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司法の歪み(その5)(美濃加茂市長冤罪事件(日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!、最後の書面”を最高裁に提出)、SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由) [社会]

昨日に続いて、司法の歪み(その5)(美濃加茂市長冤罪事件(日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!、最後の書面”を最高裁に提出)、SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由)を取上げよう。このブログで美濃加茂市長冤罪事件を取上げたのは、昨年6月20日である。

先ずは、元東京地検特捜部検事で弁護士の郷原信郎氏が昨年12月14日付けの同氏のブログに掲載した「【藤井浩人美濃加茂市長 冤罪】 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!」を紹介しよう。
・12月11日、名古屋高裁の逆転有罪判決に対して上告中だった美濃加茂市長事件について、最高裁の上告棄却決定が出された。 主任弁護人の私の下に届いた上告棄却決定の理由は、 弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。 という、いわゆる「三行半の例文」だった。
・本日、藤井市長は、記者会見を開き、上告棄却決定が確定することで失職することになることを受け、辞職する意向を表明した。
・名古屋地裁の一審判決は、多くの証人を直接取調べ、被告人質問で藤井市長の話も直接聞き、丁寧な審理を行った心証に基づき、無罪を言い渡した。ところが、控訴審では、贈賄供述者の取調べ警察官の証人尋問以外に新たな証拠もなく、毎回欠かさず控訴審の公判に出廷していた藤井市長には発言の機会すら与えることなく、一審判決を破棄して、驚愕の“逆転有罪判決”を言い渡した。このような不当極まりない控訴審判決を、最高裁がそのまま是認し、有罪が確定することなどあり得ないと信じていた。
・一審では、現金を受け取った事実は全くないことを、3人の裁判官の面前で訴え、無罪とされた藤井市長は、控訴審でも、上告審でも、一言も言葉を発する機会を与えられないまま、有罪判決が確定するというのである。それが、果たして、“刑事裁判”などと言えるのであろうか。
・先週金曜日には、捜査段階から上告趣意書提出までの経過を詳細に記した拙著【青年市長は“司法の闇”と闘った  美濃加茂市長事件における驚愕の展開】がKADOKAWAから発売された。 この本を読んでもらえれば、藤井市長が潔白であること、警察の捜査、検察の起訴・公判立証と、有罪を言い渡した控訴審の判断が不当極まりないものであることが、世の中に広く理解されるものと確信していた。驚愕の上告棄却決定は、その発売日の先週金曜日から週末を挟んだ翌月曜日だった。そのタイミングは、単なる偶然とは思えない。
・同書でも、私は書いている。 万が一、上告が棄却されて有罪が確定したとしても、藤井市長の「潔白」という真実は、それによって否定されるものではない。その場合、私は、「冤罪」を広く世の中に訴え、司法の場でも、再審で有罪判決を覆すことに全力を挙げていくであろう。 最高裁の上告棄却が現実となった今も、その思いに全く変わりはない。
・藤井市長は、今回の司法判断にもめげることなく、自らの潔白を市民に訴え続けるとともに、今後も美濃加茂市政の推進に情熱を燃やし続けるであろう。そういう彼を私は、今後も、引き続き全力でサポートしていきたい。 青年市長は、警察・検察、そして、控訴審裁判所という「司法の闇」と闘い続けてきた。 その先にある、最高裁を頂点とする日本の刑事司法自体が、実は「真っ暗闇」だということが、今回の上告棄却決定で明らかになったのである。
https://nobuogohara.com/2017/12/14/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E5%88%91%E4%BA%8B%E5%8F%B8%E6%B3%95%E3%81%AF%E7%9C%9F%E3%81%A3%E6%9A%97%E9%97%87%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F/

次に、12月19日付けの上記の続き、「美濃加茂市長事件 ”最後の書面”を最高裁に提出」を紹介しよう。
