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アベノミクス(その27)(なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(景気拡大なのに実質賃金が下がるアベノミクスの本質、「賃金抑制はいいことだ」と考えた企業経営者たちの失敗、労組が賃上げに失敗するのは時代遅れの経済理論に原因がある) [経済政策]

アベノミクスについては、昨年12月20日に取上げたが、今日は、(その27)(なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(景気拡大なのに実質賃金が下がるアベノミクスの本質、「賃金抑制はいいことだ」と考えた企業経営者たちの失敗、労組が賃上げに失敗するのは時代遅れの経済理論に原因がある)である。

先ずは、大東文化大学経済研究所兼任研究員(労働省出身、前京大教授)の石水喜夫氏が昨年12月22日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「景気拡大なのに実質賃金が下がるアベノミクスの本質 「3%賃上げ」の虚実」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・景気拡大が続いているのに、実質賃金が低下する過去の景気拡大局面では見られなかった事態が続いている。政府は失業率や求人倍率の改善を喧伝するが、なぜ、アベノミクスのもとで賃金は上がらないのか。労使関係に詳しく労働経済論などの専門家でもある石水喜夫・元京大教授(現・大東文化大学経済研究所兼任研究員)がアベノミクスの「不都合な真実」を3回にわたって解説する。
▽労働力は他の商品とは違う。 「労働市場論」という知的欺瞞
・賃金の行方に多くの人々の関心が集まっています。来春闘でも政府は経済界に賃上げを求めています。  私たちの賃金は、これからどうなるのでしょうか?  これまでの賃金の動きを振り返り、今後を見通すために、経済分析への期待は大きいでしょう。 ところが、経済を分析する場合、どのような分析枠組みを用いるかによって、結論が大きく左右されてしまうという問題があります。特に賃金の分析では、注意が必要です。
・たとえば、経済学には「労働市場論」という考え方があって、労働市場で雇用と賃金が決まるという分析装置が用いられます。 この分析装置には、一般の商品のように需要と供給の関係で価格が決まり、労働力が不足すれば、賃金が上がるという因果関係が組み込まれています。
・こうした関係を経済原則として、当然視する向きもあるでしょう。 「なぜ人手不足なのに賃金は上がらないのだろう?」という問いに、多くの人が心惹かれるとするなら、日本の社会では、それだけ多くの人が「労働市場論」を信じていると言うこともできます。 この問いかけは、労働市場で賃金が決まることを前提としているからです。
・人が働くということを労働力の供給と見なすことはできないとか、たとえ労働市場というものを仮定したとしても、労働市場で雇用や賃金は決まらないとか、さらには、労働市場で雇用と賃金が決まるとは考えるべきではないなど、「労働市場論」に代わる考え方はたくさんあります。 しかし、今の日本社会では、あたかも「労働市場論」が真理であるかのごとく前提とされているところに、大きな問題が潜んでいるのではないでしょうか。
▽既存の経済学の枠組みでは雇用の実態を見誤る
・日本経済や、雇用、賃金の実際の状況はどうなのでしょうか。 2013年以降の景気回復を解説する場合に、有効求人倍率の上昇とか、雇用情勢の改善といった語り方が好まれてきました。 経済活動を、生産回復の面から解説するなら、鉱工業生産指数を用いてもよさそうな気がするのですが、鉱工業生産指数は、2014年に前年比プラスとなった他はマイナスで、ようやく2017年にプラスが見込まれるようになったものです。 経済情勢の「改善」というメッセージを打ち出すには少々、「不都合な指標」といえます。
・これに対し、雇用情勢を示す指標は力強く改善してきました(図1)。 有効求人倍率は、景気循環の拡張過程である第14循環のピーク(1.08倍)を超え、21世紀に入って最高値を更新するとともに、2017年には、ついにバブル期(第11循環)のピーク(1.45倍)をも突破して、1.5倍台へと突入したのです。
・有効求人倍率が労働市場における労働力需給を示していると考えるなら、2017年には、バブル期並みの賃金上昇率が達成できることになります。 しかし、現状の賃上げが、バブル期の足下にも及ばないことは誰でも知っています。 また、「異次元緩和」を続ける金融政策でも、不都合な事態が広がっています。日本銀行がこれだけ多くの貨幣を供給しても、目標通りには物価が上昇してこないのです。
・経済学には、先ほどの「労働市場論」と同じように、「貨幣数量説」というものがあって、物価は供給された貨幣量に連動すると考えられています。 「労働市場論」や「貨幣数量説」の思考の道筋からすれば、雇用情勢の改善によって労働力需給は逼迫し、貨幣供給によって物価上昇も展望されるから、労働組合はより高い賃金の獲得に尽力しなくてはならない、という「物語」が作り出されてしまうのです。
