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公文書管理・公開(その2)(公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」、この国のずさんすぎる「公文書管理」、陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い) [国内政治]

公文書管理・公開については、昨年8月5日に「公的情報管理・公開」として取上げた。今日は、タイトルを部修正した、(その2)(公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」、この国のずさんすぎる「公文書管理」、陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い)である。

先ずは、NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長の三木 由希子氏が3月17日付け現代ビジネスに寄稿した「公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」 「異例」「特殊」で片付けてはいけない」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・森友文書の改ざん問題が連日大きなニュースとなっている。これを「異例」「特殊」とするかぎり、大問題の根っこは見えてこない――情報公開や公文書管理の数少ない専門家である、NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長・三木由希子氏が、論点を整理するとともに今後必要とされる議論の方向性を示す。
▽なぜここまでの改ざんが行われたのか…
・財務省が、森友学園との契約に関連する決裁文書の「書き換え」をしていたことを認め、調査結果を3月12日発表した。 書き換えていたのは、森友学園との契約に際しての決議書(決裁文書)の一部である調書(契約の経緯等を説明したもの)と、書き換えた内容と不整合にならないよう関連する決裁文書の調書だ。
・調査結果は全部で80ページあり、昨年2月下旬から4月にかけて書き換えた決裁文書14件の特定と、どの部分を書き換えていたのかがわかる書き換え前と後の対照表が発表された。 調査は職員からの聞き取り、職場のパソコンに残っていたデータの精査、大阪地検の保管する文書の写しの提供を受けるなどで実施し、内容の異なる複数文書を確認したという(時事通信「価格交渉の記述削除=200項目超で改ざん-森友文書問題」2018年3月12日)。
・また、改ざん前の決裁文書が存在する可能性は、5日の段階で国土交通省から官邸に報告があり、菅官房長官は6日に報告を受け、安倍首相も承知していたと報じられた(朝日新聞「改ざんの可能性、事前把握認める 菅氏「首相も承知」」2018年3月15日)。
・その一方で、8日の時点で財務省は近畿財務局にあるとするコピーを国会に出したが、それは改ざん後の文書だった。 また、安倍首相は改ざんの報告を受けたのは11日と14日の参議院予算委員会で答弁し、改ざん文書の把握の時系列の情報も、刻々と変わっている。
・なぜ「改ざん」が行われたのかは、調査結果では示されていない。 結果公表後に、麻生財務大臣が理財局の一部の職員が行ったことと強調し、「佐川の国会答弁に合わせて書き換えたのが事実だ」「最終責任者は(当時)の理財局長の佐川だ」と話したと報じられている(毎日新聞「<森友文書改ざん>麻生氏「最終責任者は当時の佐川局長」」2018年3月12日)。
・安倍首相は12日午後の会見で、「なぜこんなことが起きたのか、全容を解明するため調査を進めていく」と述べており、今後、さらに調査することが表明されている。 両方の発言を踏まえると、先に辞任した佐川国税庁長官の理財局長時代の責任であることを軸に、調査が行われることになるのだろう。
・このままだと、調査を進める前から、最終責任者が決め打ちされた調査になりそうで、どの程度意味があるか大いに疑問だ。 財務省から独立した調査を行った方が、それなりの理解が得られる調査結果になるのではないかと思うが、残念ながらそうなりそうにもない。
