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日本のスポーツ界(その7)(市民ランナー川内圧勝の裏で 実業団選手は必死に駅伝調整、貴乃花親方バッシングに見る相撲協会とマスコミの「狂気」、五輪「日本大躍進」報道のウソ 日本がメダル量産国になれない理由)

日本のスポーツ界については、2月14日に取上げたが、今日は、(その7)(市民ランナー川内圧勝の裏で 実業団選手は必死に駅伝調整、貴乃花親方バッシングに見る相撲協会とマスコミの「狂気」、五輪「日本大躍進」報道のウソ 日本がメダル量産国になれない理由)である。

先ずは、昨年12月18日付け日刊ゲンダイ「市民ランナー川内圧勝の裏で 実業団選手は必死に駅伝調整」を紹介しよう。
・「合わせ技一本」だ。 17日の防府読売マラソンに出場した川内優輝(30)が、2時間10分3秒で大会3年ぶり3度目の優勝を果たした。川内は、3日の福岡国際では2時間10分53秒の9位だった。「日本人3位までで2時間11分以内(同4~6位・2時間10分以内)」の条件はクリアできなかったが、対象となる2レースの平均が2時間11分以内となり、東京五輪マラソンの代表選考会(マラソングランドチャンピオンシップ=MGC)の出場権を獲得した。
・すでに代表引退を表明している川内もマラソンをやめたわけではない。2週間後にレースに出ることなんて屁のカッパだが、今はマラソンどころではないのが、元日の全日本実業団対抗駅伝を走る選手たちだ。彼らにとってニューイヤー駅伝こそが、年間行事における最大イベント。企業の「広告塔」として、最高の走りをするため、12月は調整に余念がない。
・よって、東京五輪のマラソン代表を狙う者たちは元日の駅伝が終わってから、別府大分、東京、びわ湖毎日などのレースでMGCの出場権を取りにいくことになるわけだが、日本のマラソン低迷の原因が実業団の駅伝重視にあることは、関係者たちがいくら否定しても明らかだ。実業団を退社し海外へ飛び出していった大迫傑(26)が福岡国際で、国内歴代5位の2時間7分19秒で3位に入った事実もそれを物語っている。
・東京五輪まで950日を切った。意識のレベルが違う大迫に、「駅伝第一」の実業団選手が勝てるはずがない。マラソンに対する意識や取り組み方なら市民ランナーの川内の方がはるかに上だ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/sports/219754

次に、ノンフィクションライターの窪田順生氏が12月28日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「貴乃花親方バッシングに見る相撲協会とマスコミの「狂気」」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・マスコミが連日垂れ流す貴乃花親方バッシング。まるで集団リンチのような暴行事件そのものよりも、貴乃花親方の言動の方がはるかに問題だ、とでもいうような風潮が出来上がってしまっている。ここには、日本社会が蝕まれている重大な「病」が潜んでいる。
▽何も語らぬ貴乃花親方に向けたバッシングが止まらない
・日本型組織の「制度疲労」から来る不正や不祥事が連発した2017年もようやく終わりを迎えようかという年末、最後の最後に日本型組織のクレイジーさを象徴するような「騒動」が起きてしまった。 今日、日本相撲協会から重い処分が言い渡される貴乃花親方に対し、連日のように行われている「バッシング」である。  貴乃花親方が何も語らぬのをいいことに、「協会関係者」なる人物たちが好き勝手に貴乃花親方をディスり、それをマスコミがノンフィルターで右から左へ垂れ流すという、見ていてあまり気持ちよくない「印象操作」が続いているのだ。
・わかりやすいのは、貴乃花親方の聴取が行われた翌日、マスコミが報じた「協会関係者」なる人物の主張だろう。「警察から協会に事情を伝えた方が正確だ」という趣旨のことを親方が主張していることに対して、こんな調子で一蹴した。