・経済学は、人々の思考を縛り、ある特定の社会認識を生み出し、そして、ある特定の行為を命ずる、というような危険な性格を持っています。 本当に大切なことは、既存の経済学の枠組みに囚われることなく、もっと柔軟に経済指標を分析することなのではないでしょうか。 「不都合な事実」も含めて、日本経済の真の姿を描き出し、今後に向けた対応を真摯に検討していくことが求められます。
▽求人倍率や失業率の「改善」は一部職種の特殊要因も大きい
・よく目を凝らしてみると、「高い」と言われる有効求人倍率にも、実は、そうでもないところがあるのです。(図2) 有効求人倍率は、様々な職業からなる求人倍率の平均値ですが、今回の景気拡張過程では、建設関連の職業で大きく上昇しました。
・アベノミクスの「三本の矢」の経済政策は、金融緩和、財政発動、規制緩和、の三つですが、公共事業のための財政発動も進められ、建設関連職種を中心に求人は増加してきました。 しかし、事務や組み立てなど、求人倍率の低い職業を希望する求職者にとっては、事態はそれほど改善していません。
・21世紀に入り最高水準に達した2016年度の値を、第14循環のピーク時(2006年度)と比較してみると、求人倍率の低い層では大した違いはなく、求人倍率の高い層でより高くなって、平均値で見求人倍率が引き上げられています。 これらに加えて、近年では、契約期間の短い臨時労働者の求人も多くなり、臨時・季節を除く常用有効求人倍率は、一般の有効求人倍率ほどには高くない、という事実も指摘できます。
・「労働市場論」を前提にすれば、高い賃上げのために、労働力需給が引き締まっているというストーリーは都合がよく、有効求人倍率の上昇は、そうした都合に答える指標の動きといえます。 こうした状況のもとで、有効求人倍率の上昇をはやし立てる雰囲気が作られ、その内実は語られることが少なくなっていくわけです。
・また、失業率の改善についても、今回の拡張過程では特異な状況が見られます。 雇用者数の増加により失業者は減っていきますが、今回の雇用増加は、成長率が高まったことによるものではないのです。 雇用の増加は、成長率が低い割に労働力需要が膨らみすぎたことによって引き起こされました。これを「雇用弾性値の上昇」と言います(図3)。
・第16循環では、小売業や飲食サービス業で雇用増加が加速しています。今回の拡張過程では、消費支出は低迷しているのですが、消費が低迷するもとで、消費関連産業の雇用が拡大するという動きが見られるのです。 2014年4月の消費税率の引き上げは、売り上げ鈍化という形で、小売、飲食の現場を直撃することになりました。労働者は、そこからの回復に懸命に取り組み、仕事はますます忙しくなっています。一方で事業者は生き残るために人手を増やしサービスを良くしようとして、過当競争に陥り、競争の激化と人手不足の悪循環が生じることとなりました。
・雇用増加の裏には、こうした厳しい現実があります。 「雇用情勢の改善」を表面的に語るエコノミストは、人々の生活や労働の実態に関心があるわけではなく、金融政策の成果にのみ関心があるのだと言ってよいでしょう。
▽翻弄されてきた労働組合  「官製春闘」のもと、実態を語れず
・一体、この間、労働組合は何をしていたのでしょうか。 本来、労働組合とは、労働者の実情を「言葉」の力によって描き出し、社会に問題提起していく存在だったのではないでしょうか。 2013年以降の賃金交渉では、従来、労使で行われてきた交渉に政府が関与し、「デフレ脱却」のために経営に賃上げを求めたことから、「官製春闘」と呼ばれてきました。
・もちろん、このように言われることを潔しとしない組合役員はいるでしょう。 しかし、現実に、政府のデフレ脱却路線に組み込まれてしまったことは、政策当局と一緒になって、賃上げの成果を誇らねばならないことを意味していたのです。
・この過程で生じたことは容易に想像できます。 たとえば、消費税率の引き上げは、2014年4月の税率引き上げまでの駆け込み需要とその後の反動減をもたらしましたが、労働組合は反動減の事実から目をそらしたのではないでしょうか。 もし、消費税率引き上げ後の経済停滞を認めてしまったら、翌年の賃上げに力を込めることはできなかったからです。 また、2015年の経済は低迷し、賞与もマイナスに転じましたが、この事実は、受けとめることすらできなかったのではないでしょうか。
・権力とともに賃上げに取り組んでしまうと、「賃金は上昇した」という結論以外を受け入れることはできなくなってしまうのです。 賃上げの結果ばかりに気が取られ、社会の現実に向き合うことを次第に忘れて行きます。これは、かつて国民が、広く大本営発表を真実として受け入れた心理状態と似たようなものだと思います。
▽景気拡張過程で実質賃金が低下 アベノミクスの「隠された本質」
・一体、今、日本社会では、どのような事態が進行しているのでしょうか。 第16循環の拡張過程では、確かに名目賃金は0.6%(年率)上昇しました。しかし、物価はそれ以上に上昇し、実質賃金上昇率は△0.8%(年率)となったのです。 景気拡張過程に実質賃金がマイナスとなったような歴史は存在しません(図4)。