・朝日新聞が3月2日に決裁文書の書き換えの可能性を報道してから10日目にして、ようやく財務省が改ざんを認めたわけだが、正直なところ、ここまで多くの文書と箇所で行っていたとは想像していなかった。 国会議員に提示を求められた決裁文書から、具体的な交渉経緯や案件の背景を主に削除しており、これが1年前に公開されていれば、森友学園問題はまったく違った展開になっていただろう。 結局、国会議員に改ざんした文書を提供してごまかしてきたことになる。 また、この1年の間に衆議院選挙もあった。森友学園問題の経緯を具体的に明らかになっていれば、情報を得て判断する機会が私たちにはあったはずだが、それが奪われたことになる。
▽改ざん問題と公文書管理法との関係
・財務省による決裁文書の改ざんは、やってはならないこととわかっていながらやったわけで、異例の事態だが、「異例」とだけしてしまうと、ひとつの特殊な事例で終わってしまう。 森友学園問題はこの問題として何らか始末をつける必要があるが、普遍的な問題・課題が何かも併せて考える必要があるので、少し整理してみたい。
・改ざん問題が明らかになって以来、公文書管理法との関係がたびたび論点として挙がっているが、この法律自体に改ざんを防止するための仕組みが用意されているわけではない。 電子行政文書については、改ざんが容易であるということもあり、情報セキュリティ対策として改ざん防止措置が求められているが、あくまで政府活動によって発生する行政文書を管理するための仕組みだ。
・目的としているのは、行政文書を通じて政府が説明責任を果たすということ。行政文書が発生したら、それがそのまま残っているのが当たり前というのが、この制度の前提になっている。 この関係をもう少しかみ砕くと、行政文書は政府活動の結果発生するものなので、政府活動の質が悪かったり、適切性や合理性に欠けたり、一般に理解を得られないようなものであると、その影響が避けられない。
・それが、なるべく記録しないようにしたり、短期間で廃棄しようとしたり、行政文書として保存せず個人メモとしたり、過剰に非公開にしたり隠ぺいしたりと、行政文書の質や管理や公開を通じて顕在化するという関係になる。 森友学園問題では、契約内容の妥当性が経緯から疑われれば、文書改ざんを引き起こす原因になる。
・そのため、情報公開法や公文書管理法にも問題があるが、それだけで解決しようとするのは無理がある。 政府活動の質や健全性を高める、適正性を確保し、政府が信頼されるための努力をすることが、遠回りのようで、政府の説明責任が行政文書によって果たされるためには必要になってくる。
・ ちなみに、よく日本の公文書管理法と比較されるアメリカの記録管理法体系では、日本でいう国立公文書館と内閣府を合わせた権限を持つ、国立公文書記録管理局(NARA)の権限が強力であることや規模が大きいことが指摘されているが、NARAが政府活動そのものを監督するわけではない。
・例えば、各連邦政府機関には総括監察官がおり、独立的な監察機能を担い、NARAも必要に応じて連携している。 また、公益通報者保護法、不正請求防止法のような仕組みや、議会による連邦政府機関の活動の監視、予算管理局による活動管理、強力な証拠開示手続など、記録管理とは別に政府活動の質や適正性、不正防止、問題の是正のための仕組みや責任が問われる仕組みがある。加えて、分厚い市民社会組織がある。
・だから問題がないというわけではなく、問題はあるが、政府活動の質を高め適正化を図り、責任を課す仕組みの中で、記録管理がより機能させられる一面があるだろう。 日本は、こうした政府活動の質を高める、適正化を図る、問題を是正するための仕組みや機能がぜい弱であり、ほとんどないと言ってもよい。
・森友学園問題で改ざんしたのも、もとをただせば貸付・売却契約に無理をしているから、あるいは一般に理解されないものであったからと考えると、決裁文書の扱いでその問題が顕在化したので、むしろ国有地処分の適正性を確保しないと、同じことが起こり得る構造が残る。
・決裁文書は、組織としての意思決定を行った証拠文書であるにもかかわらず、改ざんを行ったと思われる背景を制度面から推測すると、決裁文書の調書を廃棄ではなく改ざんとしたのは、ある種の「つじつま合わせ」という一面があるとみることもできる。
・財務省文書取扱規則は決裁文書について、「起案の趣旨、事案の概要及び起案に至るまでの経過を明らかにした要旨説明を案文の前に記載するとともに、重要と認められる部分又は問題点があるときは、要旨説明の中その他の適当な場所に明記する。」(13条3号)と定め、「決裁文書は、関係資料を一括し、容易に分離しないようとじる。」(13条7号)ともしている。 この種の規則は公文書管理法制定前からあるもので、以前から決裁文書には事案の概要と経過をつけ、一括して管理していることになっている。
・この事案の概要や経過を説明したものが、今回改ざんされた調書だ。規則で定められているので、調書を取り除くことはできないので、廃棄ではなく改ざんしたとも言えるだろう。