・【藤井浩人美濃加茂市長 冤罪 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!】で述べた美濃加茂市長事件の上告棄却決定、一貫して潔白を訴えてきた受託収賄等の罪の有罪確定が現実のものとなった藤井浩人氏には遥かに及ばないとしても、主任弁護人の私にとっても強烈な打撃だった。
・2014年6月、逮捕直後の藤井氏と接見し、潔白を確信して弁護人を受任して以来、全身全霊を挙げて弁護活動に取り組んできた。一審で無罪判決を勝ち取ることができ、それが最終の司法判断となって、若き藤井市長を支持してきた美濃加茂市民の皆さんに、藤井氏の潔白が明らかになったと報告できる日が来ることを確信し、まさに弁護士生命を賭けて闘ってきた。
・その間、藤井氏は、市民の圧倒的な支持に支えられ、「現職市長」として収賄の罪で逮捕・起訴されながら、3年半にわたって市長職にとどまって市政を担い続けるという、それ自体一つの“奇跡”が起きていた。  控訴審で“驚愕の逆転有罪判決”を受けたものの、上告審に向けて、主要争点となる「控訴審における事実審理の在り方」の問題の専門家でもある元東京高裁部総括の原田國男弁護士、民事のみならず刑事弁護でも輝かしい実績を挙げて来られた喜田村洋一弁護士を加えた“最強の上告審弁護団”を編成した。今年5月に提出した上告趣意書は、私自身も渾身の執筆を行ったし、両弁護士も重要部分を執筆され、まさに、完璧な内容に仕上げることができたとの自負を持って最高裁に提出した。これを読んでもらえさえすれば、必ず“再逆転無罪”の判決が出されるものと確信していた。
・8月からは、ここまでの闘いの全経過を著書にすべく執筆に取りかかり、11月中旬に校了。12月8日には、KADOKAWAから【青年市長は“司法の闇”と闘った 美濃加茂市長事件における驚愕の展開】が発売された。
・その直後の、12月12日火曜日だった。私の事務所に、最高裁第三小法廷からの「三行半(みくだりはん)」の上告棄却決定書が届いた。それを見たとき、全身の力が抜けた。しばし、何が起きているのか理解できなかった。 すぐに藤井市長本人に連絡しようと思ったが、議会での代表質問の最中ということだったので、あまりに重大なこの知らせが、議会での対応に与える影響を考え、議会が終了した午後3時半頃に伝えた。
・電話に出た藤井市長自身も、さすがに落胆しているようだったが、すぐに、今後とり得る手続、有罪判決確定の時期などの話になり、「棄却決定送達の翌日から3日以内に異議申立ができるが、過去に異議で決定が覆ったことはなく、確定を1、2週間先延ばしする意味しかない。」と伝えた。 藤井氏は、「異議申立は是非お願いします。辞職の時期は、これから相談して決めます。」とのことだった。
・藤井市長は、結局、13日の市議会本会議終了後に、不在配達となっていた上告棄却決定通知の「送達」を受け、夕方、市議会に対して、上告棄却で有罪が確定する見通しになったことを受けて市長を辞職することを報告、その日の夜、多くの市民も集まった記者会見で、辞職の意向を表明した。 翌日、辞表が市議会で受理され、藤井市長は、「藤井前市長」となった。
・辞職の意向を固めたことを聞いたとき、確定を先延ばしするために異議申立をする必要はなくなったと思い、藤井氏に再度確認したところ、「やはり最後まで潔白を訴えたいので、異議申立はお願いします。」とのことだった。
・これまで、身柄釈放に向けての各種の申立、公判前整理手続、一審、控訴審、上告審で提出した書面の総数は百通以上、字数にすれば数十万字にも及ぶ。それらの書面はすべて「藤井市長の無罪確定」を目指して書いてきたものだった。今回は既に勝負はついてしまっている。渾身の上告趣意書に対して「三行半の例文」で棄却の判断をした同じ裁判体が、「異議申立」によって決定を見直すことは100%あり得ない。しかも、藤井氏は市長を辞職する。戦で言えば、総大将が討ち取られ、武器・弾薬も尽きた「落ち武者」のようなものだ。藤井氏の意向はあったが、「異議申立書」を書く気力が出なかった。
・そんな14日木曜日の午前、事務所にいた私に電話をかけてきたのが、棄却決定が出る前にも上告審の見通し等について再三問い合わせてきていた記者だった。 「異議申立をいつ行うんですか。」「誰が最高裁に書面を届けるんですか。」というようなことを聞いてきた。「異議申立」と言っても、何か書くか考えてすらいない。持っていくのは、それまでと同様に、事務所の事務員に行かせればよいと思っていたので、「今さら、何を言っているのだろう。」と思った。
・しかし、彼は、真剣だった。 著書を読ませて頂きました。私も今回の決定は本当におかしいと思います。今後も、再審への動きも含め報じていきたいと思います。異議申立のこともしっかり報じたいのです。まず異議申立のことをニュースで報じて、最高裁に申立書を提出する映像もとらせてもらいたいのです。