・バブル崩壊前までは、物価上昇率を超えて名目賃金の上昇が達成され、実質賃金上昇率も高い伸びを示していました。 1991年のバブル崩壊は、日本の労使関係に大きな衝撃を与えたのですが、実際の賃金交渉パターンに影響を与えたのは、不良債権問題などで経済停滞する中で無理に「財政構造改革」を押し進めた1997年の経済失政と、その後の非正規雇用化の進展です。
・物価は低下に転じ、平均賃金も低下する場合が出てきました。ただし、実質賃金の上昇率はプラスを維持していたのです。 現在の第16循環で進行していることは、名目賃金上昇率に対し、物価上昇率が大きいということです。 これは、今までにない新しい事態の出現であり、巧妙に隠されたアベノミクスの本質でもあります。
・超金融緩和で円安の流れを作り維持することで、輸出企業の生産を支え経済を活性化させようとしますが、輸入物価の上昇や資源価格の上昇を招き寄せてしまっているのです。 もちろん、物価上昇率は、日本銀行が目指す「2%」に比べれば小さいのですが、労働者が獲得する名目賃金の伸びに比べれば大きな数字です。 そして、実質賃金の低下は、企業収益の改善に大きく貢献し、輸出の増加にも寄与しています。
・金融の異次元緩和を通じた円安傾向と輸入物価の上昇は、2013年から明らかになりました。 2014年4月の消費税率の引き上げには、価格転嫁の環境を整えるためにも、国内物価の上昇傾向は不可欠であり、円安による輸出の促進、財政による下支えによって総需要の拡張傾向が生み出され、輸入物価の上昇など諸コストの増加は、消費者物価に転嫁されました。
・また、円安によって、日本の株価に割安感が生まれ、株式市場も活況を呈するようになったのです。 こうして、政府は、予定通りに消費税率を引き上げ、企業は価格転嫁を進めました。 しかし、働く人たちは、わずかばかりの賃上げを手にしたものの、より多くの支出を余儀なくされ、物価上昇によって実質所得を収奪されることとなったのです。
http://diamond.jp/articles/-/154546#author-layer-1

第二に、上記の続きを、1月11日付け「「賃金抑制はいいことだ」と考えた企業経営者たちの失敗 なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(中)」を紹介しよう’(▽は小見出し)。
・なぜアベノミクスのもとで賃金が上がらないのか――。労使関係に詳しく労働経済論などの専門家でもある石水喜夫・元京大教授(現・大東文化大学経済研究所兼任研究員)が3回にわたって解説するシリーズの2回目は、賃金を抑制することがいいことだと考えた「経営者の失敗」についてです。
▽賃金を削って利益を出す経営に変わってしまった
・日本企業に勤める人たちは、所属する組織の一員として、誇りをもって働いてきました。組織の目的のために、多少の無理も聞き、まずは仲間のことを考えて行動してきたはずです。このような気持ちに応えるため、賃金の支払い方にも日本企業ならではの工夫があったように思います。
・しかし、時代は少しずつ移り変わってきました。 景気拡大過程での企業利益と賃金の関係を見ると、「第I期」、「第II期」、「第III期」という、事態の確実な進行が読み取れるのです(図1 利益率上昇過程における実質賃金の推移)。
・第I期は、1990年代半ばごろまでのデータによるものですが、戦後日本経済の一般的な労使関係を反映しており、会社がもうかれば、働く人たちの賃金も増えています。 会社で働く人たちは、経営側も労働側も、あまり隔てなく、一緒になって会社をもり立てていた時代だったのではないでしょうか。
・しかし、1990年代後半に変化が生じました。第II期では、利益が増えても平均賃金が上がらなくなったのです。 そして、現在では、物価上昇率の高まりによって実質賃金が低下するようになりました。金融の異次元緩和が始まってからは、賃金を削って利益を回復させる第III期へと突入してしまったように見えます。
▽契機は日経連のレポート 「雇用ポートフォリオ」で人件費管理
・賃金をめぐる労使関係の変化を、戦後日本経済の歴史とともに振り返ってみましょう。 高度経済成長期には、実質生産量の大きな増加があり、その成果は労使の間で分かち合われました。 新規学卒一括採用や終身雇用、さらに企業別労働組合のもとで、人材育成はそれぞれの企業内で行われ、能力向上と能力評価を一体的に行う仕組みが整備されました。
・こうして決まる賃金は、「年功賃金」と呼ばれていますが、勤続に伴う能力の向上が賃金の増加に反映されるという仕組みがポイントで、職能等級資格制度に基礎があります。この仕組みのおかげで、労働者の能力向上は、しっかりと賃金に反映されてきたのです。 日本の「春闘」とは、こうした正社員の職能賃金を基本に賃金制度を確立させ、「ベースアップ」と呼ばれる賃金表の書き換えも含めて、「賃上げ」を実現するものでした。
・1991年のバブル崩壊以降は、経済成長率の鈍化に応じた賃金の抑制が、日本企業にとって不可避の課題となりました。 しかし、経営側の進め方は適切ではなく、また、労働組合側の対応にもミスがあり、利益が出ても賃金は上がらないという、“やり過ぎ”の状態を生み出してしまったのです。