▽決裁文書は修正できないのか
・では、決裁文書は修正できないのかという質問もこの間、何度も受けてきた。 基本的には、組織として意思決定を終えているのでできないだろう。 可能性があるとすれば、例えば、経緯に誤字脱字など軽微な間違いがあったような場合は、紙文書であれば後から手書きで修正が施される程度のことはあるかもしれない。 また、電子決裁のシステムがあるが、そこで決裁してシステム的に管理されると、修正は簡単ではないはずだし、履歴が残る。
・重要な点に間違いがあれば、決裁のやり直しで、新たに起案がされて決裁を行わなければならないだろう。そうならないために、複数の職員が決裁手続では内容を確認し、確認後に押印していくことになる。 情報公開請求で公開される決裁文書には、担当者の起案内容に上司が手書きで修正が入れられているものもある。多くの手が入ると起案文書が見にくくなるので、こういう場合は清書をする手続が規則上設けられていたりする。
・だからこそ、今回の改ざん問題は、常識的にはあり得ないことが起こっているというほかない。 決裁文書の改ざんは、もっぱら情報を削除したものだ。 貸付や売却契約に至るまでの国会議員からの陳情、契約相手方の森友学園からの働きかけ、小学校の認可前からの交渉になった理由、土地の所有者である国土交通省とのやり取りなどの経緯、特例的な契約であることが調書から消えている。
・決定したことはわかるが、多くの具体的な経緯が削除されており、なぜこのような契約になったのかという本来の背景がほとんどわからなくなった。
・公文書管理法は、国会での法案修正で、意思決定だけでなく、意思決定の「過程」を合理的に跡付け検証できるよう文書の作成を義務づける規定になった。決定の結果だけでなく、その経緯が重要だからだ。 これを筆者なりに解釈すると、どのような経緯であったかは、決定の意味合いや意義、位置づけ、解釈に影響するので重要だということになる。 改ざんは、森友学園への貸付や売却契約の意味合いや位置づけを歪め、政府にとって都合のよいものに作り替えたことになる。
▽プロセスを検証する必要性
・ただ、今回は改ざんという極端な形で表れているため、ある意味わかりやすく顕在化しているが、政府にとって都合のよいように行政文書が作られることは、珍しいことではない。 政策決定の際に、決定の妥当性や正当性を示す資料や経緯は行政文書として比較的長期残されるが、異論や他の選択肢、決定とは異なる方向性を示すデータなどは、短期で廃棄されたり、決定過程の一連の文書として管理して残されないことは珍しくもない。
・何を残して残さないかという点では、常に情報が操作的に扱われる可能性はある。 どのようにプロセスが記録されるべきか、ということを試行錯誤しないと、例えば改ざんしないで済むように内容の薄い調書をつくる、というような形骸化、形式化を招くことになる。
・今回の改ざん問題では、誰が改ざんしたのかと、誰が指示したのか、そもそも指示があったのかが今後の一つの焦点になるだろう。 誰かに焦点化すると、それは近畿財務局の職員になるだろうし、指示をしたとすると理財局の誰かということになるだろう。
・しかし、改ざんは、当時の佐川理財局長や安倍首相の答弁とつじつまを合わせるために行われたとする報道もある。 前述の通り、麻生財務大臣は佐川氏の責任と決め打ちをしているようだが、昨年問題が表面化した際、財務省は契約経緯の詳細な調査をしようとせず、森友学園側から記録や情報などが出てくると、その範囲だけ確認して答弁をすることを繰り返してきた。
・少なくとも佐川氏が国会でそのような答弁を繰り返してきたのは、独断ではなく政治的にそれを良しとしてきたからに他ならない。 佐川氏や近畿財務局、理財局の職員にも問題はあることは間違いないが、職員にのみ責任を取らせるような結果になったら、それは政治が行政に守られている、あるいは政治が行政を盾にして保身を図っていることになる。 それは本末転倒だ。調査を指示しなかったことも、答弁内容を良しとしてきたことも、政治的責任の範囲だろう。
・また、刑事罰に該当するのかという焦点もある。筆者は刑法に専門的知見があるわけではないが、刑法の規定を見る限り、虚偽公文書作成等罪に該当する可能性は、完全に否定できないと思う。 刑法156条は、「公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書若しくは図画を作成し、又は文書若しくは図画を変造したときは、印章又は署名の有無により区別して、前二条の例による。」と定めていて、「行使の目的」には、虚偽の文書を真正のものと他人に認識させ、認識させ得る状態に置くことを指すようなので、該当するようにも読める。