・私には意外だった。最高裁の判断が出て、有罪の司法判断が確定することになっているのだから、世の中からも、マスコミからも「これで美濃加茂市長事件も終った」とされるように思っていた。しかし、無罪の可能性はゼロになっても、まだ、裁判の手続は完全には終わっていない。潔白を主張する藤井氏の最後の訴えを見守ってくれる人がいるのだ。
・マラソンで、ゴールにたどり着けず、力尽きて倒れているランナーが、「ガンバレ」と旗を振って応援してくれる人の姿を見たような思いだった。私は立ち上がった。再び走り始め、ゴールまで走り抜こうと思った。 「わかった。これから頑張って申立書を書き、私が最高裁に持っていこう。」 と答えた。 その後、他のマスコミからも、次々と問合せの電話がかかってきた。
・異議申立のことは、その日の昼のNHKのニュースのほか、多くのマスコミで報じられた。 翌日の金曜日から、私は異議申立書の起案に集中して取り組んだ。
・異議の対象は、 弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。 という、事件の内容も、判断も、何も書かれていない、単なる「例文」だ。
・しかし、その僅か三行半の中に、弁護人として「最後の主張」を行う手掛かりが含まれていた。  刑事訴訟法では、上告理由は、405条で、(1)「憲法違反」、(2)「判例違反」に限定されている。そして、411条で、(3)「上告理由がない場合でも、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる」とされている(職権破棄)。
・藤井氏の事件の上告趣意書では、「判例違反」の主張を二つと、「重大な事実誤認」の職権破棄を求める主張を行っている。弁護団の検討の結果、「判例違反」と「重大な事実誤認」で十分に破棄が期待できる事案なので、敢えて「憲法違反」の主張をする必要はないという結論になり、「憲法違反」の主張はしなかったのである。
・ところが、上告棄却決定では、「憲法違反をいう点を含め」と書かれており、主張していない「憲法違反」が主張したことになっている。念のため、他の上告事件で、上告趣意で憲法違反の主張をしていないのに、「憲法違反をいう点」などと決定に記載された例があるか否かを調査してみたが、全く見当たらなかった。上告人らが違憲の主張をしていないのに「憲法違反をいう点」などと判示した本決定は、上告趣意を正しく把握し理解した上で出されたものとは考えられない。
・しかも、決定では、「判例違反」の主張について「事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく」としているが、上告趣意で主張する「判例違反」のうち、平成24年の「チョコレート缶事件判決」は、一審の無罪判決が、控訴審判決で破棄自判有罪とされた事件だ。“控訴審における事実誤認の審査の在り方”に関する実務上の指針とされている判例であり、一審無罪判決が控訴審判決で破棄自判有罪とされた本件と「事案を異にする判例」であることは全くあり得ない。
・そして、上告趣意書でも特に全力を挙げて主張したのが、「控訴審判決が贈賄供述の信用性を認めたことが事実誤認だ」ということであり、それは、刑訴法405条の上告理由には当たらないが、「著しく正義に反する重大な事実誤認」なので判決に影響を及ぼす、として、刑訴法411条による「職権破棄」を求めたのである。
・ところが、決定では「単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない」と述べている。もちろん、職権破棄を求める主張をした場合にも、そのことに何も触れないで、このような例文で棄却されることもあるが、少なくとも重大な事件であれば、職権破棄を求める主張に対して、破棄しない場合には、「所論にかんがみ記録を精査しても、411条を適用すべきものとは認められない」などと記載される場合も多い。少なくとも、人口5万6000人の美濃加茂市の現職市長が逮捕・起訴され、被告人でありながら、今も市長職にあり、有罪が確定すれば失職するのであるから、重大な事件ではないとは決して言えない。職権調査をしたともしないとも言わず「上告理由に当たらない」はないだろう。
・結局、この「三行半」の例文の棄却決定は、弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものだった。上告趣意が理解されて十分に検討された上での決定とは思えないのである。 ということは、上告趣意をほとんど検討もせず、最初から結論を決めてかかって、上告趣意の内容とは噛み合わない「三行半」の例文で上告棄却決定を出したとしか思えない。それが、私を「日本の刑事司法は“真っ暗闇”」と絶望させた最高裁の最終の司法判断の中身なのである。