・この時期の経営側の対応は、当時の日経連(日本経営者団体連盟)が公表した「新時代の『日本的経営』」(1995年)によるものでした。 このレポートでは、「長期蓄積能力活用型」(長期継続雇用という考え方に立って働くグループ)、「高度専門能力活用型」(長期雇用を前提としないが、高度な専門能力を持って働くグループ)、「雇用柔軟型」(働く意識が多様化しているグループ)の3つのグループで労働者を構成し、その「雇用ポートフォリオ」をコントロールすることで総額人件費を管理する手法が提案されました。
・90年代後半以降は、企業は、この仕組みを大いに活用し、正社員の採用を抑制するとともに、「就業形態の多様化」を押し進めていくこととなったのです。 また、日経連の3つの類型のうち、「高度専門能力活用型」を広げることは日本社会では現実的ではなく、結局、労働者が、正規労働者と非正規労働者に二極分化してしまったことも、あわせて指摘しなくてはなりません。
▽賃金は「人への投資」 人件費をコストと考えた失敗
・バブル崩壊後の時代は、「ボーダーレス」から「グローバル競争」へ、国際的な価格競争が強まった時代でもありました。また、バブル期に抱え込んだ負債を整理するためにも、コスト抑制が強く求められ、株式市場では外国人投資家の存在感が大きくなり、アメリカ流経営がグローバルスタンダードと見なされる風潮も強まりました。
・一般的な日本企業は、企業内で共有される価値観を職能賃金の中に集約し、長期的に人材を育成していく方針を持っていましたが、そうした仕組みへの自信は、次第に揺らいでいきました。 バブルの形成と崩壊という大きな失敗をおかしたことは、日本人の自信喪失につながった面があると思います。 こうした中で、総額人件費をコントロールするための新たな論理を提供した、先の日経連のレポートは大きな影響力を持つことになりました。
・しかし、人が働くということを、コストのレベルに還元してしまったこと、また、そうした市場価値のレベルでしか経営の議論ができなかったことは、日本の経営者の失敗であったと言わざるをえません。 経営にとって、もちろんコストの管理は重要ですが、いかに付加価値を創造するかも重要な経営目標であり、働く人たちの継続的な能力形成や付加価値創造能力の向上は、経営の中にしっかりと組み込まれる必要があったのです。このことは、それぞれの企業の創業の理念や歴史的な存立基盤と大きなかかわりがあるはずです。
・そうした人材育成のための仕組みに十分な配慮もせず、ただコスト削減に走れば、付加価値創造能力が劣化していくことは必然であり、さらなるコストの抑制が求められ、とめどもない悪循環へと陥っていくことが避けられなくなってしまうのです。
▽米ソ冷戦構造の終結 日本的雇用慣行の“改造”に動く
・「日本的経営」の良さを忘れ、しかも、「雇用ポートフォリオ」などといった絵空事を使ってまでして、賃金・雇用慣行の改造に乗り出したことは、経営側に大きな責任がありました。 しかし、その責任を経営側だけに帰すことも、公平ではないように思われるのです。
・90年代は、米ソ冷戦構造終結の時代であり、経済学の世界では、市場の自動調節機能を前提とする、新古典派経済学復権の時代でもありました。「労働市場」という分析装置を用いて雇用や賃金を説明しようとするエコノミストが多数、輩出されました。 賃金は市場で決まるという「労働市場論」の語り方は、バブル崩壊後に賃金に手をつけようとした経営者には都合のいい論理を提供しました。
・もちろん、「労働市場論」に乗った経営者の不見識は問われる必要がありますが、そうした論理を生み出し押し広げた経済学に、何の責任もないとは思えません。 90年代の労働経済学者たちの活動拠点はパリのOECD(経済協力開発機構)でした。92年に労働市場研究というプロジェクトが立ち上がりましたが、ソ連崩壊に伴い、東欧諸国は、雪崩を打ってOECDに加盟を申請し、自由主義市場経済体制に移行していきました。
・こうした状況で、OECDが西側諸国のシンクタンクとして、大いに自信を深めたことは想像に難くありません。 新古典派経済学の復権に伴って、政府による総需要管理政策や所得再分配によって市場経済を修正しようとするケインズ経済学は後退し、福祉国家を解体しようとする力が増えました。
・日本の労使関係者は、ナショナルセンターも含めて、冷戦終結後の歴史的構図を見破ることができず、論壇で勢いを増す新古典派経済学者の言説に受け身に終始し、有効な手だてを打つことができなかったのです。
▽金融の異次元緩和で輸入物価上昇 実質賃金は低下
・間違った経済学は、社会を破壊する危険を持っています。 今まで見た第II期の危険もさることながら、賃金を削って利益を増やす第III期への移行は、経済学と経済政策がさらなる危険をおかしていることを示しています。 実質賃金の低下は、物価の上昇によって生み出されました。金融の異次元緩和により、すでに大量の貨幣が供給され、「円安」が誘導されています。このため、輸入物価や資源価格の上昇へとつながり、国内物価の上昇によって、労働者の実質賃金は低下へと向かったのです。
・一方、公共支出による総需要の下支えや、円安による輸出促進などによって、企業の価格転嫁環境は改善しました。 企業は、労働者と違って、消費税率の引き上げや輸入物価上昇のコストを価格転嫁することができました。