・しかし、今回の改ざんは情報を削除していて、文書に虚偽を記載したわけではないので、これをどう判断するのかという問題になるだろう。 ただ、刑事罰に該当するかどうかにのみ焦点化すると、刑事罰に当たるか否かという狭い範囲で問題が追及されることになる。 刑事罰該当性はそれで追及されるべきだが、検察は犯罪か否かの捜査をして該当すれば起訴などするが、それ以上のことをするわけではない。
・政府は犯罪行為や違法でなければ何をしてもよいというものではなく、政府活動には適切性や正当性、妥当性が問われるからこそ、説明責任が求められている。 この視点からも森友学園問題と、その問題の発端である国有地処分の仕組みの適切性など、プロセスそのものを検証する必要があるし、そのプロセスが適切性を欠いていることが文書改ざんを引き起こしたのであれば、その問題を解決する必要がある。
▽決裁文書ではわからないこと
・ところで、今回の文書改ざんで削除された内容を見ると、特別に新しい事実が含まれているわけではない。 すでに、森友学園側から出ていたこと、昨年3月に明らかにされた鴻池参議院議員事務所の陳情整理報告書、大阪府の文書、今年1月になって一部が公開され、2月に追加で公開された近畿財務局内での法律相談書などからわかっていたことが多い。
・国会議員の名前や首相夫人の名前も削除されているが、これも新しい事実とまでは言えない。はたして大きなリスクを抱えてまで改ざんをしなければならないことだったのだろうか。 削除された箇所を通して、森友学園への国有地貸付・売却案件が政治案件であるという前提で処理が進められていたことは、よくわかる。
・2015年5月に貸付契約が締結されているが、それに先立ち2月の段階の特例承認の決裁文書の調書には、冒頭の事案の概要に「※本件は、平成25年8月、鴻池祥肇議員(参・自・兵庫)から近畿局への陳情案件」と書かれている。 鴻池議員陳情案件だという認識であったことは示され、複数の国会議員からの陳情、籠池氏が日本会議大阪代表・運営委員をはじめ諸団体に関与し、日本会議の説明の中で麻生財務大臣が特別顧問、安倍首相が副会長に就任していること、森友学園への国会議員の来訪状況がまとめられている。 資料からは、鴻池議員陳情案件として契約処理しているが、森友学園の背景から現政権と直結しているという認識を持っていたことまでは理解ができる。
・それではどこでどういう力が働いたのかまでは、今回出てきた決裁文書だけではわからない。 特に、最終段階で大幅な値引きをして売却するに至る部分は、森友学園側が損害賠償の可能性を出して交渉していたことがわかる記述が中心だ。 毎日新聞によると、約8億円の値引きの根拠となった地中の埋設物を実際より深くあると見せかける報告書を作成したと、業者が大阪地検に証言していることがわかったという。
・森友学園や近畿財務局側から促されたとも記事にあり(毎日新聞「森友「ごみ報告書は虚偽」 業者が証言「書かされた」」2018年3月16日)、徐々に何が起こっていたのかがわかるような情報が順次明らかにされつつある。 言い換えると、改ざん文書でも全貌がわからないわけだから、財務省が1年未満の保存期間であるから廃棄済だとする交渉記録が核心に迫る記録であるということになるだろう。
・これについても、先般自殺が報じられた近畿財務局の職員が残したメモに、「資料は残しているはずでないことはありえない」と書かれていたと報じられており(NHK「「森友」 自殺した職員がメモ 「自分1人の責任にされてしまう」」2018年3月15日)、まだ先のある話になりそうだ。
・ただ、改ざんされた決裁文書の調書に「※本件は、平成25年8月、鴻池祥肇議員(参・自・兵庫)から近畿局への陳情案件」と書かれているのを見ると、国有地処分には同様に政治家案件があるのではないかと思われる。 森友学園が特例、特殊とするとその範囲の議論に終わるが、この問題はもとは国有地の処分プロセスが適当かどうかという問題も含んでいることは、前述の通りだ。
・国有地処分には同様の政治家案件が相当あるとすると、森友学園問題の特殊性にだけ焦点が当たっている限りは、それ以外の案件に延焼しないで済むので好都合ということもあり得るのではないだろうか。 現在、財務省の財政制度審議会国有財産分科会で、公共随契を中心とする国有財産の管理処分手続等の見直しを検討している。1月19日の会議を最後に開催されていないが、こちらも注目していく必要がある。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/54859