・問題は、最高裁が最初から結論を決めてかかったとすると、それはなぜか?である。 今回の事件で無罪判決が出されることを阻む何らかの「力」が働いていたのではないか、ということは、控訴審の“驚愕の逆転有罪判決”の際も言われていた。それが裁判所外からの力だとすると、日本の刑事司法は、まさに「闇」そのものだということになる。しかし、そのような「力」が仮に働いたとしても、それが明らかになることはあり得ない。そういう想定で考えることは我々法律実務家にとって意味のあることではない。
・では、美濃加茂市長事件の“真っ暗闇”の結末をもたらした「力」とは一体何なのか。刑事裁判の制度や運用に関する問題は考えられないだろうか。そうだとすると、“真っ暗闇”を今後、是正していく余地もあり得るということになる。 そういう観点から改めて考えてみると、やはり、最大の問題は、贈賄供述者が、既に自らの贈賄と融資詐欺の事実を全面的に認め、早期に有罪判決が確定し、服役までしているという事実が、その賄賂を贈った先とされた藤井氏の収賄事件に与えた影響である。
・弁護活動の最中には、私は、決してそのようには考えたくなかったし、それはあり得ないと考えて、これまで弁護活動に取り組んできた。しかし、今回の、上告趣意に全く対応しない「三行半の決定」を見ると、最高裁や高裁レベルでは、それが大きな影響を与えた可能性が十分にあると考えざるを得ない。
・私は、異議申立書の冒頭に 僅か3行余りの決定には、弁護人らは「憲法違反」を主張していないのに、主張しているかのように判示するなど、全体として弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものであり、弁護人らとしては、本件について上告趣意が十分に理解され、適切に検討された上での決定であるか否かについて疑問を持たざるを得ない と述べ、それに続いて、上告趣意での弁護人の主張と「3行余りの決定」が全く対応していないことを具体的に指摘した。
・本件が単純化され、有罪方向で異論のない事件のように扱われたのだとすれば、贈賄の供述者が、自らの罪を認め、融資詐欺の事実も含め有罪判決が確定し、服役までしていることが影響している可能性がある。もし、贈賄者と収賄者とで事実認定が異なることが、司法判断の統一性を害するとの理由だとすると、贈賄者が事実を全面的に認めている刑事裁判で、贈賄について有罪の認定が行われ有罪判決が確定することは、収賄の被告人やその弁護人にとって、どうにも防ぎようがないことであり、そのような理由で、藤井氏の事件が単純化され、有罪方向で異論のない事件のように扱われたとすれば、全く不当極まりないことだと述べた。
・そして、異議申立書の最後を、以下のように締めくくった。 被告人が法廷で言葉を発したのは、言い分を丁寧に聞いてくれた1審裁判所だけである。控訴審でも、上告審でも、裁判所に対して発言する機会は全く与えられることはなかった。直接聞いた1審裁判所が「信用できる」と判断してくれた被告人の公判供述を、直接聞いてもいない控訴審が、記録を読んだだけで「記憶のとおり真摯に供述しているのかという点で疑問」と断罪した。質問されれば、いくらでも説明できたことなのに、説明の機会は与えられなかった。
・本件では、中林証言と被告人供述を直接聞いた1審の3人の裁判官の過半数が、中林供述には合理的な疑いがあると判断したのである。それらを直接聞いていない控訴審の3人の裁判官が、仮に、裁判記録を見る限り中林証言は信用できる、被告人供述は信用できないと判断したとしても、中林証言が信用できない、被告人の供述が信用できると判断した裁判官が少なくとも2人いるのに、公訴事実が「合理的な疑いを容れない程度」まで立証されたと言えるのだろうか。 それが、果たして刑事裁判と言えるのだろうか。
・そのような不当極まりない控訴審の審理・判断を正してくれるのが最高裁判所なのではないのか。それが、三審制がとられている日本の司法の頂点にあり、「最後の砦」である最高裁の役割なのではないのか。  判例違反の主張は「事案を異にする」というが、それなら、一審で無罪の事実認定が理由もなく控訴審で覆されたような事件に対しては、何ら救済のルールはないというのか。
・本件のようなことがまかり通るとすれば、刑事司法の正義など、国民は全く信じられなくなると言わざるを得ない。
・本件上告裁判所を構成する5人の裁判官 山﨑敏充判事 岡部喜代子判事 木内道祥判事 戸倉三郎判事 林景一判事 に、改めて問いたい。 本件において、1審無罪判決を破棄し有罪の自判を行った原判決を是認してよいのか、このまま有罪判決を確定させることは著しく正義に反するのではないか。