・《「そんな話は世の中に通じないだろう」と述べ、巡業部長としての責任を果たしていないとの認識を示した。》(日テレNEWS24 12月26日) 翌日になると、この聴取で貴乃花親方が、「自分は間違っていない」とダダッ子のように主張したという情報が相撲協会からリークされ、再び「協会関係者」が登場。誰も頼んでいないのに、ワイドショーのコメンテーターばりに「論点整理」を行っている。 「協会の執行部が事態を把握したあと理事会にすぐに報告しなかった方が問題だ」(日テレNEWS24 12月27日)
▽貴ノ岩の主張が正しいならば事件は「集団リンチ」である
・こういう報道ばかりが世に溢れると、素直でピュアな日本人は、なにやらこの騒動の元凶は、非常識で、組織人失格の貴乃花親方にあるような気がしてしまう。事実、ワイドショーに出ている相撲記者歴ウン十年みたいなロマンスグレーのおじさま方や、評論家のおじさんたちは、「こんなワガママは組織人として許されませんよ!」とか声を張り上げている。
・だが、筆者に言わせると、これは完全に相撲協会側の「印象操作」がもたらしたミスリードだ。 今回の騒動で本当に「問題」なのは、貴乃花親方による報告がなかった云々ではない。 白鵬という、この世界の絶対的権力者が、日馬富士が貴ノ岩をボコボコに殴っていた間も、ずっとそれを見ていたということ。さらに、現場にいた力士たちと、被害者である貴ノ岩の主張が完全に食い違っているということだ。
・もし貴ノ岩の主張が正しければ、これは日馬富士による単なる暴行事件ではなく、大横綱・白鵬の「この生意気な奴に体で分からせてやれ」という思いを「忖度」した、横綱や力士たちによる「密室の集団リンチ」である。
・このような組織内の絶対権力者が関与した犯罪を、組織内で断罪することが困難を極めるというのは、さまざまな事例が証明している。たとえば、シリコンバレー発の最先端企業Uberでも、「ハイパフォーマー」と呼ばれる超エリート社員にセクハラされた女性が人事部に訴えたところ、「キミのことを切ろうと思えばいつでも簡単に切れる」と逆に脅され、この女性はクビに追いやられた。
・もし貴ノ岩と貴乃花親方が暴行発覚後に協会にすべてを打ち明けても、彼らの主張はネグられ、日馬富士と白鵬という「ハイパフォーマー」を擁護するような対応が行われた可能性が高いのだ。
▽マスコミはなぜ相撲協会の思惑に乗るのか?
・なぜ「殴られる理由がない」と主張する貴ノ岩がボコボコにされる間、白鵬はカラオケのリモコンという凶器が登場するまで止めなかったのか。「問題」の根っこはここにあるのではないか。 今年1月、貴ノ岩は白鵬から初金星を挙げた。そのおかげで、白鵬は優勝を逃している。そのようにメキメキと頭角をあらわしてきた後輩を、説教の末、密室で「かわいがり」を行えば、かねてから囁かれる「モンゴル勢の星の回し合い」が疑われても仕方がない。
・このあたりを追及するために、マスコミが白鵬を連日追いかけ回すのなら分かるが、現実には、マスコミは貴ノ花親方を追いかけ回して、やれ「非常識だ」「態度が悪い」「ここまでくると異常だ」と大騒ぎをしている。  要するに、大横綱がからむ「集団リンチ」の真相究明ではなく、「組織への報告がない」ことの方が「問題」だというのだ。
・完全に狂っている。では、なぜ狂ってしまうのか。 相撲協会は興行のドル箱である白鵬や鶴竜という横綱にこれ以上、ネガティブイメージを付けたくないという思惑があるが、マスコミまでが、なぜかその思惑に丸乗りし、貴ノ花親方バッシングに加担をしている。
・バカなのか。いや、バカではない。実は相撲協会とマスコミはある一点で非常によく似ている。それは「極度に閉鎖的なムラ社会」だということだ。「ムラ社会」というのは基本的に、貴ノ花親方のようなタイプの人間は大っ嫌いである。「ムラ」の秩序を乱す者は、組織の総力を挙げて潰さなくてはいけない。
・その逆に、少しくらいの不正、少しくらいの暴行などを行っても、それが「組織のため」という大義名分があれば、「ムラの功労者」として表彰される。後輩をボコボコに殴った日馬富士が「礼儀を教えるため」だと述べたことに対して、「男らしくて立派だ!」「引退なんてしなくていい!」ということをおっしゃる方がいるのが、その証左だ。
▽ムラの論理という「病」に蝕まれている日本人