次に、専修大学人文・ジャーナリズム学科教授の山田 健太氏が3月31日付け現代ビジネスに寄稿した「この国のずさんすぎる「公文書管理」〜だから問題が繰り返される サービスから義務への転換が急務だ」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・森友文書改ざんが大問題になっている。日本の情報公開・文書管理制度は現在どのような状態にあるのか? なぜ日本の政治家は「大事な情報」を残さないのか? 山田健太・専修大学教授(言論法/ジャーナリズム研究)が考察。
▽日本社会の行く末を占う大問題
・直接的には3月2日の朝日報道に始まった公文書改ざん・書き換え問題は、いまや大きな社会的話題になっている。 一方で、「佐川を呼んでもやっぱり何も出てこなかったじゃないか」「役人なんてどうせ文書を書き換えるのが仕事なんだから」「いまは盛り上がってるけど所詮は打ち上げ花火で、どうせあと1ヵ月もすればもとの鞘に戻るに決まってる」など、巷には<やっぱり>や<どうせ>の諦め感が強いのも、また事実だ。
・しかしこの問題は、こうした<訳知り顔>で終わらせてしまうには、あまりにももったいない。 しかも政局話ではなく、曰く付きの土地をめぐる日本維新の会等をめぐる政治の闇にどこまで迫れるのか、政権がここ15年着実進めて来た教育改革の象徴である愛国教育が、社会にどのような歪みを産んで来ているのか。  ――これらは単に森友学園の問題でも、首相夫人を通じ官邸に忖度があったのかどうかでは済まない、いまの日本社会の少なくとも政治選択の行く末を占う、大きな問題だからだ。
・そのとっかかりの一つが、佐川宣寿・前国税庁長官の国会喚問であったということにすぎない。 なぜ書き換えたのか、そもそもなぜ大幅値引きをしたのか、それらに官邸・政治家からの指示はあったのか、から解明が始まることもまた確かではある。 そして書き換えが自身の意図だとすれば、その直前の国会答弁でなぜ、相当にグレーな言い方で誤魔化そうとしたのか。
・少し古い言い方をあえて使うならば、公僕としての国家公務員であった者として、きちんと正直に語る必要があるのは言うまでもない。墓場に持って行くほどの秘匿すべき国家秘密があったとすれば、それはそれで由々しき問題である。 これらの解明は、喚問で終わったのではなく、まだ端緒についたばかりだ。
▽情報隠蔽体質を変えることができるか
・そしてもう一つの重要なポイントが、官僚による公文書の廃棄・改ざん体質や政治家の情報隠蔽体質を、ここで変えることができるのかどうかである。日本の民主主義を占ううえでは、この課題が一番重いとも言える。
・2001年に情報公開法が施行されたが、この法律は日本では稀有な市民発の立法である。公害や政治疑獄の根絶を願う多くの市民の熱い想いが、はじめは各地の条例に、そして最終的には法律として結実した。 知る権利が明文化されなかったり、適用除外の基準が曖昧であるなど、満点ではないものの、それなりに当時の世界標準の内容であったと言えよう。
・しかしそれから20年弱、社会環境も市民意識も大きく変わったものの法律は一度も改正されることなく、いまや世界の中で周回遅れの内容に成り下がっている。 そればかりか、ジャーナリズムや市民からの批判があるたびに、官公庁の対応はより巧妙に情報を隠す方向に働き、状況は悪化している側面も少なくない。今回は、その象徴的な事例でもあるのだ。
・そしてこうした広義の情報公開制度の、もう一つの柱である文書管理制度も不十分なままだ。 本来なら車の両輪である情報公開法から遅れること10年、2011年にようやく施行された公文書管理法。その冒頭に掲げられている「健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用しうるものであることにかんがみ、国民主権にのっとり」法を定めるとの崇高な法目的とは、大きくかけ離れた運用実態が続いている。
・中央官庁の最近の行状だけでも、自衛隊の南スーダンPKO日報問題で、防衛省は貴重な記録をいとも簡単に廃棄し、また保有していることを国民の目から意図的に隠した。 厚労省は、労働関連一括法案の議論に都合の良い結果を導くため、公文書を作成する段階でデータを意図的に作っていたことが明らかになった。 明らかにケアレスミスを超える意図的なデータ操作であって、仮に違法でなくても法の趣旨に明確に反する文書管理だ。
・作る段階でも作った後も、役人は文書を正確に残すことよりも、自分たちの都合の良い文書にすることを考えている実態が浮かび上がってくる。
▽役人は公文書破棄に躊躇ナシ?