・この異議申立書を、昨日午後、美濃加茂から上京した藤井氏とともに、最高裁判所に提出した。申立書を携え、最高裁の建物に入る南門には、多くの報道陣のカメラが待ち構えていた。裁判所職員に案内され、刑事受付で事件の係属を確認してもらったうえで、異議申立書を提出。その後2時半から東京の司法記者クラブで、藤井氏と私とで記者会見を行い、異議申立書で訴えたことなどについて説明した。
・藤井氏は、「潔白の訴えは、今後も決して諦めません。」と述べ、異議申立てが棄却されて有罪が確定した場合には、贈賄供述者に対して虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにした。 我々の闘いは、まだ終わらない。 (なお、私の法律事務所のHPに【異議申立書全文】を掲載している)
https://nobuogohara.com/2017/12/19/%e7%be%8e%e6%bf%83%e5%8a%a0%e8%8c%82%e5%b8%82%e9%95%b7%e4%ba%8b%e4%bb%b6-%e6%9c%80%e5%be%8c%e3%81%ae%e6%9b%b8%e9%9d%a2%e3%82%92%e6%9c%80%e9%ab%98%e8%a3%81%e3%81%ab%e6%8f%90%e5%87%ba/

第三に、上記とは全く無関係なテーマ、フリージャーナリストの秋山謙一郎氏が1月15日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・司法制度改革によって弁護士数が増えたことから、スラップ訴訟や高額訴訟が増えている。SNSに悪口を書き込んだら1000万円を請求され、破産してもチャラにはならなかったり、離婚や不倫の慰謝料も高額化――そんな恐ろしい現実をレポートする
▽SNSへの悪口書き込みから大金を請求された夫婦
・SNSに他人の悪口を書いたら1000万円、隣人のクルマのバックミラーを傷つけたら600万円――弁護士数が増加した結果、目を剥くような高額の訴えを起こされるケースが増えている  かつて、市井に暮らすごく一般の市民にとって弁護士へのハードルは高かった。ましてや裁判など起こすことも、起こされることもなかった。だが司法制度改革により弁護士人口が増えた今、弁護士のハードルは低くなり、誰でも容易に裁判を起こし、起こされる時代となった。
・弁護士の側からしても、人数が増えて過当競争となっているから、訴訟はありがたい。かくして、かつてなら訴訟にすらならなかったような案件を引き受ける弁護士が増えた。そんな一例をご紹介しよう。
・「たしかにわたしたち夫婦はSNS内で勤務先企業の経営者の悪口を書きましたよ。でも、それはちょっとした井戸端会議というか、その程度のモノなんです。それで1000万円支払えという請求でした。いくらなんでもこれは酷過ぎます」 大阪府内に住む50代のAさん夫婦は、夫婦で勤務する企業の勤務待遇の劣悪さから、時折、ネット掲示板やSNSに経営者をからかうような投稿をして憂さを晴らしていたという。その内容は和解後でもあり、ここでは詳述できないが、概ね、経営方針を揶揄したものや、「太っている」「禿げている」といった容姿をあげつらった内容である。
・そうしたネットでの憂さ晴らしを行っていたある日、突如、ネット掲示板での投稿が削除されていた。さらに月日が流れ、そんなことも既に忘れていたある日のこと、今度は、Aさん夫婦が契約しているプロバイダーから、「発信者情報開示請求の可否について」という書類が届く。インターネット掲示板に投稿した書き込みはAさん宅であることを、開示請求者である企業経営者に「開示してもいいか」というお尋ねである。
・「その時は開示を拒否しました。でも、プロバイダー側がその裁判に負けたので、結局、自動的に開示という運びになりました。それで、まずネット掲示板に経営者の悪口を書いたことへの損害賠償として1000万円支払えという内容証明郵便が届いたのです」
・この内容証明が届いた段階で、Aさん夫婦は、ようやく重い腰をあげて弁護士を探すことにした。高卒後、ずっと勤務先企業が提供する寮や経営者の自宅に間借りするなど、住み込みで働いてきたというAさん夫婦の周りには弁護士の知り合いなどいない。地方自治体で無料相談を行っていた弁護士に事の顛末を相談した。
▽憎い相手からはとことんむしり取る! 鬱憤晴らしに利用される弁護士
・「弁護士さんに間に入ってもらって裁判には至りませんでした。でも、莫大な慰謝料を支払うことになりました。確かに、私たちのしたことは褒められたことではありません。でも、職場の不満を書いただけで名誉毀損の損害賠償というのは、どうにも腑に落ちません」 Aさん夫婦は毎月、分割で数万円の慰謝料を経営者に数年支払うことで和解したと話す。