・第III期の利益と賃金の相反は、第II期のような労使関係の変化によってもたらされたものではありません。 政府の経済政策によって操作された相対価格によって、労働者の所得が、企業と政府に吸い上げられることになったのです(このことは昨年12月29日付けの1回目に詳述)。
▽賃金抑制が成長率鈍化の要因 景気拡大に民間消費の寄与みられず
・賃金の抑制は、日本経済全体に対して、どのような影響をもたらしているでしょうか。 景気拡大過程の経済成長率を見ると、第11循環の6%台に比べ、第12循環以降、大きく低下し、2%前後となりました。 そして、アベノミクスのもとでの第16循環では、1%に近い値へと、もう一段の低下につながっています(図2 景気拡張過程の経済成長率とその内訳)。
・第16循環の経済成長率の特徴は、民間最終消費支出の寄与が見られないことです。これは、実質賃金の低下に伴うもので、他の景気循環と比べて経済成長率が鈍化した最大の原因と言えます。 また、過去と比べても低い経済成長率のもとで、民間企業設備や純輸出の寄与率は相対的に大きくなっています。
・実質賃金が低下し、消費支出の増加が見られない分、景気は、消費以外の需要項目に頼らざるを得ませんでした。 異次元緩和は円安誘導によって輸出を促進し、日本の株価の割安感を生み出すことで、株式市場も活況を呈しています。実質賃金の低下や株価の上昇は企業収益を改善させ、設備投資の増加にも寄与することになったのです。
・設備投資や輸出といった需要項目の増加は、短期的には、経済成長率と景気の維持に貢献していることは認めなくてはなりません。 しかし、設備投資や輸出主導の経済成長が、現代日本社会においてふさわしいものか、また、持続可能なものであるかは、疑わしいものがあります。
▽設備投資主導は過剰供給生む危険 賃金抑制は間違った選択
・賃金抑制は、それぞれの企業の労使関係において様々な亀裂を生むばかりでなく、国民経済的な見地からも大きな問題を引き起こすことになります。 そのことを設備投資の長期趨勢から説明しましょう(図3 戦後日本経済と設備投資の推移)。
・戦後日本経済における設備投資の推移を見ると、90年代初めのバブル期までは、経済が長期の成長趨勢にあったので、投資の循環も、成長軌道の中に溶け込んでいました。 景気後退過程での落ち込みもあまり大きくはなかったのですが、バブル崩壊以降は、設備投資は長期の低下趨勢の中にあります。 
・バブル崩壊以降、賃金は抑制されたことから、企業収益の改善や投資支出の改善が、景気拡大を主導する傾向を強めました。 しかし、設備投資は短期の需要として景気の拡大を主導するとしても、同時に資本ストックを蓄積し、巨大な生産能力を残していくことになるのです。 投資の拡張が、その後の過剰供給を生み出し、投資循環の大きな振幅を生み出すことになります。
・この投資循環の振幅が、90年代後半以降の景気後退過程に、多大な失業者を生み出すことになっていったのです。 人口が減少に転じた日本社会で、設備投資が長期的に減少していくことはやむを得ないことで、これを高度経済成長期のような成長趨勢に戻そうとすることは、無謀な取り組みのように見えます。
・日本は、すでに多量の資本ストックを蓄積し、高度な生産能力を備えた経済大国です。資本ストックに新たに付け加わるフローとしての設備投資が減少したとしても、資本ストックは着実に増加し、それにふさわしい需要を見つける方に難しさがあります。 設備投資循環の振幅から逃れるためにも、設備投資から消費支出主導の需要項目へと切り替えていくことが必要であり、賃金抑制は国民経済的観点から、間違った選択であると言わざるをえません。
▽資源制約のもとでは円安・輸出主導は限界
・輸出主導の経済成長に関しても、世界経済の拡張が資源制約にぶつかり、資源価格の上昇と日本の輸入物価上昇につながっていることを直視する必要があります。 世界が広く、資源も無限にある時代であれば、世界経済の拡大の波に乗って、輸出を増加させていくことも結構でしょう。しかし、すでに資源の制約がはっきりした状況では、世界経済が拡張し、仮に日本の輸出が増加したとしても、資源価格はすぐに上昇し、日本の支払うべき輸入品の代金も上がっていきます。
・働く人たちにとっては、仕事が増え、忙しくなったとしても、生活のために支払う金額は増え、実質生活は少しも改善しないのです。 賃金抑制が投げかけた諸問題は、企業の労使関係の問題を大きく超えて、これからの日本経済の在り方と大きなかかわりを持つようになってきました。
http://diamond.jp/articles/-/155409

第三に、上記の続きとして、1月22日付け「労組が賃上げに失敗するのは時代遅れの経済理論に原因がある なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(下)」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・なぜアベノミクスのもとで賃金が上がらないのか――。労使関係に詳しく労働経済論などの専門家でもある石水喜夫・元京大教授(現・大東文化大学経済研究所兼任研究員)が3回にわたって解説するシリーズの最終回は、市場重視の風潮のもとで、労働力の価値が、商品やサービスと同じように市場での需給で決まると吹聴した経済学者の罪と彼らの「理論」に翻弄された労働組合の失敗についてです。
