ります。長年、古川原と交流を持ち、警察やインテリジェンスの世界を取材し続けてきた作家・竹内明氏が知られざる公安警察の実像に迫る連続ルポ、第8回(前回までの内容はこちら)。 
▽「点検が始まるぞ!」
・看護師学校時代の友人A子がもたらした情報通り、オウム真理教逃亡犯・中村琴美(仮名)は公安部公安一課の古川原一彦たちの前に姿を表した。中村は、最重要逃亡犯・平田信とともに夫婦を装って行方をくらましていたキーパーソンだ。中村を追えば、平田を発見することができる。公安警察にとって、平田信を逮捕する千載一遇のチャンスだった。
・1996年2月16日の昼、都営三田線白山駅。預けていた50万円を受け取った中村はいったんA子と別れたが、突如UターンしてA子の元に駆け戻り、泣きながらこういったのだ。 「私は尾行されている。周りに警察官らしい人がたくさんいるじゃない。なぜこんなことになったの!」 古川原たちの尾行がバレた瞬間だった。
・中村はA子のもとを離れると、白山駅の外に出て行った。物陰に隠れると白いダウンジャケットを脱ぎ、カバンの中から黒い膝丈のコートを取り出して着替えた。そしてポニーテールにしてあった髪を解いた。変装である。 「ヅかれた! 点検が始まるぞ」古川原は無線に囁いた。
・古川原の予想通り、中村の動きはこの直後から激変した。 中村は、白山駅に戻ってきて電車に乗った。巣鴨駅で車両を飛び降りるなり、ホームの向かい側、逆方向に発車寸前の列車に駆け込んだ。一つ戻った千石駅で下車すると、また逆方向へ乗り換えた。
・50人近くに膨らんでいた追尾要員は次々と脱落した。電車の飛び乗り、飛び降りを繰り返す対象を走って追いかけるわけにはいかない。「気のせいだった」と思わせるためには、顔を見られた捜査員は一人ずつ脱尾するしかないのだ。
・再び巣鴨駅で降りた中村は、今度はJR山手線に乗り換え、次の池袋駅で降車。数本の電車をやり過ごして、同方向に再乗車、新宿駅で降りた。極左活動家も顔負けの尾行点検だった。
▽プロを振り切った「女の執念」
・ここで中村の身柄を確保すべきではないか。古川原はこうも考えた。だが、本部の指揮官たちは尾行続行を譲らない。たとえ、中村の身柄を確保しても、彼女がすぐに平田の居所を自供するとは思えない。それどころか、平田は中村と連絡が取れなくなるや、直ちに隠れ家から逃亡するだろう。
・新宿駅に到着した時点で、中村の後ろについていた捜査員はわずか4人だった。中村が後ろを振り向くたびに、顔を見られた捜査員は脱尾していった。そのたびに、無線からは「脱尾します」という声が続いていた。 新宿駅の地下道を歩いた中村が、タカノフルーツパーラー前の階段をのぼったとき、追尾要員は最後の一人になっていた。
・金曜日午後3時の新宿通りには、大勢の人が歩いていた。横断歩道を渡った中村は、紀伊國屋書店前に差し掛かった瞬間、伊勢丹方面に猛然と走り出した。このとき、最後の一人も走って追うことを断念した。  左翼過激派の秘匿追尾で鍛え抜かれたはずの捜査員たちは、中村琴美を完全に見失った。中村が極左活動家やスパイたちのように、尾行切りの訓練を受けているはずもない。公安一課の精鋭たちは、平田を守ろうとする女の執念を前に、屈辱的な「失尾」を喫したのである。 本部からの叱責に古川原はこう返した。  「これは予想できたことです」
▽「キャリアは口を出すんじゃない」
・とは言ったものの、古川原たちが諦めたわけではなかった。中村が東京駅から地方に高飛びすると読んで、東京駅の防犯カメラのテープ数百本を回収したのだ。そしてビデオデッキ10台を用意し、20人の捜査員が交替で映像を睨み続けた。すると、捜査員のひとりが、見事、中村の姿を発見したのである。 その映像は、失尾当日の午後6時、JR東京駅から東北新幹線「やまびこ」に一人で乗り込む中村の姿だった。
・「俺たちは郡山でアパートローラーまでやって、中村の行方を捜した。電力会社の契約状況の中から、怪しい名義貸しがないかまで洗い出したけど、中村も、平田も見つからなかった。でも、二人は仙台にいたんだ」(古川原) のちにわかったことだが、中村は当時、仙台市内の割烹料理店に偽名で勤務していた。だが古川原たちの尾行から逃れた直後、中村は店から姿を消した。