・だが、この事件がもとで勤務先を辞め、日雇い労働で生計を立てることになったAさん夫婦は、毎月数万円の慰謝料を支払うことで困窮を極めた。そこで消費者金融から借り入れをしていたが、その支払いも滞るようになったという。 「どうにも支払えないので、弁護士さんにお願いして債務整理してもらうことにしました。インターネットでの書き込みの件も免責(借金をチャラ)となったのですが、ここでまたトラブルが起きたのです」
・Aさん夫婦によると、インターネット書き込み時の相手方の弁護士から、「これは非免責債権である」と弁護士を通して伝えてきたという。たとえ自己破産しても免責されない債権、つまり、「破産しても、払え」という主張だ。
・まだまだ弁護士の数が少ない時代であれば、そもそも他人に悪口を言われた、書かれたという事案で訴訟したりすることもなかったという。たとえ勝訴判決を取ったところで「紙屑判決」、一銭もカネが取れない案件だったのだ。一般に弁護士は、「自分の依頼者が、みすみす経済的損失を被ることが分かっていて訴訟や示談交渉を進めることは良しとしない」(愛知県弁護士会所属弁護士)傾向がある。
・ましてや自己破産した相手に、「非免責債権」を主張、さらに追い込みをかけるなどという行為は、「司法の場を依頼者の鬱憤晴らしに用いることに等しく、破産者の経済的更生を妨げる行為」(前出・同)として、元来、あまり行われることはなかったものだ。
・しかし、こうした傾向は近年、変わりつつあるという。前出の愛知県弁護士会所属弁護士は、その背景を次のように解説してくれた。 「弁護士のサービス業化は同時に、訴訟のビジネス化を招いた。本来、訴訟には馴染まない事案を、依頼者心理にのみ寄り添い、これを法的紛争として弁護士料を得るというビジネスモデルだ。こういうことが続くと弁護士、ひいては司法が軽くなってしまう」
▽離婚や不倫の慰謝料も高額化! 「儲けさせていただける」
・実際に司法は“軽く”なってきている。大企業が気に入らない言論を封じる目的で高額の訴えを起こすことで知られ、恫喝訴訟とも呼ばれる「スラップ(SLAPP)訴訟」の増加はもちろん、一般市民同士の諍い事でも、高い訴額を設定する人が増えた。隣人のクルマのバックミラーをうっかり傷つけたら、600万円をいきなり請求される、というような、驚くような損害賠償請求を目的とする示談交渉も出てきている。
・一概に言い切ることはできないが、日本の裁判では「どんなに負けても、訴えた額の10分の1は取れる」(大阪弁護士会所属弁護士)というのがよく知られたところである。ならば、訴える側は「訴える相手から取りたい額の10倍の額」を訴額に設定することで、慰謝料を取ろうという考え方をする弁護士が出てきたのだ。
・「欧米型の劇場化訴訟を真似ているのでしょう。でも、相手が無資力ならば、高額訴訟をしても、訴える側は何の利益も出ません。そうした依頼者の利益を本当に守っているとは、到底、思えません」  関西の弁護士会で副会長経験のある弁護士は、スラップ訴訟や高額訴訟を起こす弁護士たちに、こう眉を顰める。続けて、こうも語った。
・「依頼者に成り代わって、その鬱憤晴らしに付き合うのが弁護士だとするならば、この職業も随分と軽いものに成り下がってしまったものだ。そういう法曹が出てきたのは、やはり新試験以降です。弁護士の権威が地に落ちた今、法曹制度養成から考え直さなければならない」
・だが、この高額訴訟化の流れが、弁護士業界の活性化につながっているという現実もまたある。東京弁護士会に所属する、「ヤメ判」と呼ばれる元裁判官の弁護士は、その現状を次のように語る。 「たとえば離婚訴訟で慰謝料請求額は500万円とか、不倫事案で800万円とか…、実際にどのくらいの弁護士料を取られているのかはわかりません。でも、訴えられた側の代理人として、そうした高額訴訟に当たったとき、率直に言って、ちょっと『儲けさせていただいた』という気持ちになるのは偽らざるところだ」
・弁護士費用は、訴額が高ければ高いほど、高く設定される。弁護士費用は2004年に自由化されたのだが、今でも民事裁判では「訴えるモノの額(訴額)」に対していくら…という目安を用いている弁護士は少なくない。その目安としてもっともポピュラーなものが「旧日本弁護士連合会報酬基準」だ。
・たとえば、訴額1000万円ならば、着手金は「5%+9万円」で59万円となる。勝訴判決、もしくは勝訴的和解を得たならば、これに成功報酬が上乗せされる。 だから、訴額がやたらに高い案件で訴えられた側からの依頼は、弁護士にとっての利益となるのだ。
▽弁護士はサービス業 「法律家」の矜持など必要なし!?