・そしてこれはいまに始まったことではない。 たとえば、1972年の沖縄返還に伴う日米両政府間の密約文書は、外務省が今後の外交交渉のためにも当然に保有し続ける必要がある文書であろうが、少なくとも2008年段階では廃棄されていることが明らかになっている。 実際、情報公開法が施行される2001年直前、そして公文書管理法が施行される2011年直前に、外務省、防衛省を始め、多くの省庁で大量の文書が廃棄されたことが確認されている。
・役人は、今も昔も重要な公文書を自らの保身のために廃棄することに、なんら躊躇がないかの態度を示し続けているということだ。 そこには、行政文書は国民共有の財産である、という意識は残念ながら見られない。
・もちろん、役人が自らの仕事を正当化するために、あるいはよりよく見せようとする気持ちがあるのは自然だ。 それが高じて、できれば隠したいと思うこともあるだろう。あるいは、たとえば会議記録の発言を、少し丸めて記述することもあるに違いない。 しかし、組織で仕事をする以上、記録を残すのは絶対であるし、可能な限り正確な記録を残すことは公務員としての義務である。
・したがって、一度確定させた記録(決裁文書)を自分たちの都合からあとで修正することはあってはならないし、ましてや勝手に捨てることは絶対に許されない行為であるはずである。 しかし、そうした基本動作が未だ理解されていないということになる。自分たちの行為をなかったことにすることは、後に、その行政の決定を見直したり、検証したりしようと思った際にも、その基礎資料が存在せず、意思決定過程が未来永劫わからないままという事態を招くからだ。
・これを逆に考えれば、いま官公庁が行政文書を残しているのは、自分たちの都合の良い情報の限り、自分たちの存在価値を示すためだからということになる。 したがって公文書管理法があろうとなかろうと関係なく、いらないと思えば捨てるし、必要と思えば書き換えるのだろう。 ただし、公務員の全てがそう考えているとは思わないし、むしろ大多数の公務員は、少なくとも決められたルールはキチンと守って仕事をしていると信じたい。
・そうであるからこそ、その最低限の歯止めのルール化が意味を持ってくる。何か問題が生じた際に、おかしいとの声をあげやすいような根拠規定ということだ。 さらに言うならば、行政機関(官)と政治家(政)の関係の透明性を高めるためにも、ルールを作ることは必要だし、それは行政への政治関与を衆人環視によりチェックする効果を生むはずだ。
・現行の規定では、極めて限定的な特殊な場合(「働きかけ」によって大臣に報告すべき特別な事情があった場合など)にのみ記録化することが義務付けされている。 今回の森友でも加計でも、国会議員の要請や、政務三役からの指示、さらには首相補佐官や参与、政務秘書官や首相夫人秘書などの行動記録が、公文書として残っていたら、様々な疑問は解決するはずだ。
・しかし、これらの記録はほぼ何一つ残っていないのである。働きかけがあったかどうかの記録はおろか、その行動記録さえも残されていない。 そしてこうした「残さないこと」は、政官の間では暗黙の了解よりも以前の当たり前のこととして慣習化されてきたわけで、だからこそ「残すルール化」はされてこなかった。 しかしまさにいま、その「当たり前」が問題とされ、根本から見直す必要性が問われている。
▽サービスなのか義務なのか
・しかし現実に立ち戻るならば、いま財務省をはじめ多くの官庁での実態は、公文書は国民の共有財産であり、その公開は当然の帰結という考え方とは、大きなズレが生じることになる。 すなわち、文書をきちんと残し、それを整理・分類して保存・保管し、国民の開示請求に誠実に応えてオープンにするという一連の所作は、本来の仕事ではないということになりかねないからだ。 別の言い方をするならば、庶民への施しとして、プラスアルファの仕事としてやっている余計なサービス、ということになる。
・このサービス意識を転換し、官庁には自らのやったことに対する説明責任があり、その記録を残し国民全体と共有することは義務であるとの意識になってもらわなければならない。 このサービスか義務かの差は行政全体を巣食っている極めて大きな問題である。中央官庁で昨年問題になった、通産省における各部屋の施錠問題も同じ発想があると思えるからだ。
・通産省はこれまで、各部屋のドアを原則開けたままにしていたが(多くの省庁は現在でも、開けっ放しか、少なくとも施錠はしていない)、現在では固く扉を締め施錠もし、勝手に入室できないようにルールを変更した。また、取材応対者を限定し、その応対記録を上官にあげることも通達している、とされる。