・この「ムラの正義」は日本の伝統みたいなもので、たとえば、古くはロッキード事件の時の大企業が分かりやすい。事件が摘発され、某大手商社の総務課長と、秘書課長が逮捕された。2人は事件への関与が疑われた同社の会長や専務の自動車行動表などを破り捨て、「証拠隠滅」を図ったという容疑だった。2週間近く拘置されて釈放された2人は、会社のあちこちから「ごくろうさま」と声をかけられ、「英雄」として祝福された。若い社員が当時、「朝日新聞」の取材にこう述べている。 「企業防衛のために、トップの指示に従った社員が逮捕されるなんて……。僕がその立場だったら、同じことをしていた」(朝日新聞1981年1月5日)
・「ムラ社会」では、「ムラ」を守る人は常に清く正しい。その逆に「ムラ」を裏切る人間は、私利私欲にまみれて汚れているとされる。業界の不正や悪習を「内部告発」した人間が総じて激しいバッシングに遭うのは、この「ムラの論理」があるためである。
・こういう考えは閉鎖的な業界であればあるほど強い。相撲協会はその典型だが、実はマスコミも負けていない。記者クラブ制度に代表されるように、この世界では、「ムラ」に入らないと情報にアクセスすらできない。  つまり、貴ノ花親方へのバッシングというのは、相撲協会とマスコミという2つの「ムラ社会」が、「ムラの秩序を乱す者への憎悪」をこじらせた結果なのだ。
・なんてことを言うと、マスコミや相撲協会を特殊な社会だと言っているように思うかもしれないが、そんなことはない。「ムラの論理」というのは、何もこれらの業界だけではなく、日本社会全体が長い歴史の中で侵されてしまっている「病」のようなものだからだ。
・1921年、「タイムマシン」「宇宙戦争」などで知られる作家H.G.ウェルズが、「増子」と「野口」という2人の日本人と会って、教育について議論をした。その際にこの2人の日本人は自国の教育について、このように述べたという。 「日本人が子供を育てる方法は欧米の夫れと全く正反対である。日本人はその子供を本来の性質とまったく異なった方向に向けて了ふ。日本人の中心思想は従順と奉公である。我々のあらゆる感情や詩歌、数世紀に亙る伝統は忠誠――盲目的な没批判な忠誠、妻は夫に、下僕は主人に、そしてすべての臣民は君主に対して忠誠でなければならぬと教えるのである。此の忠誠は全く宗教的である」(朝日新聞1921年11月30日)
▽大正時代から今に至るまで日本人の根本は変化していない
・マスコミや相撲協会が、目の前で放置されている白鵬が関わる「問題」よりも、貴ノ花親方の立ち居振る舞いを「問題」だと大騒ぎするのは、すべてはこの100年以上前から続く「宗教」のせいなのだ。 働き方改革を謳っても過労死やパワハラがなくならいのも、多様性が大事だと謳ってもセクハラや差別がなくならないのも、「組織に対する盲目的な忠誠」というものが、宗教のように我々の心に刷り込まれているからではないか。
・「従順と奉公」が正義とされる社会では、「上」に逆らうものにはどんな手を使ってでもこの正義を分からせなくてはいけない。では、どう分からせるかというと、罵詈雑言を浴びせたり、白鵬のような説教をしたりして精神的に追いつめて従わせるか、力づくで従わせるしかない。これが日本社会に蔓延するパワハラや「いじめ」の正体だ。
・そんなのはお前の妄想だという声が聞こえてきそうだが、先ほどご紹介した、H.G.ウェルズと議論した2人の日本人も、「従順と奉公」が我々日本人にとって、自分の力だけではなかなか克服できない「病」のようなものだと認めている。彼らは欧米では、自由思想を養い、おかしなことは目上の者であっても批判するという文化があるとして、以下のように述べている。 「恐らく此の方法は結局に於て優れたものであり、力強いものであらう。然し乍ら日本人にはそれが正常なものではない危険なものだと言う風に思われるのである」(同上)
・おかしなことを「おかしい」と指摘して行動を起こした者は「異常」であり、「危険」な存在とされる。大正時代の人々が気づいた日本人の「病」を、平成の世に生きる我々は、まだ克服できていない。
http://diamond.jp/articles/-/154602