・スラップ訴訟や、鬱憤晴らしが目的の高額訴訟にモラルの問題があることは、多くの弁護士が分かっていることである。にもかかわらず、あからさまに批判の声をあげる者が少ないのは、こうした“カネ”にまつわる背景があるからだ。
・「法律家とは判事と検事だけ。弁護士はサービス業、訴訟はビジネスです。刑事裁判もそうです。私選の刑事被告人はお客様です。在野の弁護士を判・検事と同じ扱いにするほうが間違っているのですよ」 今年、弁護士登録をしたばかりだという大阪弁護士会所属の新人弁護士はこう語る。
・かつて判事・検事と同格の「法律家」と呼ばれた弁護士だが、今や、自らを法律家と呼ぶ弁護士は、若手では真面目なオールドタイプの弁護士を除いてほとんどいない。 弁護士のサービス業化、ひいては訴訟のビジネス化で、日本の司法は、「弁護士費用をたくさん積める者」が“訴えたいヤツ”を訴訟の場に引きずり出して懲らしめる社会となりつつある。
・「裁判員制度でも言われることですが、日本は司法と市民の間の乖離が著しいですよね。しかし、高額訴訟をいつ吹っ掛けられるか分からない社会となれば、いやでも市民は裁判を身近に感じられます。司法制度改革の目的は達成されつつあるのではないですか?」(同)  果たして司法制度改革が目指したのは、こうした劇場型の訴訟社会だったのだろうか
http://diamond.jp/articles/-/155741

第一の記事で、 『一審では、現金を受け取った事実は全くないことを、3人の裁判官の面前で訴え、無罪とされた藤井市長は、控訴審でも、上告審でも、一言も言葉を発する機会を与えられないまま、有罪判決が確定するというのである。それが、果たして、“刑事裁判”などと言えるのであろうか』、という郷原氏の指摘は、正論である。
第二の記事で、郷原氏が異議申立をする気が失せていたところに、ある記者から、『私も今回の決定は本当におかしいと思います。今後も、再審への動きも含め報じていきたいと思います。異議申立のこともしっかり報じたいのです。まず異議申立のことをニュースで報じて、最高裁に申立書を提出する映像もとらせてもらいたいのです』、との激励を受けて、異議申立を書いたとは、郷原氏といえども  『最高裁第三小法廷からの「三行半(みくだりはん)」の上告棄却決定書』には大きな衝撃を受けたことを物語っている。 『上告棄却決定では、「憲法違反をいう点を含め」と書かれており、主張していない「憲法違反」が主張したことになっている』、 『棄却決定は、弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものだった。上告趣意が理解されて十分に検討された上での決定とは思えないのである。 ということは、上告趣意をほとんど検討もせず、最初から結論を決めてかかって、上告趣意の内容とは噛み合わない「三行半」の例文で上告棄却決定を出したとしか思えない。それが、私を「日本の刑事司法は“真っ暗闇”」と絶望させた最高裁の最終の司法判断の中身なのである』、などは信じられないほどの最高裁の不公正さだ。 『最大の問題は、贈賄供述者が、既に自らの贈賄と融資詐欺の事実を全面的に認め、早期に有罪判決が確定し、服役までしているという事実が、その賄賂を贈った先とされた藤井氏の収賄事件に与えた影響である・・・今回の、上告趣意に全く対応しない「三行半の決定」を見ると、最高裁や高裁レベルでは、それが大きな影響を与えた可能性が十分にあると考えざるを得ない』、最高裁や高裁が既に確定した贈賄側判決と整合性を取るために、収賄側の判決を収賄側を法廷に呼び出すこともせずに書いたといのは、驚くべきことだ。 『藤井氏は、・・・贈賄供述者に対して虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにした。 我々の闘いは、まだ終わらない』、今後の闘いを注目していきたい。
第三の記事で、 『司法制度改革により弁護士人口が増えた今、弁護士のハードルは低くなり、誰でも容易に裁判を起こし、起こされる時代となった。 弁護士の側からしても、人数が増えて過当競争となっているから、訴訟はありがたい。かくして、かつてなら訴訟にすらならなかったような案件を引き受ける弁護士が増えた』、 『かつて判事・検事と同格の「法律家」と呼ばれた弁護士だが、今や、自らを法律家と呼ぶ弁護士は、若手では真面目なオールドタイプの弁護士を除いてほとんどいない。 弁護士のサービス業化、ひいては訴訟のビジネス化で、日本の司法は、「弁護士費用をたくさん積める者」が“訴えたいヤツ”を訴訟の場に引きずり出して懲らしめる社会となりつつある』、など日本も米国のような訴訟社会に入りつつある、のは司法制度改革のマイナスの側面だ。他方で、プラスの側面は果たして出ているのだろうか。