・こうした「情報コントロール」は職務上の秘密を保護する観点から当然というが、果たしてそうか。 もちろん、保安上でも秘密漏洩の防止のうえからも、一定の管理が必要な点は認められる。 しかし一律禁止をすることは、単に情報の漏えいを防ぐという意図を超え、情報のコントールを強化することで、すなわち「知らしむべし寄らしむべからず」の20世紀型行政国家の姿勢そのものであり、明らかな悪しき先祖返りと言えるだろう。
▽大事な情報は残さないという伝統
・こうした発想は例えば、記者会見をするかどうにも端的に現れる。多くの中央官庁では大臣等の定例会見を実施している。また、各地方自治体でも、首長の会見は定例もしくは報道機関側の要請に従うのが慣例だ。 しかしいま、そのルールが崩壊しつつある。 自治体の長は、自分が言いたいことを言うのが会見の場だと認識をし、記者に会いたくないときは開かない、質問は認めない、などの挙に出ることが少なくないからだ(例えばつい最近も、米軍基地建設で揺れる辺野古の地元である、名護市の新市長は定例記者会見を廃止した)。
・そしてこうした恣意的な会見開催の行動パターンは、自治体だけではなく首相自らが実行しているほか、各政党の党首や幹事長にも見られる状況だ。 ここには、記者会見は国民の知る権利を具現化する場であり、行政情報開示の観点から適切なタイミングで、国民(住民)の代表としての記者を前に、自ら施策を説明するのは法的義務であるとの意識は微塵も見られないと言うことになる。
・もちろん、日本では取材する権利の反射的なものとして、取材応諾義務が明示的に法律のなかで認められてはいない。 しかし一方で、取材の自由や知る権利が憲法上の権利として認容され、情報公開制度が整備される中で説明責任が明文化され、記者クラブの存在意義と機能・役割が判例上認められてきていることを鑑みれば、一定の条件はつくとしても事実上の応諾義務があると考えるのが自然である。
・むしろ、ない、あるいは制約があるというのであれば、それを立証するのは行政側の責任である。 そして同じ体質が政治家にも巣食っている。言いたくないこと、質問されたくないことがあるときは会見を開かない、大事な情報は残さないという伝統だ。
・実際、大事な会議ほど情報が残されない仕組みがある。例えば、閣議、皇室会議は議事要旨の公開はあっても、議事録の公開はないどころか、記録の存在すらないとされている。 同じく、安全保障会議も議事録を作成しない会議の1つであって、それらの理由は「大事な会議だから」だ。
・日本では、大事なことであればあるほど記録に残さない、国民に説明する必要はない、との政治家の思い込みが正当化され、社会慣習として定着しかかっているのである。 それゆえに今回の公文書の危機をきっかけに、こうした「誤った認識」を一掃し、真の開かれた政府を実現し、政治を国民の手に取り戻すことが必要だ。
・しかもそれはお題目ではなく、具体的な制度整備によって実現する必要があり、まずは目に見える問題である公文書の改ざんは絶対に許されないという、文書管理の基本から見直していかなければならない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55042

第三に、4月3日付け日刊ゲンダイ「陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い」を紹介しよう(▽は小見出し)。
・稲田朋美元防衛相の国会答弁は「虚偽」だったということだ。小野寺五典防衛相は2日、政府がこれまで国会議員らに「存在しない」と説明していた陸上自衛隊のイラク派遣の日報の存在が確認されたことを明らかにした。 見つかったのは、2004~06年の派遣期間中に作成された計約1万4000ページ。昨年の南スーダン国連平和維持活動(PKO)日報の隠蔽問題を受けて調査した結果、陸上幕僚監部衛生部などで保存されていたことが確認された。
・日報は現地の情勢はもちろん、当時の陸自の動きなどを詳細に記した重要な“公文書”だ。この日報について、昨年2月の衆院予算委で、民進党の後藤祐一議員(現希望)が南スーダンPKO日報問題の関連で「イラクの派遣のときの日報が残っているかどうか」と質問。 これに対し、答弁に立った稲田氏は「お尋ねのイラク特措法に基づく活動の日報については、南スーダンPKOと同様の現地情勢や自衛隊の活動内容を記録した現地部隊の日報については、確認をいたしましたが、見つけることはできませんでした」とキッパリ言い切っていたのだ。
▽目的は改ざん疑惑打ち消し?