第三に、同じ窪田順生氏が2月22日付けダイヤモンド・オンラインに寄稿した「五輪「日本大躍進」報道のウソ、日本がメダル量産国になれない理由」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・平昌五輪を巡る報道にインチキが散見される。日本はメダル量産国ではないのに、見出しに「メダル量産」の文字が踊り、競技人口が少ない種目なのに「戦力が厚みを増している」との解説も。戦中の大本営発表にそっくりな報道に慢心するばかりでは、不足している競技人口の増加や選手サポート体制強化という、本当の量産国になるために必要な課題を見えなくさせる。
▽日本は「メダル量産国」ではない マスコミ報道のインチキぶり
・なぜこの国のマスコミは、アスリート個人の功績を「日本の功績」にすりかえようとするのだろうか。 ご存じのように、テレビや新聞では朝から晩まで、メダリストたちの感動の瞬間をレポートしている。彼らの素晴らしいパフォーマンス、これまで歩んできた苦難、支えてきた周囲の方たちの絆を知って胸が熱くなった、という方も多くいらっしゃることだろう。筆者もまったく同じ思いだ。
・が、そのような個人にスポットライトを当てた報道に紛れ込ませるような形で、読者や視聴者が「日本ってすごいんだな」と錯覚してしまう、かなり盛りに盛った話があふれているのは、見ていて不安しか感じない。日本人を気分良くさせるためには多少の行きすぎたハッタリをかましてもお咎めなし、というあまり褒められない環境になってしまっているからだ。
・たとえば分かりやすいのが、先日の産経新聞だ。 『日本メダル量産、最多タイ「戦力に厚み」 スピードスケート牽引 どこまで伸びるか』(産経ニュース2月19日) こう聞くと、なんとなく「日本の快進撃が止まらない」みたいなイメージを抱くだろうが、2月21日現在、平昌五輪公式ホームページの「Detailed Medal Standings」を見ると、日本は韓国、イタリアに続く11位。30個のメダルを獲得しているノルウェー(1位)や、23個のドイツ(2位)という本当のメダル量産国の背中すら見えない。
・国際オリンピック委員会(IOC)のデータで平昌以前の冬季五輪の獲得メダル総数を見ても、100個以上が当たり前となっている西側諸国と比較して日本は45個。ダブルスコア以上の差をつけられていて、アジア勢の中国・韓国(共に53個)よりも少ない。
・「そういうレベルなんだから、はしゃいだらみっともない」、とか意地の悪いことを言いたいわけではない。日本のウインタースポーツを盛り上げるためにも、お祭り騒ぎのような「自画自賛報道」だけではなく、冷静かつ客観的に自分たちの置かれた状況も解説すべきだと申し上げたいのだ。
▽「大本営発表」と見まがうばかりの欺瞞あふれる自画自賛報道
・また、この産経ニュースの記事では「躍進の一因は、スピードスケート勢の復権だ」とうれしそうに述べているのだが、これもかなりビミョーなもの言いだ。 「復権」とは、ひとつの時代を築き、栄華を誇った者が衰退して、また復活した際に使われる言葉だが、平昌以前の日本のスピードスケートのメダル獲得数は15個だ。オランダのように、これまで獲得したメダルが107個もあるような国が、低迷期を経て乗り越えたというのなら「復権」と言うのも分かるが、「まだまだこれから」というレベルにある日本が言うことに違和感を覚える。
・実際、オランダから見れば、日本は「スケート途上国」である。ソチ五輪後に、代表選手の強化のために招聘されたオランダのヨハン・デヴィット氏のアシスタントはこう述べている。 「日本には才能に恵まれた選手はたくさんいたが、彼らはそれを生かすことができていなかった。日本は世界2位のスピードスケート大国になれる可能性を持っているのに、その可能性を生かしていなかった」(AFPBBニュース2月10日)
・ちなみに、「ショートトラック大国」だと自画自賛している韓国は、これまで同競技で42個のメダルを獲っている。日本の15個で「復権」はいくらなんでも盛りすぎだ。