タグ:司法の歪み (その5)(美濃加茂市長冤罪事件(日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!、最後の書面”を最高裁に提出)、SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由) 郷原信郎 同氏のブログ 「【藤井浩人美濃加茂市長 冤罪】 日本の刑事司法は‟真っ暗闇”だった!」 美濃加茂市長事件 最高裁の上告棄却決定 三行半の例文 、控訴審では、贈賄供述者の取調べ警察官の証人尋問以外に新たな証拠もなく、毎回欠かさず控訴審の公判に出廷していた藤井市長には発言の機会すら与えることなく、一審判決を破棄して、驚愕の“逆転有罪判決”を言い渡した 一審では、現金を受け取った事実は全くないことを、3人の裁判官の面前で訴え、無罪とされた藤井市長は、控訴審でも、上告審でも、一言も言葉を発する機会を与えられないまま、有罪判決が確定するというのである。それが、果たして、“刑事裁判”などと言えるのであろうか 拙著【青年市長は“司法の闇”と闘った  美濃加茂市長事件における驚愕の展開】 、「美濃加茂市長事件 ”最後の書面”を最高裁に提出」 市議会に対して、上告棄却で有罪が確定する見通しになったことを受けて市長を辞職することを報告、その日の夜、多くの市民も集まった記者会見で、辞職の意向を表明 彼は、真剣だった。 著書を読ませて頂きました。私も今回の決定は本当におかしいと思います。今後も、再審への動きも含め報じていきたいと思います。異議申立のこともしっかり報じたいのです。まず異議申立のことをニュースで報じて、最高裁に申立書を提出する映像もとらせてもらいたいのです 異議の対象は、 弁護人郷原信郎ほかの上告趣意のうち、判例違反をいう点は、事案を異にする判例を引用するものであって、本件に適切でなく、その余は、憲法違反をいう点を含め、実質は単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法405条の上告理由に当たらない。 という、事件の内容も、判断も、何も書かれていない、単なる「例文」だ 上告棄却決定では、「憲法違反をいう点を含め」と書かれており、主張していない「憲法違反」が主張したことになっている この「三行半」の例文の棄却決定は、弁護人の上告趣意の内容に全く対応しないものだった。上告趣意が理解されて十分に検討された上での決定とは思えないのである。 ということは、上告趣意をほとんど検討もせず、最初から結論を決めてかかって、上告趣意の内容とは噛み合わない「三行半」の例文で上告棄却決定を出したとしか思えない。それが、私を「日本の刑事司法は“真っ暗闇”」と絶望させた最高裁の最終の司法判断の中身なのである 控訴審の“驚愕の逆転有罪判決”の際も言われていた。それが裁判所外からの力だとすると、日本の刑事司法は、まさに「闇」そのものだということになる 最大の問題は、贈賄供述者が、既に自らの贈賄と融資詐欺の事実を全面的に認め、早期に有罪判決が確定し、服役までしているという事実が、その賄賂を贈った先とされた藤井氏の収賄事件に与えた影響である もし、贈賄者と収賄者とで事実認定が異なることが、司法判断の統一性を害するとの理由だとすると、贈賄者が事実を全面的に認めている刑事裁判で、贈賄について有罪の認定が行われ有罪判決が確定することは、収賄の被告人やその弁護人にとって、どうにも防ぎようがないことであり、そのような理由で、藤井氏の事件が単純化され、有罪方向で異論のない事件のように扱われたとすれば、全く不当極まりないことだと述べた 藤井氏は、「潔白の訴えは、今後も決して諦めません。」と述べ、異議申立てが棄却されて有罪が確定した場合には、贈賄供述者に対して虚偽供述の不法行為の責任を問う民事訴訟を提起する方針を明らかにした。 我々の闘いは、まだ終わらない 秋山謙一郎 ダイヤモンド・オンライン 「SNSに悪口で1000万円請求…無茶な高額訴訟が急増した理由」 司法制度改革によって弁護士数が増えたことから、スラップ訴訟や高額訴訟が増えている SNSへの悪口書き込みから大金を請求された夫婦 司法制度改革により弁護士人口が増えた今、弁護士のハードルは低くなり、誰でも容易に裁判を起こし、起こされる時代となった 弁護士の側からしても、人数が増えて過当競争となっているから、訴訟はありがたい。かくして、かつてなら訴訟にすらならなかったような案件を引き受ける弁護士が増えた 憎い相手からはとことんむしり取る! 鬱憤晴らしに利用される弁護士 離婚や不倫の慰謝料も高額化! 「儲けさせていただける」 弁護士はサービス業 「法律家」の矜持など必要なし!?
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