・彼女が暮らしていた従業員用の借り上げアパートには、二組の布団が残されており、部屋から平田の指紋も検出された。指名手配された二人は、2012年1月に逮捕されるまで、果てしない逃避行を続けることになったのだった。 古川原は屈辱の出来事をこう振り返った。 「尾行というのは相手との駆け引きなんだ。相手が不安を感じたら、いったん脱尾して不安を取り除いてやるのが鉄則だ。あの時、途中で脱尾して、白山駅から尾行を再開していれば、中村に気づかれることはなかった。
・現場を知らないキャリアの幹部たちは、尾行も、張り込みもやったことがないくせに捜査に口を出したがる。その弊害だ。俺は、現場責任者として上司を説得すべきだったんだ。俺が一番悪かったんだよ」 古川原はこの一件以降、キャリアが公安部幹部に就任すると、「あなた方は捜査に口を出しちゃダメだ」と釘をさすようになった。そう言われた幹部たちの中には当然、古川原の物言いに反発心を覚えるものもあっただろう。  ※文中の「中村琴美」は仮名。2012年7月に懲役1年2月の実刑判決が確定し、現在は刑期を終えている。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52833

第一の記事で、 『テロの時代、公安はまさに「花形」だった』、というのはその通りだろうが、極左勢力が力を失い、テロも沈静化した現在の公安警察の存在意義は何なのだろう。
第二の記事で、 『忍耐のしどころで痛恨のミス』、というのは、人間の組織である以上、不可避のことだ。
第三の記事で、 50人近くに膨らんでいた追尾要員は次々と脱落した・・・新宿駅に到着した時点で、中村の後ろについていた捜査員はわずか4人だった・・・紀伊國屋書店前に差し掛かった瞬間、伊勢丹方面に猛然と走り出した。このとき、最後の一人も走って追うことを断念した』、 『プロを振り切った「女の執念」』、など公安捜査の難しさを改めて知らされた。 『「キャリアは口を出すんじゃない」』、というのは、警察のようにキャリアとノンキャリアの間が隔絶した組織ではあり得る話だ。
さらに、記事とは離れるが、公安部門と刑事部門の間も反目し合って情報も隔離しているようだ。確か、オウムを刑事部門が捜査を始めた頃には、公安部門が既にかなりの情報を集めていたが、刑事部門はそれを知らず、捜査の遅れにつながったといわれている。公安警察のあり方を見直すべき、なのではなかろうか。
タグ:司法の歪み (その4)(ある公安警察官の遺言シリーズ(過激派との闘い、オウム事件で喫した痛恨のミス、公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯)) 竹内 明 現代ビジネス 「「俺はもうすぐ死ぬ」元公安警察官が明かした過激派との闘い ある公安警察官の遺言 第1回」 古川原一彦 警視庁公安部公安一課 叩きあげの捜査官 膵臓癌 テロの時代、公安はまさに「花形」だった 「オウム事件で喫した痛恨のミス…いま明かす公安「尾行のイロハ」 「尾行のイロハ」 平田信 警察庁長官狙撃事件の容疑者候補の一人 中村琴美 忍耐のしどころで痛恨のミス 「「ヅかれた!」公安50人の尾行を振り切ったオウム逃亡犯、女の執念 ある公安警察官の遺言 第8回」 50人近くに膨らんでいた追尾要員は次々と脱落した。電車の飛び乗り、飛び降りを繰り返す対象を走って追いかけるわけにはいかない。「気のせいだった」と思わせるためには、顔を見られた捜査員は一人ずつ脱尾するしかないのだ タカノフルーツパーラー前の階段をのぼったとき、追尾要員は最後の一人になっていた。 、紀伊國屋書店前に差し掛かった瞬間、伊勢丹方面に猛然と走り出した。このとき、最後の一人も走って追うことを断念した 「キャリアは口を出すんじゃない」
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