・ただ、なによりもこの記事で筆者が危ういと感じるのは、「戦力に厚み」というタイトルだ。 大会前はメダル候補だと思われていなかったフリースタイル男子モーグルの原大智選手が銅メダルに輝いたことを受け、JOC関係者による「戦力が厚みを増している」という分析から引用したわけだが、これは太平洋戦争の大本営発表にも負けず劣らずの誇張ぶりである。
・スキーの競技人口は激減しており、フリースタイルモーグルとピンポイントになるとさらに厳しい。ソチ五輪時には600人弱ではないかと報じられている。小平奈緒さんや高木美帆さんのようなスターを輩出しているスピードスケートですら、笹川スポーツ財団のホームページによると、「競技人口は約2500人」だという。
▽サポート体制が不十分な中でメダルを獲った選手の凄み
・日本のマスコミが勝手にライバル視しているオランダは、日本の8分の1程度の人口しかいないにもかかわらず、スピードスケードの競技人口は1万人以上。複数のプロチームがあって切磋琢磨している。こういう国が「戦力に厚みを増してきている」と言うなら分かるが、ペラペラの薄い戦力層しかない日本が言っても強がりにしか聞こえない。
・なんてことを言うと、「こいつは反日サヨクだ!」、「メダリストの活躍を素直に讃えられないなんて日本人じゃない!」とすさまじい誹謗中傷にさらされてしまうので、断っておくと、筆者は日本代表アスリートや彼らを支えている方たちをディスっているわけではなく、彼ら個人の功績を、さも「日本の功績」のように語っている現状がおかしいと指摘しているのだ。
・平昌五輪に出場しているアスリートのほとんどは、自助努力で競技者人生を続けている。自分の限界に挑みながら、家族、友人、篤志家などに頼り、「資金集め」にも悪戦苦闘しなければいけない。 小平さんの競技活動やオランダ留学費用などをサポートしていた相澤病院が注目を集めているが、大企業から支援を受けられるのは、フィギュアスケートの一部選手やプロスノボーダーのみなさんなど、ほんの一握り。なかには資金面で夢を諦めざるをえないプレーヤーもいる。
・強化費や代表選手のサポート体制も以前よりは整ってきているものの、いまだに日本のマイナースポーツは「個人のがんばり」に依存している、という動かしがたい事実がある。 そういうブラック企業にも似た環境のなかで、小平さんや高木さんは、戦力の厚みもあり、国や大企業から十分なサポートを得ているメダル量産国の選手たちよりも素晴らしいパフォーマンスを見せたのだ。
・これは選手個人の努力はもちろん、それを支え続けた家族や周囲の人々の協力もあって成し遂げたすさまじい偉業である。もちろん、これまで冬季五輪で45個のメダルを獲得してきた選手たちや、残念ながらメダルに手が届かなかった選手たちにも同じことが言える。
▽「日本すごい」報道がスポーツ振興の邪魔になる理由
・だが、なぜか日本のマスコミでは、そのような「個人」を讃えながらも、ちょいちょい「日本メダル量産」とか「戦力の厚み」なんて言葉を用いて、「日本全体が成し遂げた偉業感」をぶっこんでくるのだ。 「すごい」と評価されるべきは、小平選手であり、彼女の夢を支え続けた相澤病院や、スピードスケートの関係者という「個人」であり、「日本」がすごいわけではないのだ。メダルの数と色ばかりにこだわっているマスコミによって、それがいつのまにかごちゃまぜに語られるようになってしまうのだ。
・そんな屁理屈こねて面倒くさいヤツだなと思われるかもしれない。ただ、なぜ筆者が個人の功績を「日本の功績」とごちゃまぜにしてはいけないとここまで強く主張をするのかというと、マイナースポーツが今まで以上に衰退してしまうからだ。 たとえば、今日にいたるまでのテレビ・新聞の平昌五輪報道で、みなさんはどれくらいの日本代表の名前を覚えただろうか。特に熱狂している方でなければ、メダルを獲得した8人にプラスして、レジェンド・葛西紀明さんや、フィギュア男女、「カー娘」くらいで、ざっと20人ほどではないか。
・しかし、平昌五輪で戦っているアスリートは124人いる。マスコミは「がんばれ日本!」と絶叫しているわりに、ほんのひと握りのアスリートの活躍しか報じていないのだ。 つまり、アスリート個人の功績を「日本の功績」と混同してしまうと、どうしてもメダルの数や色に国力を重ねて、増えた減ったと大騒ぎする五輪報道に終始してしまうのである。