▽経済学者の「労働市場論」に従った労働組合の失敗
・現代日本の経済政策には、ある一つの基本認識が存在しています。 それは、これまで必ずしも明確に語られてきたわけではありませんが、あえて論理化するなら、次のようなものとなるでしょう。 すなわち、「雇用情勢の改善が続き、有効求人倍率もバブル期のピークを越えたので、労働力需給は、少なくともバブル期並みには逼迫している。賃金は労働力の価格であり、需要と供給によって価格が決まる市場経済の原理からすれば、高い上昇率を示すのが自然である。したがって、労働組合は、より高い賃金の獲得に向け、労使交渉を押し進めなくてはならない」というものです。
・このような賃金決定の論理は、労働市場で賃金が決まると考えるもので、「労働市場論」と呼ばれ、現代経済学の“主流”となっています。 経済政策の運営は、学問的な裏付けによって支えられており、現代経済学が備える「権威」は、労使を含む経済主体に、ある特定の行動を促すことになります。
・一般に、経済政策の問題は、それぞれの政権や政治の問題だととらえられているようです。政権の名を冠して政策が語られていることから、多くの人々は、経済政策の選択は政治の選択だと考えているのでしょう。 しかし、経済政策を実施するには、経済の現状をまず分析する必要があり、その分析の道具自体が経済学に握られています。 つまり、政策選択は経済学のあり方そのものに規定されているのです。
▽有効求人倍率が上がれば賃金も上がるはずだった
・市場の機能を「神の見えざる手」と表現したのはアダム・スミス(1723~90年)ですが、この伝統のもとに、市場分析の装置を完成させたのは同じ英国のアルフレッド・マーシャル(1842~1924年)です。 経済学の教科書には、右上がりの供給曲線(S曲線)と右下がりの需要曲線(D曲線)が図の中央でクロスを結ぶチャートが登場します。この「需要供給曲線」は「マーシャリアンクロス」とも呼ばれています。
・商品の売り手と買い手が自由な市場取引を行うことで、価格と数量の柔軟な調整が行われ、需要と供給は均衡します。スミスは、このメカニズムを「神の見えざる手」と呼んだのですが、マーシャルは、これを経済分析に応用可能なチャートへと発展させました。 こうして、スミスの述べたことは、経済学の各分野で広く応用可能になったのです。
・この応用経済学の一種である「労働市場論」は、人が働くということを、労働力という商品の供給とみなし、労働力の需給によって、雇用や賃金を説明します(図1 労働市場の模型)。 この図で説明しますと、前述した、有効求人倍率が上がっているのだから、賃金も上がるはずだという基本認識は、労働市場の均衡点P0で決まる賃金w0の水準に比べ、現状の賃金w1が低い水準にあるというものです。
・企業の労働力需要(D)は均衡水準のL0より大きくなり、労働者が供給する労働力供給(S)はL0より小さくなります。需要が供給を上回る状況であり、賃金を上げ、働き手を増やすことで、労働力需給を均衡させなくてはならないと結論づけられます。
・政府が労働組合側に与し、経済界に「賃上げ」を求めるのも、まさにこの「労働市場論」の認識によるものなのです。 この構図によって、2013年以来、春闘は「官製春闘」と呼ばれてきました。 労働組合が不本意ながらもこの枠組みに乗ってしまったのは、労働組合自身もまた、マーシャリアンクロスを信じているからだと想像されます。
・しかし、マーシャリアンクロスは、現実を正しく表現し、正しい指針を提示してくれているのでしょうか。 これから述べるように、ジョン・メイナード・ケインズ(1883~1946年)は、マーシャリアンクロスの信憑性に、かなり厳しい疑問を提示しているのです。
▽「マーシャリアンクロスの罠」 賃金上がっても実質賃金は変わらず
・ケインズが『雇用・利子および貨幣の一般理論』(1936年)で展開した議論は、「実質賃金」と「名目賃金」とを峻別せよ、ということでした。 彼が同著の序論で展開した議論を、現代日本経済に応用するとするなら、次のようなものとなるでしょう。
・まず、一般にマーシャリアンクロスとして語られてきた「労働市場論」は、名目賃金の話であるのか、実質賃金の話であるのかが明らかにされねばなりません。経済学の正しい論理展開のために、当然、確認されるべきことです。 もし、労働市場というものを想定するというなら、議論の出発点として、労使の行動を規定するものは、名目賃金であることが確認される必要があるでしょう。
・こう考えると、描かれるマーシャリアンクロスは、縦軸に名目賃金、横軸に労働量をとったチャートとなります(図2 労働市場論の論理矛盾)。 ところが、このチャートにしたがって考えていくと、重大な論理矛盾に突き当たってしまうのです。