・小野寺大臣は「可能な限り捜したが、その時点では確認できず、不存在と回答していた」と説明し、稲田答弁に問題ナシみたいな口ぶりだったが冗談じゃない。これが許されるのであれば、都合の悪い資料はとりあえず「見つからない」と言ってシラを切り、ほとぼりが冷めた頃に「ありました」というインチキ答弁が続出しかねない。国会質疑は成り立たず、答弁内容そのものの信用性も失われてしまうだろう。
・不思議なのはなぜ、このタイミングでイラク派遣の日報発見が公表されたのかということだ。 実は小野寺大臣は、もうひとつ「重要」な内容に触れている。共産党の穀田恵二国対委員長が衆院外務委で指摘した、防衛省の内部文書をめぐる改ざん疑惑だ。統合幕僚監部が12年7月に作成した文書で、小野寺大臣は同じ表題の文書が2つ見つかったと公表したのだ。小野寺大臣は改ざんの意図は否定していたが、どうにも怪しい。
・「共産党が指摘した通りの同じ表題の2つの文書が見つかり、財務省に続いて防衛省でも……となれば政権はグダグダ。そこで、改ざん疑惑を打ち消すために『イラク日報が出てきた』と明かしたのではないか」(防衛省担当記者) 要するに今も防衛省の「隠蔽体質」は変わっていないということだ。
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/226371/1

第一の記事で、 『調査を進める前から、最終責任者が決め打ちされた調査になりそうで、どの程度意味があるか大いに疑問だ。 財務省から独立した調査を行った方が、それなりの理解が得られる調査結果になるのではないかと思うが、残念ながらそうなりそうにもない』、確かに企業の不祥事では第三者委員会に調査させるのが一般化してきたが、政府部門ではまだのようだ。 『改ざん文書でも全貌がわからないわけだから、財務省が1年未満の保存期間であるから廃棄済だとする交渉記録が核心に迫る記録であるということになるだろう。 これについても、先般自殺が報じられた近畿財務局の職員が残したメモに、「資料は残しているはずでないことはありえない」と書かれていたと報じられており(・・・)、まだ先のある話になりそうだ』、まだ「先」が残されているのであれば、楽しみだ。
第二の記事はより本格的な分析だ。 『日本社会の行く末を占う大問題・・・これらは単に森友学園の問題でも、首相夫人を通じ官邸に忖度があったのかどうかでは済まない、いまの日本社会の少なくとも政治選択の行く末を占う、大きな問題だからだ』、と改竄や森友問題だけでなく、より根本的な問題が問われているとの指摘には、新鮮で説得的だ。 『役人は公文書破棄に躊躇ナシ?』、 『大事な情報は残さないという伝統・・・閣議、皇室会議は議事要旨の公開はあっても、議事録の公開はないどころか、記録の存在すらないとされている。 同じく、安全保障会議も議事録を作成しない会議の1つであって、それらの理由は「大事な会議だから」』、など隠蔽体質がここまで深く根付いているとの指摘は強烈だ。簡単な法制強化で済む話ではなさそうだが、それでも、一歩ずつでも前進していくべきだろう。
第三の記事で、 『統合幕僚監部が12年7月に作成した文書で、小野寺大臣は同じ表題の文書が2つ見つかったと公表したのだ。小野寺大臣は改ざんの意図は否定していたが、どうにも怪しい・・・改ざん疑惑を打ち消すために『イラク日報が出てきた』と明かしたのではないか』、こうなったら、イラク日報隠蔽問題と改竄問題も徹底的に究明すべきだろう。
タグ:共産党の穀田恵二国対委員長が衆院外務委で指摘した、防衛省の内部文書をめぐる改ざん疑惑だ。統合幕僚監部が12年7月に作成した文書で、小野寺大臣は同じ表題の文書が2つ見つかったと公表したのだ 目的は改ざん疑惑打ち消し? 「陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い」 日刊ゲンダイ 閣議、皇室会議は議事要旨の公開はあっても、議事録の公開はないどころか、記録の存在すらないとされている。 同じく、安全保障会議も議事録を作成しない会議の1つであって、それらの理由は「大事な会議だから」だ 大事な情報は残さないという伝統 役人は公文書破棄に躊躇ナシ? 情報隠蔽体質を変えることができるか 日本社会の行く末を占う大問題 「この国のずさんすぎる「公文書管理」〜だから問題が繰り返される サービスから義務への転換が急務だ」 山田 健太 情報公開法や公文書管理法にも問題があるが、それだけで解決しようとするのは無理がある。 政府活動の質や健全性を高める、適正性を確保し、政府が信頼されるための努力をすることが、遠回りのようで、政府の説明責任が行政文書によって果たされるためには必要になってくる 「公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」 「異例」「特殊」で片付けてはいけない」 現代ビジネス 三木 由希子 (その2)(公文書管理の専門家が問う「森友文書改ざんの根本にある問題」、この国のずさんすぎる「公文書管理」、陸自イラク派遣日報 “絶妙タイミング”で発見公表の狙い) 公文書管理・公開
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