・これはサッカーW杯と同様に「愛国エンターテイメント」なので、「にわかファン」は瞬間風速的に増える。だが、その競技の面白さや、アスリート個人のパフォーマンスの偉大さを伝えているわけではないので、本当のファンは定着しない。当然、競技者人口も増えず衰退していくというわけだ。
▽選手個人のがんばりをナショナリズムに利用するな
・ひたすら個人にのみがんばらせるという、ブラック企業のような発想で、スポーツ振興などできるわけがない。 一方で「国力」によって、選抜されたアスリートをサイボーグみたいに強化するだけ、というのも考えものだ。かつてのソ連など共産圏諸国では、そうして悲劇のアスリートが量産された。東京五輪に向けて強化予算が増えて、才能のある子どもをサポートする体制もつくられてきているが、それだけでは不十分だ。愛国エンタメではない五輪報道が行われ、スポーツを真に楽しむことができるファンが増え、競技者の裾野が広がってはじめて、国家による後押しの意味があるのだ。
・今回の平昌五輪では、選手個人のがんばりとナショナリズムをごちゃまぜにしたことで、韓国と北朝鮮の南北合同チームが結成されるなど、さまざまな醜いトラブルがあったが、日本も同じ穴のムジナだ。個人の手柄を国がかっさらうような環境を改めない限り、東京五輪でも残念な報道が垂れ流され、世界に恥をさらすことになるだろう。
・日本人が大好きな「がんばれ日本!」という言葉は、実は1964年に公開された映画のタイトルに端を発する。これは「ナチスの宣伝五輪」といわれたベルリン五輪の記録映画「民族の祭典」から日本人選手の活躍を抜き出して編集したものだ。総指揮は、多くのナチス・プロパガンダ映画でメガホンを取ったレニ・リフェンシュタールがつとめている。 まずはこの全体主義丸出しのスローガンから卒業することをから始めないか。
http://diamond.jp/articles/-/160841

第一の記事で、 『日本のマラソン低迷の原因が実業団の駅伝重視にあることは、関係者たちがいくら否定しても明らかだ』、これだけマラソンがブームになっているのに、実業団は駅伝を重視しているというのは驚かされた。その理由に言及してないが、もっとマラソンを重視するようになってほしいものだ。川内さんが代表引退を表明したとは、残念だ。
第二の記事で、 『実は相撲協会とマスコミはある一点で非常によく似ている。それは「極度に閉鎖的なムラ社会」だということだ。「ムラ社会」というのは基本的に、貴ノ花親方のようなタイプの人間は大っ嫌いである。「ムラ」の秩序を乱す者は、組織の総力を挙げて潰さなくてはいけない』、というのはその通りだろう。ただ、窪田氏が貴乃花親方に甘く、擁護しているのには違和感を感じた。私は貴乃花親方の行動も余りに不自然で、協会から批判されてもしょうがない部分があると思っている。 『大正時代から今に至るまで日本人の根本は変化していない』、というのは残念ながら認めざるを得ないようだ。
第三の記事で、 『日本は「メダル量産国」ではない マスコミ報道のインチキぶり』、 『「大本営発表」と見まがうばかりの欺瞞あふれる自画自賛報道』、 『「日本すごい」報道がスポーツ振興の邪魔になる理由』、などの指摘は、私が平昌五輪報道で感じていた印象を見事に代弁してくれた。 『日本人が大好きな「がんばれ日本!」という言葉は、実は1964年に公開された映画のタイトルに端を発する。これは「ナチスの宣伝五輪」といわれたベルリン五輪の記録映画「民族の祭典」から日本人選手の活躍を抜き出して編集したものだ。総指揮は、多くのナチス・プロパガンダ映画でメガホンを取ったレニ・リフェンシュタールがつとめている』、というのは初めて知り、驚いた。なお、全く無関係ではあるが、2010年2月2日に田母神俊雄、水島総らが中心となって結成した右翼系団体として、「頑張れ日本!全国行動委員会」というのがあるようだ(Wikipedia)。窪田氏が呼びかけている、『まずはこの全体主義丸出しのスローガンから卒業することをから始めないか』、には大賛成だ。
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