・労働市場を仮定し、「労働市場論」の結論を信じて、労働組合が賃上げを実現したとしましょう。 労働者は、同じ労働力を供給するのに、より高い賃金をもらうことになるので、労働力供給曲線は、S曲線からS’曲線へ上方シフトすることになります。 ところが、相互に関連性を有する市場経済のメカニズムのもとでは、S曲線からS’曲線への上方シフトは、また、別の影響をもたらすことになるはずです。 すなわち、名目賃金の上昇に伴って、一般物価水準も上がっているので、労働力需要曲線(D曲線)がそのままということはあり得ず、より高まったコスト構造のもとで、D曲線はD’曲線へと上方シフトすることになるのです。
・“主流”の経済学派も価格は費用によって決まり、その費用の多くは賃金の支払いであることは認めざるを得ないでしょう。 こうした一連の道筋によって、もちろん、名目賃金はw1からw2へ上昇するのですが、S曲線はS’曲線へ、そして、D曲線はD’曲線へと上方シフトし、労働力需要が超過している状況にさしたる変化は生じません。 さらに、物価も上昇しているため、実質賃金はほとんど変化していないでしょう。 ケインズは、“主流”の経済学派が、この点についてきちんと論じていないのは、経済学派としての論理矛盾であると手厳しく批判しています。
・このように、「労働市場論」では、実のところ、賃金はどの水準に決まるのか、また実際の雇用量はどの程度になるのかについて、何も語ることができないのです。 「労働市場論」は疑わしいもので、仮に、人々が「労働市場論」の言うように行動したとしても、名目賃金が上がったところで、人手不足が解消されるはずもなく、実質賃金が上昇するかどうかも分かりません。 これらは「マーシャリアンクロスの罠」と呼んでもいいかもしれません。
▽経済学にはビジョンが必要 時代背景によって理論も変わる
・正しい経済政策を導くためには、経済学の立論から論理矛盾を排除しなくてはなりません。この点で、ケインズは「労働市場論」は使い物にならないと考えています。 しかし、経済学に求められるものは、そうした論理整合性ばかりでなく、ビジョンとしての役割も期待されています。 経済学という学問には、人々がとるべき社会的行動の規範を提示することも求められているのです。
・その意味では、スミスにもケインズにも経済学者として確固たるビジョンがありました。2人はそれぞれ、18世紀、あるいは20世紀という時代とともに、人類に対し明確なビジョンを語っています。 スミスの時代は、人口が増加し、植民地貿易も拡大して、市場経済は大いに拡張していました。人口増加に伴う消費需要の拡大、広範な投資機会、貿易の拡張に伴う輸出の増大など、需要の不足に悩む必要はなかったのです。 このような状況のもとで、政府機能を拡張したり、財政支出を増やしたりすることは、貴重な資源を民間の投資や資本蓄積から吸い上げることになります。
・このように需要がどんどん増える時代では、民間の投資主導で成長し、生産力を高め、資本蓄積を進めて、より大きな富を生み出すことが目指されます。 ここから、政府機能に基づく所得再分配ではなく、成長のもとでのトリクルダウンを志向する経済政策の道筋が生まれてきます。 「神の見えざる手」とは、18世紀の勢いのある経済を前提に、自由主義市場経済で果敢に挑戦する精神を鼓舞したものと言えるでしょう。
・これに対し、ケインズの「有効需要の原理」とは、「大恐慌」に象徴されるように需要が伸びなくなった20世紀前半の時代の産物で、自由主義市場経済の原理に修正を迫りました。 人口が伸びなくなり需要は停滞し、市場を求めた植民地の拡大は列強の世界割拠をもたらし、国際的な緊張が極度に高まった時代だったのです。
・今日見られる現代経済学研究の危険性は、経済理論をそれぞれの生み出された時代から切り離し、普遍性のある完結した世界として描き出そうとすることです。 大学での研究の論理からすれば、それは経済学の「科学」としての性格を高めるにことに役立つでしょう。しかし、経済学の「ビジョン」としての性格は、どんどん失われていくことになります。
▽アベノミクスは古い時代の経済学の焼き直し
・「成長戦略」「デフレ脱却」「物価目標2%」「3%賃上げ」など、現代日本社会は勢いのある言説に包まれています。 何やらスミスの生きた時代のビジョンが、現代経済学の“精緻な理論”を経由して、「現代的な装い」のもとに復活したかのようです。 そこでは「労働市場論」によって雇用と賃金が堂々と語られています。
・しかし、「官製春闘」を5年間戦い抜いてきた労働組合の皆さんは、現代日本社会をどのように見ているのでしょうか。 そろそろ、「マーシャリアンクロスの罠」に気づく人が出てきてもよさそうです。 ケインズ理論によって、「労働市場論」がすでに論破されているのだとするなら、賃金は、次のように語られるべきではないでしょうか。
・すなわち、それは極めて社会的なものであって、市場経済の原理によって語られるべきものではないということです。 賃金水準は、その社会での生活状態や生計費の水準などを基底に置きながら、労使関係、労働組合の交渉力、労働関係法制のあり様など社会的な関係のもとに決定されるものであり、決定された賃金は、市場経済における自由競争の前提ととらえられるべきものである、ということです。
・賃金は、労働市場の需給関係によって決まるのではなく、その社会で生きる人たちの仕事に対する考え方であったり、所属する組織との関係性など、社会的、文化的要素によって決まるのであり、歴史的に形成されるものです。 そのような、文化的、歴史的事情によって決まる賃金は、市場の外から外生的に与えられる極めて社会的なものだととらえられなくてはなりません。
▽成長鈍化の時代に「真の豊かさ」を考える春闘に
・「労働市場論」を否定した後に問われることは、「真の豊かさとは何か」ということです。 「豊かさ」を文化的、歴史的な営みの中で再考する必要があります。 今まで、GDP(国内総生産)の大きさが、一国の豊かさを表し、経済成長は私たちの豊かさを増進するものだととらえられてきました。
・しかし、現代社会に経済成長の制約はたくさんあり、特に人口減少とエネルギー資源の制約は日本社会にとってすでに避けられないものとなっています。 それにもかかわらず、現代日本の経済政策が経済成長にしがみつくのは、それ以外に、豊かさを語る言葉を持たないからです。経済が成長し、賃金が増えれば豊かになるという「神話」が成立してしまっています。
・人口減少やエネルギー資源の制約からくる経済成長率の鈍化については、日本社会における客観的な諸条件を洗い出した上で、経済予測に正確に織り込む必要があるでしょう。 経済成長率を無理にも引き上げようとする異次元緩和や財政発動は、すでに多くの副作用をもたらしています。
・大量の貨幣供給とマイナス金利は円安誘導を通じて、輸入物価を引き上げ、国内の所得は海外に漏出するようになりました。国内物価の上昇に伴い実質賃金が低下するのに対し、金融緩和と財政発動によって企業収益は保護されています。 この結果、経済成長は投資主導となり、巨大な生産能力が着々と蓄積され、供給過剰の危険が現実のものとなるのも、そう先のことではないでしょう。
・今春闘の真の課題は、こうした日本経済の現実を冷静に見つめ、働く人たちの真の豊かさと、それを実現する正しい経営のあり方を模索することです。 その議論の延長に、経済政策の転換と新しい経済学の創造があることは言うまでもありません。
http://diamond.jp/articles/-/156446

第一の記事で、 『労働力は他の商品とは違う。 「労働市場論」という知的欺瞞』、 『既存の経済学の枠組みでは雇用の実態を見誤る』、 『経済学は、人々の思考を縛り、ある特定の社会認識を生み出し、そして、ある特定の行為を命ずる、というような危険な性格を持っています』、 『景気拡張過程で実質賃金が低下 アベノミクスの「隠された本質」』、などの指摘は、労働経済学の権威だけあって、説得力がある。
第二の記事で、 『契機は日経連のレポート 「雇用ポートフォリオ」で人件費管理』、というのはすっかり忘れていたことを、思い出させてくれた。 『賃金は「人への投資」 人件費をコストと考えた失敗』、というのは、確かに正論ではあるが、いまだ殆どの経営者はコストと考え続けているようだ。 『設備投資主導は過剰供給生む危険 賃金抑制は間違った選択』、という指摘もその通りだ。
第三の記事で、 『経済学者の「労働市場論」に従った労働組合の失敗』、 『「マーシャリアンクロスの罠」 賃金上がっても実質賃金は変わらず』、 『経済学にはビジョンが必要 時代背景によって理論も変わる』、 『アベノミクスは古い時代の経済学の焼き直し』、などは、さすが碩学ならではの鋭い指摘だ。
今年の春闘ベア率の3%目標は、どう考えても、夢のまた夢だろう。
タグ:(その27)(なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(景気拡大なのに実質賃金が下がるアベノミクスの本質、「賃金抑制はいいことだ」と考えた企業経営者たちの失敗、労組が賃上げに失敗するのは時代遅れの経済理論に原因がある) 石水喜夫 ダイヤモンド・オンライン アベノミクス 「景気拡大なのに実質賃金が下がるアベノミクスの本質 「3%賃上げ」の虚実」 労働力は他の商品とは違う。 「労働市場論」という知的欺瞞 翻弄されてきた労働組合  「官製春闘」のもと、実態を語れず 景気拡張過程で実質賃金が低下 アベノミクスの「隠された本質」 「「賃金抑制はいいことだ」と考えた企業経営者たちの失敗 なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(中)」 賃金を削って利益を出す経営に変わってしまった 契機は日経連のレポート 「雇用ポートフォリオ」で人件費管理 賃金は「人への投資」 人件費をコストと考えた失敗 金融の異次元緩和で輸入物価上昇 実質賃金は低下 賃金抑制が成長率鈍化の要因 景気拡大に民間消費の寄与みられず 設備投資主導は過剰供給生む危険 賃金抑制は間違った選択 「労組が賃上げに失敗するのは時代遅れの経済理論に原因がある なぜアベノミクスで賃金が上がらないのか(下)」 経済学者の「労働市場論」に従った労働組合の失敗 有効求人倍率が上がれば賃金も上がるはずだった マーシャリアンクロスの罠」 賃金上がっても実質賃金は変わらず 経済学にはビジョンが必要 時代背景によって理論も変わる アベノミクスは古い時代の経済学の焼き直し
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